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さらの木3.11 [さらの木]

3月の貯金を吐き出します。
あの震災から6年経ったその日に行ってきました。
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15時のチェックインに合わせてくるまを走らせ、城ケ崎海岸1.5Kmの交差点を左折して八幡野温泉郷の別荘地に入る。
そこへ至るまでの坂で14時46分18秒(秒はアバウト)になった頃、カーステレオをボリュームOFFにして減速した。
町内アナウンスが流れている。
「・・・黙祷を捧げましょう」・・・そこだけ聞えた。6年前のその刻限になったのです。
路肩に停車してしばし黙祷した。
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「あの震災の時、Mさんどうされてたんですか?」
「あの時は普通に営業してましたね」
「え?営ったんだ」
「ハイ。お風呂のお湯がユラユラ揺れてたんですが、地震を知ったのはウチのからの電話と、TVのニュースを見て、大変なことになったって」
「お客さん無事に着いたんですか?」
「ハイ。普通にチェックインされましたがやはり不安じゃないですか。TV見てどうしようか帰ろうかって」
「くるまで?」
「ハイ。その時のお客様はおくるまで」
「この辺は大丈夫なの?」
「火山の溶岩でこう覆われているので(Mさんは腕でこの辺り一帯を描いた)地盤は頑丈なんですが」
さらの木が建っている伊豆高原一帯は大室山から流れ出た溶岩流の上にあるそうです。それは宿の前の海岸散策路入口に新しく建てられた案内板にも載っていた。
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地盤は固くても、伊豆半島はフィピン海プレートの最北端に載っかっていて、東から太平洋プレートに押されている。(年に8cm移動する。)
北の北米プレートと西からユーラシアプレートのちょうど境目でもある。
狭い日本は4つもプレートがあるから地震が多いのです。伊豆は4つあるプレートの境目にあるから地下の割れ目にマグマがたまりやすい。沖合も含めて単成火山群が多い。伊東のシンボル、大室山もそう。
地下にマグマがたくさんあって、伊豆半島東部から東方沖にある海底火山をまとめて伊豆東部火山群というそうですが、伊東市東部から海にかけては群発地震が多いそうです。(私は地質学に疎いので他からの受け売りですが。)
伊豆=火山帯=温泉観光地なのに、地震が群発するとキャンセルが増えるから大打撃。
「伊豆って前にも地震がおきましたよね」
「いつだったかしら。身体に感じる地震が1日に200回くらいありました。その時はキャンセルも出ましたね」
Mさんが仰っているのは平成18年(2006年)4月17日~5月12日の伊豆半島東方沖地震のことだろうか。その頃にはもう宿をOPENしてたのかな。
4月21日に伊東市富戸で震度6弱、4月30日に網代で震度5弱他、終息は5月12日。
「計画停電とかあった?」
「この辺りは東電さんの管轄なんで・・・」
営業に支障が出たそうである。
震災直後に私らはキャンセルと計画停電に苦しむ船山温泉へ行っている。今回のさら訪問でTotal18回めで、震災があった2011年は3回めくらいだった筈。
あれから6年・・・来年はあれから7年、こうして語り継がれていくと思いますが、宿へ来るまでに伊豆高原駅で開催されていたイベントをくるまの中から見てきた。人がたくさんいた。
河津桜の次に咲くおおかん桜祭、伊豆急電車祭、水森亜土さんのパフォーマンスライブ、3つのイベントが重なっていた。あまり人が多いので立ち寄らなかったが、そのイベントには特に震災に関するものは無かった。
私は水森亜土さんを知らない。
「誰?」
「即興の絵描きよ」
「知らない」
「アタシたちの世代なら知ってて当然だけど」
「???」
私を置き去りにしてジャン妻とMさんはそのネタで盛り上がってる。私は震災当時のさらをもっともっと聞きたかったのだが、こっちが口を挟もうとするとジャン妻がすぐ話を挟むのでこっちの入り込む隙がありゃしない。
Mさんが部屋から去った後、
「少し黙れよ。喋りすぎだ」
「・・・」
「こっちの聞きたいことが聞けないじゃないか」
「・・・」
じと目のジャン妻である。
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湯が白い。仄かに香もする。
「源泉をきれいに洗う時があって、そうすると白くなる時があります。普段は無色透明なんですけど」
この匂いとイロは翌日には消えた。
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腹が減ったな。。。
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