So-net無料ブログ作成

烏川木橋を歩く [風景]

この先にあるもの.jpg
上信電鉄の佐野のわたし駅前の踏切を渡り、新駅を誘致した??新興住宅街とマンションに接する路地を烏川方面へ曲がるとこんな標識があります。
軽自動車以上通行禁止1.jpg
『道幅1.4m、この先の佐野橋は軽自動車(但し耕耘機及び二輪車を除く)の車両の走行を禁止する 市道管理者』
1.4mでは軽自動車でも無理ですね。ではどんな橋なのか
橋1軽自動車以上通行禁止2.jpg
烏川を渡る橋が見えます。橋桁は木製です。標識にある通りくるまは通行できません。歩行者、自転車、バイクは走行できます。
軽自動車以上通行禁止3.jpg
橋2.jpg
この橋は上越新幹線が高崎に着く直前の左側車窓からも見えます。上信電鉄の烏川橋梁、緑色の連続ガーダー橋とやや距離を置いて並び、対岸の高崎商科大方面へ渡る木橋です。
橋3.jpg
では歩いてみましょう。足裏から木の感覚が伝わってきます。
橋4.jpg
トントン歩きながら下流を望むと、釣り人が2人か3人いた。
遠くに見えるなだらかな丘は根古屋城で、その先に山名城があります。
橋5下流1.jpg
バイクが来ると橋梁がたわむのが足裏からわかります。そうでなくても上下にたわんでいる箇所がある。
橋6バイク.jpg
足裏から木の感触が伝わってくる。アスファルトやコンクリートと違って温もりがあります。
橋7下流2.jpg
下流の河川敷に案山子が2つ立っているぞ。
橋8下流3案山子.jpg
すぐ上流に上信電鉄のガーダー橋が並んでいる。ガーダー橋は規格が不揃いなところがあって、径間が短いところは橋が細い。
橋9上信電鉄鉄橋1.jpg
橋脚というものは川の流れを阻害するなので、なるべく径間を長くして橋脚数を少なくした方がいいのですが、そうするには橋梁をしっかりしたものにしなくてはならない。鉄の梁を太く長く、組み合わせて強くするには材料費、施工費が莫大になります。上信電鉄は幾つか河川を渡りますがトラス橋が無いのは軽便鉄道から始まったからだと思います。
橋10上信電鉄鉄橋2.jpg
橋11上信電鉄鉄橋3.jpg

橋12対岸へ.jpg
トントン音を立てて歩きます。意外とこの木橋利用者が少なくないのです。部活動を終えた高校生が自転車で走ってくる。皆さん礼儀正しい。私みたいな胡乱な余所者にも「こんにちはぁ」と挨拶して走り去っていく。
地元の高齢者がバイクに乗って走り去ったり。アマチュアカメラマンも。
学生さんとすれ違うのは下校時間と重なったのかな。ボンヤリして川風に吹かれてると橋上には自分しかいない気になりますが、ふと気付くと誰かが渡ってくるのですよ。くるまは通行できませんがこの木橋梁は地元の生活道なのです。
橋13そろそろ渡り切る.jpg
橋の途中で振り返ります。左手に鉄骨が2本立っているのは増水時に流れてきた流木や木の枝討を橋手前で止めるものだと聞き及ぶ。
橋14上信電鉄鉄橋4新幹線も.jpg
時折、轟音を響かせてあっという間に走り去る新幹線。新幹線の走行本数は多いが、上信電鉄はこの時間だと1時間に2本程度。
でももうすぐ高崎方面上り、下仁田方面下りが交互にやってくる筈。
橋15渡って振り返る.jpg
渡ったその先は普通の農道になっていますね。
この先、街頭もないし、夜道はアブないんじゃないかなぁ。
その先は?.jpg

橋16戻る1.jpg
では戻りますか。戻る途中で高崎方面15:08と下仁田方面15:11がやってきます。
橋17戻る2.jpg
あのマンション、さぞかしいい眺めだろうな。川のせせらぎを聞きながら、上州西に沈む夕陽を毎日見れるわけか。住んでみたい気がする。
あのマンションに住んでみたい気がする.jpg

ウッドとボトル1.jpg
ウッドとボトル2.jpg

高崎方面15:08が来たところ。佐野わたし駅にゆ~っくり停車します。
ガ3.jpg
ガ4.jpg
ガ5.jpg
ガ6.jpg
ガ7.jpg
ガ8.jpg
ガ9.jpg
ガ10.jpg
ガ11.jpg
ガ12.jpg
下仁田方面15:11が佐野わたし駅を出てスピードを上げて去っていった。
ガ21.jpg
ガ22.jpg
ガ23.jpg
ガ24.jpg
ガ25.jpg
ガ26.jpg
ガ27.jpg
ガ28.jpg
ガ29.jpg
ガ30.jpg
ガ31.jpg
ガ32.jpg
ガ33.jpg
ガ34.jpg

振り返る1.jpg
現在の木橋は平成25年(2013年)9月に台風18号による増水で流失したものを復旧したものだそうです。下を流れる烏川は、ここからすぐの下流で下仁田方面から流れてくる鏑川を吸収して、その先でまた神流川を吸収して、その先で利根川に合流します。佐野渡の辺りはそれら合流前の利根川の一支川ですが、それでもこの橋を押し流す水量があったということだ。
この木橋、往時は流橋だったそうです。河川から橋桁への高さが計画時の高水位よりもやや低い為に流失を繰り返していたとか。
平成25年といえば私の群馬転勤が終わって東京へ引き上げた年です。その前年には流出する以前の橋を見ている筈なのですが記憶にない。
あの頃はくるまで移動してた。週に2~3回、この木橋より上流の城南大橋、県道71号線を走って烏川を渡り、吉井、甘楽、富岡方面へ走ったものです。
振り返る2.jpg
で、戻ってから、帰京してから気付いたのですが。
私、大事なものを見落としています。
橋脚です!!
橋の上を歩いてばかりいて、水面に、河原に立っている橋脚を見落としました。現在は木製でなく鋼製になっているようです。
後日、新幹線から撮影したものですが何となく橋脚が見えます。これで御勘弁を。
新幹線から1.jpg
新幹線から2.jpg
新幹線から3.jpg
コメント(2)