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日中に走らなかった日中線記念館 [鉄路と風景]

会津縦貫道を約13km走る。
喜多方ICで121号線に入り、市の東側を北上。
熱塩温泉郵便局近くにそれ日中線記念館はあった。ナビにも表示された。
それまでジャン妻は、
「またヘンな山城や草むらに入るんじゃないでしょうねぇ」危ぶむようなことを言っていたが安堵したようだ。
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喜多方市の北、長閑だが、寂しいところに日中線の終着駅だった熱塩駅の跡がある。
駅構内は広く、ホームと整備された駅舎が残っており、駅舎内にそこまで伸びていた現役時代の写真その他が展示されていた。
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「ここまで電車(実際は非電化)が来ていた」と言ったらジャン妻は疑わしそうな表情になった。人家があるにはあるが人が全く歩いていなかったのである。
館内には地元の女性がひとりで雪かきやら清掃やらをしていた。駅舎、記念館は地元の有志で管理しているらしい。警備会社も入っているようです。
ジャン妻はこういう博物館的なものは嫌いじゃないらしい。
「解説がしっかりしていればいいのよ。警備会社が入っているのね」
「そうしておかないと心無いマニアが展示物を盗むんだよ」
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私をネットの世界に導き船山温泉を紹介してくれた番頭さんという方は喜多方のご出身だが、番頭さんの某サイト掲示板時代に日中線、野岩羽線についてTALkしたことがある。
野岩羽線は構想上の路線で、そのネーミングの野は下野国の野です。では岩、羽は何なのか?
律令制で定められた日本の地理単位区分を「国」というが、越後国や下野国の先の福島県から北は陸奥国と大きく括られ、会津国という単位は存在しなかった。明治新政府が戊辰戦争後に福島県をだいたい真ん中で東西に分割し、東側を磐城国、会津を含む西側を岩代国と定めたのですが、野岩羽線構想は、下野国の野、岩代国の岩、奥羽の羽です。その3文字をくっつけた。
旧国鉄時代の構想だから起点は東武日光線の下今市ではなく日光線の今市。会津若松方面から旧会津線が会津田島まで伸びてきて、会津滝の原(現在の会津高原)まで伸びてきたが、そこから先の野岩線が国鉄再建法で凍結されたのです。
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現在は下今市~東武日光線~野岩鉄道~会津田島~会津鉄道~会津若松~磐越東線~喜多方までを大手私鉄、第三セク、JRで結ばれているが、そこから北の山形県米沢までは達しなかった。構想のみで終わった。
今日訪れた日中線記念館(熱塩駅跡)もそれですが、ここ熱塩が終点になったことで典型的なローカル線(盲腸線)で終わった。
昭和55年(1980年)の国鉄再建法施行により、昭和59年(1984年)に全線廃止になった。

そんなローカル路線でも遺失物があったらしいね。
もっとも乗客数が少ないから持ち主はすぐ見つかりそうだがね。
遺失物なんてあったのか?.jpg
ジャン自室の書棚に昭和61年刊行の故・宮脇俊三氏の著書、「終着駅へ行ってきます」がある。
これに氏が日中線に乗車したレポが載っていた。30年以上経っているから転載しても構わないでしょう。
氏は喜多方発16:10発の熱塩行に乗車されている。喜多方駅1番線ホームの先っぽの方に日中線のホームがあって、そこに追いやられたかのように、DE10型DLに牽引された2両編成の旧型客車2両が停まっていたという。
「レールもホームも駅舎の近くまで伸びてきているのに、そんなはずれに停まっているのは・・・(略)・・・大赤字の日中線のボロ列車なんかあっちへ行ってろと冷たく扱われているようにも見える」

「二両の老車両に乗るのは若い男女高校生で・・・(略)・・・一緒に帰る仲間も座る席も決まっているらしい。本来なら自分たちの座るべき席を見慣れぬ二人組が占拠しているので、心外そうに私たちを眺めている」
長閑な風景が目に浮かぶようである。そして途中の沿線風景が語られるが、途中駅が3つ、わずか12kmを28分もかけて運行されていた。
その途中駅の描写もある。
会津村松駅・・・「腰板や戸がはずれ、窓ガラスもない。廃駅そのもの」
上三宮駅・・・「荒れるに任されていた」
会津加納駅・・・「黒ずみ古びている」
全体的に修繕や手入れをしてなかったらしいですね。そして終着の熱塩駅は、
「10数人の高校生と一緒に砂利の敷かれた片面ホームに下り立った」
地元の学生さんの通学客が主で、熱塩温泉への湯治客が輸送対象ではなかったらしいのだ。
だから朝1往復、夕方2往復、1日3往復、日中線なのに日中は走らず喜多方駅で日向ぼっこをしているだけだったという。
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氏の描写、続く。
「日中線熱塩駅。いい駅である。北欧の民家を想わせる屋根の反りが美しい。瀟洒という語がぴったりする建物だ。ホームから見ても、駅前から眺めても、横へ回っても、どこからでも形がよい」
とベタ褒めした後で、
「もっともそれは離れて眺めた場合であって、近づけば漆喰は剥落し窓枠ははずれ、かつては駅長以下が颯爽と勤務したであろう屋内は荒れ放題で、錆びた什器や備品が放置され散乱している」
とあるから凄まじい荒廃ぶりであったらしい。
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レポの間にDE10型機関車がいったん客車から離れ、側線を通って会津方向側に移動している。
「発車時刻が近づいても一向に乗ろうともせず、ウロウロしている私たちを心配して・・・」
・・・車掌が迎えにきてくれたそうです。
17時01分、三人の客を乗せて発車した後は、
「熱塩駅は廃駅のようになった」
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氏はその晩は熱塩温泉の某旅館に宿泊されている。その名の通り岩塩を含む温泉で、泊まられた宿は今も現役らしいが、検索するとあまりいい口コミは載っていなかった。
日中線は日中に走らないから日中線なのではなくて、ここ熱塩から北の日中温泉まで敷設する予定でそう命名された。
ダム建設で日中温泉は源泉毎湖底(日中ひざわ湖)に沈んだが、平成5年に新たに源泉を掘り、そこには1軒の旅館があります。
http://www.aizu-yumotoya.com/cuisine/index.html

ラッセル車と旧型客車が展示されていた。
座席の椅子が固そうだ。
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野岩羽線構想は消えたが、その構想にそって私が走ってきた国道121号が建設されたかのようである。米沢駅までも国道121号線の大峠道路として整備された。ローカルだが長大な路線計画を高い規格の道路で代替しようとしているわけです。
だが日中線廃止後の替輸送手段がよくわからない。会津バスが引き継いだがそれすらも廃止になったとか。公共の乗合タクシー(ワゴン車のようなものか)が運行しているともいうが。
長閑でいいが、自家用車でないと不便な地域である。
だが高齢化して運転できなくなったらどうなるのだろう。
副業に忙しいJRはそこまで考えてないだろう。
昭和60年刊行の「終着駅」から。熱塩駅は「婚約不履行型」という分類の中にあった。名松線の伊勢興津駅、上信電鉄の下仁田駅と一緒に。
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115系、両毛線、荷物室、新駅、きそば [鉄路と風景]

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昭和カラーのこの車両が引退カウントダウン。
今年2018年3月末でJR東日本管内を走るこの電車は定期運行を終了した。
私がこの世に生を受けた昭和38年(1963年)にデビューしたので感慨無量です。
緑色とオレンジ、湘南カラーの色合いは、ミカンをイメージしていると聞き及ぶ。
首都圏から消えて久しく見なかったのですが、平成24年に群馬に転勤してきて再会、現役で走っていたが、ドア開閉が手動だったのに驚いたものです。
でも老朽化している。私も車両故障に立ち会ったことがある。渋川から高崎まで戻って安中に向かう途中、新前橋で乗り換えさせられ、高崎駅で安中へ折り返すところをまた降車させられた。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-29
この記事を読んだジャン妻は「ホントにこういう横柄な口を効いたの?」と私に詰め寄ったがホントにそうです。
定期運行終了でも、イベントで走らせることはあるのかな。地方私鉄の譲渡するとか。
先日前橋に行ったら車両基地に留置されていましたね。
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9:37の両毛線に乗車したところ。
これで小山まで行くのです。小山着は11:23だったかな。
検索したら「上り新幹線で大宮まで戻って東北新幹線に乗り換えなさい」が表示されたが、私は、戻ってまた進んで、がイヤなのです。
お金の問題じゃないです。戻るのがイヤなの。
東海道新幹線でもそう。静岡出生の際に新横浜で戻って乗り換えるのがイヤで、いつも進行方向である小田原で乗り換えるのです。
ジャン妻は「そういうのは時間の無駄」と言う。でもイヤなものはイヤ。
だから大宮まで戻らないで両毛線で直行したのだがこれがまた時間のかかる路線で、いつまで経っても小山駅に着かないんだよね。車中ヒマでヒマで。
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荷物室があった。
私は見るの3回めだが、割と頻繁に稼働しているのだろうか。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-06-20
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-07-2
何を運んでいるのか。新聞その他だと聞き及ぶ。
駅毎に職員が乗り込んでくる。ボタン押してドア開けて、自分とこの駅のずた袋を取り出して、閉じるボタンを押してからホームに下りていた。
職員は100%マスク着用でしたね。群馬だから花粉が凄いんだろう。私は「花粉症は現代人が罹るもので、私のような原始人は罹らない」と豪語して憚らないが、平成25年の初春に甘楽郡の国峰城に登って花粉症に罹った。
でも帰京して翌シーズンは平気だった。治ったらしい。
「花粉症って治るものなんですか?」(群馬の女性社員)
「東京で治ったって・・・(絶句)・・・悪い空気の方が合うんですか?」
どういう意味だ。
その子はいっつもマスクしている。私に言わせりゃマスク着用したまま上役の私と会話するのは非礼と思うのだよ。外しなさいって。
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荷物室の写真を静岡の現場に送信したら、船山温泉に向かう途中の芝川に実家がある社員いわく身延線にも荷物室が設けられたのを見たことがあるそうです。
このどれも同じような連続写真の途中でオカシなことに気付いた。
i-Phoneのシャッタースピードが遅くなり、連写ができなくなったのである。このせいで次の新駅を取り損なった。
いったんOffして再度Onしてみたりしたのだがもとに戻らない。
この現象は夜まで続いた。原因がわかったのは翌々日の朝。何のことはない。写真サイズをデカくしてしまったのである。連写の途中で触れてしまったらしい。
このオカシな現象をジャン妻に話したら「買い換えなさい10に」
現在はi-Phone10になっています。
ヒマな車中でまた妙なことに気付いた。
いつまで経っても小山駅に着かないので腰が痛くなり、立ちあがって伸ばしながら路線MAPを見てたら、
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あしかがフラワーパーク駅?
新しい駅ができたんだ。でも足利駅で見たら次の駅表示は富田駅となっていたぞ。開業前らしい。
途中、建設中の駅を見ました。1面1線のホームだった。これは建設中のフラワーパーク駅を過ぎたところ。
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あしかがフラワーパークという公園へのアクセス目的らしい。
栃木-毎日新聞サイトから。
「JR両毛線の新駅設置費用について同市が7割、JR東日本が3割の負担割合とする基本協定を結んだ。JR東日本が負担するのは、総事業費15億円のうち、駅舎建設費、JR東日本のICカード「Suica」による改札システムの改修費で、足利市側の負担は建設費5億3900万円、システム改修費2億1000万円、駅前広場整備費4億円と見込んでいる。・・・」
7割方市の負担といっていい。
僅か1面1線の駅なのに随分とお金がかかるのですね。この駅が出来るまでは富田駅から徒歩13分だそうですよ。
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フラワーパーク、花には興味ないが、来園者数で採算が取れればいいね。
両毛線の新駅設置は平11年(1999年)の前橋大島駅以来だそうです。
今日開業です。誰か行く人います?

2時間グダグダしてようやく小山駅に着いたところ。
言っちゃ悪いが両毛線の乗車マナーはよくないね。混雑していないとはいえ1人で2人席を占拠するのはザラです。荷物を持って3人席を占拠しているバカもいたからね。
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小山駅に着いたらようやく空腹を覚え、食欲が湧いてきた。実は前夜の深酒で遅く起床してアタマと胃が重いので、ルートインの朝食バイキは止めといたのです。
なので、宇都宮線下りホームにあるスタンド駅そば「きそば」へ直行!!
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冬風を遮るものがない。椅子もない。天ぷらはヤワいし(一部カリッとしていたが、焦げの香りすらした)お蕎麦はやや伸び気味。おつゆは熱々とはいえない。ネギはやや多い。だがこれらが合わさることでムラがあるにせよ捨てがたい逸品に化ける不思議な駅そば。これぞ昭和の立ち食い蕎麦である。
食べてるうちにグチャグチャになりますが。
替玉もイキました。
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日本そば屋で替玉のある店って他にあるか?それも駅スタンドで。
あ、ねぎだくなんてのがある。これも入れればよかった。
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JR東日本殿、この店を潰してNREにしたら怒るよ。
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小山駅から行政へ往復した地元タクシーは昼なのに何故かライトが点いていた。
「点いてるけどいいの?」
「あ、いいんです。会社の指示で。何でかわかりませんけど」
「ふぅ~ん」
しばし走ってたら、ナビが喋りだした。
「ソロソロニジカンニナリマス。キュウケイサレタライカガデショウカ」
「何か喋ってるけど」
「2時間毎に鳴るんですよ」
「でもナビが休憩ススメても会社は休みなさいなんて言わんでしょ」
「笑」
「最近のナビだと高速入って、速度に注意してください、って話し出すタイプがありますよ」
「へぇ。そんなん言うんですか」
「ナビうるさいって・・・」
「笑」
支払って領収書貰ってタクシーを下りながら、
「じゃぁ休憩してください」
「そうしますワ・・・笑」
引き返すタクシーのランプは回送になっていた。
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まぼろしの駅 [鉄路と風景]

明日は3.11ですね。
ちょうどスケジュール的に空いたので近場へ小旅行に行こうかな・・・なんてプランも上がったのですがやはり止めときます。大人しく過ごします。
今日明日はチャラチャラしない記事で行きます。

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JR横須賀線、衣笠駅に向かうカーヴ脇に草ぼうぼうのスペースがある。
その区間は単線だが、もう1線敷設できそうなのです。
横須賀市の金谷というところです。
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私は坂を上がってきた初老の男性に無粋にも声をかけた。
「すみません聞いていいですか?」
「???」怪訝そうな表情。
「この辺りに駅があったって聞いたものですから・・・」
「衣笠駅ならあっちだよ」
男性は線路に沿って東の方、衣笠駅の方向を指した。
「いえ、そこの草むらが駅の跡だって聞いたものですから」
「ああ、そこの・・・」
買いもの袋を下げたお年寄りは線路を見上げた。
草むらがホーム跡2.jpg
実際はこの草むらというよりも横須賀側の空き地の可能性もあるのだが。
「この辺りには丸木に板を張った駅(ホーム)があってね。工員さんたちがゾロゾロ下りてたんだよ」
お年寄りは南側を指しながら、
「あっちの方にコウショウがあってね」
「コウショウ?」
「工廠、軍の工場」
工廠とは陸軍でも海軍でも直属の軍需工場のことです。武器、弾薬、戦車、軍艦、空母とか。それらを製造、修理、開発する施設。
現在の自衛隊は工廠と呼ぶものは無く民間企業に委託しています。M菱重工業とか。相模原製作所では戦車(特殊車両と言ふ)を製造してますから。
それらは輸送の便がいいところに作られた。本土空襲では標的にされた。
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私は群馬転勤が解けてから横須賀市内に公用で来るようになった。行き先はJR横須賀駅南側にそびえる高層タワー内にある行政窓口です。最近は草の者5号(陰の部下)に任せてあまり足を向けなくなりました。
草を率いる前の最初の頃、その高層タワーの窓口と、横須賀市内や三浦半島に少しだけ点在するウチの現場とを行き来するのに衣笠駅や久里浜駅まで出て、そこから京急バスに乗ったりした。だがJR横須賀線で横須賀から先までいく直通電車に乗車できる確率があまりなくて、いちいち逗子での乗り換えがめんどくなったので今は京急に切り替えています。

横須賀駅から先の衣笠・久里浜方面は、①運行本数が激減する、②車両編成が短くなる、③単線になる、私は神奈川県民なので①②③は子供の頃から知っていましたが「何故、複線化しないのかな」と思った時期がある。
その理由は横須賀線最長2km以上ある横須賀トンネルを広げないと複線化できないのと、衣笠と久里浜方面は京急の一人勝ちだから、横須賀線がそこだけ複線化しても需要は無さそうだな、というのが自分なりにわかってきました。
横須賀トンネルさえクリアすれば、衣笠駅まで何とか複線用地が確保できなかったのかな~とずっと思ったのがこの草むらです。

私が呼び止めた初老の男性が言うとおりで、実はこの草むらか、次の写真のアスファルト辺りには太平洋戦争末期頃に駅があった。それは一般乗客が乗り降りできる駅ではなく、海軍工廠に通勤する工員さんのみが利用していた駅で、軍部の為だけの停車場といっていい。
駅の名前は相模金谷駅。
男性は「あの辺りに工廠があって・・・」と言ってたが、この近くに工廠はなく、その工廠に勤務する工員さんの宿舎がこの金谷にあった。そのひとたちの通勤利便を図った駅だったのです。
工廠は横須賀海軍工廠のことで、現在のイオン横須賀市本町にあるイオン横須賀、ショッパーズプラザ横須賀の辺り。前身は幕末の幕臣、小栗上野介が作った横須賀製鉄所です。

これは横須賀トンネル方面ですが、行き止まりに金網フェンスがあって、そこにアスファルトの空き地があった。金網フェンスを乗り越えて撮影したんじゃないですよ。ホームへと続く入口だったと思われる路地があるのですが、そこの突き当りフェンスの隙間から撮ったの。
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舗装されている。用地が広いから資材置き場ぐらいにはなるだろう。
次は衣笠方面で、草ぼうぼうなのはホーム跡の土盛りがあるからだろうか。素人目に見ても1面1線でしょうな。
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横須賀線が横須賀から久里浜まで延伸したのは昭和19年(1944年)だから太平洋戦争中なのです。全国の鉄道が不要不急路線に指定されてレールが撤去、供給させられた時代の延伸だったのは軍部の意向が強かったからで、この延伸には当時は複線だった御殿場線(国府津~山北~御殿場~沼津)のレールを引きはがして転用したとか。
そして翌年の昭和20年(1945年)4月にここ金谷に駅が設けられた。駅が設けられるまでは工廠までテクテク歩いて通っていたそうです。働いていた工員数はわからないですが、駅を設けるくらいだから相当な数だろう。
だが同年8月に終戦となりそのまま廃止になったらしい。ということは僅か4ヶ月足らずで役目を終えた。

初老の男性が言う。
「一般の乗客は下りちゃダメだったんじゃないかなぁ」
下りちゃダメってことは乗ってもダメってことか?おそらく工員である証明書を提示して乗降したか、朝夕の通勤、または交替時間を狙ってその時だけ停車していたのではないか。鶴見線の海芝浦駅のようなものか。
工員は住みこみだったので、家族が便乗することも想定外だったと思われる。
「久々に思い出したよ」
と言い置いて男性は去っていった。
(本文中では男性と言ってますが、結構な御年と見受けられました。)
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これはお年寄りを見送った後、線路の向こう側にあるマンションの坂から見下ろしたもの。
なるほどホーム1面1線のスペースがあるのがわかります。
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でもホーム跡の位置はあくまで推測です。現在の鉄路より高く盛ってあるように見えるだけです。何両編成の車両が停まれたのかもわからない。
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隣の衣笠駅までは1kmしか離れていない。歩ける距離です。私もこの日の散策で往復歩いていますが、バスの本数も少なくない。
衣笠駅は逗子から先の横須賀線の駅では乗降客が多い駅だそうだが、やはり市内を並行して走る京急には敵わない。
三浦半島某所の社員たちが忘年会か新年会?打ち上げ?衣笠駅近くのアーケード商店街の何処で開催したが帰りがタイヘンだったそうで。次からは京急の横須賀中央駅界隈に鞍替えした。県道26号を走る路線バスは衣笠駅に寄らずにそのまま横須賀中央駅までいっちゃうからね。

さっきの草むらとアスファルトの空き地にあった駅は、太平洋戦争中に軍部の意向で作られたのだが、陸上自衛隊駐屯地のある武山、林方面にも陸軍の施設や駐屯地があったので兵員輸送の必要に迫られ、この衣笠駅経由でそっち方面へ通じる交通手段が必要になった。
京急の前身会社である京浜電気鉄道に「敷設せよ」と指示がいったそうである。それも急ぎで。武山線という。
これも金谷駅と同様で終戦時におジャンになったが、トンネルは掘ったらしい。
(県道26号のトンネル)
武山線の免許は京急に引き継がれたが現在は失効している。
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グリーン車に乗ったのは2階からあの草むら、ホーム跡を見てみようかと。
車窓から見たさっきの草ぼうぼうです。この一連の草や土盛りのどの箇所がホームに該当するのかわからない。引込線、留置線の跡にも見えるし。
地上から駅ホームに入れる跡が見当たらない。さっき見た突き当りのフェンスが駅への坂だとしたら、上り電車が緩いカーヴをきって、県道をオーバークロスして横須賀トンネルに入る前のアスファルトの空き地と想定される。
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おそらくこの辺りからだろうか。
さっきのご老人はそこの坂を上がっていかれたのです。
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陽は西に傾いている。上り電車はあっと言う間に横須賀トンネルに吸い込まれていった。
一気に暗くなり、歩いた疲れもあってそのまま眠ってしまいましたが、現地で話を聞けたのはよかった。こういう記事をUpする場合は第三者の証言が大事なのです。記事内容に裏付け、厚みが加わりますから。
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リバティ会津 [鉄路と風景]

浅草駅に隣接する地下食品売り場で酒肴を購入しているところです。
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昨年(2017年)4月から東武鉄道に新型特急リバティが運行しています。
浅草から会津田島まで1日4往復。会津田島駅までこの特急1本で行けます。蕎麦宿に行くのに途中の鬼怒川温泉駅で乗り換える必要が無くなったのですが。。。
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浅草発11:00で会津田島駅着は14:20、僅か5分の待ち合わせで14:25分発の会津鉄道リレー117号に乗り換えます。
特急リバティ117号、浅草11:00~会津田島14:20
リレー117号、会津田島14:25~湯野上温泉14:57
宿入りにちょうどいい時刻といえます。
会津鉄道リレー117号の途中停車駅も会津下郷、塔のへつり、だけです。スムーズに運ばれるといっていい。
これがリバティのカオです。
怪獣と闘うロボットのようなカオをしている。
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リバティは途中の下今市駅で分岐します。リバティ会津が1~3号車、リバティけごん(日光方面)が4~6号車です。
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ホーム先端が狭過ぎで、写真を1枚2枚撮ってたら足元がアヤしい私を駅係員が2人じーっと見ているんです。線路に落ちかねない私をすかさず助けようと身構えていた。
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だけどねぇ、このリバティは昨年まで利用していたスペーシアのような個室車両が無いのです。
1ヶ月前に浅草駅窓口で乗車券と特急券を購入したのですが、窓口の男性に聞いたら「全席指定で個室車両はございません。個室は1本前の10:00丁度発のきぬ115号鬼怒川温泉行になります」
券を購入する際に聞いたの。
「車内、鬼怒川温泉へ向かう婆さん連中がヤカマしいかな?」
「そうです・・・ねぇ・・・」
係員は困った表情だった。そんなん聞かれても。
東武特急の普通座席シート車両は鬼怒川温泉や川治や湯西川へ行く観光行楽客、特にオバちゃんオバァちゃん軍団恐るべしといった感がある。耳が遠くなって大声を発しないと相手の声はおろか自分の声すら聞こえないのか、通勤電車の世界から離れてかなり経っているから周囲への気配りを忘れているからか、くっ喋って笑う声がデカいと決まっている。人数多い方が強い。
仕方がない。長年スペーシアの個室だったのですが、新型車両とはいえ普通乗車席を久しぶりに利用したのです。
何故ここにプチ公がいるっ??
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11:00発車と同時に酒肴を並べて乾杯。
私は崎陽軒の幕ノ内&ポケット、そして焼きそば。
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崎陽軒幕ノ内.jpg
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ジャン妻は逸品一品が小ロットの幕ノ内。クリームコロッケも。
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この焼きそばは失敗だったな.jpg
この焼きそばは失敗だったな。
崎陽軒売店の隣に並んでたのですが、洋食焼きそばを謳ってても単に味が薄いだけ。
オムが載った焼きそばがウリなのですが、オムが載る大きさのパッケージに、オムが無い焼きそばだけ詰めてあるから上がスカスカなんですよ。
私は値段をあまりとやかく言わない方ですが、これで540円は高いなぁと思いました。
ジャン妻もひとくち食べて「アタシが作った方が美味しい」って。
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残り物をまとめたところ。
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やはりスペーシアの個室の方がいいな。他の一般客がウルサいのだ。
1本早めてスペーシアの個室にすればよかったかな。ウルサいな。年寄りも。子供も。
2人とも途中から耳栓しました。
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寝て目覚めたら、前席の女の子が私を興味深気に覗いているところ。
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これまで利用していた特急スペーシアだと、鬼怒川温泉駅着が12:00(何故判を押したかのように2時間きっかりなのか)20分待ちで12:20発のAIZUマウントエクスプレス3号に乗り換えて湯野上温泉駅着が13:57、1時間早く着いてしまうのだ。
実は昨年がそうだった。11:00発の特急スペーシア個室が満席で1本早くしたの。
て蕎麦宿に1時間早く宿入りしたのです。1時間増で宿代を清算したかも覚えていません。おそらくしなかったんじゃないかな。「勝手に部屋に入ってください」のように言われたんだったと思う。
浅草発10:00発だと駅地下の食料品店がOPEN前なので、シウマイ弁当その他お惣菜が買えない。昨年はサラダ系とカップ酒を前日に買い置いて、崎陽軒を戸塚駅で購入た。JRの崎陽軒スタンドは7時から開いているからね。浅草駅向いのデイリーヤマザキで缶ビールを。ダメオシにコロッケとマッシュポテトまで購入したもの。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-02-01

リバティは実用性を重視した車内だね。充電用のコンセントも付いているし。ビジネス利用に最適だと思います。

だが、オカしなことに気付いた。

リバティは前述のように6両編成なのが、今市駅で会津方面へ向かう1~3号車と日光方面へ向かう4~6号車に別れるのですが、下今市駅で車内が空かないのはまだしも、鬼怒川温泉を過ぎても空いた感じがしないのです。スペーシアよりも混んでいるのは何故だ。
川治温泉、川治湯本、湯西川温泉を出てようやく車内が閑散としてきたが、それまで浅草からの指定乗車客がいた筈の座席にぜんぜん観光客っぽくない普通の乗客が入れ変わってたりする。
そして川治湯本駅を過ぎてから車内検札が来た。
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何故今頃検札が来るかな。浅草を出て北千住辺りかもうちょっと早い辺りで来りゃいいのに。
車内放送では「本日は全て満席になっております」と言っていたので検札は来ないんだなと思い込み、乗車券も特急券もジャン妻のバッグのポケットです。傍らを見たらジャン妻は寝ていた。
私もうとうと寝てたのです。そこへ「恐れ入りますが、車内検札をお願いします」と無粋に起こされ、傍らのジャン妻まで起こすのに忍びないので、私は不機嫌な物言いで「後にしろよ」と言ったら、検札はそれ以上言わずに先へ行った。
だってここまで来ると、もう車内に残っている乗客は殆どが会津田島まで行く客ばかりですよ。座席指定客の検札の意味ないじゃないか。
ここまでの疑問ですが何故だと思います?実はリバティ会津は下今市~会津田島間の利用に限りますが、その区間に限り乗車券のみで利用できる特例が設けられているのですよ。リバティ導入のせいで快速と区間快速が廃止されてしまったからです。
だからリバティ会津はその代替列車の側面もあるのです。普通列車が減ってしまったことへの救済策だね。
川治湯本辺りで検札に来たのは、浅草から乗車した座席指定券や特急券の検札ではなく、下今市から会津田島間の普通乗車券対象の検札なのです。
それに加えて、会津田島駅までは普通列車のようにひと駅ひと駅律儀に停車するんですよ。これではまるで廃止した一般電車と同じです。リバティが廃止してリバティが自ら代行しているのです。
バカにするわけじゃないが、秘境駅と言われる男鹿高原駅にまで停車しなくてもいいのではないか。
秘境駅.jpg
この「特急列車雰囲気ぶち壊し」がは帰りのリバティ128号でもっと顕著に出たので後述します。「全車両座席指定」と謳っておきながら、どう見ても特急乗車券を持っていない客が会津田島駅から乗車して借り座りしており、座席指定客が来たら退かなきゃとソワソワしていたものである。
ふて寝しているプチ公。お前はくるまの中でドライブの御守だろうが。
ふて寝.jpg
川治湯本から先は乗車下車する客は少なくなり車内は落ち着いた雰囲気になった。さっきまでの婆さんや子供の喧噪は何処に行ったのか。でも明日の帰途にはまた乗り込んで来ることになるのだな。
ジャン妻が目覚めた。2人で顔を見合わせながら、
「耳栓持ってきてよかったねぇ」
そしたらさっき「後にしろよ」と蝿のように追い払った検札が戻って来た。
ジャン妻も目覚めていたので、券を渡したが「今頃来たの?」
そしたら検札が「どうぞ座席を回転させてお楽にしてください」と言ってきたものだよ。私は首都圏の通勤電車で4人BOX座席を好まないし、ロングシートに慣れてしまっているので、あまり「席を回転する」不作法はしたくないのですが。
空いてきた1.jpg
空いてきた2.jpg
「優しい検札だね」
「さっき来た時は寝てたから、後にしろよ、って追い払って・・・」
「そんな言い方したのっ」
空いてきた3.jpg
南会津に入ったらまた速度が格段に落ちた。浅草を出てから下今市までは立派に新型特急だが、ここまで来ると殆ど普通電車といっていい。
リバティのいいところは鬼怒川温泉駅で乗り換えなくていい、会津田島まで1本で行ける、それだけです。それだけでもいいのかも知れないがね。
会津田島乗り換え.jpg
乗り換え.jpg
今いる乗客は終点の会津田島まで乗り通したようである。
会津田島駅で乗り換え中。5分過ぎにすぐ出ます。雪は降ってなかった。この時期の会津にしては残雪も少ないようです。
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10月23日の東林間駅 [鉄路と風景]

台風が朝の通勤時間帯を直撃した10月23日に目覚めたら、雨も止んで風も吹いてないのに気付いた。
「よ~く眠ってたよ」(ジャン妻)
「???」
「アタシは強風?雨?3時頃に起きちゃって、1時間くらい眠れなかったんだから」
「そうか。全く起きなかったな・・・」
「この人何で起きないんだろうと思った。スー、クァー、スー、クァーって気持ちよさそうに寝てた」
アタシは眠れなかったのに、アナタ自分だけ熟睡してズルいというのかい。
台風は去ったようである。さてどうするか。
どうするかって出勤するしかないんだけど。運行状況はどうか確認。
「平常とおり運いてるんじゃない?」
今日は午後に小山まで行かなきゃならないのだが・・・。
(JR宇都宮線が送電トラブルで全く機能しなくなるのはこの日の午後です。)

前夜、私は上司にCメールで、朝の運行状況次第で判断して良いですか?と伺いを入れてOK貰っている。でも実のところ多忙なので動いてくれなきゃ困るのです。
ダイヤが乱れているであろうJR東海道線で東京本社へ向かうか、私は今日別アポがあって、小田急線沿線にある支店に行かなくてはならない。
横浜市営地下鉄の最寄駅構内で様子をうかがったら、横浜方面の車両はALL混んでいて女性専用車両も開放されていた。相鉄線の運転見合わせによる振り替え輸送客で混んだのです。
午前5時半、相鉄線二俣川駅付近を走行していた横浜行各駅停車の車両内で煙が発生し、車内や周辺区間が停電した。
乗客は徒歩で二俣川駅まで移動したというから線路上を歩いたのかな。落雷があったとの投稿や、情報も寄せられている。運転士が火花を見たらしい。
車両に避雷針とか設置されてないのだろうか。
その振替輸送混雑を見て私はJRで上京するのを止めて湘南台ま経由の小田急線で支店廻りをしようと決めたのです。
車両火災?
そういえば小田急線でも車両火災があったね。9月11日午後、代々木辺りの沿線の建物から出火し、脇を走る8両編成の普通電車の確か2両の車両の屋根に燃え移ったあれですよ。
小田急火災2.jpg
消防隊からの要請で警察署員が現場近くの踏切非常停止ボタンを押したら走行していた問題の電車が非常ブレーキで自動停止・・・した場所が、火災現場の真ん前でさ。
「運転手開けろ!!燃えてるから開けろよ!!」
消防士が怒声浴びせてましたね。バカかと言わんばかりに。
後で批判するなんて誰でもできますが、停止しないで一気に通過すれば良かったのにとは私も思ったよ。
マニュアル通りにしか対応しない、できないんだろうね。
今日の小田急線は大丈夫だろうか。

小田急線は何年か前は、激しく混む、遅れる、踏切待ちが長い、通勤時間帯なのにロマンスカーが憎らし気に運行する、のように叩かれがちだった。
今でも混雑するし遅れたりするが、登戸から代々木上原までの複々線工事化が進んで、地上高架、地下化による踏切解消等で幾分は改善されたような気はする。今の総スカンは東急田園都市線の方が上をいった感はある。
私は湘南台駅で快速急行新宿行に乗車した。何だ定刻通り運行しているじゃないか。さすがは大手私鉄だな~とこの時は安堵したのだが。。。

中央林間駅を過ぎた辺りから減速した。
止まっちゃった。
車内に流れたアナウンスはというと。
「相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は東林間駅で運転を見合わせます」というもの。
えぇ~。。。
止まってしまった電車車内.jpg
しばらく停止したままの状態が続く。
なかなか動かない。動こうとしない。
「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は運転を見合わせております。お客様にはご迷惑を・・・」
さっき聞いたよ。またしばらくしてから、
「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は東林間駅で運転を見合わせております。お客様にはご迷惑を・・・」
またかよ。同じようなアナウンスばかりである。新しい情報はないのか。
東林間駅?
駅に着いているのかこの電車?
でも私がいる後ろから3両目の車両はホームにかかっていない。築堤の上に停車している。
何故に東林間駅ホームに全車両滑り込まないのだろうか。そこで乗客を開放できないのか。東林間駅は10両編成に対応していないのだろうか。

「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で・・・」・・・いい加減にしろよと思ったが、今度は別情報があった。
「・・・運転再開は9時50分頃を見込んでいます」という。
9時50分?1時間近くあるぞ。それまずーっとここにいろってか。
窓の外を見た。
ホームが無いぞ。私のいる車両は東林間駅直前の築堤の上にいるのです。前方車両はホームに入っているとみた。それもここからではわからないが。
「繰り返しお知らせします・・・」
・・・私は諦めてアタマを切り替えた。愚痴るよりネタにしちゃえと思い直したのです。するとそれまで苛々してた気分が消えた。
何が起きるか楽しみである。もしかしたら線路の上を歩けるかな?

電車は動かない。
業を煮やしたか。若い学生が2人か3人最後部に歩いて行きましたね。車掌に物言いでもつけにいったのだろうか。試験に間に合わないとか。
行った(言った?)だけの効果があって、その後すぐに、「この電車は東林間駅で運転を打ち切らさせて頂きます。中央中ほどの車両のドアを1箇所開けますので、そこからホームにお降り下さい」という珍しいアナウンスが流れたよ。ということは10両編成の電車は半分ほどは東林間駅ホームに入っているようである。運転打ち切りは無情なようだが、この動かない車両からようやく解放されるというもの。
乗客は諦め顔で通路に立ち並んだ。
だが、立ち並んだだけで全然動かない。そりゃそうだよ。10両編成の真ん中の車両1箇所だけドアを開けたってすぐにドーッと堰を切ったように流れない。
動かない1.jpg
この状態がしばらく続く。
次のアナウンスは、「この電車は東林間駅で運転を打ち切らさせて頂きます。中央中ほどの車両のドアを1箇所開けますので、そこからホームにお降り下さい・・・」・・・同じ内容のアナウンスの後で、「東林間駅から相模大野駅までは徒歩〇分で、中央林間駅までは徒歩〇分です。他社線で振り替え輸送を行っております」というじゃないか。
運転を打ちきって東林間駅ホームに下りてその後は乗客の自己判断に任せると、丸投げしたのです。前後の駅まで歩いて行けと言われたようなものである。
動かない2.jpg
まだ動かないぞ。アナウンスにキレたのか、ひとりの会社員が憤怒の形相で後方車輌に歩いて行った。車掌に喰ってかかりに行ったんだろう。
他社線で振り替え輸送を行っておりますと言われても、中央林間駅から発着する最近評判が悪い東急田園都市線しかない。まさか大和駅まで延々歩いて、動いてるかどうかわからな相鉄線をアテにするのもバカらしい。
相模大野駅まで歩くのが最も距離が短いが、小田急小田原線(本線)が動いてるかどうかわからないが、区間運転を開始しますとか、折り返し運転がどうこうとか断片的なアナウンスがあり、「ホームにお降り下さい。この電車はこの先ご乗車できません」のアナウンスが流れた。
私の業務の一部を委託してある草の者(陰の部下)1号から着信があったが出るに出れない。
「今、小田急線の人身で電車が動かないんだ」と返信した。
小田急線沿線には4号と10号がいるのだが、ヤツらは出勤できただろうか。
動かない3.jpg
野党の牛歩戦術のようにちょっとずつ動き出したが。。。
埒があかない。
さて、ネタを作ろうと私も後方車輌へ歩いたよ。最後部車両は女性専用車だが、乗客は前方部に移動して誰もいなかった。
最後部車両.jpg
上記写真の撮影前、さっき憤怒の形相で歩いてった男性がエラい剣幕で若い車掌に詰め寄ってた。
「電車動かせよ」「大野駅まで行けよ」「だったらバス手配しろよ」
車掌は困惑している。今の時間帯の小田急は沿線の客層に女性や学生が多いので、若い車掌は私とその会社員のような男性の執拗なクレームに慣れていないようである。
その男性の要求を理不尽だと思っているか、人身事故は自分のせいじゃないと思っているか、自分の権限外で何もできないのです勘弁して下さいなのか、嵐が過ぎ去るのをひたすら待っているだけなのか。謝り方が中途半端なのは内心でそう思ってるからである。それは乗客側からしたら開き直った態度に見える。だから余計に相手を激高させる。こういう時はひたすらアタマを下げるしかないんだよ。
何で自分がクレーム対応しなきゃならないって後で同僚にボヤくんだろうな。

でも男性が言うバス手配はまず無理だと思う。東林間駅と線路脇の道路は大型バスが入れるだけのスペースはないのだ。でも私も相模大野駅まで行けないのか、行けないならこんな中途半端に停車してないで東林間駅ホームに全車両停車横付けして全てのドアを開放しろよ、とは思っているので口を出した。
「全車両ホームに横付けできないのかよ」
先にクレームつけてた男性は私に譲ってくれたように見えた。
「ハイ。できないんです」
何故できないのかわからない。
「10両編成で前方部のドア1か所だけ開けたって全部の乗客はすぐに下りれないよ。皆通路に立ち止まったままだぜ。動きゃしねぇよ」
「上からの指示でして」
この車掌は最後尾にいるから前方部の車両の状況がわかっていないのか、単にマニュアル通りにしかできないのか。
乗客がホームになかなか下りられないで車内通路に立ち並んだまま行列しているのはドアが1か所しか開放してない為であり、それを把握せずに(または上に報告せずに)「この電車はこの先ご乗車できません」とアナウンスだけして「早く下りてくださいよ」と言ってるだけに等しい。客のせいにしている。
「そうか・・・俺は前の方で並んで立って待つ気はない。乗客が流れ出るまでここにいるからな」
「・・・」
「最後のひとりになったら教えてくれ」
「・・・」
車掌は黙っちゃった。私はさっきまで女性専用車両だったロングシートにふんぞり返った。
それがこの写真。
フンゾリ.jpg
流れたらしい.jpg
10分後、ようやく立ち並んだ乗客が少しずつ動き出したように見えた。「最後のひとりになったら教えろ」と言ったが、実際そこまで居座って意地悪するつもりはない。
「動きだしたようだな」
「ハイ・・・」
私は最後の乗客・・・私の後に先にクレーム入れてた男性客を置いて車両通路を歩いた。その男性がその後どうなったか、納得されたかどうかは知らない。
前方部の何両目かわからないが、ドアは1箇所ではなく4か所・・・だったかな。開いてましたね。
ドア開放.jpg
ドア開放1.jpg
東林間駅は相模大野駅に近いのでホームは広くない。そこにこれだけの乗客がいた。私と同じく強制的に下ろされた客である。普段からこの駅を利用している乗降客は、改札から入ってきていつもと違う人の数に驚いたのはないか。
諦め乗客.jpg
こんな中途半端な停車をしてからに。全車両駅ホームに入ればいいんですよ。
中途半端.jpg
快速急行は回送電車になった。
「回送電車発車します。電車から離れて下さい。白線の内側にお下がりください。さ・が・っ・て・く・だ・さ・い・下がらないと発車できません」
あのな、さがって下さいたって、ホーム上が混雑してる要因は何だ?客のせいにすんなよ。
回送電車去る.jpg
10両編成の電車は相模大野方面へ去っていった。
だけどおかしなものである。回送電車で相模大野駅に向かうなら、そのまま乗客を降ろさずそのまま行けばいい。相模大野駅で降ろせばいいんだ。東林間駅なんかで1車両だけドア開放するこたぁない。
マニュアル通りに縛られて融通効かないから代々木駅の火災の時のようにネタにされるんだよ。小田急の杓子定規のマニュアルなんて見たことないが、バカですね小田急は。

ところがすぐ後続電車が来るようで、運転再開のアナウンスが流れたものである。
東林間駅から構外へ出た乗客もドドーッと戻って来た。
混んで来た.jpg
「上り電車はタイヘンな混雑が予想されます」
ところがドッコイ空いてたぞ。東林間駅から構外へ出て、相模大野駅や中央林間駅まで歩いた乗客は地団太踏んだに違いない。歩かされた客こそいい迷惑である。
後続がキタ2.jpg
そこから多少のノロノロ運転、停止をくり返して相模大野駅に入った。
人身事故現場は何処だ?という悪趣味な視点で構内を見回したが、既に救出活動は済んだようである。

この遅れを取り戻すべく、行政が休憩時間である12時~13時を移動に充てようと目論み、先に昼を食べてやれと。新百合丘駅の箱根そば。
箱根そば.jpg
箱根そばの蕎麦は細くてユルいので、ミニカツ丼、ミニカレー、の組み合わせ。
「カレーとカツ丼、同時がよろしいですか?」
ミニカツ丼ミニカレー.jpg
こういう邪道セットを食す場合、交互に食べると舌がオカシくなる。
私はカツ丼を先に食べてそれからカレーに移行したが、カツが小さくてカツ丼のご飯が余ってしまい、カレーに移して完食。
カツ丼1.jpgカツ丼2.jpg
カレー1.jpgカレー2.jpg
カレー3.jpg余った丼ご飯.jpg
カレーに移したところ.jpg完食だぜ.jpg
この日の午後に幸手市と小山市に重大な案件があり、先週の時点で既にアポも入れてあったのだが、JR宇都宮線の送電トラブルで運転見合わせ。復旧の見通し立たず。
上野駅でそれを知り、すごすご引き返すハメになった。
宇都宮線.jpg
私は小田急線車内で30分もいなかったが、宇都宮線では埼玉県の東鷲宮駅と栗橋駅間で止まった電車から乗客300人が降ろされ、線路の上を1時間歩いたそうだね。歩く前は車内に3時間か4時間いたというし。バカだねJRも。
でも。。。
線路を歩いてみたかったな。
線路は続くよ.jpg
これで1日のスケジュールが狂い、http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-10-22-1で触れた業務期日に間に合うか微妙になったのですが。辛うじて作日30日に間に合いました。
またしてもこの日の夜にこの店に行ってるのですが、ある淡水魚がテーマになったので日を改めて別項にしたいと思います。
風強い夜3.jpg
では行ってきます。
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引き戻される [鉄路と風景]

東京駅.jpg
朝の東京駅新幹線ホームです。
乗客がいませんがこれは回送電車ではない。私が今から乗るのは東京駅発7:24、あさま603号に乗るところです。
603号は上野、大宮、熊谷、本庄早稲田と律儀に停車し、上州玄関口である高崎駅に着いたのが8:22・・・。
車内ガラ空き.jpg
これに乗る為に起きたのが5:00で、ジャン家を出たのが5:50ですよ。
私は最近朝早く起きてしまう習慣がついたので(トシのせいか)早朝起床は苦にならなくなったが、朝だけ強いということは、後で眠くなるかもしれない。車内で寝過ごさないようずーっと起きていました。
東京駅では自由席車両に私ひとりだったのが、上野駅でドカドカ乗ってきて、そこらじゅうで駅弁を開封する音がした。
大宮駅辺りで私も腹の虫が泣いたが、朝が早過ぎて、いつもの崎陽軒スタンドが開いてなかったのです。
高崎到着.jpg
ぐんまちゃんがお出迎え。
お出迎え.jpg
腹が減った。でもここの立ち食いそば屋は止めといた。店員さんがボタンを押すと自動で注がれる汁がイマイチ美味しくない。蕎麦も粉っぽいし。
イマイチ.jpg
駅コンコース.jpg
まだコンコースに鎮座している上州三古碑のレプリカたち。
三碑のレプリカ.jpg
この時は後バルの時期だったのだです。
後バル.jpg
新しいビルがカタチになってきた。
新しいビル.jpg
駅ビル.jpg
まだ営ってたのか.jpg
あ、まだ営ってたのか。
私が上州に赴任して間もない頃に、このチェーン居酒屋でこっちの社員を集めて飲み会を開催したことがある。
冷凍のポテトフライ、冷凍の枝豆、鮮度がイマイチの刺身、他、暴力的なアイテムに閉口したもの。
そば1.jpg
1時間に1本のバスまでまだ時間がある。今日は11:30~13:30は移動に充てるので、先に高崎駅のたかべんで立ち喰いになった。
そば2.jpg
汁が美味しい。熱々です。舌を火傷するくらいに熱々。
そば3.jpg
そば4.jpg
かき揚げもガシガシして美味しい。カリッとした部分と汁が浸みてベチャッとした部分が2箇所以上味わえます。
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首都圏のそこらじゅうにある同じようなもの、同じ味しかしないJR東の品系スタンド蕎麦とは違うね。
たかべんもその系列会社に吸収されたようだが、母体が変わっても大船軒と同じく汁は独自のものを活かしているんじゃないかな。
熱々の蕎麦を写真撮りながら喰ってたら意外に時間がかかり、立ち喰いスタンドを出た途端、目の前を私が乗る1時間に1本のバスがぐるんと廻って来た。
バス車内.jpg
今回の出張は上州と新潟県の掛け持ちになった。
上州の社員が1名、新潟県内へ期間限定で異動するのでその事前フォローと、上州圏内に新人が数名配属されたのでその手続きに来たの。
新潟県へ赴任する社員の手続きで、現地リーダーが東京本社にいる私の上司(・・・私にも一応は上司がいるにはいるのですが・・・)への連携をミスったせいで私は東京から直接新潟に行けなくなり、一旦高崎で途中下車してその対象社員と会ってから新潟に向かうハメになった。
直接東京から新潟へ行けなかったことで1泊で済むところが2泊になった。最近は上州は出張扱いでなく日帰りが大原則なのですが、さすがにOKが出ました。
OKが出たからにはいろいろ楽しんでやろうと心中期する邪(ヨコシマ)な気持ちがある。文句あっかてなもんです。

群馬県内の某現場から高崎駅に戻ったら、三碑のレプリカが撤去されてるぞ。
かなり長いこと鎮座してたからな。さすがに飽きて他のモノに取り換えるのだろうか。
三碑撤去中.jpg
新潟へ向かう10:26発のMaxとき313号。
終点新潟までなので多少は仮眠した。高崎から浦佐辺りまではトンネルが多く、車窓風景がツマんない。
新潟へ向かう.jpg
新潟県内の公用は3箇所。あっさり終了。
そして高崎に戻るMaxとき334号です。
これの1本前は高崎を通過するので要注意。
新潟駅.jpg
この2階建車両は2020年までにALL廃車になるそうです。
2階建だけに乗車定員数が多いので、これらが廃車になって全て1階建の車両になると定員数が1634人→924人に減ってしまう。
JR東日本は「輸送力が必要な朝の通勤時間帯に増発するなど対応を検討する」と言っているそうだがどうせ口だけである。今現在は高崎に上越、長野、北陸新幹線がそれほど集中しているように見えないが、大宮~上野~東京間は新幹線本来のスピードは出せないくらいに過密しているし、2階→1階になったら東京駅に積み残し客が出るのではないか。
私の上州移動にも多少影響が出そう。今は自由席で座って楽に移動していますが、座席数多いMAXが廃止になったら指定席で移動するかも。
高崎駅に戻る.jpg
新しい展示物.jpg
高崎駅に戻ったら、駅のコンコースの上毛三古碑のあった場所に、何やら木の枠がセットされようとしている。
翌々日の帰京時に撮った写真。高崎祭りだった。
だるま.jpg
さて、上り新幹線Maxとき334号が新潟駅を出る前、私に1通のメールが届いている。
「お疲れ様です。今日は○○さん(私の本名)の好きなハチビキが入りました。ご都合でお待ちしています(*^ー^)ノ」
私は唖然とした。
店構え.jpg
何故、私がこっちに来てるのを知ってるんだ?(続く)
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サイクルトレイン再び乗車 [鉄路と風景]

JR前橋駅北口のけやき通り沿いにある某行政へ申請を済ませ、そこから歩いてもうひとつの前橋駅、上毛電鉄の中央前橋駅へ向かいます。
中央前橋駅.jpg
両前橋駅は徒歩で10分ほど離れています。
これは帰途に利用した前橋駅と中央前橋駅を結ぶシャトルバス。途中停留所に停まることないピストン輸送。
木製の椅子はクッションがなくて固い。ケツが痛くなるんだよね。
連絡バス.jpg
ケツが痛い.jpg
改札からホームに入ったところ。
Suicaには対応していません。券売機で購入するキップです。
発車を待つ1.jpg
上毛電鉄乗車旅は2回目です。前回は2014年の初秋に膳城他を見に行ったんだった。車内に自転車を持ち込んでるのを見て驚愕したものですよ。
中央前橋駅に2両編成の折り返し電車が着いて、20人ほどの乗客が下りてきた。うち2人が車内に持ち込んだ自転車を押して改札外へ出ていく。
サイクル1.jpg
サイクル2.jpg
発車を待つ1.jpg
出発を待つ700型2両編成。
東急車輛製造で作られた京王電鉄井の頭線のお古で、こちらに譲渡された中古車両です。
車体は旧くてもボディ塗装はハデです。大年増の女性が白昼に無理してゴテゴテに化粧(塗装)した感がある。
発車を待つ2.jpg
上毛電鉄には8本が在籍していますが、この時間帯は1時間に2本、朝の通勤通学時間帯でも1時間に3本です。8セットだと1時間に2本くらいしかダイヤ組めないでしょうな。
上信電鉄は富岡製糸場の世界遺産登録で多少は儲けたのか新型車両を導入したけど、上毛電鉄沿線にはこれといった目玉がないので後塵を拝してる感がある。
車内ガラ空き~往路.jpg
9:45発の西桐生行が動き出した。
車体がギシギシゴトゴト鳴る。でも上信電鉄ほど横揺れしない。
車内は老人客ばかり・・・でもなくて、「おや?」と目を見張る美女がいたりする。それだけ総客数が少ないから目立つということですよ。
病院と併設された心臓血管センター駅・・・(人間の内臓が2つも使われた駅名)で、後方車輌から4人もの美女が下り立ったぞ。
大胡駅1.jpg
大胡駅2.jpg
大胡駅です。大胡をダイゴと読む人がいますがオオゴと読みます。
駅舎は登録有形文化財&県近代化遺産。
併設されている車両検査庫も登録有形文化財&県近代化遺産。
その車両検査庫は、駅ホームからだと遠くて全体像が把握し難い。
駅舎もいい雰囲気を醸し出していますが、有形文化財&近代化遺産という観点で眺めても価値がよくわからない。
ライバル上信電鉄の吉井駅舎や上州一ノ宮駅舎だって文化財だと思うのだが・・・。・・・さっきからイチイチ上信電鉄と比較してますが別に他意はないよ。
車両基地.jpg
何だろこの模型電車は?
模型1.jpg
模型2.jpg
イルミ群馬なび.jpg
駅北側の法面側に展開したLED電球のイルミネーションイベントらしい。
チョコレート色の模型車両はデハ101・・・らしいです。(私は車量製造番号に疎いので。)
雨や風に打たれて傷まないのだろうか。
大胡駅は無人駅かと思いきや女性職員がいました。地元のボランティアかも知れない。
帰りの電車もチェック。やはり1時間に2本。
大胡駅舎内2.jpg
ここから目的地への位置関係や距離もだいたい把握しているので駅から歩こうとしたら、何とタクシーが1台待っておった。駅ロータリーに面してタクシー会社があるのです。
無駄な体力を使わず温存しようと思い直した。タクシーのボディを軽くノックしたら運ちゃんは通信機で何やら指示を受けておる。
「あ、すみません、もう1台来ますから」
「もう1台?」
私はひとりだけだぞ。
「今、ちょうど送迎の連絡が来ちゃったんですよ。すぐ1台来ますので」と言ってる間もなく駅前にあるタクシー社務所からもう1台のタクシーがロータリーを時計回りにグルンと走ってきた。
無線で指示を受けた運ちゃんは後から来た運ちゃんに、
「〇〇さん宅って、どこそこをの角だっけか?」
「いんや(違うの意)、〇〇の辺りの角っこを曲がってすぐだよ」
同僚同士の会話の後で乗車。のんびりしたものである。
「お待たせしました」
「大胡城の駐車場まで行ってくれ」
「大胡城の駐車場ね」
大胡城へ向かう.jpg
そこへ至るまで飲食店が1軒も見当たらなかった。
コンビニもない。そういう事態を見越して水を用意してきた。
寂れた市街地を抜けて川に沿って走り、いきなり左折して急坂を上がり、1台分の四角いトンネルを勢いよく抜けたら視界が広がり、そこが駐車場兼二の郭だった。
「1時間くらいしたら、ここ(駐車場)か近隣の寺で呼ぶから」
タクシーは下っていった。
大胡城1.jpg
二の郭には老人がひとりでゴルフの稽古をしとった。私にジロリと一瞥をくれたので私も視線を返したら、そっぽ向いて二の郭の端っこにいっちゃった。
雑草もなくキレイに刈り払われているので練習場にしてるのでしょうな。外部から稽古をじゃましに来た闖入者と思ったに違いない。
村上弘明さんが殺陣してたのはどこだろうか。(続く)
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旅の途中 [鉄路と風景]

JR新幹線Maxとき315号新潟行(東京駅10:16発~高崎着11:05)、新幹線の橋上改札から在来線乗り換え改札を経て在来線ホームへ。
たかべん1.jpg
腹の虫が鳴った。
この時はこれから赴く渋川駅近くの飲食店情報が少なかったので、今の内にたかべんの駅そばで済まそうかな~もう何だっていいや~の心境でスタンドへ歩み寄ったら。
たかべん4.jpg
!!!
NREになっちゃったのねいつの間にか。
たかべんよお前もか。止~めたっと。
首都圏に氾濫している何処も同じ味のNREをここ群馬で喰わなくてもいいや。渋川駅チカで何処か探そう。何かあるだろ。それにしても時間給800円は安くないか?
群馬県のHPから。平成28年10月6日改訂された群馬県の最低賃金は759円だそうである。
デ1.jpg
思いとどまって腹の虫を押さえながら、次に来るであろうJR特急草津1号長野原草津口行11:23発を待っていたら、赤いディーゼル機関車がおっそろしくクラシックな旧型車両をこっちに向かって牽引してきた。
デ2.jpg
デ3.jpg
旧型1.jpg
旧型2.jpg
旧型3.jpg
高崎車両センターに籍を置く旧型車両たち。
内装や座席は木製で、暖房はSLから供給される蒸気暖房。冷房はないそうです。
カタカナで車籍番号が書いてあるが、私はそういうのよくわからない。
まさか私の立ってるホームに来るのかと思いきや直前に逸れて、八高線の脇を通って1本違いの線路にゆ~っくりゆっくり停車した。
遥か向こうには新型電車の先頭車両フェイスが見える。特急草津に違いない。このイベント旧型車両に入線を譲り赤信号で停車していったようです。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-29でも書いたが高崎駅構内の動線の関係らしい。
私は30数年前、多感な高校生修学旅行が東北地方で、集合場所(宿泊地)に着くまでは日中のフリータイムで幾つかのグループに分かれて行動した。
おそらく今もあるリステル猪苗代に向かう当時の磐越西線のこういう旧型車両に乗って、車両に併設されていた便所を利用した記憶がある。
美しいネタで恐縮ですが。あの時代、線路にそのまま落としたんじゃなかったかな。開放式ですよ。線路上の砂利、バラストに自然に落としていたもの。
確か穴からバラストが見えてた記憶がある。「停車中は使用しないでください」というあれですよ。
私が使用した紙もそのまま落ちていましたが、現物は赤茶けたバラストの色に混じって確認できなかった。白い紙だけ後方車輌のデッキから一瞬見えたものです。
今は信金の支店長になっている友人に冷やかされた。「〇〇(私のこと)が拭いた紙だ」って。そりゃ紙使うさ。「おめぇは使わねぇのか」って返したモン。
今はそこんとこ改造されてる筈。今でも旧タイプで運用していたら環境汚染問題になるからね。
こげ茶色した5両の旧型車両たちは、前方と後方に2両の赤いディーゼル機関車に挟まれていた。前方は引っ張り、後方は押しているのだろうか。
構内を牽引してきた赤いディーゼル機関車は高崎車両センターに配属されている4両(842、888、895、897)です。旧国鉄時代からの古豪だが、貨物輸送が激減した現在は新型機関車を開発することなく部品交換の延命措置で現役生活を送っている。
私が立っている場所まで軽油のニオいがした。
彼らが牽引してきた旧型車両は何かのイベントに違いないので、ホームで所在無げに立っている職員さんに聞いたのよ。
「この旧い客車は現役なの?」
「・・・ハイ。SL列車の車両です」
やはりSLか。SLの汽笛一声は住んでた羅漢町のマンションでもよく聞こえたものです。
でもSLはいないぞ。この後DD51が牽引する水上方面へのお祭り列車に連結されるのか?今日は平日だぞ。
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草津が来た。自由席車両に飛び乗った。
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こないだ泊まったことあるルートイン高崎。
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あ、私が住んでたマンションが見える。
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乗車20分。車掌が乗車券特急券の確認に来るかな~。
白状すると、渋川駅で飛び乗った高崎方面の上り特急草津自由席で、高崎に着くまでのおよそ20分、結局社内検札は来なかったことがある。乗車券だけで来てしまった。
その時はそのままスルーして新幹線乗り換え改札に入ったのですが、今回は渋川駅改札でちゃんと自己申告しましたよ。
駅構内で「特急ご利用のお客様は毎札までお申し出ください」ってしっかりアナウンスしとったからね。
特急券だけで510円でした。これは捨てちゃったので社内精算しなかった。
日本の臍(ヘソ)渋川にまたやってきました。
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渋川駅前、北に斜めに延びるメインストリートを歩く。
あ、伊藤商店が定休日でやんの。
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反対側道路向こう側の中華屋さん(何故かサンマーメンがある)もシャッターが閉まっている。
ここも休みかよ.jpg
さて。どうしようか。
あ、薬局の2階に喫茶店が見えるぞ。
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渋川モーニング [鉄路と風景]

朝、窓の外を見たらうっすらと。。。
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やれやれ。今日は歩かなきゃならないのだ。
晴れるだろうか。とけるだろうか。
窓の外が薄明るくなり、日が昇りかけて来た頃合いです。
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早く目覚めてしまった。
前夜の夕食&晩酌を19時過ぎに終えてホテルチェックインが19時半頃でいつもより寝たのが早かった。
枕元の会社携帯を見たら、ジャン妻からのメールで23時に「帰ります」日付が変わった0時に「家に着きました」午前1時頃に「おやすみなさい」。。。
何か業務上で不測の事態があったらしい。

あまり眠れなかった。
未明、起きる直前の最後の夢で、寝てる私の肩を黒い何者かが上から押さえつけて身動きできなくしてるのです。たまりかねて「ウオッ」と声を上げ、力ずくで振りほどいたら右腕が部屋の壁にぶつかり、ゴツッという鈍い音で目が覚めた。
それから眠れなくなった。

私の部屋は最上階、10階です。
眼下を上越線が走る。
1日が動き出した。
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眼下に電車の走行音がするとついつい撮影してしまうんは撮り鉄の性というものか?
私、別に鶏鉄・・・じゃなかった撮り鉄じゃないですよ。どっかの裏手に鉄路が通る宿のクセ、習慣、習性かですよ。
でもその宿のように踏切の音がしないので、走行音だと思って窓辺に立ってもすぐに通り過ぎてしまうのだ。1時間に2本か3本といったところです。

撮り鉄にも飽きて、そろそろ定刻6時半。
例によって無料!!と謳う朝食バイキング会場へ。
朝6時半~ですが、定刻前に下りたら行列ができていた。私が喰い終わって出るまで並んでましたね。
出されるものは安中や藤枝とそう変わらないですな。
バターが大量に入ったスクランブルエッグ。
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これまたベーコンがたくさん。
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メンチカツと蓮根のはさみ揚げ。まるで子安の市民酒場諸星で出されるような。
夜だったらチョイスしてたかもです。
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ポトフ。好きな味ですが、ソーセージを朝に食べると胃にもたれるので野菜だけ拾いました。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、セロリまで入っていた。
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椀そば。ザーッと大量に茹でてバサッと置いてある。
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これは言っちゃぁ悪いけど、首都圏全域の駅でのさばっている某会社の立ち食いスタンドよりマズいです。出さない方がいい。
ルートインの朝に必ずある丸い揚げ物。
食べたことないです。マッシュポテトかな。揚げ餅かな。
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そしてサラダ、というか、生野菜は。。。
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ハム、レタス、キュウリ、モヤシ、水菜。
やっぱりキャベツが無いんだな。
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焼き魚は鮭と鯖。
藤枝や安中でもそうでしたが、ここでも生卵は無いですね。保健所の指導だろうか。夏場ならわかるけど冬ですよ。
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私以外の利用者は屈強の男性ばかりで女性ゼロ。作業員、作業服ばかり。
土木関係者や作業員が多そうなのは渋川市の土地柄でしょうか。
食べたら部屋に戻らず即座に外に出て現場に向かう方もいましたね。
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部屋に戻る。
まだ出るには時間がある。
下を走る上越線が気になって。あ、晴れてきたぞ。
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おっ、左手から吾妻線が。。。
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くるま社会の上州でも本数少ないとはいえ通勤電車だって走るのですよ。概ねダイヤ通りです。
ウチの社員たちは私よりも群馬の電車知らないです。昨夜駅まで送ってうれた陰の部下・草の者6号なんか、吾妻線と上信電鉄の区別がつかなかいからね。
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晴れてきた。路上の雪がとけてきた。
まだ撮ってますがこれで終わりです。
部屋で最終チェックしてアポ先へ電話。「1時間早く行ってもいいですか?」
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ようやく仕事モードになった私。
晴れてるけど風が冷たい。痛いくらいです。身が引き締まります。
公用圏内まで歩きました。これから今日まで私は日帰り含めて渋川に6回きています。
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上信電鉄2017 [鉄路と風景]

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高崎駅0番線ホーム。
富岡製糸場が世界遺産登録される以前、JR北陸新幹線が高崎駅に到着する際のアナウンスは上信電鉄を継子扱いするかのように乗り換えアナウンスをしなかったが、世界遺産登録された頃から「上信電鉄は一旦改札を出てお乗換えください」程度のアナウンスはするようになった。
JRから上信電鉄への直接乗り換えはできない。
上信電鉄はSuica Pasmoに対応していません。
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ホームの先に併設されている待合室、絲綢之間(シルクのマ)
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ちっとも落ち着かないな。
私は平成24年に1年だけ高崎市羅漢町(ラのロの街)に住んでいたが、賃貸物件候補地のもうひとつが上信電鉄車両基地に面したマンションだった。
そこに住んでたら日々車両を眺めて暮したと思う。
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ED316。
この機関車は1957年頃に伊那電気鉄道からやってきた。
凸型だった車体を箱形の車体に載せ換え、南高崎駅にあった秩父セメント工場(現在は住宅地)への輸送に使われた。現在でも構内走行は可能らしいが本線走行は難しいという。
何でかというと、上信電鉄は1984年(昭和59年)12月21日、千平~下仁田間の赤津信号所付近で上下線列車の正面衝突事故を起こしているのだが、事故原因は下り列車運転士の居眠り運転と、上下線の列車交換のバラつき、そして当時はATS(自動列車停止装置)が未導入だったせい。
この事故後にATSが導入されたが、この子ED316には装備されなかった。
上州のシーラカンス、あるいはマスコット的な存在のデキ1型は現在でもイベント列車等で本線上を走行するが、ED316君はATSを装備しなかったので本線走行ができなくなった。
車籍は残っているそうだが高崎駅構内の片隅に放置されている。上州のシーラカンスになり損ねたといっていい。
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久々に乗車しました。乗ったら。。。
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絵手紙列車だった!!
作品出展者515人、作品769点。
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絵手紙列車は1日に3~4往復していたらしいが、ダイヤを見てどれが絵手紙ですという案内はないです。
書き手が違うから当然どれも内容が異なっている。主に日々日常の喜びが綴られているが、中には自分の病気を嘆くような内容もある。
幾つか読んだが、正直これだけあるとうるさくもある。
絵手紙列車は上信電鉄だけでなく、湊線(ひたちなか海浜鉄道)、和歌山電鐵貴志川線(猫駅長で有名)にも広がった。
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絵手紙は富岡製糸場近くにある洋食堂、新洋亭のママ、Iさんが発起人で公募責任者?
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新洋亭は3回くらいしか行かなかった。味とボリュームはかなりいいのだが、鰻の寝床のような細長い店内に地元客と観光客が入り混じり、取材も多いようで何だか落ち着かない。一度NHKの取材とカチ遭ったからね。
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そのうち安中の洋食104を知ったのでそっちを利用するようになっちゃった。

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しかし揺れるなガタピシと相変わらず。
左右に揺れるだけならまだしも上下に揺れるのはどうしてだ。
レールが細い。だから揺れるのか。
この記事は風ですが、夏場に上信電鉄の踏切に立って線路を見てるとあきらかにヒョロヒョロして見えます。
熱か陽炎のせいかも知れないが、JRや大手私鉄の重量級レールに比べたら明らかに細いです。
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上州一ノ宮駅。正面参道からいったん石段を上がって門を潜ったら石段を下ると社殿がある(下り宮)一之宮貫前神社の門前駅です。
私は上から社殿を見下ろしたことはありますが参拝したことはないです。この神社そのものの記事ではないですが、神社に隣接する「あるもの」について近々UPします。
一之宮駅から見えそうで見えない南側にある河川の段丘に公園があって、そこから救急ヘリ「はるな」他が四六時中離着陸を繰り返すのでブルブルボロボロとウルサい時がある。
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公用を済ませ、世界遺産の玄関口で途中下車。駅舎は2014年に新しくなった。
ただし駅舎だけです。ホームは旧態依然のまま。
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Suicaが使えないので改札で駅員さんにキップを見せなきゃならない。
電車の写真を撮ろうとホームに出かかったら、「下仁田方面ですが。高崎方面は〇〇分までお待ちください」と声が掛かった。
「・・・」
「電車の写真撮られます?」
「うん」
私はヒネクレ者なので正直うるさく思ったが、この辺りが富岡市が推奨しているおもてなし運動のひとつ、商工会議所のおもてなし五カ条の3項、おせっかいが大好きなまちの一端でありましょう。
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上州在住のウチの社員たちは誰ひとり富岡製糸場に行ったことがないのです。
製糸場を製紙場と書いた(変換した)子もいた。紙じゃないって。生糸だって。
ある女性社員の家は昔、養蚕農家だったが、廃業した原因は富岡製糸場のせいだとも言ってましたね。
世界遺産登録で喜んでる人ばかりでもないらしいのだ。世界遺産登録のせいで規制や制限が厳しくなったと。
世界遺産ににケチをつけるつもりはないが、その辺りも拾い集めてみたいものである。
で、この日の昼ですが。。。
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首都圏JRダイヤ乱れ一要因 [鉄路と風景]

目覚めたら新前橋駅だった。11:40前後だったと思う。
私は両毛線の伊勢崎駅で11:20発の電車に飛び乗っている。この11:20発の電車は定刻を3分ほど遅れた。単線だから行き違いが上手くいかなかったのかも。
乗った車両は旧湘南型の115系昭和タイプ。緑とオレンジの湘南色。4両編成だった。この車両の輝かしい全盛期は昭和の彼方に去っている。私の地元神奈川県の湘南路線を走っていた。
懐かしい車体だが今となっては古い車両。現在JRでの保有率は全盛期の半分もないそうである。
見るからに車体が重そうである。モーター音、空調音、走行中レールの継ぎ目に当る時の騒音がかますびしいのだ。
走行中の車両はギシギシガタピシ鳴る。かつては花形だったのが今は軽快な新型車両に押され地方に追いやられて余生を送っているのだが、ガタが来てるみたい。
それがこの日、立証された。
それも、2回も。。。

高崎駅に11:53に着くまでの短い時間、私はそのガタンガタン鳴る音が逆に心地よくなり、伊勢崎を発車したらすぐに眠ってしまった。駒形、前橋大橋、前橋の記憶がない。
ただ、伊勢崎を出る時、「新前橋で車両の切離しを行います」とかアナウンスがあった記憶がある。
短い4両編成をどう切り離すんだ?と訝しんだが、新前橋で起こされて流れたアナウンスは、
「おそれいりますが、お降りになったホームの向かい、1番線に停車中の電車にお乗換えください」
なんだって?
乗り換えろと??
車輌故障らしい。
高崎駅に着く前に眠りを妨げられた私はダルそうに下りて乗り換えた。

それでも高崎駅に11:53に着いた。停車する前に、「本日に限りまして5番線に停車致します。新前橋駅でのお乗換えにご協力いただきありがとうございました」のアナウンス。
私は12:20発の横川行に乗り換えて安中市の役所に行かなくちゃならないのだが。
アポは13:00過ぎ。一旦、5番線6番線ホームに下りた。
そしたら、「5番線に停車中の電車は12:20発の横川行です。ご乗車になりましてお待ちください」というアナウンスが流れた。
5番線に停車中の電車ったって、それはたった今、私が新前橋で強制的に乗り換えさせられて高崎まで来た車両ですよ。ってことはここからスイッチバックよろしく安中方面へ行く電車になるわけか。だから本日に限り5番線に・・・だったのか。
だったら下りないで乗ってりゃよかったな。発車まで20分弱あるが、ボロいけど空調が効いている115系電車に再度、乗りなおした。
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発車を待ちながら、「今日は火曜日だから104は定休日なんだよな、何処で昼を喰うかな・・・」、な~んてことを考えてたのだが。。。
ホーム上でヘンな雰囲気になっている。車掌と駅の助役、作業員らしいのが2人、ホームに立ち寄って打ち合わせを始めたぞ。
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作業員が無線で何処かに連絡している。
そのうち作業員が車両を指差して・・・というか、私の方を指差して、「お客さん乗っちゃってるし・・・」、「下ろさないと・・・」アヤしい不穏な会話が洩れ聞こえてくるじゃないか。
案の定また、「5番線に停車中の電車は車庫に入ります。ご乗車はできません」とさっきと逆のアナウンスが流れたものである。
私は眉間に縦皺が立ったのが自分でもわかった。只でさえ人相が悪いのに余計に悪くなった筈である。
保線作業員と打ち合わせ中の助役をとっ掴まえて聞いたのよ。
「どーしたのさ?」
「あ、この電車ですか?モーターの故障なんです」
なんだと?さっき新前橋で乗り換えたのも車両故障だろ。乗り換えた代替え車も故障かよ。僅か30分もしない間に2回も故障したのか。
横川行は1時間に1本しかないので。
「12:20発の横川行はちゃんと来るんか?」
「大丈夫・・・だと・・・思います・・・」
自信が無さそうであった。
「この車両が車庫に引き上げてから電車が入線しますので」
私はやや憮然とした。僅か30分の間に2回めだからね。
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ところがそのポンコツ車両がなかなか車庫に引き上げないのである。そのまま居座ってる。駅構内の電車の流れを追って見てたら、7番線から12:06発特急草津上野行を先行させ、4番線には12:04発の湘南新宿ライン特別快速小田原行が停車中で、2番線と4番線の先っぽに追いやられている短い3番線ホームの八高線12:10発ディーゼルカーまでもが先に動く始末である。ポンコツ115系はそれら先行車両の合間をぬって駅より東にある車庫、ヤードに引き上げるらしいのだ。
運転手、車掌、駅助役、作業員2人、勤務明けの私服職員2名が加わり、「参ったよ~」、「故障しちまってさ~」、グダグダ井戸端会議ならぬ雑談、立ち話が始まる始末である。
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こういうトラブルで首都圏のJR職員はまずホームに現れないケースが多い。首都圏の通勤客は利用客数もダイヤの本数も高崎の比ではないし、桁違いに数がいから中には気の荒い客もいる。下手したら暴力沙汰になりかねないところがある。
それに比べて高崎駅ホームにいる職員どもはのんびりして牧歌的だった。乗客も詰め寄ったりしない。勤務中の職員、勤務明けの私服の職員も混じって、「参っちゃったな~」の世界である。苦笑いを超えて白い歯が見えるくらいに笑ってたからね。
向いの4番線には12:08発の伊勢崎行がいてこれはすぐに定刻通りに発車した。でも私はその伊勢崎行の女性車掌に向かって駅助役が、「参っちゃったよ~」のような軽口を放っているのを見たぞ。不謹慎を通り越している。首都圏ではありえない光景である。
車庫に引き上げたのは12:15頃であった。「とっとと車庫へ引き上げんかい」と思ったよ。
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その後に12:14発の湘南新宿ライン特別快速小田原行が5分遅れで去って行く。こっちの信越線横川行の代替え車両は12:20までには来ないとみた。
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イラつく助役.jpg
だが代替え車両はホントにあるのだろうか?
「ストック車両はあるの?」
「ございます」
「まさか実はあっち(ヤードを指す)に電車の在庫ゼロってことないだろうな?」
私は端っから疑ってかかってる。
「ございますございます。あちらの左側にバックヤードがございまして、そこからこうやって(腕を旋回させた)きます。あ、あれです。今、チラッと見えました。もう間も無く来ますので」
なるほど遠目に見ると、電車の先頭部が見えて灯が点いている。
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「お客さんお待たせしました。今、参ります」
ゆ~っくりゆっくりこっちに向かって来る。
ところが。。。
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「あ、あれ??」(助役)
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「あ~、あっち行っちゃったよ」(助役)
小山行だった.jpg
あっち行っちゃったじゃないよ。バックヤードからやっと来た電車は私がいる5番線ではなく4番線に逸れてしまったのである。行き先表示を見たら12:30発の両毛線小山行である。
「こっちに来ないであっち行っちゃったじゃんか」
「あ~ぁすみません・・・ったく何やってんだ」
助役は無線にかじりついた。
「オォイなぁにやってんだっ。4番線に行っちまったじゃねぇかっ。5番線だよっ5番線っ。えっ?この後に来る?」
野卑まる出しのTALKだったがまさか私に対しての演技じゃないだろうね助役さん?無線を切った助役は、「ったくホームのこと考えろよ」とブツクサ言っていたが私に聞こえるように言ったとしか思えない。こうなるともうギャグの世界である。私は淡麗プラチナダブルのCMよろしく、「愚痴るよりネタにしちゃうか」の心境になり、幾分と気持ちに余裕が出て来た。
それでも詰めよったよ。
「さっきからネタを提供して笑わせてくれてるが・・・」
「あ、いや、あの・・・」
「ホントに横川行は来るんだろうな?」
「お客さんすみません。あっち(4番線)に先に流しちゃって・・・。大丈夫です。来ます。この後に来ます」
1時間に1本だから焦ってるように見えないのだ。

この図を見てください。
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(出典もと。配線略図Nethttps://www.haisenryakuzu.net/documents/jr/east/takasaki/
左にバックヤード(センター、車両基地)、右に高崎駅構内、2つを結ぶ線路は途中で砂時計の真ん中ように狭まっているでしょう。バックヤードからストック(代替え)車両を搬送しようとすると、短い距離とはいえ一旦は本線を走行しないと駅ホームに来れないらしいのだ。さっき助役は腕を回すように説明してくれたのはそこをなぞってくれたのである。
横川行の電車故障をなるべく他の路線に影響させないよう合間をぬって搬送するしかないのはわかった。動線の問題のようである。
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「あ、ほら、今度こそ来ました」
「今度は大丈夫だろうな」
「大丈夫です。ホラ来ました」
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待ちに待った代替え車両は5番線に向かってゆっくりゆっくりやって来た。「てめぇ早く来いよっ」と罵ったら、前で写真を取ってた学生君がビクッと振り向いた。
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高崎発は12:27過ぎだった。1時間に1本。定刻より7分遅れ。
高崎駅や群馬の世界では誤差の範疇かも知れないが、4番線に停車中だった湘南新宿ライン特別快速小田原行が出たのは12:19頃だったので12:14発の定刻より5分遅れた。今頃ここから遠く離れた首都圏では、高崎駅構内での車両故障・・・あるいは車両点検で遅れが出ていますといった言い訳アナウンスが一斉にテロップで流れたであろう。
首都圏を貫くJR長大路線の遅延原因の一旦を見たぞ。
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ぐんまちゃん列車 [鉄路と風景]

別に私は上信電鉄の廻し者ではないですが。
上信電鉄創立120周年記念事業、ぐんまちゃん列車運行についてご紹介します。たまたま来たのに乗車できたのです。
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上信電鉄株式会社(高崎市鶴見町・代表取締役・木内幸一)は、本年12月27日をもって創立120周年を迎えます。
これを記念し、地元群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」を電車ボディにデ ザインした「ぐんまちゃん列車」を運行いたします。
1.コンセプト
当社が本年12月27日に創立120周年を迎えることを記念し、ゆるキャラグランプリ2014で堂々の1位に輝いた群馬県のマスコット、ぐんまちゃんをデザインした電車を運行いたします。 ぐんまちゃん列車の運行により、群馬県およびぐんまちゃんの更なる知名 度向上とともに観光誘客を図ってまいります。
また、沿線自治体の、ご当地ぐんまちゃんや、今年誕生した当社の鉄道むすめキャラクター、富岡しるくのデザインも配し、沿線住民の皆さまに愛着をもっていただき、沿線地域の活性化ならびに鉄道利用促進を目指します。
世界遺産の富岡製糸場や荒船風穴、世界記憶遺産国内候補に選定された上野三碑にお出かけになる際にもぜひご利用下さい。

2.運行車両
クモハ501・クモハ502
3.運行開始
平成27年12月27日(日)高崎駅発9時55分の列車より
4.運行期間
平成27年12月27日~当分の間(1日3~4往復予定)
5.運行時刻
不定期(ご利用になる当日にお問い合わせ下さい)
6.運行に関する問合せ先 上信電鉄㈱鉄道部 027-323-8073

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天井にはりついているぐんまちゃん。
ボディも天井もぐんまちゃんだらけ。ここまでするか。
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後方に鎮座しているぐんまちゃん人形は素っ裸だった。何か着せてあげればいいのに。
この素っ裸のぐんまちゃん人形は安中市にも鎮座していますよ。
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前方部、運転席にいるぐんまちゃんは制服を纏っていた。
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ぐんまちゃんの顔をモチーフにした正面のデザインはイマイチだな。
「ブサイクねこの電車のカオ・・・」(ジャン妻)
私もカワイイとは思えない。ちょっと無理があるような。
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でもまてよ?ぐんまちゃんのイラストを利用するにあたって特定の個人や法人(この場合は上信電鉄株式会社さん)、団体を支援、もしくは公認しているような誤解を与えると認められる場合は認可されないんじゃなかったけ?
群馬県のイメージを向上させる為でもあるからノープロブレムなのかな。
でもサイクルトレインの上毛電鉄さん(新前橋~桐生)、上信電鉄さんに先を越されましたね。
上信電鉄の方が沿線に富岡製糸場、上毛三碑、サファリパーク、貴前神社、小幡の城下町他、目玉が多いとは思います。
高崎駅JR改札コンコースに鎮座していた上毛三碑のレプリカも上信電鉄ホームに鎮座しているし。
県庁所在地よりも上州玄関口の方が上手だったということか。
上毛三碑レプリカ.jpg
ぐんまちゃんの利用期間は最長2年間で、それ以降は更新申請をするそうです。私が日常、社で行っている業務も似たようなものですが、2両編成とはいえ、フェイス、ボディ、室内天井を含めた内装にペイントされたぐんまちゃん全部のイラストに、申請書&添付書類が必要なのではないかなぁ。
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上信電鉄2016年夏 [鉄路と風景]

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-07-05の記事に登場した生意気オンナが私に向かって言うには、
「〇〇さんダメですよ。行き先ボードに、ぐんまー、とか、しぞーか、とか書いちゃ」
「???」
「社の皆さん見てましたよ。どこへいったんだ?って」
「ぐんまーは群馬、しぞーかは静岡じゃねぇか」
別にバカにしちゃいないよ。2県への親しみを込めて書いたんだからね。
「ちゃんと群馬、静岡って書いてください。〇長がじーっと見てたので私が書きなおしたんですから。2回も」
恩着せがましく言いやがって。別に書きなおしてくれって頼んじゃいねぇよ。私はやや憮然としたが、背後から現場統括責任者の伊東甲子太郎が、「ダメですちゃんと書かないと。来客の目にも触れるんだし・・・」
群馬と書いて出かけました。
そして上信電鉄に久々に乗るハメになった。上州一ノ宮駅近くにある合同庁舎へ出向くことになったの。
上信電鉄ホームはJR改札から一旦出て外部に出る階段を下りて、駅そばスタンドを右折して、更に先、追いやられたようにホームがある。0番線です。新幹線改札から最も遠いホームである。
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いつまで経ってもSuicaが使えない。キップです。高いの。一ノ宮まで900円もするんですよ。ローカルなクセにこんなに高い運賃もそうそうないのではないか。

ホームの先端にある待合室。
車籍を抜かれたた廃車車両を再利用したもの。レールの上に鎮座しています。
富岡製糸場世界遺産登録の恩恵を受け、沿線の利用客は減っても観光客は増えているそうです。
でも高崎駅構内に待合が無いので、いっそのこと余った廃車車両内を待合に??
絹がふんだんに使われた豪華な内装という訳ではないです。
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上信電鉄ホームに見慣れない新車が入線していた。7001型。
近代的なフェイスであまり上信電鉄っぽくない。
上信電鉄は沿線にあるものを採りいれてマンガチックにベタベタ塗装する車両がやたらと多いが、これには富岡製糸場のレンガが塗装されてあった。
この7001型は、2013年に既に登場していたクリーム色一色だった7000型を塗装化したもの。沿線の高校生を対象にした公募で選ばれた塗装が施された。
上信電鉄は西武鉄道から譲渡された中古車両が多くあるが、これは自社発注。発注のきっかけもやはり沿線の花、富岡製糸場の世界遺産登録に併せたもの。良くも悪くも上信電鉄は富岡製糸場とともにあるのです。
7001-2.jpg
あ!!クロスシートになっている。
上信電鉄はロングシート車ばかりだったが。これも何だか違和感がある。
7001-3.jpg
上信電鉄は揺れるので有名。根小屋、山名辺りのカーヴはもとより、真っ直ぐ走ってても揺れる。
西武から譲渡された中古車両が多いのとレール規格が小さいからだと思う。素人目に見てもレールがヒョロいのだ。JR幹線用の50kgレールではない。いいとこローカル在来線用の37kgレールか40kgレールでしょう。
夏場に踏切に立つと陽炎の向こうにレールがヒョロヒョロ曲がって伸びているように見えるからね。
この新型車両はあまり揺れない。いや、揺れるのだが揺れ幅が小さいように思えた。車体の下部、台車も新しいタイプか。
私は通勤電車内でもボックスシートに座らない。
慣れないボックスシート。
乗り心地が良いのに何だか違和感がある。

上州一ノ宮駅に着いた~。
上州一ノ宮駅1.jpg
上州一ノ宮駅2.jpg
上州一ノ宮駅6.jpg
クラシックな上州一ノ宮駅。
昭和の映画ロケで使われそうな駅舎とホームである。
実は一ノ宮貴前神社(私は行ったことありませんが)の門前駅。本殿が境内の入り口よりも低く、正面の参道から石段を上がり、大鳥居と総門から入ると今度は石段を下ったところに参拝する本殿がある「下り宮」の配置になっている。行ったことはないが、謎に包まれた一宮氏の館跡と併設しているらしい。

駅前にタクシーが1台停まっていた。一ノ宮貴前神社への送迎客??
ここから庁舎までは徒歩5分か7分ほどですが、炎天下なのでタクシー使っちゃった。
「近くて悪いが合同庁舎まで。そこで待ってて欲しいの」
「ハイ合同庁舎」
快く了承してくれた。
行って戻って経過時間は10分足らず。歩いてもいいんだが何しろ暑いのだ。
手短に済ませ、駅に戻って私を下ろしたタクシーは駅舎の脇に下がってヒマそうにしている。
上州一ノ宮駅5.jpg
上州一ノ宮駅3.jpg
上州一ノ宮駅4.jpg
そこから高崎方面上り電車を待つ時間の長いこと。
駅執務室には誰もいない。いないのをいいことに駅舎の待合内で弁当喰ってる老人がいる。
こんな貼り紙があった。
応募したい.jpg
応募したいなぁ。。。

長閑だが、さっきから無粋なモーター音がするのです。
突如、駅のすぐ向こうにある木立の陰からヘリが浮上した。
ヘリ8.jpg
!!!!
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安中日帰りドラマ [鉄路と風景]

14:40発の新幹線Maxとき325号に飛び乗って15:30に高崎着。
15:52発のJR信越本線がこれです。旧いタイプですね。
信越線横川行.jpg
車内ガラガラ.jpg
安中着は16:04です。
ドアは手で開けます。最初が重たい。片手で持って体重かけて引っ張り、反対側のドアはヤクザキックで蹴飛ばしてやった。
ちょうど学生さんの下校時刻。上りホームをたくさんの学生さんが占拠している。決められた下校時間、限られた電車本数だから決まった時間だけ集中混雑するのである。
学生さんの大群.jpg
学生さんをかき分けながら安中駅改札を出たらタクシーがいないじゃないかぁ!!
タクシーがいない.jpg
いつもは2台~3台停まってるのにさ。
こちらは17:00までに行政へ出向かないとならないので電話で呼ぶことにした。安中タクシー、通称アンタクを呼んだ。
タクシー待ちには1人のオバちゃんがいて、
「ちょうど1台いたのが出てっちゃったんだよ~」
「ああそう。自分は(タクシー)呼んだけど・・・」
「JRはウチとは関係ないから直接呼んでくれって言われたんだよねぇ」
JR職員さんもタクシー呼んであげりゃぁいいのに。どーせヒマなんだからさ。
「自分がもう1台呼びますか?」
私は人が多い都会では優しくないが、人が少ない群馬に来た時だけ優しい人間に化けるのである。
「いいワありがと。どうせ待ってりゃそのうち来るでしょ」
オバちゃんの言う通りで、私の呼んだタクシーが来る前に3台ほど来たのである。タクシーが来る度に、「自分は呼んだから」と断るハメになってしまった。
「お待たせ~」(運ちゃん)
「自分、呼んだんで」
「ああそう。じゃぁ待ってて」
これが繰り返された。
オバちゃんは私より先にアークタクシーのワゴンに乗って去っていった。
オバちゃん1.jpgオバちゃん2.jpg
榛名タクシー.jpg

アンタク.jpg
10分ほど待ったら安中タクシー、通称アンタクが来たぞ。
「高別当の安中市〇〇〇〇事務所」
「ああ、〇〇所ね」
「GUSTを左折、104を右折ね」
安中藩の辺り.jpg
安中藩の辺りです。妙義が見える。
妙義が見える.jpg
104は定休日だった。
いつかルートインに泊まって、夜の104を堪能してみたいものです。
定休日.jpg
公用は問題無く終了。
帰りは榛名タクシーを呼んだ。運ちゃんは女性だった。
「東京までお帰りに?」
たった1件の業務でこの時間帯だったら日帰りがアタリマエですよ。
「16:50発がちょうど出てっちゃったんだよな。次は17:40までない」
「ああホントだ。お待ちになってる時間が長いですよねぇ」
「駅で業務メールしながら待ちますよ」
「1時間に1本くらいしかないから」
「何のアナウンスもなく、気が付いたらいきなり上り電車が来たことがありますよ」
「そうそう。ここは田舎だからさぁ~」
帰途の榛名タクシー.jpg

再会.jpg
駅ロータリーで身体を伸ばしてたら、1台のタクシーから運ちゃんが下りてきて、
「あれぇ?早いねぇ」
さっき、私が「呼んだから」と断った運ちゃんである。
「もう用事済んだんだ?」
「済みましたよ」
「こんな短い時間の用事なのにわざわざ来なきゃならないんですか」
「郵送がNGな内容なんです。窓口で説明しなきゃならないかな」
「タイヘンだ。で、次の電車まで待つんだ?40分以上あるんじゃない?」
「待つしかないじゃないですか」
そうやって会話してる運ちゃんのタクシーに私は乗ってないんですよ。見送っただけ。僅かそれでもう顔を覚えられたのか。安中の狭くて少ない群馬の人口密度かということ。
(この運ちゃんは7月にも再会していますが覚えてなかった。饒舌でしたね。)

さっき大量にいた学生さんたちはもういない。
乗り遅れたか。部活か。補習で居残ったか。2人3人程度の学生さんがパラパラ。
上りホーム.jpg
業務電話、業務メールもやり終えてしまい、ヒマですることないので、安中のシンボルでもある東邦亜鉛株式会社(トウホウアエン)製錬工場に入線する貨車を見ていた。
東邦亜鉛2.jpg
東邦亜鉛3.jpg
東邦亜鉛4.jpg
屋根の無い貨車(無蓋者)は東邦亜鉛社の所有。茨城県の小名浜港で陸揚げされた亜鉛を運んでこの地で製錬するのです。
構内入替用のミニ機関車が貨車を2両ずつ精錬所へ引いていった。2両ずつなのはスイッチバックの長さの都合です。先日車窓からジーッと見てたらやはり折り返し退避部分が短いの。途中から錆びて雑草に埋もれ、廃線状態で自然に還ってた。
東邦亜鉛5.jpg
東邦亜鉛6.jpg
東邦亜鉛は安中のシンボルだが、昭和の時代、群馬県で足尾銅山に次ぐ公害事件で知られる。
現在は安全協定を3年毎に更新しているそうである。
夜になると大量の光が点る不夜城でもある。沿岸の工場地帯ではなく山の斜面に光が灯るので、知らない人は「この地に?」釘づけになる。
東邦亜鉛1.jpg

上り電車が来た.jpg
実はこの日、高崎バルでドーミインが取れなかったのだ。だから帰らなきゃならないの。
ジャン妻は業務定刻終了後に美容院に行くとか言ってたので、バルで混雑する高崎市街を避けて群馬八幡で一杯引っ掛けて行くことにした。
だけど磯部松井田の西空が黒雲に覆われてる。あの雲はいずれ八幡、高崎まで来るのだろうか。
私が八幡で飲む夜は雨率が高い。
また雨を降らせちゃうかな。
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旅をジャマする者 [鉄路と風景]

磯部温泉辺り1.jpg
碓氷川.jpg
お宿.jpg
安中榛名駅からバスで磯部駅に向かうバスの車窓です。
磯部温泉辺りです。磯辺ではなく磯部。日本で最初の温泉マーク発祥地とも言われている。
足湯の辺り.jpg
バス.jpg
温泉マーク1.jpg
温泉マーク2.jpg
長野新幹線の開通で地方のローカル線に転落したJR信越線、磯部駅ホームに立っている私。
現在はいいとこ4両編成しか停車しないのに、昔の名残で長大ホームを有している。
ホーム先端から磯部城を望む.jpg
磯部城UP.jpg
日頃、外出が多く、月に3回か4回は地方へ旅している私ですが、先日、マッタがかかった。
「〇〇さん」
「何です?」
「いずれウチの会社店舗数が今の10倍増えますよ」
私に話しかけて来たのは伊東甲子太郎(仮名)という現場統括責任者。
「10倍?」
「今の10倍です」
「っていったら1000か。そんなになるかな~」
「なります。いや、10倍にもっていきます」
「ああそう。(あくまで目標なのね。)でも今はせめて目標倍ぐらいにしときましょうよ。それだったらまだ現実味があるのでは?」
「いやいやいやいや10倍いきますよ」
「10倍ねぇ・・・」
私は現実感が湧かない。
伊東という男は信用度と不信用度が相半ばしている人物で、夢を語り、啓発心を呼び起こし、会社の意に沿った上昇志向の人間を上げる反面、そうでない者は切り捨て・・・までいかないが、置き去りにしてしまう。
実務よりも部下にやらせるタイプでもある。
イヤな言い方だが政治と一緒で現場の数=力ともいえる。数だけ増やすのに最も簡単なのは新規案件よりも何処かを吸収合併するのが最も手っ取り早いのだが、そこの売上&利益だけではなく、そこが抱えてる負の資産、問題も請負わなくてはならない。
数を増やすのはいい。でも形あるものはいつかかならず無くなるともいえる。向こう何年かわからないがその間にクローズ、撤退する現場だってあると思うのだが。
10倍?私が在職中に1000までいくだろうか。
長閑1.jpg
使われていない側線?.jpg
唐突に伊東は何を私に言いたいのか。私は半信半疑で軽く受け流そうとしたのだが。
「10倍ったら従業員数は7000人くらいになる訳か・・・」
「ですね」
私は遠くを見るような目になった。そんなに数が増えたら今の東京本社一本化組織では対応できないのではないだろうか。それこそ例えば群馬だったら群馬に支社ができるかも知れない。
伊東が何を言いたいのかわからない私は、「群馬の支社なら私が行ってもいいよ」と脱線気味に言いかけたら、伊東が言うには、
「10倍ですよ。現場数1000、従業員数7000です。〇〇さん(私のこと)ひとりでは無理ですよ」
ああ、そういう話か。
私個人の業務の話ね。私は経営部門からは外れているが、各現場の営業許可に関わる部分、従業員の行政登録をひとりで一手に引き受けている。いわば営業の根幹の部門です。
何か変更事項が生じたら足早に行政へ出向くのだが、毎月毎月かなりの件数になるのです。
誰も辞めたり、異動したりしなければいいのだが、私のいる業界は定職率が極めて低いのだ。離職率が高いということです。
ホームから妙義.jpg
妙義UP.jpg
更に伊東は続ける。熱弁になってきた。
「もう〇〇さんひとりでやらないで、それぞれのエリア長や各店の店長にやらせましょうよ。〇〇さんは本社にいて書類作成と捺印だけでいいんです」
あ、そういうことか。コヤツ私から外回りを、外出を、出張を、旅そのものを取り上げようとするつもりだな。
私は有難迷惑に思った。いや、伊東が長期展望を考え、今後を憂えて言ってくれてるのはわかるよ。でも今のところ私はそれほどタイヘンじゃないのよ。じーっと本社にだけいるのは性に合わないし変化も欲しいし。
余計な心配しなくていいよ。
でも実は最近、一部の中堅社員や幹部候補がひとりでやってる私を見かねて、「自分がやります」、「行きます」、「やらせます」、4名ほど手が挙がってはいる。
「それは〇〇さんイズムですよ」と伊東は私を持ち上げた。私が言葉でなく背中を見せたということですよ。実際やらせたの。
でも人に託すのって自分でするのよりもどかしい。
「それが人を使うということよ」(ジャン妻)
私自身がタイヘンそうだから「自分らでやります」、というのも本意ではない。どうせ私の職掌なので同情票を買うのに抵抗がある。
だが伊東は会社が大きくなった時、将来を憂えている訳です。私は私が抱えてる業務内容によっては、各現場に委託することに同意せざるを得ない雰囲気になってきた。
下り電車.jpg
ガラガラ.jpg
車窓から文殊寺砦.jpg
私は伊東に釘を指した。なかなか手ごわい行政、窓口もいるので、現場の者に行かせても、何か相手から突っ込まれたらその場で即時に対応できないだろうと。
相手、役人も生身の人間である。私は私也に腹芸があるし、演技力を駆使してその場でケリをつけるのを大原則としている。多少は抵抗して相手に受理させる努力が必要なのだ。知らない人間に行かせていいものか。何か指摘されたら言い返せずに持って帰られても困るのです。
「都内23区や横浜・川崎の区は数が多いから手早く済む時が多いですが、市制だけで区のないところや地方は指摘が細かいですよ」
「そうなんですか。でも〇〇さんがそう思うんだから事実そうなんでしょうね」
「東京神奈川は業界の数が多いから、相手もすぐ処理しなくちゃならないのでサッと受けてくれるんですよ。でも地方や田舎ほど業界の数が少ないので、重箱の隅を突くように細かく見られます」
実際そうなのである。
「わかりました。でも細かい部分はさておき基本は今後の方針として現場にやらせることでよいのでは?」
伊東の言う主旨には同意せざるを得ない。私も齢50を幾つか過ぎたし、私が不在でも滞りなく廻ることを考え構築しなくてはならない時期にきているのだ。
でも伊東は私の言うところの、「地方都市は手強いよ。細かいよ」に引っ掛かった。最後にこう言った。
「埼玉や群馬、静岡とか。地方や遠方は〇〇さんが今後もお願いします」
ヤッタぜ!!
ギリギリ領域を守れた気分。
他にもこう言われた。「群馬は〇〇さんの方が土地勘がありますからね」
ヨカッタ。安堵した。
地図で見て近いけど、そこへ至るまでが遠いかめんどくさい箇所だけ現場に投げようっと。
榛名.jpg
妙義.jpg
人生そのものが旅ともいうが。
外出しなきゃネタに事欠くじゃないか。これが本音だけど。
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旅は終わらない [鉄路と風景]

オカシイ?
崎陽軒のシウマイ弁当が見当たらないぞ。
12:40発MAXとき321号新潟行の発車時刻が迫っている。シウマイ弁当は以前、新幹線中央改札脇の弁当売り場にあったのだが、そこが撤去されて無くなっちゃった。
東京駅は東日本の名産弁当の出展競争が激しいから、横浜の崎陽軒はフェイドアウトしてしまったのだろうか。
駆けずりまわって探し廻ったら、南乗り換え口向こうの売店に、
南乗り換え口売店.jpg
弁当屋.jpg
あるじゃないか.jpg
あったぁ!!
シウマイもあるぞ。
「あったあった探したゼ」
売り子さんはニコッと笑って売ってくれた。
車内で昼を過ぎるので弁当を購入。シウマイ普通サイズのも上州のある筋に土産に買ってくことにした。そしたら売り子ガールの時間説教TALKが出たよ。
「そのままですと明日の午前1時までお召し上がりになれます。冷蔵庫にお入れしますと・・・」
シウマイ弁当の方はこれから車内ですぐ食べると思ったようだが、シウマイ普通サイズは土産ものだからそう言わずに売れないのは相変わらずのマニュアル通りである。ここは東京駅だが、横浜生まれ横浜育ち崎陽軒を喰って40年のベテラン客に説教すんじゃねぇよっ。
いつもは最後まで聞かずに無視してその場を立ち去るのだが、聞き返した。
「午前1時?」
「ハイ」
「それって日付変わってすぐか?夜中?」
「さようでございます」
誰が午前1時に喰うかよ。
ここまでガチで設定されると犯罪ドラマによくある時間設定のようなもの。「いついつまでに身代金を持って来い」のようなね。
でもまぁ探し物が見つかったんだからいいか。
そういえば伊豆高原八幡野のMさんが言うには、
「母がウチに来る時、東京駅に崎陽軒のシウマイが無かったんですよ。お弁当はあったんですけど・・・」
今度、Mさんに教えてあげよう。南乗り換え口向こうの売店にあります。隅に押しやられちゃったんだね。
開封前.jpg
12:40発MAXとき321号新潟行自由席にギリギリ乗車。車内はどの客も買い込んだ駅弁を開いてたね。
プシュッ??
誰かがビール飲んでやがるな。
私も開封する。
開封.jpg
西日暮里駅で完食!!
西日暮里で喰い終わる.jpg
しばしウトウト眠ります。今日は高崎を通り過ぎて、終点の新潟まで行くのです。
新潟から高崎に戻って一泊、明日の朝に前橋、宇都宮を廻るツアー。

新潟着14:50。新潟での業務は至極簡単なもので、あるものを正本、副本、こちらの控と3セット用意し、簡単に説明して受領印を貰うだけです。簡単なんだけど、新潟・群馬・栃木とも郵送が不可なのだ。
新潟県某所の窓口まで徒歩10分。窓口で10分。
新潟駅まで戻るのに徒歩10分。15:13発MAX330号に間に合わず。[あせあせ(飛び散る汗)]
次のMAXとき332号は高崎を通過してしまうので、次のMAX332号16:23発まで待たなくてはならない。県庁所在地前橋へ出向くのは明日に伸ばした。

新潟駅.jpg
新潟駅ホームに停車中のMAX332号16:23発の発車待ち時間。自由席先頭車両2階の車窓から、気になるものが目に留まった。
何だあれは?.jpg
何だいこれは?
何かあるぞ?.jpg
ホーム下に台車が新幹線の軌道に対して横向きに鎮座してある。
座席2つ、後部に小型エンジンを背負ってる。
モーター式の軌道バイク?いや違うな。レール点検用の台車か?
ナワ~ルドさんが廃線になった神岡鉄道の軌道に走らせた2人乗り自転車とも全然違う。
下りて見る.jpg
遠目に見た感じでは車輪と車輪の幅、寸法は新幹線の軌道(1435m)のようである。そりゃこの台車は新幹線の軌道上を走行するに決まってる。在来線を走行するものを新幹線ホーム下に格納してもしょうがないだろう。
これはおそらく一方向にしか進めないし、線路の端まで走ったら戻るのに人力による反転作業が必要ではないか。ターンテーブルなどないだろうし。かなり重そうである。
この台車の正体はわからないのでどなたか教えてください。イベント用ではなさそう。おそらく保線用か、職員を乗せて現場へ走って行く類のものと思われますが。
レールバイクか?.jpg

MAX332号はひと駅、ひと駅、律儀に停車していく。
何だか今日は新幹線に乗っている時間の方が長いな。今日明日の出張は私の本来の業務ではなく、隣部署(私がかつていた部署)からの応援依頼で請け負った。
その部署は請負った私に口頭で「お願いします」とも言わず、内容も説明せず、私のデスク上にバサバサと置いてあっただけ。
それでいてこちらが前から依頼していた案件には先送りして対応しないので私はカチンと来ている。
出張中に、「無事、済んだから・・・」の途中連絡をしなかった。受付印を貰った3県の届出控を他部署のデスク上にバサバサッと置いてやったよ。
3県の届出を済ませてから伊東甲子太郎に、「アナタの部署は他部署に対して失礼ではないか?」とクレーム言うハメになった。私は他部署の下請けじゃないんだからさ。

17:41に上州玄関口に滑り込んだ。
私がかつて済んだマンションが見える。
あの部屋に還りたい。
懐かしい.jpg
歩き慣れた上州玄関口、改札コンコースに・・・
レプリカ1.jpg
何やら石の塊が鎮座してるぞ??
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上州滞在2時間のこと。 [鉄路と風景]

慌ただしい日帰りだった。
東京駅発9:04、新幹線あさま605号長野行に飛び乗る。
高崎駅着9:55、信越線横川行10:19に乗り換えて安中市に向かうのだ。
25分弱の待ち時間を利用して一旦、駅郊外に出て郵便局へ。
駅前郵便局.jpg
3年振りに来たこの郵便局、高崎在住中はよく来たものです。
親切で丁寧。見知った顔もいた。
定形外封筒と簡易書留430円分の切手を購入しないと。
「同封する書類はどれくらいの重さですか?」
「そうだなぁ。A4を10枚くらいかな」
「でしたら1つ上の重さの金額がヨロシイかと思います」
480円だという。
「それにする」
返信用の封筒なので足りなかったら本社で支払えばいいのだが、そこは万全を。
「切手ここで貼ってっていいかい?」
職員さんは封筒の入ったキッチキチのビニールを切って封を開け、その場で水に浸した切手を貼ってくれた。親切だなぁ。
「ありがと」
言い捨てて出た。至れり尽くせりは3年前と同じだった。3年振りの再会だがもう私のことは覚えちゃいないだろうな。
郵便局を出る。ここから北へ道路を横断すると通町方面で、出勤前の七マスター、くいもの屋亮の娘さん、浜潮のおっちょこちょいY子さんとバッタリ会ったりしたものだ。
駅に戻る。在来線の5番ホームへ駆け下りた。車輌は〇〇〇型。手動でこじ開ける。
横川行.jpg
業務メールを打ちながら目的地の安中駅に下りた筈だが・・・
職員さん用荷物.jpg
あれっ??
何だか風景が違うぞっ??
安中駅前には商店は何もないのだが(1軒、営ってるのかどうか、ベイカリーがあったかも)、ホームを下りて必ず目につく安中のシンボル、東邦亜鉛安中精錬所が無いのだ。
時刻を見たら10:27、オカシイ?安中駅に10:32に着いて市内某役場で申請を済ませ、その足でキッチン104でランチ、おそらく11:00過ぎで最初の客と皮算用したのだが。
あっ!!
安中駅じゃないここ!!
1つ前の群馬八幡駅じゃないか!!
和が家の最寄駅である。
あ、あ、慌てて乗りなおした。ちょうど最後部車両に積んでいた荷物のし受け渡し時間があったので発着が遅れたので助かった~。後部車輌の一時的な貨物(荷物)置き場になっていたのです。
乗りなおした私を乗客が怪訝そうに見たが、すぐ目を逸らされた。
照れ隠しも兼ねて知人にメールする。「間違えていつものクセで群馬八幡で下りそうになった」
アブねぇアブねぇ。
安中駅着10:32、ここでタクシーを掴まえて市街地へ。
安中駅.jpg
妙義が見える。この辺り、安中城のあったところ。
タクシー1.jpg
タクシー2.jpg
タクシー3.jpg
農協で証紙を購入して某役場へ飛び込んで手続き。
(もしかしたらさっきの郵便局で売ってたかも知れない。)
返信用封筒を渡して、「問題ないようでしたら、こちらの控に受領印を押して、この返信用封筒で送って下さい」これで完了である。
ランチを喰いにダァッシュ!!
「あれぇ?今日は出張ですかぁ?」(店主)
104.jpg
ボード.jpg
トマトソースのハンバーグ&カニクリームコロッケ。
紀尾井やKIYAのカニコロといい勝負だが、トマトソースはちょっと酸味があるな。
スープとサラダ.jpg
バーグ&カニコロ1.jpg
バーグ&カニコロ2.jpg
カット断面.jpg
夜ランチって何だ?
ランチは昼だろう?ディナーとはいわないのかな。
この店で夜メシを喰うには安中市に最近できたルートインに泊まらなくてはならないだろうな。
夜のランチ?.jpg
夜ランチ.jpg
上り電車が来た。この後、本庄市に行くのです。
安中市にランチ喰いに来たようなものである。
上り電車.jpg
本庄市に駆け込み、そこが意外な場所であったことを知る。ちょっと散策してみる。
市役所そびえ立つ.jpg
城山稲荷の標注2.jpg
続く。。。
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東武線プチ廃線跡 [鉄路と風景]

太田駅から歩いている。
太田市は外国人さん(ブラジルの人)が多いのと、北関東屈指の歓楽街南一番街とか、別のカオが幾つかあるのだがここでは触れません。歩いてみるとハマりそうなのですが。
私の公用先は駅から西へ徒歩15分ほど歩いたところ。HPにはアクセス10分となってたが、10分じゃ着かない。
途中、東武桐生線の高架下を歩く。長大な高架建造物が頭上にあって長々と続いている。
この高架化工事は平成7年~平成18年までかかったそうで、高架での運行開始日は平成16年11月25日。
それまでは私が歩いている地面を走っていた。
高架化工事について。太田市のHPから抜粋。
事業箇所は太田市東長岡町~西本町。総延長6365m、そのウチ伊勢崎線2930m、桐生線1935m、小泉線1500m。
踏切17箇所を撤廃して道路交差を32箇所にした。総事業費約289億円。
誰かが言ってた。「上州では渋滞がない」って。
そうではない。くるま社会だし、上州で渋滞が全く無い訳ではない。東京都のような酷い渋滞は稀だというだけで、その代わり僅かな信号待ちでも渋滞と呼ぶんだよ。
私が歩いている太田市は富士重工(スバル)や三洋電気の城下町。関東内陸部の工業地域でもある。くるまの数が多いので、現在でも郊外はまだしも太田駅周辺は渋滞するね。東西に走る県道2号線(東国文化歴史街道)が南北に通る407号と鍵型に重なる辺りはノロノロしてますね。
太田駅.jpg
太田駅は東武伊勢崎線、桐生線、小泉線、3線がクロッシングするので、高架になる前はこの3線の踏切が渋滞に拍車をかけたそうである。それが高架化によって東西方向で約7分、 南北方向で約5分移動時間が短縮したと太田市は豪語する。
それまで3線で市街地がズタズタに分断されてたのが一体化し、立体交差が増えたので鉄道を横断する為の渋滞がやや分散したというが。はて、そうなのかな。
駅も高架も近代的になったが、駅の周辺は北口も南口も商店街が衰退し空洞化しているように見える。私は在住中に太田市郊外も走ったが、ロードサイドの方が大型複合商業施設が出店していて人がいるからね。
(何処の地方都市もそう。伊勢崎市もそう。高崎市はまだマシな方ではないか。それはまぁさておき・・・)
太田駅方面.jpg
桐生駅方面.jpg
東武の高架下は駐車場になっている。
歩いている間、頭上の高架(桐生線)にぜんぜん電車が走らないぞ。桐生線も伊勢崎線もよほどダイヤがスカスカに違いない。
その桐生線高架下の駐車場が途切れた辺りに発見したもの。
橋台1.jpg
橋台だ。
高架前の桐生線、旧路盤の橋台だな。レンガ造り。
そうか。ここは旧路盤跡なんだ。そりゃそうだ。上に高架があるんだから。
橋台2.jpg
橋梁の下部構造物としては橋の両端にある橋台と、その間に2径間以上設けられる橋脚(河川や河川敷に立つもの)とある。
橋台は鉄路の盛り土、路盤と水平に連続して設けられる。河川に面しているので、土留擁壁のような意味合いの構造でもある。
設計者は橋やレール、車両を載せた垂直(鉛直)方向の荷重、水平方向の土圧の荷重、河川や用水路の水流に触れる場合はそれらも加味されて設計される。
この橋台は河川というよりも用水路、灌漑水路を渡るミニ橋だったに違いない。
橋台3.jpg
これは伊勢崎線高架下の橋台。
複線分の幅があるような。
橋台5.jpg
こういう橋台の遺構は新しい橋に付け替える際にも発生する。旧くなった橋から少しズラして架橋しなおしたりするケースである。
この場合は、上に(天空に?)連続して架橋しなおしたケース??
橋台4.jpg
1級河川や水量の多い川で廃止後にこれらを放置しておくと、川中にあることで水の流れを阻害してしまう橋脚は早く撤去されるが、両端にある橋台はそれほど影響はなく廃止後もそのまま残存しているケースが多い。
後年、河川の護岸整備等で撤去されるだろう。
旧路盤の上へそのまま高架化したから、再利用されない限りしばらくはこのままかも。
赤城が来た.jpg
11:30の上り赤城で帰京しました。往復と届出、併せて1時間かかった。
プチ橋台から離れて、某病院の前にあるこの店、前に一度だけUPしたことがあるのですが、閉まってたのでこの日、私はランチ難民になってしまったのです。
閉めちゃったのかなぁ.jpg
この店にはサンマーメンがあった筈。廃業しちゃったのかなぁ。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-11-10-4
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関東鉄道常総線に乗る [鉄路と風景]

石下駅.jpg
石下駅。水海道から北の中では大きい駅で2面2線です。以前は売店もあったらしい。
そういえば常総線、守谷から南はどうかわからないが駅構内には売店が全く無いですな。(駅前にはあるかも。)この辺りが1時間に1本か2本のローカル鉄道移動で困るところで、乗車前に先に喰ってしまうか贅沢言わないでコンビニで何か買って車内で喰うしかない。
つくば駅のCafeで済ませて良かったよ。買い込んで横座りロングシートで飲食すると周囲の目が気になるが、仕方がないですよね。
車内は閑散としてきた。筑波山も間近になってきた。
石下駅の次に写真に撮りそこなった玉村駅を過ぎて宗道駅(ソウドウ)へ。
宗道駅.jpg
筑波山がだんだん近づいてきた。
筑波山2.jpg
現在、常総線の駅から筑波山へアクセスするバスは無いようです。
昭和62年(1987年)、国鉄民営化とほぼ同時に廃止された筑波鉄道筑波線(常磐線土浦駅から水戸線岩瀬駅までを結んでいた。現在は関鉄筑波商事、道関東鉄道の子会社)の筑波駅がアクセスを担っていた。現在はつくばEXのつくば駅前からのシャトルバスが最もアクセスがいい。
私は筑波山に登った記憶はないな。平将門を描いた大河で、村々から集まった男女が一夜交わる歌垣(カガイ、嬥歌とも)がいきなり描かれたのは将門の地元だからですが、加藤剛さん(将門)が山口崇さん(貞盛)に誘われた場所は、筑波山かその麓の村だろうか。
車内1.jpg
沿線は田園風景と住宅地で、山間部の鉄道と違って散見すべきポイントに欠ける感はする。次の下妻駅~大宝駅にかけて小貝川の支流や灌漑用水を渡るガーダー橋が3つほどあった。
3つめのガーダー橋はデカく、それまで静かだったのがガガンガガン・・・響いた。
ガーダー橋.jpg
下妻駅.jpg
下妻駅は下妻藩があった規模の市。下妻藩になる前に多賀谷氏がおったところ。
多賀谷氏は結城氏の家人だったのが永享12年(1440年)に落城寸前の結城城から結城氏朝の末子、七郎、後の成朝を抱いて脱出、常陸の佐竹氏を頼った。
結城家の再興にも尽くしたようだが後年は独立しようとする。助けてくれた佐竹氏に付いて反北条氏の立場で抵抗し、多賀谷重経という人の頃に最盛期を迎え最も領土が広がった。
重経は小田原にも参陣したので太閤秀吉から所領安堵されたが、家康の次男秀康が養子に入った名門結城氏の寄力大名に戻されたのを不満に思い、フテ腐って朝鮮出兵をスッポかした。
関ヶ原の時も家康の参陣要請に応じない。大恩ある佐竹氏が反徳川派なのもあるが、会津征伐に向かう家康の小山本陣へ夜襲を仕掛けようとしたのが発覚して改易されたとか。独立気概旺盛でヤマっ気の多い人だった。
後年、復活した下妻藩は旗本から加増されて諸侯になった井上氏が代々続く。1万石の小藩だった。
13代藩主井上正兼は天狗党の襲撃を受けて下妻藩の陣屋は焼けてしまったという。
中妻、三妻、下妻。。。
妻が多いな。おそらくこの一帯は沼が多く、沼=妻になったのかな。(確証はありません。)
車内2.jpg

大宝駅.jpg
次の大宝駅はホーム上にある簡易待合室がこんな造りになっているのは、右後方に見える森を大宝城といって、南北朝時代の下妻氏の浮城(沼城)だったところ。駅の待合はそれを意識しているのかも。
(吉田類さんの居酒屋何とかに大宝城(オオボウキ)という店がありますが。)
時間があれば立ち寄ってみたいものだが、下妻氏や南北朝抗争は全く知らないので、お城の頁サイト余湖先生にお断りを入れたうえで縄張りのみ掲載します。
図の右、西側に常総線が走っています。
大宝城縄張り.jpg
余湖先生のHPから。
車内3.jpg
騰波ノ江駅.jpg
騰波ノ江駅。何て読むかおわかりでしょうか。トバノエです。
私は読めるし検索できますが、手元に何も無い状態で騰波ノ江を書けと言われても書けないと思う。
この駅については下記をクリックしてご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=rLQLmAFQYM4

筑波山3.jpg
黒子駅は・・・小暮写真館のロケ地になったというウワサがありますが。
黒子駅.jpg
大田郷駅.jpg
大田郷駅。
関東鉄道常総線の前身を常総筑波鉄道というのですが、その頃この駅から西にカーヴ別れして鬼怒川河川敷に近い三所まで開通していた砂利運搬路線があった。鬼怒川線といって全線6km。駅は大田郷、常総関本、三所の3駅で、旅客営業もしていたそうです。
鬼怒川線の砂利運搬の最盛期には三所から先の河川敷まで3本の引き込み線があって、常総線本線の収入と同額の収入があったとまで言われているが、この地域の砂利道が舗装整備されてバスが開業したことや、鬼怒川河川敷の砂利の減少が原因で昭和39年には廃止になっている。
鬼怒川線.jpg
車内5.jpg
あのひと駅で終点の下館駅だが、ところがどっこい大田郷駅から乗客が少し増えた。緩いカーブを右にきって下館駅に滑り込む。
下館駅常総線ホームから見て最も北側に、アマゾンライダーのようなデザインのディーゼルカーが小休止して出番を待っている。真岡鐡道です。
アマゾンライダー.jpg
子供の頃、旧国鉄真岡線でジャン母実家に行く時、当時は国鉄だった真岡線の朱色のディーゼルカーの車窓から右手に今日乗車した関東鉄道常総線のカーヴが視界から遠ざかって行き、あの寂しそうな鉄路は何処へ伸びているのかな?その沿線には何があるのかな?と思ったものである。
子供の頃の???は何とまぁ30数年経った今日ようやくにして沿線を見て成就したという訳です。1時間以上かかりましたよ。
下館駅.jpg
この後、JR水戸線に乗り換えました。
この日の最終目的的は小山市の県合同庁舎。つくば市から検索したら関東鉄道常総線~下館~JR水戸線~小山と表示されたのです。(続く)
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関東鉄道常総線に乗る [鉄路と風景]

乗り換え.jpg
守谷駅.jpg
常総線ホームはつくばEXの高架ホームにのしかかるように圧迫されて暗~い雰囲気のホームだった。その長大ホームにやって来たのは・・・。
電工掲示板に1両??.jpg
水海道行.jpg
僅か1両の下館行!!
乗客ギッシリ!!
すれ違い.jpg
先頭車両から。しばらくは複線です。
この先の写真は過去にUPした八高線や上毛電鉄の記事と同じく、車内から記録の為に慌て撮りしたもので写り悪い写真ばかり。沿線ガイドにすらなりませんがそこはご容赦下さい。
私は座席に座らなかった。八高線や上毛電気鉄道に初めて乗った時のようにずーっと立ちっ放し。座席が空いて無かった訳ではないのだが、前方か後方に立っていた方が沿線風景を観察できるのですよ。
他の乗客はいっとき私に怪訝な目を向けた方もいたが、私と目が合うと逸らすんです。もちろん私はダークスーツ姿だが、ひとり出張で時間に追われてない閑人フリをした。
私は起点の取手駅ではなく、つくばEXと連絡する守谷駅から乗車したのでそこから南、守谷~取手間の沿線風景は見ていません。

新守谷駅。
現代ドラマのロケに使われてるらしいけどその辺りの詳細はわからない。つくばEXが隣の守谷駅に連絡したことでバス路線が整備されたらこの駅はワリを喰ってしまい、客数が半分に減ったという。
新守谷駅.jpg
この駅と、ここから南の駅で待避線がある駅に、昨年2015年9月10日の豪雨時に車輌が退避した。

小絹駅。芸者さんみたいな名前の駅。
駅の西はニュータウン開発されている。常磐道谷和原ICも近い。
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次の水海道駅では3分停車。2面3線のホームで跨線橋は無く、下館側に構内踏切があるクラシックな駅。
ここまでが複線区間。ここから単線になる。
水海道は常総市です。昨年2015年9月10日の豪雨で鬼怒川堤防が決壊して甚大な被害が出た市。
水海道駅2.jpg
水海道駅3.jpg
関東鉄道常総線は一見してローカル鉄道だが通勤路線のカオも持っている。
総沿線の殆どが鬼怒川に沿った田園地帯だったが、1970~1980年に常磐線と連絡する取手方面が大規模開発され人口が増えた。それまで全線単線だったのが取手~水海道間が複線化になる。
その区間はつくばEXや常磐線と連絡するので、東京方面への通勤路線を意識しているといっていい。取手から水海道までは日中4~5本/1時間、ラッシュ時はおよそ10本/1時間と多く運行される。
私は1両単行にのんびり乗っているが、最長で5両編成。
これが水海道から北の下館方面へ向けてはローカルムード一色になる。本数もガクンと減って1~2本か4本/1時間。1両単行が殆どでMAX増結は2両です。
何故電化されていないのか。筑波山に隠れた東の茨城県石岡市柿丘に気象庁地磁気観測所というのがあって、常総線が電化してしまうと地磁気観測に影響が出るというのです。
この観測所は都内23区にあったのが大正2年(1913年)に現在地に移転している。都心に都電が網の目のように走った為に直流電気だらけになったからです。
地磁気観測に影響を与えないようにするにはどうすればいいか。私は電気に詳しくないのでよくわからないのだが、直流~交流に切り替えるデッドセクション(無電区間)というのが必要で、これを導入すると変電所が幾つか必要にいなり常総線は金が無く電化を断念した。竜ヶ崎線や鹿島臨海鉄道大洗鹿島線もそう。
(常磐線、水戸線はデッドセクションを設けて交流電化にしている。つくばEXは全線殆どが交流電化。
昨年2015年8月に、JR東日本根岸線が横浜~桜木町間で緊急停止後、運転再開時にショート、発生した火花が架線を焼き切って運行できなくなり上客が線路を歩いて避難したが、その停車区間はエアセクションというそうでまた違うらしい。)
非電化の代わり、高い出力を持つ新型気動車(90km/時間)を投入してスピードアップを図っているそうだが、私の乗ってる単行はのんびりしたものです。
私は前方から後方へ移った。

北水海道駅.jpg
北水海道駅。この寒空の下で野外ランチしてるグループがおったですよ。この近くに常総〇〇所があるので、もしかしたら私れこの駅で下車することがあるかも知れない。

中妻駅と三妻駅。
写真に撮れなかったですが、この2駅は駅舎と住居が曲がり家のようになっていて、そこに社員の家族が居住している。それだと公私のオンオフが無いから落ち着いで暮せないのではないかな。
中妻駅.jpg
三妻駅.jpg
南石下駅。この駅は1日平均辺りの乗客数は少ないが、水害時に船着き場みたいになってしまったそうです。
筑波山がまだ遠く見えます。
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この辺りを常総市というのですが、昨年2015年9月10日、集中豪雨で常総市内の鬼怒川堤防が決壊して大被害が出たのはまだ記憶に新しい。
如何に大河とはいえ近代的な堤防が決壊するなんて有り得ないと思っていたことが起きた。
常総線の鉄路も冠水、石下駅は水没、南石下駅は小さい桟橋みたいな様相になり、三妻辺りまでバラストや盛土、道床が流失、レールも曲がり全線で運転STOPになった。水海道車両基地は最大1メートル以上浸水。運行システムもダウン。
でも関東鉄道常総線は頑張った。過去に昭和61年8月に小貝川が氾濫、堤防決壊で水海道市が浸水した教訓を活かし、水海道車両基地にいた46両の車両を守谷方面にある駅の側線部、守谷駅、取手駅へ次々に避難させたのである。
9月12日には早くも取手~守谷間で列車代行バス運転を開始しているし、14日には下妻~下館間で本数3割減で運行再開している。
9月16日には取手~守谷間で本数を半分にして運行再開。18日には守谷~水海道間で運行再開。
28日に水海道~下妻間で列車代行バス運転開始。
10月10日に水海道~下妻間で本数3割減らしたとはいえ全線で運行再開!!
全線で通常運行に戻ったのは11月16日!!
復旧は早かった。只見線と違って橋脚のある鉄橋が無いことや、沿線にめぼしい観光地が無い代わりに水海道から南で沿線通勤路線の使命を背負っていたことが大きいと思う。
架線の無い非電化なので身軽だったのもあるのではないか。鉄路さえあれば走れるのだから。
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石下駅に滑り込みました。
後編へ続きます。ぶらり途中下車しない関東鉄道の旅。。。
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アルバム~会津撮り鉄 [鉄路と風景]

更級庵で裏の踏切がファンファン鳴ると窓をガラッと開けて構えてしまう。
習性というかクセになっている。
「寒いじゃないのっ」(ジャン妻)
「・・・」
車輌を待ち構える私は湯上りでパンツ1枚である。
乗客からどう見えるのだろうか。
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この時期だと木々や葉っぱがジャマなので外に出てみました。
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これは某酒店の踏切待ち。
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八重さん(綾瀬はるかさん)の「ふくしまに恋して」
http://www.nhk.or.jp/ashita/fukukoi/#top
首都圏JR車内でも流れていますね。
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京急堀ノ内駅構内ミニ踏切 [鉄路と風景]

堀ノ内駅.jpg
横須賀市内の公用延長で、何故か下り立った京急堀ノ内駅。
京急本線が久里浜線と浦賀線に分岐する下り方面側に、一般人は絶対に渡れない踏切がある。
踏切1.jpg
踏切3.jpg
ミニ警報機がある。背が低い。
何だかミニチュアっぽい。
鉄マニアが昂じてついには自宅の庭に敷設してしまった人がメディアを賑わしたりしていますが、そういう類のものでもない。
もちろん方向指示ランプも点くし、警報音も鳴ります。小さいながら遮断機もついているので、機能は全て備えています。
でも、誰が渡るんだこの踏切?
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ローカル線で乗客が駅構内を渡る踏切にしては幅が狭過ぎる。線路を渡るスペースは人がやっとひとり通れる程度の幅です。無理に行き違おうとすると、線路内のバラストに飛びだしてしまうだろう。
L字型になっていて、退避場所もある。
一人が渡る程度の幅.jpg
浦賀方面から来た上り線の車掌さんが、久里浜方面から来る快特を迎えようとホームに下り立ったので、快特が到着するまでの僅かな時間に訊いてみた。
「聞いていいですか?」
「ハイ??」
「ホーム端にあるあのちっこい踏切は何?従業員さん用?」
「???・・・ああ、あれですか。そうです」
なるほどホーム端には一般人が下りられないように柵止めしてある。あくまで従業員が構内を渡る為のものです。
踏切4.jpg
設置理由を訊いてみた。
「もしかして京急社員が構内を渡ろうとして人身事故に遭ったとか?」
「いえいえ。そうではなくて、駅の渡り通路が結構離れたあっち側(上り方面)にしかないからなんですよね」
駅構内図を見ると、一般客乗り換え用の昇降階段が如何にもホームの真ん中にあるように描かれているが、実際のところはかなり上り方面に片寄って設置されているんです。エレベーターもそう。
横須賀中央側の通路.jpg
快特が来たのでそれ以上は聞けなかったのだが、旅客が渡る通路がり方面しか無いんだから、従業員もそこを使用すればいいじゃんと思わないでもない。職員さんの説明を聞いた私も、京急職員が自分らの為だけに作ったような印象しか受けなかった。
でも上り側の階段、乗り換え通路とは別にもうひとつ作るほどの需要もないのか知れない。
後日、別の職員さんにも聞いたの。「このちっこい踏切は乗客は渡れないの?」って。知ってて聞いたんだけど。返って来た答えは、
「そうなんです。職員専用なんですよ」
それでしかないようです。
駅構内.jpg
堀ノ内駅は島式ホーム4線です。複線同士が久里浜線、浦賀線と分岐するので線路が4線ある。1番線の線路は跨いでいたが、4番線の鉄路は跨いでいなかった。
あくまでホームからホームへの移動する為のもの。職員さんが2番線と3番線を跨ぐだけなんです。動線を短くしたいのでしょう。
写真は私の胡乱な質問に答えてくれた車掌さんです。
教えてくれた車掌さん.jpg
おまけです。この後、京急横須賀中央駅近くでのランチ。
味は悪くなかったんですが。
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その日のお昼3.jpgその日のお昼4.jpg
欠けてる.jpg
欠けた丼でだすなよっ!!
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上信電鉄を追い越したネタ [鉄路と風景]

台風がやって来る。
なのにジャン妻はひとり、田舎へ帰省してしまいました。同窓会だって。2泊3日です。
今日と明日、私の晩飯はどーなるんだ??

それはさておき、上州ネタもうちょっと続きます。
ドーミインをチェックアウトして、西毛へ向かいます。
市街地を抜け、すぐに大踏切を渡ります。1時間に1本か2本なので滅多に電車に出くわさない。隣に停車した何処かの運ちゃんは急いでたらしく、待ち時間分損したようにしかめっ面をしていましたね。
高崎駅を出て最初の踏切にやって来た電車は高崎駅3:50発の下仁田行。車体ボディには、下仁田の名産、「ネギとコンニャク・ジオパーク」、「地質100選・跡倉クリッペなるものがデザイン、ペイントされていた。
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踏切2.jpg
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地質100選ってのは、地質学からの視点による自然の産物、例えば地層や奇岩、資源、岩礁や鍾乳洞他の類から選ばれる。それに下仁田の山々、クリッペが選ばれた。
城でも何でも日本人ってそういう100選っていう括りが好きだね。ではクリッペとは何かというと、山の頂上と麓で岩石が全く異なるケースをクリッペという。その山はそこに根付いた山ではなく、山全体が何処かからずれて動いて来たもの。根無し山とも。山がずれ動くくらいだから、大規模な地殻変動。。・・・例えば大陸同士がぶつかったりするとそういう現象が起きるらしい。
私は下仁田には3回くらいしか行ってない。下仁田戦争他を見にいったけど地質関連はネタにしなかったですが、下仁田のズレた根無し山はひとつふたつどころではなく、下仁田の中心部から川を挟んで南に見える450m~750m級の山々が殆どそうなんです。
100番以内に入らず101番目に選ばれた何処かの地質は無念至極ではないかと思いきや、実際は120選あって、上州では他に浅間山、日航機が墜落した上野村近くにある瀬林の漣痕(波の化石のようなもので、三浦半島にもある。)にあった1億2000万年白亜紀の恐竜の足跡が選ばれている。
私はファンファン警報機が鳴る大踏切でこの電車を見送ったが、デザインを見て勝手に「下仁田ジオパーク号」と命名したら、あとで調べたら下仁田ジオパークラッピング列車だって。
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私はこの日、午後には帰京しなくてはならないので、電車が去った後はやや急いだ。
この後、新後閑町の交差点を左折、寺尾方面から中山峠を抜け、吉井町から国道254富岡バイパスを快走して上州一ノ宮駅近くにある所へ赴いた。
そこにも踏切がある。敷地は線路に接している。またファンファン警報機が鳴りだし、構えていたら先刻、高崎の踏切で足止め喰らったジオパーク電車がまた走って来たのです。デザインが同じなの。途中で追い抜いたらしい。
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高崎駅8:50発~途中駅を経て上州一ノ宮駅9:34発。その間23km。同じ電車で二度も踏切足止め喰らったようなものだが電車よりくるまの方が早いのが実証されてしまった。単線、行き違いもあるとはいえノンビリしたもんだね。
ジオパーク電車は下仁田へ去っていった。
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ファンファンファン [鉄路と風景]

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今日は本文はありませんっ!!
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フォッグ [鉄路と風景]

上州記事が1ヶ月近く続きました。
まだ幾つか上州ネタが残ってるのですが、もう少し調査を要するのでそれは先送りします。
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高崎駅始発で朝帰りです。
ジャン妻はこの日の午後までこっちで現場作業、私だけ先んじて帰京します。7:13発のMAXたにがわ300号。グリーン車以外は全席自由席。
これで9:00までに本社に入ればOKです。ネクタイも替えたし。朝帰りには見えない筈さ。ハッハッハツ(笑)。
MAXたにがわ.jpg
左側の席を選んだら、差し込む朝陽が眩しい。
朝陽・・・.jpg
だが。。。
熊谷駅を出たら。。。
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フォッグ(霧)!!
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フィッグフォッグフォッグ!!!
おそらく視界は100mもないだろう。
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霧の中からクリーチャーが飛び出て新幹線の窓に貼りつきそうである。

フォッグっていうホラー映画、観たことあります?
私は2005年のリメイク版を見た。ある港町が誕生100年を祝う日の夜、海からとてつもない濃霧がやって来て港町全体を覆う。
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霧の中から100年前の亡霊たちが現れる。
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この町の創業者たちは、100年前に港に訪れた富豪から家財・財宝を奪い、乗組員や家族を殺害し、船を焼き打ちして沈めた。奪った金や財宝で町を起こした。
その船の亡霊たちが100年記念祭の日に濃霧の中から現れ、街の創業者の子孫に復讐をするというもの。
基本、ホラーは好きじゃないのですが、このフォッグやキャリーのように、恨みを晴らす、復讐するというプロット、襲う側に共感してしまう(というと語弊がありますが)タイプのホラーは稀に観る時があります。
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フォッグはなかなか晴れない。
長く感じられましたね。新幹線は高架の専用線路だからスピードを緩めないが、下を走る在来線はどうなのかな。
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ようやく晴れそうです
進行方向に見える高架橋は、建設中の首都圏中央連絡自動車道だと思います。ということは、埼玉県久喜市と桶川市の境目辺りですね。
霧に包まれてたのはかなりの広範囲だったと思いますよ。
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東京駅に着いた。
これが在来線だったら濃霧の影響で遅延も有りうるからね。
東京駅.jpg
出社したら。。。
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誰だまたこういうのを俺にデスクに置くヤツは?(苦笑)
戻ったばかりなのに郷愁を呼び起こすなっつーの。

ジャン妻はこの日の夕方に帰社した。
現地を出る前に、向こうの子(ヤンキー娘社員)とこんな会話をしたそうである。
「アナタたちがこのシステムに慣れたら窓口は〇〇〇部に移管するからね」
「それって〇〇さん(ジャン妻)さんがアタシたちの担当じゃなくなるってことですか?」(ヤンキー)
「そう。アタシは経理なんだからさ。〇〇〇部の手伝いで来たんだよ」
「だったら〇〇さん、こっち(上州)に土地を買えばいいじゃないですか」
「!!!」
ジャン妻は、「部屋を借りなよって言うならともかく、土地を買えって言われた。都会とは感覚が違う」なんて言ってたけど、そうじゃないだろ。「現地に住みなよ」って言われたそのひとことで、労苦が報われたと思わないのかなぁ。
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ぶらり途中下車の旅 [鉄路と風景]

特急が来た.jpg
東毛方面へ出張するのに東武伊勢崎線で上州入りしたことが数回あります。特急だったり各駅だったり。
浅草や北千住から特急で行くと太田駅で乗り換えます。普通電車だと館林駅止まりです。
館林駅構内.jpg
まず館林駅。久喜から東武伊勢崎線で来ました。ホームは2面5線。東武伊勢崎線の複線はここまで。ここから西方面は単線になり本数もグッと減ります。
東武伊勢崎線、佐野線、小泉線の3路線が乗り入れている駅ですが、佐野線と小泉線は車輌編成が2~3輌と短いので別々のホームになっているんだね。
館林駅構内図.jpg
1番線は短い編成の佐野線の切欠きホームです。4番線も小泉線。
2番線と3番線と5番線はメイン伊勢崎線本線ホームですが、5番線は折り返す電車が多い。
各ホームを連絡する跨線橋には、デカデカと1番線、佐野線、(葛生方面)、4番線(小泉線)への誘導標識が大きく貼ってあった。
佐野線案内版.jpg小泉線案内版.jpg
佐野線と小泉線は車輌編成が短い。(2~3輌編成)
長大編成の電車だと入線時にガタゴトキィキィ音がするが、佐野線と小泉線(直通を除く)は編成が短く、ホームの先端に遠慮しながら停車するので入線音が改札や跨線橋まで伝わってこない。待ち時間に架線橋を渡ってジロジロ観察して降りたらいつの間にか静か~に入線していた。長閑なモンです。
館林駅1番線葛生方面.jpg
館林駅4番線小泉方面.jpg
ここ館林は群馬の端っこです。私はここから太田を経て伊勢崎方面まで行くのですが、伊勢崎線本線は真っ直ぐ西へ向かわずに足利方面へ向かうので、群馬に入ったと思っても一旦は栃木県内に入り、再度群馬の太田市に南下する線形になっている。
館林から小泉線を走った方が太田まで距離的に短い気がするのだが。。。

太田駅構内1.jpg
これは太田駅。
伊勢崎線&桐生線&小泉線の3路線が乗り入れている高架駅です。私の目的地は新伊勢崎なのですが、太田駅から伊勢崎方面まで行くには乗り換えなきゃならない。
浅草駅や北千住駅から太田、伊勢崎の直通は無さそうだが、昼間、館林から太田を経て伊勢崎までの直通が少ない本数ながらあります。
太田駅構内2.jpg
太田駅構内3.jpg
太田駅は高架駅で島式ホーム3面6線。でもホームの連番は10番線まである。
こういう風になっているんです。
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1番線は7番線と、2番線は8番線と共有ホーム、3番線は9番線と、4番線は10番線と共有ホームになっているんです。浅草・久喜・館林寄方面と、伊勢崎・赤城方面に分けてるんです。
浅草や北千住から東武特急に乗車したら、特急は桐生方面に直通しますが、伊勢崎までの直通特急はありません。太田駅で一旦下車して各駅に乗り換えます。1番線か2番線に着いて階段を下りて9番線か10番線ホームまで歩くんです。後方車輛に乗って来ると駅の端から端まで歩くようなものです。
幸い乗り換え時間は余裕です。でも待ち時間が長いので、半ドームに覆われたホームとはいえ晩秋から冬にかけては寒い。
伊勢崎行が来た.jpg
伊勢崎線の普通電車は車内に外人さんぽい高校生が多いね。
西毛の女性社員どもが、
「○○さんカラまれないように気を付けてくださいね」
「大丈夫だよ〇〇さんなら」
なんて会話をしてるのを聞いたことがある。

新伊勢崎駅に着いた.jpg
今日の公用、最終目的地は新伊勢崎駅。
「JRの乗り換え駅ではありません。JRご利用の方は終点伊勢崎駅でお乗換え」なんてアナウンスが流れましたね。間違えて降りるヤツがいるのだろうか。
新伊勢崎駅1.jpg
私の公用は地方の場合だと電車に乗った移動時間の方が遥かに長いのだが、降りてからが問題で。
太田駅前、伊勢崎駅前にはタクシーがあるけど、新伊勢崎駅にはタクシーが無いのだ。しゃーないから行政まで歩きました。
新伊勢崎駅2.jpg
新伊勢崎駅3.jpg
東毛の担当官とも顔パスなので、あまり指摘されずにすぐ済んだ。
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伊勢崎駅2.jpg
伊勢崎駅3.jpg
伊勢崎駅の夕陽。
東毛の夕陽は山に沈まない。平野部に沈む。
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西毛の夕陽2.jpg
既に陽が沈んで暗くなってから現場(支店)に寄った。
東毛エリア、前橋方面にもウチの社員はいて高崎市内から通っているのだが、例によって口の利き方が生意気で。。。
「今日はこれからどーするの?」
「(東京に)帰るよ」
「ホントは泊まるんでしょ?」
「帰るって。まだ18時じゃねぇかよ」
「帰るって高崎に帰るんでしょ?泊まるんでしょ?」
「・・・」
「ラスト(19時)までいたら乗っけてってあげるよ~」
「まだ1時間弱あるし・・・」
ナマ言いやがって。伊豆八幡野温泉さらの木にいた私の携帯に電話を架けて来た問題児です。あの時はビィビィ泣いてたクセに今はもうすっかりケロッとして笑ってやがる。
立ち直りが早いんだよお前は。人の気も知らないで。
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上信電鉄に新駅が。。。 [鉄路と風景]

祝世界遺産登録.jpg
上信電鉄.jpg
新駅.jpg
富岡製糸場の世界遺産登録で意気上がる上信電鉄に新駅ができた。
起点、高崎駅からおよそ2.2km、所要時間6分の場所に新駅ができたのは地元の要望による。昨年、市の広報で新駅設置を見た際は、南高崎駅の次にある佐野信号所が駅に昇格するのかな?と思ってた。そこには上下線が行き違いができるようになっており、ある程度のスペースが確保されているからです。
佐野信号所1.jpg
でもそこではなく、新駅は佐野信号所を過ぎて右へカーブ、烏川鉄橋の手前左に設置された。
無人駅です。
佐野のわたし。。。??
渡し。。。??
どうも烏川に昔は渡し船があったという伝承に基づくらしい。正式地名は上佐野町字舟橋というそうです。
ホームから富岡方面.jpg
ホームから高崎方面.jpg
駅に行ってみたら、単式ホーム1面1線、ホーム上に簡易的な待合室が設置されていた。烏川に面している駅なので風が強く吹き付けるからです。
でもこの待合、あまり勢いよくもたれかかると割れそうです。
待合の風除け.jpg
駅前は駐輪場と送迎自動車のロータリー、他目的トイレがあった。他所からか誰かがくるまで乗り付けてちゃっかり利用していましたね。
ロータリーから見る.jpg
富岡方面を見ると、既に陽は西に傾きかけていて陽光が眩しい。
新駅を出てすぐに烏川を渡る鉄橋があり、その先の鉄路はカーヴで根小屋、高崎商科大、山名方面へ消えていく。
時折背後の頭上で高速列車の走行音が鳴る。見上げるとそこには新幹線の高架橋がある。佐野のわたし駅は2階立車輌MAXの2階から眼下に見下ろせます。ほんの一瞬で通り過ぎてしまいますが、新幹線の乗客の目には所在無げに佇む私のアタマが夕陽に照らされて光っていたに違いない。
新幹線が通る2.jpg
新幹線が通る1.jpg
この駅の設置に伴いダイヤが改正され、上下62本だったのが66本に増加された。
近くには新興マンションがある。この駅から初めて乗車する人もいるだろうから、無人駅とはいえ運賃表があった。
新興マンションも.jpg
時刻表運賃表.jpg
最近の新駅にありがちなデザインに、渡し船、上信電鉄デキ1電気機関車がモチーフされている。
渡し船をモチーフ.jpg
デキ2.jpg
もう一つ、気になるモチーフ、イメージがある。能の謡曲(ようきょく)、鉢木がイメージされていた。
鉢の木??
この新駅は西明寺北条時頼の諸国巡礼に基づくのか?
ちょっと疑問符が付いた。
鉢の木のマンガ1.jpg
鉢の木のマンガ2.jpg
いわれ.jpg
鉢の木・・・北鎌倉駅前にそういう名前の料理店がありますが能の一曲です。鎌倉幕府第七代執権北条時頼の廻国伝説を元にしています。
佐野源左衛門常世という貧乏御家人の家に、雪の日、諸国遍歴の旅僧が一夜の宿を乞うて来た。みすぼらしい家なので佐野はお断りしかけたのだが、旅僧が難渋するのに忍びず招き入れる。
貧しい中から佐野は囲炉裏に火を点じ、僧に粟飯を炊いて供した。夜になったら薪が無くなったので、仕方なく大事に育てて来た盆栽、松、梅、桜の鉢の木を切って囲炉裏にくべた。
実は旅僧の正体は北条時頼なのだが執権職の現役で諸国を巡礼できたかどうか。決済が滞るだろう。執権職を退いて出家して諸国を廻っていたのかも知れない。
旅僧(時頼)は丹精に育てた薪を囲炉裏にくべた佐野を真摯な志ある者、由緒ある武士と察して素性を訊ねる。佐野が言うには、
「一族に所領を押領されかくの如き身相成り申し候。だが落ちぶれたりとはいえども幕府に一大事あらば千切れた具足を着け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、鎌倉殿に馳せ参じる所存。。。」
今まで誰にも言えなかった胸中を語った。
旅僧は佐野の言うことを心に刻んだ。佐野はいわば鎌倉府の最高権力者を泊めたわけだが、旅僧(実は時頼)は身の上を明かさず翌朝、旅立っていく。

その年の春に鎌倉から動員令が発令される。これがもし事実なら、時頼存命時に起こった軍事行動としては名越北条家の反乱~追放の宮騒動か、三浦一族が滅ぼされた宝治合戦と思われるが、動員され駆け付けた御家人衆の中に佐野源左衛門もいた。
大勢ある御家人どもの中から佐野は召し出される。上席で迎えたのはあの雪の夜に泊めた旅僧だった。
佐野は正体を知って驚愕したが、時頼はあの夜の佐野の言葉に偽り無きことを賞し、おそらく問注所を通して佐野庄の一件も調査済みであったのだろう。横領された佐野庄三十余郷を佐野に返し与え、あの夜に薪にされた三鉢の盆栽、梅・桜・松にちなんで、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の三つの庄園を与えたというおはなし。
いざ鎌倉、境遇がどうであろうと何かあったら主家に駆け付ける、貧しいながらも精一杯のもてなし、という意味が込められている。
2001年のドラマでは渡辺謙さん演ずる時頼が佐野の家を訪れている。佐野は宇崎竜童さんが静かに演じていた。
だがその場所はホントにこの地、高崎市佐野だったのだろうか。
よく知られる名族、佐野氏はいろいろあって後年は大名ではなくなり、旗本寄合で復活するのだが、そのいわれの場所は現在の栃木県佐野市ではなかったか。

東北自動車道の岩舟JCTで北関東自動車道に入ると最初の長大トンネルを唐沢山城跡トンネルという。そこに佐野氏がいた。
前述の宝治合戦では佐野氏は三浦方に付いて一旦は零落したらしい。後年、復活して、佐野氏の継承者の通し字は「綱」でとおっている。歴代の当主を全部列挙するのはタイヘンなので一部は割愛するが、応仁の乱以降だけでも佐野盛綱、秀綱、豊綱、昌綱、宗綱、北条家から送り込まれた養子の氏忠は別にして、その次がわりと知られた房綱(了伯)、そして政綱改め信吉(秀吉の偏緯、吉の字を貰った)とある。他所から養子に来た人や、改名等の曰くある人以外は綱だらけなのです。
鉢の木の佐野源左衛門の諱には綱の字が入っていないのだ。
落ちぶれていたから?そうではないでしょう。

佐野政綱改め信吉は関ヶ原も東軍に付いて何とか生き残った。戦後の諸侯配置一覧に、本領安堵下野佐野3.9(万石)とある。だが慶長19年(1614年)、信吉は唐沢山城から江戸の火事を発見。早馬で江戸に駆け参じたら、無断出府並びに、お前は江戸を見下ろせる山城に住んでるのかと難癖を付けられて改易される。江戸からそう遠くない関東近郊に外様がいるのは目障りだったのだろう。
唐沢山トンネルを抜けるとすぐ佐野田沼ICだが、佐野?田沼?
本題とは関係ないがもうひとり噂の人物がいる。佐野政言という人。(佐野氏は後年、寄合旗本で復活するのだが、同系列かどうか。。。)
この人は天明4年(1784年)3月24日、江戸城中で若年寄(田沼意知、有名な田沼意次の子)に大脇差で刃傷に及んだ事件で有名だが、政言の一族はもともと三河譜代の家で、下野佐野一族とは繋がりは無いらしい。

鉢の木の佐野さんの子孫が遥か後年に関東北部を席巻する名族なら、この場所は鉢の木の現場だとはちょっと思えない気がするのだ。佐野氏の本領はあくまで上州ではなく下野国(栃木県佐野市)だからです。
でもまぁいいです。鉢の木の子孫が名族佐野氏や後年の刃傷の犯人佐野政言とするのは俗説かもしれないが、私は群馬びいきなのでひとつの伝承として述べておきます。
電車が来た3.jpg
電車が来た4.jpg
上り電車が来た。
のんびり走ってるようなイメージですが、アッという間にこっちに近づいてきた。
電車が来た5.jpg
電車が来た6.jpg
電車が来た7.jpg
電車が来た8.jpg
電車が来た9.jpg
電車が来た10.jpg
こういう同じような写真をデカいサイズで列挙するからすぐBlogの容量が満タンになる。
さぁ今宵は上州のヤンキー社員たちが待っている。既に掲載済みだけど。
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外回りのある日 [鉄路と風景]

公用で都内の某現場に向かおうと準備してたら、私と長年懇意にしている若手取締役(男性)が、私が今から行こうとしているその現場の重大な情報をくれたのです。
その現場から本社のいち女性社員を弾劾する抗議文があがったという。その女性社員は私のシマにいるベテランです。彼女への不満を列挙した文書だった。穏やかではない。
「その訴えはアナタが受けたの?」
「ハイ。たまたま指導に行った際に、ちょっとお時間いいですかって奥に誘われて話を聞いたんです。エライ剣幕でしたが、その後でこの報告書みたいなのが上がってきました」
「これは〇長に見せたの?」
「見せました。直接送るなと。自分が受けて、自分が必ず〇長に伝えるからと言って現場を抑えたんです」
「何を言ったんだアイツ(その女性)は?」
場所を変えてノートPCを開いて文書を見せて貰ったらA4で3枚。内容は数十項目にわたって列挙されていたが、ザックリ要約すれば、「現場を知らない本社の人間にそこまで言われたくない」、「本社は現場の努力をわかっているのか」というよくありがちな構図であった。ただ、項目数が多く、文体が穏当でなく感情的、よくここまで相手の非をあげつらったなと。

渦中の女性は主任クラスだが、現場に対して指導したつもりが、踏み越えては行けない一線を越えて地雷を踏んだのです。
私は彼女を敢えて庇った。
「現場を知らない彼女だから言えること。知ってたらこんなことよう言えんよ」
「それはそうです。現場も彼女の立場、言わんとしてる内容は理解しているんですが、でもその時の彼女の言い方がねぇ」
私に情報をくれた若手取締役は、過去にその女性が現場部門の部署長にいた時代の私を何回も何回も怒らせ、いっとき不仲だったのを知っている。今の私は昨日今日の付き合いじゃないから女性に対して免疫ができてしまい、あまり気にならなくなった。ギリギリ協力し合ってはいる。
でもマズイな。総務経理が現場と対立構図になるのは甚だマズイのですよ。敵対関係になっていいことなど何もない。
それに総務経理は現場に入れないし挽回するチャンスはない。案の定、「一度、こちらの現場に入ってみては如何か?」と挑発する一文まであった。
「今まさにこれからそこの現場の届出に行くんだけどさ。今日は行くの止めて先延ばしにした方がいいかなぁ」
「ハイ。今日は止めた方が・・・」
そこで相手も笑い出したのは、親しい私に情報を伝えてよかったと思ったのと、私みたいな何を言いだすかわからぬ輩を今は敢えてその現場の空気に触れさせたくないと思ったのであろうな。

後でジャン妻に聞いたら、その女性が電話で怒らせたのを目撃しており、「アタシはその件に関しては彼女を弁護したいけどね・・・」
どうも相手にも、現場にも問題が無くもないようなのだ。
ジャン妻もその女性社員と親しいわけではないが、怒らせたとはいえ言わなきゃならなかった内容、言う立場は理解している。
飛んで火に入る冬の虫になって火中の栗を拾ってもいいけど、今回は避けておこう。行き先を変えた。

変更した行き先の途中、何故か海老名駅です。
行き先を都内某所から神奈川県内に変えて厚木市、海老名市の公用を済ませ、びなウォークラーメン処の「古寿茂」でえびなラーメンを15分で喰い、小田急&相鉄から離れて北にポツンとあるJR相模線の駅まできた。
古寿茂.jpg海老名ラーメン.jpg
小田急の橋上駅舎から高架橋で連絡されていた。周囲は再開発の槌音がカシマしい。
相模線は単線JRなので1時間の本数が少ない。待ち時間に丹沢方面を望んだ。
やま.jpg
なんだか山々が榛名、赤城の山々に見えてしょーがないので写メを群馬のヤンキー娘とA子に送ったら、
「ぜんぜん似てないですよ」
「そっちは都会の山じゃないですか」
冷たい返事が返って来た。
相模線が来た.jpg
相模線という電車に乗ったのは初めて。これから茅ヶ崎経由で藤沢市方面へ行き、そこから更に東京都大田区へ向かうという反時計回り移動です。
渦中の女性が大失言して(弾劾文には暴言とあった)現場を怒らせなければ、問題になっているその都内某現場と大田区をセットにできたのに。
あのバカめと心中罵っていたのだが、相模線のノンビリした運行に浸ってたらだんだん怒りが鎮まってきた。長閑なもんです。

相模線はボタンを押してドアを開閉する。
上州のJRと同じだな。単線で行き違いの停車時間があるのと丹沢おろしが吹くからです。
藤沢方面の現場へ会社携帯でメールした。「これから相模線で藤沢市に行くんだけど、その後でそっちへ向かうから。相模線に初めて乗ったけど随分とノンビリした電車だな」
相手の長は相模線を知っており、
「相模線ってドアはボタンですよ。上級者は出る時に開くボタンを押して降りながら閉めるボタンを押すんです」とか小生意気な返信を送って来た。
「俺は上級者だよ。吾妻線、両毛線、信越線で経験済みさ」って返信した。

途中、寒川という駅に着いたら、ホームから見えたのは。。。???
なんと!!.jpg
なんだ???
和が家1.jpg
まさか親戚か???
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