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旅の途中 [鉄路と風景]

JR新幹線Maxとき315号新潟行(東京駅10:16発~高崎着11:05)、新幹線の橋上改札から在来線乗り換え改札を経て在来線ホームへ。
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腹の虫が鳴った。
この時はこれから赴く渋川駅近くの飲食店情報が少なかったので、今の内にたかべんの駅そばで済まそうかな~もう何だっていいや~の心境でスタンドへ歩み寄ったら。
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!!!
NREになっちゃったのねいつの間にか。
たかべんよお前もか。止~めたっと。
首都圏に氾濫している何処も同じ味のNREをここ群馬で喰わなくてもいいや。渋川駅チカで何処か探そう。何かあるだろ。それにしても時間給800円は安くないか?
群馬県のHPから。平成28年10月6日改訂された群馬県の最低賃金は759円だそうである。
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思いとどまって腹の虫を押さえながら、次に来るであろうJR特急草津1号長野原草津口行11:23発を待っていたら、赤いディーゼル機関車がおっそろしくクラシックな旧型車両をこっちに向かって牽引してきた。
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高崎車両センターに籍を置く旧型車両たち。
内装や座席は木製で、暖房はSLから供給される蒸気暖房。冷房はないそうです。
カタカナで車籍番号が書いてあるが、私はそういうのよくわからない。
まさか私の立ってるホームに来るのかと思いきや直前に逸れて、八高線の脇を通って1本違いの線路にゆ~っくりゆっくり停車した。
遥か向こうには新型電車の先頭車両フェイスが見える。特急草津に違いない。このイベント旧型車両に入線を譲り赤信号で停車していったようです。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-29でも書いたが高崎駅構内の動線の関係らしい。
私は30数年前、多感な高校生修学旅行が東北地方で、集合場所(宿泊地)に着くまでは日中のフリータイムで幾つかのグループに分かれて行動した。
おそらく今もあるリステル猪苗代に向かう当時の磐越西線のこういう旧型車両に乗って、車両に併設されていた便所を利用した記憶がある。
美しいネタで恐縮ですが。あの時代、線路にそのまま落としたんじゃなかったかな。開放式ですよ。線路上の砂利、バラストに自然に落としていたもの。
確か穴からバラストが見えてた記憶がある。「停車中は使用しないでください」というあれですよ。
私が使用した紙もそのまま落ちていましたが、現物は赤茶けたバラストの色に混じって確認できなかった。白い紙だけ後方車輌のデッキから一瞬見えたものです。
今は信金の支店長になっている友人に冷やかされた。「〇〇(私のこと)が拭いた紙だ」って。そりゃ紙使うさ。「おめぇは使わねぇのか」って返したモン。
今はそこんとこ改造されてる筈。今でも旧タイプで運用していたら環境汚染問題になるからね。
こげ茶色した5両の旧型車両たちは、前方と後方に2両の赤いディーゼル機関車に挟まれていた。前方は引っ張り、後方は押しているのだろうか。
構内を牽引してきた赤いディーゼル機関車は高崎車両センターに配属されている4両(842、888、895、897)です。旧国鉄時代からの古豪だが、貨物輸送が激減した現在は新型機関車を開発することなく部品交換の延命措置で現役生活を送っている。
私が立っている場所まで軽油のニオいがした。
彼らが牽引してきた旧型車両は何かのイベントに違いないので、ホームで所在無げに立っている職員さんに聞いたのよ。
「この旧い客車は現役なの?」
「・・・ハイ。SL列車の車両です」
やはりSLか。SLの汽笛一声は住んでた羅漢町のマンションでもよく聞こえたものです。
でもSLはいないぞ。この後DD51が牽引する水上方面へのお祭り列車に連結されるのか?今日は平日だぞ。
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草津が来た。自由席車両に飛び乗った。
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こないだ泊まったことあるルートイン高崎。
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あ、私が住んでたマンションが見える。
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乗車20分。車掌が乗車券特急券の確認に来るかな~。
白状すると、渋川駅で飛び乗った高崎方面の上り特急草津自由席で、高崎に着くまでのおよそ20分、結局社内検札は来なかったことがある。乗車券だけで来てしまった。
その時はそのままスルーして新幹線乗り換え改札に入ったのですが、今回は渋川駅改札でちゃんと自己申告しましたよ。
駅構内で「特急ご利用のお客様は毎札までお申し出ください」ってしっかりアナウンスしとったからね。
特急券だけで510円でした。これは捨てちゃったので社内精算しなかった。
日本の臍(ヘソ)渋川にまたやってきました。
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渋川駅前、北に斜めに延びるメインストリートを歩く。
あ、伊藤商店が定休日でやんの。
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反対側道路向こう側の中華屋さん(何故かサンマーメンがある)もシャッターが閉まっている。
ここも休みかよ.jpg
さて。どうしようか。
あ、薬局の2階に喫茶店が見えるぞ。
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渋川モーニング [鉄路と風景]

朝、窓の外を見たらうっすらと。。。
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やれやれ。今日は歩かなきゃならないのだ。
晴れるだろうか。とけるだろうか。
窓の外が薄明るくなり、日が昇りかけて来た頃合いです。
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早く目覚めてしまった。
前夜の夕食&晩酌を19時過ぎに終えてホテルチェックインが19時半頃でいつもより寝たのが早かった。
枕元の会社携帯を見たら、ジャン妻からのメールで23時に「帰ります」日付が変わった0時に「家に着きました」午前1時頃に「おやすみなさい」。。。
何か業務上で不測の事態があったらしい。

あまり眠れなかった。
未明、起きる直前の最後の夢で、寝てる私の肩を黒い何者かが上から押さえつけて身動きできなくしてるのです。たまりかねて「ウオッ」と声を上げ、力ずくで振りほどいたら右腕が部屋の壁にぶつかり、ゴツッという鈍い音で目が覚めた。
それから眠れなくなった。

私の部屋は最上階、10階です。
眼下を上越線が走る。
1日が動き出した。
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眼下に電車の走行音がするとついつい撮影してしまうんは撮り鉄の性というものか?
私、別に鶏鉄・・・じゃなかった撮り鉄じゃないですよ。どっかの裏手に鉄路が通る宿のクセ、習慣、習性かですよ。
でもその宿のように踏切の音がしないので、走行音だと思って窓辺に立ってもすぐに通り過ぎてしまうのだ。1時間に2本か3本といったところです。

撮り鉄にも飽きて、そろそろ定刻6時半。
例によって無料!!と謳う朝食バイキング会場へ。
朝6時半~ですが、定刻前に下りたら行列ができていた。私が喰い終わって出るまで並んでましたね。
出されるものは安中や藤枝とそう変わらないですな。
バターが大量に入ったスクランブルエッグ。
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これまたベーコンがたくさん。
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メンチカツと蓮根のはさみ揚げ。まるで子安の市民酒場諸星で出されるような。
夜だったらチョイスしてたかもです。
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ポトフ。好きな味ですが、ソーセージを朝に食べると胃にもたれるので野菜だけ拾いました。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、セロリまで入っていた。
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椀そば。ザーッと大量に茹でてバサッと置いてある。
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これは言っちゃぁ悪いけど、首都圏全域の駅でのさばっている某会社の立ち食いスタンドよりマズいです。出さない方がいい。
ルートインの朝に必ずある丸い揚げ物。
食べたことないです。マッシュポテトかな。揚げ餅かな。
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そしてサラダ、というか、生野菜は。。。
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ハム、レタス、キュウリ、モヤシ、水菜。
やっぱりキャベツが無いんだな。
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焼き魚は鮭と鯖。
藤枝や安中でもそうでしたが、ここでも生卵は無いですね。保健所の指導だろうか。夏場ならわかるけど冬ですよ。
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私以外の利用者は屈強の男性ばかりで女性ゼロ。作業員、作業服ばかり。
土木関係者や作業員が多そうなのは渋川市の土地柄でしょうか。
食べたら部屋に戻らず即座に外に出て現場に向かう方もいましたね。
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部屋に戻る。
まだ出るには時間がある。
下を走る上越線が気になって。あ、晴れてきたぞ。
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おっ、左手から吾妻線が。。。
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くるま社会の上州でも本数少ないとはいえ通勤電車だって走るのですよ。概ねダイヤ通りです。
ウチの社員たちは私よりも群馬の電車知らないです。昨夜駅まで送ってうれた陰の部下・草の者6号なんか、吾妻線と上信電鉄の区別がつかなかいからね。
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晴れてきた。路上の雪がとけてきた。
まだ撮ってますがこれで終わりです。
部屋で最終チェックしてアポ先へ電話。「1時間早く行ってもいいですか?」
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ようやく仕事モードになった私。
晴れてるけど風が冷たい。痛いくらいです。身が引き締まります。
公用圏内まで歩きました。これから今日まで私は日帰り含めて渋川に6回きています。
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上信電鉄2017 [鉄路と風景]

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高崎駅0番線ホーム。
富岡製糸場が世界遺産登録される以前、JR北陸新幹線が高崎駅に到着する際のアナウンスは上信電鉄を継子扱いするかのように乗り換えアナウンスをしなかったが、世界遺産登録された頃から「上信電鉄は一旦改札を出てお乗換えください」程度のアナウンスはするようになった。
JRから上信電鉄への直接乗り換えはできない。
上信電鉄はSuica Pasmoに対応していません。
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ホームの先に併設されている待合室、絲綢之間(シルクのマ)
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ちっとも落ち着かないな。
私は平成24年に1年だけ高崎市羅漢町(ラのロの街)に住んでいたが、賃貸物件候補地のもうひとつが上信電鉄車両基地に面したマンションだった。
そこに住んでたら日々車両を眺めて暮したと思う。
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ED316。
この機関車は1957年頃に伊那電気鉄道からやってきた。
凸型だった車体を箱形の車体に載せ換え、南高崎駅にあった秩父セメント工場(現在は住宅地)への輸送に使われた。現在でも構内走行は可能らしいが本線走行は難しいという。
何でかというと、上信電鉄は1984年(昭和59年)12月21日、千平~下仁田間の赤津信号所付近で上下線列車の正面衝突事故を起こしているのだが、事故原因は下り列車運転士の居眠り運転と、上下線の列車交換のバラつき、そして当時はATS(自動列車停止装置)が未導入だったせい。
この事故後にATSが導入されたが、この子ED316には装備されなかった。
上州のシーラカンス、あるいはマスコット的な存在のデキ1型は現在でもイベント列車等で本線上を走行するが、ED316君はATSを装備しなかったので本線走行ができなくなった。
車籍は残っているそうだが高崎駅構内の片隅に放置されている。上州のシーラカンスになり損ねたといっていい。
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久々に乗車しました。乗ったら。。。
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絵手紙列車だった!!
作品出展者515人、作品769点。
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絵手紙列車は1日に3~4往復していたらしいが、ダイヤを見てどれが絵手紙ですという案内はないです。
書き手が違うから当然どれも内容が異なっている。主に日々日常の喜びが綴られているが、中には自分の病気を嘆くような内容もある。
幾つか読んだが、正直これだけあるとうるさくもある。
絵手紙列車は上信電鉄だけでなく、湊線(ひたちなか海浜鉄道)、和歌山電鐵貴志川線(猫駅長で有名)にも広がった。
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絵手紙は富岡製糸場近くにある洋食堂、新洋亭のママ、Iさんが発起人で公募責任者?
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新洋亭は3回くらいしか行かなかった。味とボリュームはかなりいいのだが、鰻の寝床のような細長い店内に地元客と観光客が入り混じり、取材も多いようで何だか落ち着かない。一度NHKの取材とカチ遭ったからね。
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そのうち安中の洋食104を知ったのでそっちを利用するようになっちゃった。

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しかし揺れるなガタピシと相変わらず。
左右に揺れるだけならまだしも上下に揺れるのはどうしてだ。
レールが細い。だから揺れるのか。
この記事は風ですが、夏場に上信電鉄の踏切に立って線路を見てるとあきらかにヒョロヒョロして見えます。
熱か陽炎のせいかも知れないが、JRや大手私鉄の重量級レールに比べたら明らかに細いです。
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上州一ノ宮駅。正面参道からいったん石段を上がって門を潜ったら石段を下ると社殿がある(下り宮)一之宮貫前神社の門前駅です。
私は上から社殿を見下ろしたことはありますが参拝したことはないです。この神社そのものの記事ではないですが、神社に隣接する「あるもの」について近々UPします。
一之宮駅から見えそうで見えない南側にある河川の段丘に公園があって、そこから救急ヘリ「はるな」他が四六時中離着陸を繰り返すのでブルブルボロボロとウルサい時がある。
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公用を済ませ、世界遺産の玄関口で途中下車。駅舎は2014年に新しくなった。
ただし駅舎だけです。ホームは旧態依然のまま。
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Suicaが使えないので改札で駅員さんにキップを見せなきゃならない。
電車の写真を撮ろうとホームに出かかったら、「下仁田方面ですが。高崎方面は〇〇分までお待ちください」と声が掛かった。
「・・・」
「電車の写真撮られます?」
「うん」
私はヒネクレ者なので正直うるさく思ったが、この辺りが富岡市が推奨しているおもてなし運動のひとつ、商工会議所のおもてなし五カ条の3項、おせっかいが大好きなまちの一端でありましょう。
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上州在住のウチの社員たちは誰ひとり富岡製糸場に行ったことがないのです。
製糸場を製紙場と書いた(変換した)子もいた。紙じゃないって。生糸だって。
ある女性社員の家は昔、養蚕農家だったが、廃業した原因は富岡製糸場のせいだとも言ってましたね。
世界遺産登録で喜んでる人ばかりでもないらしいのだ。世界遺産登録のせいで規制や制限が厳しくなったと。
世界遺産ににケチをつけるつもりはないが、その辺りも拾い集めてみたいものである。
で、この日の昼ですが。。。
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首都圏JRダイヤ乱れ一要因 [鉄路と風景]

目覚めたら新前橋駅だった。11:40前後だったと思う。
私は両毛線の伊勢崎駅で11:20発の電車に飛び乗っている。この11:20発の電車は定刻を3分ほど遅れた。単線だから行き違いが上手くいかなかったのかも。
乗った車両は旧湘南型の115系昭和タイプ。緑とオレンジの湘南色。4両編成だった。この車両の輝かしい全盛期は昭和の彼方に去っている。私の地元神奈川県の湘南路線を走っていた。
懐かしい車体だが今となっては古い車両。現在JRでの保有率は全盛期の半分もないそうである。
見るからに車体が重そうである。モーター音、空調音、走行中レールの継ぎ目に当る時の騒音がかますびしいのだ。
走行中の車両はギシギシガタピシ鳴る。かつては花形だったのが今は軽快な新型車両に押され地方に追いやられて余生を送っているのだが、ガタが来てるみたい。
それがこの日、立証された。
それも、2回も。。。

高崎駅に11:53に着くまでの短い時間、私はそのガタンガタン鳴る音が逆に心地よくなり、伊勢崎を発車したらすぐに眠ってしまった。駒形、前橋大橋、前橋の記憶がない。
ただ、伊勢崎を出る時、「新前橋で車両の切離しを行います」とかアナウンスがあった記憶がある。
短い4両編成をどう切り離すんだ?と訝しんだが、新前橋で起こされて流れたアナウンスは、
「おそれいりますが、お降りになったホームの向かい、1番線に停車中の電車にお乗換えください」
なんだって?
乗り換えろと??
車輌故障らしい。
高崎駅に着く前に眠りを妨げられた私はダルそうに下りて乗り換えた。

それでも高崎駅に11:53に着いた。停車する前に、「本日に限りまして5番線に停車致します。新前橋駅でのお乗換えにご協力いただきありがとうございました」のアナウンス。
私は12:20発の横川行に乗り換えて安中市の役所に行かなくちゃならないのだが。
アポは13:00過ぎ。一旦、5番線6番線ホームに下りた。
そしたら、「5番線に停車中の電車は12:20発の横川行です。ご乗車になりましてお待ちください」というアナウンスが流れた。
5番線に停車中の電車ったって、それはたった今、私が新前橋で強制的に乗り換えさせられて高崎まで来た車両ですよ。ってことはここからスイッチバックよろしく安中方面へ行く電車になるわけか。だから本日に限り5番線に・・・だったのか。
だったら下りないで乗ってりゃよかったな。発車まで20分弱あるが、ボロいけど空調が効いている115系電車に再度、乗りなおした。
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発車を待ちながら、「今日は火曜日だから104は定休日なんだよな、何処で昼を喰うかな・・・」、な~んてことを考えてたのだが。。。
ホーム上でヘンな雰囲気になっている。車掌と駅の助役、作業員らしいのが2人、ホームに立ち寄って打ち合わせを始めたぞ。
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作業員が無線で何処かに連絡している。
そのうち作業員が車両を指差して・・・というか、私の方を指差して、「お客さん乗っちゃってるし・・・」、「下ろさないと・・・」アヤしい不穏な会話が洩れ聞こえてくるじゃないか。
案の定また、「5番線に停車中の電車は車庫に入ります。ご乗車はできません」とさっきと逆のアナウンスが流れたものである。
私は眉間に縦皺が立ったのが自分でもわかった。只でさえ人相が悪いのに余計に悪くなった筈である。
保線作業員と打ち合わせ中の助役をとっ掴まえて聞いたのよ。
「どーしたのさ?」
「あ、この電車ですか?モーターの故障なんです」
なんだと?さっき新前橋で乗り換えたのも車両故障だろ。乗り換えた代替え車も故障かよ。僅か30分もしない間に2回も故障したのか。
横川行は1時間に1本しかないので。
「12:20発の横川行はちゃんと来るんか?」
「大丈夫・・・だと・・・思います・・・」
自信が無さそうであった。
「この車両が車庫に引き上げてから電車が入線しますので」
私はやや憮然とした。僅か30分の間に2回めだからね。
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ところがそのポンコツ車両がなかなか車庫に引き上げないのである。そのまま居座ってる。駅構内の電車の流れを追って見てたら、7番線から12:06発特急草津上野行を先行させ、4番線には12:04発の湘南新宿ライン特別快速小田原行が停車中で、2番線と4番線の先っぽに追いやられている短い3番線ホームの八高線12:10発ディーゼルカーまでもが先に動く始末である。ポンコツ115系はそれら先行車両の合間をぬって駅より東にある車庫、ヤードに引き上げるらしいのだ。
運転手、車掌、駅助役、作業員2人、勤務明けの私服職員2名が加わり、「参ったよ~」、「故障しちまってさ~」、グダグダ井戸端会議ならぬ雑談、立ち話が始まる始末である。
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こういうトラブルで首都圏のJR職員はまずホームに現れないケースが多い。首都圏の通勤客は利用客数もダイヤの本数も高崎の比ではないし、桁違いに数がいから中には気の荒い客もいる。下手したら暴力沙汰になりかねないところがある。
それに比べて高崎駅ホームにいる職員どもはのんびりして牧歌的だった。乗客も詰め寄ったりしない。勤務中の職員、勤務明けの私服の職員も混じって、「参っちゃったな~」の世界である。苦笑いを超えて白い歯が見えるくらいに笑ってたからね。
向いの4番線には12:08発の伊勢崎行がいてこれはすぐに定刻通りに発車した。でも私はその伊勢崎行の女性車掌に向かって駅助役が、「参っちゃったよ~」のような軽口を放っているのを見たぞ。不謹慎を通り越している。首都圏ではありえない光景である。
車庫に引き上げたのは12:15頃であった。「とっとと車庫へ引き上げんかい」と思ったよ。
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その後に12:14発の湘南新宿ライン特別快速小田原行が5分遅れで去って行く。こっちの信越線横川行の代替え車両は12:20までには来ないとみた。
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だが代替え車両はホントにあるのだろうか?
「ストック車両はあるの?」
「ございます」
「まさか実はあっち(ヤードを指す)に電車の在庫ゼロってことないだろうな?」
私は端っから疑ってかかってる。
「ございますございます。あちらの左側にバックヤードがございまして、そこからこうやって(腕を旋回させた)きます。あ、あれです。今、チラッと見えました。もう間も無く来ますので」
なるほど遠目に見ると、電車の先頭部が見えて灯が点いている。
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「お客さんお待たせしました。今、参ります」
ゆ~っくりゆっくりこっちに向かって来る。
ところが。。。
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「あ、あれ??」(助役)
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「あ~、あっち行っちゃったよ」(助役)
小山行だった.jpg
あっち行っちゃったじゃないよ。バックヤードからやっと来た電車は私がいる5番線ではなく4番線に逸れてしまったのである。行き先表示を見たら12:30発の両毛線小山行である。
「こっちに来ないであっち行っちゃったじゃんか」
「あ~ぁすみません・・・ったく何やってんだ」
助役は無線にかじりついた。
「オォイなぁにやってんだっ。4番線に行っちまったじゃねぇかっ。5番線だよっ5番線っ。えっ?この後に来る?」
野卑まる出しのTALKだったがまさか私に対しての演技じゃないだろうね助役さん?無線を切った助役は、「ったくホームのこと考えろよ」とブツクサ言っていたが私に聞こえるように言ったとしか思えない。こうなるともうギャグの世界である。私は淡麗プラチナダブルのCMよろしく、「愚痴るよりネタにしちゃうか」の心境になり、幾分と気持ちに余裕が出て来た。
それでも詰めよったよ。
「さっきからネタを提供して笑わせてくれてるが・・・」
「あ、いや、あの・・・」
「ホントに横川行は来るんだろうな?」
「お客さんすみません。あっち(4番線)に先に流しちゃって・・・。大丈夫です。来ます。この後に来ます」
1時間に1本だから焦ってるように見えないのだ。

この図を見てください。
配線図.jpg
(出典もと。配線略図Nethttps://www.haisenryakuzu.net/documents/jr/east/takasaki/
左にバックヤード(センター、車両基地)、右に高崎駅構内、2つを結ぶ線路は途中で砂時計の真ん中ように狭まっているでしょう。バックヤードからストック(代替え)車両を搬送しようとすると、短い距離とはいえ一旦は本線を走行しないと駅ホームに来れないらしいのだ。さっき助役は腕を回すように説明してくれたのはそこをなぞってくれたのである。
横川行の電車故障をなるべく他の路線に影響させないよう合間をぬって搬送するしかないのはわかった。動線の問題のようである。
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「あ、ほら、今度こそ来ました」
「今度は大丈夫だろうな」
「大丈夫です。ホラ来ました」
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待ちに待った代替え車両は5番線に向かってゆっくりゆっくりやって来た。「てめぇ早く来いよっ」と罵ったら、前で写真を取ってた学生君がビクッと振り向いた。
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高崎発は12:27過ぎだった。1時間に1本。定刻より7分遅れ。
高崎駅や群馬の世界では誤差の範疇かも知れないが、4番線に停車中だった湘南新宿ライン特別快速小田原行が出たのは12:19頃だったので12:14発の定刻より5分遅れた。今頃ここから遠く離れた首都圏では、高崎駅構内での車両故障・・・あるいは車両点検で遅れが出ていますといった言い訳アナウンスが一斉にテロップで流れたであろう。
首都圏を貫くJR長大路線の遅延原因の一旦を見たぞ。
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ぐんまちゃん列車 [鉄路と風景]

別に私は上信電鉄の廻し者ではないですが。
上信電鉄創立120周年記念事業、ぐんまちゃん列車運行についてご紹介します。たまたま来たのに乗車できたのです。
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上信電鉄株式会社(高崎市鶴見町・代表取締役・木内幸一)は、本年12月27日をもって創立120周年を迎えます。
これを記念し、地元群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」を電車ボディにデ ザインした「ぐんまちゃん列車」を運行いたします。
1.コンセプト
当社が本年12月27日に創立120周年を迎えることを記念し、ゆるキャラグランプリ2014で堂々の1位に輝いた群馬県のマスコット、ぐんまちゃんをデザインした電車を運行いたします。 ぐんまちゃん列車の運行により、群馬県およびぐんまちゃんの更なる知名 度向上とともに観光誘客を図ってまいります。
また、沿線自治体の、ご当地ぐんまちゃんや、今年誕生した当社の鉄道むすめキャラクター、富岡しるくのデザインも配し、沿線住民の皆さまに愛着をもっていただき、沿線地域の活性化ならびに鉄道利用促進を目指します。
世界遺産の富岡製糸場や荒船風穴、世界記憶遺産国内候補に選定された上野三碑にお出かけになる際にもぜひご利用下さい。

2.運行車両
クモハ501・クモハ502
3.運行開始
平成27年12月27日(日)高崎駅発9時55分の列車より
4.運行期間
平成27年12月27日~当分の間(1日3~4往復予定)
5.運行時刻
不定期(ご利用になる当日にお問い合わせ下さい)
6.運行に関する問合せ先 上信電鉄㈱鉄道部 027-323-8073

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天井にはりついているぐんまちゃん。
ボディも天井もぐんまちゃんだらけ。ここまでするか。
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後方に鎮座しているぐんまちゃん人形は素っ裸だった。何か着せてあげればいいのに。
この素っ裸のぐんまちゃん人形は安中市にも鎮座していますよ。
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前方部、運転席にいるぐんまちゃんは制服を纏っていた。
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ぐんまちゃんの顔をモチーフにした正面のデザインはイマイチだな。
「ブサイクねこの電車のカオ・・・」(ジャン妻)
私もカワイイとは思えない。ちょっと無理があるような。
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でもまてよ?ぐんまちゃんのイラストを利用するにあたって特定の個人や法人(この場合は上信電鉄株式会社さん)、団体を支援、もしくは公認しているような誤解を与えると認められる場合は認可されないんじゃなかったけ?
群馬県のイメージを向上させる為でもあるからノープロブレムなのかな。
でもサイクルトレインの上毛電鉄さん(新前橋~桐生)、上信電鉄さんに先を越されましたね。
上信電鉄の方が沿線に富岡製糸場、上毛三碑、サファリパーク、貴前神社、小幡の城下町他、目玉が多いとは思います。
高崎駅JR改札コンコースに鎮座していた上毛三碑のレプリカも上信電鉄ホームに鎮座しているし。
県庁所在地よりも上州玄関口の方が上手だったということか。
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ぐんまちゃんの利用期間は最長2年間で、それ以降は更新申請をするそうです。私が日常、社で行っている業務も似たようなものですが、2両編成とはいえ、フェイス、ボディ、室内天井を含めた内装にペイントされたぐんまちゃん全部のイラストに、申請書&添付書類が必要なのではないかなぁ。
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上信電鉄2016年夏 [鉄路と風景]

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-07-05の記事に登場した生意気オンナが私に向かって言うには、
「〇〇さんダメですよ。行き先ボードに、ぐんまー、とか、しぞーか、とか書いちゃ」
「???」
「社の皆さん見てましたよ。どこへいったんだ?って」
「ぐんまーは群馬、しぞーかは静岡じゃねぇか」
別にバカにしちゃいないよ。2県への親しみを込めて書いたんだからね。
「ちゃんと群馬、静岡って書いてください。〇長がじーっと見てたので私が書きなおしたんですから。2回も」
恩着せがましく言いやがって。別に書きなおしてくれって頼んじゃいねぇよ。私はやや憮然としたが、背後から現場統括責任者の伊東甲子太郎が、「ダメですちゃんと書かないと。来客の目にも触れるんだし・・・」
群馬と書いて出かけました。
そして上信電鉄に久々に乗るハメになった。上州一ノ宮駅近くにある合同庁舎へ出向くことになったの。
上信電鉄ホームはJR改札から一旦出て外部に出る階段を下りて、駅そばスタンドを右折して、更に先、追いやられたようにホームがある。0番線です。新幹線改札から最も遠いホームである。
高崎駅構内.jpg
いつまで経ってもSuicaが使えない。キップです。高いの。一ノ宮まで900円もするんですよ。ローカルなクセにこんなに高い運賃もそうそうないのではないか。

ホームの先端にある待合室。
車籍を抜かれたた廃車車両を再利用したもの。レールの上に鎮座しています。
富岡製糸場世界遺産登録の恩恵を受け、沿線の利用客は減っても観光客は増えているそうです。
でも高崎駅構内に待合が無いので、いっそのこと余った廃車車両内を待合に??
絹がふんだんに使われた豪華な内装という訳ではないです。
シルクの間.jpg
ヤッター.jpg

7001-1.jpg
上信電鉄ホームに見慣れない新車が入線していた。7001型。
近代的なフェイスであまり上信電鉄っぽくない。
上信電鉄は沿線にあるものを採りいれてマンガチックにベタベタ塗装する車両がやたらと多いが、これには富岡製糸場のレンガが塗装されてあった。
この7001型は、2013年に既に登場していたクリーム色一色だった7000型を塗装化したもの。沿線の高校生を対象にした公募で選ばれた塗装が施された。
上信電鉄は西武鉄道から譲渡された中古車両が多くあるが、これは自社発注。発注のきっかけもやはり沿線の花、富岡製糸場の世界遺産登録に併せたもの。良くも悪くも上信電鉄は富岡製糸場とともにあるのです。
7001-2.jpg
あ!!クロスシートになっている。
上信電鉄はロングシート車ばかりだったが。これも何だか違和感がある。
7001-3.jpg
上信電鉄は揺れるので有名。根小屋、山名辺りのカーヴはもとより、真っ直ぐ走ってても揺れる。
西武から譲渡された中古車両が多いのとレール規格が小さいからだと思う。素人目に見てもレールがヒョロいのだ。JR幹線用の50kgレールではない。いいとこローカル在来線用の37kgレールか40kgレールでしょう。
夏場に踏切に立つと陽炎の向こうにレールがヒョロヒョロ曲がって伸びているように見えるからね。
この新型車両はあまり揺れない。いや、揺れるのだが揺れ幅が小さいように思えた。車体の下部、台車も新しいタイプか。
私は通勤電車内でもボックスシートに座らない。
慣れないボックスシート。
乗り心地が良いのに何だか違和感がある。

上州一ノ宮駅に着いた~。
上州一ノ宮駅1.jpg
上州一ノ宮駅2.jpg
上州一ノ宮駅6.jpg
クラシックな上州一ノ宮駅。
昭和の映画ロケで使われそうな駅舎とホームである。
実は一ノ宮貴前神社(私は行ったことありませんが)の門前駅。本殿が境内の入り口よりも低く、正面の参道から石段を上がり、大鳥居と総門から入ると今度は石段を下ったところに参拝する本殿がある「下り宮」の配置になっている。行ったことはないが、謎に包まれた一宮氏の館跡と併設しているらしい。

駅前にタクシーが1台停まっていた。一ノ宮貴前神社への送迎客??
ここから庁舎までは徒歩5分か7分ほどですが、炎天下なのでタクシー使っちゃった。
「近くて悪いが合同庁舎まで。そこで待ってて欲しいの」
「ハイ合同庁舎」
快く了承してくれた。
行って戻って経過時間は10分足らず。歩いてもいいんだが何しろ暑いのだ。
手短に済ませ、駅に戻って私を下ろしたタクシーは駅舎の脇に下がってヒマそうにしている。
上州一ノ宮駅5.jpg
上州一ノ宮駅3.jpg
上州一ノ宮駅4.jpg
そこから高崎方面上り電車を待つ時間の長いこと。
駅執務室には誰もいない。いないのをいいことに駅舎の待合内で弁当喰ってる老人がいる。
こんな貼り紙があった。
応募したい.jpg
応募したいなぁ。。。

長閑だが、さっきから無粋なモーター音がするのです。
突如、駅のすぐ向こうにある木立の陰からヘリが浮上した。
ヘリ8.jpg
!!!!
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安中日帰りドラマ [鉄路と風景]

14:40発の新幹線Maxとき325号に飛び乗って15:30に高崎着。
15:52発のJR信越本線がこれです。旧いタイプですね。
信越線横川行.jpg
車内ガラガラ.jpg
安中着は16:04です。
ドアは手で開けます。最初が重たい。片手で持って体重かけて引っ張り、反対側のドアはヤクザキックで蹴飛ばしてやった。
ちょうど学生さんの下校時刻。上りホームをたくさんの学生さんが占拠している。決められた下校時間、限られた電車本数だから決まった時間だけ集中混雑するのである。
学生さんの大群.jpg
学生さんをかき分けながら安中駅改札を出たらタクシーがいないじゃないかぁ!!
タクシーがいない.jpg
いつもは2台~3台停まってるのにさ。
こちらは17:00までに行政へ出向かないとならないので電話で呼ぶことにした。安中タクシー、通称アンタクを呼んだ。
タクシー待ちには1人のオバちゃんがいて、
「ちょうど1台いたのが出てっちゃったんだよ~」
「ああそう。自分は(タクシー)呼んだけど・・・」
「JRはウチとは関係ないから直接呼んでくれって言われたんだよねぇ」
JR職員さんもタクシー呼んであげりゃぁいいのに。どーせヒマなんだからさ。
「自分がもう1台呼びますか?」
私は人が多い都会では優しくないが、人が少ない群馬に来た時だけ優しい人間に化けるのである。
「いいワありがと。どうせ待ってりゃそのうち来るでしょ」
オバちゃんの言う通りで、私の呼んだタクシーが来る前に3台ほど来たのである。タクシーが来る度に、「自分は呼んだから」と断るハメになってしまった。
「お待たせ~」(運ちゃん)
「自分、呼んだんで」
「ああそう。じゃぁ待ってて」
これが繰り返された。
オバちゃんは私より先にアークタクシーのワゴンに乗って去っていった。
オバちゃん1.jpgオバちゃん2.jpg
榛名タクシー.jpg

アンタク.jpg
10分ほど待ったら安中タクシー、通称アンタクが来たぞ。
「高別当の安中市〇〇〇〇事務所」
「ああ、〇〇所ね」
「GUSTを左折、104を右折ね」
安中藩の辺り.jpg
安中藩の辺りです。妙義が見える。
妙義が見える.jpg
104は定休日だった。
いつかルートインに泊まって、夜の104を堪能してみたいものです。
定休日.jpg
公用は問題無く終了。
帰りは榛名タクシーを呼んだ。運ちゃんは女性だった。
東京までお帰りに?」
たった1件の業務でこの時間帯だったら日帰りがアタリマエですよ。
「16:50発がちょうど出てっちゃったんだよな。次は17:40までない」
「ああホントだ。お待ちになってる時間が長いですよねぇ」
「駅で業務メールしながら待ちますよ」
「1時間に1本くらいしかないから」
「何のアナウンスもなく、気が付いたらいきなり上り電車が来たことがありますよ」
「そうそう。ここは田舎だからさぁ~」
帰途の榛名タクシー.jpg

再会.jpg
駅ロータリーで身体を伸ばしてたら、1台のタクシーから運ちゃんが下りてきて、
「あれぇ?早いねぇ」
さっき、私が「呼んだから」と断った運ちゃんである。
「もう用事済んだんだ?」
「済みましたよ」
「こんな短い時間の用事なのにわざわざ来なきゃならないんですか」
「郵送がNGな内容なんです。窓口で説明しなきゃならないかな」
「タイヘンだ。で、次の電車まで待つんだ?40分以上あるんじゃない?」
「待つしかないじゃないですか」
そうやって会話してる運ちゃんのタクシーに私は乗ってないんですよ。見送っただけ。僅かそれでもう顔を覚えられたのか。安中の狭くて少ない群馬の人口密度かということ。
(この運ちゃんは7月にも再会していますが覚えてなかった。饒舌でしたね。)

さっき大量にいた学生さんたちはもういない。
乗り遅れたか。部活か。補習で居残ったか。2人3人程度の学生さんがパラパラ。
上りホーム.jpg
業務電話、業務メールもやり終えてしまい、ヒマですることないので、安中のシンボルでもある東邦亜鉛株式会社(トウホウアエン)製錬工場に入線する貨車を見ていた。
東邦亜鉛2.jpg
東邦亜鉛3.jpg
東邦亜鉛4.jpg
屋根の無い貨車(無蓋者)は東邦亜鉛社の所有。茨城県の小名浜港で陸揚げされた亜鉛を運んでこの地で製錬するのです。
構内入替用のミニ機関車が貨車を2両ずつ精錬所へ引いていった。2両ずつなのはスイッチバックの長さの都合です。先日車窓からジーッと見てたらやはり折り返し退避部分が短いの。途中から錆びて雑草に埋もれ、廃線状態で自然に還ってた。
東邦亜鉛5.jpg
東邦亜鉛6.jpg
東邦亜鉛は安中のシンボルだが、昭和の時代、群馬県で足尾銅山に次ぐ公害事件で知られる。
現在は安全協定を3年毎に更新しているそうである。
夜になると大量の光が点る不夜城でもある。沿岸の工場地帯ではなく山の斜面に光が灯るので、知らない人は「この地に?」釘づけになる。
東邦亜鉛1.jpg

上り電車が来た.jpg
実はこの日、高崎バルでドーミインが取れなかったのだ。だから帰らなきゃならないの。
ジャン妻は業務定刻終了後に美容院に行くとか言ってたので、バルで混雑する高崎市街を避けて群馬八幡で一杯引っ掛けて行くことにした。
だけど磯部松井田の西空が黒雲に覆われてる。あの雲はいずれ八幡、高崎まで来るのだろうか。
私が八幡で飲む夜は雨率が高い。
また雨を降らせちゃうかな。
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旅をジャマする者 [鉄路と風景]

磯部温泉辺り1.jpg
碓氷川.jpg
お宿.jpg
安中榛名駅からバスで磯部駅に向かうバスの車窓です。
磯部温泉辺りです。磯辺ではなく磯部。日本で最初の温泉マーク発祥地とも言われている。
足湯の辺り.jpg
バス.jpg
温泉マーク1.jpg
温泉マーク2.jpg
長野新幹線の開通で地方のローカル線に転落したJR信越線、磯部駅ホームに立っている私。
現在はいいとこ4両編成しか停車しないのに、昔の名残で長大ホームを有している。
ホーム先端から磯部城を望む.jpg
磯部城UP.jpg
日頃、外出が多く、月に3回か4回は地方へ旅している私ですが、先日、マッタがかかった。
「〇〇さん」
「何です?」
「いずれウチの会社店舗数が今の10倍増えますよ」
私に話しかけて来たのは伊東甲子太郎(仮名)という現場統括責任者。
「10倍?」
「今の10倍です」
「っていったら1000か。そんなになるかな~」
「なります。いや、10倍にもっていきます」
「ああそう。(あくまで目標なのね。)でも今はせめて目標倍ぐらいにしときましょうよ。それだったらまだ現実味があるのでは?」
「いやいやいやいや10倍いきますよ」
「10倍ねぇ・・・」
私は現実感が湧かない。
伊東という男は信用度と不信用度が相半ばしている人物で、夢を語り、啓発心を呼び起こし、会社の意に沿った上昇志向の人間を上げる反面、そうでない者は切り捨て・・・までいかないが、置き去りにしてしまう。
実務よりも部下にやらせるタイプでもある。
イヤな言い方だが政治と一緒で現場の数=力ともいえる。数だけ増やすのに最も簡単なのは新規案件よりも何処かを吸収合併するのが最も手っ取り早いのだが、そこの売上&利益だけではなく、そこが抱えてる負の資産、問題も請負わなくてはならない。
数を増やすのはいい。でも形あるものはいつかかならず無くなるともいえる。向こう何年かわからないがその間にクローズ、撤退する現場だってあると思うのだが。
10倍?私が在職中に1000までいくだろうか。
長閑1.jpg
使われていない側線?.jpg
唐突に伊東は何を私に言いたいのか。私は半信半疑で軽く受け流そうとしたのだが。
「10倍ったら従業員数は7000人くらいになる訳か・・・」
「ですね」
私は遠くを見るような目になった。そんなに数が増えたら今の東京本社一本化組織では対応できないのではないだろうか。それこそ例えば群馬だったら群馬に支社ができるかも知れない。
伊東が何を言いたいのかわからない私は、「群馬の支社なら私が行ってもいいよ」と脱線気味に言いかけたら、伊東が言うには、
「10倍ですよ。現場数1000、従業員数7000です。〇〇さん(私のこと)ひとりでは無理ですよ」
ああ、そういう話か。
私個人の業務の話ね。私は経営部門からは外れているが、各現場の営業許可に関わる部分、従業員の行政登録をひとりで一手に引き受けている。いわば営業の根幹の部門です。
何か変更事項が生じたら足早に行政へ出向くのだが、毎月毎月かなりの件数になるのです。
誰も辞めたり、異動したりしなければいいのだが、私のいる業界は定職率が極めて低いのだ。離職率が高いということです。
ホームから妙義.jpg
妙義UP.jpg
更に伊東は続ける。熱弁になってきた。
「もう〇〇さんひとりでやらないで、それぞれのエリア長や各店の店長にやらせましょうよ。〇〇さんは本社にいて書類作成と捺印だけでいいんです」
あ、そういうことか。コヤツ私から外回りを、外出を、出張を、旅そのものを取り上げようとするつもりだな。
私は有難迷惑に思った。いや、伊東が長期展望を考え、今後を憂えて言ってくれてるのはわかるよ。でも今のところ私はそれほどタイヘンじゃないのよ。じーっと本社にだけいるのは性に合わないし変化も欲しいし。
余計な心配しなくていいよ。
でも実は最近、一部の中堅社員や幹部候補がひとりでやってる私を見かねて、「自分がやります」、「行きます」、「やらせます」、4名ほど手が挙がってはいる。
「それは〇〇さんイズムですよ」と伊東は私を持ち上げた。私が言葉でなく背中を見せたということですよ。実際やらせたの。
でも人に託すのって自分でするのよりもどかしい。
「それが人を使うということよ」(ジャン妻)
私自身がタイヘンそうだから「自分らでやります」、というのも本意ではない。どうせ私の職掌なので同情票を買うのに抵抗がある。
だが伊東は会社が大きくなった時、将来を憂えている訳です。私は私が抱えてる業務内容によっては、各現場に委託することに同意せざるを得ない雰囲気になってきた。
下り電車.jpg
ガラガラ.jpg
車窓から文殊寺砦.jpg
私は伊東に釘を指した。なかなか手ごわい行政、窓口もいるので、現場の者に行かせても、何か相手から突っ込まれたらその場で即時に対応できないだろうと。
相手、役人も生身の人間である。私は私也に腹芸があるし、演技力を駆使してその場でケリをつけるのを大原則としている。多少は抵抗して相手に受理させる努力が必要なのだ。知らない人間に行かせていいものか。何か指摘されたら言い返せずに持って帰られても困るのです。
「都内23区や横浜・川崎の区は数が多いから手早く済む時が多いですが、市制だけで区のないところや地方は指摘が細かいですよ」
「そうなんですか。でも〇〇さんがそう思うんだから事実そうなんでしょうね」
「東京神奈川は業界の数が多いから、相手もすぐ処理しなくちゃならないのでサッと受けてくれるんですよ。でも地方や田舎ほど業界の数が少ないので、重箱の隅を突くように細かく見られます」
実際そうなのである。
「わかりました。でも細かい部分はさておき基本は今後の方針として現場にやらせることでよいのでは?」
伊東の言う主旨には同意せざるを得ない。私も齢50を幾つか過ぎたし、私が不在でも滞りなく廻ることを考え構築しなくてはならない時期にきているのだ。
でも伊東は私の言うところの、「地方都市は手強いよ。細かいよ」に引っ掛かった。最後にこう言った。
「埼玉や群馬、静岡とか。地方や遠方は〇〇さんが今後もお願いします」
ヤッタぜ!!
ギリギリ領域を守れた気分。
他にもこう言われた。「群馬は〇〇さんの方が土地勘がありますからね」
ヨカッタ。安堵した。
地図で見て近いけど、そこへ至るまでが遠いかめんどくさい箇所だけ現場に投げようっと。
榛名.jpg
妙義.jpg
人生そのものが旅ともいうが。
外出しなきゃネタに事欠くじゃないか。これが本音だけど。
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旅は終わらない [鉄路と風景]

オカシイ?
崎陽軒のシウマイ弁当が見当たらないぞ。
12:40発MAXとき321号新潟行の発車時刻が迫っている。シウマイ弁当は以前、新幹線中央改札脇の弁当売り場にあったのだが、そこが撤去されて無くなっちゃった。
東京駅は東日本の名産弁当の出展競争が激しいから、横浜の崎陽軒はフェイドアウトしてしまったのだろうか。
駆けずりまわって探し廻ったら、南乗り換え口向こうの売店に、
南乗り換え口売店.jpg
弁当屋.jpg
あるじゃないか.jpg
あったぁ!!
シウマイもあるぞ。
「あったあった探したゼ」
売り子さんはニコッと笑って売ってくれた。
車内で昼を過ぎるので弁当を購入。シウマイ普通サイズのも上州のある筋に土産に買ってくことにした。そしたら売り子ガールの時間説教TALKが出たよ。
「そのままですと明日の午前1時までお召し上がりになれます。冷蔵庫にお入れしますと・・・」
シウマイ弁当の方はこれから車内ですぐ食べると思ったようだが、シウマイ普通サイズは土産ものだからそう言わずに売れないのは相変わらずのマニュアル通りである。ここは東京駅だが、横浜生まれ横浜育ち崎陽軒を喰って40年のベテラン客に説教すんじゃねぇよっ。
いつもは最後まで聞かずに無視してその場を立ち去るのだが、聞き返した。
「午前1時?」
「ハイ」
「それって日付変わってすぐか?夜中?」
「さようでございます」
誰が午前1時に喰うかよ。
ここまでガチで設定されると犯罪ドラマによくある時間設定のようなもの。「いついつまでに身代金を持って来い」のようなね。
でもまぁ探し物が見つかったんだからいいか。
そういえば伊豆高原八幡野のMさんが言うには、
「母がウチに来る時、東京駅に崎陽軒のシウマイが無かったんですよ。お弁当はあったんですけど・・・」
今度、Mさんに教えてあげよう。南乗り換え口向こうの売店にあります。隅に押しやられちゃったんだね。
開封前.jpg
12:40発MAXとき321号新潟行自由席にギリギリ乗車。車内はどの客も買い込んだ駅弁を開いてたね。
プシュッ??
誰かがビール飲んでやがるな。
私も開封する。
開封.jpg
西日暮里駅で完食!!
西日暮里で喰い終わる.jpg
しばしウトウト眠ります。今日は高崎を通り過ぎて、終点の新潟まで行くのです。
新潟から高崎に戻って一泊、明日の朝に前橋、宇都宮を廻るツアー。

新潟着14:50。新潟での業務は至極簡単なもので、あるものを正本、副本、こちらの控と3セット用意し、簡単に説明して受領印を貰うだけです。簡単なんだけど、新潟・群馬・栃木とも郵送が不可なのだ。
新潟県某所の窓口まで徒歩10分。窓口で10分。
新潟駅まで戻るのに徒歩10分。15:13発MAX330号に間に合わず。[あせあせ(飛び散る汗)]
次のMAXとき332号は高崎を通過してしまうので、次のMAX332号16:23発まで待たなくてはならない。県庁所在地前橋へ出向くのは明日に伸ばした。

新潟駅.jpg
新潟駅ホームに停車中のMAX332号16:23発の発車待ち時間。自由席先頭車両2階の車窓から、気になるものが目に留まった。
何だあれは?.jpg
何だいこれは?
何かあるぞ?.jpg
ホーム下に台車が新幹線の軌道に対して横向きに鎮座してある。
座席2つ、後部に小型エンジンを背負ってる。
モーター式の軌道バイク?いや違うな。レール点検用の台車か?
ナワ~ルドさんが廃線になった神岡鉄道の軌道に走らせた2人乗り自転車とも全然違う。
下りて見る.jpg
遠目に見た感じでは車輪と車輪の幅、寸法は新幹線の軌道(1435m)のようである。そりゃこの台車は新幹線の軌道上を走行するに決まってる。在来線を走行するものを新幹線ホーム下に格納してもしょうがないだろう。
これはおそらく一方向にしか進めないし、線路の端まで走ったら戻るのに人力による反転作業が必要ではないか。ターンテーブルなどないだろうし。かなり重そうである。
この台車の正体はわからないのでどなたか教えてください。イベント用ではなさそう。おそらく保線用か、職員を乗せて現場へ走って行く類のものと思われますが。
レールバイクか?.jpg

MAX332号はひと駅、ひと駅、律儀に停車していく。
何だか今日は新幹線に乗っている時間の方が長いな。今日明日の出張は私の本来の業務ではなく、隣部署(私がかつていた部署)からの応援依頼で請け負った。
その部署は請負った私に口頭で「お願いします」とも言わず、内容も説明せず、私のデスク上にバサバサと置いてあっただけ。
それでいてこちらが前から依頼していた案件には先送りして対応しないので私はカチンと来ている。
出張中に、「無事、済んだから・・・」の途中連絡をしなかった。受付印を貰った3県の届出控を他部署のデスク上にバサバサッと置いてやったよ。
3県の届出を済ませてから伊東甲子太郎に、「アナタの部署は他部署に対して失礼ではないか?」とクレーム言うハメになった。私は他部署の下請けじゃないんだからさ。

17:41に上州玄関口に滑り込んだ。
私がかつて済んだマンションが見える。
あの部屋に還りたい。
懐かしい.jpg
歩き慣れた上州玄関口、改札コンコースに・・・
レプリカ1.jpg
何やら石の塊が鎮座してるぞ??
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上州滞在2時間のこと。 [鉄路と風景]

慌ただしい日帰りだった。
東京駅発9:04、新幹線あさま605号長野行に飛び乗る。
高崎駅着9:55、信越線横川行10:19に乗り換えて安中市に向かうのだ。
25分弱の待ち時間を利用して一旦、駅郊外に出て郵便局へ。
駅前郵便局.jpg
3年振りに来たこの郵便局、高崎在住中はよく来たものです。
親切で丁寧。見知った顔もいた。
定形外封筒と簡易書留430円分の切手を購入しないと。
「同封する書類はどれくらいの重さですか?」
「そうだなぁ。A4を10枚くらいかな」
「でしたら1つ上の重さの金額がヨロシイかと思います」
480円だという。
「それにする」
返信用の封筒なので足りなかったら本社で支払えばいいのだが、そこは万全を。
「切手ここで貼ってっていいかい?」
職員さんは封筒の入ったキッチキチのビニールを切って封を開け、その場で水に浸した切手を貼ってくれた。親切だなぁ。
「ありがと」
言い捨てて出た。至れり尽くせりは3年前と同じだった。3年振りの再会だがもう私のことは覚えちゃいないだろうな。
郵便局を出る。ここから北へ道路を横断すると通町方面で、出勤前の七マスター、くいもの屋亮の娘さん、浜潮のおっちょこちょいY子さんとバッタリ会ったりしたものだ。
駅に戻る。在来線の5番ホームへ駆け下りた。車輌は〇〇〇型。手動でこじ開ける。
横川行.jpg
業務メールを打ちながら目的地の安中駅に下りた筈だが・・・
職員さん用荷物.jpg
あれっ??
何だか風景が違うぞっ??
安中駅前には商店は何もないのだが(1軒、営ってるのかどうか、ベイカリーがあったかも)、ホームを下りて必ず目につく安中のシンボル、東邦亜鉛安中精錬所が無いのだ。
時刻を見たら10:27、オカシイ?安中駅に10:32に着いて市内某役場で申請を済ませ、その足でキッチン104でランチ、おそらく11:00過ぎで最初の客と皮算用したのだが。
あっ!!
安中駅じゃないここ!!
1つ前の群馬八幡駅じゃないか!!
和が家の最寄駅である。
あ、あ、慌てて乗りなおした。ちょうど最後部車両に積んでいた荷物のし受け渡し時間があったので発着が遅れたので助かった~。後部車輌の一時的な貨物(荷物)置き場になっていたのです。
乗りなおした私を乗客が怪訝そうに見たが、すぐ目を逸らされた。
照れ隠しも兼ねて知人にメールする。「間違えていつものクセで群馬八幡で下りそうになった」
アブねぇアブねぇ。
安中駅着10:32、ここでタクシーを掴まえて市街地へ。
安中駅.jpg
妙義が見える。この辺り、安中城のあったところ。
タクシー1.jpg
タクシー2.jpg
タクシー3.jpg
農協で証紙を購入して某役場へ飛び込んで手続き。
(もしかしたらさっきの郵便局で売ってたかも知れない。)
返信用封筒を渡して、「問題ないようでしたら、こちらの控に受領印を押して、この返信用封筒で送って下さい」これで完了である。
ランチを喰いにダァッシュ!!
「あれぇ?今日は出張ですかぁ?」(店主)
104.jpg
ボード.jpg
トマトソースのハンバーグ&カニクリームコロッケ。
紀尾井やKIYAのカニコロといい勝負だが、トマトソースはちょっと酸味があるな。
スープとサラダ.jpg
バーグ&カニコロ1.jpg
バーグ&カニコロ2.jpg
カット断面.jpg
夜ランチって何だ?
ランチは昼だろう?ディナーとはいわないのかな。
この店で夜メシを喰うには安中市に最近できたルートインに泊まらなくてはならないだろうな。
夜のランチ?.jpg
夜ランチ.jpg
上り電車が来た。この後、本庄市に行くのです。
安中市にランチ喰いに来たようなものである。
上り電車.jpg
本庄市に駆け込み、そこが意外な場所であったことを知る。ちょっと散策してみる。
市役所そびえ立つ.jpg
城山稲荷の標注2.jpg
続く。。。
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東武線プチ廃線跡 [鉄路と風景]

太田駅から歩いている。
太田市は外国人さん(ブラジルの人)が多いのと、北関東屈指の歓楽街南一番街とか、別のカオが幾つかあるのだがここでは触れません。歩いてみるとハマりそうなのですが。
私の公用先は駅から西へ徒歩15分ほど歩いたところ。HPにはアクセス10分となってたが、10分じゃ着かない。
途中、東武桐生線の高架下を歩く。長大な高架建造物が頭上にあって長々と続いている。
この高架化工事は平成7年~平成18年までかかったそうで、高架での運行開始日は平成16年11月25日。
それまでは私が歩いている地面を走っていた。
高架化工事について。太田市のHPから抜粋。
事業箇所は太田市東長岡町~西本町。総延長6365m、そのウチ伊勢崎線2930m、桐生線1935m、小泉線1500m。
踏切17箇所を撤廃して道路交差を32箇所にした。総事業費約289億円。
誰かが言ってた。「上州では渋滞がない」って。
そうではない。くるま社会だし、上州で渋滞が全く無い訳ではない。東京都のような酷い渋滞は稀だというだけで、その代わり僅かな信号待ちでも渋滞と呼ぶんだよ。
私が歩いている太田市は富士重工(スバル)や三洋電気の城下町。関東内陸部の工業地域でもある。くるまの数が多いので、現在でも郊外はまだしも太田駅周辺は渋滞するね。東西に走る県道2号線(東国文化歴史街道)が南北に通る407号と鍵型に重なる辺りはノロノロしてますね。
太田駅.jpg
太田駅は東武伊勢崎線、桐生線、小泉線、3線がクロッシングするので、高架になる前はこの3線の踏切が渋滞に拍車をかけたそうである。それが高架化によって東西方向で約7分、 南北方向で約5分移動時間が短縮したと太田市は豪語する。
それまで3線で市街地がズタズタに分断されてたのが一体化し、立体交差が増えたので鉄道を横断する為の渋滞がやや分散したというが。はて、そうなのかな。
駅も高架も近代的になったが、駅の周辺は北口も南口も商店街が衰退し空洞化しているように見える。私は在住中に太田市郊外も走ったが、ロードサイドの方が大型複合商業施設が出店していて人がいるからね。
(何処の地方都市もそう。伊勢崎市もそう。高崎市はまだマシな方ではないか。それはまぁさておき・・・)
太田駅方面.jpg
桐生駅方面.jpg
東武の高架下は駐車場になっている。
歩いている間、頭上の高架(桐生線)にぜんぜん電車が走らないぞ。桐生線も伊勢崎線もよほどダイヤがスカスカに違いない。
その桐生線高架下の駐車場が途切れた辺りに発見したもの。
橋台1.jpg
橋台だ。
高架前の桐生線、旧路盤の橋台だな。レンガ造り。
そうか。ここは旧路盤跡なんだ。そりゃそうだ。上に高架があるんだから。
橋台2.jpg
橋梁の下部構造物としては橋の両端にある橋台と、その間に2径間以上設けられる橋脚(河川や河川敷に立つもの)とある。
橋台は鉄路の盛り土、路盤と水平に連続して設けられる。河川に面しているので、土留擁壁のような意味合いの構造でもある。
設計者は橋やレール、車両を載せた垂直(鉛直)方向の荷重、水平方向の土圧の荷重、河川や用水路の水流に触れる場合はそれらも加味されて設計される。
この橋台は河川というよりも用水路、灌漑水路を渡るミニ橋だったに違いない。
橋台3.jpg
これは伊勢崎線高架下の橋台。
複線分の幅があるような。
橋台5.jpg
こういう橋台の遺構は新しい橋に付け替える際にも発生する。旧くなった橋から少しズラして架橋しなおしたりするケースである。
この場合は、上に(天空に?)連続して架橋しなおしたケース??
橋台4.jpg
1級河川や水量の多い川で廃止後にこれらを放置しておくと、川中にあることで水の流れを阻害してしまう橋脚は早く撤去されるが、両端にある橋台はそれほど影響はなく廃止後もそのまま残存しているケースが多い。
後年、河川の護岸整備等で撤去されるだろう。
旧路盤の上へそのまま高架化したから、再利用されない限りしばらくはこのままかも。
赤城が来た.jpg
11:30の上り赤城で帰京しました。往復と届出、併せて1時間かかった。
プチ橋台から離れて、某病院の前にあるこの店、前に一度だけUPしたことがあるのですが、閉まってたのでこの日、私はランチ難民になってしまったのです。
閉めちゃったのかなぁ.jpg
この店にはサンマーメンがあった筈。廃業しちゃったのかなぁ。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-11-10-4
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関東鉄道常総線に乗る [鉄路と風景]

石下駅.jpg
石下駅。水海道から北の中では大きい駅で2面2線です。以前は売店もあったらしい。
そういえば常総線、守谷から南はどうかわからないが駅構内には売店が全く無いですな。(駅前にはあるかも。)この辺りが1時間に1本か2本のローカル鉄道移動で困るところで、乗車前に先に喰ってしまうか贅沢言わないでコンビニで何か買って車内で喰うしかない。
つくば駅のCafeで済ませて良かったよ。買い込んで横座りロングシートで飲食すると周囲の目が気になるが、仕方がないですよね。
車内は閑散としてきた。筑波山も間近になってきた。
石下駅の次に写真に撮りそこなった玉村駅を過ぎて宗道駅(ソウドウ)へ。
宗道駅.jpg
筑波山がだんだん近づいてきた。
筑波山2.jpg
現在、常総線の駅から筑波山へアクセスするバスは無いようです。
昭和62年(1987年)、国鉄民営化とほぼ同時に廃止された筑波鉄道筑波線(常磐線土浦駅から水戸線岩瀬駅までを結んでいた。現在は関鉄筑波商事、道関東鉄道の子会社)の筑波駅がアクセスを担っていた。現在はつくばEXのつくば駅前からのシャトルバスが最もアクセスがいい。
私は筑波山に登った記憶はないな。平将門を描いた大河で、村々から集まった男女が一夜交わる歌垣(カガイ、嬥歌とも)がいきなり描かれたのは将門の地元だからですが、加藤剛さん(将門)が山口崇さん(貞盛)に誘われた場所は、筑波山かその麓の村だろうか。
車内1.jpg
沿線は田園風景と住宅地で、山間部の鉄道と違って散見すべきポイントに欠ける感はする。次の下妻駅~大宝駅にかけて小貝川の支流や灌漑用水を渡るガーダー橋が3つほどあった。
3つめのガーダー橋はデカく、それまで静かだったのがガガンガガン・・・響いた。
ガーダー橋.jpg
下妻駅.jpg
下妻駅は下妻藩があった規模の市。下妻藩になる前に多賀谷氏がおったところ。
多賀谷氏は結城氏の家人だったのが永享12年(1440年)に落城寸前の結城城から結城氏朝の末子、七郎、後の成朝を抱いて脱出、常陸の佐竹氏を頼った。
結城家の再興にも尽くしたようだが後年は独立しようとする。助けてくれた佐竹氏に付いて反北条氏の立場で抵抗し、多賀谷重経という人の頃に最盛期を迎え最も領土が広がった。
重経は小田原にも参陣したので太閤秀吉から所領安堵されたが、家康の次男秀康が養子に入った名門結城氏の寄力大名に戻されたのを不満に思い、フテ腐って朝鮮出兵をスッポかした。
関ヶ原の時も家康の参陣要請に応じない。大恩ある佐竹氏が反徳川派なのもあるが、会津征伐に向かう家康の小山本陣へ夜襲を仕掛けようとしたのが発覚して改易されたとか。独立気概旺盛でヤマっ気の多い人だった。
後年、復活した下妻藩は旗本から加増されて諸侯になった井上氏が代々続く。1万石の小藩だった。
13代藩主井上正兼は天狗党の襲撃を受けて下妻藩の陣屋は焼けてしまったという。
中妻、三妻、下妻。。。
妻が多いな。おそらくこの一帯は沼が多く、沼=妻になったのかな。(確証はありません。)
車内2.jpg

大宝駅.jpg
次の大宝駅はホーム上にある簡易待合室がこんな造りになっているのは、右後方に見える森を大宝城といって、南北朝時代の下妻氏の浮城(沼城)だったところ。駅の待合はそれを意識しているのかも。
(吉田類さんの居酒屋何とかに大宝城(オオボウキ)という店がありますが。)
時間があれば立ち寄ってみたいものだが、下妻氏や南北朝抗争は全く知らないので、お城の頁サイト余湖先生にお断りを入れたうえで縄張りのみ掲載します。
図の右、西側に常総線が走っています。
大宝城縄張り.jpg
余湖先生のHPから。
車内3.jpg
騰波ノ江駅.jpg
騰波ノ江駅。何て読むかおわかりでしょうか。トバノエです。
私は読めるし検索できますが、手元に何も無い状態で騰波ノ江を書けと言われても書けないと思う。
この駅については下記をクリックしてご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=rLQLmAFQYM4

筑波山3.jpg
黒子駅は・・・小暮写真館のロケ地になったというウワサがありますが。
黒子駅.jpg
大田郷駅.jpg
大田郷駅。
関東鉄道常総線の前身を常総筑波鉄道というのですが、その頃この駅から西にカーヴ別れして鬼怒川河川敷に近い三所まで開通していた砂利運搬路線があった。鬼怒川線といって全線6km。駅は大田郷、常総関本、三所の3駅で、旅客営業もしていたそうです。
鬼怒川線の砂利運搬の最盛期には三所から先の河川敷まで3本の引き込み線があって、常総線本線の収入と同額の収入があったとまで言われているが、この地域の砂利道が舗装整備されてバスが開業したことや、鬼怒川河川敷の砂利の減少が原因で昭和39年には廃止になっている。
鬼怒川線.jpg
車内5.jpg
あのひと駅で終点の下館駅だが、ところがどっこい大田郷駅から乗客が少し増えた。緩いカーブを右にきって下館駅に滑り込む。
下館駅常総線ホームから見て最も北側に、アマゾンライダーのようなデザインのディーゼルカーが小休止して出番を待っている。真岡鐡道です。
アマゾンライダー.jpg
子供の頃、旧国鉄真岡線でジャン母実家に行く時、当時は国鉄だった真岡線の朱色のディーゼルカーの車窓から右手に今日乗車した関東鉄道常総線のカーヴが視界から遠ざかって行き、あの寂しそうな鉄路は何処へ伸びているのかな?その沿線には何があるのかな?と思ったものである。
子供の頃の???は何とまぁ30数年経った今日ようやくにして沿線を見て成就したという訳です。1時間以上かかりましたよ。
下館駅.jpg
この後、JR水戸線に乗り換えました。
この日の最終目的的は小山市の県合同庁舎。つくば市から検索したら関東鉄道常総線~下館~JR水戸線~小山と表示されたのです。(続く)
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関東鉄道常総線に乗る [鉄路と風景]

乗り換え.jpg
守谷駅.jpg
常総線ホームはつくばEXの高架ホームにのしかかるように圧迫されて暗~い雰囲気のホームだった。その長大ホームにやって来たのは・・・。
電工掲示板に1両??.jpg
水海道行.jpg
僅か1両の下館行!!
乗客ギッシリ!!
すれ違い.jpg
先頭車両から。しばらくは複線です。
この先の写真は過去にUPした八高線や上毛電鉄の記事と同じく、車内から記録の為に慌て撮りしたもので写り悪い写真ばかり。沿線ガイドにすらなりませんがそこはご容赦下さい。
私は座席に座らなかった。八高線や上毛電気鉄道に初めて乗った時のようにずーっと立ちっ放し。座席が空いて無かった訳ではないのだが、前方か後方に立っていた方が沿線風景を観察できるのですよ。
他の乗客はいっとき私に怪訝な目を向けた方もいたが、私と目が合うと逸らすんです。もちろん私はダークスーツ姿だが、ひとり出張で時間に追われてない閑人フリをした。
私は起点の取手駅ではなく、つくばEXと連絡する守谷駅から乗車したのでそこから南、守谷~取手間の沿線風景は見ていません。

新守谷駅。
現代ドラマのロケに使われてるらしいけどその辺りの詳細はわからない。つくばEXが隣の守谷駅に連絡したことでバス路線が整備されたらこの駅はワリを喰ってしまい、客数が半分に減ったという。
新守谷駅.jpg
この駅と、ここから南の駅で待避線がある駅に、昨年2015年9月10日の豪雨時に車輌が退避した。

小絹駅。芸者さんみたいな名前の駅。
駅の西はニュータウン開発されている。常磐道谷和原ICも近い。
小絹駅.jpg
次の水海道駅では3分停車。2面3線のホームで跨線橋は無く、下館側に構内踏切があるクラシックな駅。
ここまでが複線区間。ここから単線になる。
水海道は常総市です。昨年2015年9月10日の豪雨で鬼怒川堤防が決壊して甚大な被害が出た市。
水海道駅2.jpg
水海道駅3.jpg
関東鉄道常総線は一見してローカル鉄道だが通勤路線のカオも持っている。
総沿線の殆どが鬼怒川に沿った田園地帯だったが、1970~1980年に常磐線と連絡する取手方面が大規模開発され人口が増えた。それまで全線単線だったのが取手~水海道間が複線化になる。
その区間はつくばEXや常磐線と連絡するので、東京方面への通勤路線を意識しているといっていい。取手から水海道までは日中4~5本/1時間、ラッシュ時はおよそ10本/1時間と多く運行される。
私は1両単行にのんびり乗っているが、最長で5両編成。
これが水海道から北の下館方面へ向けてはローカルムード一色になる。本数もガクンと減って1~2本か4本/1時間。1両単行が殆どでMAX増結は2両です。
何故電化されていないのか。筑波山に隠れた東の茨城県石岡市柿丘に気象庁地磁気観測所というのがあって、常総線が電化してしまうと地磁気観測に影響が出るというのです。
この観測所は都内23区にあったのが大正2年(1913年)に現在地に移転している。都心に都電が網の目のように走った為に直流電気だらけになったからです。
地磁気観測に影響を与えないようにするにはどうすればいいか。私は電気に詳しくないのでよくわからないのだが、直流~交流に切り替えるデッドセクション(無電区間)というのが必要で、これを導入すると変電所が幾つか必要にいなり常総線は金が無く電化を断念した。竜ヶ崎線や鹿島臨海鉄道大洗鹿島線もそう。
(常磐線、水戸線はデッドセクションを設けて交流電化にしている。つくばEXは全線殆どが交流電化。
昨年2015年8月に、JR東日本根岸線が横浜~桜木町間で緊急停止後、運転再開時にショート、発生した火花が架線を焼き切って運行できなくなり上客が線路を歩いて避難したが、その停車区間はエアセクションというそうでまた違うらしい。)
非電化の代わり、高い出力を持つ新型気動車(90km/時間)を投入してスピードアップを図っているそうだが、私の乗ってる単行はのんびりしたものです。
私は前方から後方へ移った。

北水海道駅.jpg
北水海道駅。この寒空の下で野外ランチしてるグループがおったですよ。この近くに常総〇〇所があるので、もしかしたら私れこの駅で下車することがあるかも知れない。

中妻駅と三妻駅。
写真に撮れなかったですが、この2駅は駅舎と住居が曲がり家のようになっていて、そこに社員の家族が居住している。それだと公私のオンオフが無いから落ち着いで暮せないのではないかな。
中妻駅.jpg
三妻駅.jpg
南石下駅。この駅は1日平均辺りの乗客数は少ないが、水害時に船着き場みたいになってしまったそうです。
筑波山がまだ遠く見えます。
南石下駅.jpg
筑波山1.jpg
この辺りを常総市というのですが、昨年2015年9月10日、集中豪雨で常総市内の鬼怒川堤防が決壊して大被害が出たのはまだ記憶に新しい。
如何に大河とはいえ近代的な堤防が決壊するなんて有り得ないと思っていたことが起きた。
常総線の鉄路も冠水、石下駅は水没、南石下駅は小さい桟橋みたいな様相になり、三妻辺りまでバラストや盛土、道床が流失、レールも曲がり全線で運転STOPになった。水海道車両基地は最大1メートル以上浸水。運行システムもダウン。
でも関東鉄道常総線は頑張った。過去に昭和61年8月に小貝川が氾濫、堤防決壊で水海道市が浸水した教訓を活かし、水海道車両基地にいた46両の車両を守谷方面にある駅の側線部、守谷駅、取手駅へ次々に避難させたのである。
9月12日には早くも取手~守谷間で列車代行バス運転を開始しているし、14日には下妻~下館間で本数3割減で運行再開している。
9月16日には取手~守谷間で本数を半分にして運行再開。18日には守谷~水海道間で運行再開。
28日に水海道~下妻間で列車代行バス運転開始。
10月10日に水海道~下妻間で本数3割減らしたとはいえ全線で運行再開!!
全線で通常運行に戻ったのは11月16日!!
復旧は早かった。只見線と違って橋脚のある鉄橋が無いことや、沿線にめぼしい観光地が無い代わりに水海道から南で沿線通勤路線の使命を背負っていたことが大きいと思う。
架線の無い非電化なので身軽だったのもあるのではないか。鉄路さえあれば走れるのだから。
完全復旧1.jpg
完全復旧2.jpg
石下駅.jpg
石下駅に滑り込みました。
後編へ続きます。ぶらり途中下車しない関東鉄道の旅。。。
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アルバム~会津撮り鉄 [鉄路と風景]

更級庵で裏の踏切がファンファン鳴ると窓をガラッと開けて構えてしまう。
習性というかクセになっている。
「寒いじゃないのっ」(ジャン妻)
「・・・」
車輌を待ち構える私は湯上りでパンツ1枚である。
乗客からどう見えるのだろうか。
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この時期だと木々や葉っぱがジャマなので外に出てみました。
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これは某酒店の踏切待ち。
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八重さん(綾瀬はるかさん)の「ふくしまに恋して」
http://www.nhk.or.jp/ashita/fukukoi/#top
首都圏JR車内でも流れていますね。
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京急堀ノ内駅構内ミニ踏切 [鉄路と風景]

堀ノ内駅.jpg
横須賀市内の公用延長で、何故か下り立った京急堀ノ内駅。
京急本線が久里浜線と浦賀線に分岐する下り方面側に、一般人は絶対に渡れない踏切がある。
踏切1.jpg
踏切3.jpg
ミニ警報機がある。背が低い。
何だかミニチュアっぽい。
鉄マニアが昂じてついには自宅の庭に敷設してしまった人がメディアを賑わしたりしていますが、そういう類のものでもない。
もちろん方向指示ランプも点くし、警報音も鳴ります。小さいながら遮断機もついているので、機能は全て備えています。
でも、誰が渡るんだこの踏切?
踏切2.jpg
ローカル線で乗客が駅構内を渡る踏切にしては幅が狭過ぎる。線路を渡るスペースは人がやっとひとり通れる程度の幅です。無理に行き違おうとすると、線路内のバラストに飛びだしてしまうだろう。
L字型になっていて、退避場所もある。
一人が渡る程度の幅.jpg
浦賀方面から来た上り線の車掌さんが、久里浜方面から来る快特を迎えようとホームに下り立ったので、快特が到着するまでの僅かな時間に訊いてみた。
「聞いていいですか?」
「ハイ??」
「ホーム端にあるあのちっこい踏切は何?従業員さん用?」
「???・・・ああ、あれですか。そうです」
なるほどホーム端には一般人が下りられないように柵止めしてある。あくまで従業員が構内を渡る為のものです。
踏切4.jpg
設置理由を訊いてみた。
「もしかして京急社員が構内を渡ろうとして人身事故に遭ったとか?」
「いえいえ。そうではなくて、駅の渡り通路が結構離れたあっち側(上り方面)にしかないからなんですよね」
駅構内図を見ると、一般客乗り換え用の昇降階段が如何にもホームの真ん中にあるように描かれているが、実際のところはかなり上り方面に片寄って設置されているんです。エレベーターもそう。
横須賀中央側の通路.jpg
快特が来たのでそれ以上は聞けなかったのだが、旅客が渡る通路がり方面しか無いんだから、従業員もそこを使用すればいいじゃんと思わないでもない。職員さんの説明を聞いた私も、京急職員が自分らの為だけに作ったような印象しか受けなかった。
でも上り側の階段、乗り換え通路とは別にもうひとつ作るほどの需要もないのか知れない。
後日、別の職員さんにも聞いたの。「このちっこい踏切は乗客は渡れないの?」って。知ってて聞いたんだけど。返って来た答えは、
「そうなんです。職員専用なんですよ」
それでしかないようです。
駅構内.jpg
堀ノ内駅は島式ホーム4線です。複線同士が久里浜線、浦賀線と分岐するので線路が4線ある。1番線の線路は跨いでいたが、4番線の鉄路は跨いでいなかった。
あくまでホームからホームへの移動する為のもの。職員さんが2番線と3番線を跨ぐだけなんです。動線を短くしたいのでしょう。
写真は私の胡乱な質問に答えてくれた車掌さんです。
教えてくれた車掌さん.jpg
おまけです。この後、京急横須賀中央駅近くでのランチ。
味は悪くなかったんですが。
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その日のお昼3.jpgその日のお昼4.jpg
欠けてる.jpg
欠けた丼でだすなよっ!!
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上信電鉄を追い越したネタ [鉄路と風景]

台風がやって来る。
なのにジャン妻はひとり、田舎へ帰省してしまいました。同窓会だって。2泊3日です。
今日と明日、私の晩飯はどーなるんだ??

それはさておき、上州ネタもうちょっと続きます。
ドーミインをチェックアウトして、西毛へ向かいます。
市街地を抜け、すぐに大踏切を渡ります。1時間に1本か2本なので滅多に電車に出くわさない。隣に停車した何処かの運ちゃんは急いでたらしく、待ち時間分損したようにしかめっ面をしていましたね。
高崎駅を出て最初の踏切にやって来た電車は高崎駅3:50発の下仁田行。車体ボディには、下仁田の名産、「ネギとコンニャク・ジオパーク」、「地質100選・跡倉クリッペなるものがデザインペイントされていた。
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踏切2.jpg
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地質100選ってのは、地質学からの視点による自然の産物、例えば地層や奇岩、資源、岩礁や鍾乳洞他の類から選ばれる。それに下仁田の山々、クリッペが選ばれた。
城でも何でも日本人ってそういう100選っていう括りが好きだね。ではクリッペとは何かというと、山の頂上と麓で岩石が全く異なるケースをクリッペという。その山はそこに根付いた山ではなく、山全体が何処かからずれて動いて来たもの。根無し山とも。山がずれ動くくらいだから、大規模な地殻変動。。・・・例えば大陸同士がぶつかったりするとそういう現象が起きるらしい。
私は下仁田には3回くらいしか行ってない。下仁田戦争他を見にいったけど地質関連はネタにしなかったですが、下仁田のズレた根無し山はひとつふたつどころではなく、下仁田の中心部から川を挟んで南に見える450m~750m級の山々が殆どそうなんです。
100番以内に入らず101番目に選ばれた何処かの地質は無念至極ではないかと思いきや、実際は120選あって、上州では他に浅間山、日航機が墜落した上野村近くにある瀬林の漣痕(波の化石のようなもので、三浦半島にもある。)にあった1億2000万年白亜紀の恐竜の足跡が選ばれている。
私はファンファン警報機が鳴る大踏切でこの電車を見送ったが、デザインを見て勝手に「下仁田ジオパーク号」と命名したら、あとで調べたら下仁田ジオパークラッピング列車だって。
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私はこの日、午後には帰京しなくてはならないので、電車が去った後はやや急いだ。
この後、新後閑町の交差点を左折、寺尾方面から中山峠を抜け、吉井町から国道254富岡バイパスを快走して上州一ノ宮駅近くにある所へ赴いた。
そこにも踏切がある。敷地は線路に接している。またファンファン警報機が鳴りだし、構えていたら先刻、高崎の踏切で足止め喰らったジオパーク電車がまた走って来たのです。デザインが同じなの。途中で追い抜いたらしい。
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踏切7.jpg
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高崎駅8:50発~途中駅を経て上州一ノ宮駅9:34発。その間23km。同じ電車で二度も踏切足止め喰らったようなものだが電車よりくるまの方が早いのが実証されてしまった。単線、行き違いもあるとはいえノンビリしたもんだね。
ジオパーク電車は下仁田へ去っていった。
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ファンファンファン [鉄路と風景]

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今日は本文はありませんっ!!
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フォッグ [鉄路と風景]

上州記事が1ヶ月近く続きました。
まだ幾つか上州ネタが残ってるのですが、もう少し調査を要するのでそれは先送りします。
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高崎駅始発で朝帰りです。
ジャン妻はこの日の午後までこっちで現場作業、私だけ先んじて帰京します。7:13発のMAXたにがわ300号。グリーン車以外は全席自由席。
これで9:00までに本社に入ればOKです。ネクタイも替えたし。朝帰りには見えない筈さ。ハッハッハツ(笑)。
MAXたにがわ.jpg
左側の席を選んだら、差し込む朝陽が眩しい。
朝陽・・・.jpg
だが。。。
熊谷駅を出たら。。。
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フォッグ(霧)!!
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霧4.jpg
フィッグフォッグフォッグ!!!
おそらく視界は100mもないだろう。
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霧の中からクリーチャーが飛び出て新幹線の窓に貼りつきそうである。

フォッグっていうホラー映画、観たことあります?
私は2005年のリメイク版を見た。ある港町が誕生100年を祝う日の夜、海からとてつもない濃霧がやって来て港町全体を覆う。
フォッグ1.jpg
霧の中から100年前の亡霊たちが現れる。
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この町の創業者たちは、100年前に港に訪れた富豪から家財・財宝を奪い、乗組員や家族を殺害し、船を焼き打ちして沈めた。奪った金や財宝で町を起こした。
その船の亡霊たちが100年記念祭の日に濃霧の中から現れ、街の創業者の子孫に復讐をするというもの。
基本、ホラーは好きじゃないのですが、このフォッグやキャリーのように、恨みを晴らす、復讐するというプロット、襲う側に共感してしまう(というと語弊がありますが)タイプのホラーは稀に観る時があります。
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霧9.jpg
フォッグはなかなか晴れない。
長く感じられましたね。新幹線は高架の専用線路だからスピードを緩めないが、下を走る在来線はどうなのかな。
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ようやく晴れそうです
進行方向に見える高架橋は、建設中の首都圏中央連絡自動車道だと思います。ということは、埼玉県久喜市と桶川市の境目辺りですね。
霧に包まれてたのはかなりの広範囲だったと思いますよ。
晴れた.jpg
東京駅に着いた。
これが在来線だったら濃霧の影響で遅延も有りうるからね。
東京駅.jpg
出社したら。。。
パンフ.jpg
誰だまたこういうのを俺にデスクに置くヤツは?(苦笑)
戻ったばかりなのに郷愁を呼び起こすなっつーの。

ジャン妻はこの日の夕方に帰社した。
現地を出る前に、向こうの子(ヤンキー娘社員)とこんな会話をしたそうである。
「アナタたちがこのシステムに慣れたら窓口は〇〇〇部に移管するからね」
「それって〇〇さん(ジャン妻)さんがアタシたちの担当じゃなくなるってことですか?」(ヤンキー)
「そう。アタシは経理なんだからさ。〇〇〇部の手伝いで来たんだよ」
「だったら〇〇さん、こっち(上州)に土地を買えばいいじゃないですか」
「!!!」
ジャン妻は、「部屋を借りなよって言うならともかく、土地を買えって言われた。都会とは感覚が違う」なんて言ってたけど、そうじゃないだろ。「現地に住みなよ」って言われたそのひとことで、労苦が報われたと思わないのかなぁ。
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ぶらり途中下車の旅 [鉄路と風景]

特急が来た.jpg
東毛方面へ出張するのに東武伊勢崎線で上州入りしたことが数回あります。特急だったり各駅だったり。
浅草北千住から特急で行くと太田駅で乗り換えます。普通電車だと館林駅止まりです。
館林駅構内.jpg
まず館林駅。久喜から東武伊勢崎線で来ました。ホームは2面5線。東武伊勢崎線の複線はここまで。ここから西方面は単線になり本数もグッと減ります。
東武伊勢崎線、佐野線、小泉線の3路線が乗り入れている駅ですが、佐野線と小泉線は車輌編成が2~3輌と短いので別々のホームになっているんだね。
館林駅構内図.jpg
1番線は短い編成の佐野線の切欠きホームです。4番線も小泉線。
2番線と3番線と5番線はメイン伊勢崎線本線ホームですが、5番線は折り返す電車が多い。
各ホームを連絡する跨線橋には、デカデカと1番線、佐野線、(葛生方面)、4番線(小泉線)への誘導標識が大きく貼ってあった。
佐野線案内版.jpg小泉線案内版.jpg
佐野線と小泉線は車輌編成が短い。(2~3輌編成)
長大編成の電車だと入線時にガタゴトキィキィ音がするが、佐野線と小泉線(直通を除く)は編成が短く、ホームの先端に遠慮しながら停車するので入線音が改札や跨線橋まで伝わってこない。待ち時間に架線橋を渡ってジロジロ観察して降りたらいつの間にか静か~に入線していた。長閑なモンです。
館林駅1番線葛生方面.jpg
館林駅4番線小泉方面.jpg
ここ館林は群馬の端っこです。私はここから太田を経て伊勢崎方面まで行くのですが、伊勢崎線本線は真っ直ぐ西へ向かわずに足利方面へ向かうので、群馬に入ったと思っても一旦は栃木県内に入り、再度群馬の太田市に南下する線形になっている。
館林から小泉線を走った方が太田まで距離的に短い気がするのだが。。。

太田駅構内1.jpg
これは太田駅。
伊勢崎線&桐生線&小泉線の3路線が乗り入れている高架駅です。私の目的地は新伊勢崎なのですが、太田駅から伊勢崎方面まで行くには乗り換えなきゃならない。
浅草駅や北千住駅から太田、伊勢崎の直通は無さそうだが、昼間、館林から太田を経て伊勢崎までの直通が少ない本数ながらあります。
太田駅構内2.jpg
太田駅構内3.jpg
太田駅は高架駅で島式ホーム3面6線。でもホームの連番は10番線まである。
こういう風になっているんです。
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1番線は7番線と、2番線は8番線と共有ホーム、3番線は9番線と、4番線は10番線と共有ホームになっているんです。浅草・久喜・館林寄方面と、伊勢崎・赤城方面に分けてるんです。
浅草や北千住から東武特急に乗車したら、特急は桐生方面に直通しますが、伊勢崎までの直通特急はありません。太田駅で一旦下車して各駅に乗り換えます。1番線か2番線に着いて階段を下りて9番線か10番線ホームまで歩くんです。後方車輛に乗って来ると駅の端から端まで歩くようなものです。
幸い乗り換え時間は余裕です。でも待ち時間が長いので、半ドームに覆われたホームとはいえ晩秋から冬にかけては寒い。
伊勢崎行が来た.jpg
伊勢崎線の普通電車は車内に外人さんぽい高校生が多いね。
西毛の女性社員どもが、
「○○さんカラまれないように気を付けてくださいね」
「大丈夫だよ〇〇さんなら」
なんて会話をしてるのを聞いたことがある。

新伊勢崎駅に着いた.jpg
今日の公用、最終目的地は新伊勢崎駅。
「JRの乗り換え駅ではありません。JRご利用の方は終点伊勢崎駅でお乗換え」なんてアナウンスが流れましたね。間違えて降りるヤツがいるのだろうか。
新伊勢崎駅1.jpg
私の公用は地方の場合だと電車に乗った移動時間の方が遥かに長いのだが、降りてからが問題で。
太田駅前、伊勢崎駅前にはタクシーがあるけど、新伊勢崎駅にはタクシーが無いのだ。しゃーないから行政まで歩きました。
新伊勢崎駅2.jpg
新伊勢崎駅3.jpg
東毛の担当官とも顔パスなので、あまり指摘されずにすぐ済んだ。
伊勢崎駅1.jpg
伊勢崎駅2.jpg
伊勢崎駅3.jpg
伊勢崎駅の夕陽。
東毛の夕陽は山に沈まない。平野部に沈む。
西毛の夕陽1.jpg
西毛の夕陽2.jpg
既に陽が沈んで暗くなってから現場(支店)に寄った。
東毛エリア、前橋方面にもウチの社員はいて高崎市内から通っているのだが、例によって口の利き方が生意気で。。。
「今日はこれからどーするの?」
「(東京に)帰るよ」
「ホントは泊まるんでしょ?」
「帰るって。まだ18時じゃねぇかよ」
「帰るって高崎に帰るんでしょ?泊まるんでしょ?」
「・・・」
「ラスト(19時)までいたら乗っけてってあげるよ~」
「まだ1時間弱あるし・・・」
ナマ言いやがって。伊豆八幡野温泉さらの木にいた私の携帯に電話を架けて来た問題児です。あの時はビィビィ泣いてたクセに今はもうすっかりケロッとして笑ってやがる。
立ち直りが早いんだよお前は。人の気も知らないで。
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上信電鉄に新駅が。。。 [鉄路と風景]

祝世界遺産登録.jpg
上信電鉄.jpg
新駅.jpg
富岡製糸場の世界遺産登録で意気上がる上信電鉄に新駅ができた。
起点、高崎駅からおよそ2.2km、所要時間6分の場所に新駅ができたのは地元の要望による。昨年、市の広報で新駅設置を見た際は、南高崎駅の次にある佐野信号所が駅に昇格するのかな?と思ってた。そこには上下線が行き違いができるようになっており、ある程度のスペースが確保されているからです。
佐野信号所1.jpg
でもそこではなく、新駅は佐野信号所を過ぎて右へカーブ、烏川鉄橋の手前左に設置された。
無人駅です。
佐野のわたし。。。??
渡し。。。??
どうも烏川に昔は渡し船があったという伝承に基づくらしい。正式地名は上佐野町字舟橋というそうです。
ホームから富岡方面.jpg
ホームから高崎方面.jpg
駅に行ってみたら、単式ホーム1面1線、ホーム上に簡易的な待合室が設置されていた。烏川に面している駅なので風が強く吹き付けるからです。
でもこの待合、あまり勢いよくもたれかかると割れそうです。
待合の風除け.jpg
駅前は駐輪場と送迎自動車のロータリー、他目的トイレがあった。他所からか誰かがくるまで乗り付けてちゃっかり利用していましたね。
ロータリーから見る.jpg
富岡方面を見ると、既に陽は西に傾きかけていて陽光が眩しい。
新駅を出てすぐに烏川を渡る鉄橋があり、その先の鉄路はカーヴで根小屋、高崎商科大、山名方面へ消えていく。
時折背後の頭上で高速列車の走行音が鳴る。見上げるとそこには新幹線の高架橋がある。佐野のわたし駅は2階立車輌MAXの2階から眼下に見下ろせます。ほんの一瞬で通り過ぎてしまいますが、新幹線の乗客の目には所在無げに佇む私のアタマが夕陽に照らされて光っていたに違いない。
新幹線が通る2.jpg
新幹線が通る1.jpg
この駅の設置に伴いダイヤが改正され、上下62本だったのが66本に増加された。
近くには新興マンションがある。この駅から初めて乗車する人もいるだろうから、無人駅とはいえ運賃表があった。
新興マンションも.jpg
時刻表運賃表.jpg
最近の新駅にありがちなデザインに、渡し船、上信電鉄デキ1電気機関車がモチーフされている。
渡し船をモチーフ.jpg
デキ2.jpg
もう一つ、気になるモチーフ、イメージがある。能の謡曲(ようきょく)、鉢木がイメージされていた。
鉢の木??
この新駅は西明寺北条時頼の諸国巡礼に基づくのか?
ちょっと疑問符が付いた。
鉢の木のマンガ1.jpg
鉢の木のマンガ2.jpg
いわれ.jpg
鉢の木・・・北鎌倉駅前にそういう名前の料理店がありますが能の一曲です。鎌倉幕府第七代執権北条時頼の廻国伝説を元にしています。
佐野源左衛門常世という貧乏御家人の家に、雪の日、諸国遍歴の旅僧が一夜の宿を乞うて来た。みすぼらしい家なので佐野はお断りしかけたのだが、旅僧が難渋するのに忍びず招き入れる。
貧しい中から佐野は囲炉裏に火を点じ、僧に粟飯を炊いて供した。夜になったら薪が無くなったので、仕方なく大事に育てて来た盆栽、松、梅、桜の鉢の木を切って囲炉裏にくべた。
実は旅僧の正体は北条時頼なのだが執権職の現役で諸国を巡礼できたかどうか。決済が滞るだろう。執権職を退いて出家して諸国を廻っていたのかも知れない。
旅僧(時頼)は丹精に育てた薪を囲炉裏にくべた佐野を真摯な志ある者、由緒ある武士と察して素性を訊ねる。佐野が言うには、
「一族に所領を押領されかくの如き身相成り申し候。だが落ちぶれたりとはいえども幕府に一大事あらば千切れた具足を着け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、鎌倉殿に馳せ参じる所存。。。」
今まで誰にも言えなかった胸中を語った。
旅僧は佐野の言うことを心に刻んだ。佐野はいわば鎌倉府の最高権力者を泊めたわけだが、旅僧(実は時頼)は身の上を明かさず翌朝、旅立っていく。

その年の春に鎌倉から動員令が発令される。これがもし事実なら、時頼存命時に起こった軍事行動としては名越北条家の反乱~追放の宮騒動か、三浦一族が滅ぼされた宝治合戦と思われるが、動員され駆け付けた御家人衆の中に佐野源左衛門もいた。
大勢ある御家人どもの中から佐野は召し出される。上席で迎えたのはあの雪の夜に泊めた旅僧だった。
佐野は正体を知って驚愕したが、時頼はあの夜の佐野の言葉に偽り無きことを賞し、おそらく問注所を通して佐野庄の一件も調査済みであったのだろう。横領された佐野庄三十余郷を佐野に返し与え、あの夜に薪にされた三鉢の盆栽、梅・桜・松にちなんで、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の三つの庄園を与えたというおはなし。
いざ鎌倉、境遇がどうであろうと何かあったら主家に駆け付ける、貧しいながらも精一杯のもてなし、という意味が込められている。
2001年のドラマでは渡辺謙さん演ずる時頼が佐野の家を訪れている。佐野は宇崎竜童さんが静かに演じていた。
だがその場所はホントにこの地、高崎市佐野だったのだろうか。
よく知られる名族、佐野氏はいろいろあって後年は大名ではなくなり、旗本寄合で復活するのだが、そのいわれの場所は現在の栃木県佐野市ではなかったか。

東北自動車道の岩舟JCTで北関東自動車道に入ると最初の長大トンネルを唐沢山城跡トンネルという。そこに佐野氏がいた。
前述の宝治合戦では佐野氏は三浦方に付いて一旦は零落したらしい。後年、復活して、佐野氏の継承者の通し字は「綱」でとおっている。歴代の当主を全部列挙するのはタイヘンなので一部は割愛するが、応仁の乱以降だけでも佐野盛綱、秀綱、豊綱、昌綱、宗綱、北条家から送り込まれた養子の氏忠は別にして、その次がわりと知られた房綱(了伯)、そして政綱改め信吉(秀吉の偏緯、吉の字を貰った)とある。他所から養子に来た人や、改名等の曰くある人以外は綱だらけなのです。
鉢の木の佐野源左衛門の諱には綱の字が入っていないのだ。
落ちぶれていたから?そうではないでしょう。

佐野政綱改め信吉は関ヶ原も東軍に付いて何とか生き残った。戦後の諸侯配置一覧に、本領安堵下野佐野3.9(万石)とある。だが慶長19年(1614年)、信吉は唐沢山城から江戸の火事を発見。早馬で江戸に駆け参じたら、無断出府並びに、お前は江戸を見下ろせる山城に住んでるのかと難癖を付けられて改易される。江戸からそう遠くない関東近郊に外様がいるのは目障りだったのだろう。
唐沢山トンネルを抜けるとすぐ佐野田沼ICだが、佐野?田沼?
本題とは関係ないがもうひとり噂の人物がいる。佐野政言という人。(佐野氏は後年、寄合旗本で復活するのだが、同系列かどうか。。。)
この人は天明4年(1784年)3月24日、江戸城中で若年寄(田沼意知、有名な田沼意次の子)に大脇差で刃傷に及んだ事件で有名だが、政言の一族はもともと三河譜代の家で、下野佐野一族とは繋がりは無いらしい。

鉢の木の佐野さんの子孫が遥か後年に関東北部を席巻する名族なら、この場所は鉢の木の現場だとはちょっと思えない気がするのだ。佐野氏の本領はあくまで上州ではなく下野国(栃木県佐野市)だからです。
でもまぁいいです。鉢の木の子孫が名族佐野氏や後年の刃傷の犯人佐野政言とするのは俗説かもしれないが、私は群馬びいきなのでひとつの伝承として述べておきます。
電車が来た3.jpg
電車が来た4.jpg
上り電車が来た。
のんびり走ってるようなイメージですが、アッという間にこっちに近づいてきた。
電車が来た5.jpg
電車が来た6.jpg
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電車が来た8.jpg
電車が来た9.jpg
電車が来た10.jpg
こういう同じような写真をデカいサイズで列挙するからすぐBlogの容量が満タンになる。
さぁ今宵は上州のヤンキー社員たちが待っている。既に掲載済みだけど。
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外回りのある日 [鉄路と風景]

公用で都内の某現場に向かおうと準備してたら、私と長年懇意にしている若手取締役(男性)が、私が今から行こうとしているその現場の重大な情報をくれたのです。
その現場から本社のいち女性社員を弾劾する抗議文があがったという。その女性社員は私のシマにいるベテランです。彼女への不満を列挙した文書だった。穏やかではない。
「その訴えはアナタが受けたの?」
「ハイ。たまたま指導に行った際に、ちょっとお時間いいですかって奥に誘われて話を聞いたんです。エライ剣幕でしたが、その後でこの報告書みたいなのが上がってきました」
「これは〇長に見せたの?」
「見せました。直接送るなと。自分が受けて、自分が必ず〇長に伝えるからと言って現場を抑えたんです」
「何を言ったんだアイツ(その女性)は?」
場所を変えてノートPCを開いて文書を見せて貰ったらA4で3枚。内容は数十項目にわたって列挙されていたが、ザックリ要約すれば、「現場を知らない本社の人間にそこまで言われたくない」、「本社は現場の努力をわかっているのか」というよくありがちな構図であった。ただ、項目数が多く、文体が穏当でなく感情的、よくここまで相手の非をあげつらったなと。

渦中の女性は主任クラスだが、現場に対して指導したつもりが、踏み越えては行けない一線を越えて地雷を踏んだのです。
私は彼女を敢えて庇った。
「現場を知らない彼女だから言えること。知ってたらこんなことよう言えんよ」
「それはそうです。現場も彼女の立場、言わんとしてる内容は理解しているんですが、でもその時の彼女の言い方がねぇ」
私に情報をくれた若手取締役は、過去にその女性が現場部門の部署長にいた時代の私を何回も何回も怒らせ、いっとき不仲だったのを知っている。今の私は昨日今日の付き合いじゃないから女性に対して免疫ができてしまい、あまり気にならなくなった。ギリギリ協力し合ってはいる。
でもマズイな。総務経理が現場と対立構図になるのは甚だマズイのですよ。敵対関係になっていいことなど何もない。
それに総務経理は現場に入れないし挽回するチャンスはない。案の定、「一度、こちらの現場に入ってみては如何か?」と挑発する一文まであった。
「今まさにこれからそこの現場の届出に行くんだけどさ。今日は行くの止めて先延ばしにした方がいいかなぁ」
「ハイ。今日は止めた方が・・・」
そこで相手も笑い出したのは、親しい私に情報を伝えてよかったと思ったのと、私みたいな何を言いだすかわからぬ輩を今は敢えてその現場の空気に触れさせたくないと思ったのであろうな。

後でジャン妻に聞いたら、その女性が電話で怒らせたのを目撃しており、「アタシはその件に関しては彼女を弁護したいけどね・・・」
どうも相手にも、現場にも問題が無くもないようなのだ。
ジャン妻もその女性社員と親しいわけではないが、怒らせたとはいえ言わなきゃならなかった内容、言う立場は理解している。
飛んで火に入る冬の虫になって火中の栗を拾ってもいいけど、今回は避けておこう。行き先を変えた。

変更した行き先の途中、何故か海老名駅です。
行き先を都内某所から神奈川県内に変えて厚木市、海老名市の公用を済ませ、びなウォークラーメン処の「古寿茂」でえびなラーメンを15分で喰い、小田急&相鉄から離れて北にポツンとあるJR相模線の駅まできた。
古寿茂.jpg海老名ラーメン.jpg
小田急の橋上駅舎から高架橋で連絡されていた。周囲は再開発の槌音がカシマしい。
相模線は単線JRなので1時間の本数が少ない。待ち時間に丹沢方面を望んだ。
やま.jpg
なんだか山々が榛名、赤城の山々に見えてしょーがないので写メを群馬のヤンキー娘とA子に送ったら、
「ぜんぜん似てないですよ」
「そっちは都会の山じゃないですか」
冷たい返事が返って来た。
相模線が来た.jpg
相模線という電車に乗ったのは初めて。これから茅ヶ崎経由で藤沢市方面へ行き、そこから更に東京都大田区へ向かうという反時計回り移動です。
渦中の女性が大失言して(弾劾文には暴言とあった)現場を怒らせなければ、問題になっているその都内某現場と大田区をセットにできたのに。
あのバカめと心中罵っていたのだが、相模線のノンビリした運行に浸ってたらだんだん怒りが鎮まってきた。長閑なもんです。

相模線はボタンを押してドアを開閉する。
上州のJRと同じだな。単線で行き違いの停車時間があるのと丹沢おろしが吹くからです。
藤沢方面の現場へ会社携帯でメールした。「これから相模線で藤沢市に行くんだけど、その後でそっちへ向かうから。相模線に初めて乗ったけど随分とノンビリした電車だな」
相手の長は相模線を知っており、
「相模線ってドアはボタンですよ。上級者は出る時に開くボタンを押して降りながら閉めるボタンを押すんです」とか小生意気な返信を送って来た。
「俺は上級者だよ。吾妻線、両毛線、信越線で経験済みさ」って返信した。

途中、寒川という駅に着いたら、ホームから見えたのは。。。???
なんと!!.jpg
なんだ???
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まさか親戚か???
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小舞子駅 [鉄路と風景]

金沢に向かう特急の車中から、ひとつの駅を目視でチェックした。
無人駅か有人駅か。
駅前に店はあるか。人はいるか。
タクシーは停まっているか。
その駅は一瞬で通り過ぎてしまった。駅舎はあったが駅も周囲も閑散としていた。
タクシーは無さそうだな。売店もコンビニもなさそうだった。
その駅は小舞子駅といいます。無人駅です。
小舞子駅舎.jpg
小舞子駅を出てすぐに電車は手取川を渡った。
もう金沢までほど近い圏内まで来ている。川を渡ってすぐの駅は美川駅。
美川駅は橋上駅舎だった。駅前に人やタクシーがありそうである。美川という名は能見郡と石川郡から一文字ずつ。歌手じゃないですよ。
でも、美川からタクシーってのもなぁ。
やはり最寄駅は小舞子駅なんですよ。そこからなら歩いて10分くらいだろうな。
でも天気が悪そうだな。今は雨だけど雪に変わったらヤダけど、2日めの午後に散策を決行することにした。
大聖寺行普通電車.jpg
金沢発14:30の大聖寺行、普通電車です。
「ホントに行くの?」
「つきあ・・・わないよね?」
「行ってらっしゃい」
「・・・」
「でもホント、気をつけてよ」
「別に山城に登るんじゃない。川の土手っぷちだよ」
「風が強いからさ」
確かにそれは心配。これから行くとこは川なので、そこだけ思いっきり山から風が吹いてるに違いない。
小舞子駅ホーム.jpg
ヘンな天気.jpg
小舞子駅で下りたらヘンな天気。
小雨がパラついてるけど時折雲の切れ間から陽が射すんです。
風が強い。強風に煽られて傘が差せない。傘をさしたら折れてしまいそうです。
上空には風の唸りがゴウゴウ鳴っている。海の方から聞こえる。ここから海は近いんです。
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小舞子駅はもともとは信号所だったのがいつしか駅に昇格したのだが最初は臨時駅、停車場だった。
今は小舞子ビーチハウスといって7月~8月31日まで営業する海水浴場があるが、そこへの最寄駅、夏場だけの海水浴場への臨時駅だったという。
昭和39年4月に常設駅に昇格した。

雅な名前、小舞子とはどういう意味なのか。
何処かで耳にした、目にしたような記憶があるのは何故だ?
その筋から転載しますが、
「明治30年、美川で料理旅館を営んでいた餅田半次郎氏は、美しいこの海岸が播州(今の兵庫県)舞子の浜の景勝を彷彿させるものであったことから、自ら小舞子と命名した。餅田氏はこの小舞子に丸太組みの小亭、松韻亭をつくり、浜料理や酒を振る舞った。そこには徳田秋声ら文豪も訪れたと伝えられている。そして、平成8年、日本の渚百選に認定され、小舞子海岸の美しさが現在まで受け継がれています。。。」
私は数年前、関西担当だった時代、舞子の辺りは幾度か通過した。改めて思い出した次第。
小舞子伝説.jpg
駅は相対式ホーム2面2線だった。下りたのは私ともう一人だけです。
米原方面(上り)ホーム側に平屋建ての小さい駅舎があった。外も寒いけど中もうすら寒い。暖房なんかない。自販機が所在無げに設置されていた。
駅舎の中.jpg
くたびれた運賃箱があった。
「ご使用済みのきっぷあるいは運賃をこの箱にお入れください」
SUICA使えないです。金沢駅の改札には昔ながらの駅員さんが1枚1枚きっぷをチェックしています。私も久々に券売機でキップを購入しました。
小舞子駅は券売機があるだけ上州吾妻線の郷原駅よりはマシだな。駅の1日利用者数は300人弱だとか。
運賃箱.jpg
ダイヤ.jpg券売機.jpg
この駅では昨年12月、下り普通電車が駅ホームをオーバーランしてしまい、駅を過ぎた踏切まで走って停車したという珍事を起こしている。
これは小松駅16:35発、金沢駅17:08着の4両編成電車。午後18時頃に小舞子駅に差し掛かったのはこの日は風が強くて風量(風速?)規制にひっかかった為だが、遅れて来た列車の先頭が小舞子駅ホームから70メートルオーバーして踏切まで来て停車した。
何でかわからないが駅構内ならともかく踏切まで来てそこから後退すると、踏切が正常に作動しなくなる恐れがあるそうで、そのまま小舞子駅を無視して手取川を渡って美川駅で停車した。小舞子駅で降車予定のお客は4名ほどいたらしいが、次の美川駅で乗り換えて引き返していただいたとか。
バスかタクシーでお送りするってこともしなかったらしいですね。そのオーバーラン列車には240人もの乗客がいたらしいがビックリしただろうね。
小舞子駅には20人のお客が待ってたらしいが、その方々はおいてけぼりになったんでしょう。次の列車まで待ったに違いない。
これが東京神奈川だったら大騒ぎ、新聞のネタ、大きく報道されてた。
原因?そりゃヒューマンエラーに決まってます。運転士さんがボケボケしてブレーキポイントを逃したんですよ。その運転士さん始末書だけじゃすまないだろうな。軽くない処分だったと思います。
でもまぁどっかの北の大地のJRさんみたいに隠蔽しないで公表したのはご立派。
駅前通り.jpg
駅前の地図見ても、私の行くところの表示が無いぞ。
この辺りの地図.jpg
帰りの上り電車時間を確認して、誰もいない駅前通りを手取川に向かって歩く。
誰ひとりすれ違わない。こんな荒れた天気の日は家ん中でじっと潜んでいるんだろうね。
時折くるまがトボトボ歩く私の横をすり抜けて行くのは、私が歩いているこの道がメイン道路に繋がって、そのメイン道路は美川大橋を渡って美川駅方面へ直通するからです。
こんな荒れた天気の中を歩くのは我ながらヒマ人だと思います。
駅を振り返る.jpg
それらしき場所が見つからない。
i-phoneで確認したら、どうも呉竹文庫という図書館?の駐車場入り口にあるという。
呉竹文庫ってのは私はよくわからない。
手取川橋梁.jpg
そしたら川に出た。手取川です。
私が見に行くものは。。。
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金沢に新幹線がやって来る [鉄路と風景]

金沢駅.jpg
日本海側、冬場に積雪のある石川県の玄関口の駅です。もちろん県庁所在地。
「駅のドーム見ました?」(yossyさん)
「見ました」
「あれで維持費、清掃費用、年に幾らかかるんだったかなぁ」(yossyさん)
幾らかかるか忘れましたが、このデカい屋根はもてなしドームというそうです。見上げたらカーヴを描いた面になっていて、何やらデカい台車みたいなのが設置してあった。
清掃用のロボットだろうか。まさか人が上がってデッキブラシでゴシゴシ磨くわけじゃあるまい。足を滑らせたらアブない。安全帯を何処に引っ掛けたらいいのだろう。幾ら現ナマを高く積まれたってこんな高くて傾斜のある、しかもガラス張りの屋根に昇りたくないよ。
雪の重みで割れたりしないのかな。

ホームも高架駅でドームに覆われている。
ホームはやや暗いです。雪害対策の為か、デカい屋根で覆われている。
七尾線?.jpg
これはおそらく七尾線だと思うのですが、ホームの端に申し訳なく停車している。もっと真ん中、改札階段方面に停まればいいのに。あっちへ行ってろってか?
でも乗客は多く、ゾロゾロゾロゾロと、ホーム中央の改札に向かって歩いて行く。
ゾロゾロ1.jpg
ゾロゾロ2.jpg

私は新横浜から東海道新幹線ひかり、米原乗り換えの特急「しらさぎ」で来ました。この時点でこれが最も最短ルートなのを知っています。飛行機以外でね。
米原駅のしらさぎ.jpg
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故・宮脇俊三氏の著書で、「線路のない時刻表」というのがある。
これは旧国鉄の再建云々~JR化の時代、三陸鉄道とか幾つかの路線が採算性の問題で工事が凍結されたのを憂いた氏が、工事凍結の路線(路盤)を歩いた探訪記です。(現在は第3セク化されて開通したのが殆ど。)
この著書に掲載された北越急行ほくほく線(当時は北越北線)の項で氏は謎かけをされています。
宮脇俊三氏の著書.jpg
「鉄道クイズのようになるけれど、上越新幹線の開通していない現時点で東京から富山へ行く場合、最短時間のルートは?」
正解は東海道新幹線経由です。「米原まで新幹線で行き、北陸本線の特急に乗り継ぐのがいちばん早い。。。」
ルートの内訳は、
信越本線経由、413Km、6時間05分
上越線経由、455km、5時間55分
(東海道)新幹線経由、682km、5時間26分
当時は上越・長野新幹線未開通なので、信越線は本線で横川~軽井沢の碓氷峠をエッチラオッチラ登っていた頃のキロ数時間です。私はそれをずーっと覚えていた。
「東海道新幹線で?」
「そう。米原乗り換え」
ジャン妻は「???」怪訝なカオをしていた。「米原って東海道新幹線が雪で停まる辺り?」この程度の予備知識だが私も最初は、「米原??」でした。宮脇氏の書を最初に読んだのはもうずいぶん前ですが、「そうなのか?」って怪訝に思ったもの。まさか自分が金沢方面へ行くことになるなんて思わなかった。
私は新横浜からだが、5時間弱で到着したといっていい。

これは金沢藩の支藩、大聖寺方面へ行く普通電車。だいたい30分に1本。何故か明日これに乗ることになるのです。
大聖寺行普通電車.jpg
これは富山方面へ行く普通電車。
富山行普通電車.jpg
改札は地下にあります。
「ええっと。。。」
「会えばわかるでしょ」
「うん。メガネで細身で長身、お洒落なマフラー、劉備玄徳みたいな耳たぶ。。。もしかしたら奥様もいるかも知れないな」
改札を出たら、yossyさんと美人の奥様がいた。
yossyさんの特徴をブツクサ言いながら階段を下りる。
(この時点で金沢駅は自動改札じゃなかった。SUICA類は使えないみたい。)
いたいた。改札を出たところにいた。
新幹線がやって来る.jpg
そして金沢駅に今年3月14日、ホワイトデーに北陸新幹線が開業する。
長野新幹線の延長といっていい。すると東京からはグッと近くなる。2時間半で結ぶ。
「開通しても、東京に用事が無いんでぇ」(yossyさん)
お仕事で顧客とかいないのかな?
金沢駅電光掲示板.jpg
北陸新幹線の開通は東京都からしたら喜ぶべきだが、沿線自治体の懸念もある。
途中駅(長野駅以降で新たに開業する駅)は、飯山、上越妙高、糸魚川、黒部宇奈月温泉、富山、新高岡、そして金沢駅です。北陸新幹線は金沢駅が基点となるが、高架橋はその先、松任駅方面まで伸びていた。自民党が政権を担っているからにはその先の開通も予定より早まるだろう。
米原方面から来る途中、各駅停車よりも、幾つかの特急、しらさぎ、はくたか、サンダーバードの方が頻繁に走ってるように見えたが、これらの有料特急は新幹線開通の陰で切り捨てられたりしないのだろうかということ。
新幹線開通前と開通後の路線図を見るとわかる。後並行する在来線が経営分離され、地元の第3セクで経営しなくてはならなくなるかも知れない。
となると工事費用いっせんなんびゃくおくえんも負担した新潟県の不満も無理ないところはある。最速で走る「かがやき」が新潟県内の2駅を素通りすることで新潟県側はオモシろくないのだが、在来線の直江津方面や、前述のほくほく線経由で越後湯沢まで行く特急は大丈夫だろうか。ローカル線に転落しないか?

前述の故・宮脇氏の著書は文庫化されたのが平成元年だが、氏は工事が凍結されたほくほく線の高架上を長靴で歩いておらいる。工事再開の目途がたたないなら、せめて路盤を歩いてみたいというもの。
当時は上越新幹線が開通していなかったのもあって、沿線の殆どがトンネルだった北越北線が工事半ばで凍結されたのを氏は憂えているのだが、「やがて開通する上越新幹線との乗り継ぎを活用すれば。。。」とあった。
ほくほく線は相当な難産だったんですよ。豪雪地帯の殆どをトンネルと高架橋でブチ抜き、積雪4mもある松之山を抜ける難工事は予算を使い果たした昭和54年春に凍結した筈。その後、昭和61年に工事が再会され、平成9年(1997年)に開業する。かなり時間がかかったが泉下の氏も喜んだことだろう。線路のない時刻表に線路ができたのだから。
だが皮肉にも北陸新幹線の開通によりほくほく線の存続自体が危ぶまれていないか?泉下の氏はどう思っているのだろうか。

金沢駅周辺は市内中心部側の東口と、石川県庁のある西口に分かれています。
「新幹線が来たら、今の西口が金沢港口になって、東口が兼六園口って変わるんですワ」(yossyさん)
スケボー禁止.jpg
地下がやけにダダっ広い。
スケボー禁止だって。やりたくなるだろうね。デカい広場。もったいないけど何かに転用するのだろうか。
広っ1.jpg
広っ2.jpg
地下には北陸鉄道の駅と併設している。
北陸鉄道を調べてみたら、走ってる車両がまるで上毛電鉄の電車みたいだったので、ぶらり途中下車の旅と行きたかったが今回はパスした。(他に行きたいトコがあるので。)
北陸鉄道.jpg

今回のホテルは地下を通っていけるので、駅~ホテルまでは傘をささずとも行けます。外出は全てタクシーだったのと雨だったので、ホテルの外観写真は駅ホーム端っこから見たこれだけです。
ホテル日航.jpg
ホテルの客室から見下ろした金沢駅ドーム。
見下ろす.jpg
これは夜景。
夜景3.jpg

「途中、長浜~敦賀辺りまでは雪が降っていましたが、鯖江、福井辺りは晴れて青空も見えてましたよ」
「金沢は福井、富山と挟まれてるんですが、金沢は雪が少ない方です」(yossyさん)
ホントは飛ばし屋のyossyさんの安全運転で向かった先は。。。
処理済~運転中.jpg
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