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モグラ駅外伝 [鉄路と風景]

写真右上、山に突っ込んでいる地下駅への通路を辿って地上に戻ってきました。
土合駅.jpg
地上ホーム2.jpg
地中の駅から転じて地上駅の上りホームです。
高崎駅構内にあった張り紙には上越線水上駅から湯檜曽駅までの何処かで架線が切れて運休しているとあった。でも土合駅には何処にもそんな通知はなかったな。
今日は電車は来ないかもしれないのに。
でもロクすっぽ走ってないのに何故架線が切れたのだろうか。
地上ホーム4.jpg
地上だから明るいし開放的だし、さっきの地下ホームの後だから目にも体にも安心、安堵感で見学できますが、こう言っちゃ悪いけどツマンないですね。
地上ホーム6から側線.jpg
この上りホーム今は単式1面1線だが、複線化される前は上下線で共有する島式ホームだったようだ。複線化したことで旧下り線は待避線になり通過待ちに使われた。その後1面1線になった。
地上ホーム7.jpg
上りホームに立って改めて駅周辺を見たが、人が住んでる家、気配は見つからなかった。朽ちかかった廃屋が散見された。裏手にある土合山の家も営っているのかどうかわからない。
さっき地下の空間で共に同じ空気を呼吸した人たちも、一応見にきた感覚で見に来てたが、地中ホームほどのインパクトはない。何だ普通の駅じゃんてなもんです。
地上ホーム8.jpg
でもせっかくだからホーム先端まで歩いてみる。
ホームの縁にトンボがた~くさん羽を休めていたのですが、私が歩を進めると安息をじゃましされたトンボたちが次々に飛び立っていく。
地上ホーム5.jpg
駅ホームにはスピーカーがあった。列車が近づいたら急を警告するかのようなヒステリックなアナウンスが流れるに違いない。
地上ホーム9.jpg
地上ホーム10.jpg
地上ホーム11.jpg
同じ駅だけど地上と地下で全く別の駅の感があるね。普通の駅でした。
地上ホーム12.jpg
さらば土合駅1.jpg
では引き上げよう。ガレた駅前広場を歩いてレンタカーへ戻るところ。
さらば土合駅2駅前を出るとこ.jpg
バス停です。谷川岳方面へのバスを2台見ました。
レンタカーに戻る.jpg
土合駅前バス停.jpg
名残惜し気に振り返ったところ。おそらくもう来ることはないと思いますが。一度見れば充分かな。またいつか来てあの要塞地下ホームに下りることはないだろう。
さらば土合駅3.jpg
上越新幹線開業(1982年)と関越自動車道開通(1985年)後、土合駅は無人化され、水上駅~長岡駅のローカル電車の駅になった。
信越線の横川~軽井沢間のように廃止されなかったのが幸いだが。
土合駅からの観光スポットは谷川岳登山、谷川岳ロープウェイ、12月初旬にOPENして翌年5月まで春スキーが出来る天神平スキー場だが、上越新幹線上毛高原駅や上越線水上駅からも関越交通バスが出ています。私もレンタカーで関越自動車道水上ICから下を走ってきた。机上で1日に5本しかないダイヤを使って訪駅できるか試算もしたのですが、待ち時間が長過ぎるのと、どうも絶食になりそうなので止めてくるまにしたのです。
登山客、天神平へのスキー客、そしてモグラ駅を見学するだけのヒマ人たちが訪れる。
そこへは電車よりくるまの方が近くて早いのだ。
JRの駅なのに。
では来た道を戻って、水上ICから沼田に向かって、ASLIマスターおススメの蕎麦屋に向かうことにしたが、おそらく今直行したら混んでるだろうと推測、ひと駅前へ立ち寄ってみた。
湯檜曽駅1.jpg
スピンオフの湯檜曽駅、これは複線化された時にできた新駅で、単線時代の湯檜曽駅は別の場所にあった。上りホームから見える現在の上り線ループのどっかにあったらしい。(有名なサイト、山いがに旧駅レポがあります。)
ここも1日に5本しかない。あたりまえだよな。さっきのモグラ駅のひとつ手前の普通駅なんだから。
ダイヤ.jpg
無人の切符入れ.jpg
運賃というか入場料入れましたよ。140円でいいよね。
入場料払ったよ.jpg
まず下りホームへ向かう。
トンネル駅1.jpg
またトンネルかよ。でも地下に潜るトンネルというよりも、ほとんど傾斜が無く、そのまま真っすぐに歩くトンネルです。
トンネル駅2.jpg
トンネル駅3.jpg
さっきのモグラ駅に繋がる長大トンネルの一端であります。
トンネル駅4.jpg
新清水トンネル開口部が見えます。トンネルの入口から外光が入っている。ここから長大トンネルがスタートしてさっきの地中駅に繋がるのだ。
トンネル駅5.jpg
このまま延々歩いたらさっきのモグラ駅に至るわけだが。そんなイベントはないです。
トンネル駅6.jpg
トンネル駅7.jpg
モグラ駅ほどのインパクトはない。都心にある普通の地下鉄の駅のようだった。いったん来たルートを戻って、階段で地上駅へ。
地上駅へ1.jpg
地上駅へ2.jpg
海抜557m.jpg
上りホームは駅舎より一段高い築堤上にあります。単式ホーム1面1線。
地上駅1.jpg
地上駅2.jpg
地上駅3.jpg
地上駅4.jpg
地上駅5.jpg
上りホームから山の斜面にループ線が望める。上り線の架線柱が並んでいる。あの辺りのどこかに旧湯檜曽駅があったらしいが、湯檜曽温泉や住民の生活圏からかなり離れているね。
ループが見える.jpg
現在の湯檜曽駅はもとはスキーシーズン時に仮営業した臨時駅だったそうです。近くにある大穴スキー場への最寄駅。
臨時駅の開業期間は12月20日~3月10日、昭和38年(1963年)まで運営された。同年9月28日に新清水トンネルが開通したことで湯檜曽~土樽間が複線化され、旧湯檜曽駅と仮停車場が廃止され、この地に新駅が開業した。
見ての通り、上りホームは地上駅、下りホームは新清水トンネル内に設けられたわけです。
湯檜曽マップ.jpg
MAPで見ると別個の単線に見えるね。
湯檜曽駅2.jpg
湯檜曽駅3.jpg
平成10年(1998年)8月29日、集中豪雨による土砂崩れで上り線構内が土砂で被災、復旧作業に1か月かかり、水上から土樽間は下り線で単線運行したそうです。今の運行本数なら複線にしなくてもよかったんじゃね?と思わないでもないが。
今日、この路線で電車を見ることはなかった。
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モグラ駅 [鉄路と風景]

モグラ21ホーム1.jpg
東京と新潟方面を結ぶ鉄道を敷設するには、群馬県と新潟県の間に聳える谷川岳の中腹をトンネルで貫かなくてはならなかった。
それが清水トンネルです。まず単線の上越本線が開通、それは高低差を稼ぐ為にループ線で建設された。単線だからその頃の土合駅は上り線と下り線も地上駅で共通だったのです。
ぐるっと曲がったトンネルを掘るのも凄い技術だが、それは先に開業していた信越本線が碓氷峠越の際に、ラックレールやら機関車の増結や付け替え等の時間ロスがあったことがあげられる。なので上越線は多少の急こう配であっても短い路線で建設したから現在のループ線形になった。
次に上越線を複線化することになり、ループ線に沿って複線トンネルを掘るのではなく、もとは信号場だった現在の湯檜曽駅手前からなるべく真っすぐに長大トンネルを掘削しようと。それが新清水トンネルです。
今いるモグラ駅はその途中に設けてある。
知らないと、水上(高崎)方面、越後湯沢(新潟)方面、どちらが上り下りなのかわからんが、整理すると、
ループ線、清水トンネル、地上ホーム(2番線)が水上、高崎方面の上り線です。次の駅は湯檜曽駅。
新清水トンネル、地下ホーム(1番線)が越後湯沢、長岡方面の下り線です。次の駅は土樽駅。
モグラ26.jpg
地上の土合駅は水上、高崎方面の上り線ホームだけになり、後から掘られた新清水トンネルの地下ホームは下り線になったので、同じ駅なんだけど上りと下りのホームが離れたのです。
モグラ駅の高低差.jpg
駅舎、改札は同じ地上にあるが、土合駅から越後湯沢方面へ行くには、改札から歩いて湯檜曽川と国道291号線を跨ぐのに143m、階段24段、そこから更に長さ338m、463段もの階段を下りていく。(高低差は約80m)
逆に言えば、土合駅で下車した場合、長さ338m、463段の階段を上がり、湯檜曽川と国道291号線を跨ぐ為に143m、階段24段を上がらないと駅の外に出られないのだ。

東洋いちのモグラ駅、土合駅地下ホーム上です。土樽、越後湯沢方面を見てみる。
モグラ23土樽方面1.jpg
モグラ25土樽方面2.jpg
反対側、湯檜曽、水上方面を見てみる。
モグラ22ホーム湯檜曽方面1.jpg
モグラ24ホーム湯檜曽方面2.jpg
坑道内は凄い湿気で、信号灯と軌道を照らす照明が不気味に光っているだけである。
寒いけど蒸し寒い?変な表現ですがそんな空気です。上着を脱いだら寒いけど、着たままだと汗がにじんでくるのだ。

先端まで歩いてみる。
トンネルの壁に消火器と退避場があった。
モグラ27消火器と退避場所.jpg
モグラ28土樽方面端っこ.jpg
反対側の先端まで行ってみる。
光や闇の向こう側から何かが現れそうである。世紀末映画でクリーチャーに襲われるのはこういうロケシーンかもしれない。
モグラ29湯檜曽方面端っこ.jpg
ジャン父方の本家は新潟県の柿崎という地ですが、まだ上越新幹線が無いころ、上野駅から上越線でとことこ新潟まで行ったことがある。
なので途中この新清水トンネルや土合駅も通った筈だがあまり記憶にない。ただ、やけに長いトンネルを走ったのと、車内が暑かったのを覚えている。
トンネルというものはあまり長いと子供にとってはつまらないものなのだ。それは帰途、上り線でループの清水トンネルを通った時もそうだったと思う。トンネルの暗い壁を延々眺めても、真っすぐなのか曲がっているのか車窓からはわからない。
モグラ32小屋とWC.jpg
何と下りホームにも待合、WCがあったのです。首都圏の地下鉄駅のホームに待合はまず無いじゃないですか。WCも改札内のコンコースにあるし。
この待合は、停車する列車よりも通過する列車の方が多いので、風圧と走行音と、これだけの湿気が吹き付けるのを避ける為だそうです。それには貨物列車も含まれる。そっちの方が多いのではないか。
トンネル内だからエコー効果がある。ここで1曲歌ったら下手でも地上で歌うよりは上手く聞こえるかもしれないが、WCで用を足すとなると排泄音が駅中に響き渡るに違いない。WCを利用したら生涯の思い出になるのは必定だが止めといた。
管轄している水上駅の職員が掃除に来るなら結構な運動量になるな。
さっきのモグラ漫画の解説で「この下りホームの標高は、海抜583メートル、駅舎の標高は653.7メートルあり、駅舎と下りホームの標高差は70.7メートルあります」とあった。
細かいことを言うと都内の地下鉄の地下駅とは違います。山中の地中駅なのです。
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モグラ30.jpg
下りホームは単式1面1線だが、よく目を凝らして見ると軌道を外してホームをズラしたのがわかる。これも通過列車の風圧と騒音を避ける為にズラしたと聞き及ぶ。
上越新幹線の開通前は今より遥かに多く電車が走り、土合駅にも停車したが、現在はさっき見たように上下線とも1日に5本しか土合駅に停車しない。最大4時間電車が来ない時間帯もある。
このダイヤだけなら単線だけで交互に行き違い運用ができそうでだが、実際は貨物列車が走る。
地下にいるのも飽いたので、戻ることにしたが。
「やれやれ、今度はこの階段を上がるのか」
私は周囲に聞かせるように呟いたが、他の客、誰も反応せずスルーされただけだった。
モグラ51帰るぞ.jpg
上り階段はキツイ。普段の日常生活で460もの階段を上がったりしない。メトロ南北線や副都心線は場所によっては相当深い地底にあるが、エスカレーターが必ずあるからね。
無言で上がった。100段、
モグラ52階段100段.jpg
200段、だんだん息が上がってきた。
モグラ53階段200段.jpg
300段、ここで振り返った。
モグラ54階段300段.jpg
モグラ55.jpg
モグラ56ベンチ.jpg
ベンチで休んだ。エスカレーターがあればいいのに。でもさっき言ったようにこの湿気では設置は無理だろう。メンテナンスもタイヘンだ。
高齢ペア客、家族連れが後から上がってきてる。
疲れてきたので集中力が薄れ、写真もボケてきた。
モグラ57見下ろす.jpg
モグラ58明かりが見えてきた.jpg
モグラ59階段400段.jpg
400段、もう少しだ。
私は年齢的に今以上になると厳しいかも。今日この年齢だから今しか来れなかったと思うが、この駅の真っ当な利用客は谷川岳他、付近の山々を登る登山客なので、この程度の階段では何とでもないのだろう。
これも他で聞いた話ですが、土合駅で越後湯沢方面へ向かう際、改札は列車が到着する定刻の10分前に締め切られたそうです。
モグラ60見下ろす.jpg
462段、改札までまだあるが、これでひと段落、無事に生還したといっていい。
モグラ61.jpg
モグラ62.jpg
モグラ63階段462段.jpg
明かりを見た安堵感、地下駅を振り返る。
名残惜しいような。それでいて地上に生還しつつある安ど感というか。
モグラ64名残を惜しむ.jpg

渡り通路11駅舎へ戻ろう.jpg
階段を登り終えたら、残りの距離数と階段の表示が。
労いの扉1.jpg
労いの扉2.jpg
「お疲れ様でした。
階段数462段、改札出口まで143メートル
階段2か所で24段です。がんばってください。JR土合駅」
頑張らなくてはいけないのか。
この駅は体育会系か。
何かの苦行を課してるのか。
渡り通路12.jpg
下る時は気が付かなかった段数、474段です。
渡り通路14階段474段.jpg
渡り通路13.jpg
いよいよラスト、486段、そして改札口まで17メートル、
渡り通路15階段486段.jpg
改札はここから17m.jpg
地上に生還しました。
有人駅で職員が在駐していた時代、あの階段を1日に何往復したのだろう。
何かやらかすと懲罰人事でこの駅に廻されたりしなかったかな。
日ごろ何かと不平不満の多い社員はこの駅に飛ばせばいい。少しはおとなしくなるだろう。
いや、今の時代はすぐ辞めちゃうかな。
地上水上方面ホームへ.jpg
せっかく来たのだから、上りホームも見てみましょう。
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モグラ駅 [鉄路と風景]

湯檜曽温泉を抜けて谷川岳方面へ1.jpg
水上から一般道で新潟県との県境に向かっていますが、この道は谷川岳麓の一ノ倉沢で行き止まりになる。
このまま走って越えることはできない。新潟県へ行くなら水上ICに戻って関越自動車道を走ることにになる。
上越線もこの山の何処かを長大地下トンネルで抜いているがその本数は短い。上越新幹線に取って代わられたからです。
湯檜曽温泉を抜けて谷川岳方面へ2.jpg
湯檜曽を過ぎた辺りです。鄙びた湯檜曽温泉街を過ぎたところ。老夫婦が浴衣に手ぬぐい持ってスタスタ歩いていた。
会社携帯が鳴ったので途中で止めて「後で折り返す」と返信。
だけどこの先、電波繋がるのかな。山の途中から土の中に入るのですよ。
土合駅前ロータリーはガレている1.jpg
着きました。今回の群馬ディスカバー最大の目的地がここJR上越線の土合駅、群馬県内の北の端、新潟県境の手前にある駅です。
駅なのにくるまで来ました。
土合駅前ロータリーはガレている2.jpg
これは駅前広場といっていいのだろうか。舗装されていない。ガレて大石が転がっている。
レンタカーのボディに石跳ねして傷つけたくないので、くるまは道路に近いスペースに停め、徒歩で駅舎に向かった。
この土合駅、秘境駅のようにも言われているが、登山シーズンには谷川岳への登山客が下車するそうです。他にも今回の私のように、東洋一のモグラ駅と呼称される下り線地下ホームを見に訪れる観光客が少なくないらしい。
駅前広場もシーズンになると谷川岳への登山客で満車になるそうです。今日は夏休み前の平日なのでこんな感じですが、来たのは私だけではなかった。私と同じような酔狂な見学者が10人くらいいた。皆、誰もいない改札を自由に出入りして、自己責任で見学していた。
駅舎入り口.jpg
廃駅には見えない。旧いだけで現役の駅です。

だけど1日に5本しか停車しないのか。
駅なのにくるまで来た理由は本数が少なすぎるからです。電車で来るとかなりの時間ロスになる。
ダイヤ.jpg
モグラ駅になった理由.jpg
モグラ駅の高低差.jpg

寝泊りするなってことらしい1.jpg
寝泊りするなってことらしい2.jpg
寝泊りするなってことらしい3.jpg
こんな張り紙が至る所に貼ってあるのは、山間の無人駅なのを幸い、この駅の待合室内で寝泊まりする登山客がいて、寝るだけならまだしも火器を使って調理を行う輩がいるらしいんだな。
無人駅ですが駅舎内に自動販売機があるにはあった。誰かが在庫を補充、売り上げ金を回収しに来るのだろう。ご苦労様です。
立派な改札があったんだな。
1番線2番線.jpg
改札を入ると2.jpg
改札を入ると1.jpg
さて、どっちを先に行くか。
当然モグラになって下り線地下ホームが先だな。
改札というか、殆ど跡といっていいが、そこから入って左へ歩いた。
では新潟方面ホームへ.jpg
子供の頃に通った小学校のボロい連絡通路のようなニオイがする。
渡り通路1.jpg
渡り通路2.jpg
渡り通路3.jpg
渡り通路4シェルター?.jpg
そして半円形のスノーシェッドを歩く。国道と湯檜曽川を渡る為のものです。
汚れた窓から覗いた湯檜曽川はキレイな清流ですね。船山川よりキレイだ。
渡り通路から外を見たところ.jpg
これは無事に帰還して外から撮影したスノーシェッドです。わざわざ対岸に渡って、山のドテっ腹に突っ込んでいますね。
渡り通路を外から見たところ2.jpg
渡り通路を外から見たところ1.jpg

モグラ1そして魔界の迷宮へ.jpg
さぁそこから先が地下への入り口です。
魔界か迷宮に誘うかのようだが現役の駅ホームへの階段なのです。ゆっくり下りていく。
モグラ2.jpg
アヤしいトンネル階段です。
要塞地下トンネル?核シェルター?
人類が核戦争かウィスル蔓延で死滅して自分だけ生き残ったような感じだ。脇からクリーチャーが現れそうである。
幸いこの地下世界にいるのは自分ひとりだけではなく、自分より先にどっかのオジさんがひとりで歩いて見学している。壁から異生物が現れて犠牲になるのは私より彼の方が先だなと思った。
そういうバカな妄想よりも、今、たった今、ここにいて大地震があったらどうするのか。ホントのシェルターになってしまうじゃないか。崩落さえなければ、豊富な湧き水でしのげるだろうか。
下りにくい階段である。どっかの神社の参道にこういう階段があったかも知れない。
階段ひとつひとつの段差は高くないが、5段下りて踊り場、また5段下りて踊り場、このパターンを繰り返して下りていくのである。
下りていく階段右横には空いたスペースの幅が続いている。
これはエスカレーターを設置しようと設けたスペースらしい。
モグラ3右はエスカレーター予定幅.jpg
湿気がすごいです。壁から谷川岳の湧き水がしみでている。
下りていけばいくほど湧き出る水量が多くなり、水音が大きくなってくる。
モグラ4階段300段.jpg
途中で気が付いた。階段の段数が表示されているのです。ここまでは無意識に闇雲に撮影してきたのですが、どれも同じような単調で薄暗い風景なので、100段ごとに下方向と振り向いて見上げて上方向を撮ることにした。
モグラ5.jpg
モグラ6見上げる.jpg
モグラ7階段200段.jpg
モグラ8.jpg
モグラ9見上げる.jpg
モグラ10ベンチ.jpg
階段の途中には休憩用のベンチが設置されている。途中で一息いれる為です。
ビルの階段のように一気に下りないで途中にこういう踊り場を設けたのは、地上から今向かっている下り線ホームまでの距離、高低差、階段の角度を計算したのだと思います。高度成長期にできたトンネルだが、まだ関越自動車道は開通してない頃に完成したで、人が物資を運んでいた筈だし。
だけどさすがにこのベンチに座って弁当広げる気にはならないね。
下りていく階段右横、エスカレーターを設置しようと設けたスペースは途中から川になって水が流れていた。トンネル壁の隙間から流れ出す湧き水が注いで浸食されて小川のようになっていた。この川も下るほど水量が多く、流れる音が大きくなっていく。
今後もエスカレーターを設置する予定は全く無いそうだが、設置してもこの湿度では錆びて故障するだろう。
モグラ11階段100段.jpg
地下ホームが見えそうで見えない。先に行く人が時折振り向いて私を見たりする。
私も来た方向を振り返ると2家族が5人、後からペア客が2人、私が潜って戻って地上に出るまでに計10人の見物客がいたのを確認した。
残り100段を切ったところでようやく地下ホームが見えてきた。
モグラ12.jpg
モグラ13見上げる.jpg
モグラ14もうすぐだ1.jpg
モグラ16最下部に下りて見上げる.jpg
モグラ15もうすぐだ2.jpg
先に下りたどっかのオヤっさんがこっちを見上げてる。
ここまで10分ちょいかかった。もっと時間が経ったような気はしたが意外に短い時間だった。でも帰りは上りだからそれ以上の時間がかかるだろう。
モグラ18見上げる.jpg
下りたところにこんなマンガがあって、
「ようこそ日本一のモグラ駅へ
この階段は、338メートル、462段あります。
階段を上り、143メートル(階段24段)の道路通路を経て改札口になります。
また、この下りホームの標高は、海抜583メートル、駅舎の標高は653.7メートルあり、駅舎と下りホームの標高差は70.7メートルあります。
改札口までの所要時間は約10分要します。
足元にご注意してお上がり下さい。
土合駅」
モグラ17.jpg
注意してお上がりくださいだって??
そうか、下りてきたからにはあれだけの階段を今度は上らないといけないのか。やれやれと思ったよ。この説明はホームに下りた客に注意喚起していて、地上からはるばる下りてきた見学者対象ではないのです。そりゃ運賃払って下車した客にそう労うのは当然ですけど。
そういえば、私もそうですが誰も入場券払ってないようだな。運賃箱あったかな~。
私は今回のディスカバー群馬で、吾妻線の万座・鹿沢口駅、この後で立ち寄る湯檜曽駅では入場券というか入場料140円を小銭で支払っています。
万座・鹿沢駅ではWC借りたし、湯檜曽駅にも運賃箱があったのです。吾妻線の大前駅ではそういうBOXは無かった。ここ土合駅にあったかな~。
モグラ26.jpg
ホームに立ってみる。
地底の底に降り立った感がする。
では何でこんなモグラホームになったのだろうか?
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ルナ [Cafe]

高崎駅構内に上越線運転見合わせの張り紙が。
運転見合わせだと?.jpg
水上から先が不通だと?
私は水上から先へ行きたいんだけど。
実は心配要りません。昨日に引き続いて渋川でレンタカーを押さえてあるのです。今日は国境の駅に行きます。駅に行くのにくるまで行くのです。
Upした吾妻線終着駅大前駅もそうですが、群馬県の在来線の駅は電車で行くよりもくるまで行く方が効率がいいのです。
駅なのに電車を利用しないのは滑稽でもあるが、本数が少なすぎるのだ。
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渋川駅で下りて純喫茶ルナに向かうところ。
ルートインモーングはパスしました。二日酔いじゃないですよ。渋川に来るのでホテルで食べるのに気が進まなかったのだ。
前夜フロントにいた女性に「明日のメニューわかる?」って聞いたら「わかりません」って言われたんだよね。
昭和、平成を生き抜いたルナ、令和になっても純喫茶。いまどきの子は純喫茶なんて行かないし、その意味も知らないと思う。純喫茶とは酒類を扱わない喫茶店ですよ。酒を扱う店は不純喫茶じゃなくてCafeです。
ボードがボロボロになってますね。
ルナ4.jpg
裏面なんか剥離してるし。灯も外されたまま。
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階段を上ります。上がって振り向いたら燕の巣の残骸が増えていた。
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ルナ9.jpg
入ったら老夫婦がいた。多分私が今日最初の客ですね。
でも2人とも私に気づかないのだ。耳が遠いんだな。マスターのご両親かなぁ。
わざとゴツゴツ音を出して歩いたら婆さん(お母さんかな?)が私に気づいて「いらっしゃいませ」の第1声とともに、ボロいグランドメニューブックを持ってきた。
でも私は何にするか決めてある。
「Bにします」
「はい、びぃせっとで。おのみものはほっとこぉひぃでよろしいですか?」
声がデカいのだ。耳が遠いんだな。こっちも声が大きくなる。
「ホットでいいですよっ」
婆さん(お母さん)はカウンターに戻り、向こう側にいたお爺さん(お父さん)に向かって、大きい声で、はっきりゆっくりとこう言った。
「びぃせっと、ほっとこーひーですって」
もし他にお客さんがいたら私が何をオーダーしたか丸聞こえである。そしたら爺さん(お父さん)が耳に手を当てて、
「ああん?」
なんだってぇ?ですよ。
「びぃせっと、ほっとこーひーです」
「ああ」
わかったらしい。やっぱ耳が遠いんだな。
店内1.jpg
店内2.jpg
このピアノを最後に弾いたのは誰?
流れた曲は何だろう?
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サンド1.jpg
サンド2.jpg
まぁ素人が作ったようにしか見えないサンドですが。切り方、挟み方も雑だし。
サラダのオニオン辛いです。
サラダ1.jpg
トマトにキュウリ、家でもよく出ます。カブトムシのエサみたいに。
だけど、自分この店に慣れてきたつもりなので最初の頃より辛口なのですが、これまでより味が薄い気がしたな。
サンドもスープも塩加減が薄く、スープはトマトっぽい酸味だけだし、病院食のスープみたいだったんですよ。
やっぱりいつもの旦那さん(息子さん)が作った方が味がするなぁ。
お2人とも高年齢だから薄味になっちゃったかな。
スープ.jpg珈琲.jpg
サラダ3トマト2.jpgサラダ4キュウリ1.jpg
サラダ5キュウリ2.jpgサラダ6タマゴ.jpg

店内7.jpg
あ、マスター、旦那が来た。
「エアコン稼働してないよね?」
「両替千円札大丈夫だよね?」
他、何か確認してた。
「じゃぁ帰るよ」
お父さんお母さんは帰っていった。
マスターひとりになった。
アイス1.jpg
アイス2.jpgアイス3.jpg

バニラアイス、最初から出されるので、時間が経てば経つほど溶けてくるけど。
そうか、最後に食べないで、サラダのちょい辛オニオンと交互に食べればいいんだ。
店内8.jpg
ルナ6.jpg
客は私だけだった。
次の客が来るのは渋川駅に電車が停車した時か、伊香保方面からバスが来た頃か。
でも殆どの客はこの純喫茶をスルーしてしまうだろう。
最初からマスターがいなかったので、いつものセリフ「おくるまですか?おくるまでしたら前の駐車場に」が聞けなかったけど。また来ようっと。
だってこの時間帯だと他に無いし!!(笑)
さぁ出発だ.jpg
チャーターしたくるまは作日レンタルしたくるまだった。
昨日は34888kmからスタートして、返却した際の距離数は35018km、そこからスタートした。
結果、今日返却した際の距離数は35164kmになる。
北の駅へ向かいます。新潟県との県境の駅へ。
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ASLI 彷徨い 社員を想う [BAR]

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アス3.jpg
アス4.jpg
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「ウチは2軒めですか?」
「3軒めです。七さんと・・・」
「うさぎさん?」
「そう」
うさぎさんカフェは店内が若々しい。それはそれでいいけど大人の雰囲気の店で締めたいのでASLIへやってきました。
FD氏.jpg
「昼間はどのルートで?」
「レンタカーで嬬恋まで行って来ました。鎌原村とか大前駅とか。火山灰で埋まった村を見て、城跡も見て、途中に滝もありましたな」
「ジャンさん滝なら・・・」
マスターは吹割の滝をススめてくれた。そういう有名な滝があるのは知っているが、この時は酔いで袋田の滝(茨城県)と勘違いしてたかもしれない。
カウンター右端にPCがある。マスターのBlogが写っていて、自分と旅人の惑星さんが並んでリンクされている。新しいタブが開かれて東洋のナイアガラが写し出され、大地が避けたような岩々に激流が吸い込まれていた。柵もチェーンもロープも無いぞ。
「これ、落ちたらヤバくない?」
「ヤバいです。このラインを(マスターが岩の写真を指す)を越えると係員が制止します」
ホントに吸い込まれそうである。落ちたら命無いだろう。
場所も確認した。沼田ICから20kmくらいか。
行けなくなさそうだが。午前中に水上の先まで行く予定で、そこにあるのは東洋のナイアガラならぬ東洋のモールステーションを見に行くのです。その後はもうUpしましたが、真田伊賀守の水牢を見たせいでどうしても沼田城を見ないとBlog記事がエンディングにならないのだ。
まったく観光しないジャン妻は滝を見るのが大好きで、ひとりで吹割の滝、こんな凄い滝を見に行ったら後で機嫌が悪くなるだろうな。
いつかジャン妻との2人旅にとっておくことにした。
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飲みなおし2.jpg
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「沼田まで行かれるならぜひお蕎麦屋さんへ」
「ああ、あのお蕎麦屋さんね。遠くないですか?」
「沼田ICから10kmぐらいですよ」
10kmなら行けそうだが。マスター最近行ってないんでしょ?
FD氏の行動範囲は狭まっているらしい。で、行ったんですが、蕎麦や味はともかく、まぁ突っ込みドコロが幾つもあるお蕎麦屋さんだったよ。

話変わります。
もうすぐ二次異動がある。
この写真でしょぼい舩盛の向こうに写ってる子、この子が群馬に転勤してくる。
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「和田町ってどの辺りでしたっけ?くなしりさんの辺り?」
「くなしりは新田町でその先です。ジャンさんがよく行かれてたもりやさん(もりや食堂、閉店)のもっと先から高崎アリーナの辺りまでです。行かれてますよねなか川さんに?あの辺りまでです」
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-31-2
高崎アリーナの裏、なか川の辺りまで?
あの辺りは暗い。コンビニも無いし大丈夫だろうかと。
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高崎駅から西南、和田町か新田町か鶴見町辺りにあの子が転居してくる。
その子は私とちょっとあったんです。
泣いちゃったんですよ。50人いた新人同期に指示した私への重要な報告をその子だけ怠ったんです。理由を聞いたら「〇〇さん(私のこと)が怖くて言えませんでしたごめんなさい」って泣かれて私も傷ついたけどね。
今はまぁ普通に父と娘みたいに会話してますけど。
で、心配のあまり、通町から和田町方面へ脚を伸ばしてしまった。彷徨いです。
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社員の転勤に伴う社宅担当者に言ってるのは、群馬に転勤させる子の社宅は高崎にしてくれってこと。高崎に住めば群馬全体をカバーできるのです。玄関口でもありジャンクションでもあるからね。渋川とか富岡、太田なんかに偏ると群馬全域をカバーするのは厳しい。
でも高崎市内ったって広いじゃないですか。県庁所在地の前橋に対抗意識がある高崎市は近隣の町村を合併しまくっている。吉井、倉渕、箕郷なんかも高崎市内だからね。
社宅は高崎駅に近いほどいい。ただ、柳川町は避けてくれとも言った。社宅担当者に赤線地帯と言っても通じなかったけど、私は自分の行動範囲内を中心に安全圏を意見した。でも高崎駅から南高崎駅(上信電鉄)の辺りはノーマークだった。
この時点で社用車を貸し与えるかどうかも未定です。ただ、私もそうでしたが社命による転勤なので、1台小型車を会社名義でレンタルする案は出ているそうです。
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あの子がこの街にねぇ。
現在その子は神奈川県某所にいる。そこの連中は私の大シンパでよく連絡来るのですが、そこの事務長から、
「彼女にずっといて欲しかったです」
「ずっといて欲しかった気持ちは本人に言いなよ」
「見知らぬ土地(群馬)で大丈夫でしょうか?」
「同じ日本だぜ」
現実的な答えしか返さなかった。
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一抹以上の懸念を胸中に抱えながら、疲れた脚を引きずってゆっくりホテルに戻ったのが22時で、そこでバッタり寝てしまった。
今考えてもしゃーないしね。
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灯り屋 [Cafe]

椿町、灯屋に移転する前のCafeです。羅漢町にありました。
現在はもうありません。
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椿町のHPの本文、自己紹介から抜粋、加筆しますが、現在の椿町・灯屋の始まりは2010年7月7日、高崎の羅漢町でユイミカフェとして開店、夜の3時まで食べたり飲んだり喋ったりできるお店だった。
ユイミカフェは、You e me Cafe、アナタと私のCafe、ユイミはオーナーであるうさ子さんの本名らしい。
船山史家の呟きⅠとⅡに何回もUpしましたが、ホントに3時まで営っていましたよ。

うさこって何?
うさ子さんの高校時代の担任が「お前はうるさいからうさ子だ」それとうさぎを引っかけたらしい。
うさぎでよかったね。たぬきじゃなくてよかったね。
羅漢町は私が1年間住んだ町で、ユイミカフェは私の住んだマンションの前にあった。その他にも移転前のロツレ、今も営っている月輪、人間の多い都会の居酒屋とは全く毛色の違う名店たちに惹かれ「この地で生きていきたい」と心境を変化させてくれた町だった。ユイミカフェもそのひとつ。他は閑静な住宅地です。普通の家々の中に店がポツンポツンと営っているのです。今でもそう。
私が1年だけいたマンションを旧中山道の細い路地から見たところ。
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羅漢町のユイミカフェの一画(羅漢寺の前)だけ何故か区画整理で移転を迫られ、現在の椿町に移り、再オープンしたのが2015年4月4日、それが灯り屋。
カフェだけではなく、2階はゲストハウスになっている。泊ったことはさすがにないけど。だって朝起きたら知らない人が上のベッドに寝てるんでしょ?
でも知らない人同士が知り合い同士になる場でもある。
「人が出会う場としてのカフェが旅の人も迎えられるようになったらコミュニケーションの輪がもっと広がって楽しくなるのではと思い、1階をカフェ、2階をゲストハウスとして2015年の4月4日に再オープンしました」
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椿町は近くない。遠いです。歩きます。
(もっとも後日Upする店はここから更に遠いのですが。)
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「これは何の漢方薬です?」
「ハーヴですよ」
ああハーヴか。薬局じゃないんだから漢方なんか置けないよね。
「ビール」
「シンキチさんにします?あれ?苦手でしたっけ?」
高崎の地ビールには申し訳ないが、自分、地ビール(クラフトビール)ってホント苦手。美味しくないんだもん。やっぱり大手のビールの方が美味しいよ。
ピルスナーにした。1杯目を飲み干す私の喉が鳴った。
切干大根が美味しい。ジャン母の味に近い。
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「嬬恋村へ行ってきたの。浅間山が噴火して、火山灰で埋もれて、御堂の石段あと少しの差で助からなかった母娘の人骨が出たとこ」
「知ってる知ってる。そこへ見に行ったんですかぁ?どうでしたかぁ?」
「まぁ勉強にはなりましたよ」
へぇ、うさこさん嬬恋村の故事を知ってましたよ。大抵の人はキャベツの村でしょぐらいしか返ってこないからね。
他にも幾つか見たし、明日は北毛を廻るのですが、レンタカーを返却する時間内に急いで廻ろう廻ろうとすると疲れてしまう。
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うさ子さんはひとりで営っている。背の高い男性アシストはカフェを去ったそうです。でもお客さんの中からアシストを募って何とか。
若い客ばかりだ。私はこのCafeの客の中では年齢高くなってきた方だと思う。若い者たちに気を遣うよ。威圧感を出さないように、言葉も丁寧に、立ち振る舞いも静かに。
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「ウチ今猫いるんですよ。」
「ネコぉ?」
うさぎがネコを飼ってるだと?
「〇〇さん(私のこと)猫大丈夫ですかぁ?」
「大丈夫ですよ。自分はどちらかというと犬より猫なので」
「よかったぁ」
でも猫って餌くれるヤツにしか懐かないし、気まぐれですぐどっかいっちゃわないか?帰る時に土間を見たら、椅子に小さい布団を重ねてそこで子猫が寝てました。
「東京港区に猫酒場があるよ」
てまりという店。一度だけ行ったことがある。あまり愛想の無い店主だった。カウンターやテーブル席の空いた椅子に普通に猫が何匹かいたが、客の料理に目も向けずただそこにいるだけ。
「でも安くなかったな。あれは猫の人件費ならぬニャン件費が加算されてるんだろうな」
あまりウケなかった。滑ったかも。
飲食店と動物との併用って厳しいらしいですよ。保健所から許可が下りるかどうか。ああいうのは本当はケージに動物を入れて飲食スペースと区画しないといけないらしい。
会話しながらうさこさんはカレーを調理している。稀にチン!!なんて音もするけど基本は手作りです。
カレーをハーフでいただいた。
七さんでそんなにボリュームあるもの、ズシッとくるものは食べなかったので。
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「そういえば高崎のどっかでふくろうカフェがあるって聞いたけど」
群馬B級スポットで見たことがある。もぎ氏のサイト。
「ありますあります。行きました」(他のお客さん)
この私が他の若いお客さん、それも女性との会話になったんですよ。どっかの託児酒場みたいに個性あるオッさんと会話してんじゃないですよ。
「それって触れるのですか?」
「触れます。触れないのもいますけど」
「ふくろうって、こうやって(噛みつく仕草)アムッって噛んだりしないのかな」
「笑、それは無いと思いますけど」
「そういうカフェの珈琲高そうだですね。1杯1200円ぐらいしたりしてね」
「しますします。高いです」
「でもそういう店は珈琲飲むよりフクロウ触ってばっかりいるんだろうね。だけどふくろうって行き餌を食べるんでしょう。ハリーポッターのデカくて白いフクロウの足許に、白い骨が散らばっているのを見たけど。」
「笑」
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HPにあったうさこの自己紹介から。
「ピアノもスイミングも、小さい頃からなりたくてなった保育士も、何をやっても長続きしなかった私が自営業9年目となり、こうして灯り屋に日々立っている事に自分が一番驚いています」
保育士は聞いたことがある。でも笑っちゃったのはうさこさんがピアノ??
無理だと思うな。いや、指遣いどうこうじゃなくて、ピアノでもキーボードでもそこにずっといなきゃならないじゃない。アナタじっとしてないでしょ。
ショルダーキーボードならアクションもできるけど、あれは両手弾きが無いからね。コードを抑えないから。
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「ここでお客さんと過ごす時間は、毎日いろいろあって飽きることは全くありません。
この仕事を始めて沢山のさまざまな方達に出会いましたが、カフェと一緒にゲストハウスも始めることになり、これから訪れるであろうさらなる出会いにとてもワクワクしています。
私だけでなく、来ていただいた方達にとっても良い出会いの場・居心地の良い場になるよう灯り屋作りをしていきます。まだまだ灯り屋は完成していません。ぜひその日その時の灯り屋を楽しみにお出かけください。近所の人も遠くの人も、ひとやすみしたり泊まったり、ここを拠点に街を楽しんでもらえたら嬉しい」
まぁ良くも悪くもお客さんが友達感覚だからね。おそらく永遠に未完成のままじゃないかな。飲食店に完成って有り得ないし。
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若い人が出店し、若い客で盛り上がり、知り合いになり、和が広がっていく、その日だけでなく、またいつかどこかできっと逢える、それが高崎の店。
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通町 20周年祝ひとり酒 [居酒屋]

歴ネタに飽いたので飲みネタに。
1泊2日の群馬ディスカバー、夜は高崎泊でいつもの店へ。
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駿河大納言卿が眠る大雲寺の参道から来ました。
寺でもあり、幼稚園でもある正門をお婆さんが閉めていた。園児を迎えに来るママさんたちもそろそろ減って来る頃。
園児たちはこの地で自刃した忠長卿を知ってるのかな。
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18時、自分が最初の客かと思いきや、既に先客さんがいた。
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「今日はお仕事ですか?」
服装がいつもと違うと思ったらしい。今日1日、小雨の中をいろいろ散策しまくって服装がヨレているのもある。
「永年勤続年数20年で5日間、特別休暇が貰えたの」
「へぇ、凄いですねそれ」
「まぁ30年目はないですよ」
「笑、奥さんは?」
「向こうは5日間も休めないって。ひとりで群馬で遊んできなさいって」
メニュー載せます。
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おとおしは竹の子の煮物にちょこっとだけイカが入ってた。薄味です。
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外はまだ明るい。私はカウンター席左端にいます。
前の一通に1台のくるまが停まって、中から女性が飛び出し、バタバタと七に向かって走ってきた。
その女性は入り口の段差に躓いて前倒れになり、私のいるカウンターのエンドに手を付いて何とか転ばないで済んだが危なかったですね。下手したら角っ子にアタマかカオを打つところだ。
私と至近距離で目が遭った。
「大丈夫か?」
「あ、バタバタしてすみません、あれ?マスターは?
「彼は奥(厨房)で俺の調理を調理中だよ」
「あ、ごめんなさいじゃまして」
「何を急いでます?」
「ええっと、あのう・・・」
そしたらマスターが出てきた。手に私の料理を持っている。それを皿に移し換えてから引き出しから千円札を数枚、4枚かな?持ってきてそのバタバタ女性に渡した。
支払いだったのです。
「未払いがあったと?」
「そうなんですよ~。ジャマしちゃってホントにごめんなさい」
まぁそうだね。営業時間外に集金に来るんだね。仕込の時とかにね。
他にも2~3短い遣り取りがあって、またバタバタと出てってくるまに乗り込み、脱兎の如く走り去っていった。
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麦豚キムチサラダ、自分でもできそうですが美味しい。
豚バラ肉を焼いてキムチと混ぜて、もしかしたらキムチも炒めているのかな?それらをサラダ菜に載せて、ゴマ油をかけて小さいネギを散らしてます。
「これはビールですな」
「生もう1杯いきます?」
自分は最初は生だから「ビールに合うおとおしを出してね」と言いたいのですまずそういうのが出たことがないこの店。私の最初の嗜好が伝わってない。
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和牛タタキです。ちょこっとしかないけどこれぐらいでいいのだ。
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ちょっと疲れてもいます。早く酔いそうです。まだ明るいのに。
「酒、何があっかな」
「ええっと」
「無濾過とか生酒とかはキツイんだけど」
でもそういう銘柄、種類しか置いてないので(敢えてそうしてるのか?)最初に「姿」次に本醸造の「夜明け前」にした。
やはり最初の姿が少し経ってから効いてきた。どうも無濾過や生酒は苦手になってきた。
「1回は火入れしてますけどね」
マスターとの会話が途切れ、もうひとりの先客さん(女性)とTALKしきりです。
さっきのバタバタ飛び込んで来た女性もそうですが、ようイジられるね。それでいて決まらないんだよな。
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マスの刺身です。凄いアブラのノリでありマス。
ふぅ~、散策疲れだな。
今日は吾妻方面をレンタカー、明日は北毛を廻るのですが、いつもの旅だと3つの宿どれかに直行直帰、宿に入ったら(宿の敷内外は除く)どこにも出ない旅ばかりしているので、レンタカーを返すまでにあちこち見て廻る散策が意外に疲れた。小雨だし。慣れない道だし。
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電話が架かって来た。予約だって。「よんせんなんびゃくえんのコースで飲み放題で」なんて言ってるから、ええ~この店、ノミホなんてやるの?って思った。
前からノミホやってましたかね?こういうことを言うから「あの人(私のこと)は高見に立ってる」って社内で陰で言われてるんだけど。
ノミホは店も客も品位を落とすだけだよ。幹事は楽だけど。
ウチもかなり前にここの2階で宴会やったんですよ。コースでね。でもこうしてカウンターでオーダーするアラカルト料理より格段に質が下がったんだよね。え?こんなん出すの?普段のは?って驚いたものです。
まぁたまにはそういう宴会も入らないと店の死活問題にもなるし。2階っていう動線のハンデがあるので、私は2階の灯が点いているときは他へ行きます。
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19時前にしてラスト・オーダー・豚レバ串カツです。
全部で4本、甘いタレがかけてある。(タルタルソースがあればいいのに。)1本2本3本はハムカツみたいでしたね。
最後の4本めだけレバ感があったけど。
これは大人の駄菓子ですね。
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きっかり1時間で出ましたよ。
「置いてる酒でさ、夜明け前とか、ひと夏の恋ってあるけど、マスターの願望かい?」
「いや~、自分はそれだったら、ひとめ惚れっスね」
おお、上手だね。
ではその通りになるといいね。通町だからね。
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真田伊賀守の暴政 [隠れ郷土史]

嬬恋村から東吾妻まで戻ってきたら、車窓右手にこんな看板が。
見た最初は旅館か料理屋の看板かと思ったのですが、よく見ると、
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池廼薬師堂水牢??
水牢??
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池廼はいけのやと読みます。35号線県道、渋川東吾妻線、新巻交差点を山に分け入った先にあります。
何の為のものかすぐにわかりましたよ。水牢とは拷問の一種でしょう。そういうのを作るのは昔の治世者の誰かで大概は暴君と決まっているよね。
雨でジメジメした山間の一画にそれはあった。
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湿気と光量不足で写真がボケてますが。
『池の薬師水牢の跡
薬師堂の山瑞の軟石を掘った古池跡が、真田伊賀守による苛政を物語る「水牢」の跡と伝えられている。
水牢とは6間(約10.8m)四方を掘り下げ深さ2尺(約60cm)ほど水をため、周囲に塀をめぐらし木戸を立てた牢屋。
当時の沼田藩主の重税は苛烈を極め旧暦12月の年貢上納に際して、刑罰として年貢未納の農家の妻子を4、5人ずつ縄で縛って水牢に投獄し、寒中の水の中に立たせたと伝えられている。
投獄された家の者は見るに堪えず、一族から金子(きんす)を集め、またある者は田畑を処分して年貢を済ませ妻子を救い出したと伝えられる。
この水牢は天和元年(1681年)8月11日、山崩れによって埋没したが、その一部は現在まで歴史の証言者としてその姿を今に伝えています。』

こんなものを作らせた暴君がいたらしい。真田伊賀守信利、沼田藩五代藩主、あの真田信之の直系です。苛政を敷いて領民に重税を課し未納者をこれに放り込んで虐めたの。
触ってみた。冷たい水です。飲めるかもしれない。
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見るからに池ですが、後で掘り起こして修復したのか。おの水の中に旧暦12月、寒い時期に。低体温症で命を落とすでしょう。
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池に架かっている太鼓橋、これ、雨に革靴だと滑ります。転倒して尻餅つきました。アタマを討たなかったが、後で見たら左手首に少し痣が。
服の後処理も大変で、冷たい水で拭いて、後でホテルの部屋で洗ったもの。その後クリーニングに出して何とかなりましたが。
転んだのは領民に祟られたかと思った。伊賀守め。
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真田伊賀守信利が暴君になったのには理由(わけ)があります。
でも本人のエゴでもあり嫉妬だな。
一応、流れを検証してみる。

真田昌幸の長男、真田信之、ご存じですよね。
昌幸は主家武田家が滅ぶ前から信濃路から吾妻郡へ侵攻して、最終的には小田原北条氏と接する沼田まで進出します。主家を転々と変えながら真田家単独での勢力を維持する為にいろんなあざとい手を使ったようですが。
その嫡男信之(信幸→信之)は本多忠勝の娘で家康の養女として嫁いだ小松姫と婚姻したので、徳川氏の与力大名の位置づけだが、真田昌幸と次男、信繁は独立大名で豊家の家臣、真田家は上田城の昌幸と沼田城の信之の2家体制になる。

関ケ原戦後、真田昌幸と信繁は紀州九度山に流刑になっても上田の所領は東軍についた長男、信之に継承された。信之は沼田領と上田領併せて9万5000石を知行することになる。
問題はその後である。

元和2年(1616年)真田信之は沼田から上田に移り、沼田領3万石は長男の信吉に任せた。問題の伊賀守信利はこの信吉の子なのですが。
元和8年(1622年)真田信之は松代藩13万石へ加増転封となったが、沼田領は引き続き信吉の所領として残された。
上田藩→松代藩の系譜が本藩だから、真田昌幸があれだけ執着した沼田藩は支藩の位置づけになった感がある。

寛永11年(1643年)沼田藩を預かる真田信吉が死去、ここからがややこしい。(信之はまだ生きています。)
信吉の長男、熊之助という人が沼田藩三代藩主として相続したのですが、僅か4歳なので叔父の信政(信之の次男)が後見人になります。
信政という人は、父信之の松代藩転封の際に松代領内で1万7000石を分知され、小さいながらも大名に列していた。松代藩から沼田藩に出向?して後見したのだろうか。
ところが熊之助は寛永15年(1638年)11月6日に7歳で夭折、嗣子がいるわけないのでその跡は後見人だった叔父、信政がそのまま継いだ。松代藩内で貰っていた1万7000石を弟に譲って沼田藩3万石を継承したのが寛永16年(1639年)で、ここで暴君・伊賀守信利が登場する。信利は夭折した熊之助の異母弟なのです。沼田領3万石のうち5000石が信利に与えられる。
ここで最初に含んだかもしれない。自分が沼田藩正統の継承者なのに僅か5000石の分知だけかよと。

真田信之はまだ生きています。この人は当時では珍しく長生きした人ですが、なかなか隠居しなかった人(隠居が許されなかった?)で、明暦2年(1656年)にようやく隠居した。信政は沼田藩を継承してから17年経ってようやく松代藩の家督をゴッソリ相続した
でもわずか2年で死去しています。臨終前に父、信之の長命を恨んだかもしれない。
問題の暴君・真田伊賀守信利はこのタイミングで沼田藩主になる。信政が松代藩に戻ってそこの藩主に収まったからです。でもあっち(松代)は13万石、こっち(沼田)は3万石、4分の1かよと思ったのは想像に難くない。
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信政の子供たちもいろいろあって後継者候補から外され、六男の幸道が松代藩を継ぐのですが、これに真田伊賀守信利は遠く離れた沼田藩からブツクサ異議を申したてている。信吉系の次男である自分が相続に相応しいと。そうだろうか?ちょっと無理があるような気がするが。でもますます信利の胸中に、松代藩へのライバル意識、格差意識が強くなる。

要は松代藩、沼田藩、この2家体制が「噂の現場」の元凶なのですが、この伊賀守信利のエゴをモロに喰らったのが沼田藩の領民たち。水牢はその副産物といっていい。
伊賀守信利は松代藩に対抗して領内の検地を断行し、公称3万石の小藩のクセに5倍近い石高14万4000石という予算を弾き出して幕府に報告した。牛丼でいうメガ盛りだが、牛丼は実際に盛ってあるからいい。14万4000石は全くの虚構である。
無い袖なのに公の石高をカサ上げした以上、相応の家格にしなくてはならない。例えば参勤交代の人数とか、江戸藩邸の改装とか。
現在、ツマんない公園になっている沼田城には五層の天守閣があったといいます。それも人民の膏血を搾り取ったものから築いたといっていい。あの時代、江戸城以外に関東にそんな高層天守閣がある城って他にあっただろうか。

そして重税に苦しんだ領民の代表者が江戸幕閣に直訴、上毛カルタにある「天下の義人茂左衛門」がこれですが、それは伊賀守の意趣とは別に時の幕閣が松代、沼田、両真田家の財政に目をつけて困窮させようといろいろお手伝い(普請)を命じたせいでもある。延宝8年(1680年)、伊賀守信利は江戸両国橋改修の為の木材調達を命ぜられたが、台風で利根川、片品川が氾濫して用材が流出、翌天和元年(1681年)10月の納入期日に間に合わなかった。
この一件と前述の上毛カルタ「天下の義人茂左衛門」が訴えたので同年11月、沼田藩は取り潰される。伊賀守は改易された。理由は材木の納期遅滞と治世不良です。伊賀守信利は山形藩奥平家の預かりになり、奥平家が宇都宮に転封になってからそこで死去した。
沼田藩取り潰しの挿話は元禄繚乱第一話で取り上げられた。伊賀守を演じたのは草薙良一さん。
徳川綱吉の苛烈さと、伊豆守の嫡男信音が播州赤穂藩に預けられたから取り上げられたのだろう。
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伊賀守信利が1656年~1680年まで24年も治世したからには、その間に何かいいこともしたかもしれないが、こういう水牢なんて禍々しいものを見てしまうと暴君としか思えない。やらなきゃいいことをやらかしたから恨まれたのだ。
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往時の年貢は個人で納めるのではなく、その村、あるいは組の連帯責任で納めさせた筈。未納だった農民を水牢に放り込む前に、村長(ムラオサ)が責任を取らされるのではないかな。
水牢跡は東吾妻に9ヶ所あるそうです。そんなにあるのか。知られているのはここ池廼薬師堂の水牢と、中之条にある「桃瀬の水牢」だそうです。

で、伊賀守がいた沼田城へ。
沼田城は公園化されていて旧形態がどのようだったかわからなくなっていた。
下山で美しい蕎麦を喰らってから県道を南下してナビに従ってきたら、六連銭の赤い幟がパタパタはためいていて、そこにある広大な公園がそうだったのである。
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公園一帯の案内板表題には沼田公園(城跡)城をカッコ書きで示してあり、沼田城を買い取った元藩士久米民之助像、歌碑、寿楽園碑、生方たつゑ歌碑、旧生方家住宅、記念資料館、武道場、体育館、天狗堂、村上鬼城句碑、真田昌幸の謀略で註された沼田平八郎首石、御殿桜、鐘楼、金子刀句碑、沼田の歌歌碑、英霊殿、テニスコート、野球場、遊園地、ゲートボール場といった壊変後に作られたものばかりで、城の縄張りや遺構を示す案内は殆ど無いといっていい。
ぺったんこで低い土塁のようなもの??
ぺったんこの土塁跡1.jpg
ぺったんこの土塁跡2.jpg
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これなんかまだいい方です。
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本丸堀、幅10m、長さ20m分ほどで、これの脇にもテニスコートやグランドができている。
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要の本丸にしたってこの程度です。それでいて往時の全体図を大雑把に掲示してあり、他は花壇、広場、木々、花壇、ミニ動物園、退屈このうえない。
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天守跡は見つからなかった。あくまで推定だそうである。例の伊賀守が造った五層の天守なので、それを写真に収めて完結したかったのだが。
無駄に歩いて汗だくになったが、沼田城といえば必ず載っている西櫓台石垣がこれ。
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西櫓台石垣4.jpg
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こっちの方が往時に近いような。
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西櫓台石垣10自然の打ち込みか?2.jpg
西櫓台石垣11自然の打ち込みか?3.jpg
発掘して修復した感がアリアリだが、こっちの方が見て安心したりする。
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捨曲輪とあるが、捨てる曲輪にしては広いな。敵を誘い込んで捨てて、周囲が反撃、殲滅できる縄張りになっていたのかどうか。
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小田原北条氏と豊家が手切れになった名胡桃城方面を望む。目と鼻の先です。
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捨曲輪には平八石というのがあって、真田昌幸から「お前を必ず城主にしてやるからな」と騙されて討ち取られた沼田平八景義の首実検の石だが、首は胴体のある場所までピューッと飛んでいった??

ボヤけて輪郭がわからないので、沼田城を見に来た城者は必然的にアイフォン、スマホで自分が今いる位置を確認しながら、沼田城本丸跡(Googleマップだと2か所表示される)、西櫓台跡石垣、大手門沓石、捨曲輪跡、真田信之と小松姫の石像、天守跡推定地、それらを探し回るしかないのです。
実際、公園内でアイフォンで位置を確認しながら首を傾げている人が2人か3人いて、ぐるぐる回って歩き回っていたら何回も再会する始末である。そのカオに、表情に「よっくわかんない城跡ねぇ」と如実に出ているのだ。
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有名だが、退屈極まりない城跡だが、かろうじて、この辺りは堂々と沼田城を掲げている。(沼田市観光協会、案内所の辺り)
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開設版に真田伊賀守が改易され、城は幕府の命によって破却された旨が記載してあるぞ。
だが伊豆守が何をやらかして改易になったかは書いてなかった。
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朽ちかけた三の丸土塁は選挙ポスターの土台になっているし。
三の丸土塁2.jpg
くるまはこのMAPでいうところの沼田公園桜まつり側のパーキングに停めましたが、そこから歩くと、ホントにここは沼田城なのか?疑念にかられ、延々と莫大な距離を歩かないと見れません。
道がややこしいですが、公園の中央を突き抜けている道に沿って、観光協会側のパーキングに停めた方が散策効率がいいです。
沼田城.jpg
六文銭の幟2.jpg
沼田市が「真田の里」を謳うのもいいし、真田丸に便乗してか、関連する史跡の整備が進められたのも頷ける。でもその陰には目立たないけどああいう水牢とか、石高のカサ上げとか、詳しく書きませんでしたが上毛カルタ「天下の義人茂左衛門」とか、施政者が領民を苦しめた時代があったのです。それでも沼田城には真田六連銭の幟がパタパタはためいているのに違和感を覚えてしまった。
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羽根尾城 羽尾氏の末路 [隠れ郷土史]

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鎌原城で述べた吾妻三国志、鎌原氏、羽尾氏、斎藤氏の中で羽尾氏のその後です。羽尾氏の羽根尾城に取りついたところです。
羽尾駅の少し先、406号線の道路沿いに「羽根尾城、海野長門守墓」案内する標柱があったのですが、そこからの道が狭くて断念、北側の西吾妻福祉病院からアクセスしてきたところ。
羽根尾マップ2.jpg
羽根尾マップ3.jpg
羽根尾マップ4.jpg
406号線から草津温泉に向かう292号線に入ってしばらくすると、西吾妻病院入り口の大看板が見えます。その下に申し訳なさそうに羽根尾城への案内矢印がある。
病院は高台にある。羽尾城より高所にある。坂を登って病院内の敷地に入り、申し訳ないけど駐車場に停めさせていただいた。
南端に調剤薬局があって次の案内板は薬局の右手を歩いてすぐ先にある。
薬局の裏手にある山城ともいえる。
矢印1.jpg
矢印2.jpg
そこから農道、作業道で、軽自動車なら入れそうだが。
やばいぞ。雨脚がやや強まってきたか。
いや、そうではないな。木々の葉っぱに雨が当たる音と、風が吹いて葉っぱから葉っぱに伝う雨雫の音が重なっているんだ。
作業道1.jpg
作業道2.jpg
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羽根尾城の案内表示は農道か作業道の途中に複数個所あるので、それに従って歩いて行けば迷わないのですが。
自分に迷いが生じた。雨が降っている。傘はあるが濡れる。ただでさえ訪城には向いていない青々した梅雨の時期なので、足元が滑る。
いざとなれば引き返すべきだな。
矢印3.jpg
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作業道4道が悪くなってきた1.jpg
作業道5道が悪くなってきた2.jpg
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堀切があった。その前に若干駐車スペースがある。
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軽か小型車ならこの場所までアクセスできるのがわかった。でもくるまで来なくてよかった。雨と木々で薄暗く、小型車切り返す際に脱輪でもしたらタイヘン。
雨に濡れながら.jpg
矢印4登れってか.jpg
まだ矢印がある。弱そうなラバーの階段を上がったらそこは鉄塔が立っていて、そこからの矢印の先は草で埋もれているた。
ジャン妻のカオが浮かんだ。
「引き返しなさいっ!!」
撤退しました。そういう決断も必要です。
鉄塔を見上げる.jpg
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下山するとこ.jpg
弱々しい階段だな.jpg
途中で引き返す勇気を出して撤退したので、後日、余湖先生の鳥観図を見ると、
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小さい也にも吾妻の三雄、羽尾氏の本拠、羽根尾城に期待したのですが本拠に見えない。小さいです。小さ過ぎて烽火台か物見、監視場程度の小城だった。

城主と伝わる人で、羽尾幸全(ユキマサ)という人。
鎌原城で登場、万座温泉で湯治中に本拠を奪われたそそっかしい羽尾道雲とはどういう関係なのかわからない。
羽尾氏は滋野一族、海野氏の末裔なので、真田氏が自称するのと同族だったといっていい。だいたい真田幸隆が武田信虎&村上義清連合軍に敗れて小県郡を追われ、昔の同族の誼を頼って羽尾幸全の許に落ちてきた説があるのだ。いきなり箕輪城の長野業政まで頼れないと思う。誰かが中継ぎした筈だ。
でもドラマだとその辺は省略、割愛されても本筋に影響は無いじゃないですか。だから地方の(失礼)小豪族が登場しないのだ。
でもそうだとすると、真田幸隆は一緒に落ちてきた海野棟綱と袂を分かって武田家臣になる。後年、恩あった羽尾氏を追い落としたことになるのだ。

羽尾氏は吾妻川対岸の鎌原氏と境界を巡って小さい争いを継続していた。これを書いてて気がついたのですが、岩櫃の斎藤氏はともかく、真田氏も羽尾氏も鎌原氏ももとは同じ滋野一族、海野氏の子孫だというのだよ。
真田幸隆は武田信玄の意向もあって、鎌原幸重を庇護、吾妻郡攻略の尖兵となるのですが、かつて落ち延びて世話になった羽尾幸全が岩櫃の斎藤憲広側に付いたと知りどう思ったか。
羽尾、斎藤が鎌原城を攻め、鎌原幸重はいったんは信濃小県郡にへ逃れ、後日、真田幸隆の支援を得て鎌原城を奪回したのは述べた。真田幸隆は鎌原城の先、羽尾氏の領域にも侵攻する。この小さい羽根尾城、その先にある長野原城、吾妻川沿いの反武田の要衝を奪っていく。
幸隆は世話になった羽尾幸全を調略しなかったのだろうか。そうなる前に、長野原城に入れた真田幸隆の弟、常田隆永が、旧領を奪回しようと逆襲してきた斎藤憲広の軍に敗れ、長野原城が落城した際に討死にしている。
常田隆永(トキタ タカナガ)は橋本じゅんさんが演じていたな。
じゅんさん.jpg
真田は岩櫃城へ本気で攻めかかり、羽尾幸全の舎弟、海野幸光、輝幸の兄弟を内応させ、岩櫃城を手中に収めた。
まだその先がある。真田幸隆は沼田まで視野に入れている。内応した海野幸光、輝幸の兄弟は、真田幸隆と昌幸、2代に従って吾妻郡侵攻に合力している。
「豆を煎るには豆殻を持ってすべし」である。

長篠で武田軍が大敗したのが天正3年(1575年)、上の兄2人も戦死したので、武藤家に養子にいっていた喜平治、昌幸が真田本家を継ぐのだが。
武田家が滅ぶ天正10年(1582年)の前々年、1580年に昌幸は沼田城を手中に収める。羽尾の生き残り海野幸光は岩櫃城代、弟の海野輝幸は沼田城代に。
後日譚がある。通町のBAR、マスターに、沼田に行かれるならあの生蕎麦屋さんに是非とススメられたのでナビを頼りにやってきたのですが、途中の上発知材木町線という街道沿いにこんなものが。
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判読し難いですが、海野輝幸、幸貞の墓とある。
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解説板に書いてあるとおりです。真田家中に海野兄弟を妬む者がいて「海野は北条と通ずる」の讒言を信じた真田昌幸が、弟の真田信伊に命じて先ず幸光を急襲して討ち、輝幸は真田勢に追撃され、嫡男幸貞と刺し違えて自刃した。
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鎌原村、資料館の前にあった鎌原城、
ついでに寄った羽根尾城、
斎藤氏がいた岩櫃城は前に行ったし、
マトモな観光客はまず行かない点と点を繋いできましたが、羽根尾城、羽尾氏からの系譜である海野兄弟はここで終わった。
羽尾を妬んで讒言した者は誰か。滅んで得した者がいる筈だ。
斎藤氏はもういない。残る一族といえば?

私は昌幸は讒言を信じたというよりは、粛清か将来の禍根を断つ為、敢えてその讒言に乗ったと思っています。
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終着駅に行ってきた [鉄路と風景]

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自室にある昭和60年刊行の書籍はまだJRが旧国鉄だった頃のものです。
前年度に会津喜多方の日中線が廃止になっています。今からだと30年前の写真集で、監修や文章は宮脇俊三氏(故人)です。(民営化は昭和62年です。)
終着駅は10のカテゴリに分けられ、上州では、
上信電鉄下仁田駅「婚約不履行型」
吾妻線の大前駅「山の彼方の・・・型」
栃木だけど足尾線の間藤駅が「トロッコ接続型」
に分類されて載っていた。
昭和の書籍から1.jpg
上信電鉄は上州下仁田から信州佐久辺りを結ぶ予定で免許失効したと聞き及ぶ。吾妻線も菅平方面に向かって更にその先、延伸する計画があったらしい。
鎌原村の嬬恋郷土資料館、観音堂の後、小雨がパラつくなか、ナビにジャンル、駅、大前、を設定してたどり着いたところ。
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吾妻線と吾妻川に沿ってそのまま走ると信州菅平に行ってしまうところを、嬬恋村役場を右手に見て吾妻川へ下り、欄干が石でできた橋を渡るのです。
下り坂は泥水が流れた跡、水たまりがあり、レンタカーに泥が撥ねた。
吾妻川を渡る狭い橋は橋上では行き違いができなさそうなので、お互い譲り合って対岸で退避する。
駅はその先にポツンとあった。
ホームに上がる。
駅1ホーム階段.jpg
吾妻線の終着駅ですが、殆どの列車はひとつ手前、さっき昼を喰った万座・鹿沢口駅で折り返してしまう気の毒な駅です。
ホームは単式1面1線。
Suicaは使えないです。自動券売機も無いからここから乗るなら自己申告制か?

駅に人気はないが、猫の額ほどの駅前広場に2台停車していた。うち1台は駅前の自販機にドリンクを補充するドリンクメーカーの搬送車だった。自販機の扉を開けてガラガラ補充している。売上どれだけあるのか聞いてみたい気がする。
踏切を通るくるまは意外に多い。ドライバーはホームに立つ私に一瞥をくれるだけ。
踏切3.jpg
踏切1くるま止め方面.jpg
踏切2万座鹿沢口方面.jpg
駅2ホーム1.jpg

簡易的な待合がある。WCも併設されている。
待合の中です。
待合1.jpg
待合2.jpg
待合にあった時刻表には1時間に5本だけだしかない。
7:27
8:35(新前橋行)
11:00(新前橋行)
17:29(新前橋行)
20:14
少ねぇなぁ。行き先が書いてないのは他は高崎行だろうか。
時刻表1火に5本.jpg
ぐんまちゃんは1日僅か5本の終着駅にもいるのだ。
ぐんまちゃんパタパタ.jpg
群馬県内では最も西にある駅で標高は840m、上越線から分岐する渋川駅が186mだから、650m登って来たことになる。なので宮脇氏の「山の彼方の・・・型」のとおりである。
だがその先、もっと西、更に山の彼方までは行けなかった。大前駅ホームは4両編成分の長さがあって、その先線路はホーム端からどれくらいか。まだ線路が延びて架線も張られ、終端部でくるま止めになっているようで、そこから先に尚も進みたがっているように見えるぞ。
駅5ホーム2くるま止め方面.jpg
終着駅には何かしら因縁話があるものだ。この駅も終着駅になりたくてなったわけではない。この先も延伸計画があった・・・らしい。
嬬恋、大笹、田代、そして菅平、アタマの中で架空の駅を想像してみるのも楽しいが、その先の信越線(現在はしなの鉄道北しなの線)豊野駅(飯山線の起点でもある)までのルートは想像できなかった。
少なくとも菅平高原までは無理なく敷設できたようにも思えるが。そうなったらなったで現在万座・鹿沢口止まりの列車の殆どが菅平まで乗り入れるだろうから、大前駅は今ほど注目されたかったかもしれない。
もっとも莫大なカネかけて開通させても、北陸新幹線の開業と同時に、信越線と同様の運命を辿るのではないだろうか。
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大前から先を断念せざるを得なかったとはいえ、1日に普通列車が僅か5本しか来ないのは殆どの列車が、私がさっき昼を喰った万座・鹿沢口駅で折り返してしまうからです。だからこの駅、有名になったともいえる。

廃止されないのは何か理由がありそうだ。
もしかして・・・。
万座鹿沢口駅はホームが1面1線だった。折り返しができないのです。何かあった時、車両を退避する鉄路はこの大前駅ホームから先に伸びている区間しかないのだ。
ホームから先のレールは錆びてません。光っている。時折入線していると思います。
そこから先へ進みたがっているのではないか。でもそれは叶わないまま、入線してまた戻ってくる往復運動を繰り返しているのだろう。
駅6ホーム3先端まできた.jpg
前述の宮脇氏は文庫版も刊行されています。それには下仁田駅と大前駅は載っていなかったのです。収録されてないだけかもしれないが、旅紀行で載っていなかった。
何処にも泊まらなかったことはないと思うな。あの時代でも日帰りは厳しい。駅周辺で何もドラマが無かったのかも知れない。

大前行1.jpg
これは後日、高崎駅で偶然でくわした吾妻線大前行です。
私はこの日、渋川で下りてますが、このままのんびりコトコト揺られて行けばあの寂しい大前駅に到達するのか。
大前行2.jpg
大前行3.jpg
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付け替え工事の結果.jpg
駅7ホーム4振り返る.jpg
氏は他界され、昭和は平成になり、令和になった。
そして現在も大前駅は終着駅のままになっている。
この先もそうだろう。

昨日の校正段階でここまでだったのですが。
昨夜、帰宅途中の車内でこんなテロップが。
テロップ1.jpg
テロップ2.jpg
テロップ3.jpg
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時刻は20:11分でした。20:14発高崎行が運休になったらしい。
ひとつ手前の万座・鹿沢口で折り返したのだろうか。
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天明3年7月8日(旧暦) [隠れ郷土史]

自分が思うに、興味が無いのに中学高校で日本の歴史なんぞを学ぶのって意味あるのかなと。
学ぶのなら近代史からでいいと思うのだ。
むしろ、数学、英語、工学、商業過程とか。そういうのを学んだ方がいいと思った。
歴史や古文は趣味の世界でいい。好きなら覚えられるのだから。
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鎌原城で靴裏が泥だらけになったので、その辺りの濡れた草で靴裏を拭いてから妻恋村資料館に入った。
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館内は天明3年(1783年)の浅間山噴火で発生した吾妻土石流による鎌原村の埋没と、そこから出土したもの、そういう世界でした。
私は出土品ってあまり興味ないのね。そこで何が起こったのかを知るだけでいい。
受付、事務室に職員さんが3人か4人いて暇そう(失礼)に見えた。人件費多くね?って。
「2階でビデオ上映されているのでご覧になってくださいね~」
ビデオ観ました。都会にいたらまず知り得ない内容だった。
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日本史に興味が無くても、江戸時代の天明の大飢饉という災害を何となく覚えている方はいるでしょう。
それは飢餓民衆が喰うものなくて餓死者の人肉まで喰らった凄まじいイメージが残っているからだと思う。
この飢饉の説明の中では必ずといっていいほど浅間山が噴火したと記されている。浅間山の噴火のせいで火山灰が降灰して農作物が全滅したとか、火山ガスのせいで太陽の照りが少なくなり、農作物が少なくなったとか、そういうイメージを抱きがちだが。
実際はそう単純に浅間山の噴火だけが天明の飢饉の直接的な原因とは言い切れない。同年のの岩木山(青森県弘前市)が噴火、アイスランドのラキ、グリムスヴォント、並んだ2つの火山が長期噴火、火山ガスが成層圏まで達して粉塵が地球の北半分を覆った為ともいう。
浅間山が噴火ししたから天明の大飢饉に突入したというのではなく、浅間山の噴火は起こっていた飢饉に拍車をかけ事態を更に悪化させたのである。

天明年間、農作物が不作になり、東北では餓死者の肉を喰らい、疫病が流行り、農民が農村から逃げだして江戸や地方城下町に流れて治安が悪化、米価が高騰して江戸や大阪では米屋の打ち壊しに発展、米経済に依存していた幕府の屋台骨が揺らいでいく。時の老中、田沼意次が打ち出した商業主義改革の中に、温暖な地域で成長するイネを寒冷地に作付けしたので、上手く育たなかった失敗があったとも。

では天明3年、浅間山が噴火した時に現地で何が起きたのか。
外の掲示物3.jpg
史料を基にかいつまんで述べます。私が今いる鎌原村は浅間山火口から北12kmにある。大噴火した日は旧暦で7月8日、噴火して押し寄せた土石流が時速100km(どうやって弾き出したのかこの数値?)で押し寄せて村全体が壊滅する。吾妻土石流といいます。
外の掲示物2.jpg
土石流は吾妻川に流れ込み、その辺りで吾妻川を堰き止めて天然ダムになってから決壊、下流に大洪水を起こし、吾妻川沿いの村々を押し流し、その被害は利根川沿いから江戸川、銚子、江戸湾まで及んだのだがこの項では鎌原村の記載に留めます。村全体は5m~6mの土砂で埋まり、唯一この観音堂だけが残った。
外の掲示物1.jpg
たまたま村外にいた者と観音堂に上って助かった者で生存者僅か93人、犠牲者は477人、477人の中には石段を駆け上がってくる途中で間に合わずに犠牲になった2名が含まれる。
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現在の鎌原観音堂には赤い太鼓橋が架かっていて、僅か15段の石段を登るだけで観音堂の前へ行けるが、登る前に太鼓橋の前で立ち止ってみる。
後年の発掘調査で石段は50段あった。現在現れている石段は下から数えて35~50段目なので、往時の入り口は35段下にあった。
観音堂で発掘されたもの.jpg
埋没石段.jpg
埋まっている11段目で前述の2名の遺体が発見された。折り重なっていた。足腰弱い母を背負って逃げた女性、母と娘と伝わる。
太鼓橋下を除いてみる。
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あと少しだったのに。
助かったかも知れないのに。
太鼓橋下.jpg
石段を登ってみた。往時の階段なのでひとつひとつが小さいです。
観音堂の右隣に会館があって座敷の上にテーブルが置いてあり、爺さん2人婆さん2人がお茶を囲んで談笑しておった。集会場を兼ねているらしい。
観音堂周辺には廃れた売店跡が幾軒もあった。土産物を売る観光地にはなり損ねた感がある。
観音堂石段見上げる.jpg
鎌原村は火山灰で壊滅したので東洋のポンペイ、群馬のポンペイなどと呼ばれる。郷土資料館には当時の様子や絵図、発掘された出土品が展示してある。(撮影禁止です。)
がだがポンペイと決定的に違うのは、現在のポンペイは遺跡で居住者はいないそうだが、鎌原村は生存者が避難先で新生活を始めたのではなく、生き残った93人の住民が鎌原村にまた戻ってきて村を再建したことです。
その再建の仕方が凄い!!
観音堂石段見下ろす.jpg
でかける前にジャン母がこんなことを言っていた。
「また群馬に行くの?ホントに群馬でも会津でも山梨でも同じとこばかり行くのね。」
いいじゃねぇかよ。
「どこに行くの?」
嬬恋村へこれこれこういうのを見に行くと言ったら、
「お母さんが生まれる前だから明治の頃かしら。(実際はもっともっと前)栃木県のどっかで火山が噴火して、村が埋まって、そこの生き残った住民同士で夫婦をやり直したって聞いたわ」
栃木県と大きく勘違いしているが実はそれが鎌原村です。生き残った住民同士で血縁を築きなおしたといふのだ。
現地の史料にもビデオの紹介にもあったが、生存者たちが前途を悲観して離散しかかったところへ近隣村の有力者たち、大笹村の黒岩、千俣村の千川、大戸村の加部、3名の名主たちが世話役になり、廃墟になった鎌原村にまず2棟の小屋を設け、生存者を仮に住まわせた。
往時は武士階級は当然だが農民たちにも家筋や氏素性に拘り挨拶等でも差別があったのだが、前述の3名の名主たちは鎌原村の生存者93名に対して、「これだけの大災厄に見舞われても生き残ったのだから、互いに新しい一族、家族である」と諭し、農民内での身分、格差、血筋を取り払って互いに親族の宣誓をさせた。要は婚姻、養子縁組をして新たに纏めたのです。
夫を亡くした妻と妻を亡くした夫で再縁させる。
子を亡くした老人に親を亡くした子を養子にする。
大災害の数か月後の10月24日には早くも7組、12月23日には3組の祝言をあげているというから凄い。
幕府は10月に普請を開始している。田畑29町歩の再開発と、4287間(7800m)の道路普請、草津村からの普請従事、幕府の負担金850両、被災しなかった田畑4町5反や、その後の再開発田畑は93名に均等配分された。
幕閣の救済が早かったのは鎌原村は天領だったからではないだろうか。そこらの貧乏大名ではそうはいかないだろう。

現在の鎌原村です。住宅は天明の大噴火の頃から5m~6m高い筈。浅間山から押し出された土石の上に建っています。
現在の鎌原村1.jpg
現在の鎌原村4.jpg
天明三年浅間やけ碑.jpg
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ウチの群馬の社員たちはこのネタを知らない子ばかりだった。
幾人か聞いてみたのですが「??」だった。
加えて地震や災害への緊迫度が薄い。群馬では地震が起きないと思っている。確かに少ないが。
雷銀座で大雨降って水位が上がっても川が氾濫した話はあまり聞かない。
もうすぐ各支店に配布した備蓄品、非常用食料の賞味期限切れが迫っている。これで2回めです。それらは廃棄稟議を上げて認可されたうえで、自家消費されていいことになっているのだが。
「東京と同じに考えられて配布されても。群馬って災害無いですよ」(笑ふ女)
「群馬は地震はないが、浅間山が噴火したらどーするっ」
「それっていつ噴火するんですか?ぶふふっ(笑)」
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このネタのタイミングで噴火??
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鎌原城 [隠れ郷土史]

パンフ1.jpg
マップ.jpg
解説3縄張り.jpg
2014年、呟きⅡ後半で、上州岩櫃城の辺りをほっつき歩いたことがあります。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-22
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-23
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-24
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-25
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-26
このどれかの本文中で、
『斎藤憲広が同じ吾妻郡内の豪族である羽根尾氏と鎌原氏の領地争いに介入したことで、両家の仲介に入っていた真田氏、武田氏の介入を招き、すったもんだの末に真田氏に攻められ、永禄6年(1563年)には家臣の内応もあって落城、憲行は越後に逃走した。斎藤氏の勢力は駆逐された。』
この中に登場する鎌原氏、カンバラと読みます。
資料館の向かいに.jpg
この作業路へ.jpg
鎌原城は嬬恋村強度資料館の向かいに案内表示があって、薄暗い作業路を谷戸に下りてまた上がって行きます。更に案内表示があって、矢印に従ってターンするのですが、
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泥だらけの路2.jpg
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舗装されているのに泥だらけの細い農道でした。連日の雨で畑から泥水が溢れて道そのものが川になった感がある。流れの痕があるのです。
下りて写真撮ったら数歩歩くだけで靴裏が泥だらけに。
そこから先は農道が延々続きます。嬬恋名物のキャベツ畑、そしてトウモロコシ畑を見ながら。
来た道を振り返る.jpg
追手口に駐車場があった。そこから本丸へは歩いてくださいとある。
追手口1.jpg
停める.jpg
駐車場にある解説板。
解説1.jpg
解説2.jpg
解説3縄張り.jpg
辺り一帯広大な畑になっている。ほぼ平坦な地形ですね。
では二の丸、本丸を目指して歩きます。
本丸へ1.jpg
本丸へ2.jpg
三の丸1.jpg
三の丸2.jpg
二の丸と三の丸を区切る箱型の堀切があった。
後世キレイで見やすい形に法面を直したのかもしれない。
堀切1.jpg
堀切2.jpg
堀切3.jpg
堀切4.jpg
二の丸1.jpg
二の丸2.jpg

本丸が見えてきた。鉄塔が立っている。
歩いて気付いたのですが、三の丸からゆるい坂を下っている。三の丸の方が高い感がする。
本丸1.jpg
本丸2.jpg
解説11.jpg
標柱.jpg
解説12.jpg
解説13.jpg
本丸の解説板他、振り返って二の丸、三の丸を遠望すると、やっぱり向こうの方が高い気がする。
城域内で本郭が最も高所にあるという定石に立つと妙な違和感を感じた。
三の丸遠望.jpg
領土拡張に貪欲な甲斐の武田晴信は、豊穣な上州も席捲せんと信州小県郡の真田幸隆に命じて上州に調略を伸ばすのですが、それ以前の吾妻郡は嬬恋の鎌原氏、羽根尾の羽尾氏、岩櫃の斎藤氏、他、国人たちが跋扈しており、狭い領土を奪われまいと小競り合いを繰り返していた。
大雑把に言って3人いた
鎌原氏、鎌原幸重、真田家の一族ともいう。
羽尾氏、羽尾道雲、もとは滋野一族の出らしい。
斎藤氏、斎藤憲広、
羽根尾の領主、羽尾道雲は吾妻川を挟んで境界を接しているので仲が悪い。岩櫃の斉藤憲広と組んで鎌原氏と争っていた。
鎌原父子は真田幸綱に仲介を依頼して武田信玄の騎下になったのが永禄3年(1560年)のこと。信玄は後ろ盾を受け入れる代わりに、羽尾と斎藤を討って吾妻郡から沼田方面に向けて進出しようとする。
それまで羽尾と組んで鎌原の追い落としを狙っていた斎藤憲広は、鎌原の背後に強国、甲斐武田氏が付いたのに危機感を募らせた。羽尾道雲他と連動して鎌原城に押し寄せたのだが。
実は私が立っている平場からは木々に隠れて見えないのですが、城域の北側は吾妻川に垂直の断崖になっていて、正面からだと相当な難攻だという。ここにいてもそう見えないだけです。
だけど隣村からいつ攻めてくるかわからない日常にいたわけで、毎日毎日緊張感に囚われておちおち寛げないですよね。気が抜けない。
一旦、その場しのぎの和睦になるが、信玄は真田、重臣格の甘利他に斎藤の岩櫃城を攻撃させ、一旦は斎藤氏は甲斐軍に下ったともいう。
真田は信玄の威光を傘に検知を行い、鎌原、羽尾、斎藤、3家の領地割(検知)を新たに定めたが、領土境界の定め方が羽尾にとって不利、鎌原に有利な内容だった。わざと揉めさせたのかもしれない。いずれ真田を先頭に総力を挙げて岩櫃、名胡桃、沼田あたりまで抜こうと目論んでいたからだろう。

羽尾は含んだ。斎藤も心から服していない。永禄5年(1562年)、斎藤憲広は羽尾道雲他、鎌原一族の内応者も含めて再び鎌原城に押し寄せる。
この時、鎌原幸重は信州佐久郡へ退去したそうです。信玄は小県郡に替地を与えたそうだが、その地に長く留まることなく鎌原へ還ろうとする。同年に羽尾道雲が何を思ったか、万座の湯に湯治に出かけたので、真田幸隆はその隙を窺って鎌原か羽根尾の館に攻め込んだ。内通者がいたに違いない。
羽尾道雲は同年9月にも羽根尾を奪還せんとしたが敗れ、鎌原幸重は武田、真田両氏の庇護のもと、鎌原城に帰還できたのである。

残る岩櫃の斎藤憲広は上杉を後盾にしようとする。永禄6年から真田、斎藤両軍の戦いが始まる。真田は岩櫃城に調略の手を伸ばして陥落させ、吾妻郡の反武田勢力は一掃された。
鎌原幸重は岩櫃城代にもなった。

信玄が死んだ後、長篠の戦いで、真田信綱、弟昌輝、鎌原幸重の嫡男重澄も戦死しているが、鎌原氏は沼田真田家の重臣として仕える。後でUPする暴君、真田伊賀守が改易になってからは、松代藩の真田氏に出仕する者と、嬬恋村大笹の関守として存続したという。
鎌原城パンフ.jpg
吾妻三国志ともいえる鎌原、羽尾、斎藤、彼らはまず映像の世界では描かれないし登場しないと思う。
上州で甲斐武田に対して描かれるのはいいとこ箕輪城の長野業政ぐらい。
真田が先導して、吾妻衆を屈服させたナレーションだけで終わってしまうだろう。
振り返る.jpg
本丸へ歩いて気付いたこと。
くるまでここまで来れます。
ただし、農道なので、農耕者がいないことや、農耕者のくるまが止まってないことが条件です。
鎌原城は寄り道です。本命見学場所の目の前に案内板があったので立ち寄りましたが、今回のメインは・・・
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天明3年7月8日(旧暦)・・・!!
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あさま食堂 [ラーメン]

永年勤続20年特休平日5日を前後の(土)(日)と(月祭)をプラスしたことで10連休になったが、それに全部ジャン妻が付き合えるわけがない。
「アタシは全部は付き合えないわよ。ひとりで群馬で遊んで来たら?」(ジャン妻)
お許しが出たので1泊2日で上州散策に行きました。
行くからには国境まで行ってやろうと。ハイライトを幾つか定めた。
その壱、嬬恋村です。渋川からレンタカーで嬬恋村に向かったのです。初めて分け入るコースです。
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延々一般道を走るので遠く感じた。距離数にして片道55kmでしかないのだが。
センターラインがあるれっきとした幹線道路だが途中にカーヴが連続、対向車線から大型車がセンターラインをはみ出して飛ばしてくる。それを避けようと左に除けたら草にかくれていたガードレールが現れたりするので気が抜けなかった。途中で雨も降った。

到達点ポイント、並行して走る吾妻線の万座・鹿沢口駅を目指します。
ナビに自分と並行して走る吾妻線が表示される。金島、祖母島、小野上、市城、小渕優子議員の地元、中之条、岩櫃城の玄関口、群馬原町、郷原、ここまでは来た事がありますが。
あれから5年か。岩櫃を吾妻線で2回訪れてウロウロしたものだ。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-22
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-23
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-24
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-25
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-26

その先、矢倉、岩島、ここまで右手にあった線路が八ツ場ダムで新線に付け替えられて左手に移り、道はバイパスに入った。真新しいトンネルの連続で線形がよくなり、走り易いので加速できた。

群馬だけど長野原、その辺りからまた旧道へ。センターラインはあるけど狭い道、緩いカーヴが連続します。
群馬だけど大津、羽根尾、羽根尾城の案内標柱が目に留まったが今はスルー。何処に駅があるんだ?の袋倉、そして万座・鹿沢口駅ロータリーへ滑り込んだ。
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万座・鹿沢口駅は駅名に・がある。こういうくっつけた駅名にしたのは万座温泉と鹿沢温泉の間で対立があったのかな。明らかに折衷案だろう。
無人駅らしい。Suicaは可能です。
WCを借りました。
140円支払いました。これが証拠写真です。
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ホームに上がってみる。単式ホーム1面1線の高架駅だがこれじゃぁ列車の留置ができない。
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殆どの列車がこの駅で折り返し運転になる。
そういえば、いつの日からか、特急「草津」を見なくなった。時刻表を見たら現在は普通列車のみのようだ。
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駅前で営っている食堂は1軒だけ。
こういうローカルな駅前食堂は賭けです。思いっきりハズすか、味はまぁまぁボリューム重視か、それでいてお婆ちゃんかお母さんに癒されるか。
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開けたらまぁ生活感丸出しの食堂だった。不揃いの椅子、テーブルクロス、大家族の家の食堂みたい。
メニューはこんな感じです。そばまで来ないと見えないのだ。
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後から後から書き足し継ぎ足したようなメニューですね。
先客さんにデッカくてブ厚い焼肉?生姜焼?が出されたのを目撃した。夜は早い時間に通町に行くので、重たいのは避けて、
「塩ラーメンにバター入れられる?」
味噌バターはあったが、塩バターは無かったのです。
「入れられますよぉ。バターって身体にいいからねぇ」
はぁ?そうなのか?
後でジャン妻に、
「バターって身体にいいそうだぞ」
「お年寄りにはいいんじゃない?」
???

あ、先客のアンちゃんが会計に立った。
その間、私の塩ラーメンは放置された。伸びちゃうじゃんか。そう思ったら目が合ってしまって「伸びたらタイヘンだわ」とばかりにおばあちゃんが勢いよく回転してこっちに向かって持ってくるところです。
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あれ?スパサラが付いてる?
塩ラーメンにスパサラのお惣菜ねぇ。今日の定食用のものを出したんだろうね。
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麺は少しユルいです。伸びてはいなかったが。チャーシュー美味しいです。スープもまぁまぁですね。田舎の()駅前食堂にしては充分です。
雰囲気が温かいのだ。塩ラーメンにほうじ茶の組み合わせ。
ティッシュも置いてくれたし。でも遠くて届かないんだけど。
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まぁ一期一会だろうね。
定休日不明です。電車が着く時間が限られてるから通し営業かもしれない。
駅ロータリーに戻ったら折り返し電車がきた。
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食べた私が向かうところはこれです。
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だが山へ向かうほど雨粒が大きくなってきた。
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ディスカバー群馬 [グルメ]

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列車の旅には駅弁かスタンド蕎麦が欠かせない?
1泊2日のディスカバー群馬は高崎駅構内、2番線~4番線ホームのスタンドから始まった。
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2番~4番線?
3番線は何処だ?
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3番線はハチ公線ホームです。2番線4番線の先っちょに追いやられている。乗り換え案内はあるが、乗り換え時間が超短い時がある。ホーム先端なのに。
それに発車ベルが鳴らないのだ。気が付いたらいつの間にか動き出して去っていくディーゼルカー。
そして次の待ち時間が長い。
自分の群馬ネタで藤岡市内は全くと言っていいほど無いですが、それはハチ光線ダイヤのせいでもある。散策の食指が湧かなかったのだ。
まだその先、本庄市内の方が公用圏でもあるので足を運んでいます。今でも。
さて、上州の玄関口、高崎駅構内にはスタンド蕎麦、駅蕎麦が3つもある。
新幹線と在来線の乗り換え口にある八起家高崎店
たかべん2~4番線ホーム店
たかべん0番線ホーム店
すみませんが最初の店は全くおススメしないです。言っちゃぁ悪いけどホントに美味しくなかった。自動出汁装置のせいだと思うな。(店員さんの愛想はいいです。)
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おススメはメニューが多い0番線ホーム店ですが、
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駅の外にある。「上信電鉄は改札を出てお乗り換えください」になるからです。
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今は高崎駅郊外に出ません。なので今回初めて(多分?)2~4番線店で食ってみよう。
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ホントに駅のホームにあります。コンコースに設置される近年の駅蕎麦とは違うね。それもホームの一番端っこ、ゾロゾロ歩く乗降客が最も少ない場所にあった。
あるのは知ってたけど、何しろ他の乗降客に丸見えで。羞恥心が先に立ってこれまで縁がなかった。
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高崎2番~4番線店は部屋になっていないホントの立ち食いで、この通り吹きっさらしです。場末感すら漂っていますね。
令和になってから「昭和のあの頃は・・・」なんて言うと年寄りくさいですが、かつての駅ホーム立ち食い蕎麦屋は外から丸見えで乗客にケツを向けてズルズル喰っていたものだ。ホームに蕎麦汁と揚げの香りが漂っていたよな。
近年は壁で囲われた「店」になり、タッチパネル式券売機が導入され、あろうことか自動出汁機も導入され、味も風情もツマんなくなった。
いいところもあるけどね。椅子もあるので女性でも入りやすくなったし、けんちん何とかのような似非ヘルシーメニューも導入されているし。
高崎駅ホームはタッチパネルじゃないです。口頭で言います。
「かき揚げ・・・そば」
「・・・」
オバちゃん愛想無いぞ。笑顔無いぞ。ムスッとしてる。何か胸中に屈託でも抱えてるのかい?
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汁を一口、普通に美味しいですよ。北関東風の味ですね。
西国の人にはしょっぱいかもね。出汁感や醤油が尖った主張をしていない。極々普通の味です。
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かき揚げは揚げ置きです。
サクッとした箇所もある。
殆どはベショッとした食感です。
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撮ってたらどんどん伸びてくる。これも駅蕎麦の特徴です。
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かき揚げも汁を吸って、最後の方は蕎麦とかき揚げの雑炊みたいになってきたぞ。
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そんなに汁だけ飲んだつもりはないのですが、蕎麦に、かき揚げに吸い取られて無くなってしまった。結局は自分の体内に吸収されてしまったわけですな。
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「ごっそさん」
「アイ」
消え入りそうな声だったぞ。
私と入れ替わりにどっかの初老のご婦人が立って天ぷらうどんを食べていた。
置いてあったかき揚げ。
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この店も近年のNRE化で、他と同じようなメニュー導入を強いられているらしいぞ。
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メニュー多いな。
無理だと思います。オバちゃんひとりだし。
こんなに要らないと思います。オーソドックスな基本メニューだけでいいんだ。
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あまり品数を増やすと基本ベースが崩れるかもよ。
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これは翌日に見た光景ですが。
右に若い女性が2人います。ちょっと若い子の前で吹き曝しの立ち食いはし難い。
でも左から歩いてきた会社員、おそらく都内から来たのだと思いますが、香りにつられて立ち止まってた。
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そして向かった先は、これまで未訪だった群馬の西北です。
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船山温泉 [船山温泉]

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朝の中庭です。暑いせいか鯉たちにイマイチ元気がない。
既に館内には掃除部の方々が出勤して清掃に勤しんでいる。
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寝過ごしたので朝の散策は無し、すぐ朝餉の時間に。
何だか美味しいのだ。船山の朝餉ってこんなに美味かったけか。
台に盛られた稚鮎南蛮漬、青菜、山菜、チャーシュー、高野豆腐、漬物、どれも美味しい。
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ゴツい台のお皿(というか薄石)は重たいから洗うのがタイヘンそうだ。
T館長ご夫婦、夫婦喧嘩する時にこんなゴツイお皿投げつけ合っちゃダメですよ。大怪我しますよ。
山女魚一夜干し
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サラダ、生ハム入り、自家製ドレ
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ジャガイモ他、煮物、美味しいです。日本酒が欲しくなった。
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温泉タマゴ、最後にご飯にブッかけた。
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細かく切った野菜たくさんの味噌汁
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鬼のような形相で味噌汁をよそうジャン妻
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美味しい。久々だけにかなり満足しました。でもひとつだけ指摘させてください。自家製豆腐の固形燃料が弱いのだ。ちっとも固まらないぞ。
そのうち固形燃料が燃え尽きてしまい、固まらないまま半生で食ってしまった。味噌汁もそうなんだが、鍋の器がデカいから(味噌汁は鉄鍋、豆腐は足軽の陣笠鍋)固形燃料だと弱いのではないかな。
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おかずが足りないのか、梅干しまで摘まもうとするジャン妻
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ヨーグルトが酸っぱい。
「食べなさい」
「頬がツーンとして痛いよ」
「この程度で?」
苦手なものはしょーがないだろ。
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食後の中庭、やはり暑さのせいか鯉がおとなしい。水温も高いんだろうね。
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部屋に戻って中庭、先代ご夫婦が見えたぞ。復調されたようで何よりだ。
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「若い女性が掃除している」(ジャン妻)
「若い女性?」
掃除部に若い女性なんていたか?もしかして、いや、今詮索するのは止めておきましょう。

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今回の宿泊で部屋で読んでた本。
「軽い本ねぇ」(ジャン妻)
滞在中に一気に読んでしまった。速い!!
船山に山怪があるかどうかは知らないけど。
最近は目が衰えて、書籍を読むのが苦痛になってきた。
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ジャン妻はT館長から書籍を2冊借りています。
昨日の午後、T館長との密談(ビジネス上のネタ)の延長です。
難解そうなビジネス書だった。付箋が貼ってあるのは大事な箇所?
これ読んでレポートでも書くのがな。
私は他人に勧められた本てまず読まない人なのね。5年前に社員から「これ読んでください」とまぁ難解なビジネス書をススメられ無理して読破したが、基礎知識がないせいでさっぱり内容わからなかったことがある。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-05-03
「小説はファンタジーでしかない。現実の書を読まなくてはいけない」と言ったのは、故人であるフランク、グーディシュ氏(ブルーザー・ブロディ)

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朝の渓流2.jpg
チェックアウト30分前の渓流の湯、
あと2時間半もすれば今日の宿泊客がチェックインしてくる。さすがに満室だそうである。今回は平日(金)だったので貸し切り湯も大欲場も殆ど貸し切り状態だったが、(土)(日)泊りだとそうはいかないだろう。
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「そろそろ出立か?」
ムクリと起き上がったプチ公(ドライヴの御守り)
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これまでで最も安かった宿泊が終わった。
もうかつての感動は薄れたし、以前の船山を知る者としては幾ばくかの寂寥感があるが、自分の中半生を劇的に変えた大事な宿なので、最低でも年2回、平日泊週末のパターンで来るつもり。
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夜灯 [船山温泉]

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イワナのサイズ [船山温泉]

18時10分前くらいに内線が鳴ります。
鳴ったら1回で取ります。フロントに何も言わせず、
「ハイ行きま~す」
ガチャッ!!
「だってよ」
「相手にも喋らせてあげなさいよ」(ジャン妻)
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ここでしか食べられない船山温泉の自慢の夕餉です。
写真ボケは光量不足のせいか。
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永年勤続20年を祝って乾杯。Kさんが最初の1杯、お酌してくれた。
気が付いたら20年?
いや、待ち望んでたのです。自分は8月入社で、最初の2~3年はフルタイムバイトだったので、
「正社員の期間しかカウントされませんよ」
ソリ合わないオンナに冷たく言われてカチンときたのを今でも覚えている。
「またそのネタ?もういいじゃない」(ジャン妻)
表彰されてから蕎麦宿、船山と続いて、いつも乾杯の音頭は「20年勤務おめでとう」乾杯なのです。
「いつまで続くのよ」
「年内」
「!!」
「次のさらの木までかな」
「じゃぁ来年アタシが20年になったらそれもお祝してね」
もちろんお祝いするけど。2年前か?辞めてたらそこまでたどり着かなかったんだぞ。
20年なんてひとことで言うけどなかなか達成できないよ。
船山温泉で永年勤続20年なんて考え難いよな~。
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珍しく純米大吟醸なんてのをいただく。でもすぐ熱燗にしました。
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さて、イワナです。
イワナの大きさ比べてみてください。
基本ベースのイワナ2尾の造りと、追加したイワナ1尾の大きさが違うぞ。
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献立には「山里のお造り」とあって、館長が言う基本の内訳は「イワナ造り&甲州馬刺」だそうですが、自分らは「馬刺は会津!!」固定観念に凝り固まっているので、ずーっとずーっと「馬刺よりイワナ」でお願いしてきました。
だけど今回追加したイワナの方がサイズが大きいのです。
それに追加イワナにはアタマ、皮、骨、シッポの素揚げ、煎餅までついているじゃんか。
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ははぁん、
そういうことか。
イワナ&馬刺の組み合わせをイワナ2尾にしてもらう代わりに、イワナの大きさを小さくしてコスト調整をしてたんだろー。これまでずっとー。
知らなかった。
でも知ってしまった。
知らなくていい情報が船山にもあった。(汗)
でもまぁそれでもイワナ3尾には違いないので、ひと切れずつ摘まんだのは最初だけで、あとはふた切れ、三切れ、ごっそり摘まんで口に運んだ。
下手な海魚の刺身なんかより遥かに美味しいですけどね。甘味もあるし、触感もコリコリしてるし。
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俺らはずーっと刺身のイワナ2尾で今日まで来たのに骨煎餅が出たことないのです。あくまで特別追加料理のイワナ造りだけ骨煎になるみたいだ。
そうだったのか。。。
イワナショックを振り切って猪鍋へ移ります。
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生のクレソンは好きじゃないので猪鍋の中へ抛り込みました。
春菊が欲しいな。高いけど。
今夜の猪肉は脂身が殆どない上品なロース肉、煮込めば煮込むほどやわらかくなって美味しいですよ。
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具は白菜、ネギ、ゴボウ、カボチャ、エノキ、ナスかと思ったらサツマイモ??
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根菜より葉物を生煮えでいただく。
「豚肉は完全に煮えるまで食うな」
「豆腐はいったん沈んで浮き上がってから喰え」
「野菜はさっと」
これがちゃんこ鍋の鉄則です。相撲部屋のちゃんこで猪肉が入るのは考え難いが。船山温泉の猪肉は甲斐国の猟師さんが罠猟で仕留めた天然ものです。
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基本は塩焼きのイワナを素揚げでいただいてます。
だからさっき言った骨煎が出されなくても毎回揚げイワナが出てるんだけどね。
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怒ったようなイワナの表情。アタマから食べられます。なのにジャン妻はアタマと骨と皮を箸で外して身だけ食べてるんですよ。
「アタマっからガブッといかんかい」
「・・・」
ホジホジさばいている。見ててイライラする。
「アタマと尻尾と骨をくれ」
「ダメッ」
2人でイワナ3匹喰ったことになります。
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甲州ワインビーフ、ヒレプラン「焼肉屋じゃあるまいし客に焼かせるなよ」という声が出てきそうですが、ステーキ肉は個人毎に好み、焼き加減が違ってくるので、その為に一流シェフを厨房においとけないのです。
厨房から食事処まで離れてるので客が食べるタイミングが見えないし、厨房で焼いたら持ってくる間に冷めてしまう。ナイフでカットするのを省略する為にサイコロ状になっています。
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食事処の換気がイマイチでして。
窓を開けました。
でも作務衣にニオイが付いちゃうんだよな。
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手打ちそば、この後で登場するMさんが打ったそうです。やや粉っぽくザラザラした触感で、喉越し良くツルツル滑る蕎麦じゃないです。
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ジャン妻がズオッと立ち上がり、釜ご飯をよそっているところ。
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何だか色とりどりのカラフルな混ぜご飯ですね。
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ジャン妻とMさんが久々にご対面、
今日のイワナの造りもMさんがさばいた。
Mさんはもうひとりいて掃除部の小柄な人、ベテランスタッフ2人のMさんが連続し食事処に登場。特に若い世代が町を出てしまい、年々人口が減っていく南部町は若者の就労確保が難しい。雇用もないし。2人のベテランもまだまだ頑張って貰わんと。(現在、船山温泉に若い女の子のスタッフは・・・いません。多分。ところが翌朝・・・)
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デザートはまぁ要らないけど。せっかくなのでいただきました。
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この大量の漬物は二次会のアテで結局食べきれず、時間持ちしないのを摘まみ、時間持ちするのだけラップして持って帰りました。
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まぁどの料理もINSTA映えしないです。
(INSTAやってませんが。)
食事処は明るくないし。
(奥の「ふじ」なので外の明かりは入りますが。)
テーブルクロスは焦げ茶色だし。
お皿も地味な色ばかり。
盛られる素材は山のモノだから、質実剛健で華が無いのかもしれない。
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最後のスタンプカード [船山温泉]

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荷物を持ってくれてるのはT館長の片腕、Kさん、彼は近年この宿にしては永年勤続年数ものですね。
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振り返るとくるまが少ない。
大丈夫か船山温泉?
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出迎えてくれたT館長はウエルカムスマイルですが、内心では「またこの人に何を書かれるか」警戒しているフシがアリアリです。私が泊る日はT館長からスタッフ全員に緘口令というか、ネタにさrふぇるようなことをしないように、言わないように気をつけるよう指示が飛ぶらしい。
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7月某日、船山温泉2名泊の請求・領収書明細には18060円とあった。
「安いな~」
「何言ってんの。これで最後でしょ」
実は最後のスタンプカードが埋まったので平日に利用したのです。ポイント無料宿泊でひとり当たり-19800円、2名だから-39760円、通常の和室の基本料金分だけマイナスになるらしい。
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ワインビーフヒレプランにして岩魚の刺身1尾追加して、お酒もまぁまぁ飲んだのですが。
最近の新規のお客さんは船山温泉にスタンプカードがあったなんて知らないんじゃないかな。昔はこういうスタンプカードがあったのですよ。いつの頃からか発行しなくなったのは、クレジットカードが使えるようになったことや、旅行会社と提携するようになったからです。
利用する側もいろんなポイントチャージのカードを持ってるから、台紙で作ったスタンプカードなんていうひと時代前のものはなくなった。
船山温泉は時代の流れに付いていく。
私だけ取り残されたのだ。

夕餉時のファーストドリンクはビールと白ワインにして、17時までの追加料理ボードを見て、
「岩魚の造りをもう1人前追加してくれないかな」
「え?岩魚のお刺身追加ですか?」
「うん、何だか少なくってさ」
「でも〇〇さん(私のこと)のコースだと・・・」
T館長の説明では、実は基本プランだと岩魚刺身1尾と甲州馬刺の盛りになっているらしい。ただ、私がワガママ言って、馬刺はいいから岩魚2匹にしてくれってこれまでずーっと言い張っていたのです。
近年、それでも足りなくなってきた。だって小さいんだもん。
「たまには馬刺いきません?」
「いや~」
こっちは会津の馬刺がいちばん美味しいと思ってる人だから固辞しました。
夕餉には岩魚の刺身が3匹分になったが、私らがこれまで知らなかった事、「あれ?大きさが?」を知ることになるのです。
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部屋入りする前に食事処を通ったら、6組しかいないぞ。
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釜飯の釜の数は、大きいの2つ、小さいの4つしかない。
小さい釜はおひとり様客用なので、ひとりでフラッと来て泊る客が増えているそうである。
だけど少ない。経営的に大丈夫か船山温泉?
「大丈夫かよ?」
「明日は満室です」(Kさん)
明日は(土)じゃん。満室でなきゃ困るよ。
いつもの部屋、中庭に面した変形の角部屋。
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ジャン妻と貸し切り湯、清水へ。
自分とジャン妻が入って出た分お湯の量が減って、給湯口から源泉と循環が勢い良く噴き出した。雨あがりなので、硫化水素の香がいつもより強い。地下水脈を押されてくるのだと思う。沸かし湯です。
実は私、硫黄のニオイが苦手です。なので草津温泉も行ったことが無いのです。
船山温泉が草津並みにガチに硫黄バリバリで熱かったら通わなかっただろうな。

(そういえば、TBS噂の東京マガジン噂の現場で、草津温泉で江戸時代から続く伝統の湯長を廃止するという報道があったな。
湯治者への問診や症状に応じて時間を指定して入浴させる指示行為が医療的行為と見られると町長が判断したというもの。
私も末端の医療従事会社に在職しているので町長が打ち出した方針に一定の理解はできますが。
湯長が若い女性でしたよ。女性に見られながら入浴するのに違和感を覚えてしまった。本質に関係ないかもですが。)

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私は大浴場、静山にも短い時間で立ち湯ったので後から上がった。
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ジャン妻はT館長と密談している。
「Tさんに相談があるのよ」
「また異業種への転じる話か?」
前は飲食業だったよね。今度は旅館業や飲食店の経営者で、経理や経営ソフトに困っている経営者からの個人的な受注があるかどうか。
だがT館長に言わせると、その世界、業界を知ってないと難しいというんだな。従業員のマネジメントも含めて。
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外に出ていつものアンングルで撮影した船山館。
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いつかの超豪雨で荒れた河原も大分、草が馴染んできた。
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駐車場にネコが寝てる。鋭い目線が、「ここはアタシの場所よ」と言っている。
船山温泉敷地内には2匹以上のネコがいるらしい。まさか岩魚の稚魚をエサにしてないだろうな。
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野良なのである程度の間合いから詰めると逃げ出そうとする。ネコって餌くれる人間にしか懐かないし、気まぐれですぐどっかいっちゃうし。子ネコの頃から餌をあげてないと懐かないです。
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戻って二人静にひとりで入る。
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二人静3.jpg
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ここで余談を述べます。
これは船山温泉の使いたい放題のタオルです。
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未だに持ち帰る輩がいて年間の補充費用がバカにならないそうだが、ウチも梅雨の時期から小さめのタオル山積みに変えました。
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「大きいバスタオルを何回も使ってると干してるウチにカビが生える」というのです。
なので小さいのを多く用意するから「新しいタオルをどんどん取っ換え引っ換えして使いなさい」というのです。私は髪が無いので(無いわけではないが)ボディタオル兼フェイスタオル兼アタマを拭く、これら一連作業は小さいタオル1枚で充分なんですよ。悪かったな。
「洗濯するのタイヘンじゃない?」
「そうでもないわよ」
引き出物とかお中元とかお歳暮とかで贈呈されて、使わないで眠ってたタオルがたくさんあったので。ジャン実家にも眠ってるかもしれない。今度貰ってこよ。
船山のタオルほど山積みじゃないですけど。
「船山はタオルもっとたくさんあったぞ。でもあの宿は未だにタオル持ち帰るヤツがいて結構バカにならない費用がかかるってTさんが言ってたな」
「持ち帰りはご遠慮くださいってなってるのに?」
旅館や民宿なんかで部屋にビニールで包んで置いてあるタオルがあるじゃないですか。宿名が明記してあるあれ。そういうのと勘違いしてるんだろうね。
家では船山スタイルをマネして小さいタオルをとっかえひっかえしてますが、そうなったらそうなったでもったいなく思うというか、一度拭いても「まだ使える、拭ける」そう思って同じタオルを何回も使ってたら「そういうことは止めなさい」と言われた。要は貧乏性なんですね。(笑)
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静山から11.jpg
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夕餉前の静山の湯、館内6組だけなので、大浴場も含めていつも貸し切りでした。
で、夕餉に出された岩魚の造りなんですが・・・
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左下り観音堂 [風景]

私らの旅行は
「宿へ行く」
「宿に泊まる」
「宿にいる」
「なので直行直帰」
基本はそうなのですが、
「一か所観光に行きたい」って言ったらギロッと睨まれた。眉間に縦皺が立ってる。
「まさか山城じゃないでしょうねぇ」
「今の時期、草ぼうぼうなのにそんなとこ行かないよ。お寺だよ」
「お寺ぁ?」
実は寺とも言い難い。お堂です。それが凄い立地にあるのだ。

宿に会津トリセツみたいな簡単なパンフがあって、それに載っていたのですが。
問題はそこへ至るまでのアクセスについて全く触れられていないのだ。駐車場の有無とか、くるまでどこまで昇れるのか、道は舗装されてるのか未舗装なのか、行き違いは可能なのか、駐車場から徒歩どれくらいなのか。WCの有無とか。
記載されていないということはそれらは全く無い、期待できないと見てよさそうだ。
着いたのがここ。会津美里町のどっか。向羽黒山城の裏手から南にある里です。
これより600m?1.jpg
「行ってらっしゃい」
「・・・」
「アタシはここにいる」
「是非アナタにも見せたいんだけど」
「・・・」
ジャン妻は渋々くるまから下りた。だが、足元を見たらジャン妻はサンダルなのです。
「だって湯神だもん」
「・・・」
これより600m?2.jpg
駐車場へ車を止めて案内板を見ると、
「これより約600m山道を登ります・・・」
「600mも登るの?」
「ホラホラ、素晴らしい三層閣の観音堂があるって」
「・・・」
素晴らしい三層閣がありますよと.jpg
第二駐車場への案内.jpg
「400m先に第二駐車場あるってあるけど。この細い路を?」
「・・・」
今度は私が無言になってしまった。
「400m歩くってこと?そこから先もまだ歩くってこと?」
でも歩き始めた。道が半舗装されていたからです。
参道1.jpg
旧参道は草ぼうぼうになっています。
渋々歩いて行くジャン妻の後姿。
「後ろから撮ってないで先に行きなさいよ」
参道2渋々ジャン妻1.jpg
道は広くはない。坂道ですが整備はされている。ただ完全舗装ではなくデコボコした、その、何ていうのか、凹凸のある舗装です。これは滑り止めだと思う。
対向車が来たらかなり困る道幅ではある。
途中で他の舗装道路が接してきた。この舗装路はこの辺りの麓にある工場か倉庫への作業路のようです。
参道3途中から舗装路に折するもすぐに坂道へ.jpg
参道4.jpg
「結構な坂じゃないの」
ジャン妻はブツクサ言ってますが、実際はそれほどキツくないです。日ごろデスクワークが主体なので私ほど歩いてないだけです。
「いったん引き返してくるまで来ようか?」
「いいわよここまで来たんだから」
殆ど投げやりのような諦め返事が返ってきた。
参道5.jpg
まだ続くようです。未訪の道路は何処までも遠く感じるものです。実際の距離そのものはたいしたことないです。
参道6第2駐車場.jpg
第2駐車場が見えてきたぞ。
舗装されていて広々している。誰もいない。
参道7.jpg
ブゥー垂れた表情で登ってきたジャン妻である。
だがまだ終わりじゃない。
「まだ歩くの?」
更にブツクサ言い出した。
「リサーチ不足でしょう。くるまにトレッキンギシューズ積んどきなさいよ」
そのうちブツクサ言う気も萎えたらしい。喋れば喋るほど体力を消耗するからね。
参道8ここからは徒歩.jpg
参道9暗くなる.jpg
まだ登り道が続いている。階段の箇所もあるのですが苔が付着して、昨夜の雨で水が溜まってたりする。
自然の路に近いガレた坂道になった。
足許に注意しながらゆっくりゆっくり登っていく。
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「まだ?」
「多分あの辺り」
平場が見えたのである。400mプラス200mだから歩調からみてそろそろ着く頃合いである。
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「ウオッ」
「!!!」
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会津三十三観音第21番札所、臨済宗左下山観音寺の左下り観音といふもので、山の中腹の岩壁を切り開おて構築された三層閣なのです。
寸法は、解説板その他を見たら五間(9m)四面、高さ四丈八尺(14.5m)東向きで廻り縁があって、縁先に立てば磐梯山を望むことがや、大川の清流を見下ろすことも可能な景勝地とありますが。
木材がかなり古そうです。アブないから回廊に出るなと注意喚起がなされています。
清水の舞台を彷彿とさせるがかなりの年代もの。今にも崩れそうに見えるが。
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楼の脇に石段があった。上がって参拝できるようになっている。
登ってみる1.jpg
「登ってみる。来るかい?」
「ううん」
ジャン妻は首を横に振った。
「気を付けてね」
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登ってきたところ。正面の扁額には普門殿とある。その脇に注意喚起があった。
扁額には普門殿とある.jpg
注意喚起.jpg
「キケン!!左下り観音堂は年代を経た建物です。危険ですので回廊に出ないようお願いいたします」
かといって進入禁止を謳ってもいないし、進入防止のフェンスやチェーンがあるわけでもない。要は自己責任で見たけりゃ見ればということか。
まずお参りというか、無事に下りられますようにと念じて小銭を置いた。

まず、岩壁方向を見てみる。岸壁にへばりつくように建てられているのが分かる。
岩場側1.jpg
岩場側2.jpg
廊下の突き当たりに胎内潜りのような岩穴が見えます。ここにこの観音堂を有名にした本尊(聖観音)とは別に、石像の無頸(くびなし)観音が安置されているらしいが、イワレが禍々しいので近寄らなかった。
その内容はというと、
延長年間(923年~929年)の頃、越後から追捕の追手を逃れてきた者がこの観音堂に身を潜め、助命を一心に観音に念じたけど追手に捕縛され、この観音堂の岩上で斬首された。
追捕使がその首を持ち帰り主人の前に差し出したら、その者の首ではなく観音の石頸だったというもの。
その後、無頸(くびなし)観音といわれ、秘仏とし安置されているというが。
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手摺りのある回廊へは出ないようにというの注意喚起を守って、建物の柱に沿って景観を眺めるためだけにした。慎重に内側を歩いた。
歩いてみるとギシッ、ミシッ、薄い床板がたわんで鳴ります。床板の隙間から下が見えたりする。相当旧いですよこれ。
真っ直ぐ垂直に立っている気がしない。斜めになってないか。
とても手摺りのある回廊まで出る気にはならない。膝から下が寒くなった。
コリドー3.jpg
コリドー4.jpg
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長居するつもりはないのでサッサと降りよう。でもここまでの足跡を引き返すのではなく、反時計廻りに歩いたら急な階段があった。
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下に吸い込まれそうな階段です。一階下りて見上げたところ。
中から見上げる1.jpg
中から見上げる2.jpg
中から見上げる3.jpg
階段の最後の下の方は階段というか梯子段みたいでしたね。
階段というかハシゴ段を下りる1.jpg
階段というかハシゴ段を下りる2.jpg
一階の様子。柱が何本か置かれている。消化器も。表示は無かったようだが禁煙です。あたりまえだよな。
何だか床板が薄いのがわかりますか。
一階部分1.jpg
一階部分2.jpg
一階部分3.jpg
この今にも倒れて崩れそうな三層閣は天長7年(830年)に徳一大師という僧が建立して、延文3年(1358年)には蘆名家の四天、富田将監祐義が修復した。
天長年間なんてどんな時代か全く知らない。延文年間は南北朝時代で、京都室町幕府は足利義詮の時代。
観音堂を修繕した富田将監という人、私が知っている将監は蘆名四天(他は松本、平田、佐瀬)の重臣です。天正17年(1589年)伊達政宗が会津を併呑しようと押し寄せ、会津磐梯山麓の摺上原で蘆名軍と戦いが行われたなかで、家中分裂していた蘆名家臣団で最も繊維旺盛だった人。
若干21歳で500余騎を率いて蘆名軍の先鋒を務め、伊達家に寝返った猪苗代弾正盛国や、伊達軍の精鋭だった片倉景綱、原田宗時の隊を緒戦で敗走させる武勇を奮った。裏切りや傍観者だらけだった蘆名軍の中で泥中の白玉のように奮闘した人です。
将監という名前は富田家代々継承する諱なのだろう。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-12-23
富田氏の邸内では、会津に流れてきたもと信濃守護職、小笠原長時が刃傷で落命している。

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無事に下界に下りた安堵感。
「フゥゥ」
「・・・」
「アナタは止めといてよかった。ギシギシ鳴るんだもの」
「・・・」
「さぁ戻ろう」
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お気をつけて.jpg
途中で中年のペア観光客とすれ違った。
「こんにちはぁ」と言われたので「ああどーもぉ」の後「スリル満点ですよ」と言ってあげた。第2駐車所まで下りたらくるまが停まってなかったので私らと同じく麓から歩いてきたらしい。
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「夫婦杉だって」
「ホントだ」
登って来た時は気が付かなかった。こういうのに目が行くのは気分が安堵したということだな。もう帰りはブツクサ言わないだろう。
さてどうされるのかな.jpg
麓の駐車場まで戻ったら私らのくるまの他に2台停まっていた。さっきすれ違ったペア客のくるまともう1台、仙台ナンバーのくるまから下りたこれまた中年のペア客が「ここから600m」「第2駐車場まで400m」距離数と参道の粗面の様子を見ながら、歩いて行こうかくるまで行けるとこまで行こうか思案している様子である。
無事に行ってきた気持ちの余裕で、教えてあげたくなった。
「放っときなさいよ」(ジャン妻)
私はお前さんのように不親切な人間じゃない。
「ネタにしたいだけでしょ」
そうかも知れない。いや、そうなんだけど。あれ?歩いて行ったぞ。
最初は歩いて行こうとしてたが.jpg
ならいいやと思ったのだが、おそらく連れのご婦人から「やっぱりくるまで行こうよ」とでも物言いがついたんだろうね。また戻ってきた。
私は彼らに歩み寄って、
「くるまで行けることは行けますよ」
「行けますか?」
「凹凸のある舗装ですから行けることは行けます」
ここまで撮影した写真をスクロールして見せてあげた。「こんな感じです」って。
「第2駐車場は舗装されてます。そこから先まだ歩きますが」
三層閣の写真を見せたら、
「あ、凄い、これこれ!!」
俄然、行く気になったようです。
「ただ行くからには迷わず第2駐車場までひたすら前に進むしかないですね。途中でUターンできないんで」
実は途中で脇にそれて入る平場があるにはあるのですが。私有地のようなので撮りませんでしたが。
「前へ前へですね。第2駐車場でUターンできますか?」
「そこは余裕でUターンできます。そこそこ広いです」
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私の助言を得て安堵した彼らが勢いよく登って行くところ。
余計なお世話だったかも知れないが、400mの一本道だから迷わず無事に到達したさ。凹凸路面だから軽自動車だとガタゴト揺れるかも知れないが。
WCはありません。ペットボトルの水を用意しといた方がいい。でもここへ来るまでにコンビニも自販機も無かったんだよな。
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蕎麦宿連泊 若登場 [会津]

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湯野上に住む人々が毎日見上げている風景、そこにあって当たり前の又見山。
昨夜の雨も上がり、峰に漂う山霧の下で、今朝も始発から朝イチ撮り鉄です。
塔のへつり方面から大川(阿賀野川)を渡ってやってくる2両編成。
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次に朝餉前の撮り鉄、源泉4号ポンプ前湯野路から崖に架かっているボロいガーダー橋を狙ったら、
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え?3両編成?
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ガラガラの3両編成だった。白い先頭車両に赤べぇ車両が2両連結している。
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2両目が来た辺りから身体を進行方向に廻して後追いする。3両編成なので勝手が狂った。3両だと、車両がホームに入り切れない駅もある筈だがな。
でも一体自分は・・・
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何しに来てるんだ!!

(普段、日常ではこんなことしてません。)
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宿に戻って朝湯。
外はまだ曇り空。晴れるか今日は?
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それでも朝餉前の撮り鉄、でも木々に葉っぱに隠れがち。
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朝餉を運んできたのは誰か。いきなり若(次男)が現れるもんだから。
「どうも」
「おう」
これだけです。挨拶も最低限で久闊を叙することもなくサッサと踵を返してしまった。冷水をお願いしたのでもう一度現れた時は温泉玉子に使う何かの出汁汁を持ってきた。
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甘めの味噌汁はウチマメ、白菜、具だくさんです。山間でワカメの味噌汁が出されるよりは畑で採れた野菜類の方がいいですよ。
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インゲンの和え物。真っ白いたくあん、ラッキョ
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焼き魚はシャケ、ブリ大根も。
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たまご1&納豆.jpgたまご2.jpg
毎回手を焼かせるミニ納豆。ビニールパックを開けてタレをつま先で切って、カラシ袋もこじ開けてってやるのですがいつも上手くいかないのだ。あらぬ方向にピューッとトンじゃうのだ。
手がベトベトになるので洗面所に駆け込んで指先を洗わなきゃならない。
「温泉玉子の出汁です。塩味になっています。これを注いで、足りなかったらお醬油を・・・」(若)
ダシ玉子かけご飯になった。
ダシを注ぐ2.jpgたまご3.jpg
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そして最後の撮り鉄!!
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廊下に出たら長男さんは部屋の掃除。若(次男)は厨房で後片付け。
大旦那と女将さんは休みだろうか。4人揃い踏みしたのはまだ見たことない。おそらく今後も無いと思う。常時4人いてもしょーがないし。
10時前に帳場でお会計。
「ええっと・・・2万5千円になります」(若)
「ちょっと違うでしょ」(ジャン妻)
「え?あっ!すみません、5万5千円になります。連泊されたんでしたね」
私はくるまに荷物を積んでいたのでその遣り取りを見てないのだが、金額を聞いて、
「高ぇな」
「何言ってんの。2泊したのよ。安い安い」
「あ、そうか。そのまんま黙って出ちゃえばよかったかもな。」
ジャン妻は助手席で明細に見入った。
「何か計算間違いでもあんのか?」
「2泊の金額が、あの宿の1泊と同じだからねぇ。ちょっと考えちゃうわねぇ」
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出立前3.jpg
また来る日まで恵明庵の白壁を見る。真っ白は壁。でも他和室の白壁は剥がれてボロになっている箇所があった。
宿は修理、修繕の繰り返しである。でもこれだけの施設があるのだから、兄弟どっちでもいいし2人でもいいけど、次世代も営って欲しいものだ。
出立前5また来る日まで恵明庵.jpg
贅沢で退屈な滞在は終わった。チェックアウト前にもうひと風呂浴びながら考えたことがある。この宿、この部屋を自分の隠居所か別荘と仮定して、毎日毎日こうして過ごせるだろうか。
答えは、否、である。
日常、俗世に関わって多少也とも不満があるにせよ、そういう世界で日々生きてこその余暇なのだな。
私は2泊3日が限度のようだ。できればもう1泊、3泊しようという気までは起きなかったのである。
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蕎麦宿連泊 二日夜 若現れず [会津]

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夕餉の1時間前にまたまた撮り鉄にでかけようとしたら、チェックインした4人連れ女性と鉢合わせしてしまった。
こっちは作務衣である。女性客は私を宿の旦那と勘違いされ
「こんばんは~お世話に・・・」
・・・まで言いかけたところで私は手と顔を左右に振った。宿の者ではありませんと伝えたつもりだ。
その方々は大部屋へ。
「会津ナンバーだったな」
「宴会かもね。泊まりで」
二次会込みでひとり1万2~3千円と思えばいい。それも部屋に温泉付なんだから。外でハシゴ酒するよりいい。
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やっと大旦那さんが現れた。
「何処へも行かなかったんですか?」
連泊してるのに今現れたこの時間まで私らの前に全く現れなかったのです。厨房で仕込みしてたのは見たけどね。
「ずっとくるまが置いてあっから・・・」
「何処へも行きませんよ」
っていうか、行くとこないし。宿周辺で撮り鉄しただけです。
「ああ、そうですね。自分なんかももうトシだからあまり出なくなっちゃって。ええっと、これそっちに置いて貰っていいですか?」
今回の2泊3日で大旦那と会ったのはこの時だけです。
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馬刺は昨夜よりブ厚く切ってある。
「っていうか、これ切れてないよ」(ジャン妻)
一部の肉塊が完全カットされてなくて、箸で摘まみ揚げたらビローンとつながってたりする。
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女将さんがビールを持ってきて、既に置いてある青い山菜を指して言うには、
「やっと採れたんですこれ。シオデ」
「しおで?」
「シ・オ・デ・っていうの。天然です。前にもお出ししませんでしたっけ?」
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シオデ.jpg
シオデってご存知ですか?山菜シオデ、山のアスパラガスともいいます。
天然のシオデは自生している場所や環境が狭く採取量に限りがあって、シオデそのものを知らずして、生えてる場所も把握してないと採るのが難しいという。採れる量が少ないそうです。
立ちシオデ、これはシオデの小さいもの。山菜シオデよりは発生量が多いらしい。
ワラビが自生している辺りを狙って探すとあるんだとか。
6月はシオデとワラビが取れる時期で、シオデに花が咲いてたらその種を採取して栽培もできるらしい。
だけど会津の場合は山菜採りも命がけでしてね。毎日のように熊が出てますから。
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またこの子らが登場.jpg
早くもこの子らが登場しています。部屋に置いとかないで駐車場のくるまに置きっ放しにしといたら見る人が見たら私がいることがバレるからな。

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かすかに胡麻油の風味がする蕎麦実粥には鶏のササミが入っていた。ラーメンのスープみたいな味でしたね。
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動物性蛋白質の少ない宿でして。馬刺、蕎麦サラダのゆで卵、川魚、軍艦巻きの上のマグロ、そして蕎麦実粥に入っている鶏ササミぐらい。
オプションで会津地鶏の焼き鳥とか置かないかな。
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やっぱり蕎麦サラダはマヨネーズが少ないな。
日頃私をマヨラー呼ばわりするジャン妻ですら「今度マヨネーズ持参しようか?」と言い出す始末。でも私が「厨房に行ってマヨネーズ貰ってくら」と立ち上がりかけたのにはさすがに制止した。
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この後も女将さんが持ってきてくれたのですが、女将さんが「今日は暑い暑い。蒸しますね」と仰せです。私らは暑くなかったですよ。扇風機と自然の風だけでエアコン点けなかったですから。都会のじとーっとしたイヤな暑さを御存じないからだろうね。ここ湯野上にいたらそんな都会の暑さなんか知る必要もないけどね。
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魚のルックスが違うぞ。
「鮎を焼いて揚げたので、アタマから食べれます」
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鮎は岩魚より美人ですね。お腹がふっくらしている。
「アタマっから喰えよ」
「・・・」
「女将さんがああ言ってくれたんだから残すな」
結局ジャン妻はアタマを食べず。私がいただきました。
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蕎麦寿司です。蕎麦の軍艦巻きの上にマグロすき身が載っている。ひとくちふたくちでパクッと食べてしまった。
幻のメニューを思い出した。この宿を知ってしばらくしてからですが、蕎麦の軍艦巻きを素揚げして、その上に雲丹が載ってたのを出されたことがある。それ一度きりです。
「覚えてないわねぇ」(ジャン妻)
まだこういう世界(SNS)が普及する前の話です。
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鮎の焼き揚げが出たので、今日は揚げ蕎麦は出ないなと思って、〆の蕎麦を大盛りにすることにした。
これはジャン妻の普通盛り。
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私の大盛りです。無造作にベチャッと載っています。見てるとやっぱり蕎麦って伸びるんですね。何だか途中まで減らないのだ。
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自分は日頃ランチに蕎麦あまり食べないし蕎麦通でも何でもないのですが。一番美味しい蕎麦は?と聞かれたら、ここ蕎麦宿の盛り蕎麦としか答えようがない。
他の蕎麦を知らないし、スタンド蕎麦や、水切りの甘いざる蕎麦とミニ丼のセット、のようなものばかり食ってるからかもしれない。
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ところがもうひと品あった。
「蕎麦アイスです」
「そばあいすぅ?」
「揚げ物が無かったから、もうひと品埋め合わせで」
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「初めて?」
「いや、前に一度出たことがあるな」
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「また撮ってるの?」
呆れたように言われた。宿裏手の踏切の警報器がカンカン鳴るとついいそいそと動いてしまうのですが、恵明庵は窓側に細い畳があって、床から段差になっている。そこにフェイクだけど囲炉裏があって、その縁に立ちあがって窓を開けて撮るのですが、足元がグラッときてアブない時がある。
「暗くてダメだな」
「足挫くわよ。もう止めなさいって」
この後、食後に湯野上は滝のような豪雨になったので、夜の散歩は無し。大粒の雨が全く洗車をしない私のくるまを洗ってくれた。雨だけで雷は鳴らなかったようだ。
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「さて、若(次男)はどうしたのかなぁ」
「全然見ないね」
「う~ん・・・」
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蕎麦宿連泊 日がな一日 [鉄路と風景]

10時、いつもはチェックアウト時の風呂にいたら会津田島方面が走り去っていった。くるまで来なかったらそれに乗って帰京する列車です。
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駐車場は私のくるまだけになっている。
宿内に静けさが戻った。女将さんと長男さんが各部屋を掃除しているようだ。
2階からの撮り鉄、枕元の窓から撮るとこんな感じで、葉っぱに遮られて列車が見えない。
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これはお隣、更級庵側の窓から撮ったところ。向かいの家の白壁から光が反射して白っぽくなってしまった。
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過去に2回連泊したことがあります。
その頃はまだ若かった旦那さんから「同じ料理でいいですか?」と言われたな。
日中は退屈だった。更級庵で寝てたら午後になって岩魚を配達する業社さんが来たのを覚えている。養鱒公園と表記してあったような。
電話も2回鳴りましたね。出なかったけどね。何処へも出なかったので、宿内で留守番していたような感じだった。

リンクしている十兵衛さんから「何で連泊しないの?」と聞かれたことがあります。う~ん、何でだろ。自分らは2泊が限度なんですよ。3泊すると逆に疲れちゃうんだよな。
距離や場所に関係なく旅は日常からの脱却ですが、やはり俗世とどっかで繋がっていたいんだろうね自分は。となると2泊が限度なんですよ。
遠方に行くわけじゃないし海外にも興味無いし。
「何で海外に行かないんですか?」と部下の女性に聞かれたが、
「興味ねぇよ」
「何でですか?」
私はうるさくなってきた。
「海外に行かなきゃいけないのか?」
そう返したら絶句され「じゃぁいいです」それでおしまいになった。

2階で寝てたら階下から女将さんの声が聞こえた。
「失礼しまぁす。バスタオル取り換えま~す」
「お願いしまぁす」
取り換えると仰ってましたが、昨夜使ったタオルもそのまま置きっ放し。
「新しいタオル使いなさい」
「ヤダもったいない」
(-”-;)
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湯野上温泉は天然かけ流しです。
いつの季節でも昼と夜の温度差があって、それを調整する方法を初めて知りました。
「このバルブは?」
「床暖房です。この奥にある水道の蛇口で調整するんです」(女将さん)
昼湯2バルブ.jpg
昼湯3元栓.jpg
蛇口を絞ると注がれる湯の量が減るから自然に冷める。熱くしたい時は蛇口を心持ち開いて給湯の量を増やすのです。全開にしたら熱湯になりますよ。
「温泉って使った量でお金がかかるんだよね」
父親が不動産業者だったジャン妻はそう言う。
「基本料金が決まっていて、それプラス使った量で支払うんだよ」
だからさらの木は食事中と深更から早朝まで湯を止めるのか。特異知識をひけらかして自信満々のジャン妻だが、床暖房のバルブをバブルと言い間違え、プチ公に突っ込まれる始末である。
「泡(バブル)か」(プチ)
「うっさいっ」

何もしないです。TVも観ない。
宿でTV見たことないんじゃないか私ら。この部屋もそうですが、どこでも点けた記憶がない。
ジャン妻はPADで読書中。電子書籍というヤツを眺めてたらそのうち寝てしまった。
私はまた撮り鉄に出かけた。
湯野上温泉大4ポンプ脇のオンボロガーダー橋を渡っているところ、
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このアングルに飽きてきた。大川の対岸に行ってやろう。
そしたら12時にサイレンが鳴った。
朝5時(だったかな)のサイレンは「牧場の朝」夕方5時に「夕焼け小焼け」昼のサイレンは初めて聞いたね。
連泊してもどっかへ出かけちゃったら昼のサイレンを耳にすることも無かった筈だ。何処へも行かず、宿にいるか宿周辺にいるからこそ聞けたその曲名は忘れた。
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ホテル大阪家の脇にある白岩踏切からワイヤーのつり橋(くるまも走行できます)で大川の対岸へ渡り、舘の湯の前を通る旧道(347号線)を歩いて撮影場所へ。
旧道から見たガッタンゴー
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旧道の下1軒の民家があって、作業者が河川工事の為に河原に下る坂があります。
河原の手前から見上げたガッタンゴー
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その先、旧道に沿って走るガッタンゴー、
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宿に戻って予め用意しておいたランチ。
インスタントのスープとクロワッサン、塩パン、インスタントコーヒー
来る前、昼は下郷町物産館近くにある喫茶店マザーリップに行こうか、な~んて言ってたのですが。夕餉が入らなくなりそうなので止めました。
で、またヒマにも撮りに行ったりして。
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午後3時になった。通常チェックインの時間です。
夕方にかけて今宵泊まるチェックインしてくる。
「そういえば」(ジャン妻)
「???」
「若、いないね」
若とは次男さんのことです。前回復帰した筈だが昨日今日と見てない。
厨房には長男さんがいて蕎麦を打ってたし、旦那さんと料理の仕込みをしてた。女将さんと手分けして掃除してたりしてたし。
「ま~たどっか行っちゃったのかな」
「これだけの施設があるのにね」
若(次男さん)はああ見えて激しい性格なのかな、兄弟で継ぐとなると空気が微妙なのかな、そんなことを喋ってた。
「常時2名は要らないんじゃないのか?」
「でも満室だよ」
満室とはいえ4室だからなぁ。
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空模様がアヤしくなってきた。
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そして夕方、湯野上一帯に「夕焼け小焼け」のサイレンが流れた。チェックイン客も揃いつつある。夕餉時に若は現れるだろうか。
もっともこの時点で旦那さんも私らの前に現れてないのである。
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蕎麦宿連泊 朝撮鉄 [鉄路と風景]

早朝の山霧に覆われた湯野上温泉
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踏切の音
ヒョッと鳴る汽笛
5:52着の始発がやってきたところ。
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この後、湯野上一帯に朝のサイレンミュージックが流れる。
牧場の朝
ただ一面に 立ちこめた
牧場の朝の 霧の海。
ポプラ並木の うっすりと
黒い底から 勇ましく
鐘が鳴る鳴る かんかんと。
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源泉4号ポンプ脇の崖に架かるボロガーダー橋をゆっくり渡るところ。
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同じ宿の別室のペア客がボロ鉄橋を背景に自撮りして引き上げようとしたので「もうちょいしたら電車来ますよ」と教えてあげた。
彼らも写ってしまうのでスマホを縦にして撮影したのです。

裏手の踏切、宿対岸の家の前から
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同じく踏切を望む。宿側から。
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宿の厨房から炊ぎの香りがする
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炊ぎの香りを嗅ぎながら朝湯へ。
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撮り鉄後の朝風呂
湯温が昨晩より下がっている。湯野上は夏場でも夜はグッと気温が下がるので、地熱から湧き出る豊富な湯量も若干温度が下がる。
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散歩して、撮り鉄して、湯に入って、すっかり身体が目覚めたら腹の虫が泣くわけですよ。昨夜の夕餉が済んだのが19時半で、二次会終わったのが20時半、そりゃ腹が減ります。宿に夜食は無いし、近隣にコンビニも無いからね。
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やや置き方がたどたどしい女将さん。納豆を左に置いたり、こっちかしら?と右に置き直したり。
ジャン妻は、「置いといてくれればこっちでやりますよ」と言いかけたそうです。
「あ、玉子焼きだ」
「連泊ですから・・・。連泊って初めてでしたっけ?」(女将さん)
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朝餉9梅干&海苔.jpg朝餉10漬物.jpg
朝餉11納豆.jpg朝餉12ご飯.jpg
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「あ、フルーツ食べてるじゃん」
「それが何か?」
「Mさん(さらの木)に言いつけてやろ。他の宿ではデザート食べてますよって」
「ここはちょうどいい大きさなんよ。さらの木のデザートはゴテゴテし過ぎだよ」
何故この宿でさらの木が引き合いに出されるか。
「ミカンもメロンも皮が剥いてあって食べやすい?」
「そう」
「実も無いし?」
「実?」
「あ、間違えた。種も取ってあるし。食べやすいからでしょ」
横からプチ公がクチバシを挟んだ。
「実の無い果物なんてあんのか?」
「るさい」
陽が出て来た頃の朝湯。
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朝餉の後、いつもは10時のチェックアウトまで僅かな時間を惜しみながら過ごすのですが、私らは連泊なので今日の今だけは余裕な気分だ。
くるまのドアが閉まる音が聞こえる。他室の客が1台、また1台と出ていく。
「俺らはもう1泊するんだヘッヘッヘ(笑)」
「・・・」
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私らのくるまだけ残った。贅沢で退屈な1日が始まった。
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蕎麦宿連泊 初日夜 [会津]

チェックインした時、長男さんから、
「今日は食事は6時半でも大丈夫ですか?」
と言われた。
別に構わない。OKした。普段から6時、18時に夕食を食べるなんてまずないからね。
「誰か他のお客さんで宿入りが遅れるのかしら?」(ジャン妻)

撮り鉄に飽いて部屋で湯ゴロゴロしてたら、17時になって湯野上全体にサイレンの童謡が流れる。

夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘がなる
お手々繋いで皆帰ろ
カラスと一緒に帰りましょ

夕焼け小焼け
蕎麦宿に泊まったご経験ある方は耳にしていると思います。
「う~ん、もうそんな時間?」
ベッドで寝転がってたジャン妻、その後も寝落ちした。長男さんから夕食は6時半~と言われたから。

ところが・・・。

6時5分か10分前、階下がドカドカ音がして、女将さんの声で、
「すぅみませぇ~ん。早く用意してもいいですかぁ?」
はぁ??
この宿はいい意味で客を構わない放ったらかしスタイルで、私どももそれが大いに気に入っているのですが、急な時刻変更になったらなったで言えばいいのに。
階下に降りた。私は作務衣でちゃんとしたカッコしてましたが、ジャン妻はしどけないカッコして丸太のようにゴロンと寝てたんですよ。
「誰が丸太だっ」(ジャン妻)
ちゃんとした部屋着を持ってこなかったのです。
「いいじゃん湯神なんだから。船山やさらと違って宿の中で他のお客さんに会うわけでもないし」
トシを取るとこれだもんな。
私は旅行カバンの中にあるへジャン妻の着るものを手に取った。
「大丈夫ですか用意しちゃっても?」(女将さん)
ったってもう持って来ちゃったんでしょ。
「私はちゃんとしたカッコしてますが、向こうはダラしないカッコしてるんで、着るもの持って来いって」
「アハハハ(笑)」
「並べてください」
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「何で早まったのかしら?」(ジャン妻)
「さぁな。遅れて来る予定のお客が早く着いたとか?」
早まったというか、定刻より少し遅れてスタートになった。
いつもあるべきものが並ぶ定番のオンパレード、素朴で優しいマンネリズムです。
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何故この子らがいるか。湯神のくるまにこの子らを置いたままにしておくと他のお客様に私の素性がバレるので持ってきました。
もうバレてる?バレた時もありますけど。閉じた宿内ならまぁバレても構いませんけど。で、先に出されたのは馬刺(赤身)、山菜、大根甘酢浸、会津アスパラの白和え、蕎麦豆腐、蕎麦ナメコなどなど。
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蕎麦の実粥、鮭のほぐし身が塗してある。
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蕎麦サラダ、マヨネーズが少なくなったな。
「ちょっと少ねぇなこれ」
私はやや憮然としたカオになった筈。
「アタシでもこりゃ少ないワって思うもん。マヨネーズがアクセントになるのに」

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怖いカオしたイワナ君、私はアタマっからガブリといくが、ジャン妻はアタマと飾り塩が着いた尻尾を除けて、箸で身をほぐして骨を取り分け、皮を剥いて食べてる。見てるとイライラしてくる。
「アタマっからガブリといかんかい」
「やだ」
「じゃぁアタマと皮と尻尾と骨をくれ」
「ダメっ」
塩分が濃いからダメだという。
普段から川魚の塩焼きを喰ってるわけじゃないのに。

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揚げ蕎麦、他、いろいろ、海老、アスパラ、潰した里芋に蕎麦の実を塗して揚げたり。
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蕎麦いなり、添えてあるものは南会津か猪苗代のサクランボ、いちごの時もあります。
いなりは甘いから酸味のある果物を添えるのかな、
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ざるそば、今宵は普通盛りに。明日の夜は訳あって自分だけ大盛りにしました。
まぁいつ来ても変わらない内容なんですよ。私は蕎麦通でも何でもない人間ですが、この宿の蕎麦は好きです。普段はスタンドとか、その辺の家庭蕎麦屋で水切りの悪い蕎麦とか、ミニ丼とのセットばっかり喰ってるとそれに慣れちゃって、蕎麦なんてどこでも同じになっちゃうんですよね。
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喰い終えてジャン妻が風呂に入る間、ちょっと外に出てみた。
蒼い薄暮に包まれる蕎麦宿。
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私らがいる洋室・恵明庵です。
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すぐ二次会に移行しました。こらプチ公、子供は飲むんじゃない。
取り置きはさっきの大根の甘酢浸けです。
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またまた腹ごなしに外へ。
4号源泉ポンプ脇の架道橋を渡るガッタンゴー。
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車内が明るく、速度がスローなので、乗客と目が合ってしまった。向こうも私をアヤし気な撮り鉄オヤジだと思ったに違いない。

背後の民宿「ひらのや」さんの2階客室も電気が点いてた。でも湯野路には誰も人がいない。
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遠雷がするのです。それも短い音ではなくて、上空の何処かでエコーチェンバーを効かせたティンパニ(打楽器)を延々と長く叩き続けるような音がする。
時折光った。
雨が降り出した。途端に気温が下がった。急いで窓を閉めたが風は吹いていない。大粒の雨だけ。
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プチ公はアルジ(私のこと)の就寝を待たずして寝てしまった。さては子供のクセに酒を飲んだな?
この電燈ですが、ロールカーテンを上げると傘に引っ掛かって、傘がフッとんじゃうのが翌朝わかりました。
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これは昼間ではない。雷の光で昼間のように照らされたところです。
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蕎麦宿連泊 恵明庵 [会津]

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東北道蓮田SAでジャン妻が助手席で業務メールを打ってるとこです。
「いつまでやっている?」
「すぐ終わるわよ」
なかなか終わらない。すぐ終わるどころか10分以上を要した。
「何をしとるんだ?」
「今日休んだから前日までの売上集計ができなかったのよ」
ジャン妻の上司から「1日分だけなら売り上げ数値が無くてもいいよ」と言われてたそうだが「やっぱ気持ち悪いから集計する。どっかSA入って」と言われたのです。
そんな業務依頼が来るのは、実は(金)(土)連泊にしたから。なかなか終わらないのと電波が弱く送信できず。ドライヴの御守、プチ公(この子を乗せてから無事故です)がイライラしだして、
「早くしろよっ」
「何ですってこのチビッ」
言い争いになる始末。
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私らはチェックアウト時に次回の宿泊を押さえます。その際にこちらの希望も言いますが、宿側の都合というか、空いてる日、週末か週初めに合わせます。さすがに週中日は休めないし、宿も4部屋しかないので。
まず梅雨時の(土)を押さえた。そして6月になって私自身に永年勤続者表彰があったのでいい気になって「空いてたら連泊しようぜ」ってなったの。
2週間前に電話したら大旦那が出た。
「前日の(金)空いてません?」
「ええっと・・・」
・・・しばし沈黙、というか、台帳をパラパラ捲っている気配がした。
「空いてます!!!」
押し殺したような例の声でボソッと言われた。表情が見えるようだ。ニヤリと笑ったに相違ない。
安堵して切ろうとしたらジャン妻が傍らから「馬刺!!馬刺!!」と連呼しよるから。
「2晩とも馬刺でお願いします」
「アイ、馬刺ね」
長男さんが就いてから私らの過去の経緯を御存じないせいか、こちらが黙ってると刺身が海産物な時が1~2回あったので予め言うようにしている。
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洋室、恵明庵にインしたとこ。
「長年お世話になった更級庵に冷たい」
「別れた女房と一緒だよ」
「ムカッ」
だって洋室が気に入っちゃったんだからしょーがないじゃない。

今回もチェックアウト時に次回を押さえたら「洋室は空いてます」と言ってたから、どうもこの宿、和室から順に埋まって行く傾向にあるらしい。
洋室「恵明庵」は他の3室に比べて基本料金が高いのです。高いったって船山温泉の215室と他の和室ほどの差はないですけど。
メゾネットで寝室が2階にあって、メゾネットだから若干傾斜がある。足腰弱い方は上がったり下がったりが負担なのもすぐに埋まらない理由だと思う。
恵明庵を部屋指定する客った私らだけ?
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予報は雨だったが、日中はこんな感じでまぁまぁ晴れていた。
田んぼと山々の風景、手前の田んぼは有休状態で荒地と化し、雑草が生えまくっていた。
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部屋はこんな感じ。撮らなかったけど階段の手すりが太くなっていた。行くと何かしら手が加わっているのがいちばん金がかかっている洋室、恵明庵。
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インして最初の風呂は熱めです。42度あった。
「アナタには少し熱いかも」
源泉かけ流しの温度調整が難しい。25年通っているのに未だに下手です。調整の仕方が翌朝わかりました。
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この時期、緑が映える時期でもある。なので部屋から見るガッタンゴーが撮り難いのだ。
こんな感じですよ。冬場と違って木々に、枝や葉っぱに車体ボディが隠れちゃっている。
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裏手の踏切だけかろうじて視界が通るのですが。
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洋室、恵明庵は窓幅がそんなにないので、同じ方向へ向けて同じような写真しか撮れない。何回撮っても同じようなものしか撮れない。
木々や葉っぱがじゃまだな。なるほどマナー悪い撮り鉄が木を切ったりするのはこういう心境なんだな。私はそんなことはしないぞ。
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ここ最近、イベントが無いせいか、見慣れた車両デザインばかりだ。
会津鉄道は会津田島から来る列車は大川鉄橋を渡る際に速度を落として湯神の裏手を走ります。
湯野上温泉から来る列車も湯神の裏手で速度を落とし、大川鉄橋を渡り終えたら速度を上げます。
なので数年前に比べて宿から撮る電車の写真枚数が増えた。スローで走るから撮り易くなった。それはいいけど木々や葉っぱの写真は細かいので、画像サイズを大きくしないとそれ也に映えないし、使用領域が増えてしまうのです。
同じ写真しか撮れないので、湯の路に出てみた。湯野上温泉4号ポンプの傍らに、崖を渡るボロいガーダー橋があって、そこからのアングル。
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このボロ鉄橋はガーダーの溶接部分(リベット?)が錆び、枕木もところどころ割れたりしている。
昨年泊まった時、裏手から機材を搬入して夜中に保線工事して私を起こした業社に「早く取り換えろよ」と言ったがいつ取り換えるのだろうか。
この後で出逢ったお客さんが列車が来る前、自撮りの準備をしていた時、ガーダー橋を指して「大丈夫なのかしら?」と怪訝そうなペア客がいたくらい素人目にもボロいのがわかるんだよ。会津鉄道さん、早く取り換えろよ。
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夏至を明日に控えてるのでまだ明るい。
部屋に戻って夕餉Timeです。
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Come Back [グルメ]

ジャン妻が「和の居酒屋に飽いた」と言うので。
「こないだ見つけたイタリアンに行かない?」
イアリアン?
あまり気が乗らなかった。
今日は家食がよかったんだけどなぁ。
外なら和食飽きたし誘いの水に乗ってみた。
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最初なのでメニュー載せます。
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最初は素人の店かと思った。スタッフの平均年齢が若く、おひとり様常連客との垣根が思いっきり取り払われ過ぎで、常連さんへのフレンドリーシップが出過ぎてたのが鼻についたの。
スタッフはオーナーシェフ含めて男性4人、フロアに女性1人いましたね。週末(金)とはいえこの規模の店でこんなに人数要るかなぁ。
あまりスタッフの数が多い店は客入りが少ないと緊張感が薄れるんだよな。
ところが約1時間後、店が混んで来たら全員キリッと締ってプロに化けた感がある。緩んでた空気が無くなった。
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おとおしが無いのだ。グリルソーセージが出るまでに前菜をオーダーすりゃしのげたかなぁと後悔。でも続けざまに出された料理がとにかく美味かったのです。出された順番も理にかなっていた。
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ビールに合うに決まっているグリルソーセージ、次にカマンベールチーズフライ
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それまで所在無さげに1杯のビールだけチビチビ飲んでいたのだが、ソーセージが出た途端に3杯お代わりしてしまった。
こっちも店の若いのにウイットが効いた?ジョークを言う余裕が出てきた。
「ソーセージが出た途端にビールの進みが早くなったよ」
「こっち(ジャン妻を指す)がワイン飲み始めると、自分はもうビール注文させてくれねぇんだよ」
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白ワインに移行したタイミングで出されたオムレツもフワフワ、トロトロ、いい味ですねー。意外な仕事っぷりではないか。
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〆に出たクリームスパも美味しい。自分はあまりクルームスパを食べないのですが、多過ぎず少な過ぎず、濃すぎず、2人で取り得分けて丁度いいボリュームです。
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取り分けて貰っているところ。
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天高く伸びるジャン妻の腕とスパ
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一度で全部移すのは無理なので、2回か3回に分けてリフトアップ。
私もこのトシになると、こういう取り分け作業を大抵誰かがやってくれますよ。その場にいる女性がね。
だって自分っがやったら、ヘタしたら、
粗相をするから!!
ベチョッとテーブルに落したらタイヘンだからね。
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うんうん、美味しい美味しい。
「誰と来たのさこの店?」
「U紀さん他、〇〇〇のプロジェクトメンバーよ」
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2019-04-24-1
本社に異動、昇格して、最近やっともとからいる女性陣に受け入れられつつあるU紀(仮名、草の者4号)を含めたプロジェクトメンバーで利用したんだって。奥のテーブル席だったそうです。
そのプロジェクトメンバーは、ジャン妻とU紀の他、複数ある関連会社から選抜された代表者たちで総勢10人以上いて、ジャン妻以外はALL独身女性。
テーブル席は2つあって、U紀とジャン妻は別テーブルだったそうですが、U紀のテーブル席で何故か私のネタになり、U紀めがジャン妻を差し置いて、
「席は離れているけど、〇〇さん(ジャン妻)旦那さん(私)も同じ本社内にいるよ~」
そしたらザワついたそうです。興味本位か怖い者見たさで。
「どんな男性なの?」
「どんな人?」
「見たい~」
ってなったんだってさ。でももうひとつのテーブル席にいたジャン妻は、向こうで何をざわついているのかすぐにはわからなかったそうです。
そしたらまたまたU紀はジャン妻を差し置いて、
「〇〇さん(ジャン妻)の旦那さんは見た目がちょっとねぇ。ああだからねぇ」
それがジャン妻の耳に入った。アタシの亭主のネタ?
やや憮然としたそうです。自分の亭主なんだから。
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この店での懇親会の翌日、私は休憩時間に会議室に引っ張られ、
「皆さんウチのはこれです。気が済んだ?じゃぁ出てっていいから」
滞在数秒で会議室から押し出されたのだ。挨拶も自己紹介も名刺交換も無かったんだから。
「見世物か俺は?」
「そう。見世物(笑)」
後でU紀にも言われました。
「笑、皆さん〇〇さん(私のこと)を見たがってたんですよ」
話題に出すからだろ、でも私も満更ではなかったりして。
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いい店だけど、ひとつだけ言わせろ。こっちがフルボトルでワイン飲んでるんだから、空いたら注ぐなり気が付かないといけないよ。
店名はComeBackといいます。
関係ないけど「Come Back Me」山本達彦さん ↓
https://www.youtube.com/watch?v=Vi9y84zgBqI
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ちょい飲みふるや [グルメ]

「今日は歓迎会&激励会だから。そんなに遅くならないと思うけど」(ジャン妻)
「激励会?歓送迎会じゃなくって?」
「産休に入る〇〇さんを送り出す激励会と(何を激励するんだ?)お休み中の補強に入った派遣さんの歓迎会なのよ」
派遣さんの歓迎会なんて珍しいね。それも初回契約したばかりだろ。慣れてきたところで時期が夏なら納涼会、歳末なら忘年会にの時に「派遣さんもよろしかったらどうですか」ではなくていきなり主役なんだって。そうやって分け隔てなくするのはいいことだけどね。
「まぁ来年まで様子見て、お互いにOKだったら社員になるんじゃないかな。そういう含みもあって催るのよ。上大岡でも行って来たら?」
ところが上大岡はひと足早く、夏季休暇に入っていったのです。都内のイキツケにひとりで行ってもなぁ。大船、藤沢、北鎌倉にしようかなぁ。
いろいろあって、その日の流れで18時には地元に戻ってしまったのです。
閃いたのがこの店・・・。
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この写真を撮るチョイ前、グループ女性客が6名、入っていったのを見送っています。
店構えを見て嬌声・歓声を挙げてたから、こりゃウルサそうな客だなと。賑やかになるだろうなと思ったので、少し間を置いてから入りました。
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私も電話しています。「今からひとり入れるかな?」会計の時に見つけたのですがレジに間取り図があって、それに〇〇様、誰々様と書いてあり、私の名前もちゃんと載っていました。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-04-17
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2019-02-20-1
前にランチで入ってスペアリブ豚汁を食べた時はフロア中央のテーブルカウンター席だったのですが、そのカウンター席は先刻私より先に入った女性グループ客の小上がりを背にするか、連中が正面に見えるかの位置になる。
さぞかしお賑ぎ賑ぎであらしゃるようなので、こんな隔離されたBOX席にしてみた。
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過去記事の時もいたお肉屋さんに相応しい女性スタッフが案内してくれて、
「ここは落ち着きますからねぇ」
そうかなぁ?牢屋か檻に押し込められた気分だよ。両脇の黒壁に押し潰されそうだ。
前方しか視界が開けていないのである。船山温泉の貸切湯「二人静か」か、南側にしか窓が無いアパートの一室を連想させる。
オーダーしようにもカオが見えないので。前を通った際に挙手して気配で伝えることにした。
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店内、薄暗くて見難いですがメニュー載せます。
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肉が多いね。肉割烹だからね。魚介類は皆無といっていい。アジフライやエビフライも無いです。
でもなかなかソソるメニューがあって「豚生姜焼きサラダに惹かれたのですが、若い女性スタッフに聞いたらボリュームがあるらしい。「2人~3人で取り分けた方が・・・」と言うので今回は断念した。私に対して「食べれると思いますよ」とでも言ったら調子にのってオーダーしたっかも。
オーダーは3品入れました。
背後はこんな風になっている。地震が来たらこの一升瓶が私のアタマに落ちてくるのだろうか。
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左上にはこんな書籍が。
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こういう書籍に弱いんだけど私。懐かしい古写真や私の知らない時代の写真が満載されてた。こういうのは復刻しないものなので、永遠の保管史料といっていい。
レンタル申し入れて、コピーしてから返却できないかなって思った。

おとおしは出ません。食べたくない気に入らないおとおしや、取り敢えずテキトーなのを出して、席料稼ぐんでもないのは好感持てますが、全く無いと寂しいものですね。
幸いというか、最初の1品、梅ポテトイサラダが出てきたので、これを突きだし替わりに。
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ポテサラ2.jpg
だけど何故、トングがあるのかな。
「取り皿どうぞ」
自分、ひとり客なんだけど。そのまんま箸で摘まむだけでさ。
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酸っぱいポテサラです。でも頬がツーンと痛いほどじゃない。新ジャガなので潰されてません。こういうポテサラは初めてですね。これは全部食べないで酒のアテに取っておこう。
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俵のカタチをした可愛らしいコロッケ。
「お塩でどーぞ」
塩要らないです。味ついています。肉ジャガのような味です。美味しい美味しい。
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重ねカツについてくるキャベツです。千切りがドッサリ。
ウチでもジャン妻がスライサーを購入したので、これまで長年キャベツの千切りどころかブツ切りだったのが、トンカツ屋さんで出されるような細っこい千切りが可能になりましたけど。
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そして薄い豚肉を巻いて重ねたカツ、松屋さんでいうところのミルフィーユカツ。
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並んだところ。食べてる途中ですが。
コロッケもカツも揚げ物、フライですが全然もたれない。サラッと軽く揚げてあるの。衣も薄いし。ファミレスや居酒屋やトンカツチェーンのようなブ厚い衣じゃないから。
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でももうひとつ突っ込ませてください。熱燗なんですけど、この瓶で出されるんですよ。
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マッコリの瓶かと思ったよ。
「中にお酒が1合半入っております」
重たいのだ。もうちょっと小さい徳利で出そうよ。
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ビール2杯、マッコリじゃなくって、熱燗1合半で出ました。悪いねチョイ飲みで。この時はこれでお腹一杯になってしまったのだ。
でも美味しかったですよ。今後もひとり飲みで使えるかもしれない。
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歩いて帰った。駅まで戻って乗り直す気にならなかった。
地元のスナックで軽く飲み直したのです。ジャン妻も後から合流した。
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BOXよりスナックの方がいいな。
BOXはずーっと歌ばっかりだからね。会話が無いもの。
でも今の若い子に「BOXよりスナックに行け」ったって無理。誰も連れてくヤツいないし。下手すりゃ勘繰られる。
私は社会人になりたての頃、先輩方に連れてってもらったけどなぁ。
「そういう時代じゃなくなったのよ」(ジャン妻)
「・・・」
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きたかまの夜 [居酒屋]

六月の 雨の雫
紫陽花の花 北鎌倉
横須賀線のプラットホームに 君と・・・
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鎌倉、北鎌倉は紫陽花シーズンになると混むのですが、北鎌倉の夜は早いです。
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ガードレールの無い夜道。
走行する車両と歩行者は僅かな空間しかないし、くるまは結構飛ばすんですよ。足元が暗く、歩道アスファルトは急に段差になったりするので注意を要します。下手に急ぐと足首を外側にグキッと挫きかねない。
流行っている古民家のイタ料理屋の先を曲がります。
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行き先は山なのですが、その前にそこだけ蒼白い灯が点っている。
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今宵はジャン妻の奢りです。私個人に慶事があったので。
実は私、社内表彰されました。永年勤続年数20年です。
朝の朝礼で予告もなくいきなり〇長が、
「では永年勤続10年と20年の方、前に出てきてください」
そう言うだけで私も含めて対象者の名前を呼ばないんですよ。目で「出てきなさい」って合図されたの。普通は名前呼ぶよな~。
「表彰状、〇〇〇〇殿、貴殿は・・・」
金一封、連続休暇7日が貰えました。
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小会議室に呼ばれて写真撮った。
喜んでくれたのは例のソリ合わないオンナとその部下ドン子、U紀(もと草の者4号)そして雪子、雪子は永年勤続10年だった。男性管理者たちからは黙殺されましたよ。「ふぅ~ん」てなもんです。
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「おめでとうございます」(ジャン妻)
カチン、乾杯の音です。
おとおしは玉子豆腐にもろこしソース。
ははぁん、これは店主が前にいた店のおとおしに藤沢の昇(ご一緒したことがある)のモロコシ豆腐を掛け合わせたんだろ。
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玉子豆腐もろこしタレ.jpg
「やっと貰えたよ。長かった」
「実は20?23年?」
「平成8年だから23年」
ところが最初の3年は自分は準社員で時間給だったのです。
「バイト時代はカウントされませんよ」
数年前にそう冷たく言い放ったのはソリの合わないオンナで、カッチーンと来たのを今でも根に持って・・・
「もういいでしょ」(ジャン妻)
「・・・」
「彼女も喜んでくれたんだから」
「まぁな」
もっともソリは気の毒なところがあって、現在のように産休明けの育休、時短制度が無かった時代を生き抜いてきた。そういう制度が無かった為に出産~復職の過程で正社員からパート従業員に雇用転換させられ、改めて正社員で復帰しているのです。なので勤続年数は算盤で言うご破算になり、17年か18年在職してるのに10年表彰を受けていないのだ。
幾らソリが合わないとはいえさすがに気の毒に思ったのと、やや義憤に駆られたので、もし表彰時に〇長から「おめでとうございます何かひとこと」とでも振られたら、
「同時代を生き抜いた女性社員の中で、これこれこうこう事情で損してるのがいる。永年勤続表彰は正社員だけでなく、パートも契約社員も取締役も受賞資格があって然るべしだ」
そうブッ放ってやろうかと用意してたのですが。
何を言い出すかわからない私を懸念してか、何も振られなかった。
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「刺身1枚からお切り致します」は、店主がOPEN前に鎌倉の下馬交差点で修行していた「おおはま」さんのやり方をそのまま踏襲している。
刺身全盛り2枚ずついった。
イナダ、カンパチ
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炙りキンメダイ、地ダコ
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ヒラメ、ホウボウ
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マコガレイ、イシガキダイ
マコカレイ.jpg石垣鯛.jpg
赤イカ、太刀魚
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店主が前にいた都内の店は築地から仕入れてたが、現在は地元の河岸から仕入れている。ネタは前より美味しくなっように思う。
ワサビが少ないな。追加して貰った。
「ワサビは追加して貰うと高くなるんだろ」と悪態をついてしまった。
「あちらはどうですか?行かれてます?」
店主が前いた都内、黒板メニューの店です。
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「まぁ月に2回ぐらいはね。そういえばこないだのGW、ウチらは1日多い11連休取ったもんだから、『11連休も休むんですかぁ?ウチより多いじゃないですかぁ?』って店主が勝ち誇ったように言いやがるんだよ」
鬼の首を獲ったように言われたのだ。で、今回の永年勤続表彰で5日間の特別休暇が貰えたが、平日5日の前後の(土)(日)をプラスすれば9連休で、祭日(月)があったので10連休になったのです。
その10連休は1泊2日で上州ひとり旅、1泊2日で船山温泉に行ってきました。
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アジフラ1.jpg
アジフライ、私の方がタルタルソースが多いぞ。
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お客さんの服装を見ると普段着の方が多いので地元客が占めてるようだ。皆さん品がいい。品悪いの私だけですよ。
〇〇ログを見ると平均以上の高得点が多いが、でも前の店から流用した料理も多いのだ。メニューの料理名見ると幾つか被ってるんだよね。
「それをさもこの店だけのオリジナル料理のように。言いつけてやる」
「いいじゃない」
「同じ料理なのに、向こう(前いた店)よりこっちの方が高いぞ」
それは鎌倉価格です。
クリームチーズ西京&ブルーベリー
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揚げ大根&ズワイカニ餡かけ
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〆に玉子かけご飯、塩昆布、醬油要らないです。塩昆布だけで充分です。
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日本酒が効いたな。奈良萬生酒、熱燗でも冷やでも効いた。2人で6合飲めなかったもの。
都内でもこの店でも大船でも、店に酒を任せると生酒をデンと出されることが多くなった。そりゃ生酒は効くさ。
「Totalで2万超えないようにしてね」とジャン妻が少し心配しとったが、前より少食、小飲みになったのでそれは杞憂に終わった。
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帰りの歩道は途中から反対側を歩いた。こっちも舗道もガードレールも無いが、駅側、線路側なのでやや広い感じがする。
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圓覚寺白鷺池まで来たら踏切の音が聞こえた。
走れば間に合うかも。
湘南新宿ラインも乗り入れるので電車の本数は意外に多いのです。
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ホームに駆け上がるジャン妻の後姿。
このデカい背中には弊社とグループ他社から「いい加減に改革してくれ。導入してくれ」そう長く要望されている重大なものを背負っているのです。
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「次回は30年?」
「それはない」
「じゃぁ表彰は最初で最後?」
「だと思う。よほど会社に貢献しない限りはな」
「じゃぁアタシが表彰される時が楽しみだわ」
「・・・」
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検地がやってくる? [居酒屋]

昨日の記事と同じ店ですみませんが、今回は店の料理やサラダで遊んだのではなく、写真の間に挿入したテキストが主でして。
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穏やかじゃないタイトルですが、まずはランチ写真を。鶏の竜田揚げ定食プラス生卵「お米は新潟産コシヒカリを使用しております」ランチです。
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私は唐揚げと竜田揚げがどう違うのかイマイチわからないのだが、これはフツーの唐揚げではないかなぁ。
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注文したら1分もしないで出されましたからね。揚げ置きかも知れない。日替わりは早く出されるので。
ご飯が美味しいです。小鉢と味噌汁はイマイチですね。夜のアオサ入り味噌汁は美味しいのに。
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「夜もお待ちしていまぁす」(女将)
「今日はこれから町田市方面へ行くから来ないよ」
「じゃぁ明日にでも」
そしたら翌日ホントにそうなってしまったのだ。ジャン妻は5月の10連休明けからダイエットの為に昼は手弁当を持参しているのですが、週末になると「自分で造ったもの、味に飽きた」になるので外食したくなるらしい。
それと何か話があるというので。
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予約席の札があるぞ。
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おとおしが美味しくて。
どうも私はマヨネーズがあっても無くても「ツナ」に弱いみたいですね。ジャン妻が「おとおしを再度オーダーするのは止めなさい」制止するのを振り切って後でお代わりしちゃった。
メニュー載せます。昨日も載せたかな。
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かんずり入りポテサラ
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クリームチーズ大葉包み揚げ
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揚げ出し盛り合わせ、揚げ豆腐、揚げ餅、揚げ茄子、シシトウ1本。
私は籤に当らないクセに、シシトウの辛いのによく当たるのですよ。
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大葉包揚げを揚げ出汁に浸してみる。意外に合うね。そりゃ揚げもの、天ぷらだからね。
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今宵はあまりいい話題、情報交換じゃないネタになったのです。
ジャン妻はウチの会社から上の会社に転籍しているので、子会社の私が知らなくていい情報を持っている時が多々あるのですが。
ジャン妻がもたらした情報内容は、業務の効率化、業務の棚卸だという。不要な業務を見直して廃止するの。

(このヒアリングの依頼メールが後日〇長から転送されてきたのですが、その転送されたタイミングが私を怒らせました。
後で〇長に文句言ったですよ「あんなタイミングで全員に送らなくってもいいでしょう」ってね。それは別項にしますが。)

私もそういう仕分けが必要なのは理解しているつもり。売上が低迷するとどうしてもそういう方向に目が向く。経費の削減とか言われる。でも今回は経費云々ではなく無駄な業務云々なのです。だから正確に言うとタイトルの「検地」は相応しくない。ちょっと違う。
そういう見直し部隊が巡回に来て、各人ひとりずつヒヤリングをするんだと。
ただ、それって人員削減に繋がる可能性があるじゃないですか。
「検地がやってくるわけだ」
「そういうのとはちょっと違うと思うけど」
「隠し田を摘発されるのか?」
「何を言ってるの」
「俺なんか真っ先に切られる」
「そんなこと思ってもいないクセに」
実はそうである。私は切られるなんて全く思っていない。だって自分は支店が営業する上での行政とのパイプ役なので、社内の業務ではなく、社外に出すものを一手に担っている。私がそれをやらないと営業できないので、カットしようがないのだ。
エッヘン、フンゾリッ、私は会社の営業の根幹を握っているのだよ。私がいなかったらおざなりになり、行政から監査が入りゃぁよくて始末書、最悪は診療報酬返還、更には営業停止になりかねないのだ。
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地鶏の串焼き
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「そうか。今川家から井伊谷(イイノヤ)に検地にやってきたあれか」
「???」
私は直虎のいち話を話に持ち込んで茶化した。だが他部署にとってはタイヘンなことです。検地に来る連中のボスは私も知っている人だけど、ウチの他の課員にしてみれば知らない人が来て1対1で面談ですよ。20年在職している私やソリの合わないオンナはともかく他の課員たちは動揺するな。
穏やかではない。私自身のことよりも、他の課員たちを護るにはまず何をすればいいか考えた。だが私の業務は本社内よりも現場との関係が大きいので、本社内で他の課員と業務上の接点は薄いのです。
「〇〇(ソリが合わないオンナ)に言わないと」
「ダメよまだ言っちゃ。何を言うの?」
「日頃の私語や立ち話は慎めって。知らないヤツから見たらそういうのが目につくものなんだ」
「ああ、そういうことね。う~ん、確かにそうだよね。知らない人が来るわけだから業務内容より人員のアタマ数しか見ないからね。何を無駄話してるんだ?そんなに余裕があるのか?ってなるだろうね」
まっこと恥ずかしいことながら、ウチの職場は私語が多く、女性職員の中には何でそんなに素っ頓狂な大声を上げるんだと思う時がある。恥ずかしいったらありゃしない。

「面談は1対1だろ。(実際は2対1だった)っていうことは、それを許すってことは、〇長やウチの上層部はどうぞ好きにやってくださいってことだよな。護ってないよなウチの社員を」
「まぁそう見えるかもね。でもいきなり面談になるんじゃなくて、事前にアナタは何の業務をされてますか?のデータを出させるだろうけどね」
私は真剣に考え込んでしまった。ソリ合わない他課員を護るにはどうすればいいのか。ソリが合わないだけでお互いに尊重してる部分はある。17年18年もいればね。
だが考え込んだ私を見てジャン妻は、これはまだ言わない方が良かったかな、と思ったのと、実はジャン妻は検地がどうこうよりも、自分の愚痴を私に聞いて欲しかったのである。なのに私が検地に引っ掛かって考え込んじゃって、アタシの話を聞いてくれるモードじゃなくなったので、だんだん苛立たし気な表情になってきた。
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炙り盛り合わせ、好きなんですよジャン妻がこれを。
「おとおしをお代わりすると高いのよ」
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ちりめんじゃこご飯、アオサ入り味噌汁で〆
「ちょっとちょーだい」
またそういう横取りをする。だったらしっかり1膳喰えばいいのに。
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「まだ言わなきゃよかった」
「こっちも聞かなきゃよかった?でも言わなきゃ言わないで、何で黙ってたんだってなるしな。」
「でしょう?」
ジャン妻は不機嫌になっている。この不機嫌さは翌朝まで続いた。翌朝謝られた。「大事な話をアタシの愚痴の流れで言ってしまってごめんなさい」って。
「いや、もう大丈夫。迎え討つ自信はあるから」
「うん」
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夜道.jpg
検地に?やってきたのは2名、うち1名が、私と全く合わないM村という人物で、過去に散々私を怒らせた人です。
ヒアリング面談は済んでいます。私の業務に対してのフィードバックは、
「〇〇さん(私のこと)の業務は外部に対してのものだから、どこもカットしようがないですね」
私は社内提出物を扱ってるのではなく、社外、行政対応だからです。
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ソリが合わないBirthday [居酒屋&人間ドラマ]

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まだ外は明るいです。18時半だったと思います。速攻で来ました。
だけど・・・
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ウェ~、おとおしはもずく酢か。酢のもの苦手です。
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でもここから挽回します。生ハムと溶かしゴルンゴーラのポテトサラダ
溶かしゴルゴンゾーラって凄いですね。周囲のお客さんにニオイで迷惑かけてたらごめんなさい。
ポテサラに中火で溶かしたゴルンゴンゾーラなんぞをかけたらポテサラそのものを壊しているね。
ポテサラとゴルゴン、どっちが主役か。主客転倒の気がします。ちょっとやり過ぎの感がある。
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さて、ニオイを周囲の席にまき散らしながら。本日の挿話ですが。タイトルの通り。
「〇〇さん(ソリの合わないオンナ)に言われたわよ」(ジャン妻)
「何をさ?あああれか」
「お礼を受けないって拒否されたので、『ケーキ美味しかったとお伝えください』って。何でアタシが言われなきゃならないのよっ」
「そっちに言ったのか」
「〇〇さん他、女性陣全員にあげたんだって?アタシは貰ってないわよ」
「そっちは会社が違うだろ」
でも珍しいな。会話したんだ。はなまるうどん事件以来、殆ど会話が無い、しない、こちらからは話しかけないって言ってたのにさ。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-05-09
でもはなまるうどん事件て1年前だろ。
いつまで根に持ってんだか。
「根に持ってんじゃないわよ。こちらから話す用事がないだけよ」
こっちはずーっと前にいるんだから無視するわけにもいかんのだよ。

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やわらか豚角煮と九条葱の玉子とじ、ご飯にぶっかけたい。そしたら他人丼になる。
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「彼女(ソリ)の誕生日だって知ってたの?」
「知るわけねぇじゃん。ドン子に言われたんだよ」
ドン子という女性社員、この子は私のファンなのですが、その子が私に言うには、
「今日〇〇さんの誕生日なんですよ」
「・・・」
私は自分の眉間が険しくなった。
「何故それを私に言うんだ?」
「だって・・・何かあげないのかなぁって。おめでとうを言うとか」
「・・・」
ばっかばかしい。それって自分で言うならともかく、他人に言わせることかよ。
誰の誕生日かっていうともうおわかりでしょうが、私と長年ソリが合わないオンナですよ。「誕生日です」って言って来たドン子はソリの直属の部下なのです。
しゃーない。聞いてしまったからにはオフィス街にある洋菓子屋へ行って、今日いる女性社員の人数分のケーキを買いましたよ。〇〇(ソリ)だけにくれてやるのも業っ腹だしさ。
ホールケーキじゃないですよ。カットされたバラ売りケーキを買って会社に持ち帰り、廊下の内線から私に言ってきたドン子を呼び出して廊下で渡したの。
「これ、アイツと今日いるオンナどもで喰え。生菓子だから今日中だぞ」
ドン子は喜んだが、私は釘を刺した。
「ただし、〇〇も他のオンナどもも、これについては一切私に礼を言わないこと。黙って食えって」
「どうしてですか?」
「どうしてって・・・」
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揚げじゃがと揚げ餅のガリバタソテー、達筆な文字の黒板メニューには、ガリバタすなわちガーリックバター、にんにくソースですが、カタカナで記されています。
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次の肉巻き豆腐の新にんにくステーキ、これはガーリックと書かずに、にんにく、平仮名です。新ニンニクステーキではカタカナが続いてメニューの見栄え、読み映えしないじゃないですか。だから平仮名にしたの。漢字で大蒜なんて書いても読めない人いるからね。
商売人のママはお客が食べてみたい、オーダーしたい、そういう気分にさせる書き方をするのです。
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ケーキを女性社員全員分買って「礼は要らん。言うな」なんて釘を刺したのは、こういう贈呈って、他の管理者、特に男性管理者から見たら私のスタンドプレイじゃないですか。
お菓子で女性社員の人気を取ってるって。
そんなん私に言えるくらい度胸あるヤツいないですけど。
実際自分は女性社員に人気あるけど(自分で言っても誰も否定しないよ。)他のヤツらは女性社員に差し入れなんてしないです。でもね、あげないくせにね、陰で私らのことを、夫婦だけだから世間一般の家庭よりは家計がどうこうって言われてるんですよ。第三者から聞いたの。
それは私の口害、舌禍のせいでもある。飲み会の店のランクを上げろだの、ノミホは嫌いだの、他部署が取った会議弁当をお裾分けされそうになって「マズそうだからいらねぇ」断ったり、そんなことを放言してるからです。気を付けます。

何事もないようにフツーに作業して、交代で昼休憩時になった。ソリは昼休憩に入る前、席を立ちあがりながら、
「お礼言いませんけど、今からいただきます」
「・・・」
私はそれに対しては何も返さなかった。ただ、
「もう50歳になったんか?」
「まだですっ。あと〇年ですっ」
私は悪態をば放った。
「そんなん誤差の範疇」
「まだありますっ」
「ケーキはホールじゃないぞ。切り分けてあるヤツだよ。ホールケーキにそっちのトシの数だけ蝋燭をブスブス刺したら原型を留めなくなるからな。だけど初めて会った時はおまえさん20代だったよな」
「20代後半でした。でも、でも、〇〇さん(私のこと)だって30代後半だったじゃないですかぁ(笑)」
逆襲に転じてきたと思いきや笑ってましたね。自分の誕生日ネタが取り上げられて嬉しくなったんだろうね。声のボリュームがデカくなったもの。
傍らに立って私らの遣り取りを見て聞いていたU紀(もと草4号)という女性が、
「お2人とも何年一緒にいるんですか?」
在職年数です。
「17年。あれ?18年かな?」
「ですよねぇ」(ソリ)
「そうなんだぁ」
U紀はニッコリ微笑んだ。

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鮎の塩焼き、見りゃわかるって。お腹が膨らんでいる。もしかして天然もの・・・のわけないよな。落合簗の鮎よりまるまる太っているぞ。
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こないだ旅人の惑星さんと会食した時も鮎を食ったのだが、ガブッとやったら腸が飛び散ってシャツが汚れた。翌日出社を遅らせてまでクリーニング店に出したが果たして落ちるだろうか。
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海老とちくわと紅生姜のかきあげ、多かったけどガシガシいただいた。
「紅生姜って天ぷら、かき揚げに合うのよ」
「だったら家でも揚げてくれよ」
「イヤよ」
そういうのは外で食べなさいってか。
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午後に別の女性課長から冷やかされた。
この女性課長も19年在職していて今は雪子の上司、草の者たちの正規の上司でもある。超生意気なオンナですが。
「天敵にプレゼントあげたんだぁ。なんでぇ?」
「なんでって。ドン子が言ってきたからだよ。誕生日あげないんですかって上目遣いで言うからさ。ホントはそんなの知りたくもなかったんだ。」
実は私、ソリよりこの女性課長の方にムカつくことが多いのです。普段は話しかけないようにしている。
「でもアイツとも17年18年一緒にいるんだからさ。あまり好き嫌いは関係なくなってるんだよな」
「大人になったねぇ」
「フン」
「ケーキ美味しかったよぉ」
私が、いちいち口に出して礼言ってくるんじゃねぇと突き放したので、社にいる女性10人は私に目で、会釈で、微笑んで頷く、でした。
私は全て黙殺。皆が喜んで黙って食えばいいの。
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