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アルバム~蕎麦宿の朝 [蕎麦宿]

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大旦那から聞いた話。
宿泊したお客さんの中で私のくるまを見て「もしかして某Blogの人が来てます?」って感づいたらしいのだ。
チェックインしてから他のお客さんが若を探してるようだったので、廊下ですれ違った時に私は「母屋だと思いますよ」って指しただけ。
いや~悪いことできないな~。
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アルバム~会津撮り鉄 [鉄路と風景]

更級庵で裏の踏切がファンファン鳴ると窓をガラッと開けて構えてしまう。
習性というかクセになっている。
「寒いじゃないのっ」(ジャン妻)
「・・・」
車輌を待ち構える私は湯上りでパンツ1枚である。
乗客からどう見えるのだろうか。
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この時期だと木々や葉っぱがジャマなので外に出てみました。
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これは某酒店の踏切待ち。
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八重さん(綾瀬はるかさん)の「ふくしまに恋して」
http://www.nhk.or.jp/ashita/fukukoi/#top
首都圏JR車内でも流れていますね。
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蕎麦宿と学術調査 [蕎麦宿]

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蕎麦宿へ行く前にちょっと寄り道を。会津若松市栄町に立派な図書館ができた。稽古堂とも謳ってます。
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会津には確か小規模な図書室や、学校付属のものも含めて10つくらいの図書館施設があた筈。南会津方面の農村にある資料館に併設されたものも含めたらもっとあるかも知れない。
明治新政府が県庁を会津若松市に置かなかったのは当然含むところがある訳ですが、「福島市には県庁はあっても、県立図書館は会津若松市にあるんだ」と豪語するだけのことはある。教育にも熱心なんでしょうな。
稽古堂は図書室だけではなく学習室も含めた近代的な3階建ての箱ものである。駐車場は地上に12台ほど。一部が縦列駐車で大型車セダンは駐車テクが要りますが、地下にも90代くらいの駐車場があります。
エスカレーターで2階に上がって受付に訊いた。
「郷土史は何処です?」
「いちばん奥の〇番の棚でございます」
こういうところの受付さんは親切なものです。「どうぞ会津若松の歴史を見てください」と自信満々でいながら声音が優しいのだ。戊辰で自分らがどういう仕打ちを受けたかを知って欲しい訳ですよ。
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その筋の棚へ足を運んだらやっぱり戊辰ものがメインだが、それだけでもないようである。
だがそこに私が探すものが見あたらないので受付に戻った。
ⅰ―Phoneで検索したものを見せた。「この資料を探してるんだけど」
「???」
私がヒマにも探してるのは蕎麦宿のある会津下郷町の「第一次・第二次下郷町城館址調査報告書」というもので下郷教育委員会の調査書なんです。市販されているもでもなく、市民がパッと手に取れるものではないらしい。
受付さんは画面で検索している。同じような名前で検索したら如何にもそれらしいものがヒットしたのだが、「ⅠとⅡが無くて、現在あるのは・・・」
Ⅲだというのです。
「Ⅲ?ⅠとⅡは無い?」
「無いようです」
「Ⅲってことは、ⅠとⅡの改訂版かな」
「・・・奥の書庫にあるようなので閲覧可能か聞いて参ります」
5分くらいしたら戻って来られた。
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手に取ってみたらⅢはⅠとⅡの補足も含めた改訂版ではないかと思ったらそうではなく、ⅠⅡⅢは別物なのがわかった。
今年の春まで教職にあった蕎麦宿の女将さんも言ってた。http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-04-21でUpしたが、結局は見つからなかったのである。だがこういうのは後世に記録に残す為の調査なので、必ず何処かにあるものなのだが。
「お仕事で探されてるのですか?」
こういう訝しげな質問にも慣れたよ。
「いや単なる閑人だよ。下郷の湯野上によく行く温泉宿があって、そこの女将が下郷町の学校の先生で探して貰ったんだけどもう無いって言われたの。図書館に行けばあるんじゃないかって」
「その方はまだ先生をしておられるのですか?」
「いや、この春に退職されて今は民宿の女将になってる」
せっかくだからⅢをパラパラ捲ったが、ⅠⅡで載せた残り物といった感はぬぐえない。狼煙台とか、関所の大袈裟なものとか。
せっかくだから興味のあるものだけコピーしようとした。
「ええっと、この用紙に書き込めばいいのかな?」
コピーする書籍名、頁数、枚数を書くわら半紙みたいなのがあったてそこに書き込んだのだが、住所氏名を書く欄に「横浜市・・・」と書いたら受付さんは仰天した。「横浜からわざわざお出でになったのですか?」って。私は湯野上と会津若松市内に縁あって毎年2~3回来てるんだよと説明するハメになり、いつの間にか受付さんが2人になり、1人が必至になってカタカタ県の方を検索、もう1人が私に向かって済まなそうに「著作権で半分までしかコピーできないのですよ」と言う。
半分もコピーするほど興味が湧かない内容だったのだが「著作権?こういう書籍は市販してないでしょ。全部コピーするつもりはないけど大丈夫じゃない?」って返したら、「50年はだめなんです」と言うんだな。せっかく探して貰ったので、表裏の表紙と中の地図、分布図をコピーした。
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この地図だと現代の道路鉄道が入ってないのでトレースしなくちゃならない。故・宮脇俊三さんが、「現代の地図に廃線跡をトレースする作業は楽しい」と仰ってたがその逆の作業って難しい。
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検索の結果、やはり無かったのである。
「福島県には貸し出せるのもあるんですけど、そこにもⅢだけで、ⅠとⅡは無いそうです」と言う。
今回は断念しました。
別の棚にある穴澤一族の史料を漁りました。
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このネタを夕餉の時に女将さんに蕎麦サラダを持って来たタイミングで話して表紙のコピーを見せたのよ。
「見つかったんですか?」
「Ⅲがね。でもⅠとⅡは無かったんです」
図書館の職員さんが「下郷の先生ですか?現役ですか?」って言ったのに対して私が「今は民宿の女将だよ」に訂正した話をしたら「ア~ッハハハハ」って大笑いされた。結構いいとこ、教頭先生とかまでいったと思うんだけどね。でも今は民宿の女将である。
「今日は旦那さんいないんだよね」(ジャン妻)
「そう。何とか応援会で東京まで」
実は前日に蕎麦宿に寄って手土産だけ渡している。大旦那はニンマリしながら「明日、自分いないんです」って。下郷出身の有力者の応援会に出席するらしい。要は飲み会であろ。
「自分いないんですってウレシそうに言ってましたよ」
「まぁ~っ」
「???」
「もうっ。6時までに帰ってよって言ったんですよっ」
飲んじゃったら帰って来れないでしょう。どうもメゾネットの恵明庵も含めて満室のようである。
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蕎麦宿から見える山々に、会津若松方面の小野岳、更級庵のド真ん前向かいに又見山、この2つの山の何処かに小野城、白岩城がある。
街道を抑えるものか狼煙台規模のものかもしれない。
私にとっては幻の城塞である。蕎麦宿からすぐ近いのに。
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Century Hotel Morning [グルメ]

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初めて泊まりました。
会津若松駅からは遠い。むしろ七日町駅の方が近い。
2階のフロントまで行くのに、何も店がないエリアの奥まったエレベーターまで歩く。夜、女性が1人で歩くのは多少の緊張を強いるかもしれない。
フロントにマンガが置いてあって、併設してあるレストランは営業中止のようで侘しい。暗いのだ。廊下も暗い。
「古いホテルだねぇ」
「年季が入っているな」
カードキーでもオートロックでもない古いタイプのホテルです。
部屋も広いけど暗いの。
「部屋の中央のライトないの?」(ジャン妻)
スイッチを探したが無いのだ。天井中央を見たら照明そのものが無いので、「ああ、無いんだ」ってわかった。部屋の中央にライトがないのは暗いよ。これが一人旅、出張だったら暗くなるな。
窓は外に向いてはいるが、開けたらそこは無機質な灰色の屋根のあるコンクリーのベランダみたいになっていて、外の景色はその遥か先に見えた。
まぁどうせ部屋で何する訳でもないし、酔っぱらって寝るだけだからいいけどさ。
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昨夜Upした「麦とろ」の帰途、このホテルは歓楽街に近いのがわかった。ホテル周囲にはおねーさん系の店が多いのです。PUB、スナック、クラブ。キレイなおねーさんがその筋のお客さんをタクシーでお見送りしている光景がそこらじゅうで見られた。
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翌朝のバイキングです。最上階、10階の食堂。
品数は多いとはいえないが悪くないですよ。ジャン妻はご飯。私はパン。卵料理が洋風だったから。
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「パンにしたの?」
「何となく。最近パン食べてないから」
「ご飯にすればいいのに?」
「何でそういうことを言うか?」
「パンって塩分が多いのよ」
「そんなん言ったってもう取って来ちゃったしさ」
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食べながら曇り空の会津盆地を見渡す。磐梯山も雲に覆われていた。喜多方方面だけ晴れてそこだけ陽が射しているのが見えた。
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会場の窓には北東から時計まわりに飯盛山、東山温泉、背炙山、小田山、鶴ヶ城、これらを指し示す簡単な説明文が窓に貼ってある。小田山にはこうあった。
「会津の領主だった葦名氏の山城跡がある。西軍が鶴ヶ城に向け砲撃を行った砲陣跡がある。」
小田山は葦名氏の聖域だが、西軍が鶴ヶ城に砲撃した場所、私らを攻撃した場所、そこの紹介は絶対に譲れないらしいね。
会津人ってそういうの忘れないのよ。
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妙に暗い雰囲気のホテルだったが、駐車場で掃除をしていたオバちゃんが笑顔で見送ってくれたのは好印象。そして向かった先は、①会津の図書館で資料漁り、②穴澤一族の檜原へ、③蕎麦宿へ。
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無尽のこと [会津]

もうシーズン過ぎてますが、10月末の会津行、途中の紅葉です。
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夜は若松市内のこの店へ。
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若松市内でも有名な店です。私らとも10数年のお付き合いですな。
おとおしは青菜の白和えと漬物。
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椀ものはけんちん汁。
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厚焼き玉子。卵を10個くらい使って豪快に焼き上げ、それをブツ切りに。
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馬刺(赤身)
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会津の代表的な保存強度料理、鰊の山椒漬け。
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ニシンを甘辛く煮たもの。これほどヘルシーな居酒屋って他にないんじゃないか?
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キンピラ
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ヒラタケのバター炒め。
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どこかで採ってきたヒラタケ。
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「今年熊出た?」
「そんなに出なかった。去年はよく熊が出だってニュースでやってたけど」
「猪は?」
「会津に猪はいなかったんだけど郡山の方から逃げて来てるんだよね」
会津に猪はいなかった?
会津若松市は大戸町、湊町、門田町、河東町、磐梯町辺りにツキノワグマが出ており、近年は里山の住宅地に下りてきている。熊の生息域と人間の生活圏が混在している地域で偶発的に出くわす。
でも意外にも猪は平成24年末頃までは生息が確認されなかったという。原発以降福島県の東の方から西へ逃げて来てるというのである。会津若松市では大戸町、湊町、 東山町で確認されている。
「婆ちゃんは熊見たことあるんでしょ?」
「あるある。そこを(指さして)スーッと歩いてって、あっ熊だぁってのはあるよ」
もう婆ちゃんは山での山菜採りは引退したそうです。
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小上がりで数人の客は小宴会をやっていた。そこに店主の弟さんがいる。
「弟さんだよね?お身内の集まり?」
「いや、友達。・・・(しばし間があって)・・・あれはもともと無尽だったんだよな。今は人数減ったな。亡くなったり、体調悪かったりで」
無尽?
無尽ってご存知ですか?(頼母子講ともいう。)
いまどきの若い者は無尽なんて聞いたことないかもしれない。何だかいかがわしく聞こえますが民間のプライベート金融ですね。
今日までカテゴリ会津で触れなかったネタですが、会津って無尽の街でもあるんです。無尽は10人くらいで1つのグループが組まれ、毎月1回、決められた金額を持ち寄って開催されます。10人だったら10カ月開催して一巡します。10人が1人辺り10000円を持ち寄って誰かが落札したら単純計算で10万円になる。その金額を入札者が受け取るのです。入札のやり方はくじ引きか何かのゲームらしい。落札した人は次回からの入札には加われない。
持ち寄り額は3000円だったり5000円だったり10000円だったりで相場はわからないが、そのグループの所得層に寄るのではないか。
それとは別に飲食代が伴う。会津の無尽は飲み食いしながら開催するのが当たり前だそうで、開催される場所は料理店、居酒屋で、誰かの家で開催する場合も飲食が伴う。(飲まない女性だけの無尽はお茶か、食事だけの無人)
私は意識して見てないが「無尽やります」なんて看板を下げた店もあるそうです。開催場所を提供する訳ですよ。
数年前、この店の小上がりのグループ客がいて、その中の1人がまだ宴たけなわなのに1万円札を複数手に持ってるのを見たことがある。今思えばあれは無尽だったんだな。
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無尽のグループには誰もが入れる訳ではなく無尽仲間の紹介制。紹介した側の責任もあるので他県の者、余所者はまず入れないと思う。この辺りが会津の三泣きの一つにつながるともいえる。
相互の信頼がなければ成立しないので良く言えば長年の信頼を表す。何十年も続く無尽グループもあるらしいから相当な信頼関係ではある。

故・藤沢周平の「三屋清左右衛門残日録」の何話だったか、「梅咲くころ」で、清左を江戸表から女性が訪ねて来て、「国許で縁談があって」と挨拶した。だが清左は野田というその縁談相手に何かひっかかりがある。
思い出せないので町奉行の佐伯を訪ねて野田の名前を出したら、「野田は無尽の不正で商人に訴えられ、家が潰れるかどうかの大騒ぎが二年前にあったじゃないか。まさか野田の家を潰す訳にもいかないから示談にして事を収めたが・・・」
野田は諸事倹約のご時世に金使いが荒い家風で、商人を集めてこっそり無尽を始めたが、自分の息のかかった商人を密かに潜り込ませて二度三度自分の手に金を落として無尽を解散してしまったというもの。
女性の持参金目当ての縁談だったのである。寺内という仲人も野田と同じ穴の貉で、結局縁談は女性の方からお断りしている。
野田は武家だから自ら無尽に参加したのではないらしいが、複数の無尽を掛け持ちして自分の手元に金を落として夜逃げしたなんてケースは実際にあるそうです。あまり事件沙汰にならないのは会津人情というか、「あいつ苦しかったんだな、まぁ餞別代わりってことで仕方がないべ」になるんだとさ。
無尽は農村の屋根の葺き替えを村人総出で行うのと、その順番を決める集まりから起こったという説があるから地方の伝統とも言っていいが、「会津若松市の発展を阻害しているのは無尽」とBlogで言い切ったのがこの店とは別の市内で有名な居酒屋の店主。
昔から続く無尽を見てると結局は気心知れた者同士の愚痴酒で、「そこには会津人の誇らしい志が感じられない、会津が時代の変化に対応できてない一因だ」というのです。
ただでさえ閉鎖的な会津若松でよく言い切ったと思うけど、店主が言いたいのは、「本当の会津人はこうではない」という気概なのですな。
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この店の店主は先だって久々に東京に来たそうです。
「姪っ子の結婚式でお台場っていうの?あっちのホテルで披露宴呼ばれたけんど、その後で友達に会いに渋谷を通って〇〇〇まで行った。電車の中で殆ど全員が何かをいじくってる」
「スマホね」
「ⅰ―Phone」
「あれは見てて違和感あるな~。ゲームか何かやってんだべ?」
こちらとしてはその日常風景なのだが、なるほど前述の居酒屋店主の言ってることを裏付けるなとは思ったよ。でもあからさまに批判する訳にもいかないので、
「車内で新聞読んでる方が少ないですよ。新聞って広げるとジャマだし。」
「アタシは電子書籍読んでるけど」
「ふぅ~ん」
「いい大人がマンガ本読んでたりすると逆に目立つんだよね」
ぐらいにしておきました。それでいて諸事雑事にやたらと詳しいのは座敷で開催される無尽から得られるネタかも。そういう場の情報は侮れない。例えば新聞が書けない地元ネタで、観光パンフにも載ってる何処何処の有名店の仕出し弁当で食中毒を出したのは期限切れの材料を使ったからだとか。
ただ、何処何処の会社が倒産したとか、あまり明るいネタは無いらしい。
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翌日の昼にも行きました。
近くに新しくできた図書館、稽古堂で資料漁りをしてから裏磐梯を散策する予定をたてた。
「知らないところでランチに迷うよりは勝手知ったる麦とろで」
蕎麦か素麺でよかったんだけど、「今日の夜は湯野上で美味い蕎麦喰うんだべ?」ということで看板の麦とろ定食。
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カウンターにメニューがあったのである。
「メニューなんてあったの?」
「あるのは知ってたけど」
見たら一般的なものばかりだね。会津の郷土料理は載ってないぞ。
隅っこの方に、麦とろ特製おまかせコース。
「アタシたちはいつもこれだね」
で、その左を見てください。
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「各種宴会、無尽などにもぜひご利用下さいますようお願い申し上げます」
あったあった。
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穴澤一族 会津北の防人へ還る? [会津]

檜原を落ち延びた穴澤一族に転機がやってくる。
天正17年(1589年)6月5日、磐梯山麓摺上原で蘆名は伊達に大敗北する。常陸の佐竹家から養子に来ていた最後の蘆名家当主・義広は実家の佐竹家に逃げ帰り、400年に渡った蘆名氏の会津支配は終わる。
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穴澤一族は摺上原には参戦していないらしい。そんな余力も無かっただろう。
蘆名氏は会津から逃げ出し、諸将が政宗のもとへ膝を屈する中で穴澤一族は大塩村から退去し、会津盆地南にある旧寺入村・道地窪(ドウジクボ)の山中に隠れ潜んだ。
道地窪は会津美里町から南へ4kmほど下った辺りです。
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会津図書館稽古堂の史料によると「ここが穴沢一族の隠れ里!」とあって、穴澤氏が文明18年(1486年)から寺入村や道地窪を支配しており、そこには金銀の鉱山もあったという。
yahoo地図見ると今でも道地窪という地名はあるようです。
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伊達政宗は蘆名家中を黒川城(現在の会津鶴ヶ城)に参集させる。多くは屈服したが、いち早く寝返った猪苗代氏、長沼氏(会津田島)以外に南会津の雄で伊南の河原田氏と伊北の山ノ内氏が従わない。穴澤一族は山ノ内氏の庇護下にあったとも。河原田氏と山之内氏は徹底抗戦する。

だが伊達政宗の会津支配は長くない。
摺上原合戦後、蘆名義広が逃げた後の黒川城(会津若松)に入城したのが天正17年6月11日。
政宗が若松市本町の小館で実母に毒殺されかけ、危うく一命を取り留めたのが翌18年4月5日。
相州小田原城を囲む秀吉への謁見にギリギリ間に合って首は繋がったのが同年6月5日。
太閤秀吉が背炙り峠を越えて会津に入ったのが8月9日。
政宗の会津支配は僅か1年足らずで終わる。奥州仕置でせっかく手中に収めた会津は取り上げられた。蒲生氏郷が入った。
大邦を得た蒲生氏郷は家臣を募集する。この時に穴澤助十郎以下一族も蒲生家に出仕して檜原へ帰ったようです。
蒲生氏郷が会津に置かれたのは伊達政宗への警戒、備えの為だが、穴澤一族を檜原に戻したのは、一族が帰りたがってたのもあり、檜原が雪深いこともあり、伊達を信用しない秀吉政権の意に適うものでもあった。
故郷の檜原に帰った彼らがどのような役職に就いたか記載が無いのですが、おそらく前と同じような役目、関守や国境警備の役人ではないかと思う。関所(口留番所)の役人を勤め、横目付や徒歩目付や番士を置いたのではないか。
有名な箱根関は小田原藩士が1ヶ月交替で勤務したらしいが、穴澤氏を置いておけば交替の必要はない。常勤で据え置かれたのでしょう。
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檜原は自分たちが支配されていた頃より大きくなっていた。政宗が旧檜原や米沢から移住させた者たちで更に拡張したのです。会津稽古堂の史料では「新編会津風土記」(文化6年、1809年)に59軒あった。
蒲生氏郷は検地をする。いつの時代も納税者は過少申告するものだが太閤検地はそれを許さず全国統一の単位で測りなおした。この検地は納税者たる農民には当然厳しく、土地によっては兵役を割り当てられる収税者の武士にも厳しい結果になるのだが、檜原の取れ高もこの頃、明らかになる。どれくらいだったか?
文禄3年(1594年)に調べた「領内高目録帳」という帳面には檜原の石高は僅か40石でしかない。大塩村の1030石と比べてかなり少ない。
寛政元年(1789年)の「会津鑑」には無高と記されているそうです。
そういう地だけに穴澤一族は会津の支配が蒲生氏、上杉景勝、加藤氏と変わってもそのまま檜原に居住する。彼ら施政者にしてみたら極寒豪雪の地にいてくれる存在だから願ったりだったのかも知れない。「そこに居たいんだったら居れば?」と思ったのだろう。
でもまぁメデタシメデタシである。

ここで一つの挿話を。
穴澤新右衛門俊光の長男・俊次(広次)という人が善九郎=善右衛門と混同されていることは記載しました。この穴澤善右衛門の挿話で嘘かホントかわからないがちょっと隅に置けない話がある。
現地の学者さんのHPでは、「穴澤善右衛門という人は伊達政宗の檜原侵攻の時は小田原に視察に行って不在だったので、後年蒲生氏郷の時代に檜原に戻った武勇に優れた人物です」とある。穴澤一族が蒲生氏支配の時に檜原に戻ったとはっきり記載されているのはこのHPからに依ります。
その善右衛門が磐梯山の西にある温泉へ妻子を連れて湯治に来ていた時、そこに棲む魔物で黒猫を退治した伝説がある。
昔語りの伝説なので物語は省略しますが、穴澤善右衛門が魔猫を斬った刀は、穴澤氏初代俊家が当時の蘆名家当主・盛高から「盗賊退治に行ってくれないか」と懇願されて檜原に赴任し、この記事にも登場する旧米沢街道沿いの物見岩、中ノ七里で退治した兇賊を斬った(捕えた)際に蘆名盛高から賜った名刀で、後に猫切丸と名づけられた。
魔物の黒猫が切られた岩を猫石(1335m)、それは猫魔ヶ岳(1404m)に繋がる。現在の磐梯山西にある雄国沼の外輪山ですね。近隣にあるスキー場名でも名高い。
裏磐梯猫魔スキー場の猫魔の名前は穴澤善右衛門が魔猫を退治した伝説に基づくのだろうか?
善右衛門が湯治した温泉は磐梯ゴールドライン途中から登山路を往くと辿りつく中ノ湯温泉らしい。現在は中ノ湯温泉跡、廃業しています。
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化け猫退治の伝説はさておき、後年、寛永20年(1643年)に保科正之が会津に入封してからは穴澤助十郎広次の子、光茂という人に禄が与えられ、穴澤一族は幕末まで会津藩士として生きる。なので幕末に詳しい人なら横須賀浦賀に穴澤氏の墓があるのに違和感はないでしょう。幕末の海防政策で相州横須賀にやって来たのです。
そこへ行くには京急で横須賀市浦賀駅(京急浦賀線終着駅)から久里浜行バスに乗車して、浦賀警察前、ドック前、しそして3つめのバス停紺屋町で下車すると右に小高い丘がある。
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麓に叶神社、延命山東福寺と2つの神社仏閣があって、東福寺の境内を上った丘の頂上に、鹿目家、橋本家、そして穴澤家の墓がある。この墓所へ行くには麓から平場も含めて数えてみたら243段もの階段を上がらなくてはならない。結構コタエます。
東福寺の参道に入り右手に駐車場を見ながら境内の階段を上がり、本堂の左手にある階段を上がって墓所の中を歩きます。
階段を上り切って頂上のお寺の墓域を出ると住宅街に出るのですが、最も崖に近い側の住宅沿いに右手の細い未舗装の道を緑色のフェンスに沿って行くと、どういう人かわからないが「文覚上人庵跡」の石柱があって、そこが会津藩士墓地になっていた。
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私は原則、供養塔以外のお墓は撮らないのですが、穴澤氏が存続したこと、私自身がこの地に来て確認したという証の為にお墓全体ではなくお名前だけ撮影しました。掌も合わせましたよ。アナタの祖先が檜原で戦った故事に興味があります檜原にも行って来ましたってね。
墓の裏を見たら明治だった。穴澤與十郎という人で会津藩林砲兵隊寄合組だそうです。寄合だから中士。戊辰戦後は他の藩士とともに高田に幽閉され、斗南にも行っているようです。
明治の墓だけではなく背後の海側に小さいながらも近年建立した新しいお墓もありました。それは撮っていません。
他にも2家の墓があっていずれも旧会津藩士です。幕末の海防政策でこの地にやって来たものです。

私がこの地に来たのは穴澤一族が幕末明治まで存続したのをこの目で確かめる為に来ただけなのですが、山岳戦闘集団だった穴澤氏の墓が海の見える丘にあるのは違和感とまで言わないが、意外な気がする。青い海を初めて見た時彼らはどう思っただろうか。もっとも彼らが海を初めて見たのは相州の海ではなく、会津藩が幕命で文化4年(1807年)に北方警備を命ぜられた時かもしれない。
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でもやはり彼らの故郷はここ檜原(桧原)です。かつての村は湖底に沈んでいますが。
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穴澤一族はメディアで取り上げられることはまずない。肖像画も無いし、現代の戦国ゲームにもないようです。
檜原に行けば簡単な記述はあるが、彼らが会津北の国境に長年据え置かれ、雪深い山郷で耐えながら3度に渡って外敵から会津を護ったようにアピールしていない。
彼らが檜原に帰ろうとした執念、想いは最後には叶うのです。檜原は彼らにとって最初は意に沿わぬ極寒の地だったが、歳月を重ねて馴染んで自分たちの故郷にした。
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穴澤一族は何を護ろうとしたのか。
檜原で産出される金か。それもあっただろうけど、彼らが金を手にして豪奢な暮らしをした訳ではないです。
蘆名家に義理立てしたとも思えない。檜原にいると蘆名家中での競争とも無縁だったような気がする。
そこで彼らが護ろうとしたものは単に自分たちの故郷とささやかな暮らしです。「そんなの当たり前だろ」って泉下で笑うでしょう。
最後に1枚の写真を。
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ご子孫でしょうか。小田山の麓の道路沿いで偶然見つけました。(この項おわり)
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会津北の防人 穴澤一族の執念 [会津]

風呂場で惨殺されるという史上あまり例のない謀殺で滅んだ穴澤一族には生存者がいた。風呂の会に参加しなかった者どもが再起を図る。
諸国見聞に出かけていた新右衛門の嫡男、助十郎俊次
怪我で出羽国小野川温泉で療養中だった新衛右門の六弟、善七郎(善右衛門とも)
その他、佐馬允(五弟)、強弓の名手で太郎兵衛(次弟)といった弟たち。
穴澤主計の女房と嫡男。彼らも巻き込まれなかった。
一部の史料では善七郎=善右衛門=新右衛門の嫡子俊次、または広次と混同されています。この善七郎が現代に残る有名な地名のもとになる伝説にもなっている。それは後述します。
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生き残った穴澤一門衆と妻子、乳母、郎党たちが、月夜の無い夜に灯を点したキツネたちに護られながら大塩村まで落ちた街道は米沢街道のようです。私も下ったが、整備された舗装路と別に雑木林に左右を囲まれた旧街道が今でもあるのです。
街道から檜原方面を望む.jpg
キツネ伝説云々はともかく、穴澤一族の生存者は助十郎俊次(広次とも)を中心に、大塩(北塩原郡)に居住した。
大塩まで来た.jpg
大塩村、名前からして塩の産地。会津藩の御用塩だったともいう。この地は檜原とは別に穴澤氏に与えられた知行地があったと推定される。
大塩裏磐梯温泉(食塩泉)のある大塩村は檜原から峠を越えて程遠くない。山を越えたら故郷檜原なので故郷の方角を朝夕拝みながら胸中さぞ無念だったかと思う。
檜原軍記には「大塩の城」「柏木森の城内」そこに居住したとある。大塩から喜多方へ向かう途中に、柏木城や綱取城、幾つかあるがそれらのどれかだろうか。
柏木城.jpg
綱取城の麓2.jpg
穴澤助十郎は黒川(会津若松)の蘆名本家へ訴え援軍を要請した。
蘆名家は衆道のもつれで斬殺された盛隆の遺児が継いでいた。僅か二歳の幼児なので訴えても判断が下せる訳がない。遺児の母親が後見するという体制になっている。
だがその女性は伊達家の出で政宗の叔母にあたる。実家の肩を持って穴澤一門の後援に積極的ではなかったのだ。
蘆名四天(平田、佐瀬、松本、富田)から「大塩の守備を厳重にしろ」とだけ命が下り、騎馬20、足軽100人を寄越しただけだった。
一方、伊達政宗は穴澤新右衛門が生前に居住していた館で起居していたらしいがさすがに寝覚めが悪かったのか、蘆名家が後詰を躊躇している間に自分の城塞、檜原城(小谷山城)を作り始めた。
小谷山城(桧原城)入口1.jpg
この城の場所を政宗にススメたのは裏切り者穴澤四郎兵衛だという。政宗が四郎兵衛に「新たにどこに築いたらいいかな?」と尋ねたら場所と地勢を教えたとか。
四郎兵衛の名前はこれを境に消えている。

蘆名本家が伊達駆逐に積極的でないのに業を煮やした穴澤助十郎と3人の叔父たち、一門残党たちはいずれ峠を越えて大塩に下ってくるであろう伊達軍の迎撃準備に取り掛かかった。
米沢街道沿いや萱峠に鹿垣を作って哨戒兵を置き、山道の左右に大石を置き大木を伐り倒し隘路で殲滅せんと待ち構える。お得意の山岳戦に持ち込もうとしたのである。狭い隘路なので大軍は分断されるしこちらは僅かな手勢で足りる。
鹿垣のあった辺りです。
鹿垣の説明板.jpg
鹿垣の図.jpg
「天正13年(1585年)5月8日卯の刻、伊達勢は檜原を発し・・・」大塩攻撃に向かったとある。
(檜原の軍記物は日付がいまいち曖昧で、穴澤一族が風呂で殲滅された日付と被ったりしている。)
だがこの時は斥候同士の小競り合いはあったが大規模な戦闘にはならなかった。米沢街道と萱峠に濃い霧が派生し、穴澤助十郎は50人足らずの兵でこの霧を利用して伊達軍の退路を断ち、奇襲を仕掛け、大石や大木を落とし、谷底に追い落としてやると狙っていたのだが、穴澤一門の山岳戦の手強さを知っている白石若狭という伊達の将校が濃い霧を見て胸騒ぎを覚え、政宗に「引き返しましょう」と進言、政宗もこれを容れた。穴澤側の不戦勝?に終わっている。
左奥は旧街道.jpg
米沢街道の途中に、伊達勢が引き上げた場所とある。
引き返したと説明があった.jpg
退頭古戦場.jpg
上の写真は退頭(ヒキガシラ)古戦場という。退頭すなわち行軍中に先頭が退いた(引き返した)場所といふ意味か。
大規模戦闘にならなかったのだから戦場ともいえないと思うが、先鋒か斥候か9人ほどを討ち取ったらしい。
檜原軍記にはその辺りも記述してあった。穴澤助十郎が30人ほどでその9人の伊達斥候兵と出くわしたらいずれも鎧に身を固めている。なのに「旅の者です」とシラを切るのである。
助十郎たちは「鎧を着た旅人がいるかよ」と問答無用で討ち取ってしまった。彼ら9人は政宗の勘気に触れ、抜け駆けして大塩に火を放って赦免を乞おうとしていたと書いてある。9人全員を討ち取ってしまったのにその辺りの事情をどうやって知ったのかな。
濃い霧に怖気づいた政宗の本隊の退却ぶりの描写は、
「殊のほか慌てて引き返したものとみて、鹿砦(鹿垣)のある萱峠から中ノ七里(穴澤一族の祖が山賊を退治した場所で、平成19年までは人家があったという。)までの間には弓、鉄砲、槍、長刀、えびら、うつぼ(矢を挿して背負う武具)などが無数に打ち捨ててあり、足の踏み場もないほどであった」という醜態ぶり。
中の七里1.jpg
中ノ七里2.jpg
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地団太踏んだ穴澤一族だがしぶとく抵抗しようとする。
一族は同じような名前ばかりで個々の腕っぷしが強く山岳戦が得意、寡兵でもって大勢の敵を破る辺りが痛快だが、あまり長期的な視野に長けた頭脳派はいないようで、今度は一族自ら刺客、暗殺者になろうとするのです。
図々しくも我らが故郷檜原に政宗が作った巨城檜原城(小谷山城)の麓、檜原川の河岸に馬場があって、そこへ政宗が馬の調練をしに来るのを待ち構えんとした。
強弓の名手でhttp://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-23にも登場した穴澤太郎兵衛が生存しているのだが太郎兵衛は荒っぽく的を外すことがある。
百発百中だった穴澤越後は風呂屋で惨死している。今は惣領たる助十郎や左馬允も命中率があまりいい方ではなく、風呂屋謀殺事件の時に出羽国小野川温泉で療養中だった故・新右衛門の弟、善七郎はどうか。
小柄な彼は故・穴澤越後や太郎兵衛叔父のように三人張の強弓とまでの膂力はないが、狙った的は外さない方なので射手は彼に決まった。善七郎は新右衛門の弟だから惣領助十郎の叔父だが、若干17歳でしかなかったそうで、甥叔父とはいえ従兄弟同士のようなものであろう。射手は彼に決まった。

善七郎は二人張の弓と矢を持って軽装で檜原へ向かう。
随行者は助十郎、太郎兵衛、佐間允の一族と若干の郎党を連れ、ナワさんが自転車で越えた蘭峠(アララギトウゲ、私は自家用車で越えました)には伊達の物見がいたので途中の沢に逸れ、崖、岩山、藪や茂みを分け入って政宗が馬の調練をする馬場の東南端に身を潜めた。
だが失敗した。
射損じたのではない。配下の調練を検分していた政宗はそのうち自身の血が騒いだのか、黒毛の馬に自ら乗馬して駆け出した。
だが4人が潜む馬場の端まで疾駆して来ない。馬場の中頃で何を思ったか引き返してしまったそうである。矢頃という弓矢でいう射程距離に入らなかったのだ。
政宗は一度ならず二度三度と疾駆して来たがいずれも馬場の中頃で引き返した。そのうち調練を終えて城に帰ってしまったとある。
4人はまた地団太踏んだ。せめて我らが狙い参上したことを政宗に伝えてやろうと書を記した。
「穴澤善七郎こと征矢を一筋進上仕るべく参上致しお待ち申し上げ候。公ついに馬場の端まで駆けなされず、矢を放つには遠く御馬の足速く大願成就に至らず候。折を見て一矢を差し上げたく候」
わざわざ来てやったぞと言ってやったようなもので、あてつけと腹いせに書いたその書を矢に結んで馬場の隅に刺しておいたのを伊達の徒歩兵が発見した。
読んだ政宗は内心で背筋が寒くなった。
だがそこは奥羽の梟雄、表には動揺を表さずに配下に油断しないよう下知した。だがそれきり馬場での調練を止めてしまったという。とうとう米沢に帰ってしまいそれ以降、政宗が檜原にやって来たという話は聞かない。

その後、政宗はNHK大河でも描かれた仙道郡方面からの南下政策を取るのだが、鈴木孫兵衛信康(後藤孫兵衛)という者を檜原城代にしている。孫兵衛は大河でも登場して佐野史郎さんが演じていたように思う。
彼は檜原の暮らしが相当辛かったらしい。豪雪と寒気が想像以上に厳しいうえに穴澤一門がちょいちょい嫌がらせのように襲撃してくる。寒いし退屈だし娯楽はないし、ホンネでは早く任を解いて欲しかったに違いない。

政宗が城代を部下に任せて自分はサッサと米沢に引き上げたのは、仙道郡の戦線が活発になったのもあるが、檜原から会津に攻め入るよりも仙道郡から正攻法でジワジワと南下すればいずれ会津は手に入ると思ったのだろう。檜原は寒そうだから配下に任せて自身は帰っちゃたのかも。
政宗は檜原で冬を経験していないようです。命令とはいえ後藤孫兵衛は「何で自分が」と嘆いたに違いない。鈴木(後藤)は檜原に4年間いたそうです。

穴澤一族は檜原奪還を諦めない。
最後の穴澤軍対伊達軍の戦闘詳報が私の知るもので3説ある。
まず1説では意外な者が援軍として登場している。
猪苗代弾正盛国。
蘆名氏の祖・佐原氏が三浦半島佐原から会津にやって来た時に長男の系譜だった猪苗代氏は「本来なら会津よりこっちが直系だぞ」という自負があってちょいちょい背くのである。その猪苗代盛国が何でまた檜原から大塩に落ちた穴澤氏に付いたのだろうか。
いよいよ伊達政宗の会津侵攻が本格的になった時、猪苗代盛国は蘆名本家から一番早く離反して伊達側に付いて猪苗代城に伊達軍を引き入れ、摺上原で蘆家大敗北の要因の第一になった人物である。蘆名本家の命でわざわざ檜原まで対伊達戦線に行くだろうか。
この説では猪苗代軍は総勢600人で先方は盛国、二番手は嫡子盛胤、三番手に穴澤一族とある。地の理を知らない猪苗代勢が先に立つのも腑に落ちないし、600人は狭隘な檜原では大軍といっていい。
案の定、峠の物見から丸見えで、伊達軍の奇襲を受けて敗退している。

彼らが往還した旧米沢街道です。人が一人歩けるのがやっとの幅なのです。
旧米沢街道2.jpg
上の写真、枯葉に埋もれた細い道がそうです。

次のもう1説は天正14年4月、穴澤助十郎俊次が穴澤一族だけで300余人をもって檜原城(小谷山城)に迫ったが、城中から500人が討って出て戦闘になった。穴澤軍は島津の釣野伏のように伏兵を置き伊達軍を引っかけたというもの。
3説めがある。これは2説めに酷似しているのでおそらく同じかも知れないが講談調の脚色が入る。双方で最も兵数が少なく、前述の檜原城代、後藤孫兵衛の苦衷を裏付けるような穴澤一族の嫌がらせのようなものです。
穴澤助十郎、善七郎、太郎兵衛、佐間允らは、郎党50人と多少の弓鉄砲を用意し、鎖帷子を着込んで檜原にお参りに来たのである。
穴澤新右衛門他が風呂屋で滅んでから旧檜原の住民は政宗が新たに作った檜原城(小谷山)麓に移転し、かつての里は荒れ放題だった。そこに残る氏神様の前に額ずいて「必ずやここ檜原に戻れますように」と祈願した。
社.jpg
上の矢印の社は湖底に沈んだ村々を偲ぶ為に後年移されたものかも知れないが、ここから伊達軍が駐屯する小谷山は目と鼻の先です。お参りが済んだところで何と一族郎党は携えて来た弁当や酒の入った竹筒を取り出し、しめやかな酒宴を始めたというのである。
かつての故郷とはいえ今は敵の最前線で敵中といっていい。度が過ぎた大胆不敵さ。殆どからかい半分のこの酒盛りの模様が檜原城の物見から望見されない訳はない。ナメられたとアタマに来た城兵300人が打って出た。
穴澤一族は酒盛りを止めて引き上げかけるのだが、何もしないで帰るのも業腹とばかり強弓の穴澤太郎兵衛や善七郎を中心とした矢戦で喰いとめ、軽く当たっては引きを繰り返している内に本格的な合戦になってしまった。返り討ちまでいかないが伊達軍を追い払った。
昨日の記事で、裏切り者穴澤四郎兵衛の家にひとりで殴り込みをかけた高橋という郎党が伊達の足軽を1名生け捕りにした。助十郎俊次(広次)の前に据え置いた。助十郎が言うには、
「城代の後藤に伝えろ。我らがこの地に出向いたのはかつての氏神様へ参拝に来ただけだ。こういう時に得物を持って追い討ちしようなどとは誠に興ざめする振る舞いではないか。心ある武士のすることかよ。いつか返礼してやるからな」
足軽を放ってやった。穴澤一族も静々と大塩に帰っていく。
敵中にお参りに行って酒盛り、酒の勢いで合戦するとはいい度胸である。それと何処かのんびりしたというか牧歌的である。

檜原に還ろう帰ろうとする穴澤一族の戦闘はここまで。これ以降は見られない。
見つかってないだけかも知れないが、この氏神参りの戦闘から先は蘆名、伊達の抗争から煙のように消え去っている。
既にこの時は黒川の蘆名家中はボロボロ。最後の当主たる佐竹家から来た義広という人に付いて来た佐竹家臣団と蘆名家の家臣団が衝突。猪苗代盛国と会津田島の長沼氏は伊達側に付き、佐竹家から来た家臣団のせいで席次を下げられた伊南の河原田、伊北の山之内も離反しかけている。家中分裂の蘆名家はそんな状態で摺上原の戦闘で滅ぶのだが、最後まで蘆名家に背かなかった穴澤一族は泥中の白玉のようでもある。暴れっぷりは痛快であり、一族の最後と、檜原へ還ろう還ろうとするその執念には一掬の涙無きを得ない。

檜原や会津が伊達のものになり、その後穴澤一族はどうなったのだろうか。
浦賀港を望む.jpg
???
会津ネタなのに突然海が見えます。横須賀市西浦賀の小高い丘の上から撮ったもの。
西浦賀の小高い丘にある墓碑です。
穴澤家の墓碑.jpg
横須賀浦賀に何故、穴澤氏の墓碑があるのだろうか?(続く)
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会津北の防人 穴澤一族の最後? [会津]

檜原と接する米沢領綱木の地頭で遠藤という者は、穴澤一門で仲間外れにされて浮いている穴澤四郎兵衛を寝返らせる策を進言した手前、自らが檜原村に乗り込む。最上から会津方面へは真綿商人が往還していたらしいので、その商人に化けて檜原村にやってきた。
いきなり穴澤四郎兵衛の屋敷に行かず、幾つか真綿を売って小金を稼いでから訪れたそうです。真綿を手土産に差し出し穴澤四郎兵衛に取り次がれた。
人払いをして遠藤は単刀直入に「伊達の家臣」と名乗り、「伊達公に内応されよ、穴澤新右衛門を討ち取られよ」と言った。もちろん先ごろ穴澤新右衛門が伊達側に付くのを断った経緯も話したに違いない。
四郎兵衛は驚いた。不和とはいえ本家や一門を裏切れというのである。その場では即答はせず遠藤を別室に待機させて家中の主だった者どもを集めた。
だが意外にもその旨を聞いた嫡男の四郎次郎、甥の孫四郎、譜代の郎党たちは伊達への寝返りに賛同したのである。
「檜原軍物語」の現代版では、「ご本家と些細なことで不和の間柄になり一門衆からも退け者にされ、月見花見の会にもご出席なさらぬので我らも肩身狭き思いをしております。蘆名ご本家も凋落著しく、近日中に伊達公と合戦になるでしょう。であればいっそ・・・」内応に応じましょうと一致したという。

会津若松図書館稽古堂の史料によると、穴澤四郎兵衛が本家と不和になったのは天正13年(1585年)だという。理由は書いてなかった。「大口論になった」とだけある。

伊達政宗が内応を持ちかけたのも天正13年4月だが、昨日の記事、大荒井騒動は天正10年4月中旬とあった。この時に既に不和になっていた筈だが、その辺りはよくわからない。「月見、花見の宴も欠席」とあるから数年間は不和のままだったのかも知れない。
また「檜原軍物語」には穴澤四郎兵衛の郎党が「ご先祖様からの分地(分知)も少なく、極く僅かな知行で細々過ごすよりはここで思い切って伊達公にお味方して・・・」と進言している。
檜原でうだつが上がらず先細りをするよりは伊達について身代を増やそうと思ったのだろう。この地にいても所領は増えないのだから。
穴澤四郎兵衛も自ら独断では決めかねたところを見ると、胸中としては家中で誰かが反対するだろうと思ってたのだろうか。だが自分が思ってる以上に家中の心が本家から離れていたという訳である。
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一族郎党寝返りに一決したが、ではどうやって穴澤新右衛門以下、穴澤一門を討つか。そうたやすく討てる相手ではない。
この時「風呂屋で討ち取ってしまえばいい」と陰惨な謀略を進言したのが四郎兵衛の甥、孫四郎という者で、何処からそういう発想をしたのだろうか。源義朝や太田道灌の暗殺故事を知っていたのだろうか。
「風呂で討ち取る?」
甥が言う案に四郎兵衛は首を捻った。
この当時は各家々に風呂があったかどうかわからないが、本家と不和なのに、まさか「ウチの風呂に入りに来ないか」、または「風呂屋へ行こう」誘うわけにいかないではないか。何か企んでるのかと疑われるだけである。
四郎兵衛も大兵で剛の者だが、討ち取る相手は新右衛門俊光だけではない。穴澤一門を洩らさず殲滅しなくては成就しないのである。
風呂屋に押し込める策を模索する過程で風呂屋の又五郎という下郎の名前が出る。「彼奴(又五郎)を引き入れて謀略をもって新右衛門他、一門を風呂に入れて大刀を取り上げ、別途政宗公の加勢を引き入れて討ち取ってしまえばいい」という卑劣で陰惨な策を講じた。

風呂屋の又五郎という。名字はわからない。この当時の風呂屋とはお湯の張った湯屋、温泉とは違う。小屋に入って中に焼いた石に水を掛け蒸した蒸し風呂か、釜に湯を沸かして蒸気を浴槽内に送り込むのです。現在でいうならサウナのようなもの。
熱い水蒸気を浴びて身体の垢を浮き上がらせ、適度に室外に出て身体を叩いたりこすったりして垢を落とし、別に用意したぬるま湯や冷水で身体を充分に洗うのです。風呂屋と湯とは別物だといっていい。
行水、水垢離のようなものはあったが、毎日風呂を使う訳ではないです。
往時は風呂屋が宿場や集落を廻り酒肴を出し囲碁や将棋を指した。風呂と宴会とゲーセンがセットになったような娯楽だったのである。
現代のように湯に浸かる風呂は江戸時代になってからのものです
では風呂屋の又五郎を仲間に引きこむことにした。そのやり方が単純で単に脅しつけただけである。
別室に伊達の家臣、遠藤を待たせたまま又五郎をすぐさま呼びつけ「伊達殿の大軍が攻めてくる。黒川(会津若松)からは援軍が来ないので我らだけでは持ちこたえられない。我らは本家に背くのでその手助けをせよ」
又五郎は断って逃げ出そうとしたが孫四郎に足をすくわれ、襟首を掴まれて引き戻された。
「我らの企てを知った以上は生かして帰さん」と刀を突き付けて脅かした。「侍に取り立てるか檜原の金銀を積んでやる」とも言った。
震え上がって観念しかけた又五郎の前に遠藤が現れて伊達の家臣と名乗り、懐中から砂金を取り出し、当座の褒美として渡した。下郎の哀しさ、金の前に墜ちたのである。

又五郎を引きこみ遠藤を米沢領に帰してから四郎兵衛は仮病を用いて屋敷に引き籠った。仮病は欺く策だが裏切ることでホントに懊悩したのかもしれない。
すぐ雪解けになり、それまで気持ちの中ではズルズル引き伸ばしながら憂鬱でもあった四郎兵衛は又五郎を呼んで督促した。「早く段取りを組め」と。
決行日は5月3日に決まった。又五郎が檜原村に風呂屋を開いた日だという。
その前1日、又五郎が本家穴澤新右衛門俊光の屋敷を訪れる。風呂の使いである。
「ご一族の方々にはご参会の催しもなくご退屈でございましょうから、明後日3日に風呂を焚きますのでご一族の方々総出でお出でいただき、ご酒を召し上がられ囲碁や将棋でおくつろぎなさいませ」というもの。
「風呂も悪くないな」
新右衛門はこう言ったという。娯楽として言っている。やはり毎日風呂に入っていた訳ではないのである。
「3日は何だったかな?」
「ウチの開業記念日でございます」
「朝から?」
「へぇ。御酒も朝ご飯もこちらで用意いたします」朝風呂、朝酒の誘いといっていい。
「久しぶりに入れて貰うことにするよ」
退屈だった新右衛門は承知した。
次に又五郎は一門の家々を廻る。皆々参加しますと。雪深い時期が終わり娯楽に飢えていたのであろう。

だが、イヤな予感を得た人がいる。新右衛門の妻女である。
名前の伝わっていない妻女はここ数日、屋敷の周囲をウロつく数匹のキツネが気になっていた。キツネは山男集団穴澤一族の氏神様だという。風呂会当日朝も悪い夢を見たので胸騒ぎがして亭主に言った。
「昨夜の夢見が悪く、屋敷の周囲をキツネが数匹いて離れようとしないのです。伊達公の軍勢も檜原を狙ってる折もあり、縁起が悪いので今日の風呂の会の参加は見合わせて欲しい」
新右衛門は破顔一笑した。何を言ってるんだと。
「それは女子供の言うことで、峠に哨戒兵を置いてあるからそうすぐに伊達の大軍は来れないし来たら物見が知らせるであろう」
過去3回の戦勝で油断していたか、平和に慣れたのかも知れない。これが家族との今生の別れになる。

既に穴澤四郎兵衛から決行の密使が綱木村の遠藤に伝わり、遠藤が米沢に急使を差し向け、総勢1500人の伊達の徒歩兵が檜原峠に向かっている。
その前に四郎兵衛の手の者が檜原峠に向かい、峠の哨戒兵は不意打ちを喰らって全滅している。雪も少なく、伊達軍は難なく峠を越えてこちら側の小谷山で待機。
新右衛門俊光の父、隠居していた穴澤加賀は老齢で、風呂会当日は風邪で伏せっており参加しなかったという。

又五郎の風呂屋では前夜から酒肴を手配済で、穴澤一門の面々は米や酒を持ち寄り祝儀の金を携えてやってきた。強弓の名手穴澤越後、穴澤丹後、山岳戦馬術の名手穴澤主計、新九郎、九郎次郎他10数名である。
ひとり、片足の者がいた。
新右衛門の弟のひとり、与七郎という者。
彼は先年猪狩に出た際に大雪崩に遭い、左足の膝下を砕き折って骨ばかりになったのを自らの刀で膝から下を断ち切ってしまった硬骨漢。ようやく癒えたので松葉杖をついてやってきた。
当然、四郎兵衛はいない。
新右衛門はそれに気付いただろうか。気付いたとしてどう思っただろうか。
だが物陰から四郎兵衛の手の者が見ている。
(助十郎殿がいないな)
新右衛門俊光の嫡男、穴澤助十郎俊次(広次)のことである。彼は諸国見聞で檜原に不在だった。
新右衛門の弟の太郎兵衛、左馬允、善七郎もいない。どうも一族全員は揃ってないようだがここまで来ては決行するしかない。

朝茶代わりに酒が出た。朝の空きっ腹にいい気分である。
「一風呂浴びてから朝ご飯にしましょう」と又五郎に案内されて一同、風呂場に入る。その間に携えて来た太刀は湯屋に隣接した座敷に置かれたがそれらは入湯後に全て隠され、風呂屋から四郎兵衛屋敷に急使が走り、そこから小谷山の麓に待機した伊達兵の中へ騎馬の使いが駈け込んだ。
伊達軍が動きだした。
率いる将校は誰だかわからないが伊達成実、片倉小十郎、原田といった高級将校ではなくこの策謀に関わった綱木の地頭、遠藤だと思う。たかが風呂場に入った素っ裸の(湯帷子のようなものは纏っていたかも)穴澤一門10数名を伊達の徒歩兵千数百人が取り囲んだのである。
穴澤加賀が伏している岩山城へも押さえの兵が向かっている。
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随行して来た一門の家来衆はどうしていたのか。
風呂屋の又五郎が、今日に限ってはお身内だけで、と言い回り、安心して疑うことなく屋敷に帰ってしまっていたという。如何に穴澤一族が武勇に長けていても素朴な山男集団で謀略に疎かったかということ。
いい気分で蒸風呂に入っていた新右衛門他は風呂小屋の周囲からドッと湧き上がった喊声に驚愕した。完全武装した敵兵に囲まれている。裸のままで湯上りの座敷に駆け込んだら預けておいた大刀や獲物が無いぞ。
寄手の先頭には穴澤四郎兵衛がいた。
「四郎兵衛一門の端くれなれど、米沢の伊達殿から強っての頼みで貴殿らの首を貰い受ける。もはや逃れ得ぬからには腹を召されよ」と言う。
この時の新衛右門以下穴澤一門の胸中はこんな愚策を見抜けずのこのこ来てしまった後悔の念と、ここに至ってはもはやどうにもならぬことを覚ったが、仲違いしていたとはいえ従兄弟四郎兵衛の裏切りに対して眦が釣り上がり、怒髪天を衝き唇を噛んで血を流した。
腹を召されよと言っても刀は取り上げられている。
「では腹の切り方を見せてやるから刀を出せ」
四郎兵衛は一瞬詰まった。
せめて武士らしく腹を切らせるかと思ったがすぐに刀を貸すなどとんでもないと思い直した。小刀でさえ渡してしまったら暴れまくられ包囲した兵どもに少なからず犠牲者が出ると踏んだのである。それでは風呂屋に押し込めて取り囲んだ意味がない。ここまでやったのだがら後世の汚名を着ようと殲滅するしかない。煩悩を断ち切って「討ち取れ」下知を下した。寄せ手が一勢に攻め込み、武装した1500人対一糸纏わぬ10数人という前代未聞の室内戦になったのである。
新右衛門は一族を見回して、これまでだと覚悟を決めさせた。殆ど素裸で武器も無いなので一方的な殺戮になるかと思いきや、穴澤新右衛門以下、越後、丹後、九郎次郎、主計らは板の間の敷居をバリバリ引き剥がして得物とし、敵兵の顔面や真額(眉間)を狙ってブッ叩いて数人の兵を昏倒させ、相手の槍刀を奪って斬り結んだ。片足の与七郎は足手まといになるのがイヤで、先に湯釜に飛び込んで憤死している。
寄せ手に少なからず犠牲者が出たが多勢に無勢で、受ける側は素裸なのに武装した兵が後から押し重なって攻め入って来るので新右衛門以下穴澤一族の主だった豪傑衆は、源義朝や太田道灌の如く風呂場で全員が惨殺された。
四郎兵衛率いる手勢は次に岩山(巌山)城へ押し寄せる。僅か数十人の兵で抵抗して隠居・穴澤加賀が自刃する時間を稼いだ。.
加賀は自刃、女房衆も自害、郎党村人(兵農分離していないので、平時は農耕者だった)たちで30歳以下の者どもは檜原の西、大塩村に落ち延びさせ、それ以上の年配者は風呂屋を囲む伊達兵に斬り込んでいる。

この風呂屋の謀殺の日付は2説あって、天正12年(1584年)11月26日、天正13年(1585年)5月3日とあるのだが、会津北の防人・穴澤一族はこの日に殆どが滅亡するのです。
彼らの首級は、四郎兵衛の嫡男四郎次郎と、甥でこの謀殺の発案者孫四郎が米沢に持っていった。政宗自ら実検したとある。
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平成27年11月27日追記。
岩山城(巌山城)のあった堂場山散策路(どんぐり探勝路)を、リンクしている「ふくしま旅日記」管理人、もこべぇさんが歩かれたそうです。
「穴澤氏自刃の標注とかありませんでしたか?」
「ありました。自刃の碑というより木柱?だったかな?あまり荘厳な感じではなくて書かれている文字を見なければちょっと目立つ道標?って感じでした」
突然その標注が現れたらしいですね。あっ、これってご本人の承諾を得て掲載していますから。
もこべぇさんの記事を見たら、どうもこの散策路は湖に突き出た半島を往復するだけで往復とも同じ道で、ハイキングコースによくありがちなここまで何Km、終点まで何Kmといった標注がないそうです。
歩いてみたら思ったよりアップダウンが多かったそうで、調べてみたら堂場山の尾根に沿って、郭4、郭3、郭2、郭1(半島の突端部分)とあって、ハイキングコースはそこを結んではいます。でもそれぞれが小規模の平場を設けた程度で連郭式の縄張りともいえず、下記の図のように離れているんです。城域の起伏も薄く、これだけだとあまり技巧的な縄張りともいえない。磐梯山噴火の際に埋もれて縄張りが見難くなってるのかも。
岩山城散策路1.jpg
岩山城散策路2.jpg
穴澤一族が憤死した跡地は何処かわからない。桧原湖底に沈んでいる。
湖に半島のように突き出す堂場山、岩山(巌山)城に至る散策路には「穴澤加賀自刃云々」の標注があるそうだが私は確認していません。知らずに散策して発見するとギョッとするでしょうよ。
湖底に沈む.jpg
檜原湖畔.jpg
現在は桧原湖畔に資料館があります。
併設された座敷で出される山塩ラーメンが美味しいらしいけど今回はパス。その資料館に檜原の城塞が4つ紹介されています。
撮影した後で「館内の撮影はご遠慮ください」の貼り紙に気付いてしまったゴメンナサイ。穴澤一族の紹介はあまり詳しく展示していなかったぞ。ましてや一族が風呂場で惨殺されたとかの記載なんかない。
私は伊達政宗は嫌いではないが、会津に来た時は会津側に立って見てしまうので政宗は外敵、侵略者でしかない。穴澤一族をもっともっとアピールしていいと思うのだが。。。
他に檜原の暮しの紹介や金山の写真とかがあった。
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四郎兵衛は穴澤一門の残党狩りをする。新衛門の嫡子助十郎、加賀の次男(新右衛門の弟)太郎兵衛、五男左馬允、六男善七郎が風呂屋に来なかったので彼らは生存していると踏んだのです。
この残党狩りについてひとつの挿話がある。
穴澤本家譜代の郎党で高橋という者が所用で他出していて、風呂屋謀殺事件の夕方に檜原に帰って来て四郎兵衛謀反を知った。
死に遅れたと憤激して四郎兵衛の屋敷にひとりで出向いて「主人の死出の供ができなかった。誰でもいいから出て来い。恨みの一太刀を当ててから散華してやる」と大見得を切った。
だがバツが悪いのか四郎兵衛は出て来ない。家来の口からこう言わせた。
「そういうお前は忠義者だから助命する」と言うのである。
高橋は「今、自分を討たなかったら後年、助十郎殿(難を逃れた新右衛門の嫡男)を奉じて必ず仇を討ってやるぞ。それでもいいのか。後顧の憂いを断ちたかったら今立ち会え」と吠えまくったが四郎兵衛は出て来ない。自分で言いたくないのか会いたくないのか、また家来に言わせた。
「勝手にしろ。この場は助けるから立ち去れ」
この時自ら出て来なかった四郎兵衛がどのような胸中だったのか。あれだけのことをして後味が悪かったのかも知れないが、高橋ひとりを助命することで自分の所業を慰めただけかも知れない。
高橋は泣いた。「四郎兵衛殿は己が不忠不義のクセに他人(高橋自身のこと)の忠義を知るとは不思議なお人ではある」と言い捨て家に戻ってからも大泣きしたが、気を取り直して女房に握り飯をたくさん作らせ、夜になってから隠れている穴澤一門落人たちを探して廻り、生存者を大塩村(現在の北塩原村)へ落ち延びさせた。
伝説ではその夜道をどこからか集まって来たキツネの群が狐火を点して一行を送ったという。
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裏切り者穴澤四郎兵衛はどうなったか。
四郎兵衛は米沢に出向いて政宗の御前に出たらしい。
政宗は米沢に運ばれた穴澤一門の首級を実検して「いずれも無双の勇士」と誉めたのは勝者の余裕だが、口では四郎兵衛を労ったものの、心中では好まなかったようである。
寝返らせて生き残った穴澤姓を忌み嫌ったのかのように四郎兵衛の姓を遠藤に変えさせた。四郎兵衛に当座の恩賞は与えたが重く用いるつもりは無かったようである。伊達家中には遠藤姓が多いが(神山繁さんが演じた遠藤基信とか)伊達家中になってからの四郎兵衛のその後は不明です。
風呂屋の又五郎の消息もわからない。私の想像だが、檜原にはいられなかったと思う。人知れず放逐されたか打ち殺されたのではないか。
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檜原は伊達政宗のものになった。
だが穴澤一族はしぶとい。大塩(現在の北塩原村)に潜伏した残党たちが執念で檜原奪還に挑むのである。(続く)
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会津北の防人 穴澤一族その後 [会津]

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会津北の防人と呼ばれる穴澤一族が、雪深い裏磐梯檜原で伊達軍の侵略を3回、単独で撃退したネタをUpしたことがある。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-22
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-23
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-24
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-24-1
独眼竜政宗ではなくその父輝宗の時代である。
アクション活劇のようなこの記事は「檜原軍物語」という江戸時代に出された軍記物を現代ものに翻訳したものがベースになっています。
後世のものなので幾分か講談調になっている感は否めないが。
①文章が昔語り風なこと。
②蘆名や伊達の家中以外の登場人物名が他の史料にあまりないこと。
③本文中に学者さんの検証が皆無で逆に信用できること。
一定の価値はあるようです。会津若松駅前の書店にありますよ。
史料1.jpg史料2.jpg
私の記事は3度撃退したところでそれきり終わってる。その後も檜原の金や、その先にある豊穣な会津盆地を欲する伊達氏は政宗の時代になって、策謀を巡らして穴澤一族を殲滅することになるのだが。。。
その謀略が陰惨極まりない。。。
作日の相州丸山城の太田道灌の如く、穴澤一族の主だった者は殆どは風呂屋で謀殺され、檜原は伊達の手に落ちるのです。最後をUpするのに私自身の気が萎えてしまったのもあって放置状態でした。
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その穴澤一族がいた檜原です。
現代私たちが見る光景は明治21年(1888年)7月の磐梯山噴火により崩落でできた堰止湖と(桧原湖)と移転した湖畔の集落であって、往時の村々は湖面から15mほど沈んでいます。
今年は2回この地を訪れた。3月は雪深く峠を走破するには至らなかったので先日再訪した。
荒涼とした晩秋の風景です。
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これが今年3月の光景です。
凍結3.jpg
凍結2.jpg凍結1.jpg
3月後半でもこんな風景です。湖が無かった頃は大峡谷のようだった筈。
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ドーム型の屋形船やテントが凍った湖面に固定されています。
この時、磐梯山ゴールドラインは雪で閉ざされて通行できず、一般道の459号線を走ったが、道の脇は2mから3mの積雪でしたね。この写真を若松市内「麦とろ」で話したら、
「桧原湖では年に1人か2人か死んだってニュースが出るんだよな」
「それは氷が割れて落ちちゃったとかで?」
「いや、氷は割れたんではなぐで(テントの)中で一酸化炭素中毒になるんだよ。釣ってもいいけど中で寝泊まりしちゃいけないの」
プレハブ?.jpg
船?.jpg
穴澤一族はもともと雪深い檜原の住民ではない。
過去記事にある通り2説あって、ひとつは仙道郡田村庄から来た説、もう一つは越後魚沼穴澤村説。
最初は山賊退治で檜原にやって来た。当時黒川といった会津若松の蘆名本家に頼まれて赴任したのです。檜原に永住する気は無く帰りたかったらしいがその後、山の生活に慣れてしまった。
檜原国境の警備に据え置かれて数年、米沢の伊達氏が仮想敵国になる。伊達軍が攻めて来た時は隘路に誘い込み、山の斜面や崖を平野を行くが如く走りまわり、強弓を携えて楯ごと射抜いたり、大岩や大木を落とし、雪原での戦いでは橇を履くなどして伊達の大軍を翻弄した。
山岳戦に滅法強いということで檜原に派遣されたまま据え置かれた。ズルズル引き伸ばしされいつの間にか棲みついてしまったのもある。檜原が彼らの故郷になった。
穴澤一族が最初に桧原に来て山賊退治をした場所です。先日行って来ました。
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この古戦場に行く峠道は穴澤一族の五輪塔がある集落内の道を西へ向かい蘭峠(アララギ)を越える道で旧米沢街道に沿っているようです。
蘭峠は2008年にナワさんが峠越えをしています。舗装されているし普通乗用車で行けますが、檜原側から峠を越えて西側の会津大塩へ至る辺りは道が狭いです。
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檜原へ戻ります。
集落にあった五輪塔は前は5つあったが今年は3つになっていた。
そこに立つと「俺らの最後を書いてくれよ」という声が聞こえたなんちゃって。
わかったよ。書きますよ。
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伊達軍を単独で撃退した3度目の合戦後から先をUpします。もしおヒマでしたら過去の4記事を再読してみてください。

3度目の戦闘が終わって穴澤一族と会津黒川(会津若松)の蘆名本家との間に隙間風が吹くようになっている。その理由は前述の過去記事で伊達軍を3度に渡って撃退したのに蘆名宗家から恩賞が出なかったことが挙げられる。
その頃の蘆名当主は盛隆という人だが、この人は蘆名直系ではなく須賀川の二階堂家からの養子で生粋の会津人ではなかった。
養子の殿さまと譜代家臣は大抵不和と決まっている。盛隆も軽んじられてるようでオモシロくないだろうが、檜原の山奥にいる穴澤一族の存在を軽く見ていたフシがある。
穴澤一族のホンネは「ウチらのご先祖様は蘆名家に請われてこの地に来たのに」と言いたいが、養子の蘆名盛隆はそんな過去の事情は知らず、辺境にいるいち家臣としてしか見ていない。
隙間風が吹いた理由がもうひとつある。3度目の大敗で懲りたのか、しばらく伊達軍の南下もなく平穏だったところへ大荒井騒動という事件がおきる。同じ蘆名家中で大荒井村の領主、小荒井氏と諍いになった。大荒井村だけど小荒井氏です。
大荒井という地は現在は喜多方市内のようです。市の北方、押切川が濁川(ニゴリガワ)に合流する東側に大荒井という地名があるがその辺りでしょうか。
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その地は蘆名宗家が穴澤一族に対して雪深い檜原にいてくれる代わりに贈った最初の恩賞地だった。いわば代替地。檜原は標高が高いので稲作ができないのです。穴澤氏にとって大切な領地だった。
大荒井というからには小荒井という地もあって、そこの地頭でもある小荒井阿波という者が、当主の穴澤新右衛門俊光に親切心のように言うには、
「檜原の地にいながらにして山を下った大荒井の地の年貢を取り立てるのは大変でしょうから、某が代行して徴収しましょう」と持ちかけた。
手数料ぐらいは支払っただろうが、あまり深く考えず穴澤新右衛門俊光は年貢徴収を一任した。
だがこの時から大荒井村の年貢取り立てが厳しくなり、天正10年(1582年)の春に大荒井村の百姓が檜原に駆け込んで訴えた。訴状の内容は「小荒井殿の年貢徴収が厳しく百姓が困窮しているので、以前のように桧原の殿の方で直接お取立てを願いたい」というもの。
穴澤新右衛門俊光は大荒井村での年貢徴収が厳しくなったのは小荒井阿波が私腹を肥やす為に相違ないと思ったが、自分が年貢徴収代行を許した手前、事情聴取、詰問をしようとする。「檜原に出頭されよ」
小荒井阿波は、同じ蘆名家中なので穴澤氏に「出頭せよ」と呼びつけられる筋合いはないと思ったのか出頭に応じなかった。
新右衛門自ら10人の供を連れて山を下り大荒井村に向かうことになる。ご先祖が山賊退治をした蘭峠を越えて旧米沢街道を下っていった。
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供回り10人では少ないと新右衛門の弟たちが心配して、後から与十郎という弟が20人の武装兵で追いかけ大荒井村の村外れに待機した。新右衛門の領内調査が始まるのだが、この僅かな武装兵が小荒井阿波の配下にバレて迎撃態勢を整える。合戦になってしまうのである。
穴澤の檜原衆30人&大荒井村の百姓100人、小荒井阿波一党30人&小荒井村の百姓山伏200人、ざっと130人対230人が平野部で戦闘になった。いつもながら数的には穴澤が圧倒的に不利だが穴澤は辛うじて勝つ。小荒井の館は炎上した。勢い余ってちょっとやり過ぎた感もある。
この騒動後、新右衛門俊光自ら黒川に出頭して仔細経緯を蘆名盛隆に報告した。立腹した盛隆は小荒井阿波の所領を没収して追放するが、喧嘩両成敗で穴澤新右衛門も「濫りに私兵を動かして家中で内戦を起こした」と咎められ、穴澤一族が山賊退治の名目で国境警備に当たった功で賜った大切な米蔵、大荒井村を取り上げられてしまった。私闘と断じられたのである。
私闘には違いないが穴澤一族は蘆名宗家のこの処置に対して含んだ。

だが、蘆名家に含んだところで伊達に滅ぼされた理由にはならない。
キーマンが登場する。
穴澤一族のひとり。新右衛門の従兄弟、穴澤四郎兵衛という人。
この人は冒頭に並べた過去記事でも登場しています。穴澤一族は同じような名前の豪者が個々に多いのだが、この人は穴澤新右衛門俊光の従兄弟だという。
四郎兵衛は大荒井村騒動の時は新右衛門俊光と仲違いしていた。年賀の宴、月見の宴、祝い事や仏事からも遠ざけられていた。四郎兵衛も自分から近づかないで距離を置いていた。
会津若松駅前の書店にある史料によると、仲違いした理由は闘犬による不和という。飼ってた犬同士の喧嘩だろうか。
何故そんなことで不和になったか。闘犬でも闘鶏でもいいが、伊達軍を3度目に迎撃した以降はさして戦闘がなく、国境警備の緊張感も多少は薄れ、檜原領内での娯楽が少なくヒマを持て余してそういう些細なことで喧嘩になったのだろう。おそらく賭け事も絡んでたのではないか。

大荒井の戦闘では新右衛門俊光の実弟で後から20人の兵で追いかけてきた与十郎という者が戦死しているのだが、弟の遺骸と共に鎧の直垂を涙で濡らしながら引き上げる途中で、檜原の百姓兵80人が応援に駆け付けて来るのと出合った。
彼らが言うには本家と仲違いしている穴澤四郎兵衛にも急が伝わり、
「幾ら仲違いして疎遠になっているとはいえ、一族の総領が敵に取り巻かれているのを打ち捨てておけるか」
穴澤四郎兵衛も途中まで応援に馳せ参じて来たというのである。途中の大塩村まで下って来たら味方が辛くも戦勝したことを知り、そこで引き返したことを新右衛門俊光に告げた。
会津若松市駅前の書店に置いてあった小説ではこうある。不和の四郎兵衛も手兵を率いて馳せ参じようとしたのを知った新右衛門は、
「日頃剛情一徹な四郎兵衛の心中に肉親の血を感じて瞼が熱くなった」
ここで四郎兵衛が引き上げずに新右衛門と出逢っていればそこは男同士、多少のシコリは残ってもわだかまりが解け、後年の穴澤一族滅亡は・・・いや、たら?れば?は止めましょう。この穴澤四郎兵衛のもとに伊達から謀略が持ち込まれるのだが、その前に独眼竜政宗は大荒井騒動の顛末で穴澤新右衛門が蘆名本家を恨んでいることを知る。恨んでいる筈と伝わった。
その後、黒川(会津若松)で蘆名当主・盛隆が衆道のもつれで斬殺れるというみっともない事件がおきる。醜聞といっていい。
盛隆の遺児が継ぐが3歳で夭折。常陸の佐竹家から佐竹義広が最後の会津蘆名家総領として継ぐのだが、この蘆名家中のドタバタも伊達政宗の独眼には会津侵攻の好機到来と写ったに違いない。
政宗に最初に桧原奪取の策を言上したのは伊達成実。三浦友和さんが演じたあの人。
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「大荒井騒動の後、穴澤新右衛門は所領の大荒井を没収されたから、その恨みを利用して穴澤に新領を与える口約束をして寝返らせ、手引きをさせる」という単純なもの。もっとも相手が乗ればの話である。
檜原への使者に立候補したのが七宮伯耆という者。商人に変装して檜原村へ向かった。

現在の桧原湖を眺めると湖に突きだした半島、小山が見える。堂場山という。そこに岩山城(巌山城)という城塞があります。堂場遊歩道入口から散歩道があるそうだが今回の探訪では発見できなかった。岩山城の堂場山はどんぐり散策路があって名前からして熊が出そうですね。磐梯山噴火の影響か城塞の起伏は明確ではないらしい。
桧原湖.jpg
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これは穴澤一族が岩山城に移る前の戸山城。ここも熊が出るそうですよ。
戸山城入口.jpg
当時の檜原村は桧原湖の湖底に沈んでいます。下写真は→の先に社があるのですが、この社と半島のように突き出た堂場山の間の湖面下に村があった。穴澤一族は平時は岩山城ではなく湖面下に沈んでいる麓の屋敷に居住しており、それ以外に家臣の屋敷、宿屋、木地師、鍛冶職人、金堀工夫、百姓の家が置かれ、米沢街道を取り込み旅人を監視する。
寒冷高地で稲作ができない代わりに宿賃、木戸銭、そして檜原で産出される金といった利権を得ることができた。
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現在はつづら折りの道路が白布峠を抜けて米沢と結んでいますが、当時の檜原峠は一般道になっていません。ある程度の装備をしないと歩けないようです。

さて、伊達の使い七宮伯耆は首尾よく穴澤新右衛門と面会できた。だが新右衛門を口説く中で最後にちょっとした失言をするんです
出だしはよかった。まずは時節柄の挨拶を兼ねて、
「伊達家とご当家とは不幸にも長年不和を続けて来たが、この度伊達家では輝宗公がご隠居され、嫡男の政宗公が家督を継がれたのを機会に、これまでの行きがかりは一切捨て、ご当家とも是非中良くしたい云々。。。」
ご当家とは穴澤家のこと。新右衛門は内心で「伊達家とご当家とは不幸にも長年不和ったってこっちから攻めた訳ではない。喧嘩を売って来たのはそっちじゃないか」と思った。

次に七宮は穴澤家の現状について憂えるような物言いをする。
「ご当家は幾多のご武功にも関わらずただ今のところはご不遇でおられるご様子、政宗公はそれを深く惜しまれ伊達家と同心して大功をたてられ、ご身上を増やし勇名を広めては如何かと。。。」
既に蘆名本家は衣服の綻びどころかズタボロの布のようなものになり下がっている。そんな凋落著しい家に何を義理立てしているのかと。伊達家と組めば国境警備も不要になるが、いつまでも檜原にいたって所領は増えないですよと。
だが、新右衛門俊光は黙っている。

ここで七宮伯耆は蘆名家を取り巻く諸国へ話題を転じた。
「関東では北条、佐竹が衝突し、佐竹が敗れるようなことになれば戦火は奥羽に飛び火します。蘆名家は盛隆公が急逝され、幼君が当主となられているが、近隣諸国は好機到来とばかりに黒川を攻め取ろうとするでありましょう。政宗公はそれを憂えておられます」という。
ここでも新右衛門は何言も発しない。
新右衛門も政宗の噂は聞いている。その頃の陸奥の合戦は小競り合いが多いのだが、合戦する同士も何がしかの縁戚関係になっていて大抵は第三者が仲介して和睦するケースが多いのだ。
だが、政宗はそういうのが通用しない梟雄、奥羽の新人類のようなもの。信用できないのだ。

七宮は熱弁を奮ったが、最後に上げ足を取られる。
「蘆名家はまさに累卵の危うき(積み上げた卵のようにアブない状態)にあります。どうせ他家に掠め取られるのなら、母君には甥であり幼君には従兄弟でもある自分(政宗のこと)が、いっとき黒川の所領を預かり幼君ご成長の暁にはまたお返しすると。新右衛門殿には是非、伊達家について黒川への先導を勤めていただきたいと申しております。実現の暁には相当の所領を差し上げます」
これには説明がいる。
衆道のもつれで斬殺された蘆名盛隆は須賀川二階堂家の出だが、盛隆の室は政宗の父・伊達輝宗の養女でもあり、輝宗の父・晴宗の実の娘(四女)だという。ということはヤヤコシイが政宗の叔母にあたる。だから親戚筋でもある政宗が納めて後で返すよと。それまで黙って聞いていた新右衛門はこれに噛みついた。
「政宗公が蘆名本家と繋がる甥でもあり従兄弟でもあるというのなら、近隣諸国が黒川に乱入する動きあらば援軍を送るか自ら出馬して危急を救うのが身内の情というものではないか。自分が黒川を預かって後で返すなど信じ難い。我にその先導を引き受けよとはあまりにも武士(モノノフ)を小馬鹿にした物言いではないか」
頑として応じず、米沢に帰れと撥ねつけた。
七宮伯耆はほうほうの体で退散した。交渉は失敗したのである。
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政宗は伯耆の結果を知りガッカリしながらも表面上は笑って許したそうです。むしろ新右衛門の硬骨ぶりを誉めた。相手を誉めることは己の自尊心を慰撫することでもある。政宗はそういう人です。
では次にどうするか。檜原と国境を接する米沢領・綱木の地頭で遠藤という者の口から穴澤四郎兵衛の名前が出る。
「その者は新右衛門と闘犬のことで喧嘩になりそれ以降も仲違いしたままとのこと。上手く説得すればあるいは内応するやも知れない。手引きさせ、夜討ちでも仕掛ければ檜原は破れましょう」
政宗はあまり期待しないでその策を採用した。(続く)
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相州丸山城公園 [隠れ郷土史]

この記事は2013年の梅雨時期に寄稿してお蔵入りになっていたものです。
現在は往時と風景描写が違っているかもですがそこはご容赦願います。
舞台は神奈川県伊勢原市。最寄駅は小田急線伊勢原駅。国定公園や大山参りの玄関口と謳っている。最近、大山のケーブルカーが新しくなったようですね。
伊勢原駅階段途中に観光案内所があって、そこには大山、丹沢、この地で暗殺された太田道灌に纏わるものが紹介されていた。案内所で聞いたのは、
「246沿いにある丸山の公園ってどうやって行けばいい?」
「バスで行かれます?」
「タクシーかなぁ」
歩いて行けないのはわかってる。バスもアヤしい。実際、帰りにその公園近くのバス停に行ったら運行数が少ない。結局はタクシーにした。運転手は女性で細い路地や一通、一時停止を繰りかえりながら246へ抜けた。
後部座席で見た周辺の風景は、駅前北口は再開発や道路整備事業の計画が進まず建物の改新築が出来ない状況が続いているため、周辺のビル建物が老朽化、寂れているように見えた。
東海大病院がそびえ立つ手前に、目指す公園があった。
「あれですよ」
「あれかい。帰りも呼ぶかも」
領収書を貰った。
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本格的な訪城マニアともいえない私はトシのせいもあって、山城、藪城は避け、比高差のある場所も避け、行ってみても往時のものは何もなく案内板か標注が立ってればまだいい方、公園化された楽チンなところに選んでいくようにしている。
この公園は太田道灌が暗殺された現場候補地の一つ。公園内解説版には発掘調査の成果のみ記されてあった。文明18年7月26日(1486年8月25日)、ここ神奈川県伊勢原市にあった?扇谷定正の館に招かれ風呂場で暗殺された記載はなかった。
この地で謀殺されたのはイマイチ裏付けが取れないようでもある。この地、相州糟屋に招かれて入浴後、脱衣所から出たところを曽我兵庫という者に襲われた。
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何故、暗殺されたのか。
自分を妬んだ者に讒言されたという。
ホントに主家に対して反乱を起こそうとした?
主家の扇谷上杉定正が、道灌が自分に取って代わろうとしたのを危惧して殺害した?
定正がもうひとつの管領家、山内家に唆された、もしくは合意の上だった?
いろいろあるが要は妬まれたんだと思う。原文を見たわけではないですが、太田道灌状というものがあるそうです。文明12年(1480年)に山内上杉氏の高瀬という家臣に提出した書状。それには39ヶ条にわたって自分の活躍が記され、山内家が武州、上野、両国を支配できるのは自ら功である」と述べてあり、扇谷、山内両上杉氏の関係が微妙な時に自信満々に自らの功績が書かれていて、この書状が偽書でないならばその内容が両上杉氏から危険視されたのではないか。度が過ぎた自画自賛列挙アピールが身を滅ぼしたともいえる。
自己顕示欲の強い人だったのだろうか。
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道灌暗殺で扇谷、山内両上杉氏の均衡が崩れ、ドロ沼の内戦抗争になる。
その後、道灌とも面識のある伊勢宗瑞~北条早雲が西から台頭する。関東の騒乱は更に後年、秀吉の小田原征伐まで終息しない。
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道灌が伊勢原市内の何処かで暗殺されたのは間違いないが、その候補地は決定的なものがなく、「糟谷館」というキーワードがあって、「下糟谷」にあったこの公園、丸山城が浮かび上がった。発掘と公園化でいろいろ出て来たらしいがそれについては割愛します。
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公演は市から委託された業者さんがいた。ウィーンっていう金属音を鳴らしながらそこらを除草作業中だった。キレイに起伏が見え、撮影時には作業の手を止めてくれた。
刈られた草が足元に飛んでくる。刈られた跡には犬のフンがあったりして危うく踏みそうになった。
公園内をジョギングしてた初老の男性がいて、私を振り返ってギョッとした顔をされたのでこっちが顔を逸らしたら、逸らした視線の先にベタベタした高校生の男女がいた。イチャついてたがあれから2年経ったので卒業と共に別れたに違いない。
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案内板の説明を読まなければとても城跡には見えない公園整備の典型です。場所は酷道246号線沿いにあるからポイントとしてはわかりやすいが、行ってみて初めて「駐車場があるのか」と気付くでしょう。帰りはタクシー呼びましたよ。
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実はこのネタは公園散策が主ではなく、「風呂場で暗殺された」、これがキーワードです。道灌は丸腰どころか一糸纏わず?下帯くらいは付けてただろうか。これ以上ない無防備状態での暗殺という陰惨極まりないケースは道灌以外にもある。
配流先の修善寺で鎌倉幕府二代将軍源頼家が風呂場で暗殺された。
永暦元年(1160年)、平治の乱で敗れ尾張に落ち延びた源義朝が鎌田という家人の舅、長田忠致に裏切られ入浴中に殺された。HNKではその描写はなかった。
町奴の幡随院長兵衛が白柄組の旗本奴、水野十郎左衛門に湯殿で斬殺された。
もう古本屋に出しちゃったけど、相馬氏を描いた近衛龍春氏の著書「慶長・元和大津波」に、相馬の家臣だか誰かが追放されて風呂場で暗殺された箇所があったような。
風呂場で暗殺とは何という陰湿な手段だろうか。そんなのを知ってしまうと、温泉宿で夜に貸切り湯に浸かってると時折「今、刺客に狙われたら」って思ったりする。
前述の逸話以外で風呂場で暗殺されたケースがある。
暗殺どころか、皆で朝風呂に入っていたところを敵兵に取り囲まれ、一族の殆どが皆殺しにされたのが会津檜原の穴澤一族です。
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ここから会津編に飛びます。
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克~速報です。 [BAR]

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ドーミインの向かいでGUST寄りですね。
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久佑~カーヴ [居酒屋~BAR]

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過去2回の料理写真と店側対私とのドラマ、距離感を話したら、ジャン妻が「行きたい連れてって」と言うので。19時に予約して行った。
「あまり期待しないでくれよ」
「凄く期待してるんだけど」
「あまり愛想のない店だからな~」
予約電話の際、受話器の向こう側でちょっと間があった。「2名様でしたら大丈夫です」と言う。名前と電話番号を訊かれた。
2名様なら大丈夫?混むのかな。10席だから19時だとちょうど埋まる頃合いだろうと引戸を開けたら、10席カウンターのうち7席が埋まっていた。60台の初老の男性女性の集まりでいずれも相応の地位、職位を経たような人ばかりであった。別々のグループではなくひとつのグループだった。
私はこの店の席数で、7人ものグループ客でカウンターを占拠するのは反則だぁと思ったが、狭い店によくありがちなグループ客お断りのような姿勢ではないらしいのだ。店のHPには「席数が少ないのでご来店の際はなるべくお電話にてご予約ください」とあったし、要は10名様でスタート時間を守ればOKなのである。
若旦那がママに私たちのことを、「ご予約2名、○○さん」と声かけしたらママが私の顔を見て目を見開き、ひと声、
「ああ・・・」
・・・の後は何も言わず軽く頷かれただけです。・・・ああアナタなのね、と思ったんでしょうけどね。
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狭い店で私らも含めて9割埋まり、この店にしては賑やかだが空気が悪くないのは、この店がALL禁煙だからだね。
どうしても耳に入ってしまうのだが、嘱託、来年の春で契約満了、まだ60台、そんな話題、「来春以降は寂しくなるねぇ」というような話題。
外回り(昔風に言うと郷方目付)ばかりして煙たがられている私は侮られない程度の職位はあるが、社の経営企画中枢部門からは引退している。10年後は彼らのように思うのだろうか。
「引退って寂しいものかもよ」(ジャン妻)
「もう引退してるよ」
「まだまだ」
この店にしては賑やかではあったよ。
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「つくね2個ちょうだい」
「つくねにうずらの卵お付けしてもよろしいですか?」
「うん」
「先につくね2つ」ってママに言った後で、「オムレツは先の方がいいですか?」
「うん」
順番を訊くなんて凄いね。あらかた料理を喰らってビールから日本酒に移ってるのに最後の方になってピザが出て来るどっかの店に見習えと言いたいね。
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「オムレツ、4つくらいに切り分けますか?」(ママ)
「そのままでいいですよ」(ジャン妻)
どうも私らが赤の他人と思ったフシはあるね。オムレツの真ん中に切り分けてあった。
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シメサバです。この店はただ切って出す刺身ではなく、カツオのタタキだったり何かしら手を加えた刺身が1品だけ置くみたいです。
これだけだと少ないと思うでしょう。
2段重ねなんです。下にもシメサバがあった。
「締め加減が丁度いいね。アナタは生の方がいいんだよね?」
シメサバ1.jpg
おでん盛り合わせ.jpg
若旦那が「今日はおでんがあります」
このおでんはお任せで、具の指定はできないようです。中々商売上手ではある。
「梅ふうより薄味だね」
「梅ふくぅ?」
何故ここで高崎を思い出すかな。
「梅ふくより安兵衛のおでんは塩気が強かったな~」
柚子味噌.jpg
大根には柚子味噌がマブしてあった。

惣菜盛り合わせ.jpg
お惣菜盛り合わせ。レバーハツ砂肝の生姜煮、レンコンの煮物、セロリのキンピラ
「盛り合わせます?」
「うん。これって1人で来ても盛り合わせできるの?」
「できますよ。仰ってくれれば」
ただし、時価ですよ。幾らするか知らない。

湯煎で熱燗、群馬の聖です。
「会津中将があるよ」(ジャン妻)
容保公もあったね。群馬のマイナー酒なら私は何でもいいんだよ。
またまた聖熱燗.jpg
L字カウンター向こうに稲荷寿司っぽいのが見えるので気になってたら、グループさんが、
「皆さん、稲荷人数分いきます?」
内心で叫んだ。俺らの稲荷残しておけ~って。遠目に見ても10個もなさそうなのだ。
「いや俺はもう腹いっぱい」
「俺も」
結局は3つ4つ出た後、彼らの隙間を縫って私らも稲荷をオーダー。連中だけに喰わせてなるものかと。これで締めました。
稲荷1.jpg
稲荷の中身.jpg
改めてメニューを見ると締めで意外な料理がある。にゅうめんはまだしも、カレー丼、カレーうどん&そば??
熱燗でいい気分になってるところへカレーねぇ。
ミニお品書き.jpg
久佑5.jpg
勘定は安くないです。2人で1万ウン千円。「美味しいけど高いねぇ」(ジャン妻)
まだ穴子の煮こごり、出汁巻玉子、にゅうめんにTRYしていないからいつか4回めがあるとは思いますが、この店はどちらかとういうと常連さん中心で、一見さんはママとの距離感がちょっと苦手に思うかも知れない。小さい店なので、この店に誰かをお連れするとしてもせいぜい1人を遵守しようと思ってます。
ちょっと摘んで、飲むには良い店の部類ですよ。
「もぅちょと笑えばいいのにさ」
「美人さんなのにね」(ジャン妻)
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この後、河より低いBARへ寄って軽く飲った。
Sさんには前回も、「1軒めは久佑」って言ってある。
「気に入られたんですか?よかった」
「まぁね。愛想はあまりないけどベタベタしないのがいい。軽く入ってサッと摘まんで飲んで、2軒めはBARという流かな~」
「2軒めはウチで?」
「アナタがどっか行ったりしなきゃね」
「大丈夫ですよぉ~」
バラライカ.jpg
オールドパー.jpg
石川町駅.jpg
これまで石川町で開拓しなかったのは、石川町駅は関内駅のたったひと駅先だけど、関内ともども高架駅なので、シラフならともかくも酔ってると高架から地下に潜ってブルーラインに乗り換えるのがめんどいのだ。ブルーラインはそこからひと駅ひと駅律儀に停車するし、ずっと立ってると更に酔うんだよな。上大岡と違って遠く感じた。
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久佑 [居酒屋]

さて、2回めです。この日は関内辺りで電話してから行ったの。もうアタマの中はオムレツのリベンジで凝り固まってた。
久佑3.jpg
琥珀の時間とおとおし2.jpg
味付いてます.jpg
おとおしの後で若旦那が、「コンビーフは如何ですか?」
初回と同じ問いである。
「ではオムレツで」
「オムレツいきます?」
「うん。いきます・・・」・・・の後は、さては前回、オムレツを拒否ったのを覚えてないんだな。まぁ45日ぐらい間が空いたからね。相変わらず表情が固い(眠そうにも見える)ママが火を入れてフライパンに油を入れた。
カウンターから調理が丸見えです。コンビーフを刻んで、マッシュポテトをよそって、卵を2個か3個割って、卵を引きのばして、具のポテトとコンビーフを入れて、卵を閉じて、最後にフライパンを裏返しにしてお皿に盛って完成。
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オムレツ2.jpg
ホホウ。いいですねぇ。
マッシュポテトも入ってるから甘い。そこをコンビーフの塩っ気で締めています。
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お惣菜の肉ジャガ.jpg
次に肉ジャガを指す。「これちょーだい」
肉ジャガ.jpg
肉ジャガと聖.jpg
「グラタン」
「マッシュポテトが入ってるけどよろしいですか?」
「うん」
よろしいですか?ってわざわざ訊いてきたのは、オムレツにもポテト、次に肉ジャガ、そしてオイルサーディンのグラタンには「マッシュポテト添え」とあるので、ジャガイモが3つ続いたからです。
酒屋と繋がってるからおそらくオイルサーディンは酒屋にある缶詰を持って来るのかなと意地悪い想像をしたらやっぱりそうだった。若旦那は酒屋側に消え、現れたと思ったら厨房で缶詰をキリキリキリキリ開封している。
オイルサーディンのグラタン1.jpg
オイルサーディンのグラタン2.jpg
想像したグラタンとは全く違っていたね。マッシュポテトがあって、パンコをまぶした中から小さいイワシが入っていた。
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ひとつの皿に別々のものが入ってる違和感があるけどマッシュポテトはやわらかくて甘く、パン粉と併せて味わうイワシも他ではない異質な美味しさです。酒屋さん側の立飲みのツマミと、ママの手作りポテトのコラボ。
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お燗中.jpg
またしても群馬の聖をオーダーしました。最初は冷やで、次にお燗してもらった。
太田和彦さんの著書で見たが、店側から酒の種類によって、「この酒は熱燗はできません」、「この酒はもったいないから燗はしません」みたいに言われるとムキになって「何でさ?」問い詰めたそうである。
私は純米大吟醸よりも本醸造や純米酒の燗酒を好む。群馬泉、花泉、笹一とか。出回っている大衆酒でもないが高くはないですよ。太田氏が言うところは、「ウチは燗するような酒は置いていないと見当違いに威張ってる」ってやや憤慨して書いてあったね。
この店のいいところは燗の労を惜しまないこと。「ウチは何でも熱燗にしますよ」って言うし、「どれくらいの熱さにします?」とも訊いてくれる。薬缶で湯煎します。徳利には小さい温度計を入れて様子を見ている。店側の勘で燗するものいいけど、温度計でも安心ですよね。
それと若旦那は日本酒を徳利やグラスに移す前に、一升瓶に蓋を突っ込んでシュポシュポしてエア抜きをしているんですよ。
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お惣菜は美味しいし、他にない異質でいいものも出す店だが、一見客と店側との距離感が微妙なのが気になる。
私はこの緊張状態(・・・とはいってもこっちがボーッとして構われたくない分には居心地がいいのだよ。この店は構われたくない人向け、心中屈託を抱えた人向けではないかなぁ・・・)・・・緊張感と距離感をを壊してやろうとママが買いものに出た後で息子さんに訊いたのよ。「ねぇねぇ。この前もそうだったけどさぁ。ママっていつもあんなに固い表情なの?」
「えっ、そうですか?」
「前にお惣菜をあらかた喰った後でオムレツって言ったら大きさを楯に難色を示されて作ってくれなかったんだよな」って言っちゃったのね。
若旦那は苦笑いしなはら私に、「ああ、それはすみません」みたいに言った。その後で、「地元にお住まいですか?」
「地元・・・横浜市民だけど〇〇区です」
「この辺りはお仕事でよく来られるんですか?」
「公用で石川町駅から元町バス停で乗り換えたりするけど。家に帰るには関内まで出て乗り換えなきゃならないから、これまではこの辺りで飲もうっていうのは意識しなかった」
元町は私に合う界隈じゃないからね。このお店だって元町って意識しないで入ったんだもん。
ママが買いものから戻って来た。手に何か袋をヴラ下げているぞ。厨房に戻ったママに若旦那は、「こちらのお客さんがこれこれこうだって」私が訴えたことをママにそのまんまリークしちゃったのである。
「ええっ?」
ママはそれまでの固い表情が嘘のように目を見開いてやや動揺してた。
私は固まった。あっ告げ口したなぁって。
「そうだったのぉ。あらぁごめんなさぁい。そうだったかしら?」
私はカウンター上のお惣菜を指しながら、「これらを幾つか喰って、オムレツって言ったら量が多いわよって作ってくれなかったの」
「そうだったかしらぁ」
ここでようやく店側と解凍した、というか打ち解けたんですよ。何だママ笑うんじゃん。笑うと目が細くなるんだね。
「お腹いっぱいになっちゃうんじゃないかと思って無理にススメなかったのよ。今日はお腹大丈夫ですか?」
「大丈夫。でも確かにズシッと来ましたよ。オムレツにもポテト、オイルサーディンにもポテト、肉ジャガもジャガイモだし、イモイモイモになっちゃって」
お互い哄笑になりました。
「1人だとそんなに食べられないから2人かな」
「2人でも3人でも・・・」(ママ)
2人でも3人でも?この店は1人かいいとこ2人でしょうよ。
店前の路地.jpg
CPはですね。やはりそこは元町というか。場所が場所なので一等地だからねぇ。
そして3回め、ジャン妻が「連れていけ」と言うので、私の歯茎の抜糸祝いに連れていったら、店内盛況殆ど満席で。。。(続く)
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久佑 [居酒屋]

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JR石川町駅の大船方面の改札を出て元町方面へ歩くと昨日Upのアルバムのようになかなかソソる店が散見されます。そのうちの1軒、バス通りに出て道路向かい、元町入口の右に愛知屋という酒屋があって、裏で久佑という居酒屋と繋がっている。
愛知屋酒店.jpg
久佑は市営バス元町バス停寄りの一通路地に入口がある。まず初回の訪問、17時半開店でちょうど若旦那が店の暖簾を掲げるとこだった。
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「早いが大丈夫?」
「どうぞ~」
若旦那はなかなかの面構えである。小さい店だった。L字型のカウンター10席のみで、新橋烏森界隈か、地方都市のスタンド居酒屋といった趣である。
カウンター上には大皿料理が並んでいた。こういう店は料理が手早いので、サッと飲み食いしてサッと出るタイプの店だと判断。
奥からママが現れた。奥とは裏で繋がってる酒屋、愛知屋さんからです。ママは表情が固く、「もうお客が来たの?」と言った表情である。ニコリともしない。表情が固いか、眠たそうにも見える。
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生ビールはアサヒの「琥珀の時間」、これは少量生産で樽でしか売ってないらしい。ススメられたので飲んでみたらこれは美味しいですよ。苦みの少ないビールです。
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おとおしは・・・何ていうのかこの海藻?モズクでもない。「えぇ~っ酢の物かよ」って敬遠したが、甘しょっぱい醬油(蕎麦汁のようなもの)に生姜を載せたものだった。
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若旦那が、「手作りコンビーフ如何ですか?」
店の外にボードがあって、そこにこの店のウリ、コンビーフのいわれが書いてあった。「150年前の横浜開港当時のレシピを元に再現した元町の味、手作りコンビーフ、缶詰のものとはまるで違う目から鱗のホンモノの味」とあるのよ。
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150年前の元町の味?
横浜開港とほぼ同時に現れた街で、山手などに外国人居留者が増えたことで喫茶店や外国人向けの洋服屋、パン屋、用品家具店が出現して形作られたのが元町でしょう。
2015年-150年=1865年だから慶応元年、幕末の動乱の頃です。その頃の手づくりコンビーフとやらがこれだそうで。
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市販のコンビーフを想像すると裏切られます。牛肉の塩漬けなんですね。ハムといっていい。もしかしたら鎌倉ハムに近いものかも知れない。

レンコン入り合鴨つくね椎茸載せ
「うずらの卵、大丈夫ですか?」
「うん」
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サンマの山椒煮だったかな。
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マッシュポテト。美味いよ~。
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日本酒は七種類くらいあった中から群馬の聖という酒を最初は常温で、次にお燗して貰った。薬缶で湯を沸かして徳利を入れて、温度計を入れるんです。
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店内はBGMはなく、NHKの報道番組か大相撲、野球中継だったり。ママは時折そのTVをじーっと観てる。
店の奥はやはり酒屋と繋がってるらしく、嫁さん、若旦那の兄貴か弟さんか、大旦那もヌッと顔を出されましたね。WCを借りに来たようです。店のWCが家族で経営する酒屋と店との共同使用のようですが、私はWCが遠いので今日までまだWCを使っていません。
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なるほど美味しいお惣菜ですね。そのまま出されるか軽くチンするかなので早いです。これらお惣菜はお品書きに無くて、カウンターの入口側の壁に空かげられたメニュー黒板を見たら、
「オムレツQ手作りコンビーフマッシュポテト入り」
「オイルサーディンのグラタンマッシュポッテト入り」
もっと早く気付けばよかった。でもまだイケそうなので、「オムレツの大きさってどれくらい?」と訊いたらママがムッツリした表情(茫洋とした表情?)で両の手で大きさを形づくり、「これぐらいよ、結構大きいわよ」と言う。止めといた方がいいわよみたいにあまりススメたがらないのだ。
早い時間帯だから客は私ひとりだったのが、後からお年寄りの男性2人が来られて、「やっと入れた~」と呟いてたからこれから混むのかも知れない。混雑は3回めの訪問で目撃、立証されました。
お年寄り男性2人も初めてだったらしいが、ママは私にだけでなく彼らに対しても何だか応対が固いのだ。ススメたコンビーフについて、そのお2人の1人がママに、
「これって自家製?」
「ウチのコンビーフは自家製じゃないけど手作りよ」
自家製じゃないけど手作り?缶詰のコンビーフしか知らないし、もうちょっと説明が欲しいとこですが、言い切る辺り、どうも一見客とお店側との距離が微妙に感じた。
2本めの燗酒が空いたので、次にカーヴ(河より低いBAR)へ行くかと割り切って私はお勘定した。席を立ちながら、「オムレツは次回にするかな」と呟いて自分の荷物を手に取ったら若旦那が、ウチは日月お休みだの、ランチはどうこうってアピールして来て、その時は笑顔だったんですよ。
昔の店なんだね。ベタベタしないんだなって思った。でもオムレツを拒否られたのがちょっと悔しくて1ヶ月半後に再訪したんです。
今度は行く前に電話した。向かう途中も「最初っからオムレツ喰ってやるぞ、オムレツオムレツ」ってブツブツ思いながら、オムレツの次はオイルサーディンのグラタンだって決めて暖簾を潜った。
リベンジである。(続く)
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彷徨い [日常の情景]

私は今年になってからあまり居酒屋を新規開拓しなくなった。
冒険心が失せて守りの境地に入ったのだろうか。
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さて、何処の酒場街だと思われましたか?
最初の写真にあるように元町界隈ですが、メインではありません。JR石川町駅から元町に向かう路地の店たちです。
石川町界隈は5つの顔があると思う。
①山の手
②駅近くの下町
③元町
④中華街入口
⑤松影町から福富町に繋がる界隈
最も明るくて健康的なのは元町だが、私は20年以上足を踏み入れていない。
公用で石川町駅で下りて、元町バス停で市営バスに乗ったり、運河の畔にある中区の分庁舎に行ったりしますがそれは昼間の公用で、石川町駅は関内駅からたったひと駅ですが乗り換え駅ではないのもあって、この界隈で飲むことは殆ど無かったのだが、縁あって石川町駅近くに流れる「河より低いBAR」を知ることになる。
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でもBARは2軒めと決めている。2軒目だから1軒目が近くに欲しい。東京で飲んで、「じゃぁ石川町のBARでも行くか」それも迂遠でしょう。
「河より低いBAR」は料理もなかなか美味いのだが、私はBARは食事するところにあらず、酒を飲む処、という概念で固まっている。チーズや乾きもの、キスチョコぐらいはあってもいいけどそれは料理ではない。
「1軒目を探そう」、そういう目で見ながら石川町駅界隈をジロジロ物色した。中にはカツオのタタキが1600円もする店があって目玉が飛び出しそうになったが。
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石川町は関内駅界隈のような喧噪さがなく、静かで人通りが少ない。
静かだけど、高架を走る根岸線の走行音や、運河の上に屹立している首都高速の走行音が聞こえる。
酒場からすぐ東、山側からは山の手です。
その先は山の手.jpg
元町メインストリートの裏路地です。
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秋になってから珍しく開拓した店です。
おそらく今後も時々行くであろうという気になったのでUpします。
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一見して大衆酒場ですが [居酒屋]

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大船の名居酒屋です。
一見大衆酒場に見えますが安くないです。
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マスターは少しお痩せになった。
前に店を仕切っていたねーさんは家庭に入られたのか半ば引退状態で、その頃にナンバー2だったねーさんが貫録付いて店を仕切っていた。
一度「マスターと父娘なの?」って聞いたら、「ちっがいますよぉ~ヤダ~」なんて言ってたな。私は呼吸の良さを誉めたつもりだったんだが心外だったらしい。(笑)
お惣菜の数々.jpg
おとおしはシシャモです。カジキの時もあります。
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幾らするか今でも謎だけど、欠かせないサーロイン串焼き。
サーロイン.jpg
トテモ商売上手なマスターで、
「酢豚、美味しいよ」
「魚はムツ、美味しいよ」
何でもかんでも美味しいってススメるマスターはいい意味での商売上手。
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ムツ.jpg
「うずら1本ちょーだい」(ジャン妻)
「あいよ」(マスター)
「何故1本?自分のしか頼まないんだっ」
「だってアナタうずら頼まないじゃん」
「そんなこたぁない。マスター2本」
「笑、あいよ」
上大岡の焼鳥屋さんのような半生うずらではなく、しっかし味の浸みたうずらだった。
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「そのベーコンは何?」(ジャン妻)
「トマトを巻いてるの」(マスター)
トマトか。ピチトマトを串焼きにしたのって、ガブッと噛んだら熱々の汁がブシュツと噴き出して火傷するトラウマがある私は若干、躊躇したが。
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ベーコンなんて久々ですよ。家じゃぁまず出ないし。

空芯菜炒め。中華風に餡がかかっていて、ガーリックもたくさん入っている。
空芯菜炒め.jpg
刺身三点盛り。
この店で刺身をオーダーしたのって馬刺以外は初めてかも。
刺身三点盛.jpg
「刺身はねぇ。生タコ、シメサバ、カンパチなんかがおススメかな」(マスター)
ゆでダコではなく生タコが好きなジャン妻が、これまた好物のシメサバと併せてオーダーしたのだが、私の意見を全然取り入れようとしないもんだから、私は横から口を出したんですよ。
「カンパチは?」
「カンパチぃ?」
「さっきのうずらもそうだが、何で今日は私の意見を取り入れないんだ?聞こうともしないじゃねぇか」
「じゃぁカンパチも」
「あいよ。3点盛りね」
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そして出されたカンパチがこんなブツ切りで。殆ど1cmくらいありましたよ。

チーオムです。
前はたどたどしい手つきでフライパンを扱ってた彼も今は手慣れたものです。
チーオム1.jpg
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この日のラストオーダーはおとおしのシシャモ。これで最後に残った和歌山の銘酒黒牛をグビリ。この店では、和歌山県海南市の黒牛ばっかり飲んでる。
「和歌山行きたいねぇ」(ジャン妻)
「和歌山ぁ?」
「年に1回でもいいから定期的に行きたいねぇ」
私も行きたい気はあるよ。でもジャン妻は酔いが覚めると忘れるんですよ。「和歌山?遠いじゃん」とかね。
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行燈.jpg
これは一人で行った時のもの。
鎌倉市に公用があってそこで17時であがった。ジャン妻は飲み会の予定だったんですが。。。
「珍しいねひとりで来るなんて。奥さんは?」
「飲み会だって。私はこっちに公用があって直帰」
まだ早い時間帯だからガラ空きである。
「何でも言ってくださいよ。今日は平日だからずっとこんな感じかなぁ」
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せっかくエンジンがかかってきたとっころにジャン妻からメールが来た。飲み会が中止、延期になったというのである。
もっと早く連絡くれればいいのにさ。
「マスター、家内からメールが来た。飲み会中止になったから帰るって」
「あ~っはっはっはっ」
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カオスな夜 [居酒屋]

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今週11日(水)、ジャン妻と久々に定時(18時)でダブル退勤して、さぁ今宵は久々にジャン妻の手料理が喰えるかな~と思ったのよ。
大いなる期待をして横須賀線を利用したのですが、19時前に武蔵小杉の手前でノロノロ運転になり、多摩川橋梁上で30分以上も停車しやがった。「横浜駅構内で人が線路に立ち入った」というもの。
げんなりした。またかよって思った。
JRは現在の軽量ステンレスボディになってからよく停まる。車輌点検、異音を感知、とかね。長大路線になったのもあって、都心から見て遠方で何かあっても影響する。
でも踏切や線路内に人が立ち入ったくらいなら10分もすれば動き出すだろうと思ったのよ。ところが10分20分30分過ぎても動かないのだ。
立ちん坊の30分は長く感じる。私らの乗った横須賀線は多摩川橋梁上でずーっと停まったまま。せめて川を渡ってすぐの武蔵小杉駅まで行けばいいのにさ。
車内放送では、「現在、安全の確認を行っております。本日はお急ぎのところ電車が遅れまして申し訳ございません」のワンパターンアナウンスは棒読みでフテくさってるように聞こえた。ホントに申し訳ないって気持ちがあるのか?運休遅延が日常茶飯事になってるから麻痺しちゃって何とも思ってないんじゃないのか。本日は、ではなく、本日も、だよね。
安全確認にしては時間がかかり過ぎのような気がするので、さては事件が絡んでるに違いないと思い至った。
「酔っ払いかな?」(ジャン妻)
「痴漢だろ。線路に逃げたんだよ」
「へぇ」
その通りだったのは後で知った。JR東海道線車内で痴漢行為をした50歳くらいの男性が横浜駅ホームから線路に飛び降りて川崎方面へ逃走した。東海道線と並行して走る横須賀線、京浜東北根岸線が揃って停まったというもの。(京急は影響しないのかね。)

線路に人が立ち入ったってのは、認知症の老人もあるけど大抵は痴漢容疑者の逃走だと思うよ。だけどじーっとガマンして動くのを待ってる乗客にはわからない。時折繰り返し流れるアナウンスは、「引き続き安全の確認を行っております・・・」というマニュアル的でな言い方ばかりだったのが、途中から、「危険ですから決して車外に出ないでください」が加わった。
「???」
「危険ですから決して車外に出ないでください」・・・それまで棒読みだったのがちょっとだけ焦ったようなイントネーション、お願い口調が加わったのである。
多摩川橋梁の上だよ。作業員の足場みたいな歩行の鉄板はあるけど、暗いしそんなとこに下り立って川や河原に落ちたら命はない。誰が飛び降りるかよって思ったんだけどさ。私らは15両編成の最後尾車両なので、線路に飛び降りないまでも車掌室をノックして、「何があったんだ。情報を流せよ。武蔵小杉駅まで行けないのか?」ぐらいは言いたかったねえ。多摩川橋梁を渡れば武蔵小杉駅だからそこまで行けないのかって。まぁその駅には1本先を走る電車が停車してるのかも知れないけどね。

乗客の皆さんは辛抱強くガマンしてる。寝てる以外の殆どの乗客はⅰ―Phoneで時間潰してましたね。多摩川の上だから夜景を撮影している人がいたな。シャッター音がしてたモン。
車内は満員でもない。暑くはないが空気がよくない。誰かが窓を開けてましたね。
ジャン妻はⅰ―Padで電子書籍を読んでいる。私もⅰ―Phoneでニュースを検索していたが、今起きている遅延はUpされていなかった。
翌日知ったのですが、横浜駅の痴漢線路逃走事件とは別に、品川~川崎間で停止していた後続の東海道線下り電車で酒に酔った男性の乗客が動かないのにアタマに来たのか手動でドアコックをこじ開けて線路に飛び降り、最後部の車掌室に向かって石を投げつけた。ホントに線路に下りたヤツがいたのである。
投石男は威力業務妨害容疑で逮捕。「電車が止まっていることについて車内放送の説明が納得いかない」と腹を立てたんだと。「開けろこの野郎」と吠えながら線路のバラスト石を投げつけ、車両正面のガラス窓に小さなひびが入った。
痴漢容疑の男が逃走、プラス投石事件で計40分間停車、列車32本、約4万2千人に影響した。私らは42000分の2だったということ。
「危険ですから決して車外に出ないでください」がお願い口調で追加され、声音も変わったのは、東海道線後続車で車輌に石を投げつけられたのを聞いてビビッたんじゃないのか。1人の酔漢の犯行で乗客全部が暴徒化してはいないが、そこまでするかって思ったんでしょうよ。
私は車外に出て石を投げつけたりはしないが、待ってる間、「JRめこの野郎」は思ったよ。でもJR側にすれば、「電車を停めたのは心無い乗客だと思っても言えないし、車内アナウンスで痴漢とか刃物を所持したとか、事件沙汰をアナウンスして乗客を不安にさせる訳にはいかないんだろうね。

30分か40分してようやく動き出した。せっかく定時であがったのに1時間弱ロスしたので、「大船でも飲みに行くかか?」
ジャン妻は首を横に振った。「抜糸前でしょ」
そうだったな。
「でも軽くなら。大船はちょっと」
ちょっと?高いというのもある。明日Upする予定の大船行き付けの居酒屋は見た目は大衆酒場だが、CPは高いのだ。
蒼白いテント.jpg
結局地元の小さい店で済ませました。「軽く〇〇でも行く?」って。
この店、長後街道沿いに詳しい方なら目撃したことあるでしょう。くるまがビュンビュン飛ばす交差点の隅にそこだけ蒼白くボーッと光ってる。ママ1人で営っている小さい店で私らは2~3ヶ月に1回くらいのペースで滅多に行かない。行く時は外で飲み喰いしたいけど疲れていて寝不足だったり、帰宅が遅くなって普段行く店が今から行ったらすぐにラストオーダーに近かったり、繁華街へ飲みに行く気にならない時、途中下車してまで飲みに行きたくない時、給料日前、あまり贅沢したくないけど冷蔵庫の中にろくな食材が無い時とか。
「あら今日は早いのね」
「早く出たんだけど、電車が・・・」
店内ではNHKニュースが流れているが、この2連続停車事件は未だ流れなかった。
おとおし.jpg
つくね焼.jpg
ハマキじゃないですよ.jpg
ひややっこ.jpg
秋刀魚塩焼.jpg
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この店は私らにとって最後の砦なんです。この店の料理写真は2011年から相当溜まっていますが、常連さんにご迷惑がかかるといけないので店名は記載しません悪しからず。
あっ、過去に一度Upしたことがあった。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-03-29-2
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河より低いBAR [BAR]

インプラント手術後、歯茎から来る頬の腫れが痛くてBlogも仕事もがめんどくさモード。
今週月曜なんかそれだけの理由で出社したくなかったモン。
「休めばいいじゃん」(ジャン妻)
顔が腫れてるってのは気が滅入るもんだね。
「アナタが自分で意識するほど周囲はアナタの顔なんか見てない」(ジャン妻)
ああそうかい。自意識過剰ってかい。では先週後半インプラント手術前日の夜19時、このBARとしては早い時間帯に入った時のものを軽くUpします。
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河より低いBAR-1.jpg
河より低いBAR-2.jpg
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店内1.jpg
「早い時間にスマン。明日インプラント手術なので明日っからしばらく断酒なの」
「ああ、オヤジから聞いてます」
だから今宵は飲んでやれって。ここに来る前は石川町元町バス停近くのカウンターだけのスタンド酒場に行って2軒目です。
カウンター端にこんなのがあった。
キタラ賞2位.jpg
「何ですこのキタラ賞ってのは?」
この街にキタラ(来たら?)の略かな。
「ああこれはですね。この街界隈のBARの中での人気投票でウチのカクテルが2位に選ばれたんですよ」
「何店あるウチの2位?」
「8店くらいかな」
1/8ってこと?
Midnight Cocktail Show
https://www.facebook.com/motomachi.kitara.net/videos/vb.179037305568310/573438836128153/?type=2&theater
これをクリックしたら25秒から41秒くらいに登場してる。登場店舗は8店舗。カーヴは2番手だった。
エントリー順ではなくホントのランキングらしい。Sさんは力入れて上位に入選するようなカクテルを出しけど惜しくも2位だった。
8店舗の中には石川町や元町から離れた場所、山下町辺りの店もあるそうです。私は8番目の店舗に行ってみたい気がする。
最初の1杯.jpg
今日のフード.jpg
小腹が空いている。1軒目で3品ほど喰ったんですが。
「野菜の多いのはどれです?」
「上から4番目の、貝と野菜の白ワイン煮ですかね」
「じゃぁそれにする」
貝と野菜白ワイン煮.jpg
白ワイン.jpg
中華の炒め煮みたいなB級の味である。
「美味いよ。シンさん料理上手だね」
前にゲストとしていらしたシェフさんには悪いけど、Sさんの作るB級料理の方が美味しいぞ。
メニュー表、上か全部食べてしまいたいくらいだよ。
店内2.jpg
店内3.jpg
オールドパー.jpg
この夜を皮切りに断酒に突入したんです。抜糸までね。僅か1週間もないけど長く感じる。
別に飲んじゃってもいいんだけどね。
明けに呑んだ時は少ない酒量でヘロヘロになるのではないか。
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サイドメニューアンコールしまくり [居酒屋]

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最近この店のサイドメニューが充実してきた。
右暖簾の奥の狭い厨房の板さんに若い力、アイデアが加わったからです。それプラス、炭火で数量限定で魚を焼いたりもする。昨日Upしたベーコンや赤魚とか。
「若い連中がこういう料理をやってみたいってアイデアを出して来るんですよ。じゃぁやってみたら?って。昔からのを守るのも大事だけど、そういう新しいものをどんどん取り入れていかないと」(マスター)
前は店で揚げ物なんか絶対に無かったけどそういうのも登場するようになった。
(鶏の唐揚げはマスターがNGらしい。3号店にはあります。)
厨房に2人いるときはサイドメニューが充実しているといっていい。

この日はマスターが休みだった。焼き場には息子さん(T君)がいる。もうマスターがいなくても違和感がないくらい。T君は容姿がダルビッシュに似てるので、ウチではD君と呼んでいる。
「ビールと親子丼とアスパラ」
「もしかしてお昼抜きですか?」
「抜いちゃぁいないが中途半端な時間に昼を喰ってしまったのだ」
渋谷の井の頭線ホーム下に朝7時くらいから通常営業している兆楽(※)という店があって、そこで朝兼昼を10時くらいに喰ったので腹が減っている。(※かなり前に載せた店ですが現在取材中です。)
「じゃぁ急ぎます」
「別に急がなくていいよ。普通でいいから」
「今日はお時間は大丈夫なんですか?」
「???」
「前回、夜遅く来られてサササーッと帰られたから」
「ああ、あの時は10時半に来て時間無かったからね」
「いつもお仕事に追われてお忙しそうなイメージなんで」
んなこたぁない。そう見えるのかね。数年前ならともかく今の私は行政廻りだから17時にあがろうと思えばあがれるのよ。
ふゥ~んそうか。仕事に追われてるように見えるならそういうことにしておきましょう。
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親子丼は味が薄かったが腹中に収めて落ち着いた。さぁこれからが今宵晩酌の本番だよ。群馬泉が「私を飲んで」と訴えているよ。
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牡蠣を串で刺して焼いたもの。マスター不在でもこういう素材の焼加減を見極めるくらいになったってことか。
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シシャモ。干物ではなく生です。ふんわりしてるね。隣の爺さん2人客がお会計をして立ち上がる時、私のシシャモを見て「それ、何ですか?」って。
見りゃわかるじゃんか。「シシャモですよ。これですこれ」と言いながらメニューを指してあげた。
「ああ、それ注文すればよかったな。私しゃ肉が苦手なので」
肉が苦手で焼き鳥屋で何を喰うんだと思わないでもないが、肉が苦手でも充分楽しめますよこの店。
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厨房で何やらトントントントン叩く音がする。
この日はBGMの音も小さかったので何か気が散る音だなと訝しんだら私がオーダーしたイワシのなめろうだった。
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ホホゥ、こりゃ美味いね。
きめ細かく叩いてあって焼き鳥屋とは思えない。味噌っ気も塩っ気も薄味で丁度いい加減である。
「何でなめろうって言うんですかね」
店で出しておきながら今の若い子はそういうことも知らないのか。それとも知っててわざと私に話題を振ってるのか。若い女性スタッフにそれとなく教える為の会話か。
漁師料理、なめるように皿をなぞって食べるから、船は揺れるからこうして固めるの、醬油じゃなくて味噌、簡単に講釈をタレるハメになった。
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あまり美味しいのでアンコールしてしまった。2回めのなめろうはトントン叩く音が更に細かく長かったような。
厨房の若い板さん自ら持ってきましたね。
「3杯目のオーダーはないぞ」
「いや、どーぞ3杯目もいっちゃってください。自分たたきますんで」
「他のお客さんのが無くなっちゃうじゃないか」
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「またそういう注文の仕方をするっ」(ジャン妻)
「板場もヨロコんでたからいいんだっ」
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鶏皮と錫チロリ.jpg
鶏皮.jpg
数日後。お品書きを見たら揚げ出汁豆腐にブリ大根なんてのがあった。
「何これ?揚げ出汁豆腐にブリ大根?」
「いきます?」
「うん」
最初に揚げ出汁豆腐。焼鳥屋らしからぬバチバチした揚げ音がする。
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揚げ出汁豆腐はカリッとした部分としっとりした部分と両方の食感が楽しめる。
次のブリ大根はアッサリしたものだった。昨夜の刺身の残りをくどいくらいにギットギトに濃く煮たのが出たりするが、サラッとしている。それていて大根に100%味が浸みている。
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ブリ大根と錫チロリ1.jpg
「フムフム」と頷きながら口に運んでたら厨房から板さんの視線を感じる。喰い終わってすぐにそっちの方向を向いて人差し指を立てた。「もう1皿」というサイン。小さい店だからそれで通じるのよ。サインを送った後で、「今、もう1皿注文入れたから」とH/T入力をお願いした。
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ブリ大根と錫チロリ2.jpg
「またそういう注文の仕方をするっ」(ジャン妻)
「・・・」
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鯛刺身と錫チロリ.jpg
最近は串焼きよりもサイドをオーダーする方が多くなった。それは店側が力を入れてるからでもある。
「最近、サイドに力入れてない?」
「そうですね。先日もなめろう食べていただいて」
「あれは美味かったな。でもあまり誉めると板さん辞めて他へ行っちゃうかもな。板さんが続けばいいけどな。お辞めになって他へ行かれるとサイドメニューの数や内容が寂しくなっちゃうんだよな」
こういう余計なことを言ったり書いたりするとホントに辞めちゃったりして。板さんは誰でもいつかは自分の店を持つのが夢で、そういう夢があってこそ頑張れ辛抱できるそうだから。
(高崎辺りだったら若くして独立した店も多い。まだ独立は早いんじゃないの?他で修行して来たら?と思わせる店もある。)
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最後にこの後姿。
私と入れ替わりにお店から出て行かれた老夫婦。幾つになってもこうありたいもの。
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早呑み罪悪感薄れる頃 [居酒屋]

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晩秋から早冬に向けて日が沈むのが早くなってきた。
17時には薄暗くなる。飲むのに早い時間でも周囲が薄暗いと早呑みの罪悪感さが薄れる。
杯を傾けていくと後ろめたさはいつの間にか消えていく。
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今日は早上がり。18時に予約して引戸を空け、空いてる1席へ着座。
アンちゃんが私の顔を見るなり。
「すみません〇〇さん、今日はアンキモが終わっちゃったんですよ」
アンキモ?
まだ18時過ぎだぜ。もうヤマになったのか?
何故私の顔を見てアンキモに繋がるのか。私がそういうのを好むと思われてるのかい?そんなんオーダーしないよ。脂肪肝のモトじゃぁないか。
今日はアテがあるんだよ。
「炙りベーコン、それと赤魚ってどれくらいの大きさ?こんなに大きいの?」
「いやそんなには。これくらいかな」
両手の親指と人差し指で四角い形を作ってみせた。
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「忙しいですか?」
「いやぜんぜん。そう見える?」
「この間は遅くに来られから」
「ああ、駆け付け2杯同時に呑んだ夜でしょ。あの時は22時半でクローズまで時間が無かったからさぁ」
「凄い勢いで飲まれてましたよね」
「帰りに地下鉄ん中で一気に(酔いが)回って来たんだよな」
「あの勢いからして、〇〇さんっていつも仕事に追われてるって印象なんですけど」
私が仕事に追われてる?
そう見えたかね。40台の頃ならともかく、今はそういう日々は送ってないよ。
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イサキ.jpg
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今日はマスターはお休みです。
私の隣に座られた常連さんが、
「凄いよねぇ。〇〇君(マスターの息子さん)って店に来る客200人くらい覚えてるんでしょ」
「そ、そんなには」
200人?数えたわけではなかろうて。〇〇君は謙遜していたが居酒屋に限らず店に来た客を覚えるのは「顔を覚えろ」そこまで厳しい教育をしているところもあるかも知れないが、そこまでいかなくても接客に携わるものならある程度は記憶しているものなのですよ。
それは店側がマジメな接客、再訪してくれるような接客をしているだけなんだな。仕事なんだからね。
客を覚える、それは何か印象に残る客だったりその客が醸し出す雰囲気だったり。一人で来たり2人で来たり、どんな人を連れて来店されるかも記憶に残ります。
嗜好もそうです。私はこの店でビールに飽いて日本酒をオーダーする時にはお猪口を摘まんでクイッと飲る仕草と、人差し指と中指を立てるだけです。(キザだね)するといつもの銘柄の燗酒が出されます。それは私が我儘なのもあるけど店側も私の嗜好を覚えようと努力してるからなのです。
私はボトルキープをしないので儲かる客だと思われてるのかもね。他にもあるよ。煮込みは赤いの(赤唐辛子)無し、皮はカリカリに焼くとかね。
隣のお客が帰られた後で私は〇〇君に「客の酒癖の良し悪しで思い出すんでしょ」って振ったら他のお客の手前、「いや~」って苦笑いしていたけどおそらくそうなんだと思う。
「最初にすぐに思い出せなくても、あれ?って思って、注文を受けてからだんだんと詳しく思い出すんですよ」
和歌山の千里十里という居酒屋にはお客さんの閻魔帳があった。そこにはお客の嗜好とかがメモされている。「要注意客」とでも書いてあるのかもしれないね。
営業マンは当然だが受付嬢なんかは「顔を覚えるのが仕事」って何かに書いてありましたね。受付嬢から飲み屋の女将に転じるとほぼお客の全員を覚えるそうですよ。
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煮込みにもネギがある。
馬刺にもネギがある。
厚揚げにもネギがある。
なので、こういう単品をオーダーするのは・・・。
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あまり意味がないかもしれないね。
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煮込と群馬泉.jpg
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この日は写真の料理の他に生ビール2杯、群馬泉熱燗を五合飲んでいる。
ところがお会計が安かったのである。
はっせんすうひゃくえん??
これだけ飲み食いしてヤケに安いな。
勘定間違っとりゃせんか?
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その時は酔眼と老眼でよく見ようともしなかったのだが、翌朝、駅ホームでチェックしてみたら群馬泉が二合しかチェックされてなかったのである。入力洩れらしい。
さぁて。次回足りない会計を自己申告すべきか。
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高いわね インプラント止めてよ [居酒屋]

10月の祭日に珍しく休日出勤した夕方、この店の前を通りかかったら店の扉が開いているぞ。
この界隈はオフィス街なので土日祭日休業の飲食店が殆どなのです。今日は定休日じゃないのか。誰かいるのか?
もしかして泥棒?
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まさか。この店に盗まれるものなんてねぇだろ?小馬鹿にしながら覗いたら料理人でスタッフのKさんがひとりで何かやらかしてる。
「あっ」
「おっ」
「何してんのさ?」
「いやぁちょっと仕込みと発注を。こういう日しかできないんですよ。〇〇さんはお仕事?」
「そう仕事。仕事でなきゃ何しに来てるんだ俺は?」
仕事でもないのに閑散としたビジネス街を歩ってたらヘンだろーがよ。
「奥様は?」
「お、おくさま?・・・アイツ(ジャン妻)はまだ居残ってる」
「タイヘンですね」
「空き巣かと思ったよ。盗まれるものなんかないのにさ」
で、平日明けに行ったのですが、今日もタルタルは無し。
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このおとおしは前も出たな。
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ベーコンのポテトサラダ。
美味しいけど皿がデカ過ぎる。この店は若夫婦が研鑚も兼ねてどっか旅行するそうで土産にやたらと重たくてかさばる皿を買って来るんだよ。
カウンターから見るとデカい皿がガシャガシャ積んであるんだよな。あんなデカい皿に何を盛るんだって思うよ。
カウンター幅が広いからいいけどお一人様客にもこんなデカい皿を出すのかな。大人数じゃないんだからこっちは。お皿から焼き魚のアタマと尻尾がはみ出てるとウレシイものだよ。
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やわらか角煮と冬瓜の炊き合わせ。なかなか美味しいです。
ジャン妻に「野菜の炊き合わせってできるか?」聞いたら「炊き合わせは煮物とは違うわよ。具を別々に煮るの」って言う。
できるともできないとも言わない。そうか。さてはできねーんだな。できないならできないって言えよ。
何だか会話がめんどくさくなりそうなので「しなくていいよ」って言っちゃった。
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煮豚の山椒ネギたれがけ。
これも悪くはないけど肉は茹でるより焼いた方が私は好みだね。山椒を付け過ぎるて喉に引っ付いたらタイヘン。ムセた。
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ジャガイモとチーズのさつま揚げ。
この店のさつま揚げはベースになるネリものに何でもかんでも何か異質なものを入れる傾向にある。枝豆とか。レンコンとか。
ジャン妻はジャガイモの歯応えがいいアクセントになって美味しいって誉めてた。でもジャガイモの潰しが足りなくて、噛んだらジャガイモの切れ端がポテッと皿の上に落ちたよ。
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ワンパターンですが大傑作です栃尾揚げのツナマヨ焼き。結構出てるみたいですこれ。
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「この間の祭日、前を通ったんだよ」
「そうそう。お休みなのにお仕事されたんですって?」(ママ)
「Kさんがひとりで何か悪さしてたよ。扉が開いてたから泥棒でも入ってんのかと思ったが、この店に入る泥棒なんかおるんかって言っといたから」
「!!!」
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次にインプラント手術2日前のこと。
この日か午後にこの界隈でボヤ騒ぎがあり通りに消防車が20台くらい停まってた。幸い誤報だったそうである。
店の前を通ったらママが出てきた。「火事は何処?」と言ってはいるが、私の顔を見て外に出て来たのはキャッチ営業だなと。
「誤報らしいですよ。まさかこの店ではないだろなと思ってさ」
「ウチじゃない。心配して来てくれたのね(ウルウル)」
ホラそう来た。やはりキャッチ営業である。
「前にKさんがピザを焼く紙を燃やして店内に煙が充満したことがあったからさ」
昼はピザはやらない。ママは携帯が鳴ったので奥に引っ込んだが、手術前=断酒なので夜に行くハメになってしまった。昼のキャッチ営業成功である。
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昼に会ったばかりなのに「お久しぶりね」なんてイヤミを言いやがった。
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この日はポテサラがパクチーだったのでパス。前菜でメジマグロ。
切っただけのフツーのヤツと、炙って塩を振ったものと。
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ベーコン・蕪・舞茸のオイマヨステーキという。オイスターソースとマヨネーズの略か?
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こしょう鯛と長ネギの酒蒸し、七味ポン酢で。
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こしょう鯛=胡椒鯛と書くが、見た目の模様で小姓装束から来ているそうです。
漁獲高はそれほど多くはない代わりに知名度も無いので仕入れ価格が安いらしい。
グルメな魚で甲殻類をエサにするんだって。鯛は鯛なんだが地味な鯛でイサキの仲間。まれに上大岡の焼鳥屋にもあったりする。
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写真は長崎県水産庁HPから拝借しました。
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次に「揚げ出汁豆腐と色彩野菜のあられ載せいくらをかけて」という長ったらしい名前の料理。もうちょっとシンプルな名称にならないのかね。
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三陸産牡蠣の海苔巻天ぷら。牡蠣の海苔巻天ぷら(三陸さん)でいいじゃんねぇ。
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「明後日インプラント手術なんだよ。そっから断酒でしばらく来れない。高いしさ」
「インプラントって幾らするの?」(ママ)
商売人はすぐそういう値段を気にするんだから。私は左手を開いて右手の人差し指を添えた。
「!!!」
「それだけあればこの店に何回来れるかなぁ。60回近く来れるだろうなぁ」
「ちょっと!!だったらインプラントするの止めてよ」
オイオイッ!!60万をこの店に落とせってか。
「もう支払っちゃたよ。前金で2ヶ月待ちだぜ」
「何でそんなにするの?そんなにかかるの?」
「だってインプラントも義歯も既製品なんて無いんじゃないの?人それぞれ歯なんて違うしさ」
それ以外に麻酔医の予約と派遣料が高いのだがそれは話さなかった。ここから歯医者談義になったのだが、私は30数年ぶりの歯医者通いだが会社員と違って飲食店だとなかなか時間的に厳しく歯医者に行けないらしい。でもママもマスターもスタッフも皆、歯に爆弾を抱えているらしく「ホントは行った方がいいんだけど」「行かなきゃいけないけど時間が・・・」なんだそうで。自分たちは料理=口の中に入れるものを安くはない値段で客に出してるクセに歯医者の値段になると口を揃えて「高い!!」と言うのである。
高い=医療業界の悪口になってもマズイので、私は背後のテーブル席を見渡しながら「まさか(客に)歯科医関係者いねぇだろうな」
いても不思議じゃない。この界隈、歯科医院が多いのです。オフィス街でも郊外でもコンビニより歯科医院が多いのはやはり過剰なのかも知れない。患者の奪い合いになりかねないし、見栄えのいい受付嬢や衛生士さんを抱えるのも営業戦略の一環らしいね。
「今は若いから大丈夫だけどトシとってから歯周病になるぞ」と私は歯医者行かなかった30数年を棚にあげて皆に意見した。
「歯医者なんて歯が抜けたり欠けたり虫歯で痛まない限り行かないからね」
「でも高いワ。やはり行くの止めてよ」
そういう訳にはいかないよ。

後になって出されたピザ。もうビールから日本酒に移行してるんですよ。小さいながらもまたビールをオーダーしなきゃならないじゃないか。
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照り焼きチキンとスイートコーンのマヨピザというこれまた長ったらしいネーミングである。
「ハーフサイズにしなかったのっ??」(ジャン妻)
「スマン、そう言うの忘れた」
店側も「ハーフにします?」って言えばいいのにさ。ピザの上のタレは照り焼きのタレです。
「そういえば・・・」
「???」
「この店にするの?」(ジャン妻)
「向こうの転居先は都内らしいからここだな。ジャンさんなんて呼ばないで本名で呼んでくれって言っといたから。そしたら今から訓練するって」
「笑、それと黒板のお品書きを見ていつもキレイな文字ですね~なんて言っちゃダメよ。誉めてもいいけど今日初めて見たかのように言わないとね」(ジャン妻)
「そ、そーだな。伝えとく」
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宗旨変え(タルタル禁止)その後 [居酒屋]

政治家なら齢50歳を過ぎてもまだ若手と呼ばれるが、会社員としてはそろそろ峠を越えつつある。
身体も言うことを効かなくなってくる。それまでと同じ食生活習慣では故障も出て来ようというもの。
私もかかりつけの女医さんから食生活の改善をススメられた。プラス「痩せなさい!!」と。
日々の家食はジャン妻に任せるとして居酒屋料理で健康に気を遣うのって難しい。私はこれまで居酒屋では料理バランス、栄養バランスなんかに気を遣わなかった。居酒屋でそんなのに気を配るなんて「てやんでぃ」ってなもんだったのである。特に「居酒屋でサラダなんかオーダーすんなよ」主義だった。(ポテサラ、マカロニサラ、スパサラは除く)
問診時に女医さんが言うには、
「揚げ物とか炒めものとか避けたら?」
私の嗜好を熟知しているかのように言われた。
でもサラリーマンのランチから揚げ物、炒め物を完全に排除してしまうとかなり選択肢が狭まるのですよ。炒め物を止めろと言われても無理である。私は野菜炒め系のランチが大好きなのである。居酒屋のランチでも焼き魚、煮魚なんかの定食だと意外と野菜が入ってなかったりするんだよな。
基本、洋食は喰わないし、油を使わない炒め物なんてないしなぁ。
そうか、数値が上がったのはこの店のせいだっ!!
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http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-09-23-1の続きです。舞台も同じ店です。この店がオモシロがって何でもかんでもタルタルソースばっかり出すから数値がオカシくなったのだっ。
それを欲したのはアナタでしょって。ではタルタルソースだけでも避ければいいのかな。この店ではこれまで何でもかんでもタルタルソースばかりだったがママには事情を話してある。いつもタルタルソースをベチャ盛りにしてジャン妻の眦を吊り上げる主犯格のスタッフに釘を刺した。
「ママに聞いただろ?」
「???」
「宗旨替えしたんだよ俺」
「シューシ?何です?」
コイツは無神論者だな。
「タルタルは無しにしたのっ」
「ああ、そ、そうでしたね。ホ、ホントにいいんスか?」
決心が鈍るようなことを言わないでくれ。
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おとおしはタコとナスの醬油サッと和え
まさか俺の嫌いな酢の物じゃねぇだろなって疑った。タルタルソースを自分の意志で遮ったら、この店、俺の嫌いなもので逆路線調で攻め立てて来たか?
「まさかポン酢かい?」
「奥様のはポン酢です。旦那さんのは醬油をちょっとだけタラして下さい」
でもここから盛り返す。ベーコンとゴルゴンゾーラのポテサラ。ベーコンの塩味のアクセント、ゴルゴンゾーラのほのな香、ビールがススムよこれ。
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栃尾揚げツナマヨ焼き。タルタルがNGならマヨで。
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最近の大ヒット料理だが、聞いたらこれはかなり以前の創作料理を復活させたんだそうです。栃尾揚げがトースト代わりになっているスグレモノ。
家でもできそうですが、厚みと歯応えのある栃尾揚げならでは。薄い揚げでは締らないと思う。

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活〆真鯛刺身。マトモな肴ですよ。
「薄づくりと炙りとどちらにしますか?」
「う~ん・・・」
私はそういう「どちらにしますか?」に弱いところがあって。脂がノッてるので両方少しずついただきました。
「ポン酢もちょーだい」(ジャン妻)
「私は醬油」
「タルタルは?」(マスター)
私は胸の前で両腕で×を作った。

長芋とオクラのふわふわ焼き
「オクラは身体にいいのよ」(ジャン妻)
始まったよ。身体にいいものってのは大抵美味しくないんだよ。別にオクラは嫌いじゃないけどさ。
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新秋刀魚肝醬油焼き。
これも美味いゼ。願わくば1匹丸ごと使って出してくれないかな。
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真鱈白子と丸茄子の揚げ出汁。避けねばならない揚げ物だが、出汁さえ飲まなければ油の摂取も少ないハズ。
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海老芋唐揚げ柚子味噌。
これはハズした。海老芋というからにはエビシンジョウのようなものを期待したのだが、エビイモという名前の里芋だったのである。
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里芋は触感からしてカラッと揚がり難いのか、油で湿ったベチャッとした食感でテンション下がっちゃった。

そして別の日。
おとおしはブリ大根。薄味です。おとおしでブリ大根や煮魚の残骸を出されると、たいてい昨夜煮た残りか、刺身の切れ端の残骸をやっつけるように煮たのを出す店があるよね。薄味です。これはこれだけの為に作ったな。
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シャドウクイーンのポテサラ。シャドウクイーン(紫色のジャガイモ)は見た目はグロいけど栄養価が高いらしい。
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ひとくちビーフコロッケゴルゴンゾーラの香、これは美味しい。
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これきり喰ってないが美味かったねこれ。定番にしてくれないかな。誰か大事なお客を連れて行く時は事前にお願いしとこうかな。そうだそうしよう。もうすぐ都内に転居して来るお友達をこの店にお誘いするつもりだがこれと栃尾マヨは事前にお願いしておこうと思うのだ。
なのでまたしても栃尾揚げツナマヨ焼き。こうして見るとピザみたいですね。
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ふろふき大根と真鱈のステーキ、バター醬油
美味しいんだけど薄味だな~。上州高崎、くいものや亮の大根ステーキの方が味濃いな。
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海老とレンコンのふわふわさつま揚げ
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最近、家でもさつま揚げが出るんですよ。たったそれだけでもジャン妻は、「1品作った」ってフンゾり返るように威張りクサるんです。「買って来たさつま揚げを焼くだけじゃないか」って思うんですけどね。オーブンではなくテフロンのフライパンで焼くから、それだけでも己が料理した言い張るんですワ。
私はふわふわしたさつま揚げよりも、やや固いのが好きなんだけどね。

あまりイロんな創作料理ばかりでも何なので、シマアジ造り。
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と、熱燗。熱燗は湯を沸かしてお燗します。
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この日はカウンター奥と、カウンター手前、2席ずつ空いてたの。私は「奥にする」って。それには理由があるのだ。
ママに、「カウンター奥でいいの?手前、入口側も空いてるけど」
何で入口側をススメたのかわからないけど。
「いや、奥でいいよ。店の入口側の席は空けといた方がいい。その方が後から客が入り易いからね」
「ああ、そうか。そうね。その方が入ろうって気になるわよね。そ、そこまでウチのお店を愛してくれてるのね(ウルウル)」
「・・・」
最後のママの台詞は・・・まぁ・・・そう思ってくれていいよ。私は自分が後から入ろうとする客の立場いでそう思うから言っただけなんだけどね。
そうは言いながら、私はブリ大根薄味のおとおしアンコールしている。
「またそういうことを。他のお客さんのがなくなるでしょ」
「どーせもう来やしねぇよ」
ところが来たのである。やはり入口側を空けといて正解だったでしょ。入り易いと思ったのさ。
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どんなもんだい。タルタルソース抜きですよ。凄いでしょ。えっ?凄かないって?
最後にもう一度繰り返します。居酒屋で健康に気を遣うのって難しい。
そうか、自分の好きなものをとらなきゃいいんだ。
でもそんなことして何になるんだ?
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飲めない休日 [グルメ]

うぅ~頬が痛い。薬を飲まなきゃ。
歯茎そのものはそれほど痛まないが頬が腫れて痛いんです。そこだけぷっくり腫れあがってる。
「瘤とり爺さんみたい」
「何だと」
「キャハハハ」
「おのれ人の苦しみを・・・」
もちろん断酒です。腫れてるからね。飲みにも行けない。
昨夜は18時前に晩飯ですよ。ビールも無し。刺身にワサビも浸けない。香辛料や刺激の強いもの(キムチ、カレー)とかもNGなんです。
いつもは最初に、「お疲れ様」ってビールで乾杯するのですがビールも断っているから、「いただきます・・・」
「いただきます」なんて言うの初めてじゃないか。
一緒になる時の条件だったからね。酒の飲めるオトコ、タバコは吸わない、ギャンブルもしない、女遊びは・・・。
「俺に気兼ねせず飲んでいいよビールくらい」
「アナタが飲まないなら要らない」
そういえば既にビール大瓶ケースの在庫が無くなりつつある。
「明日、買いに行く?」
「行かない。抜糸まで飲めないんでしょ。それに明日雨だし」
抜糸まで飲むなとは書いてなかった。あくまで個人の裁量、責任の範疇である。で、飲まずに夕食が終わるのだが、ツマンナイもんだね。
「お酒飲まないと食事が早く終わるわね」
「・・・」
「することないわね」
「・・・」
「2階に行く?アタシやることあるし」
やることとは持ち帰った仕事のことですよ。
「コーヒーでも飲む?」
夕食後にコーヒーなんて初めてじゃないか。
「酒を飲まないと生活リズムが狂うね」
私のせいだと言わんばかりである。
21時過ぎてから録画しおいた洋画「ドラキュラZERO」というのを観た。いつもはブランデーを舐めながら鑑賞するのだが。
「ブランデー飲んでいいよ」
「じゃぁアタシだけ飲む」
飲むというか舐める程度ね。そしたらホットブランデーを持ってきやがった。部屋の中じゅうに漂った。
「匂うなぁ。自分が飲んでないとこんなに匂うもんなのか」
「アタシも。相手が飲まないと結構鼻に利くねぇ」
「・・・」
洋画の中の酒宴の風景ですら観てて疎ましい。

翌日は雨だった。
作日よりは頬の腫れはやや引いたが、それでも「このツラじゃ外出したくない」気分である。
抗生物質バナンの副作用か腹がユルい。

飲みにも行けないからこういう本を捲ったりする。
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「見る?」
「そういうのを見ると飲みに行きたくなるからいい。快気祝いに行く店探しといて」
快気祝いったってまだ途中である。インプラントとはネジかボルトなので、歯医者のねーちゃんが言う2ヶ月後くらいに骨に馴染んだらまた切り裂いてその時に義歯を被せるらしいのだ。まだまだ通わねばならない。ジャンう妻の言う快気祝いとは抜糸してからまた私が飲める状態になった時のこと。要は自分も早く飲みたいのである。
抜糸して飲みに行く店はもう決めてある。それはいずれUpしますが、「飲みに行けないのにそういう本を見ても・・・」・・・確かにその通りではある。
こんなガイド本を手に取ってもいろいろ行くわけじゃないが、行った気分に浸ることはできる。
パラパラ捲ってたら、昼酒場100選の後半の頁、97番目にこんな店があった。
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行ったことあるぞ。世田谷区役所近くの通りにあった。
確か2013年に行った。その時の写真がお蔵入りになってる。フォルダを探したら、おっ、あったあった。天ざるを食べたんだっけ。
私は蕎麦通でも何でもないです。立ち食いスタンド、出来あいの更級、町中の手打ちそば、その3つの差がわかる程度です。Blogに蕎麦なんてカテゴリーもないしね。
天ぷら、蕎麦とも普通だったとしか言えないなぁ。
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蕎麦湯が濃厚で美味しかった。
蕎麦湯1.jpg蕎麦湯2.jpg
だけどこれは蕎麦屋だろ。居酒屋じゃない。昼呑みだからこのガイド本に取り上げられたのかね。100選にちょっと足りないから無理矢理付け足したんじゃないか。
誰かが言ってた。居酒屋で昼酒を飲むと若干の罪悪感があるが蕎麦屋では粋なんだって。そうなのかな。居酒屋だろうお蕎麦屋だろうと粋に飲むとはどういうことなのか。要は泥酔しなきゃいいのであろ。「蕎麦屋で泥酔するなんて愚の骨頂である」と言ってたのは有名作家の誰だったかな。蕎麦屋も居酒屋も同じだと思うのだが。
おすすめ.jpg
上の写真は2013年のものなので今は値上しているでしょう。
蕎麦屋の肴は最低限の種類で蕎麦種になるものばかりだと思ってたがこの店は刺身もあった。品数としたは広げ過ぎてる感もなくはない。セットものもあった。
蕎麦屋で居酒屋気分になってバカバカ飲み食いすると結構な値段になるものだよ。
いしはら2.jpg
ガイド本を閉じた。
いっとき和らいだ鈍痛がまたぶり返してきたぞ。薬が切れかかってるんだな。熱さまシート大人用でも買って貼った方がいいかなぁ。
明日この顔で出勤するのイヤだなぁ。
「アナタが思うほど誰もアナタの顔なんか見ちゃいないわよ。アハハ」(ジャン妻)
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インプラントXデー [歯医者]

インプラントを埋め込んだ左頬が腫れている。
ポッコリ膨らんでいる。

60万円のインプラントを埋め込む日がやって来た。平日の午後からである。その日は朝っからユーウツで、昨夜は石川町でしこたま飲んだのだが、術後のアルコール厳禁や食事制限とかもあるから余計にユーウツである。
「痛むかもよ」(ジャン妻)
「・・・」
「誰だっけ?ハンマーで叩かれたような衝撃だって言ってた人?おかーさん?」
「(勝山の)おかーさんじゃなくってyossyさんの奥さんだよ。おかーさんとこは(田舎だから?)インプラントの看板が見当たらないらしいぞ」
「頑張ってね」
「・・・」
何をどう頑張れというのか。
「終わったらメールね」
「うん」
痛むんだろうな。男って痛みに弱いからな。
予約15分前に行ったらまだ午後診受付前で待合にも受付にも誰もいない。保険証と診察券をポンと置いて待合でフンゾり返ってたら、
「キャハハハッ」
奥からスタッフどもの嬌声が聞こえた。仲良しで結構だがなんちゅうバカ笑いをしとるんか。大病院や町医者と違って命に係わらないからそういうバカ笑いが平気で出きるんだろうな。
私はまだ治療も手術もしてないウチから憂鬱である。自分でも顔つきが強張ってるのがわかる。ディスプレイにインプラントとはどういうものかという解説が繰り返し流れていてその文言に、「インプラント手術を受けた患者様にお話を聞いてみたら、皆さん眠ってる間に終わってたと仰っています。手術中の痛みは感じません」とある。
ホントかなぁ。
実際ホントだった。痛みは術後に襲ってきたのである。

「〇〇さんこんにちは」
「???」
いつものガリガリじゃなく初めて見る衛生士さんだった。いつものガリガリお嬢も傍らにいたが、私の隣で待ってたバアさんの名前を呼んで別室に消えてった。
今日の衛生士さんは若いがベテランらしい。いつものガリガリは新人ぽいから、いざ手術当日の今日、ベテランと交替したって訳だな。
私の素人質問に上手く答えてくれるんです。私は上着をハンガーにかけながら、
「今更ここまで来てジタバタしてもしょーがねーけどさ・・・」
「笑」
顔の筋肉だけで満面の作り笑いをしてるぞ。
「痛むのかな」
「いえ、静脈麻酔を入れるので眠ってる間に終わりますよ」
「眠ってる?」
「お口開けてくださ~いってお声を掛けて反応できる程度の麻酔ですね。でもお目覚めになるともう覚えてらっしゃらないくらいなので。ちゃんと麻酔専門のお医者さんがやりますから大丈夫ですよ」
私は麻酔医専門のお医者さんというのがよくわからないのだがそれは後述します。私は診察台に寝ながら、
「インプラントってのはボルトを何本埋め込むんだ?」
「1本です」
そこからよく覚えてないのだが、家を作る柱の基礎部分のような説明をされたな。メディアを賑わしてるどっかのマンションの杭打ち・・・とかバカなジョークを言ったような気がするが。
「歯茎を切って・・・(私はここでイヤな顔をしたら微笑まれた)・・・中にインプラントを埋め込んで、顎の部分の骨とくっつける何とかを入れるんですよ」
「では術後に目が覚めたら今は何もない歯茎の部分にボルトが1本、ニョキッと生えてるって訳か?」
「また歯茎を縫って塞ぐんです」
「縫って塞ぐぅ?」
「ハイ」
「じゃぁ今日は歯そのものはおっ被せないの?」
「今日は被せないです。それはインプラントが骨と固まってからですね」
「だいたいどれくらいかかるのさ?」
「3ヶ月後くらいですね。それくらいすると歯型が決まりますから」
「さ、3ヶ月?」
「ハイ」
「年を越すんかい?」
「え、ええ、そうなりますね」
私はウンザリした顔をした。そこを宥めるようにニッコリ微笑まれた。
読者の皆さんどう思います?この会話を聞いたジャン妻も呆れてましたよ。「そういう説明って無かったの?」って。インプラントは住宅建設の柱の基礎のような説明はあったよ。でも縫って塞いで歯をおっ被せるのにまた3ヶ月後って説明は無かったぜ。その歯型ってはまた別途高額費用なんだろうか。
患者さんの不安を取り除くように懇親丁寧なのがモットーらしいが、私のような素人質問には訊かなきゃ答えてくれないのです。30数年振りに歯医者に来た私は何をどう質問していいかわからないんだからさ。
私の上着.jpg診察台.jpg
「今、麻酔の先生が準備していますので、その前にクリーニングしますね」
クリーニングが始まった。
マジメな私はガリガリ娘の言い付けを守って朝夕丁寧に3分~5分磨いているんだよ。その効果あってか今日のクリーニングはいつものガリガリグキグキではなく、カリカリカリカリ。
そのウチ、糸みたいのを歯間に入れて左右にしごき出したぞ。新たな獲物か。
「今のは何です?タコ糸か?」
「フロスです」
ふろす?
見せてくれた。ホルダーから糸が伸びている。
デンタルフロスですね。これも歯間ブラシと同じだね。「こうやって必要なだけ糸を出して切ってお家でもできますよ。〇〇さん(私のこと)の場合、歯と歯の間が狭いので、歯間ブラシだと歯茎を傷つけてしまうので」
歯と歯の間が狭いから歯間ブラシだと歯茎を傷つけるだと?
前回、ガリガリお嬢はそういう説明しなかったぞ。「これでちょっと磨いてみたください」って歯間ブラシを渡され、私の不器用さに呆れたのか、歯茎にブッ刺すように磨かれたからね。

クリーニングが終わった。
「ではこの後で手術に入ります。先に抗生剤を1錠飲んでください」
バナンという抗生物質だった。
「麻酔が切れるまでお休みしていただく時間と併せまして、だいたい夕方の5時か6時までには退院できます」
「うん。半休取って来たから大丈夫だよ」
「先にお手洗い済ませてください」
「来る前に済ませたが・・・」
「でも、長いお時間かかりますので・・・」
私はWCが遠いんだよ。行き付けの酒場でもWCの場所すら知らない店もあるしね。
WCを済ませたら院内の最も奥にある術室に案内された。そこに若い男性がいて、私が2ヶ月待たされた麻酔専門医さんだという。
麻酔医専門医さんは白衣を着ていなかった。白衣は相手を緊張させるから敬遠するドクターも増えている。
診察台に座った私の前に血圧計と脈拍数がモニター表示されている。歯科でそんなん必要なのかと訝しんだ。そしたら自己紹介の後で問診が始まったんです。
「今日はお風邪とか大丈夫ですか?」
「平気ですよ」
「体重は何Kgぐらいですか?」
「〇〇kg」
内科ならともかく歯科で体重を聞かれるとは思わなかったな。麻酔専門医さんはかなりの好青年で、如何にも美人揃いのこの歯科医とツーカーといったいい雰囲気である。(いい意味でですよ。)
「今日はお薬は飲まれましたか?」
「あっ、忘れたな」
「えっ、お忘れになりましたか?」
麻酔専門医さんは驚いたような声を出した。
「よくお忘れですか?」
「いや、1週間に1日くらいスッぽかす程度」
たかが歯医者の一見患者の服薬コンプライアンスにしては細かいね。麻酔中に血圧が変動するので、なるべく安定させるんですと言われた。
モニターには上が138、下が88となっている。私は自分で言った。
「まぁまぁじゃない?」
「そうですね。静脈麻酔のご経験はありますか?」
私は大腸ポリープ検査とレーザー治療で経験あります。その時の麻酔注射はヘタクソな看護婦だったのだよ。(後述します)
まさかそこの大病院さんから派遣されて来たのかと思って訊いてみたの。「何処の病院から来られたんですか?」って。
〇大病院だという。名刺もいただいた。私がお世話になった大病院ではなかった。
「では麻酔薬を注入する前に採血をします」
採血?
何でそういうことをするのかワカラン。血を抜いてそれを細胞膜にするとか何とか言ってたが。小さい注射器2本分抜いてましたよ。後述するヘッタクソな大病院の看護師みたいに腕が痣になるくらいにブスブスやられたらタマラン。
手の甲の静脈にプスッ。。。
そのプスッで採血が終わり、プスッの先を追いかけたら点滴のような袋に繋がってる。
「もう痛いのはこれで終わりですからね」
「ってことは、もう麻酔始まってるの?」
「あ、これは栄養剤です」
栄養剤?ソリター何号とかいう輸液パックかね。
私はこの時は軽く考えている。さっさとやって眠らせて、さっさと終わらせてくれないかって思ってる。2ヶ月も待たせやがってってね。前金60万支払って麻酔専門医の予約待ち2ヶ月で今日である。長かった。

「麻酔専門医って数が足りないのよ」(ジャン妻)
「???」
よくわからないけど私也に説明しませぅ。何故2ヶ月も待たされたのかというと、近隣に麻酔専門医というそれだけを大きく看板にしたクリニックはあまり見た記憶がないが、「あの外科の先生は麻酔医でもあるから」というのは聞いたことがある。「あの先生は麻酔をお持ちです」とも言う。
私は過去に内視鏡検査で静脈麻酔を確か3回か4回経験していずれも大腸ポリープの検査と切除。名前は伏せますが、さる大病院で美人だけどヘッタクソな看護婦さんが左右の腕にブスブスとブッ刺しまくっていつも痣だらけになるんです。
近所のスーパーのオヤジが私の痣を見て、「それ何処の病院だよ。俺もあっちこっち切ってるけどそんなに痣になったことないよ。相当ヘタだぜそこ」と呆れられたからね。
その時の静脈注射麻酔は検査とレーザー治療切除のレベルなのでグーグー爆睡してしまうほどの大袈裟な全身麻酔ではなかった。一応は薄っすらと意識はあったんです。問診表に「酒に弱くないので麻酔が効き難い」と書いたくらいです。
私は歯医者に通い出して、麻酔専門医さんの予約が2ヶ月後なので・・・と言われたのにやや閉口し、だったら何で歯医者さん自身や看護婦さんが麻酔をやらないのか疑問だったのだが、麻酔専門医は絶対数がかなり少ないらしい。少ない麻酔専門医をチームに加えるのはその分だけお金もかかるのだが、その代わりに術前術後も含めて安心の度合いが高いそうである。
私はこれまで麻酔というものは手術を受ける際に眠らせてくれる、痛みも感じさせない、知らないウチに目が覚めたら終わってた、そういう便利なものとばかり思ってたが、実は麻酔とは日頃の睡眠ではなく麻酔薬の作用で無理やり眠らせる訳でリスクが伴う。麻酔薬の強弱により神経、呼吸、循環器などの働きが抑制されかねない。大袈裟でなくても生命維持に関わるのである。
私の前にいる若造・・・失礼、麻酔専門医の若先生は、麻酔を注入して手術中に意識の無い私をその間に全身に血液が循環するよう血圧を整えたり、血液量を適切に維持する全身管理をしてくれるらしいのだ。防御してくれる訳ですよ。
おそらく私はこの麻酔医さんとは一期一会で目が覚めたらハイサヨナラだとは思うが、これが命に係わる大手術だと術後の麻酔管理が加わる。相当な激務で麻酔医の数が極端に少ないのもそのせいだとか。
私が前払いした60万は高いが、それはインプラントの材料費、オーダー費だけではなく、数が極端に少ない麻酔医さんへの派遣料、バイト料も少なからず占めるのである。
「ここへ今日は幾らで来てるんですか?」とはさすがに訊けなかったが、
「麻酔のお医者さんって数が少ないんでしょ?」
「全国で2000人、茨城県では〇人しかいません」
一桁だったんです。数が極端に少ないので、たかがインプラント手術程度で麻酔専門医なんてのは贅沢極まりないのかも知れない。

ふとモニターを見たら血圧の上が118に下がっている。
「先生、下がってるよ」
「ああ、いい数字ですね。では今から麻酔を入れますね」
「・・・」
手の甲に刺したままの状態で、バイパスのように途中から別の注射器の管を接続した。
膝に毛布をかけられ診察台が倒された。
そこで意識が無くなったんです。ブッツリ途切れた。

気付いたら目に布がかぶされていて眩しいぞ。
それとウルサいの。もう終わりに近づいてるんだろうけど私語なんですよ。院長と麻酔医さんとスタッフ2人で何やら声高にくっ喋ってるの。そりゃこういう手術に慣れてるんだろうけどさ。私が意識が無いのをいいことに術中術後に患者の頭上で何をくっ喋ってやがるんだ。
無意識に左奥歯茎を舌で触ったら何やらザラザラする。縫った糸らしい。
そのうち院長とスタッフは他へ行っちゃって私は麻酔医さんと2人で取り残された。麻酔が切れるまで休ませるということ。麻酔医さんは私の様子を慮りながら片付けを始めている。
以下、うろ覚えですが、目覚めた直後の麻酔医さんとの会話。
「ご気分はどうですか?」
「う~ん。ボーッとしてるな」
時刻は17時だった。2時間分の意識が無い。
「途中で暑くなられたようで、靴下脱ぎますか?って声掛けしたの覚えておられますか?」
「覚えてない」
なるほど両方の靴下が脱げて裸足になっていた。
「自分で脱いだんか?」
「いえ、私が」
「ああ、それは御手間をおかけしましたな」
「いえいえ、インプラントは左側ですが、〇〇さん右に横になって寝るクセがついてます?寝返りを打とうとされるので何回か声をかけたんですよ」
「ふ~ん。いや覚えてないですよ。暑かったのかも。それよりも何だか最後の方はウルサかったぞ。皆で声高に喋ってなかったか?笑い声で目が覚めたんだよ」
「・・・すみません・・・言っときます」
私は診察台から起き上がり立ち上がろうとしたが、足元がフワフワするのだ。「無理しないでください」と抑えられるように座った。
「麻酔がまだ残ってますので、もう少しお休みになってからお帰りください」
「麻酔の量を増やした」とも言っていたので、暴れたか唸ったかしたのかも知れない。
「今日はくるまの運転はなさらないでくださいね」これは口頭で何回も言われた。
「しないよ。帰社しないでこのまま帰ります」
「なるべく座って帰ってくださいね」
「座れたらね」

それきり麻酔医さんとどう別れたのか記憶がない。さっきの衛生士さんが来て注意書きの紙を渡された。そこにはいろいろ書いてあったが、概ね自己管理、自己責任に任せるかのようなニュアンスであったがどうもこれだけだと心許ない気がする。
他を調べてみたら当日の飲酒は厳禁、それはわかるが、術後もしばらくは激しい運動、熱い入浴もNGだったり、食事なんかも術後数日はヨーグルト、栄養剤ゼリー、お粥、スープなど、咬まなくて栄養価が高いものを摂取して、徐々にやわらかいものから普通食へと上げていってくださいとか、細かいことを挙げてある。用は最初にインプラントの土台が固まるかどうかが大事なんだろう。
30分ほどしたら別のケバっぽい衛生士さんが様子を見に来たので、
「今日は何も喰っちゃいけないんだよね?」
「お食事ですか?普通に摂れますよ」
あっけらかんとしてそう言う。もちろん今日の夜にいつものように酒飲んで食らうほど私もバカじゃないですよ。
「さっき、歯をおっ被せるのは3ヶ月後くらいだって聞いたけど、その時も今日みたいに?」
「いえ、その時は静脈麻酔はしません」
「ってことは、これか?」
私は右手で注射器(麻酔)を歯に刺す真似をした。
衛生士さんはニッコリ微笑んだ。
私はイヤ~な顔をした。

会計すべく待合に歩いたら廊下に段差があってそこでグラッと来た。診察券と保険証を返されて受け取る時、床に落としてしまった。拾い上げたらクラッとした。受付嬢は、「そちらでお休みなさって・・・」と待合椅子を指したが、どうももう院内に患者はいないようであちこちで掃除機の音がする。診療時間も終わりに近づいているし週末だし、スタッフも早くあがって遊びに行きたいだろう。
「お気を付けて」
「ホームの端を歩かないようにするよ」

ジャン妻にメールした。「終わった。先に帰る」って。月初の締め作業で大残業になって遅い帰宅になった。
東海道線は混むので横須賀線に乗った。ラッキーなことに武蔵小杉駅で座れたのでそのまま爆睡。
その晩は痛み止めが切れて歯茎が痛みだした。一晩明けたら左頬がプクッと腫れているんです。昨夜は断酒。今宵も断酒。久々の休肝日である。
今日の朝飯です。昨夜の帰宅途中で買ったの。写真撮り忘れたが昨夜はコーンポタージュスープだった。
今朝の朝飯.jpg
さっきの昼飯です。
ソーセージがゴロン.jpg
「ソーセージを切ってくれよっ」
「あっ、切った方がよかった?右の歯で噛み切れない?」
「・・・」
しばし睨みつけて・・・
「切れ」
「・・・ワカリマシタ」
「状態見りゃ切るだろ普通は」
「冷凍のソーセージだったから切らなくっていいかなっと」
「・・・」
切って貰ったよ.jpg
私の左頬は膨れている。
次回は抜糸である。
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杏里の新作 [Music]

今日もショート記事です。夏に杏里さんがニューアルバム「Smooth&Groove」をリリースしてたのを最近知ったので先日、購入しました。
もう店に行かなくても購入できる時代になったんですね。私はこのトシまでクレジットカードを持ってないので、ジャン妻にネットショッピングして貰った。
杏里さん.jpg
「10年ぶりとなるオリジナルアルバム」とある。
10年間何してたのさ。言っちゃ悪いがもう過去の人ともいえる。ここ数年間のリリースは録りなおしたBEST盤がやたらと多いように思うのだ。(新曲もたま~に1曲か2曲発表してたように思いますが)
「昔の曲で出ています~」ってなもんですよね。
BEST盤は初心者が購入するのに便利ですが、杏里さんの世界に初めて入る人もBESTアルバムが多過ぎてどれから聴いていいかわからないんじゃないか。
昔っからのファンは歯痒いだけです。「また出すんですか?」「また新録音のBEST?」「新曲は?」って。ひとつの曲でバージョンが2つくらいあってもいいけど、あまり多いと興ざめする。
誰とは言わないけど一世を風靡したアーティストがオリジナルアルバムを発表しないで過去曲をアレンジしてBEST盤ばかりリリースしたり、ツアーしないでディナーショウばかり開催したり、ハイトーンが出なくなってアコースティックLIVEが多かったり、杏里さんもそうなっちゃうのかな~と思ってた。
10年もオリジナルアルバムを出さないなんてインスピレーションが湧かなかったのかな。まだしっかり聴いていませんがALL新曲です。拾い聴きしたらなかなかよさそうです。
クレジット.jpg
クレジットに気になるPlayerを見つけました。
Saxの鈴木明夫さんです。柳ジョージ&レイニーウッドのメンバーだった人。明夫さんはレイニーウッド結成当時のメンバーではなく、3枚目くらいからサポートとして加わり、そのうち正式メンバーになった。
彼が加わったことでSaxという大人の音が加味されたのだが、故・ジョージさんいわく、
「明夫ちゃんが入ったこともあって彼らはフュージョンに行きたかったんだよね。当時のレコード会社は規制が厳しくて、ソロアルバムとかできなかったんですよ」(再結成時のパンフから)
彼の加入が解散の要因とまでは言ってないが、どうもジョージさんの趣味ではなかったようである。でも明夫さんは自身の方向性と、Saxという管楽器Playerの強味で、レイニーウッド解散後も他のメンバーに比べてメジャーに近い場の立ち位置を確保できたようにも思うのです。過去にも杏里さんのレコーディング&ツアーサポートメンバーで時折クレジットされています。
杏里さん2.jpg
別に私は杏里さんの大ファンって訳でもないのですが、私が杏里さんのCDをズラリ持ってるって言うと、へぇ~っって顔をされる。
イメージに合わないらしいんだな。棚を見たらアルバムCDで25枚、シングルCDで14枚ありましたよ。
自分でも思うけど私は海ってイメージじゃない。爽やかな男でもない。暑い夏が嫌いなの。海沿いは混むしね。このトシまでハワイやグアムなんかも行かなかったから。
海辺のサンセットより、乾いた上州澄んだ空のサンセットの方がいいな。
妙義サンセット2.jpg
今日はキツい1日になりそうです。その訳は明日。では行って来ます。
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ヘンなビールジョッキ [コラム雑記帳]

今日はショート記事です。
ある店で飲み会したら、こんな飲み難いジョッキが。。。
何だこれは.jpg
何だいこれは??
仲間がオモシロがってススメるからこれにしたが、ジョッキと呼べるシロモノじゃない。理化学の実験に使うスタンド(メスフラスコ、メスシリンダ、メスピペット)みたいなのに支えられて運ばれてきた。
何か意味あんのかこれ?化学の実験じゃあるまいしさ。
店員さんが言うには「お飲みになられる際は必ず台からハズして両手で支えてお飲みください」
当たり前だ。言われなくたって片手でなんか掴めやしないよ。最初の乾杯からしてやっかいで、乾杯イコールガチャンと割らないように、右手でスタンド、左手でジョッキ(というかガラスだね)を掴んでゆ~っくり乾杯した。それほど厚みのないグラスなのでヒャヒヤものでした。
店員さんは破損しないように注意喚起してくれたんだろうけど、口へ喉へビールの液体そのものを流す時の注意はなかった。持ち方だけ教えてくれて飲み方のマニュアルは無かったのだ。
アブないのでおそるおそるゆっくり飲んだつもりだが、いきなり勢いよく顔に被ってこぼすハメになってしまったよ。
まだ残ってる.jpg
2杯めをグビリ、3杯めをゴックン、その度に両手で抱えます。私は吹けないけど長い木管楽器を抱えてるようなものですよ。
後半もタイヘン。下にこれだけ残ってます。たいして無いようでこれがなかなか無くならないのだ。
この長ガラスジョッキは中を覗くと途中の筒が細くなってるのだが、細いから流れる勢いが速いのです。残り溜まったビールが勢いよく出て来て再度鼻に被った。マジで鼻の穴に入ったモン。ムセた。
ようやくにして1杯めを空けたら、
「もう1杯イキます?」
「フツーのにするよっ」
仲間もズルい。オモシロがってるだけで誰も自分らでTRYしようとしないんだモン。イベントとしてはオモシロいかも知れないが一杯で止めた。中ジョッキに替えたよ。
ハーフヤードグラス.jpg
調べてみたらこれはビールジョッキではなくヤードグラスというビールグラスのハーフサイズだった。ハーフだからこれより倍の長さのグラスもあるとか。
アメフトに詳しい人ならヤードとは長さを表す単位なのはおわかりでしょうが、1ヤードはおよそ0.914m。私が手に取ったのはハーフだから45cmあったと思えばいい。
このヘンテコなグラスは17世紀のイングランドで発明され今日に至っている。特殊な形状なのでそれだけではテーブルに置けるわけがない。支えるスタンドが必要になる。大量生産は難しく職人さんの手や技巧に頼るものだという。
店側のおフザケではなく、伝統あるマジメなグラス、工芸品なのです。

これはイロがついてるのかな。
まさかカクテルじゃないよね。
ハーフヤードグラス2.jpg
幾らで売ってるか。ネット販売価格を見たら概ね7500円~15000円であった。バラでは販売しておらず、グラスとスタンドのセットで売っています。計寸は45cm足らずで650CCの容量。スタンドの高さは30数cmといったところでしょうか。
あるサイトを見たら、「下が丸くなっているのでその部分までくると急に勢いよくコポッとビールが流れます。ビールが残り少なくなってきたら要注意です」とあった。全くその通りで後半になってビールが逆流して顔面を襲う感覚です。
日々の晩酌でこのグラスを使っている家庭はまずいないだろうが、見通しの良い店内のテーブル席で扱うのがいいでしょう。目立つしパーティーやゲーム感覚で盛り上がり、隣テーブルのお客さんが注文すると、それを見てこっちもついノッてオーダーしてしまうとか。私もそうだった。カウンターでひとり飲むのには似合わないだろう。
飲むのもタイヘンだが洗うのがタイヘンだろうな。
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過去掲載済マイルド豚骨たち [ラーメン]

日に日に寒くなってきてます。会津編その他を取材・執筆中ですが、繋ぎの記事ということで時折は今日みたいなラーメン記事が入ります。
決して以前のようにシリーズでやる訳ではございません。
ライトな豚骨の記事です。軽いタッチでいきます。関内のたかさご家。
夕闇迫るたかさご家1.jpg
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-02-13
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-08-18
家とはつくものの、家系としてはライト過ぎる店。でも私は好みです。もうトシだから。若い頃のようにギットギトの豚骨は極力パスするようにしている。この店は気が抜けたような家系スープですが、トッピングにキャベツ、ホウレンソウ、ネギ、3つの葉野菜があるから。
キャベラー.jpg
スープとキャベツ.jpg
「ヨロシかったらどーぞ」と廻り鉢ならぬ廻り丼でチャーシューの細切れがサービスで出される。
細切れチャーシューは時間が経ってるから冷えてるし、ややしょっぱいのね。無料だからってバカバカ入れたりしませんよ。脂身の少ないのをチョイスしって3個くらい入れる。
ブツ切りチャーシューを入れる.jpg
ブツ切りチャーシュー拡大.jpg
野菜ラーメンと銘打っても具の中身はモヤシばっかりなんて店が多い中で、野菜が高騰してる折にキャベツやほうれん草がたくさん摂取できるのがウレシイよ。
器が小さくトッピングが多いとぬるくなっちゃうんだけど、なるべくそうならないようキャベツは湯通ししています。アタリマエだよね。生のキャベツの葉っぱなんかそのまま上に載せないさ。
夕闇迫るたかさご家2.jpg

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次に本牧通りの笑苑。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-04-09
店の名前は笑苑だけど店主は笑わないなぁ。黙々としてます。私とは目を合せないモン。店の名前を黙苑に変えたらイイかもね。
何回か来てますが、未だに定休日や営業時間の表示がみつからないのだ。11:00過ぎに店の前を通るとシャッターが閉まってる。定休日かと思うとさにあらず。よ~く見るとシャッターの下の方が10cmほど開いていて、ああ今日はこれから営るんだというのがわかる。11:10か11:15には開きます。
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これまたマイルド豚骨家系のライトスープ。最初のひとくちはコクがあるけどそのウチ感じなくなって来るんだよね。軽いんです。軽いのとこの店も器がそれほど大きくないのでいつの間にかスープを飲み干してしまう。
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ネギ2.jpg
ネギラーメンにホウレンソウを追加。
何でネギを追加したのか。風邪気味だったのかな。デフォで青菜は無くその代わりにワカメぇ~??
このスープなら青菜でしょう。青菜はホウレンソウが追加トッピングにありますが、茎ワカメならまだしも薄いワカメは合わないよ~。
ネギが崩れ落ちそうですが、そこを箸で上から抑えつけ、スープに浸し浸しながら少し靴口へ運ぶ。ネギの端々からスープの雫が飛ぶのでゆ~っくりと運ぶ。もうちょっと器が大きけりゃいいんだけどね。
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ネギの下から麺.jpg
麺は丸山製麺。このスープに細麺は合わないと思うが表面はツルツルで噛むと、うどん?いや、麺だなと思い直させるギリギリの守備範囲。
具はチャーシュー、海苔3枚、ワカメ、ねぎ、チャーシューが一見、固そうに見えますが箸ですぐに崩れちゃうくらいトロトロです。
くどさが無く食べやすい味。逆に言うとコレと言った個性も感じられないけど、いい意味で食べやすい味だよ。カウンター10席くらい。テーブル席は4人×2つ。禁煙で水はセルフ。
店主殿、たまには笑顔を見せてよ。店の名前は笑苑なんだからさ。あっ、過去記事で載せましたがこの店はカレーがかなり美味しいです。ラーメン屋のカレーとは思えないくらいの美味さ。

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そして本牧錦町の大将。
おやっさんが間門店から戻って来てた。
おやっさんの後姿.jpg
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おやっさんとは半年ぶりかなぁ。長年顔を知ってるから、「久しぶり」とも何ともなかったですよ。私の顔を見て好みを聞きもせず若い衆に「超固」って指示出してるし。
もっともその後は若い衆といろいろ喋くってたなぁ。お客が少ない時間帯だから私語もいいけどさ。声が大きいよ。耳が遠いからだな。
スープ.jpg
超固だと2分も経たないで出ますよ。
大橋製麺.jpg
大将2.jpg
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-09-05-1
上野過去記事で載せた本牧マリンハイス1号館2号館の間は現在も工事中です。そこが工事してるせいでくるま4台分路駐ができなくなり、店の中は閑散としていた。絶対に客数は減ってる筈。ヤバイな。
先日、会津に向かう朝にジャン妻と立ち寄った時、
「いつもの停める場所がしばらく工事中でさ」
「大丈夫?停められる?」
中央分離帯の切れ目をターンしたら店前に何とか停められそうである。
「正面に・・・停められるな。ⅰ―Phoneに駐車場の写真が残ってる筈」
停めた傍を大型トレーラーがバンバン走って行く。
キムチとワカメ.jpg
ノリマシ.jpg
駐車場が変わった.jpg
駐車場の位置は変更になったらしい。
「大丈夫かな。お客さん減っちゃってない?」(ジャン妻)
「う~ん・・・」
確かに閑散としてた。11時前にパートのオバさんが来たけどそれまで店内も男性2人だけだった。前は3人いたんですがね。
通って20年、私らが全幅の信頼をおいてる店。ガンバ!!
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インドのつけ麺 [ラーメン]

着座する前にカウンター上に食券を置いたら、店のアンちゃんがこう言った。
「麺の量はお決まりですか?」
「麺の量???」
私は券売機でフツーに中華そばを購入しただけである。麺の量とは何だ?麺の固さ、スープの濃い薄い、脂の多い少ないでもなく、麺の量??
「少ないのでいいよ」
「では並で。200gになります」
単に大盛りサービスを聞かれたのかと思ったら、券売機に、並、中、大、特、こう表示してあったのだ。
食券と赤丸.jpg
この店は麺の量が並でも特大でも同じ料金なんですな。やろうと思えば炭水化物だけで思いきり腹一杯になれる店なんです。
私は何を聞かれたのかわからなかったが、ペアを組んでる付けまつげビンビンのねーさんがいて、次に入って来たお客に、
「麺の量が並、中、大、特とございますが」
そういう問い方なら、「大ってどれくらい?」、「大は400gになります」、このように会話として成立するじゃないか。サイズ、数字を言ってくれよ。(並200g、中300g、大400g、特500gです。)
お品書き.jpg
裏面.jpg
最初はちょっと面食らったが、落ち着いてよく見るとこの店、10席足らずのL字のカウンターがトテモキレイなのである。この店はつけめんがメインだからつけだれに浸ける時に汁や脂が飛ぶだろうけど小料理屋のようにピッカピカなのである。
キレイなカウンター.jpg
遠目に見ても麺が太いのが確認できる。茹でるのに時間を要すので店内や店員さんのオペレーションを観察した。男女のペアで運営していました。
まず麺を茹でる。タイマーを押す。
太めの麺なので時間を要するらしい。その間に業者に発注の電話をしてた。
ダブルスープなのがわかった。2つ3つある寸胴鍋からお玉ですくい小鍋に移して熱々にする。
チャーシューは仕込んであるブロックからまだ温かそうな角煮ブロックを取りだしてその場で切ってました。切り置いてある冷えたチャーシューではなさそうです。ただ、私は最初の客なのでチャーシューはブロックの端っこです。切ったチャーシューを再度浸け込んでましたね。
しばらくしたらタイマーが鳴った。麺を取り出し大きく腕を振った湯切の後で器に移す。そして器の中で麺を返してるんです。
麺をかえしてるとこ.jpg

中華そばのルックス.jpg
「お待たせしました」の声とともに出されたのはやはり太めの縮れ平打ち麺だった。具はメンマ、バラチャーシュー、のり、ナルト、刻みネギ、具だけは中華そばですが麺はピロピロの中太麺で、これは私の主張する中華そばのイメージとはかなり違うな~。
きちんと仕事をしてるのが見えましたが、太麺だからできる余裕ともいえる。
カウンター上にタマネギの粗っぽいみじん切りがあった。
「これって自由に入れていいの?」
「ハイ無料ですどーぞ」
セルフです。喰う前にスプーンで入れます。
タマネギと箸箱.jpg
くどさが無いです。いい意味でね。これは大人も子供も女性もお年寄りも食べられる万人向けのスープ。濃厚タイプがお好みの方には物足りないだろうか。
玉葱のない状態でのスープ.jpg
スープとタマネギ.jpg
しっかりコシ、歯応えがある。
中華そばという感じではないなぁ。細うどんかきしめんみたいだね。悪くはないが、願わくば細麺の方がいいのですが。
平打ち麺.jpg
チャーシュー.jpg
同じ値段で500gを食べられる豪の者にはお得感があるでしょう。
この中華そばの写真をジャン妻に見せたら、
「ちゃんと定食を食べなさいっ!!」っと吠えやがって、その後で麺のボリューム均一値段を説明したら、
「それって50円でもUpした方がいいんじゃない?少食の人は損した気分になるよねぇ」
一理ありますね。殆ど麺だけの偽りの満腹感だった。大食漢向けです。並だと損した気分になるかも。

当初この記事タイトルは「麺の量はお決まりですか?」だったのですが、一期一会で終わるかと思ったのが再訪してしまい止せばいいのにつけ麺にTRYしたんですよ。
インドつけ麺.jpg
券売機には「インドのつけ麺」とあった。こっちをタイトルにしました。
喰う前からどんなシロモノか想像できますよね。インドカレーのつけ麺。
2回目なので初回の轍を踏まず麺の量を「並で。それと紙エプロンをくれ」って言った。紙エプロンと髪止め(束ねるヤツか?私は必要ないが)は言えばくれますよ。私はつけ麺って片手で数えるほどしか喰ったことないので不慣れなんです。白いYシャツにスープがピッピピッピ飛ぶのは必定だから。
調理中1.jpg調理中2.jpg
スープのオペレーションは同じでしたが、銀紙みたいなのでパックした袋からカレーパウダー粉・・・ではなく・・・カレールゥでもなく・・・何というか半生のセメントの塊のようなものをほぐしながら器に入れてマゼマゼしてましたよ。
味は想像とおり。激辛ではなく中辛です。
麺を入れた状態.jpg
またまた最初の客だったせいか、チャーシューがブロックの端っこで脂が多かったな。
このチャーシューは如何なものか.jpg
ズルズルツ.jpg
だけど並だとスープが余ってしまった。つけ麺って最後の方はスープが薄くなるんですか?最後までカレーカレーして濃かったね。
で、結局はこうなる。
結局こうなる.jpg
途中で席を立って100円の小ご飯を購入したの。カウンター上に置いたら若い衆が私に向かって微笑んだ。アナタがこれから何をやりたいか想像つきますよって言われたような気がした。でも若いのはまだ熱々のご飯を御茶碗に丁寧に盛り付けてる。そんなに丁寧によそわないでいいよ、どうせやることは決まってんだからさ、と思った。
「器にご飯ぶっかけていいかい?」
「いいですよ」[わーい(嬉しい顔)]
ニコニコしてやがる。そうする客が他にもいるんでしょうね。
カレー雑炊?.jpg
暴挙といっていい。こんなことしたのをジャン妻が見たらまた怒髪天を衝くだろうな。
麺とご飯のダブル炭水化物&糖分とカロリーだけのランチになってしまった。カレーうどんとカレーライス(雑炊)をセットで喰える店です。
ダブル炭水化物.jpg
店の名前は「玉」(ギョク)といいます。小田急線町田駅東口を出て、線路に沿って歩いて2つめの踏切近く、CoCo壱の前にあります。
ギョク.jpg
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絶の味 [ラーメン]

滅多に行かない川崎市幸区役所へ出向き、町田市に向かおうと南武線方面に転じた。
地図を見るとわかるのですが、幸区役所から川崎商業高校の前にバス通りがあります。その道は南武線の矢向駅と鹿島田駅のちょうど中間に交わるんです。
時折、鹿島田駅方面へのバスが来ないかな~って振り返りながら歩いたが、鹿島田駅行のバスだけ来ないのです。
トボトボ歩く反対側の川崎駅方面へ向かうバスは2台ほど見かけた。そっち側に移って川崎駅に戻ってもいいのですが、私は往路と同じ路線を戻るのを好まない。戻らないで前に進みたい。どうしても次の目的地へのショートカットを検索、選んでしまうのである。
ダラダラ歩いてたら矢向駅と鹿島田駅の中間の踏切に出てしまった。踏切のド真ん中に立って、どっち方面が近いか遠目に見たら、僅かに矢向駅の方が近そうである。線路沿いを歩いて矢向駅へ。
矢向駅前2.jpg
矢向駅前1.jpg
矢向駅周辺に来たのは初めて。昭和の名女優、原節子さんと上原謙さん(加山雄三のお父さん)が出演した「めし」という映画で(原作は林芙美子さん、監督は成瀬巳喜男さん)、原節子さんが夫に不満で実家のある東京へ上京して下り立った駅が矢向駅だという。
矢向駅の駅そのものは、川崎市とお隣の横浜市鶴見区を跨いだ位置にある。
めし.jpg
既に時計は11:30を廻っている。こりゃランチ難民になりかねないな。駅の前に日高や、2階にあるそば屋、それくらいしかなかったのだ。
南武線の大踏切りを渡って昔ながらの商店街、矢向商栄会商店街を歩いたが、開いてる飲食店が殆ど無いのだ。裏手にあるのかなと路地を曲がっても、商店街の裏側に住宅地があるだけ。
矢向駅前3.jpg
約100メートル歩いた所にこんなのがあった。
絶の味1.jpg
絶の味(ゼノアジ)?
「絶品の味」とでも謳ってるのだろうか。こういうネーミングの店は大抵が期待外れのパターンが殆どか、美味い不味いではなく自分に合う合わないかである。
ポスター.jpg
やけに寂れた外観と妙な店名が興味だけはソソるものがあるが、横濱ラーメンの家系かぁ。
私は家系は卒業しているが、本格的な家系ファンが、「こんなの家系かよ」「家系の看板外せよ」ぐらいのライト家系ならノープロブレムなんだが。
パスしようとしてその先まで歩いたのだがやはり飲食店が無いのである。このまま歩いたらつい1時間前に行ったばっかの幸区役所への往路、バス路線のある第二京浜まで出てしまうので、結局他を探すのを断念して絶の味に戻ってしまった。
絶の味2.jpg
券売機を見たらメニューは1種類しかないんです。後は幾つかのトッピングのみ。潔いですね。若いお兄さんが一人でやっていましった。
カウンター8席しかなかったですよ。これで営っていけるのか心配するくらいに小さい店だった。
ネギラーメンプラス、ホウレンソウにして食券を渡すが、好み(味の濃い薄い、麺の固さ、脂の多い少ない)は聞かれません。私も初めての店ではデフォに任せて言わないようにしている。ただ、ひとことだけ言った。
「ネギって辛く和えたヤツ?」
「そうです」
「和えないでそのまんまってできるかなぁ」
「できますよぉ」
できない訳ないよね。一見客の私はワガママな注文をして、会社携帯でメール指示を出しながらしばし待ってた。床に置いたカバンを取ろうとしたら、カウンターが高く、椅子も高いので、バックドロップよろしく後ろにひっくり返りそうになったんですよ。
「おっと・・・」
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。ちょっとヨロケた」
ひっくり返っても背後の木の壁にぶつかるだけで怪我するほどじゃないが、コケそうになった客って何人かいるんじゃないか。
ルックス.jpg
私は細い白髪ネギを想像したのだが、供されたラーメンに載っているネギは斜め切りだった。丼も小さくてスープも少ない。ネギが溢れだしそうである。
見た目は普通の家系。黒地の丼ってイマイチ好きじゃないが、ネギの白さが際立つ。でもタレで和えてないので、ネギを生でムシャムシャ喰うハメになってしまった。
スープは濃厚こってりではない。味はしっかりしてるが、いかんせんトッピングが多過ぎた。スープが少ないので、トッピングを載せない方が美味しいだろう。
ネギの高さ.jpg
見栄えは悪いですね.jpg
麺を引きずり出す.jpg
麺は大橋製麺とあった。
本牧の大将に卸している製麺業者である。私がさっき行って来たばかりの幸区役所の近くにある。
店を出る際、私は空いた丼をカウンター上に置いた。
若いアンちゃんはネギを切り刻んでる。チャーシューをスライスしている。
「ごっそさん」
「ありがとうございました」
あっ、顔を上げないまま言いやがったな。客を見送る時は顔を上げなきゃ。相手を見なきゃ。
大橋製麺と山形ネギ.jpg
矢向駅に入ったら1本快速が通過してった。そうかシマッタ。矢向駅は快速が停まらないんだった。次の鹿島田駅には停まります。待ち時間が長く感じた。
この後でウチの支店に寄ったらそこのスタッフが私が初めて見る子で、用事を済ませて出る時、店長は私に挨拶したが、そのスタッフの子は何やら電卓叩きながら計算していて私を見送る際に顔を上げなかったんですな。後で店長に注意しましたよ。見送る際は顔を上げろって。クレームの要因になりかねないってね。実際、私は「おたくの店員は何だ?見送りがなってない」ってクレームを受けたことがあるのだ。
その後、行ってない。店や味がどうこうではなく、歩くんだったら快速の停車する鹿島田駅に向かうようにしている。味は悪くない一期一会だったが、最後の見送られシーンが残念である。
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デリバリー1000円リミット [人間ドラマ]

決算月は全店で営業終了後に棚卸が行われます。
在庫が多い大型店舗になると日付が変わることもザラです。
当日、本社スタッフも総務と経理以外の現場統括部署員は各店の応援に駆り出されます。私も上州にトバされてた1年以外は、毎回ある決まった現場に駆り出されていて、今もそのお付き合いが続いている。
当日は夜遅くなるので会社経費で夜食が出ます。目安は1000円前後。あくまで目安です。1000円ぽっきりでなくてもいい。1500円までなっちゃうとNGだけど1100円か1200円程度なら構わないと思う。
このネタは過去に何回か掲載しました。一番最近のだと、Ⅱのこれかな。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-11-12
この記事やそれ以前のBlog呟きⅠのキャラで私がいつも応援に呼ばれる現場に3人の女性キャラがいた。
アタマのネジが外れたYoko
クールビューティー雪子
肉ばっか喰らって野菜を全く喰わないキャラT子(呟きⅠでは肉子)
3人は私が面接して採用した。私が上州に転勤している間にYokoは退職、雪子は本社に抜擢されて現在は産休中、残されたT子だけが今でもそこで孤塁を死守している。
孤塁を死守しているというのは、何処の現場も若い世代が増え、ただひとり残されたT子はベテラン最年長者になってしまい、若い連中から畏怖され遠巻きに見られて若干浮いているんです。

そのT子は相変わらず肉ばっかり喰ってる。
この間、そこの現場に用事があって行ったらT子がいて退勤前、控室でこれから買い物に行くスーパーのチラシを嬉しそうに眺めてる。
「セール?」
「(横に首を振る)〇〇さん(私のこと)今日は何の日か知ってます?」
「??」
「29日ですよ」
「??」
「知らないの?肉(29)の日ぃ~笑」[わーい(嬉しい顔)]
29日はお肉の日なんだって。2月9日もそう。
「ああ、そういうことか。アナタの家では毎日が29日じゃんか」
「エヘヘヘ(笑)毎日食べてますよ。(それまでニコニコ幸せそうだったのがテンション落ちて)でも健康診断でねぇ。ちょっとまた数値がねぇ」
「数値が上がった原因はわかってんだからさ。下げようと思えば下げれるじゃん」
「まぁそうですけど。せめて今日くらいはさぁ」
「今日に限らずいつも肉ばっか喰ってるし」
「結局そうなんですけどねぇ。止められないんですよぉ」
帰りにいいお肉を買って帰ったらしいです。で、また別の日、T子がお昼を食べていたのを見たら如何にもマズそうに野菜サラダをムシャムシャ喰っている。もう若くなくなって来たので、健康診断の数値が気になってはいるらしい。
だが主食がよくない。お湯をブッかけるソース焼きそば。ペヤングだったかな。具が全く無く麺だけのヤツですよ。
私は眉をひそめたが敢えて黙ってたのね。そしたら喰いながらボヤくんです。
「アタシの周囲、若い子ばっかりになっちゃったよ」
「そりゃそーだろ」
T子は一瞬ムッとしたが実際そうなのである。長年いりゃそうなる。
「アタシ以外、人の入れ替わりも頻繁にあるしさ~」
「それはお前が辞めないでずーっと長くここにいるからだ。もう40になったのか?」って言ったら更にムッとした。
「まだ40になってないよっ!!」
「誰でも公平にトシをとるんだ。私のせいでも会社のせいでもないぞ」
「でも・・・お局になっちゃったよ」
「そうだね・・・(またムッとした)あっゴメン、ええっと、長年いる方がキツイよ。変化に対応しなきゃならないから。後から入って来る若い者なんかそれをアタリマエのようにこなして給料貰ってるんだから」って話題を変えた。
話してて思ったのは、T子は以前、お金が無いの、高いもの買い食いし過ぎただの、仕事内容が変化してめんどいの、目先の愚痴ばっかりだったのだが、最近は「アタシもトシをとった・・・」オバさん愚痴を言うようになった。もう若くないからさぁという類のもの。下手にアイズチを打ったらキレかねない。小顔で美人で30台前半で通じるんですけどね。
もともと若干神経質なところがあり、例えば納品伝票の合計と請求書の数値が僅かでもズレるとタイヘン。誤差の範疇と割り切れずに気になってしょうがないところがある。そんなんでイライラされて周囲の若手が近づかないらしい。
それと変化、改革、改編を嫌うんです。病的に嫌う。加えて頑迷固陋なところがある。今回の棚卸夜食弁当の上限について私が「夜食は1000円を目安だが、若干超えてもいいぞ」って言ったらこの程度のことで混乱が起きた。
まず現場から私に応援の依頼が来て受けたんだけど、そこで夜食の話になった。
「今回も棚卸来るの?依頼がいったでしょ?」
「依頼受けたよ。俺の弁当も頼んどいてくれ」
「もちろん頼みますよ。で、どれにします?あっその前に今回も応援ありがとうございます。(キレやすいが臆病なところもあって、キレるとタメ口だが普段は丁寧口調なんです)・・・お弁当なんですが多数決の結果またまた●●●●になりました」(T子)
「また●●●●かよ」
私はイヤそうな声を出した。
多数決は多数決なんだろうけど、若手はT子に逆らえないからすんなり決まったんだろうよ。芸の無い選択だな。●●●●はファミレスでそこのデリバリーですよ。近くにデリバリー対応の店があるらしいね。
「いいの●●●●で。〇〇さんがグルメなのは皆知ってるけどガマンしてくださいっ。注文が簡単なんですっ。で、何にします?ハンバーグが無難ですが、ハンバーグの味は和風が間違いないけどトマトケ系もありますよ」
どうせハンバーグだろうと決めかかってるようなところがある。
「君は何にするのさ?」
「私は相変わらずガッツリですよ。若鳥のグリル弁当」
これです。
処理済~チキングリル.jpg
「これって切ってあるのかな?」
「さぁ」
「ライオンみたいに歯で食いちぎるんじゃないの?」
「アタシはライオンじゃないっ」
冷えたら固そうだなと思ったのだよ。やはりファミレスのデリバリーはハンバーグが無難で、T子は何だって?若鳥のグリル弁当?いざ喰う時になったら私の弁当を見て、他人の弁当も見て、自分の唇に人差し指を当てながら「そっちも美味しそう~。そっちにすればよかった~」とか言い出す子でもある。
例年同じファミレスのデリバリーだと野菜が足りないのが気になる。
「肉野菜炒めなんてないかな?」
「???」
T子は一瞬めんどくさそうな表情を顔に出したが、根は親切っちゃぁ親切なので調べてくれた。
「それそのものは無いですけど、近いのはポークバランス弁当ですかねぇ」
これです。
ポークバランス.jpg
「〇〇さんも栄養バランスなんか気になるようになったんだ。(お前に言われたかないよ)でもこれって肉しか炒めてないみたいですよ。画像が鮮明じゃないけど」
確かに美味そうに見えないが、T子は私に対して自分の価値観で「美味しくなさそう」って言ってるわけですよ。
T子は肉野菜炒めなんか食べない。理由は簡単。「野菜が入ってるから」というもの。チンジャオロースなんかでも「ピーマンと竹の子が入ってるじゃん」という理由で喰わない。ホイコーロもそう。家で鍋ん時も肉ばっかりで野菜は殆ど入れないとか。
「これって税込800円なのでが少なめですよ。ご飯大盛りにします?」
「いや、普通でいい。それにしてくれ」
「ミニトマトサラダも付けます?」(こういうところはよく気付くんです。)
「そういうものがあるのか。君も付けるの?」
「アタシは野菜は付けない」
そういうデリバリーのサラダってマズそうだが付けてもらった。それでも1000円以内に収まるそうである。
私とT子の会話は10年の付き合いで成立している。傍らに若手もいるが私らの呼吸、会話に割り込んで来ないんです。下手に口を出すと怒られるからだろう。

前回もファミレスのデリバリーだったが、別に寿司でもピザでもいいんですよ。ラーメンや丼ものでもいいの。
でも麺は伸びるし、寿司はナマモノで固くなると冷えるし。前に寿司にした時、私が間違って他のスタッフのワサビ無しの寿司を喰らってしまってから寿司は取らなくなった。
冷えたピザなんか最悪です。中華も油っ濃いし飽きて来るし、夜だから胃にもたれて女性陣に大不評だった。
最寄駅にCoCo壱があって、カレーのデリバリーを頼んだら配達区域の制限があって、僅かでもエリア外だと頑として配達されない。やはりファミレスのデリバリーの方が無難なんです。

●●●●のデリバリーは1000円を超過するとグレードが上がるようで、例えばハンバーグ弁当なんかでも、1000円を超えたらエビフライがプラスされてるとかね。
私は現場の別の若手リーダーに「また●●●●だそうだね。●●●●でもいいけどさ。今回は弁当をグレードUPしようぜ。多少は1000円を超過しても構わんよ」って送ったのだがその返信は、
「T子さんが、1000円以下でないとダメだって言うんです」
「また頑固だなアイツは。1000円ってのはあくまで目安だよ。経理の〇〇(ジャン妻のこと)も多少はオーバーしてもいいって」
「その多少ってのが許せないようで。どれくらいならOKなの?そういうハッキリした正式なお達しが無いからダメだって」
固いんです。マジメ。臆病といってもいい。1000円を僅かでも超過して、後で経理や監査で言われるのがイヤなんだろうね。
若手はT子に私の言い分を楯に交渉したそうだが逆ギレされた。
「ダメだって。そんなに1000円以上オーバーしたいんなら〇〇さん(私のこと)のポケットマネーから出して貰え!!」とキレたそうである。キレなくたっていいのにさ。
「1000円超えてもいいったって、それって税込みなのか税抜きなのかもわかんないじゃん!!」とも突っ込まれたとか。
足りない分を私が出せばいいってか?
私もそれを考えたんですが、それだと経理上処理できないんです。領収書は総額だからね。仕方がない。現場のルールに従うよ。私は持論を引っ込めた。
でりばりーたち.jpg
そして当日。行ったらT子がPCに向かってデリバリーをネット注文してる。User登録済ですが1個1個入力してカートに入れる。このめんどい作業は以前は雪子が担当だったのだが今はT子自らやっている。若い者に任せる気は今のところないらしい。注文してる時のT子は「これ全部アタシのもの」と言わんばかりにニコニコしている。
作業がスタートして数時間、夜食のデリバリーが届きます。喰うタイミングは現場の長がOKを出さないとスタッフは喰えない。でも本社から応援に入る私は誰よりも先にイチバンに喰らいます。誰かが最初に箸をつけないと他の連中が喰い難いだろうという大義名分ですが。
で、私の喰ったもの。
ポークバランス.jpg
スカスカだね。何てショボい弁当かと。
右下に唐揚げが申し訳程度に1個だけあるのはまだしも、何でエビが入ってるんだか。無くてもいいのにね。青菜もちょこっとだし。
バラ肉の下に気持ちばかりの薄いキャベツ層があって水切が甘くベチャベチャしてやがる。
「どーですか?」(T子)
「まぁこんなもんだろ」
正直言いましてイマイチでした。キャベツの水切が甘すぎる。肉のタレまで薄くなってるじゃないか。ハンバーグにすりゃよかったよ。
写真を載せるほどのものじゃないプチサラダが付いてたが、レタスがパリパリに乾いていてトマトも潰れてた。コンビニの方がマシだよ。
作業は無事に終わったが腹がクチてない。会社経費だから文句言う筋合いじゃないが、これだけでは足りないし不満である。帰宅途中の口直しに上大岡の焼鳥屋へ22時半に駆け込んでしまったんですよ。閉店まで30分しかないので、生とぬる燗を同時ダブル注文して駆けつけ2杯をガブガブと飲んだ。
駆けこむ.jpgダブルオーダー.jpg
しっかり飲み直し.jpg
「ビールとお燗、同時にですか?笑」
「時間が無いからな」
「今日は遅いですね」
「今まで棚卸だったんだよ」
23時5分前に「お勘定!!」サッと出た。2杯だけど急いでかっこんだので帰りの市営地下鉄で酔いがまわったね。
ジャン妻は期末決算準備で本社にいたんですが、22時半頃・・・私が店に駆け込んですぐにメールが来たんです。
「終わったの?今から出るから」とあった。
「何故か上大岡にいる」と返信。
「何故に上大岡にいるっ!!」[むかっ(怒り)][パンチ][爆弾]
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