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南部路 [船山温泉近郊ネタ]

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青空の下、新緑に彩られた船山温泉。
この時期の船山温泉がいちばん好きです。
周囲に何もないだけに、そこにある自然と調和した宿とその周辺の風景が映えます。
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前日、清掃と水替えで水が少なかった池も水が満たされていた。
昨夜背鰭を出していた鯉たちも悠々泳いでいる。
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清水が硫化水素の香がやや強かった。窓を全開にしてみる。
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軽トラがスピンしている音がしたので見たら、駐車場に作業員の後姿。
T館長の父御だった。重機も動かしてましたね。
リハビリ兼ねて山仕事に復帰したらしい。これだけの自然の中にいれば復調も早いだろう。

「そろそろ出立か?」
寝床から起きてきたプチとヴィー(ドライブの御守)
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10年前よりは飲まなくなり食べなくなった私らですが、基本が上がったからやはり5万いきますね。もう船山温泉は高級旅館になった感があるな~。
今後はどうなるかな。ジャン妻がもうすぐ現社の籍を離れて伊東甲子太郎の許へ行くので、次の船山再訪は現段階では未定なのです。伊東の下でどういう業務をさせられるのか、それによって日常がどうなるのか全くわからないのだ。
この船山行の後、週が開けた初日にミーティングがあるらしい。
ルーチンワークではなくなるのは確かだ。
ジャン妻はルーチンワークは嫌いらしいが。

あれ?朝餉の写真は?
前回も無しでしたが、今回も朝食無しにしました。身延街道沿いのグルメを探訪しましょうということで。
前回の大和峠「うな富士」はモノ凄いウナギだった。今回は普通の食堂です。数年前までは船山温泉で連泊した場合、前日までの予約制で幕の内弁当を出前していた「南部路」です。
私は先に荷物を持って駐車場に出た。その間フロントで、
「これから南部路へ行かれるんですよね」(T館長)
「え?そうなんですか?聞いてない」
この時ジャン妻は、南部路を南部寺、寺と勘違いしていたらしいのだ。
「お寺に寄るんだ。朝兼昼ご飯はアナタが考えるのかと思って」
寺じゃないよ。船山温泉を11:00前にチェックアウト、彼岸花街道をダラダラ下って、身延街道(富士川街道沿い)の交差点、新船山川橋を左折して身延方向へ走ってすぐです。
お寺かと思っていたジャン妻は、着いたところが年季の入った食堂なのと、店の外観に唖然、拍子抜けした感がある。
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南部路、いいネーミングである。町の名前そのもの。地元南部町を代表する食堂といっていい。
だがオカシイ?
開く気配がないのである。
田舎によくある。ネット上には11:00開店となっているのに、実は11:30開店の店って。群馬なんかにもそういうアバウトな店が多い。
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しばし待ったが開く気配がないので電話した。
「昨夜船山温泉のTさんとこに泊まった者ですが。お店って11:30からでしたっけ?」
「何名様でしょうかぁ~」
開店時間を応えないかわりに人数を聞かれた。
「2人なんだけど。もう敷地内に入ってます」
「じゃぁどうぞ中に入っちゃってくださぁい」
アッバウトな店だなぁ。後でT館長は「強引ですね」と笑っていたが、入れてくれたのは地元の名士たるT館長の船山温泉を出した効果であろう。
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テーブル席と小上がり、座敷で占められていた。座敷には「予約席」の札が置いてあった。
「お座敷以外でしたら何処でも大丈夫ですよ~」
法事でもあるらしい。
今はまだ開店前なのか、こんな早い時間にお客はそうそう来ないから来たら入れたらいいやと思ってるのか、法事の予約客で今日のノルマはクリアしているからマイペースで営ろうと思っているのか。のんびりした店だな。
この店、南部路を事前予約して、ほうとうか釜飯をいただこうかとも目論んでいたのだが、船山の館内、特に堰堤側の215号室は携帯が繋がらないのと、ほうとうではないけど猪鍋、釜飯もいただいているのでその気が失せてしまった。チープにいこう。
ジャン妻は「湯神」「船山」「さらの木」の後だと大抵2kg体重が増加するのだが、珍しく、
「カツ煮定食にする」
カツ煮定食だと!!
私も同じにした。この幟がホントなら甲斐国ブランド肉を使っているんだろうというもの。確かこの豚肉は船山温泉でも使っていたような。
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お茶持ってきてオーダー聞きに来たのは地元の体育会系のバイト君ですな。おそらく望月、佐野、武井、武田、遠藤、この辺りによくある姓に違いない。
そのバイト君、雰囲気が「風林火山」の春日源五郎(のちの高坂弾正、演:田中幸太郎さん)によく似ていた。ルックスじゃなくて雰囲気が似ていた。緊張しながらも丁寧で礼儀正しいTALKに店内を爽やかな空気が吹き抜けた。
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メニューをパラパラめくる。メニュー数は多い方だと思う。
フォントを詰めたら7頁も要らないとは思うけど。見やすい。
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「このうどん、追加していい?」
ジャン妻の眦が釣り上がった。眉間に縦皺刻んで「ダメッ!!」
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箸が四角いのに挟まってる。
これ外すと箸置きになるのです。
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「おぉ~い」
「ハイただいま」
さっきの雰囲気春日源五郎が来た。
「刺身蒟蒻できる?」
「ハイできます。おひとつ?」
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あ、これ、メチャ美味なんだけど。
刺身蒟蒻なら群馬にもあるだろって?いやいや、群馬は奥ゆかしい県民性が裏目に出て、夜の店では地産のものを余所者に出さない傾向にあるのですよ。刺身蒟蒻なんて群馬の居酒屋メニューにないです。食べたことないモン。
「これは美味しいね」(ジャン妻)
一杯飲りたいところだが。
船山温泉で刺身蒟蒻は扱ってないのかな。岩魚が苦手な客っているだろ。内々で湯葉とかこういうのを出してるのかも知れない。
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春日源五郎がカツ煮定食を持ってきた。
これも普通以上に美味しいね。デカいし、厚いし、熱いし、揚げ具合もいい。田舎(失礼)らしい甘めの味付け、浸み具合、玉子とのバランス、完璧じゃないか。都内のどのランチのカツ丼より美味しいぞ。中身熱々だし。
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「おぉねぇがぁいしますぅ」
また源五郎が来た。
「ハイなんでしょう」
「ご飯半分だけくれ」
我ながら横柄な注文の言い草だが、体育会系ぽいから慣れてるだろう。
ミニカツ丼にしてみた。ツユだくにしようとしたらまた睨まれた。
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「ごぉちぃそうさまぁ」
「あ、少々お待ちください。よろしければ珈琲をお持ちしますから」
またまた源五郎が登場してアイス珈琲を持ってきたがこれにジャン妻は感激した。喰ったらすぐに追い出される港区の居酒屋ランチと違うんだ。
近年、食後のコーヒーって絶滅傾向にあるからな。店側もゆっくりさせない。利用者側もゆっくりしてられない。忙しない日常にいるのです。
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レジで会計時に、
「美味しかった!!」
吠えるように言った。お世辞じゃない。ホントにそう思ったから言ったの。
だが次のひとことは余計だった。
「船山温泉の朝飯より美味いぜ!!」
地元同士を諍いさせかねないこの心無い比喩に店主(男性)、サブ(男性)、女将さん、バイトの源五郎君はやや固まり返す言葉に窮した。
「どーもありがとーございます」と私らに返すのが精一杯だった。

「どうだった?」
「まぁ美味しかった。最後にコーヒーが出てきたのはウレしかった。最後のアナタのひとことは余計でしょう?食べたもの(朝飯とカツ丼)の路線が違うんだから」
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後でT館長に聞いてみた。
「前は連泊した際に、前日までの予約制で南部路さんの弁当を取っていたでしょう。あれは廃止したの?」
現在船山温泉のパンフには連泊の際は「おにぎりかうどん」になっている。それもバカ高い。(汗)
「いえ、廃止はしておりません。現在もございますよ。表に出してないだけです。」
まぁ他所から出前取るよりも、館内にあるものを出して儲けた方がいいからね。これも悪い意味じゃないですよ。
「南部路、美味しかったですよ。従業員の感じもすごくいいし。お知り合いですよね?」
「安心しました。南部路さんとは仲がいいですよ」
ただ、11時OPENならその時間にちゃんと開けようぜ。
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尾崎の狼煙山 [船山温泉近郊ネタ]

船山温泉をチェックアウト、くるまを駐車場敷地内から出そうとしてアクシデントが発生。
T館長自らの応急処置の後で南部町から最も近いディーラーへ持ち込むことになった。お隣の静岡県富士宮市内、船山温泉から20数キロの距離である。
実はそこのディーラーに行ったことがある。
「そこへ行くの2回めだよ」
「え??」
「前にタイヤがバーストしかけたの覚えてる?」
「ああ、あの時に」
8年前、船山温泉に惚れ込んだ最初の頃、富士宮市の芝川という町から富士川を渡る釜口橋(川幅が狭い急流地帯で、狭いので度々架橋したがよく落ちたという。)の先、内房橋で富士川を渡って尾崎のトンネルに入る手前、そのトンネルと山を撮影しようと左の路肩に寄せたらデカい縁石に気付かず、タイヤをベリッと擦った。
その時は一旦富士宮市内に戻ってバーストしけかたタイヤを交換している。
尾崎トンネルを撮影しようとしたのはそのトンネルの山に狼煙台か小さい砦があったと。訪城も楽チンらしい。
実は狼煙台そのものはトンネルの峰続きの南にあり、トンネルの真上ではないのだが。
①船山温泉チェックアウト時のカーアクシデント
②富士宮市内のディーラーへ連絡
③実はそのディーラーへ行くのは2回め
④では初回は何だったかな?
⑤尾崎の縁石で擦ったんだった
⑥何で路肩に停めようとしたんだっけ?
⑦思い出した尾崎の城山だ、ではそれを見に行こうと。点と点が繋がった。
だがジャン妻は山道をくるまで登ると思い込んだらしく、助手席で大声を張り上げた。
「やめなさいこの状態のくるまでっ!!」
「くるまは麓に停めるから大丈夫だよ」
「何もこういう時に・・・」
「それとこれとは別」
「・・・」
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身延街道を南下。
甲駿橋北を富士宮方面へ左折。
富士川の支流・稲瀬川に沿った県道を快走。
尾崎トンネルを潜って右折しようとしたら右折不可。
そのまま真っ直ぐ、かつてタイヤを擦った縁石がまだ残っているのを横目に走って新内房橋を渡って右折、旧い方の橋、釜口橋を渡って尾崎に戻るという迂遠な走行をした。
目的地は尾根の先端にある。そのまま真っ直ぐ南下すると、旅人の惑星さんが泊まった芝川苑に至るはず。
山の上には小さい浅間神社がある。くるまを脇に停めてそこの階段を上る。
「すぐ戻ってきて」
「・・・」
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アスリートが階段を走って登ったり下りたりしている。
「こんにちは~」
「どうもぉ」
こういうところを散策する場合、地元の人に出逢ったら必ず声かけ、挨拶すること。
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携帯電話の無い時代、ここ尾崎、白鳥山、大和峠(うなぎのあるところ)、狼煙台のネットワークが富士川に沿って甲斐府中まで繋がっていた。
神社手前が一段低く、小さい腰郭(帯郭)に見えなくもない。
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比高30mほど。神社だけの単郭構造。10m×30m程度。そこに社が立っている。
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神社の背後に低い土塁があってその先が断ち切ってあった。深さ3mほど。
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その先も断ち切ってあった。深さ1mほど。
1mは浅い。崩れて埋まっちゃったんでしょう。
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更にその先に深い断ち切りがあって深さ6mほど。
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その先(北側)は・・・おそらくこのまま分け入ったら尾崎トンネルの真上に至る筈だが。
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小さい単郭でしかない構造なのに北側に堀切が3本もあるのは、尾根の先のトンンルがある辺りの方が高いから。
防御は弱く、籠れる兵数は多くて20~30人程度。敵軍に包囲される前、今川軍が攻め上って来たら狼煙を上げてさっさと尾根続きに逃げ出したに違いない。
ただ、こういうのが無いと困る場所であった。富士川や支流の稲瀬川に面していて、山麓には現在の県10号線や75号線といったかつての街道がクロスしている交通の要衝だから。
誰がいたのかわからないが、甲斐駿河国境の最前線である。甲駿どちらかに併呑されない限り存続しただろう。
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出典、鳥瞰図の第一人者、余湖先生のHPからです。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/sizuoka/sibakawamati.htm
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「今から下りる」とメールしたら返信は、
「遅いっ!!」
これから応急処置しにディーラーへ向かいます。
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南部氏滅亡伝承地に電気柵が [船山温泉近郊ネタ]

今回の船山温泉は寝湯の衝撃がデカかったので、考察も昂じて批判、愚痴になりがちだった。
帰途の車中もブーイングで、何であんな風にしたのかクエスチョンだらけで帰宅した。
「アタシは船山って寝に行くようなものだけど。お風呂は貸切に一度か二度は入れればいいや」(ジャン妻)
よく寝れるそうである。ベッドや貸出枕がフィットするんだって。
今だって、なんであんな風になっちゃったんだぁ~、利用客の端くれとして叫びたい気分。
で、今日の記事はチェックアウト後の散策で、一連の船山記事としては竜頭蛇尾に過ぎないですが。

「大永中福島上総乱入ノ時、波木井三河守義実此ニ党スルニ依テ、武田信虎ノ為ニ峯ノ城ニ於テ責殺サルトアルモ此城ノ事ナルベシ」(南部町史、甲斐国誌)
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-01-06

幕末まで続いた盛岡藩南部氏の始祖に南部三郎光行という人がいて、源頼朝率いる奥州平泉征討軍に従軍して戦功を挙げ、それまで領していた甲斐の南部郷(南部町)を離れて陸奥国を拝領した。自身は奥州に赴任せず、鎌倉にあって統治したともいふ。
三郎光行は甲斐南部領を三男の実長に割譲した。実長は鎌倉幕府から睨まれた日蓮を身延に保護した硬骨漢。この実長を南部破切の六郎という。
南部町の北隣、身延に波木井という地がある。破切=波木井?そこにいたとも聞き及ぶ。
実長の子に長義というがいて、この人の系譜が南部の波木井に土着。代々波木井氏を称する。

それから何代目かの甲斐南部氏当主・波木井三河守義実は、甲斐統一を目指す武田信虎と駿河から狙って来る今川氏親の間で微妙な立場に置かれ去就が難しくなる。
冒頭の甲斐国誌の記載は、大永年間(1521年~)、駿河今川氏の将、福島(クシマ)上総介が甲斐に侵攻して来た時、今川方を手引きしたが為に、武田信虎に攻め滅ぼされたという記述です。

甲斐南部氏(波木井氏)が滅んだ場所(信虎が攻めて来た場所)が問題で、「武田信虎ノ為ニ峯ノ城ニ於テ責殺サル・・・」、身延の波木井には波木井城があるが、峯という地名は見当たらない。
私は波木井城には行ったことがない。身延街道から逸れてそこへ至るまでの道が狭く、セダン車では切り返しが難しいとも。
身延の波木井は地理的に見て甲斐府中に近く、今川軍を手引きし難いのではないだろうか。

南部町の富士川の土手に南部氏の館跡があるが・・・攻められて立て籠もる地形ではない。
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そこから近く、52号線(身延街道、富士川街道)で船山温泉に向かう手前、最後のトンネルの上に南部城山があるが、後世の狼煙台とも。城山公園と謳っているが、南部町役場に問い合わせたら「自然に還っています」とのこと。
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で、もうひとつある。船山温泉の北東に峯(峰)という集落がある。その一帯にある波木井山。
南部町誌では、ここを南部氏滅亡の地と言っている。
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2009年11月に峯集落をいきなり訪れ、野良作業している地元の方に聞いて回った。
(峯集落のおばちゃん)
「坂を下ったところにうちの田んぼがあって大きい岩があるの。岩の辺りは誰かが斬られた場所だって。斬られたか槍で突かれたかわかんないけどそういう怖い場所・・・」 

(峯の城域を耕してた耳遠い爺さん)
「(遺構を)潰しちゃった。知っている年寄りはもうおらん」

(穴山信懸の墓がある建忠寺近くで出逢った爺さん)
「公民館を建てた時にあの辺りを掘ったら石垣と人骨が出て来た。光行の墓じゃないかって・・・」

そして2015年に、「甲斐武田を探検」サイトに峯城に碑が立った旨が掲載されていた。
http://1st.geocities.jp/minohazz/shiseki-shousai/mk026/mk026.html
私は波木井南部氏が滅んだ場所、身延の波木井か、南部の峯か、終止符が打たれたのかなと。

今年の4月、船山で一夜明けたら豪雨だったので、峯城への訪問を先送りした。
船山温泉内湯改変の衝撃を引き摺りながら、チェックアウトして行ってみたら・・・。
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柵!!
電気柵!!
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電気柵が城域を取り巻いている。
北方に聳える御殿山から下りてくる獣たちの獣害対策だろうか。
こじあけて入ろうと思えば・・・いや、普通に開けて入れそうだが、感電するのもバカらしいので断念した。
峯城だけでなく集落のあちこちが柵だらけ。時折コメントいただく似非師匠さんいわく、「まるで人間が電気柵に閉じ込められて・・・」の感がある。

前述の「甲斐武田を探検」によると、波木井堂の裏には石碑が大小二つあって、大きい方に「波木井六郎実長」・・・盛岡の本家から分れてこの地を割譲された波木井南部氏の祖です。
もう一つ、小さい方に「十一代波木井三河守義実」とあるそうです。十一代で滅んだ訳である。
他、信虎が攻めて来た時の戦死者の供養塔、千人塚があるとか。
これらの碑は波木井氏の子孫の方が建てられたとか。
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2009年に訪問した時のもの。地形的には現在も変わらないと推定される。
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(南部町誌)
「峯の城は波木井義実に関係した城と記され、北川の一段低い所に波木井氏の子孫が祀る社が建てられている。身延町に波木井城があり、波木井氏の峯の城とも呼ばれていることから、ここも峯の城の比定地の一つとして位置づけられる」

その波木井山は東に船山川の支流、西は谷になっている。現状を見ると北の守りが脆弱そう。北の峯集落と地続きになってるからである。
だから電気柵で囲まれている?獣たちが北から侵入しないように?
無粋で野暮な柵だが仕方がない。南部町の農家では(南部町に限らず)有害鳥獣(猿、猪、鹿、鳥類までも)により、農作物の被害に苦慮している。
補助金制度もある。電気柵(ポール、電線、バッテリー、ソーラーシステム等)、電気の通らない防除網、他、資材。
HPを見たら、補助金の限度額は30万円。資材費用の75%以内。
設置費は1箇所につき5000円。
資材費120000円として、補助金が90000円、設置費5000円、合計95000となる。
申請書類は申請書、見積書、領収書、設置完了後の写真、位置図。
書類申請だけなら私でもできそうである。
虎口?.jpg
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スゴスゴと公民館脇に停めたくるまに戻った。
「済んだの?早いね」(ジャン妻)
「それがさ・・・」
公民館.jpg
誰かが斬られた辺り。稲刈りしている地元農家の方が私らを訝しげに見ている。
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路を下る。南側の本郷集落側に電気柵は無かった。
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上の暗い写真は、2009年に訪れた時、本郭(波木井堂の辺り)から南に下る尾根道です。そのまま行くと南の集落に出そうなので、逆にそっち側(南側)から登れば城域に入れるかも知れない。
くるまを道に停めて、私有地(田んぼや畑)を突っ切らなきゃならないけど。
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秋風が吹く本郷集落を抜けた。
大永年間にこの電気柵があったら信虎軍も撤退したかな。
今の時代、猿や鹿が攻めてくるのだろうか。

峯之城の碑は建立された。身延波木井かここ南部の峯か論争に終止符が打たれたのかと思いきや、獣害対策の電気柵に謎ごと封じ込まれてしまったのである。
甲斐武田を探検、管理人さん(みんさん)に電気柵写真を送ったら、こう仰っておられた。
「まさに難攻不落!!」
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南部氏滅亡の地に標注が建った [船山温泉近郊ネタ]

最近になって船山温泉近郊ネタで気になる情報を見つけた。
船山温泉のある南部町は南部氏発祥の地と謳っています。南部氏とは近世まで続いた盛岡藩が本流で、そこから分知したのが八戸藩、七戸藩。
南部氏の始祖は南部三郎光行という人。清和源氏(甲斐源氏)の系譜で南部郷(現在の南部町)を領していたが、文治5年(1189年)の奥州平泉征討軍に従軍し、南部光行は甲斐の南部を離れて陸奥国に入国したという定説になっている。
でも拝領したのを証明する文書はないようです。伝承による。
光行の子息に実長という人がいる。鎌倉幕府から睨まれた日蓮を身延に保護した人ですが、この人を南部破切の六郎というそうです。
破切=波木井?
南部町の北隣、身延に波木井という地があるけどそこに居住したのだろうか。
実長の子、実継が陸奥に行って根城南部氏の祖になるのだが、同じく実長の子で長義という人は陸奥に赴かず、この人の系譜が南部、波木井に土着、波木井氏を称した。
そこから数えて数代、南部氏は甲斐府中武田、駿河の今川、勃興してきた穴山、微妙な立場に置かれ、去就が難しくなる。南部町史には「甲斐国誌」からの引用で、
「大永中福島上総乱入ノ時、波木井三河守義実此ニ党スルニ依テ、武田信虎ノ為ニ峯ノ城ニ於テ責殺サルトアルモ此城ノ事ナルベシ」
伊藤さん.jpg仲代達也さん.jpg
福島(クシマ)上総とは、大河でテリー伊藤さんが演じた福島越前と同一人物か、一族の誰かと思われます。
峯ノ城ニ於テ責殺・・・大永年間は1521年~、武田信虎に攻め滅ぼされたという記述。
波木井南部氏が滅んだ場所の伝承地が2箇所あって、身延の波木井城と、船山温泉近郊の杉尾集落の東、峯という集落にある波木井山。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-03
位置関係です。粗いですが。
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峯集落にある波木井山です。峯の城という。
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町史にはこの場所についてこうあった。
「峯の城は波木井義実に関係した城と記され、北川の一段低い所に波木井氏の子孫が祀る社が建てられている。身延町に波木井城があり、波木井氏の峯の城とも呼ばれていることから、ここも峯の城の比定地の一つとして位置づけられる」
ハッキリ断定していない。可能性を言っている。
身延には碑まで建立されている波木井城がある。そこに南部波木井氏はいたかも知れないが、そこで滅んだ伝承はないようで、むしろ伝承はここ南部町本郷にある。身延はあくまで波木井という地名から来ているのではないか。
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南部町の波木井山は、東に船山川の支流、西は谷になっているが、北の峯集落と地続きになってる辺りはあまり要害性が感じられない。南はだらだらした尾根になっていた。
城域も後年の壊変で明瞭でなくなっている。
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波木井山は2009年に初訪し、2010年に船山館主と訪れている。身延の波木井城には碑が建立されているが、南部の波木井山、峯の城伝承地にははっきり示すものはなかった。
ただ、私が現地の人から聞き取った証言に、
「坂を下って山を振り返るとそこに大きい岩があるの。うちの田んぼの傍だけど、そこは誰かが斬られた場所だって。斬られたか槍で突かれたかわかんないけどそういう怖い場所」 (峯集落に住むおばちゃん)
「(遺構を)潰しちゃった。知っている年寄りはもうおらん」 (峯の城域を耕してた耳遠い爺さん)
「石垣と人骨が出て来た。光行の墓じゃないかって」 (穴山信懸の墓がある建忠寺近くで出逢った爺さん)
私は、ああそういう場所なんだな、と思っていたのだが、昨年末に偶然にたどり着いたサイト、「甲斐武田を探検っ!!」http://1st.geocities.jp/minohazz/shiseki-shousai/mk026/mk026.htmlを見たら、波木井山の峯城域に、小さいながらも碑(標注)が建っていた。波木井氏の子孫の方が建立されたらしいです。
(甲斐武田を探検管理人、みんさんからご提供いただきました。)
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最後の写真は本郷の千年桜から見た峯の城です。
「桜が散る有名な場所って武士の最後にちなんだ場所が多いですよね」 (船山温泉T館長談)
では南部氏滅亡の伝承地論争、身延波木井か、南部町本郷か、この伝承は終止符が打たれたのだろうか。
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穴山勝千代君が眠る寺 [船山温泉近郊ネタ]

船山温泉さんのFacebook6月5日にこうあった。
「今日は新しい取引先の佐野おとり店さまに行って来ました。なんと4本の井戸から水が入っておりまして、こんなところで育った鮎は最高のものだと確信いたしました。」
佐野おとり店は52号線身延街道の南部町役場、道の駅とみざわの交差点を西へ曲がり、福士川に沿って道なりに1kmほど進んだところにある。福士川は富士川の支流で、釣り場スポットが点在している。
私はそこへ向かう・・・のではなく、その近所にあるお寺へ向かった。
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今回の船山行は、宿の前のS字カーヴだった道が、何故か現在は付け替えられて直線になった経緯を調べるのがメインだが、もうひとつ寄ってみたいところがある。
5月に静岡出張に行った時、偶然にも穴山梅雪のいた江尻城を見つけたのですが、よく知られているように梅雪がああいう横死の仕方をした後、穴山家がどうなったかをチョイ見してたら、嫡男が15歳くらいで夭折し、そのお墓が南部町(旧富沢町)にあるのを知った。
穴山勝千代君のお墓です。福士の最恩寺というお寺。佐野おとり店の手前にあるこの寺は、武田マニアでないとまず訪れないだろう。

そこへ向かう車中で私は夕餉の追加料理を切り出した。
「前回、山女魚の燻製を喰ったな」
「うん。あれって美味かったね~」
「あの山女魚はこの先にある魚屋・・・(佐野おとり店です。おとり店って何だかわかんないので魚屋としか表現できなかった・・・)から仕入れてるんじゃないかな。新しい仕入れ先を開拓したみたいだよ」
「宿の中に山女魚いないの?」
「宿ん中は岩魚と鯉だけじゃないかな」
この時期、燻製は山女魚ではなく鮎に替わっているらしいが、その日の夜の夕餉は館長に無理を言って2種類お願いしてある。
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寺に着いた。ここに穴山勝千代という子のお墓があるのです。元亀3年(1572年)に生まれ、天正15年6月に亡くなっている。
ジャン妻はくるまから下りて来やしない。
「どーぞ行ってらっしゃい」
「・・・」
いつもこうである。私はやや憮然としてくるまから下りた。
それほど広くない境内にある仏殿は何と室町時代の応永二年(1395年)に建立されたそうです。よく戦火に見舞われなかったものである。今後も維持していくのがタイヘンそう。
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仏殿の解説のみ.jpg
寺の背後にある山は福士の城山とうって、狼煙台程度の郭が2つ、堀切が1つあるそうです。
福士の狼煙山.jpg
勝千代は穴山信君(梅雪)の嫡男です。武田信玄の外孫。勝千代は幼名で元服してからは穴山信治。
上手くいけば武田信治になってた筈だが。。。
官途名、受領名は無いようです。
身延の下山で生まれ、裏切り者の父、穴山信君の後継として養育されるが、勝頼の代になって武田家が傾くと人質として甲斐府中に置かれた。
父の穴山信君は河内一帯(身延~南部)と駿河の江尻を領し、対峙する織田・徳川勢との前線にあって緊張の毎日だが、甲府を離れ、冷めた目で甲斐府中を眺めていた。(と、小説風に推測する。)
勝千代君は天正8年(1580年)、父、穴山信君が出家(梅雪)した際に家督を譲られて穴山家当主になっているが、実権は梅雪が握っていた。
天正9年(1581年)には武田勝頼の娘との婚約が破棄された。アヤしいけどオモシロそうな甲陽軍鑑ではこれこそが梅雪離反の要因だという。
家康が梅雪にちょっかいをかけてくる。梅雪は武田家を離反する条件として、①武田氏の名跡を残す、②当主を勝千代(信治)とする、これを家康は呑んだ。
勝千代は甲府を脱出する。これで穴山梅雪の謀反が明白になった。
武田滅亡後、ご存じのように天正10年(1582年)6月、梅雪は本能寺の変後、上方で横死する。勝千代は正式に穴山家の当主となり、梅雪と別行動を取って九死に一生を得た家康は、三河国に戻ると河内領と勝千代の保護のもと、穴山氏は徳川氏の従属下、寄力に置いた。政務は家康の家来が代行したのではないか。
だが天正15年(1587年)、勝千代君は疱瘡で死去した。享年16歳。当時は早婚とはいえ妻がいたかどうかわからない。嗣子が無く穴山家の直系は断絶する。

勝千代君のお墓が見つからない。本堂の裏にあるって聞いたんだが。墓地全体をぐるっと回ったら、母屋から日に焼けた爺さんがラフな私服でお顔を出された。この寺のご住職と見た。
挨拶もそこそこに、「勝千代公のお墓は何処です?」
ご住職は何処の閑人と思ったようで怪訝そうにしてる。
「穴山勝千代君のお墓!!」
私は絶叫に及んだ。
ご住職は裏を指された。私は裏にあるお墓が並んでるところに上った。そしたら裏口からご住職が顔を出され、
「その上の〇側」と言う。
穴山勝千代君のお墓.jpg
あった。質素なものである。傍らに標注が立っているが解説板は無い。
「15歳で?」
「16歳です。元服した後で・・・」
「・・・」
燻製1.jpg燻製2.jpg
「この山女魚を仕入れた魚屋の近くのお寺に行ったよ」
「カンチインですか?」(T館長)
「観智院じゃなくってその先にある最恩寺ですよ」
あまり知られていないみたいです。何故、南部町にお墓があるのかもわからない。
法名、最恩寺殿勝岳守公居士。。。
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南部氏と穴山氏異聞 [船山温泉近郊ネタ]

朝の215号室から.jpg
船山温泉のある南部町は「南部氏発祥の地」と謳ってはいる。もしくは南部氏の郷。
南部氏の郷.jpg
町内のあちこちに「南部氏の郷」を示す解説板がある。
この館跡は南部町旧商店街から逸れ、富士川の土手の傍らにある。
南部氏館跡1.jpg
南部氏館跡2.jpg
だが、南部氏の事績を表すものは少ないと思う。南部氏は後世、岩手県の盛岡で近世大名として存続したので、事績は青森県や盛岡市の方が圧倒的に多い。
南部氏がこの地がルーツなのは間違いない。南部氏の始祖は南部光行という人で、源頼朝に与して戦功を挙げた恩賞として甲斐国南部牧、すなわち現在の山梨県南巨摩郡南部町を与えられた。このときに南部姓になった。(その前の姓はわからない。)
文治5年(1189年)、奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は南部光行に陸奥国、糠部五郡(青森県八戸~三戸)を与えられ、一旦は現地に行ったらしい。現在の青森県八戸市の何処かに上陸し、同県三戸郡南部町の何処かに居を構えたらしいが、大雑把に言って現在の八戸の南西、第3セク青い森鉄道の苫米地~三戸一帯です。
おそらく寒かったのか、建久元年(1190年)には頼朝に従って上洛した後は、自分は奥州の拝領地に殆ど行かなかった。
では奥州南部の地を与えられた代わりに、甲斐国南部領は没収されたのかというとそうでもないらしい。南部氏の庶流が残っていた。波木井南部氏という。
波木井南部氏有名なのは・・・(・・・知らなくても日常生活、一般常識に不自由は無い・・・)波木井実長という人。この人は鎌倉幕府に睨まれ佐渡で流刑を終えた日蓮を文永11年(1274年)に身延に迎え、それが身延山妙法華院久遠寺となって現在に至るのだが、要は日蓮を保護し久遠時を興した人とも言っていい。
身延の地頭職も兼ねていたようではある。
では南部町にある館が機能していたのか。移転したのか、その辺りは皆目わからない。その後の八木井南部氏の事績もよくわからない。
250年の歳月が流れ、大永7年(1527年)、当時の八木井南部家の当主、波木井義実は、甲州に進入した駿河今川軍に内応したのがバレてしまい、武田信虎に討たれ滅亡してしまった。

では武田家家臣に南部氏はいなかったのか。
いたらしい。波木井氏とは別にいたらしいのだ。南部宗秀という人です。
これが南部氏末裔?.jpg
観た人は「こいつかよ!!」って思うでしょ。
ホントかなぁ。でも近年、南部宗秀を探しているとこの人、大河に登場した赤部下野守がそうだと。そういうサイトに辿りつくことが多いのだ。
南部氏のサイトを見たら、南部始祖光行から何処かで別れた後胤だが、天文17年(1548年)自身の乱行を理由に甲斐国を追放され、会津まで流浪しそこで餓死した???
ドラマの登場は初回だけ。寺島進さんは万沢口で退陣した時、陣中を勝手に抜け出して村を漁ってた。乱捕り。村に乱入し、貫地谷しほりさんを追い回した挙句、主人公の勘助に返り討ちにあってハイサヨナラ。
まさか甲斐南部氏の末裔たる者がこんなキャラで登場するとは意外の感がした。これが南部氏の末裔となると情けない限りだが、時代考証担当者もよく調べたと思う。往時はこういうヒドイ時代だったんだよと視聴者に理解させる恰好のキャラではあった。
でも何で南部姓で登場させないで赤部で登場させたのか。素行が乱暴だったので、現在も存続する南部宗家を憚ったのか。

乱捕男の南部宗秀、赤部下野ではなく、波木井南部氏の最後の当主、義実は何処で滅んだか。
身延で滅亡したのかどうか。南部町誌では、滅んだのは南部町の峰という集落にある山だという。船山温泉の北東にあり、地元では波木井山と呼んでいる。
波木井山1.jpg
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-03
私も行って現地の爺さん2人とオバちゃん、計3人に尋ねた。「ここはそういう場所なのか?」って。
「真ん中の部分は潰してしまった。もう知ってる年寄りはもうおらん」(耳の遠い爺さん)
「誰かが斬られた場所だって聞いた」(峰集落に住むオバちゃん)
「石垣が出て来た。墓みたいなのも。光行の墓かも知れない」(建忠寺の東で立ち話し爺さん)

私はここ南部町に残った南部氏庶流たる波木井氏を滅ぼしたのは、信虎はもちろんだが、近所で支配権がぶつかりあった穴山氏ではないかと疑っている。
南部町は南部氏のルーツなのはもちろんです。でも穴山氏の里ともいえなくもない。というのは、南部町には穴山氏の墓が3つほどある。
武田家を裏切って、後年横死した梅雪入道ではないです。
五代 穴山信懸
建忠寺(穴山信懸).jpg
過去記事です。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-03-1
今でもこれ以上のことはわからない。
七代 穴山信友
穴山信友のお墓.jpg
穴山信友のお墓は船山温泉から船山川に沿ったいつもの一本道を下り、身延街道を突っ切って最初の橋を渡ったところにあるお寺の裏にあります。
そして、九代 穴山勝千代。。。
穴山勝千代君のお墓.jpg
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船山温泉99の謎115 船山の神は狼なのか? [船山温泉近郊ネタ]

船山の山之神です。
私は甲斐の国南部まで来て、身延山久遠時に参詣したことが一度もないのですが、ここ、船山温泉の山の神には数回、お参りに来たことがあります。
正面から写真を撮るのは憚られるのでちょっとズラしましたが。。。
山の神.jpg
2011年11月に来た時の山の神の写真にはほぼ全体が写っちゃってるんですよね。石作りの祭壇の周囲、四隅を細い注連縄で囲って榊が置いてあります。
山の神2010年11.jpg
山の神とはその名のとおり山の神様です。山神さん(ヤマガミさん)とも言う。
まず農民に立場を置き換えます。農民たちはその年の豊作を願うのは当然ですが、それを神に祈る場合は田畑に水をもたらす川の源、すなわち山の方角を仰ぎ見ることになる。
農民が豊穣を願う神は山におわします。神は春になると山から平野部に降りてきて田んぼの神となり、恵みをもたらし、秋には再び山に戻るのです。これには山岳信仰も含まれるかも知れない。

では農民ではなく山に常時いる人々の場合はどうか。猟師、木樵、炭焼、林業にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神なのです。自分たちが山中で暮らすから神々も常にその山にいるとされるです。
鉱山なんかもそう。採掘中の安全を祈念する為に神を祀ります。採掘し尽くして閉山しても、製錬所が操業を続けたり、廃水処理施設が稼働したりする場合があって、神社が施設の守り神として維持される事がある。
拝む場所が違うだけで、山の神と田の神は実はひとつなのかも知れない。

山の神は美人でないというのは前にも書いた。失礼ながら醜女であるとする伝承があって、自分より醜いものがあれば喜ぶとして、オコゼを山の神に供える習慣もある。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-08-21
Yのカタチになっている三又の樹木は御神体で神が宿っているので伐採してはいけない。そのいわれは、三又の木が女性の下半身を連想させるからだといいます。

神は動物にも置き換えられる。山の神ではないけど巷でよく見かけるお稲荷さん、稲荷神社にキツネの像がありますよね。他にも有名どころでは伊勢神宮には鶏。「矮鶏がいるよ」(ジャン妻)
八幡宮は鳩、春日大社は鹿、北野天満宮の牛、愛宕神社はイノシシ、熊野大社はカラス、秩父の三峰神社はオオカミ(後でまた触れます)、日枝神社はサル、出雲大社はヘビ。他にもある。
実はこれらの動物たちは神そのものというよりも眷属、すなわち神の化身、もしくは神に仕える者か、神の意志を伝える使者としての意味合いが強い。
眷属とは姿形のない神が人間の目に見える形で動物などを遣わすものです。神社の門脇に鎮座している狛犬もそうで、番犬のようなものですね。
すると神そのものは目に見えないので、眷属、すなわち動物を神そのものと崇める場合もあるし、眷属=眷属神を祀った神社もある。それには想像上の動物や、動物だけども動物学的には存在しないものも含まれる。神獣ですね。
オオカミ.jpg
山の神に戻りますが、船山も含めて山の神、その眷属はオオカミのようです。オオカミもしくは山犬なのですが、オオカミは大神の意味に繋がります。
ニホンオオカミ、山犬が山の神の使いとされてきたのは、オオカミは農作物に被害を与えるイノシシやシカ、サルなどの害獣を駆除し、山火事や夜盗に吠えたてることでいち早くその危険を人々に知らせる面がある。吠えない犬はいても、吠えないオオカミはいないのではないか。
作物を荒らす害獣に悩まされていた山国の民間人の間にオオカミの力にすがろうという信仰が広まった。厄除けの神獣となった。遠吠えを聞いたらブルッと震えるが、山で暮らす人々から見ればオオカミは必ずしも危険動物ではなかった。そこに付けこんで?オオカミ信仰を広めたのは秩父の修験者ではないだろうか。彼らが近隣を渡り歩き、そこで信仰していた山の神の習俗を取り入れて普及を図った。
秩父の三峰神社はオオカミ(山犬)を祀っています。もともと秩父地域はオオカミが多く生息していたという。当然、地続きの甲斐や信濃にも来たでしょう。
オオカミ3.jpg
江戸時代以降は三峯講が盛んとなり、甲斐国内でも講が組織された。組内から毎年代表者を送ってお札をもらって来たという。そのオオカミのお札は1匹あたり50戸の家々を守護すると言われているとか。
(この信仰が昂じてか、たまたま捕獲したオオカミの頭骨を神棚に祀る風習があって、笛吹市御坂町、神奈川県の厚木市、丹沢山麓の清川、山北町から足柄方面の民家にはオオカミの頭骨を祀る個人宅があるそうです。魔除け等の民間信仰といっていい。)
オオカミ2.jpg
南部町誌には山の神=オオカミ、ヤマイヌにも触れていて、山之神は主として山仕事関係者が祀ります。
祀る場所は尾根の見晴らしの良いところ、登り口、大岩の屹立する場所、老木の根元、何処か目立つ地象の場所とかです。そこに石祀を安置し、イシガミ(石神)さん、オズシ(御厨)さんと呼び、山仕事をする人々や猟師が山入りや伐採作業の前に山之神を拝んで供物を奉げて安全を祈願します。
船山の場合はそこで狩りをする猟師、猟銃会もそうですが、堰堤工事関係者か林業関係者が主だと思う。

船山の神も含めて南部町の山の神の眷属がオオカミかどうかはわからない。南部町誌には天狗だという説もあった。天狗の場合はタカガミサンという。天狗=修験者かもしれない。
天狗は大きな松の老木の樹上に棲んでいて、そのような木を切ったり傷つけると祟る。タカガミサンの宿木は、枝葉が大きく長く、東の方角に伸びている。これは伐採してはならない。
オオカミでも山犬でも天狗でも、山の自然を守り、恵みをもたらし、恵みを得る者を守り、山が荒れないよう鎮め、私のような他国者の入山を戒めるものには違いない。
前も書いたですが、山仕事で山中に入る時は懐に塩を入れ、オオカミに出くわしたら塩を投げつけ、振り返らずに戻れば襲われないという言い伝えがある。オオカミは塩が好物だとあったがホントだろうか。
船山温泉裏手の山の途中に小さい休憩ところがあって、そこは山仕事に勤しむ先代、武井正美翁のお休み場所だそうですが、そこに食塩が置いてあるのを見たことがあるぞ
まだまだ伸びる.jpg
疲れたので断念.jpg
まだこの先には堰堤があるのだが、ここでバテてしまったので引き返しました。
この先には最後の堰堤があります。そこから先は猟師さんしか踏み込まない御殿山への獣道。
2009年9月に撮影したものです。
山の神の先.jpg
本線まで戻って、少し歩いたところにある大森橋。さきほど上から見下ろした橋です。
大森橋1.jpg
ではこの先に何はあるのか。大森橋の先は林道と、地図には載らない作業道が続くだけなんです。では2009年9月に館長と散策した時の写真を掲載します。
大城平橋は人工建造物としてはこの道最後の橋です。
大城平橋.jpg
林道大森鉈取線は木々に遮られて風景を望める箇所は殆ど無いのですが、富士山や南部町が見えるビューポイントが1箇所だけあります。
富士山のビューポイント.jpg

小泉段.jpg
しばらく走ると、突然、平になる場所があるんですよ。
「小泉段って言われてます」
「小泉段?」
「小泉さんって方がいたのかも知れない」
まさかそれがホントなら、船山上流にはお墓のあった渡邉家(仮名)、林道終点近くに屋敷跡の表示がある鴨狩家、それとは別にもう1家あったことになりますが、真偽の程はわかりません。
また、この辺りの前後に枝分かれしていく林道の支線があるのですが、そこには踏み込んでいません。堰堤を設置する為の作業道のようでした。
鴨狩家屋敷跡.jpg
鴨狩家屋敷跡です。
奥深いところでどのような生活を営んでいたのでしょうかね。
この辺りで林道は終点になるのですが、その先にも作業道が続いています。関係者以外は立ち入ってはなりません。
作業道.jpg
普通乗用車で踏み込むのも避けた方がいいくらいの狭い道ですよ。でも大型重機やダンプが入るので、狭い幅ながらも舗装はされていました。オフロードバイクが望ましいですね。

これが2009年時点での作業道終点です。ギリギリ回転できるスペースがありました。
作業道終点1.jpg
作業道終点2.jpg
今はもっと奥まで延びてるかも知れないです。作業道は公道ではなく、あくまで作業関係者以外は立ち入り禁止なので、一般への告知もないようです。

これからも山の神は船山温泉を、その背後にある大自然を、そこに踏み込む人を護る為に存続すると思われます。山の神一帯は入ってはならない場所というわけでもなさそうですが。まぁ無理して来ない方がいいですよ。

もうひとつ神様があります。
ポンプ室.jpg
船山温泉のボイラ室には温泉の神もあります。あまり心神深そうに見えないT館長ですが。(失礼)
温泉も山々から湧き出す(染み出す)のだから山の神と同じかも知れない。
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船山温泉発おとなの小探検 [船山温泉近郊ネタ]

タイトルは下記Blog「埼玉発おとなの小探検」の管理人・たからった氏の承諾を得て拝借致しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/takaratta1152

船山温泉の215号室でヒマしてると、船山川に沿った林道を上流に向かって歩いて行く人をまれに見かけます。
「上に行っても何もないぞ」と思う私は2009年9月にT館長の運転する軽トラで作業道終点まで行ったことがある。出かける前、止せばいいのに缶ビールを飲んでしまい、「あっビールなんか飲んで大丈夫ですか?気持ち悪くなったら言ってくださいね」(T館長)
酷道とまでいかないが凄い道で、乗車中私は上下にガクガク揺られっ放し。一般人が見て興味を示すものは無かった。
あるのは大自然の森と木々。
船山川とその支流で御殿山水系に消えて行く小さな沢、小さな渓谷。
人間が分け入る為の林道と橋、巨大な砂防ダム(堰堤)の数々。
かつて2軒の人家があった場所とお墓。
小泉段と呼ばれるそこだけの平地。
小さく祀ってあった山の神。
砂防指定地.jpg
船山上流には何もないのです。船山川沿線と林道鉈取沿線は殆どが砂防指定地で、軽トラ、ダンプ、積載車が入りますが、そこへ分け入りする人たちは林業関係者、砂防ダム(堰堤)の工事や保守作業員ばかりです。
関係者以外は立ち入り禁止とまで謳っていないが、やはり深入りすると危険な箇所もあります。
ガレてるし、落石もあるし。
こんな地すべりの跡もあるし。
地すべりの跡.jpg
宿泊客の方の全てが私の体験談を見るとは限らないが、銃装備の探検ではなく、あくまで軽い散策感覚で行けるところまで。
赤い船山橋を渡って左折、左手に宿を見ながら上流に向かうと川と宿は黒い幕で遮られていて見えない。露天が丸見えになってしまうからです。
その黒い幕が途切れ、緩い坂を上って行くその先の左手に、船山館の私有地の畑があって獣害防止の為にフェンスが設けられています。幸い電気柵ではないです。
上流への道1.jpg
上流への道2.jpg
水呑橋1.jpg
そして最初の橋が現れる。水呑橋という。
旅人が水を呑んだ橋のように思えますが、水呑という地名は南部町誌第二章246頁と第四章1058頁「集落と人口」の現在地名項目にあって、船山川の水源のひとつとあります。
橋は昭和42年竣工です。
水呑橋2.jpg
三つに分かれるところ2.jpg
船山川はこの辺りで三筋に分かれ、手前の沢は水呑橋の下を潜って東(右手)に消えていく。木々に隠れているが、目を凝らすとそこに堰堤があるのです。
向こう側の流れが本流で最も長い川です。木々に隠れて見えないですが、河原を歩いて行くと自然の大滝があって、そこからは硫化水素の源泉が染み出ている。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-12-25-1
三筋に分れた真ん中は支流です。水呑橋のすぐ先にある橋、船山橋で渡り、それまで左に流れていた川は右側に移ります。
船山橋1.jpg
船山橋は昭和36年竣工。桁はコンクリート、欄干は石造り。
船山橋2.jpg
大森山系.jpg
更に上流へ.jpg
かなりの高さから見下ろす船山川の支流は小さい渓谷になっている。人工構造物と自然の岩々が混在した短い渓谷だが、お世辞にも幽境の渓谷美とはいえない。
ガードレールがないのであまり身を乗り出さない方がいいです。
船山渓谷.jpg

その先の三叉路に「林道大森鉈取線」の標注、起点があった。延長3976mとある。
林道大森鉈取線起点1.jpg
延長3976m.jpg
この標注は以前は無かった。ここが基点ということは、身延街道で南部トンネルを出て船山方面へ左折(身延方面からだと右折)して、船山温泉に至る道は林道ではないことになる。
三叉路は歪んだTの字になっていて、右側に道が分かれている。この先は台風や大水が出ると通行止めにることが多いのですが、船山橋で渡った船山川支流に沿って続いている。

三叉路右路の船山川橋.jpg
船山川橋です。
赤い船山橋、昭和36年竣工の石造りの船山橋、そして船山川橋、船山を冠する橋がこれで3つあることになります。最後の橋は他に名前の付けようがなかったのかもしれない。
西沢1号堰堤1.jpg
西沢1号堰堤2.jpg
ここでまた川は左手に移り、その先に巨大な堰堤が現れる。埋め込まれたプレートを見たら西沢1号堤とあった。昭和47年竣工。
プレート.jpg
城壁のようにそびえ立っている。上から兵が現れて矢を射かけられそうなシチュエーションです。
城壁のようです1.jpg
城壁のようです3.jpg
この堰堤上部から対岸に渡って堰堤下に下りたら、そこにも硫化水素の源泉があるのです。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-12-25
危険なので絶対にお止めくださいね。

S字カーヴの坂を抜けて森の中へ。
S字カーヴ1.jpg
S字カーヴ2.jpg
S字カーヴ3.jpg
更にその先へ.jpg

支流最後の堰堤?-1.jpg
支流最後の堰堤?-2.jpg
ここで行き止まりなので、ここが船山川支流の最後の堰堤かと思われます。ってことは、明治に氾濫した船山川の土石流はここが発端かも知れないのだ。
この先はよく目を凝らすと山の斜面をつたって消えていく獣道らしきものが見えなくもないが、蛮勇をもってしてもそこから先に行くことはお止めください。
支流最後の堰堤?-3.jpg

再度起点に戻る.jpg
三叉路まで戻ります。
そこを起点とする林道の本線を歩いて完全走破する訳にはいかないし無駄な労力というものですが、オフロードバイクで上がった人は少なからずいるようです。
それほど距離のない散策がてら、2つポイントがあるのでせめてそこまで。本線の右脇の土手はブロックで補強されていて、奥に分け入る道がある。意外に思うのは、その道はガレていますがところどころアスファルトではなくコンクリートで舗装された形跡がある。
T字路.jpg
その先へ1.jpg
その先へ2.jpg
その先へ3.jpg
実はこの坂道の右手が段になっていて、かつて1軒の人家があったそうです。渡邉家(仮名)といいます。
今はその家のお墓が残っています。割とキレイな墓石で、最近どなたかお参りに来られたのか、お花が供えてありました。
私も手を合わせました。祈るというよりもご挨拶をした程度です。「山を荒らす者ではございません」ってね。
その先、林道はお墓の背後を通っています。他所様の墓石を正面から撮る訳にはいかないので、あくまで道の撮影ということでちょっとだけ。
左にお墓があるんです.jpg
船山温泉の上流には2軒の人家があった。渡邉家(仮名)と鴨狩家です。
このような場所でどのような生活を営んでいたのだろうか。明治の頃、船山温泉背後の山々一帯では焼畑農業が盛んだったというが、船山温泉上流にお住まいだった2軒(鴨狩家、渡邉家・仮名)はその関係者だろうか。
どうやって暮らしていたか。インフラが整備されていないし、水は雨溜めておけば何とかなるかな。電気水道ガスは通っていないでしょう。WCについても想像するしかない。
最も上流にお住まいだった鴨狩家があった辺りは殆ど林道の終点にあります。そこには「屋敷跡」という表示まで建っていました。
下写真は2009年9月に館長と散策した時のもので、右手奥が鴨狩家屋敷跡です。
林道としてはそこで終点なのですが、その先、地図に載ることのない作業道が続いています。
鴨狩家屋敷跡.jpg
船山のT館長も、船山上流に興味を持った私からの質問攻めに遭ったが為に、先代に聞いて知ったそうですが、いつ入植していつ引いたのかはわからないそうです。
渡邉家(仮名)と鴨狩家、2家ともこの地に入植したはいいが、過酷な自然に適さず山を下りたのでしょうか。今は船山温泉上流には1軒の人家もありません。
(林業関係者や堰堤工事関係者、作業員の簡易的な小屋程度ならあるかもしれない。)
今は2家とも山を下りて何処かへいってしまったが、渡邉家(仮名)に関して言えば、十枚山の麓、成島辺り(時折、熊の目撃例が出る集落)にお住まいだという。鴨狩というお家も幾つかあるようです。まずご縁は無いと思いますが、この場所でどのような生活を営んでいたのか聞いてみたいもの。
ここに至る道は地図には載っていません。それは林道でも作業道でもなく、ここにお住まいだった家の為の生活道だったからです。
林道と作業道は同じですが定義が違います。作業道はその作業の為だけに開かれた道で地図に載らないし登録されない。作業が済んだら原則はもとに戻さなくてはならない。(自然に返すということ)

渡邉家(仮名)屋敷跡の更に先へ行くと、水呑橋で三筋に別れた船山川のせせらぎが聞こえてきる。右下には林道本線の大森橋が見えます。
大森橋が見える.jpg
その先、今度は右手に石造りの祠というか、小さな小さな祭壇のようなものがあるのです。
山の神.jpg
船山の山之神です。
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船山温泉99の謎113 船山温泉近郊電気柵の効果は? [船山温泉近郊ネタ]

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-01-15
4月に行きました。
今回は(今回も?)T館主様からいろいろとお気遣いをいただき、改めて御礼申し上げます。
春の船山館.jpg
電気柵2.jpg
船山川に沿って宿に向かう道途中、最後の住宅のある杉尾1号堤(船山温泉に至る手前の)辺りの鳥獣防止電気柵が完成、稼働していました。
何か装置があるぞ.jpg
近づいてみたら機械のランプが点滅している。
稼働中だった.jpg
触ってみたかって?
触れてませんよ。「高電圧危険さわるな!!」ここまで表示してあって触るヤツはいないでしょう。感電したらシャレにならないからね。
調べてみたら、感電させるにしても弱い電流を流してイノシシ、鹿、猿たちを驚かせ、怖がらせ、学習させ、立ち入りをさせないようにするもの。
柵は民家の裏手を通って延々続き、山の斜面を長城のように斜めに並んで何処までも続いていました。
伸びている1.jpg
山に向かって.jpg
伸びている2.jpg
改めて柵を見たら、格子が四角ですね。
これは価格が安い標準タイプだそうですがイノシシには適さない。もうひとつ、六角形の亀甲型があって、こちらの方は四角い格子より強度が高いそうな。
菱形目の網は破損し易くて向いてないそうです。

設置費用は長さと高さで決まると思うのだがどれくらいかかるのだろう。設置後のメンテナンンスもバカにならないだろう。
T館長が言うには、この辺り一帯では設置費用は行政負担だそうである。とはいえ税金ですけどね。

船山川対岸にもあるぞ。
「この辺りの獣による農作物の被害は深刻です」という館長の言を裏付ける。
対岸にも.jpg
平成23年9月に兵庫県で農家の方が自ら設置した鳥獣防止電気柵で感電死する事故があったらしい。電力会社が供給する(船山温泉の場合は中部電力)家庭用コンセントの100V電源にそのまま繋ぐだけだとアブない。設置工事は行政が指定した電気屋さん、有資格者が行うべきで、無資格者は乾電池やバッテリーによる12Vの電源を使用した場合のみだそうです。
この電気柵は船山温泉に至る道に脇に立っている電柱から電気を取っていたので、設置したのは電気業者に違いない。

この電気柵のメカニズムについてですが。。。
電気ってのは+と-で繋がった状態で電気が流れる。私は電気に弱いのですが、それくらいは5秒でわかる。(ピタゴラスイッチ)
乾電池と豆電球を手に取ったとします。豆電球からコードが2本あって、1本は電池の+へ、もう1本は電池の-へ繋がると点灯します。これを電気柵に当てはめると電球の部分が動物なのです。
でも電気柵は乾電池ではないし獣は四足獣(鹿、猪)と二足獣(猿)とある。そこで分けて考えましょう。まず猿ですが、猿が電気柵をよじ登った場合はどうなるか。
このネットの横に伸びた1本1本のネット線は、縦に向かって電気の+と-が交互に織り込んである。サルが飛び付いて前足が+、後ろ足が-に触ったら(またはその逆)ビビビッと感電する。ウキィと驚く。柵から飛び降りる。
よほど人間以上に賢くて、破壊工作員並クラスの知能を持つサルがプラスマイナスを見極めて、+と+、-と-のように同極を掴まない限り登り切ることはできない。
次に鹿ないし猪の四足獣ですが、コイツらは前足後ろ足とも地面に着いて(立って)います。
電気柵にはアースが設置されていて、電源装置~電線~動物の体が降れる~足~地面~アース~電源装置へという流れで感電する。電気の帰り道となるアースの設置が大事なんです。通電線とアースの両方に触れて初めて電気が流れるわけ。
防護柵の特性.jpg
電気柵を設置したからもう安心というわけではない。
木々から伸びて来る枝葉、蔓、地面に生える草はまめに刈り取らないといけない。植物が電線にからみつくと漏電が発生して電圧が下がってしまうからです。柵周囲の雑草を刈り取らないと伸びた草が電気柵に触れて漏電を起こし、電気柵の効果が無くなり余計な電力を浪費することになる。
もっとも理想なのは、山の麓を用水路が廻っていて、水路がコンクリートで固めてあるか、水路に沿って歩ける程度の道があるのがいいそうです。用類路の幅の分だけ山側の木々と距離が保てるし、地べたがコンクリートやアスファルトなら草が生え難いから。道があればそこを人が歩くので、見回ることができる。動物側もそれに気付くといいます。

これらの柵は動物園や牧場と違い、獣を中に囲い込んで脱出させない為ではない。他からやって来る獣たちの侵入を防止し、追い払い為のものです。
でもヤツらだってバカではない。この電気柵も船山温泉に至る公道に面しているので、そこを廻り込んで来たら侵入されてしまう。
サルが木を伝って柵の上を飛び越えてきたり、イノシシが穴を掘って侵入してきたり、鹿が角で穴をこじあけて侵入してくることもある。住民のいる集落の山側に万里の長城よろしく長々と数キロメートルに渡って柵を設置しても、長いものには何処かに必ず進入路、突破口があるのです。100%獣たちの侵入を防ぐことは不可能なのだ。あくまで忌避させるのが目的なんです。

公道や沿線に住む人が立ち入る可能性だってある。
T館長に、「宿泊客で下流にある電気柵に触った方っています?」とバカな質問をしたら、「まだおりません。おそらく人が近づくところは電流を低く設定してあると思います」
もし触って感電したらちょっとした騒ぎになってるだろう。実際あの電気柵には24時間フルに電流が流れてるそうですよ。
船山温泉の上流に畑がある。そこに電気柵は設置しないのか聞いたが、今のところその予定は無いとのことだった。何故だろうか。延々伸びた長い柵ならともかく、小さい畑を囲うだけだと費用対効果で合わないのかも知れない。
さわるな.jpg
電気柵の設置は獣の侵入を妨げる一手段でしかない。獣もバカではないので、侵入を完全に防ぐことができなくても、設置後に被害を軽減できることでしかないのだ。だから電気柵を設置しましたで安心はできない。巡回して、ここに人間がいるぞと知らしめることを繰り返さないと効果がない。
触らない方がいいですよ。
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船山温泉99の謎111 船山温泉道端のフェンスは何? [船山温泉近郊ネタ]

朝霧に濡れながら船山温泉に至る道、林道大森鉈取線を富士川街道沿いに下っていったら、杉尾堤辺りに目新しいフェンスがあった。
鳥獣防止柵1.jpg
工事看板とフェンス.jpg
工事中を示す看板には。。。
「鳥獣による被害を防ぐ柵を作っています」
フェンスの傍らには小さい仮設詰所と便所もある。工事期間は平成27年1月30日までとなっていた。フェンスの高さは2m弱といったところだろうか。
工事詰所と看板.jpg
「杉尾堤の辺りでフェンスを作ってたけど。あれって鹿対策か猿対策?」
「鹿対策ですね。他の野生動物の対策にもなると思います」(T館長)
鹿が船山温泉の自生クレソンでも喰いに来るのかな。

私は船山温泉で動物を見たことは一度もないが(楮根地区で猿を目撃したことがあります。)・・・船山温泉のある大森一帯では猿や鹿が出るそうです。猿は平成20年12月に癒しの宿ハンター、りんくの旦那が、紅い船山橋を渡った辺り、かなり近距離で目撃されています。
このフェンスは山梨県森林環境部みどり自然課~峡南農務事務所農業基盤課という長ったらしい名前の課が地元の有限会社I工務店に発注した工事事業で、目的は近年増え続ける鳥獣による被害(農作物とか)を軽減する為のものだそうです。
あくまで被害軽減です。完全に被害ゼロにするのは難しいというか、不可能らしい。
I工務店という業者さんはT館長からよく耳にした。船山温泉背後の土砂崩れや、過去に木製の船山橋が流された時に対応してくれた工事業者だと思う。

これは船山橋から見た船山川の朝霧ですが、写真左に作業員さんが数人いるのがわかりますか。
船山川と朝霧1.jpg
作業員さんは8人くらいいて、6台の軽トラックに分乗して下っていった。おそらくその方たちがフェンスの施行作業員か、鳥獣の害を見回りする人たちじゃないかなぁ。
大森集落と朝霧1.jpg
この辺り一帯は場所が場所だけに、T館長いわく、「野生動物の被害は常に後を絶たないですよ」
船山温泉上流にある畑もグリーンのネットで覆われている箇所があって、それも鳥獣害防止対策の一環です。
さて、このフェンスですが、対鳥獣対策で功を奏す高さは獣によって異なり、猪1.5m、鹿2.3m、猿2mだそうです。フェンスが低いと獣は飛び越えてしまうので、獣によってはある程度のかさ上げをするんです。
猪が1.5mと低いのは四足獣で体高が低いからだが、猿対策に何故2mも必要なのかというと、猿は樹木を伝って柵をキィキィ飛び越えて来るのである程度の高さは必要だが、あまり高いと今度は木の枝がブラ下がってフェンスに絡まり、漏電やショートが発生して機能しなくなるんだと。
漏電?
ショート?
「あのフェンスは電流が流れるの?触ると感電するとか」
「流れると思いますよ」(T館長)
だそうです。だからといって触ったわけではありませんよ。どれだけの電流が流れるのかはわからないが、要は電気が流れる防止柵、フェンスなんですよ。
まだ工事途中でしたが、フェンスの脇からヒョロッと獣が出て来れそうな隙間はある。それとこのフェンス、下から入って来れそうだな。
フェンスが地面にくっつく部分で、フェンスを60cm以上折り返してアンカーピンで補強し、持ち上げられないようにする工法もあるそうです。
初めて見ました。私は上州で猪を捕獲する檻を2回ほど見たことはあるけど、(室田の高留城、吉井町の天久沢陣城)、フェンスは見たことなかった。気が付かなかっただけかも知れませんが。。。
鹿.jpg
これは山梨県全域の鳥獣防止柵エリアです。
南部町もしっかり入ってます。
エリア1.jpg
問題は熊ですな。
船山温泉で熊の目撃例は無いが、平成21年秋、裏山で熊の足跡が発見されたことがある。成島から身延方面へノソノソ移動していった。
その場所へは宿の背後から登れるます。熊は成島方面から身延方面へ移動してったらしい。
「熊の足跡って見ればわかるんですよ。相当な大きさだったと思います」(T館長)

前述した山梨県森林環境部みどり自然課のデータでは、私が確認しただけでも平成26年4月から10月末まで106件の熊目撃騒動があった。
うち見過ごせないのが、船山温泉がある南部町一帯です。
6月8日午前中、南部町本郷地内で熊の成獣1頭に襲われた記述があった。襲われた方は猟銃を所持していたので1発ズドンと撃ったそうです。弾は命中したが熊は逃げた。
9月26日の朝6時、船山温泉より少し南、十枚荘温泉のある成島地区で重機の確認に行った人が熊とバッタリ遭遇し背中を引っ掻かれた。幸い傷はなく逃げてったから熊もバッタリ遭遇してビックリしたのだろうね。
南部町史にもあったが、成島方面は熊が出てアタリマエだそうです。
次に10月1日の朝6時、また南部町本郷地区内で車中から目撃された記述があった。場所は集落の中の道路とある。案外と船山温泉のすぐ近くかも知れませんよ。実害は無かったが防災無線で注意喚起、猟友会へ連絡し見回りをしたとか。
10月7日の朝9時、今度は南部町万沢地区(甲駿国境、武田信虎が追放された辺り)の何処かで車中から目撃された。熊は車の前を横切ったそうです。
熊の目撃例には同一個体を別の場所で数えたダブルカウントの可能性もあるそうだが、この辺りだと、「熊は出てもおかしくはないですが・・・」(T館長)
このフェンスが熊に対応できるかどうかわからない。館長は熊については余り語りたがらない。さては見たな。もしくは身内の方が出くわしたのではないか。
鳥獣防止柵2.jpg
鳥獣については過去にも述べましたが、被害増の原因は、①餌(実)のならない木々の植林、②開発による人間との緩衝地帯が減った、③猟友会や猟師さんが高齢化で数が減っている、他、いろいろあるようです。猟銃って意外と重いらしく、所持する銃砲類も届出を出さなきゃならないそうですね。
山の餌不足もあって人里まで下りて来るようになっちゃったわけで、このフェンス工事も鳥獣被害軽減対策のハード面ですが、フェンスを設けてそれで終わりではなく、緩衝地帯を設け、管理用道路を併設する。すると土地の人がそこを歩いたり、管理人が点検に来たりするので、獣たちの緩衝地帯になるんだそうです。獣もバカではないので警戒しますから。
ただ、前述したように獣の侵入を妨げる手段でしかない。被害を軽減することが目的で完全駆除とは全く違います。
無粋な人工構造物ではあるが仕方がないのです。あまり触ろうとしない方がいいと思いますよ。
鳥獣被害を知らない人間から見たら鹿なんかは可愛く見える。駆除し難い気持ちもあるが、被害に遭っている地元の人達から見たらそうも言ってられないのだ。
では船山温泉近郊で鳥獣に出くわしたら?
お手数ですが、フロントに連絡してください。その後は地元の猟友会が対処するでしょう。
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