So-net無料ブログ作成

吹上の石樋 [風景]

群馬に赴任していた頃よりも、むしろ群馬から戻ってきてからの方が、アンテナに群馬ネタが新たに引っ掛かることが多い。
それはその新ネタの場所が、
え?あの場所の近く?
その先かよ!!
あの道は以前走ったじゃないか!!
住んでる頃には気がつかなかったというか。
今回もそうなのですが。

https://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-05-21
過去記事①・・・小幡藩の城下町、この頃は都落ち気分だった。転勤してきた自分を、美濃→東海への移封を拒否したが為にこの地に減封された織田信雄になぞらえた。

https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-15
記事②・・・もうすぐ赴任が解けて帰京を迫られて焦っていた頃だった。甘楽町の天空集落・峰を訪れ、峠にある物見の砦を案内していただいた記事です。
おじゃましたあのご夫妻はご健勝だろうか。

https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-06-28-2
記事③・・・帰京してから群馬へのリバースホームシックに罹っていた頃に訪れた小幡藩・織田宗家七代のお墓です。

過去3つとも県道46号線沿いです。今日の訪問先もそうです。
高崎市街から南下、中山峠を越えて吉井町で富岡方面へ旧道を走り、上州福島屋駅近くで左折、右手にこんにゃくパークを見ながら小幡方面へ走るのです。①と③の間にある。②の手前です。

前情報によると一級河川である雄川を渡る翁橋に停めるスペースがあるらしい。雄川堰取水口が目印です。
堰入口に停めます.jpg
既に先客が1台いますね。
私のような酔狂な見学者か、河川管理の人か。
右脇を下りる.jpg
実はこの場所よりも、もっと手前の場所に停めた方が近くで楽チンだと後で後悔するのですが。

翁橋の袂から雄川に沿って下っていきます。
入り口.jpg
歩く1下りて行く.jpg
堰が左手に見えます。この堰から引き入れられた水路を雄川堰といって、現在も清々しい水が小幡の城下町まで滾々と流れているのですが、その堰が私の歩く歩道右側に現れます。それに沿って歩いて行く。
歩く2堰.jpg
歩く3古い構造物らしい.jpg

歩く4.jpg
途中で雄川堰を渡ります。堰は右手に移り、私は沿って左を歩いている。
歩く5.jpg
歩く6.jpg
遊歩道がいつの間にか農道になったようだ。軽トラック1台分の幅になったのは、視界が開けた辺りで、雄川と堰の間の狭い平地に畑があるからです。
歩く7視界が開けた1.jpg
住居も見えてくる。右手にも畑があって、その畑へ繋ぐ簡易的な木橋が堰に投げ出されたように架かっていた。
歩く8視界が開けた2.jpg
歩く9視界が開けた3.jpg
歩く10この辺りから生活の為の橋が.jpg
右手から狭い也にも普通の生活道が合流した。この角っこは軽トラックか小型乗用車がハンドルを切れるギリギリのスペース。で、それと並んでこういうものがある。
歩く11これから見に行くものの近代バージョン.jpg
U字溝が堰をオーバークロスしているのです。堰に注がないのだ。
この先、私が見に行くものもこれに近いと言えば近いのですが、堰を跨ぐのではなく、堰が別の川を跨ぐ構造になっているものを目指しているのです。
ただ、それが近代的な構造ではなく、幕末の建造物なのですよ。
歩く12森へ.jpg
あれ?森に突入か?
そこだけ茂っているだけで右手に人家もあります。あるのですが、その人家から生活排水は堰に注いでいません。あくまで雄川取水口から引き入れた堰であって川ではないからです。
歩く13.jpg
振り返ったところ。ここまで数百メートル歩いているので内心では「何処まで歩けばいいのかなぁ?」と疑問符が点いたんですよね。
歩く14振り返る.jpg
その先に青空が見えてきたぞ。ここへ来るまでもこの先もそうですが、堰に沿って右にある家々は、その家の為だけに堰を跨ぐ橋が架けられているのです。
歩く15まだ見つからない.jpg
歩く16交差点に出たぞ?.jpg
道路に出たぞ。
この道路、下って雄川を渡っていました。県道と雄川の対岸に通じていた。
さっきくるまを停めた取水口からここまでかなり歩いています。方向的にはくるまで来た県道46号線を戻ってきてるのです。だったらあの場所に停めなくてもこの辺りに停めればよかったかも知れない。
歩く17更にその先へ.jpg
道路を渡って向こう側へ堰は続いている。
歩く18見えてきた1.jpg
ようやく目指すものが見えてきたぞ。
歩く19見えてきた2.jpg
歩く20さて何でしょう?.jpg
あったあった。これだこれ。見てください。今来た道と並んで流れている堰が川をオーバークロスしているんですよ。川と水路の立体交差といっていい。
吹上の石樋といいます。
石樋解説板1.jpg
石樋解説板2.jpg
『吹上の石樋は、堀沢川を横断する雄川堰に架けられた水路で、石材を組み合わせて構築されています。
雄川から引き入れた水は、長さ7.7mの巨大1枚岩を組み合わせたこの石樋を通り、雄川堰へと流れていきます。
石樋の架け替えは、小幡藩最後の藩主松平忠恕の命により、慶応元年(1865年)に行われました。石樋の底石は2石を組み合わせて構築されており、水路底面は上手に整形され、両石間は段差が分らない程精巧に仕上げられています。・・・以下略』
石樋解説板3.jpg

石樋5路と並んで川を渡っている3.jpg
石樋の下を流れる川は堀沢川といます。下流でさっき見た雄川に合流します。石樋は堀沢川をオーバークロス、堀沢川は石樋をアンダークロスしているわけです。
他、史料から。さっきの取水口から645m、長さ7.7m、幅1.2m、2つの石で組み合わせたらしいが継ぎ目の部分がよくわからない。
石樋の底から堀沢川までの高さは2.5mほどらしい。
江戸末期に作られた水道橋なのですが、こうやって見ると、これまで歩いて来た農道の橋と並んで殆ど一体化しているので、ちょっとわかり難い。
石樋1.jpg
石樋2路と並んで川を渡っている1.jpg
石樋3.jpg
石樋4路と並んで川を渡っている2.jpg
新緑が茂っていて見難いですが、何とか腕を伸ばして撮てみる。
石樋6路と並んで川を渡っている4.jpg
これでどうでしょうか。
石樋7路と並んで川を渡っている5.jpg
石樋8路と並んで川を渡っている6.jpg
手を伸ばせるギリギリ、これならわかりますか?

石樋10路と並んで川を渡っている8これでどうだ.jpg
堀沢川の下流を見ます。なるほど堰は川を越えています。でも川の先はコンクリートで補強されているので、風情が削がれた感があるのは否めない。
石樋9路と並んで川を渡っている7ギリギリの角度で.jpg

石樋13これならわかるかな1.jpg
石樋14これならわかるかな2.jpg
石を加工して繋げて橋を造ってありますが、実は耳を澄ますと跨ぐ堰の流れと、下の川の流れの音に混じってピチャピチャ音がするのに気が付きます。底石と側壁石の継ぎ目から水が漏れて川に落ちてる音なんですよね。
石樋11昔の石碑.jpg
石樋12.jpg
何故、川を跨いだのか。堰は水を引く為のもので、この先にある小幡藩邸と庭園と城下町を潤し、田畑を潤す為です。川に落しちゃったらそこで終わりだし、ここまで引いてきた意味がない。
石樋にする前は木の樋だったという。木の樋だとこれだけの水量、水圧に対して耐久年数が短いのではないか。おそらく破損して城下に水が来なくなり、殿様の一声で「架け替えろ。それも石で」決まったに違いない。
その殿様、大石を組み合わせて石樋を作らせた松平忠恕(タダユキ)という人は小幡藩最後の藩主で、江戸藩邸屋敷に盗みに入った鼠小僧と鉢合わせし、家臣に捕獲させて幕府に引き渡した松平小幡藩3代忠恵(タダシゲ)の五男だそうです。
近隣に織田宗家の墓がありますが、小幡藩は途中から織田家ではなくなった。織田家は明和事件(小幡藩士が弟子入りしていた学者が江戸攻略の軍法を論じた事件)に連座して出羽に移封され、信長の子孫ということで認められていた国主格待遇も廃されてしまったのだ。
そして同じ上州上里見藩から移ってきた松平忠恒(タダツネ)が小幡藩主に収まった。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-06-30
その後は、忠福(タダヨシ)、忠恵(タダシゲ)、そして石樋を作らせた忠恕(タダユキ)です。石樋ができたのは慶応だから幕末ですよ。小幡藩は戊辰戦争で新政府側に献金したとか。
風景1.jpg
風景2.jpg
風景3.jpg
風景4.jpg
取水口に停めたくるまに戻らなきゃ。来た道を戻るより、公道を歩いた。来る時に走った46号線を数百メートル歩いて戻りました。
戻ってきました.jpg
石樋だけ見るなら、この地に停めるよりもさっきの交差点に停めた方が近いです。
くるまを出して、石樋に近い場所まで走って停めたところ。
ここに停められます.jpg
その場所から石樋の方向を見ます。あの森の辺りです。
遠望してお別れ.jpg
私が歩いた堰と並行する道を歩きたくなければ、雄川堰取水口まで行かなくてもここを右折すればよろしい。果樹園の看板「富貴上リンゴ園」が目印です。
ここを曲がった方が近いです.jpg
石樋マップ.jpg
コメント(0) 

烏川木橋を歩く [風景]

この先にあるもの.jpg
上信電鉄の佐野のわたし駅前の踏切を渡り、新駅を誘致した??新興住宅街とマンションに接する路地を烏川方面へ曲がるとこんな標識があります。
軽自動車以上通行禁止1.jpg
『道幅1.4m、この先の佐野橋は軽自動車(但し耕耘機及び二輪車を除く)の車両の走行を禁止する 市道管理者』
1.4mでは軽自動車でも無理ですね。ではどんな橋なのか
橋1軽自動車以上通行禁止2.jpg
烏川を渡る橋が見えます。橋桁は木製です。標識にある通りくるまは通行できません。歩行者、自転車、バイクは走行できます。
軽自動車以上通行禁止3.jpg
橋2.jpg
この橋は上越新幹線が高崎に着く直前の左側車窓からも見えます。上信電鉄の烏川橋梁、緑色の連続ガーダー橋とやや距離を置いて並び、対岸の高崎商科大方面へ渡る木橋です。
橋3.jpg
では歩いてみましょう。足裏から木の感覚が伝わってきます。
橋4.jpg
トントン歩きながら下流を望むと、釣り人が2人か3人いた。
遠くに見えるなだらかな丘は根古屋城で、その先に山名城があります。
橋5下流1.jpg
バイクが来ると橋梁がたわむのが足裏からわかります。そうでなくても上下にたわんでいる箇所がある。
橋6バイク.jpg
足裏から木の感触が伝わってくる。アスファルトやコンクリートと違って温もりがあります。
橋7下流2.jpg
下流の河川敷に案山子が2つ立っているぞ。
橋8下流3案山子.jpg
すぐ上流に上信電鉄のガーダー橋が並んでいる。ガーダー橋は規格が不揃いなところがあって、径間が短いところは橋が細い。
橋9上信電鉄鉄橋1.jpg
橋脚というものは川の流れを阻害するなので、なるべく径間を長くして橋脚数を少なくした方がいいのですが、そうするには橋梁をしっかりしたものにしなくてはならない。鉄の梁を太く長く、組み合わせて強くするには材料費、施工費が莫大になります。上信電鉄は幾つか河川を渡りますがトラス橋が無いのは軽便鉄道から始まったからだと思います。
橋10上信電鉄鉄橋2.jpg
橋11上信電鉄鉄橋3.jpg

橋12対岸へ.jpg
トントン音を立てて歩きます。意外とこの木橋利用者が少なくないのです。部活動を終えた高校生が自転車で走ってくる。皆さん礼儀正しい。私みたいな胡乱な余所者にも「こんにちはぁ」と挨拶して走り去っていく。
地元の高齢者がバイクに乗って走り去ったり。アマチュアカメラマンも。
学生さんとすれ違うのは下校時間と重なったのかな。ボンヤリして川風に吹かれてると橋上には自分しかいない気になりますが、ふと気付くと誰かが渡ってくるのですよ。くるまは通行できませんがこの木橋梁は地元の生活道なのです。
橋13そろそろ渡り切る.jpg
橋の途中で振り返ります。左手に鉄骨が2本立っているのは増水時に流れてきた流木や木の枝討を橋手前で止めるものだと聞き及ぶ。
橋14上信電鉄鉄橋4新幹線も.jpg
時折、轟音を響かせてあっという間に走り去る新幹線。新幹線の走行本数は多いが、上信電鉄はこの時間だと1時間に2本程度。
でももうすぐ高崎方面上り、下仁田方面下りが交互にやってくる筈。
橋15渡って振り返る.jpg
渡ったその先は普通の農道になっていますね。
この先、街頭もないし、夜道はアブないんじゃないかなぁ。
その先は?.jpg

橋16戻る1.jpg
では戻りますか。戻る途中で高崎方面15:08と下仁田方面15:11がやってきます。
橋17戻る2.jpg
あのマンション、さぞかしいい眺めだろうな。川のせせらぎを聞きながら、上州西に沈む夕陽を毎日見れるわけか。住んでみたい気がする。
あのマンションに住んでみたい気がする.jpg

ウッドとボトル1.jpg
ウッドとボトル2.jpg

高崎方面15:08が来たところ。佐野わたし駅にゆ~っくり停車します。
ガ3.jpg
ガ4.jpg
ガ5.jpg
ガ6.jpg
ガ7.jpg
ガ8.jpg
ガ9.jpg
ガ10.jpg
ガ11.jpg
ガ12.jpg
下仁田方面15:11が佐野わたし駅を出てスピードを上げて去っていった。
ガ21.jpg
ガ22.jpg
ガ23.jpg
ガ24.jpg
ガ25.jpg
ガ26.jpg
ガ27.jpg
ガ28.jpg
ガ29.jpg
ガ30.jpg
ガ31.jpg
ガ32.jpg
ガ33.jpg
ガ34.jpg

振り返る1.jpg
現在の木橋は平成25年(2013年)9月に台風18号による増水で流失したものを復旧したものだそうです。下を流れる烏川は、ここからすぐの下流で下仁田方面から流れてくる鏑川を吸収して、その先でまた神流川を吸収して、その先で利根川に合流します。佐野渡の辺りはそれら合流前の利根川の一支川ですが、それでもこの橋を押し流す水量があったということだ。
この木橋、往時は流橋だったそうです。河川から橋桁への高さが計画時の高水位よりもやや低い為に流失を繰り返していたとか。
平成25年といえば私の群馬転勤が終わって東京へ引き上げた年です。その前年には流出する以前の橋を見ている筈なのですが記憶にない。
あの頃はくるまで移動してた。週に2~3回、この木橋より上流の城南大橋、県道71号線を走って烏川を渡り、吉井、甘楽、富岡方面へ走ったものです。
振り返る2.jpg
で、戻ってから、帰京してから気付いたのですが。
私、大事なものを見落としています。
橋脚です!!
橋の上を歩いてばかりいて、水面に、河原に立っている橋脚を見落としました。現在は木製でなく鋼製になっているようです。
後日、新幹線から撮影したものですが何となく橋脚が見えます。これで御勘弁を。
新幹線から1.jpg
新幹線から2.jpg
新幹線から3.jpg
コメント(2) 

彷徨い [風景]

田町1.jpg
アーケードから田町へ出て、BAR-ASLIへ歩いています。
でもまだ明るい。明る過ぎる。
BARに入る刻限じゃない。
一抹の不安が。まだ営ってないんじゃないかと。
田町2.jpg
トボトボ歩いています。
佐藤.jpg
この店、佐藤さんには一度入りましたが再訪はないままです。
コース料理だけです。悪いけど料理のクオリティでは七さんの方が上かなと思った。
前に入っていた浜潮のマスターとは未だに再会できていない。何処かでバッタリ会えたらいいのだが。

七さん、ドアの下からカウンターの足許を覗いたら、お客さん誰もいなさそうだったが・・・。
七.jpg

大納言卿.jpg
駿河大納言卿が眠るお寺の参道に入ったところ。
大納言・徳川忠長卿はこの地、高崎に配流され、若い生涯を終えなくてはならなかったのです。
「ああいう時代に生まれなくてよかった」(ジャン妻)
「何でさ?」
「刀を持ってるじゃない。今の時代に持ち歩いてたら凶器だからね。それと家々の収入(禄高)がわかっちゃうから。あの家は上士、この家は下士、そのまま永劫変わらないんでしょう」
上士か下士を見下し、下士は上士にアタマを下げ続け、それが生涯続くわけだからね。
(あれ?そういう意味では、今に続く四民平等は私が嫌う明治新政府が打ち出したんだっけか。)
失脚したら蟄居閉門ならまだしも、減石、領外追放、郷入り(これも配流で、人気の無い山に押し込められる)・・・。
二度と日の目を見ないだろう。
配流・・・イヤななぞらえ方だが、自分を転勤させた当時の会社役員に多少の不信があって、自分も配流させられたのかなと最初は思ったりしたものです。
毎日毎朝この道か七の前の道を歩いて事務所に通いました。
通り町1.jpg
通り町2.jpg

リニューアル?.jpg
上州山賊麺大大坊が離れになっていた。
ここの狭いキャパでは客を捌ききれなくなったのかも。現在はホテルニュー赤城の前に移転していますが、この旧店舗も離れとして営っているのだろうか。
はなれ?.jpg
その先、BARに入る角地ですが、あれ?ASLIの電光看板が出てないぞ。
あれ?行灯が出てないぞ.jpg
ドアは開いているが。マスター・ファンキードッグ氏がいる気配がないな。
う~ん、ちと早かったかな。
オカシイな1.jpg
オカシイな2.jpg
まだ開店前らしい。一旦離れてその辺りの路地を歩いてみた。
一旦ASLIを離れる.jpg
路地1.jpg
路地2.jpg
路地3.jpg
路地4.jpg
路地5.jpg
路地6.jpg
路地7.jpg
この路地の何処かの小さい店に飛び込んだことが2回あります。
1回めはジャン妻と2人で入ったメニューも無いスタンド酒場だった。ママがひとりで営っていて、取り敢えずあるものを出してくれただけ。悪くなかったですよ。
「震災の時はねぇ。ウチはこれこれこうでねえ」みたいな話を聞いた。
2回めは私だけで何処かのカラオケスナックに飛び込んだのです。そしたら数人いた先客たちがドン引いたんですよ私を見て。
優しい声音で穏やかにTALKするよう努めたのですが。小さい店って逃げ場がないじゃないですか。そのうち先客たちがパラパラ帰りだしたのです。
「そろそろ電車だ。俺、安中だから」
「自分は新町」
余所者の私がいるから居づらくなったような。じゃましたみたいで悪かったかな。ママも早仕舞いしたいみたいだったのであっさり出ました。私の歌を「お上手ねぇ」とは言ってくれたけどね。
2軒ともどの店だか覚えてない。どっかその辺の店から唄声が聞こえてくれば、あ、この店かな?とアタリをつけることができるかも知れない。
ファンキードッグ氏がいるぞ.jpg
グルッと見回って、反対側、駅側からASLIに戻ったら、マスター、ファンキードッグ氏が電光看板を設置しているのが見えた。
「あ、ジャンさん」
「どーも。まだ早いスか?」
「ええ、ちょっとまだ準備が。今来たんで」
今きた?
さては昼呑みしてたでしょう。〇〇飯店で。
「あと1時間ぐらい。7時くらいには大丈夫です」
「7時ねぇ」
となると3軒になる。今からどこかで1軒の後でASLIに来たら、無事で日帰りできるだろうかという懸念があったのです。
確約はできないけど、来れたらということで立ち去りました。
また戻ってしまった.jpg
無意識に、いや、意識して足を北へ向けた。
私たちが1年だけ住んだ部屋が見える。あの部屋から高崎祭りの花火や山車も見えた。南、西、北(台所)3箇所の窓を開けたら自然の風が吹いて涼しかったな。
私らが住んでた部屋.jpg

旧街道を北へ.jpg
だんだん薄暗くなってきた。何してるんだ俺は。グルグル徘徊してからに。高崎駅から日本酒BARのあら町~田町~通町~アーケードの寄合町~また通町に戻って、椿町へ歩いてるんです。莫大な距離です。会社携帯に搭載されたアプリの歩数計がどんどんカウントされていくぞ。
うさぎはいるかな.jpg
今の早い時間、うさこはいるだろうか。
背の高い男性(アシスト)が見えた。男性はフードできるかどうかアヤしいので、椿食堂の様子を見ようと路地を曲がったら。
食堂休み1.jpg
食堂休み2.jpg
貼り紙がしてあるぞ。臨時休業だった。
ご丁寧に近隣の飲食店が掲載してあった。うさこのCafeも書いてあった。
うさぎがいた1.jpg
うさぎがいた2.jpg
意を決して灯屋に入りました。今日は帰らなきゃならないから2軒めは軽くするぞと鉄の意志で入りました。
幸い梅ふくでは日本酒1本しか飲んでないのでさほど酔ってはいない。
ただ小腹が減っている。煮込み、マグロ、支那竹だけだったから。
「あらぁ、お久しぶりですぅ」(うさこ)
コメント(4) 

東京苛々 群馬快晴 [風景]

待ち望んだ10連休明け初日、前橋へ日帰りでやってきました。
日帰りですが、この日は1日が長く感じられたので幾つかに分けて情景をUpします。もちろん呑みもあります。
前橋駅1青空1.jpg
駅北口ロータリーから伸びるけやき通りの先に県の事務局があってそこへ月イチに出す重要な届出を持参した。郵送や遅延は絶対に不可。
連休が明けた朝いきなり「前橋に行けますか?」と振られたのではなく、依頼者側から連休中に連絡があったので「さぁ行くぞ故郷へ」とテンション上がってやる気満々だったのですが・・・

JRの電光掲示板を見たら高崎線が人身事故で運転見合わせ。東京駅折り返し運転に。
気を削がれてしまったよ。事故じゃぁしょうがないが、よく止まるねJRは。

高崎線だけじゃない。この日は多かった。メトロ千代田線、東急田園都市線、西武新宿線、半蔵門線、京浜東北根岸線、中央線、総武線、常磐線でも急病人救護で遅延。接続している各路線でも遅れや運転変更が生じた。
他にも京王線内で乗客が転落、丸ノ内線内のホームドア点検、東西線内での旅客対応(何を対応したのか不明)などなど。
10連休のせいで人間の身体も電車のシステムも不調になったのだろうか。

仕方がない。まず東京本社へ行くか。
行くのが当然なんだけどね。明けて初日なんだから。
だけど行ったら行ったで朝の朝礼時に出社してる社員数の少ないこと。ボードを見たら電車遅延10時出社、そんなんばっかだった。一般社員も管理者も半数いない状態で締りの無い朝礼だった。
朝礼が済んで9時30分になったら、〇長が執務室から出てきて、
「さぁ(取締役)定例会しましょう!!」

シーン・・・

「やりますよ●●さん・・・」
「ハイ・・・」

呼ばれた●●はやる気の無さそうな返事をして無表情で立ちあがり、他のメンバーを促して、仕方な~く嫌々会議室へ。
だが経理部長と財務部長がいないのです。〇長は私に聞いて来た。
「2人は別の打ち合わせですか?」
何で私に聞くかな。
私は〇長に含むところがあるのだ。GW前にすっげー不快なことを言われたのです。でも私はその不在の2人、ダブル部長が別室に入ったのを見ています。
「小会議室にいますよ」
「打ち合わせが済んだら来るように言ってください」
私はムッとした。カオに出たかも知れない。私がずっとずっとず~っと自席にいるとでも思ってるのかね。
アナタが招集したんでしょう。週の最初のこの時間は定例会って決められてるんだし、アナタは最高責任者なんだから自らノックして「時間です。そっちの打ち合わせより定例会を優先してください」とでも言って2人を引きずり出せばいいだけのことだよ。
不在のダブル部長がいる会議室をノックしましたよ。ドアを開けたら2人は「何?」みたいな怪訝そうな視線を私に向けたが、
「皆さん定例会議に入ってますよ」
「あっ、そうだった」
私に言われて気が付いたダブル部長も困ったものだ。定例会があるのを忘れてたのか、端っから無視するつもりだたのか、慌てたように、思い出したかのように大会議室へ入っていった。

バッカバカしい。要は連休ボケなんですよ。気合が入ってないのだ。そのうち電車遅延に巻き込まれた社員、主に女性社員たちが出社してきたのですが、連休中何してただの、何処へ遊びに行っただの、そこらじゅうで私語が延々始まる始末である。うるさいことこのうえない。
苛々してきた私はこの弛緩した空気から逃げ出そうと依頼された群馬の書類と自分の案件を持って飛び出しました。上の連中の揃わない足並みに合わせてこっちのアシを引っ張られたくないし、女性社員どもの私語に付き合う気もサラサラ無いからね。
(私語してないのは雪子、U紀(もと草の者)、愛想ゼロのU紀の上司女性だけでしたね。)

午前中、いったん横浜市内に戻って自分の案件を済ませてから、再度東京に取っ手返し、新幹線、両毛線を乗り継いで前橋へ。
前橋駅青空2東横イン1.jpg
雲ひとつない澄んだ青空が眩しい。陽射しは熱いが、赤城や榛名から吹き下ろす風が涼しい。
東京本社にいた頃の荒んだ気分がいつの間にか消えていたのです。自分でも目元や口元が緩んでるのがわかる。
やはり故郷はいい。そう思った。

けやき通りの風景が変っている。ドーミイン前橋が開業していたのです。2019年2月21日にOPENしたようだ。
ド1.jpg
ド2.jpg
前橋駅界隈は意外にホテルが多い。そりゃ県庁所在地だからだが、官庁街は17時には閑散とします。翌日まで滞在するビジネスマンがそんなにいるように見えないのだが、南口に東横イン、ドーミイン向かいにコンフォート、中央前橋方面へ歩けば、前橋さくら、アパ、県庁方面へ行けば、テルサ、サンカント、幾つかホテルあるんだけど。新たにホテル作って宿泊客の需要あるのかどうか。
東横インが見えます。
前橋駅青空3東横イン2.jpg
コンフォートです。
けやき3コ2.jpg
この先、交差点を渡って中央前橋方面にも前橋さくらホテル、アパ前橋北があります。ドーミインの新規開業はこの界隈のホテル業界への殴り込みだね。駅に最も近いドーミインができたことで競争が厳しくなるだろう。
見上げてみる。首が痛くなる。
ド3.jpg
14階に天然温泉、妙義の湯??
ド4妙義の湯?.jpg
HPにはこうある。
「ドーミーイン前橋
最上階に男女別大浴場完備
前橋市の街を一望する、天然温泉「妙義の湯」でごゆっくりお寛ぎください。」
何で妙義なんだろうな。
妙義は西毛でしょうよ。ここ前橋だったら赤城か榛名じゃないのか。
ド5道路向かいから1.jpg
ド6道路向かいから2.jpg
でも私がここに泊まることはないだろうな。
けやき1コ1.jpg
この先にある行政窓口へ出した後、反対側の舗道に渡った。舗道の左にTimesパーキングがあるのですが。
けやき2.jpg
私は上州に赴任した平成24年4月の時点では無違反だったのですが、来て早々3回つかまったのです。確か5月、6月、7月、来て半年も経ってないのにですよ。
まず5月が運転中の携帯で白バイに捕まり、幸楽苑の駐車場でキップ切られたの。
6月は安中市内の県道で一時不停止でパトカーにつかまった。
そして7月にけやき通りを駅方面から走って来て、ここのTimesパーキングに入れようとUターンしたら白バイに捕まったの。3ヶ月連続ですよ。
群馬県は一家のくるま所有数、女性のくるま所有数が多く、運転免許の取得率が早い。そして交通警察がすっげー多い。17号線で高崎から前橋に向かう片道だけでパトカー3台か5台見かけるのはザラですから。
「群馬は大好きだが警察が多過ぎやしないか?」
「アタシもこないだつかまりました」(現地のヤンママ社員)

これは初代ぐんまちゃんか?
オリジナルらしい.jpg
時刻は17時前か。もうここ群馬で直帰しって一杯飲んで帰りますか。だけど飲もうにも17時から営ってる店がないのだ。
前に載せた温泉ランド「ゆ~ゆ」で風呂に浸かってレストランで一杯飲ろうか。
でもあの食事フロアは味気ないんだよな。やはり高崎に戻ることにしました。
ド7ロータリーから.jpg
社宅マンションを高崎でなく前橋で選んだらどうなってたかな。こっち(前橋)で遊んだだろうか。
いや、前橋を選択することは無かったと思う。東京本社との連絡、接続という意味ではやはり上州玄関口は高崎なのですね。
高崎に戻ったのですが、時間が早いので開いてる店を探すのに難儀した。(続く)
コメント(2) 

朱色の世界 [風景]

ドーミインから見た夜景です。
夜.jpg
朝になりました。
朝.jpg
ジャン妻は先に出ました。朝7時の新幹線で帰京したのです。
朝帰り2.jpg
ジャン妻拡大です。
朝帰り1.jpg
自分は今日明日と2日レンタカーを借りています。くるまを出してすぐの風景。信号待ちですよ。走行中に撮ったんじゃないですよ。
朝は晴れてたのに.jpg
この日の午後、伊勢崎市のッ郊外で見つけたもの。
朝は晴れてたのに2.jpg大きい1本鳥居が農地の中に屹立しています。
上州で最も大きい鳥居だそうです。
大鳥居.jpg
周囲に何も無いだけに目立つ。
これだけ大きいと、遠目でも「何だあれは?」と目が行くし、近くまできて見上げて「デっカいなぁ・・・」と感嘆します。
鳥居は神社の象徴です。地図には神社を意味するマークになっているし。
神域への出入り口、参道の門ともいえる。目に見えない部分では、私らがいる俗界とを区画する「結界」といってもいい。
神の存在を感じさせるモニュメントといっていい。では神社そのものは何処にあるのか。このデカい鳥居を左折するのです。

鳥居は人間の俗世から神様の領域へ入る入口なので、ひとつあればいいのに、鳥居がトンネルのように立ち並んでそのトンネルが参道になっている神社があります。
有名なのは京都の伏見稲荷。ここが最も多いらしい。一万本あるとか。
文京区の根津神社の千本鳥居もそう。千本あるかわからないけど。他にもあるかも知れない。
上州にもあります。伊勢崎市小泉町にある小泉稲荷神社がそれ。そこには千本、万本には遠く及ばないが、結構な数の鳥居が並んでいました。さきほとのデッカい鳥居は小泉稲荷へ導くモニュメントなのです。
駐車場から見たところ。
駐車場から.jpg
鳥居の色を「赤い鳥居」と言う人がいますが実際は朱色です。赤い神殿ともいわない。朱色です。 朱色の鳥居たちが左、中央、右、3列に並んでいる。
鳥居は三列.jpg
何処から参列したらいいのか。
左の鳥居は大きめで、後でよく見たら地元企業が寄進したのか会社名が銘打ってあった。でも左の鳥居は奥の本殿にまで到達して並んでいません。数が足りないのです。潜って本殿に歩くとなると、真ん中か右の鳥居になります。
左の鳥居は大きい1.jpg
左の鳥居は大きい2.jpg
左.jpg
左と中央の間.jpg
先んじてお参りに来てた女性は真ん中の鳥居に深々と一礼して潜って行った。この女性、ダークスーツ姿で写真を撮ってる私を訝し気に見ていたな。そういう視線に慣れてるので意に介さず。
自分も真ん中の鳥居トンネルから入りました。いざ参道へ。
潜る1.jpg
潜る2.jpg
潜る3.jpg
己の視野が朱色に染まった。
1本1本が立ってる密度が狭く、ビッシリ建てられている。昼なお暗い感はないが、派手な色だけに目を刺激する感がある。
潜る4.jpg
潜る5.jpg
潜る6.jpg
潜る7.jpg
鳥居たちの高さは一定ではない。中には低い天井じゃないけど梁もあって高い身長の方は額をぶつけるだろう。
朱色の鳥居に額をぶつけて流血、額まで朱に染まったら笑えないよな。
潜る8.jpg
潜る9.jpg
潜る10.jpg
この朱色の鳥居たちはびっしりした密度で建ち並んでいる。地面の強度はどうなのだろうか。地盤が緩んだら将棋倒しになるんじゃないか。
潜る11.jpg
潜る12.jpg
今は私ひとりだけだからスイスイ歩いていけるが、初詣の混雑時には結構な参拝者の密度でギュウギュウ詰めになり、天井も低いのでかなりの圧迫感になるは必定である。一度並んだら横から逃げ出せないぞ。どんなに混んでいてもお参りするしかないな。
雨が降ったらどうなるんだ?鳥居は屋根ではないので鳥居と鳥居の梁の間から雨水が降ってくる。傘なんかさせないぞ。
もうすぐ出口です。さっきの女性が見えるぞ。
潜る13.jpg

潜る14出たぁ.jpg
鳥居を抜けると本殿があった。本殿は朱色じゃなかった。
何だか普通に地味です。ここまで潜ってきた濃い朱色の鳥居が視野から消え去り、嘘のように至って普通の地味な社殿だが何だかホッとする。
本殿.jpg
小泉稲荷神社が最初に創建されたのは崇神天皇・・・(・・・っていつの天皇ですか?)・・・の時代、まだ上州が「毛の国」と呼ばれてた時代で、開拓祖の神である豊城入彦命が東夷征討(東国を卑下してたんでしょうかね)の折に山城国伏見稲荷の分霊を祀って創建したというから伏見稲荷社の分社に端を発する。だから赤い鳥居が立ち並んでいていいのか。

祀ってある神様は倉稲魂命・大己貴命という神様で、ご利益は商売繁盛と五穀豊穣だという。商いの神様ですね。
私も参拝しましたが、私の場合は職掌柄、商売繁盛というカテゴリーは無いので「こんにちは、凄い数の鳥居を見せていただきました・・・」心中で挨拶を唱えただけです。
今は閑散としていますが初詣は凄いそうです。商売繁盛を祈願する人たちがたくさん訪れるとか。
それにしてもすごい数だ。各方面から商売繁盛にかこつけて鳥居を寄進したらこれだけの鳥居の数になったのかな。
本殿前で振り返る.jpg
鳥居たちを振り向いてみる。
またあの鳥居トンネルを通って駐車場に戻ることになる。
でも脇の広場から戻るのも野暮だし。せっかく来たのだから潜って戻りましょう。その前に気付いたのは、本殿の前に油揚げが置いてあったのです。小泉稲荷神社イコールお稲荷さんだから、キツネが何処かにいる筈。裏手に廻ってみた。
裏手にも.jpg
裏に稲荷社があって、両サイドには大量のお稲荷さん(キツネ)の大群が段一面に並んでいた。陶器のキツネさんらしい。
お稲荷さんの大群1.jpg
お稲荷さんの大群2.jpg
お稲荷さんの大群3.jpg
各家庭に祀られていて古くなったものや必要なくなったものが集められたのだろうね。
さっき私を訝し気に見てた女性が先にお参りに来ていた。私を避けるように社務所へ廻っていったよ。私はアヤしい者ではないぞ。アヤしく見えるだけだ。
では戻ろう。また赤い鳥居のトンネルへ。
今度は左の鳥居トンネルへ。さっきの駐車場から見たら右にあたる。
潜る21.jpg
潜る22.jpg
潜る23.jpg
潜る24.jpg
また視野が朱色になった。
でも目が慣れてきたのか、色への抵抗や刺激は少なくなった。
潜る25.jpg
潜る26.jpg
潜る27.jpg
潜る28.jpg
この赤い鳥居のトンネル参道は参拝アトラクションの感がある。子供がはしゃいで走ったりしないのかな。
これだけ鳥居が立ち並んでいると気持ち地面が歪んでるようだ。凸凹湾曲しているような。足許を見ると、私が靴裏で踏みつけている道と、鳥居の柱が埋まっている左右の根本は地面の質が違うような気がする。やはり地盤の補強が必要なのだと思う。
潜る29.jpg
潜る30.jpg
潜る31.jpg
もうすぐ出口です。人間世界へ戻ります。
潜る32.jpg
潜る33.jpg
潜る34出たぁ.jpg
鳥居のトンネルから入って鳥居のトンネルからまた出てきました。
鳥居は屋根の無い門ともいえる。だから混雑時に鳥居の下を通らず、両脇に立つ狛犬さんの傍からショートカットして境内に入るのはホントはいけないんだろうね。
抜けて帰る前に、右と左から横に、斜めに見てみた。
まずは右から。なるほど伏見稲荷や根津神社の比ではないですが、小さくまとまっているので親しみやすい感がある。
右1.jpg
右1-2.jpg
人が抜けられそうな隙間もあるが、殆どは無理だな。痩せた人でも無理そう。
右2.jpg
アートチックでもある。全部同じ色だから映えるのだ。色がバラバラだったら気持ち悪いだけである。
右3.jpg
そして左からも。数は数えていません。おおよそ300本あるかどうかでしょう。
左1.jpg
左1-2.jpg
左2.jpg
左3.jpg
帰還前に駐車場からもう1枚。
左の大きい鳥居は、まだ社殿に向かって建てられる余裕が充分あります。これから歳月を経てここにも立ち並ぶのかも。
そういえば鳥居が左、中央、右、と並んでいて、右の鳥居の隣にもまだまだ充分過ぎるスペースがあった。左の列がいっぱいになったら、今ある右の鳥居の右スペースにも建つのかもしれないね。
帰還前に振り返る.jpg
同じような光景写真ばかりでしたが。
最寄駅は・・・何処かなぁ。伊勢崎駅からコミュニティバスが出ているらしいが。最も近い駅は両毛線の国定駅らしいです。くるまが無難でしょう。駐車場はそれ也に広いです。商売の運気を上昇させたい方はどうぞ。
コメント(2) 

神の池 [風景]

静かな海です。
波が打ち寄せないのです。
いや、そりゃ多少のさざ波は来てますよ。砂を撒くぐらいの音、サーッとささやくような音で波が来るだけ。
巨大なみずたまりに見える。水は澄んでいます。これぐらいキレイな海、静かな海があるのかと。
ここは伊豆半島の西の角っこにある大瀬崎(おせざき)の浜辺です。
大瀬崎1.jpg
大瀬崎1-2.jpg
大瀬崎2歩くジャン妻1-2.jpg
大瀬崎2-2歩くジャン妻2.jpg
浜辺を歩くジャン妻です。
ダイバーが幾人かいて潜ったり出たり浜に上がったりしている。そこらじゅうに酸素ボンベがたくさん並んでいた。
大瀬崎3ダイビングスポットを振り返る.jpg
大瀬崎5-1湾を眺めるジャン妻2.jpg
大瀬崎5湾を眺めるジャン妻.jpg
静か過ぎるこの湾は、台風でも来ない限りほぼ1年中潜れるそうです。
ダイバーたちの人気スポットの理由は、
①晴天時には富士山が望める。(この日はあいにくこっち側の富士山は雲に隠れてた。)
②海の生物が豊か。マンボウやマンタもいるらしい。
③海底が砂利で砂が舞いあがらない。
④流入する河川が無いので海水の透明性が高い。
⑤三方を陸に囲まれた湾なので、天候に影響されず海が穏やか。
⑥船で起きに出ないで海岸からドボンと潜水できる。
⑦浜辺から見ると浅そうですが、すぐ深くなる。
なので体験者、初級者から上級者まで幅広く潜れるんだって。
ダイバーや海水浴客が対象の休憩、食事を兼ねた宿泊所、マリンショップ、この時期は閉鎖された海の家が並んでいます。

ここへ来るにはくるまでの道筋だけなら至って簡単で、伊豆中央道の長岡ICで下りて130号線を海方向へ(東京からだと右折、天城からだと左折)すぐ海に出るので三津三叉路を左へ。後は延々海沿いの県道17号沼津土肥線を走るだけです。
バス路線もある立派な県道ですが、途中に行き違いが困難な狭い箇所が多少あります。急カーヴも。車線や線形を改良する工事も各地で見受けられた。
大瀬崎への分岐Y字路を下ると大瀬崎私営駐車場に到着します。
今日は平日なので閑散としていた。駐車場も私らともう2台ぐらいしか停まっていない。係員もいなかった。

大瀬崎、岬の突端に向けて歩きます。
伝承から引用するとこの岬は白鳳13年(684年)だから天武天皇の時代、その年の地震で島(琵琶島)が隆起して、その後長い年月でに砂州が形成され陸に繋がって現在の形状になったと。
半島としての長さはおよそ1kmぐらいです。
その先へ歩きます。大瀬崎はその名のとおり岬ですが、岬の突端に直径100mほどの淡水湖があるんですよ。
砂利浜として整備されている浜辺の道は自家用車は入れないので徒歩で。大瀬神社の鳥居が見えてきた。
大瀬崎6大瀬神社1.jpg
森のようですが境内なのです。ひとり100円の参観料を支払います。
大瀬崎7大瀬神社境内の森.jpg
ビャクシンの樹林の中の小道を歩いて、視界が開けたその辺りには・・・。
神池1.jpg
神池2.jpg
神池です。最大で直径100mほど。
神池4.jpg
淡水池です。海水じゃないです。池の畔に立って覗いたら大量の鯉たちが口をパクパウさせながら寄ってきた。
船山温泉の鯉より数が多くてカオス状態。
神池3淡水魚たち.jpg
このすぐ先に鯉のエサが自販されてます。鯉は人間に馴れきっているようですな。
神池2-2.jpg
神池5向こうは海.jpg
神池7.jpg
神池8解説板へ.jpg
そのすぐ先に神池の解説板があります。難しい文体ですが。
神池10解説板2.jpg
『此の神池は岬角の末端より内に少々五十米謂はば〇皮に包まる饅頭の如く面積六千六百平方米の霊地にして縁には葦アブラガヤ多数繁茂し鯉・鮒・鯰等の淡水魚数多く群棲す。海に近い観念を一変して奥深き山湖を偲ばしめる誠に神池といふ相応しき光景である。海浜僅か五十米に隔つる自然の淡水池を見るは実に奇異と云はざるを得ず、潮の気配聊かもなく伊豆七不思議の一つに数えられ池には池明神(水波之〇神)を祀り諸人等の信仰篤く今も尚池及魚に依って種々の心願を掛け若し池に入り魚を害するときは神罰覿面と云はれ昔より今に此の不成文の禁を犯したる者が或は死し或は精神喪失その他不慮の危難に遭遇したる実例を伝え相誡めて居る。依って今尚池水の深淺底壁の組織の如き実施調査したる人無く伝説によってこの神池は保護されている。岬には神木と云はるびやくしんあり、相並びて不思議のこの池あり。これ等大瀬岬の荘嚴と絶勝とを添え敬神上保勝上学術研究之を永遠に保存するものなり。大瀬神社』

判読できなかったり読みが難解な箇所を調べてみたのですが。
〇皮に包まる・・・(法被に包まるじゃないかなぁ・・・ジャン妻)
聊かもなく・・・(いささかもなく)
水波之〇神・・・(〇が変換できません)
神罰覿面・・・(しんばつてきめん)
荘嚴・・・(そうごん)

平成31年3月10日追記。100円支払って得た入場券の裏に原文が訳されて載ってました。
チケット1.jpg
チケット2.jpg

神池のある大瀬崎は駿河湾に突き出ているのですが、周囲が海なのにここだけ淡水池なのです。
神池は上空から見ると岬の先端にあるドーナツのようになっていて、ドーナツの空洞を池に例えたら、ドーナツの部分が今私たちが歩いている遊歩道のある陸地です。
その幅は狭く高さも低い。内にある池と外にある駿河湾を隔てるドーナツの陸地は狭いところで20m、高さも1mほどしかないのに淡水池・・・。
神池11館跡へ.jpg
その先にまた解説板が見えるぞ。
ここに居住してこの地を護り、納めていた武人の館跡です。
館跡1解説板1.jpg
館跡2解説板2.jpg
『鈴木繁伴館跡
建武の頃、今より六百四十年前元弘三年、鈴木繁伴なる武人(水軍)紀州熊野藤日を出船この地に来り、引率の郎党三十余人とともにここにたてこもる。観応二年足利直義に属し駿州薩埵山にて敗戦し、伊豆江莉の山中に隠れ其の後貞治六年、繁伴関東管領足利氏満に招かれ伊豆・相模両国の船大将を命ぜらる。神を尊敬する志篤く御社の破瀼したるを見て財を惜しまずこれの修理を爲し、やがて北条早雲に従ひ小田原北条氏と運命を共にしこの地より姿を消している。昔の面影を偲びこれを永く史績として保存する
大瀬神社』
館跡6.jpg
鈴木繁伴が居住していた館跡は池を時計廻りに歩いた左手のビャクシン樹林の中にありました。そこらに小さい石積みと低い崩れた土塁、石が散らばっている程度です。
無理して見れば小さい区画に見えないこともない。
飲料水はどうしていたのだろうか。雨水か?
館跡4敷地内1.jpg
館跡9土塁3石塁2.jpg
館跡10土塁4石塁3.jpg
館跡を抜けると.jpg
岬の西側の海5-1大瀬崎灯台2.jpg
館跡を抜けて池と反対側に歩くと、数10mで海に出ます。そこには大瀬崎灯台が。
岬の西側の海5大瀬崎灯台.jpg
岬の西側の海5-2大瀬崎灯台3.jpg
なので館跡は池の畔に面していて、海辺にある館跡ともいえる。
岬の西側の海1.jpg
岬の西側の海4.jpg
岬の西側の海3.jpg
岬の西側の海2.jpg
海を背にして館跡敷地内を戻ります。ここ大瀬崎の先端部にある館跡は紀州からやってきた鈴木繁伴がここ江梨村に上陸した際の初期の居館だそうです。
繁伴は大瀬神社で祭祀も努めていたので、武人であり領主、海賊、船大将、神官、いろいろ兼務していたのでしょう。
鈴木氏は北条氏に出仕したことで伊豆の江梨五ヶ村を支配した。伊勢新九郎の北条早雲が小田原城を奪取した明応4年(1495年)以降、明応7年8月には明応地震が発生し、伊豆では西伊豆の仁科、土肥、戸田、そして江莉が津波に襲われている。この池の畔の館も津波に襲われた。繁伴や鈴木氏はその後、ここから沼津方面に少し戻った西浦江莉に館を移したともいう。
神池21その先へ.jpg
神池24.jpg
池の畔の散策路に戻ります。岬の突端の辺りまで来る途中でジャン妻が嬉々とした声をあげた。
「ねぇねぇ、カメがいるよ」
カメが数匹、甲羅干をしていた。
神池25亀1.jpg
「何てカメだろ?」
「さぁ。黒っぽいけど」
そのカメ君たちは私たちを見て外敵だと思ったのか、慌てたようにノソノソ動いて池の中にドボンと飛び込んでしまった。
神池26亀2.jpg
神池22.jpg
神池23.jpg
鈴木繁伴氏が館を西浦江莉に移して北条氏が滅んだ後、この池は大波や津波に何度も洗われたと思いますが、神池は淡水のまま現在に残っている。
海からさほど離れていないどころか、都会でいうと中央分離帯を含めて片側2車線、両側4車線の道路の幅、距離しかないのに、池の水に海水が含まれてないというのは驚異でしかない。海はそれこそ目と鼻の先にあるのです。台風や海が荒れた日には海水が吹き込むのは必定だが、それでも淡水の池で鯉やカメの棲み家になっている。
神池28.jpg
突端の辺りまできました。この先で進行方向右側にある池の視界は木々や林に遮られて徐々に見え難くなります。左手に駿河湾が見えてきます。
この道のすぐ右は池で、左には海が。。。
路の右は神池で左は海.jpg
ここに来るまでに写真家の方なら、季節によってはビャクシン樹林の隙間を探して、神池と駿河湾の海を1枚のフレームに収める撮影スポットを探せることでしょう。私は見つけられなかった。
海が見える.jpg
さっきの灯台と反対側の海、湾に出ました。
湾1.jpg
湾2.jpg
湾3.jpg

戻る1.jpg
戻る2.jpg
戻る4駐車場.jpg
駐車場に戻るところ。これからもう1箇所行くのだ。「付き合うからには何かお楽しみが欲しいの」とか言っとったね。
「どうだった?」
「う~ん、静かでいいけど。動きが無いからねぇ」
「・・・」
「やはり滝の方がいいな。どっか滝ないの?」
私はズッコケそうになった。
神池.jpg
(神池は大瀬神社の境内なので池の拝観時間は日の出から日没までです。)
コメント(7) 

二町通り [風景]

製糸場はこちら.jpg
西富岡駅から市街地のさる場所へ挨拶に出向いて旧国道商店街を歩いてきた。
群馬に赴任中はこの通りを何回か走りましたが、とうとう今日まで富岡製糸場には行くことはなかった。なんだか私の興味の範疇・カテゴリーに入らないのです。
まさか世界遺産に認定されるとは。
ここからすぐ西にある上州七日市藩邸跡には行ったことがあります。加賀前田藩の支藩です。墓所にも行ったし。
でも製糸場には今も、これからも行こうという気にならないだろうな。
次の上州富岡駅発は16:22でそれまでに駅に戻らなくてはならないのだが。(高崎着は16:59)
上州は陽の沈むのが早い。時間が限られている。富岡製糸場の東にある街並みを見よう。
製糸場正門前.jpg
製糸場の正門には若い女性の警備員、誘導員がいて、これから店を開ける板前ぽいオヤジがその警備員をからかってたぞ。(写真左)
私の右後ろから年配の女性(商店街のオバちゃん)が、
「いいねぇ若い子は。若い子の方がいいでしょう」
「んなこたぁねぇよ。みんないいんだ」
「そんなことないわよぉ。若い子の方がいいに決まってるよぉ」
何がいいのかワカランが。ヘンな妄想を振り切って左手に製糸場を見ながらその先を歩き、殆どの観光客が左折するところを敢えて右折します。
そこにいきなりこんなのがある。
散策1アルサロ?.jpg
アルバイトサロン?
アルサロか。懐かしい響きだ。
アルバイト・サロン、アルサロなんて今は殆ど死語じゃないかな。要は小さい規模のキャバレーで、会社勤めの女性や家庭の主婦などが女給(ホステスのこと)をしている店のことですよね。素人のアルバイトという触れ込みで客を引くあれです。素人さんが好きな殿方っているでしょ。
私?興味ないよ。何で金を払って店の女性に気を遣わなきゃいけないんだ。私はガールズ・バーですら入ったことない人ですよ。
アルサロ云々よりも、県内より県外から多くの来訪者が多い世界遺産・富岡製糸場のすぐ隣の路地はこういう風景なのです。
散策3二町通りネオン1.jpg
散策2.jpg
散策4.jpg
散策5.jpg
散策6.jpg
散策7.jpg
その辺りの路地の情景です。ひとクセ有り気な店が立ち並んでいますね。
まだ店を開けるには早い時間です。この日は1月4日なので、まだ全部の店がOPENするかどうかわからないが。
見慣れて来るとDEEPだがなかなかいい雰囲気に見えてくる。
散策8.jpg
散策9.jpg
散策11.jpg
この建物なんかいいですね。
散策10.jpg
高齢の女性2人連れが普段着で歩いていて、店の扉を開けて中へ入ってったりするから通いではなくて住居も兼ねているのかも。
猫もいた。キツい目をした猫がグタ~っと寝てたので、からかい半分に近づこうとしたら「シャーッ!!」って私を威嚇した。近寄るんじゃないわよって。
散策12二町通りネオン2.jpg
この辺りは製糸場のすぐ東で二町通り、銀座通りというのですが、この辺りを検索すると戦前~戦後まで遊郭があったという記述がみられます。
群馬県は廃娼県を宣言していたので表向きでは遊郭や赤線はなかったことになっていますが、それは公娼が廃止されたが為に私娼として鞍替えして存続したということ。当時でいう「乙種料理店」が少なからずあったのではないか。
高崎市の柳川町と違ってここ富岡製糸場の歓楽街の変遷については史料の裏付けがないのですが、世界遺産のすぐ近くにあるこの界隈は現在でも多くの飲食店が軒を連ねる群馬を代表する夜の街のひとつだという。
他で検索するとそうハッキリ謳っている解説のペラがあるんです。こういうデザインで。
路地.jpg
これの「遊郭がありました」バージョンが何処かにある筈なのですが今回はみつからんかった。
だが、この萬屋さんという店を見てください。
散策20萬屋1.jpg
表の間口は新しめですが、奥にクラシックな施行がずーっと長く続いています。お座敷だろうか。
散策21萬屋2.jpg
そして店の入り口には、
散策22萬屋3.jpg
散策23萬屋4.jpg
散策24萬屋5.jpg
「お知らせ 二十才未満の方は群馬県風俗営業等取締法施行条例第二十六条の規定により客として当店に入場するのをおことわりいたします。昭和三十四年四月 営業主」
この黒板と白く達筆で書かれた文字は昭和34年往時のものなのか。それとも往時を意識して敢えて店側の意志で書きなおしたのか。
昭和34年は私は売春防止法が猶予期間を経て完全施行され、赤線が廃止されたた昭和33年(1958年)の翌年です。赤線云々については高崎市柳川町の項を見てください。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-05-31
日付が微妙です。表向き料理旅館に転業したけど、かつては客と仲居さんとが座敷内で交渉が成立したら?と思わないでもないでしょう。

更地もあった。さっきの萬屋さんの隣も更地になっていたが、建物が老朽化して取り壊された箇所、そこだけ西に沈もうとしている陽射が眩しかったりする。なるほど細い路地なので消防車が入れないかも知れない。
散策13.jpg
散策14.jpg
散策15.jpg
散策16.jpg
散策17.jpg
散策18.jpg
散策19.jpg
近代工業発祥の裏にある歓楽街、そこに人が集まる以上は色街があるものなのか。古いスナック街にありがちな暗さ、ジメジメした雰囲気も少しは漂っているが、高崎の柳川町のような怖さは感じられなかった。世界遺産に認定された富岡製糸場に来る観光客が気まぐれに路地を出入りしたりするので、こうして撮影しても警戒感や違和感が無いからだと思う。
夜に来たことはないし今後も来ないでしょうな。遠過ぎます。上信電鉄の終電乗り遅れたらタイヘン。
散策25出る.jpg
路地から表通りに出るところ。
群馬銀行、群銀です。この群銀へジャン妻を乗せて何回通ったことか。
散策26群銀.jpg
群銀さんに来ることで知った新洋亭、美味かったな~。名物ママはお元気かな。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-11-5
散策27新洋亭.jpg
急行食堂は一度だけ入ったよ。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-05-29-3
ゆっる~い食堂だったな。新洋亭さんのようにいい意味での商売っ気が無いんだモン。
散策29急行食堂.jpg
この店は未訪です。
散策30川崎屋食堂.jpg
前に行った東苑さんが見える。2回行っています。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10
東苑が見える.jpg
上信電鉄の他の駅はクラシックな装いが多いのにこの駅は新しくて何だか違和感がある。製糸場に来訪される観光客の玄関口だから投資したんだろうな。職員も多いし。
上州富岡駅1.jpg
上州富岡駅2.jpg
電車が来るまで時間があったので駅窓口で聞いたんですよ。
「製糸場の東に二町通りってあるだろ?」
「???」
「あそこには遊郭みたいなのがあったんか?」
こう書くと私の言い方はかなり横柄ですが、目と顔は笑ってます。静かな声音で言いましたから。でも窓口にいた若い男性職員は私みたいな柄のいい??オッさんにいきなり遊郭なんてのを聞かれたので当惑している」
「ユウ・・・何でしょうか?」
「遊郭だよ。妓楼」
「ユウカクですか?」
わかんないのかよ。若いのは隣にいたベテラン職員に助けを乞う視線を送った。
代わりに出てきたベテラン職員も「遊郭ですか?いや~そういうのはちょっとわからないんですが・・・。向こうのタクシー窓口に聞けば。運転手さんの方はそういうのを知ってるかもです」
離れたところにタクシー窓口があって職員が男女合わせて3人、手配する無線所か運転手さんの控室らしいが、居眠りしてましたね。問い合わせる為に寝てるのを起こしてしまった。だが聞かない訳にはいかない。
「製糸場の東にある二町通りを歩いたのだが、あのアヤしい通りには遊郭があったのか?」
「ニチョウ通り?」
寝ぼけてるのかい?意識がハッキリしないようだな。
傍らの女性職員が「製糸場の隣ですよ。ユウカクですって」
「ユウカク・・・ですか?・・・さぁ・・・」
「高崎の柳川町のような赤線地帯だったとか」
「いや~、ここは柳川町とは違うと思いますね」
赤線と柳川町は通じたが、地元の遊郭の情報は得られなかったのです。
昔は公娼街だったのが鞍替えして、現在でも風俗営業が多く集まる地域がありますが、富岡はそういう街ではないようです。
だが旧い街並、建造物は再開発や消防法・耐震性の問題等で解体され減っていく。群馬県下で私は高崎柳川町、太田駅北口辺りでそういう旧い建物を見たが(桐生にもあるそうです)ここ富岡は再開発は無いにせよいずれ消えていく運命にあるのだろう。
製糸場マップ.jpg
コメント(4) 

彷徨い~高崎最後の夜? [風景]

あら町を出て、連雀町、田町、九蔵町を歩いて椿町へ。
彷徨い0.jpg
彷徨い1田町.jpg
彷徨い2たまち.jpg
彷徨い3椿町.jpg
彷徨い4椿町定休日だった.jpg
うさぎ、休みかぁ!!
あ、そうか。今日明日は定休日だった。
ここまで歩いて来たのに。

うさぎの羅漢町時代の相棒の店は開いているが。ここは飲み屋というより食堂だし。
克で急いでたらふく食べてしまったからなぁ。
彷徨い5.jpg
彷徨い6.jpg
彷徨い7.jpg
彷徨い8.jpg
彷徨い9.jpg
彷徨い10もう夜のラーメンには惹かれないよ.jpg
あ、亮さん開いてる。
盆の週なのにエライな。
店を営ってる方が身体にいいんだろうな。
彷徨い11.jpg
彷徨い12.jpg
懐かしい。
私らが1年いたマンションです。
あの部屋に還りたいよ。
彷徨い13懐かしい.jpg
この通りを毎日歩いたんだ。
彷徨い14.jpg
彷徨い15.jpg
この店はあの頃は無かった。
駐車場だった場所に新たに建った高層マンションの1階にある。
彷徨い16.jpg
昔のロツレ、今はルケ。
彷徨い17.jpg
月輪さん、早仕舞いしやがったな。
彷徨い18.jpg
ラノロさんもお休みだった。
休んで何してんだろうね。〇郎さんは。
彷徨い19.jpg
浜潮のマスターと女性スタッフに会いたいです。
何処かでバッタリ会うような気がしないでもない。
彷徨い20.jpg
七は営っていた。
ガラッガラでしたね。
カオを出されたのでご挨拶だけした。
彷徨い21.jpg
彷徨い22.jpg
彷徨い23.jpg

彷徨い24.jpg
彷徨い25.jpg
通り町の裏通り。
彷徨い26.jpg
ASLIで飲み直し。
アス1.jpg
アス2.jpg
アス3.jpg
アス4.jpg
アス5.jpg
アス6.jpg
アス7.jpg
アス8.jpg
何を話したんだっけか。
安中羅漢亭。
ハンガーノック。
水キムチ。
ミツカンドレッシングビネガー。
ダリアン、朝鮮飯店、チェーン居酒屋のネタ。
よく覚えてないのだが。
お客は誰も来なかったな。
アス9.jpg
アス10.jpg
アス11.jpg
アス12.jpg
アス14.jpg
アス15.jpg
アス16.jpg
アス18.jpg
アス19.jpg
アス20.jpg
彷徨い28.jpg
この出張のあと、先日、上役に呼ばれて、
「自ら動かないで現地人にやらせてください」
釘を刺されたんですよ。群馬と静岡ね。
「今は〇〇さん(私のこと)が地方でひとりひとりに丁寧に対応していますが、もし彼女のように〇〇さんが長期入院したら(※)引き継いだ者は〇〇さんのようにできないです。すぐ現地にやらせることになります」
「まぁ今のやり方は私1代で終わりでしょうね」
「(苦笑)今からそういう方向にシフトしていかないと。いや、〇〇さんのやり方を否定してるんじゃないですよ」
否定してるんじゃない・・・?
これは私のカオにムッとした表情が出たんでしょうね。慌てて取り繕ったみたいだった。
(※)私と長年ソリの合わないオンナが長期入院して不在なのです。そのオンナだけに一任していたことで留守中やや支障をきたしているのだ。
静岡の社員は「それって経費削減じゃないですか?」って。
「だよなぁ。書類作成だけだったら自分なんか要らねぇよなぁ。」
辞めてやろうかと思ったよ。なので今回は、もしかしたら公的には高崎最後の夜になるかもしれない。うさぎに会いたかったな。
コメント(2) 

上州三途川 [風景]

現世と彼岸の境目に流れる川を「三途川」といふ。
三途とは三悪道(餓鬼道、畜生道、地獄道)のこと。川を渡る方法として、善人は金銀七宝で造られた橋を渡り、軽罪人は浅瀬を渡河し、重罪人は深い瀬、難所を渡る、とされていたのが、平安時代末期に善人も罪人も渡し船で渡河する考え方に変わった。
渡し船で渡河するには渡し賃がかかる。六文と定められている。真田家の家紋のあれです。六道は、餓鬼、畜生、地獄、修羅、人間、天上、6つの世界を表す。
2004年の大河「風林火山」では、群馬県安中市上後閑にある長源寺(曹洞宗)のにいた晃運字伝という僧が、上州を去って武田に降る真田幸隆に、選別として渡されたのが六つの銭だった。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-07-20-6
あの銭は渡し賃です。

三途川は日本に3つか4つあって、
千葉県長生郡長南町に4.5km、
宮城県刈田郡蔵王町に1.8km、
有名な青森県の恐山、宇曽利山湖から流れる正津川も湖畔で渡る辺りを三途川といふ。賽の河原があり、積み石がされている。
上信電鉄1.jpg
もうひとつ。三途川は上州にもある。群馬県甘楽郡甘楽町を東西に結ぶ国道254線(西上州やまびこ街道)金井交差点から西側に歩道橋があり、その下を三途川が流れている。
上信電鉄なら上州新屋駅が最寄駅。高崎、吉井方面から新屋駅に入る直前に駅ホーム端を流れています。駅ホーム端から三途川鉄橋を覗いてみた。
三途川鉄橋1.jpg
上州新屋駅の駅前ロータリーを出てみる。
上州新屋駅1.jpg
国道方面へ歩くとすぐに大きい表示が見えます。
三途1.jpg
三途2.jpg
初めて見た人はギョッとするだろう。でもここでもうあっさりと三途川を渡ってしまっている。六文銭無しで。
渡ったのは私だけじゃない。くるまがビュンビュン走っている。近隣は住宅も多く建っているから生活道でもあり、旧国道とバイパスを結ぶ裏道でもある。なので走行するくるまの量は少なくないです。
三途3.jpg
三途4.jpg
三途5.jpg
三途6.jpg
ここから川に沿って歩いてみた。
三途川はこれでも一級河川なので大雨時にはかなりの水量になるのではないか。一級河川には見えないが。
国道交通省のHPから。
『河川は上流部から小さな河川の合流を繰り返しながら徐々に海へ向かうにしたがい大きな河川となっていきます。
これら一群の河川を合わせた単位を「水系」と呼んでいます。
1965年に施行された河川法によって、国土保全上または国民経済上、特に重要な水系で政令で指定されたものを「一級水系」と呼んでいます。一級水系に係る河川のうち河川法による管理を行う必要があり、国土交通大臣が指定(区間を限定)した河川が「一級河川」です。
「二級河川」は一級水系以外の水系で公共の利害に重要な関係があるものに係る河川で、河川法による管理を行う必要があり、都道府県知事が指定(区間を限定)した河川です。
一級河川と二級河川とは、水系が違うので、同じ水系内に一級河川と二級河川が併存することはありません。
一般的には一級河川の方が規模も大きく、洪水等による災害が発生した場合の被害が大きいといえます。』
三途川は一級河川に見えないがなぁ。
三途7.jpg
三途8.jpg
三途9人道橋1.jpg
人道橋が架かっていた。何だか手造りの感もする。自転車ぐらいなら渡れそうです。
この辺りにこういうものがないと住民の行き来が不便だから地元で架橋したのでしょう。
三途10人道橋2.jpg
人道橋に乗って前後を望遠したところ。
三途11道橋から振り返る.jpg
三途12人道橋かから先を見る.jpg
三途川は緩やかにカーヴしている。
三途13その先.jpg
ここ上州の三途川は賽の河原も積んだ石も無い。自然の川というよりも、護岸工事が施された農業灌漑用水とそれを逃がす水路のようだ。
三途14振り返る.jpg
国道254号線が見えてきた。
三途15国道が見えてきた.jpg
国道254がこの川を渡るコンクリートの橋を三途橋という。橋にはプレートがかかっている。
三途16国道の橋のたもと.jpg
三途17三途橋.jpg
三途18国道渡った橋のたもと.jpg

姥子堂1.jpg
御堂がある。この御堂があるのは知ってました。私は平成24年~翌25年3月まで滞在したが、その間、私は回数を覚えてないほどこの三途橋を東西に渡河してるのですよ。
最初の頃は新道のバイパスを走行していたのですが、バイパス沿いには飲食店が殆ど無かったので、旧国道沿いを走るようになったのです。この御堂と三途川界隈に地元の信金の支店があり、そこを解約するのに出向いた時に「三途川を見つけたの。
最初は「何だこの名前は?冥界への入口か?」と思った。ただ、くるまだからあっという間に過ぎてしまい、こうしてしっかり見たことはなかった。
姥子堂2.jpg
三途川には懸衣翁、奪衣婆という老夫婦の番人がいて、渡河銭の六文銭を持たない死者が来たら渡し賃の代わりに衣類を剥ぎ取るのだが、御堂にはその奪衣婆を祀ってあると。
脱衣ではなくて奪衣です。これはおそらく悪童に対しての戒め「悪いことをすると衣服を剥ぎ取られるよ」なんだろうね。
解説板1.jpg
解説板2.jpg
解説板3.jpg
解説板が西日に反射して読みにくいのだが。こうあった。
「三途川は利根川水系白倉川の支流で、水源地から長さ約2.5キロ流れて白倉川に合流する。
三途橋は国道254号に架かる。脱衣婆が祀られる姥子堂は鍵がかかり普段は入れないが、窓の隙間から見ることはできる。
問い合わせは宝勝寺。群馬県甘楽町金井375の1(以下、電話番号)」
窓の隙間から見ることはできるってか。でも止めといた。うっかり覗いてその奪衣婆と目があったら。
姥子堂3.jpg

国道1富岡方面.jpg
国道2渡る.jpg
歩道橋に上がってみる。
御堂を見下ろす。くるまがひっきりなしに三途川を渡っている。
歩道橋から.jpg
ここから上流、山の方角です。
山方向.jpg
ここから川の源流まで2kmも無いようです。総延長2.5km足らずだから冬場ならここから川に沿って上信越道近くの源流まで歩いて行けそうだが。
その総延長2.5kmの間にMAP上で数えてみたら、三途川を渡る橋の数は、大小合わせてだいたい16橋あった。幾つかの生活農道がこの川を普通に渡河していた。
そして上信越自動車道、甘楽PAのすぐ南で消えている。
三途MAP.jpg
東西を貫く国道254線富岡バイパス(西上州やまびこ街道)はこの川を渡っていません。三途川は新屋駅の北で、鏑川の支流である白倉川と合流しており、その白倉川を渡っています。
そのすぐ先、白倉川は西上州の大河、鏑川に注いでいます。

姥子堂を後に.jpg
新屋駅に戻ります。また三途川を渡ります。
三途19上州新屋駅へ.jpg

駅前ロータリー.jpg
上州新屋駅2.jpg
駅舎には女子高生が2人いて、女らしくないカッコしてグデェ~ッとしておったよ。
駅舎の中は西日が射しこみサウナ状態でいられないです。
新屋駅は無人駅です。券売機もない。車内で整理券を取って終点高崎駅で精算するのです。
駅舎内はサウナ.jpg
汗びっしょりになったので肌着を替えることにした。外回りの私はこの時期、カバンの中に替えの肌着、シャツを必ず1枚持っている。他に制汗剤や香水も。
では何処で着替えるか。駅舎にはさっきの女子高生がいたし。駅ホーム、三途川鉄橋寄りに簡易的な待合所があった。上州は風が強いので、上信電鉄も上毛電鉄もそうですが、どんな小さい無人駅ホームにもこういう退避所があるのです。他に誰もいないし。その中で着替えました。
ここで着替えよう.jpg
その待合所は三途川の隣といえば隣にある。すぐそこを流れている。着替えたことで三途川を管理する奪衣婆に肌着を剥ぎ取られた気がしないでもないな。
着替えた証.jpg
上信電鉄高崎上り電車がキタ。
この電車で高崎へ戻るにはまた三途川を渡らなくてはならない。
六つの銭が乗客の数だけ必要なのだ。私自身の運賃は六文銭どころか確か620円だったかな。三途川を渡る上信電鉄は結構高い運賃なのだ。
上信電鉄3.jpg
上信電鉄4.jpg
上信電鉄5.jpg
上信電鉄6.jpg
前面展望?今まさに電車が三途川を渡るところです。
運ちゃんはこの鉄橋が現世と彼岸の境目に流れる川を渡るのを知っているのだろうか。
上信電鉄が三途川を渡る1.jpg
上信電鉄が三途川を渡る2.jpg
上信電鉄が三途川を渡る3.jpg
上信電鉄が三途川を渡る4.jpg
車内11.jpg
今度は旧車なので揺れます。上信電鉄のボロ車両は、左右に振られるだけではなく上下にも揺れるんですよ。乗馬してるみたいだ。
この日は泊まらずに日帰りなのですが、群馬八幡から呼び出しが。。。
コメント(6) 

水沢街道沿いにあるもの [風景]

今日の記事は「こういうものがあります」というものにとどめておいてください。中には入っていませんので。
渋川の南隣にある吉岡町から伊香保温泉へ向かう道を群馬県道15号線、通称・水沢街道というのですが、この街道は前橋市総社町を起点として中国料理・竜苑のすぐ近くで西に折れ、伊香保温泉へだらだら上っていく名物街道です。
伊香保に近づくほど水沢うどんを提供する店が増えてくる。私は水沢うどんと銘打った乾麺しか食べたことがないがコシの強いうどんだった。
この写真は高崎に住んでた頃、部下の女性が現地で食べたのを送ってくれたの。
水沢うどん.jpg
その15号線を走ってると水沢うどん界隈に至るまでに「これが群馬のB級スポットだ」と胸を張って言えるアヤしいスポットがある。
伊香保温泉に向かうのにこの街道を走ると嫌がおうにも目に留まる筈である。
西に向かって走ってるとナビに上越新幹線が表示されますが、地下を長大トンネルで走っているので地上ではわからない。そこを過ぎた辺り。
まずこれです。
ミュージアム2.jpg
路肩に停めて渋川(吉岡町)方面を振り返って撮影した。
ミュージアム3.jpg
敷地内にはくるまが2台停まっていた。平日なのに館内に入館者がいるらしい。
こっちは誰かに見られてないか周囲が気になった。吉岡町にも榛東村にもウチの社員いるし。
ミュージアム4.jpg
ミュージアム5.jpg
外観のみです。時間の都合で中には入っていません。
ミュージアム6.jpg
入れって?
何故入館しなかったかって?
時間が無いからですよ。こことこの先にある施設とセットで入館したら陽が暮れてしまう。こういうのにあまり興味がないのもある。入る勇気もないし私自身のノリが悪いのかも知れない。

群馬に住んでた頃、伊香保温泉ぴのんへ泊まったことがある。
その時、私らはくるまだとすぐ着いてしまうので旅情が感じられないからという理由で高崎駅からバスで向かった。
そのバスはバス亭・上野田四ツ角辺りでこの15号線に入っている。その次の次の北野という停留所の辺りで上越新幹線をクロスする。あの時もこのミュージアムの前を通った筈だが記憶にないのだ。
この先にも有名な施設があります。
玩具と人形自動車博物館1.jpg
玩具と人形自動車博物館2.jpg
おもちゃと人形と自動車の博物館??この手のクラスは伊豆高原辺りに腐るほどありそうだな。これではなくこの先にあるもの。
バス亭だと上の原か塔の辻の間にある有名なスポットがこれ。
珍宝館1.jpg
少子社会を阻止するスローガン?
珍宝館2.jpg
B級スポットが数多い秘境グンマーですが、ある意味で(どういう意味で?)有名どころがこれです。
有名どころでもあるので駐車場も広いです。観光バスで乗り付けるツアー客もいます。この日も送迎のタクシーが停まっていたし、自家用車やバイクも数台駐車していた。
珍宝館3.jpg
若者たちは堪能して出てきたのか。これから入館するのか。
受付に爺さんがいて私をじーっと見ていた。不気味な視線を感じたね。
珍宝館5-1.jpg
珍宝館6.jpg
珍宝館4.jpg
入れってか?
何故入館しないってか?
冒頭で言ったジャン。時間が無いし「こういうものがあるんだ」の視点だけです。館内にはあまり興味がないし入る勇気もノリもないです。なのでズルいかも知れないですが、これら2つの施設に入館された方のレポをリンク貼らせていただきます。
もぎ氏の「群馬B級スポット」で氏のご承諾を得ました。
ミュージアムがこれ。
http://www.b-gunma.com/inotitosei.php
珍宝館は2譚あります。
http://www.b-gunma.com/tinpoukan.php
http://www.b-gunma.com/tinpoukan2.php
いずれも閲覧注意です。リンクお願いしといて閲覧注意も何もないもんだが。
入館してしまえば「旅の何とやらはかき捨て」になり軽いノリで楽しめるのかも知れない。
男女年齢に関わらず同行者の違う面を見れるかも知れない。いや、きっと見れる筈だ。

自己弁護させてください。ウチは男性社員より女性社員数の方が圧倒的に多いのです。なのでコンプライアンスにうるさい。厳しい。社内で自他ともに認める毒舌、暴言比喩が多過ぎで、社内コンプライアンス研修には「必ず出席しなさい」とまで言われる私だが、唯一の救いというか、猥談下ネタは一切しない人なのです。
したら即アウト!!ウチはそういう会社なの。
「そういえばしないですね」(部下の男性)
そういえばとは何だ?
「何でしないんスか?」
「しなきゃいけないのか?嫌いだからだよ。」
だからこういうネタに慣れていないのだ。前職では全然そういうことはなかったのに時代も変わって今はNGです。ネタにしたら聞いた側がどう受け取るか。アブないアブない。
吉岡町にもウチの女性社員いますけど、その子にこの2つの施設のことを聞いたら即アウトでしょうね。

最近になってウチの女性社員が伊香保温泉に行ったんですよ。その子はシゾーカネタで登場した子で、静岡からくるまで来たそうです。
行く前に聞かれた。「草津温泉とどっちがいいですかね?」
私は硫黄のニオイが苦手なので、自分も行ったことのある伊香保温泉か水上温泉をススメた。ただ、水上はこの時期はまだ雪が残ってるかも知れないからという理由で伊香保になったそうです。
その女性社員はこの街道を走った筈である。でもこの施設についてのコメントは求められていないしこちらから話す気もない。社内でそんな会話をして聞かせた相手が不快になったらアウトなのです。だから話してません。

私は木石ではないが、これら施設の価値観、存在意義、特徴をマトモに述べる言語力、カテゴリーすら持っていないのですが、これらを建設する許認可はどうやって得たのだろう。国土交通省か県知事の管轄らしいが、時の大臣や知事はこういう性質の施設であることを知るまい。
(現在の安倍内閣なら石井啓一大臣、現在の知事は大澤正明知事である。知事は後で知ったかも知れないが。大臣はどうだろうか。)
施設内の何処かには許可証が掲示してある筈だが、更新は何年毎だろうか。
更新時に立ち入り検査があるのだろうか。
公共工事か民間事業か。まず前者ではないだろう。
広大な土地はどうやって入手したのか。農地転売だろうか。
内装はどういう専門業社が請け負ったのだろうか。
そして・・・
何でこの地を選んだのか!!
でもある程度の集客効果はあるらしいのだ。
ではこの先へ行きます。伊香保温泉玄関口の手前に榛名の銘酒・船尾瀧ならぬホンモノの「船尾の滝」への入り口があるのですが、そこに至る手前に突如としてラブホが立ち並ぶ区域がある。
この看板がまず予告編です。
この先には.jpg
その入口です。
ラブホ街1入口.jpg
このゾーンへ入ってみようか。
ラブホ街2.jpg
ラブホ街3.jpg
ラブホ街4.jpg
ラブホ街5.jpg
ラブホ街の道はくるまがやっとすれ違う幅しかない。だが地元では裏道になっているのか、意外と走るくるまが少なかった。
それらのくるまはラブホ関係者か利用者かはわからないし、こっちも無粋にを覗いたしりないが、15分ほどの撮影の為だけの滞在時間に6台ほどすれ違ったですよ。
彼らも私を見た筈だ。撮影している私を見て不動産関係者と思ってくれた方が幸いだ。
私はコンパクトなレンタカーで来ているのですが、レンタカーのボディの色がピンク色なんですよ。イロがイロだけにこの界隈に妙に合うんだな。
ラブホ街6.jpg
ラブホ街7.jpg
ラブホ街8.jpg
ラブホ街9.jpg
ラブホ街10.jpg
ラブホ街11.jpg
これは廃業したのかな?現役かな?
ラブホ街12廃業?.jpg
そして15号線水沢街道メインストリートにもあるある。
ラブホ街21メイン通り1.jpg
ラブホ街22メイン通り2.jpg
ラブホ街23メイン通り3.jpg
ラブホ街24メイン通り4.jpg
ラブホ街25メイン通り5.jpg
これはさっき見た予告看板にあったもの。まだ新しそうだ。
ラブホ街26メイン通り6さっき見た看板1.jpg
ラブホ街27メイン通り7さっき見た看板2.jpg
ラブホ街28メイン通り8.jpg
ラブホ街29メイン通り9.jpg
ラブホはメインの街道沿いにもあるがむしろ裏街道の方に多い。木立ちに隠された道の両サイドに10数軒のラブホが立ち並んでいた。
前述の2施設よりも私が見たかったのはむしろこっちの方なんです。ヘンな下心があって事前に物色、下見をしたんじゃないですよ。この界隈を私はカテゴリー「廃墟」と勘違いしていたのです。でも来てみたらこれらは立派に現役でした。
ラブホたちは白昼見るとくたびれているが、夜になるとキレイにアヤしく光るんだろうね。飲み屋の赤提灯と一緒です。
だけどここはブクロ(池袋)でも渋谷道玄坂でも新宿歌舞伎町でもないぞ。この地でこれだけの需要があるのだろうか。
あのアヤしい2施設で欲情をかきたてられ、その先にあるこの施設に誘導するサブリミナル効果を狙ってのことか。まさかあの2施設とこのラブホ界隈は持ちつ持たれつ?
でも現在はラブホ業界は衰退しているそうである。ひとり暮らしの若者が増加したので、ラブホの代わりではないが下世話に言えば自分の部屋に連れこめばいいだけなのだ。若者のラブホ需要が減ったのである。
ビジホにもダブルが増えた。シングルを利用するビジネスマンだけ対象にしているわけにいかなくなってきたからです。
都内のラブホが存続する道は改正風俗営業法かも知れない。外国人旅行客の増加と、東京五輪前の一般ホテル需要の受け皿に転用する。旅館業法をクリアして普通のホテルになればいい。ラブホじゃなきゃいけないってことはないのだ。プライバシーが保たれるオンライン予約をすればいいだけのこと。

入れって?
何故入らないんだって?
ひとりで入るかよっ。。。
抜けたとこには.jpg
そこを抜けたら銘酒、船尾瀧ならぬホントの船尾の滝入口がある。
滝へ行かずに山へ向かえば伊香保温泉です。
いったい今日は何の記事なんだ。自分でもわからなくなってきた。
コメント(4) 

三県境 [風景]

どこでもドア.jpg
ドラえもんの小道具の中で「どこでもドア」というのがありますよね。
行きたい目的地を声や念でインプットしてドアを開くとドアが開いたそこは目的地。あれはドアのノブに意志を読み取るセンサーのようなものが仕込まれているらしいが、そういうドアが無くても、群馬県にいて「栃木県に行きたい」「埼玉県に行きたい」「群馬に戻りたい」が瞬時に適う場所があります。
今日のネタは群馬ネタではありますが、群馬、栃木、埼玉を瞬時に行き来できる場所です。
柳生駅1.jpg
JR宇都宮線の栗橋駅から東武日光線に乗り換えて2つめの駅、柳生駅。
柳生とな?
剣豪、剣聖でもいたのだろうか。
そうじゃない。東武のHPから。
「穀倉地帯であるこの地域は、渡良瀬川をはじめ八四川、間の川等多くの川が流れており、川の氾濫でたびたび水害を引き起こしていました。
そこで地域住民は水害対策の一環として、堤に根張りの良いといわれる柳の木をたくさん植えて水害から守ったそうです。
そんなところから柳生という地名が生まれました」
柳生駅の1日平均乗降者数は1400人で、この駅での乗車数は700人ほどいるらしいが、この時間帯は閑散としている。
無人駅ではない。係員が1人いた。ヒマそうにしていましたね。最後に改札を出た私と目が合ったのですが、何でこんな寂しい駅に配属されなきゃいかんのだとでも言いたそうに見えたよ。
柳生駅2.jpg
駅前には何もない。サイクリストが2人いた。
線路に沿って栗橋方面へ戻り、
東へ歩く.jpg
踏切を渡り、
踏切1.jpg
踏切2.jpg
踏切3.jpg
歩く1.jpg
案内版を信じてひたすら歩く、
事前に調べた距離だと、駅から400mとあったが。
歩く2.jpg
歩く3.jpg
狩り入れた後の田んぼにネコがのんびり寝ておった。

ネコ.jpg
田んぼの中に何か見えるぞ。
何かが見えるぞ1.jpg
どうもあれらしいが、ここまで来て目指すものらしきものが見えても、そこに一直線には行けない。柳生駅もそう。駅から来るにも、駅まで戻るにも真っ直ぐ行けない、ショートカットできないのです。公の道は全て迂回している。
何かが見えるぞ2.jpg
最後の案内版.jpg
そこへ向かって歩く.jpg
近づいてきたぞ。
名所をアピール.jpg
これぞ三県境である.jpg
この用水路が交わっている場所、ポイント点は、群馬県、栃木県、埼玉県、三県の県境です。群馬県板倉町海老瀬、栃木県栃木市藤岡町、埼玉県加須市小野袋が接しているのです。
各県を示す看板の間に流れるY字型の側溝が境目になっている。Y字の枝に挟まれて3県が広がっている。
(さっきのネコは3県のどの県に寝てるのかな。おそらく群馬県側だと思うが。)
三県境は全国に40か所以上あるそうだが、こういう場所は殆どが山間部や河川に沿って存在するので、このように歩ける平地にあるケースは全国的にも珍しいとか。
平地の三県境.jpg
グンマー1.jpg
グンマー2.jpg
サイターマ.jpg
トチーギ.jpg
手造り感満載である。
手造りの解説2.jpg
手造りの解説1.jpg
ご丁寧にカメラ台まである。
カメラ台.jpg
跨いでみる。私の短い脚ではこれぐらいの幅が限界である。
跨いでみたところ.jpg
何か杭があるぞ.jpg
流れの中央の杭にはプレートが設置され、三県境界の文字と、加須市、栃木市、板倉町の各自治体名と緯度経度が刻まれていた。
北緯36度12分27秒、東経139度39分50秒
緯度と経度を示す.jpg
夏場だと草ぼうぼうで、下手に歩み寄ったら用水路に足を突っ込んで捻挫するかも。
田んぼの中の三県境の周辺は、農地の中に民家が点在するだけです。とはいえこうして童心に返って各県境を跨いでピョンピョンやっていると近隣の住民から遠目に見て「また県境の用水路で誰かが撥ねている」不審に思われないまでも、いいトシをしてあのオヤジ何をしているんだ?と思われるだろう。
グンマー側から2県を見てみる。
グンマーから見る.jpg
最初からこのように平地だったのではなく、この用水路のグンマーとトチーギの県境を現すラインと、それに沿った東側の土地はもとの旧・渡良瀬川で、川幅は広かったそうです。
ここからすぐ東、歩ける場所に渡良瀬遊水池がある。池は大正1年(1912年)から7年(1918年)にかけて渡良瀬川の上流で発生した足尾銅山鉱毒事件に絡んで「鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画」により作られたのが定説になっているが、渡良瀬遊水池を作る際に、もともとそこにあった谷中村(鉱毒反対運動の拠点だったとも)という村全域が買収され、強制廃村に追い込まれて現在も無人のままになっているそうです。手造りの解説板に「旧谷中村」と描いてあった。

渡良瀬遊水池はその性格上、洪水時に水が貯められる仕組みも兼ねているので、工事と同時に渡良瀬川の河川付け替え工事も行われ、藤岡町(現栃木市)東側を流れるように変更された。
(現在は渡良瀬遊水池の東側、渡良瀬緑地公園の中を流れてその先で利根川に合流している。)
だが県境の変更は行わなかったので、かつての旧河川の跡が現在でも県境として残っているのです。

旧河川は埋め立てられた。埋めた土砂は渡良瀬遊水池を掘った土だというから、三県境がこうして平地になり徒歩で行かれるようになったのは、偏った見方ではあるが足尾鉱毒事件が発端、原因である。
強制廃村に追い込まれた谷中村の犠牲によってできたのではないか。
日本最初の公害事件の遺物ともいえるのだが。そういうのは触れられていない。

三県境に接する2市1町は、この地を観光地として観光資源として活用しようと検討している。
幾つかググッてみて、デイリーポータルZというサイトから。
〇群馬県板倉町、三県境を紹介する観光チラシを独自に制作。
〇埼玉県加須市、三県境と道の駅きたかわべを繋げて観光資源に。
〇栃木県栃木市は・・・三県境と栃木県道、群馬県道、埼玉県道、茨城県道9号佐野古河線を合わせ、パワースポットとしてアピール???

三県三様だが、群馬県板倉町が最も自然で地道である。
埼玉県加須市が言うところは、ここはあくまで私有地なので、現在ある緯度経度のプレートや手造りの解説板以上のものは打ち出せないからだろう。
解説板にもこうある。「日本には40ヶ所以上の3県境がありますが、平地にあるここは大変貴重な存在と言われています」の次に「道の駅きたかわべ徒歩4分 手打ちそば新鮮野菜が人気です」???
突如として道の駅の手打ちそばと&野菜即売をアピールしているのは、この用水路、いや、Y字型の側溝だけではお金にならないからである。珍しい場所には違いないがこの場所でこれだけでは、これ以上どうしようもない。
なのでここか若干離れてはいるが「道の駅に来てお金を落としてください」ともとらえられる。ローカル地方都市の哀しさと言ったら現地の人に怒られるかも知れないが、何でも営利に結び付けるのは如何なものかね。
地主さんには悪いが、勝手を許されるならこの地を買収して道の駅にしてしまい、3県の手打ちそばを売り出してみてはどうか。
栃木県栃木市の「パワースポットとしてアピール」
3つの県境が何のパワースポットになるのだろうか。
要は3県ともどう観光地化したらいいのかわからないのかも知れない。今はただ単に「歩いて行ける平地の三県境」だけなのである。
名所と成り得るか.jpg
三県境を後にする。
去り際にもう一枚.jpg
最後に振り開ける。
振り返る.jpg
おや?くるまが停まったぞ。
中からご夫婦?とおぼしき男女が。
くるまが1台きた.jpg
散策者が.jpg
この人たちもヒマ人か.jpg
あ、三県境を見てる。ヒマだな~。
私以外のヒマ人がいたのである。道の駅でそばでも喰ってきたのだろうか。
板倉東洋大駅1.jpg
板倉東洋大駅2.jpg
ここから東武日光線柳生駅の東、約400メートルです。私はこの後、ひとつ先の板倉東洋大駅へ向かい、群馬県邑楽郡板倉町大字板倉2698の板倉町中央公民館にある「昆虫千手観音像」を拝観しに行こうとしたのだが、駅前にタクシーがなかった。
タクシー会社に電話しても心許ないので断念。
群馬B級スポット、もぎ氏の承認を得たのでリンクします。
http://www.b-gunma.com/kontyuusenjukannon.php
ただし閲覧注意です。虫が嫌い、苦手な方は避けた方が無難です。
コメント(0) 

そこに咲く花 [風景]

桜2.jpg
桜3.jpg
桜4.jpg
桜5.jpg
桜6.jpg
桜7.jpg
桜8.jpg
穏やかな気候が続いているので、桜の開花期間が長く感じられます。
「桜はいいねぇ」(ジャン妻)
「・・・」
「パッと咲いて、潔く散るから」
(またそれかい・・・)
「桜大好き」
「日本人で桜が嫌いな人なんているのか?」
いたのである。TVを見てたら、平成7年(1995年)3月20日に発生したあの地下鉄サリン事件、犠牲者のご遺族の方が「あれから桜が嫌いになりました」
お気の毒である。桜の開花と重なり、事件と傷がオーバーラップしてしまうんでしょうね。
平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災での犠牲者のご遺族の方にもそういう方がいるだろう。
咲く時期は人生の転機と重なるから、見る人には必ずしも楽しい花見になるとは限らない。哀しく切ない花見になるかも知れない。

昨夜群馬八幡の酒場で私の隣にいた人は、1年間の高崎勤務が解けて4月から他へ転勤される方だった。ここへ来るの最後かもって。
でも4月からの勤務地を聞いたら群馬県内だったの。それは転勤ではなくて異動じゃないの?「またここへ来れるでしょう」って言ったけどな。
でも私も平成25年の今頃はその彼と同じ気分だった。高崎羅漢町の桜に見送られ、家の近所に咲く桜に迎えられた。
春は出逢いと別れの季節ともいうし。そのドラマを彩るのもまた桜なのか。

「花見されるんですか?」
「しない。見るだけ」
ここで言う花見とは桜を見ながら飲む昔ながらの花見ですよ。そうやって楽しむたちを否定しないけど、私はそういうのしないの。
「花見とこれ(酒を飲む仕草)は別」
「別なんだ~」
「花見酒なんてのは桜の冒涜だとまで言わないけどさ。酔っ払いがいるしゴミとか汚すじゃん。飲まないで見てるだけでいい」
今週末に会津に行くのですが、鶴ヶ城内は酒肴持ち込んでの花見はNGになりましたからね。それもアリだと思う。
おそらく会津の桜も満開だろう。
桜9.jpg
桜10.jpg
桜11.jpg
桜12.jpg
そこに桜があるのをわかっている場所がある。公園や街路樹、川沿いの小路とか。高崎城の公園とか。「あそこへ桜を見に行きましょうよ」ですよね。
でも群馬をレンタカーで走っていると丘の斜面に桜が咲いていて「あ、こんなところに桜があったんだ?」と驚くことがある。他の木々に混じっているし、私は植物に疎いので、葉桜枝桜の状態だとそれがわからない。
目に留まった桜は初めて通る場所ではなく、何回も通り過ぎているんですけどね。くるまだとあっという間に過ぎちゃうのもあるが、人知れずある桜は満開にならないと気付かないものなのだ。
桜13.jpg
桜14.jpg
桜15.jpg
桜16.jpg
桜17.jpg
桜18.jpg
桜1.jpg
人々の人生に何が起きようと桜は咲く。
でもその時期は短い。
咲いた桜を見て何を想うかは人それぞれですが、今年は例年になく穏やかなので、もう少し愛でていられそうです。
コメント(0) 

ローズベイカントリー跡地に立つ [風景]

跡地1.jpg
跡地2.jpg
跡地3.jpg
ゴルフ場があった丘には重機が稼動し、大型ダンプが行き交い、グリーン芝は土くれと化して砂塵が冬空に舞い上がっていた。
歩いたことがあるグリーンは何処へ消えたんだ?どの辺りだ?
クラブハウスがどこにあったのかすらわからない。
それらは全て消えた。無残なものである。
跡地4.jpg
跡地5.jpg
跡地6.jpg
自分はこのトシまでゴルフやったことがないし、今後も知人にススメられてもやる気は全く無いですが。
そんな私が、おそらく生涯にただ一度だけコース上のグリーン上を歩いたことがあります。
群馬県安中市にあったローズベイカントリークラブ。そこでプレイしたのではなく、8番ホールにあった蔵人城という小城の説明板を見に行った。
ローズベイ2.jpg
クラブ入り口.jpg
正面から1.jpg
ゴルフ場内にある城といえは、埼玉県入間郡毛呂山町の鶴ヶ島ゴルフ倶楽部内にある竜谷山城、武田軍と北条軍が激突した神奈川県愛川町にある三増古戦場一帯の東名厚木カントリー倶楽部脇にある武田軍の本陣跡・旗立山が知られるが、前者はゴルフ場内とはいえ町道が通っており、カートとすれ違うにせよ堂々と城域まで行けるし、後者は駐車場脇にあるため訪問が容易です。でも私が平成25年2月に訪城したローズベイカントロークラブの蔵人城は、ホントにゴルフ場コース内にあるのが異質で、普通に考えたらプレイヤーしか訪問できないのである。なのでクラブ支配人宛に書面で見学を申し入れ、折り返し連絡をいただき、空いている平日にアポをとって見に行った。
ゴルフはしないのに、往時の支配人・Fさんの運転するガソリンカートの後部座席に乗って見に行った。私だけでなく、見たいと言ってくる人は稀にいるそうである。
そのローズベイカントリークラブが地図上から消えたのを知ったのが昨年のいつだったか。実際は平成28年9月末に営業停止、閉鎖になっていた。
ローズベイ入り口.jpg
坂.jpg
以下は他からの転載も含まれます。ローズベイカントリークラブは昭和50年から(株)サンエー開発が運営していたが、開発した関係会社の北村東信(株)が平成13年9月に破産し、サンエー開発も平成14年9月4日に特別清算を申請、精算申請前の平成14年7月に上場の(株)ビックカメラの創業者の資産管理会社が買収して傘下に収めていたという。

ゴルフ会員権の相場や売買情報を提供するサイトには「ローズペイカントリークラブが平成28年9月末をもってゴルフ場を閉鎖、跡地にメガソーラー建設」とあって、平成24年9月4日掲載の日刊工業新聞の記事で「(株)ビックカメラA会長の個人企業が出資するベンチャー企業である(株)クリーンエネルギー研究所が、ビックカメラが経営するローズベイカントリークラブの余剰地と市所有地を利用して、出力4200キロワットのメガソーラーを建設することが判明した。総事業費は十数億円。年間発電量は約420万KW時、一般家庭1100世帯分に相当し全量を東京電力に売電、災害時には非常電源として一般家庭向けにも供給する大掛かりなもの」・・・太陽光発電場になるというのである。

全体面積は4万1000平方メートル、パネルを約1万5000枚設置し(1万7598枚、パネル面積1万8000平方メートルとも)2100キロワット規模の設備を、安中市の所有地とゴルフ場にそれぞれ設けて運営する。太陽光発電としては群馬県最大規模だという。
おそらく(株)ビッグカメラは、このままクラブを運営しても先細りなので、前述にあるビックカメラA会長の個人企業が出資する(株)クリーンエネルギー研究所に、クラブの広大な敷地をメガソーラーに転用させようと目論んだのだろう。

また別情報で「ローズベイカントリークラブは余剰地と市所有地を利用して(株)クリーンエネルギー研究所が3980キロワットのメガソーラーを建設し、平成25年4月から東京電力に売電を開始しているとあった。ということは、私が群馬転勤が解けて泣く泣く東京勤務に戻らされた直後である。8番ホールにあった蔵人城の解説板を訪問したあの日には、既に敷地内の何処かの斜面で工事が一部完了して稼動していたということだろうか。

ゴルフ場跡地をメガソーラの敷地に転用するケースは他でもあるそうだが、閉鎖されたゴルフ場にソーラーパネルをズラズラ並べるだけではなく、現役のゴルフ場の閉鎖コースや空き地、クラブハウス屋根といった空間などを有効活用し、ゴルフ場の営業と併せて売電事業を営むケースも多いという。

ゴルフ場閉鎖の場合、会員権が絡むと様々な問題が発生するらしい。破綻したら単なる紙切れになるというのだ。ただ、ローズベイカントリークラブは会員権相場ではなくパブリック運営で転用が容易だったとか。
もっとも私はパブリック運営の意味すらよくわからないので、バブル時代に信州望月のゴルフ場の会員だったジャン妻に聞いてみた。
「ゴルフ場のパブリック運営って何?」
「普通はゴルフ場って会員制でないとプレイできなかったんだけど、会員無しでプレイできるんじゃないかな」
「ゴルフ場が破綻したら会員権はどうなるの?」
「紙切れ。株と一緒よ」
「戻って来ないんだ」
「来ないよ」
「アナタが持ってた会員権は?」
「あれはオヤジの会社のよ。売っちゃったんじゃないかな」
ジャン妻のオヤジ(私の義父)は不動産会社社長だったが、現在は廃業して相模原市内に引退している。
「売れたんだ」
「まぁ株と一緒だから。相場でね」
「会員だと何が特なんだろ?無料?」
「会員制だと安いのよ。会員がメンバーでメンバーが連れてくのがビジターなんだけど、ビジターが1万2000円するところを会員だと2000円でプレイできるのよ」
素人質問ばかりである。如何にこういう世界に私が疎いかがわかるでしょう。
コースレイアウト.jpg
8番ホール.jpg
話をローズベイに戻します。ローズベイカントリークラブは18ホールあった。その中の8番ホールに蔵人城の案内板が立っていた。それは近代的な白亜の楼閣があった城ではなく、たくさんの兵が駐屯できるスケールでもなく、この辺り一帯にあった防衛ラインの小城のひとつに過ぎない。仮想敵国は信州からやってくる甲斐武田軍である。
蔵人城訪問編です。http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-12
目指すもの.jpg
あずま屋?.jpg
蔵人城跡.jpg
8番ホールには、プレイ中に雷が鳴った際の避難所、あずま屋があって「本丸跡」の扁額のようなものが架けてあった。説明版はその脇にあって、
『本城は蔵人城という梯郭式の山城である。南部の主郭部は北半分より10m以上高い。主郭部は南北50m、幅20mの本丸と、その南に掘切りを隔てた方20mのささ郭から成り、ささ郭南側掘切りが城の南限である。本丸北下10mには幅8m、総長50mの弧状の腰郭がつきこれと同じ高さの尾根が東北に向ってのびてそこに4個の郭がならぶ。西南端の郭は方20m、二筋の堀切りに挟まれ、その他の三郭は東北下りに三段となる。下郭の北側には東西150m、南北100mの三角形の地域に北段下りに数段の郭があり、東北面に追手虎口が開く。秋間7騎の一人、島崎蔵人忠国の城で、永禄六年武田勢の先方那波無理之助に攻略されたという。忠国は吾妻郡岩下の士であると伝える。』
解説版と縄張.jpg
蔵人城にいた島崎蔵人は越後国からやって来て安中一帯を支配した安中顕繁に付いていた秋間七騎という家臣団のひとり。他の6人は赤見藤九郎、五十嵐団右衛門、内出玄蕃介、奥原新左衛門、東城但馬、深堀藤右衛門といった面々だった。
上州には甲斐武田、越後長尾、小田原北条、駿河今川、といった大きい支配者は現れなかった。下野の宇都宮、安房の里見クラスもいない。国人衆がバラバラで、それらを纏めて「敵の敵を味方に」して甲斐武田軍に立ちはだかったのが上州箕輪城の長野業政で、島崎蔵人もその一翼、枝葉に過ぎない。
攻めて来た武田軍の先手、那波無理之助は実は群馬県伊勢崎市にいた那波氏の流れだという。故郷を追われて故郷に武田軍を先導してきたぐらいだから、複雑な背景、事情を背負っていたのだろう。

8番ホールそのものが城内で、コース内に郭だの堀切だの遺構があるのではない。8番ホールは本丸でも何でもない。支配人・Fさんが言うには「実際の蔵人城はもしかしたらここではなく、この先の山に(コース外を指す)何でも重機が入れない場所があって、そこなんじゃないかとも言われています」と仰っていた。
実際は右手の山か?.jpg
かつてのあずま屋を麓から遠望.jpg
安中市の史料を見ても、何だかクラブとズレた北東の位置に蔵人城と表示されていたのです。そこは遠目には草ぼうぼうのヤブになっているかに見えた。このあずま屋と説明板はどうも城外らしいのである。
でも実際の城域であるヤブに説明板を立てても誰の目にも触れない。プレイヤーに限られるとはいえ、人の目に触れるこの位置でよかったと思ったのだが。

ローズベイカントリークラブは昭和50年に開かれたそうだが、私が訪城したのは平成25年(2013年)2月だから、Fさんが仰っていた「当クラブは今年で40年になるんですが、私がきた頃から蔵人城の小屋と解説板はありましたよ」と一致する。
地元の誰かが立てたらしいのだ。もとの土地所有者だろうか。
「小屋の屋根を葺いたり時々補修はしているんですが・・・」
あの時、支配人Fさんは・・・の後何を言いたかったのだろうか?もしかして、この蔵人城の案内板がそう遠からずして消える運命にあったのを知って私を案内してくれたのだろうか。そうに違いない。
工事事務所.jpg
工事現場事務所にも立ち寄った。
「前にここで遊んだ者ですが、何を作ってるんですかね?」
遊んだのはウソじゃないよね。人のよさそうなオッさんが、
「太陽光発電を作るんですよ」
そんなこたぁわかっているが、それ以上の会話にならなかった。

位置関係を覚えていないのだが、この工事事務所がクラブハウス跡地のような気がする。支配人・Fさんが「ゴルフ場はゴルフをしない人が入っちゃいけないことはないんです。レストランのご利用とか全然かまわないんですよ」と言うので、蔵人城見学の後もレストランで数回食事した。
レルトラングルメ編
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-26-1
美味しいけど高かったな。
フロアに高校生としか見えないボーイがいて、あんな小僧を就業させて労基上大丈夫なのかと訝しんで「あの小僧は幾つなんだ?」と聞いたりしたからね。
私は誰が見てもゴルフプレイヤーという恰好ではなくダークスーツでレストランに行ったので、私の姿を見て「あの、お昼ですか?」と怪訝そうに聞いてきた女性スタッフもいた。「昼飯だよ。見りゃわかんだろ。不審に思うなら支配人Fさんに聞けよ」とそこまでツラ難く言ってはいないよ。

レストランにレジが置いてなかった。当時の記事にコメントを下さったナワさん(息災でしょうか?)によると、ゴルフのプレイ中に財布は持たないもので、ロッカーに置いとくものだと。支払いはサインするだけだと。最終決済は帰るときにフロントで行うんだって。ホテルに宿泊したときの支払いと同じようなものか。だからレストランにレジがないのか。
工事計画図面.jpg
太陽光発電、メガソーラの謳い文句は「環境を壊さない・自然に優しい」
だがこれを見るとそう見えないね。だがゴルフ場の建設そのものが、多からず少なからず環境を破壊して作られるものだから、それをまた破壊するのに躊躇ないのだろう。
8番ホールはこの辺りだったような1.jpg
8番ホールはこの辺りだったような2.jpg
あの時歩いたグリーンです。
真冬だったので芝は色あせている。それでも芝は芝なので、ゴルフ場の芝肌とはこういうものかと思った。手入れが大変だ。
グリーン3.jpg
グリーン斜面.jpg
目指すもの1.jpg
さっきも述べたように本当の蔵城跡はコース外にあるらしい。
よく城郭遺構が高速道や宅地建設等で破壊されて悲嘆されているサイトを見かけるが、蔵人城の遺構は閉鎖されたコース外にあるらしいので、現時点でそこまで開発の手は伸びていないようである。
本来の城域とズレているのが幸いしたというか。だがいつかは破壊されるかも知れない。
本当の蔵人城の場所にどんな縄張り、遺構があるのかはわからないのだ。安中市の図書館には縄張り図があるが、現在は足を踏み入れられない草ぼうぼうの荒地らしい。下写真のどこかにそれがある。
本来の蔵人城先端.jpg
蔵人城推定地左.jpg
麓の道から.jpg
現在は蔵人橋にその名を留めるのみです。
蔵人橋.jpg
「ゴルフしないのにカートに乗ったんだぜ」
「・・・」
「グリーンも歩いたし」
「・・・」
ジャン妻に自慢気に語ったものだが、私がただ一度だけ歩いたグリーンは消えた。
麓からも見えたあのあずま屋も撤去されて今はない。
支配人・Fさん、レストランの小僧じゃなかったボーイさん、女性スタッフたちは何処へ去ったのか。次の社会人ステージで息災でいると思いたい。
コメント(0) 

あの頃、歩いて通った道 [風景]

ルートインを出て弓町の交差点へ。
平成24年~1年間、向こうに見える古いマンションの何処かに滞在していました。角部屋でいい部屋でした。
交差点.jpg
マンションの前、高崎駅方面へ歩く路地に立って見る。
左手には区画整理で立ち退いたうさぎCafeの跡地で、現在は保育園が建っています。
うさ子は移転先の椿町で古民家Cafeを営んでいます。
この道を歩いたもの.jpg
うさことゴミを出した場所.jpg
私とうさ子が生ゴミを出していた場所です。
前の晩にうさ子の店で飲んだ翌朝とかバッタリでくわしたことがある。
マンションを引き払う朝、うさ子はウチの最後の瓶、缶のゴミを引き受けてくれた。
この道を歩いたもの.jpg
江戸吉寿司.jpg
江戸吉寿司の手前に停まっているくるまの場所に社用車を止めていました。
寿司屋の駐車場と勘違いして停めるくるまが何回かありましたよ。あまり寿司を食べない私は、この寿司屋に転勤が解ける寸前に一度行っただけだが、間違って駐車される度に寿司屋の暖簾をくぐって「誰か俺んとこに停めてんだろ」って言うハメになったものです。恐縮しながら対応してくれた店主は見た目は叡山の僧兵みたいだが、妙に腰の低い方だった。
案の定.jpg
かつて、毎朝毎夕歩いた路地を歩いてみた。
あの頃ウチらは矢島町に事務所を借りていました。そこまで徒歩で通い、群馬県内郊外に出る時はマンション駐車場まで社用車を取りに戻っていた。
赴任当初、「群馬にいつまでいなきゃいけないのかなぁ」と都落ち気分で塞いでいた私を、「この街で生きよう、何年でもいてやる」と思うようになったのがこの店、旧ロツレと・・・
旧ロツレ.jpg
・・・この店(左、月輪)だった。
月輪と新ラのロ.jpg
ロツレの店主は高崎界隈でイロんな意味で有名な方で、現在はこの写真の右に移転してまだ現役です。

振り返る.jpg
このマンションは当時は無かった。駐車場だった。ロツレの旦那が停めてましたね。
前はなかったマンション.jpg
肉味噌ラーメンを喰わないヤツはバカとまで言われた東竜の跡地にはまだテナントが入っていないようです。
私は肉味噌より他のものが好きだったけどね。
東竜の跡.jpg
鬼道楽.jpg
Cafeだったり食堂だったり蕎麦屋だったり、それでいて夜は会員制のカラオケスナックだった鬼道楽はもだ現役のようです。昼に利用していただけなのが、いつの間にか夜のお仲間に入れて貰い唄いました。
七.jpg
そして8周年を迎えた酒悦七。
ジャン妻は「高崎で最も料理が美味しい店」と言っている。
いつまで経ってもおとおしがイマイチな店だが、歳月を重ねて料理の内容がどんどん上がっていったのです。

駿河大納言卿(徳川忠長)が眠るお寺の参道です。
駿河大納言卿.jpg
七の先の路地、左の高層マンションにウチらの上司が住んでいた。
会社契約だったので、部屋を引き払う時は私らが立ちあったのですが、私らのマンションより遥かに豪華だった。
それを東京で言ったら私とソリの合わないオンナが「いいんですよエラいんだから」と言い放ったのにカチンときたね。
私はその上司ともソリが合わなかったのですが、群馬に来て後半はその上司はしょっちゅう東京に呼び戻されて群馬不在が多くなり、私はその間に群馬の子たちを掌握して関係作っちゃった。
今はそヤツは西国にいます。飛ばされた。ザマミロって思ったよ。
こないだの雪の時、ジャン妻は出張先で久々に会ったそうです。「〇〇さん(私のこと)まだグンマに関わってるの?」と驚いていたそうです。
ストリート.jpg
揚子江.jpg
この店は前は「揚子江」という名の中華料理屋だった。
ウナギの寝床のように長い店で、一度、座敷を使って社内接待に使ったことがある。
料理と味の記憶が無い。東京本社から来たおエラいさんたちがクダを撒き、それを私とソリの合わない上役が持ち上げ持ち上げヨイショしているのをじーっとガマンしながら聞いていた。
くだらねぇ飲み会だったなあれは。往時のおエラいさんたちは殆どがどっかに飛ばされたか現役を引退したが、何人かは監査役やら顧問という名誉職で寄生虫のように未だ居すくっている。人間はいったん権力を持つとそれに執着するんだね。
それきり利用しないまま終わった。店のせいじゃないがあまりいい印象の無い店。

フレンチ撤退.jpg
この打ちっ放し、スケルトンの空きテナントは私がいた頃はフレンチだった。料理だけUpしたことがある。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-09-05
この過去記事のとおりですが、店のおねいさんでひとり感じの悪い女性がいた。笑顔無くムス~ッとしてるので、会社の宴会に利用しようとしたが止めました。
シンフォニー通りに出た角に、カナヤという洋服屋があって、そこで2回、アヤし気なガラ系のシャツを買ったことがある。
KANEDAも.jpg
でも閉店した。不動産屋になっていた。駅前の大きい百貨店に客が流れたんだろう。OPAもできたし。
そこの横断歩道を渡ると今日くるまを借りるニッポンレンタカー支店が見えた。
レンタカー1.jpg
レンタカー2.jpg
レンタカー3.jpg
近年の出張ではここで10回ぐらい借りています。小さいくるまでいい。ハイブリッドはイヤ。できれば禁煙車両がいい。GS入れるよりキロ清算で。ナビは無くても大丈夫。
今回は事前に予約していますが、一度飛び込みで入ったらナビの搭載されていないのしかなかったことがあった。
「ナビ不要でよろしいでしょうか?」
「要らない。3つの山さえ見えれば大丈夫だよ。自分が今いる位置と3つの山のどれかが何処に見えるか。それで自分の今いる場所がだいたいわかるさ」
「へぇ。凄いですねぇ」
別に凄くも何ともないんだけどね。山さえ見えれば私は群馬県内で道に迷いません。
赤城山が雲に隠れて見えない時に、伊勢崎~太田辺りの平地で「あれ?」迷ったことがありますが、大抵は大丈夫です。
レンタカー4.jpg
停車中にこんな写真を撮ってますが、道交法が改正されたら運転中にスマホいじった場合の罰則が強化される。
携帯電話を注視、操作しながら車を運転すると、現状の「3月以下の懲役、または5万円以下の罰金」から「1年以下の懲役、または30万円以下の罰金」に引き上げるそうです。厳罰といっていい。
ただでさえ群馬はくるま所有者と警察が多い。群馬に来た平成24年4月~7月まで3回捕まっています。前橋大橋付近で走行中に携帯、安中市内で一時不停止、前橋駅前けやき通りでUターン禁止、白バイ、パトカー、白バイです。それまでゴールドだったのに。
跡地1.jpg
で、公用の合間に出向いた先は。。。
コメント(0) 

彷徨い [風景]

A1.jpg
A2.jpg
A4.jpg
A3.jpg
彷徨い1.jpg
彷徨い2.jpg
彷徨い3.jpg
彷徨い4.jpg
彷徨い5.jpg
彷徨い6.jpg
彷徨い7.jpg
彷徨い8.jpg
彷徨い9.jpg
彷徨い10.jpg
彷徨い11.jpg
彷徨い12.jpg
彷徨い13.jpg
彷徨い14.jpg
彷徨い15.jpg
彷徨い16.jpg
彷徨い17.jpg
キャバ.jpg
彷徨い18.jpg
ワダチ?.jpg
高崎城近くの謎の店.jpg
鞘町1.jpg
鞘町2.jpg
彷徨い19.jpg
彷徨い20.jpg
彷徨い21.jpg
彷徨い22.jpg
彷徨い23.jpg
彷徨い24.jpg
佐藤1.jpg
佐藤2.jpg
彷徨い25.jpg
彷徨い26.jpg
彷徨い27.jpg
やたいや.jpg
さかいの.jpg
彷徨い28.jpg
彷徨い29.jpg
彷徨い30.jpg
彷徨い31.jpg
彷徨い32.jpg
彷徨い34.jpg
彷徨い35.jpg
彷徨い36.jpg
彷徨い37.jpg
彷徨い38.jpg
彷徨い39.jpg
彷徨い40.jpg
彷徨い41.jpg
彷徨い42.jpg
夜のこむぎ1.jpg
夜のこむぎ2.jpg
BAR?.jpg
こころ.jpg
海力.jpg
彷徨い43.jpg
彷徨い44.jpg
彷徨い45.jpg
魚屋.jpg
パーキング.jpg
彷徨い46.jpg
彷徨い47.jpg
ルートイン.jpg
コメント(0) 

グンマから呼び出しが。。。 [風景]

会社の行き先ボードに「グンマに行くぜ!!」と書き殴ったら、私が出た後で、私と長年ソリの合わないオンナが周囲に聞こえる声で、
「また〇〇さん(私のこと)こういうことを書くっ!!」
言いながら消したそうである。
ジャン妻に向かっても「旦那さんに注意しといてください」と言い放ったとか。いつもいつも生意気なオンナめ。お前はまだグンマを知らないと言ってやりたいぜ。
高崎到着.jpg
ただいまぐんまちゃん。
また来るハメになったのです。12月初旬です。
ただいまぐんまちゃん.jpg
駅西口コンコースに直結した新しいビルは高島屋よりエラそうだ。
OPA.jpg
OPAオーパというのですか?
北関東で最大のファッションビルを謳うOPAとは、オリエンタル・パーク・アベニューの略だそうです。
http://shutten-watch.com/kantou/15
OPAへ誘う1.jpg
OPAへ誘う2.jpg
飲食店も11:00スタートで23:00閉店(ラストオーダーは22:30)とある。高崎の個人飲食店は11:30OPENの店が多いし、開店時間になってもまだ開かないマイペースな店が多い。そんなのんびりしてるとOPAにお客が流れちゃいますよと言いたいね。
でもこのビルでランチをしようという気にはならなかった。

今度の正月のだるま市も駅西口駅前通りで開催か。
少林山とは決裂したままなのかな。
今年の達磨市は.jpg

世界記憶遺産.jpg
デッキを下りて徒歩で西口の商店街を歩く。
こむぎ.jpg
私が平成24年にこの地に来て、最初に入った居酒屋がこれです。最初にボトルを入れた店でもあります。
刺身が極端に少ないのに驚いたものです。
下仁田ネギのパスタ、他、肉系がイケますよ。
でも来て最初の頃は都落ち気分でややブルーだった。この街で生きようと決めたのは、ロツレ、月輪、酒悦七、浜潮、亮さん他を知ってから。
そしたらこの店に足が向かなくなってしまった。
大大坊1.jpg
あ、上州山賊麺大大坊が何故ここに?
通町から移転したきたのだろうか。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-06-02-1
美味しいけど小さい店でね。スープがトテモ少ないのです。この店ケチだなって思ったモン。
でも11:30なのにまだOPENしないんですよ。
大大坊2.jpg

七.jpg
酒悦七の前に立つ。
今宵は来るかも知れない。来ないかも知れない。八幡か七か、確率は五分五分。
「七に行きなさいよ」(ジャン妻)

転勤が解けた平成25年3月30日の夜、翌日は帰京する私たちの為に地元の方たちが送別会をしていただいた店はお休みだった。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-20
鬼道楽.jpg
もう時効だから書いちゃいますが、白銀町のこのビルにはレンタル会議室があって、よく会議で利用したものです。
白銀ビル.jpg
浜潮のマスター&女性は何処へ行ったんだろう。
かつての浜潮.jpg
高崎市の某行政に向かう途中、この昭和食堂でランチ。後で掲載します。
すみれ3真っ黒な看板.jpg

10月は群馬に来れず。無理矢理に来た11月末の出張は業務内容的には現地の部下(草6号)に任せられる簡単なもので、ボリューム的にもたいしたことがなかった。
他の案件(本庄市&前橋市)と併せて日帰り工程も可能だったのですが、そこを1泊する為に強引に出張申請したのが昨日までの記事です。
その業務終了時の自己満足度は低かった。やはり仕事というものはある程度の難易度とボリュームが無いと達成感が得られないものなのだ。
こっちの社員に誰とも会わなかったし、あまり天気もよくなかったので、曇り空そのままグレーな気分で帰京した。もう年内はこれでラストかなって。
「もうアナタは群馬の担当じゃないんだから」(ジャン妻)
「・・・」
「静岡の子たちに入れ込んでいるクセに」
誤解を招く言い方を。平等に接してますよ。

だが。。。
12月に入って現地のEという社員から連絡があった。
Eは過去に何回も登場しています。

「会って話したいことがあるんだけど」という友達調子のメールが来たのです。
仮にも私は上役だぞ。
「長くなるので電話はいいです。いつ来れますか?」
これ、原文のままです。いつ来れますかったって。。。
どうも穏やかではなさそうである。何かあったのか。
現場部門の頭越しに行くのはマズイのでその方面にスジを通そうとしたが、私が出向くことについて本社の現場部長はさして興味の無い態度であった。面倒くさそうに、
「Eさん?あのうるさいオバさんですよね。わかりました。Eのガス抜きだけお願いします」って。
ガス抜きだけねぇ。
Eはガスタンクじゃないけどね。
あくまで話を聞くだけで、Eから何を言われてもその場で私は決定しないという条件でOKが出たのです。

ウチの管理部長も怪訝そうに、
「???何で〇〇さん(私のこと)に言ってきたんですか?」
上申する流れが違うのではないかと言いたそうであった。
確かにその通りで、私はもう群馬の担当でも何でもないのだから。
なのに未だに私に言って来るってことは?
「連中は単にアナタに甘えてるだけよ」(ジャン妻)
私は管理部門長に向かって「アンタたちより自分の方が向こうの連中に馴染まれてるんだよ。信用されてんの」と豪語したかったが、それを言っちゃぁ相手の小さいメンツを潰すことになるから言わなかった。
「さぁ。何でですかねぇ」ってトボけた。
「面談だけで出向くと目立つので、〇〇さんの本来の業務のついでに立ち寄ったから、のような感じで行ってきては如何ですかね?」
私の本来の業務のついでなら行っていいよと。

数日経ったらEは焦れたように「いつ来るの?皆、待ってるよ」
「皆って何人いるんだ?」
「アタシとぉ、Aさんとぉ、Tさん(聖なる酔っ払い女)とぉ、Sさん」
4人も??全員が平成24年赴任以来の連中だが、徒党を組んで私に何を言いたいのか。
「4人とも同じ内容か?」
「アタシとAさんは話が被るけど、TさんとSさんは別件だと思う」
という訳ありでやって来たのです。面談は今日の午後です。何をギャーギャー言われるのやら。まぁ聞いてりゃいいんだから楽さ。で、行ったら、面談する場所は現場の休憩室なのですが、そこのテーブルにこんなものが置いてあった。
お菓子.jpg
Eがいて「食べていいわよ」
「いいよ。要らないよ」
傍らにいたT(聖なる酔っ払い女)が「〇〇さん(私のこと)の為に買って来たんですよ~」
わ・ざ・わ・ざ・買いに行ったのか。
私を餌付けしてるつもりか。
「食べながら待っててくれる?もう少ししたら全員が昼休み終わるから」
その間ボリボリ食べてたのですが、さすがに全部は喰わなかった。半分残して輪ゴムでくるんで置いといた。
半分だけいただいた.jpg
そしたら聖なる・・・が、
「お持ち帰っていいですよ」
「持ち帰りぃ?ホテルへかぁ?」
この餌付けの代償というか、見返りは当然要求された。面談時間は3時間半に及び、社員の愚痴、不平不満を聞きなれている私もバテてしまったのだよ。
4名のうちでひとりめの聖なる酔っ払い女と、ふたりめの話はたいした内容ではなかった。
くだんのEの話は「アタシの一身上の都合で、他県への異動願を出したいがそれは可能ですか?」というもの。
あとひとり、最後の4人めが問題で、案の定自身の給与待遇についてだった。お金の話ですよ。
「何とかしてください」と1時間以上に渡って切実に訴えられたが、私はオーナーじゃないし、お給料に不満な社員には「だったら他社へ行けば?」な人なのですが、本社の部長たちから「聞くだけでその場では結論づけないでください」と言われてるのでその場では言わなかったけどね。

最後の子の不満は群馬特有のもので都内では絶対に通用しない。キーワードは、①群馬はくるまが必須、②土地が余っていて安い、③郊外にマンションが無く家を建てやすい
詳細は今は伏せますが、この①②③については群馬通の私にしてもこれまで気付かなかった点だったのである。これに④世間知らず、が加わるのだが、①②③を群馬の特に校外・平野部の問題点としていつか取り上げたい。
でもそれを本社の執行部に理解を得ようとしても無理なのだ。

結論出せず(出すなと言われたのもあって)私は現場を後にした。聖なる酔っ払い女が高崎までくるまで送ってくれた。
「確かにあの子の希望はかなわないと思います。でもかなわないまでも、群馬の子たちはこういう思いを抱えてるのを東京本社の人にわかってほしかった。だから呼んだんです」
平成24年に赴任した時は親元にいた小娘だったのが、5年6年経って諸事情が変わったということ。
「変わったなアイツ。前はあんなこと言ってこなかった」
「・・・今夜は何処で飲むのですか?」
「う~ん・・・そうだな・・・」
七3.jpg
コメント(0) 

ぶらり [風景]

アタマが重い。
飲み過ぎたか昨夜。
旭町.jpg
旭町の路地を歩いているところ。
弓町の交差点を渡ると、私が1年住んでいた小さい羅漢町。
弓町交差点.jpg
高崎駅近くをくるまで走っていると、交差点で信号機が青になってスタートしてもすぐ先の信号が赤になるので、なかなか一気に走り去ることができない。
道路を拡張したことで横断する歩行者への配慮なんだろうけど、歩行者はあまりいないですよ。
懐かしい.jpg
私が1年間だけ住んだマンション。
左手には移転前のうさこのCafeがあった。
これがその頃のCafeです。
定休日だった1.jpg
現在の同じ場所です。うさこのCafe跡地は幼稚園?保育園になっている。
うさぎの跡地.jpg

寿司屋.jpg
江戸吉寿司。
アスリートでもある旅人の惑星さんが打ち上げる寿司屋さん。
正面から見ると焼津のどんた久にそっくりな店構え。
赴任が終わり、東京に引き上げる前に1度だけ入った。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-12
私は滅多に寿司屋に行かない人でして、寿司屋より居酒屋に足が向くのですがネタはよかったですよ。
外見に似ず妙に腰の低い店主で「お待たせしてごめんなさい」をやたらと繰り返すんだよな。店主ひとりで握る割りに客数が多いから。
「(群馬県)知事さんは『私は高崎市が好きなんですよぉ~』って言いながら江戸吉寿司でベロベロになってる」
「そりゃ高崎の票が欲しいからだよ」
のような会話を飲み屋で聞いたことがあるよ。
停めてた場所.jpg
私が停めてた駐車場の一画。
稀に間違って江戸吉寿司のお客が停めたりするので、寿司屋の中に入って「誰かウチんとこに停めてないか?」聞く為だけに入店したことが2~3回ある。

この道を歩いて事務所まで通った。
ロツレ(現在はワインバー・ルケ)、少し右に少し入った路地に月輪、現在のラのロがあります。
この道を通った.jpg

うさことゴミを出した場所.jpg
この電柱がゴミ出し場所で、私とうさこが家庭ゴミを出していた。飲んだ翌朝バッタリ会ったりしたものですよ。
わずか1年だけとはいえ私は高崎城下町に、いや、城内に住んでいたのです。調べたのですが、平城の高崎城には木戸が7つあって、羅漢町口にも木戸があったそうです。

葉っぱに覆われつつある味一味。。。
ゲストのチエさん、もと田舎娘さんと初めて飲み喰いしたんだった。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-18
味一味.jpg
店主も料理も雰囲気も豪快で餃子が美味い。この店の餃子を食べると水商売の女性が出勤できなくなるという。
何故か転勤が解けてからは足が向かなくなった。
亮さん.jpg
よく利用した洋食系の亮さん。
ここはステーキ、パスタ、カツ系の揚げ物、サラダ、ピザ他、料理が秀逸。
あまり混まないのが不思議。駅から遠いからだと思う。
ここでも転勤が解けて引き上げる前、チエさん呼んで別杯を挙げたな。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-08

アーケードに向かって交差点を渡る。
この洋菓子屋さんも取り上げたことがあります。笑ふ女にケーキをあげたの。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-20-3
洋菓子屋さん.jpg
店内にCafeスペースもあるのですが喫煙可なのです。ケーキ屋さん、洋菓子屋さんで地元の婆さんたちが吸う煙草の煙にケーキが燻される光景は異様だった。
過去記事に登場した「笑ふ女」は現在新しい伴侶を得たので最近は遠慮してこちらからは連絡しなくなった。
10月半ばに一度電話があって「だ、だ、誰に聞いていいかわからないので〇〇さん(私のこと)に聞けばいいかなって。ぶふふっ(笑)」
「それは私に聞くんじゃなくて・・・」
・・・の後は担当部署に回したのですが、群馬担当の草の者・6号の成長もあって、近年ようやく私から「親離れ?」しつつある。
アーケード1.jpg
平成26年の大雪でアーケード天井が落ちてしまい再建中の工事現場。
市は全面的に改装する計画だが、そうなると今あるディープな世界が真新しくなってしまい、健全な街になる代わり、立ち退く店も出て来るだろう。
でもテナントが老朽化し、火事が発生したりしたので、工事の動きは加速するかも。
アーケード2.jpg
見上げたら梁が太い。
「アーケード2階もテナント入るの?」
「いえいえ、1階だけですよ」
アーケード3.jpg
アーケード4.jpg

梅ふく&幸盛.jpg
梅ふくの路地、まだ眠っている。
もーちゃんは昨夜も20時以降、ベロベロだったに違いない。
「でもどんなに酔っぱらっても翌朝はちゃんと起きて仕入れに行くんですよ」

たじまの跡地.jpg
田じま食堂の跡地。
川崎の丸大ホール食堂のミニ版だが、クセ、アクが強い客ばかりだった。
店にグダグダ集っていたアクの強い老人たちは何処へ行ってしまったのだろう。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-07-6

ニューたじまも撤退した.jpg
ニュー田じまも撤退してしまったようだ。あまり入ってなかったからね。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-12-13
私の部下といっていい草の者6号はニュー田じまのデカいアジフライを今でも懐かしんでる。閉めちゃって残念って。

激シブ食堂の三好。
この店はさすがに入る気にならなかった。Bスポサイトに詳しいです。
http://www.b-gunma.com/miyoshi.php
激渋食堂.jpg
アーケード5.jpg
アーケードを抜けて行政へ向かう。

すみれ1.jpg
すみれ食堂。高崎の食堂にしては珍しく完全禁煙の店。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-23
あ、値上したね。前はラーメンが350円だった。
すみれ2.jpg
すみれ3.jpg
すみれは再訪したので後日取り上げます。
この子.jpg
そういえば。
この城にいずれ、この子が来たんだっけ。
だがその滞在期間は短かった。(続く)
コメント(6) 

藤枝イルミ [風景]

冗談TALKも交えてようやく信頼関係が構築されてきた静岡の某現場の女の子が、
「〇〇さん(私のこと)今日も藤枝にお泊りですかぁ?」
「そうだよ」
「(静岡)市内じゃないんだ?」
「(ホテルの予約が)取れなかったのもあるんだけど、市内に泊まると明日のアサイチの為に早く起きなきゃならないから」
「いいですね藤枝」
「???」
「今の時期だとイルミネーションがありますよ」
それは知っている。昨年もあったし。
この子は登場しています。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-08-14

「お家でもイルミするんですか?」
これからの時期、各家々でも小さいイルミを点灯させる家ってありますよね。
「私はしたいんだけどね。ウチの(ジャン妻は)は12月22日が誕生日だから、クリスマスよりアタシの誕生日を優先しろ、ウチにクリスマスはない、あれは商業戦略に載せられてるだけだ、って言い張るからさ。ハロウインの時もそんなこと言って全否定していたな」
「ああ、そうなんですか。だったら奥様の誕生日優先ですよね」
「お、おくさま?(笑)自分は世界中が優しくなれるクリスマスが大好きなんだけどね。家でイルミもやってみたいし」
イルミ1.jpg
イルミ2.jpg
イルミ3.jpg
イルミ4.jpg
イルミ5.jpg
イルミ6.jpg
イルミ7.jpg
イルミ8.jpg
イルミ9.jpg
イルミ10.jpg
イルミ11.jpg
イルミ12.jpg
イルミ13.jpg
イルミ14.jpg
イルミ15.jpg
イルミ16.jpg
イルミ17.jpg
イルミ18.jpg
イルミ19.jpg
イルミ20.jpg
イルミ21.jpg
イルミ22.jpg
イルミ23.jpg
イルミ24.jpg
イルミ25.jpg
イルミ26.jpg
「意外と藤枝って呼び込みが多いんだよ」
「声かけられるんですか?」
「それがさ」
「???」
「一度も声かけられたことない」
「そうなんですか?」
私は新宿でも新橋でも、呼び込みに声かけられないのです。
かけてくるのは高崎の銀座アーケードだけ。
イルミをウロついた後、ホテルに戻るまでも声かけられなかった。避けてるんです。
「何でですかね?」
「さぁな・・・」
「もしかして・・・?」
「???」
「同業者と思われてるんじゃ?」
コメント(0) 

彷徨い [風景]

彷徨い1パーキング1.jpg
彷徨い2パーキング2.jpg
彷徨い3コンビニ.jpg
彷徨い4交差点.jpg
彷徨い5あら町1.jpg
彷徨い6結.jpg
彷徨い7ルケ1.jpg
彷徨い8ルケ2.jpg
彷徨い9ルケ3.jpg
彷徨い10路地.jpg
彷徨い11ラノロ.jpg
彷徨い12月輪.jpg
彷徨い13カシギ.jpg
彷徨い14カシギタワー.jpg
彷徨い15田町北.jpg
彷徨い16味一味.jpg
彷徨い17亮さん.jpg
彷徨い18アーケード1.jpg
彷徨い19アーケード2.jpg
彷徨い20ミヨシ.jpg
彷徨い21小路.jpg
彷徨い22梅ふく.jpg
彷徨い23鞘町.jpg
彷徨い24.jpg
彷徨い25.jpg
彷徨い26ピンク.jpg
彷徨い27.jpg
彷徨い28.jpg
彷徨い29ノコギリ.jpg
彷徨い30赤い手.jpg
彷徨い31UNO.jpg
彷徨い32ガスト交差点.jpg
彷徨い33オイスター.jpg
彷徨い34こむぎ.jpg
彷徨い35.jpg
彷徨い36三富士.jpg
彷徨い37海力.jpg
彷徨い38なかじゅう.jpg
彷徨い39七.jpg
彷徨い40さかいの1.jpg
彷徨い41さかいの2.jpg
彷徨い42やたいや1.jpg
彷徨い43やたいや2.jpg
彷徨い44見上げる.jpg
彷徨い45プチ.jpg
彷徨い46舞鶴.jpg
彷徨い47.jpg
彷徨い48.jpg
彷徨い49.jpg
あすり2.jpg
彷徨い50.jpg
彷徨い51魚屋.jpg
彷徨い52涙で滲む.jpg
彷徨い53ルートイン.jpg
この街に還りたい。。。
コメント(4) 

藪塚の石切場跡 [風景]

どなた様かは存じ上げませんが、朝早い時間から見て下さってありがとうございます。
お礼申し上げます.jpg

さて、キリのいい7月31日で上州プチシリーズ在庫一掃を済ませる予定だった。
8月1日からは通常ネタに戻そうと。私は記事数とカレンダーを照らし合わせてそこまで拘るのです。
安中市内の自動車に乗った観音様の翌日にブラウザがオカしくなって。それを1話入れたらシメのこの記事が8月1日にズレ込んでしまったというワケ。
藪塚温泉1.jpg
太田市の北、藪塚温泉街。
平日だからか客が見当たらない。地元群馬ナンバーのくるまが時折通り過ぎるくらい。
藪塚温泉の成分は炭酸水素塩(HCO3)だからこないだ載せた安中市郷原の井戸と似たようなものか。シュワシュワしているか塩気があるか。
泊まりにきたわけでも湯治に来たのでもないです。ホテルふせじまを目の前にして左折、細い道を上がり、T字路を右折して坂を下り、その先にあるものを見に。。。
藪塚温泉2.jpg
入口2.jpgこの辺りにくるまが数台停められます。
舗装はされていませんが砂利が敷き詰められた敷地がある。
その辺りに人家が1軒だけあって、その先には勝負沼(新田軍と北条軍が闘った?ホントかな?)でドンつまりになる。
イノシシ捕獲用の檻があった?あたりまえのように置いてあった。
獣害対策.jpg
森へ誘う獣道の入口に、こんな表示がありまして。
入口3.jpg
石切場跡??
私はそこへ徒歩で向かいます。探検心にワクワク。
入口4.jpg
桟道1.jpg
桟道2.jpg
木々が生い茂って先が見えないがそれほど歩きません。
桟道3.jpg
桟道4~分かれ道.jpg
途中の三叉路。表示を見たら石切場まで100m足らず。これがゼロ1桁多かったら引き返したかもしれないが。
あと100m.jpg
あ!!
立入禁止のトラロープが。
ありゃ?.jpg
立入禁止?.jpg
足場は悪い.jpg
石が崩れてるのだろうか。いや、足場が悪いのです。丸木や板が敷き詰められているが、湿気でポコポコに腐っていて途中に穴も開いており、踏み抜きかねない箇所がある。
暑さ、湿気もジャングルを思わせる。その先に岩を手掘りで切り開いたような迷宮への入口が見えてきたぞ。
迷宮への入口1.jpg
迷宮への入口2.jpg

ウォール1.jpg
ウォール2.jpg
ウォール3.jpg
高さ30mもの巨岩の壁が四方を取り囲んで垂直に切り立っていた。
これは人口建造物ではない。石材を切り開いた跡なのです。
ウォール4.jpg
ウォール5.jpg
ウォール6.jpg
入口にある解説板.jpg
さきほどの入口の斜面にあった解説板から引用します。ダラダラ長いので途中、改行します。
『今から凡そ二千年前位に多くの火山活動によって堆積された軽石凝灰岩が地殻の変動で隆起し各地に露出したものが藪塚石となった。
この薮塚石は明治の中頃から小規模に採掘をしていたが、明治三十六年より薮塚石材株式会社が創立され盛んになり始めた。
質はやわらかく細工もしやすく価格も安かったので、建築物の土台や塀、熱に極めて強かったのでカマドとして発売された。
大正二年に東武鉄道が敷設されると、販路も関東諸府県から長野県に至るまで藪塚石の名は広まった。
当時労務者は三百五十人位であった。しかし藪塚石の最大の欠点は水に弱く、中に小石がある事、層に割れ目が多い事などで、同質の大谷石と比べ多くの人件費がかった。
質に於てだんだん嫌われていった。そして、現在各所にこの様な大きな採掘跡を残して昭和三十年頃に閉山のやむなきに至ったのである。』
ウォール7.jpg
ウォール8.jpg
薮塚石材株式会社社長は葉住利蔵という人。この人は慶応2年(1866年)生まれだから世は戊辰に突入する直前だった。
実業家です。太田町商工会を設立して初代会頭。明治31年(1898年)に新田銀行(現在の群馬銀行)を設立して頭取に就任。利根発電を設立して太田に電気を引っ張った。
そして明治36年にここ藪塚石を量産採掘する藪塚石材株式会社を設立して、切り出した石材を運ぶ人車軌道、藪塚石材軌道の免許を取得。これが太田軽便鉄道を経て現在の東武桐生線になる。
私が立つ周囲を覆う巨石には無数の筋が刻まれていた。これらは石工たちの手によるもの、手斧によるものだろうか。だとすれば長く見積もって明治36年(1903年)創業から昭和30年(1905年)閉山、その間50年に渡って無数の石工たちが打つ、切る、砕く音がこの森の中に木魂していたに違いない。
藪塚石は火山灰の堆積によるものという。
では何処の火山か。赤城山かな。
火山灰でできた岩に火山弾や小石が混じってたので大谷石に破れ去って消えていた。現在は森の中に打ち捨てられた巨岩の壁が残るのみです。
ウォール9.jpg
ウォール10.jpg
どの面を向いても石の壁に圧倒される。
屹立した岩壁上からモンスターやクリーチャーが覗きこんだりしそうだ。魔界の迷宮に迷い込んだ気分がする。
ウォール11.jpg
ウォール12.jpg
この洋画のようにいきなり壁が動きだしたりしないだろうか。
メイズランナー.jpg
メイズランナー2.jpg
メイズランナー3.jpg
メイズランナー4.jpg
メイズランナー6.jpg
メイズランナー7.jpg
確認していませんが、隠し砦の三悪人、仮面ライダー鎧のロケ地にも使われたとか。
予告編から。ロケ時には足場はしっかりしていたのかな。
ガイム.jpg
ロケ.jpg
ロシュオ1.jpg

更に奥へ行こうとしたら足がズルッと取られた。
ドス黒いヘドロ状態だったのである。ベチャッとしたヘドロに足を阻まれた。
あ~あ、また靴を汚しちまったよ。ジャン妻に「何処をほっつき歩いてたの?」って責められるな。
そこから先は雨水がたまって水たまり、浅い池になっており、そこで何かが動めく気配がした。
何かがいる。
突如、それは撥ねた。
太いヘビのようなものがジャンプしてポチャンと落ちた。それも2匹。連続してピョン、ポチャン、ピョン、ポチャン。
カエルだろうか。だがその生物は前足後足が無かった。エイリアンのチェストバスターの黒くて長いヤツだった。ヘビ?まさかツチノコ?
この石切り場の水たまりにいる何かの生物については他サイトでも触れていた。。
http://www.xn--b-qfu4au7hq634c7ydh29d.net/o2.html
確実に何かがいます。
後ずさりして引き返した。彼らは私を闖入者と思って威嚇したのだろうか。
迷宮への入口を振り返る.jpg
ここは整備されていない産業遺産、産業廃墟といっていい。
立入禁止のトラロープが無ければ誰でも見れるが、足場を含めて今後、整備されるかどうかはわからない。
行かれるなら自己責任でお願いしますよ。
http://ons.or.jp/publics/index/13/
注意喚起1.jpg
注意喚起2.jpg
くるまのある場所に戻った。
広場になっている。炭火を炊いた跡がある。
ここでひとつの疑問符が湧いた。切り開いた石を藪塚駅までどうやって運んだのか。
入口1.jpg
現在の東武桐生線の前身、藪塚石材軌道は明治36年(1903年)藪塚石材株式会社設立から5年後、明治42年(1908年)に設立されている。
太田停車場(現在の太田駅)~両毛線の大間々停車場を結んで、藪塚石を運んだ。
馬車鉄道を目論んだが、その頃、免許を取得しやすかった軽便鉄道法による人車鉄道に変更して、石材運送と併せて旅客営業も行った。藪塚温泉への湯治客だろうか。
東武鉄道の資本も受けてたので、1913年頃にお定まりの譲渡と相成り、蒸気化に併せて軌間(レールの間)も変更した。それまでは単線で、現在の治良門橋駅(西慶寺辺り)に交換施設があったらしい。
石切場から藪塚駅までは距離1kmあって徒歩だと15分くらいかかると思う。駅まで人力で運ぶ非効率な手法で運ぶだろうか。
もしかしたら、石切場の入口まで、引込線が敷設されていたのではないかい?

下写真は現役時代の藪塚石材軌道です。
藪塚停車場か太田停車場かわからないのですが。
下のサイトからご承諾を得て拝借しました。
http://yamada.sailog.jp/weblog/
石材軌道.jpg
太田市史料から。
大三章・変革期の太田の三、交通の発達に藪塚石材軌道の項があったが、そこには、
「明治36年(1903)に設立された藪塚石材株式会社を発展継承した藪塚石材軌道株式会社が設立されたのは明治41年で、東武鉄道が太田まで通じたのは翌42年のことである。藪塚石材軌道は資本金6万円、社長は葉住利蔵である。太田・藪塚間にトロッコ専用レールを敷き、藪塚本町や強戸村大字西長岡村などから産出した石材(藪塚石)を運搬した。それは現在の東武桐生線藪塚駅のやや太田寄りの場所(現藪塚本町西野)から太田への勾配を利用した人車軌道であった。現治良門橋駅や鳥山の西慶寺付近では上り下りが交換できるよう複線になっていた。通常は人力で石材の運搬を行っていたが、呑竜様の開山忌などにはトロッコを祝幕で飾り、また幌をかけ、女性や子供を乗せて運んだ。」

帰途の藪塚踏切です。
非日常的空間から日常へ戻ったところ。
藪塚の踏切.jpg
石切場の奥にいたあの異生物は何だったのか。
撥ねて落ちた動作がまだ脳裡に残っている。
巨大な石の壁に囲まれた迷宮にいた証拠に私の革靴には迷宮でつけたヘドロがこびりついたままだ。北関東自動車道波志江PAのWCで洗ったが全部は落ちなかった。そのまま帰京。くっついたままお持ち帰りになった。
革靴の泥を見たジャン妻の表情は。。。
コメント(6) 

Hail Storm [風景]

東名.jpg
上り東名を快走中です。
ちょこんと載ってる2匹のマスコットは「さらの木」夜記事http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-01-30で登場済みのプチ(プチペンギン。スズメではない。)&ヴィー(TOYOTAVISTAで貰った)が定位置でドライブの御守。
彼らを載せてから無事故な私です。違反はありますけど。
(昨日半休取って運転免許更新しました。だんだん裸眼がキツくなってきた。)
東名1.jpg
昨日Upしたヘンな十割蕎麦屋の30分後です。蕎麦屋の上空はまぁまぁ青空だったのに、吉田ICから入ってしばらくしたら空模様がアヤしくなった。
静岡県が如何に東西に広いということですが、焼津ICを過ぎた辺りで前方に何か降っているような。
何だあの黒いカーテンは?
雨か?ゲリラ豪雨?
このまま進行方向に揺れている黒いカーテンに突っ込まざるを得なさそうだが。
前方にイナヅマが光った直後。。。
何だ?.jpg
黒いカーテンのその正体は雨ではなかった。
雹1.jpg
バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ
フロントガラスとボンネット、くるまのボディ全体に衝撃音が。
雹(ヒョウ)だったのです。
大量の小石を浴びたような衝撃。直径5mm以上が雹でそれ以下が霰(アラレ)だそうですが。目視で見るところ5mmぐらいだったと思います。
バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ。。。バチバチが鳴りやまない。ボタ雪と違ってフロントガラスやボンネットにぶつかっても溶けず、バチバチ弾き返されて路上に飛んでった。氷の玉がコロコロ転がってるのが見える。
私の前後左右を走るくるまが一斉にハザードランプを点滅させて50kmに減速した。
室内の温度を上げて曇りを消した。
雹2.jpg
バチバチが続いている。時折大粒が混じっているのか、フロントガラスからボンネットに落ちる際に、トントン音がした。
なんなんだこの洗礼は。俺が何かしたか?何かの苦行かよ。
逃げ場はある。日本坂PAがすぐ左手に迫っている。左車線のくるまはそっちへ退避せんと逸れたくるまもいた。
この時に即座に左にチェンジングレーンすればPA退避は可能だったが、PAへ退避してそこでじっとしてても、そこへデカい雹が落下したらフロントガラスが破損するのではないか?
それにこういう時に限って傘がない。PAに入っても売り場内に避難する過程で私のアタマにぶつかった雹のせいでアタマ怪我しないか?流血したりして。
デカい雹はガラス窓を割ったり、傘やビニールハウスを突き破ったり、土より上の野菜の葉を穴だらけにしたりするが、雹そのものでケガをするよりも、雹が割ったガラス破片で怪我をすることの方が多いらしいが、雹で流血したら笑い者になるは必定である。
バチバチ音は物凄いが、さすがに車の屋根を貫通することはない。フロントガラスは家々の窓ガラスとは違う安全な割れ方をするそうです。でも不慣れな女性ドライバーだとパニック起こす人もいるそうですね。
さてどうするか。バチバチ雹は長時間降らない。群馬にいた時、西毛の何処かで突然雹に出くわしたが、私が運転する進路が逸れたら止んだものです。
でも今雹を降らせている積乱雲と私は東方向に向かっている。雲の流と並行して走ったらどちらかが左右に(南北に)逸れない限り、ずっとこのままのバチバチ状態が続くのではないか。
そんなことを考え考えじっと耐え忍んでハンドル握ってたらレーンが増えた。前方はワイパーで退ければ見えるのですが、サイドミラーがよくみえなくなってきた。
この先の日本坂トンネルは左右に分岐する。しばらくしたら私の右に上り右ルート車線が加わった。日本坂PAへの退避区間は過ぎてしまった。
日本坂1.jpg
バチバチバチバチトントントントントン。。。
バチバチはフロントガラス、トントントンはボンネットを叩く音。雹は降り続いている。
嫌がらせのようなものである。しつこいったらありゃしない。
前方に日本坂トンネルの坑門が見えてきたところで閃いた。
あのトンネルは東名で最も長いトンネル(全長2380m上り線左ルート)である。長を幸いトンネルでこの嫌がらせのような雹を追い抜こうというもの。
台風のニュースでよく聞くのは「時速およそ30kmの速度で東へ向かっております・・・」・・・こっちがトンネル内で速度を上げたらいい。100km以上のスピードで2380mを走れば追い抜けるのではないか。
日本坂トンネルが貫通している山々を焼津アルプスという?その山々が雹と積乱雲を多少は遮ってくれるのではないかと。
トンネル抜けてもまだ雹が降ってたらシャレにならないけど。
トンネル内にパトカーいたりして。
日本坂2.jpg
行くしかないのでトンネルに入ったと同時に追越レーンにチェンジしてスピードを上げた。トンネル内は車線変更禁止・・・じゃなかったと思う。
速度メーターは130km。
日本坂トンネルは上り4車線、下り3車線の計7車線。昭和54年(1979年)、日本坂トンネルでは当時の下りルート(拡幅工事後、現在の右ルート)で、173台の自動車が炎上(7人死亡)というトンネル事故最大規模の現場でもある。それが脳裏に浮かんだりした。
トンネルを出たらまた雹が降って渋滞しているのでは?そういう危惧もあったので、抜ける直前に減速して前方を見た。
順調に流れているのが確認できた。
トンネルは1分足らずで抜けた。走行距離(2380m)/走行速度(時速135km)/1000×60×60=65.9秒です。
抜けたら雹は無かった。小雨になっていた。その先は薄曇りで射している日の光も言える。
だが背後から雹が追いかけてきてるかも知れない。背後を振り返らず、その先の清水JCTで、東名よりもっと長大トンネルの多い第2東名に逸れて帰京した。

帰宅してから机上で雹のメカニズムを調べてみたら。
積乱雲の中には水滴があり、そのまま地表に落ちてくれば雨なのですが、上空に寒気があるとそこで氷粒になります。
その粒は下降するのだがまだ小さくて軽いので、積乱雲の強い上昇気流の為に地上まで落ちてこないで、積乱雲の中で上昇下降を繰り返します。
その間、雹にどんどん水滴が付着していく。雹粒が大きくなっていく。
最後に上昇気流が重さを支えられなくなって地上に落ちていくという始末の悪いもの。
雪は風情というものがあるが、雹はウルさいだけである。
メカニズム.jpg
(この図はソネブロのさるBlogからお借りしました。)

この一連の写真をジャン妻に見せたら、
「高速に入った時は晴れてたんだがな」
「何これ?あ、雹だったんだ。ガラス傷つかなかった?」
「それは大丈夫だった」
「運転中に写真撮ってるんじゃないっ!!」
「・・・」

くるまの御守、プチ公はチビのクセに鼻高々である。
「オイラのおかげで無事だったんだい」とでも言いたそうである。
マスコット.jpg
[右斜め上]
明日からUpするさらの木で。
朝25.jpg
コメント(0) 

彷徨い [風景]

羅漢町。5年前に1年間住んだ町。
旧中山道に面して、酒場とマンションと区画整理された新しい住宅が混在する静かな街だった。
羅漢町.jpg
住んでたマンション隣のお寿司屋さん。
寿司屋1.jpg
このデカい寿司屋は外観が焼津のどんた久にそっくりである。
でも1回だけのご縁で終わった。私は寿司屋に食指が湧かない人なのです。だって寿司しかないじゃん。(そんなことないのかな。)
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-12
どうもこれが旧中山道らしい。
旧中山道.jpg
このワインバーになる前の店主の料理が秀逸で、この街に長くいたいと思うようになった。
バーになってからは入ったことがない。
今はワインバー1.jpg
今はワインバー2.jpg
その店主は場所を変えて同じ界隈の一画に新規OPENしている。
まだまだ味も腕も落ちていなかった。伝説は健在のようである。
盛況のようで.jpg
2つの店の位置関係はこう。
ご近所1.jpg
ジャン妻が「ボケママの店」と呼ぶ天然ママの居酒屋はマンションの1階奥にある。
月輪.jpg
6000円のお会計で1万円札を1枚渡したら、五千円札1枚と千円札1枚を渡されたことがある。
5600円のお会計で10000円と600円を渡したら5400円の釣銭を戻そうとしたり。
「よくあれで商売やってる。絶対お客に会透けられてる」(ジャン妻)
でも都落ち気分で塞いでいた私を癒してくれた。お客さんがいい人ばかりでしたね。
いい街だと思い直し去りがたくなった。
2つの店の位置関係はこうです。
ご近所2.jpg
3店舗の位置関係はこう。
ご近所3.jpg
繁華街でなく、閑静な住宅地でご近所どうしなのです。

店主は声の大きいラガーマン。お客のオーダーが自分の声に負けてしまいオーダーオチがよくあった焼き鳥屋。オーダー確認して洩れてるのがわかった時だけ済まなそうに身体とお声が小さくなる。
具が殆ど無いドロッドロのソース焼きそばが絶品だった。この店のおかげで私の中で脳内革命が起き、焼きそばの概念が変わったのである。
結.jpg

通り2.jpg
この通りにレンタル会議室があってよく利用した。
青く光る看板に名前が変わる前の不動産屋さんから羅漢町のマンションを紹介されたんじゃなかったかなぁ。
担当者から「1年で解約したりされないですよね」って聞かれ、賃貸交渉に長けるジャン妻がその時期は「それはないと思います」と答えている。
でもきっかり1年で去ることになってしまった。

銀座中央アーケードや柳川町とは別に、私はこの通りが高崎西口でもっともアブない通りだと思っている。
中途半端に人がいるのからである。
一度、アヤしいドラッグをヤッている若者の群を見たことがある。
通り1.jpg
通り4.jpg
彷徨い1.jpg

通り3.jpg
羅漢町の西、田町。
CoCo壱隣にあった浜潮が突然閉店してしまった。
今年の2月半ばに新店舗がOPENした。
浜潮の跡1.jpg
浜潮の跡2.jpg
浜潮の跡3.jpg
お任せコースだけのようですね。
まぁその方が気楽な場合もあるけどね。
浜潮の跡4.jpg
浜潮の店主、女性スタッフの消息は今日まで聞かない。
おそらく同じ空の下にいる筈。元気でいて欲しい。
彷徨い2.jpg
この店も大事な店だったな。
串カツ、ピザ、大根のステーキ、パスタ。
日本酒は全くといっていいほど置いてないです。
亮さん.jpg
「酒悦七には行ってるんですか?」(ラのロ、店主)
「今年はまだ行ってないんですよ」
ラのロ店主は、酒悦七の店主は俺が教えたんだ~といふ。ホントかなぁ。
七.jpg
上州を去る前夜に歌いまくった店。
歓迎会が送別会になった不思議な夜だった。
歌った店.jpg
これは寿司懐石らしいが、未訪のまま終わったね。
この店は未訪.jpg
お世話になった魚屋さん。
覗いたら店主も女将さんもまだまだ元気そうだった。いきなり去ってごめんね。
魚屋さん.jpg
ASLIの近くも毎日のように歩いたのだが、店内の画面をカラオケと勘違いして素通りだった。
ご縁ができたのは上州を去ってからのこと。
店内は俗世から離れた不思議な空間です。
A1.jpg
住んでたマンションの前にあったうさぎCafeは椿町に移転した。
現在は保育園が建っている。
うさぎCAFEの跡地.jpg
さらばうさぎCafe.jpg
この交差点を右に曲がった細くて暗い路地に現在のうさこの店がある。
彷徨い3.jpg
あ、閉まってやんの。
まさか廃業しちゃったかと思ったらそうではなく、(水)(木)連休にしたらしい。
休みかよ.jpg
上州の定宿ですが、どうも最近スタッフの質が落ちた。特に男性。
最近質が落ちた.jpg
今年になって、ノーネクタイ、無精髭、ノーネームプレートで接客されたので、
「髭ぐらい剃れよっ」
ウチの社員はそういうの御法度なので叱りつけちゃったですよ。失礼だってね。
明日明後日とお世話になるけど改善されてなかたら怒るよ。
コメント(0) 

彷徨い [風景]

子安23.jpg
子安1.jpg
子安2.jpg
子安3.jpg
子安4.jpg
子安5.jpg
子安6.jpg
子安7.jpg
子安8.jpg
子安9.jpg
子安10.jpg
子安11.jpg
子安12.jpg
子安13.jpg
子安14.jpg
子安21.jpg
子安22.jpg
子安15.jpg
子安16.jpg
子安17.jpg
子安18.jpg
子安19.jpg
子安20.jpg
子安24.jpg
子安25.jpg
子安26.jpg
諸星2.jpg
コメント(2) 

彷徨い [風景]

ル2.jpg
店3.jpg
店4.jpg
店6.jpg
店7.jpg
店8.jpg
店9.jpg
店10.jpg
店12.jpg
店15.jpg
店16.jpg
店17.jpg
店18.jpg
店21.jpg
店22.jpg
店25.jpg
店26.jpg
店27.jpg
店28.jpg
店31.jpg
店33.jpg
店34.jpg
店35.jpg
店37.jpg
店39.jpg
店40.jpg
店41.jpg
店43.jpg
店45.jpg
満車である1.jpg
コメント(0) 

Lakeside Jurassic Park [風景]

群馬県は東を除いて山々に接しているから、そこを源流に平野部へ流れる水が多いです。
でも自然の湖は少ない。有名なのは榛名湖ぐらい。
中禅寺湖?あれは栃木ですよ。
首都圏の水瓶だからダム湖が多かったりする。他は平野部にある灌漑用の沼とか。
群馬県の湖沼データです。↓
http://www13.plala.or.jp/gunmanotabi/jb-kosyo.html
富岡市妙義町に大桁湖という人造湖がある。
県や市のデータから。湖面の面積は0.14平方km??どれだけの量かわからないが、湖の周囲は2kmほど。
レイク5.jpg
このダム湖は発電ではなく、灌漑、貯水というよりも、大桁山の麓から流れ出す大桁川の下流への洪水対策、調整湖の意味合いが強い。砂防ダムなんですな。
船山温泉の敷地内を流れる船山川はやたらと堰堤があるがダム湖はない。大桁湖は思い切って上流を堰き止めちゃったんですな。
堰堤.jpg
これから行くところは、安中市内から松井田方面へ抜けて、松井田妙義ICから上信越自動車道に入ろうとして道をわざと間違え、妙義町に入って南下、妙義CCの更に南の山奥にあります。下仁田町との境に近い。説明し難いので地図で見てくださいな。
県道か林道か.jpg
妙義町を初めて走りました。
途中で見た妙義の雄姿です。
妙義の雄姿1.jpg
妙義の雄姿2.jpg
妙義の雄姿3.jpg
ダンプが走ったりします。途中で大桁湖方面への一本道に入ると、山を下って来るくるま2台とすれ違った。この辺りはもう大桁山の中腹に入っている。

駐車場は私のくるまだけだった。他は停まっていなかった。
無人の休憩所がある。管理人がいるのかどうかわからない。荒れてはいないので定期的に人が立ち入っていると思います。
振り返る.jpg
公園化された湖畔の散歩道に下りてみる。
ワカサギが釣れるそうですが。誰もいない。
ホント誰もいないね。来ていい場所だよねここ?
公園化されている.jpg
静かな湖面です。鏡のようだ。
レイク1.jpg
レイク2.jpg
レイク3.jpg
レイク4.jpg
ゴジラの背中のような妙義が見える。
妙義が見える1.jpg
妙義が見える2.jpg
湖周は整備されて足場は悪くない。
私は釣りに興味の無い人間ですが。マイボートの乗り入れ禁止。凍結時の氷上釣りも禁止だそうです。
湖に沿った散策路を先に歩むとその先にあるものは・・
ゲッ.jpg
ゲッ!!
ディメトロ1.jpg
あ!!レックスもいる!!
ゲゲッ.jpg
レックス1.jpg
レックス3.jpg
だいたい何でここにこういうものがあるのか。
ここは観光地なのかな。
妙義山が見えて、景色がい場所プラス、リアルな恐竜がいるのに人がいないんです。
いるのは恐竜たちと、私だけ。
レックス4.jpg
レックス5.jpg
レックス6.jpg
右足.jpg
左足.jpg
出迎えてくれたのは2頭の肉食恐竜だった。
ティラノサウルスもディメトロドンも結構リアルな造りではある。
だけど何で君たちはここにいるのかい?
ここでずっと佇んでいるのかい?
誰かが訪れるのを待っているのかい?
最初は、「どうだ驚いただろう」とでも言いたげな目をしてたが、すぐに慣れて、「お前たちなぁ。初めて来た人は見てビックリするだろうけど。その時その一瞬だけだぜ」と心無いことを囁いたら2頭とも寂しそうな目になった。遊んで欲しいのかも知れない。
ナイトミュージアムみたいに夜になったら動きだしたりして。
中に入れる?.jpg
口から火でも吹きそうである。
ディメトロ2.jpg
ディメトロ3.jpg
ディメトロ4.jpg
私は2頭に、「じゃぁな」と声掛けして踵を返した。
(ディプロドクスもいるそうだが気付かなかった。)
何を思う2匹.jpg
クマ情報です。平成25年10月にこの公園でクマが目撃されたとか。
クマ.jpg

社で、「群馬の魅力って何ですか?」と聞かれたら、「B級スポットが多い」と返すようにしているが、あまり詳しく説明すると怪訝な表情をされる。
群馬スネークセンター、太田藪塚石切り場跡、碓氷峠の鉄道施設遺構、岩鼻火薬製造所跡、柳川町旧赤線地帯、上越線モグラ駅土合、ブラジルタウン大泉町、日本のポンペイ鎌原村、南牧村の人面石、伊勢崎華蔵寺公園遊園地の大観覧車、太田市某所の焼きそば丼、渓流魚専門店・魚籠屋、永井食堂、徳川家発祥地、高崎炭田跡、日本プロレス終焉地・吉井町体育館、富岡製糸場二町通り遊郭跡、大胡城と隣接する何かの廃施設、
他、廃墟の数々。。。
幾つかは私も行きましたが探せばまだまだありそうです。これらに混ざって、恐竜たちが今にも動き出そうに屹立しているこのパークもそれらB級スポットに数えられてよかろうかと思います。
帰りに撮った妙義の雄姿を。
妙義の雄姿4.jpg
妙義の雄姿5.jpg
妙義の雄姿6.jpg
「何よこれは?」(ジャン妻)
「・・・」
「またこんな場所に」
「・・・」
このジュラシックパーク、正式名称は大桁緑地公園といいます。
コメント(6) 

彷徨い [風景]

104Night1.jpg
104Night3.jpg
夜道.jpg
彷徨い2.jpg
彷徨い3.jpg
彷徨い4.jpg
彷徨い5.jpg
彷徨い6.jpg
彷徨い7.jpg
彷徨い9.jpg
彷徨い10.jpg
彷徨い11.jpg
彷徨い12.jpg
彷徨い13.jpg
彷徨い14.jpg
彷徨い15.jpg
彷徨い8.jpg
彷徨い1.jpg
アヤしい灯.jpg
彷徨い16.jpg
ルートイン1.jpg
今回は勝手が違いました。
被写体が少ないのです。たまたまこの日はそうだったのかも知れないですが、営ってる店が少なかった。
数が少ないだけにアヤしい灯の店が目立ちましたね。
私は初めての夜の街でいきなり店に飛び込んだりせずに、しばらく店の向いに立ってその店を出入りする客の客筋を見てチェックするのですが、店に出入りする人がそもそもいないのです。殆ど誰にも出逢わないからチェックしようが無かった。
ある店の目でじーっと立って見てたら、その店の隣の人家から家人がこっちをじーっと見てたりする。アヤしいヤツが立ってるって警戒されたに決まってます。警察に通報されるのもバカバカしいのでその場を立ち去りました。
灯より建物の黒い壁ばかりです。人も歩いてないし。前から歩いて来た女子高生が私を避けて反対側の歩道に移ったりするし。
背後から走って来た自転車に乗った女性が、振り向いた私を見た途端にスピードを上げて追い抜いていったり。
街並みに並び立つ家々の中では人の生活の息吹があるのだろうけど。眠りにつくのが早い街なのだろうか。
ウルトラセブンのフック星人、プロテ星人でも出てきそうでしたね。
伝馬町の先にある安中市役所谷津庁舎まで歩いてそこから先は店が無いと判断して引き返し、ホテルの前、碓氷川クリーンセンターの信号から今度は安中自動車教習所方向へ下り、知人女性から紹介された店へ向かって歩いたのですが・・・。
コメント(0) 

彷徨い [風景]

えき.jpg
アヤしい.jpg
ホテル1.jpg
ホテル2.jpg
ホテル3.jpg
店-1.jpg
店2.jpg
店3.jpg
店4.jpg
店5.jpg
店6.jpg
店7.jpg
店8.jpg
店20.jpg
店21.jpg
店9.jpg
店10.jpg
店11.jpg
店12.jpg
店13.jpg
店14.jpg
店15.jpg
店16.jpg
店19.jpg
クラブ?.jpg
横丁.jpg
わが家の前.jpg
店17.jpg
ドラッグストア駐車場の看板.jpg
店4.jpg
コメント(0) 

彷徨い [風景]

ASLI.jpg
カフェ.jpg
鬼.jpg
七.jpg
味一味.jpg
浜潮.jpg
店27.jpg
なんばん亭.jpg
麺処.jpg
くいもの屋.jpg
新鋭店?.jpg
たまち.jpg
連雀町交差点.jpg
ダイニングバー.jpg
レオン.jpg
ロバ.jpg
酉番.jpg
謎の店.jpg
柳川町.jpg
刻限は?.jpg
店1.jpg
店2.jpg
店3.jpg
店4.jpg
店5.jpg
店6.jpg
店7.jpg
店8.jpg
店9.jpg
店10.jpg
店11.jpg
店12.jpg
店13.jpg
店14.jpg
店15.jpg
店16.jpg
店17.jpg
店18.jpg
店19.jpg
店20.jpg
店21.jpg
店22.jpg
店23.jpg
店24.jpg
店25.jpg
店26.jpg
店構え1.jpg
コメント(0) 

千人隠 [風景]

高崎市街から西に目を向けると、観音様が屹立する丘陵が南北に連なってるのが望見されます。
その丘陵の向こう側に何があるか。地図を見ると丘陵に分け入る県道が3つあって、東から203号線、南の吉井町から伸びて来た171号線、西から伸びてきた49号線が上奥平という地で交差している。
3本の県道は丘陵に開発されたゴルフ場への連絡道路でもあるので、その辺りはそこそこ整備されているが、奥へ分け入るほど道幅が狭くなる。
もちろん途中に集落もある。地元の人しか走らない生活道でもある。
私は平成24年の在住中に3つの県道を完全走破したが道に迷ったのが最初だった。その後、今日まで何回か走ったがまぁ一部区間の走り難いこと。
県道171.jpg
途中にドライバーを安心させるかのように、←安中市、高崎市→、の表示があるにはあるのだが、特に203号線と171号線は狭い箇所や急カーヴが多く、セダン車では厳しい。
夏場は緑の木々に光が遮られ見通しが悪く、急カーブにあるミラーに葉っぱが付着してミラーの体を成していなかったり。
走行中、誰ともすれ違わなかったこともある。たまにすれ違うのは営業の軽自動車、農家の軽トラばかり。地元の人は結構トバすんですよ。
道は雨が降ったらちょっとした河川と化す。台風明けには崩れて倒れた竹が転がってたりもする。
でもそこにも生活がある。1時間に1本より少ないが、コミュニティバス(ぐるりん?)も運行しているようである。
3つの県道から更に枝分れした生活道や林道があって、そこにも忘れられたような場所に小さく長閑な集落があったりする。
上奥平の風景.jpg
その辺りに何があるか興味本位で調べてみたら、乗附城、後醍醐天皇の孫の尹良親王伝説、洞窟観音、富岡製糸場の稼働燃料だった高崎炭田跡・・・これは興亜炭田他複数あったらしく、産出したのは石炭ではなく亜炭らしい、あまり知られていない坂下温泉、徳川氏旗下・奥平氏発祥の地、エミューが脱走した辺り。
高崎市でありながら秘境と表現したら在住者にお叱りを頂くかもだが、余所者の私から見たらそう見える。
吉井町から171号を北上して、奥平を経てその奥の狭い箇所を経てT字で右折、203号に入って最初の左折箇所にこんな表示がある。
分かれ道.jpg
千人隠?.jpg
千人隠?
そこの案内板には。。。
「雁行川上流にある高さ20mあまりの砂礫(サレキ)岩層が深くえぐられている。
2万5千年前に日本列島が海に沈んだ時に、海底火山からの噴出物、陸からの砂や泥が積もりこの地層を作った。
地学に関心のある人が一度は訪れるこの地は、天明3年(1783年)の浅間山噴火の時に、降灰を避けた地元の人々が多く逃げ込んだといわれる」
解説板のある分かれ道から1kmほどらしいので行ってみた。
解説板1.jpg
一気に狭い道で下り坂になる。でも集落がある。
中には近年建てられたかのような真新しい家があったりする。
街中の喧噪から逃れ、ヒッソリ隠れるように生活しているのだろうか。
途中にはお定まりの看板もある。
「産業廃棄物棄てるな」
「地元の生活道なので大型作業車は迂回してください」
「林道は30km以下で走行・・・」
「付近に住宅あり」
「発砲注意」
発砲??
猪でも出るのだろうか。こんな大きい罠?檻があった。
何かの檻?.jpg
この辺りで窓を開けてゆっくり走行してたら、
ポォン!!
銃砲による発砲音がしたのですよ。
熊は出ないが猪や鹿は出るらしい。
林道起点1.jpg
雁行川に沿ってぐんぐん上流まで上ってみると、ドン詰まりで幅広のT字路に出ます。
左折は高崎自然遊歩道。右折は林道が更に伸びているらしいが、林道や作業道は地図に載らないのもあるし、抜けられるかどうかわからないので要注意。
そこの鴻ノ巣2号橋の袂に、「千人隠れ入口」の札、標識があった。
標識.jpg
標識の脇に土を丸木で固めた階段がある。
完全に封鎖されていない。この先を見に行くなら自己責任で行きなさいという雰囲気である。
下る1.jpg
下る2.jpg
ソロソロ下りていくと、右手から雁行川の水面が見えてきた。足場がイマイチ。
雁行川.jpg
下る3.jpg
今を盛りと鳴くセミの声
川のせせらぎ。
深緑から零れる陽射し。
その先、藪蚊を払いながら木々のトンネルを歩くと、立ち入り禁止の札とえぐれた岩場が見えた。
何かあるぞ.jpg
立ち入り禁止.jpg
千人隠れは断崖の下の隙間のことらしい。
説明板にはこうあった。
「戦いに敗れた大勢の武士が難を逃れて隠れたり、天明3年の浅間山爆発の時は、 近くの人たちが降灰からのがれてここに集まったりしたと いわれています。ここにいれば他の所から全く見えないので 「千人隠れ」と名付けられたのでしょう。下を流れる川は雁行川の上流で、 「高麗蛙」(こまがえる)というカジカガエルが生息しています。」
解説板2.jpg
隠れた武士とは?
南朝方の後醍醐天皇の孫の尹良親王(ユキヨシ、コレナガ、タダナガ、タダヨシ)が、北朝方に負けて逃走した時にこの断崖下の窪みに隠れたと。
兵が千人隠れることができるというので、千人隠れと呼ぶようになったとも。
尹良親王という人は存在そのものがアヤしいと書かれたのを何かで見たが、来年の大河の舞台の遠州井伊谷で生まれたともいう。その人は20年に渡って各地を転戦して北朝に抵抗したと。そんな高貴なお方が、この千人隠からほど近く、観音山に連なる尾根に郭を点在した寺尾中城にいた。
説明板.jpg
寺尾中城が北朝方に攻められ陥落して、兵ともどもこの崖下に隠れたのだろうか。
でも細かいことを言うと千人はとうてい無理!!
見える範囲内だと隠れられる人数は数十人といったところでしょう。
水が流れているから(雁行川)携帯食料さえあれば何日かは生存が可能かもですが。
千人隠1.jpg
千人隠2.jpg
さすがに岩下の窪みには入らなかったが、見上げてみて気付いたのは砂岩なんですよ。崩れ易そうなの。
あちこちに礫岩もある。摩擦係数が低そうなのだ。
近年で崩れた形跡はないようだが。深入りしないで引き返した。
千人隠3.jpg
振り返る.jpg
ここは観光地ではないです。
その道の研究者さんにとっての学術資料。
見学不適な箇所です。自分の責任で見に行ってくださいね。窪みの下には絶対に入らないようにお願いします。
コメント(0) 

海抜91m [風景]

高崎市内でレンタカーを借りた時に、営業所のアンちゃんが、
「申し訳ありませんがこのくるま、ナビがついてないんですよ。大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ナビ要らないモン」
「え??」
「あったらあったでいいけどさ」
「道に迷われたりしません?」
「しないよ。妙義、榛名、赤城(私はこの時、左、中央、右、上毛三山の方向を人差し指で指している)、3つの山が見えればそれに対して自分がどこにいるかわかるよ」
へぇ~っと驚かれたものです。自分は向かう方向によって三山が左右どっちに見えるか、前方に見えるか、後方にあるか、それでだいたい判断できます。
群馬県は区政を敷いてないが、私の公用先は市の中心部の外れで、山を意識してその市まで行けば何とかなるのです。
でも道に迷ったことが無いわけではない。伊勢崎市、太田市の平野部で迷ったことがあります。山が無いから。
赤城山に雲や靄がかかって見えなくても北関東自動車道なら行き先表示があるから迷うわけないが、下りて一般道に入り、東西南北の平野部で迷ったことがある。
東西に走る場合、地図で見ると利根川があるが、山と違って川は見えないので。一般道で東西南北どっちに向かってるのか、道が斜めったらわからなくなった。今は大丈夫だが。
太田市には金山城のある新田金山が目立つが、伊勢崎市にはこれといった山が無いようで。
でも山が無いわけではない。伊勢崎市内から県道68号線で上武道路へ向かう途中、豊城町というところに山があるにはある。
麓.jpg
八寸権現山といって標高91m、100mない山。平野部との比高も21m程度しかない。マンションだったら6階程度だろうか。
権現山の周囲は住宅地で、山は家々に遮られ、遠方からでもどこに山があるのか、事前に方向を知らないとわからないくらい。
私は登山家ではないしその方面の嗜好もあまりないが(山城は別だがもう体力的に引退)、この群馬でいちばん低い山に登ってみた。ちょっとした登山家の気分。
登山路?.jpg
山頂へ.jpg
人工的な山ではなくそこにもともとあった自然の山というか丘で、お椀を伏せて上から叩いて潰したようなカタチ?
現在は山全体が公園になっていた。
山というより丘陵?-1.jpg
山というより丘陵?-2.jpg
山らしい山じゃないので、昭和25年の頃にこの山(丘?)を切り崩して宅地開発しようとした。現代の大型重機で開発したらこれくらいの規模の山なら山ごと無くなってしまってもオカしくないが、掘ったらいろいろ出てきて学術調査せざるを得なかったとか。
今は抹消登記したが、ジャン妻の父(私の義父)は不動産経営者だった。開発途中の大型物件ではいつも何かが出てこないかの懸念が付いて回るという。土器とか住居跡とかである。そういうのが出て来ると、開発を中断して学術調査に入らなくてはならないそうで。
「出たかぁ。出たのかよぉ」
「出ちゃったんですよ」
事務所でそういう嘆きの会話が飛び交うという。この権現山から何が出土したのかわからないが、30ほどの古墳の集合体になって開発は停止された。
そういう場所なんだ.jpg
地元の人が歩いていた獣道をそのまま拡張したような登山道。10分かからずあっという間に登頂してしまった。麓から100mちょいの短い登山道でしかない。達成感は全く無いがそれでも登山には違いない。
山頂からは伊勢崎の町が見渡せるが、上から見下ろすという感じでもない。如何にこの名前の付く山が低いかわかるというもの。
山頂部1.jpg
山頂にもこんな標識がある。やはりれっきとした山なのである。
海抜91m-2.jpg
群馬県でいちばん低い山だそうな。。。
でもこの山、伊勢崎市が2005年(平成17年)に何処かを吸収合併する前は、市内で最っとも高い山だったというから笑える。合併した地にここより高い山があったらしいのだ。
海抜91m-1.jpg
呟きⅠによく登場したキャラで登山が大好きなキャラ(女性)がいます。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2012-12-19
山に登らないとイライラやストレスが溜まりんだと。昨年から管理職から下りてしまったのだが、40過ぎてから山仲間の男性と入籍した。
山小屋で雑魚寝してるウチに情がウツったのかも(ヘンな意味ではない)。その女性が、
「妙義にノボリマシタ」
「ええっ」
「アブなくなかったですよ」
「妙義ったら上級者コースだろうがよ」
「〇〇さん(私のこと)は群馬の山に登らないんですかぁ?今でも時々群馬に行ってますよねぇ?」
私は群馬へ遊びに行ってんじゃないぞ。
「妙義も榛名も赤城も遠くから見てるだけでいいんだよ。岩櫃山は途中(本丸)まで登ったけどな」
「ああ、サナダですねぇ」
私は山城を見に行ったのであって、登山とも言い難い。登山グッズに身を固めた訳ではないし、日頃のダークスーツ姿に革靴の散策なのだ。
他にも何人か人がいたが本格的な登山装備を着用していた人はひとりもいなかった。(アタリマエである。)地元の人?ご隠居の爺さんばかりだった。
でも、群馬でいちばん低い山に登ったぞ。これって登山??
山頂部3.jpg

祭りの予告.jpg
提灯.jpg
さて、明日明後日は高崎祭りです。
私は多忙で行けないですが、皆さん楽しんでくださいね。
コメント(0)