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戦死屍取始末金銭入用帳 [会津]

安倍政権は昨年、明治維新150年を祝う記念式典を開いたが、会津若松市にとっては平成30年は戊辰150年イベントでした。
でも昨年に限らず、会津に行くと鶴ヶ城でも市内のイベントでもいつも戊辰だし、市内に残る史蹟の説明でも戊辰の恨みを訴えるものが多い。書店に溢れる会津郷土史は中世のものよりも戊辰のものが圧倒的に多いです。行けば、そこに書いてあるものを見ればわかります。
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七日町駅前、阿弥陀寺にある解説です。
「明治元年の戊辰戦争後、会津藩戦死者の遺骸は、西軍の命で放置されたまま、さわることを許されませんでした。
幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのは翌2年2月のことでした。埋葬地は阿弥陀寺と長命寺に限られ、阿弥陀寺には千三百柱にものぼる遺骸が埋葬されました。」

会津贔屓の私ですが最近は戊辰ネタを書いていません。
過去に「会津と土佐」は取り上げたことがありますが、会津と長州は重いので敢えて避けてきたのもあります。きっかけがあったので久々に書きましょうか。
会津藩が長州藩を憎み、会津若松市が萩市に含む150年に亘るわだかまりについては、会津戦争で会津藩の遺骸が新政府軍(西軍)の命で半年もの間放置され埋葬を許されなかった・・・これは会津戦争の史蹟で会津側から必ず語られる内容であり、近代でも会津若松市民が長州を許さないとする最大要因のひとつ、大きい理由で、私のような余所者でもいたたまれない思いをずっと引きずって生きてきました。
私が初めてそれを知ったのは子供の頃読んだ学研マンガにそうあったのです。
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https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-06-29-1
このマンガは今でもジャン実家にあります。監修、発行した学研は現在の株式会社学研ホールディングス。様々な教育雑誌、参考書、辞書や辞典等、教育関係の出版を手掛ける大きい出版社だったが、現在は少子化とネット移行による書店の不況に影響され、様々な連結子会社を持つホールディング会社になっているようです。
このマンガは教育書籍が中心だった時代のものです。小学生だった私の心身形成に良くも悪くも影響を与えました。
一般のマンガではなく、当時は日本PTA全国協議会が推薦した教育マンガだったのです。会津戦争の最後にはこう書いてあった。
「会津領内での戦死者は、長岡藩三百十、米沢藩三百を含めて四千六百五十八人にものぼったが、政府軍はこれを葬ることを許さなかった。」
凄い数ですね。マンガとはいえ学校教材を取り扱っていた学研ですよ。国学院大学名誉教授が監修されたマンガです。「政府軍はこれを葬ることを許さなかった。」・・・ここまで書いてあったら子供心に信じるしかないじゃないですか。
私は幕末~明治にこういう近代戦争があったのを初めて知り、私の会津贔屓の原点にもなったのですが。
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私は会津若松市が山口県萩市を今でも受け入れない逸話の数々をここに列挙するつもりはありません。県外人の私が無責任に双方の感情を煽り、これ以上こじれることを望んでないからです。東日本大震災で山口県萩市から会津若松市へ義援金や救援物資が送られ、支援のお礼に若松市長が萩市を訪れた時、雪解けとまでいかないまでも「扉が開いたかな?」と思ったものですが・・・。
現在でも和解、友好には慎重な姿勢を崩していないようですね。
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阿弥陀寺、この前の道はいつもくるまで走っているのですが、いつでも行けると思ってたので素通りでした。今回初めて行きました。
新選組、齋藤一の墓前です。
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蝦夷で徹底抗戦して戦死した土方歳三は会津を去ったのですが、齋藤は会津に残った。
「アナタだったら残るよね」
珍しくジャン妻はそう言ってくれました。
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この寺や他の寺でもそうですが、境内に1300も遺体が埋葬できるものなのかと思ったりもする。誰が埋葬したのか。半年も経っているし、タイヘンな作業だったでしょう。
昨年の戊辰150周年記念事業でも取り上げられた内容だそうですが、その前年、平成29年に刊行された書籍について。
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カバーを撒いてある帯にありますね。
「会津藩士は埋葬されていた」
「虚構だった埋葬禁止令!新発見史料で今明かされる真実」
「戦死屍取始末金銭入用帳」
会津藩降伏十日後の詳細な埋葬記録
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著者は会津郷土史家で会津図書館の元館長さんだった人。著書によると「戦死屍取始末金銭入用帳」は、会津藩士藤沢内蔵丞(クラノジョウ)家に所蔵されていた文書を、鶴ヶ城に寄贈された史料だそうです。
購入して読みました。「会津藩士の遺骸が埋葬を許されず、半年もの間放置された・・・」これを覆す内容になっていました。京都守護職時代や会津戦争に頁を割くことなく、会津戦争の戦後から始まっています。

会津藩が降伏、鶴ヶ城が開場したのが明治元年(1868年)9月22日。
10月1日には新政府軍の占領地支配の中枢たる「民政局」が設けられ、翌2日にその民生局から鶴ヶ城郭内に放置された戦死者の遺骸を埋葬する通達が出され、3日から作業が始まり、4名の会津藩士が3組に分かれて遺骸捜索と埋葬を担当した。(藩士姓名も記されています。)
捜索範囲は鶴ヶ城郭内、郭外、滝沢峠、戸ノ口原、一ノ堰といった城外戦場も含まれた。

入用帳には遺骸発見場所、個々の服装、埋葬場所、人数、経費明細が記され、姓名確認ができた遺骸の中には、綾瀬はるかさんが演じた八重さんのお父さん、山本権八の記述があり、これは私もUpした一ノ堰戦場での探索で見つかった。
一ノ堰付近では白虎寄合隊の記述もあるようです。

「八人申シ合ワセ一同切腹致シ候トと相聞ク」
これは飯盛山で自決した白虎隊士と思われる記載かと。
「白虎年齢戸ノ口原街道北」
戸ノ口原に行くと街道沿いに戦死者の墓が幾つかあるが、それのどれかだろうか。
郭内で発見されたもの103名、興徳寺境内の七か所。その中には西郷頼母邸で自刃した婦女子7人も。
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遺骸は発見された場所近くの寺他、64か所に埋葬され、3組別に184名埋葬、227名埋葬、134名埋葬、計545名、別に22名埋葬され、計567名。
埋葬経費は74両余りで、一両を6万円として換算すると450万円近くになるとか。
身元を確認する為に記録したのだと思いますが、洋装も多かったそうです。埋葬作業は7日~15日まで3組に分かれて行われ、人足はのべ384名、日当は二朱だったという。

発見場所と埋葬場所には「甲賀町」もありました。明日UPする「麦とろ」のある場所は甲賀町口門の石垣を入ってすぐの場所で、もとは城外一ノ堰で戦った白虎寄合隊他諸隊の上席だった家老、上田学太夫の屋敷跡です。麦とろのオヤジさんは、
「ここは激戦地だった。今でも何百人が眠ってんだ」
何百人は誇大でもオヤジさんの言ったことを裏付ける内容であった。

阿弥陀寺については「阿弥陀寺への改葬」とある。埋葬ではなく改葬だと。
「会藩ノ戦死者ハ其戦死ノ場所毎ニ最寄々々ニ埋葬セシガ之ヲ合葬セント出願シ」
この改葬理由については、要は遺骸発見場所に取り敢えず埋葬したら後々悲惨な状況になったということかだろうか。なるべく同じ場所にしっかり纏めて改葬しようとしたのでしょうか。
だが改葬許可はなかなか下りず、ここ阿弥陀寺への改葬が認められたのは翌年2月24日で、3月9日から鶴ヶ城内の遺骸発掘が始まったという。それは酷い状況だったと想像されます。
身元が特定された場合は自家の菩提寺に葬られ、身元確認できない遺骸が阿弥陀寺に運びこまれた。
開城後、およそ半年後のことである。
1281体が阿弥陀寺に運び込まれ、改葬が終了したのが4月22日。
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書はその後、藩士家族による改葬、長命寺への埋葬、明治になってからの祭祀、17回忌、23回忌、33回忌、会津弔議会、戊辰50年大祭、70年大祭、飯盛山の白虎墓地拡張、そして長州藩への怨念の検証に至り、史料掲載へ続きます。
その途中、怨念の検証の中で阿弥陀寺他にある「会津藩戦死者の遺骸は西軍の命で放置され触ることを許されず」・・・についてですが。
会津ものでよく知られている町野主水という人っが語った内容に、
「官命ハ彼我ノ戦死者一切ニ対シテ決シテ何等ノ処置ヲモ為ス可カラズ、若シ之ヲ敢エテ為ス者アレバ厳罰スト云フニアリキ。サレバ誰アリテ之レガ埋葬ヲナス者ナク、死屍ハ皆狐狸鳶鳥ノ意ニ任セ、或ハ腐敗スルノ悲惨ヲ極メザル可ラザルナリ」
これについても検証されていますがそれは本書をご覧になってください。彼我ノ戦死者、これがポイントです。
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半年後に埋葬ではなく、半年後に改装、埋葬されていた・・・。
会津史観に対して一石以上のものを投げかけた著書だと思います。
この著書について異論が出たかどうか現時点では聞いていませんが、会津若松市と萩市がすぐに関係良くなるとも思えないのです。朝敵、賊軍にされて攻め込まれ、城内外で様々な悲劇が起きたのは事実なのだから、まだまだ時間はかかるでしょう。
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2019年3月25日追記。リンク貼っておきます。
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201811/20181118_63035.html
2019年6月15日追記。
白虎隊士の墓や狛犬の上に乗っかって写真を撮った輩がいるのですか?
それも写真を撮ったのは教師だというじゃないですか。不届き者め。
昨今の若者にどういう教育をしてるのか。泉下の隊士は現代の教育を嘆いているだろう。そんな輩は飯盛山はおろか何処へ行っても社会に受け入れられないぞ。
で、そのニュースですが。やはり「朝敵として放置された遺体・・・」という表現が使われていた。報道内容はマナー違反問題なのだから、そこまでテロップ流さなくてもいいと思うのですが。
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七日町駅Cafe [会津]

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さて、浅草方面の座席指定が殆ど取れなかったので、会津若松~郡山経由で帰京することにしたのですが、蕎麦宿の朝餉を済ませてチェックアウトする前にジャン妻が呟くように言うには、
「出る前は蕎麦茶でガマンして・・・」
「???」
「珈琲は会津で飲めばいいか・・・」
「・・・」
珈琲は会津?ここも会津ですけど。
ジャン妻は珈琲が無いとダメなオンナで、朝必ず飲むし、勤務中も1日に4杯飲んでるようです。休日も朝と昼に2回必ず飲みます。
私は珈琲なんか無くても生きていけるけど、ジャン妻はそういう人じゃないらしい。
でも蕎麦宿には珈琲は無いのです。湯野上温泉駅舎で珈琲売ってるけど、駅舎の中が囲炉裏の煙でケムいのだよ。
「会津若松にはカフェがあるよね?」
「若松よりも七日町にあるんじゃないかな」
若松寄りよりもひとつ手前の駅、七日町通りに幾つかあるのを知っています。散策している観光客対象ですよ。七日町通りは恋人どうしや女性客が意外といるのです。

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若松駅に下りてから、
「荷物はコインロッカーに入れるわよ」
珈琲を飲みたいっていうからひとつ手前の七日町駅で下りて、齋藤一さんのお墓がある阿弥陀寺でも初訪問しようかと思ったのに。
七日町駅は駅カフェがあるけど駅構内は無人駅だぜ。コインロッカーなんかないよ。
それに昼前後に麦とろで昼酒飲むんでしょ。その前に珈琲なんか飲んで興を削がないかな。
駅のコインロッカーに荷物をブチ込んで、
「ここから歩けるの?」
「いや~、ちょっとキツいな・・・」
駅前で客待ちしているタクシーで「七日町の阿弥陀寺へ・・・」
「阿弥陀寺ね」
アミダジって言いましたね。そこまでワンメーターです。私ひとりだったら歩いてる距離。
阿弥陀寺関連はテーマが重いので明日の別記事にします。これが七日町駅。ナノカマチですがナヌカマチエキなのです。
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レトロなのに新しい感じがする七日町駅には周遊バス「ハイカラさん」も乗り入れます。無人駅で荒れてたのを地元が修復して今のカタチにキレイにした。
駅舎に入るとCafeがあります。
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こういうデザイン、内装を大正浪漫調というんだろうか。
会津若松は意外とハイカラな面があり、特に七日町通り~野口英世通りはレオ氏郷何番館のようなレトロな洋風調の建物と、昔ながらの街道筋をモチーフした店が混在しているのです。若松駅前より人が多いですよ。
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Cafeに入ってみる。
駅舎なんだけど、駅の待合より土産物の物販店ですな。アンテナショップ&カフェです。
女性店員さんが2人いた。2人とも会津美人。年長者の方は愛想がいいけど、もうひとりの若い方は自分の手作業に集中して客を見ようとしない。会津は女性も寡黙なのか。
でもうるさく寄って来られるよりいいです。
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美味しそうなカレーですね。
でもこういうのを買って帰っても置いといてそのまま忘れてしまいがちになるんだよね。
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こづゆか。これを買ってったら麦とろの旦那は目を吊り上げるだろうな。ホタテ貝柱で1日かけて出汁を取るから。
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ああ、こういう史料もあるのね。くるまだったら買ってたかも。
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駅娘に猫駅長か。芦ノ牧温泉駅の猫駅長は現在は2代目です。助役さんもいて2匹いるはず。
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来たんだから珈琲付き合いますよ。私のカテゴリに甘味系、スイーツは無いです。ジャン妻はケーキセットに目が釘付けになった。
「オイオイオイオイ、これから麦とろで昼酒するんだろ?」
「アナタは珈琲だけでいいわよ」
自分だけセットをオーダーしてこんなものを。
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何ですかこれ?シフォンケーキに生クリーム?
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水出し珈琲です。濃くてやや苦い珈琲だった。
私には多いな。2/3だけ飲んで残りはジャン妻にあげちゃった。
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確かに落ち着くね。
そう思うのは普段喫茶店なんかに入らないからだな。
都心は喫茶店なんかとっくに廃れて、駅カフェどころかコンビニのイートインに押されてるからね。
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七日町は七日に市が開かれた町の駅で開業は昭和9年(1934年)国鉄会津線の駅だった。昭和62年の国鉄民営化でJR東日本が引き継いだのだ。
意外に思われるかもですが会津鉄道の起点は西若松駅です。会津若松駅じゃないのだ。会津若松駅~七日町駅~西若松駅はJR只見線なんですよ。乗り入れているだけです。
只見線と会津鉄道が停車するから列車本数が最も多い駅でもあります・・・の筈ですが、店内の窓から見える駅ホームに電車は来なかったね。まぁ1時間に1本ぐらいだからな。
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Cafeに店員さんはいるけど無人駅です。もう時効だから書いちゃいますが、15年以上前に七日町駅近くの何てホテルだったかなぁ。中町フジグランドホテルだったかなぁ。そこに泊まった時、郡山から磐越西線で会津若松駅まで来て、若松駅からタクシー拾わないで会津鉄道に乗り換えて七日町駅で下りたら車内で検札もなく、駅も無人で、七日町駅改札からそのまま出ちゃったことがあるのですよ。
「そんなこと気にしてるの?」
「うん。ず~っと気になってた」
「意外とそういうところマジメだねぇ」
「今この店にそれを言って支払っても困惑するだろうしな」
もう15年以上前の話ですよ。これから昼酒を飲みに行く麦とろに通い始めた頃だった。麦とろの旦那にこの話をしたら「別にいいんでねぇけ?」と笑ってたけどね。
この後、阿弥陀寺他、鶴ヶ城を北出丸から見ただけ。西郷邸、甲賀町口門ルートを歩いたのですが、明日はこれまでカテゴリ会津で触れなかったネタです。
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まぼろしの駅 [会津]

浅草方面の特急座席が上手く取れなかったので帰京ルートを変更しました。会津若松方面を利用して、麦とろで昼酒の後、磐越西線、郡山から東北新幹線で帰京します。
なのでいつもとは逆ルート。
チェックアウトも20分ほど余裕があります。
駅舎内が囲炉裏の煙で煙いので、発着時間ちょい前まで外にいて、湯野上温泉駅構内を渡るところ。
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バラスト(砂利)が新しくなっていた。そこだけ白いぞ。
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駅構内だけ取り換えたか。この工事は昨年のお盆に泊まった時、深夜から未明にかけて大川鉄橋の枕木を交換していた仙建工業株式会社の施工に違いない。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-08-22-1
「裏手の踏切からサーチライト照らして起こしてくれてからによ」
別に根に持ってるんじゃないよ。
「夜中に工事している人に文句言ったんだよね?」
「ああいう連中はクレーム馴れしてるんだよ」
私は翌朝も起こされ「民宿ひらのやの前に架かっているガーダー橋のボロい枕木を変えろよ。あの枕木が破損して運休になったら困るんだよ」と難癖をつけている。穏やかにね。
「今年のお盆の頃にもう1回工事するって言ってたぜ」
「またかち合うかしら。でももうあの渋滞は避けようね」
渋滞を避けどころか、この後の会津若松~郡山~新幹線での帰京ルートが、麦とろで昼酒飲んだのもあって快適だったので「次もくるまで来ないで電車で来ようか」と考えている。
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2両編成の会津若松行車内です。
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門田駅を出たところ。
それまでずっと大人しく座ってたのですが、あるネタを思い出して席を立った。
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写真のこの辺りに、割と近年に臨時駅が設置されたことがあるのです。一ノ堰六地蔵尊駅といった。
(いちのせきろくじぞうそんえき)
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写真に写っている御堂を萩野原六地蔵尊というのですが、この辺りを一ノ堰ともいう。城外戦場です。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-07-24
ⅡでUpした記事で、城外で補給路を確保する命を受けて鶴ヶ城に入場することを許されなかった白虎寄合隊他、諸隊が一ノ堰で新政府軍を撃退した戦闘に触れましたが、記事途中のMAPに一ノ堰六地蔵尊駅(臨時)があります。
この臨時駅は六地蔵尊で開催された「一ノ堰盆踊り祭り」の参拝客を集客する目的で設けられた。初回は六地蔵尊駅として平成21年(2009年)8月23日開業(敢えて開業と表現します)24日に営業終了した僅か2日間だけの臨時駅として開業した。列車4往復が停車して、盆踊りという性格上、停車したのは午後か夕方、夜にかけてだと思います。
翌25日に廃止されたが、翌年の平成23年に今度は一ノ堰六地蔵尊駅として再度開業し、やはり8月23日と24日に7往復が停車したそうです。
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一ノ堰六地蔵尊駅はどの辺りにあったのか。門田駅を出てからGoogleMapを見ながら、軌道に接する農道の数や幅をカウント、照らし合わせながら斜め前方を見ていた。

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この辺りの空きスペースが駅跡かな。
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ホームは鉄パープに板を組んだ簡易的なホームだったみたいだ。側溝を跨いで作られていたのでしょう。
なので痕跡は無い。無くて当然ですな。
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その後も一ノ堰六地蔵尊駅は、平成25年(2013年)まで例年23日開業、24日営業終了、25日に廃止のパターンを繰り返していた。ⅡでUpした時は2013年だから現時点で最後の駅開業だったわけです。
開業期間が短いとはいえ正規の駅です。舟子駅のようなヤミ駅ではないです。舟子駅って何だって?現在の大川ダム公園駅のもとの名前ですよ。
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一ノ堰から逸れますが。現在の会津鉄道は湯野上温泉駅を出ると大川ダム湖の右岸を走り、芦ノ牧温泉南、大川ダム公園と駅が続きますが、その沿線は殆どがトンネルなのは大川ダム建設に伴い昭和55年に付け替えられた新線だからです。
国鉄時代の旧会津線が昭和63年(1987年)に会津鉄道に転換され、駅名も湯野上→湯野上温泉、桑原→芦ノ牧温泉南、舟子→大川ダム公園、上三寄→芦ノ牧温泉と変わった。
舟子は時刻表にも載っていないヤミ駅だった。民営化するまで一度も時刻表に載らなかったという。無許可のまま乗降客や貨物取扱を行っていたという。
現在はすべて国土交通省鉄道局への届出で開業が可能らしいが、国鉄時代は建設省鉄道局の認可が必要だった。認可されるということは届出ではなく申請です。届け出たらOKではなく審査を要する。旧国鉄時代なら申請~審査~現地視察~認可まで時間を要するでしょう。一ノ堰六地蔵尊駅はヤミ駅ではないです。僅か2日間の開業なので旧国鉄時代だったらヤミ駅でやったらいい。

すみませんYouTubeから拝借しました。
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一ノ堰六地蔵尊駅は門田駅と南若松駅のほぼ中間にある。118号線からやや離れているし、近隣の建物もそう多くはない。次駅の南若松から工場や住宅が増えるので、この地に常時駅を置いても利用客がどれほどいるかといったところでしょうか。
平成26年以降、駅は設置されていません。ですが一ノ堰は会津戦争の城外激戦地です。戦死者はここから南若松寄りの光明寺に埋葬されていますが、明後日取り上げる記事では戦死者の捜索範囲に一ノ堰も出てきます。盆踊りは毎年開催されていますが、若松市中心部で戊辰150年イベントを開催するだけでなく、一ノ堰や熊倉、南会津戦線といった城外、郊外での激戦地でもイベントを開催すればいいと思うのだが・・・。
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父御のカオ [会津]

夜が明けました。
いつも正面に見える又見山の峰々。
いつ来ても変わらない山の姿は太古の頃からこのままの風景だと思います。
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又見山は宿から見た正面は急傾斜で到底登れそうにないが、川向うの旧道にある町民体育館から登山口があるそうです。
そこから登った方の登山レポ(山レポ)を見たら熊も出るそうで。会津の山に熊が出ない山なんて無いと思うけど。湯野上や下郷にも下りてきたりするのだろうか。
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外に出てみます。宿はまだ眠りの中。
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会津田島方面から来た始発の次のガッタンゴー。
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恵明庵に戻って朝湯へ。各部屋に付いています。
先日お会いしたBloggerさんと旦那さんにもお話したのですが、この蕎麦宿は私らが最初に検索して泊まった個人の温泉宿です。料理もそうですが最初が良過ぎたというか。
各部屋に風呂が付いているのってやはりいいです。誰に気兼ねしなくてもいいし。
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湯上り、朝餉とほぼ同時のガッタンゴー
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朝8時きっかりに「これぞ日本の朝餉でござる」 ← モノノフ氏 
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今日はけんちん汁、根菜たくさんの汁ものが嬉しい。
山国会津で味噌汁の具がワカメだとやや興冷めするし、打ち豆や蕎麦がきもあまり好きでないし。
いい味ですなぁ。
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鱒の塩焼と鯖の薄味噌煮、山間の宿で魚が2種ある贅沢さ。
添えられたワサビ漬けも何気に美味しかったりして。
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温泉玉子、前は自分とこで飼っている鶏の玉子でしたが今でもそうなのかな。
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デザートがヘンだな。
「このデザートは何?」
「寒天で固めた中に果物が入ってるんだそうです」(若、次男)
だそうです、ということは若の作品ではないらしい。
「長男さんかな」
「大旦那??」
そこで閃いた。昨夜、深更に厨房で大旦那がひとり調理して館内に漂った甘い香りの正体はこの寒天を煮詰めてる香りだったのだろうか?
寒天と砂糖を煮て固めてたとか?
深更の試作品なのに申し訳ないですが、私にはちょっと・・・。
いつものミカン、メロンに戻してくださいよ~。
「アナタこういうの食べないもんね」(ジャン妻)
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出る時に見た松月庵。25年前に初めて泊まった時の部屋。
天井が吹き抜けでなくなり普通の天井になっちゃった。宿のHPで「吹き抜けの天井格子は昔の矢を利用した趣のある佇まいの和洋室です」・・・だったのがそうでなくなっちゃった。
大きい囲炉裏も撤去され、椅子席、テーブルになった。
次回の予約を入れて、
「10時20何分の若松方面に乗るので駅まで送ってくれる?」
「あ、ハイ、ちょうどそこに・・・」(若)
そこに?そしたら引戸がサッと開いて
「ハイどーも」
大旦那が登場しました。
「くるまで来なかったんですか?」
言うと思ったよ。
「雪が残ってると思ったんで」
「今年は雪全然降らなかったんです。除雪車も2回ぐらいしか出なかったんじゃないかなぁ」
そして大旦那の運転で駅へ。
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ジャン妻が私に向かって目配せした。戻って来た若(次男)のこと聞いてくれって。
「次男さん戻られたんですね」
「いやぁ戻って来たっていうか・・・」
磊落に話す大旦那はいつもながら主語が無いので、若(次男さん)が戻って来た経緯がイマイチよくわからないのだが。
「孫が大ぎぐなっでぇ、保育所に預けるには他で働いてないといげないがらぁ、世話する者が家にいると預かってくれないんです」とか何とか言っておったよ。
それが戻って来た理由?
「じゃぁ宿は今後、兄弟2人で」
「でも今はそれほど混む時期じゃないんで。増えてるのは外人さんだけです。中国、韓国、台湾・・・。みんな若松市内のホテルや東山とかに泊まって朝こっちに来るんです」
「大内宿へ行くとか?」
「そうです。駅から大内までバスかタクシーで。そんでもってここからまたどこかへ行っちゃうんですよ。湯野上は素通り。」
外人観光客は湯野上の宿に泊まらないみたいですね。湯野上駅には外国人客がいる時があるが、蕎麦宿や民宿街で会ったことがないしね。
こっちは若が戻って来たことを喜びたいが、大旦那が宿の経営者として言うには今後のことはまだわからないようだ。
でも話している合間に父親の顔というか、安堵した表情も垣間見えたよ。
「よかったじゃないですか戻ってきて」
「よかったっていうか・・・(個人家庭の内容なので割愛)・・・長男もそうだけど次男も〇〇歳だし、少しは親のことも考えて貰わないとぉ~」
そう言いながら顔は笑ってました。なので「この宿は私一代で終わりですよ」は取り敢えずは回避されたと慶んでいいのではないか。
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深更 甘い香りの謎 [会津]

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蕎麦懐石を持って来たのは若(次男)でした。長男さんよりは私らに馴染んでいるからだと思う。
向こうで長男さんの「失礼しまぁす」の声も聞こえたから、兄弟2人して各部屋に運んでる。
大旦那と女将さんは現れなかったのだ・・・。
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料理の載った皿が定位置に並べられたところ。
小鉢の数々、大根漬物のタコ足切り、蕎麦と山芋、青物とシメジの和え物、ウドに何とかソースをかけたもの、蕎麦豆腐、
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そして薄切りの馬刺。
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「明日、麦とろで馬刺食べるんだんよね」(ジャン妻)
「くるまじゃないしそのつもりだけど。昼に出るかな」
「大丈夫でしょう。あるよ」
この時点でもう明日の昼呑みのことを考えている私ら。
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蕎麦粥、ササミが入っていた。前はほぐした鮭の身だった。
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蕎麦サラダ2.jpg
蕎麦サラダ3.jpg
蕎麦サラダ4.jpg
蕎麦サラダ5小生.jpg
最初の乾杯から瓶ビールと冷や酒をオーダーしたのですが、蕎麦サラダには生ビールが合うのだよ。だけど今日の蕎麦サラダは・・・
「マヨネーズが足りないな」
「・・・」
「若に言ってもう少し持ってきてもらおうかな」
「!!!」 ← 眉間に縦皺が刻まれるジャン妻
「そっちの少しくれ」
「ダメッ!!」
「でも確かにいつもより少ないね。いいの。そのままで食べなさい」
蕎麦サラダ6和え蕎麦1.jpg
和え蕎麦になったところ。やっぱマヨネーズが足りないな~。
蕎麦サラダ7和え蕎麦2.jpg
蕎麦サラダ8和え蕎麦3.jpg
イワナ1.jpg
イワナ2.jpg
「オモシロい形のお皿だね」(ジャン妻)
私はアタマから尻尾まで全部食べてしまった。
ジャン妻は箸で岩魚を突っついて身だけ食べて、アタマと尻尾と皮と骨は残すんですよ。もったいないことだ。
「皮と尻尾くれ」
「ダメッ」
イワナ3.jpg

揚げ蕎麦1.jpg
フキノトウ
揚げ蕎麦2フキノトウ.jpg
海老、フリッターみたいだ。
揚げ蕎麦3海老.jpg
海苔で巻いた蕎麦
揚げ蕎麦4海苔巻蕎麦.jpg
スライスしたレンコンに蕎麦粉を詰めたもの。
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潰した里芋に蕎麦実を塗して揚げたもの。
揚げ蕎麦6里芋に蕎麦実を塗したもの.jpg
蕎麦稲荷とイチゴ。
蕎麦稲荷1.jpg
蕎麦稲荷2.jpg
蕎麦稲荷3.jpg

蕎麦1.jpg
〆の盛りそば。普通盛りです。
蕎麦2.jpg
蕎麦3.jpg
これで一次会の夕餉が終わって、時計を見たら、
「まだ7時半じゃないの」
そして二次会の寝酒、取り置きしてある大根の漬物で。
お酒は何だったかな.jpg
夜のガッタンゴー
夜ガ1.jpg
夜ガ2.jpg
夜ガ3.jpg
夜ガ4.jpg
夜ガ5.jpg
夜ガ6.jpg
夜ガ7.jpg
寒いので外散策は無し。
寝るの早過ぎです。いつもはまだ起きている刻限。下手したらまだ社で仕事してる頃合いですが。21時を過ぎた頃だったと思う。何か匂うのです。油に混じった甘い香りがする。
2階のベッドで横になっていたジャン妻も気付いた。
「何か匂うね」
「料理の匂いのような・・・。何だろう?ちょっと見て来る」
階下に下りて廊下に出てみた。確かにいい匂いがするのです。煮物のような。
廊下1.jpg
廊下2.jpg
厨房に灯が点いている。だが洗い物の音もしないのです。
廊下3.jpg
隙間から覗いたら大旦那がいた。
手に小鍋を持っていた。その手先をじーっと見ているのです。
おそらく料理の試作ですね。
でも換気扇を回してないようで、廊下や部屋にまで匂いが漂ってきてるんですよ。
踵を返した。あ、血圧計があるぞ。(笑)
血圧計?.jpg
「厨房に大旦那がいてさ」
「???」
「何か料理の試作みたいなことをしてた。じーっと手許を見てた。その匂いだよ」
「声かけたの?」
「目が真剣でかけられなかった」
「でもこの部屋まで」
私らがいる恵明庵は曲がり家の最奥です。そこの2階まで漂ってくるぐらいなら、厨房に近い松月、長寿、更級にも香りが漂ってる筈だよな。
「何か新作を思いついて寝静まった頃合いに母屋から来たんだろ」
「えぇ~、こんな時間に?」
「若(次男)が戻って兄弟2人になったから大旦那の居場所が無くなったんじゃねぇのか?まだまだ若い者に負けてなるものかと新作にTRYしてたのかも知れないぞ」
「・・・」
「いるならカオ出せばいいのに」
戻ってよかったですねぇ、これで楽になれますねぇって言いたくって仕方がない私です。

夜の恵明の湯、酒が入っているので首筋に何杯もお湯をかけてから入った。
夜風呂1.jpg

寝る2.jpg
寝る3.jpg
「そういえば廊下に血圧計が置いてあったな」
「血圧計?」
「測る人いるのかな」
「最初の頃からの常連さんもいいトシになっただろうからねぇ。旦那さんも・・・」
いつの間にか厨房の灯は消え、料理の甘い香りも薄くなり、翌朝には消えていた。
大旦那、本当は何をしてたのだろうか。
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兄弟揃い踏み [会津]

踏切脇のW酒店で酒をオーダーします。一升瓶6本で。
「ツケは無かったよな」
「無いわよっ」
酒店.jpg
蕎麦宿へ歩きます。
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宿入りするところ。
宿入り3.jpg
宿入り5.jpg
宿入り6.jpg
宿入り7.jpg
私はこんな写真を撮ってたので宿に入るのが数秒遅れたのですが、先に入ったジャン妻から「あれぇ?」素っ頓狂な嬌声が聞こえた。
後から入ったら出迎えてくれたのは不在だった若(次男)だったのである。
「ども。お久しぶりです」
黙っていなくなって2年か。大旦那は「そろそろ引退しようと思ってたやさきに」と言ってたし、別の日には「ウチは私で終わりですよ」と言い放たれたこともあったな。
女将さんに話を振っても「さぁ。どうなんでしょ」と寂しそうだったし。
これだけの施設があって、繰り返し来られる常連客がいて、客が高齢化したからベッドと椅子テーブルにして、修繕費も相当かかって、親子二代で来る客も増えたというのに「一代で終わりですよ」なんて言うからなんてぇもったいないことを。もし自分らにしがらみが無ければ継いでみたいと思ってたんだよ。
若(次男)が出てってからしばらくして長男さんが現れ、ついには蕎麦を打ち、料理を担当するまでにった。どっかで2人が「継ぎます」ってなればいいのになってずっと思ってたんだ。
若の後姿1.jpg
恵明庵にスタスタと歩いていく若(次男)の後姿。
途中、更級庵を通り過ぎながら、
「いない間にウチら、洋室(恵明庵)に鞍替えしちゃったんですよ。何しろあったかいし、静かだから」
「床暖房ですからねぇ」
相変わらず口数少ないし、必要最低限のことしか返って来ないけどね。
「いつから戻ったん?」
「1月から戻ってきました」
「じゃぁ兄貴が出てったとか?」
「いえ、今、蕎麦を打ってます」
「きょうでぇ(兄弟)2人で」
「笑・・・」
笑ってごまかしたなっ。
「わかった。まぁ敢えて深くは聞きますまい。でもよかった」
「笑、じゃぁ食事は18時に」
若の後姿2.jpg

2階からガッタンゴーを撮る。
この時期は草木の葉が落ちて枝だけになるので、よく見えるのです。
速度を落ちとして走るのは蕎麦宿を乗客に見せる為だろうか。ゆっくり走るから写真が撮り易い。
二階からガ2.jpg
二階からガ3.jpg
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田1.jpg
田2.jpg
外に出てみる。
何だかニンマリしてる自分がいる。そうかそうか戻ったか。宿は兄弟2人で営るのかな。
後継者不在の危機は去ったと見ていいのだろうかね。
踏切からガッタンゴー。
踏切ガ1.jpg
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蕎麦宿も子の時代になったのかな。
そうなったらからには大旦那に「よかったですねぇ」と声を大にして言いたいのだが、こういう時に限って大旦那も女将さんも不在とはな。息子さん2人に任せてどっか行っちゃったんだろうか。
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宿に戻って廊下を歩く。
平成7年か8年頃、今のようにネットの無い時代、東北の民宿ガイドでこの宿を初めて知った。最初に泊まったのが厨房隣の松月庵、大部屋なのに2人で泊まった。イワナの刺身他、出てくる料理全てに感動したものだよ。
今は天井が低くなったらしいな。
松月庵.jpg
一度も泊まったことがないけど長寿庵。
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更級庵.jpg
長年お世話になった更級庵は現在では唯一、畳に布団を敷く部屋。他はベッドに椅子テーブルに変わった。
「介護ってわけじゃないけど。お客さんもトシを取ったんで」と大旦那は言っていた。
「ここんとこすっかろ更級に不義理してからに」
「腰に来るんだよな」
こっちもトシをとったのだ。

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ここ2~3年になってから気にいって利用し続けている洋室の恵明庵は、2階がベット寝室のメゾネットスタイルです。床暖房でエアコン要らず。奥にあるのでトテモ静かなのだ。
恵明庵は前は小さいながらも唯一の露天風呂だったのですが、雨降るとアタマが濡れるので(アタリマエだが)内湯に改装された。
他、東日本大震災時に床暖房が洩れたり、そのせいで2階を支える丸い柱の基が腐ったり、檜の浴槽が傷んだりしって、4部屋で最も修繕費がかかっているという。
だから4部屋の中では基本料金が若干高いのです。
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前の山々の風景。時間を変えて撮ってみた。
同じ山だが、時間によって色合いが変ってくる。
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恵明の湯に入り直します。
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改めて宿を見る.jpg
ジャン妻は読書中でした。何を読んでるのか見たら、例によって「そんな難しい本、宿で読むなよ」の類です。
私は若(次男)が戻って来た興奮がなかなか鎮まらなかった。その一方で長男さんのことも気になる。シフト管理じゃないけど常時2名必要かなぁ、なんて思ったりする。職業病だなこれは。
少し寝ました。目覚めたらもう夕餉の時間・・・。
いつも変わらぬ蕎麦懐石がやって来る。持ってくるのは兄弟どちらだろうか。
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雪が無いぞ [会津]

東武特急の特急券(座席指定券)は1ヶ月前から発売されます。
浅草駅の窓口で11:00発特急リバティの特急券(座席指定券)乗車券を購入しながらイヤミを言ってしまった。
「下今市辺りから普通の乗客がドーッと乗って来んのか?」
「ええ・・・。乗ってくるかもしれないですねぇ」
サラッと受け流そうとしたからもうひとこと言ってしまったよ。
「あれじゃぁ全然特急って感じがしねぇんだよな」
「・・・」
係員は黙ってしまった。
2年前から登場した特急リバティを含めて、現在東武鉄道の特急列車は一部区間で特急料金が不要、それ無しで、普通乗車料金だけで特急に乗れる区間があるのです。

11:00発なので、隣接する地下食品売り場で弁当とアテと酒を買い込んだ。
これが1時間早い10:00発だとまだ店が開いてないし、湯野上に1時間早く着いてしまうので、今がちょうどいい時間帯ではあるのだが・・・。
地下食品売り場1.jpg
私はいつもの崎陽軒です。幕ノ内弁当と蕎麦宿への手土産に桜デザインのシウマイ30個入り。
いつも同じだから別に浅草で買い込まなくてもいいんだけど。
「お弁当はお一人様でよろしいですか?」
「???」
ああ、ジャン妻の分か。
「この人は他でいろいろ選んで買うんだよ。私みてぇにいつでも何処でもこれ(シウマイ弁当)しか喰わないバカとは違うんだってよ」
「そ、そんなことないですおよぉ」
その場を立ち去ってから、
「ったく、お店の子になんてことを言うのっ」(ジャン妻)
「・・・」
「反応に困ってたじゃないっ」
「・・・」
地下食品売り場3.jpg
地下食品売り場9.jpg
ジャン妻がイロイロ物色しているところ。
「あまり買い過ぎんなよ。湯神の食事が入らなくなる」
「・・・」
「あ、コロッケなんか買ってる・・・。(家ではぜんぜん揚げ物をしてくれないのに)←心の声」
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これだけ種類があると、何も崎陽軒の弁当じゃなくてもいいかなって気がしてきた。
リバティに乗車します。
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浅草駅は車両とホームに隙間がある。急カーヴで曲がって隅田川を渡るからです。
ホームの隙間.jpg
リバティは会津田島行です。非電化区間の会津田島で乗り換えるのは仕方がないが、鬼怒川温泉で乗り換える時代は遠く去った。
会津田島行.jpg
並べたところ。私の弁当とアテたち。
すぐさま食べようとしたら、
「電車が発車するまで待ちなさい!!」
焼きそば、細くて麺がボソボソしてイマイチだったな。
私のお昼1.jpg
私のお昼2.jpg
私のお昼3.jpg
ジャン妻のチョイス。よう買い込んだな。笹で巻いた寿司まで買い込んでからに。
ローストビーフサラダは美味しかったよ。
ジャン妻のお昼1.jpg
ジャン妻のお昼2.jpg
残りものをくかき集めたところ。
掻き集めたとこ.jpg
写ってないだけで、350mm缶ビール2本と、ワンカップ酒を飲みました。

しばし寝ます。爆睡でもないけどうたた寝。
目が覚めたら下今市駅で、車内がこんな状況に。
下今市~鬼怒川温泉間.jpg
こうなる前に私はWC済ませています。この通路に立っている乗客たちは途中の下今市から乗って来た客です。下今市~東武日光線~会津田島、この区間は普通乗車券のみで乗ることができるのだ。 例えば下今市から会津高原尾瀬口まで乗車とかね。
区間を越えたら特急券が必要ですが、今言った区間内の乗車は席が空いてれば座っていいのです。車内アナウンスは「席の指定は行いません」だったかな。もちろん特急券(座席指定券)を持った客が優先されるし「特急券をお持ちのお客様に替わっていただきます」というアナウンスも流れたがそれって当たり前だろうがよ。
普通乗車券の乗客でも席が空いてれば座っていいというのは、空いてる席かどうか常に気にしたり、お年寄りが空いてる席に座ってもWCから戻ってきた座席指定客が退かせたり、そういう落ち着かない光景が実際あるんですよ。WCにも行けないし、ワゴンサービスも動けないです。
前にもこのネタを取り上げましたが、
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-03-04-1
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-02-27
加えて下今市から龍王峡までは線形がクネクネ曲がっているので速度が遅いこと。特急のクセにひと駅ひと駅律儀に停車していくから特急だけど普通列車みたいになってしまう。こんなに落ち着かない特急って他にないんじゃないかな。
沿線風景1.jpg
車内が熱くなってきた。陽射しもそうだが、車内混んでるからです。空調はどうなっているんだ?
あ、これか。この穴の列がそうです。閉まっています。
エアコン吹出口11.jpg
穴を開けました。窓を伝って冷房か外の風が流れたので幾分涼しくなった。
エアコン吹出口12.jpg
自分たちは浅草~会津田島までの特急料金を払って乗車している。下今市から途中乗車してきた乗客は普通乗車券だけです。彼らは席の指定、保証はないです。
浅草を出た時のアナウンスを思い出した。
「本日全ての座席は満席です」
だから彼らは通路に立つしかないわけだが。これが車内が空いてたらホントにアホらしいよね。ウチらだって特急料金は下今市だけでいいんじゃないのか?
特急じゃないよこれ。
「もうリバティ止めようか」(ジャン妻)
「だが、他の特急も多分こうらしいぜ」
「え、そうなの?」

川治温泉を過ぎたら車内は閑散としてきた。川治湯本から先はトンネルが多くなり、幾分は線形が改良されてるので途端にスピードが速くなります。
ウトウトしてたら検札に起こされた。こっちは浅草から特急券で乗車してるのに、途中区間の一般客のせいでこっちまで検札に見せなきゃならないのだよ。
寝てた私を起こした検札の野郎の後姿です。
私を起こした検札.jpg
何故検札が来るのか.jpg
上三依温泉塩原口という長ったらしい駅の辺りになるともう車内ガラ空きです。
ガラ空き1.jpg
ガラ空き2.jpg
会津高原尾瀬口を過ぎた辺りには残雪が残っていたのですが。
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沿線風景13.jpg
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会津田島駅に着いたところ。浅草からここまで1本で来るのは確かに早くなったがね。
会津鉄道に乗り換えます。
会津田島駅あっちに乗り換え.jpg
会津田島駅1.jpg
会津田島駅2.jpg
会津田島駅3.jpg
沿線風景21.jpg
何だかこの鉄道車内の方が落ち着くなぁ。
途中から雪が無くなった。
雪が無いぞ。殆ど地面がムキ出しです。
沿線風景22.jpg
沿線風景23.jpg
「これだったら余裕でくるまで来れたな」
「くるまで来たかったの?宿に聞いてみればよかったね。」
「1ヶ月前に券買っちゃったからさ」
「宿で絶対言われるよね。くるまで来なかったんですか?って」
会津下郷駅での上下線交換風景です。
会津下郷行き違い.jpg
雪が無い無い無い。。。
沿線風景31.jpg
沿線風景32.jpg
沿線風景33.jpg
蕎麦宿が見えてきたところ。
蕎麦宿が見えてきた.jpg
湯野上駅到着1.jpg
湯野上温泉駅に着いた。
「撮るなっ」
鬼の形相で私を睨めつけるジャン妻である。
湯野上駅到着2.jpg
私らが乗ってきた車両を見送ります。
見送る.jpg
今のうちに明日の特急券座席指定券を購入しようとしたのだが、いつもの湯野上温泉を10時に出る会津鉄道リレー号~会津田島~会津鉄道特急リバティ会津128号だと座席が満席で、次の特急も席が離れるという。
席が離れてまたあの普通乗車可能区間に突入したら落ち着かないだろう。
あっさり断念、会津若松経由に切り替えることにした。
今から栄町の麦とろでの馬刺と昼酒が脳裡に浮かんだ。
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信濃守護職の末路 [会津]

昨夜泊まったホテルタカコーの外壁を見上げたところ。
あまり窓が無いですね。静岡鷹匠町のホテルオークに似ている。
でも次回もここでいいかなと思っている。麦とろや鶴ヶ城、戊辰戦跡に近いし。
最寄駅は七日町です。
タカコー.jpg
麦とろの翌日、夕方から町内会館敷地内の清掃と秋祭りの準備があるので、朝早くにホテルタカコーを出て駐車場に出たらフロントガラスが凍ってやがる。
青空駐車場だったからな~。
自販機でペットボトルの安い水を買ってぶっかけたが溶けやしない。
凍ってやがる.jpg
ジャン妻が空いたペットボトル容器を持ってホテルのフロントに行ってお湯を貰いに行った。
待ってるい間、エンジンかけて室内を温めていた。
ジャン妻が戻ってきたところ。
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ジャン妻がペットボトルに湯を入れて持ってきたところ2.jpg
ぶかっけて溶かしてみる。
ワイパー動かしたら最初はジャリジャリいってたのがスムーズに動くようになり、澄んだフロントガラスに変わった。
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溶かす2.jpg
溶かす3.jpg
まだ朝の8時前であるが1箇所、行きたいところがあるのだ。
「汚れるところ?」
「お寺だよ」
「今回はお寺参りなの?」
昨日今日と1箇所ずつしか行ってないジャン。そのお寺はナビにも表示されます。だがその寺の門に向かう最後の道がえらく細く、公道から入ってすぐの坂も異様に急で「こりゃこするな」
参道に入る角っこが用水路を渡る橋、蓋になっているのだが、道が細くて鋭角な角になっていて、私のセダンでは曲がれなさそうなのだ。脱輪しそう。
蓋の下には飯盛山に繋がる山から自然の冷水が轟々と勢いよく流れていた。
「止めといた方がよくない?歩道に乗り上げそうよ。アタシ中で待ってるから」
ジャン妻を置いて徒歩で山門へ向かったのだ。
寺の前の公道路駐.jpg
参道1.jpg
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山本家の菩提寺でもあるのか.jpg
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途中、山本家がどうこうとある。八重さん家の菩提寺らしい。
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山本家の案内ばかりだな2.jpg
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でも私はそれを見に来たのではない。これです。
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小笠原長時公及び室・息女墓
信濃守護長野県松本城(深志城)城主
小笠原長時.jpg
この人が会津に来てたのか。
武田晴信の信濃侵攻で諏訪から追い落とされて没落した信濃守護である。
私は原則、お墓は撮らない人です。供養塔以外は。
この向こうにありました。
信濃守護の墓2.jpg

芦名四代.jpg
会津若松駅前の岩瀬書店で購入したこの史料139頁にこんな記述がある。
『天正7年(1579年)3月のある日、信濃の領国を落ち延びて上杉謙信を頼っていた小笠原長時は芦名盛氏を頼って会津に来た。
謙信の死後、二人の養子(景勝、景虎)が家督相続で争っていた越後は全国的な戦国時代の縮図だったから、小笠原長時はその渦に巻き込まれたくなかったのかも知れない。
会津に来た家臣は多く見ても50人くらいと推定され、戦闘に参加できる兵力もなかったのであろう。』
更に見過ごせなかったのがその先の172頁~173頁の記述である。天正11年(1583年)2月の頃。
『この頃会津では、芦名盛氏から「軍師」として遇されていた小笠原長時が斬殺された。2月25日である。
一般の史料では自然死のように扱っているが事実は違っている。(途中略)
その日、小笠原長時期の家族とその家臣、坂西勝三郎夫妻は稲ノ台の富田氏実邸にいた。招待されたらしい。
稲ノ台は現在の米代(会津商校、自動車教習所のある辺り)であると思われる。黒川城に近い地域で、四天王のひとりである富田氏の邸宅がある場所として相応しい。酒宴が開かれたらしく、酔余、小笠原長時が家臣、坂西勝三郎の妻に戯れたという。坂西勝三郎はその場で長時夫妻と娘を斬り、逃れるところを星安芸と日出山詮次に富田家の門内で斬られた。
小笠原長時の年齢は70歳と65歳の二説がある。小笠原一家の遺骸は大龍寺に埋葬された。』

それがここ、大龍寺です。

長時公は天正8年(1581年)、織田信長の下で、京都御馬揃えに公家衆の一人として参加した後、会津に来て蘆名盛氏に客分として迎えられた。名家なので厚遇されたと思うが・・・
>酔余、小笠原長時が家臣、坂西勝三郎の妻に戯れた
家臣の妻にセクハラをして斬殺された??
幾つか複数の史料をググッてもそれ以上、それ以下のものはなかった。

坂西勝三郎は小笠原長時の家臣で、富田氏実邸で長時夫妻と息女を斬殺。逃れようとするところを星安芸、日出山詮次他、蘆名家の家臣団に斬られたとだけある。
星安芸?星姓とあるからには蕎麦宿の南会津出の武士だろう。
惨劇のあった富田邸の主、富田氏実は会津四天の家柄で富田美作ともいう人。だが後年は親伊達派で、蘆名家に伊達政宗の実弟小十郎を迎えようとしたが、同じ四天の将で会津執権の異名を取る金上盛備の佐竹義広を迎え入れる案に屈した。
摺上原合戦の時は黒川城の留守居役だったが、結局伊達政宗に通じて黒川城を明け渡した後、義広ら100名と実家佐竹家に落ち延びたそうです。
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若松市内を望む.jpg
戻る.jpg
くるまに戻った。
「あった?」
「あったあった。これこの人」
小笠原長時公及び室・息女墓、信濃守護長野県松本城(深志城)城主を見せたら、
「ああ、あの頼りない人ね」
そう描かれているだけだと思うが。
「武田信玄では誰が演じたんだっけ」
「新井・・・新井・・・何てったかな。康弘さんか。風林火山では今井何とかさん」
「あのおのれおのれおのれは?」
「それは高遠頼継(演:上杉祥三さん)だろ」

・・・

さぁ会津紀行を一気に終わらせましょう。最後の記事をくっつけます。

そして帰途、今日の夕方から秋祭りの準備があるので急いで帰ろうと磐越自動車道を快走してたら、9時過ぎにお腹が空いたのですよ。
タカコーの600円モーニング写真がイマイチソソらなかったのです。
タカコーの朝食.jpg
ここに限らず、過去に会津若松駅前の某ホテル、ワシントンも朝食がイマイチなんですよ。こっちの口と舌が奢ってきてるんだろうけど。
もう高速に乗っちゃってるので必然的に東北道のSAかPAしかないのですが、ホテルを出たのが7時過ぎ、小笠原長時公が眠るお寺を出たのが7時半、磐越道に上がったのが8時過ぎ、時間が早いのでレストランがまだ営業していない。朝出るのが早過ぎた感がある。
こういう時に限ってジャン妻は空気や流れを読まない贅沢を言うんです。
「洋食が食べたい!!」
めんどくさいことを。この先のSAかPAに限定されるなかでそういうのをチョイスするのは至難だよ。ラーメン、そば、チープなものじゃダメなのかい。
安積PA、スナックコーナーだったのでパス。
鏡石PAは通過しました。
阿武隈PA、スナックコーナーだったのでパス。
那須高原SAはレストランのメニューが朝食メニューだった。グランドメニューは11時~でしたね。
黒磯PA、デイリーヤマザキだけでした。
矢板北PA、スナックコーナーだったので・・・ここらで妥協しかけたのですが、局パス、まだ次の上河内SAがあると思ったので。
1箇所1箇所、PA内に入ってはスルーしまくりで10時になっちゃったのだが。意外に空いてたのでこのペースでいくと一気に蓮田SAまでいきそうだが。食べないわけにはいかない。
よし、これで決めようと上河内SAに滑り込んだところ。
上河内2.jpg
上河内1.jpg
ここのレストラン、あさやは洋食メニューがあるのだが、まだ朝食メニューだったのですよ。
「前にここで食べてるよ」
「そうだっけ?」
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-06-10-5
鬼怒川温泉のあさやホテル系列です。なので美味しくないわけがない。あのハンバーグは美味かったな。高かったけど。栃木県産牛と那須郡司豚を使用した栃木ならではの贅沢なハンバーグと謳っていた。
ここにきてようやくジャン妻は洋食を諦めたらしい。11:00まで待ってられっかとフードコートへ。
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コート2.jpg
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券売機の上.jpg
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半券3枚.jpg
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私は霧降高原豚の生姜焼定食プラス、サイドオーダーでモツ煮を。ジャン妻はモツ煮定食。何が洋食が食べたいだよ。
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「モツ煮美味しい」
ああそう。よかったね。モツ煮確かに美味しい。だけどモツ煮は味噌味です。なのに味噌汁もついていた。
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私のモツ煮は単品です。それにも味噌汁がついている。
味噌汁.jpg
マニュアル通り!!
味噌スープに味噌汁か。センスねぇなぁ。
どっちの味噌スープが濃厚かったらモツ煮に決まってまる。味噌汁は薄いです。
生姜焼2.jpg
生姜焼5肉をリフトアップ.jpg
霧降高原豚ってそんなに有名な豚なのだろうか。妙に噛み応えのある肉でしたよ。バラ肉じゃなさそう。ロース肉ですね。
しっかり噛み応えがある肉のせいかご飯があまりすすまないのだ。肉とご飯、両方頬張って噛んでるとそのうちご飯が負けちゃう。
肉は肉だけ食べたらさすがに美味しいが、霧降豚肉よりやわらかい玉ねぎや、サイドオーダーのモツ煮でご飯を食べた。
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モツ単品2.jpg
このモツ煮の汁をご飯にかけようとしたらそれを察したジャン妻が目力で制止した。
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マヨネーズが多いぞ。この私でも多い。キャベツが少ないんだな。
生姜焼4マヨ.jpg
生姜焼6キャベツをリフトアップ.jpg
霧降高原?日光にある高原か。
「そういえばウチの〇長、奥さんの還暦で日光だか鬼怒川温泉だかに行ったんだってよ」
「???」
「珍しく(木)(金)連休取ってたじゃん。あの時」
「・・・」
「明けた月曜に聞いたんだよ。平日2連休して身体の具合でも悪いの?って。そしたら奥さんの還暦祝いだって。赤い下着でも送ったの?って聞いたら、奥さんが紅葉を見たいって言ったんだってさ」
「いいじゃない別に紅葉見たって」
「どうせ安いホテルに泊まったんだろうな」
「高いホテル泊まったかも知れないでしょ」
ウチの〇長は日頃から私とソリが合わないオンナにそういう金銭感覚ネタで侮られてるので、私までがそれに迎合するような発言したのがオモシロくないらしい。
「どうせ団体旅行のホテルだよ」
「高級旅館かもしれないじゃない」
別に〇長に悪意がある訳ではないよ。

「さすがにアナタでもマヨネーズ残すのね」
いちいちそういうのを前でチェックすんなよ。だってマヨ多かったんだモン。(キャベツが少なかったのだが。)
何を見上げるジャン妻.jpg
「おじさんの感じよかった~」
私もそう思った。磐梯山SAで働いている会津人より遥かに和める接客笑顔だったのだ。見ててこっちも気分がよくなったし。
上河内3.jpg
「さぁ出立するぞプチ」
「おぅ」(プチ公)
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麦とろ [会津]

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泊まったホテルは、若松市内のホテルタカコー、内装がリニューアルしたようです。
会津若松駅で検索したら何処のホテルも部屋が取れなくて、七日町駅で検索したらここが取れたのですが、前は労働者や団体専用旅館みたいだったフロントが斬新された。チェックイン時に対応してくれたフロント女性が知的な美人だったし。
「何でこんなホテルにあんなキレイな女性がいるんだろう」(ジャン妻)
応対が丁寧で和ませるものだった。
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でもねぇ。部屋がキレイになったけど、部屋の広さの割りにベッドが狭いのだ。
ツインが取れなかったのでダブルですが、ジャン妻と2人で横になったらキッチキチに狭いの。
「もうちょっと広いベッド置けないのかしら」
ジャン妻は自分の体格を棚にあげてそう言うが、これだけの幅がまだあるのだから、ユニットバスルームの壁に揃えたらもう少し広くできますよ。
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栄町へ歩いて向かいます。
寒いです。芯から冷えそうだ。朧月も寒そう。
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これから行く「麦とろ」の旦那さんに言わせると、
「今年はまだ雪も降ってねぇし、寒くなるのはまだまだこれからだんべ」
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混んでました珍しく。
カウンターに2人、1人、1人、座敷に若い者6名、誰も私と目を合せないのは何故だろう。
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迎えてくれたお婆ちゃんも御年94歳を迎えた。
「今日きてよかった。昨日は1階も2階も宴会で座れなかった。1階だけで30人いた」
「30人も座れるの?」
「座れる座れる。いまアンタらが座っている囲炉裏やカウンターまでギッシリ。お客さんがそれでいいって言うから。昨日だったら入れなかったと思う。」
さて、私の居酒屋(同じ店ばかりですが)カテゴリの中ではもっともヘルシーな料理です。会津で普通に出される家庭料理。
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おとおしは、大根やらさつま揚げやらの煮物。ひとつひとつの具がデカくて、それでいて中まで味がしみて箸でほぐれるのだ。
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玉子を10個ぐらい使って一気に焼き上げる厚焼き玉子と、魚肉ソーセージが入っているポテトサラダ。
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太田和彦氏が絶賛された鰊の山椒漬と会津坂下の馬刺、ロースと赤身。
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太田氏は今年もBSの取材で来たそうですよ。
「もうウチなんか紹介してもって言ったんだけど、馬刺出してくれて言うもんだから」
この店が今更「太田和彦のふらり旅・新・居酒屋百選」で放映されるのかなぁ。それとも他の番組か。
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海無県の会津若松で大間のマグロ中トロがこんなに。
このマグロには旦那さんも鼻高々で「大間のマグロだぁ」鼻息が荒かったですよ。独自の人脈で稀にトンデもなくいいネタが入るらしいのだこの店は。
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キンピラゴボウと白菜漬、これらは喰い切れずに持って帰った。
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「こないだもウチに、東京スカパラダイスがきてくれてさ」
「東京スカ・・・何?」(ジャン妻)
東京スカパラダイスオーケストラ2018TOUR「SKANKING JAPAN」で、10月18日に会津風雅堂(城東町)でLIVEをやった。その前後に麦とろに来て馬刺を食べたんだと。
LIVEのMCで「市内の麦とろさんで馬刺食べました~」ってやったんだとか。
ジャン妻は東京スカパラを知らない。
「ブラスロックだよ。ホーンがメインなの」
「もしかしてアナタが時々(カラオケで)歌うあれ?」
「それはCKBだよ」
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この日は寒かったので最初は燗酒だったのですが。その銘柄は初めて聞く名前だった。
名倉山???
「どこかの山?」
「猪苗代湖のそばにある山の名前で、名倉山酒造(若松市千石町)っての」
若松市内から国道49号線で郡山方面へ向かって坂を上ると、右手に戸ノ口原古戦場、金の橋&銀の橋(何でこんな名称にしたのかわからないが、猪苗代湖から流れ出る日橋川を渡る)を渡り、左手に十六橋が過ぎた辺りで正面に見える山のことです。茶碗に大盛りに持ったご飯のような山。猪苗代湖が見えたらすぐカーヴするが、その左手にある山。その時は運転中なので見えないけど。
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デザートは柿、身知らず柿。
身知らずといえば。。。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-08-25

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旦那さんは「おかーちゃん(ジャン妻のこと)、前に言ってたウチに何日か住みこんで修行する件、3階の部屋片付けて布団用意して、いつ来っかな~」って待ってたそうである。
確かに昨年の今頃は辞意を固めたんだった。その後に展開が変り、伊東甲子太郎の会社に引き抜かれたのを話してなかったのですゴメンナサイ。
「まさか会社変わってぇ、旦那さんより上にいってぇ、そっちでバリバリやってっとは。まぁよかったんでねぇけ」(旦那さん)
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山塩ラーメン、桧原湖、穴澤一族 [会津]

柳津から引き返します。会津坂下ICから磐越道に入り、柳津まで来た道を戻るように快走してたら雨が止んだ。
左手の喜多方方面は晴れている。
前方、磐梯山は雲に隠れてみえない。
会津盆地全体が幾つもの天候に分れていたの。不思議な光景だった。走行する自分を中心に、後方は雨、前方は曇り、左手は晴れていた。
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磐梯山SAに滑り込んだところ。前にここで磐梯山カレーを食べたんだった。磐梯山カレーを食べた過去記事。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-05-02
ご飯が磐梯山のカタチをしてるのです。カレールゥを溶岩に見立てている?
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磐梯山SAは磐越自動車道郡山方面が上り線で、会津若松(新潟)方面が下り線、福島県いわき市のいわきJCTから新潟県新潟市の新潟中央ICまで全長およそ213km、その間にPAが8つ、SAが3つあるのに、ガソリンスタンドとレストランが両方あるのは磐梯山SAだけ。
空いてるように見えたのですが。
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今回は前に磐梯山カレーを食べた奥の食事処が激混みだった。「お名前をご記入のうえお待ちください」だったのですが、棒線で消してフードコートに移動。そちらもそこそこ混んでいた。
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「だぁから柳津のあの辺りで食べればよかったん」(私)
「さっきはお腹空いてなかったのよ」(ジャン妻)
これってホントに駅なのか?と目を疑った只見線・会津坂本駅手前にソソる食堂があったのに。
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(Googleから。ちょっと田舎食堂ぽいですね。)
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磐梯山SAフードコートは券売機の脇にメニュー写真があった。
必然的にその一画で渋滞するので、譲ったり、譲られたり、身体を除けてメニューを見る人を遮らないようにしたり。
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わらじカレー?
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やはり磐梯山野菜カレーはご飯のカタチが磐梯山してる。それだけで会津愛の私はそそられかかったが、朝に蕎麦宿でご飯食べてるからなぁ。
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私は喜多方ラーメンでもいいのだが。
「喜多方ラーメンやイヤなんだろ?」
「うん」
スープはいいけど、あのピラピラした麺が嫌いだというのです。
「何で普通の麺で出さないのかなって思う」
それは喜多方ラーメンがそういう文化だからだよ。
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お渡し口で気のいい穏やかなおとーさんが対応してくれた。
5分ほど待ってマイクで呼ばれるのです。「にぃまるまるばんとにぃまるいちばんのお客様ぁ」
東名高速鮎沢SAのように、上に番号が表示されるわけではなく。
200番と201番、食券番号を呼ばれ取りに行く。
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磐梯山塩ラーメンには、コーン、もやし、メンマ、刻みネギ、薄いチャーシュー1枚、麺は塩ラーメンには珍しく中太麺
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塩味のあっさりスープでSAが謳っている会津山塩は優しい塩味。そこらの濃くて化学調味料プンプンのタンメンや五目そばとは違うようです。
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フードコートと侮っていたけど、意外に美味しいよこれ。
「バターが欲しいな」
「・・・」(睨むジャン妻)
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「これが山塩かぁ」
「・・・」
会津裏磐梯の山塩(ヤマシオ)は、岩塩(ガンエン)とは違うそうです。岩塩も山塩も山間部にある温泉地産の塩ですが、岩塩は太古の海水成分が化石になったもので、山塩は高温地下水に溶け出した塩です。海からほど遠い山間部では貴重な塩の供給源だった。
山塩ラーメンの過去記事。ここも混んでましたね。店のキャパの割に厨房と茹でる場所が小さいからだと思う。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-06-07
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火山から噴出された火山灰が堆積して固まった岩を凝灰岩(ギョウカイガン)といいます。形成された火山の特性(単独噴火、火砕流、カルデラ、海底火山)によって幾つか種類が分れるのですが、いずれも他の種類の岩石より脆く軟弱で、地下水を含みやすく地下水の通り道となりやすい岩石です。
日本は火山列島なので凝灰岩層が多いそうです。河川の浸食にも弱く、これが風光明媚な地形を形作る基にもなっているのですが、石材としては軽量でやわらかい。大谷石なんかがそうです。風化されやすい。
会津磐梯山もそう。緑色凝灰岩。これをグリーンタフというそうだが、この地層に太古の海水が封じ込められたままになり、火山の地熱により高い温度になった地下水が湧きだしてそれが温泉の源泉になる。大塩裏磐梯温泉がそう。
そこから採取したのが山塩。その成分には長い年月を経て変質して、海水に比べ塩素イオンが少なく硫酸イオンが多いそうだが。
それが塩ラーメンにどう影響するのかワカラン!!
「新編会津風土記」より。
弘仁年間(810年~824年)のこと、この地を訪れた弘法大師(空海)が老婆の家に泊まりました。山深い里で、塩がないため難儀している様子をあわれんだ大師は、護摩を焚き何事かを一心に願い込むのでした。すると17日目、ついに岩が割れ塩泉が湧き出しました。
村ではやがて塩作りが盛んになり、江戸時代には会津藩に納め、明治期に は皇室にも献上された記録が残っています。」
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美味しいがガツンと来るものが足りないかな。
フードコートって雰囲気も何もないからそこで食べても美味しく感じないものなのかも知れない。これが街角の食堂、赤いテントに赤い暖簾に白く名前が描いてある店で食べたらもっと美味しかろうな。
ではヤマシオの里へ向かいます。穴澤一族にお参りもしないと。

・・・

この記事も起案時はここで終わりだったのですが、年末に向けて記事UPを加速、2つの記事をくっつけます。

猪苗代磐梯高原ICで下りて国道115~459で裏磐梯へ向かいます。磐梯山ゴルドラインは冬季通行止めになっています。
裏磐梯には大小様々な湖沼があります。裏磐梯高原ホテルを過ぎて、右手にある桧原湖に沿って走ります。
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裏磐梯、檜原ロードは樹木に雪が付着していた。
幸い路面には積もっていない。
ノーマルタイヤで走行できる期間ギリギリの訪問だった。もう今頃は白銀の世界でしょう。
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桧原湖です。日本で最大の火山性の堰止湖でもある。
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明治21年(1888年)7月15日の磐梯山噴火で山体が崩壊、川を堰き止めて生まれた湖です。旧桧原村は湖底に沈んだ。
「ダム湖なの?」(ジャン妻)
そうとも言える。天然湖に見える桧原湖だが、現在は排水ゲートが設置してあるからダム湖の側面もある。裏磐梯3湖(桧原湖、小野川湖、秋元湖)ともダムの高さは15m以下だから河川法上では堰だという。
そういうので調整しなかったらタイヘンだ。下流域で水害になる。標高820mにある桧原湖の水は、同じく磐梯山噴火で形成されたお隣にある小野川湖、秋元湖と流れ下り、長瀬川を通って猪苗代湖へ流れ、郡山方面の農業用水として使われ、他の水は日橋川へ流れ、大川、阿賀川へと合流して悠々新潟へと流れていく。
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桧原湖を見てると安らぐよ。寒々しいけど。
磐梯山も猪苗代湖も福島県の象徴だがそっちに比べて桧原湖は静かです。手漕ぎボートはあっても遊覧船が無いので静かで落ち着いた湖に見える。
桧原湖一帯は冬場の積雪が平均2m以上になるのだ。MAXじゃなくて平均ですよ。
湖も凍結します。今湖面に浮いているテント、冬場は氷上を歩いていき、ワカサギ釣りの基地になるのです。
夏場には登山客、ライダー、釣り人が訪れ、冬には氷上の釣り人たちが訪れますが、まだ凍結していないので単に寒いだけ。人は少なかった。
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ワカサギ、イワナ、ヤマメといった川魚や、高原野菜、キュウリ、アスパラガス、ナメコ、ジュンサイ(酢の物は苦手だが)、蕎麦、そして会津山塩、目立たないけど隠れた名産あるんだよ。
前にこの辺り一帯を「標高が高くて稲作には適さない。何処にも田んぼが見当たらない」と書いたが、これって田んぼかな。そこに猿たちがいたんですよ。雪を掘ってた。
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「何やってんだあのお猿さんたちは?」
「食べ物を探してるんでしょうよ」
獣たちも生きるのに必死だな。
猿は人間にとって身近な動物だけに感染症のリスクが高いらしい。
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半島みたいなのは堂場山といいます。
穴澤氏の城塞跡。私にとっての会津ローカルヒーローがいたとこにいた。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-22
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-23
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-24
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-24-1
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-22
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-23-1
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-24
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-25
稀に穴澤氏のご子孫の方からコメントをいただくことがあります。見て下さって感謝です。
その穴澤氏の五輪塔です。会いに来たよ。
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「これから寒くなるね」
「そんなん慣れてるよ。俺らはずーっとここにいたんだぞ」
誰に話しかけてるのか。穴澤一族は中世の頃、現在は湖底に沈んでいる桧原村に在住した一族ですが、最初からこの地にいたのではなく、会津守護の蘆名氏に頼まれて、この地の西にある蘭峠に出没する凶賊退治の為にやってきた。
その後も桧原にいて北方の守り人をして欲しいと蘆名氏に懇願され、不本意ながらも滞在したが、代々住むうちに桧原が気に入って住めば何とやら。蘆名家中では誰もこの豪雪極寒の地に赴任したくなかったんだと思う。
過去記事のように伊達軍を3回撃退しています。でもそれらはあまりメジャーで取り上げられないし戦国ゲームにもないし、肖像画も無いし、官途名・受領名もはっきりしない。
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この地に赴任する代わり、彼らは他で替え地を貰ったらしい。桧原で砂金が取れることも知り、山塩が採れることや、番所と宿場町をこしらえて金を落とした?そういう役得があったのではないか。
だが、一族の裏切り者が伊達軍を手引きし、当時の娯楽施設だった風呂屋で惨殺される。堂場山の城も落ちた。
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堂場山のハイキングコース入口です。
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大塩方面へ下ります。その名の通り、山塩の産地です。
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柏木城、伊達軍が桧原峠を越えそうなので、警戒した蘆名氏が天正12年に築かせた居城ですが。
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桧原から落ち延びた穴澤氏の一族や残党は柏木城に避難してきた。それから数年、伊達軍との間の緊張状態に置かれた。
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この案内版を挟んで正面に見学路を指す札があるが、枯草が濡れて滑るので登城断念。
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このMAPを見るとくるまを停めた場所(活性化センター、見学者駐車場)が緑色で、そこから赤い矢印に沿って細い道を延々歩いていくらしいのだ。
デカい城なので全域を見て廻ったら、くるまに待たせたジャン妻が後で不機嫌になるは必定なので断念。
いつ行けるだろうか柏木城・・・。
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喜多方南から会津縦貫道を南下して若松市街へ。
若松駅前にあるいつも立ち寄る書店で史料漁り。
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若松駅前の岩瀬書店、郷土史コーナーは横に三尺の棚3つ分、高さ5段。
圧倒的に戊辰ものが多い。
私も「八重の桜」の頃だから2013年に戊辰ネタをよくUpしましたが(主に呟きⅡ)最近はそういう気持ちが薄れてきました。あの戦争で攻め込まれた会津藩は酷い目に遭っているのですが、それ以前に会津藩は民人に何を課したのか、そういうのもわかってきたので。
むしろ中世・蘆名氏時代のものを探しているのですが、案外少ないですね。
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市内BHへ。今宵の酒は・・・。
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朝餉、スローガッタンゴー、断崖寺 [会津]

裏手を走る会津鉄道の始発の音で目覚め、また落ちて、2本めの列車で目覚め、また落ちて、起き上がったのが7時半。私にしては遅い起床です。
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目の前の山(又見山)には雲がかかっている。霜も降りてるみたいだ。
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恵明の湯の快適なこと。外気温が寒いので、窓を開けておくと外の冷気が入って来るが、その日その時によって温度調整が難しいのだ。私は25年来ていますが未だに温度調整が下手です。
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これぞ毎回変わらぬ宿の正統派な朝餉であります。
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「今日はお昼食べさせてくれるの?」
どういう意味だ??
食べさせないなんて私が人非人みたいじゃないか。
普段家の休日では昼を抜く時が多いのに。旅はダイエットに関係ないということか。
今宵は若松市内のBH泊で、夜に栄町の麦とろに行くのだが、19時くらいになるから軽く昼食べますよ。
「チープなものなら」
「喜多方ラーメンはイヤよ」
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「この煮物、絶対に夜の方が合うと思うんだけどなぁ」(ジャン妻)
私もそう思うのですが。この蕪の餡煮、初期の頃は夜に出てたのだが、ここを辞めた次男さん曰く、「夜に出しても出ない(残ってしまう)んですよねぇ」とのことだった。ボリュームあるから食べきらない客がいたということか。
味噌汁には打豆(ウチマメ)が入っていた。
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打豆、日本海側や豪雪地帯で見られる大豆の保存食です。蒸してから潰して乾燥させたものを味噌汁に戻したもので、ブッ潰しても大豆の蛋白質は損なわれない。
枝豆だけど枝豆じゃないというか。打豆は黄色い大豆より甘味のある青い大豆で、これの若いのが枝豆です。今の若い子は大豆と枝豆、別の豆だと思ってる人って多いんじゃないかなぁ。
「何で豆をわざわざ潰して味噌汁に入れて喰うのかなぁ」と言ったのは今宵行く麦とろの旦那だが、何で潰すんでしょうね。掌でブッ潰すのだろうか。
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「あ、デザート食べてる」(ジャン妻)
デザートというか、食後の果物だけど。私は残したことないよ。
「Mさん(さらの木)に言うたろ」
「何でここでさらの木が出てくる?」
「さらの木ではデザート食べないクセに」
「食べてるさ。嫌々だけど」
「ここでは抵抗なく食べてるじゃん」
「適度な量だからだよ」

出る前の又見山、まだ雲がかかっている。
ドローンを飛ばして山の向こう側には何があるか見てみたいもの。この山は何処が頂上かよくわからないのだが。118号線側から登山道はあるらしい。
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大部屋、松月庵の囲炉裏が無くなってダイニングになっていました。
囲炉裏に座って、立ち上がるのがキツいお客さんが増えてきたという。宿を開いて最初の頃は若かった常連客も齢を重ねてだんだんキツくなってきたということか。50代の私らだって更級庵から洋室、恵明庵に鞍替えしちゃったし。タタミでゴロゴロすると背中が痛くなるようになってしまった。

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あ、こんなところに前の扁額があるぞ。
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曲がり家構造の更級庵廊下前の外にあった。
「前のヤツ(扁額)あっちに移しちゃったの?」
「ええ。大分旧くなってきたんで。これ(今のを指す)に変えました」
バーナーで焼くようにデザインしたらしい。
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「何だか・・・」
・・・の先は「ヘン」「ダサイ」「見難い」と言いたかったんだと思うな。
大旦那もそれを察してか、
「あまり見栄えのしない方がいいかな~と思って」
???
謙遜しているのか、失敗したかな~と思ってるのか。
「アタシは前の方がよかったな」(ジャン妻)
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次回は冬場だから電車で来ます。
湯野上温泉駅にしか売っていない羊羹(蕎麦宿の部屋にあるオヤツ)を2パック購入して、W酒店の袂の踏切まで戻ったら、10時発会津田島行のガッタンゴーが。
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単行がゆ~っくり動いている。さっさと行かんかい。
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湯野上温泉のシンボル的な小野岳も雪雲に隠れてる。
手を伸ばして山の木々を揺らして雪を払ってみたいね。
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何か忘れてたような。
あ、十兵衛さんから託された、蕎麦カルパッチョは誰が考案したのか聞くのを忘れた。

・・・

当初はここまでの記事だったのですが。
年末に突入しています。ときどき言いますが、年末、歳末の日記は極力年内にUpしたいのです。
新年明けてから忘年会記事なんかをUpするのにどうも抵抗がありまして。
なので別記事だったのを以下にドッキングします。消化Upを急ぎます。

会津街道で若松市内を抜けて磐越道に入り、会津坂下ICで下りたら雨に。
ヘンな天気だった。磐越道は会津盆地の真ん中を東西に横断しているのだが、喜多方方面は陽が射していたぜ。晴れてる。
磐梯山方面は雲に覆われているのに。
こっちは傘がない。これから行くところは傘が必要なのだが。
くるまの中に1本ぐらい置いてあるかと思ったら置いてなかったのである。
「まさか足元が草ぼうぼうなところじゃないでしょうねぇ」(ジャン妻)
「お寺だよ。神社だったかな?」
[傘は?買う?」
これから道行く先にはコンビニが無さそうだ。1軒コンビニっがあったのでそこでビニール傘を購入したが、2人でひとつの傘かよ。
私は肩幅があるから1本の傘に2人で入ると入りきらないんだよな。写真撮り難いし。今から行く構造建造物は下から見上げるアングルが重要なのだが。

会津柳津は道が細く、只見川に沿って、あるいは避けるように山裾に道があるので、細くてくねくねうねっている。曲がってばかりいてナビもすぐに反応できない。
会津柳津、会津という地域名は広いが、やって来たのは柳津町にある円蔵寺。臨済宗妙心寺派の寺院、山号は霊岩山、その名の通り、岩壁の上に本堂が鎮座しているのです。
日本三虚空蔵のひとつ、柳津虚空蔵や、1月7日の七日堂裸参り(寒そうだな)で知られるあの寺。
只見川側の駐車場に停めたのですが・・・。
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山門が見えてきた。
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本堂が見えてきたけど人がいないぞ。
私らは川に面して旅館や土産物店がある街道から上がってきたのですが、その道は参拝する道としては裏なのです。広い駐車場は街道の先を上り、右折した山側(只見線側)にあるのです。
それは本堂に上がって気付いた。本堂にあった貼り紙には、
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ご参拝の方は反対側の出入り口よりお入りください??
こっちが反対側で、書いてある反対側は正規口らしいな。逆からきてしまった。
「土足で上がってぐるっと廻っていいんだよな」
「いいんじゃない?」
私らは断崖の上にいます。只見川の流れが止まっているように見えるのは上流で水量調整しているからです。悠々たる眺め・・・。
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下を見たら吸い込まれそうだ。
後で下の道路から見上げてみます。
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ぐるっと廻って境内へ。こっちにはそこそこ人がいた。意外にも若い女性グループが多かった。
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あかべこです。
寺をこんな崖上によく作ったものだが、使われた材木は只見川の水運が功を奏したに違いない。
平安時代の大同2年(807年)円蔵寺の虚空蔵堂を建立する際に只見川に沿った上流の村から木材を大量に寄進された際、川を下って運んだはいいが水量豊富な只見川から材木を運搬するのに人々が難渋していたら、どっからか牛の大群がモウモウ現れて材木の運搬を手伝ってくれた。その牛たちも疲労困憊で倒れる中で、最後まで働いたのが赤色の牛だったというもの。
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あかべぇはあかべこのマスコットです。会津若松観光ビューあいばせから。
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ウチにもこんなのがあります。どこかで貰ったんだと思う。
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本堂を振り返ります。私らは日頃あまり神社仏閣を見ない人で由来にもいまいち興味が湧かないので他から添削します。本尊は釈迦如来。この寺にある虚空蔵堂は柳津虚空蔵として知られ、茨城県東海村の村松山虚空蔵堂、三重県伊勢市の金剛證寺と共に日本三虚空蔵のひとつに数えられる。
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「で、どうやってくるまに戻るの?」
もう帰り路の心配をしとるか。如何にこのオンナが観光に向いてないかがおわかりでしょう。
この時点でジャン妻はぐるっと廻ってまたさっきの道を延々戻るのかと心配そうである。
奥の院に進んだら広い駐車場があった。
「こっちに停めた方がさっきの階段を上がって来なくてよかったのか」
「どうする?戻る?」
「このままいく。見たい風景があるのだ」
そうなんです。くるまで来て見過ごしてしまったが見たい風景がある。断崖にあるこの寺を、さっき見下ろした下の道路から見上げたらどんな風に見えるか。
坂を下り、駐車場を素通りして坂を下り、観光案内所の辺りまできて見上げた光景がこれ。
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私もジャン妻も、この光景に唸った。
凄い。梁山泊みたいだ。
これが見たかったのです。
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円蔵寺はこれらのアングルのフォトで有名です。境内を歩いても普通の寺院でしかない。散策するよりも、この風景を見る為にあるといっていい。
これを見上げると「断崖の上まで登るのか」とゲンナリする人もいそうですが、川に面した側からではなく、くるまで裏手に廻って大駐車場に停めればそのまま境内に入れます。参拝するならですよ。
でもやはり川側からこの風景は見た方がいいです。
閑話休題、会津藩主で蒲生秀行という人がいました。
有名な氏郷の嫡男だが、京都の寺にいたところを父・氏郷が急死したので家督を継いだ。継ぐ際に豊臣政権の思惑や、家中のゴタゴタがあって会津領を丸々与えられなかったのだ。
慶長3年(1598年)3月秀吉の命令で会津92万石から宇都宮18万石に減俸され、慶長5年(1600年)の関ヶ原の時は宇都宮にいて、秀吉に旧蒲生領である会津を与えられた上杉景勝を牽制、宇都宮城下の治安維持に努める。宇都宮城下をそれなりに整備、発展させたらしい関ヶ原戦後は会津に復帰したが・・・
会津に地震が起きた。
「会津は地震が無い。ここを城下町にした殿さんはエライ」(麦とろの旦那)
群馬と会津は地震が無い地というが、会津地方で起きた最後の大地震は慶長16年(1611年)8月21日に起きた直下型地震、慶長会津地震といふ。
震源地は会津盆地西緑断層帯といふがはて?何処でしょうか。
規模はマグニチュード6.9、震源が浅かった為か、震度6強から震度7に相当する揺れ。被災は会津盆地全域に及び、倒壊家屋は2万戸、死者3700人、鶴ヶ城の石垣は崩れて天守も傾いた。
そしてここ会津柳津の円蔵寺は舞台が只見川にガラガラと崩れ落ちたという。
境内の赤べこさんの解説には、この地震で壊れた円蔵寺の再建のときにも牛たちが活躍したとあるが。平安時代と400年前の大地震と牛たちは都合2回現れたのだろうか。
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その蒲生秀行という人、地震が起きる前に、会津に復領できた嬉しさか、ここ柳津の只見川に遊びにきて、何を想ったか川の魚を大量に獲ってやろうと、上流にある出倉(いずくら)付近から胡桃や山椒、渋柿といった魚が嫌がりそうなものを大量に流したらたくさんの魚が川に浮き上がった。
それで円蔵寺の虚空蔵様のバチがあたったとも。蒲生秀行は心労がつづいたのか翌年亡くなります。
只見川の水運で運んだ材木、丸太をこれだけの崖上に引き上げたのは大変な労力。
あかべこ伝説は、運んだ領民たちが、藁にすがる思い、いや、牛にすがる思いで描いた伝説かも知れませんね。
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最後に川の向こう側からこの寺を見てみよう。
奥の赤い橋ではなく手前のつり橋です。くるま1台通れる幅のつり橋を渡って、空きスペースに停車して木々の隙間から撮影したのがこれ。
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まぁ1回行けばいいかな。雪の時期や桜の季節は見頃だそうですよ。

そして磐梯山方面へ。
でも磐梯山は雲に覆われていた。裏磐梯にお参りに行けるだろうか。会津辺境のローカルヒーローたちのところへ。
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会いに来たよ。
これから冬だね。
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永遠なれ蕎麦懐石 [会津]

暗いのと、小雨の湿気でガッタンゴーがキレイに撮れません。
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まだ仕事してるのか。女将さんが夕餉を運んでくるまでやってましたね。
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ゴトリと置かれたビールたち。
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「瓶ビール」
「生!!」
「瓶にしなさい!!」
「・・・」
でも恵明庵のテーブルに瓶ビール大瓶1本、コップ2つ、生ビール中ジョッキがデンと並んでいます。
何でこんな不効率な組み合わせになったか。
ビールの適量として私は生ビール中ジョッキを2杯ぐらいですが、ジャン妻は生ビール中ジョッキ1杯で、グラスビールだと稀に2杯飲むくらい。最初の1杯だけでいいそうです。そして次に酒にするか、焼酎にするか、洋食系だったらすぐ白ワインに移行します。
すると私にまで強要するんですよ。
「ビール1杯だけにしてお酒にしなさい」
私がグズると、
「アタシにつきあいなさい」
それは己がビールをガバガバ飲むとお腹が膨れてしまうからです。でも私はジャン妻の飲む量よりビールを多く飲みたい人でもある。それだってせいぜいもう1杯程度ですよ。
こっちは恵明の湯に3回も浸かっているので喉が渇いているのだ。
「生がいい」
「ダメ」
またジャン妻にはヘンな拘りがあって「居酒屋は生ビールでいいけど、宿では瓶ビールをグラスに注ぎ合って乾杯するのよ」と、これまでは頑として宿での生ビールを許してくれなかったのだが。
「自分がビールを飲むとお腹が膨れてしまうからって、俺が飲むビールの量と、瓶ビールとコップで強要するのはひどくないか。パワハラだ。人権侵害だ」
「!!!」
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しばしの沈黙の後、ジャン妻は折れた。
「何が人権侵害よ。しょうがないわねぇ」
冬場は瓶ビール大瓶2本だと多いので、大瓶1本を2人で注ぎ合って乾杯して、その後で私だけ生ビールを1杯飲んで、ビールに合う蕎麦サラダまで繋げることになったというわけ。
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瓶ビールでも生ビールでも日本酒でも、そのときのアテ、肴はいつもと殆ど変わらぬ蕎麦懐石なのです。
さぁ食べるわよのジャン妻である。
さぁ喰うぞのジャン妻.jpg
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通い続けて25年で初めて馬刺の産地がわかった。女将さんが言うには「会津坂下(バンゲ)です。坂下(バンゲ)私も馬刺好きです。普通に肉屋さんで売ってますよ」
明日も麦とろで馬刺喰うんだけど。そこも会津坂下の馬刺なのです。
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小鉢の数々、青菜の和え物、蕎麦とナメコ、白菜漬、柿の・・・何だったかな。黒胡麻ソースをかけたもの?蕎麦豆腐、キュウリソースかけ
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定番の蕎麦粥、まだビールあるけどこのアテには酒が、会津地酒が絶対に合います。
「アタシはお酒にするわよ」
熱燗2本にして、グビリ。
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これは長男さんが作ったドリンクメニュー。彼、宿を継承してくれないかなぁ。
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これも定番の蕎麦サラダ。ビールに合うのは蕎麦汁とマヨネーズだからですよ。茹で玉子の塩っ気も。この時点でビールが残ってないと追加オーダーになるのですが、大瓶1本はさすがにキツイ。だから生ビールの方がいいのです。(生ビール小もあります。)
この料理で蕎麦つゆにマヨネーズが合うのを知った。だから他所でも菜の花の和え物とかにマヨネーズをちょこっとだけくれとか恥ずかしい味変をしたりするのですよ。
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最後の方には油そば、合えそばの様相を呈してきた。
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養鱒公園?または何処かの養殖場から卸した岩魚はいつも怒ったようなカオをしています。
「塩気が薄いな今日は」
「そう?」
「飾り塩が薄いもん」
岩魚を食べると、風林火山で永島敏行さんが演じてた村上義清が川魚二匹をキレイに食べてたのを思い出す。
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揚げ蕎麦を向きを変えて撮ってみた。
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レンコンの穴に蕎麦粉を詰めたもの。20年前最初に来た頃は、揚げ蕎麦か、この詰め物のどちらかだったのですが、近年は同時に出されるようになった。
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エビです。川海老かな。そういうことにしておこう。
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ミョウガの天ぷら。
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最初の頃から出されています。潰した里芋に蕎麦の実を塗して揚げたもの。
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海苔で撒いた揚げ蕎麦。
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次は締めの盛り蕎麦の前に蕎麦稲荷かなと思ったら久々の蕎麦寿司でした。
かなり以前に、この軍艦巻の蕎麦寿司を素揚げして、その上にウニが載ってたのを食べたことが一度だけある。
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締めの盛り蕎麦、
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後は蕎麦湯飲んでお開きと思いきや、
「もう1本飲まない?」(ジャン妻)
「え?いいけど」
「何だか飲み足りなくってさぁ」
ジャン妻がこういうことを言うなんて珍しい。ダメオシにもう1本お願いしに行った。
「何か言われた?」
「何も。行ったら洗い物の手を止めて、3人でTV見てたけど」
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外は寒いし、小雨が降っていて空気が湿っているのでガッタンゴーは殆ど撮れませんでした。
軽く湯に入って(首筋に湯をかけてから浸かる。)2階寝室で爆睡ですよ。
寝転がりながら思った。若よ継いでくれ。この宿の蕎麦懐石は食文化といっていい。継承して存続させてくれい。
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遅い宿入り [会津]

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ジャン妻はくるまを運転しないので(私がさせない)、走行距離や感覚がわからないところがある。
プラス、方向オンチでもある。
東北道を北へ向かって快走中に助手席のジャン妻が言うには、
「先に麦とろに寄ってお土産渡したいんだけど」
「先に麦とろ行くの?若松市内へ先に?」
持って行く土産は横浜は本牧館のベーカリーですが、明日だと乾いちゃうというのです。
「先に若松市内へ入って南下するってこと?」
簡単に言うね。宿入りが遅くなるじゃないか。
「明日の夜じゃだめなのか?」
明日夜に麦とろ行くし。
「それまでにパン乾いちゃうし。山家屋さん(材木町)でお味噌も買いたいし。お義母さんの分も買うでしょ」
「味噌は買うけど。あ、そうか、山家屋さんは(土)(日)(祭)休みか」
そんな休み方する味噌屋・小売り店があるかよと言いたい。満田屋(大町)さんなんか年中無休なのに。商売する気があるのだろうか。
「ネットで注文できないのか?」
「できない。確かメールで注文するか電話。ここまで来たんだからさ」
先に会津若松市に入って蕎麦宿(湯野上温泉)へ向かうとなると距離が長くなるんだけど。
いつもの東北道那須塩原ICで下りて400号~121号(会津街道)を快走するところを、その先、郡山JCTから磐越自動車道を走って会津若松ICで下りて材木町へ。
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山家屋さんです。ウチの味噌汁、味噌鍋はここか大町の満田屋さんです。満田屋さんの味噌は私らには濃くなってきたので。
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店内を見廻したら在庫も種類も少ないのだ。味噌も醬油もパラパラとしか置いてない。商品を置いてあるスペースよりも、空いてるスペースの方が多いのである。
商売っ気が無さ過ぎる。商品山積みしろとは言わないけど、ある程度ボリューム感が無いと売れないものだよ。
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なんなんだこのレジは?
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無添加の会津味噌を4パック購入しました。そしたら更に品薄になった。
「ウチ、土日祭日お休みですから。あまり商売っ気ないんでぇ」
女将さん自らそう言ってましたよ。
私はその呑気さにややイライラしながら言った。
「市内の麦とろって知ってる?」
「麦とろ・・・さん・・・ハイハイ知ってます。あの石垣のある辺り」
「甲賀町口門の裏ですよ。栄町。そこの店主が〇〇〇さんの味噌より山家屋さんの方が絶対に美味(うめ)ぇからって言ってたのよ」
そこまで言っても女将は同業者の〇〇〇へ気兼ねしてか、謙遜してばかりいる。
「〇〇〇さんは有名だし、市内だし、観光客多いし、賑わってますからねぇ」
それだけじゃないの。ここ(山家屋さん)がのんびりし過ぎてんの。店内に置いてある味噌も醬油も品薄にしか見えないじゃん。廃業前の店みたいじゃないか。
「随分言うわねぇ」
「別に嫌いじゃないけどああいう商売っ気の無い店は見ててイライラするんだよな」
商売人の女将さんはもっとガツガツするもんだろ。
「蔵、工場と併設してるからそこからできたてを持って来れるからじゃない?」(ジャン妻)
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お茶をすするジャン妻である。生姜の入ったお茶。
「あったまるでしょ」(女将さん)
別にお茶を飲みに来たんじゃないけどね。この後で麦とろにも寄るんでしょ。宿入りがますます遅くなるじゃないか。
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味噌屋4.jpg
だけんじょこれがその会津味噌です。美味しいよ。
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そして麦とろへ。明日の夜に来るから先に土産置いとくねって。
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「誰がいた?」
「お婆ちゃん」
「旦那さんは?」
「いなかった。大丈夫かなぁお婆ちゃん。アタシのカオ忘れてるっぽかったな~。なんか小っちゃくなっちゃった」
でも翌日の晩はシャンとしてた。店の営業時間になったら元気になるんだろ。
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湯野上温泉駅近く、線路と踏切の袂にある酒屋さんへ。
ここも20年のお付き合いでございます。いつもは家からメールオーダーですが、蕎麦宿に来たときはカオを出すようにしている。
もちろん蕎麦宿にも酒を卸しています。ということは、私らは家でも宿でも同じ酒屋さんの酒を飲んでいるというわけだ。
店内に並ぶ会津の銘酒たち。
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酒たち2.jpg
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もう希少でなくなった南会津の花泉酒造は甘口嗜好に変わった私らには合わなくなったので、国権、会津中将、会津娘他を購入したよ。(飛露喜は私にはクセが強くてこれも合わない)
一升瓶で6本買った。またこないだみたいに中途半端な本数買ってトランクに入れて、走行中にガチャンと割れたらタイヘン。もったいない。
それと前掛けも購入。もうUPした秋祭りで使ったのだ。
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店前の踏切で1両編成のガッタンゴー。
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宿2サッシが引戸になった.jpg
宿入りは16時20分、私らにしては遅い方であるよ。
あ、扁額が変った。
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「変えたんですか?」
「変えました。あまりパッとしない方がいいと思いまして」(大旦那)
「???」
前の扁額は何処へいっちゃったんだろ?
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部屋入りが遅かったので、今の時期だと山間の会津湯野上はすぐ暗くなるのですよ。
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グビッ.jpg
この時期にTシャツ姿のジャン妻である。蕎麦茶をグビリッ。
恵明庵は床暖房なので部屋の中があたたかいのだ。エアコン不要です。
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蕎麦宿で仕事すんなよ~。俗世と切り換えんかい。
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これぞ宿の朝餉じゃ [会津]

和歌山のモノノフさんばりのタイトルですが。
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上の6枚写真は恵明庵2階寝室からのガッタンゴーです。
会津鉄道が無事に走っている。未明に取り換えた枕木の上を走っている。
やはり速度を落としている。昨年から大川鉄橋とひらの屋の前の4連ガーダー橋上を速度を落として運転している。
大川鉄橋上は観光客に川床の景色を見せる為にわざとゆっくり走ることがあるが、4連ガーダーを速度を落として走るのは、やはりあのボロ枕木への影響を考慮しているに違いない。そういうことにしてしまおう。
昨夜と未明と工事員に聞けばよかったな。「何で速度を落としているんだ?」って。
でも彼らは他所から来た別会社の作業員なので、会津鉄道の運行内規までは知らないかも知れない。

朝湯が熱い。夏だから?
ひと晩締め切ってたからか。
入れないので水で調整した。
すぐ近くにある源泉60度ですから。(4号ポンプ)
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4時30分に起こされて、外回りをして、湯に浸かれば腹が減るさ。
余計なものはなく、あるべきものだけある朝餉。
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「これぞ日本の宿の朝ごはん・・・」(ジャン妻)
「家でも出してよ」
「・・・」
朝ごはんを持って来たのは女将さんだが、
「昨夜未明の保線工事のこと聞いてた?」
って聞くの忘れちゃったんですよ。
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温泉玉子は自分で割るけど納豆がねぇ。
タレとカラシのパックが小さ過ぎてあらぬ方向に飛ぶんだよな。
指先でブチュ~ッと絞りだした後の手洗いが欠かせない。そんなことしてたら味噌汁が冷めちゃうじゃないか。
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焼き魚、マスの皮を食べようとしたらジャン妻に取り上げられた。
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美味しい煮物.jpg
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茄子漬とラッキョ.jpg
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「フルーツ食べるんだ?」
「食べるよ。シンプルでいいじゃん。どっかの伊豆の宿みてぇにゴテゴテのデザートじゃねぇもん」
「・・・」
喰い終わったのが8:20ぐらい。
「どっかの伊豆の宿だったらここで10分かそこら待つんだぜ。デザートを盛るのに時間がかかるからさ」
「・・・」
「この宿は最初っから最低限のフルーツが出されるからいいよ。切ってあるから食べやすいし」
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朝餉の時にもガッタンゴー。
「こうして無事に走ってるのも昨夜未明の保線作業員のお蔭さ」
「だったらあんな文句言わなけりゃいいのに」
「だってウルサかったんだモン。起こしやがってからに」
「ネタにしようとしただけでしょ」
「ネタにはするさ。モグモグ・・・」
そういえば前の3軒の家々は平気だったのかな。

チェックアウト時にもガッタンゴー。
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ではまた近いうちに1.jpg
いつも10時に出るところを1時間早い9時に出ました。
何だか眠い。眠いぜ。朝4:30起きだからね。始発より早く起きてるんだから。
今日は何処にも寄らずに300kmを走って帰還するのだが・・・。
「どっかで休憩すれば」
「SAかPAでかい?木陰に停められればいいが、暑いだろうなぁ」
下手に駐車してくるまの中で寝たら熱中症になるんじゃないか。
またあんな渋滞に巻き込まれるのもイヤだがそれでも帰らなきゃならない。
「今後は今の時期は避けるわよ」
「そうしてくれ」
だが暗に相違して、東北自動車道上り線は渋滞ゼロだったんです。
下り線は昨日ほどではないが渋滞していた。それを指して私は、
「ケッケッケッケッケッ(笑)」
「・・・」
ジャン妻はイヤ~なカオをした。
「ケケケッ(笑)見ろよあの渋滞。こっちはスイスイだぜ~」
「止めなさいそういうことを言うのは」
「俺らだって昨日巻き込まれたじゃんか。これぐらい言ったっていいだろ」
「止めてっ」
「ヘッヘッヘッ(笑)タイヘンだなぁアイツら。どこまで行くんだい?って。ケケケッ(笑)」
「止めてっ!!」
「・・・」
「性格悪いんだからもう」
そうたしなめるジャン妻だが、下り線の渋滞を見ながらこう言い放ったものである。
「昨日の渋滞に比べたら甘いわよ!!」
「・・・」
家に着いたのが2時で、3時から夕方まで爆睡してしまった。
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お品書き 会津アスパラ 蕎麦アイス [会津]

ウチのジャン妻には「宿の夕食は瓶ビールを互いに注ぎ合って乾杯して飲むのよ」というルールがあって、私が「生ビールがいい」と言っても「居酒屋じゃあるまいし。宿では瓶ビールよ」と頑として譲らなかったのですが。
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今回は生ビール解禁になりました。(ヤッタ)
朝5時半に家を出て、首都高~東北道の大渋滞をひとり運転したご褒美だって。
で、この生ビールをいただく時に女将さんが、
「メニューができたんですよ」
「え?メニュー??」
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写真入りでカラーで印刷され、クリアファイルに包まれていた。
■ビール■
生ビール(アサヒ)小・・・300円、中・・・500円
瓶ビール(アサヒ)大・・・700円
ノンアルコールビール・・・300円
■日本酒■
●一合とっくり(180ml)
国権 熱燗・・・500円
花泉 冷酒・・・600円
●生酒(300ml)
てふ・・・800円
あらばしり・・・800円
■ワイン■
ごいち(赤・白) 1本・・・3000円
グラス 大・・・600円
グラス 小・・・300円
■焼酎■
麦 芋 蕎麦 1本・・・3000円
グラス・・・300円
■その他■
梅酒 杏酒 スノードロップ(ヨーグルト酒)・・・300円
■ソフトドリンク■
オレンジジュース サイダー ウーロン茶・・・200円

「誰が作ったんですか?長男さん?」
「笑」
女将さんは微笑んで答えない。嬉しそうだから多分長男さんだろう。
私は悪態を放った。
「旦那がこういうもの作れる訳ねぇだろ」

ところがこのメニュー、部屋に置いとかないで女将さんが持ってっちゃったもんだから。お酒を注文した際に写真を撮らせて貰った。
「メニューに白ワインあった?」
「あった。ごいちだって」
「ごいち?」
何処のワインだろう。
「ソフトドリンクなんか出るのかなぁ」(ジャン妻)
私らのようにお酒飲む客ばっかりじゃあるまい。

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ようやく私らが馬刺を好むのを再度覚えていただけたようである。
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「そういえば、馬刺の美味しい居酒屋に行ったんだよね」(ジャン妻)
会津のもの、会津の酒しか置かない店を見つけなんです。馬刺ロース、こづゆ、鰊、くじら汁・・・、棒鱈もあったな。
店主がちょっととっつきにくいの。慣れるとそうでもないようなんだけど。
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酒は国権のてふを。これはさっきW酒店から仕入れたものに違いない。
蕎麦サラダには生ビール(小)を。
「あ、マヨネーズが真ん中に乗っかってる」(ジャン妻)
今回の蕎麦サラダ、タレが薄くマヨネーズも足りなかったのだ。
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まだUPが先になりますが、渋川で鮎を食べたんですよ。この宿の岩魚より全然小さかった。川魚はどれも同じ味だろうと思ってたのですが、岩魚と鮎の味は似て非なるものだとわかりました。
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揚げ物は小鉢にポン酢ダレだったのが、今回は白い皿に盛ってあり、塩でいただくバージョンに変わった。
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「アスパラ、貼ってありましたね」
「そう。会津のアスパラ。美味しいですよ」
会津田島アスパラ(産地は南会津町、只見町、下郷町)を南会津町の飲食店7店舗と、下郷町湯野上温泉旅館・民宿・6店舗、藤龍館、つるや旅館、星乃井、にしき屋、みやもと屋、そしてここ蕎宿湯神の6宿で売りにしている。
意外に思われるかも知れませんが会津はアスパラの名産地です。昭和40年代初めに始まっあそうだが、冬場の積雪や、昼夜の温度差が栽培に適しており、収穫時期も3月下旬から始まり5月にピークを迎え、夏採れを過ぎてから最長10月まで続くそうです。雪解けを待ってからハウスで育てる促成栽培と露地栽培で育てる。色は緑、白、紫。
福島県のアスパラ作付面積は、平成27年に400haを超えて全国4位になった。(農林水産省)うち90%以上が会津地域で栽培されているそうです。
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「アスパラとベーコン巻が食べたい」
「・・・」
そういうのは焼き鳥屋で食べなさいってか。
アスパラ、川海老、茗荷、カボチャ、レンコンの穴に蕎麦粉を詰めて揚げたもの。
揚げ蕎麦は下に隠れてた。
でもいつものあれ、里芋を潰して蕎麦実にまぶして揚げたのが無かったな~。
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茗荷の天ぷらは取り置きしておいた。
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締めの盛り蕎麦に取り置きしておいた茗荷の天ぷらを添えて。
「これで天盛りだ!!」
「・・・」
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これで終わりじゃなかった。蕎麦湯と一緒に出されたのが、
「蕎麦アイスです」
「アイス?」
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「蕎麦豆腐の代わりに・・・・」
そういえば蕎麦豆腐は無かったな。
「暑いので」(女将さん)
「うっ嘘ぉ~、会津暑くないですよぉ。これぐらいなら」
「そうですかぁ?私はもう暑くて暑くて。東京はもっと暑いんですか?」
「野外温度37度平均」
女将さんはビックリした表情だった。
「それでいて通勤電車の中は寒いのだ」
「ここ(湯野上)は全然涼しいですよ。クーラー要らないモン」(ジャン妻)
会津は朝夕の温度差がある。湯野上は山に挟まれているし。
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ぶっかけ&アイス3.jpg
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寝酒の分も飲んでしまったんで、締めは蕎麦茶で。
「あ、寝酒の分も飲んじゃったじゃない」
気が付いたら無くなってたんです。
「半升飲んじゃったのよ」
「・・・」
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灯2.jpg
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後はいつも通り、湯に入って寝るだけの筈だったのだが。
夜意外な奇禍?椿事?が起きたのです。
22時半過ぎ、裏手の踏切に光が照らしだされた。
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人の声がする。何か指示している。
何をやってやがるんだ?(続く。。。)
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エアコン要らず [会津]

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14時30分に宿入り。
30分早いけどそこは気持ちよく入れていただきました。
朝5時半に家を出て到着は14時30分ぐらいか。9時間の行程はキツく、運転席から下りたら腰が重いし膝がガクガクする。腿の裏もジンジンと突っ張る。
早く恵明の湯でほぐさないと。
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う~む、この揮毫は達筆といえるのかどうかワカランぞ。
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宿の入口にあったクマさん。
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似合わねぇな~。誰がこれを。誰の趣味だろ。
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で、今回も恵明庵です。テーブルとベッドに慣れるともうダメですね。もう更級庵は素通りして過去の部屋になりつつある。
「あんなにお世話になったのに・・・」
「・・・」
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宿の外に出てみる。
青空と山々、青と緑のコントラストが素晴らしい。
2反ある田んぼ、手前の田んぼには手が入っていなかった。
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踏切に面してガッタンゴー。
カラフルな車両だな。
ヒューッと警笛が鳴ったから、運転士は私を見ていいトシした撮り鉄のオヤジだと思ったに違いない。
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田んぼと山々と石垣とガッタンゴーを撮って戻ったら、宿の前に軽のワンボックスカーが停まっているぞ。岩魚でも納品しに来たのかな。
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お友達.jpg
宿に上がったら酒屋の業者さんが納品しているところだった。湯野上温泉駅近く、踏切の角にあるW酒店の店主じゃないか。私らがいつも現地買いしたり、
「こんにちは」
「あ、どーも」
「納品ですか?」
「ええ」
さっき買い付けにいった時、店主は不在で踏切でワンボックスとすれ違った。ツケを支払い一升瓶を4本購入しています。(会津娘、国権)
前回のようにくるまの中でガチャンと割ってしまわないよう後部座席に積んである。
「暑いですね~」
そうかな?私は涼しいけど。
「こっちは自然の暑さだし。部屋でエアコン入れてません。扇風機だけですよ。東京の暑さはもっとすごいです。ビル街の暑さだから。それでいて通勤電車の中は寒いんだよね」
次にここへ来るまでの往路大渋滞のネタになり、今日は疲れてるので、後で少し飲んだら寝ちゃうかもと、そんな話になったのですが。
早く寝るのは裏切られることになる。ある椿事が起きたのです。(後述します。)
宿の大旦那は、私と酒店主の会話をニヤニヤしながら見ている。悪い気はしないと思う。共通の知人ということでね。
「前からここ(宿)へ納品してましたっけ?」
「ハイ」
宿で飲む酒、家で飲む酒、同じ酒屋さんの酒。他に酒屋はないからね。
恵明庵に戻ってジャン妻に、
「酒屋さんがいた」
「やはりあそこ(W酒店)から仕入れてるんだ」
「大旦那は俺らがW酒店から購入しているのを知ってるのかな」
「そりゃ知ってるでしょ。前に迎えに来て貰ったけど行き違いになった時、旦那が○○さん(酒店の店主の名前)んとこに行ってるのかと思ってそっちに寄ったらいなかったって言ってたじゃない」(ジャン妻)
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湯の道、民宿ひらの屋前、源泉4号ポンプ前を通る4連ガーダー橋をゆっくり走るガッタンゴー。
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この4連ガーダー橋の枕木が今回の旅ドラマのポイントのひとつになった。(後で述べます。)
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ジャン妻が浴びようと2階からドスドス下りてきたところ。
「何を撮ってんのよっ」
「・・・」
「まさかこないだのさらのように足音を入れるんじゃないでしょうねぇ。」
「ふ、風呂、ぬべといてくれ」
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恵明の湯、熱いです。
夏は熱いに決まってる。地熱が熱いから。
恵明の湯から見た青空と緑の山々。
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この後、1時間ほど眠った。
涼しいです。湯野上の夏は都会より格段に涼しい。エアコン無し、扇風機と自然の風だけ。
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部屋からガッタンゴー。
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窓から子供連れの家族を見たんですよ。
大旦那と女将さんが迎えている。宿泊客ではないようだ。
もしかして、出てっちゃった次男さんの家族だろうか。
上でも下でもどちらでもいいから継いで欲しいなぁ。
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朝5時間(5時~10時) [会津]

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翌朝5時に起きたのですよ。
どうもトシのせいか早く目覚めてしまう。朝だけ強いのです。
私は朝だけ強く、朝はあまり二度寝できない人なので起きて外へ出てみた。
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もうすぐ列車が.jpg
まだ山々は眠っているかに見える。
北の小野岳は雲に覆われて見えない。又見山の雲にも手が届きそう。
そしたら会津田島6:16発、塔のへつり6:40発、湯野上温泉6:45着の普通列車がキタ。
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大川(阿賀野川)橋梁を渡る辺りから減速するようになったので写真数が多いです。
乗客は地元の通勤通学客ばかりのようだが、土手から写真を撮ってる私は何者に見えるのだろうか。
これは始発じゃありません。この前に会津田島5:24発、塔のへつり5:48発、湯野上温泉5:52着の普通列車がある。この始発がやってくる時、宿の裏手の踏切、警報音が鳴る前に起きてしまうから困ったモンだ。

後で来ようここへは。
ボロイ鉄橋だな。
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一旦、宿に戻って風呂へ。
宿入りして最初は熱かったのが、一晩経つと外の冷気で湯温が下がっている。
あ、晴れてきた。陽が眩しい。
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恵明庵のテーブル前でボーッとしてから再度、外に出てみる。今度は会津田島方面への下りです。
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雲が引き、山霧も消えていく。そこへ湯野上温泉7:33発、鬼怒川温泉行の始発がキタ。民宿・橋本屋、すずき屋、湯野上温泉源泉4号ポンプの前を通るさっき見たボロい橋梁です。
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恵明庵へ戻ります。厨房には大旦那と長男さんがいて、トントン刻む音が聞こえた。
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晴れた朝の恵明の湯はスバラシイな。石風呂とは違った趣がありますね。
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朝からこういう風に動き回って湯に浸かっていると腹が減ってくる。前夜の夕餉も20時には済んでしまうからね。腹の音が鳴り出した。
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朝餉で毎回毎回タイヘンな作業がある。納豆のパックを剥いて、タレをピュッとかけて、カラシをぬりつけること。
20数年来ているのに今でもこれが超下手で。爪の先で上手く裂けないのとあらぬ方向にピュッとトンだりするのだ。悪戦苦闘していつも手先を洗いに洗面台に駆けこまなきゃならない。するとその間に味噌汁が冷めちゃうし。
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「これってシジミ?」
「アサリよ。シジミは貝殻が黒いでしょ」
何故に会津でワカメとアサリの汁が出るかなぁ。これだと家庭の味噌汁と変わらんね。根菜やけんちん風の方が好みなんだけどな。
それと恵明庵はいちばん奥まったところにあるので味噌汁が冷めやすいようです。
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「この手の煮物は最初の頃は夜に出されたんだが・・・」
「それ、毎回言ってるよ」
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う~ん。焼き魚(鱒か鮭か)が小さくて薄いぞ~。
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湯神では果物は最初から出されます。待ってなくていい。
「デザートはこれくらいのものでいいよ」
「・・・」
「食べやすいし。酸っぱくないし」
「・・・」
「さらの木さんの果物やデザートははゴテゴテし過ぎだよ。それとデザートが出されるまでじーっと待ってなきゃならない。早く部屋に戻りたいんだよなぁ」
時計を見たら8時半にもなってないのだ。如何に早く、ササササッと食べられるかということ。
「さらの木さんでデザートや食後の珈琲までいると8時50分になっちゃうから部屋に戻ってもすぐにチェックアウトの時間になっちゃうじゃんか」
これは一気出しされる湯神と、1品1品運ばれるさらの木さんとの違いだから仕方がないのかも知れないが。山国の会津で伊豆の宿をあげつらう展開になってしまった。

宿を出るまでの短い時間が大事です。
あまり連泊する気はないのだが、この時だけ連泊してみたくなる。
でも朝5時に起きているので、TOTALでは時間は長く感じた。
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朝露に濡れた木々の葉に遮られて恵明庵から上手く撮れない。
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2階からもそう。こんな感じ。
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「今回は随分お飲みになりましたねぇ」(大旦那)
基本料金が12000円×2名で24000円
ビールが500円(大瓶)と300円(私が飲んだ小生)
日本酒が600円×2(徳利)、800円×3(瓶、てふ)
小計4400円、総合系28400円
「3万いかなかったかぁ・・・」
「何言ってんの。過去最高金額になったわよ」
「ちょっと明細見せろよ。あ、こんなに飲んだか」
「お酒の3本めは何?」
「・・・」
「アタシ知らないけど。飲んでないけど」
3本めはジャン妻が上で寝た後で夜景の写真を撮りに外出して、戻ってきたら母屋に引き上げる大旦那と鉢合わせしたので、もう1本貰ったのよ。
「それをひとりで飲んだわけ?」
「そう。下で寝酒した」
「つまみも無いのに」
「飲んだだけだよ」
そしたら思いもよらないことを言いやがった。
「そういう時の為に湯野上のコンビニでつまみ買っておけばいいのよっ」
「???」
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チェックアウトする際に大旦那立ち会いで撮影した大部屋・新生庵が4人テーブル×2卓になっていた。
キレイな一枚板である。キラキラ光っている。
「囲炉裏取っちゃったんだ」
「取りました。お客さんが囲炉裏は疲れるって言うんで。知り合いが1枚板で安く仕上げてくれるっていうから」
ベッドやテーブルの導入は宿がOPENした最初の頃から来られている常連さんも齢を重ね、立ったり座ったりするのがキツくなってきたということである。
ついに正座して(または胡坐をかいて)食事、畳の上の布団で寝る部屋は更級庵だけになった。
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ジャン妻が次回予約をしている際に先に荷物を積み込んでたら、
「ジャンキーさんですよね?」
こういう時は努めて冷静にふるまうものです。まぁそういうのも初めてじゃないしね。
「・・・ビンゴです・・・」
2回くらいかち合ったかニアミスがあったそうです。私の風貌と服装とくるまと、そこに鎮座した御守りたちでわかったらしい。
「湯神では初めてじゃないそういうの。船山でもさらの木でもそういうことないのに」(ジャン妻)
で、この後、帰途にどこかで一升瓶が割れたんですよ。アチャ~。
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馬刺です。少しですけど。 [会津]

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「馬刺です。少しですけど」
「・・・」
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「確かに少しだね」
「オカシイね。うちらは更級庵時代からずっとずっと馬刺だったのを忘れてるんじゃないかな」
前回もそうだった。馬刺大丈夫ですよね?って聞かれたぐらいだから。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-04-25
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オカシイ。これで2度めだ。海産物の刺身が出ている。
女将さんが出てった後で失礼ながら「まさか〇〇症になっちゃったんじゃねぇだろうな」って言い放ってしまった。
「でもこの刺身悪くないね。ヒラメかな」
「ヒラメだと思う。身が締まっていいね」
いつも地元の魚屋で水っぽい薄切りのヒラメしか食べてないからね。それを昆布締めにしたものとか。ホタテもまぁまぁ。
甘エビは細っこいけどこれも美味しい。
でも蕎麦宿で海産物を誉めてもねぇ。
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ぶつ切りの馬刺だった。いつもの薄切りじゃない。ヅケにしてある。
「馬刺もうちょっと無いですかね?」
「無いんですよ~」
こりゃアカン。ホントにボケちゃったのかもってマジに心配した。次回からは会津下郷辺りの肉屋で買って持ち込んでやろうかと思ったよ。
蕎麦宿は宿泊客の嗜好というか、船山温泉やさらの木みたいに顧客情報を管理してないらしい。でも私らは20数年通い、他の2宿よりも遥かに訪問回数を凌駕しているこの蕎麦宿のデータを疑いそうになったよ。
リンクしている重兵衛さんとこを見たら普通に海産物の刺身が出されていたが宗旨変えしたのか。次男さんが出ていって、長男さんに交替したから情報がリセットされたか。
見てるとこの宿、帳場にPCなんてないし、黒い昔ながらの閻魔帳かノートに書き殴ってるから管理しているとは言い難い。過去帳で顧客情報なんか検索しようがないし、記憶が薄れたなら予約の度にいちいち言わにゃならんのだろう。
「明日の次回予約の時に言ってくれ」
「そういうのはアナタが後で言って」
「そんな迂遠な。二度手間になる。言いなさい」
「・・・」
翌日、会計して次回予約する際に「馬刺ね」って言ったそうです。私はくるまに荷物を積み込んでたのと、先に出られるお客から「ジャンキーさんですよね?」と声をかけられたからそこで当たり障りないご挨拶をしていたので立ち会っていませんが、大旦那も「馬刺がいいんですか?馬刺の方がいいんですか?」と初めて知ったように言ってたそうだからホントにド忘れしただけらしい。消えちゃったんだね私らの情報が。
「馬刺が苦手な客もいるでしょうけどね。どうしても普通の刺身がいいとか」(ジャン妻)
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まだ外は明るいです。
時折走るガッタンゴー。
でも木々が、葉っぱの茂みがジャマでしょうがない。
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「落ち着かない人ね」
「性(サガ)だよ。葉っぱがじゃまして上手く撮れない」
「だったら撮るの止めたら。落ち着いて座りなさいよ」
それでも警報機が鳴ると身体が反応してしまう。哀しい性(サガ)である。
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他はいつもの内容なので取りたてて語ることもないのですが。揚げ蕎麦(巣篭り、蓮根の穴に蕎麦粉を詰めて揚げたもの、海老天、里芋を潰して蕎麦実を塗して揚げたもの。)でお酒の小瓶が立っているでしょう。途中から酒が変わってます。
最初、奥会津の銘酒、花泉辛口をいただいていた。20年前は地元で消費され、同じ会津でも東の方には流れて来なかったのだが、湯野上の某酒屋さんいわく「地元の呑兵衛が亡くなってきたんで出回るようになりました」というもの。宿に入る前、その酒屋さんへ買いに行ったら、棚に花泉辛口がズラっと並んでいた。
だが私らが全般的に辛口がイマイチ受け付けなくなってきたのである。甘口嗜好になった。最近は「国権」「会津中将」「会津娘」などを飲むようになったのです。
くるまのトランクに積んであります。(翌日1本割れたけど)家で飲む酒と宿で飲む酒が同じなのだ。
「お酒、甘いのってないですか?」(ジャン妻)
「甘いの?てふがありますよ」
女将さんは甘口辛口がわかるのか。
「女将さんも飲むんですか?」
「いえいえいえいえ。日本酒はそんなに飲みません。すぐ酔っ払っちゃうんで」
てふ(会津田島、国権酒造)も、湯野上の酒屋から買って家で飲んだりするのですが、それの小っちゃい瓶が供されました。生酒です。
ラベルは会津田島に生息する蝶、オオムラサキからきています。
「ふくらみのある吟醸香が口中を漂い、ほんのりと甘みをともなう。柔らかな口当たりが続きます。柔らかみがありながら、後味のスッキリとした上品な味わいに仕上がりました。」
「アタシたち、辛口だめになっちゃったね」
「前は花泉を求めて西の方まで走ったがな~」
そういう時期もあった。あれから20年。嗜好も変わったのか。
さらば花泉である。
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いろいろあってブス~ッとしているジャン妻である。
この宿にいても日常を思い出してしまうらしい。この宿は(他の2宿もそうだが)旅ではなく日常に取り込まれてしまったといっていい。日々の延長なのです。
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今宵のざる蕎麦は私だけ大盛りにした。
地元で首都高に入る前、本牧「大将」で済ませてからは何も食べてなかったのです。昼を抜いた。なので適度なボリュームだった。
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蕎麦宿の夕餉は20時までかかることはまずない。早けりゃ19時半に終わってしまう。
それから就寝まで他の部屋のお客は何して過ごしてるんでしょうね。TVでも見てるのかな。私らはこの宿でTVを見た記憶がない。
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会津湯野上の昼夜は温度差が意外とある。
湯の窓は開けてある。熱い湯が苦手な自分にもちょうどよい適温になっていた。
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夜風にあたってみる。

警報機が鳴りだした。
へつり方面の大川(阿賀野川)鉄橋に光が見えた。減速しているので鉄橋を渡る音は静かだが、こちらに近づくにつれ、音が大きくなってくる。
ヒョッと警笛が鳴った。踏切の傍らに立つ私への警告に違いない。
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列車が傍らを通り過ぎる瞬間は一瞬だったが、窓辺の乗客には踏切の傍らに立つ私が見えた筈である。

今度は民宿街に面した鉄橋で構えてみる。
ひとつ先の白岩踏切が赤く光り出した。
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銀河鉄道のように、大川鉄橋から闇の空に向かって飛び立って行くのかも知れない。
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宿に戻ったら、母屋に引き上げる大旦那と鉢合わせ。
寝酒をもう1本いただいた。
そこで大旦那が言うには、
「ウチ(宿)は自分1代で終わりですね・・・」
ガーン!!
聞かなきゃヨカッタ。
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21時半に寝ました。そんあ早い時間に寝たら翌朝どうなるか。
5時前に目覚めてしまった。
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恵明庵 [会津]

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平日(金)に泊まることが多いですが運よく(土)に予約が取れました。
今まで気が付かなかったのですが、蕎麦宿は(土)泊まりでも平日と料金同じなんですね。
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首都高の渋滞に備えて9時に家を出て日光街道に入る頃、宿入りまで1時間ほど余裕が出きたので、奥会津資料館へ立ち寄って15時過ぎにINした。
(今年は明治維新150年というが、それは会津では戊辰役150周年でもある。奥会津資料館でも知られざる戦いが展示されていたが、展示品は「八重の桜」が放映されていた2013年の頃と変わらなかった。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-07-25
湯神と青空3.jpg
青い空、緑の山々、群馬とも違う強い自然の風景を見ながら会津街道を快走して3時過ぎに湯野上入り。
某酒店で会津銘酒を一升瓶で4本買い込んだ。この一升瓶のうち1本が帰途に割れたのですよ。もったいないことをした。どの辺りで割れたのかいまだに謎なのだ。
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「入り口のサッシ変えたんですか?」
「変えました。立てつけが悪くで開かなくなったんで」(大旦那)
1枚サッシだったのが2枚になっていた。入り口右にも新しい板を張り替えたようです。
蕎麦宿も20数年経ってくるとあちこちにガタがくるのだろ。何処の宿もそうだが修繕費がバカにならない。自分が住む家だったら多少傷んでも放っといていいけど家じゃなくて宿だからね。。
部屋に入る際に大部屋の新生庵が開いてたので見たら、2つあった囲炉裏が撤去されて4人テーブル×2卓になっていました。キレイな一枚板でキラキラ光っていた。
「ウチに来るお客さんの中でも介護ってわけじゃないけど、立ったり起きたりがキツくなって来た方がおられるので」(大旦那)
このように行く度に何処かしら手が加わっているので、まだまだ宿を続ける意志はあると見たが・・・。

部屋入りしてすぐに警報機が鳴ったので、窓を開けてi-Phone片手に身を乗りだしたら。。。
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新緑がジャマして車両が見えない。遮られてる。
かろうじて踏切の辺りだけが見える。
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あの青いデザインの車両は何だ?新車か?
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「何やってんの?」
「いつもの撮り鉄だよ。だが見えないなこの時期は」
葉っぱを刈りたくなったぜ。
私は撮り鉄するのは蕎麦宿だけです。
稀に群馬で上信電鉄とか撮ることもあるけど、それはBlogのサイドストーリーを構成する為です。マニアックな撮影趣味は無いですよ。
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湯は最初は熱いです。42度以上あるんじゃないか。でも夜になると自然の外気で下がります。源泉から湯温が下がるみたいです。
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恵明庵は落ち着く。
他の部屋や厨房の生活音が全く聞こえないです。
静かで自然の風が心地よいし。冬場な床暖房で暖かく、夏場は湯野上を流れる自然な風がそのまま吹いてくる。エアコン要らないです。
部屋は近代的な洋室だが音楽も要らない。TVも点けません。そこにあるものだけでいいのです。
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この後に出される夕餉もいつも同じだし。
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馬刺大丈夫ですよね? [会津]

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「馬刺大丈夫でしたっけ?」
料理を持ってきた女将さんの問いかけに面食らった。
大丈夫・・・って何が?
いつもいただいてるじゃんか。
「大丈夫ですが」
「いつもいただいてるし」(ジャン妻)
「そうでしたっけね」
はぁ??
25年近く来てるのに何を言ってるんだ?
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女将さんが立ち去った後で、
「何で馬刺大丈夫ですか?って確認するんだ?」
「知らないわけないよね。いつも馬刺なのに。アタシたち何年通ってるんだって」
「他のお客さんと間違えてるのかな?」
「さぁ。でも前回?前々回だっけ?海の刺身が出たのは?」
宿を手伝っていた次男さんが出ていかれて、長男さんが入れ替わりに入られた(戻ってきた)タイミングで白身とホタテと細っこい甘エビが出されたの。あとで旦那が慌てたように馬刺を持ってきた。
馬刺は好みが分れるし(ジャン母はNG)初めてのお客さんには海の刺身が出るんだろうね。海の無い会津では海産物が御馳走ともいうし。
ちょっと心配した。女将さんまさか〇〇症じゃねぇだろうなって。
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「この白いのは何です?」
「何だかわかります?」(女将さん)
「わからないな」
「ムフフ(笑)当ててみてください」
「大根か蕪か。株ではないな。大根かな」
「そうなんです大根です」
「緑色のソースは胡瓜?」
「ソースはホウレンソウなんです。その上に梅肉ソース」
オリジナルソースか。誰が仕込むんだろう。
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この蕎麦粥の写真をジャン母に見せたが、まったくソソらなかったらしい。
馬刺、鯨刺、カワハギ肝あえ、私の好きなものをジャン母は嫌いなんです。ローストビーフの赤い部分を生肉だからNGと言うしね。あの人はホントウに美味しいものを知らないんじゃないか。
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蕎麦粥を持ってきた女将さんに聞いてみた。
「普段も馬刺食べられるんですか?」
「食べてますよ。スーパーで普通に売ってるし」
「いいですねぇぇぇぇ」
スーパーで売ってる?生肉が?日常でも食べてるんだ。普通に売ってるんだね。
「羨ましい。近所にそういう店があれば毎日のように買いますよ。」
これだけ言ったんだから私らが馬刺夫婦なのを再認識して忘れないで欲しいものだ。
馬刺は翌日の昼も某所でいただくことになる。
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何故か蕎麦サラダにはビールなのです私。
最初の乾杯は「瓶とグラスでなきゃダメ」(ジャン妻)
なので途中から私だけ生ビールをいただく。マヨネーズと蕎麦汁のしょっぱさがビールに合うのだ。
後半はマゼマゼして和え蕎麦、マゼ蕎麦の様相を呈してくる。
汁まで飲み干そうとしたらジャン妻の眦が釣り上がったので止めた。
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岩魚はいつも大きさが同じだから養殖でしょうね。天然は大きさがバラバラで均一でないからね。
大河・風林火山で永島敏行さんが演ずる村上義清が岩魚2匹を朝餉のおかずにしてた。2匹ですよ。キレイに食べてたな。骨だけ残ってた。
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20年前は、揚げた蕎麦と、蓮根の穴に蕎麦粉を入れて揚げたのとは別ものだった。
今はひとつ器に入っている。海老と山菜も加わった。
潰した里芋に蕎麦実を塗して揚げたのは昔からかわらない。
この変わらないところがいいのです。変に進化して欲しくない。
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蕎麦いなり。
ジャン母に「油揚げにお蕎麦が入ってるんだよ」と説明したのに反応はイマイチだった。
「なにそれ?」だけだった。
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一度でいいからこのざる蕎麦に天ぷらを添えて天ざるで食べてみたい。
エビ天、茄子天、カボチャ天とかで。(私はカボチャは天ぷらは食べます。)
と、思ったのだが。
それだとその辺の蕎麦屋と同じになってしまうか。
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いつもは下げた後、しばらくしてから二次会、寝酒にするのですが。
この晩はそのまま二次会にしてあまり夜更かしせず寝てしまった。
ホント寝るだけです。TVも点けたことない。私らは宿でTVを見たことは一度もありません。
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寝る前に外に出てみたり。
電車を撮ってみたり。
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それまで暗く眠っていた踏切が目覚める。
赤く光り、警報音が鳴り始める。
漆黒の彼方から蒼白い灯が迫って来て鉄路を照らす。
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闇を切り開くように、黒い車両がゆっくり走っていく。やはりこれまでより速度が遅い。
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車内も蒼白い灯が点っているが、そこには僅かな乗客しかいなかった。
車内から私はどう見えるのだろう。
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踏切の警報音が止んだ。
大川(阿賀野川)を渡る音も徐々に彼方へ遠ざかっていく。
静寂が戻った。
次の列車が走り去った後、山の上に浮かぶ朧月。
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なんと!!
20時半には寝てしまったのです。
そんな時間に寝たら翌朝どうなるか。
5時に目覚めてしまった。始発とほぼ同時刻に。
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ヘンな特急リバティ [会津]

朝餉を持って来た女将さんが「9時半に乗られるお客がいますがそれだと早いですよねって言ってたけど・・・」(ジャン妻)
「それだと早いね。9時半は若松方面の電車だと思うな」
私らは9:59の田島方面に乗ります。
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帳場には長男さんがいた。今年になって次男さんが宿を出てから後を引き継いでいる。前日の蕎麦を打ったのも長男さんです。
寡黙な人です。余計なことを言わないしあまり笑わない。はにかむぐらい。何とか自信をつけさせてこの宿を継いで貰いたいのだが。
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会計して次回も恵明庵を予約して、外に出ようとしたら送迎していた大旦那が戻って来て、
「寒いからまだ部屋にいてください。10時でしょ?3分もありゃ行けますから」
再度、チェックインして9時45分頃に宿を出ようとしたら、小さい粉雪が降り出した。
上空の雲から降ってくるのか、山から吹かれてくる雪か。
「でも雪、少ないですね」
「少ないですね。若松市の方が積もっています。」
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「最近は台湾から来るお客が多いです。浅草から1本で来れるでしょう。バスをチャーターして大内まで行くんです。で、泊まりは若松市だって」
「じゃぁ湯野上は素通り」
「そうなんです素通りだけ。それとなかやま雪月火ってのがあって・・・」
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中山の雪月火は日本夜景遺産にも認定されたそうだが(遺産が好きだね日本は)、前はそんな祭りあったかなぁ。
いつからかこういうイベントが催されるようになったのか。小さなかまくら(雪の祠?)がたくさん並んでいて、中に小さい蝋燭の明かりが灯っている
「雪原に幻想的な世界を作り上げます。ライターなどがあればろうそく点火は誰でも参加できます」
見て安らぐだけの祭りのようです。
問題はその開催場所で、中山花の郷公園というとこです。知らないな~。場所は会津下郷駅から北、大内宿から西の山間の公園で、湯野上からくるまで30分かかるそうですよ。
道も狭そうだし、駐車場もなくて、湯野上温泉駅か大内宿第3駐車場から出ているシャトルバスを利用するそうです。そういう見慣れないバスが走ってました。
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宿に戻る大旦那のくるま。
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珈琲好きで無しではいられないジャン妻は、煙たい駅舎内売店でコーヒーを飲んでいる。ここまで来てもコーヒーが欠かせないらしい。
もしジャン妻が退職して家の収入が半減した場合、私は嗜好品削減を謳っていった。珈琲とブランデーは贅沢品だから買うなとお達しを出したのですがそれも解除した。
煙が目にしみる。駅舎内が煙いぞ。衣服に煙が付着して洗うまで落ちなかった。
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この地図買いました。田島の鴫山城の位置が間違って記載されているが。私の知らないものも幾つか載っていた。
地図は今でも煙臭いです。
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1両編成の単行です。この程度の利用客しかいないのなら会津田島から会津若松までを完全電化されることはまずないでしょう。夢ですらないに等しい。
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沿線は吹雪いていた。
水無川にも雪どけ水が。
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会津田島駅で乗り換えるとこ。10:28に着いた。
既に浅草方面上りのリバティ128号が待機している。会津田島10:43に出て、浅草着14:15です。
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ここで気になることが。会津鉄道が会津田島駅に滑り込む前だったか会津田島駅構内のアナウンスだったか忘れましたが、耳を疑うアナウンスが流れたのです。
「特急リバティには車内販売ワゴンはございません。会津田島駅構内にお弁当、お飲み物がございます」
私は会津田島駅で購買額をUpしようとしてんのかと呆れた。東武車内ではなく、駅にお金をオトしてくれって聞こえたのですよ。
だがそうではなかったのです。それにはリバティ128号、上り電車ですが、またこのおかしな特急の様相を取り上げなきゃならない。
往路でも述べましたが、リバティ会津は会津田島~下今市間は乗車券だけで利用できる特例が設けられています。帰路ではどうなったかというと、至極当然のように途中駅から特急券を持っていない一般客がドドドッと乗車してくるわけですよ。
これは快速と区間快速廃止に伴う救済措置なのだが、そのせいで座席指定特急の趣が皆無なのだ。
これってオカシくないか?私らは湯野上温泉から浅草までの乗車券と会津田島から浅草までの特急券(座席指定券)を購入している。その救済措置に便乗して、だったら特急券は下今市から浅草でいいじゃねぇかよって思うでしょ。
でも東武のHPには、
「下今市以北停車駅相互間(下今市〜東武日光間、下今市〜会津田島間)のみ乗車の場合に限り、乗車券のみでご利用いただけます。
ただし、乗車券のみでご乗車の場合座席の指定は行いません。座席の指定を行う場合は特急券が必要です。」
だから会津田島から乗車した私らは特急料金を通しで支払うしかないのです。
「座席の指定は行いません」は空いてる席に好き勝手に座ってろってことなのですよ。するとどうなるか。車内は予想通り、往路と逆バージョンで混雑の様相を呈してきて、川治湯本辺りから混んできて、湯西川温泉、鬼怒川温泉、続々と乗車してくる。それは予想していたが、彼らは終点浅草か北千住辺りまで通しで乗車する客だけではなくて、下今市で日光方面に乗り換える乗客もいる訳ですよ。
だから単純に言うと下今市までは通常の倍混雑するといっていい。一般客が増えたので立ち客も出ましたから。浅草まで長く乗る客に「全車座席指定特急」と謳っておきながら、一般客も乗車しますので混雑を我慢してくださいなのです。

もっとも一般乗客もこの特急リバティの会津田島~下今市間の奇怪(キッカイ)な逆差別は理解されていて「自分は区間乗車で特急券を購入していないから座席指定客が来たら席を空けなきゃ」と身構えている婆さんがいたりした。それも落ち着かないだろうね。
その逆もいた。座席指定客なのに「オカシイな?」とウロウロしながら困惑している爺さんがいた。そりゃそうだよ。自分の指定席に一般客が座ってるんだから。
ジャン妻は途中でWCに立ったのだが、戻ってきてボヤくには、
「WCの前のデッキにも立ち客がいてさぁ」
デッキに立ち客?全車座席指定と謳っておきながらそういう特急ってあるのか。新幹線の自由席じゃないんだぞ。
さきほど会津田島駅辺りで「車内販売ワゴンはないから会津田島駅構内で弁当と飲み物を買え」のアナウンスもこれのせいなのです。その証拠に下今市を過ぎてリバティ車内がALL座席指定客だけになり、ようやく純粋な特急電車に還った途端に「車内ワゴンが参ります」のアナウンスが流れたからね。
デッキや通路が混んでてワゴン車が通れないのもあるが実はさにあらず。会津田島~下今市は新型特急車両を走らせているだけで、その実は普通車と同じなのです。

下今市に着いたら車内が空いて立ち客がいなくなった。
これでよううやくマトモな特急になった。
不思議な特急である。前夜の夜遊びで疲れているのか、乗客の殆どは寝てましたね。
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ちなみに昨年まで利用していたスペーシアは特急券無しで乗車できる特例は適用されていない。鬼怒川温泉止まりなので、下今市から乗車した場合は乗車券のみで可という特例がないのです。
「自由席を設ければいいのにね」
だがそれはハード的に難しい。6両編成に増結してもホームに全車つけられない。6両が限度でしょう。
私はバカらしくなった。次回の湯野上行はくるまですが、来冬はスペーシアに戻ります。
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変わらない素晴らしさ [会津]

20数年間、殆ど変らない内容の蕎麦懐石です。
そこへ行けばいつも出逢えるもの。変わらないことの素晴らしさがここにあります。
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会津鉄道は電化されるか [会津]

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会津田島駅で会津鉄道リレー号に乗り換え中ですが、乗り換え時間が5分しかいないのでリバティの後方車両からだとギリギリですね。
駅ホームに雪が積もっている。除雪されている幅はひとひとり歩ける幅しかないので気をつけてください。
私らはスノトレを履いています。ゴワゴワしてかさばって歩き難いけど仕方がない。それでも凍結してる箇所は滑るので。

10年以上前は会津田島駅での待ち時間が長かったように思う。乗客を平気で長時間待たせるダイヤを平気で組んでましたからね。近年は田島祇園祭、大内宿、ネコ駅長、そして八重の桜、今年は戊辰150年(維新150年ではないっ)イベント特集することで観光客誘致を狙い、東武との連携もあって結果、ダイヤが改善された。
会津鉄道は2両編成だった。
今の時間帯になって車内横座り席のシートで折詰弁当を喰いだした4人男女がいたが、騒ぐんではなく普通に談笑しながら喰っておったから許そう。ローカル鉄道だし助役も何も言わないしね。
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この車内でも検札がきた。
こっちはさっきのリバティでチケット提示してるんですよ。
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会津鉄道は全線電化されることは将来あるのだろうか。
私は無いと思います。理由は簡単で、①電気の問題です。会津若松に乗り入れるJR磐越西線は交流で、東武鉄道は直流車だからですよ。
私は電気に弱いので切り替えるメカニズムは知らないですが、そのままではつながらない。で、理由②ですが、切りかえる設備を何処に設置するかというと、磐越西線が分岐する西若松駅でしょうか。あの辺りにそういう交換設備を作るスペースがあったかな。
作ったとしてもJR側には全く得るものはないじゃないですか。得るのは東武しかない。負担しても会津鉄道から回収できるとは思えないですね。客数と運行本数が少ないから。日中は単行の気動車だし、見てると上信電鉄より遥かに乗客が少ない。
もうひとつあって、③電化するには会津鉄道のガーダー橋梁を架け替えるか、トンネルを広げないと架線がつけられないのではないかというもの。
蕎麦宿の近くにもガーダー橋梁があるが、見るとサビサビになってるし、そこへ架線を張るとなると橋梁を架け替えるだけでなく、その幅の分を確保する為には橋脚から作り換えなくてはならないと思う。
なので電化はちょっと考えにくい。
非電化だから架線が無いので、沿線風景がキレイだからいいじゃないかって。

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湯神が見えてきたぞ。
心中で叫ぶ。「おぉ~い、来たぜぇ」って。
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湯野上温泉駅に滑り込む前、踏切前に酒店がある。
「ツケを払わないと」(ジャン妻)
W酒店です。ウチはこの店からケース単位で一升瓶を購入しています。
「ツケが溜まっているのではありませぬか?」(三屋又四郎)
「ツ、ツケなどは溜まっておらん」(三屋清左衛門)
清左衛門残日録、これは余談。第3話「川の音」だったかな。実はツケが溜まっている。昨年末に注文した日本酒だった。
この酒店はウチに請求書も督促状もよこさないからね。主人も恰幅のいい女将も「未払いありました?・・・っけか?・・・」
こっちも「支払ったかな?」
忘れてしまってたりする。
今回はウチの分に加えて、還暦になった〇長にもお祝いで贈るので寄らなきゃならないのだ。
「駅に(湯神の)大旦那いるんじゃないのか?」
「迎えに来てくれって言ったの?」
「言ってない。でもリバティとリレー号に合わせて来てるんじゃないかな」
大旦那の運転するくるまで酒店へ行って「ツケを払ってくるからちょっと待っててください」とお待たせするのも如何なものかねぇ。
「ウチがW酒店で注文しているのを大旦那は知ってるのかな?」
「そりゃ知ってるでしょ」
ということは、家でも宿でも同じ酒を飲んでるのを御存じということか。
「知り合いかな」
「でしょ。地元なんだから」
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若松方面へ去る会津車両を見送って、明日の乗車券と特急券を購入しているとこ。覗いてみたらOSがオッソろしく旧かった。
湯野上温泉駅発9:59発で、会津田島駅で待っているリバティは10:43発の128号。
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「乗る駅はここ湯野上でよろしいんですよね?」
「他に駅あんのか?」
シマッタ。また悪態をついてしまった。この女性はTさんという方で、蕎麦宿に初めて来た頃から駅にいるからもう25年近くいるんじゃないかなぁ。いつまでも若々しく容貌が全然衰えないのだ。
会津鉄道で社員の駅員が配置されているのは会津田島駅と西若松駅の2駅だけだそうで、人のいる会津下郷駅は地元の下郷町森林組合に、湯野上温泉駅と芦ノ牧温泉駅はそれぞれ地元の温泉観光協会に業務委託しているそうです。
3駅とも女性です。猫は駅長だけど意味合いが違います。
午前8時半から17時まで、駅構内清掃、乗車券販売、改札、売店の販売、管理、囲炉裏の火の監視等、全てを切り盛りしている。
8時半から出勤なのは各方面の宿からチェクアウトした頃合いで、17時はチェックインした頃合いだからいてもしょうがないのだと思う。夜間は無人駅なのか。
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湯野上温泉駅舎は御存じのとおり茅葺屋根で、囲炉裏に火がくべられているから煙いのだ。
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W酒店へ。
ツケを支払い新規に酒を購入した。〇長の還暦祝いも。日曜夜に届くよう手配。
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並ぶ一升瓶たち。花泉、会津娘、会津中将、てふ(国権)、奈良満。。。
私は飛露喜はクセが強いので好まないが、20年前は花泉の辛口が在庫稀少だった。地元の南会津で消費されてしまうからである。だが近年、供給が増えてきたのは、
「造ってるあっち(南会津)の呑兵衛が死んだからです」(店主)
でも最近は花泉飲まなくなった。私らが甘口嗜好になったからです。
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写真に撮らなかったが、和歌山県海南市の黒牛があった。群馬泉はなかった。
鹿児島の焼酎は置いてあるが、獺祭もさすがに取り扱ってないですね。
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注文して支払ってトボトボ歩いてたら、対向車線を走る1台の軽トラから大声が返ってきた。
「歩いてきたのぉ?」
湯神の大旦那である。
あとで聞いた話だと「駅にむがえ(迎え)に行ったけどいないがら。トクちゃん(酒店の店主)とこも覗いたんだけどそこにもいないがら。あれぇ、いっぼんあど(1本後)がなぁっておもっで(思って)、ウチに戻ってから雪かきにでがげたんですよ・・・」
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テーブル席で朝餉&恵明庵の事情 [会津]

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雪は降らなかった。
湯野上の天気は変わりやすい。この後で快晴になります。
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10年前、朝になったら大雪で、湯野上のスタンドでスノータイヤを購入してヒヤヒヤしながら帰ったものです。
そのスノータイヤは1度限りの使用で終わり、結局は売ってしまいましたが。
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テーブル席の朝餉の時間。
恵明庵は距離があるので、気配が感じられないのです。8時直前に風呂に入ってたので、運んできた女将さんに危うく裸身を曝け出すところだった。アブない。
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「宿の理想の朝ごはん・・・」(ご満悦のジャン妻)
(家でもこれくらいできそうだが。)
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焼いた鱒。
鰤大根。
そばがきが入った味噌汁には珍しくネギも入っていた。
青物の和え物。
ご飯には麦も混じっている。
デザートは柿と黒餡蜜。
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和室に運ばれるお膳と違って小皿が散らばっているから、海苔の醬油、味噌汁のハネた汁とかがテーブルに飛び散るのだ。
箸さばきが下手なのもありますが。和室の膳はそういう汚れが膳の中で収まるけど、テーブルだとそうはいいかない。いちいち拭き取らなきゃならない。
湯神は最低限のあるものはある民宿だから、宿側もそれ以上はベタベタしないですが、せめて朝餉を広げる前にテーブルを拭いた方がいいと思いますね。
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洋室なのでワゴン(台車)で片づけます。
「和室より片付けが楽だわ」(ジャン妻)
和室だと、相撲取りのように屈んで膳を持って、ドスドス持っていかなきゃならないからね。
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「次回も洋室(恵明)ですか?」(大旦那)
「この人、1泊だけですっかり気にいっちゃって」
「床があったかいのがいい」と私。もっと早く恵明にすればよかった。20年近い時を返せって言いたかったね。
「恵明は初めてですよね」
「できたばかりの頃に一度泊まったことが」
「ああそうでしたか。あの部屋は最初の頃から何回か変えてるんで」
恵明庵は4部屋でいちばん金がかかった部屋だという。私の聞き間違いでなければ、風呂の屋根もそうだが他にも2度か3度、手を入れているとか。
「洋間の柱や梁は中古品なの?」
「中古って・・・」(ジャン妻)
如何にも何処からか持って来たように見えます。木枠を差し込んでいた穴が開いてるからです。
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「いやそうなんです。最初に宿を作った時、まだ恵明庵が無かった頃ですが、出来上がった後で親戚に、何でウチの古民家を使わないんだって言われたんで。増築した時にそれを運んだんです。梁も柱もそうです」
「あのブッ太い柱ですよね。あの柱を支えてる石は何なんですか?」(ジャン妻)
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黒い柱、丸い柱、大きい石で繋ぎ繋ぎ支えているのですよ。
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「運んで来たはいいが、寸法が足らなかったとか?」(ジャン)
「ア~ッハッハッハッハ~、そうじゃなくってぇ、床が腐ったんですよ」
床暖房は床下にお湯が巡回している。震災の揺れも影響してか傷んで洩れたことがあったという。
「その時に床を張り替えたら、柱の底が腐ってボロッボロになっちゃって、仕方がないから切ったんです」
あの大石はその繋ぎの為だって。
「雨降っとアタマが濡れるから露天入れないっていうので風呂に屋根付けてぇ、扉付けてぇ、ヒノキも変えてぇ」
現在の恵明庵は露天ではなく、他の3室同様に内湯といっていい。屋根を張って雨でも入れるようにした。風が吹き付けるので線路側にも板壁を作らざるを得なかった。震災でヒノキの浴槽にヒビが入ってそこから湯が洩れてしまい、風呂の木枠は全部取り換えるしかなかったそうです。
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床暖房が洩れで床も全部張り替えた。そんなこんなの改装や修繕で結構な金額が掛かった。その金額も聞いたが、2階とはいえあの床面積でそんなにかかったの?と驚く金額であった。
曲がり家とはいえやはり最初から繋がっている和室3部屋は頑丈なのです。洋間、恵明庵は他3部屋の和室と違って異質です。

「でももう、更級も含めて全室ベッドにしようかと思ってるんですよ」
「更級だけはベッドにしないでという常連さんもいません?(十兵衛さんとか。)」
「そうなんですけど。介護ってわけじゃないけどお客さんがどんどんトシとってぇ。起き上がるのも動くのも難儀だっていう方もいられるので。寝てぇ立ってぇってのはシンドいんでしょうね」
「最初の頃のお客さんもどんどん高齢になっていきますからね」
自分たちもそうかも。
「そうですか。気にいっていただけて」(大旦那)
いちばん金がかかっているだけに大旦那は嬉しそうだったが、恵明庵は寝室が2階にあるメゾネット形式なので、足腰の弱い人は避けた方がいいと思います。
「更級に慣れたせいか、あの洋室はあっちこっちに調度品があるから、足のつま先をぶつけたり、椅子で突き指したり、クルッと廻ったら袖がひっかかったり、あの斜めった階段の板にアタマぶつけたり」
大旦那はまた笑い出した。
「更級はそんなことないですからね。空間が広いし」
「和室はトラップが無いんですよね」(ジャン妻)

通って20数年、すっかり気に入った洋室、恵明庵。
「次回から恵明にしようぜ」
「ちょっとっ、これまで長年お世話になった更級に操を立てないの?」(ジャン妻)
更級に操ぉ?
「アナタは義理を重んずる人じゃなかったの?」
宿の部屋に義理不義理があるのか。
「あったかいんだよ床が」
それに家ではベッドなので、更級の畳の上の布団だと腰や背中に負担がくるトシにもなったし。
「家でもテーブルにしようぜ」
「それは台所でないと無理」
「TVのある部屋の畳を取っ払って洋間にして、床暖房を・・・」
「次に家を建てたならね」
それは夢に終わりそうである。

帰宅してから。
これが大旦那さんが持たせてくれた蕎麦。
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「いつも来ている方のご主人が亡くなって、キャンセルしないで娘さんが来てくれたんですよ。お供えしてくれるよう(朝から)打ったんです。よかったら・・・」と持たせてくれたの。
「今日中に食べた方がいいです。茹で時間は1分」
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家でいただく湯神の蕎麦。
「大旦那、その方のお供え用に打ったんだ」
「そう。朝は打たないって言ってたから」
打って切って夕餉の時間まで間を短くしようとしているからでしょう。
「天ぷらは?」
「ないわよ」
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テーブル席で蕎麦懐石 恵明庵Night [会津]

ギシッ
ギシッ
ギシッ
恵明庵の2階寝室からジャン妻が下りてくるところ。
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これまでの和室・更級庵は廊下に接しているから、大旦那が最初の膳を運んでドスドス歩く音が響いたら、あ、そろそろ夕餉だ、の気配が伝わるが、恵明庵は廊下のドン詰まりから更に奥まっているのでその気配がわからない。
「ハイ失礼します」
いきなり現れた大旦那が配膳中。
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更級のお膳は枠の中に小鉢が並んでいるが、恵明庵はテーブルだからこの場でお皿を並べるのです。
「あ、これはこっちだった・・・」
手前側(私)と向こう側(ジャン妻)、同じ位置に小鉢を並べるのが難しそう。対面を意識しないといけないから。
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こうして見ると、お膳と違ってスペースが広いから、小鉢と小鉢の間に隙間が開いちゃいますね。何だか料理が小さく見えるのは目の錯覚だろうか。
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テーブルのすぐ上に灯があるので小鉢、小皿、テーブルに光が反射して眩しいのです。
私の腕の悪さもありますがあまり上手に撮れていません今回は。i-Phoneなので写真の腕は関係ないかもですが。
定番の小鉢たち。
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あれぇ?何で海産物があるんだ?
マグロ、細い甘えび、ホタテ?
大旦那が、「〇〇さん(私らのこと)、馬刺お好きですか?」
「大好きですよ」
「そうですか。お好きですか。後でお持ちしますね」
「???」
「いや~、大部屋の方たちが馬刺苦手だって言うもんで」
大旦那が一旦、去った後、
「オカシイな」
「そうね。これまでずっと馬刺だったのに。旦那さん忘れちゃったのかな」
昨夜も麦とろで馬刺いただいたので(霜降りと赤身)海産物でもいいんだけどね。山国の会津では海産物がご馳走ともいうからね。
「やっぱ湯神は馬刺でしょ」(ジャン妻)
馬刺を持って来たのは大女将さん。
「長男さん、蕎麦打ってましたね」と言ったらニッコリ微笑んだ。頼むから後継してくれ。
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馬刺2.jpg
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「アタシは赤身の方が好きだな~」(ジャン妻)
マグロに例えるなら大トロ中トロより赤身がいい。私らもそういうのがキツい年齢になって来たのです。
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既に国権の熱燗が来てますが蕎麦サラダには生ビール。
蕎麦汁とマヨネーズの和え物、崩したゆで卵にはビールが合うのです。
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和え蕎麦(混ぜ蕎麦)の様相を呈してきたところ。ラーメンでいうところの油そば。
「油そばってラーメンより塩分やカロリーが少ないらしいぜ」
「アタシはそういうのイヤ」
この残ったマヨ汁を飲もうとしたらジャン妻の眦が釣り上がった。
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蕎麦粥です。白いのは鶏胸肉。これは要らないと思うが。
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イワナの塩焼き。
ジャン妻は岩魚を箸先でホジホジしながら摘まんでいる。
「アタマっからガブッっていけよ」
「アタシはそういう野蛮な食べ方はしないの」
私はアタマっからガブリ。尻尾まで完食です。
「尻尾の飾り塩まで食べて。塩分濃いんだよ」
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揚げ蕎麦、他、茗荷の天ぷら、里芋を潰して蕎麦の実を塗して揚げたもの、小エビのフリッター?
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二次会用のお新香の小皿です。〆に運ばれるもり蕎麦用に海老フリッターだけ取り置きしてあるのは天ぷら蕎麦バージョンにTRYしてみたかったから。全く意味なかったけど。
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蕎麦稲荷を半分齧って小皿に戻して、残りを摘まもうとして箸で挟んだら、中身がブニュッと飛び出したところ。
「そういうのも撮ってネタにするの?」(ジャン妻)
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もり蕎麦は長男さんが打った蕎麦です。
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取り置きしておいた海老フリッターを載せてみた。
「これだけで天ぷら蕎麦になる」
「違うと思うけど」
でもかき揚げと違って海老が小さいので、天ぷら蕎麦の香りは出せなかった。
「茗荷の天ぷら、取って置けばよかったな~」
「・・・」
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テーブル席の蕎麦懐石は最初違和感があった。
和室の膳は枠の中の定位置に小皿が鎮座したまま殆ど動かないが、テーブルの上だと小皿が左右に滑って泳いだりする。
でも和室の膳と違って膝が楽です。片膝立てたらジャン妻に「行儀が悪い」と言われた。
床暖房で足元から暖かいのでエアコンも入れなかった。
「家でもテーブルにしようぜ」
「今の家だと台所なら置けるけど」
「TVのある部屋の畳を取っ払って洋間にして、床暖房を・・・」
「次に家を建てたならね」
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ズシッ
ズシッ
ズシッ
膳を下げてきたジャン妻である。
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夜の更級庵&恵明庵。
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こうやって寒い中をウロついて写真なんか撮って、過去に風邪引いたのが何回かあるよ。
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テーブル席での二次会
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湯神にロールカーテンですよ。
合わないって?
私も合うとは思わない。でも何もないと冷気が室内に入って寒いと思うのだ。
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「女将さんに、長男さん蕎麦打ってましたねって言ったらウレシそうだったよ」
「そうか・・・」
宿継承は難しい。なまじっかモノ(施設、土地、温泉)があるだけに。
何とか次世代に繋げて欲しいものである。
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恵明庵 恵明の湯 [会津]

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10月に更級庵を押さえてあったのですが、珍しく私が多忙で断念。延期して予約しなおした日は大部屋の松月庵になるとのこと。
「大部屋か・・・」
「最初はそこだったんだよね」
最も厨房に近い大部屋で、屋根が高い部屋です。懐かしく思った。温泉心がついて初めて泊まった民宿が湯神の松月庵だから、その後は他の何処に泊まってもその域に至らずだった。

当日は天気がやや心配。
会津若松、雪。。。
会津下郷、雪。。。
1泊めは、ジャン妻が麦とろで今後の人生を左右する重要なお願いを切りだす為、若松市内に泊まったのですが、往路の道すがら湯神に立ち寄って手土産を持参している。
その時に大旦那が言うには、
「明日は雪って予報ですが、気温が高いから積もらないと思います」
天気予報よりそれを信じよう。
「部屋は洋室になります」
ほう、洋室とな。
いちばん奥の恵明庵です。2階にベッドがあるメゾネットタイプ。
「男ばっかり4名様がお泊りになられるのですが、夜に宴会でもするんだったら大部屋の方がいいので」

20年前まだ湯神の部屋が3室しか無かった頃、現在のようにネットですぐ検索できない頃、「民宿ガイド・東北編」のような冊子だったと記憶していますが、湯神の頁、紹介文に、露天風呂は作らないのですか?の要望に対して、
「作ろうという気はあるのですが、何せ自分ひとりでやってるものですから」
そう応えていたのを覚えている。
その後、大旦那から直接、「もう1部屋作ろうと思ってるんです」
もう一部屋?
次に大旦那は、「借金も返さなきゃならないし」
部屋を増築するとなると、更に借入しなきゃならないでしょう。
「でも4部屋になるっと誰か雇わないといけないだろうな」
そう呟いたのを今でもはっきり覚えています。大旦那の奥さんで教職にあった女将さんが部屋に出入りするようになったのも現在の4部屋になってからです。

(いっとき、メガネをかけた色の黒い親戚の女性がいたが、震災後は姿を消した。)

あまり記憶が無いのですが、増床、増築した4室めの恵明庵に一度だけ泊まったことがある。
念願のミニ露天が併設されたが屋根が無かった。雨や雪の日や、風強い日、寒い日は厳しのではないかと思った。
まぁ本当の露天というのは屋根なんぞなくて、自然に近いものだそうですが。
恵明庵は寝室が2階にあるので、足腰の弱い方やお年寄りにはちょっと厳しいかも知れない。

せっかく借金して増築したのに、和室3部屋(松月、長寿、更級)が埋まっても、奥の恵明庵だけスリッパが無い(閉まっている、利用客がいない)光景は何回も見ましたよ。
大旦那も私らに恵明庵を利用して欲しかったのかも知れないが、私らはその後は何とはなく和室の更級が気に入り、ずーっとそこばっかり利用していた。殆ど毎回部屋指定でしたね。
ただ、一度だけ、恵明庵でキャンセルが出たのか、4部屋で私たちだけだった時に、「隣、風呂入れてありますのでよろしかったら入って下さい」と言われたことがある。この時も屋根が無かったですね。申し訳ないけど更級庵に籠り切りになりました。

恵明庵を利用した人のみぞ知る伝説があります。WCに戸が無かったんです。
薄いカーテンのようなものを引いてあっただけじゃなかったかな。
その後、リンクしている十兵衛さん情報だったかなぁ。恵明庵の露天にも屋根らしきものが付いて、WCも扉ができたよアッハッハ(笑)・・・のような記事を見たんだと思います。
洋室か。久々の恵明庵、何だか初めて泊まる宿のようにワクワク感がするぞ。
晴れたぞ.jpg
当日、若松市内は雨で、芦ノ牧温泉から下郷への上り坂で湿雪が舞い、トンネルを抜けたら晴れていた。
「なんなんだいこの天気は」
「降るって言ってたんですけどねぇ」(渡辺酒店の主人)
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いつもの更級でなく.jpg
恵明庵.jpg
いつもの更級ではなく、その先にある恵明庵。
10数年振りです。
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テーブル席1.jpg
おっ、テーブル席ですな。
これに目が点になったが、実は長寿庵もテーブル席らしいですね。
テーブル席2.jpg
ジャン妻が先に湯に入る際に、「あ、WCに扉が付いてる・・・」・・・のを確認しました。浸かってる間、やや薄暗い部屋を見て廻った。
小さい畳に挟まれたミニ囲炉裏がある。
窓の障子.jpg
ミニ囲炉裏.jpg
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階段を上がって寝室へ。
この柱の継ぎ足しは後で触れます。
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あ、ベッドルームなんだ。
これも長年更級庵ONLYだったから知らないのですが、松月、長寿もベッドだそうです。高齢者が増えてきたし、ベッドの方が宿側も楽なんだと思う。
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二階の調度品.jpg
二階の窓から.jpg
エアコンが稼働している2階から下りて気付いたのは、足裏が温かいのです。1階は床暖房になっている。
これが恵明庵のウリです。他の部屋にはない。この床暖房と露天の改装等で、4部屋中で最も金がかかっているそうです。
灯りを点けてみた。
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2階も点けてみた。
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灯を付けてみた。慣れない部屋なのでどこにどの灯のスイッチがあるのか把握できないのだが、点けたら他の部屋とは異なる異質さが更に浮き彫りになった。内壁もそうだが洋風の調度品が多く、色合いからしてハイカラな雰囲気を醸し出していた。
珈琲か紅茶が似合うと思いますね。

では湯はどうか。
「アナタにはちょっと熱いかな・・・」
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あ、木枠だ。檜ですね。前は石だったと思うが。
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屋根もあるし。窓は観音開きになっている。
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なるほど熱いね。それは他の部屋の湯より浴槽が小さく、それでいて見るからに注がれる湯の量が倍以上あるからではないかな。
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湯上りに恵明庵からガッタンゴーの写真を撮る。
啓明庵から見た踏切1.jpg
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2階からもガッタンゴーしてみる。
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読書中のジャン妻であります。
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後で大旦那に言ったんだけど、和室更級と違って調度品が多いので、足指の先をぶつけたり、椅子に突き指したり、アタマを階段の梁にぶつけたり、作務衣の袖が欄干に引っ掛かったり、トラップが少なくないのは私の動きが粗忽なせいか。
床暖房で充分暖かく、更級のように敷きっ放しの布団に入って寝ないでも洋室の椅子に座って床に足を付けているだけで暖まるのです。エアコン切りました。
それに、静かなんです。
和室は厨房に近いので大旦那の声やドスドス鳴る足音、他の客の声も稀に聞こえる。生活環境に近いといっていいが、奥まった恵明庵は入口から部屋までの室内廊下が短くないので声や物音は殆ど聞こえないです。スリッパの音も聞こえないからね。気配が感じられないので食事を運ぶ音すら事前にわからないほどです。
2階にいると裏を走る会津鉄道の踏切の警報機音も心なしか小さい。私は20数年にして初めてこの恵明庵がすっかり気に入ってしまったのです。
夕餉の際に大女将さんに言いましたよ。
「この人(私のこと)すっかりここが気にいっちゃって」(ジャン妻)
「もっと早くこっちを利用すればよかった」
「あらぁ」(ウレシそうな女将さん)
「時を返せって」
「何を言ってるの」(ジャン妻)
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会津若松市内散策いろいろ [会津]

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会津ワシントンホテルのフロントにはまだ八重さんのポスターが貼ってあった。
あれから4年以上になるのに。
「八重さん(綾瀬はるかさん)毎年会津に来てるみたいだよ」
「ふうん、そうなんだ」
会津を含めて福島全体の観光大使そのものといっていいが。
比べて悪いが、おんな城主より八重さんの方が演技上手だと思いますけど。
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来年の大河は西郷どんだそうですが。
「見ないの?」
「気が乗らない」
「何でさ?」
「・・・」
会津を攻めつけた役者のひとりじゃないか。
「どんなのか最初だけでも」
「・・・」
薩摩は禁門の変では会津と組んだが、その後で長州と組んだじゃないか。
(反面、長州は関ヶ原から対徳川幕府だから一貫しているともいえるが。)
会津攻めは何処まで描かれるのだろうか。

12時前に会津ワシントンホテルをチェックアウトして、会津バスのケツにくっついたところ。
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穴澤病院??
会津北の防人、穴澤一族の末裔に違いない。
閃いた。穴澤姓が目に留まったということは、駅前の岩瀬書店に何か新しい史料が入ったのではないか。
ジャン妻の方から、「本屋さん行こうよ」と持ちかけられたので行ってみた。
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この書店は一般書籍とは別にかなりのスペース、棚割で地元会津の書籍を置いてある。もちろん戊辰ネタが圧倒的に多い。それらの中には地元の研究者が独自研究したものを置いてあったりする。まずここでしか購入できないと思う。
だが。。。
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こういうウリを出してる割に、そのコーナーが見つからないぞ。前回までは入ってすぐ右の内側に3尺の棚2枚にズラズラ陳列してあったのだが。
ウロウロ探した。見つからないので店長かスタッフに聞こうと思ったら。
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そのコーナーはレジ近くにあった。
あったはいいが、このジャマしているワゴンは何だ?
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陳列用のワゴンですな。新刊を入れて棚割りに持ってって並べ、下げるのもこれで運ぶとみた。
店が楽する為のワゴンを何で会津郷土コーナーを遮るように置きっ放しにしておくんだよ。このコーナーの書籍は外から会津に来る客にイチバン見て欲しい大事なコーナーじゃないか。
「オイ」
私は店のねーさんにぶっきらぼうに言った。
「あのワゴン退けてよ」
「???」
「会津コーナーが取れないじゃないか」
「あ・・・」
レジで私語してた女性店員2人のうち1人が慌てて退けてた。
購入したにはこれ。
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檜原金銀山ストーリーとは。。。
山師が書き残したのを集めたみたいだ。鉱山ネタ、そこで起きた事件とか。
穴澤一族の新史料もあった。何処から檜原に来たのか、その前の出身地が明らかに。これはさっきのバスの穴澤さん広告が導いてくれたのだろう。

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これが凄い。会津戊辰戦死者埋蔵の虚と実!!
会津人が長州人を後世でも許そうとしない最大の理由が、「会津戦争後、埋葬を許さなかった」というもの。
まだ読んでないが、それに一石を投じる書になるだろう。
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そして、「会津若松城下地図幕末編」
表が幕末の会津若松城下地図で、裏面が幕末の地図に平成の地図を重ねたもの。
ゼンリンの住居地図のようなものです。これはスバラしい。
城下に入った白虎士中一番隊の行動を洗い直さなくてはいけないかも知れない。
後で机上で調べたら、麦とろは禄高600石上田学太夫の屋敷跡だった。若年寄らしい。
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古地図で見ると.jpg
先刻私に「ワゴン退けろ」と言われたレジのねーさんも、私がこういう書籍、史料を購入したことで余計に緊張させてしまったようです。
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「味噌を切らしてたな。買わないと」
「買うわよ。味噌を買う前に同じ方向なんだけど。靴下を買いたいの」
「靴下ぁ?穴でも開いたのか?」
「いつも5足か5足まとめ買いしてるのよ」
「何も会津で買わんでも。地元のシマムラやユニクロでいいじゃん」
「だってアナタそういう店行かないじゃない」
「・・・」
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靴下屋だって。
「前に通った時に覚えてたのよ」
入ったらホントに靴下だらけ。見事に靴下だけしかない店です。
そんなに靴下だけ需要があるのか若松市は。冷え症が多いのだろうか。
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「アナタも買う?」
「買ってもいけど。足の指が5本ある靴下はヤダよ」
でも結局私は買わなかった。買わなかったが、ウチの女性社員で足のサイズが25.5cmあって、靴を購入するのにトテモ苦労しているヤツがいるのでそヤツに買ってこうかと。その女性社員は草の者4号の現場にいる女性で、ジャン妻と同期の中途入社なのです。
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私が女性用靴下のサイズをチェックしているのに気付いたジャン妻は感づいた。
「また何かイタズラ考えてるんじゃないでしょうねぇ」
「イタズラって。25.5cmを探してるんだよ。アイツに土産に買ってくの」
「止めなさいって」
見当たらないので店の女性に聞いた。「女性の靴下で25.5cmって置いてないのか?」
「置いてあるのは24.5までで、それ以上になりますとお取り寄せになります」
「ああそう」
じゃぁいいや。でもその顛末をその25.5女性にメールしたら送信エラーになった。さてはいつの間にかアドレス変えやがったな。
後日その女性に会った時に言いましたけどね。アドレス変えただろって。

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材木町にある味噌屋へいく。
ジャン家とジャン母の家庭用の味噌を購入しないと。
山家屋です。来るのは3回め。今回もお茶をいただいた。
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クラシックなレジがデンと置いてある。
もう現役じゃないだろう。今の消費税率は応できないんじゃないか。
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材木町にある山家屋さん女性が言うには「材木町は材木問屋さんの集まり」「西若松駅は材木を取り扱う貨物駅でもあったの」「昔はそこを流れる湯川っていう川で材木を流していたの。水の量も多かったんです」
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この山家屋さん、(土)(日)(祝)休みなんですよ。そりゃないぜ。
たまたま店内にこの女性がいて、開けて貰って買ったこともあるけどね。
そういう時は仕方がないので七日町の満田屋さんで購入します。店内で味噌田楽も喰えるあの店です。
満田屋さんは品揃えや在庫数が多いが、店の中で喰える味噌田楽で有名なくらいだから、観光客を集客する気配、匂いが強過ぎです。
満田屋さん(天保五年創業)。
山家屋さん(嘉永年間)
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-08-07
福島県会津若松市材木町一丁目8-13

山家屋さんで味噌を買って、靴下屋さんでジャン妻の靴下を買うのに付き合い、若松駅前に戻って書籍を購入、小雨が降る中をウロウロ走ったのですが。
味噌を買ってすぐ南にあったお寺の前に「古戦場」の碑が立ってたのが気になった。
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では蕎麦宿の3時の宿入りに向けて街を南下する際、味噌屋の近くで見た古戦場碑の辺りに戻ってぐるぐる走ったのだが、改めて探すとなかなか見つからないものなのだ。2回ほど味噌屋の前を走ってようやく見つけたのが、会津若松市材木町1-10-33にある秀長寺古戦場碑というもの。
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古戦場?
会津戦争は近代戦なので、古戦場というには違和感が無くもないが。お寺の入口に、「ウチの寺はそういう場所ですよ」と謳ってるわけですよ。
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でも解説板、文字が消えてるし。
3つ並んだ碑は、秀長寺古戦場碑、戦没者供養塔、佐川官兵衛歌碑・・・。
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碑文は判読し難い。雨の中、傘さして見上げても読むのがタイヘン。首が痛くなる。
録音できる機材があれば朗読するのだが。
碑の前に立つ.jpg
う~ん読めない.jpg
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雨の中、判読がタイヘンだったので諦め、机上で検索しました。
お許し下さい転載です。出典はhttp://mo6380392.exblog.jp/24907689/
管理人さんの承諾を得ております。ご承諾ありがとうございました。

篆額 松平保定書
明治戊辰九月五日鶴ヶ城下の東西両軍の攻防戦は日を追って劇しくなった。東軍の総指揮佐川官兵衛は日光口の西軍が本郷から若松に侵入しようとするのを知りこれを迎え撃うとして一部の兵を片原町柳原に伏せ官兵衛自らは手兵二百を率え砲兵隊とともに秀長寺裏の藪林や近くの民家に伏させ一方南町口門を守っていた一隊と水戸援軍を材木町南の柳上堤に移動させ報を得て高田から馳せつけた隊をもって西軍の退路を断つことにして西軍の到るのを待った。西軍の薩摩芸州肥前宇都宮中津人吉黒羽館林大垣太田原の十藩の兵はこの日早朝暁霧に乗じて大川を渡り飯寺村から材木町に入ろうとしたが火災のため全軍を移動し秀長寺裏から城下に入ろうとして東軍との距離僅かに百米に近づいた。このとき秀長寺境内におった砲兵隊は俄然砲撃を開始し伏していた東軍の諸隊も起って一斉に掩撃に移った。
突如三面攻撃をうけた西軍の周章狼狽は応戦に遑なくついに潰乱し東軍に降を乞うものもあり或は退路を失って大川に溺るるものもあった。
かくして戦闘は短時間に終り東軍は一部を以て西軍を追撃して南方に追い払った。この戦に西軍の遺棄した銃砲弾薬糧食毛布金圓等は莫大な数にのぼり東軍はこれ等鹵獲品を得て城に入った。
この日の戦は三旬の籠城中僅かな兵力で西軍に甚大な損害を与えた東軍唯一の勝利であった。
ここに戊辰百年祭に際して秀長寺境内の戦跡に一碑を建て永遠にこれを記念する。
昭和四十二年九月五日  山内為蔵撰文 小林春駒謹書

慶応4年(1868年)8月29日未明、会津藩家老・佐川官兵衛を将に出撃隊が編成され、城外の西、長命寺方面に展開する新政府軍を攻撃して城内への補給路を確保しようとした。
将兵はいずれも「八月二十九日討死、何ノ某」と書いた紙片を持っていたという。
だがその前夜に官兵衛は藩主・松平容保公からいただいた振舞酒を喰らい、起きたのは陽が高くなってからだった。
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誰も起こさなかったのだろうか。官兵衛慌てて飛び起きて出撃したが、未明の夜襲が陽が高くなってからの接近戦になってしまったのである。今なお弾痕の残る長命寺の戦闘で知られる。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-11-23-2
官兵衛も松平容保公の御前で、「万が一失敗したときは再び入城することはありません」と宣誓したので戻るに戻れず。そのまま場外に留まりここ材木町に移動して逆襲に転じた。

「秀長寺境内におった砲兵隊は俄然砲撃を開始し・・・」とある。寺の境内に砲を据え置いて砲撃し、土塀から身を乗り出して銃をブッ放した。
長命寺さんも秀長寺さんもそうだがお寺は塀に囲まれているし、遮蔽物のある恰好の陣地として利用されたのである。
場外戦闘に巻きこまれた。住職にしてみれば迷惑だったかも知れないが時節柄有無を言わさずだろう。
局地戦とはいえ、喜多方の熊倉、西若松の一ノ堰2連戦と並んで会津軍が新政府軍を破った勝利戦。
ここでブン獲った鹵獲品や辛うじて確保した補給線はその後の籠城戦に小さくない影響を及ぼしたらしいが、官兵衛は城内に戻らなかった。バツが悪くて帰還できなかったのだろう。
官兵衛はここから遠い南会津まで転戦する。鶴ヶ城開城後も。
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「あった?」
「あったけど。碑文が読めないんだよ」
よ~く目を凝らせば読めるんですがね。碑が高過ぎて上から下まで全部読むのに疲れるのです。

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平成30年(2018年)会津若松市はNHKの大河・西郷どんに対抗するように、会津戦争終結から150周年を謳って、記念事業を開催、展開していくという。
(慶応4年/明治元年、1868年プラス150年=2018年)

湯野上温泉へ。
雨だったのが芦ノ牧温泉を過ぎて坂を上る辺りから湿った雪に変わった。
だが、長大トンネルを抜けたら前方の空から薄日が差してきた。雪降ってるけど晴れてる?妙な天気になってきた。
湯野上温泉駅を過ぎて渡辺酒店に停めたら晴れた。
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普段はネット購入で、湯野上を通る時だけ挨拶がてら顔を出して店で購入するのです。
「ツケは?」
「ないわよ」
渡辺酒店から請求書も督促も来ないのをいいことにツケが半年貯まったことがある。
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一升瓶を6本ケースで買い込んで車に載せた。

湯神を知った最初の頃は、宿と南会津だけの銘酒だった「花泉」だったが。。。
花泉は伊南、伊北の方にしか無かった。若松市内で花泉を置いてる店が1軒だけあってそれが「麦とろ」だった。若松市内に花泉を置いてない理由は、花泉を最初に持ち込んだら、既にある有名どころを扱ってる店から冷たくされたというのである。
それが今回、会津ワシントンに樽が堂々鎮座していたんですよ。いつの間に。
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自分たちの嗜好も変わったのか。ここ数年は花泉を買って飲まなくなった。花泉よりも会津中将、会津娘を好むようになった。

それらを家計費で購入して、私は飛露喜の前掛けを購入した。
いや、いただいちゃったんです。あげますって。
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「前掛けもお酒の箱に詰めましょうか?」と言われたが別にして貰った。会津から戻った翌日の日曜に使うのです。
「何に使うのあれを?」(ジャン妻)
「秋祭りで前掛け巻くんだよ。秋刀魚を焼くんだから」
「???」
この顛末は町内会人間ドラマで取り上げましたね。今でも干してあります。なかなかニオイが取れないのだ。
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今回は洋室・恵明庵です!!
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会津の高野山と謀叛人の系譜 [会津]

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会津の高野山と呼ばれる八葉寺。(河東町)
山間ではなく平地にあり、隣に田んぼ、畑、住宅地もあり、寺の境内も整備されているとも言い難いが、樹木に囲まれ鬱蒼としており、観光地化されていないのがいい。
住職はいないようです。荒れ寺?とまで言わないが、寺のHPもあるし、町が管理しているのでしょうか。
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この寺が開かれたのは康保元年(964年)、平安時代だから1000年以上前です。空也上人という高僧、エラい人。平安時代もこの頃になると律令制が崩れてきている。空也上人は律令政の最後の天皇、醍醐天皇のご落胤ともいふが、在世中に40人も子供を儲けた天皇だから。
私はこの時代の知識に疎いのですが、口から針金でつないだ6体の小さい阿弥陀仏を吐き出すような像が空也上人さんですといえば見たことある人いるでしょ。
寺の名前は、上人様が独鈷杵でこの地を突いて湧き出た泉の池に、八葉の白蓮が生じたからといふ。
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私はこの頃の知識に疎いのですが、寺を紹介するサイトによると上人が訪れた頃この地は荒廃しており、疫病か飢饉か、磐梯山の噴火の影響か、寺の周囲や村々に打ち捨てられてろくに供養されていない遺骸や遺骨が散らばっていたとあります。
上人はそれらを集めて境内に供養された。
まだ蘆名氏の祖となる佐原一族は来ていません。寺社勢力が強くなっていく頃です。
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中世になると寺は会津守護、蘆名氏の庇護下に入るが、境内の端、丘の麓に、その蘆名家中の内紛、内乱に破れし者の供養塔があった。
『猪苗代勢武将等の供養碑群
中世会津の戦国時代は内乱を繰り返していた。
蘆名十五代の当主盛舜の代に起きた大永元年(1521)6月16日の猪苗代盛光の反乱は、盛舜の家臣松本新蔵人、宇門、塩田刑部らの猪苗代方への内応によるものであったが、盛舜の軍勢に反撃されて敗走し、この八葉寺まで逃げ自害、あるいは討たれて謀叛側の失敗に終わった。・・・』
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猪苗代氏は会津を恩賞として与えられた佐原一族の長男だった系譜なので、四男の系譜の蘆名氏より上席だという自負が長年あるのでおもしろくない。それはわからないでもないが、松本一族は蘆名家中で、金上氏を除いて蘆名四天と称される富田、佐瀬、平田と並ぶ一族です。
彼らは蘆名家に何を含んでいるのか。松本氏は一族揃って謀叛、反乱の記録がやたらと多い。
明応元年(1492年)、松本藤右衛門輔忠が謀叛。
明応4年(1495年)、松本備前守輔豊が謀叛。
明応7年(1498年)、松本豊前守行輔、松本大学頭輔治、松本小四郎輔任、松本右馬允らが誅殺。
明応9年(1500年)、松本対馬守輔政が誅殺される。綱取城の松本勘解由は降伏。(後述します)
永正2年(1506年)、蘆名家中の四天同士の諍いでまた松本氏が謀叛。
大永元年(1521年)、松本大学、松本藤左衛門が打たれる。同年の猪苗代氏の謀叛に松本一族(松本新倉人、松本宇門他)が与している。八葉寺境内にある供養塔はこの時のものだが、松本一族の反乱はこれに懲りずにまだ続く。
弘治元年(1555年)、松本与右衛門輔敦が謀叛。
天正12年(1584年)、松本太郎行輔が謀叛。黒川城を占拠するも鎮圧される。
天正13年(1585年)、関柴の地頭、松本備中守輔弘が伊達政宗に内通。伊達軍を先導するも敗死。
松本・松本・松本・・・松本だらけ。
謀叛・謀叛・謀叛・謀叛ばっかり。
何故こんなに謀叛したがるのか。懲りない松本氏のことを知らなくても日常生活に全く不自由しませんが、それにしても謀叛の好きな一族である。何度も同じこことを繰り返している。
それでいて蘆名家中で上位に据え置かれてもいるから不思議である。根絶やしにされていない。
大河ともいえない今年のドラマはまるで中小企業の女社長にしか見えないが、あれは家の男どもが誅されても一族は親会社に従っている。それと同じようなものなのだろうか。

天正17年(1589年)、蘆名最後の当主、義広が磐梯山麓の摺上原で伊達政宗に大敗。この決勝戦と前後して松本一族の大半は伊達側に付いたようです。蘆名家は名門とはいえ末期の頃なので屋台骨グラグラ。新興勢力の伊達政宗の方が器量が上だったのかね。
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伊達軍は河東町辺りでロクなことをしていない。
「会津若松史3」から。有名な恵日寺が伊達軍の兵火で灰燼になり、湯川村の勝常寺の徳一坐像の眉間に刀で切りつけ、罰当たり三昧の伊達軍がここ八葉寺にもやってきた。
この時の八葉寺住職は蘆名の宿老、富田一族から誰かを迎え入れていて(富田美作の一族?)、寺に隣接した丘の墓地の辺りから東一帯の雑木林辺りが、寺と一体化した館、防塞になっており、僧兵どもが伊達軍に刃向ったのでこの寺も焼かれたそうです。
こんな屈強な僧兵がいたのかな。
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だが、境内にはその辺りの解説はない。
寺の東側には往時の防塁関連が草木に埋もれているらしい。途中まで歩いてみたのですが。
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ジャン妻を境内にひとり残すのも気の毒なのですぐに引き返しました。
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おまけです。(※)で松本勘解由が叛乱して立て籠もった綱取城は桧原から459号線を走って大塩・喜多方方面へ下ってきた時に偶然通りかかりました。
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2014年の秋頃にできた「会津一望の丘」を過ぎた辺りにこんな標柱があったので、北塩原村立第一中学校の脇スペースに停め、草だらけなので奥まで入れなかったですが、解説板には松本勘解由が立て籠もったと書いてありましたね。
「奥まで入らないよね」(ジャン妻)
「今からの時期は草ぼうぼうだからシーズンオフ」
「シーズンオフ?」
「晩秋から冬にかけてだな。さっき手前にあった柏木城とセットで」
「・・・」
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だが狭い会津盆地内で謀叛しても、蘆名本家のいる会津若松(往時は黒川)から近過ぎるのだ。用意周到に準備したのかどうか。1日か2日あれば鎮圧体制が整うような気がする。
謀叛は謀叛、叛乱は叛乱でしかない。
血の気だけ多くても成就しないのである。
現代にも通じるものがあるのではないか。社内で意に反することがあっても、いっときの激情で早まった行動を起こさない方がいいという戒めだろうか。
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会津辺境のローカルヒーロー [会津]

ヘアピンの連続、磐梯山ゴールドラインを走って桧原湖畔に来たところ。
磐梯山.jpg
裏磐梯には大小様々な湖や沼があってその数が300あまり。その中で最も大きいのが桧原湖。
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「これってダム湖?」
「いや、噴火で堰き止められた湖」
何回も説明してるんですけどね。ジャン妻はそういうの覚えない。桧原湖湖は明治21年(1888年)7月15日の磐梯山噴火の崩落でできた堰き止め湖。当時の桧原村は湖底に水没しています。
「深さどれくらいなのかな?」(ジャン妻)
詳しくは知らないが、30mくらいらしい。
渇水時には沈んだ村の鳥居とかが顔を出したりするそうです。
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桧原湖を見てると安らぐ。
猪苗代湖もいいけど、桧原湖は手漕ぎボートはあっても遊覧船とかが皆無なので、静かで落ち着いた湖に見える。
国道459号線の五色沼入口や裏磐梯ロイヤルの辺り(裏磐梯剣ヶ峰交差点)は観光客がうじゃうじゃいる時がありますが、ここは桧原湖の北端なので静かなものです。
時折静寂を破るかのようにライダーの走行音が響いたりするけど。

桧原、この辺り一帯は、冬場の積雪が平均2m以上になる。MAXじゃなくて平均ですよ。
湖も凍結します。
過去の3月末の写真ですが、磐梯山ゴールドラインは通行止め。湖は凍結しており、氷上にワカサギ釣り客がいた。
プレハブ?.jpg
船?.jpg
標高が高くて稲作には適さない。何処にも田んぼが見当たらない。記録に残る取れ高は僅か40石、無高と記された記録もあるとか。
ワカサギ、イワナ、ヤマメといった川魚や、高原野菜、キュウリ、アスパラガス、ナメコ、ジュンサイ(酢の物は苦手)、蕎麦、そして会津山塩、目立たないけど隠れた名産あり。
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夏場には登山客、ライダー、釣り人、冬にはスキー客、氷上の釣り人たちが訪れます。
私は山道の運転が苦手なので、途中で脇に除けて3組のライダーに道を譲りました。
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半島みたいなのは堂場山といって、穴澤氏の城塞跡。私の会津ローカルヒーロー。
会津北の防人と呼ばれる穴澤一族がこの地に住み、北方から狙ってくる伊達軍3回、単独で撃退したネタをUpしたことがある。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-22
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-23
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-24
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-24-1

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-22
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-23-1
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-24
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-25
こんなに書いたかね。簡単に述べますが、穴澤氏は中世の頃、現在湖底に沈む桧原村に在住した一族ですが、最初からこの地にいたのではない。
中世の頃、会津守護・蘆名氏に頼まれ、この地の西にある蘭峠に出没する山賊退治の為にやってきた。
退治後も桧原にいて防人をして欲しいと懇願され、不承不承滞在したら代々住むうちに桧原が気に入って住めば何とやら。
桧原は寒冷高地で米は取れないけど、大塩の方で替え地を貰ったみたいだし、おそらくこの地で砂金が取れること、後で述べますが塩が採れること、番所と宿場町をこしらえて税を課した、そういう役得があったのではないか。
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だが、一族の裏切り者が伊達軍を手引きし、当時の娯楽施設だった風呂屋で惨殺された。
後年、蒲生氏の時代に再出仕し、桧原の関守に還り、その子孫は会津藩に幕末まで仕えたようです。
堂場山1.jpg
堂場山2.jpg
穴澤一族が滅んだ堂場山は現在ハイキングコースになっているようです。革靴なので、路肩にくるまを停めてコース入口だけ覗いてみたところ。
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掘割か。自然の沢か。
堂場山入口2.jpg
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コースは1.7km程度だけど、この入口には駐車スペースがないので、何処か他の場所に停めて、コース入口まで歩かなきゃならないようです。
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堂場山へ移転する前の城塞だったところ。
3戦して2戦目、この城で攻防戦があった。伊達軍は1000人、穴澤一族の守兵は最初20人足らずで、麓から駆け付けた援軍も80人足らずだった。
戸山城大手2.jpg
戸山城大手3.jpg
停めてあるくるまの所有者は100%間違いなく城内を散策されてるな。この辺りの山は熊が出るそうなので気を付けないと。

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穴澤一族の五輪塔。
これらは湖の渇水時に湖底から引き揚げたものだそうです。
また会いに来たよ。
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数が減ってる。2011年に来た時は五輪塔の数がもっとあったんですがね。
穴沢一族五輪塔1.jpg
穴沢一族五輪塔2.jpg

穴澤4.jpg
「で、何を食べるんだっけ?」
「塩ラーメンだよ」
この時点で私はこれから食べる会津の塩ラーメンが海水の塩ではなく山から摂れる塩であることを知らなかった。
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会津蜂蜜とスケコマシ野郎 [会津]

蕎麦宿をチェックアウトして湯野上温泉駅チカの酒屋さんに行く途中のガッタンゴー。
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踏切を渡ってすぐにW酒店があって、いつも取り寄せています。この酒屋さん、支払にのんびりしたところがあって、支払を忘れても督促がきたこと一度もない。
「ツケが溜まってるんじゃないか?」
「今は溜まっていない」
年に1回くらいツケがたまる時があります。
立ち寄って一升瓶を6本ほど購入しました。

会津に行く前月、ジャン母に言われた。
「今度いつ会津に行くの?」
「予定では来月の〇〇辺り」
「だったらとちの実のジャムか蜂蜜を買ってきてよ」
何だそれ?
また難儀なものを。
今までは「また会津に行くの?」だったのが、自分が欲しいものがあると「いつ行くの?」かい。
「それってどんなのさ?」
「これ」
残り少ない瓶詰めの蜂蜜を見せられた。
実家にあったもの.jpg
でかける前に調べるハメになった。ヒットしたのがこれ。
http://www.buna-ki.co.jp/buna/
松本養蜂総道場といふ。
会津若松市柳原町というところにあった。町外れです。
「お味噌がなくなりそうなの。それもお願い・・・」
それは場所がわかっている。満田家か山鹿家にするとして、まずはその蜂蜜を求めてくるまを走らせ、目的地に着いたら工場(養蜂場)と個人宅兼商店が並んでいた。
ハチミツ屋1.jpg
ハチミツ屋2.jpg
引戸を開けたら、ブッちらかった事務所内に申し訳程度にハツミツ商品が最小限の在庫で陳列している。
個人宅なので撮影は遠慮して手に取って眺めていたら、奥に繋がった母屋から老婦人がいそいそ出てきて売る気満々の接客TALKが始まった。「蜂蜜でございますか?」
もちろんこっちも買う気だが、サイズが大きいのである。
「デカいな。これより小さいのはない?」
ないという。まぁいい。これにする。買って振り切ってすぐ出ようとしたが、老婦人(社長さんかな?)が私たに蜂蜜の試食をすすめてきた。そんなん頂いたら世間話になるに決まっている。
「どちらからおいでになりましたか?」
「神奈川だけど・・・」
「会津は初めてですか?」
「いや・・・」
私が会津に関わったのをいつの頃から遡って説明せにゃならんのがうっとおしい。
その表情を汲み取ったジャン妻が、
「年に何回か来るんですよ」
しまいに住所まで聞かれ、年2回のセールの時にはDMをくれると。
購入したものはこれ。
ハチミツ1.jpg
パッケージから出したところ。
ハチミツ2.jpg
購入して出たら、養蜂場に面してこんなのが建っていた。
帽子沼の碑1.jpg
帽子沼?
何処にも沼はないぞ。
解説板を呼んでみたら、
「・・・文治元年(1185)、京を追われた源義経は藤原秀衡を頼って奥州平泉へと逃げ延びていました。義経と恋仲にあった皆鶴姫もまた義経との間に授かった幼子の帽子丸を抱いて後を追い、会津まで辿りつきました。
しかしこの柳原の地で敵に会い帽子丸はこの沼に沈められて殺されてしまいます。
それ以来、ここは帽子沼と呼ばれるようになりました。
その後、皆鶴姫は現在の河東町に身を寄せますが、長旅の疲れに我が子を失った心労も加わり病に臥せってしまいます。
ついには難波の地に出かけた際に水面に映る自分のやつれた姿を見て悲しみのあまり池に身を投じ、十八年の生涯を閉じました。
帽子丸の墓はここから南にすぐ・・・」
帽子沼の解説.jpg
皆鶴姫?
何処かで聞いたような。

名古屋の熱田神宮で元服した源義経が承安4年(1174年)に京都へ上り、栄華を極めた平氏の動向を探っていた時のこと。
「新編会津風土記」から。義経は吉岡鬼一法眼という兵法家が所有する兵法書(六韜)を手に入れようとしたが、その手段として吉岡の娘、皆鶴姫に近づいて懇ろになり、姫の手引きで兵法書を書写した・・・のだが。
下世話に言えば手を出したに決まっている。
皆鶴姫との間に生まれたのが帽子丸という男児。その後で義経は平氏のに探索にひっかかって京を脱出。おそらくその書写した兵法書を持っていたに違いないが、皆鶴姫は驚いて義経の後を追ったということは。。。
姫を置き去りにしたのでしょう。
帽子沼の碑2.jpg
あ、思い出した。ここから北東、日本初の4年生コンピューター専門大学である会津大学の北、600m辺りの農耕地に藤倉という地があって、そこに会津守護、蘆名氏の祖、佐原義連~盛連~6人の息子たちの三男、盛義がいたネタのついでに、皆鶴姫の記事を書いてました。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-04-27
皆鶴姫のお墓.jpg
これが源義経が奥州へ逃げた後を追って来た女性、皆鶴姫の墓です。

義経は手を出した女性が多過ぎ。
私が知っているのだけでも、正妻の河越太郎重頼の娘、愛妾の静御前、佐藤継信、忠信兄弟の妹、皆鶴姫、平時忠の娘、浄瑠璃姫、唐橋大納言の娘、鳥養中納言の娘、白拍子たち。。。
井伊家のファミリー大河で柴崎コウさんと貫貴谷しほりさんが2人して泉下の井伊直親のことをスケコマシと絶叫していたね。(昨夜の回送シーンでもありましたね。)
何て品がないことかと呆れたが、時代と境遇が違うとはいえ、直親もやってることは同じようなものではないか。
品の無い場面.jpg
ジャン妻は2年前の過去記事で藤倉の義経伝説を見て烈火の如く怒ったが、今回の蜂蜜購入で偶然見つけた裏付け訪問には興味を示さなかった。すっかり忘れているのか。
2年前は凄かった。
「何これ!!」
「・・・」
「これって結局利用されて捨てられただけじゃない!!」
「まぁそうだよな」
「ヒドい男。。。」
「・・・」
私を睨めつけたものだが今回はつまらなそうに見ていた。
皆鶴姫のいわれ.jpg
次に向かった場所は。。。
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