So-net無料ブログ作成

佐野にあるもの [隠れ郷土史]

2015年の冬にUpしたこの記事ですが。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-02-20
上信電鉄の佐野わたし駅、佐野と謳ってるのはこの辺りの地名が佐野で、昔は烏川を渡る渡し船があったらしいこと、鎌倉時代に一族に所領を横領されて貧しい暮らしをしていた御家人、佐野源左衛門常世の家に諸国を巡礼していた鎌倉幕府第七代執権・西明寺北条時頼が一夜の宿を乞うたお話でした。
この時は新駅の紹介と「鉢の木」の舞台候補地のひとつがここ上州佐野というのはホントかなぁ?と疑問符を呈した程度にとどめましたが、最近この佐野源左衛門常世の屋敷跡というか、常世を祀った社があるのを知ったのです。
新幹線が高崎駅に向かって減速する辺り、車窓から上信電鉄の烏川鉄橋と、それに並ぶ人道橋が見えます。そこに至る手前に木々の下に神社と解説板があるのが一瞬目に入った。
私は標柱や解説板を目ざとく見つけるとすぐさま駆け寄ってイワレを見るクセがあります。でも走り寄って見たら町内会の掲示板やゴミ出し場の注意書きだったり、山林保護や不法投棄厳禁の表示だったりしてガッカリすることの方が多いけど。
新幹線の車窓から一瞬見える社の境内がそれではないかと思い込んでしまった。

佐野わたし駅を出て、踏切を渡り、
踏切.jpg
坂を上ります。新幹線の車窓から見えたので高架に沿って上がります。
坂を上がる.jpg
裏道になっているのか意外とくるまの走行数があり、人道橋を渡ってくる高校生や、新興住宅地でマンションもあるので、地元住民が歩いてたりします。
それっぽい境内、公園、木々が見えてきた。
車窓から見えたのはあの辺りかなと。当たりをつけて行ったのですが。
神社.jpg
全然違ってました。
佐野の字も無いです。祀ってあったのは平安時代末期から鎌倉時代の歌人、藤原定家(テイカ)でした。最終官位は正二位権中納言、京極中納言とも。新古今和歌集他、幾つか書を残した人ですよ。
治承4年(1180年)から嘉禎(カテイ)元年(1235年)56年間も日記を書いた人でもある。(明月記)
歌人にはあまり興味が無いのですが、この藤原定家という人は歌人とは別にいろいろと癖のある難しい人物だったようです。宮中で喧嘩するわ、上役に逆らうわ、同僚の歌を否定したりとかも。
その藤原定家を祀る神社が何でここにあるかというと、定家が東国行脚の折に、ここ佐野松原に草庵を結びしばらく住んだと。村人に所持していた観音菩薩を授けて京へ帰った。
村人達は定家が住まわっていた草庵を堂として観音像を安置して信仰したと。
藤原定家がこの地で読んだ歌「駒とめて 袖うち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ」
解説1.jpg
解説2.jpg

古墳1.jpg
あ、境内に古墳があるぞ。
古墳は佐野村第32号古墳というそうです。さして高くない。
32号墳というからにはこの地に最低でも31個あったということか。
古墳2.jpg
古墳3.jpg
では佐野源左衛門常世の屋敷跡は何処にあるのかな。境内にこの辺りのMAPがあったので見たら、新幹線高架と反対側にあるらしい。
この辺り.jpg

そしたらまた古墳があったのです。
古墳12.jpg
古墳13.jpg
漆山古墳といいます。この辺り一帯にかつて佐野古墳群が80基ほどあったそうで、その中で最も大きい前方後円墳だそうです。
解説11.jpg
解説12.jpg
解説13.jpg
墳丘の長さは70mだったのだが、前方部が削られて61m、赤さ7.5m、
先端が削られています。
古墳16崩れてる1.jpg
振り返るとデカい土の塊にしか見えないね。
古墳17崩れてる2.jpg
凝灰岩を積み上げた長さ8メートルの横穴式石室があるけど侵入禁止です。
古墳18.jpg
古墳14.jpg
古墳15石室.jpg
誰が葬られたのか。大和王朝の直轄地である佐野屯倉(サノノミヤケ)の管理者、施政者だった豪族が葬られていたと考えらるとか。
上野三碑の2つ「山上碑」「金井沢碑」を建てた一族の祖先だともいうが、その2碑(私は山上碑しか見てませんが)は悠々流れる大河、烏川の向こう側の山中にあるのでちょっと距離があるのだが。
古墳19.jpg
「佐野村27号墳」ともいうこの古墳石室からは人骨9体が出土したとありました。そういうのは掘り出したその後はどうするのだろうね。
他、大刀、金銅製馬具、鉄鏃、金環、工具類などが出土。
漆山古墳の後円部上部から石室への侵入を試みた盗掘溝が発見されたそうです。不届き者がいて掘ったものの、石室まで届かず途中で断念した形跡があるとか。何を盗もうとしたのだろうか。
古墳21.jpg
古墳22.jpg
古墳20学者さんかな.jpg
何処かのオジさんが見学に来てた。
会話は交わしていません。まだ佐野源左衛門常世さんの屋敷跡に行かなきゃ。それは古墳から高架に沿って歩いた先にあった。常世神社とある。
常世1.jpg
佐野源左衛門常世遺跡と彫ってある。
常世4.jpg
常世2.jpg
常世解説.jpg
解説板には、
『謡曲「鉢木」と常世神社
一族の不正のために領地を横領され、窮迫の生活をしていた武人佐野源佐衛門常世が、大雪の日に宿を頼んだ修行者(実は鎌倉幕府執権北条時頼)のために、秘蔵の盆栽”鉢の木”を焚いてもてなしたのが縁で、表彰されたという謡曲「鉢木」の物語は有名で、戦前は学校の教材になっていました。
これは出家して、最明寺と名乗った時頼の廻国伝説に基づいてつくられたものであるが、常世神社は、常世が佐野の領地を横領せられてのち、住み着いた所といわれる「常世屋敷跡」で、墓は別に栃木県佐野市葛生町の成願寺境内にあります。』
常世5.jpg
御堂の扉を開くと「鉢木の絵」があるそうですが、開けませんでした。
見学料と思って僅かばかりの小銭を落としました。
常世6お賽銭入れ口.jpg
雪の夜、佐野源左衛門常世という貧しい御家人の家に諸国を遍歴している旅僧が一夜の宿を求めた。常世は旅僧が難渋されるだろうと家の中に招き入れる。
囲炉裏にくべる薪が無くなったので、大事に育てて来た盆栽、松、梅、桜の鉢の木を切って囲炉裏にくべたというあれです。
これは駅のマンガ。
佐野2.jpg
旅僧は家の中を見廻し、貧しい暮らしぶりなので、何か訳がありそうだと思い聞いてみたら、
「一族に所領を押領されかくの如き身相成り申し候。だが落ちぶれたりとはいえども幕府に一大事あらば千切れた具足を着け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り鎌倉殿に馳せ参じる所存」
実は旅僧の正体は鎌倉幕府第七代執権・西明寺北条時頼なのだが、この時は身の上を明かさず、翌朝旅立っていく。
雪解けの春に鎌倉から動員令が発令され、駆け付けた御家人衆の中に佐野源左衛門もいた。大勢いる御家人どもの中から佐野は召し出される。上席で迎えたのはあの雪の夜に泊めた旅僧だった。
佐野は旅僧の正体が執権だたのを知って驚愕するが、時頼はあの夜の佐野の言葉に偽り無きことを賞し、問注所を通して佐野庄の一件も調査済みで、横領された佐野庄三十余郷を佐野に返し与え、あの夜に薪にされた三鉢の盆栽、梅・桜・松にちなんで、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の三つの庄園を与えたという。
2001年のドラマでは渡辺謙さん演ずる時頼が佐野の家を訪れている。
常世は宇崎竜童さんが静かに静かに演じていた。大根でもなかったが殆ど、素のままだったような。
常世3.jpg
常世が一族に横領された領地はここ佐野ではなく、下野国(栃木県)の佐野ではないかな。その地を横領されてから、ここ上野国、佐野に住みついたのだろうか。
オカシイことがある。佐野氏は宝治合戦で三浦方に付いて一旦は零落するのですよ。後年の関東の名族佐野氏は、東北自動車道の岩舟JCTで北関東自動車道に入って最初の長大トンネル上にある唐沢山城、そこにいて、佐野信吉という人は、関ヶ原で東軍に付いた。関ヶ原戦後の諸侯配置一覧に本領安堵下野佐野3.9(万石)とある。
だが慶長19年(1614年)、佐野信吉は唐沢山城から江戸の火事を発見しって早馬で江戸に駆け参じたら、無断出府並びに「お前は江戸を見下ろせる山城に住んでるのか」と難癖を付けられて改易されます。
江戸からそう遠くない関東近郊に外様がいるのは目障りだったのだろう。
常世10.jpg
屋敷跡を公道から見たところ。
屋敷跡とありましたが、ホントにあったとしても貧乏御家人だから、庵程度のものであっただろう。堀や土居で囲まれた館跡とは思えない。
常世11屋敷跡の様子.jpg

駅周辺1.jpg
佐野わたし駅に戻ります。
駅周辺の風景ですが、駅前にはまだ農地、更地があって、それを越えて新興住宅地、マンションが建っている。
駅周辺2.jpg
駅ホームを見る.jpg
キタ3.jpg
キタ4.jpg
キタ5.jpg
高崎方面の電車がきた。ゼブラ模様の群馬サファリパーク号です。
この日は何処でも飲まずに帰ったんじゃなかったかなぁ。
コメント(2) 

コメント 2

峠おやじ

佐野常代の鉢の木は水戸黄門を連想させる話だけに信憑性は薄いと思います。執権もしくは得宗本人が護衛もつけずに旅をするわけないでしょう。

美談ができたのは北条時頼がうまく政治を行い、御家人にも人気があったという証左でしょう。

この話は子供の頃読んだ「偉人の本」に載ってたと思います。ほかにはサチャグラハ運動のガンジーや自分の手を鞭打った新島襄とか、感動する逸話が中心でした。

by 峠おやじ (2019-05-22 20:45) 

船山史家

峠おやじさんこんにちは。
美談ではありますが、執権時代に諸国を歩いたというのはちと信じ難いですよね。その間の政務はどうしたのかなと。
出家か隠居後だとしたら、後日駆けつけた佐野常世を引見、横領された領地を戻すぐらいの権力を隠居後も握っていたのかなと。

鉢の木は雪降る夕暮れだそうです。で、1年住んで今でも群馬にチョイチョイ通っている私が見る限りでは、ここ佐野は高崎の平野部なので滅多に雪は降らないんですよ。
2014年に2回ドカ雪が降りましたが、普段はまず積もらないです。風が強くて寒いだけでです。山間部はどもかくもね。
私は場所がそもそもここじゃないんじゃないかなと思ったりもします。
by 船山史家 (2019-05-23 06:10) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。