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古墳 [隠れ郷土史]

リンクしているヒロさんの記事で古墳のネタを見ました。
この夏に2回お会いしたら真っ黒に日焼けしておられたので、農作業と古墳散策でお焼けになったに違いない。
ヒロさんが訪問されたのは巨大な古墳だった。仁徳天皇、応神天皇、履中天皇、それらは陵と呼ばれている。人間ひとりを埋葬するにはバカでかい大きさ、規模である。
重機の無い時代、工事に駆り出された人たちは迷惑千万に思わなかったのだろうか。今と違って昔の人は素朴だったのかな。

上州もやたらと古墳があるところですが、あそこまでの巨大なものではないです。その差は中央集権と地方分権の施政者の格差かも知れないね。
でも、郊外をくるまで走っていると突然、土饅頭があったりするんです。
田んぼの中にあったり。畑の中にあったり。
キッチン104近くの家の庭とかにもあった。何かの祠が祀ってあった。
学校や病院の敷地内にあったり。
富岡市の某行政には建物の中にありましたよ。踏切の脇にもあった。
神社の裏だったり。上った後で調べたら古墳だったり。
墳丘が無くなって石室だけ残ってたり、ムキ出しになってたりとかもあるようです。

もちろん有名どころもあります。毛野はにわの里公園とか。
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013122401080/
でも私のカテゴリでは取り上げてこなかった。古代史が苦手なのです。難しい漢字だらけだし。
首塚1.jpg
古墳じゃないけど安中市に首塚があってそれを取り上げたことがあります。
頭蓋骨が150体分出て来たというからね。上州を蹂躙した武田軍と地元上州一揆衆の戦死者か、一般大衆が埋葬されていた。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-13
首塚2.jpg
その首塚の前に、西毛最大の古墳があります。
プレート.jpg
私が来た平成24年の頃は竹林だったと思うがいつの頃か竹が伐採され、こんもりした丘が姿を現し、今は公園化された。
首塚と古墳はセットになっていない。古墳は明るいが首塚は禍々しく感じるのは仕方がない。古墳があるのを知ってて後から隣に首級を埋葬したのだろうか。
墳丘も首塚もそうだが、すぐ隣に新興住宅地があってフツーに暮らしているようです。
古墳1.jpg
古墳2.jpg
古墳3解説板.jpg
それはさておいて市のHPから。
「簗瀬二子塚古墳 前方後円墳 全長約80m、後円部径50m、高さ約8m、前方部巾52m、高さ7m 簗瀬字八幡平 丘陵 石製模造品、銀製垂飾付耳飾、勾玉、管玉、切子玉、算盤玉、棗玉、丸玉、小玉、金箔入り3連ガラス玉、金銅製三輪玉、馬具、直刀、鉄鏃、挂甲小札、須恵器、土師器、円筒埴輪、形象埴輪 」
何のこっちゃかワカラン。
旧い時代であればあるほど希少価値のあるものなのでしょうか。
出て来たものは何がなんなのかようワカランものだらけ。では登ってみましょうか。
古墳4.jpg
古墳5.jpg
前方後円墳だから、墳丘が前と後とあります。
古墳6後円部.jpg
横穴式の石室がありますが入室はできないです。中は暑そうだ。
古墳7石室.jpg
芝生が植えられています。
古墳8.jpg
古墳9後円部に登る1.jpg
古墳10後円部に登る2.jpg
私は古墳の形状よりも、城跡の塁壁や小口(虎口、掘割の方に惹かれるんですけどね。
でもまぁ古墳に惹かれないでもない。盛り上がりが美しいからです。イヤラしい言い方、表現をすると女性の身体のようだし。
前方部と後方部の間に立つと、女性の胸元に立ってるかのようだ。
古墳12前円部へ歩く.jpg
再び市のHPから。
「左が前方部、右が後円部。馬蹄形の内堀、外堤、外周溝が巡り、墓域の全長は約130m 2段築造の墳丘で多量の円筒埴輪の樹立が認められた。6世紀初頭の築造。以前は個人所有の竹林であったが、安中市が買収し2015年7月に史跡公園として公開された。」

後円部に立って安中市街地を望む。
前から疑問に思っていたのですが、安中市には磯部温泉の旅館以外に高い建物、マンションが無い。何か規制があるのだろうか。
環濠4.jpg
環濠5.jpg
後円部から前方部を見たところ。
妙義山を向いている。山岳信仰だろうか。
古墳11後円部から前円部を望むその先に妙義.jpg
前方部から後円部を見る。
古墳13前円部から後円部を望む.jpg
墳丘の周囲は濠か溝があったようだ。
環濠1.jpg
環濠2.jpg
環濠3.jpg
私が登っているこの古墳は碓氷川の中流から上流域では唯一の前方後円墳で、当時の時代としては群馬県で最大規模だそうです。
サイズを述べます。またまた市のHP他から。
墳丘の長さ、約80m
後円部は2段築成。
直径約50m
高さは約8m
前方部も2段築成。
幅は約60m
高さは約7m
外周溝も含めた古墳全域は、長さ125m以上、幅110m
出てきた出土品は、安中市の指定重要文化財に指定され、現在は安中市学習の森ふるさと学習館で保管されているそうです。
ふるさと学習館?ああ、あれか。
妙義山の蜃気楼を展示してあるあれね。大雪の日に行ったなぁ。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-03-02

ダンボールに乗って斜面を滑ってみたいですね。子供のころやりませんでしたか?
場所によっては急斜面だから、途中で転がりそうだ。
芝滑り禁止.jpg

資料館.jpg
公園東側に小さい資料館があった。パネルが展示してある。
見てもようワカラン。ホントにわからないのです私。
パネル1.jpg
パネル2.jpg
パネル3.jpg
パネル4.jpg
パネル5.jpg
パネル6.jpg
古墳14振り返る1.jpg
古墳15振り返る2.jpg
あまりデカい古墳は空から見て「ああ、こういうカタチなんだ」とわかるものだか、外周を歩いても退屈な散歩でしかないかも知れないね。
大きい古墳ほど水濠と木々を眺めてるだけだが、この程度の規模なら空から見なくても形状がなんとなく捉えられますね。
もうひとつ行ってみます。後閑3号墳。
市街地から県道48号を妙義山に向かって走り、九十九川を渡って県道216号を直進すると左手に見えてくる。
後閑1.jpg
後閑2.jpg
後閑3.jpg
後閑3号墳は円墳です。12.6m、高さ2.2mとコンパクトサイズ。
土饅頭のようだ。
そこから出て来たものは、円筒埴輪、形象埴輪、鈴鏡、玉、鉄鏃、刀子、馬具、紡錘車・・・
やっぱり何だかわかんない。
後閑4.jpg
後閑5.jpg
3号墳とあるからにはかつては1号墳、2号古墳分は耕地整理された田んぼの中にポツンと復元されてある。
後閑6.jpg
後閑7.jpg
3号墳とあるからにはかつては1号墳、2号墳もあったのだろうか。
想像ですが、これら古墳が潰された背景は今と違って米増産が望まれた時代だと思う。遺跡保存という考えはなかったのでしょう。
後閑8.jpg
どっから見ても同じやん!!
後閑10.jpg
後閑9石室.jpg
まぁ見てもツマンないね。
古墳の敷地内に碑があるんです。
この辺りを開墾整備した功績を讃える碑がデカくエラそうに建立している。
この古墳が残されたのはそのお陰かもしれない。
妙義1.jpg
妙義2.jpg
渋川方面で古墳群を見たので後日取り上げます。土饅頭がボコボコそこらじゅうにあったのだ。
コメント(6) 

コメント 6

佐奈田堂

自分が生まれ育った房総南部も、古墳をはじめ中世の館跡などの古い遺跡系が実は多いんですが、戦後の経済成長の折、道を通したり建物を建てたりでガンガン潰されました(;^ω^)
なんで詳しいかと言いますと、ウチの父親が新聞記者だったからで、よくその手の話を父親から又聞きしておりまして・・
見当たらない1.2号古墳同様、多分全国中、そんな感じでどんどん消えていったんでしょうね
by 佐奈田堂 (2018-09-07 10:17) 

ショウ

ジャンさん、こんばんは

竹林でしたね~伐採したての頃は、荒涼としていて、ちょっと不気味でしたけど・・・
南側の梁瀬大橋ができるまでは、街灯も少なくて、夜道は怖かったです
まぁ、首塚の辺りは別の意味でも怖いですが・・・
by ショウ (2018-09-07 20:31) 

船山史家

佐奈田堂さん。
戦後の高度経済成長と米増産が叫ばれた時代に潰された感があります。
昔そこにあったものよりも、そこを新たに開墾整備した後世の人の事績を讃える碑の方が優先されるのです。
発掘調査されて記録に留めてあればまだマシな方です。
もう引退しましたが、ジャン妻父(私の義父)は不動産会社を経営しておりましたが、開発案件の土の下から何かが出ると「出ちゃったんだよ~」「出ちゃったんか~」事務所で電話でうんざりするTALKが飛び交ったそうです。「これで下手したら3年はペンディングだな」って。発掘調査が終わるまで手が付けられないとか。
by 船山史家 (2018-09-08 06:30) 

船山史家

ショウさんこんにちは。
竹林がいつの間にか伐採されて切株だらけになってたのを見て「まるで私のアタマのようだな」と思ったことがあります。
そっか、簗瀬大橋は新道でしたね。
確かに夜道は暗くて怖そうですが、すぐ隣に人住んでるし。
地権者が市に売ったんでしょうか。何もできない小山を持っていても税金もってかれるだけですしね。筍ぐらいは取れたかもですが。
by 船山史家 (2018-09-08 07:06) 

ヒロ

こんばんは。
私のは完全に田んぼ焼けですね。あの常軌を逸したような酷暑の中でもやらざるを得ない仕事はありますので、自然に焼けてしまいました。
佐奈田堂さんが書いておられるように、高度経済成長時代に相当数の古墳が潰されました。その名残が高速道路直下にある藤井寺市の赤面山古墳という倍冢で、道路建設認可の少し前に古墳として登録されていたため潰されずに生き残り、その箇所だけ橋脚がなく、かつ側道も曲げて建設されました。
https://kofun.info/kofun/2904
by ヒロ (2018-09-09 00:26) 

船山史家

ヒロさんこんにちは。
連日の農作業、復旧作業お疲れです。おケガなさらんように。
赤面山古墳ってあれですよね。高速道路が屋根代わりになっていて雨に濡れないで済む古墳?
貼っていただいたMAPを見たら藤井寺って古墳だらけなんですね。
群馬にはこれほど大きいものはございませんが。今週別項で渋川(というか隣町)の古墳を取り上げますが暑かったです。そこは見学者が誰もいないのに、駐車場で業者がブレイクしとったですよ。
by 船山史家 (2018-09-09 11:55) 

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