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海難1890 [和歌山]

タクシー車内1.jpg
本州最南端の駅、串本駅前でいきなりタクシーに乗車します。バスなんか無さそう。
「トルコの軍艦が沈んだところへ・・・」
運ちゃんにはこれで通じた。
運ちゃんは饒舌で、「あれは近畿大のマグロの養殖場ですよ」から始まり、「この島には2000人くらい住んどるんですよ。こうして走ってると家が無いですが、この道は高いところを走ってるんです。人は皆、麓の漁港を中心に住んでます」・・・よう喋りよる。
島に2000人居住とは多いような気がするが、「自衛隊さんの駐屯地があって。。。」それも含まれるそうです。
「橋ができる前はホントの島だったんです。1日に2回、船便があるくらいで・・・」
「本州最南端の地?」
「そうそう。天気予報でよく取り上げられる場所。台風が潮岬の何西、何キロのところを・・・ってヤツね」
だから天気予報でよく取り上げられる訳さ。
潮岬と紀伊大島は東西に並んでいて、潮岬の方がやや南なんですな。
そして今回の記事、エルトゥールル号の顛末に入るわけだが、大雑把なポイント、事故の経緯については私も持っている程度の内容であった。
模型.jpg
エルトゥールル号の名はトルコ共和国の前身、オスマン帝国建国者の父親名に因むという。
この船の遭難事故当時の皇帝はアブデュルハミト2世という人で1877年に即位している。すぐに露土戦争が起きて帝国は敗北。ロシアの南下政策を怖れた西欧諸国の干渉もあってバルカン半島の領土権を失う。
危機感を強めた皇帝は憲法を停止。議会も閉鎖。以後30年に及ぶ専制体制や弾圧が始まった。赤い流血の皇帝とまで呼称される。
この専制皇帝はどうも日本が好きだったらしいのだ。明治維新後に近代化した日本に共感を持ち、列強からの不平等条約を強いられ通商条約の締結ができなかった帝国同士で立場が似ていたからかもしれない。
赤い流血の皇帝がエルトゥール号を日本に派遣したのは1887年に日本の皇室小松宮彰仁親王(・・・この人は戊辰戦争で奥州征討総督だった人だが・・・)夫妻が明治天皇の親書を携えてイスタンブルを訪問したことの答礼とはいえ、自国、オスマン帝国の威信を誇示するのが目的である。イスラム帝国の軍艦が東洋に威信を誇示して廻った。
全長79m、幅15.5m、高さ23m、喫水線8m、最大石炭搭載量450トン、排水量2344トン、機関600馬力、最大速力10ノット、13門の砲塔を持った決して大きいとはいえないこの木造フリゲート艦(小型巡洋艦)は、使節団と航海技術が未熟な兵卒、乗組員併せて600余人も乗せてやってきた。

エルトゥールル号がいつ建造されたのかは諸説あって、大雑把に言えば19世紀半ば頃、流布されている最も古い年号では1854年という。
建造されてから30年程度だが老朽艦といっていいのではないか。しかも木造だし。
フリゲート.jpg
この遠洋航海は兵卒の航海演習を兼ねていて、未熟な操舵技術でスエズ運河走行中に座礁。エジプトで1ヶ月修理。金が少なくなり、石炭を節約する為に帆走を余儀なくされた。
オスマン帝国の威信を見せびらかす為にあちこち立ち寄ってイスラム教徒の大歓迎を受けて更に時間がかかり、シンガポールで年を越し、横須賀の長浦港(田浦)に着いたのが1890年6月7日。故郷を出港してから11ヶ月も経っていたのである。

特使一行は6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈した後は、オスマン帝国からの最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。
だが艦は傷んでいる。船内の物資も消耗し金もない。乗組員には病気が蔓延したこともあって3ヶ月滞在するハメになる。
3ヶ月も滞在したら日本で言う台風シーズンになっている。日本側は危惧して出港見合わせを勧告したが、帝国側が止を振り切って帰路についたのは、日本に長く留まることで帝国海軍の弱体化を流布されることを危惧した為だという。メンツ優先である。9月15日に横須賀長浦港を出港した。

遭難事故は出港翌日の16日に起こった。
エルトゥールル号は紀伊半島の潮岬を周って神戸港へ寄港すべく紀伊水道に向かったら、四国沖を北上していた台風か熱帯低気圧に突入してしまう。
遭難.jpg
大風大波に翻弄されて紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁、船甲羅(フナゴラ)に激突して座礁。機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし22時に沈没する。
死者581人。生存者は僅かに69人。
この僅かな生存者が紀伊大島東の突端にある樫野埼灯台下に流れ着く。
まず10名が断崖を這い登って灯台にたどりつき、ここから地元村民による世紀の救出ドラマが始まるのだが、まぁその内容についてはその方面のサイトを見てください。
歩く。。。.jpg
タクシーやくるまが入れる場所は途中の駐車場まで。そこからは歩いて行かなくてはならない。帰りもタクシーになるので、
「来た分、先に支払っておきましょうか?」
「いやいやええですワ。待ってる時間サービスしますから」
「行って戻って来るまで時間かかりますかね?」
「10分ぐらいですかねぇ」
「じゃぁこの荷物を人質に置いておきます」
トルコ記念館.jpg
長い散歩道。
現在、串本町で5年に一度追悼式典が行われている。残念ながら史料が展示してあるトルコ記念館は今年の6月だか7月に開催される式典に備えて閉館中だった。飲食店、土産物店も幾つかあったが、あまり活気は無く、訪問者の数も指で数えきれるくらいであった。
慰霊碑修繕中.jpg
慰霊碑があった。修繕中みたい。
遭難慰霊碑.jpg

樫野崎燈台1.jpg
その先に燈台がある。生存者が最初に救助を求めた樫野崎燈台。
樫野崎燈台2.jpg
執務室&宿舎.jpg
今も現役.jpg
ジャン妻が小さく見える.jpg
沖を通る客船.jpg
青い海1.jpg
青い海2.jpg
遭難現場は何処かというと、燈台から見て慰霊碑側にある断崖下の岩礁らしい。そこに叩きつけられて沈没した。
遭難現場1.jpg
タクシーに戻って、次に樫野崎からやや西へ。海金剛というマグマが隆起した奇岩が見える辺りへ行く。日米修好記念館の辺りにタクシーを停めて案内して貰った。
ペリーが黒船に乗って浦賀に来航する時から62年遡る1791年3月に、2隻のアメリカ商船がこの地に寄港した。レディワシントン号とグレイス号の2隻。
日本に来航した最初のアメリカ船である。
初めて来た帆船.jpg
「何しに来たんです?」
「生糸か毛皮か何かを売りに来たみたいですよ」
売れ残りのものを持ち込もうとしたらしいのだ。
「でもこの地に商談に来ても話のできる人おらんでしょう」
「まぁそうですね。どうも堺を目指しとったらしいですね」
この時はまだ異国船打ち払い令が出る前の時代なので、
「水か食料くらいは与えたでしょうけど、紀州藩は当たらず触らずだったと思います」
先方は商談、こちらはあくまで漂着と定義づけ、紀州藩も何事も無かったことにして幕閣にも報告しなかったらしい。だから長年知られることもなく、ペリーが黒船でやってきた事の方が先に取り上げられた。
「レディ・ワシントンは映画のパイレーツオブカリビアンでモデル(インターセプター号)になったんですワ」
レディワシントン.jpg
海金剛1.jpg
歩いて数分、海金剛から見たところ。
「どの辺りで沈没?」
「あそこの岩がちょっとずつ水面に出てる辺りですね。船甲羅(フナゴラ)といいます」
「フナゴラ?」
「昔からよく遭難する場所なんですよ」
遭難現場2.jpg
ここでジャン妻がおバカな呟きを・・・。
「泳いで来れそうだけど」
だったら泳いでみぃ。
「いやいや、今は海が穏やかですからそう見えますが、台風が来ればその辺の岩を超えるくらいの大波が来るんですワ。その中で座礁したんやから泳いで渡って来たというか、打ち上げられたんでしょうね」
「そんなに大きい波が押し寄せるんですか?」
「あそこの尖った三画岩の上の方には植物が生えてますでしょう。その生えてるとこと生えてないところがあって、生えてないとこの高さまで大波が押し寄せるんですワ」
海金剛2.jpg
エルトゥールル号の残骸は現在でも遭難現場の岩場から沖合の青い海の底に眠っているそうである。
沈没地点がだいたいこの辺りとわかっているので、平成19年(2007年)から、トルコ他、数カ国の水中考古学調査団が潜って探している。
「あの辺りに船やボートでもおれば遺品の捜索中だなってわかりますよ」
「金塊とか沈んでないのかな?」
「いやぁ~・・・」
運ちゃんは私の生臭い質問にしばし絶句した。
「金塊かぁ。そういうのはどうでしょうねぇ~。木造の帆船だし、鉄だったら錆びてしまうし、昔の陶器とかそういうのは上がってるみたいですけど・・・金塊ねぇ・・・そういうのを積んどったかどうか・・・。長い航海で金もそんなには持って来れなかったんじゃないかなぁ。」

帰りのタクシー車内では、1985年のイラン・イラク戦争で、イランに在留の邦人200人がトルコ航空機2機で救出された話に繋がる。
「あれでエルトゥールル号の一件を知った日本人って多いと思いますよ。あっち(トルコ)では教科書にも載ってるそうですが、それまで日本は自国のことなのによう知らなかったって」
タクシー車内で話題にはならなかったが、日露戦争(1904年~)にオスマン帝国の国民は大きな関心を寄せる。
帝国はクリミア戦争(1853年~1856年)や露土戦争(1877年~1878年)でロシアからの圧力を受けていたのでロシアは共通の敵だったのである。
バルチック艦隊に合流しようとする黒海艦隊を条約を楯に封鎖。日本に協力的な政策を行った。
日本の連合艦隊がバルチック艦隊に勝利をおさめると帝国内では自国の勝利のように喜ばれたというが・・・。
海の翼.jpg
この本、読んだんですが。
全体的に読んでて暑苦しい。何か感動を無理矢理押し付けられるようであまり入っていけなかった。
エトルールル号の生存者は、日本海軍の金剛、比叡の2隻でトルコへ送り届けられるのだが、金剛の艦長で薩摩閥の日高壮之丞という人が登場する。
いよいよイルタンブル目前でエーゲ海域に入った時、ロシアの南下政策を押しとどめる為に締結されたロンドン条約がネックになる。イスタンブルに入る玄関口のダーダネルス海峡での外国船の通航を禁止した条項があったが為です。エーゲ海の何処かの海上か港町で生存者の受け渡しを行うと。
日高は怒った。この人は後年、常備艦隊司令長官だったのを日露開戦前に同じ薩摩閥の山本権兵衛から罷免され、舞鶴鎮守司令長官だった東郷平八郎と交替させられたのに激高した人です。坂の上の雲では中尾彬さんが演じていたね。
その日高が直情径行ムキ出しでトルコの使者に抗議する姿に何故か共感した。ここまで来てああそうですかわかりましたって引き返す訳にはいかないよな。
トルコの使者も目を潤ませ、日本側の気持ちを受け入れたいが、国際条約は遵守しなくてはならないと返す。
結局、皇帝アブデュルハミト2世は条約を無視して海峡を開放。金剛、比叡をイスタンブルに招き入れる。

「映画になるんですワ」
「映画って?ドキュメンタリー?それともドラマ?」
「ドラマです。日本とトルコ合作だったかな。監督は〇〇で、内野聖陽さんや竹中直人さんがロケに来てましたな」
「タイトルは?」
海難1890です。日本に来た年号ですね」
今年(2015年)12月に公開です。

「和歌山から来られて、また和歌山まで戻られるんですか?」
ここだって和歌山県内なんだけどね。
「ええ、来た電車では紀伊勝浦まで行ったんで、また3時間近くかけて戻らにゃならない。途中、踏切安全確認とかで停車しましたよ」
「一部区間で動物(鹿)が入るんです。それを防止する為にあの辺りにある動物園(アドベンチャーワールド)の猛獣のフンをバラ撒くんです。臭いで近寄らなくなるって。そんなんいっとき効果はあっても雨降ったら流されちゃって意味ないですけどねぇ」
タクシー車内2.jpg

トルコから来たんでしょ.jpg
串本駅構内に串本駅にアタマに薄布を撒いた女性2人、彫の深い男性と子供がいた。
「あっトルコ人だ」
「止めなさい」
指さしたりはしなかったが、そこらにいる外国人がトルコ人に見えでしょーがない。別の外国人が駅構内に入って来てまたしても、
「あれもトルコ人だろ」
「止めなさいって言ってるのっ」
「・・・」
16:38発のくろしおに乗車、和歌山駅に18:50に着いた。
くろしおが来た.jpg
ガラガラ.jpg
さらば和歌山1.jpg
ウチの社員で、その人の姉の旦那がトルコ人なんです。
「先日、和歌山県の串本に行ってきた」
「ふ~ん。ご苦労さんだねぇ。。。」
話の意図が通じてないようなので。
「トルコの軍艦が沈んだとこだよ」
「・・・ああ!!・・・あれね・・・。知り合った最初の頃に聞いたことあるよ」
2013年、トルコにおいて26歳の女子大生が殺害される事件が起こったが、トルコの地元住民が集合して日本に対して哀悼と謝罪の意思をカードで示してたのを見た。なんとなく日本に対する親近感はあるようだね。
1999年に発生したトルコ大地震では、日本からトルコへ捜索隊、救助隊の派遣。緊急円借款供与、緊急物資・無償援助、仮設住宅供与などが行われたとか。
他にも経済面での関係は良好だそうである。
現在のトルコでどれくらい知名度があるかわからないが、よく知らないけど日本に対する親しみは今でもあるのではないだろうか。
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瀑布 [和歌山]

那智山、滝へ向かうにはどうすればいいか一応は調べたんですよ。紀伊勝浦駅熊野交通路線バス那智山行約30分那智の滝前バス停下車徒歩5分だって。
那智山へ向かう往復バス車内は地元の路線バスも兼ねているので、地元に住まわれてる方も幾人か乗車しておったが、東洋系の外国人さんの小団体が目立つね。声だかに喋りよるがいったい何を喋ってるのかワカラン。
外国人さんが観光地に銭を落とすのがようわかったよ。他には若い女性の1人旅、2人連れ、熊野古道を歩かんとするウォーキングスタイルの人達。
「家にもウォーキングシューズがあるのにね」
「あったね。じゃぁ定年になったら山でも歩くか?」
「年をとってから山を歩くんではなく、今から歩かないと山は歩けないわよ」
「そういう気は無いな」

バスはいきなり真っ直ぐ山に向かうのではなく、那智駅にも寄って、そこでも乗客を乗せて山方面へ向かった。
「那智駅?こっちの方が滝に近いの?」
実はそうなんだけど、「おそらく特急は停まらないと思うよ」
「レストランが1軒しかないね」
駅舎は如何にも寺社の玄関口といった趣であった。
那智駅.jpg
バスは山に向かう。
大門坂を過ぎて熊野古道バス停に着いた時、1人のデカい外人女性が下車すべくバス前方へ歩いていった。細面の美人なんだけど図体がデカいのよ。
「何も言わないように。。。」(ジャン妻)
「何も言ってないじゃないか」
「いいから黙ってなさいっ!!」
「・・・」
そのデカい女性は下車した。
「アイツ山に登れるんだろうか」
「・・・」(睨むジャン妻)
「後ろに体重かかってひっくり返るんじゃないのか?」
「・・・」
ええっと、那智の滝停留所は終点、那智山から1つ手前です。
私らは滝だけみたい人!!
飛瀧神社.jpg
世界遺産だったのか.jpg
「これって世界遺産なのか?」
「そうよ。富岡製糸場より富士山よりもずっと前からなんだから」
そんなことも知らないのかと先輩風を吹かすジャン妻。
鳥居.jpg
鳥居があって、要は滝=神社、御神体のようである。そこは神社のような建物は見当たらない。1400年に及ぶもので、滝や文化財あれこれについてはHPを見てください。
滝まで下る道は昔のままの石畳みです。
参道を下りるジャン妻.jpg滝を望む.jpg滝ズーム5.jpg滝ズーム6.jpg
那智滝は殆ど垂直に落下していた。
記録を見たら、落ち口の幅13m、滝壺までの落差は133メートル。一段滝としては落差日本1位。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。
滝ズーム1.jpg
滝ズーム2.jpg
滝ズーム3.jpg
滝ズーム4.jpg
眺めるだけで滝壺には行けません。滝壺や滝が落ちる岩壁は立ち入りが禁止されています。
こんな落差のある瀑布に打たれて修行したらしいが、水圧で首が折れたりしないのかね。そういえば何処かのアホがこの滝でロッククライミングして軽犯罪法違反で和歌山県警新宮署に現行犯逮捕されたそうだね。捕まったのはその道で有名なアルパインクライマーだそうだが、動機は単に「日本一の滝に登りたかった」というもの。
入ってはいけないことを知らないで入ったのではない。知ってて入った。
「平謝りで謝ったそうですよ」(地元の知人)
この滝で飽き足りずに本格的な観光路線で見て廻るなら、熊野古道大門坂を歩いたり、那智山見晴台まで登って夕陽を眺めたり、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、補陀洛山寺といった古刹を全部廻るんだろうけど俺らはパス。解説も省略させていただきます。その筋のサイトを見てください。
HPから.jpg
またこの石段を上るのか.jpg
さっさと紀伊勝浦に戻ることにした。滞在時間は僅か30分。その辺り一帯に土産処や食事処があるが、あまりソソらなかったのもある。
紀伊勝浦まで戻って次の串本行きに備えた方がいい。となると帰りのバスまであまり時間がないのがわかった。
那智の滝前の停留所には既に10数人の客待ちがあった。
「終点の駐車場まで歩こうぜ」
「そうだね。滝のバス停に結構な人がいたからね」
この作戦は当たったのだが、滝前のバス停から往路の終点、那智山バス停(帰路の始発バス停)までは、「バスで1分」とあった。
バスで1分ならそう遠くないだろうと甘くみて歩いたら、緩い坂道が続いていてなかなか終点のバス停が見えて来ないのだ。
バスの発車時刻が迫ってくる。とうとう小走りに走るハメになった。
バスの運ちゃんはやはり往路のバスの運ちゃんだった。早く戻った私らを見て内心で、「早くてせっかちな観光客だな」と思ったかも知れない。
位置関係.jpg
帰りは行きと同じバス.jpg
紀伊勝浦駅に戻った。還俗して俗世に戻った気分?そうでもない。古刹でもあり世界遺産とはいえやはり観光地なので、うるさくないまでも客引きの誘致があったからね。
腹が減ったぜ。
串本までの普通電車は14;24なので、1時間弱の余裕がある。
山賀1.jpg
駅前ロータリーの一画の飲食店から、人の良さげなオヤジが顔を出し、「いらっしゃいませ~、ど~ぞ~」、優しげに呼び込むので入ってしまったのだが。。。
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くろしお [和歌山]

「せっかく和歌山に行くんだからさ~」
「???・・・」
何かイヤな予感がした。女性の何割かは地理オンチだというが、ジャン妻の場合はよく下調べしないでいきなり取って付けたようなところを強引に指定することがある。
「那智の滝に行きたい!!」
「ナチノタキ??」
「滝が見たいのよ。滝が好き」
それは知っている。那智の滝でなくちゃいけないのか?
「那智の滝って熊野(古道)の方じゃないのか?」
「そうかも。よく知らない。前にいったことあるのよ」
「いつの頃さ」
「高校生の頃」
「???」
ジャン妻は三重県伊勢市出身で高校時代に一度だけ行ったらしいのだ。
簡単に言うなぁ。地図で見ると那智の滝は確かに和歌山県ですが、和歌山市から見たら反対側、東の県境の方でむしろ三重県に近い。和歌山市から東西に山々をブチ抜いて東に抜ける交通網なんかないぞ。
「伊勢に里帰りした時に行けばいいのに」
ところが三重県の伊勢市から近いかというとそうでもないのだ。和歌山市からも伊勢市からも遠く、那智勝浦(最寄駅は紀伊勝浦駅)は和歌山県と三重県の県境で和歌山県内ギリギリにある。新宮市の手前ですよ。
私は難色を示したのだがジャン妻は譲らない。「昨日の真田丸もそうだったけど、いつもアナタの趣味でしょーもないところへつきあってあげてるんだからタマにはアタシの希望も入れて欲しい」と言い張るんでさ。
しょーもないところ?つきあってあげてる?とは何だ。
「前にあっち方面へ行ったじゃない」
それは紀伊白浜からバスで行ったアドベンチャーワールドという動物園と水族館の巨大混合ワールドのことに違いない。国内で初めて生まれたコウテイペンギンのひな、パンダがいた。
那智の滝はそこからまだまだ遠い。台風上陸ニュースでよく出る本州最南端、潮岬の方を延々迂回して行かなきゃならないのだよ。
「計画立ててよ」
「・・・」
「それはオトコの役目」
「!!!」
昔みたいにブ厚い時刻表の頁をパタパタめくらなくてもネットで検索できるのは便利な世の中になったというものだが、陸路、1本の路線しかなく、往復6時間は電車に乗ることがわかった。片道3時間ですよ。新幹線だったら東京~新大阪を1往復できますね。
地図も併せて見たら本州最南端をグルッと廻って・・・潮岬の先に串本町とあった。
そこに何かあったな。ああ、あれかと脳裏に閃くものがあった。
「だったら串本にも立ち寄る」
「そこに何があるの?」
「トルコの軍艦が・・・」
ジャン妻は眉をしかめた。自分で那智に行きたいと希望を出したのに、また私のオカシな趣味に付き合うのかというイヤなカオをしている。

和歌山市から山ん中を東西に直線でぶっちぎる交通機関はないようです。
和歌山県の総面積は4726K㎡で山地が3832K㎡、総面積の約8割が山林です。海岸線を延々行かなくてはならない。
和歌山市内でレンタカーを借りることも考えたが、高速道~自動車道も途中の紀伊田辺までなので、結局はJR特急にしました。
2泊3日の行程で中日にの朝8:53時和歌山駅発の特急くろしおに乗車した。
黒潮車内.jpg
海南までは比較的真っ直ぐだが、そこから先、少しずつカーブが多くなる。
「随分傾く電車ねぇ」(ジャン妻)
振り子式車輌というのだがバカに説明してもわかるまい。御坊を過ぎて前に下りた紀伊田辺、白浜を過ぎた辺りからカーヴが増えて遅くなった。
オーシャンビューポイントがあって、車内アナウンスで、「右手に見えます太平洋をお楽しみください」・・・速度を落としての運行もあった。この特急は、海側か山側かで特急料金の印象が変わってくると思う。
私は山側の風景、地形を見ながら、この辺り一帯の住民は何で生計をたててるのかな、インフラは整備されているのかな、道幅は?商店は?駅周辺に飲食店や飲み屋はあるのかな?、何か旧跡を示す碑や標注はないのかな、そんな視点で見ていた。

途中、何処かの平野部で緊急停止が2回あったのです。2回とも、「この先の踏切に人が立ち入った為。。。」というのである。
やれやれ。首都圏じゃあるまいし。
「JRって何処もそうなんだね」
もしかしたら・・・紀勢本線は途中の何処かに野生鹿との接触事故が多い箇所があるそうです。対策として、「近くの動物園(アドベンチャーワールド)の猛獣の糞を撒くんだそうですがそん時だけで、雨で流されてしまったらそれで効果ゼロですワ」と言ったのは串本町のタクシー運ちゃん。後で出て来ます。
緊急停車は2回とも長かった。
「結構、長く停まってたね」
「単線で行き違いも考慮しなくてはならないからだろうからな」
そのうち、「確認の為、踏切まで行きます」
ゆ~っくりゆ~っくり動いて、「只今から運転手が線路に下りて安全の確認をいたします」
途中の踏切には歩行者や運転者がいてじーっとこちを見ている。私らの乗った特急が踏切を跨いで停車しているので渡れないのである。早く退きなよという視線を感じた。私のせいじゃないぞ。
動き出した。結局何だったんだろう。
この時期で15分遅れ。その後、右側は海、左側は山の風景が延々続く。
ジャン妻が撮った太平洋.jpg
ジャン妻が撮った太平洋2.jpg
黒潮は海岸沿いの僅かな平野部を縫って一生懸命走っているが。。。
遅い!!
アンタそれでも特急かよって言い無くなる。遅いから沿線風景がよく見える。山側の集落には必ずといっていいほど高所に向かっての避難経路があった。
途中、本州最南端の駅、串本駅に停車。
「帰りにここで途中下車するから」
「アタシは滝さえ見れればいい」
「・・・」
本州最南端の駅.jpg
そこから先も律儀にひと駅ひと駅停まらないだけで、速度は普通電車と変わらないのである。海に面した山際を走っているので線形が曲がりくねっているのだよ。
15分遅れが20分遅れになり、やはり3時間かかって紀伊勝浦駅に着いた。
紀伊勝浦駅.jpg
ようこそ勝浦へ.jpg
バスが来た.jpg
往復割引乗車券.jpg
そこから1時間に1本しか無い那智山行きのバス発車時刻が迫っている。JRめ遅れやがってと罵り罵り、昼飯は後にしてバスに乗り込んだ。
乗車すること30分、ジャン妻が「どーしても観たい」と強硬に言い張る滝とやらは。。。
那智の滝1.jpg
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和歌山ぶる~す [和歌山]

2年ぶりの和歌山です。
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ぶらくり丁です。
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和歌山ブルースの碑。近づくと歌が流れます。聴くと脳裏にくっついちゃって離れないのだ。
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10年前、私は関西担当のマネージャーだった。
大阪、神戸、姫路、和歌山を転々とした。行った先々で酒場巡りをしたもの。
和歌山の居酒屋とは今でも年賀状程度の遣り取りはあります。
私が和歌山とご縁があった経緯、当時のドラマはちょっと書けないのですが、ある日、降って湧いたように突然行けって感じでしたね。社命で行かされなければご縁が無かったでしょう。
1泊2日で計算したらざっと100泊してるんです。ホテル暮らしでした。上州と違って私は単身でウロついていたのですが、ジャン妻は、「アナタが和歌山や関西で遊んで(出張して)た時、自分が何してたか記憶にない」と言うのです。もしかしたらヤバかったかもね。
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和歌山に女性社員を4人ほど赴任させたことがあるのだよ。
うち3人は若手で赴任期間は数ヶ月単位、1人1人交替で行かせた。もう1人はベテランで2年行ったのかな。
彼女たちの住まい(社宅)を設定したのは駅前からドーミインに向かう通りの脇にあるレオパレス21でしたよ。
4人のうち3人は1年生社員だったので親心で私はその子らに同伴したの。今だったらそんな甘い同伴出張は絶対に許可が下りない。現地の社員に案内させるか、子供じゃないんだから各自にやらせろってなる。
4人のうち若手3人はもういない。ALL寿退職した。もう1人は今もいて、和歌山以外の地方都市にも長期で赴任してくれたので、私は今でも借りがあると思っている。
でも在職中に借りは返せないかもしれないと思っています。
今回、私の現在の職掌と離れたルートで、首都圏の女性社員が関西方面へ転居することになり、転居先の勤め先で私がかつて廻った関西の支店も候補になっている。よろしく頼むよと言うつもり。
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前回より2年経って、ちょっと訳ありで和歌山に来たのですが、往時の定宿だったダイワロネットホテル和歌山を予約しようとしたら満室だった。
「あれ?和歌山にドーミインがあるよ」
「和歌山にドーミインが?」
前は無かった。高崎以外のドーミインに泊まるのは初めてです。
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私は高崎のドーミインなら顔パスでフロントでは名前だけしか書かない。でも最近、研修の名札を付けた受付嬢やボーイさんが多くて、名前以外に電話番号も書かされたり、いちいち細かい説明を受けたりする。
俺ぁ常連だぜ、もっと簡略化できないのかと、相手の話を遮るのもかわいそうなのでブス~ッとして聞いています。すると後ろや隣に控えていた先輩のフォローが入ったりもする。
会員カードがないし、ここ和歌山では一見さん扱い。
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ここにも夜泣きそばがあるぞ。
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「夜泣きそばって高崎と同じかな?」
「同じじゃねぇの?」
フロントに置いてあった写真を見たら高崎と同じだったので、あまり期待しないで喰ってみたら、やはり高崎と全く同じものだった。スープも麺も具も。
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夜泣きそば4.jpg
「高崎と同じだね。和歌山だから和歌山ラーメンってわけではないのね」
「和歌山ラーメンだと醬油味でもうちょっと濃いんだよな。カマボコも載ってたりしてさ」
多分、多分ですよ、業務用のスープ、麺、具で、何処へ行っても同じなんでしょうな。
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店構え3.jpg
夜はあの名居酒屋に行ってるのですが、それは項を改めて。
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