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あの日、あの時 [居酒屋]

あの時私はJR武蔵小杉駅にいた。
JR南武線から横須賀線&湘南新宿ラインへの乗り換えコンコースをトボトボ歩いてたら、急に激しい揺れが来たの。
日本は地震が無い日は無いというが、日頃に体感する慣れた揺れとは違った。激しい揺れで、長く揺れていた。
コンコースの鉄骨や支柱がガタガタ揺れている。あの当時の武蔵小杉駅コンコースは工事中で、床のアスファルトも平らでなくデコボコで緩く、コンコースの地面から伝わる揺れが私の靴裏から膝下を伝わり、脳天まで突き抜けた。
立ってられなくなった。片手で支柱か何かに掴まったんだと思う。その状態で揺られ続けていた。私の前にスプリングコートを着たどっかの見知らぬ中年女性がいて、揺れるコンコースの天井を見上げながら支柱に捕まっていたのを覚えています。

揺れが止まらない。工事中だから簡易的な支柱と天井の梁なので、それにジャバラやクロスした真鍮がガシャガシャいつまでも揺れていた。
コンコースだから余計な調度品は一切置いてない。倒れて来るものはない。揺れてるだけだった。
揺れが収まるのを待ちながら、ここよりも何処か遠い震源地ではもっと激しい揺れがあって、これは未曽有の災害なのを予想できる揺れだった。
揺れが収まったが、電車は止まった。JR職員も「全線不通です」としか言えない。どこで何が起こったのかすぐにはわからないだろう。
外へ出ると・・・.jpg
信号が点いていない.jpg
外に出たら信号機は消え、遠くからサイレンの音が響いていた。
曇り空の下、武蔵小杉駅から歩き始めた。業務一切を放棄して自分が生きる為と割り切るしかなかったのです。
本社にいるジャン妻は大丈夫か?携帯は繋がらない。
上り方面が渋滞しだした.jpg
横浜方面渋滞中.jpg
緊急車両.jpg
人が歩き始めた。後で見た都内の帰宅難民ほどではないが、皆歩いている。
街道が渋滞し始める。何処からか聞こえてくるサイレンの音。警察車両、緊急車両がひっきりなしに走る。東電の社用車も。上空にはヘリの音が。
コンビニ、商店は真っ暗で開店休業状態だった。
信号機は各所で消え、警察や有志が誘導、整理している。
警察が誘導中.jpg
有志が誘導.jpg
途中の小料理屋で水槽の水があふれていたのを見た。「電気通じねぇんだから商売になんねぇよぉ」とオヤジさんがボヤいていた。
一部の公衆電話に行列ができていた。後で気づいたが、携帯はダメでも公衆電話は通じるらしいのがわかった。

園児が泣いているぞ。ブルーシートを被って非難中だった。
園児が非難.jpg
綱島街道を延々歩いた。歩くしかない。
今でも覚えてるのが3人組の女性の会話で、
「ワンセグで観たらさ。何処も地震中継ばっかりなんだけど、TVK(神奈川TV)だけ必殺仕掛人やってたよ」
街道筋は何処も電気が消えている。東急も当然、不通です。日吉駅に溢れる大群衆たち。
日吉駅1.jpg
日吉駅2.jpg
元住吉駅は東急の車両基地だが不通のまま。綱島駅には立ち寄らなかった。もう東急は動かないだろう。
鶴見川を渡ります。
前方の空が暗くなってきた。明るいうちに何処まで行けるか。いや、点いてないんだからこれから先は闇になるんじゃないか。
鶴見川を渡る1.jpg
鶴見川を渡る2.jpg
どこかに公衆電話はないかな。
鶴見川を渡って大倉山駅に入ったら公衆電話にコインが溢れていた。そこで電話を借り、ようやくにして本社に電話したらジャン妻が出たの。
「何処にいるの?」
「武蔵小杉駅で止まった。そこから歩いている」
ここで初めて仙台市内の支店と全く不通なのと、都内神奈川の従業員はタクシーで帰宅が許可されたのを知る。
「お義母さん(ジャン母)と電話がつながらないんだよね。帰ったら様子見にいってくれるかな」(ジャン妻)
「今日中に帰れたらな」
「えっ、そんなにかかる?」(ジャン妻)
「ワカラン。行けるトコまで行くしかない。そっちは本社に泊まった方がいい。皆にヨロシクな」
私は強がっていたが、不安を与えず強がるしかなかったのです。
港北区役所.jpg
開庁時間を過ぎた港北区役所でWCを借りたが何も誰何されなかったですね。港北区役所の職員さんは業務停止して帰っちゃったようだが、人の気配はあったので中に入って役所内のWCを勝手に借りたのです。出すものを出したら落ち着いたというか。
ここで再度、区役所内の公衆電話を借りてジャン実家に電話したが今度は繋がらなかった。今の電話の親機ってFAXが装備されてるから電気が繋がってるからおそらくは停電だろうと。実際、停電だったそうです。
大豆戸交差点の夕陽.jpg
WCを済ませて一息入れ、その先の大豆戸という交差点を越えたら渋滞の東京方面車線で、支払が点いたタクシーがある。
そのタクシーを強引にフン捕まえたのです。身体を張ってタクシーの前に躍り出て、サイドに廻って窓を叩いた。
「第三京浜に入れるか?」
「いやぁ、高速は無理です。下(一般道)なら。どちらまで?」
「横浜の〇〇まで行けるか?」
「あ、何とかやってみます」
「何処で何が起きたんだ?」
「東北だそうです。ラジオの音量上げますね」
タクシーに流れるラジオから、震源地が東北地方の太平洋側で、津波が押し寄せたのを知った。
(そこには私の社の現場も幾つかあったのだが今は全て廃止になっています。)
タクシー乗車、新横浜方面へ.jpg
タクシーは環状2号線を走った。新横浜駅前は渋滞で、運転手はやたらと車線変更して赤でも強引に突っ込むので、急いでくれてるのかなと思って何も言わなかったが、
「お客さん、ちょっとだけトイレ行っていいですか? もうさっきっから・・・ 」
ああ、そういうことか。私は港北区役所でWCを済ませているが、運転手さんが我慢の限界に来たんだね。
タクシーは岸根公園の辺りに横付けして停まり、そこで用を済ませてましたよ。こういう時に限って滝のように流れたらしい。
トイレ休憩中.jpg
「スミマセン」って戻って来た運転手さんは再スタートさせた。「この運ちゃん、手を洗ってねぇな」と思ったがそんなことを突っ込んでる場合じゃない。
タクシー拾って安堵したもあり、ウトウトして眠ってしまったのです。こういう状況でよく眠ったよな。
闇は迫ってきた.jpg
どれくらい眠ったのかわからないが「お客さん、横浜新道入りますか?」で目が覚めた。
「入ってくれ」
横浜新道はかなり空いていたが、料金所を出てから渋滞。だがここまで来ればもう大丈夫だ。
横浜新道に入る2.jpg
横浜新道に入る1.jpg
ジャン宅の町は真っ暗だった。闇に包まれてる。タクシーも慎重に走る。
ジャン宅に着いた。私は運が良かったとしかいいようがない。金額は6400円で、
「ありがと。助かったぜ。これからまた客拾うのかい?」
「いやぁ~」
「気ぃつけてな」
もちろん一期一会です。

ジャン家周囲一帯は停電で真っ暗。撮ったんですが真っ暗で写らなかった。
電気の無い時代はこうだったのだ。TVに映る時代劇はあれでも明る過ぎる。そこらの角から刺客が出て来そうな闇に包まれている。
ジャン家に入ったら、家の中は多少の落下物がある程度だった。
そしてジャン実家へ。そこも真っ暗だったが、ジャン実家の隣町内会は電気が点いていたのである。
「あら?来てくれたの?」(ジャン母)
ジャン母は一人で蝋燭を点けてじ~っとしていた。蝋燭はジャン父(故人)の仏壇からブン取ったらしい。
来ないと思ったのかな。その晩は泊まることにした。
「隣の家は電気が点いているのよ」とやや憤慨していたのを覚えています。
「ご飯は冷えたのがあるけど」
おかずがないという。あっても灯が点かないから調理できないのだ。いちばん近所のテイクアウトチェーン店が松屋さんで、そこに走ってったら超満員で、従業員さんがてんてこ舞いだった。ここまで歩いて来た帰宅難民たちが休息がてら今宵の糧を得ようと集まっていたのである。道路向かいのデニーズは電気が消えてたから。
デニーズは消えてた.jpg
松屋1.jpg
松屋2.jpg
スタッフが言うには、
「お弁当の容器が無くなっちゃったんです」
「じゃぁ牛皿は?」
「大丈夫です」
「牛皿弁当二ちょう!!」
厨房では4人のスタッフが大忙しであった。今宵の松屋さんは疲れた通勤難民と近隣の活力の場になるだろう。
「お待ちどおさまでした。牛皿弁当二ちょう、500円になります」
「ありがと。タイヘンだが・・・」
・・・の先は言えなかった。何を言っても言わずとも彼ら彼女らはわかっている。日本人のいいところを最大限に発揮しただろう。
この松屋さんは今も営っています。この日初めて食べたんですよ。
松屋大混雑.jpg
松屋大混雑2.jpg
ジャン父(故人)の仏壇から蝋燭を借りて夕餉。牛皿の他は漬物程度で。
松屋さんの牛肉を一口喰ったジャン母はひとこと、
「しょっぱいわねぇ」
「!!!」
「いつもこういうの食べてるの?」
「そんなん言ってる場合か」
ジャン実家の夕餉.jpg
突如として21時に電気が点いたのです。東電さんはこの後いろいろ言われることになるが、現場は早期復旧に頑張ったんでしょう。
電気、水道、ガス、インフラがアタリマエにあることの何とありがたいことか。だが、TVを点けたら、震源地の陸奥の惨状が映し出された。

この夜ジャン妻は都内の社に1人で泊まったのです。近隣で出前を取ったとか言ってましたね。翌日の午後に再会できましたが、落ち着いたら泣きだした。社に自分だけ1人だったという。社は鉄筋だから安心は安心だが。
平常心を取り戻すまで少し時間がかかった。
今では「もう次にああいうのがあっても1人でいるのはイヤだ。歩いてでも帰って一緒にいる」って言ってます。

その後、ウチの社では数人が陸奥の被災地から上京してきた。現場が倒壊したからである。
私が関わったのは3人いて、1人はその年のうちにこっちで結婚して退職した。
もう1人は男性で、太平洋側から会津若松に避難してから上京したが、原発のない九州に去っていった。
もう1人の女性は東京で結婚して今も在職している。子供も2人生まれた。
往時のことは今では殆ど話さなくなった。本人も「あの頃の記憶はあまりないんです」とだけ。

警察庁の発表では、現在でもない行方不明者数2533人だという。死者は1万5897人。

今日その時間に自分は何処にいるかわからないが、その時までは普通に公務します。
(今回は敢えてボカシを入れておりません。)
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コメント 8

モノノフ

こちら和歌山ではほとんどと言ってもいいくらい影響は無かったので、ニュースを見るたびに信じられない気分に襲われました。
後で聞いた話では紀伊半島の東側では、多くの船舶が津波の余波で転覆したそうです。
その2年後くらいには和歌山県全域を、台風による豪雨被害が襲ったんですよ。
私はよく紀南方面へ旅行に行くので、見知った人を何人も失い一時期途方にくれました。

未曾有の災害に遭われた東北の皆さんに、慎んで哀悼の意を送りたいと思います。
by モノノフ (2019-03-11 09:56) 

ひざげり

私は職場でカウンセリングを受けていました。
社屋が少し前に建て直されて免震になったので直接被害は無かったですが、自宅は本やら積んであったので足の踏み場も有りませんでした。

by ひざげり (2019-03-11 12:39) 

佐奈田堂

この日は朝から変な日でした、妙に体が火照ってたんですね
そしてあの地震、空にはこの写真の中にあるような、今までにこの季節にあまり見たことのない雲が湧き立ってました
そして私は歩いて帰宅、自宅は震度5強でガスが自動で止まってましたが主導で復旧させました
その家までの長い道中、原発が壊れたというニュースをケータイで聞きビックリしました
世の中の終わりが来たのか?とあの時思ったこと、何だか今でもふと思い出します
by 佐奈田堂 (2019-03-11 14:14) 

船山史家

モノノフさんこんにちは。
仰っているのは平成27年の台風11号でしょうかね。東日本大震災の平成23年にも台風12号が・・・。
和歌山や奈良は台風の影響を受けやすい地域ですから。
今日の記事はリアルタイムでは呟きⅠなのですが、こっちに引っ張り出して再掲載しました。写真も大きくして。
今日のその時間、業務に追われて危うく逃がすところでしたが、その前に気付いて黙とうしました。
でも社内、誰もしてなかったような。。。
朝礼時の司会も震災に触れなかったし。。。
by 船山史家 (2019-03-11 19:28) 

船山史家

ひざげりさんこんばんは。
運よくタクシーをフン掴まえたのでその日じゅうに戻れたのはラッキーだったと思います。
タクシーが大通りから路地に入ったら街燈も家々も灯が点いてないのです。ブラックアウト状態。
闇に目を慣らしてから室内を見回りました。家の台所、お皿とかの割れものは引き出しにしまってあるのでそっちは大丈夫でした。書棚から書籍がドサドサ散乱したぐらい。
すぐジャン実家に走りました。
by 船山史家 (2019-03-11 19:36) 

船山史家

佐奈田堂さんこんにちは。佐奈田堂さんは人智を超えたモノを持ってそうですから、何か予兆を感じたのでは?
私はドン感なので。武蔵小杉駅のコンコースが私を護ってくれたのと運よく掴まえたタクシー、運ちゃんに感謝です。
タクシー車内で聴いたラジオ放送が信じられず、夜半にジャン実家の電気が点いてTVに映った津波を見て、これは現実なんだと戦慄しました。
翌日はどうしたんだったかなぁ。自宅待機だったかどうか。本社に泊まったジャン妻も午後には戻って来たので、そこから先は「各自できることをしろ」だったような。
もう3.10前までは戻れないんだなと思ったです。
by 船山史家 (2019-03-11 19:43) 

佐奈田堂

あれから何だかしばらくは世の中が変わった気がしました
人智を越えたっていう話では、まさに神仏が気付かせてくれたのかもしれませんね
しかしあれから8年、なんというかかんというか、もう一回大きいのがあるかもしれないような世の中に戻ってしまっているような気がします(´・ω・`)
by 佐奈田堂 (2019-03-13 19:06) 

船山史家

佐奈田堂さんこんにちは。
房総の何処かの神仏のお告げでしょうね。
日本は火山国、地震国ですからいつ何処にいても遭う可能性があります。あまりとらわれず1日1日を生きるしかないと思います。
地震以外にも集中豪雨、台風の影響で各地に爪痕が残っています。会津でも只見線が寸断されたままです。割り当てられた予算はそこで使い切るしかないのでしょうけど、東京だけ五輪で浮かれていていいのかな?と思ったりしますね。
by 船山史家 (2019-03-14 06:20) 

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