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テーブル席で朝餉&恵明庵の事情 [会津]

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雪は降らなかった。
湯野上の天気は変わりやすい。この後で快晴になります。
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10年前、朝になったら大雪で、湯野上のスタンドでスノータイヤを購入してヒヤヒヤしながら帰ったものです。
そのスノータイヤは1度限りの使用で終わり、結局は売ってしまいましたが。
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テーブル席の朝餉の時間。
恵明庵は距離があるので、気配が感じられないのです。8時直前に風呂に入ってたので、運んできた女将さんに危うく裸身を曝け出すところだった。アブない。
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「宿の理想の朝ごはん・・・」(ご満悦のジャン妻)
(家でもこれくらいできそうだが。)
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焼いた鱒。
鰤大根。
そばがきが入った味噌汁には珍しくネギも入っていた。
青物の和え物。
ご飯には麦も混じっている。
デザートは柿と黒餡蜜。
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和室に運ばれるお膳と違って小皿が散らばっているから、海苔の醬油、味噌汁のハネた汁とかがテーブルに飛び散るのだ。
箸さばきが下手なのもありますが。和室の膳はそういう汚れが膳の中で収まるけど、テーブルだとそうはいいかない。いちいち拭き取らなきゃならない。
湯神は最低限のあるものはある民宿だから、宿側もそれ以上はベタベタしないですが、せめて朝餉を広げる前にテーブルを拭いた方がいいと思いますね。
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洋室なのでワゴン(台車)で片づけます。
「和室より片付けが楽だわ」(ジャン妻)
和室だと、相撲取りのように屈んで膳を持って、ドスドス持っていかなきゃならないからね。
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「次回も洋室(恵明)ですか?」(大旦那)
「この人、1泊だけですっかり気にいっちゃって」
「床があったかいのがいい」と私。もっと早く恵明にすればよかった。20年近い時を返せって言いたかったね。
「恵明は初めてですよね」
「できたばかりの頃に一度泊まったことが」
「ああそうでしたか。あの部屋は最初の頃から何回か変えてるんで」
恵明庵は4部屋でいちばん金がかかった部屋だという。私の聞き間違いでなければ、風呂の屋根もそうだが他にも2度か3度、手を入れているとか。
「洋間の柱や梁は中古品なの?」
「中古って・・・」(ジャン妻)
如何にも何処からか持って来たように見えます。木枠を差し込んでいた穴が開いてるからです。
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「いやそうなんです。最初に宿を作った時、まだ恵明庵が無かった頃ですが、出来上がった後で親戚に、何でウチの古民家を使わないんだって言われたんで。増築した時にそれを運んだんです。梁も柱もそうです」
「あのブッ太い柱ですよね。あの柱を支えてる石は何なんですか?」(ジャン妻)
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黒い柱、丸い柱、大きい石で繋ぎ繋ぎ支えているのですよ。
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「運んで来たはいいが、寸法が足らなかったとか?」(ジャン)
「ア~ッハッハッハッハ~、そうじゃなくってぇ、床が腐ったんですよ」
床暖房は床下にお湯が巡回している。震災の揺れも影響してか傷んで洩れたことがあったという。
「その時に床を張り替えたら、柱の底が腐ってボロッボロになっちゃって、仕方がないから切ったんです」
あの大石はその繋ぎの為だって。
「雨降っとアタマが濡れるから露天入れないっていうので風呂に屋根付けてぇ、扉付けてぇ、ヒノキも変えてぇ」
現在の恵明庵は露天ではなく、他の3室同様に内湯といっていい。屋根を張って雨でも入れるようにした。風が吹き付けるので線路側にも板壁を作らざるを得なかった。震災でヒノキの浴槽にヒビが入ってそこから湯が洩れてしまい、風呂の木枠は全部取り換えるしかなかったそうです。
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床暖房が洩れで床も全部張り替えた。そんなこんなの改装や修繕で結構な金額が掛かった。その金額も聞いたが、2階とはいえあの床面積でそんなにかかったの?と驚く金額であった。
曲がり家とはいえやはり最初から繋がっている和室3部屋は頑丈なのです。洋間、恵明庵は他3部屋の和室と違って異質です。

「でももう、更級も含めて全室ベッドにしようかと思ってるんですよ」
「更級だけはベッドにしないでという常連さんもいません?(十兵衛さんとか。)」
「そうなんですけど。介護ってわけじゃないけどお客さんがどんどんトシとってぇ。起き上がるのも動くのも難儀だっていう方もいられるので。寝てぇ立ってぇってのはシンドいんでしょうね」
「最初の頃のお客さんもどんどん高齢になっていきますからね」
自分たちもそうかも。
「そうですか。気にいっていただけて」(大旦那)
いちばん金がかかっているだけに大旦那は嬉しそうだったが、恵明庵は寝室が2階にあるメゾネット形式なので、足腰の弱い人は避けた方がいいと思います。
「更級に慣れたせいか、あの洋室はあっちこっちに調度品があるから、足のつま先をぶつけたり、椅子で突き指したり、クルッと廻ったら袖がひっかかったり、あの斜めった階段の板にアタマぶつけたり」
大旦那はまた笑い出した。
「更級はそんなことないですからね。空間が広いし」
「和室はトラップが無いんですよね」(ジャン妻)

通って20数年、すっかり気に入った洋室、恵明庵。
「次回から恵明にしようぜ」
「ちょっとっ、これまで長年お世話になった更級に操を立てないの?」(ジャン妻)
更級に操ぉ?
「アナタは義理を重んずる人じゃなかったの?」
宿の部屋に義理不義理があるのか。
「あったかいんだよ床が」
それに家ではベッドなので、更級の畳の上の布団だと腰や背中に負担がくるトシにもなったし。
「家でもテーブルにしようぜ」
「それは台所でないと無理」
「TVのある部屋の畳を取っ払って洋間にして、床暖房を・・・」
「次に家を建てたならね」
それは夢に終わりそうである。

帰宅してから。
これが大旦那さんが持たせてくれた蕎麦。
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「いつも来ている方のご主人が亡くなって、キャンセルしないで娘さんが来てくれたんですよ。お供えしてくれるよう(朝から)打ったんです。よかったら・・・」と持たせてくれたの。
「今日中に食べた方がいいです。茹で時間は1分」
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家でいただく湯神の蕎麦。
「大旦那、その方のお供え用に打ったんだ」
「そう。朝は打たないって言ってたから」
打って切って夕餉の時間まで間を短くしようとしているからでしょう。
「天ぷらは?」
「ないわよ」
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テーブル席で蕎麦懐石 恵明庵Night [会津]

ギシッ
ギシッ
ギシッ
恵明庵の2階寝室からジャン妻が下りてくるところ。
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これまでの和室・更級庵は廊下に接しているから、大旦那が最初の膳を運んでドスドス歩く音が響いたら、あ、そろそろ夕餉だ、の気配が伝わるが、恵明庵は廊下のドン詰まりから更に奥まっているのでその気配がわからない。
「ハイ失礼します」
いきなり現れた大旦那が配膳中。
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更級のお膳は枠の中に小鉢が並んでいるが、恵明庵はテーブルだからこの場でお皿を並べるのです。
「あ、これはこっちだった・・・」
手前側(私)と向こう側(ジャン妻)、同じ位置に小鉢を並べるのが難しそう。対面を意識しないといけないから。
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こうして見ると、お膳と違ってスペースが広いから、小鉢と小鉢の間に隙間が開いちゃいますね。何だか料理が小さく見えるのは目の錯覚だろうか。
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テーブルのすぐ上に灯があるので小鉢、小皿、テーブルに光が反射して眩しいのです。
私の腕の悪さもありますがあまり上手に撮れていません今回は。i-Phoneなので写真の腕は関係ないかもですが。
定番の小鉢たち。
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あれぇ?何で海産物があるんだ?
マグロ、細い甘えび、ホタテ?
大旦那が、「〇〇さん(私らのこと)、馬刺お好きですか?」
「大好きですよ」
「そうですか。お好きですか。後でお持ちしますね」
「???」
「いや~、大部屋の方たちが馬刺苦手だって言うもんで」
大旦那が一旦、去った後、
「オカシイな」
「そうね。これまでずっと馬刺だったのに。旦那さん忘れちゃったのかな」
昨夜も麦とろで馬刺いただいたので(霜降りと赤身)海産物でもいいんだけどね。山国の会津では海産物がご馳走ともいうからね。
「やっぱ湯神は馬刺でしょ」(ジャン妻)
馬刺を持って来たのは大女将さん。
「長男さん、蕎麦打ってましたね」と言ったらニッコリ微笑んだ。頼むから後継してくれ。
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「アタシは赤身の方が好きだな~」(ジャン妻)
マグロに例えるなら大トロ中トロより赤身がいい。私らもそういうのがキツい年齢になって来たのです。
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既に国権の熱燗が来てますが蕎麦サラダには生ビール。
蕎麦汁とマヨネーズの和え物、崩したゆで卵にはビールが合うのです。
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和え蕎麦(混ぜ蕎麦)の様相を呈してきたところ。ラーメンでいうところの油そば。
「油そばってラーメンより塩分やカロリーが少ないらしいぜ」
「アタシはそういうのイヤ」
この残ったマヨ汁を飲もうとしたらジャン妻の眦が釣り上がった。
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蕎麦粥です。白いのは鶏胸肉。これは要らないと思うが。
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イワナの塩焼き。
ジャン妻は岩魚を箸先でホジホジしながら摘まんでいる。
「アタマっからガブッっていけよ」
「アタシはそういう野蛮な食べ方はしないの」
私はアタマっからガブリ。尻尾まで完食です。
「尻尾の飾り塩まで食べて。塩分濃いんだよ」
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揚げ蕎麦、他、茗荷の天ぷら、里芋を潰して蕎麦の実を塗して揚げたもの、小エビのフリッター?
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二次会用のお新香の小皿です。〆に運ばれるもり蕎麦用に海老フリッターだけ取り置きしてあるのは天ぷら蕎麦バージョンにTRYしてみたかったから。全く意味なかったけど。
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蕎麦稲荷を半分齧って小皿に戻して、残りを摘まもうとして箸で挟んだら、中身がブニュッと飛び出したところ。
「そういうのも撮ってネタにするの?」(ジャン妻)
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もり蕎麦は長男さんが打った蕎麦です。
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取り置きしておいた海老フリッターを載せてみた。
「これだけで天ぷら蕎麦になる」
「違うと思うけど」
でもかき揚げと違って海老が小さいので、天ぷら蕎麦の香りは出せなかった。
「茗荷の天ぷら、取って置けばよかったな~」
「・・・」
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テーブル席の蕎麦懐石は最初違和感があった。
和室の膳は枠の中の定位置に小皿が鎮座したまま殆ど動かないが、テーブルの上だと小皿が左右に滑って泳いだりする。
でも和室の膳と違って膝が楽です。片膝立てたらジャン妻に「行儀が悪い」と言われた。
床暖房で足元から暖かいのでエアコンも入れなかった。
「家でもテーブルにしようぜ」
「今の家だと台所なら置けるけど」
「TVのある部屋の畳を取っ払って洋間にして、床暖房を・・・」
「次に家を建てたならね」
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ズシッ
ズシッ
ズシッ
膳を下げてきたジャン妻である。
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夜の更級庵&恵明庵。
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こうやって寒い中をウロついて写真なんか撮って、過去に風邪引いたのが何回かあるよ。
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テーブル席での二次会
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湯神にロールカーテンですよ。
合わないって?
私も合うとは思わない。でも何もないと冷気が室内に入って寒いと思うのだ。
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「女将さんに、長男さん蕎麦打ってましたねって言ったらウレシそうだったよ」
「そうか・・・」
宿継承は難しい。なまじっかモノ(施設、土地、温泉)があるだけに。
何とか次世代に繋げて欲しいものである。
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恵明庵 恵明の湯 [会津]

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10月に更級庵を押さえてあったのですが、珍しく私が多忙で断念。延期して予約しなおした日は大部屋の松月庵になるとのこと。
「大部屋か・・・」
「最初はそこだったんだよね」
最も厨房に近い大部屋で、屋根が高い部屋です。懐かしく思った。温泉心がついて初めて泊まった民宿が湯神の松月庵だから、その後は他の何処に泊まってもその域に至らずだった。

当日は天気がやや心配。
会津若松、雪。。。
会津下郷、雪。。。
1泊めは、ジャン妻が麦とろで今後の人生を左右する重要なお願いを切りだす為、若松市内に泊まったのですが、往路の道すがら湯神に立ち寄って手土産を持参している。
その時に大旦那が言うには、
「明日は雪って予報ですが、気温が高いから積もらないと思います」
天気予報よりそれを信じよう。
「部屋は洋室になります」
ほう、洋室とな。
いちばん奥の恵明庵です。2階にベッドがあるメゾネットタイプ。
「男ばっかり4名様がお泊りになられるのですが、夜に宴会でもするんだったら大部屋の方がいいので」

20年前まだ湯神の部屋が3室しか無かった頃、現在のようにネットですぐ検索できない頃、「民宿ガイド・東北編」のような冊子だったと記憶していますが、湯神の頁、紹介文に、露天風呂は作らないのですか?の要望に対して、
「作ろうという気はあるのですが、何せ自分ひとりでやってるものですから」
そう応えていたのを覚えている。
その後、大旦那から直接、「もう1部屋作ろうと思ってるんです」
もう一部屋?
次に大旦那は、「借金も返さなきゃならないし」
部屋を増築するとなると、更に借入しなきゃならないでしょう。
「でも4部屋になるっと誰か雇わないといけないだろうな」
そう呟いたのを今でもはっきり覚えています。大旦那の奥さんで教職にあった女将さんが部屋に出入りするようになったのも現在の4部屋になってからです。

(いっとき、メガネをかけた色の黒い親戚の女性がいたが、震災後は姿を消した。)

あまり記憶が無いのですが、増床、増築した4室めの恵明庵に一度だけ泊まったことがある。
念願のミニ露天が併設されたが屋根が無かった。雨や雪の日や、風強い日、寒い日は厳しのではないかと思った。
まぁ本当の露天というのは屋根なんぞなくて、自然に近いものだそうですが。
恵明庵は寝室が2階にあるので、足腰の弱い方やお年寄りにはちょっと厳しいかも知れない。

せっかく借金して増築したのに、和室3部屋(松月、長寿、更級)が埋まっても、奥の恵明庵だけスリッパが無い(閉まっている、利用客がいない)光景は何回も見ましたよ。
大旦那も私らに恵明庵を利用して欲しかったのかも知れないが、私らはその後は何とはなく和室の更級が気に入り、ずーっとそこばっかり利用していた。殆ど毎回部屋指定でしたね。
ただ、一度だけ、恵明庵でキャンセルが出たのか、4部屋で私たちだけだった時に、「隣、風呂入れてありますのでよろしかったら入って下さい」と言われたことがある。この時も屋根が無かったですね。申し訳ないけど更級庵に籠り切りになりました。

恵明庵を利用した人のみぞ知る伝説があります。WCに戸が無かったんです。
薄いカーテンのようなものを引いてあっただけじゃなかったかな。
その後、リンクしている十兵衛さん情報だったかなぁ。恵明庵の露天にも屋根らしきものが付いて、WCも扉ができたよアッハッハ(笑)・・・のような記事を見たんだと思います。
洋室か。久々の恵明庵、何だか初めて泊まる宿のようにワクワク感がするぞ。
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当日、若松市内は雨で、芦ノ牧温泉から下郷への上り坂で湿雪が舞い、トンネルを抜けたら晴れていた。
「なんなんだいこの天気は」
「降るって言ってたんですけどねぇ」(渡辺酒店の主人)
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いつもの更級でなく.jpg
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いつもの更級ではなく、その先にある恵明庵。
10数年振りです。
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おっ、テーブル席ですな。
これに目が点になったが、実は長寿庵もテーブル席らしいですね。
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ジャン妻が先に湯に入る際に、「あ、WCに扉が付いてる・・・」・・・のを確認しました。浸かってる間、やや薄暗い部屋を見て廻った。
小さい畳に挟まれたミニ囲炉裏がある。
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階段を上がって寝室へ。
この柱の継ぎ足しは後で触れます。
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あ、ベッドルームなんだ。
これも長年更級庵ONLYだったから知らないのですが、松月、長寿もベッドだそうです。高齢者が増えてきたし、ベッドの方が宿側も楽なんだと思う。
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エアコンが稼働している2階から下りて気付いたのは、足裏が温かいのです。1階は床暖房になっている。
これが恵明庵のウリです。他の部屋にはない。この床暖房と露天の改装等で、4部屋中で最も金がかかっているそうです。
灯りを点けてみた。
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2階も点けてみた。
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灯を付けてみた。慣れない部屋なのでどこにどの灯のスイッチがあるのか把握できないのだが、点けたら他の部屋とは異なる異質さが更に浮き彫りになった。内壁もそうだが洋風の調度品が多く、色合いからしてハイカラな雰囲気を醸し出していた。
珈琲か紅茶が似合うと思いますね。

では湯はどうか。
「アナタにはちょっと熱いかな・・・」
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あ、木枠だ。檜ですね。前は石だったと思うが。
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屋根もあるし。窓は観音開きになっている。
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なるほど熱いね。それは他の部屋の湯より浴槽が小さく、それでいて見るからに注がれる湯の量が倍以上あるからではないかな。
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湯上りに恵明庵からガッタンゴーの写真を撮る。
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2階からもガッタンゴーしてみる。
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読書中のジャン妻であります。
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後で大旦那に言ったんだけど、和室更級と違って調度品が多いので、足指の先をぶつけたり、椅子に突き指したり、アタマを階段の梁にぶつけたり、作務衣の袖が欄干に引っ掛かったり、トラップが少なくないのは私の動きが粗忽なせいか。
床暖房で充分暖かく、更級のように敷きっ放しの布団に入って寝ないでも洋室の椅子に座って床に足を付けているだけで暖まるのです。エアコン切りました。
それに、静かなんです。
和室は厨房に近いので大旦那の声やドスドス鳴る足音、他の客の声も稀に聞こえる。生活環境に近いといっていいが、奥まった恵明庵は入口から部屋までの室内廊下が短くないので声や物音は殆ど聞こえないです。スリッパの音も聞こえないからね。気配が感じられないので食事を運ぶ音すら事前にわからないほどです。
2階にいると裏を走る会津鉄道の踏切の警報機音も心なしか小さい。私は20数年にして初めてこの恵明庵がすっかり気に入ってしまったのです。
夕餉の際に大女将さんに言いましたよ。
「この人(私のこと)すっかりここが気にいっちゃって」(ジャン妻)
「もっと早くこっちを利用すればよかった」
「あらぁ」(ウレシそうな女将さん)
「時を返せって」
「何を言ってるの」(ジャン妻)
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会津若松市内散策いろいろ [会津]

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会津ワシントンホテルのフロントにはまだ八重さんのポスターが貼ってあった。
あれから4年以上になるのに。
「八重さん(綾瀬はるかさん)毎年会津に来てるみたいだよ」
「ふうん、そうなんだ」
会津を含めて福島全体の観光大使そのものといっていいが。
比べて悪いが、おんな城主より八重さんの方が演技上手だと思いますけど。
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来年の大河は西郷どんだそうですが。
「見ないの?」
「気が乗らない」
「何でさ?」
「・・・」
会津を攻めつけた役者のひとりじゃないか。
「どんなのか最初だけでも」
「・・・」
薩摩は禁門の変では会津と組んだが、その後で長州と組んだじゃないか。
(反面、長州は関ヶ原から対徳川幕府だから一貫しているともいえるが。)
会津攻めは何処まで描かれるのだろうか。

12時前に会津ワシントンホテルをチェックアウトして、会津バスのケツにくっついたところ。
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穴澤病院??
会津北の防人、穴澤一族の末裔に違いない。
閃いた。穴澤姓が目に留まったということは、駅前の岩瀬書店に何か新しい史料が入ったのではないか。
ジャン妻の方から、「本屋さん行こうよ」と持ちかけられたので行ってみた。
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この書店は一般書籍とは別にかなりのスペース、棚割で地元会津の書籍を置いてある。もちろん戊辰ネタが圧倒的に多い。それらの中には地元の研究者が独自研究したものを置いてあったりする。まずここでしか購入できないと思う。
だが。。。
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こういうウリを出してる割に、そのコーナーが見つからないぞ。前回までは入ってすぐ右の内側に3尺の棚2枚にズラズラ陳列してあったのだが。
ウロウロ探した。見つからないので店長かスタッフに聞こうと思ったら。
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そのコーナーはレジ近くにあった。
あったはいいが、このジャマしているワゴンは何だ?
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陳列用のワゴンですな。新刊を入れて棚割りに持ってって並べ、下げるのもこれで運ぶとみた。
店が楽する為のワゴンを何で会津郷土コーナーを遮るように置きっ放しにしておくんだよ。このコーナーの書籍は外から会津に来る客にイチバン見て欲しい大事なコーナーじゃないか。
「オイ」
私は店のねーさんにぶっきらぼうに言った。
「あのワゴン退けてよ」
「???」
「会津コーナーが取れないじゃないか」
「あ・・・」
レジで私語してた女性店員2人のうち1人が慌てて退けてた。
購入したにはこれ。
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檜原金銀山ストーリーとは。。。
山師が書き残したのを集めたみたいだ。鉱山ネタ、そこで起きた事件とか。
穴澤一族の新史料もあった。何処から檜原に来たのか、その前の出身地が明らかに。これはさっきのバスの穴澤さん広告が導いてくれたのだろう。

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これが凄い。会津戊辰戦死者埋蔵の虚と実!!
会津人が長州人を後世でも許そうとしない最大の理由が、「会津戦争後、埋葬を許さなかった」というもの。
まだ読んでないが、それに一石を投じる書になるだろう。
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そして、「会津若松城下地図幕末編」
表が幕末の会津若松城下地図で、裏面が幕末の地図に平成の地図を重ねたもの。
ゼンリンの住居地図のようなものです。これはスバラしい。
城下に入った白虎士中一番隊の行動を洗い直さなくてはいけないかも知れない。
後で机上で調べたら、麦とろは禄高600石上田学太夫の屋敷跡だった。若年寄らしい。
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先刻私に「ワゴン退けろ」と言われたレジのねーさんも、私がこういう書籍、史料を購入したことで余計に緊張させてしまったようです。
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「味噌を切らしてたな。買わないと」
「買うわよ。味噌を買う前に同じ方向なんだけど。靴下を買いたいの」
「靴下ぁ?穴でも開いたのか?」
「いつも5足か5足まとめ買いしてるのよ」
「何も会津で買わんでも。地元のシマムラやユニクロでいいじゃん」
「だってアナタそういう店行かないじゃない」
「・・・」
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靴下屋だって。
「前に通った時に覚えてたのよ」
入ったらホントに靴下だらけ。見事に靴下だけしかない店です。
そんなに靴下だけ需要があるのか若松市は。冷え症が多いのだろうか。
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「アナタも買う?」
「買ってもいけど。足の指が5本ある靴下はヤダよ」
でも結局私は買わなかった。買わなかったが、ウチの女性社員で足のサイズが25.5cmあって、靴を購入するのにトテモ苦労しているヤツがいるのでそヤツに買ってこうかと。その女性社員は草の者4号の現場にいる女性で、ジャン妻と同期の中途入社なのです。
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私が女性用靴下のサイズをチェックしているのに気付いたジャン妻は感づいた。
「また何かイタズラ考えてるんじゃないでしょうねぇ」
「イタズラって。25.5cmを探してるんだよ。アイツに土産に買ってくの」
「止めなさいって」
見当たらないので店の女性に聞いた。「女性の靴下で25.5cmって置いてないのか?」
「置いてあるのは24.5までで、それ以上になりますとお取り寄せになります」
「ああそう」
じゃぁいいや。でもその顛末をその25.5女性にメールしたら送信エラーになった。さてはいつの間にかアドレス変えやがったな。
後日その女性に会った時に言いましたけどね。アドレス変えただろって。

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材木町にある味噌屋へいく。
ジャン家とジャン母の家庭用の味噌を購入しないと。
山家屋です。来るのは3回め。今回もお茶をいただいた。
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クラシックなレジがデンと置いてある。
もう現役じゃないだろう。今の消費税率は応できないんじゃないか。
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材木町にある山家屋さん女性が言うには「材木町は材木問屋さんの集まり」「西若松駅は材木を取り扱う貨物駅でもあったの」「昔はそこを流れる湯川っていう川で材木を流していたの。水の量も多かったんです」
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この山家屋さん、(土)(日)(祝)休みなんですよ。そりゃないぜ。
たまたま店内にこの女性がいて、開けて貰って買ったこともあるけどね。
そういう時は仕方がないので七日町の満田屋さんで購入します。店内で味噌田楽も喰えるあの店です。
満田屋さんは品揃えや在庫数が多いが、店の中で喰える味噌田楽で有名なくらいだから、観光客を集客する気配、匂いが強過ぎです。
満田屋さん(天保五年創業)。
山家屋さん(嘉永年間)
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-08-07
福島県会津若松市材木町一丁目8-13

山家屋さんで味噌を買って、靴下屋さんでジャン妻の靴下を買うのに付き合い、若松駅前に戻って書籍を購入、小雨が降る中をウロウロ走ったのですが。
味噌を買ってすぐ南にあったお寺の前に「古戦場」の碑が立ってたのが気になった。
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では蕎麦宿の3時の宿入りに向けて街を南下する際、味噌屋の近くで見た古戦場碑の辺りに戻ってぐるぐる走ったのだが、改めて探すとなかなか見つからないものなのだ。2回ほど味噌屋の前を走ってようやく見つけたのが、会津若松市材木町1-10-33にある秀長寺古戦場碑というもの。
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古戦場?
会津戦争は近代戦なので、古戦場というには違和感が無くもないが。お寺の入口に、「ウチの寺はそういう場所ですよ」と謳ってるわけですよ。
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消えてるじゃんか.jpg
でも解説板、文字が消えてるし。
3つ並んだ碑は、秀長寺古戦場碑、戦没者供養塔、佐川官兵衛歌碑・・・。
3つの碑.jpg
碑文は判読し難い。雨の中、傘さして見上げても読むのがタイヘン。首が痛くなる。
録音できる機材があれば朗読するのだが。
碑の前に立つ.jpg
う~ん読めない.jpg
判読がタイヘン.jpg
雨の中、判読がタイヘンだったので諦め、机上で検索しました。
お許し下さい転載です。出典はhttp://mo6380392.exblog.jp/24907689/
管理人さんの承諾を得ております。ご承諾ありがとうございました。

篆額 松平保定書
明治戊辰九月五日鶴ヶ城下の東西両軍の攻防戦は日を追って劇しくなった。東軍の総指揮佐川官兵衛は日光口の西軍が本郷から若松に侵入しようとするのを知りこれを迎え撃うとして一部の兵を片原町柳原に伏せ官兵衛自らは手兵二百を率え砲兵隊とともに秀長寺裏の藪林や近くの民家に伏させ一方南町口門を守っていた一隊と水戸援軍を材木町南の柳上堤に移動させ報を得て高田から馳せつけた隊をもって西軍の退路を断つことにして西軍の到るのを待った。西軍の薩摩芸州肥前宇都宮中津人吉黒羽館林大垣太田原の十藩の兵はこの日早朝暁霧に乗じて大川を渡り飯寺村から材木町に入ろうとしたが火災のため全軍を移動し秀長寺裏から城下に入ろうとして東軍との距離僅かに百米に近づいた。このとき秀長寺境内におった砲兵隊は俄然砲撃を開始し伏していた東軍の諸隊も起って一斉に掩撃に移った。
突如三面攻撃をうけた西軍の周章狼狽は応戦に遑なくついに潰乱し東軍に降を乞うものもあり或は退路を失って大川に溺るるものもあった。
かくして戦闘は短時間に終り東軍は一部を以て西軍を追撃して南方に追い払った。この戦に西軍の遺棄した銃砲弾薬糧食毛布金圓等は莫大な数にのぼり東軍はこれ等鹵獲品を得て城に入った。
この日の戦は三旬の籠城中僅かな兵力で西軍に甚大な損害を与えた東軍唯一の勝利であった。
ここに戊辰百年祭に際して秀長寺境内の戦跡に一碑を建て永遠にこれを記念する。
昭和四十二年九月五日  山内為蔵撰文 小林春駒謹書

慶応4年(1868年)8月29日未明、会津藩家老・佐川官兵衛を将に出撃隊が編成され、城外の西、長命寺方面に展開する新政府軍を攻撃して城内への補給路を確保しようとした。
将兵はいずれも「八月二十九日討死、何ノ某」と書いた紙片を持っていたという。
だがその前夜に官兵衛は藩主・松平容保公からいただいた振舞酒を喰らい、起きたのは陽が高くなってからだった。
寝過ごした1.jpg
寝過ごした2.jpg
誰も起こさなかったのだろうか。官兵衛慌てて飛び起きて出撃したが、未明の夜襲が陽が高くなってからの接近戦になってしまったのである。今なお弾痕の残る長命寺の戦闘で知られる。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-11-23-2
官兵衛も松平容保公の御前で、「万が一失敗したときは再び入城することはありません」と宣誓したので戻るに戻れず。そのまま場外に留まりここ材木町に移動して逆襲に転じた。

「秀長寺境内におった砲兵隊は俄然砲撃を開始し・・・」とある。寺の境内に砲を据え置いて砲撃し、土塀から身を乗り出して銃をブッ放した。
長命寺さんも秀長寺さんもそうだがお寺は塀に囲まれているし、遮蔽物のある恰好の陣地として利用されたのである。
場外戦闘に巻きこまれた。住職にしてみれば迷惑だったかも知れないが時節柄有無を言わさずだろう。
局地戦とはいえ、喜多方の熊倉、西若松の一ノ堰2連戦と並んで会津軍が新政府軍を破った勝利戦。
ここでブン獲った鹵獲品や辛うじて確保した補給線はその後の籠城戦に小さくない影響を及ぼしたらしいが、官兵衛は城内に戻らなかった。バツが悪くて帰還できなかったのだろう。
官兵衛はここから遠い南会津まで転戦する。鶴ヶ城開城後も。
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「あった?」
「あったけど。碑文が読めないんだよ」
よ~く目を凝らせば読めるんですがね。碑が高過ぎて上から下まで全部読むのに疲れるのです。

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平成30年(2018年)会津若松市はNHKの大河・西郷どんに対抗するように、会津戦争終結から150周年を謳って、記念事業を開催、展開していくという。
(慶応4年/明治元年、1868年プラス150年=2018年)

湯野上温泉へ。
雨だったのが芦ノ牧温泉を過ぎて坂を上る辺りから湿った雪に変わった。
だが、長大トンネルを抜けたら前方の空から薄日が差してきた。雪降ってるけど晴れてる?妙な天気になってきた。
湯野上温泉駅を過ぎて渡辺酒店に停めたら晴れた。
酒屋1.jpg
普段はネット購入で、湯野上を通る時だけ挨拶がてら顔を出して店で購入するのです。
「ツケは?」
「ないわよ」
渡辺酒店から請求書も督促も来ないのをいいことにツケが半年貯まったことがある。
酒屋2.jpg
一升瓶を6本ケースで買い込んで車に載せた。

湯神を知った最初の頃は、宿と南会津だけの銘酒だった「花泉」だったが。。。
花泉は伊南、伊北の方にしか無かった。若松市内で花泉を置いてる店が1軒だけあってそれが「麦とろ」だった。若松市内に花泉を置いてない理由は、花泉を最初に持ち込んだら、既にある有名どころを扱ってる店から冷たくされたというのである。
それが今回、会津ワシントンに樽が堂々鎮座していたんですよ。いつの間に。
何で花泉が1.jpg
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自分たちの嗜好も変わったのか。ここ数年は花泉を買って飲まなくなった。花泉よりも会津中将、会津娘を好むようになった。

それらを家計費で購入して、私は飛露喜の前掛けを購入した。
いや、いただいちゃったんです。あげますって。
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「前掛けもお酒の箱に詰めましょうか?」と言われたが別にして貰った。会津から戻った翌日の日曜に使うのです。
「何に使うのあれを?」(ジャン妻)
「秋祭りで前掛け巻くんだよ。秋刀魚を焼くんだから」
「???」
この顛末は町内会人間ドラマで取り上げましたね。今でも干してあります。なかなかニオイが取れないのだ。
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今回は洋室・恵明庵です!!
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会津の高野山と謀叛人の系譜 [会津]

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会津の高野山と呼ばれる八葉寺。(河東町)
山間ではなく平地にあり、隣に田んぼ、畑、住宅地もあり、寺の境内も整備されているとも言い難いが、樹木に囲まれ鬱蒼としており、観光地化されていないのがいい。
住職はいないようです。荒れ寺?とまで言わないが、寺のHPもあるし、町が管理しているのでしょうか。
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この寺が開かれたのは康保元年(964年)、平安時代だから1000年以上前です。空也上人という高僧、エラい人。平安時代もこの頃になると律令制が崩れてきている。空也上人は律令政の最後の天皇、醍醐天皇のご落胤ともいふが、在世中に40人も子供を儲けた天皇だから。
私はこの時代の知識に疎いのですが、口から針金でつないだ6体の小さい阿弥陀仏を吐き出すような像が空也上人さんですといえば見たことある人いるでしょ。
寺の名前は、上人様が独鈷杵でこの地を突いて湧き出た泉の池に、八葉の白蓮が生じたからといふ。
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私はこの頃の知識に疎いのですが、寺を紹介するサイトによると上人が訪れた頃この地は荒廃しており、疫病か飢饉か、磐梯山の噴火の影響か、寺の周囲や村々に打ち捨てられてろくに供養されていない遺骸や遺骨が散らばっていたとあります。
上人はそれらを集めて境内に供養された。
まだ蘆名氏の祖となる佐原一族は来ていません。寺社勢力が強くなっていく頃です。
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中世になると寺は会津守護、蘆名氏の庇護下に入るが、境内の端、丘の麓に、その蘆名家中の内紛、内乱に破れし者の供養塔があった。
『猪苗代勢武将等の供養碑群
中世会津の戦国時代は内乱を繰り返していた。
蘆名十五代の当主盛舜の代に起きた大永元年(1521)6月16日の猪苗代盛光の反乱は、盛舜の家臣松本新蔵人、宇門、塩田刑部らの猪苗代方への内応によるものであったが、盛舜の軍勢に反撃されて敗走し、この八葉寺まで逃げ自害、あるいは討たれて謀叛側の失敗に終わった。・・・』
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猪苗代氏は会津を恩賞として与えられた佐原一族の長男だった系譜なので、四男の系譜の蘆名氏より上席だという自負が長年あるのでおもしろくない。それはわからないでもないが、松本一族は蘆名家中で、金上氏を除いて蘆名四天と称される富田、佐瀬、平田と並ぶ一族です。
彼らは蘆名家に何を含んでいるのか。松本氏は一族揃って謀叛、反乱の記録がやたらと多い。
明応元年(1492年)、松本藤右衛門輔忠が謀叛。
明応4年(1495年)、松本備前守輔豊が謀叛。
明応7年(1498年)、松本豊前守行輔、松本大学頭輔治、松本小四郎輔任、松本右馬允らが誅殺。
明応9年(1500年)、松本対馬守輔政が誅殺される。綱取城の松本勘解由は降伏。(後述します)
永正2年(1506年)、蘆名家中の四天同士の諍いでまた松本氏が謀叛。
大永元年(1521年)、松本大学、松本藤左衛門が打たれる。同年の猪苗代氏の謀叛に松本一族(松本新倉人、松本宇門他)が与している。八葉寺境内にある供養塔はこの時のものだが、松本一族の反乱はこれに懲りずにまだ続く。
弘治元年(1555年)、松本与右衛門輔敦が謀叛。
天正12年(1584年)、松本太郎行輔が謀叛。黒川城を占拠するも鎮圧される。
天正13年(1585年)、関柴の地頭、松本備中守輔弘が伊達政宗に内通。伊達軍を先導するも敗死。
松本・松本・松本・・・松本だらけ。
謀叛・謀叛・謀叛・謀叛ばっかり。
何故こんなに謀叛したがるのか。懲りない松本氏のことを知らなくても日常生活に全く不自由しませんが、それにしても謀叛の好きな一族である。何度も同じこことを繰り返している。
それでいて蘆名家中で上位に据え置かれてもいるから不思議である。根絶やしにされていない。
大河ともいえない今年のドラマはまるで中小企業の女社長にしか見えないが、あれは家の男どもが誅されても一族は親会社に従っている。それと同じようなものなのだろうか。

天正17年(1589年)、蘆名最後の当主、義広が磐梯山麓の摺上原で伊達政宗に大敗。この決勝戦と前後して松本一族の大半は伊達側に付いたようです。蘆名家は名門とはいえ末期の頃なので屋台骨グラグラ。新興勢力の伊達政宗の方が器量が上だったのかね。
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伊達軍は河東町辺りでロクなことをしていない。
「会津若松史3」から。有名な恵日寺が伊達軍の兵火で灰燼になり、湯川村の勝常寺の徳一坐像の眉間に刀で切りつけ、罰当たり三昧の伊達軍がここ八葉寺にもやってきた。
この時の八葉寺住職は蘆名の宿老、富田一族から誰かを迎え入れていて(富田美作の一族?)、寺に隣接した丘の墓地の辺りから東一帯の雑木林辺りが、寺と一体化した館、防塞になっており、僧兵どもが伊達軍に刃向ったのでこの寺も焼かれたそうです。
こんな屈強な僧兵がいたのかな。
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だが、境内にはその辺りの解説はない。
寺の東側には往時の防塁関連が草木に埋もれているらしい。途中まで歩いてみたのですが。
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ジャン妻を境内にひとり残すのも気の毒なのですぐに引き返しました。
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おまけです。(※)で松本勘解由が叛乱して立て籠もった綱取城は桧原から459号線を走って大塩・喜多方方面へ下ってきた時に偶然通りかかりました。
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2014年の秋頃にできた「会津一望の丘」を過ぎた辺りにこんな標柱があったので、北塩原村立第一中学校の脇スペースに停め、草だらけなので奥まで入れなかったですが、解説板には松本勘解由が立て籠もったと書いてありましたね。
「奥まで入らないよね」(ジャン妻)
「今からの時期は草ぼうぼうだからシーズンオフ」
「シーズンオフ?」
「晩秋から冬にかけてだな。さっき手前にあった柏木城とセットで」
「・・・」
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だが狭い会津盆地内で謀叛しても、蘆名本家のいる会津若松(往時は黒川)から近過ぎるのだ。用意周到に準備したのかどうか。1日か2日あれば鎮圧体制が整うような気がする。
謀叛は謀叛、叛乱は叛乱でしかない。
血の気だけ多くても成就しないのである。
現代にも通じるものがあるのではないか。社内で意に反することがあっても、いっときの激情で早まった行動を起こさない方がいいという戒めだろうか。
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会津辺境のローカルヒーロー [会津]

ヘアピンの連続、磐梯山ゴールドラインを走って桧原湖畔に来たところ。
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裏磐梯には大小様々な湖や沼があってその数が300あまり。その中で最も大きいのが桧原湖。
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「これってダム湖?」
「いや、噴火で堰き止められた湖」
何回も説明してるんですけどね。ジャン妻はそういうの覚えない。桧原湖湖は明治21年(1888年)7月15日の磐梯山噴火の崩落でできた堰き止め湖。当時の桧原村は湖底に水没しています。
「深さどれくらいなのかな?」(ジャン妻)
詳しくは知らないが、30mくらいらしい。
渇水時には沈んだ村の鳥居とかが顔を出したりするそうです。
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桧原湖を見てると安らぐ。
猪苗代湖もいいけど、桧原湖は手漕ぎボートはあっても遊覧船とかが皆無なので、静かで落ち着いた湖に見える。
国道459号線の五色沼入口や裏磐梯ロイヤルの辺り(裏磐梯剣ヶ峰交差点)は観光客がうじゃうじゃいる時がありますが、ここは桧原湖の北端なので静かなものです。
時折静寂を破るかのようにライダーの走行音が響いたりするけど。

桧原、この辺り一帯は、冬場の積雪が平均2m以上になる。MAXじゃなくて平均ですよ。
湖も凍結します。
過去の3月末の写真ですが、磐梯山ゴールドラインは通行止め。湖は凍結しており、氷上にワカサギ釣り客がいた。
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標高が高くて稲作には適さない。何処にも田んぼが見当たらない。記録に残る取れ高は僅か40石、無高と記された記録もあるとか。
ワカサギ、イワナ、ヤマメといった川魚や、高原野菜、キュウリ、アスパラガス、ナメコ、ジュンサイ(酢の物は苦手)、蕎麦、そして会津山塩、目立たないけど隠れた名産あり。
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夏場には登山客、ライダー、釣り人、冬にはスキー客、氷上の釣り人たちが訪れます。
私は山道の運転が苦手なので、途中で脇に除けて3組のラーダーに道を譲りました。
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半島みたいなのは堂場山といって、穴澤氏の城塞跡。私の会津ローカルヒーロー。
会津北の防人と呼ばれる穴澤一族がこの地に住み、北方から狙ってくる伊達軍3回、単独で撃退したネタをUpしたことがある。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-22
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-23
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-24
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-24-1

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-22
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-23-1
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-24
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-25
こんなに書いたかね。簡単に述べますが、穴澤氏は中世の頃、現在湖底に沈む桧原村に在住した一族ですが、最初からこの地にいたのではない。
中世の頃、会津守護・蘆名氏に頼まれ、この地の西にある蘭峠に出没する山賊退治の為にやってきた。
退治後も桧原にいて防人をして欲しいと懇願され、不承不承滞在したら代々住むうちに桧原が気に入って住めば何とやら。
桧原は寒冷高地で米は取れないけど、大塩の方で替え地を貰ったみたいだし、おそらくこの地で砂金が取れること、後で述べますが塩が採れること、番所と宿場町をこしらえて税を課した、そういう役得があったのではないか。
桧原宿跡.jpg
だが、一族の裏切り者が伊達軍を手引きし、当時の娯楽施設だった風呂屋で惨殺された。
後年、蒲生氏の時代に再出仕し、桧原の関守に還り、その子孫は会津藩に幕末まで仕えたようです。
堂場山1.jpg
堂場山2.jpg
穴澤一族が滅んだ堂場山は現在ハイキングコースになっているようです。革靴なので、路肩にくるまを停めてコース入口だけ覗いてみたところ。
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掘割か。自然の沢か。
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コースは1.7km程度だけど、この入口には駐車スペースがないので、何処か他の場所に停めて、コース入口まで歩かなきゃならないようです。
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堂場山へ移転する前の城塞だったところ。
3戦して2戦目、この城で攻防戦があった。伊達軍は1000人、穴澤一族の守兵は最初20人足らずで、麓から駆け付けた援軍も80人足らずだった。
戸山城大手2.jpg
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停めてあるくるまの所有者は100%間違いなく城内を散策されてるな。この辺りの山は熊が出るそうなので気を付けないと。

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穴澤一族の五輪塔。
これらは湖の渇水時に湖底から引き揚げたものだそうです。
また会いに来たよ。
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数が減ってる。2011年に来た時は五輪塔の数がもっとあったんですがね。
穴沢一族五輪塔1.jpg
穴沢一族五輪塔2.jpg

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「で、何を食べるんだっけ?」
「塩ラーメンだよ」
この時点で私はこれから食べる会津の塩ラーメンが海水の塩ではなく山から摂れる塩であることを知らなかった。
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会津蜂蜜とスケコマシ野郎 [会津]

蕎麦宿をチェックアウトして湯野上温泉駅チカの酒屋さんに行く途中のガッタンゴー。
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踏切を渡ってすぐにW酒店があって、いつも取り寄せています。この酒屋さん、支払にのんびりしたところがあって、支払を忘れても督促がきたこと一度もない。
「ツケが溜まってるんじゃないか?」
「今は溜まっていない」
年に1回くらいツケがたまる時があります。
立ち寄って一升瓶を6本ほど購入しました。

会津に行く前月、ジャン母に言われた。
「今度いつ会津に行くの?」
「予定では来月の〇〇辺り」
「だったらとちの実のジャムか蜂蜜を買ってきてよ」
何だそれ?
また難儀なものを。
今までは「また会津に行くの?」だったのが、自分が欲しいものがあると「いつ行くの?」かい。
「それってどんなのさ?」
「これ」
残り少ない瓶詰めの蜂蜜を見せられた。
実家にあったもの.jpg
でかける前に調べるハメになった。ヒットしたのがこれ。
http://www.buna-ki.co.jp/buna/
松本養蜂総道場といふ。
会津若松市柳原町というところにあった。町外れです。
「お味噌がなくなりそうなの。それもお願い・・・」
それは場所がわかっている。満田家か山鹿家にするとして、まずはその蜂蜜を求めてくるまを走らせ、目的地に着いたら工場(養蜂場)と個人宅兼商店が並んでいた。
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引戸を開けたら、ブッちらかった事務所内に申し訳程度にハツミツ商品が最小限の在庫で陳列している。
個人宅なので撮影は遠慮して手に取って眺めていたら、奥に繋がった母屋から老婦人がいそいそ出てきて売る気満々の接客TALKが始まった。「蜂蜜でございますか?」
もちろんこっちも買う気だが、サイズが大きいのである。
「デカいな。これより小さいのはない?」
ないという。まぁいい。これにする。買って振り切ってすぐ出ようとしたが、老婦人(社長さんかな?)が私たに蜂蜜の試食をすすめてきた。そんなん頂いたら世間話になるに決まっている。
「どちらからおいでになりましたか?」
「神奈川だけど・・・」
「会津は初めてですか?」
「いや・・・」
私が会津に関わったのをいつの頃から遡って説明せにゃならんのがうっとおしい。
その表情を汲み取ったジャン妻が、
「年に何回か来るんですよ」
しまいに住所まで聞かれ、年2回のセールの時にはDMをくれると。
購入したものはこれ。
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パッケージから出したところ。
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購入して出たら、養蜂場に面してこんなのが建っていた。
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帽子沼?
何処にも沼はないぞ。
解説板を呼んでみたら、
「・・・文治元年(1185)、京を追われた源義経は藤原秀衡を頼って奥州平泉へと逃げ延びていました。義経と恋仲にあった皆鶴姫もまた義経との間に授かった幼子の帽子丸を抱いて後を追い、会津まで辿りつきました。
しかしこの柳原の地で敵に会い帽子丸はこの沼に沈められて殺されてしまいます。
それ以来、ここは帽子沼と呼ばれるようになりました。
その後、皆鶴姫は現在の河東町に身を寄せますが、長旅の疲れに我が子を失った心労も加わり病に臥せってしまいます。
ついには難波の地に出かけた際に水面に映る自分のやつれた姿を見て悲しみのあまり池に身を投じ、十八年の生涯を閉じました。
帽子丸の墓はここから南にすぐ・・・」
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皆鶴姫?
何処かで聞いたような。

名古屋の熱田神宮で元服した源義経が承安4年(1174年)に京都へ上り、栄華を極めた平氏の動向を探っていた時のこと。
「新編会津風土記」から。義経は吉岡鬼一法眼という兵法家が所有する兵法書(六韜)を手に入れようとしたが、その手段として吉岡の娘、皆鶴姫に近づいて懇ろになり、姫の手引きで兵法書を書写した・・・のだが。
下世話に言えば手を出したに決まっている。
皆鶴姫との間に生まれたのが帽子丸という男児。その後で義経は平氏のに探索にひっかかって京を脱出。おそらくその書写した兵法書を持っていたに違いないが、皆鶴姫は驚いて義経の後を追ったということは。。。
姫を置き去りにしたのでしょう。
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あ、思い出した。ここから北東、日本初の4年生コンピューター専門大学である会津大学の北、600m辺りの農耕地に藤倉という地があって、そこに会津守護、蘆名氏の祖、佐原義連~盛連~6人の息子たちの三男、盛義がいたネタのついでに、皆鶴姫の記事を書いてました。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-04-27
皆鶴姫のお墓.jpg
これが源義経が奥州へ逃げた後を追って来た女性、皆鶴姫の墓です。

義経は手を出した女性が多過ぎ。
私が知っているのだけでも、正妻の河越太郎重頼の娘、愛妾の静御前、佐藤継信、忠信兄弟の妹、皆鶴姫、平時忠の娘、浄瑠璃姫、唐橋大納言の娘、鳥養中納言の娘、白拍子たち。。。
井伊家のファミリー大河で柴崎コウさんと貫貴谷しほりさんが2人して泉下の井伊直親のことをスケコマシと絶叫していたね。(昨夜の回送シーンでもありましたね。)
何て品がないことかと呆れたが、時代と境遇が違うとはいえ、直親もやってることは同じようなものではないか。
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ジャン妻は2年前の過去記事で藤倉の義経伝説を見て烈火の如く怒ったが、今回の蜂蜜購入で偶然見つけた裏付け訪問には興味を示さなかった。すっかり忘れているのか。
2年前は凄かった。
「何これ!!」
「・・・」
「これって結局利用されて捨てられただけじゃない!!」
「まぁそうだよな」
「ヒドい男。。。」
「・・・」
私を睨めつけたものだが今回はつまらなそうに見ていた。
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次に向かった場所は。。。
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末永くこのまま続いて欲しい。。。
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アルバム [会津]

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アルバム [会津]

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どうなる蕎麦宿 [会津]

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変わらざるこそ人心を安ずるもの
このまま続いて欲しい蕎麦宿。
でも異変が起きているのです。
どうなる蕎麦宿??
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蕎麦宿の夜 [会津]

つい10分前まで爆睡していたジャン妻が夕餉の膳を待っているところ。
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廊下にドスドス歩く地響き。
大旦那が運んで来た膳を見ると??
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何で白身の刺身が載ってるんだ?
これまで何も言わなくても俺らは馬刺とお決まりなのに。
怪訝に思ってたら大旦那が馬刺を後から持って来たのです。
何か間違ったかな。
今日、初めて見る新しい男性スタッフと伝達事項が上手きいってなかったのかな~。
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山国会津では海の幸がいちばんの御馳走とも言うが。
山間の会津で、白身のヒラメ、ホタテ、甘えびを喰らうのはちと違和感あるな。
せっかくだから馬刺と、平目、ホタテ、甘海老を並べてみた。海の幸山の幸盛り合わせである。
「止めなさいっ」(ジャン妻)
「・・・」
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いつもの小鉢の数々。文字の羅列の居酒屋みたいだ。
タコ切りにした大根の漬物が美味しい。
「タコじゃなくて雪を形作ったんじゃないの?」(ジャン妻)
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変わらぬ定番が続く。
蕎麦粥。
蕎麦サラダ。
イワナ。
揚げ蕎麦。
蕎麦稲荷。
締めのざる蕎麦。
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蕎麦サラにはビール。
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イワナには燗酒。
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揚げ蕎麦はお洒落になってきた。
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蕎麦稲荷はヒンヤリ。
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もり蕎麦の時に、囲炉裏端で酌む寝酒を追加。
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廊下に膳を出したら軽く二次会。
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そして夜の湯へ。
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酒が入っているので、首に湯をかけてから入ります。
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外に出てみたりもする。
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突然、前方にライトが眩しく光る。
レールの継ぎの音があまりしない。ガッタンンゴトンではなく、ストンストンのような音を奏でている。静かに走っている。雪が音を吸収するせいだと思う。
滑るように闇に消えていった。
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闇を滑るガッタンゴー。

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身体が冷えたので湯に入りなおす。
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向こう側の客室でジャン妻は既に寝ています。
身体の不安を考えてなるべく40℃くらいにします。少しだけ窓を開けておくと外部からの冷気で丁度良い湯加減になるのですが、20年以上通っているのに私は温度調整が下手でして。
単純泉で刺激は全くないけど湯加減がいい。ついつい長湯してしまう。
私も後は寝るだけです。
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白銀の会津へ [会津]

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東武特急きぬスペーシア個室。
酒肴の数々は崎陽軒&マリーズ。
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宿への15:00チェックインから逆算すると浅草発11:00がベストなのですが、1ヶ月前に浅草駅に行ったら満室だったので1本早めました。10:00発。
でもそれだと浅草駅に隣接する地下食品売り場開店と同時刻なので、崎陽軒は地元の某最寄駅で、ポテサラとマカロニ(マリーズ)、カップ酒は前日に購入しといたのですよ。
JR某駅の崎陽軒スタンドは7時から開いている。前日に、「明日の弁当って予約できるのか?」、聞いたら予約できるそうです。
朝寄ったら値上した定番シウマイ弁当はあったが、幕ノ内とポケットは入荷していなかった。JR上野駅で銀座線に乗り換える時、スタンドを見たらそこには幕ノ内があったのですよ。
でも定番を購入済みなのでポケットだけ追加。
かつて浅草駅構内にあった売店は今はないようです。それと、最近は家でちっとも揚げ物をしてくれないクセに珍しくジャン妻が揚げ物が食べたいというので、浅草駅向いのデイリーヤマザキでコロッケとマッシュポテトと缶ビールを購入。
東武特急の普通座席シート車両は鬼怒川温泉へ行く行楽客、特にオバちゃんオバァちゃん軍団恐るべしといった感がある。
そういう連中は人数多けりゃ強いというか、周囲を気にしなくてもいいと思ってるのか、耳が遠いからか、くっ喋る声がデカいのだ。「ギャァハハハハハァ」の大合唱ってなもんです。
ではスペーシアの個室は静かなのかというとそうでもないのね。部屋と部屋の壁が薄く、隣で、「ジャァンケェンポォン」、「勝ったぁ~、ウワァ~ィ」、嬌声や子供の泣き声が凄まじい時がある。
個室だから騒いでも大丈夫だろうと勘違いしてるんだな。親も気にしないようです。

春日部辺りであらかた喰い終えたが、酒がまだ残っている。
昼酒は効く。私は昼酒は基本しない人なのです。
ツマミ、奥の手を出した。
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「ちょっと何これっ!!
「・・・」
見りゃぁわかるだろうがよ。ポテチだよ。
「いつ買ったのっ!!あ、もしかしてお正月用に買ったヤツ?もう半分以上食べてるし。ひとりで隠れてコソコソ食べてたんでしょうっ!!」
「よいではないか」
「・・・」
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鬼怒川温泉駅。少しの待ちで、東武日光発の会津マウントエクスプレス会津若松行が来た。会津若松と日光方面まで直通運転するようになったのか。
「浅草から来たの?」
私自身も始発駅が何処なのかわかってないので。
「今市じゃないかなぁ」
東武日光らしい。
「浅草から直接行けないの?」
「会津鉄道に架線が張られない限りね」
「でも春に新しい特急がデビューするって聞いたけど」
東武鉄道は2017年今年の春、266年ぶりに新型特急車両500系、Revaty、がデビューします。これだと浅草から会津田島まで直通で行くらしいのだ。
「それって個室あるのかな」
「あるんじゃないの?ただ、今の電車より個室は値上するかもね」
では来年の冬は新型車両で会津へ赴くことになるかも知れない。
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マウントエクスプレスは会津田島での乗り換えがない直行列車です。途中駅通過が多く、何処に高原があるのかわからない秘境駅の男鹿高原、この時期は誰も登山客が下りない七ヶ岳登山口、何をする道場なのかわからない会津山村道場、海はないけど会津荒海、中荒井は通過します。
長いトンネルを抜けて南会津に入ったら一面の銀世界になった。
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何処にも人っ子ひとりいない。
家の中でじーっと暮しているのでしょうか。
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そのまま会津鉄道へ。福島県知事を2期務めた佐藤雄平さんの母校がある田島高校前、会津だけど会津長野、おそらく蕎麦宿の岩魚もここから仕入れている養鱒公園、誰の故郷なのかふるさと公園、島がないけど弥五島は通過します。
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会津鉄道の駅チカを知らせる音楽、ポンポコポンポコポンポコポコポン♪、このメロディは、私が蕎麦宿で怪我して運び込まれた病院のある会津下郷、雪でも観光客誘致するしかない塔のへつり、そして湯野上温泉にゆ~っくり進入した時、3回流れただけ。
このポンポコメロディ、最近知ったのですがJR相模線でも流れます。電子音が若干違いますが。
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いつもより早いけど、湯野上温泉駅の改札に、蕎麦宿の大旦那が立っていた。
駅に長年詰めている女性2人も変わらないねぇ。
メガネの女性は私らが初めて蕎麦宿に来た頃、20年前?からずーっといますよ。
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明日以降、数日は写真の大放出というか在庫処理のようなもので、記事ともいえぬ内容で本文は少ないです。殆ど無いかもです。
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獅子の時代と弾正ヶ原 [会津]

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買っちゃいました。
昭和55年(1980年)のドラマだから35年振りですね。
これを購入したおかげで、最終章に突入した戦国コメディ真田丸、並行して専門チャンネルで放送されていた真田太平記も完全に無視。晩夏~初秋にかけて週末の夜はこのDVDを一気に観ました。
私は感情移入して一話一話見入ってたが、私に付き合わされたジャン妻の最初の感想は、
「大河っぽくないねぇ」
英雄不在の任侠路線と思ったようです。
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冒頭~前半のパリ遍はつまらなそうに見ていたが、会津戦争~斗南遍の後、東京での汚職事件遍あたりからグイグイ引き込まれてきたようで。
一話観終わったら、「次っ!!」
また観終わると、「次っ!!!」
「この後、どうなるの?」
「これで終わり?もう出ないの?」
時折、興奮しながら、西南戦争遍、樺戸集治監遍、脱走して自由自治元年遍まで喰いつくように見ていた。
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主人公、平沼銑次(演:菅原文太さん)のことを、
「優しくて可愛いキャラ」
「妹に甘いね」
「元気だねぇ。いつも走ってるし。あ、また走ってるし」
「また怪我してる」
「またこんなヒドい目にあって・・・」
「これよりもっともっとヒドい目にあうの?」
私の記憶に間違いなければ銑次は肩の銃創2回、足に1回、肩か背中を斬られたのが1回、拷問が2回か3回あったが、自己免疫力が異常に強いのか、すぐに完全治癒して立ち上がる。
「もう怪我治ったの?」
怪我って寝てたらストーリーが進まないからね。
刈谷嘉顕(演:加藤剛さん)の理想主義やクソマジメぶりもやや呆れながら見ていた。
西南戦争で政府軍として故郷に赴き、田原坂で父(演:千明実さん)と対峙。
「あぁ~・・・出逢っちゃった・・・」
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銑次は死なないが、刈谷が非業の死を遂げた時は、
「え??刈谷死んじゃうの?何でここで刈谷が死ななきゃならないの?」
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大久保利通(演:鶴田浩二さん)に僅かに共感していたのにはちょっと驚いた。
「力で引っ張っていかなきゃならない時ってあるのよ」
他社を吸収合併した時はそこの従業員の声を聴くのも必要だが、こちらが必要としている事案については最初は力で指導、牽引していくしかないと。

刈谷の同僚だが、汚職に手を染めた尾関平吉(演:岡本信人さん)が大嫌いで。
「尾関嫌い。何コイツ。出てくんな」
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「弥太郎かわいい」
斗南から銑次にくっついてきた弟分です。演じたのは金田憲一さん。
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だけど同じ弟役でも、もん(演:大原麗子さん)の弟、恭平(演:市村正親さん)は嫌いで、
「恭平!!このバカっキャラ!!」って罵ってた。
「コイツのせいで姉さんが身売りしたんじゃないかっ」
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要所要所で感情移入していたジャン妻が、銑次と並べて、悪ガキコンビと称したもうひとりの相棒がいます。
水戸藩士の伊河泉太郎(演:村井国夫さん)というキャラ。
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伊河はパリ遍で徳川昭武公に付いて登場する。
最初は銑次を敵視するが、2人で薩摩藩の万博陳列物をブッ壊した辺りから意気投合する。
函館戦争の後はしばらく登場しないのだが、ドラマ後半、もんを看病しながら静かに暮らす銑次の前にいきなり現れ、会津自由党への参加を呼び掛ける。
でも銑次はもんをひとり残していけないので、この時は断っている。
「高松凌雲先生(演:七代目尾上菊五郎さん)から、銑さんは誘うなって言われてんだ。悪かった」(伊河)
サッパリした気性の漢なので勧誘を諦めた。
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伊河が会津自由党に参加した辺りのDVDナレーションは、
『明治15年11月。会津では福島県令三島道庸の通達による強制労働に対し、農民たちの不満が急速に高まっていた。
それを反対運動までに組織していったのは会津自由党の人々であった。
会津の村々では道路工事を始めとする過酷な労働に応じない農民たちの数が増え、三島道庸は彼ら不平農民に対して厳しい弾圧の姿勢で臨んだのである。
しかし農民たちは自分たちの中からリーダーを次々と生み、自由党と結束して抵抗を止めなかった。
伊河もそれを支える一人であった。』
何で伊河がここで出てくるのかわからないが、伊河は明治新政府の世の中で居場所が無かったのかも知れない。このドラマはいタイミングというか、何でここでこの人がタイミングよく登場するのか?と思わせる唐突な場面が少なくないが、そこは登場人物が少ないのを逆手に取った構成、ご愛嬌としておこう。
で、この場所ですが。
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新宮城を出て向かったのは福島県耶麻郡塩川町。
塩川町は戊辰戦後、会津藩士が謹慎させられた地でもある。
国道121号線を喜多方方面へ北上して、左手に並行して走る磐越西線塩川駅を過ぎた辺り、左手に工場のある交差点を長床方向へ左折します。
姥堂川を渡って右は田んぼ。その向こうに、弾 正 ヶ 原 ・・・白い板に太い黒文字でデッカく印してあるから遠目でもすぐにわかる。
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自由民権運動がどういうものか私も詳しく知らないのですが。
征韓論に破れて新政府から野に下った土佐の板垣退助の自由党に端を発する。
薩長藩閥政府に対して憲法の制定、議会の開設、不平等条約問題、言論や集会の自由等の要求を掲げ、この運動は明治23m年(1890年)の帝国議会開設まで続く。
弾正ヶ原は「獅子の時代」でも描かれた喜多方事件にまつわる場所です。往時の福島県知事に三島道庸という人がいる。
後世から見れば、会津に来る前の山形県令時代に県内のインフラ整備に成果を上げた人。
この人は道路を造るのが好きだったのか、米沢~福島を結ぶ万世大路、栗子隧道(現在の国道13号、栗子トンネル)、山形~仙台を結ぶ関山隧道(現在の関山トンネル、国道48号)他を作った。いや、作らせた。それらは現在の道に受けつがれている。
http://www.pref.yamagata.jp/ou/shokokanko/110001/him/him_special-edition01.html
同じことを会津でもやろうとした。福島県令に赴任して越後街道、山形街道(米沢街道、穴澤一族のいた桧原峠を越えるもの)、下野街道(日光街道)の会津三方道路建設を推進する。会津若松を起点として、栃木県に達する30km、山形県境に45km、新潟県境60kmを結ぶ巨大土木工事。現在の国道49号と121号がこれで、後世に道路の付替や線形の改良はあっても概ね踏襲しているそうです。
私が会津にくるまで赴く時も、三島が建設推進した道路を走っているし。
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若松市内の図書館、稽古堂の史料『』内にいう。
『喜多方事件の発端は三方道路の開墾を契機とするものであったが、留意しなければならないのは、道路の開墾そのものには反対ではなく、地方産業の振興や商品流通の発展の為には望んでいたことであった。』
喜多方でも、米沢街道の開発は明治7年に計画申請があったという。
『だが、三島県令の着工方法や、工事の代夫賃、徴収、服役方法があまりにも不当なものであったことに喜多方事件発生の原因があった』
『三方道路は国道であるのに、三島県令は会津六郡の人民の夫役によって建設しようと重い条件を押し付けた』
(会津六郡とはどれを指すのかよくわからないのだが、喜多方事件決起の農民は耶麻郡、河沼郡とある。)
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三島は工事費用負担を男女貧富を問わず人民に強要する。
向こう2年間、年齢15歳~60歳の者をひと月に1日、道路工事に従事させ、従事しない者は男で1日分金15銭、女は10銭の負担を課せられた。
だが会津は雪国でもあるので工事は夏と秋の農繁期に限定される。遠隔地に赴く者は工事が1日でも工事現場へ往復するのに2日、計3日かかる。農民はこの工事賦役に反対した。
各地で反道路工事、反三島の演説が開かれるようになり、そこへ会津自由党員が絡む。会津自由党はこれら農民の反対運動を組織して指導、活動する。福島の自由党本部からも党員が応援に駆け付ける。
対する三島も県令着任と同時に郡長と警察署長に大量の薩摩閥出身者を呼び押せており、田村郡長、三春警察署長、会津耶麻郡長、喜多方警察署長他、県警部定員25人の大半は薩摩人をもってし、殆どが20代後半の青年だった。若いだけに、『彼らは三島県令の私兵でもあるかの如く忠誠心を見せようと勇んで弾圧に手を貸した』
三島はついに賦役に応じない人民から財産や家財道具を差し押さえて競売に出した。これに喜多方周辺の農民は激昂し、明治15年11月28日、農民千余名が弾正ヶ原に集結。その足で喜多方警察署に押し寄せた。
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現在、弾正ヶ原の敷地はこんな感じです。
草は刈ってあったが、あまり公園化整備もされていないようである。
1本のケヤキの木がある。終結時、党員のリーダーが演説をするため上ったとも。
くるまに戻ったらちょうど、2両編成の会津マウントエクスプレス(喜多方直通)が駆け抜けていった。弾正ヶ原は磐越西線の軌道敷地内でもある。
弾正ヶ原公園に至る道は舗装されていません。拡張された田んぼの畦道です。駐車スペースもありますが、車幅1台分の土橋で農業用水を渡ります。切り返しに注意してください。
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「この場所を覚えておいてくれ」
「???」
観ていたDVDが後半に突入し、この旅行から戻ったら喜多方事件に突入する第48回、「生まれ来る者」だった。
帰宅してDVDを再生させたら、伊河泉太郎他、農民たちがが弾正ヶ原に集結し、松明を掲げて喜多方警察所へ向かう場面。
ナレーション続く。
『11月28日、千数百人の農民が喜多方の南、弾正ヶ原に集結した。 夕刻、彼らは、宇田成一らの釈放を要求し、およそ5Km離れた喜多方警察署に向かって歩き始めた。』
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『武力を用いず法の許す範囲で抗議するというのがそれまでの自由党の方針であった。
農民たちも大半はそれに従った。蓆旗ひとつ、竹槍1本なかったと言われる。
しかし警察署の窓ガラスに向かって石を投げたものがあった。』
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それは農民ではなく警察側の廻し者の仕業ではないかという説もある。
後にいう福島事件である。この事件と前後して自由党も急速に民衆の支持を失うことになるのである。』
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福島事件=喜多方事件ともいう。
会津や喜多方は、福島という大枠に入れられるのを好まないように思うので、ここでは喜多方事件で統一する。
この騒乱で、伊河は丸腰のまま素手で警察に抵抗するが、形成危ういところへ銑次がまたまたタイミングよく現れ、素手で複数の警察官を殴りつけ、手刀で叩き、伊河を救出した。
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農民支援に失敗してうなだれる伊河に、銑次2人が出逢った巴里を思い出させて力づける。
「そうだ。巴里ぃ以来だ。2人で薩摩の陳列をブッ壊したなぁ」
2人は秩父の松本栄吉(演:丹波哲郎さん)のもとへ向かい、秩父事件の秩父困民党蜂起に参加することになる。
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一致部事件と、もう一人の主人公で苅谷嘉顕が関わる大日本帝国憲法制定の過程、刈谷の挫折と並行して、終盤が展開される。
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新宮城 [会津]

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治承4年(1180年)、平家打倒の源頼朝挙兵時、三浦半島の衣笠で戦死した三浦の豪族、三浦義明の七男に佐原義連という人がいる。
義連の子、盛連に6人の子がいて、会津のどっかしらに所領を持っていた。
長男・経連、猪苗代湖から磐梯山麓一帯の猪苗代氏。
次男・広盛、会津盆地の中心で湯川村北田の北田氏。
三男・盛義、若松市郊外の河東町藤倉に藤倉氏。
四男・光盛、黒川、すなわち現在の会津若松で蘆名氏の祖になる。
五男・盛時、会津最北端の地である叶荘、現在の熱塩加納村を与えられ加納氏。
六男時連、新宮荘(喜多方市)を与えられ新宮氏。
(芦名=蘆名だが、ここでは蘆名で統一させていただきます。)
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-04-25
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-04-26-1
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-04-27
長男の猪苗代氏を差し置いて四男・光盛が蘆名氏を称し、その系譜が黒川、現在の会津若松城の基になっているのを長年疑問に思っていた。
最近、会津柄若松駅前の書店で新書を購入して気付いたのは、盛連の長男、次男、三男と、四男、五男、六男の母が違うそうです。
長男、次男、三男を産んだ最初の夫人の名前はわからない。死別したのか離縁したのかもわからない。
若かった?盛連は再婚する。お相手は三浦一族の策謀家、三浦義村の娘で矢部禅尼という女性。
(三浦義村は30年前の大河で藤岡弘、さんが演じた。)
矢部禅尼、この女性は三代執権の北条泰時に嫁して嫡男の時氏を産んでいるが、その後に何があったのか、北条泰時と離縁して佐原盛連と再婚したのだそうです。再婚同士ですね。
そして生まれたのが四男、五男、六男。
初婚で産んだ北条時氏は27歳で亡くなったので執権にはなっていないが、時氏と盛連の四男、五男、六男とは異父兄弟にあたる。だから兄弟にとって時氏の嫡男で四代執権になった経時は甥にあたる。
なので三代執権北条泰時のお下がり?なのかどうか・・・矢部禅尼が産んだ盛連の下の子3人は先に生まれた3人より鎌倉中央府、執権北条家にずっと近いのです。この辺りが四男の光盛の系譜が蘆名本家となり会津守護職を称した理由ではないだろうか。6人兄弟のなかでは四男だが、後の3人の中で先に生まれたからです。
この6人兄弟同士の系譜は三男を除いて不和になる。遡れば同じところへ行きつくのだが、かなり長いこと同族で相争っていた。
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熊野神社の受付のジイさんが言う。
「新宮城はね。そこの前の道をずーっとあっち(北の方角を指す)に行くとバスが停められる駐車場があるから」
バスが停められる?
新宮城はそんなに賑わうのだろうか。
意地悪く聞いてみた。
「何も残ってないんでしょ?」
「いろいろ出てきたみたいだよ」
いろいろ出てきたとは発掘した出土品のことか。
口の重たい会津人にしてはよく喋る爺さんだった。同じ会津盆地でも喜多方だからかも知れない。
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爺さんの説明が心許なかったので、境内入口にある新宮集落のMAPを見る。
新宮城の駐車場が右下隅に表示してある。
あまり大々的にアピールしていないようだが。その駐車場にあった遺構MAPがこれ。
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熊野神社を出て地元の狭い生活道をそろそろ走る。
途中で橋を渡ったら、橋の左右が如何にも堀っぽかった。
堀①です。
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その先は耕地で視界が開ける。角を右折したらジイさんバアさん数人が耕地の草刈りをしている。
その辺りに方形の堀跡が歴然としていた。堀②です。
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東側を南北に伸びる県道道路脇に新宮城の幟がはためいている。
「あれじゃない?」
標柱があった。
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これだけかよ。
ジャン妻をくるまに残し郭内に入って見たら、耕地か遊休地になっている。私有地のようである。
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その先に、新宮熊野神社の受付のジジイが言っていた大型バス駐車場があった。
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誰も止めてない.jpg
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そこに滑り込んだがバスはおろか誰も停まってないじゃないか。私のくるまだけである。
駐車場のいちばん奥に解説板があった。
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駐車場脇にある残存土塁。後世の工事による土盛りにも見えるが。
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その先、堀③です。
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若松駅前の書店の史料に言う。
新宮城の新宮氏は先に書いた佐原6兄弟の六男・時連が祖だが、末っ子の家系なのに六家の館の中では最も大きい館で、主郭は東西100~120m、南北120~130m、外堀の外郭を併せると東西400m、南北360mの広大な館だった。
熊野神社を背景に自分らの所領と寺社領を管理する。金持ちだったらしく、長床の受付ジイさんが言うところの「いろいろ出てきたよ」の出土品は、青白磁、白磁、象眼青磁、古瀬戸天目茶碗、大量のかわらけ(武士の宴に使われた食器)、すり鉢、おろし皿など。近くを流れる阿賀野川の水運を利用して交易をしていたのだろうか。
かわらけがたくさん出てきたのは城内で度々宴が催されその数も多かった証です。近隣の武士との主従の宴や、婚姻の宴が盛んに行われていたのだろうと。
すり鉢やおろし皿は麦などの粉を根って焼いたり麺にして食べていたのではないかと。素麺でも食べていたのだろうか。
新宮氏は他の佐原兄弟の系譜と争う。康暦元年(1379年)次男の系譜・北田氏を攻めて撃退され、応永9年(1402年)には当時の新宮家当主・盛俊が五男の系譜・加納氏を滅亡させたが、応永10年(1403年)に本家(四男だが・・・)の蘆名氏に攻められて落城した。
一旦は許されるが、応永16年(1409年)に北田氏が蘆名本家に攻め込まれて滅亡すると、蘆名氏は会津平野に残った新宮氏が目障りでならない。
(三男の系譜・藤倉氏は黒川に近く、早くから蘆名氏の被官になっていた)
新宮・蘆名、幾多の抗争の後、応永27年(1420年)6月、蘆名9代当主・盛政が大軍を率いて新宮城の背後にある詰の城を先に陥落させ、平城の新宮城は支えられず、新宮盛俊他186人が戦死。新宮氏は越後へ逃亡する。
新宮氏は越後に埋伏して抵抗するが13年後の永享5年(1433年)、麒麟山温泉の津川城を攻撃した時に蘆名方の四天の1家、金上盛勝に破れて完全に滅んだ。
皮肉なことに「其後会津豊穣也」・・・新宮氏の滅亡後に会津は豊穣になったという記載があるそうである。新宮・蘆名双方の争いで会津盆地が荒れていたのだろう。
下の写真、右上端に四角い窪みで囲まれた辺りを散策しました。
航空写真.jpg
一家残っています。長男の系譜・猪苗代氏が収まらない。
「本来なら黒川と同列」、「こっちが長男の系譜」という鬱屈した思いが代々続き、その後も蘆名本家にちょいちょい叛く。叛いては鎮圧されの繰り返しになる。
だが場所が猪苗代なので完全に殲滅するには至らず。懐柔しながら東の押さえとし猪苗代に置いておきたかったのだろう。それが仇となって米沢から豊穣な会津を虎視眈々と狙う伊達政宗の手引きをすることになる。

ジャン妻はとうとうくるまから降りなかった。
周辺では田んぼを焼いている。この時、あちこちで焼き田(野焼き)をしていて、喜多方や会津盆地全体が煙っていた。くるまの窓を開けただけで、「煙臭い」という始末。
焼き田.jpg
「何で焼くのかな?」
「焼くと土に養分が残るのよ」
アルカリ肥料になる。他にも理由があって、虫や菌の駆除と雑草のタネの除去。藁が残っていると翌年の田植でジャマになること。
田を焼くのは条例が絡むらしい。
まだ昼までに時間がある。蕎麦宿の朝飯は意外にズシッと腹持ちするのである。
「もう1箇所付き合ってくれ」
「いいけど。またこんな場所?」
「・・・」
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新宮長床と近くにあるもの [会津]

蕎麦宿と青空.jpg
一連の蕎麦宿記事(写真だけですが)は10月後半のものです。
せっかく遠い会津まで来ていながら、この時は蕎麦宿に1泊だけして帰京しています。
会津若松市内のビジホが何処も満室だったのです。
「何かお祭りでもあるのかな~?」(ジャン妻)
「藩公行列はもう済んだぞ。あかべぇさんとこで見たし」
「何だろう?喜多方まで満室なんだよね」
「喜多方まで?何か大きいイベントでもあるのか?」
チェックアウト.jpg
湯神の大旦那に聞いたら、「若松市ホテル取れないですか?今の時期だと何だろ?」
ちょっと考え込んでた。
「長床かなぁ?」
長床?新宮の?
「銀杏の時期になるとライトアップしたりするんですよね」
新宮熊野神社の長床は周辺は大型観光バスが停車するスペースはある筈だが、若松市内のホテルが埋まるほど混むだろうかね。
「ごご(湯野上)にいっドと他で何やっでっかわがらないんですが・・・」
大旦那も怪訝そうだった。
長床が主目的ではないが、今日はそっち方面に行く予定なのです。
その途中、若松市内で味噌を買いに寄る。前にUPした材木町の山賀家さんが(土)(日)しっかり休むようになたので、七日町の満田屋さんで買った。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-06-26
満田屋さんは観光客向けの味噌屋ですね。
若松の街ん中を走っててもそれほど人がいない。
くるまも多くない。観光バスも走っていない。
何でホテルが取れなかったんだろ?
「もしかしてこれじゃない?」
これが原因?.jpg

会津縦貫道を北へ快走。塩川ICで下りて、県道と広域農道を西へ走ります。途中、一時停止無視を監視するパトカーが待機していたりする。
熊野神社2.jpg
熊野神社1.jpg
ポケモンGOが配信されてから、新宮熊野神社境内でも夜間にポケモンを楽しむ輩が集まって来たそうです。
「ポケモンGOでの入社の人はお断りします」とある。
入社・・・会社に入るんじゃないです。社イコールやしろ(社)ですよ。境内敷地内に入らないでくれということ。
5時以降の侵入は警察に通報するとも書いてあった。
地域住民の長床保存会は、拝観が終了する午後5時以降は立ち入らないよう呼び掛けている。
これぞ長床です。
長床1.jpg
長床2.jpg
これは何に使ったのだろうか。拝殿か舞台か。
靴を脱いで上がってみる。
長方形の床にブッ太い柱が等間隔で並んでいる。数えてみたら44本だった。
四方の隅から見たところ。どこから見ても同じに見えますね。
長床3.jpg
長床4.jpg
長床5.jpg
長床6.jpg
柱と柱の間は吹き抜けで壁がない。
風が吹いたら寒かろうな。
雨が降ったら濡れるだろうな。
風雪の時期は寒いだろうな。
ジャン妻は上がって来ない。興味無さげにボケーッとしている。
つまらなそうなジャン妻.jpg
「上がらんのか?」
「いい。前に見たし」
「じゃぁ靴の番でもしてろ」
長床7.jpg
本殿に上がる階段です。結局は上らなかった。
本殿へ.jpg
上がる気なし.jpg
「ここ前に来たね」
「7~8年くらい前かな」
「そんなになる?」
あの頃は師匠・番頭さんの掲示板時代だった。
番頭さんとは私に船山温泉とこの世界に導いてくれた人です。ご実家がここ、喜多方市の何処かだったと思う。
チケット.jpgミニパンフ.jpg
しっかり拝観料を支払っています。
受付にはヒマそうな爺さんが2人いて、「宝物殿とセットだからね。見でっで」
敢えて不謹慎に書いちゃいますが、私ら以外にマトモに支払ってる人はあまりいなかったな。
拝観料大人300円は長床の見学というより、そこへ至る参道の右にある宝物殿内に展示してある文化財の拝観料といっていいです。
長床だけなら参道脇の小道を通って見に行けます。
私らの旅行は旅館直行直帰スタイルで、観光というものを殆どしないのですが、この長床訪問は久々にマトモな観光だったと思います。ですが私の主目的はここ長床ではないのです。
受付に聞いた。
「新宮城って何処?」
「ああ、新宮城はね・・・」
新宮部落案内板.jpg
案内版の左下に.jpg
新宮城1.jpg
(続く。。。)
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未来永劫変わらぬ朝飯 [会津]

朝餉1.jpg
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具がゴロゴロ.jpg
ブロッコリー.jpg
煮物.jpg
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果物.jpg

「ほらそっちの膳載せてっ!」
ジャン妻1.jpg
お茶をグビリ!
ジャン妻2.jpg
どっこらせっと!
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軽やかに回転するジャン妻!
ジャン妻4.jpg
ズシッ!ズシッ!
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狭かったらしく体当たりで襖を開けるジャン妻
ジャン妻6.jpg
廊下に出る!廊下の床が鳴る!
ジャン妻7.jpg
再び、よっこらせっと!
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腰が入っているジャン妻!
ジャン妻9.jpg
ガッシャン!
ジャン妻10.jpg
まさに立ち会いの姿勢!
ジャン妻11.jpg
ズオッ!
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再び軽やかに回転!
ジャン妻13.jpg
床が鳴る鳴る!
ジャン妻14.jpg
他の部屋のお客さま。お騒がせしました。
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麦とろ~山賀家 [会津]

神秘の湖、沼沢湖を見て若松市内へ向かいます。
「馬刺でご飯食べたい」」
「それは合わないよ」(ジャン妻)
「合うと思う。赤身だモン」
「そうかなぁ・・・」
向かった先は。。。
麦とろはビル.jpg
会津若松鐘突き通り(栄町、甲賀町口門跡の裏手)にある「麦とろ」を駐車場から見上げたとこ。
昼に珍しく先客さんがいた。カウンターに3人。
麦とろ1.jpg
麦とろ3.jpg
「あっりゃぁ~。どうして連絡くれないのよぉぉぉ」(婆ちゃん)
連絡無しでいきなり訪れて、ご主人と婆ちゃんの驚かせるのが楽しみでもあるのだ。
「どっちが運転?」(ご主人)
「こっち」(私を指すジャン妻)
「じゃぁ奥さん飲めんべ?」
別に飲んでもいいけど。ジャン妻は固辞した。
「昼飯を。お任せします。鰊と卵焼きと。。。」
「じゃぁ麦とろ定食でいい?」
看板メニューである。自家製味噌の味噌汁と、季節の惣菜が付く。
「それと馬刺ある?」
「あるよぉぉぉ」
ランチが並ぶ.jpg
とろろ。
「これご飯にかけるのもったいないくらいだね」
私はそのまま半分飲み干し、残り半分を飯にブッかけた。
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ウドの煮物。
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卵を10個くらい使って一度に焼き、切り分けた厚焼き玉子。
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鰊の山椒漬け。
鰊山椒浸.jpg
自家製味噌の味噌汁。・
会津味噌汁.jpg
キュウリと蕪の漬物。
漬物.jpg
会津坂下の馬刺。
「三大馬刺っていうんだけど。熊本、長野、そんで会津なんだよ。他はサシが入ってたり、タテガミとかと組み合わせて出すんだけど、会津は赤身なの」
馬刺赤身.jpg
飯に載せる.jpg
その馬刺をご飯に載せたとこ。
「馬刺ってご飯に合うね」
「合う合う。ビールや酒ばっかじゃないの。子供の頃、晩飯のおかずに今夜は刺身だぁって喜んで席に着いたら、また蹴飛ばしかぁって」
会津では馬刺のことを「蹴飛ばし」という店もある。
「湯野上さんでも馬刺食べたろうけど、やっぱウチの方が美味いべ?」
答えに窮するような質問をされた。
「そうだね」って言っておいた。
昼間のカウンター.jpg
カウンターの先客さん3人との会話を聞いてると、
「太田さんは3回見えられたんだ」
太田和彦氏のこと。1度目、2度目と掲載を固辞したという。
「ウチなんかより、もっと若くって個人で頑張ってる店があるんだからそっちをアピールしてくなんしょって最初は断ったのよ。そしたら翌日、山菜採りから戻ってきたらまたいてそん時も断ったんだけど、3日目にまたお見えになって。そこで根負けしたの」
太田氏の著書には若松市内のもうひとつの有名店、「籠太」も掲載されている。1日2日3日と来て掲載を申し入れる辺りは取材する側の強気、強引なとこであろう。
でもそのお蔭で、2000年に刊行された「のれんの本」を元に訪れて10数年。
食べ終わる.jpg
麦とろ2.jpg

その麦とろがおススメする会津味噌屋、山賀家、いつもネット注文してる店。
若松市内には1軒有名な味噌屋があるが、そこより美味いって。
アタマっからくるまを突っ込んだら暖簾が締ってる。
山賀家1.jpg
山賀家2.jpg
「休みじゃないの?」
「休みぃ?」
もう家に味噌が無いのである。蕎麦宿に来る直前にちょうど味噌が無くなった。近所のスーパーで買うより会津へ行く時に買えばいいと思ってさ。いつもは通販なのです。
そしたら中から女性店主が出てきた。店は休みだが中で何か事務してたみたい。
実家の分の併せて4袋買った。店が休みだから、
「レジ起ち上げるの?」
「ウチ、レジ無いんです」と言う。
手計算と手書きの伝票だった。
山賀家4.jpg
「思い出した。市内のどなたかがウチを紹介してくれたんでしたっけ?」
「そう。甲賀町の居酒屋のオヤジがね。〇〇屋よりこっちの方が美味いって」
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/archive/c2303495580-1
山賀家5.jpg
山賀家3.jpg
「土日休みにしたみたい」
「何でだろ。観光客来ないのかな」
「観光客向けの店じゃないのかもね」
地元の味噌屋らしい。会津若松市材木町1-8-13、最寄駅は西若松駅。コの字に曲がった日光街道沿いです。
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沼沢湖 [会津]

ジャン妻は湖が大好き。
「何で海より湖が好きなのさ?」
「静かだから」
「海はうるさいかい?」
「海も嫌いじゃないけど。どっちかって言ったら滝と湖」
「でも湖って閉ざされてるじゃないか」
「それがいいのよ」
果てしなき海より対岸の見える湖がいいそうで。そこに山々が映えれば尚いいとか。ダム湖より自然の湖がいいそうである。
会津の湖は猪苗代湖、裏磐梯の桧原湖他、それらは観光地やレジャーのイロあいが濃厚。
でも会津に未だ行ってない湖がひとつある。
沼沢湖。。。
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沼沢湖2.jpg
この湖に行くには会津田島から西へ走って大川を渡ってすぐ左折、国道400号線(田島バイパス)を北上する。
左折してすぐに福島県南会津病院があって、門前に大手の調剤薬局さんが2軒あった。医師や薬剤師の確保がタイヘンそうである。
弊社も地方都市への派遣、赴任で候補社員との派遣条件を整備するのがタイヘンそう。行くのがイヤな為に理由にならない理由で断って来る者もいるからね。
「会津田島だったら転勤してもいい?」
「いいね。しばらく住んでみたいもの」
住むからには鴫山城、長沼氏、祇園祭り、天領だった頃の騒動、山の向こうにいた河原田氏、鶴ヶ城開城後も戦火が続いたこと、いろいろネタに事欠かなそうである。まぁこっち方面への転勤はまずないと思うけど。そんな妄想しなあら運転して気付いたのは、今走ってる田島バイパスが私のナビに表示されない。
田島バイパスになるまでは、自動車が行き違いできないくらいの狭い区間があったり、冬場にはクローズされるので病院まで搬送されるのに会津下郷町方面へ迂回せざるを得ず、搬送に1時間~90分かかっていたそうである。他に田島ダム建設もあって現在のバイパスに付け替えられたとか。
右手に田島ダムを過ぎてから大沼郡昭和村に入り、辛うじてセンターラインが引かれた1車線舗装道路を快走する。信号もない。
「猿でも出そうだな」
ジャン妻はイヤな顔をした。
前に南会津の伊南へ走った時、国道352号線の路肩に数匹の猿を見たことがある。
給油したスタンドで聞いたらその辺りは猿が多く、日常的に猿に出くわす、猿が畑を荒しに来る、出逢ったら威嚇されるはしょっちゅうだそうで。
伊南は猿もいたが人もいた。今、私が走っている昭和村は伊南より人が少ないうように見受けられる。伊南、伊北には只見川に注ぐ伊南川が悠々と流れ、護岸工事関係の作業車や作業者が多いからかも知れない。
新しい道を快走してたら突然、細くなったりする。
「これでも国道だよ」
「ホントだ」
「農道を拡張したようにしか見えないな」
「でも何かで見たけど、国道なのに階段ってのがあったよ」(階段国道のことか?)
大沼郡は三島町、金山町、昭和村、会津美里町とあって、昭和村や金山町は高齢化率が54.8%に達し、イヤな表現だが限界自治体となっている。私も行ったことのない群馬県南牧村に次いで全国2位の数値。
「若者がいないな」
「・・・」
田んぼや路傍で農作業に従事しているのは高齢者ばかりである。
「コンビニもないな」
「・・・」
営ってるのか営っていないのかわからない雑貨店があったりする。でも私の知ってる群馬の田舎の比じゃないです。
ジャン妻はナビに表示された目的地までの距離を見て、
「まだ30kmもあるの?遠いね」
蕎麦宿から70kmぐらいだったから半分は過ぎたことになる。一般道の70kmは都心だと遠いが、何しろ田舎だし、信号もないし。すれ違うくるまも少ない。
後ろから走って来た1台のバイクを先に行かせたのだが、道の駅昭和を過ぎたらまた同じバイクが後ろから追いついてきて、1度ならず2度も同じライダーに、「先に行けよ」になったりした。
文章ばかりで沿道の写真が無いのは快走運転が続いたのと、あまりポイントになるものが散見されず同じような長閑な緑の景色が続いたからです。途中、昭和温泉、玉梨八町温泉といったプライベートリゾート地とは程遠い温泉地があったので、玉梨八町温泉の恵比寿屋をリンク。
http://www.ebis-ya.com/meal.php
鰊山椒浸、山の刺身(蒟蒻、湯葉、玉梨豆腐)、揚げ蕎麦の野菜あんかけ、塩クジラ(すいとん汁)、金鮎、
黒豆、黒米、ヒジキ、ジュウネン、シシ茸、殆どブツ切の馬刺。。。
こういう料理にソソるようになったのは、「普段、都会で美味いモンばっか喰ってるからだんべ」(明日UPする居酒屋の店主)
さっきからダラダラ文章が続いていますが。まだ走るんです。国道400号(何だかキリのいいナンバー)は酷道でも何でもないが、この先のフェアリーランド金山スキー場(今シーズンは奥会津と思えないほどの雪不足で、3月末にはクローズしてしまったとか)の辺りを右折、県道237号線小栗山宮下線に入る。
県道は険道ではないがヘアピンの連続なので、くるまに酔う人は止めた方がいい。
フェアリーランド金山スキー場を右手に見て、幾つものヘアピンを過ぎて、湖畔からちょっと離れた内陸を通る1本道を走行。キャンプ地方面へ入る。
そこに集落があった。
ここに来るまであまり賑やかな集落や人を見なかったので多少は安堵したりもする。
前にクール宅配便がいて、私らを先にやり過ごしたのだが、
「ここまで来て不在だったらどうするんだろ?」
「近所の誰かに預けるんじゃないの?親戚も少なくないだろうし」
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長閑なものである。
「アナタ、沼はどうなの?」
「沼はイヤ」
何か出てきそうだと。でもこの沼沢湖は沼沢沼と称されたものもあったぞ。
「だって大きいよね」
大きい。最深部は90mほどもある。この沼沢湖、実は火山地形でカルデラ湖なのだ。外輪山がある。
今から約4万5千年前と、5400年前に大規模な噴火があってこの湖ができた。その程度の年代でも新しいカルデラ湖だという。沼沢火山とも。
湖水面高約475m、面積約3.1km2、水深約96mである。カルデラは直径2km×1.5kmあって、2003年の活火山見直しで新たに活火山として認定された??
活火山なのか??
沼沢湖4.jpg
釣り人がいる。
湖といえばヒメマス。あの東電福島第一原発事故の影響が少なからずあって獲っちゃダメだったそうだが、食品衛生法上の基準値が下回り、ので平成28年4月9日から解禁した。
刺身で喰ってみたいですね。でもそんなに長く禁漁だったせいか、キャンプ場の売店2階にある食堂もクローズしていたぞ。
「シラサギでも釣ってるのかな?」(ジャン妻)
「シラサギ??」
「違ったっけ?」
「シラサギ(白鷺)ではなくワカサギだろ。鳥を釣ってどーする」
「・・・」
沼沢湖5.jpg
沼沢湖のすぐ北、外輪山を越えたらそこには只見川が悠々流れている。あまりに近いので湖面と只見川との落差を利用した揚水発電所がある。その取水口の跡があった。
取水口跡2.jpg
取水口跡3.jpg

沼沢湖6.jpg
沼沢湖はそこへ至るに遠く、道も狭く、急なヘアピンの連続が功を奏してか、ミーハー客が訪れるレジャー観光地としての色合いはゼロといっていい。
かろうじて妖精美術館・・・だったかな?伊豆高原辺りに散見されるアヤしい施設があるようだが、湖畔の道にその美術館を示す道標も朽ちて落ちていた。
「まだ先へ行く?」
「もういい。満足した。戻ろ」
「あの山を背景に撮りたい」
「・・・」
沼沢湖9.jpg
ジャン妻は無言だが、私がその山を収めたい理由は通じたらしい。
何だか岩櫃山に似ている気がしたから。
その山を写真に収めたら。。。
沼沢湖11.jpg
???

ジャン妻はここまで走って来たあのカーブ続きの道をまた戻るのか?という表情である。
沼沢湖jは湖畔を1周する道はない。そのまま行ったら会津水沼方面へ抜けると思われるが、県道237に戻り、来た道を戻るのではなく北へ。
まぁ言語に絶する物凄い急坂のヘアピンを下るんですよ。前述のように沼沢湖は火山湖なので、只見川との比高差がかなりあるのです。只見川流域から見上げた山の上にある湖と言ってもいい。
只見川と並行する辺りの道は狭く、宮下ダム辺りの1本道に出たら右手に只見線の路盤がある。今はここまで1日に何本走っているのだろうか。
三島中の辺りで国道252号(何故か沼田街道ともいう)に合流。そこでようやく道幅が広く路面がキレイになり、会津坂下方面から若松市街へ向かった。
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変わらぬ素晴らしさ [会津]

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朝の散歩の続きですが、蕎麦宿と同じ通りの民宿すずき屋さんの前、斜面に架けられている古いガーダー橋にちときになる箇所を見つけた。
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プレートガーダー橋がかなりくたびれてきてないか。
中間補強材(縦板)とカバープレート(下部)の結合部分や、ソールプレート(桁端の縦板)とシュー(橋脚との結合部分)がサビサビ。枕木の一部も腐って割れてるじゃん。
大丈夫だろうか。
大丈夫かこの枕木.jpg
そんなことを考えてたら、会津田島方面から湯野上温泉6:46着の会津鉄道が来た。
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キタ2.jpg
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まぁ首都圏の在来線と違って運行本数が極少で、編成も短いから、橋梁、橋脚にかかる負担が少なく、一瞬で済むのかも知れないけど。何かあって、只見線のようにならないか心配である。
会津鉄道も野岩線も何処か牧歌的でユルい。ちゃんと保線、点検、交換、メンテナンンスしてくださいね。
この後、昨日発見したインクラインを見て、対岸を走る会津鉄道を撮って、宿に戻って朝餉の前に朝湯。
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ジャン妻が、旅館の朝餉の理想、とベタ誉めの朝餉。
朝餉1.jpg
朝餉2.jpg
根菜たくさん。蕎麦がきの味噌汁。
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鮭ではないです。鱒の塩焼き。このブ厚さ。
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「この煮物は夜がいいなぁ」(ジャン妻)
前は夜に出されてたのですが、全体量が多く食べ切れないお客の方が多かったようなことを聞いたことがあります。
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朝餉6.jpg
朝餉7.jpg
ゴテゴテしたデザートはノーサンキューな私ですが、この宿のフルーツは大好き。
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チェックアウト前、宿裏を走る最後の会津鉄道。
MTEX2.jpg
MTEX1.jpg

朝の蕎麦宿2.jpg
今年の夏でまる20年のお付き合いになった。
過去には大雪で帰り道に難渋したり。
宿で怪我して女将さんの運転で会津下郷の病院に搬送されたり。3針縫った。その晩だけ囲炉裏に火が炊かれ、鴨の焼肉を喰ったり。(造血剤か?)
初めて2泊を申し入れした時、若干困ったような口調で、
「同じもの(食事)でもいいですか?」(大旦那)
「同じものでも飽きないけどね」(ジャン妻)
私らは変化を好む方ではないので、「いつもそこに行けば必ずある」、これが大事なのです。
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謎のインクライン [会津]

翌朝目覚めたの5時半ですよ。
宿裏手を走る会津鉄道始発の踏切音の前、若松方面の始発が5:53に湯野上に着くのですが、宿裏の踏切がカンカン鳴る前に目覚めてしまった。
我ながらジジィになったモンだ。
前夜の酒が足りなかったのかな。
目覚めたとこ.jpg
傍らでジャン妻は爆睡している。
朝餉まで時間があるし。ウトウトしてもすぐ目覚めてしまう。こういうのうを断続睡眠というのだろうか。
これが平日だったら日中の公用外出途中で居眠りして取り戻せるのだが、今日はある湖を見に行って、昼は若松市内の居酒屋で済ませ、会津味噌を買って、その日のうちに帰京するから寝ておきたいのだが。
結局あまり寝なおすことができず。
7:00過ぎに宿を出て散策へ。
外に大旦那がいた。
「散歩ですか?」
「うん。すぐ戻ります・・・」
民宿街を歩いて会津鉄道を撮影するビューポイントを探してみた。
なかなかいいポイントが見つからない。
たんぼのあぜ道を突っ切れば恰好のポイントがあるかも知れないが、田んぼだって私有地だし、今は田植えの時期だし、そこをズイズイ行くのも躊躇われる。
モラルを優先して断念。民宿街を抜けたら湯野上ホテルの先に下郷町営住宅へ下り道があった。
対岸が遠いな。
対岸を行く1.jpg
対岸を行く2.jpg
大川の谷合にヒョーッと響く。
桟道のような路盤を、湯野上7:35発の会津田島行がゆっくり走って行く。
対岸を行く3.jpg
朝日の逆光もあって、あまりいいフォトではないな。で、その撮影ポイントに、簡易的な軌道があるのを発見した。
インクライン.jpg
何だろう?
小さいながらもしっかりしたレール、路盤が斜面の角度、法面にピッタリ敷設されている。
見下ろす1.jpg
見下ろす2.jpg
軽便鉄道762mmのナローゲージではないだろうか。
軌道幅(ゲージ)は狭い。レール規格も小さい。この場所だけで完結しているので、軌間は何でもいいともいえるが、規格を合せるのは汎用品を使えるからでしょう。
小さい軌道.jpg
ケーブルカー?
いや、違いますね。これはケーブルカーではなくインクラインですな。Incline(傾斜)です。山岳地帯での材木の輸送、ダム工事現場での資材、機材の輸送などに用いられる。急斜面で工作物や資材を上げ下ろしする貨車、台車のようなもの。
台車にはケーブルが装着されていた。そのケーブルは車止めの先にある物置小屋をこじ開けて、切り開いた四角い穴から出ていた。
中で巻き取っているに違いない。巻き上げて運転する鋼索鉄道ですな。これで引っ張らないと急斜面を一気に滑り落ちて滑落してしまうだろう。
小屋から.jpg
小屋には作業実施前の注意書きがあって、
始業点検の実施。
制限荷重1000kg
運転市からの離脱禁止
所定場所に格納
係員以外は運転禁止
管理所持は湯野上発電所とある。
作業時の注意書.jpg
湯野上発電所?
それはここより西の大川上流、会津下郷駅すぐ近くに大川を堰き止めて水がたまっている場所があって(旭ダム)その辺りではなかったかな。
そこの発電方式は水流の落差で発電する水力方式の筈。この辺りも大川まで相当な傾斜があるのでミニ発電所があるのかな。
台車1.jpg
これを見ると台車そのものには動力はなく、小屋に電気を引いて、その動力ケーブルで上げ下げする台車なのは一目瞭然である。
台車は進行方向前部に丸棒の手すりがくっついているだけでサイドや後方には何もない。
よくある旅客用ケーブルカー車内は斜面に合わせて階段状になっているか、この台車は平たいままなので走行中は傾斜に対して床が水平にならないのだ。
畳2/3ほどのベタッとした底板だけ。何を載せるのだろう?
台車が置かれている辺りはもちろん平坦部である。私もそこで立って観察している。この場所で積荷を載積しても、稼働して斜面に至ったら斜めってしまい、積載物がズリ落ちてしまうのではないだろうか?
積荷はロープで縛るのだと思う。幌が畳んであるし、台車脇には幌を引っ掻けるフックもある。
台車2.jpg

黒い鉄柵.jpg
立ち入り禁止.jpg
その先、斜面に至る辺りは黒い鉄柵で侵入を拒んでいる。
傾斜角度はわからない。20度くらいか?
下に何かの施設.jpg
下流の彼方に何かの施設がある。そこは大川の水面か河原と同じ高さだろう。そこまでの落差は70mほどありそうである。
その施設に下りる道が無いのでこういうものを作ったに違いない。
鉄柵越しに1.jpg
レールもそれほどサビていないので、時折稼働しているのではないか。
鉄柵越しに2.jpg
そういえばこの鋼索ケーブルは遥か下流まで延びていない。この台車の尻尾で完結している。なので一般のケーブルカーのようにケーブルの両端に車輌が付いていて、井戸の釣瓶みたいに一方の車両を巻き上げてもう一方を下ろすヤツ、交互に稼働するものではない。それだったら上流から下流までケーブルを通し、途中の中間地点で複線にして行き違い交換施設を設けなくてはならない。単線2両交走式という。
鉄道事業法の免許は受けているのかな。遊園地の遊具や旅館内のエレベーターとも違う。あくまでこの場での作業用に敷設されたもの。
台車3.jpg
果たしてこれは何を運ぶものなのか。
旅客用ではない。何か発電所か河川管理の資材を運ぶもの。
人は乗れるか?乗るとしたら工事関係者に限られるが、手すりにしがみつけば乗れなくもないが、軌道脇に階段が併設されているから下りる時は階段で下りて、上って来る際に乗るのかも。
でもあくまで台車は荷物を積載するもので人は乗らないと思うな。荷物を台車に載せ、安全上、作業員は脇の階段で昇降するに違いない。
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蕎麦宿 [会津]

蕎麦宿の夕餉TIMEは宿入りした際、「食事は6時に・・・」と言われますが。
そのサインは各部屋のコール音が鳴るのでもなく、伊豆高原のように湯が突然途切れる荒業でもなく、そろそろ夕餉だな・・・の雰囲気が醸し出される。
廊下に突然ドスドス足音がして慌ただしくなるのは最初にお膳を運ぶ大旦那の足音。
もう幾度となく載せ、同じような写真ばかりですが。
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おそらく会津坂下の馬刺??
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蕎麦豆腐にかかっているソースは、キュウリをすり潰したもの??
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最初の膳の後はひとつひとつ運ばれる。
今宵はもよ教職の女将さんが運んできた。
蕎麦粥に鶏肉が載っかってたが、これは要らないなぁ。
臭みが出ちゃうんだよね。
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そして蕎麦宿名物、蕎麦サラダ。
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グチャグチャに混ぜてみる。
「汁、全部飲んでいい?」
「ダメ」(ジャン妻)
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「生ビール飲んでいい?」
「いいけど」(ジャン妻)
既に日本酒に移行してるんだけど。
「え、生ビール?」(女将さん)
蕎麦サラダには生ビールが合うのだよ。
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養鱒公園の岩魚??
腹に味噌がマブしてある。
昔はアタマっからガブッといったものだが、今はアタマだけ残して他をタイラげます。
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定番、蕎麦稲荷。。。
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最初は「巣篭り」といった揚げ蕎麦は、蕎麦が少なくなり海苔で束ねられた代わりに、里芋を潰して蕎麦実をまぶして揚げたもの(定番)、蓮根に蕎麦粉を詰めた揚げ物(これは素籠りとは別物だった)、そして、海老!!
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〆のざる蕎麦。
この斜めってる雑な置き方したのは女将さん。(笑)
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囲炉裏で少し寝酒を含んで、眠りに落ちる前、
「女将さんて料理すんのかな?」
「さぁ。宿の料理は旦那さんと若でしょ」(ジャン妻)
「洗い物くらいはするよな」
「するよ。見たことあるもん」
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こうやって並べるといつも同じようなものばかりですがそれがいいのです。
ここへ来ればあれが喰える、それでいいの。
それでも消えてった幻の料理があって。
蕎麦の実の酢の物。旦那さんが砂糖を入れ忘れてから出ていない。酸っぱいのは苦手だからいいけど。
蕎麦ぜんざい。甘いの苦手だからいいけど。
蕎麦を海苔で巻いて軍艦巻きにして揚げたヤツ。確かウニが載っていたような。
鯉の洗い、岩魚の刺身、鱒の刺身。。。
煮物は朝餉に廻ったし。。。
揚げ蕎麦を大盛りで喰ってみたいなぁ。
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蕎麦宿 [会津]

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私らが入籍・挙式した平成3年の2年後、蕎麦宿はOPENしています。平成5年です。
初訪は平成8年の夏だった。現在のようにネットが無い時代だったので東北の民宿ガイド本に載っていたのです。その内容を見て、「この宿は自分を呼んでいる」って思った。
大旦那が前職を辞めて宿を開く、これは女将さんに何の事前相談もなかったそうで。
「いきなりですよ。辞めたから、民宿やるからって。」
「宿の敷地は畑だったの。宿の図面も自分で引いてましたね。この辺の民宿は部屋に風呂がついてないから各部屋につけちゃえって」
「大内さん(大内宿)の親戚のとこへ料理習いに行ったのも辞めてからですよ」
教職にあった女将さんもいつの日からか渋々?宿に立つようになった。やや諦めたような口調で、「自分の伴侶が宿を営るって決めたことですから・・・」って言っていた。
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最初の頃は3部屋だった。当時の宿泊費は1万円しなかったですね。
大旦那1人できりもりしていたので、各部屋に内湯を引いて、部屋に布団敷きっ放し(現在、4部屋中、3部屋はベッド)、部屋入りしたら食事まで全く構わず、喰い終わったお膳は「廊下に出しといてください」、下げたら母屋に引き上げて後は朝まで放ったらかし、この「客を構わない気を遣わないスタイル」は大旦那がひとりで宿をきりもりする為の苦肉の策、逆説の発想から生まれたのである。
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4部屋にする前は、「まだまだ借金も返さなきゃならないし。もう一部屋作ろうかと」
「銀行が金を貸す場合、後継者がいるかどうかが重要なんです」と言ったのは甲斐南部のT館長だが、後継者はいます。宿を開いた当時は子供だった若が宿に立つようになった。
私の知る限りで大旦那は過去に2回ほど怪我をしているのだが、①雪かきで屋根から落ちた、②鶏舎へ向かう途中で転倒した・・・、その事件の時に若が堂々と厨房に立っていたのは、いつも同じ蕎麦懐石なので見て覚えたとか。
震災の風評でいっとき客数が減ったらしいがまた盛り返してきた。
今日も満室である。
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「またエアコン変えたね」
「年中稼働してるから故障したんじゃないか?エアコン入れる?」
「要らない。扇風機でいい」
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会津の山々から滑り落ちる自然の風が更級庵を吹き抜けていった。
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5月後半ですが、会津湯野上の温度差は大きく、日中は暖かくても夜朝は意外と冷えるのである。
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最初は熱いけど、部屋の窓を開け放しにしておくと外気温で冷えてちょうどいい湯加減になってくる。
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時折、宿の裏手を会津線が走る。
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現在唯一、畳の上に布団敷きの、更級庵でゴロ寝の目線。
決して近くない会津湯野上で、贅沢なくらい退屈な時間が過ぎて行く。
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18時10分前くらいから厨房、廊下が慌ただしい雰囲気になってくる。
各部屋前の廊下を大旦那がドスドス歩く地響きがしたらそれが夕餉の会津・・・いや、合図。
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エラー [会津]

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アハハハ(笑)。
大笑いしちゃったよ。
でも若松駅も粋なことをする。
いっそ、車内に食堂を設け、ハーフサイズの喜多方ラーメンでも配ったらいいのにね。
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蕎麦宿の朝 [会津]

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目覚めたとこです。
窓際に触れたらそこだけ冷気が漂っている。
外に音がしない。もしかしてと思って障子と窓を開けたら小雪がパラついていた。
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今頃降るなよ。
今日は帰るんだぞ。昨日のウチに雪がシンシンと降ってりゃ気分が高揚したのにさ。
あ、もちろん軽くエアコンが入ってますよ。そういう暖房機器が無かった昔は寒いのがアタリマエだったんだろうな。会津人を含めた東北人の口が重くなる訳である。
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朝イチの内湯は42℃だった。
一晩窓を閉めてたからやや上がっている。でもその状態で42℃か43℃でも冬場は窓をしばらく開けておくとすぐ41℃くらいになる。
20年以上通っているのに未だに私は温度調整が下手で夏場なんか水をジャバジャバ入れたりしてた。ぬるくなってしまい(アタリマエだが)熱くなるのに時間を要するのです。
窓を開ければ外からの冷気で湯が自然に冷め、閉めたら自然に熱くなるのがようやくわかってきた。そういうのを会得するのに20年もかかった訳である。少しだけ開けて上がった。
後から起きて来たジャン妻が朝風呂に入って言うには、
「窓を開けっ放しにして寝たのっ!!」
「???」
「窓が開いてたけどっ」
「ああ、あれは俺が今さっき入って出る時に開けたんだよ」
「ホントっ??」
疑ったなコイツ。ホントだって。ホントだってばっ。
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そのクセ朝餉が運ばれたら、「これぞ宿の朝ごはんだわ」とご満悦である。何しろ甲斐南部の某F温泉で、廊下のセミバイキングにご飯を取りに行かせるのをハンストしたくらいだからね。
お櫃を開けたジャン妻が固まった。
入ってたご飯が多かったのである。
「多いな。2人で2杯分あるよこれ」
2杯喰えばいいだけのことだろうが。
「食べれそう?」
「大丈夫だと思うけど」
あっさり完食である。でもそのおかげで、帰りの車内昼と、ジャン宅に戻ってからの夜飯は寂しいものとなった。
ホントはこの記事、右手に箸、左手の茶碗に山々と白米を盛ったジャン妻の顔ナシ写真を載せて、「モッソウ飯(※)を喰らうジャン妻である」ってやろうとしたのだがどーしても掲載許可が出なかったのだ。「そんなのを載せたら・・・」脅しが入ったのです。
お見せしたかったな。それくらい兎にも角にも飯が多かったのです。
(※)物相に盛った盛り切りの飯。牢獄で囚人に与えた飯のこと。モッソウとはご飯を盛り上げるカタチのこと。
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9:30の上りでアッサリ帰京することに。大旦那に駅まで送って貰った車中で、
「湯神さんに次いで人気のある宿ってどれです?」
後で我ながらなんちゅう質問をしたのかと。
「・・・(やや沈黙の後)・・・紫泉さん、旅行会社と提携したいなりやさん、星乃井さんかなぁ。でもお客さん来ても入ってるように見えないんですよね」
人があまりいるように見えない。それが湯野上温泉街の特徴でもある。
「予算取って温泉開館を開いてぇみたいな話もあるんですが、そういうのを国の補助金で造っても、人を雇ったり、経費や修繕費(維持費?)、復興予算をどうこうって話になるんじゃないかなぁ」
紫泉さんは私の師匠だtった番頭さんが行かれています。近年、一部、リニューアルしたようです。
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私は湯野上温泉駅の中は煙いので外にいた。
風情は否定しないが駅舎の中にいると目が痛いです。皆さんよく平気ですね。あの中で寝泊まりするのを厳禁なんて貼り紙があったのにオドロいたけどね。
「あんなに煙くするんなら、燻製でもすればいいのに」
「???」
「チーズとかタラコとか。会津地鶏の燻製とか。ナッツでもいい」
「あの炭のニオイと煙じゃぁ燻製は無理よ。香のする葉っぱ、チップで燻すんじゃないの」
「???」
「屋根に木組みがあって、その上に竹が渡してあるんだけど、あれが炭の煙を吸って頑丈になるのよ」
「???」
「昔ながらの茅葺屋根ってそういうものじゃないの?」
「何でそんなこと知ってるんだ?」
「駅にいたどっかのオバちゃんがそう喋ってたのが聞こえたの。地元の人じゃないかなぁ。駅の女性が、これって丈夫なんですよって言ってたからさ」
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上着に付いた煙のニオイが消えず、この旅の後、出張先のドーミイン高崎の部屋に常備してあるリセッシュを噴きかけてようやく消しました。
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いつも変わらぬ蕎麦懐石 [会津]

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いつもいつもいつ行っても基本ベースは変わらない偉大なマンネリワンパターンの夕餉である。
私は食に関しては変化を嫌うので、いつも同じものでいい、変わらないからいい、変わらないで欲しいと切に願う頑迷固陋な保守派なのである。
そこに行けば必ずこれがあるというのは大きな武器ともいえる。いつも同じもので飽きが来る人、行く度毎に新しいものを期待する方にはこの宿は向いていない。
(連泊でもしない限り。。。)
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これまでは予約確認時に、「馬刺お願いしますねぇ」とイチイチ言っていたのです。自分で予約したのをいつだったか忘れるのもあって。
20年以上通ってるのにいつも「馬刺ね」と言っていたのですよ。
ところが今回は言うの忘れちゃった。初めてのお客さんや、馬刺はあるのを知ってて言わないと、フツーにマグロの赤身、ホタテ、甘海老なんかが出されます。
馬刺が苦手な人もいるしね。
「シマッタ。今回馬刺を言うの忘れた」
「大丈夫でしょう。いつもそれでとおってるんだから」
「湯神のマグロの刺身って美味しいよ」
「・・・」
「海の無い会津はマグロとかが御馳走なんじゃない?」
「何で今回言わなかったの?」
「・・・」
「黙っても出るかどうか試したでしょ」
「いや、さようなことはないのだが・・・」
でもフツーに馬刺が出ました。
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この宿はイチイチ料理の説明とか無いですからね。
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ホウレンソウの・・・何だこれ?
「軍艦巻か?」
「軍艦巻は上に何かネタが載ってるでしょう。海苔巻よ」
これは途中で食い千切ろうとしても絶対に無理。どんな口の小さい人でも一口で放りこむしかないです。

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大好物な大根の漬物。
塩気が薄く、何ていうのか甘めの漬物です。柚子でもない。
全部平らげずに囲炉裏端二次会にとっておいた。

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「12月に梅が咲いたんです」(大旦那)
「梅が?12月に??」
「もう狂い咲き」
「それって2月にまた咲くんですか?」
「う~ん・・・12月に全部咲いたわけじゃないから。幾つかは咲くでしょうけど」
それだけ言って襖を閉めて廊下へ出て行かれた。
「梅の実生るのかな?」
「2度咲きするだろうか」
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「この細くて白い野菜は何だ?」
「さぁ・・あれだよあれ・・・ええっと・・・カタカナの・・・」(ジャン妻)
「エシャロット??」
「でしょ」
違うと思うな。エシャロット(冬ネギ)はもう少し太いぞ。
大旦那さんが現れたので聞いてみたの。「何ですこの野菜は?」って。
「そ・れ・は・あさつきです」
「あさつき??」
「山菜です」
甲斐南部で出される山菜、野蒜(ノビル)に似ている。
山菜だけど、山の中に生えるとも限らない。人目につくところや人家にも自然に生えるので雑草と間違われやすく、除草剤や農薬でヤラれちゃうことが多いとか。
小さいネギのよう。僅かに辛味があり風味も効いている。香りはネギです。

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蕎麦サラダをグチャグチャに和えて油そばのようになってしまった。
マヨネーズの漂う残り汁をズズズッと飲もうとしたらギロッと睨まれたよ。
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蕎麦粥は熱々。
これを丼とは言わないが、茶碗かお椀でズズズ~ッといってみたいもの。
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岩魚塩焼は10数年前まではアタマっからガブリッといったものだがなぁ。
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揚げ蕎麦は海苔で束ねたバージョン。
ベテランの域になって頭髪が薄くなったけど無理に結った力士の髷みたいである。
「ポン酢が多いな」
「そうね。あっ(ポン酢を)飲んだわねっ」
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ひんやりした蕎麦稲荷は熱燗にアウのだ。
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雪見酒を期待して来たのだが、雪が無い会津湯野上の夜が更けていく。
「会津は雪が無いと寒いだけなんです。雪がある方が(気持ち)暖かいんですよ」
大旦那もそういう台詞を言うんだぁ!!!!!!
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蕎麦宿は只見線応援団 [会津]

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1月なのに会津下郷、湯野上温泉に雪が無いぞ。これだったら余裕でくるまで来れたじゃないか。
「これじゃぁ会津じゃない」(ジャン妻)
「女将さんが週明け辺りから降るって言ってたけどな」
歩いて行くことにした。
「W酒店にツケは溜まってないだろうな」
「大丈夫。昨年支払ったから」
酒店と7-11に寄ったら歩道ができていた。
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「冬じゃないみたい」(ジャン妻)
「雪が無くって困ってるんですよ~」(大旦那)
雪が無いと大内宿に客が来ないという。大内宿には宿泊できる民宿は3軒。(山形屋、本家扇屋、伊勢屋)
大内宿に行く客が湯野上に泊まるのです。
部屋に案内されながら、「○○さん(私のこと)、只見線応援団ってお願いしましたっけか?」
「只見線応援団?いや、知らないです」
「前にウチに泊まったのいつでしたっけか?」
「8月だったかな」
ジャン妻は忘れてやがる。前回来たのは10月末です。
「8月だったら未だやっていなかったかも。只見線の復旧に絡んだ会員加入と商品券の発行プランなんですよ」
2枚の紙を渡された。2011年7月の新潟福島豪雨で、現在でも会津川口~只見間の27.6kmが不通の只見線応援団「賛同会員」加入申込書と、商品券受領確認書です。
それにはこうあった。
「只見線応援団宣言 私は只見線応援団の一員として、JR只見線の早期全線復旧を応援するため、次のことを宣言いたします。
1.福島県と二院が他県、さらには首都圏を結ぶ只見線が、紅葉や雪景色など美しい景観に恵まれた日本の宝であることを全国に伝えます。
2.只見線を積極的に利用することを心がけ、一日も早い全線復旧を応援します。
3.会員が相互に連携し、全国の皆さんにも幅広く支援を呼びかけます。」
平成23年7月の新潟福島集中豪雨災害で不通になった只見線の復興支援ですね。
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「あれって橋が4つ流されちゃったんでしょ?」
只見川を渡る第5、第6、第7、第8橋梁が流された。
「もう地元だけではダメなんで・・・」
だろうな。只見線の沿線住民は少ないし、地元自治体だけでは負担できないだろう。
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私は只見線に乗ったことは無いに等しく、2008年11月に何故か会津坂下から会津若松まで乗ったことがあるだけです。この世界に入る前なので何しに行ったのか全く覚えてない。
会津坂下から只見川に沿って田子倉まで走ったことがある。途中でガトリング砲の河合継之助記念館に立ち寄った。只見川の水面に川霧が発生していたのを覚えている。
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だが現実は厳しい。不通区間は代行バスが走ってはいるが利用者は減った。
大人の小探検隊、たからった氏が只見線不通区間を調査されえている。それによると代行バスの1日利用客数は40人程度だそうである。
http://blogs.yahoo.co.jp/takaratta1152/folder/776438.html
(氏から許可を得ました。)
只見線そのものは復旧工事が全く行われていない。鉄路は錆び、雑草が生え、このままだと自然に還っちゃうよ。
この災害は同年3.11の東日本大震災の陰に隠れた感もあるが、いつまで経っても復旧しないのはJR東日本社が黒字経営だから。黒字会社に災害復旧援助は適用されない。
幾らかかるのか。JR東日本は2013年に会津川口~只見間の復旧費用が85億円、着工から復旧までの工期が4年以上と試算している。
黒字だからってJR社単独での復旧工事はしないだろうし、実際やる気はあるのだろうか。このままだとホントに廃止になったりしないだろうか。
復旧は困難だというが困難は不可能ではない。要は金を負担できるかどうかです。復旧費用を福島県や沿線自治体と負担について協議しているらしいが、金山町での住民説明会では福島県と沿線自治体から工事費の1/4負担を提示したという。
85億円の1/4だと20数億円である。県外から人が集まる旅館業界に支援依頼が来るのは当然で、会津で加盟した宿は湯神を含めて90宿。
只見線沿線の只見町9宿、金山町3宿、三島町5宿、昭和村3宿、柳津町9宿、会津坂下町3宿、会津美里町3宿、
会津若松市内16宿、会津下郷町10宿、南会津町23宿、檜枝岐村6宿。
下郷町の加盟旅館はつるや旅館、ホテル大島、有名な星乃井、えびす屋、みやもと屋、白い壁に黒い柱の山県屋、塔泉閣、新湯、そして蕎麦宿湯神、大内宿の山形屋です。
http://okuaizu-ouen.jp/
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「地元でなく、他所の人で観光で行く人、行ったことのある人の方がじゃぁ出そうっていう気になるかもね」
「加入すっことで受けられる商品券は2000円です。2人で4000円・・・」
私らは加入したさ。2人分の4000円を私らが何処でどう使ったと思います?
ご想像にお任せしようかと思ったのですが、まぁ書いてしまいましょう。加盟して得た2000円の商品券2枚=4000円を他で使わず蕎麦宿で使ったという訳ですよ。ハッハッハッ(笑)。
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そしたらここ数年で最も安い宿泊費になった。それを大旦那は復興基金に廻す?それだと宿の儲けが減ってしまったね。(ジャン妻はそうじゃないと言う。)
でも私は20数億円分の4000円を寄付したに過ぎない。
85億円の1/4に届くのはいつだろうか。
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無尽のこと [会津]

もうシーズン過ぎてますが、10月末の会津行、途中の紅葉です。
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夜は若松市内のこの店へ。
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若松市内でも有名な店です。私らとも10数年のお付き合いですな。
おとおしは青菜の白和えと漬物。
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椀ものはけんちん汁。
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けんちん汁2.jpgけんちん汁3.jpg
厚焼き玉子。卵を10個くらい使って豪快に焼き上げ、それをブツ切りに。
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馬刺(赤身)
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会津の代表的な保存強度料理、鰊の山椒漬け。
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ニシンを甘辛く煮たもの。これほどヘルシーな居酒屋って他にないんじゃないか?
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キンピラ
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ヒラタケのバター炒め。
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どこかで採ってきたヒラタケ。
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「今年熊出た?」
「そんなに出なかった。去年はよく熊が出だってニュースでやってたけど」
「猪は?」
「会津に猪はいなかったんだけど郡山の方から逃げて来てるんだよね」
会津に猪はいなかった?
会津若松市は大戸町、湊町、門田町、河東町、磐梯町辺りにツキノワグマが出ており、近年は里山の住宅地に下りてきている。熊の生息域と人間の生活圏が混在している地域で偶発的に出くわす。
でも意外にも猪は平成24年末頃までは生息が確認されなかったという。原発以降福島県の東の方から西へ逃げて来てるというのである。会津若松市では大戸町、湊町、 東山町で確認されている。
「婆ちゃんは熊見たことあるんでしょ?」
「あるある。そこを(指さして)スーッと歩いてって、あっ熊だぁってのはあるよ」
もう婆ちゃんは山での山菜採りは引退したそうです。
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小上がりで数人の客は小宴会をやっていた。そこに店主の弟さんがいる。
「弟さんだよね?お身内の集まり?」
「いや、友達。・・・(しばし間があって)・・・あれはもともと無尽だったんだよな。今は人数減ったな。亡くなったり、体調悪かったりで」
無尽?
無尽ってご存知ですか?(頼母子講ともいう。)
いまどきの若い者は無尽なんて聞いたことないかもしれない。何だかいかがわしく聞こえますが民間のプライベート金融ですね。
今日までカテゴリ会津で触れなかったネタですが、会津って無尽の街でもあるんです。無尽は10人くらいで1つのグループが組まれ、毎月1回、決められた金額を持ち寄って開催されます。10人だったら10カ月開催して一巡します。10人が1人辺り10000円を持ち寄って誰かが落札したら単純計算で10万円になる。その金額を入札者が受け取るのです。入札のやり方はくじ引きか何かのゲームらしい。落札した人は次回からの入札には加われない。
持ち寄り額は3000円だったり5000円だったり10000円だったりで相場はわからないが、そのグループの所得層に寄るのではないか。
それとは別に飲食代が伴う。会津の無尽は飲み食いしながら開催するのが当たり前だそうで、開催される場所は料理店、居酒屋で、誰かの家で開催する場合も飲食が伴う。(飲まない女性だけの無尽はお茶か、食事だけの無人)
私は意識して見てないが「無尽やります」なんて看板を下げた店もあるそうです。開催場所を提供する訳ですよ。
数年前、この店の小上がりのグループ客がいて、その中の1人がまだ宴たけなわなのに1万円札を複数手に持ってるのを見たことがある。今思えばあれは無尽だったんだな。
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無尽のグループには誰もが入れる訳ではなく無尽仲間の紹介制。紹介した側の責任もあるので他県の者、余所者はまず入れないと思う。この辺りが会津の三泣きの一つにつながるともいえる。
相互の信頼がなければ成立しないので良く言えば長年の信頼を表す。何十年も続く無尽グループもあるらしいから相当な信頼関係ではある。

故・藤沢周平の「三屋清左右衛門残日録」の何話だったか、「梅咲くころ」で、清左を江戸表から女性が訪ねて来て、「国許で縁談があって」と挨拶した。だが清左は野田というその縁談相手に何かひっかかりがある。
思い出せないので町奉行の佐伯を訪ねて野田の名前を出したら、「野田は無尽の不正で商人に訴えられ、家が潰れるかどうかの大騒ぎが二年前にあったじゃないか。まさか野田の家を潰す訳にもいかないから示談にして事を収めたが・・・」
野田は諸事倹約のご時世に金使いが荒い家風で、商人を集めてこっそり無尽を始めたが、自分の息のかかった商人を密かに潜り込ませて二度三度自分の手に金を落として無尽を解散してしまったというもの。
女性の持参金目当ての縁談だったのである。寺内という仲人も野田と同じ穴の貉で、結局縁談は女性の方からお断りしている。
野田は武家だから自ら無尽に参加したのではないらしいが、複数の無尽を掛け持ちして自分の手元に金を落として夜逃げしたなんてケースは実際にあるそうです。あまり事件沙汰にならないのは会津人情というか、「あいつ苦しかったんだな、まぁ餞別代わりってことで仕方がないべ」になるんだとさ。
無尽は農村の屋根の葺き替えを村人総出で行うのと、その順番を決める集まりから起こったという説があるから地方の伝統とも言っていいが、「会津若松市の発展を阻害しているのは無尽」とBlogで言い切ったのがこの店とは別の市内で有名な居酒屋の店主。
昔から続く無尽を見てると結局は気心知れた者同士の愚痴酒で、「そこには会津人の誇らしい志が感じられない、会津が時代の変化に対応できてない一因だ」というのです。
ただでさえ閉鎖的な会津若松でよく言い切ったと思うけど、店主が言いたいのは、「本当の会津人はこうではない」という気概なのですな。
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この店の店主は先だって久々に東京に来たそうです。
「姪っ子の結婚式でお台場っていうの?あっちのホテルで披露宴呼ばれたけんど、その後で友達に会いに渋谷を通って〇〇〇まで行った。電車の中で殆ど全員が何かをいじくってる」
「スマホね」
「ⅰ―Phone」
「あれは見てて違和感あるな~。ゲームか何かやってんだべ?」
こちらとしてはその日常風景なのだが、なるほど前述の居酒屋店主の言ってることを裏付けるなとは思ったよ。でもあからさまに批判する訳にもいかないので、
「車内で新聞読んでる方が少ないですよ。新聞って広げるとジャマだし。」
「アタシは電子書籍読んでるけど」
「ふぅ~ん」
「いい大人がマンガ本読んでたりすると逆に目立つんだよね」
ぐらいにしておきました。それでいて諸事雑事にやたらと詳しいのは座敷で開催される無尽から得られるネタかも。そういう場の情報は侮れない。例えば新聞が書けない地元ネタで、観光パンフにも載ってる何処何処の有名店の仕出し弁当で食中毒を出したのは期限切れの材料を使ったからだとか。
ただ、何処何処の会社が倒産したとか、あまり明るいネタは無いらしい。
旦那さん2.jpg弟さん.jpg
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翌日の昼にも行きました。
近くに新しくできた図書館、稽古堂で資料漁りをしてから裏磐梯を散策する予定をたてた。
「知らないところでランチに迷うよりは勝手知ったる麦とろで」
蕎麦か素麺でよかったんだけど、「今日の夜は湯野上で美味い蕎麦喰うんだべ?」ということで看板の麦とろ定食。
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ランチの厚焼き玉子.jpg梨.jpg
カウンターにメニューがあったのである。
「メニューなんてあったの?」
「あるのは知ってたけど」
見たら一般的なものばかりだね。会津の郷土料理は載ってないぞ。
隅っこの方に、麦とろ特製おまかせコース。
「アタシたちはいつもこれだね」
で、その左を見てください。
気分次第です.jpg
「各種宴会、無尽などにもぜひご利用下さいますようお願い申し上げます」
あったあった。
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