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世田谷城の隠れ遺構 [隠れ郷土史]

イモムシ電車.jpg
世田谷区は広いけどJRは通っていない。大手私鉄だけです。だから東急、小田急の区といってもいいが、世田谷線のかもしだすのんびりした雰囲気もせいか、世田谷区にお住まいのウチの社員は、「都会の田舎なのよ」とも言っていた。その社員は世田谷区世田谷に住んでるのだが、家までの道筋を説明するのが案外めんどくさいらしい。
東急線沿線を歩いて街道から逸れると、高所得者の一軒屋が多い感じがする。閑静でセレブな街だな~と思ったりする。世田谷区役所には公用でよく行くのですが、公用がてら、閑静な住宅街の中にある公園と、公園に隣接する豪徳寺に立ち寄った。
上州安中にある北野寺の記事で、その寺には来年の大河でおそらくやられ役で登場する井伊直孝公が幼少の頃に学問研鑚を積んだ旨をUpした。直孝公を含めた井伊家の菩提寺は豪徳寺境内の奥にあるのだが、そこも含めた一帯が世田谷城という吉良氏の城塞だったのをご存じでしょうか?
公園1.jpg
世田谷城はその筋には有名です。それは世田谷というブランド名で有名であり、前述のように高級住宅地の世田谷にあるから知られてるのかも知れないが、23区の中では土の起伏が残存しているように見えるからです。
だが世田谷城公園に行ってみると規模が小さい。しかも公園化の際に近代的な石垣で補強されているので、素人さんは「石垣の城?」と勘違いされるかもしれない。
世田谷城は近世石垣の城ではなく、土をかき上げて固めたものです。
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公園化されている.jpg
公園化の功罪.jpg
土崩れ防止の為に近代のブロックで補強されているので、輪郭がボヤけてしまってるんです。玄人筋はこの小公園を見て、「やり過ぎだ」、「整備し過ぎ」、「イメージを損なう」と思う人も少なくないのではないか。
公園には解説板こそ3つもあるが、そこだけだと規模の小さい城だなとしか見えない。近隣のセレブなママが子供たちを連れて喋っていたりする。
解説板1.jpg
だがこの小公園は城域の南端の一画でしかないのです。これだけなら数十人も立て籠もればいっぱいになっちゃうし、敵が攻めて来たらあっさり陥落してしまうだろう。
往時の世田谷城はここから豪徳寺を含めた一帯で、歩いてみると意外と広範囲なのがわかる。
フェンス.jpg
公園から北、住宅地に接する辺りはフェンスで遮られて入れない。そこから先は藪化している。藪化しているということは手つかずの森だということ。そこを意識しながら公園から豪徳寺方面へ踏み込むと、意外なところに「???」と思わせるものが残存しているようです。
残存しているようですというのは、私有地を含むそのエリアには踏み込めないからです。残存エリアと思わせる一帯は殆ど全てが立ち入り禁止か、もしくはそれに近いといっていい。
世田谷城一帯.jpg
上のMAPを見ていただきたいのですが。。。
城域の南端でしかない世田谷城跡公園の北は①のフェンスで遮られてる。そこから先の②一帯はは木々が生えていて雑木林かと思わせるが、実はその一帯に手つかずの遺構が残存している可能性が高い。だが②には踏み込むことはできない。
②に隣接して旧い団地がある。G住宅としておきます。その団地は公園より高い位置にあるのでそこも城域です。
だがその団地エリアには、「G住宅に用の無い方は立ち入り禁止」・・・不審者は警察に通報しますとまで書かれてないが、そういう注意を促す掲示が幾つもあるので立ち入りは憚られる。
団地脇の土塁.jpg
一旦諦めて豪徳寺参道を歩いて行くと右手に土塁の高まりが続いている。③です。これはマニアにも知られていて、人口的な手が加わった公園でガッカリした散策者が愁眉を開くポイントでもある。
これはちとアヤしい.jpg
豪徳寺の山門前、右手に空地がある。④です。そこにも変な土の高まりがあるが、それが世田谷城のものなのかどうか。住宅を建設しようとした残土にも見える。そこは広場になっていて、住宅開発しようとして断念したかのような空地になっています。そこにも表示上は立ち入り禁止になっている。
だが、そこから東、②に繋がる森を見ると、何やら手つかずの部分が遠望できるのです。
でもそこまではモラル上は近寄れない。立ち入り禁止を踏破して無理矢理に行こうと思えば行けますよ。でも周辺の家々からまる見えなんです。

②の森を見るにはどうすればいいか。豪徳寺の門前から東をぐるっと回ってみたのですが、②の森を背にして豪徳寺2丁目の高級住宅が立ち並んでいて何処からも入れなかった。警備保障を導入した家もある。おそらくその住宅に住まわれる方々は、家の裏窓から世田谷城の、一般人の目には触れない遺構を毎日見れるのではないか。
一部、住宅が立ってない(取り壊された跡地)箇所があります。⑤です。そこも立ち入り禁止です。
この写真は道路から⑤を遠望したものですが、何やら切崖になっていました。
住宅の裏から.jpg
魔がさしても絶対に立ち入らないこと。世田谷区はいい街ですが犯罪も少なくないので、不法侵入で警察に通報されますよ。

いよいよG住宅という団地の敷地に入るしかないか。
そこも高台になっていて坂の途中に、「G住宅に用の無い方は立ち入り禁止」とある。
幸い私はダークスーツ姿である。この恰好で上州の山城に入ると、山歩きのハイカーから怪訝に見られたことが数回あるが、ここは都心の一等地である。この恰好なら良くて勤勉な会社員に、悪くとも不動産業者に見えるだろう。何か誰何されたらきちんと名刺を出して本業を名乗るか、この辺りの物件調査ですとでも言うかな。
平日の午後、団地住民がヒソヒソ立ち話をしている。目が合おうものなら不審者扱いされかねない。自分らの生活圏内を守ろうとする独特の空気を体感した。長居はマズそうである。
さっき寺の参道から見た土塁③は団地側はコンクリで補強されていた。
コンクリで固めてある1.jpg
コンクリで固めてある2.jpg
団地の北へ廻る。豪徳寺に接する辺りの空地④に出た。そこは団地側からも出入りできないようになっている。団地の住民も豪徳寺に参詣しようとするには南側の公道に出て参道を歩かなくてはならない造りになっている。
団地の東側へ廻る。さっき豪徳寺山門から見た森がややハッキリ見えてきた。
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そこには横に長い緑の土手があった。
それは手前と奥にある。もしかしたら二重堀だろうか。
遺構拡大1.jpg
遺構拡大2.jpg
そこまで行けそうで行けず、届きそうで届かない、見えそうで見えない、確認できないもどかしさ。
ここから遠望するに留め、足早に引き返した。
私と同じように世田谷城を散策に来た私服のオジさんがいましたね。
続いている1.jpg
続いている2.jpg
世田谷城を強引に見るには、G団地敷地内に入って近隣住民のご迷惑にならないよう、短時間で節度を守ってサッと引き上げるしかないのです。
いよいよ森の中まで行くには「世田谷城跡見学会」というのに参加するしかないらしい。その見学会のBlogを見ると、私が遠望した二重堀のように見たものは実際はV字型の堀だった。
見学会の定員は50名程度かと。おそらくG団地の管理組合に話を通したうえで、年に僅か1回程度の開催かと思われるし、抽選でGETするのも難しいだろう。
普段は立ち入り禁止の場所に遺構が眠っている。何故、立ち入り禁止なのかはわからない。
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世田谷城の吉良氏は天正18年(1590年)の小田原征伐まで存続したが、一戦も交えず逃亡したという。おそらく家康を頼ったかと思われるが、高家旗本として復帰し、もしかしたら赤穂浪士に繋がるのかも知れない。
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逆走にでくわしたネタ [コラム雑記帳]

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ウチの責任者、伊東甲子太郎が運転する社用車の助手席で撮影したものです。
「電車で行くからいいですよ」と一旦は断ったんだが同乗を勧められた。「いやそんなそんな、お送りしますよ」って。お送りしますったってアナタの方が職位が上でしょ。それと伊東は飛ばすんです。都内から群馬の現場までは片道1時間で行けると豪語している。どんだけ飛ばすんだっつーの。よく免停にならないものである。
私の懸念を察したのか、「安全運転で行きますから」
「・・・」
「車内でお話ししたいこともあるし」
ああ、そういうことね。車内は密室なので動く小会議室に等しい。同乗者以外は話の内容が洩れる心配が無いからである。伊東は都内でも関東近郊でもくるま移動だが、車内ではそういう密談ばっかりなんだろうな。
話の内容が主題ではないです。某ICから高速に乗った際、路面にデカい→がありますよね。
これは関越道で撮影したもの。
入線したとき。
矢印1.jpg
帰途、追い越し車線で撮影。
矢印2.jpg
途中どっかのICから合流して来る前に伊東は追い越し車線に入ったのだが、ICの合流地点で追い越し車線にデカい→が描かれているのに気付いた伊東が、
「これってなんなんですかね?」
「このデカい矢印?」
「そうです。矢印の方向ったって前に進むしかないじゃないですか」
「???」
私は即答できなかったが気が付いた。
「これは逆走防止を表してるんじゃないの?」
「逆走ですか?」
「認知症のお年寄りが高速道を逆走してるってよく報道されてるじゃん」
私はここで「お年寄り」と書いてますが、敬老精神の無い私は車内で「お年寄り」なんて言ってないです。ジジイババア表現をすると品を疑われるので、いいとこジイサンバアサン呼ばわりです。
高速道での逆走は殆どがお年寄りです。認知症のケースも少なくないのではないか。最近でも9月22日、長野県の上信越道で群馬県在住の70歳男性が逆走した。その男性は警察の調べに「高速道路を走っているつもりはなかった」と話しているという。住まいが群馬県の何処かで帰ろうとしていたんでしょう。
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一般道の交差点でもないのに高速道の追い越し車線にデカデカと路面矢印が描かれているのは逆走禁止の警告であって、正しい進行方向を示しているんです。ICから合流していきなりUターン(右折)するアブない運転手が後を絶たない傾向にあるからですよ。
そこまで走って来たドライバー側から見たら、追い越し車線を逆走して来るわけでブッタマげるに決まっている。前述のお年寄りのように、Uターン後は左側を通行している気になって逆走しているつもりはないらしく大事故に繋がりかねない。
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私も実際に逆走に出くわしたことがあるんです。ホントですよ。
10年前の下り東北道です。蕎麦宿も含めた会津旅です。東北道を走ると川口JCTから下り103kmにある宇都宮ICでそれまで6車線だったのが4車線になる。左走行車線は日光宇都宮道路になって西へ逸れて行き、福島方面は片側3車線から2車線になるわけ。
蕎麦宿へ行く時のいつも下りる西那須野塩原ICを通過した。この日は蕎麦宿前夜が会津若松の「麦とろ」だったので、郡山JCTから磐越道に入って若松市内を目指したんです。
そのすぐ先、次のICが黒磯板室ICを過ぎた辺りのこと。
私は2車線になった右の追い越し車線を120kmで走行していたら、真っ直ぐ伸びている直線の先に小さい白い点、ボックスのようなものが見えた。
その白いボックスはみるみるうちに近づいて来た。それは逆走して来た軽トラで、助手席のジャン妻より先に私が気付き、幸い左車線が空いてたので左へ車線変更して事なきを得た。
高速のすれ違いだからほんの一瞬ですよ。でも私はその運転手がジイサンで、上半身裸で日に焼けていていた。農家のジイサンかもしれない。口を剥きだしにして笑ってたのが見えた。歯は上下どっちかは無かった。そこまで見えた。
バックやサイドを見たら後続のくるまが次々と左走行車線に退避していく。それまで走行車線を走ってたくるまも異変を察知したのか、スピードを調整して車間に誘うようにしていた。
それきり見えなくなったが、ジャン妻は、
「今の何!!逆に走ってるよね!!」
「警察に電話してくれ」
ジャン妻は携帯で、「白の軽トラックが下り車線を逆走してます・・・ここどの辺り?」
「黒磯ICを過ぎた辺り」
「黒磯ICを過ぎて東京方面へ走ってます。いえ、このくるまは事故ってません」
後はどうしようもない。私は前に走るしかないし、事故は無いのを祈るばかりである。
「よく気付いたね」
「目がいいからな」
私は30歳までは視力2.0だったんです。それが活きたのか。いや、その前に、前方にくるまがいなかったのが幸いした。大型車が前に走ってたら除けられたかどうか。
ジャン妻を動揺させまいと私は平静を装ったが、実際あっという間にすれ違ったので、無事にすれ違った後は「あれは何だったんだ?」状態だった。
あの白い軽トラのジイサンが何処のICから入ったのかはわからない。その日もその後も事故発生のニュースは聞かなかったので、何処かで検挙されたとは思う。
「あれって現行犯逮捕だよね」
「拘束されて、書類送検はされるだろうな」
という会話をしたのだが、事故を起こして死傷者を出さなければ行政罰(減点)だけで済むとか。刑事罰には問われないそうである。故意に逆走して死傷者事故に繋がると重くなる。アタリマエである。
その件を若松市内の居酒屋、麦とろ、で話したら、
「ホントけぇ!!!」
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まだこういうネットの世界を知る前の頃だから、現在ほど認知症、てんかん発作、お年寄りの高速道逆走、そういうネタがなかった頃の話です。
もうすぐ会津~蕎麦宿に行くのですが、あの逆走ジイサンはどうしただろうか。
もう鬼籍に入られたかも知れないが、そういうニュースを見る度に、那須を過ぎてその先、黒磯辺りに差し掛かると、ああ、そういうことがあったな~って思い出すのよ。
デカい矢印の説明に伊東は納得したが、別の本社幹部が「あれってそういう意味なんだ。もっと加速しろって意味かと思ってた」
そうじゃないって。
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チビタランチュラロッククライミング [日常の情景]

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自室の書棚です。
文庫本の棚をビルの階層に例えるとおよそ8階あります。
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この棚にチビタランチュラがいた。最初に発見した時、いちばん下の棚、真田太平記(池波正太郎)の棚にくっついてた。(ハエトリグモ、JUMPING SPIDER)
ⅰ―Phoneを持って近づいたら、私の気配を察したチビタランチュラは真田太平記に登場する忍びの如く本の壁を登って行く。
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滝口康彦の棚へピョンと飛び移ったチビタランチュラ。これでもチビタランチュラは命綱よろしくケツから糸を出しているので、失敗しても落下したりしないのである。

更にその上へ。何処までも上へ行こうとするのは何故だ?
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ⅰ―Phoneを近づけると、私を威嚇するように触手をサワサワ動かす。目がいいらしいので、私のことはどう見えてるのだろうか。
「コイツ生意気に威嚇してるぞ」
「ボクに構うんじゃないって言ってるのよ」(ジャン妻)
ジャン妻はチビタランチュラの気持ちがわかるらしい。さすが我が家の巨大女郎蜘蛛である。イデッ。

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白石一郎の棚に飛び移ったチビタランチュラ。そういえば滝口康彦も白石一郎も、本を置いてあるだけで何年も手に取ってないなぁ。(2人とも故人です。)
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チビタランチュラは私のパパラッチのような追っかけがウルサくなったらしい。目を離した隙に消えたと思ったら、隣の棚に移ろうと動きを転じた。左右にスライド稼働する棚の壁面に飛び付いてた。
私を撒こうとしてるな。撒こうったってここは私の自室だぞ。ヌシはお前じゃない。私だ。逃げられるものか。
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吉川英治の三国志の棚まで登って来たチビタランチュラ。
私は三国志を最初に読んだのが中学1年生の時です。この本は私の中では二代目で、初代の三国志はジャン実家でボロッボロになってる筈。
多感な中学生高校生にこういうのを読むとどうなるか。マジメな教育文学を受け付けなくなりますよ。
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三国志の上、司馬遼太郎の棚へ。坂の上の雲ならぬ蜘蛛。
翔ぶが如くの前をピョン、ピョン、ピョン、撥ねるが如く。
司馬さんの明治もの2シリーズは本題から逸れて司馬さんの退屈な余談が多過ぎるきらいがあるよね。いろいろ調査したネタを吐き出してるような頁が長いのです。記録文学のようでもあり、群像劇でもあり、主人公が西郷なのか大久保なのか、秋山兄弟なのか明治の元勲たちなのか、わからなくなって来るんです。明治という時代そのものが主役なのかも知れない。
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チビタランチュラはいつまで追っかけるんだよと思ってるに違いない。そしたらジャン妻がチビタラの気持ちを代弁するように、
「いつまで追いかけてるのよ」
「・・・」
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チビタランチュラはいよいよ私がウルサくなったのか、本棚の各回廊をピョンピョンするのを止めて棚の壁面へ飛び移り、そのまま本棚の上を目指す。急ごうとしてるようにみえるぞ。上にアジトがあるのだろうか。
最も最上段の棚、新田次郎の武田信玄まで来た。この先は本棚の屋根である。
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新田次郎は信玄びいき。謙信の「敵に塩を送る」を有り得ないと、川中島は武田軍の勝ちとハッキリ言い切っているが、続編の武田勝頼ではやや持ち上げるかのような表現がある。「上杉殿は姑息な策を弄さぬ人だ」とか、信玄の葬儀に謙信が代理を出したとか、あったかなかったかわからない手取川の戦いもサラッと描いている。
おっと、司馬さんじゃないけど余談が過ぎた。チビタラに目を戻すと、本棚最上段から更に屋根の下、スライドする本棚のレール部分にひっつき、光る眼?模様?私を威嚇するチビタランチュラ。
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本棚の屋根裏に消えた。
腕を伸ばしてⅰ―Phoneで最後の撮影。
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その後は知らない。こうして記事にしているのも同じ室内なのでいるなら同居している筈。
この追っかけ撮影日の朝、同じ室内のカーテンに小さいチビタランチュラをジャン妻が発見した。朝飯の時に1階の座敷にもチビタランチュラがいた。おそらく数匹の家族、同居人がいるようである。
だがチビタラは同類を見つけると闘い合う習性を持ってるらしいので、仲良く寄り添って生きているわけではない。http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-09-18
私はジャン妻のように「あっ、こんなところにチビタランチュラがいるっ」と叫んだりしない。何匹同居しててもいいからせっせと害虫を捕食してくれ。
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歯磨きレクチャー [歯医者]

1ヶ月以上予約待ちのインプラント手術の日が近づいてきましたが、その前にクリーニングで歯医者に来ました。
予約は9時半で、9時10分に直行した。
「早いけど、出社したら掴まりそうだから」
「ハイ、クリーニングですね」
出社したら掴まりそうだなんて大嘘、ミエである。私は社内で行政廻りを任されていて、全て自分で立てたスケジュールで期日(30日以内)までに終わらせているが、会社は私に丸投げする代わりに自分の裁量で決済できるので、会議なんかもう3年くらい出ていないしそういう立場でもない。ミーティングすら出ていない。それが幸いして勤務の合間にチョイチョイ歯医者に来ているが、会社中枢にいた40代半ばだったら歯医者なんか来れなかったと思う。

もう奥歯が無い状態にも慣れた。私はオヤシラズが4本生えきっているので、抜いた奥歯の側はそのオヤシラズが頑張って食い物をすり潰している。この状態でもさほど不自由しないし、60万も前払いしたのもったいなかったかなと思わないでもないが。

インプラント手術は30日を切った。その前のクリーニングです。
受付嬢は私の診察券と保険証を受け取ったら奥に引っ込んだ。そしたら奥でスタッフの嬌声が聞こえる。耳障りったらありゃしない。診療開始は9時半~でまだ間があるが、待合までキャッキャキャッキャ嬌声が聞こえるのもどうかと思うね。
オフィス街のクリニックは9:30~ってのが多いね。9時30分きっかりに私語、嬌声が止み、2名の受付嬢が再度、登場し、衛生士さん?技工士さんが迎えに来た。待合には私を含めて4人いたが、私も含めて次から次へと呼ばれて診察室に消えていきましたね。ってことは最低でも4室、4人同時に稼働しているわけか。
「〇〇さんこんにちは」
「ああ、どーも。お世話になります」
私相手にはいつものガリガリお嬢が登場した。ガリガリに痩せてる訳ではないこの子はクリニック内の力関係では最も後輩か、もしかしたら新人ぽいのだが、ボールペンくらいの長さの両端に釣り針みたいなのが付いた獲物を片手に持ち、予備校生の如くクルクル廻しながら私の歯石をガリガリ削るんです。
この子のエラいところは、ちゃんとマスクを外して挨拶すること。
病院でも薬局でもスタッフへの感染予防を前提に「マスクを着用しております」・・・これを「接客接遇としては相手に対して失礼」という意見もある。私もそう思う。私はもう現場を引退しているが、迎える時はマスクをハズすようにしていたものです。もっとも私の場合、マスクしてコンビニに行ったら警戒されるだけである。

「調子はどうですか?」
「奥歯が無い状態に慣れたよ」
ただ、奥歯が無いと、タンメンや野菜炒めなんかを喰う際に、抜いた奥歯の歯茎にキャベツやモヤシが挟まることがあるんだな。その時は違和感を感じる。
クリーニング(ガリガリ)が始まった。
歯茎に浸みるぞ。今日まで1ヶ月弱の間にまた歯石が付着したのか。長い時間をかけてガリガリグキグキ削っているんです。
私は目をつむっている。時折目を開けると、ガリガリお嬢がキレイな両目を見開いて私の口の中を見据えてるのが見える。まことキレイな目だが、魚眼レンズというかマグロの目ん玉みたいに見える。
片手に獲物を持っていて、削る場所によってクルクル回転させる仕草はまるでくの一のようである。削る切っ先を使い分けているんだね。
目の前に先の尖った獲物を見てるのはゾッとするので目を瞑る。そのうち疲れて口を閉じかけたりした。

なかなか終わらない。業を煮やしたのかガリガリお嬢は私の唇端に何かの器具をひっかけ、口が横に半開きの状態で固定した。その状態でガリガリグキグキ。大人しい可愛い子だが、内心ではイラついているようでもある。
ガリガリお嬢は私の右側に立っている。削る小道具は左側にある。時折、私のアタマの後ろ側に立って私の口中を縦に覗き込んだり、手を伸ばして道具を取ろうとすると、お嬢の胸が私のアタマ、頭頂部にブニュッと触れたりする。私も木石ではないので、これって何かのサービスか?と不届きに思ったりした。
「そういう風に思うってことはオヤジだよ」(ジャン妻)

「うがいしてください」、「倒しますね」、ガリガリ、これを1時間内で3回繰り返したら、
「〇〇さんお疲れ様でした。今日はここまでですが・・・あの・・・オペまでにもう1回、来ていただくことって可能ですか?」
「いいけど。何でさ?」
「歯石が多くて取り切れなかったんですぅ」
「ええっ!!」
そりゃ37年分だからな。いや、そういう理由でもないらしい。1ヶ月前にも今日と全く同じようにガリガリグキグキ削っている。その間にまた付着してしまったのか。
ガリガリは私に質問してきた。
「普段、どうやって歯を磨いてらっしゃいますか?」
「???」
「ちょっとこれで磨いてみていただけますか?」と言いながら、小さい歯ブラシを私に手渡した。
「普段、やってるようにか?」
「ハイ」
「こんな感じだよ」
そう言われてみて気付いた。私は歯の表はともかく、「裏はあまりリキ入れて磨いてねぇな」と言いながら、下、上、前、裏、左右奥、と磨いてみせた。
ここからガリガリお嬢の歯磨き指南が始まった。ガリガリお嬢は歯ブラシを自分の指(カバーしてある)を歯になぞらえ、「このくらいでいいんですよ」
要は力で押しつけるのではなく、毛先を歯の面にあてるだけでいいという。毛先を歯と歯茎、歯肉ですね。それと歯と歯の境目や歯間に垂直にあてるんだと。
「力で強くやっちゃうとこうなります」
ガリガリお嬢は歯ブラシを自分の指に強く押し当てた。なるほど力で強く押すとブラシ全体が曲がって広がってしまい、研磨になっていない。
「軽くこう動かすんです」
強く押し当てるのではなく、歯をマッサージするように軽い力で動かした。見てると毛先が広がらない。歯ブラシを小刻みにチョコチョコ動かした。
「全体ではなくて1本ずつ磨くんです」
37年間歯医者知らずだった私だが、歯並びはデコボコで美しくない。1本1本磨くんだね。

「次に裏を磨いてみてください」
私は自分の歯の裏に歯ブラシをあて斜めに磨いてみせたの。
そうじゃないらしい。「裏も歯ブラシをこう立てて・・・」垂直に磨くよう指南を受けた。
娘に説教くらってるようでもなく、得意満面というのでもなく、ガリガリは困ったような、心細いような、もう1回来させて悪いような、この人はこのトシまでこんな磨き方だったのを哀しむような複雑な表情ではあったよ。
「お忙しいでしょうけど。鏡を見ながら5分くらいかけて磨いてください」
「5分!!」
「ハイ」
「朝の5分は大きいな」
「朝は軽くでもいいです。でも夜は時間をかけて丁寧に磨いてください」
私は頷き、身体を起こしながら、
「歯石が付き易い歯質なのかな」
ガリガリは返事に困ったような表情をした。
私は上着に袖を通しながら、
「歯石が付かないようにするにはどーすりゃいいんだ。何かいい方あるのかな」
「やはりきちんと磨かないと」
私はこれまできちんと磨いてなかったってことだね。だけどインプラント手術てのはそんなにキレイに歯石を取らなきゃいけないのかい。埋め込む場所が決まってるんだからその周辺だけでいいんじゃないのか。それだけだと歯医者の使命感に触れるのだろうか。
私は上着を着ながら、「もう1回来るのは構わないけどさ。オペまでまだ3週間チョイある。その間にまた歯石が付いちゃって、次回来て削った後でまたもう1回来てくださいってことにならないか」
「それは大丈夫です」
「そうか。喰わなきゃいいんだな」
「いえ、それじゃぁ・・・」
ガリガリは困った表情をした。
処理済~左がガリガリガール.jpg
待合に戻って会計待ちしてたらガリガリが受付嬢に耳打ちしてる。
「もう1回」「全部は」、とか聞こえたから何を耳打ちしてるのかはわかったよ。「歯石が多くて全部は取り切れなかったからオペの前にもう1回来ていただくことになりました」ってか。
受付嬢は予約台帳をペラペラめくりだした。空きがあるかしら?という感じである。空きが無かろうが、ガリガリがもう1回来てくれって言ったんだから、私は自分の歯の手入れの雑さを棚に上げて、受付嬢が何て言おうと意地でももう1回、予約を押さえる気になっている。
ガリガリお嬢はマスクを外して次の患者さんの名前を呼び、診察室に消えてった。
待合は私だけになり、名前を呼ばれたので受付に歩み寄り、
「前回の会計が未払いだったろ。それと次回はXデーの予定だったが、さっきのガリガリ・・・ねーさんが、それまでにもう1回、来てくれって」
「ガリガリねーさん?」
受付嬢は診察室の方を見た。
「ああ、ガリガリって。ププッ(笑)アハハハハ(笑)」
ウケてしまったよ。昼休みか午後診の前に私がガリガリ呼ばわりしてることは本人に伝わったかも知れない。
「前回の会計は?」
インプラント注文費?予約金?60万前払いした日、混んだのと受付嬢まで診察室に駆り出されたので、「次回でいいですか?」と言われたので支払ってないのである。私の未収金、売掛金は月を跨いでしまった。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-09-17
ガリガリ呼ばわりを笑い終わった受付嬢が言うには、
「今日のお会計は〇〇〇〇円です。ええっと、前回の分は無料で」
私はツッコまなかったが、何かオカシイな。前回は無料だって?
前回は一眼レフやCTで撮影してるから検査点数みたいなのが発生してる筈だぞ。今日は取り切れなかったとはいえ、診察台に寝っ転がってガリガリ削っただけだから、無料なのはむしろ今日ではないのか。

私もマジメなので、その日の夜から今日まで時間をかけて磨いてはいる。
「そういうところはマジメなのは知ってるけど。でも5分もかかってないよ」(ジャン妻)
「・・・」
「それでも4分は磨いたぞ。夜は時間かけても朝は軽くでいいって言ってたぞ」
ジャン妻はそれもどうかと言う。寝ている間は唾液の分泌が少なくなるので口の中に歯石ができやすい筈だと。だから朝も時間をかけて磨かないとイカンというのである。
要は寝てる間は自浄作用が低下して、口の中の細菌が増殖しやすい状態なんだろうな。だから虫歯になる訳でさ。
だけど齢50を過ぎて自分の娘っ子みたいなねーちゃんから歯磨き指南を受けるとはな。ガリガリに習ったように、歯ブラシを斜めにあてないで垂直にあて、ブラシを潰さないように1本1本を細かに磨いてはいるよ。
だけど1本1本を磨いてると、下唇から歯磨き粉の混じった唾液や水がダラダラ溢れ出し、顎まで垂れ流しになるんです。カニが泡吹いたようになるのだ。鏡に移る己の表情が見苦しいったらありゃしない。
間違った磨き方を日頃している人が多いらしいが、私も50年生きて間違った磨き方をしていたという訳である。その現実を突き付けられた私はマジメなので、ガリガリに言われたような磨き方に替えた。で、もう1回、クリーニングに来たんですよ。その時、ガリガリお嬢に言ったの。
「5分も歯磨きしてたらさ。口ん中から唾液と水と歯磨きがダラダラ流れ出してさ。アゴがベチョベチョになるのよ。まるでカニが泡吹いたみてぇでさ」
「ええっと・・・最初は歯磨き粉無しで磨いて、最後の方で歯磨きつければいいんですよ」
「あ、そーか」
それだけのことか。
「では歯石取りますね。お口開けてください。浸みたら腕を上げて合図してくださいね」
またガリガリが始まった。
ガリガリお嬢は「キレイになってますね」と言ってくれたが、前回取り切れなかった上の葉や、上下4本生えきったオヤシラズまでガリガリ削りやがった。時折歯茎に鋭い痛みが走るのと、キュィーンって音のするヤツ、これが歯でガラスを引っ掻くような不快な振動で脳天に響くんだな。
細いバキューム管みたいなのも入れてる。これで削り落とした歯石を吸い取ってるのだろうか。時折口の中や舌にバキュームが吸いついたりする。
1時間くらい削ってましたね。この子はよほど歯を削るのが好きなんだな。
「お口ゆすいでください」
血が混じってやがる。
「血が滲んでるな」
「歯茎はどーしても出血するんですよ」
ああそうかい。もう終わりかなと思ったがさにあらず。ガリガリお嬢はまたヘンな小道具、獲物を出してきたぞ。
「こういうの使ったことありますか?」
歯間ブラシである。
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「これでちょっと磨いてみてください」
っていうかどうやって使うんだい?
「針金みたいだ。歯茎に刺さらないか?」
「歯と歯の間に入れるんです。鏡を見ながらやってみて下さい」
鏡を見ながらやってみたが意外と上手くいかないのである。歯間ブラシなんて使ったことないんだよ俺は。歯茎にブスッと刺さりそう。
よほど不器用なヤツと思ったのか、ガリガリがフォローしてくれた。歯と歯と歯茎の間の隙間に針金が刺さってるように見える。間は当然狭いのであまりいい気持ちではない。デカい魚の骨が挟まったような不快感。歯か歯茎の肉が削れそうである。
「受付でも売ってますよ」って。今度は商売かよ。

会計時に受付嬢に言われた。
「いよいよ次回はオペですねっ」[わーい(嬉しい顔)]
何をウレシそうに言いやがるか。
「当日に何か気を付けた方がいいことってあるの?食べちゃいけないものとか」
「その日はお酒とか、刺激の強いものは避けてください」
「ええっと、何時からだっけか?」
午後からになっている。半日休になりそうである。
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京急堀ノ内駅構内ミニ踏切 [鉄路と風景]

堀ノ内駅.jpg
横須賀市内の公用延長で、何故か下り立った京急堀ノ内駅。
京急本線が久里浜線と浦賀線に分岐する下り方面側に、一般人は絶対に渡れない踏切がある。
踏切1.jpg
踏切3.jpg
ミニ警報機がある。背が低い。
何だかミニチュアっぽい。
鉄マニアが昂じてついには自宅の庭に敷設してしまった人がメディアを賑わしたりしていますが、そういう類のものでもない。
もちろん方向指示ランプも点くし、警報音も鳴ります。小さいながら遮断機もついているので、機能は全て備えています。
でも、誰が渡るんだこの踏切?
踏切2.jpg
ローカル線で乗客が駅構内を渡る踏切にしては幅が狭過ぎる。線路を渡るスペースは人がやっとひとり通れる程度の幅です。無理に行き違おうとすると、線路内のバラストに飛びだしてしまうだろう。
L字型になっていて、退避場所もある。
一人が渡る程度の幅.jpg
浦賀方面から来た上り線の車掌さんが、久里浜方面から来る快特を迎えようとホームに下り立ったので、快特が到着するまでの僅かな時間に訊いてみた。
「聞いていいですか?」
「ハイ??」
「ホーム端にあるあのちっこい踏切は何?従業員さん用?」
「???・・・ああ、あれですか。そうです」
なるほどホーム端には一般人が下りられないように柵止めしてある。あくまで従業員が構内を渡る為のものです。
踏切4.jpg
設置理由を訊いてみた。
「もしかして京急社員が構内を渡ろうとして人身事故に遭ったとか?」
「いえいえ。そうではなくて、駅の渡り通路が結構離れたあっち側(上り方面)にしかないからなんですよね」
駅構内図を見ると、一般客乗り換え用の昇降階段が如何にもホームの真ん中にあるように描かれているが、実際のところはかなり上り方面に片寄って設置されているんです。エレベーターもそう。
横須賀中央側の通路.jpg
快特が来たのでそれ以上は聞けなかったのだが、旅客が渡る通路がり方面しか無いんだから、従業員もそこを使用すればいいじゃんと思わないでもない。職員さんの説明を聞いた私も、京急職員が自分らの為だけに作ったような印象しか受けなかった。
でも上り側の階段、乗り換え通路とは別にもうひとつ作るほどの需要もないのか知れない。
後日、別の職員さんにも聞いたの。「このちっこい踏切は乗客は渡れないの?」って。知ってて聞いたんだけど。返って来た答えは、
「そうなんです。職員専用なんですよ」
それでしかないようです。
駅構内.jpg
堀ノ内駅は島式ホーム4線です。複線同士が久里浜線、浦賀線と分岐するので線路が4線ある。1番線の線路は跨いでいたが、4番線の鉄路は跨いでいなかった。
あくまでホームからホームへの移動する為のもの。職員さんが2番線と3番線を跨ぐだけなんです。動線を短くしたいのでしょう。
写真は私の胡乱な質問に答えてくれた車掌さんです。
教えてくれた車掌さん.jpg
おまけです。この後、京急横須賀中央駅近くでのランチ。
味は悪くなかったんですが。
その日のお昼1.jpgその日のお昼2.jpg
その日のお昼3.jpgその日のお昼4.jpg
欠けてる.jpg
欠けた丼でだすなよっ!!
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荒川線沿い煉瓦造りの建物は何? [隠れ郷土史]

荒川区役所が公用先に加わりました。
そこには荒川線で行きます。千代田線か京成の町屋駅で乗り換えます。
荒川線1.jpg
荒川線は路面電車の名残を残しているが、一部の併用軌道を除いて殆どが専用軌道です。幾つもの踏切があって、道路優先でくるまに負けてるように見える荒川線です。
警報機が鳴ってるのに、踏切を渡るくるま、道路が青だとそっちが優先の風景を見かける。道路が赤信号になるまで荒川線は道路と自動車に遠慮して?一時停止してるんです。
荒川線2.jpg
荒川線の駅は、駅は駅なんだけどホームのある停留所、停車場感覚です。荒川区に行くには荒川区役所前という停留所があるのだが、私の赴く先は分庁舎なので、ひとつ手前の荒川二丁目の方が近いことに気付いた。
荒川二丁目停留所ホームに下りたら、何やらレンガの建物が見えるぞ。
???
レンガ造のアヤしい建物.jpg
まさか富岡製糸場?
そんなこたぁない。では何だろう。
正門前1.jpg
土塁でぐるっと廻った先に正門があって警備員さんがいた。立ち入り禁止になっている。
土塁の断面もレンガで固めてあり、敷地内の向こうにもレンガ造りの建物があるぞ。警備員とは別に守衛もいる。
正門前2.jpg
「あの富岡製糸場みたいなレンガ造りの建物は何です?」
こういうのは聞いた方が早いの。警備員さんは日がなそこに立っていて、ヒマそうに見えるし(失礼)、質問したら親切に答えてくれるものなのである。
「軍部の建物か何かですか?」
「ああ、ここは日本で最初の下水処理場なんです」
「下水処理場?軍部の施設じゃないんだ」
「軍のものじゃないですね」
奥に何かあるぞ.jpg
「見学は予約制なんですが、今の時間帯は大丈夫じゃないかな。ご覧になります?1時間半くらいのコースですが」
私は固辞した。公用途中だし。1時間半も潰すわけにはいかないよ。
「ここから写真、撮ってもいい?」
「いいですよ」
「すぐそこにある碑みたいなのも撮っていい?」
「いいですけど。白線の手前まででお願いします。規則なんですよ~」
なるべく奥まで入ろうとズカズカ歩く私を軽く制止した。これ以上入らないよう付いて来るんです。そしてパンフレットをいただきました。
発祥の地.jpg
現在の私設名は「三河島水再生センター」というそうです。
私が遠目で臨むレンガの建物は、軍部の建物でも製糸場でもなく、大正11年3月から稼働した日本で最初の下水処理施設で、「旧三河島汚水処分場喞筒場」という。喞筒はショクトウと読みます。ポンプのことですよ。
三河島水再生センター(みかわしまみずさいせいセンター)は、大正11年(1922年)に稼動を開始した日本で最初の近代的な下水処理場である。旧喞筒(ぽんぷ)場施設が国の重要文化財に指定されている。
望遠してみる.jpg
大正11年(1922年)の完成時の処理方法は散水ろ床法。
昭和9年(1934年)からはパドル式活性汚泥法。
昭和34年(1959年)から現在の標準活性汚泥法を導入。
旧三河島汚水処分場喞筒場施設は平成11年(1999年)に稼働を停止している。現在でも大正時代からの形をそのまま保持しており、耐震補強工事のうえで、「日本で最初の近代下水処理場」の重要文化財に指定されている。
製糸場と見まがうばかりのレンガ造りの施設棟、阻水扉室(ソスイヒと読みます。下水と一緒に流れてくるゴミを除去するところ)、沈砂池(土砂を沈殿させる)、濾格室(混じってるものをかき上げるもの)、濾格室上屋、量水器室、喞筒室暗渠(ポンプ室内の下水溝)、ヴェンチュリーメーター(水の流を調整し、水量を計測する)、土運車引揚装置用電動機室(インクラインのようなもの?残留物を引き上げる)、変圧器冷却水用井戸喞筒小屋、門衛所、敷地内の喞筒室周囲の擁壁、石造階段等。
見学イコール実際に稼働している汚泥や現物を見るのかって?旧施設は引退しているので中に汚泥なんかありません。見学に入っても臭くないそうです。
施設内フラッと入れなくて完全予約制なのは、テロ対策かもしれないですね。
パンフ.jpg
ひとつ思い出したことがある。
私は現在の会社に転職前は某工場地帯のさる施設にいたのだが、その会社には廃棄物処理、汚泥乾燥機、下水処理場といった環境設備のプラント部署があった。例えば何処かのゴミ焼却場や、ここみたいな下水処理場の汚泥処理施設の試験機導入とかに立ち会う部署です。(原発とかもあった。)
下水処理場の施設に派遣されるとキツいそうです。現物が流れて来る訳だからね。
若い者がそこに派遣されて事務所に戻って所長に言った台詞はこういうものだった。
「何で俺が〇〇をかき混ぜなきゃならないんですかぁ」
結局その若い者は辞めましたよ。でもそういう現場、作業、作業員は決してなくならない。隙間産業というものは絶対に必要なんです。誰かがそういう現場に入らなくては市民生活が成り立たない訳でさ。
私はそういう現場に配属されたらどうしようかと内心で心配だった時期があったが、幸いというか、そういうことにはならなかった。
味濃いランチ.jpg豚肉キクラゲ玉子炒め.jpg
その後、この界隈に数回、行ってはいますが未だに見学していません。事前予約というのがやはりめんどいんですよ。フラッと行って気儘に見学するという訳にはいかない施設なのです。
最後の2枚写真はその日に荒川区役所に立ち寄ってからの昼のランチ。味が濃かったねぇ。
荒川区役所周辺はあまりソソる飲食店がみつからない。三ノ輪まで出るとあるのですが。
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上毛高原駅そば [グルメ]

上毛高原駅周辺には飲食店は無さそう?
実はあるんです。駅前を右に行くと、小川城ぐらいの距離で「天丸」という蕎麦屋さんが11:00~営業しているんです。小川城を撤退したのが10:37分だったから、もう少し時間配分を気にするか、最初に調べときゃよかったんですがね。
小川城近くにも蕎麦屋さんらしき看板は出てたのですが、看板の文字がハゲていて、何処にあるのか、何処の場所を指してるのかサッパリわかんなかった。そのまま駅まで戻ってしまったのです。
次の上り新幹線は11:45発か。1時間もあるぞ。
待合に待ってる客が幾人かいた。空いた時間がもったいないとばかりにⅰ―Padに向かって何やら指を動かしている人もいる。
腹が減り過ぎて気持ち悪くなってきた。構内で途方に暮れてたら、
駅そば1.jpg
あっ、立ち食いスタンドがある!!
ジイさんバアさんの一行が蕎麦やらうどんやらをすすってる。他に競合店は無さそうなのでもう何でもいいや。あまり期待しないで券売機のかけうどんを押した。
天ぷらは避けた。舞茸とかき揚げが待機してたな。
うどん1.jpg
うどん2.jpg
これがまぁまぁ美味かったのですよ。コシがあった。さすがは上州だね。つゆは醤油色は薄く、鰹と昆布から出汁をとっていてやや甘かった。
生そばを計ってるとこ.jpg
うどんをゆっくりすすってたら、店のオバちゃんが生そばを計ってるぞ。
そうか。冷凍そばや出来あいの生そばじゃないんだ。持ち帰りの生そばも販売してるじゃないか。
見てたら喰いたくなった。まだ胃に余裕がある。天ぷらやかき揚げをチョイスしなくて正解である。
「もう1食喰うワ」
「ハイ?」
かけそばです。
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そば2.jpg
やっぱりうどんの方が美味いかな。蕎麦の実を挽きぐるみにした点々とした黒い粒が目立つ。乱切りではなく均等に揃ってましたよ。うどんほどコシは無かったけどね。
「ごっそさん」と言い置いて、待合で水上の観光VTRを見てた。
駅そばのカウンターに置いてあったいなり寿司が気になって気になって。
上り電車が来るまで10分を切った頃、いなりを買う気になったよ。どうせこの駅に来ることはそうそうないだろうから、後悔したくないからいなりも喰ってしまおう。
スタンドに戻った。
奥のふくろう親子の暖簾、何処かで見たことがあるのだが思い出せない。
何処かで見たような.jpg
今度は券売機ではなく現金を置いた。
「いなり」
「お持ち帰りで?」
「うん」
オバちゃんは、うどん、そば、そして稲荷寿司、よく喰う客だと思っただろうね。こっちもからかい半分に話しかけてみたよ。
「1日の売上どれくらいあるの?」
「え、ええっと・・・」
おそらく一期一会だと思いますが、何て無粋なことを聞いたものか。
「混む時は混みますよ~。観光シーズンとか。スキー客とかね」
混む時は混むってか。今日は空いてると言ってるようなものだね。
駅そば2.jpg
このスタンド店の名前がわからない。「上毛高原駅そば」にしておこうか。それしか思いつかない。
かけうどん&かけそばは及第点ですが、天ぷらがカリッとしているかベチャッと湿ってるか。敢えてTRYしなかったがそれで評価が変動するでしょう。駅スタンドの宿命というものです。
ホーム.jpg
車内で2.jpg車内で1.jpg
いなり寿司はいなり寿司でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなかった。
車窓から第二の故郷の風景が過ぎ去っていく。では帰京して東京神奈川ネタに戻りましょう。
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新幹線駅チカの城塞 [隠れ郷土史]

その城跡は上越新幹線の駅近にある。
駅からは歩いて5分足らずです。
こりゃ楽そうだな。実際、そこへ行くのは楽だった。着いてからも楽だった。道路は城域の高さと一緒だったからである。比高差がない。
上毛高原駅1.jpg
チケット.jpg
高崎駅9:51発、MAXたにがわ309号・越後湯沢行に乗車。乗車時間僅か16分足らず。10:07に上毛高原駅に着いた。
ここで帰りの上り電車時刻を確認しとくべきだったのだが。。。
上毛高原駅2.jpg

見えてきた.jpg
小川城標注.jpg
国道291沿いに徒歩5分。デカい案内標識があった。幟もはためいている。
国道は城域を横断している。向かって左側が本郭、道路を挟んで右の畑、集落が二の郭。
国道=城域の高さなので、そのまま入って行ける。一旦、堀の中に下りて本郭に上がる。深さは5m程度。
折れてる堀.jpg
堀1.jpg
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この時期、蜘蛛の巣がある。蚊もいる。
暑かったが、敢えて上着で身を護った。
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本郭の大部分は、何やら植林されているスペースがあって踏み込めない。整備されていない花壇?
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現地の解説板はこの城塞の興亡についてかなり詳しく述べてある。地元の「おらが殿さま」のいいトコだけを述べている訳ではない。
地元の沼田氏の支配下だった小川氏がいてドタバタ内乱している説明に10数行も割いている。その後、小田原北条氏の脅威が北上してきた頃のこと。
「大永4年(1524年)上方より北面の武士(京都御所軽微)浪人して此の地に来る。赤松則村の裔にして赤松捨五郎祐正と言う。客分として城内にとどまるうち次第に軍議にも加わり其の才を認められ、後に景季(小川景季という人)の後家と女合わせ、上杉謙信の裁可を得て名跡となり小川可遊斎と名乗る」
赤松捨五郎祐正~小川可遊斎とは何者なのか。
応仁の乱で荒れ果てた京から地方へ流れて来た浪人、若い頃の北条早雲(伊勢新九郎)のようなイメージだろうか。
解説板をそのまま読むと、内乱で城主がいなくなり、京都から名門・赤松氏の末裔と自称するアヤしい浪人が流れてきて、客分だったのが軍議にも加わり、おそらく小さい戦闘で功を表し、他に候補者がいなかったので前城主かその嫡男の未亡人を娶り、棚から牡丹餅のように小川氏の名跡を継いで小川可遊斎と名乗り、それを越後の上杉謙信が裁可したといふものだが、このままストレートに読むとちょっと疑問符が付く。
上方から赤松則村の裔、赤松捨五郎祐正が来たのが大永4年(1524年)。
まだ謙信はこの世の生を受けていない。享禄3年(1530年)生です。
そこに引っ掛かるかって?
由来1.jpg
由来2.jpg
上げ足を取るわけではないが、謙信が関東に影響力を及ぼすのは、関東管領上杉憲政が北条氏康に追われ、上州から越後へ逃亡したのが天文21年(1552年)以降である。この年の8月に謙信自らではなく、越後からは配下の本庄繁長他を上州に送り込んで沼田から北条軍を撤退させている。
上毛のいち土豪の内紛にクビを突っ込み可遊斎を裁可するとしても、可遊斎がこの地に流れ着いた1552年と、謙信の生年1539年では30年近くの差がある。
後に景季の後家と女合わせ上杉謙信の裁可を得て名跡となり・・・
後家さんを貰ったのはいいが、謙信の裁可を得たのはかなり後ではないか。タナボタで城主になった小川可遊斎が謙信の裁可を受けたのは遥か後年、関東管領上杉憲政を受け入れ上杉家の名跡を継いだ頃か、京に上洛して将軍足利義輝と謁見した頃(天文21年、1552年以降?)だと思う。

さっきからタナボタタナボタ言ってますが、小川可遊斎と言う人、戦巧者ではあったらしい。
可遊斎は小田原北条氏の軍勢を2度撃退している。
初回は天正7年(1579年)10月、謙信の跡目相続争い(御館の乱)で北条家出身の景虎を救援できず北条氏照、氏邦兄弟が関東に撤退した際、腹いせまぎれに小川城を攻撃したが小川可遊斎はこれを撃退した。
翌天正8年(1580年)、可遊斎は上州に進出して来た真田昌幸勢と共闘して再度、北条氏邦の軍勢を撃退している。この戦闘の背景は真田の主君、武田勝頼が、上杉景勝から黄金を貰ってと和睦し、形の上では甲越同盟になったので、武田と北条が手切れになってしまったからである。対北条戦線で「敵の敵は味方」の構図になり可遊斎は真田の寄騎という形にになった。
だが真田昌幸はこの地、小川から先の沼田が欲しいのである。小川可遊斎のアタマ越しに沼田城へ調略の手を伸ばす。これが北条氏邦を本気で怒らせ、天正8年の秋に3度目の攻撃を受けた。それほど大きい城ではないのだが、「数倍の兵力を以って小川城を囲む」とある。
小川城は陥落する。可遊斎は上毛高原駅の西にある見城山の柵に籠って抵抗するが、水や糧秣の補給に苦しみ、自分を認可してくれた謙信不在の越後へ落ちていった。
この時、真田昌幸は助けに来なかったらしい。結局真田はこの地をGETするのだが、この辺りはちょっとアヤしくもある。
最後に抵抗した見城山が見えます。
最後の抵抗.jpg
これは二の丸一帯。集落と畑、後はヤブです。ヤブを除いて完全に私有地です。
向こうは二の郭.jpg
二の丸1.jpg二の丸2.jpg
二の丸3.jpg真田伊賀って誰?.jpg
地元のヒーロー可遊斎が光芒のように輝くのは天正7年と8年の2年足らずでしかない。だが小が大を撃退するサマは痛快ではある。
最後に振り返る.jpg
楽チンな訪城であった。道路と城域の高さが同じなので、平城と見間違うばかりである。
それでも靴と裾がやや泥で汚れてしまった。
自販機で水を買って洗った。本郭の入口には自販機があって、そこで水分補給はできます。WCは無いです。(それでも泥汚れは落ちず、帰宅してからすぐさまクリーニング屋へ直行。)
最後に振り返った上の写真の時刻は10:37で、駅に戻ったら、10:41の上り電車が行ってしまった後だった。
次の上り電車は11:45発、MAXたにがわ410号までないぞ。
腹が減った~。
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うさこと梨 [Cafe]

椿町に灯る「灯り屋」です。
向こうに光るのはチョウジンソウです。
椿街に灯る.jpg
見上げたら、2階の奥も電気が点いていた。宿泊も始まったのだろうか。
入ろうかなどーしよーかな。そこそこ混んでるように見えたので、やっぱやーめたって踵を返そうとしたら、中から2組のお客が帰るとこで、見送りに出て来たH君(うさこの弟分)に掴まってしまい、中へ誘われた。
店内.jpg
飲み直し.jpg
エアコン効いてねーじゃん。
扉全開なの。外の自然の風を入れようとしてるのか?蒸し暑いくらいである。虫が飛んできたらどーする。前のCafeなんかWCに蝙蝠が飛んで来たからね。開けっ放しはダメよ。ビールもぬるくなってくるじゃないか。
たまりかねて私は言った。
「暑くねぇかぁ?」
「暑いですか?ホントだ。汗かいてるぅ」
うさこは私の額から頂頭部を見て笑った。
「扇風機回します?」
「扇風機もいいけどさ。エアコン故障したの?」
「エアコン入れます?」
「うん。暑いって。頼むよ」
揚げ.jpg
「2階点いてるね」
「今日はお泊りのお客がいるんです。この間も、ヒッチハイク」
「ヒッチハイク?女性ひとりで?」
「そうなんですぅ」
「そりゃ度胸あるね。ヒッチハイクなんて今の時代にそぐわないんじゃないの?」
「コツがあるそうですよ。夜はヒッチハイクしないとか」
「乗せる側も多少の緊張が伴うよな」
ルトガーハウアーのヒッチャーを思い出したよ。
処理済~梨を剥くうさこ.jpg
「群馬の何処が好きなんですか?」
「う~ん。。。海が無いからかなぁ」
「???」
「ウチは神奈川だから海があるけどさ。海って他所からも人が大量に来るし、お金は落としてくれるけど中には騒がしい連中もいりし、荒れるし、汚すし。群馬は海が無いからそういう場所が無い気がするんだよね。海が無い場所の人間性も私に合ったんだよな」
「へぇ~。私は海を見ると、もう、海だぁぁぁぁぁぁっってなりますよ。海は広いな大きいなって歌知ってます?」
「そりゃ知ってるさ」
国民的な童謡ではないの。幼稚園か小学校低学年で歌わせられたよ。
「あれって作った人は群馬の出身なんですよぉ」
「!!!」
迂闊にも知らなかった。文部省唱歌でもあり、日本の歌100選にも選ばれている。
作詞は林柳波(リュウハ)、群馬県沼田市の出身。
作曲は井上武士、群馬県前橋市の出身です。
「そうだったんだ」
「群馬の人って皆、海に憧れてるんですよ」
私は学校の教材で歌わせられた歌曲、読まされた有名作家の著書に疎いところがあるの。文部省が推奨するものに若干の抵抗感があるんだな。中学1年の頃から吉川英治の三国志を読んだりしてたからね。
作詞家、作曲家にも疎いのです。
一杯めと梨.jpg
「梨、食べます?」
「梨?もしかして榛名の方の梨?」
「里見梨です」
「ああ、里見梨ね」
里見ね。旧榛名郡里見村。南総里見八犬伝里見氏発祥の地と謳ってる。里見橋台を里見軌道の跡と錯覚して散策したなぁ。(実際は明治の水道管橋台だった。)
里見城、焼きそば永井商店、他にもいい店がロードサイドにあった。里見橋台散策時、第6号橋台近くの果樹園のオバちゃんとこで、梨のジャムを買ったこともあるな。
梨はオンザロックに合うのですよ。
「どうですか?そんなに甘くないでしょ」
「うん。程よい甘さ。滅多に喰わないけどね」
「食べないんですか?」
「だって皮を剥かなきゃなんないし。剥けないし。スイカなんかでも種があるからめんどくさいしさ。コース料理のデザートに果物があったら仕方なく喰うけど。あげちゃうこともあるし。デザート要らないって拒否ったり・・・」
なんてブツクサ言いながら、うさこに剥いて貰った梨を2個も平らげてしまった。梨は二日酔い防止にいいらしい。
二杯めと梨.jpg
これまで果物は喰わない人だった私だが、この時の梨がクセになって、家でも洋画見ながら梨かリンゴでブランデーのオンザロックを飲ったりしている。
でも皮を剥くのはジャン妻である。私ではない。

これは別の日にいった時のもの。
梨二種類食べ比べ.jpg
皮を剥く前の2つの梨があって、ひとつは皮の表面がツルツル、もうひとつはザラザラだったのね。
「どちらが甘いか比べてみてください」って言われた。
「こっちの方が甘いな」
「こっちの方が甘いですか?ツルツル、ザラザラ、どっちだと思います?」
ツルツルしてる方が甘かったんですよ。美味しい梨の選び方というのおをググッてみたら、梨は表面、皮がザラザラしてるののは、充分に熟していないんだそうです。熟すと表面のザラザラや茶色い斑点が消えていくんだと。ツルツルが食べごろで見た目にも艶ができるんだって。
すぐ食べるならツルツル。食べるまで日があるならザラザラの方が長持ちするんだとさ。
うさこ.jpg
ビール1杯、ロック2杯で打ち止めにした。これ以上飲んじゃいかんって理性が働いたのである。
最後にうさこはこんなことを言っていた。
「営業時間を見直そうかと思ってるんです。お泊りのお客は早く寝たいだろうし、下で長い時間開けてたら迷惑だろうし。6時OPENを前倒しにしょうかなと。」
それは泊まるお客がいてのことでしょ。このCafeはいい店で私も大分、慣れて来たが、やはりお友達同士で盛り上がってるし、羅漢町の頃からの常連客に助けられてる感は否めないよ。前のCafeからのお客は泊まらないんだから、新規の顧客を開拓しないとね。
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くいものや [グルメ]

くいものや.jpg
久々ですが2夜連続でこの店に行った。2日とも同行者がいたんです。
第一夜は現地の社員で私より年下の女性。オバちゃんです。http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18他に登場したEという女性、オバちゃんです。
この過去記事で、Eは私に「Nさんがタイヘンだよ~」とヘンなリークメールをして来たのですが、私はEが言うところの男性のNと、別人で若い女性のNを勘違いし、Nがタイヘンとは懐妊かとダブル勘違いをして大ヒンシュクを買った。
Eは往時はパートだったのだが、私が正社員に登用する稟申を上げて雇用形態変更と相成り、某現場の長になっている。
お喋り、地獄耳、お節介な女だが、私は情報提供者として利用している。
Eから私のことを「ウチの会社でまぁまぁ信用できるひと」って言われたことがある。それくらいで私はのぼせ上って高いとこに登ったりしないけど。まぁまぁかよ。
まぁいいか。そのEが私に、
「今度いつ来るの?ハナシがあるんだけど」
何か情報提供でもあるのかと肚を括ってこの店で会談に望んだ。
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話の内容は、本人と本人の家庭事情による云々という内容にプラスして、現場の問題がランダムにズラリ列挙。提供された情報は私にとって!!!ばかりであった。なんなんだよそれは?ってネタ、問題ばっかりだったのね。
(この出張から戻ってから今日までその問題は解決していない。私は週明けにまた現地に赴くことになるのですが。。。)
店はガラガラ。他に誰も客がいなかったのでよかった。Eはオバさん声なので、マスターもそのヤバイ情報は嫌がおうにも耳に入っちゃっただろうね。
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過去記事「イニシャル」に登場した女性Nは今年の春に挙式、現在ホントにご懐妊で安定期に入っている。年内には産休に入る。
「Nさんもご懐妊だからね」
「前もそんなネタになったな。あんなイニシャルだけで思わせぶりなメールよこしやがって」
「あれは〇〇さん(私のこと)が先走って騒いだだけじゃ~ん」
「今度はホントだよな」
「ホントだよ。会ったの?」
「今日本人に会ったよ。自慢げにお腹を見せられた。そういえばアナタはNの披露宴に出たんだよね」
「出たよ」
「後でNから、〇〇さん夫妻(私とジャン妻のこと)をお誘いするの忘れましたすみませんって言われたよ。忘れたんなら忘れたままでいいのにさ。そんなん後から言わなくたっていいのに」
「マジメだからだよ。どうだった?お腹目立ってた?」
現場でNは私に「見て下さい」って自分のお腹を見せた。時折動くんだって。幸せそうな表情だったね。
ところが私は「もう懐妊かよ。早過ぎるっ。ヒマなのか。娯楽が少ねぇのか」って暴言吐きまくってしまった。他にスルことがないから懐妊したと言ったようなものである。
「そんなこと言ったのっ!!」
「いつもの悪い冗談だよっ。大事にしろよって言ったさ。若いウチに勢いで産んじゃった方がいいんだとも言ったな」
「・・・」
ポテサラ.jpg
この後、Eを連れてここに行って飲み直し。
アヤしい灯り1.jpg
この店ではまぁさすがに大人の会話だったよ。
「銀座でこういうBARに行ったことあるよ」
「銀座?中央銀座アーケードか?」
「東京のだよっ!!」

翌日も行ったのです。たまたまこっちに出張に来てた後輩、男性を連れてったの。その男性はhttp://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-04-14-1に登場した。http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-10-26-1にも登場。
仮にMとしておきます。Mは10数年前はトンがってた不良社員だったのが、あるきかっけで更生し、「今後は会社の為に働きます」と宣言し、今は私を抜いて役職がひとつ上になっちゃった。でも未だに私に対して上役のような丁寧な口の利き方をする。私も皆の前では彼をたてて普通に丁寧な口調で話すようにしていますが、2人だけになると昔の口調に戻る。
不良社員から成り上がったので「サクセスストーリーだな」って冷やかしたらテレたように笑ってた。
「出世したから給料も小遣いも上がっただろ?」って聞いたらそうでもないようである。そのMは私より2日ほど先に上州に来ていた。
「今回みたいな出張の時って、夜は何を喰ってんのさ?」
「ええっと。昨夜もひとりでどっかいいとこないかな~って探したんですが、結局みつからなくって」
コンビニかラーメンで済ませたなコイツ。で、今宵は何処へ行こうかって話になって、
「高崎駅近くの・・・魚を焼く店ってありますよね」
コイツは居酒屋シロートだな。
「〇〇水産とかいう店だろ。止めといた方がいい」
「え?よくないスか?」
「おとおしから海鮮焼が出るかもよ。イベントとしてオモシロいのはそこまで。焼肉なら自分で焼き加減がわかるけど魚だよ。鮮度もわからないし。だいたい客に調理させるような店はダメよ」
「へぇ。なるほど~。でもこの辺ってあまり店が無いですよね」
店はあるよ。ますますもってコイツは酒場シロートだな。
「あるよ。再開発で郊外のロードサイドに人が流れちゃったんだよ」
「どっかいい店ないスか?」
「どんな店がいいのさ」
そしたらこう言ったものである。
「刺身だけぇとか、魚ばっかりとかって店はちょっと・・・」
「あん??たった今、海鮮焼きに目ぇ付けてたじゃんか。刺身や魚を避けたいって?」
「い、いや、刺身もいいんスけど。魚だけしかないっていうような店は・・・」
注文の多い野郎だな。この要求で田町の「浜潮」は選択肢から消えた。結果、日本酒路線からもハズれてしまったのだよ。
肉がいいのかな。和洋折衷ならぬ魚肉折衷なら「酒悦七」がいいんだけど、外から見たら生意気にもカウンターが混んでて2階の電気も点いてたので、こりゃぁ店長テンパってるなと思って断念。
「まる飛」も電話したら満席なんですと言われた。

駅からどんどん離れいく。暗いので心配そうである。
「〇〇さん(私のこと)って、高崎で何軒くらい知ってるんですか?」
「少なく見積もって30軒。行き付けは10軒くらいかな」
「でも、駅からどんどん遠くなってくっスね」
「駅から離れた方がいい店があるんだ」
「そうなんスか?」
「駅前ってのは人が多いから何も努力しなくても集客できるじゃないか。駅から離れた店舗はそうはいかない。差別化を図るしかないんだ」

で、2夜連続同じ店になってしまったというわけ。
くいものや.jpg
串カツ2.jpg
「こ、こんな美味しい串カツって、喰ったの初めてっス」
だろーな。普段、安い店ばっかり行ってるからだよ。
「でも、高いっスね。串カツがこんな値段するとは!!」
「・・・」
高い高い言わないの。もう出世したんだから、お財布の中身でも何でも男の甲斐性を試されるよ。
みにぴざ.jpg
ステーキ.jpg
あんかけ焼きそば.jpg
上州にひとり、若手幹部候補がいる。
「アイツはまだ無理じゃないか。内部はともかく、外部、業者との折衝とかは無理だよ」
「でも、やらせるっかないです。自分だってそうだったんだから。大丈夫です。やらせりゃできます」
「そうか。そうだな」
「・・・」
「君が言うからには凄ぇ説得力だ」
勘定は私が支払った。「群馬では俺が持つから、東京では君が出してくれ」って言ったら、「と、東京の方が高いじゃないですかぁ」って絶叫しやがった。
夜の高崎.jpg
後輩はあまり酒を呑まないヤツなので、駅近くのホテルに戻ってった。
「この後、どっか行くんスか?」
「もう1軒だけね」
「スミマセンお付き合いできなくて」
逃げの上手いヤツだな。この調子で本社の付き合い酒も避けてるらしいのだ。上との付き合い酒もこなさないともっともっと上に行けないぞ。
でも正直、別れてひとりになったことでホッとしたのもある。だってビールは殆ど飲まないワ、日本酒も飲まないワ、酒の価値観の違うヤツと酒席を共にすると結局は相手に合せなきゃならないからな。
消化不良の私は2軒めへ向かった。くいものや辺りまで戻ってその先、椿町まで歩いた。だから2往復以上も歩いたんですよ。
椿町の模様は明日Upしますけど、この記事をUpした今日の昨日も初日に同行したEから連絡が来て、
「ウチの子らの面談をして欲しいんだけど」
「何でさ?私と?今更?」
「不満が溜まってるから。伊東さんでもいいよ」
だったら最初っから伊東を呼べばいいのに。でも伊東甲子太郎は統括責任者だからいち社員の文句や不平不満なんか聴かないぞ。今回の群馬シリーズは「いい加減、私から親離れしろ」で始まったが、どうもなかなか離してくれないようである。
椿町に続きます。
椿街に灯る.jpg
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まる兵ラーメン [ラーメン]

再訪時1.jpg
アクセス数が多い記事「定年の足音」。。。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14
この記事で同席した方と2軒目、BARに流れ、そこでも飲み直したが、相手は私よりも年長者であまり食べない人だったので私は小腹が空いてしまった。
既にビールも日本酒も洋酒も呑んだのでこれ以上のアルコールは明日に差し支える。呑んだ後のラーメンは身体によくないとわかっているけど。量の少ないラーメンでも食べよっかな~。
高碕駅前ロータリーから市庁舎の方へ伸びるシンフォニー通り、あら町交差点の次の信号機辺りにある店に向かいました。
市役所からは一番近いラーメン屋。シンフォニー通りは駅からここまで来ると他に飲食店が殆ど無い。飲み屋街やホテルから離れているので見落としていた。
平成24年に住んでた1年間で昼に1回か2回訪れた記憶があるけど、現在のようなルックスではなかったような気がする。
夜遅くまで営ってる店でそこだけ灯りが点いている。11:00~翌2:00まで。(日祭日は24:00まで)
そこだけ光る.jpg
厨房が高い.jpg
変なカウンター.jpg
かな~り狭い店で、席数は折れ曲がったカウンターに丸椅子10席程度だがそれもギリギリ。無理して置いたテーブルは狭く隅っこに2席。背後にも2席かな。テーブル席はカウンター幅ぐらいしかない。それを2人で向かいあって丼2つ置いたらそれ以上は置けないかも。
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メニュー1.jpg
メニュー2.jpg
メニュー3.jpg
スープは基本2種類。醬油豚骨と鶏白湯がベース。豚骨醤油、鶏塩、つけ麺、油そば、冷やし坦々、博多ラーメンというまぁまぁのラインナップで、博多ラーメン以外は替え玉ひとつ無料。
夜だったので醬油豚骨は避けて、塩とりそばにTRY。
出される前からな~んとなくどんなものか想像はつくよね。
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クリーミーな塩味のスープ。
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チャーシューは表面を軽く炙ってあって香ばしいのだ。
炙ったチャーシュー.jpg
麺は細麺ストレート。博多ラーメン・・・とも違うな。
細麺ストレート.jpg
食後の丼.jpg
あっ、こんなにスープを呑み干してって思ったでしょ。
そうじゃないのよ。スープが少ないのよ。高崎に限らず上州のニューウエーブ系ラーメンはスープが少ない店が多いよね。
このタイプのスープには中太ストレート麺か家系でよく出る太麺のほうが合いそうだが、店内は狭いし、替え玉を出しながらお客の回転を早くするには太麺ではロスが多いんだろうな。
替え玉はしませんよ。麺は伸びるものだから最初っから大盛りにしないで替え玉が生まれた訳だよね。私は替え玉を否定はしないけど、あれは偽りの満腹感ではないかい?
最初に提供された麺はスープと馴染んでいる。でも替玉はあくまで麺だけのお代わりだから、残ったスープと馴染まないと思うのだ。スープは多くないからねこの店。
替え玉を喰うくらいなら、もう1杯食べますよ。
行燈.jpg
でもクリーミーな上品さ。後味がとても良いラーメンでした。ワリとアタリだったので、2回めは鶏醬油にしたのだが。
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鶏醬油1.jpg
スープ.jpg
う~ん。見てのとおり、ちょっとこってりですね。
今の私には重かった。スープが少ないだけに、何だか身体に悪いものだけ摂取しちゃったなぁという感じでした。
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麺.jpg
カウンターにガーリックとプレス器具があってこれは無料らしい。私の隣にいた小僧が2つも潰してラーメンに入れてましたよ。
潰す時にブシッってニブい音がした。すぐにニオイがこっちまで漂って来た。麺もスープも少なめなので、2つも入れたら1杯のラーメンに占めるニンニクの割合は大きいと思うんですけど。
自分のじゃないだけに余計にニオったね。
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塩を喰った初回の翌朝はノープロブレムだったが、2回め、醬油を喰った翌朝はすぐには腹が空かなかったですよ。何か胃の腑に残留物が残ってるような気がしたね。でも店が悪いんじゃないです。私がトシなんです。若い人向きだと思うな。
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ラーショ数年ぶり!しかも安中市! [ラーメン]

隣のお客に出されたラーメンの丼と、ルックスを見て気がついた。
もしかしてこの店、ラーショではないのか?
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実際、ラーショ(ラーメンショップ)だったのだが、JR安中駅から道沿い、線路沿いに300mほど西にあります。店のすぐ隣はJR鉄路の敷地内で、鉄路と道路に挟まれた鰻の寝床のように細長~い店。
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店は道路に面して左右引き戸の入り口を敢えて封鎖し、そこに僅かばかりのテーブル席を配置してある。入口は細長い店の東西2箇所にあって、そこから出入りするようになっている。駐車場も東西の出入り口に面して数台ある。
安中駅側の駐車場は縦列4台で、ちょっと停めるのにテクを要する。
路駐は無理。店前には自転車専用道があって、自動車道との間に路肩の縁石だけが出て仕切られているのです。そうでなくても安中警察は違反に厳しいので路駐は絶対に止めた方がいいです。
これぞラーショである.jpg
オーソドックスに醬油ラーメンにしたら、やはり懐かしい?ラーショそのものではないか。
丼が平たく大きいんです。バリバリでもないがマイルドな豚骨醤油です。
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片手に持った3枚の花札のようにチャーシューが並んでいる。熱々のスープにチャーシューをスープに浸すとスープが適温になってくる。
麺は細かった。後述しますがラーショの麺は伸びやすいので、写真に収めると急いで麺を引きずり出しました。
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スープ.jpg
ラーショとはご存じのようにラーメンショップのフランチャイズチェーンで私の地元にもあります。
店のある場所が住宅地とも農地ともいえないスプロール地区で競合店が殆ど無いのが功を奏してか、20年以上頑張っている。それも朝から営っています。ロードサイドにあって駐車場完備。大型車が路肩に停めやすいように前の道路は広い。確か毎週決まった曜日に低価格になるんだな。
私も二桁は利用したが、利用してたのはBlogを始める前です。実は白状すると、私が行くラーメン屋の最高峰は本牧の「大将」という店で過去に何回も登場してますが、Blogを始める前は第2位が地元のラーショ某店だった。
もう何年も行ってないし、今後も行く可能性は限りなく低いし、行こうと思わない。他で美味しい店をたくさん知ってしまったからです。
Blogを始めてからの2010年以降は全く行かなくなった。行ったらBloggerのサガで書いてUPしなきゃならないし、いい記事に仕上がる自信が全くないし。
ラーショは巷のラーメン屋さんの中でも品格は高くない。ラーメンに品格なんて不要かも知れないが、いい意味での品の無さが魅力かもしれない。私が通った地元のラーショの麺はスープはその辺にありがちなマイルド豚骨だが温かった。ムラ、ブレがあって、味がまばらで、器のスープ全体に均等に行きわたってなかった。
味噌なんか特にそう。底の方ほど濃かったりする。
麺はストレートのやや中細麺で、見てると茹でる時間があまりに短く、殆どほぐしてないのがカウンター席から丸見え。水切も丁寧でない。すぐ伸びます。伸びが早いのでボリュームがあるように錯覚しがち。粉っぽいし、塊とまでは言わないけどダマになってる時もある。
ラーショはトッピングにネギが必ずあるようで、それもタレと胡麻油で和えた物凄いネギです。食べ終えてしばらくするとく喉が渇くのは化調の力でしょう。味噌なんか特にそうだね。
私は第三者には絶対におススメしない。でも数年前までは利用していた。この世界に入る前はね。
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私はここ安中のラーショがそうだと言ってる訳ではないよ。ここのラーメンも確かに粉っぽさはあったが、伸びは遅かったように思うし、そんなベッタベタに濃くなかった。紅ショウガがアクセントになっており、薬務のネギと併せていい味を出していた。
店主もおねーさんも優し気だった。
店内は狭い.jpg
トテモ狭い店内だがやたらと漫画があるのよ。本棚があって、カウンターの各席毎にある。整理御整はされていないし、マンガの単行本順になんかなっちゃいない。マンガはラーメンが浸みてボロボロ・・・でもないが、年季が入っている。宮下あきらさんの書き下ろしマンガや、真船一雄さんの「スーパードクターK」なんかが置いてあったよ。待ってる間に読むしかないけど、マンガなんか読み出したらキリのいいところまで読まないと気が済まないだろうから、お客の回転が良くないかもね。
家族連れもいました。カップルもいた。何と小学生だけ6人も来て、空いてた4人テーブルと、贅沢にも安中駅側の個室に通されてた。
さては私をお坊さん呼ばわりした安中小学校の子供らではないか。親に「お昼はラーメンでも食べて来なさい」って小金持たされたんだろうか。
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まさか上州安中で5年か6年ぶりにラーショに入るとはな。でもここに入ったからといって、私の地元のラーショには・・・お・そ・ら・く・・・もう多分・・・入らないだろうな。
確かに道路に面して現在は封鎖されている扉の上には、赤い看板に太くて白いフォントで「ラーメンショップ」とあったよ。
懐かしい味で偽りの満腹感?大好きな安中市だからまぁいいかと己を納得させながら現場に戻ったら。
ヤンキー娘の1人が、「〇〇さんお昼食べましたぁ?」
「喰ったさ。だってもう2時前だぜ」
「食べちゃったんだぁ。なんだぁ。せっかくお弁当が余ってるのにぃ」
「なにっ?弁当だと?」
メーカーさん主催の勉強会でどっかの仕出し弁当を取ったらしい。幕ノ内の残骸がそこらじゅうに散らばってる。まだ2個くらい余っていた。
「美味しかったですよぉ」
「それさぁ・・・」
「????」
「早く言ってよ」
「あ、ゴ、ゴメンナサイ・・・」
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大関ラーメン [ラーメン]

この店の麺は手打ちです。青竹で踏む(打つ)そうです。手打ちなので麺は平たい縮れ麺。
「アタシの好きな麺じゃないなぁ」(ジャン妻)
佐野系です。下野に近い太田市や桐生市にあります。
真っ赤な外観1.jpg
この店は北関東自動車道太田藪塚ICで下りて、太田市役所へ向かう途中で知った。
前にトマトラーメン他を食べたことがある。前はトマラーは1枚ものの特別メニューだったのが定番になったらしくグランドメニューに含まれていた。うめしそ、カレーラーメンも定番入りしていた。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-10-18
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-01-19
最後に行ったのはもう2年以上前です。
この日は駐車場でしばらく待った。暖簾が出るのは11:30です。12:00前になると満車になるほどの人気店なので、じーっと待ってたの。
そしたら最初の客になってしまった。ガラ空きである。でも私の次に男性客2人、朝から一杯客1人、家族連れ4人組、婆さん3人組が入って来た。
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BGMはTV。TVでは〇〇の党分裂のニュースが流れていた。
「政治の世界では党の分裂はアタリマエ」なんて橋本さんが言ってたが、こういう分裂劇を見ると、結局は自分たちの為だけに党を運営してると見られても仕方がないよね。
TVは店の一番奥の梁にかかっていて、その位置から駐車場に向けて麺を打ったり踏んだり切ったりする小部屋があるんですが、そこに店主が入って麺作業をしていた。仕込が間に合わなかったんだろうか。
この部屋が手打ち室.jpg
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そういえば、店主の相棒がいないぞ。
前記事に書きましたが。この店は厨房に男性二人、フロアに女性2人の4人態勢なんです。男性2人の呼吸がバッチリ合っていて、野郎2人で営ってる店にありがちなつっけんどんさ、剣呑さが全くない店だった。
一見して2人とも只者じゃない雰囲気が若干あるが、フロアの女性2人の手が洗い物や注文聞きで塞がってると、男性もお会計や注文を聞きに出て来るんです。基本は分業制なんだけど混雑時には厨房の男性もプライドを捨てるのか?フロアに出て来る時があるんですよ。強面だけど手堅くマジメな店なんです。
高崎市に吸収された吉井町のデカい餃子を出す店の店主は、調理に集中して会計なんか絶対にしないからね。
だけど1年半ぶりに来た今日は、相棒の男性がいなかった。若い男性に替わってた。
セットメニュー.jpg
グランドメニュー.jpg
上州へ出張時は野菜が不足しがちなので、野菜炒めセットと・・・別にモツ煮をオーダー。
オーソドックスに醬油味、バターも追加。
そんなに待たなかったが、待ってる間にうっかり、時間を見たら、しまった11:30!!
都心と違って田舎の・・・失礼、地方都市の行政にこれから向かうと12時~昼休みになっちまう。昼に飛び込んでも大丈夫だろうか。担当者が不在だったり、13時過ぎてから受け付けますとか言われると1時間を棒に振りかねない。
「ちょっと電話して来る」って断って外に出て大田市役所の担当窓口に電話したの。「そちらに向かってます。12:00を若干過ぎてしまいそうなんですが大丈夫ですか?」って。
そっちに向かってますったって、この店でラーメン喰おうとしてるんだから半分はホントだけど半分はウソだよね。私が11:30~の店よりも11:00~の店を最優先する理由はこれが大きい。
電話に出た担当官は「午後からでかけるので12時台でもいいから来てください」という。向こうもこっちが東京から来てるのを知ってるので、昼を喰わないで待つか、受けてくれるみたい。
悪いなぁ。こっちは先に昼を喰っちまったよ。だからと言ってゆ~っくり喰うほど私も意地悪くない。急いでかっこんだ。
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モツ煮が美味いのだ。ラーメンの醬油スープと、モツの味噌スープと、2種のスープが味わえます。
モツ煮がハミ出した.jpg
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野菜炒めとおしんこ.jpg
醬油バター.jpg
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至れり尽くせり.jpgおしぼりもでる。ティッシュもある。
水はセルフとはいえボトルが供される。惜しむらくは氷が入ってない。若いのに「氷いれなよ」って言ってもよかったんだけどね。この辺りは若いね。外は暑いんだからさ。
でも灰皿もある。ティッシュやおしぼりもある。あったらいいなと思うものが揃ってる。
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店名はもちろん角界から取ったのだが、何故、横綱じゃないのか。
大関という地位は、頑張れば横綱に上がれるが、努力を怠ると陥落するからだって。私はここのラーメンはパンチ、フック力、ボディーブロウも弱く、大関とはいえ良くてクンロク(9勝6敗)大関。決して横綱どころか2桁勝利にさえ届かない大関だと思うが、手堅く安心な店です。
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新田の庄 江田館 [隠れ郷土史]

群馬泉酒蔵を過ぎて、伊勢崎市方面へ向かう途中の散策バナシ。
群馬県太田市に新田と名のつく町がある。新田〇〇町がたくさんある。
新田赤堀町、新田市町、新田市野井町、新田市野倉町、新田大町、新田大根町、新田金井町、新田嘉弥町(カネチョウ)、新田上江田町、新田上田中町、新田上中町、新田木崎町、新田小金井町、新田小金町、新田権右衛門町、新田下江田町、新田下田中町、新田反町町、新田高尾町、新田多村新田町、新田溜池町、新田天良町、新田中江田町、新田萩町、新田花香塚町、新田早川町、新田瑞木町、新田村田町といった塩梅で数えてみたら28町あった。新田氏を、新田義貞を誇りにしている地域である。
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今回取り上げるのは新田上江田町にある江田館というもの。
近世の大城郭じゃないですよ。鎌倉時代の豪族屋敷にちょっと手を加えたもの。
ここには新田一族の傍流。江田氏がいた方形館。夏空の晴れた昼下がりに群馬泉酒蔵の延長でここを通りかかった。
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新田氏を上野源氏と呼ぶそうだが、もとは河内源氏3代目・八慢太郎源義家の四男・義国の長子である新田義重が新田氏の始祖といふ。
義重の四男・新田義季(※)から4代目が江田行義という人でここに住んでいた。新田一族の傍流といっていい。
江田行義という人は新田義貞が挙兵して鎌倉へ攻め上るきっかけのひとつを担っている。
義貞が挙兵したのは護良親王か後醍醐天皇から綸旨を受け取ったという大義名分があったとしておこう。だがそれは表向きであってホントの挙兵要因は、新田荘に幕府の徴税使がやってきて6万貫文の軍資金を出せと。納期の期限は僅か5日。
無理難題である。6万貫文って現代だと幾らくらいだろうか。経済的に追い詰められて一族で挙兵したというのが真相ではないだろうか。
吉川英治の私本太平記では銭5万貫となっていて、「銭五万貫五日ノ内ニ上納ノ事 右、領主庄家、一致シテ違反ナカルベキ旨、御上意也」とある。
義貞の弟、脇屋義助が「無い袖は振れぬ」と拒絶する。徴税使は「しからば直接我らの手で徴発する」50人の兵を連れて新田の庄を恐慌状態に陥れるのだが、叛旗を翻す決意をした義貞に誅殺された。
この事件とは別に江田行義は北条得宗家から嫌がらせをうけている。最後の執権北条高時は、江田の所領を東武伊勢崎線世良田駅から南800mにある長楽寺という寺に寄進する文書を発給した。江田行義の名前はこの時に登場するのだが、寺に寄進する云々は売却寄進と思わ、寺に江田の所領を売ることにより幕府はその寺の庇護者となり、門前町の上がりを搾取するという仕組みではないだろうか。
だが太平記では江田の所領売却には触れていない。そのまま一族は挙兵する。
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私本太平記で義貞が挙兵する項「触れ不動」で、船田という新田家の執事が点呼をとっている。
脇屋二郎義助・・・義貞の弟ですね。大舘宗氏、堀口貞満、堀口行義、岩松経家、里見義胤に続いて江田行義が名前だけ登場する。江田行義は挙兵した義貞について行き、分倍河原では右軍の将を努め、鎌倉の極楽寺坂を抜こうと同族の大舘宗氏と共に攻めかけた。新田次郎著の小説では江田は化粧坂を攻めて幕府軍の中枢、赤橋守時一族を混戦の末に破っている。
極楽寺坂切通は突破できず大館宗氏は戦死。新田義貞は極楽寺坂切通の突破を断念し、伊稲村ケ崎に剣を投じて干潮を祈願した伝説に繋がる。
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後年、新田義貞は足利尊氏と対立する。江田行義も室町幕府の追討を受ける側になる。江田行義は義貞と離れて行方がわからなくなるが、足利幕府が滅んでから江田一族の誰かがこの地に戻って来た。既に館一帯は小田原北条氏に属した由良氏の所有となっていたのだが、江田氏の子孫がこの地一帯を氏神として保全する。ここに祀ってあったものは明治8年(1875年)に太田金山城(関東に石垣の城は無いを覆した巨城、私は行ってません。)の新田神社に移された。
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舗装されていない砂利と雑草だらけの駐車場にくるまが数台停まっており、何かのイベントかと中心部を見たら、野良着姿(失礼)のオジちゃんオバちゃんたち10数人が発掘の最中だった。
土塁の上にはアウトドア用の折り畳み椅子、テーブルが少しあって、昼食とお茶した痕があった。形ばかり「こんにちは」「どーも」最低限の挨拶だけ交わして後はお互い知らん顔。
炎天下の昼下がりにスーツ姿で現れた私をいぶかしむようでもある。
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立ち入り禁止のロープと札があったので、方形館を囲む土塁上の一周は諦め、内側から少し見てまわり、一旦外に出て反時計まわりに館をぐるっと一周した。ほぼ全周を掘が巡ってましたね。
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どれも同じような写真ばっかりですが、平城、館なんでのはこんなものですよ。なかなかいい散策でしたよ。なんてったって山城と違ってゼェゼェハァハァ息が切れないのがいいね。

(※)四代遡って義季から分かれた家に、得川姓、世良田姓を名乗るようになった家がある。
得川・世良田は後世の徳川将軍家に連なる系譜?後世のデッチ上げでなければ江田氏と徳川氏は遠く縁戚関係にある家柄だったのか。
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またこことは別に、義貞が住んでいた?反町館や、挙兵時の舞台生品神社等も訪問済みですが、それは項とUp時期を改めます。
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群馬泉酒蔵を発見 [コラム雑記帳]

群馬県内で、西毛、上毛はナビ無しでも道に迷わない。山があるからです。自分のいる位置と赤城、榛名、妙義、この3山を直線で結べば自分が何処にいるかはだいたいわかるのです。
でも武州埼玉寄りの平野部で道に迷ったことがあります。伊勢崎市、太田市辺りです。一般道で迷った。東毛ですね。
東毛へ向かうのに前橋からだと北関東自動車道に入るしかないのでそこまでは迷わないが、北関東自動車道と伊勢崎市&太田市の市街地は若干離れているので、高崎市内から一般道を東に走行して玉村町から伊勢崎市に入り、太田市へ往還した際に2回ほど迷ったことがある。
私が現地で借りる社用車はボロいくるまでナビが付いていないんです。先日、とうとう走行距離数10万キロを超え、現地のヤンキー娘社員から、「新しいの買ってくださいよ」と言われた。「ナビ付きね」だけどその後も新車になってないしナビも付いていない。
そのボロくるまで今年8月、クソ暑い炎天下を太田市~伊勢崎市を往還した途中、太田市合同庁舎を過ぎてから古河街道を逸れ、例幣使街道(旧街道?)に逸れてしまった。でも方向は同じである。ひたすら西へ走れば群馬の森近くを経て倉賀野方面へ抜ける筈。しばしそのまま走ったらコンビニの交差点に下写真のようなくすんだ色の標注があったのである。
最初は電車の枕木かと思ったが、そこには。。。
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群馬泉蔵元??
私が熱燗で好む酒です。何処にあるんだ?しばしその辺りを見回したがそんなのないのである。この杭の立つ場所は群馬泉酒蔵の跡地か?と思ったが。
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そのまま道なりに走れば見つかる場所にあったのだが、ちょうどコンビニに買い物でも行くのか、地元のヤンキーが1人来たので訊いてみた。
「この群馬泉酒蔵って何処にあります?」
「あ、これはですね。この先、ずーっと道なりに行くと途中で極端に道が狭くなって左にカーヴするんです。その左手にあります。行けばすぐわかりますよ」
なるほどその通りに走ってたら、途中、ホントに県道かこれ?って疑うくらいに道幅が極端に狭くなり、左に旧カーヴ、道路に面した左に古めかしい風格のある建物が合った。
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老舗の旅館の趣である。
中を覗いてみた。誰もいなかった。中に入れば試飲もできただろうし。群馬泉を購入できるだろうな。でもこっちは出張兼公用中の身である。試飲なんかできる訳ないし、一升瓶なんか買って持って帰ったらくるまを返す時に社員に見つかって何を言われるか。重たいし。中に入るのは断念しました。
駐車場は左手にある。その脇には細い路地があって、白壁の蔵が続いている。
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近世城郭の隅櫓ほどではないが、数千石~1万石の陣屋規模だったらこれくらいのものはあるだろう。
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敷地内は確かに蔵元で、事前に許可を得て中を見せて貰ったら工程も教えてくれるでしょう。敷地内は民家も兼ねているようです。
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群馬泉蔵元は島岡酒造株式会社といます。創業は幕末の文久3年(1863年)です。
創始者の島岡金八氏はもとは越後の人だったというう。現在は5代め。
群馬泉は華やかな酒とは言い難い。ハデさはなくどちらかというと地味な酒。この地はからっ風が吹き冬は寒いので、熱燗で旨い酒が好まれていた。
冷やと燗では味が違うと思う。私は燗酒が好き。旨味が増すから。
初めて群馬泉を飲んだのは、今は閉店してしまった門前仲町の浅七という店でした。(2012年4月に閉店)
浅七は何とか特別純米大吟醸などという酒は無く、燗のできる地味な酒ばかりだったが、私自身、何で群馬泉を選んだのかわからない。後年、群馬と縁が繋がるなんて思いもよらなかった。
こっち(群馬)に来ても群馬泉があまり置いてないのにも驚いた。前橋の某有名酒場に置いてあったがあまり出したがらなかった。「止しなさい群馬の酒なんか」と言わんばかりでしたね。
「何でさ?」って聞いたら、「だって名前が群馬ですよぉ」と言うんだな。
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横浜上大岡の焼鳥屋で何故か置くようになり、私はもっぱらそこで飲んでいるが、入れたのは今は退職したKさんという人。休日に蔵元を廻って見つけたらしい。
「ウチの嫁に、今度の休みにどっかの蔵元へ行こうって言うとイヤ~な顔するんです」(Kさん)
「何でさ?」
「ウチのは呑めないからです」
そりゃそうでしょ。家族サービスにならんワ。Kさんはもういないが、残った若い衆も群馬泉を置いてくれる。今回の出張後、上大岡に行って写真を見せたのよ。マスターは公休日だったけど、留守を守る息子さんに見せた。
「これこれ。群馬泉酒蔵」
「行ったんですか?」
「道に迷って偶然見つけたの」
「中へ入られました?」
「いやぁ。こっちも出張の途中だし、入ったら一升瓶単位で買わにゃならんし。荷物になるから買わなかった。というか、中に誰もいなくて入らなかったんだよね」
会話の向こうでは、若いバイト君が群馬泉の燗を浸けている。
「お休みだったのかな。今の時期だとまだ稲刈り前だから・・・何とかなら仕込んでるかも云々・・・」
「裏手から中も覗いちゃったんだけど民家、住居も兼ねてるみたい。2階に洗濯ものとか干してあったな。
写真に撮ってませんが、いかめしい扉の裏口のいかめしい扉が半開きになっていて中を覗いてみたのですよ。でも下手したら不法侵入になってしまうので退散したんです。人気は無かったですね。
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これぞ群馬泉蔵元.jpg
私は群馬泉蔵元を見つけたに過ぎない。中には入ってません。酒蔵のある場所は太田市の由良町という町です。市町村合併で太田市になる以前は新田郡宝泉村といった。
太田市の現在は企業城下町の色合いが濃い。戦前は中島飛行機。現在は富士重工(スバル)です。伊勢崎市もそうだが外国人労働者が多いです。
今回はくるまだが、以前、東武伊勢崎線で廻った際に登下校時間帯とぶつかると、外人ぽい高校生が数多く乗車して来る。
携帯が鳴った。上州は警察が多いので路肩に停める。
「○○さん何処にいます?」(ヤンキー娘A)
「伊勢崎から太田を廻ってる。夕方には戻るよ」
「ああ、スミマセン。あの・・・(社の用事を話した後で)・・・伊勢崎や太田はヤンキーが多いし、運転が荒いから気をつけてくださいね」
何を言ってやがる。戻ってから「お前たらだって伊勢崎太田が似合うじゃねぇか」って返したら、別のヤンキー娘が、
「○○さん何か言った?アタシたち日本人だよっ。伊勢崎や太田って外人の街だよっ」
外国人街はちとオーバーな表現だが、群馬県内でも町の特徴、色分けがあるんですね。くるまで走ってる分には外国人は目につかなかったが。そう言ってるこの子らは群馬泉なんて酒は知らないだろうな。イロのついたヘンな酒ばかり飲んでるんだろうよ。
群馬泉.jpg群馬泉山廃.jpg
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彷徨い [風景]

今宵も真っ直ぐホテルに帰れない弱い自分がいる。
自分に言い訳しながら、誰かのせいにしながら歩いている。
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椿街に灯る.jpg
小雨に煙る.jpg
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どの路地を歩いても
どの角を曲がっても
「きっと誰かに会えるさ・・・」または「誰かに逢えるかも・・・」
そういう気がするんです。
住んだのはたった1年でした。今でも「還りたい・・・」
そう思ってます。
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グラスの向こう側 [BAR]

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ひとり飲み干す高崎の夜。
グラスに淀む液体と、それを冷やす丸い氷の向こう側に誰かの顔が浮かぶ。
浮かぶその顔は誰?
それはその時々に私が抱えてる胸中次第。その時々で浮かぶ顔が変わる。
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このBARで店内の灯りに照らされたグラスを見てると落ち着くんだな。
ひとり、もしくは2人で来た時はいいんだけど、今年になってから8人くらいの二次会で来たことがある。社の連中です。どっかいい店ないかって言うから仕方なく。
でも連れてったメンバーの中にはこういう店で飲んだことないヤツや酒が飲めないヤツもいた。
「何でこういうカッコいい店を知ってるんですか?」
私は若いのからそう言われた時だけ鼻がタカかったが、齢50を過ぎてこういう店の1軒2軒、知っててアタリマエだよ。
だけどすぐに、コイツら連れて来るんじゃなかった~って後悔した。ガヤガヤ騒ぎやがって店の雰囲気台無し。
私は自分が連れて来ていながら連中の雰囲気、話題についていけなくなり、途中から逃げるようにカウンターに移ったのよ。カウンターにはこの店に初めて来られた雰囲気の方がいて途中で帰られちゃった。せっかくの新規客なのに申し訳ないことをしたな~。
後でメンバーから、「あのBARいいですね。お店の名前何でしたっけ?」って聞かれたけど「知らねぇ。忘れちゃったよ」トボけて教えていません。
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昨日の記事に載せた年長者もお連れしました。
その人は本社に対して憤懣を抱えていていろいろ聞いてあげたの。TOPとの話し合いでクリアできたみたいだけどね。
私はいつもひとりでマイペースで飲んでるので、たま~に年長者と飲むと、あっ、そういう視点、観点もあるんだって勉強になるのよ。
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その年長者の方じゃないけど、まだ先だが私にだって定年の足音が聞こえるようになって来てる。
「働けるうちは懸命に働くんだぞ。その期間は決して長くはない」って言ったのは、故・藤沢周平原作、清左衛門残日録のTV版(平成5年の金曜時代劇)で隠居の三屋清左衛門が家督を継いだ嫡男、又四郎に言った台詞。

その後はどうなるのか。その先にはこのBARで私とグラスを傾けたその人と同じ立場、境遇が待っているのだろうか。
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7月半ば頃だったかな。家にいてそろそろ寝ようかという頃合いに会社携帯が鳴った。
誰だこんな時間に?と訝しんだら、現地の若手社員からだった。何か事故か事件かと思ってマジに出たら、
「すぅみませぇぇぇぇん・・・この間、〇〇さん(私のこと)に連れって貰ったオシャレなBAR、何処でしたっけぇぇぇぇ」
私はムッとした。時刻は23時でしたよ。相手は完全に酔っ払ってましたね。
「てめぇ酔っ払ってるな」
「酔ってませぇぇん」
後日、緊急でもないのに酔っ払って上役に電話するもんじゃねぇ。酔っぱらう前にしろ、とは注意したけどね。
「今何処にいる?1軒目は何処に行ったんだ?」
「〇〇亭を出てぇ・・・一通の通りに出てぇ・・・」
スズランの前らしい。
「そのまま歩いてライチっていう2階にある中華料理屋を左に曲がった辺りだよっ」
電話切れてからすぐマスターに電話しましたよ。「バカどもが数人行くから気を付けてくれ」って。
「だ、大丈夫ですよ空いてますから」
「じゃぁボッたくっていいから」
悪態つく私だが、そういう店じゃないですのでご心配なく。
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3回目の今日はひとり。日本酒BAR克の後でホテルで一服してからひとり。やっぱひとりの方が気楽だね。
「マスター悪かったね。この間も押しかけて来たでしょ」
「ああ、大丈夫ですよ。5人か6人さんだったかな」
そのメンバーの中には東京から視察で出張してきた現場統括責任者の伊東甲子太郎がいたのである。伊東は出張から戻ってから私に、
「あのBARいいですね。カンベでしたっけ?」
「カンベ?」
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カンベとは駅前通りの神戸BARのことではないのか。「あの入口は知ってる人しかわからない」とも言ってたから行ったんだろうか。
どうも神戸BARにも足を伸ばしたが、混んでたので通町のこのBARに流れて来たらしい。あまり社の連中に通町を荒らして欲しくないなぁ。
「何時まで飲んでたんです?」
「店に入ったのが23時半だったかな」(伊東)
「23時??私だって23時には切り上げてホテル戻ってますよ」
「明日があるからもう帰ろうって言ったんですがねぇ」
伊東は周囲にも厳しいが自分にも厳しいので、そんな遅い時間に飲むなんて珍しい。
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上の写真は8月です。高崎祭り前だった。
「もうすぐお祭りですね。営るの?」
「いや~営らないつもりです」
この店はフードが無いし。祭りは賑やかな反面、混むし。散らかすからね。祭りも好きな人にはいいけど、こういう深夜営業の店にはあまりそういうのは関係ないというか、日々平穏静かな夜が望ましいのでしょう。
日々何も変わらないこと、何も変わらぬ夜、日常であって欲しいもの。だが日常はそうは上手くいかないのが世の常です。
自分に気持ちの余裕がある時は「何も無い日々は停滞でしかない」なんて思ったりもするけどな。
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最近、上州の雲行きがアヤしくなって来た。
私のトコにもイロんな噂、情報が上がって来る。現場⇒伊東は正規のルートですが、私宛には裏ルートで情報があがってくるのです。
それらの媒体は電話だったりメールだったり。でもそれだと限界もあるので、事情をよく知る女性をこの店に連れてきて、グラスを傾けながらいろいろ聞いた。(誤解を招かないで欲しいのですが、その女性はジャン妻も知っています。)
でも話を聞くだけである。今の私には動かす権限はないので、隣の部署、伊東の部署へ廻すだけ。何もできないのだ。
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短い夏が終わり、9月に入ってから、上州の現場上京を確認すべく、東京の若手リーダー4人が交代で赴いた。私の後輩たちだが連中は若く、観察眼も狭いし引き出しも少ない。何が問題なのかサッパリ要領を得ないので、業を煮やした責任者の伊東甲子太郎自ら再度やって来た。伊東はその過程でこの店に来たらしいのです。
先日も伊東と私は上州で鉢合わせしたのだが、私は泊まり、伊東はその日のうちに帰京した。もし一泊するなら誘おうかと思ったのだが。。。
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グラスの向こう側に上州の子たちの顔が浮かんでは消えていく。
今日も何もしてやれなかった。
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これからも私はこの店の扉を叩くだろう。ここを開けてくれよって。もちろん扉は開いていますよ。
この店のカウンターは私の懺悔の場所でもある。グラスを傾けながら、グラスを眺めながら、グラスの向こう側に浮かぶ誰かしらの顔を思い浮かべながら思うんです。
「スマン、明日は今日より上手くやるよ」って。
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定年の足音 [人間ドラマ]

最近になって定年というものを多少は意識するようになってきた。
40台の頃はあまり意識しなかった。でも公平に齢を重ねてたらいつかはその域に入る。私もだんだんそっちに近づいてきたのもある。
「アタシの方が早いんだからね」(ジャン妻)
そう。ジャン妻は4か月ほど私よりトシウエなのです。
現行では60歳です。それ以降は再雇用というカタチになり何割かはダウンする。おそらくダウンしても業務内容と負担はそう変わらないような気がする。「河より低いBAR」でラビットドラゴンさん(兎と竜さん)と会話して、現実そういうものなのだということがわかった。
再雇用は65歳までらしい。らしいというのは最近、ちょっとある事件が起きて、私が調停役・・・というか、宥め役として巻き込まれたのですよ。

現状で60歳近い社員も少なくない。その人らは近年になってウチの傘下に吸収された会社のひとです。そのひとたちは現行制度を知っているのだろうか。会社側はそういう説明をちゃんとしているのか。
ひとりの60代半ばの社員で、某現場のキーマンでもある人が、ある日突然、本社から来た役職者に、「アナタは65歳だから、来年の春で契約満了します」とバッサリやられ、その場で言い返せばいいものを、後になって腸が煮えくり返ったのか、私に不満を言ってきた。
私だってそういう説明を受けていないんです。自分で聞くか、調べるか、就業規則を見るしかない。就業規則が配布されているのだから見て当然、見ない方が、知らない方がいけないという論法である。
実はその60代男性は私の呑みトモなんですよ。今思えば言い渡す前に私が間に入ればよかったのだが後の祭り。ブーイングを浴びた私は言い渡しに行った役職者に「私んとこにブーイングが来ましたよ」と言ったら、
「仕方がないよ。伊東さんトコの方針だから」という。
えっ??と思った私は今度はその伊東甲子太郎という現場統括責任者に話した。
「私んトコに電話がきて、最初にそういう説明はなかったじゃないかとオカンムリでしたよ。言いに行った彼は伊東さんの方針で言いに行ったんだって。そうなの?アナタの方針なの?」
「いや・・・」
伊東はウンザリした顔をした。そこまで頼んだつもりは無かったという。私にブゥブゥ言ってきたその方だけではなく他にも対象者が幾人かいるので、手分けして当たったんだと。
「他にも対象者はいますよね?」
「います。自分も1人話をしに行った人がいるんですが、その人には、もう体力的に厳しい部分もあるとは思いますが、あとどれくらいまで大丈夫ですか?とそういう言い方をしたんです」
「相手に判断させる訳ね」
「まぁそうです。そのうえで1年ないし2年くらいの猶予期間を提示するんですよ」
なるほど。ズルイようだが穏当ではあるな。
「大丈夫ですか?他にもいるんでしょ。今からでも止めた方がよくない?」
「ですよね。他にもいるんです。お願いした私の責任です」
伊東は大きく嘆息した。私もそれ以上は責めなかった。

それからしばらくして、幾分、気持ちが整理できたのか、その人から「来春を待たずに退職するよ」と連絡が来たよ。ホ~ラ、そうなったじゃんか。
「これが最後になるかも知れないから飲もうよ」みたいに言って来たんです。
「行って来るワ」
「うん。いいわよ。行ってきたら?」(ジャン妻)

1対1だとキツいので、現地の人で、その人を尊敬している若手が間に入ってくれた。計3人です。まぁ今回の件でその人を宥めても後の祭りなんですが、まぁそれに近いものですよ。キレイに別れたいからね。
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行ったのは通町のこの店です。週末なので事前に予約電話を入れた。
この店はいいものを出すが、店のキャパが満席にならないウチに貸切の紙を貼りだしたりする。満席になる前にそれ以上入れないスタイルを取る店なのです。敢えてその日のお客の為に、遅延や慌ただしさを減らそうとしているんだね。満室にしない宿ってあるでしょう。4部屋あっても3部屋までしか受け入れない温泉宿とか。それと一緒なんです。
「週末なので。ちょっとお時間かかるかもですが」
「同行者は60半ばなのでそんなに大食いしないです。刺盛と、いつも私がオーダーしているコロッケ、ポテサラなんかでいいですよ」
「ああ、そう言っていただけると。大丈夫です」
でも料理の遅延は全くなかった。
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席上、多少の憤懣は出たが、わざわざ出向いた私にそれ以上アタリ散らしはしなかったね。言われてもこっちは「スミマセンでしたねぇ」ってコウベを垂れるしかないじゃないですか。
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2軒めはBARに行った。キレイに呑みましたよ。
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経費ですか?自腹に決まってんでしょ。
帰社して伊東に「当人と飲んで来た。かなり軟化してたよ」と報告したけど、伊東も私のプライベートな飲みとしか思わなかたようです。その人の前で領収書を切るのもちょっとイヤだし、請求するなんて私のプライドが許さなかった。
ところが後日になって〇長ともうひとり、その方と送別の宴が開催されたそうなんだな。相手が軟化してから出て来るなんて会社もズルいよね。遅ぇよって。
私は露払いしたようなものだが、それでいて例によって会社側から私には声がかからないのだ。そういう連中はしっかり会社の経費で飲み食いしてるんだよ。
くだんのその方は私にも「同席してよ」と言われたが・・・。
「アナタが同席したら、本社から行ったメンバーを喰っちゃうよ」(ジャン妻)
確かにそうだと思う。肚の付き合い方が違うモン。
私は辞退した。雇用体系を変更して取り敢えずは円満に収まったようである。

現在、徐々にではあるが、定年を60歳から65歳に引き上げつつある。前は55歳だった。今後は60歳が65歳になることはあるかも知れない。
ウチの所内でも60で雇用形態になった方がいて訊いてみたの。
「あの・・・ブシツケなこと訊いていいですか?」
「いいですよ。何?」
「60過ぎて再雇用だとどれだけダウンするんですか?」
「う~ん。前の〇割かな」
「それって高い方なんですか?相場なのかな?」
「面談した時に高い方だと思いますとは言われたね」
そりゃ「低い方だと思います」とは言わないよね。
誰が決めるのかも聞いた。「えっ、アイツかよ」って思ったよ。
「でも年棒下がってもやることは変わらないんでしょ?」
実際その人は60前と同じ場所にいて同じ業務をしているのである。
「むしろやることは増えたよ」
「・・・」
私は前職で、花束持って全社員に拍手で見送られる光景を幾度か見たことがある。その頃はまsだ20代だったので遠い世界のようにしか思えなかったがなぁ。
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群馬八幡の涙雨 [居酒屋]

剣崎バス停を下りて、坂を上りかけたら雨が降って来た。
私はこの店には滅多に来れないけど、来る時は雨確率が妙に高いのです。
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「いつもの磯辺揚げ。パリパリにね」
「あいよっ。ありがとーございますっ」
「今日は塩で」
「塩ね」
来ると必ずオーダーします。ベチャッとしてないところがいい。
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大将は外の雨を気にしてる。客足に影響するからである。
「すみませんねぇ雨男で」と私。
「笑、でも雨確率高いですねぇ」
「日頃の行いが悪いからねぇ」
100%近く近所の常連さんで成り立っている店なので、「雨の日に一旦、家に帰られると、さぁ今から外へ飲みに行こうっていう気にならないらしく、客足がパッタリなんですワ」
雨足はどんどん強くなってくる。そしたらホントに台風が来た。南海上に発生した台風が上陸して来たのではなく、この店で自称ハリケーンと呼ばれている女性客。
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この店はこれまでも稀にキョーレツな常連さんがいるなぁと思っていた。都会のタチ悪い酔客とは違って、妙に人懐こいというか、店にも周囲にも甘える酔客ばかりなのだが、この日、私の隣に座った方、自称ハリケーンという女性は、来て早々に目に涙を浮かべ、ハンカチで芽を拭いながら自己否定を繰り返すのです。アタシはひとり、生きていても甲斐ない、周囲に迷惑ばかりかけてる~、そんなことをエンエン泣きながら言うんです。
私はやや身体が冷えたので、それまで脱いで椅子に掛けてた上着を羽織ったら、
「あっ、アタシがウルサイもんだから帰ろうとしているぅ~」
いやいやそうじゃないよと弁解する私だが、その後も延々と続いた。でも絡むとかそういうのじゃないんだな。甘えですね。生きていてもしょうがないって部分は聞き捨てならないというか、見過ごせなかったので相手をするハメになった。
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時折、我に返ってマスターに喰いついたりもする。
「マスターなんか人生左団扇じゃん」
「左うちわぁ?なぁに言ってんのトンでもない。日照りうちわだよ」(マスター)
この店の何処が左団扇なのか。雨だし客足はさっぱりだし、売上も窮々としているようにしか見えないぞ。
愚痴った後で私に向かって、
「すみませんねぇ・・・他所から来ていただいているのに~」
まったくだよ、と言いかけたが止めた。
「いいですよ。自分は滅多にここに来れないからさ」って言ったら「滅多に来れないのに私なんかの隣で」ってなる訳さ。アナタが私の隣に座ったんじゃんか。
すぐ隣じゃないです。3席あって、間に1席空いてるの。この空間が絶妙でね。隣で泣かれても1席空いてればそこは貴重な緩衝地帯になるわけですよ。
私は至って平常心。むしろからかってやろうとすら思ったのだが、私のひとことで何か悪い方向にトンじゃったらタイヘン。
嘆き、自己否定が止まらないので、ちょっと勇気つけてあげようという気になるお節介の私。
「さっきからお嘆きのようですが、アナタだって誰かを励まし、誰かの役に立ってる時もある筈だよ。それが今のアナタにはわからないだけでさ」
「そうだよ。ひとりで生きてるんじゃないんだからさ」(マスター)
ママは別の常連さんの相手をしている。マスターとその方を宥めるハメになった。
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上州で何故かオコゼの刺身である。
「オコゼ、揚げて貰っていい?」
オコゼは刺身、唐揚げ、両方800円か850円だった。正直言いまして刺身は水分が多く、あまり旨味が無かったのね。最初っから唐揚げにした方がよかったかも。
「850円プラスしていいからさ」
ところが揚げが足りなくて骨が噛めないのである。
「うん?ちょっと固いかな」
「固いスか?すみませんもう1回揚げます」
そしたらハリケーン女史も横合いから「二度揚げしなよ~」って。
あの~・・・私の食い物なんですけど~・・・。
二度揚げしてもらった。
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WCに立たれた隙に、
「お席、換えましょうか?」(ママ)
「いや。今更変えたら彼女傷つくでしょう。このままでいいです」
いつものことらしい。
WCに行かれたら落ち着いたらしく、これまでの涙がウソのように勘定をサッと済ませて去っていったからね。そうか間を取るって手段もあったね。水入りですね。
嵐が去った。静かになった。
「〇〇〇さんは今の女性を見たことあるかな?」
「無いと思いますよ。すみませんねぇ。皆さんウチに来てば多少は甘えてもいいやって思ってるんですよ。」
まぁそうだろうね。私だって店で騒いだりしないだけで、二度揚げしてだの、天つゆでなくて塩でお願いとか、骨を揚げてくれとか、甘えてる部分はあるからね。

では嵐が去ったので話題を変えましょう。
「〇〇〇さんまた高いところを走るそうですよ。〇〇さん(私のことは)はスポーツは?」
「疲れるからやらない。最後に走ったの高校3年生の時だもん。〇〇〇さんは走るのは得意そうだが、他に何かスポーツをやってるってのは聞いたことないなぁ」
「ダイエットの為に始めたって仰ってましたね」
「走る前の写真は今とは別人みたいだった」
健全なスポーツの話題の後は何故かギャンブルネタになり、
「群馬はロードサイドにパチンコやゲーセンが多いな」
「まぁ他に娯楽が少ないですから」
「マスター、ギャンブルするの?」
「自分しないです。群馬って高崎競馬場が無くなって(跡地はまだあるみたい)、前橋競輪、桐生競艇とかもあるけど、パチンコが多いんですよ。」
「確かに多いな。そんなに(パチンコ)する人いるのかな」
「そういうのやります?」
「やらない。やってます?って聞かれたことはあるけどやらない。だってああいうのって、勝つ人は勝つんだろうけど、それだけ負けにつぎ込んでるんでしょ」」
「自分もやらないです。勝っても負けてもあの音がイヤ。やっぱ娯楽が少ないんですよ」
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いい感じの老夫婦がテーブル席に着座された。見てるとホッとする。この老夫婦にさっきのハリケーンを見せてあげたかたね。悪趣味じゃなくって私より遥かに年配者のご夫婦がどういなすか、宥めるか激励するか、そういうのって勉強したいじゃない。
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さて、帰りの時刻が迫って来たぞ。
「泊まりは高崎ですか?」
「うん。ドーミイン」
「あれって中途半端な場所にありますよね。駅から離れてるし」
でもホテル前にあら町銀行前というバス停があるのだ。そのホテルのお蔭で、バス停のお蔭で、この店や並榎町のまきのを知り得たんだし。
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カウンセリングじゃないけど、言葉を選んで丁寧に話したつもり。ちゃかしたりしてないよ。そりゃ多少はオモシロがった部分もあるけどさ。後から隣に座られたんだからね。
生きている以上は、多かれ少なかれ、大なり小なり、良くも悪くも周囲の誰かに影響を及ぼしているんだよ。でも自分自身にはそういうのはすぐにはわからない。陰口と同じで、自分不在の場所で囁かれてる筈さ。
大将もママも私を心配してくれたが全く苦じゃなかった。だって私は高崎市内の有名居酒屋で止せばいいのに夫婦喧嘩の仲裁に入り、女将さんに煙たがられ、結局出入り禁止になった実績があるんだゼ。その店はもう閉めちゃったけどね。
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群馬の大河 [呟き独り言]

今年の大河は全く観なかったのですが、昨日のは録画して、群馬の場面だけちょっと拾い観したんですよ。
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楫取素彦さんはいきなり群馬県令(知事)になった訳ではねぇです。足柄県参事、熊谷県知事を経て、県統合により群馬県令になったのです。
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前橋市と富岡市のドラマですね。
県庁を前橋市に持ってかれたが為の高崎市民の反感は描かれないだろうなぁ。
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世界に賭ける糸か。。。いいタイトルですね。でも。。。
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高崎市、我関せず!!(爆)
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そろそろ秋BAR(バル)じゃないかなぁ。
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後閑堀ノ内の謎 [隠れ郷土史]

安中市上後閑にある長源寺という寺が、来年大河に取り上げられる真田六連銭発祥の地?などという記事をUPした時、ちょっと気になる場所を見つけたんです。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-07-20-6
長源寺のイワレは安中市の史料他で見たのですが、そこにホントに真田幸隆が隠れ住んでいたかどうかはどの史料にも無かった。その調査過程で上後閑長源寺に行く途中に堀ノ内という場所があるのに気付いた。ピンと来たので安中市史料のリストを見たらそこには後閑堀ノ内とあって、
所在は上後閑字堀之内
安中市遺跡番NO.1585
立地は平地
形態は館?
現況は宅地・畑
遺存状況は・・・消滅・・・
主要遺構は、削平地・堀?
クエスチョンが2つある。
この自信の無さそうな遺構をググってみたら、ある素晴らしいサイトhttp://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-2779.htmlにたどり着いたのもあって、そちら様も参考にしながら行ってみた。
一覧2.jpg一覧1.jpg
何故、堀ノ内にピンと来たか。
皆さんはそれを聞いて何を連想されます?屈強な殿方で神奈川県民だったらソープ街で有名な川崎市堀之内を脳裡に浮かべるのではないか。
そう思った方、風俗からアタマを切り離してください。堀ノ内とはその名の通り堀の内側のことです。
例えばそこの領主が自分の家屋敷の周囲に田畑や牧を所有し、その周囲を堀(濠)で囲んだ地域。
これが大規模になると武家屋敷を中心に、商店や農民をも抱き込んだ総構えの城下町にもなる。
城下町に川が流れているケースが多いのもそう。防衛や水運の為でもある。
寺社勢力などでも独自の防衛基盤を持つ場合、寺地の境界を土居と堀(濠)で囲むこともある。
その内側のことを言うのです。
川崎堀之内で言えば古来から現在のような色町だった訳ではなく、平安時代に桓武平氏秩父氏の一党、河崎基家という人が居住していた。まさか河崎殿も、自分が居住した一帯が後年、風俗街になるとは思わなかっただろう。
でもここでは本題ではないのでこれ以上は触れません。いつから風俗街になったのか、これも興味あるところではありますが省略します。
(横須賀市にも京急の駅で掘ノ内駅があるが、そこのイワレはサッパリわからない。)
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後閑の堀ノ内へ行くには・・・まぁ行く人は限りなく少ないかと思いますが・・・http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-07-20-6で載せた長源寺へ行くルートと全く一緒です。JR磯部駅から北へひたすら走り、後閑川に沿うと右手に後閑城公園への案内板があって、そこを右手に見ながら長源寺方面へひたすら走ります。
途中、左にある駐在所を過ぎて、左からの合流する道を無視、しばらくすると右手に別れ道が現れるので左折します。その道は安中榛名駅に至る道なので時折くるまが走り抜けます。
後閑川を渡る橋を小井戸橋というのですが、その先左手に見えます。
小井戸橋1.jpg
左手にそこだけ田んぼにせり出した一帯がある。それです。
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これがそうなのか?
私は裏手に回ってそこに停めて見物しましたが、その道は狭く、自動車1台停めたら行き違いができないのだ。
どうせすぐにくるまなんか来ないだろうと思ってそこに止めたまま、先端まで行ってみました。
くるまは小井戸橋のたもとに停めるのがいいでしょう。
背後から回り込む.jpg
それほど高低差はない.jpg
四角い段丘が1段あってそれっぽく見えますが、周囲に濠もなく、単に台地が出っ張っただけです。高低差もあまり無く、要害性は皆無といっていい。
徐々に先端へ.jpg
先端の隅に来たとこ.jpg
そこから回り込んでここまで.jpg
先端から先は田畑になっていて、そこから回り込むことは憚られた。。
堀ノ内の内側も私有地で畑になっています。
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これだけである!!
我ながら何てヒマな見学をしたのかと。周囲は見渡す限りの田んぼなので地元民に不審者に間違われてもオカシくない。
誰かがいたら「この段丘に昔、誰かが住んでたの?」と聞いてみたかったのだが。

ではこれは何なのか。
よくあるネタで、この単郭が山の上にあったら「そりゃ狼煙台だ」で片づけられてしまうところだが、ここは平地です。それは絶対に有りえない。
安中市の史料には館とあったが、ここに誰かがいたのだろうか。

安中市の史料にも縄張りがマンガのように描いてあった。
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真ん中を南北に貫いているのは、現在の小井戸橋から峠を越えて、JR長野北陸新幹線安中榛名駅へ至る道に違いない。街道筋を抑える関だったのだろうか。
子供がスケッチしたような、笑っちゃうくらに簡易的な縄張りであるが、市の教育委員会も、これ以上でもこれ以下でも描きようが無かったに違いない。
こういうケースは、史料不足とはいえ記録に収めるのがその筋の大事な仕事なんです。取り敢えず載せないと後世に伝わらないからです。
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今後、新史料が発見される可能性も限りなく低いだろう。いつかは宅地化するかも知れない。
先達して下さった武蔵の五遁様に御礼申し上げます。
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井伊直孝の隠れ寺(豪徳寺の写真追加) [隠れ郷土史]

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安中市、下後閑にあるお寺です。北野寺(キタノジ)
家康が関東に入府した際、譜代家臣4天王・赤備えの井伊兵部大輔直政を上野に配した。箕輪城→高崎城に移って、関ヶ原の功で近江佐和山に移封される。その頃かもっと前か、赤備えの井伊直政の次男、直孝という人が幼少の折、この寺の薬師堂で晩学に励んだ。彦根藩二代目藩主になる人です。
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井伊直孝は誰が演じるかわからないが来年の大河でも登場する可能性が高い。
直孝は大阪冬の陣で真田勢の挑発に乗り、真田丸に抜け駆けして押し寄せたが、真田勢や木村重成勢の反撃を喰らい500人の死傷者を出して惨敗した人です。
豊臣秀頼と淀殿が逃げ込んだ大坂城山里曲輪を包囲し、一斉射撃を浴びせて自害に追い込んだ人でもある。
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これだけだとイメージが悪いので他に幾つか。
夏の陣では挽回し、若尾八重で長宗我部盛親勢を破り、捕えられた盛親が粗末な雑食を与えられていたのを座敷に上げて最後の晩餐ではないが、大名料理を喰わせた人。
仙台代博物館に現存しているが、伊達政宗の100万石のお墨付きを、「今更こんなのを持って何になるんですか」と本人の目の前でビリビリに破いたか、火鉢に放り混んで焼き捨てちゃった人。
世田谷に鷹狩に出た時に雷雨に見舞われ、荒れ寺で猫が手招きしたので雨宿りを兼ねて寺の和尚と親しくなった。これが現在の井伊家菩提寺でもある世田谷の豪徳寺。招き猫、ひこにゃんの由来。直孝の墓もそこにある。
先日、行って来ました。豪徳寺です。↓
豪徳寺1.jpg
豪徳寺境内、井伊家の墓所入口です。↓
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直孝公のお墓は奥にあります。↓
直孝公のお墓.jpg

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直孝は後年、亡くなるまで幕府の要職にあった。最初の大老(最初は大老と呼ばなかったかも知れない)でもあり、家中で殉死を禁じたり、清に滅ぼされた明の出兵以来を秀吉の朝鮮出兵を例に出して反対したり。少なくとも暗君ではなさそうである。
北野寺4.jpg
関ヶ原までは、高崎から安中にかては井伊領だった。でも直孝は安中藩主にはならなかった。それは後年、井伊本家の彦根藩を継いだからだが、初代安中藩主は直孝の異母兄、直勝という人なんです。
実はこの異母兄・直勝が井伊直政の嫡男で、一旦は近江佐和山に入っているのだが、家中不和等あって家康と幕閣が直勝の井伊本家相続を認めず、近江の井伊本家18万石を異母弟の直孝に継がせ、直勝を安中藩3万石に持ってきた。
なので直勝は本家たる彦根藩主には数えられていない。分家の初代安中藩主になっている。この入れ替えには何か事情があったようです。直勝は身体が弱かった(直孝よりも長命だったそうだが。)、家康が直孝に甘かった(真田丸の抜け駆けも咎めず)、譜代井伊家家臣と武田遺臣との不和とか。
直孝が北野寺に預けられたのは、母の出自がそれほど高貴ではなかったか、井伊直政が正室と直勝に対して遠慮があった・・・後世の人はいろいろ考える訳です。家康のご落胤説とかね。
ホントの嫡男、直勝にしてみれば、自分は嫡男なのに安中藩3万石で、弟の直孝に彦根本藩を奪われてしまった訳です。直孝は固辞したが幕閣の裁定は覆らなかった。元和元年(1615年)家康が亡くなる前年、「兄直勝ガ多病ニシテソノ任ニ耐エズ、汝父直政ノ家督ヲ相続シ軍務ヲ掌ルベシ」・・・安中市史にはこう書いてありました。家康の意志はあくまで直孝にあったらしい。
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傷心していたかも知れない直勝は荒れていた安中城と城下を整備したが、安中藩は直勝の次、直好の代で遠州に移封され、その後に水野家、堀田家、板倉家、内藤家と続くが、ここ北野寺を長年庇護したのは安中藩よりもむしろ彦根藩の井伊本家ではなかったか。

寺はご住職の住居も兼ねているようです。でも境内には誰もいなかった。いたら「直孝公は何処でお勉強してたの?」と訊いてみたかったのだが。
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北野寺のある下後閑からくるまで10分ほどの場所には、前に載せた真田幸隆が隠れていた長源寺があって、幸隆はそこの住職から餞別に六枚の銭を貰いそれが六連銭の旗印になった。その旗は真田丸にも靡いていたわけで、真田丸に立て籠もった家、真田丸に攻め寄せた人、時代の差はあれど、後世に因縁浅からぬ両家が隠れていたという不思議な地です。
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蜘蛛巣城(富岡市高林城) [隠れ郷土史]

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この記事、偉大なる故・黒澤明監督の作品ネタではありません。
私が無名の小城にアタックしたが玉砕したという記事です。晩夏の8月末のことです。
関越道の藤岡JCTから上信越自動車道に逸れ、甘楽PAでカツ丼を喰ってから、富岡ICを下りて富岡丘陵を越えて安中市へ向かう途中、黒岩という地に立ち寄った。
黒岩小学校の前に公民館があってくるまはそこに停めた。そこは役所の分室のようです。公民館と隣接する運動場側から道路と川をオーバークロスして向かいの小学校に渡る歩道橋がある。小学校と運動場との共同管理運営をしているようでしたね。職員さんも3人ほど詰めていました。
公民館.jpg
私はこの黒岩一帯の道を平成24年から数えれないくらい走ったものです。一度、東京から来た人を同乗させてこの辺りを走ったら、ナビが無いもんだから、
「何処を走ってるんですか?」
道に迷ったと思ったらしくそう怪訝荘に言われたことがある。この里を抜けると妙義山が西に見えるので、迷うこたぁないんだけどね。
黒岩小学校HPには、「電車で来るには上信電鉄富岡駅下車徒歩40分。(タクシーの場合10分)、くるまで来るには、上信越道富岡ICから約6km、15分。。。」とある。
最寄駅などない。生徒数はおよそ80人程度だったと思います。
「富岡市の北側に広がる富岡丘陵の南西部、里山に囲まれた自然豊かな高台にあります。4階建ての校舎から見える木々の色づきや校庭に響き渡る野鳥のさえずりで四季の変化が手に取るように分かります。校舎の北側には星川が流れてい時季になると水鳥も渡ってきます。。。」
周囲には飲食店もコンビニもない。古い雑貨店らしきものがあったがクローズしたのか、自販機だけあった。HPでの紹介のとおり、里山に囲まれているが、自然豊かな高台=小学校と隣接する小山にコンパクトな城塞があって、マニアの方には、無名だが比高差がそれほどなく訪城が楽チンで、二の郭はヤブだが本郭は見どころがあるので是非おススメ。。。
公民館の駐車場にはこの辺り一帯の地図がある。
その城は高林城といふ。
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私がそんなのがあるなんて知ったのは今年になてからです。住んでた頃の冬に行っておけばよかった。
公民館にご挨拶し、「この辺りにタカバヤシジョウって何処ですか?」と訊いたの。
「ああ、コウリンジョウ(高林城)ですね」
「コウリンジョウ?」
「そこの歩道橋を渡ると墓地があって、その先を上って行くんですよ。そんなにたいした傾斜ではないんですが、今の時期だと・・・」
言わんとしていることはわかった。確かに懸念がある。8月の晩夏だからヤブか草ぼうぼうなのでしょう。
「高い山、急な山ではないようですが」
「ええ。そこの小学校の子らも登りますからね。ただ昨日の雨で足場がどうか。時期が来ると整備するんですが。行かれるなら無理しないでくださいね。無理せず」
無理せずを2回か3回繰り返し言われたから、ガタイだけで体力の無い年寄りと思ったかな。公民館前の駐車場にくるまを停める旨を告げて、訪城口へ向かった。
ちょうど昼時で3人いた職員さんは手持ちの弁当を開きかけてた。昼を喰いながら、「誰あの人?どこのヒマ人?」とでも会話したに違いない。
歩道橋2.jpg
歩道橋で公道と川を越えて学校側に渡るとなるほど墓地、お墓がある。その間に林道というか、獣道があって訪城路になっている。お墓参りに来るひとは公民館に停めるしかないわけですな。
小学校脇を上がる.jpg
訪城口.jpg
お手製.jpg
イノシシが出るってことか!!
まぁ大丈夫であろう。事前調査では頂上本郭へ20分も歩けば着くらしいが、そこへ至るまでに、いや、まだ攻城前半で大敵が待ち構えていた。
蜘蛛の巣である!!
それも一つふたつではない。ご覧のように訪城路は一本道になっていて、左右から張り出してる木々の間を通っているのだが、そこかしこが蜘蛛の巣だらけなのである。
某山城訪城路.jpg
私は注意深く蜘蛛の巣を避け、迂回し、這いつくばって潜り抜けたりしながら少しずつ登ったが、少なくとも3つ以上の蜘蛛の巣を破壊してしまい、巣の残骸が私のアタマに貼り付いた。
左右に切れてしまった巣(蜘蛛の糸)は左右どちらかに動いてしまう。そこには私に巣を壊されたヌシがいて、恨めし気に私を睨んでたような気がする。
「誰だおまえ?余所者だな?この山城にこの時期に来るなよ」という蜘蛛のお告げを聞いた。
こりゃ無理だワ。攻城にとりかかってから僅か10分足らず。もう断念した。
訪城道.jpg
だが下ろうとしたら今度は蜘蛛の巣が見えない。登ってる時は山城の向こうから刺す光が逆光になり、蜘蛛の巣がキラキラ光って見える場合もあるのだが、下りだと私の図体が光を遮断してよく見えないのです。下りではアタマだけでなく胴体にもひかっかった。
迂回したら小学校側から丸見えだった。
もし生徒らが窓際にいたら私を指して、「アイツ、失敗したんじゃない?」子供らの声が聞こえそうである。
小学校側の切岸.jpg
ほうほうの体で麓の公民館に逃げ帰った。
外の水道水をお借りして額に貼り付いた蜘蛛の巣と汗を洗い流した。顔をアタマを拭いてから撤退のご挨拶。私は両腕を前でクロスしながら、
「無理でした」
「無理でしたか。。。」
「足場よりも、蜘蛛の巣が」
「ああ、蜘蛛の巣ね」
夏場に訪城するそのスジの人は頭の天辺(帽子)からつま先(安全靴)まで、腕は長袖で虫刺されスプレーを吹きかけて準備万端、蜘蛛の巣を蹴散らしながらズンズン進んで行くんでしょうな。
「夏場は無理でしょう。いずれ整備しますので」
整備するたって、草刈り程度だろうけど。
「秋以降、冬場に是非お出でください」
えっ!!ほうほうの体で退散した私に「またお出でください」って言われたのです。さすがは群馬人情。わ・ざ・わ・ざ・来たけど断念したので、リベンジ大願成就してくださいってか。
「ええ、そうします」と言うしかないじゃん。
やれやれと思いながらくるまに戻ったら、まだアタマに蜘蛛糸が残っていたね。ベトベトする。濡れハンカチでゴシゴシ拭いた。
そのまま安中市へ向かう途中で思いだした。巣を張る蜘蛛は風が吹くのを待って巣を張る。巣を張るのにどれだけ時間がかかるのかわからないが。その後も獲物が来るのをじっと待っているんだな。酔狂で訪城してその世界を破壊して悪かったかなと。
私は家にチビタランチュラ数匹と同居しているので日頃から蜘蛛には寛大なのです。外来種の毒蜘蛛でない限りね。
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高林城の背景、経緯はわかっていない。黒岩小学校の里山見学コース、ハイキングコースも兼ねています。整備は地元の人です。小学校生かOBのお手製案内板もあってお絵かきに等しいが微笑ましい限りである。地元に大事にされている里山にある。冬場は手軽に登れる筈ですが・・・。
リベンジがあるかどうか。
でもああ言われたら来るしかないだろうね。
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榛名ドライブイン [グルメ]

上里見の町.jpg
大好きだった焼きそばの名店・永井商店がクローズしてしまったので、旧榛名町のランチに困っています。
形あるものはいつかは無くなる。飲食店もそう。代々継承するのはタイヘンなんです。でも閉まってしまったものはしゃーないとはいえ「永井の大女将め。昨年の暮れには次の営業許可更新まで頑張るって言ってたじゃんか」って思い出しながらくるまを走らせた。
ありし日.jpg
室田の方まで来なくても、高崎寄りには幾つか見知った店があるのですが、やはり後釜というか開拓したいジャン。
国道406号線(草津街道)沿いに行ってみたい店が2つほどあるのですが、11時半か12時以降でないと開かないのか、いきなり「本日休業日定休日」だったりして、何だか私とご縁が無いのです。今日もひとつは休みで、もうひとつは12時前で「準備中」だった。
意気消沈、ヤケになる気持ちを抑えつつ、スピードも落として店を物色した。室田方面へは行けない。その手前で左折して雉郷峠を越えて安中市へ向かいたいのだが。
確かショウさんがよく行く蕎麦屋があったなと思い出したのだが、蕎麦、丼の気分じゃなかった。
暖簾(榛名側).jpg
デカいけど、くたびれ果てた食堂を発見した。
榛名ドライブイン???
入口が2つあって。高崎側、草津側、暖簾が架かってる。外に貼りだした写真は長年の風雪に耐えてボロボロになってますぞ。
くたびれた料理写真1.jpg
くたびれた料理写真2.jpg
ドライブインと銘打つ以上は駐車場も2つか3つあるみたいで結構広いです。
結構広いんです。テーブル席が幾つあったか数えられなかった。小上がり、座敷も8畳くらいありましたね。
でも店内ガラガラ。年季の入った古い内装です。エアコンはブゥ~ンって唸る旧タイプ。扇風機が3台あった。
正直言いまして、最初は大丈夫かなこの店って思ったです。
店内1.jpg
店内2.jpg
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ドライブインの定義は何ぞや。
交通量が多い主要幹線道路沿いにある飲食店で、小型車や一般車だけではなく大型車も停められる駐車場が必須。
この店の中には、休憩施設や土産物店こそないが、かなりの人数を収容できる席数なので、旧榛名町にあることでその名の通り榛名ドライブインだが、昭和のドライブインの香がした。
焼肉定食1.jpg
焼肉のルックスを見よ.jpg
焼肉定食、凄いルックスですね。
厚切り、ブッた切りのロース肉。
下には茄子も隠れていました。
おっ、味は濃いです。ご飯がススむね。
惜しむらくはところどころ肉の下処理が雑なんだな~。ところどころに噛み切れない固い筋があるのだよ。
味噌汁とお新香.jpgお惣菜.jpg
ニンニクの塊が一個、ゴロンと出て来ました。
ガーリック.jpg
後から来た工事現場の労働者さん2人が刺身定食とラーメンをオーダーしていた。
「いつもの刺身?」
「うん。飯は軽くていいや」
「わかった。そっちは?」
「ラーメン」
どんな刺身か?どんなラーメンか?運ばれてったのを横目で盗み見たら、刺身定食というよりマグロ刺身定食のようで、結構な量と脂のノリであった。
ラーメンは田舎の和風タイプに見えた。

勘定の時に一応聞いてみたの。
「定休日っていつさ?」
「ええっと・・・」
「さては不定休でしょ?」
「そうなんですよぉ。すみませんねぇ」

再訪しちゃったのよ。2度目もお客さん皆無で、広いフロアに子供(お孫さんか?)が数人、お婆ちゃんが2人いて、子供がぶつけても怪我しない軟式ボールを転がしっこして遊んでいるの。
何か輪っかみたいなのをブ~ンって飛ばしたりもしてたな。
床を転がる玉っころを子供さんが追いかけ、その後からお婆ちゃんが追いかける。私の足元にもボールが転がって来る。子供がまとわりつく。私の膝に子供のアタマにぶつかりかねないので、最初に座った場所を離れ、玉っころがしの動線先から逸れてTVの前の席に移動した。
この時も後から2人、地元の客が来たけど、その客たちはお孫さんの名前を呼んだりしてたから顔馴染なんでしょうな。
お孫さんたち.jpg
座敷でも遊んでる.jpg
しばらくしたら婆ちゃんと子供らは奥座敷に引っ込んだ。
こういう光景は群馬だから許すけどさ。店が広いとはいえ接客の場と子供の遊び場を混同しちゃったら一見客は引くかも。私は地元の人間ではないのでまぁ許せる範囲ギリギリでした。
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焼きそば。
悪くは無いけど。屋台の焼きそばですね。でも私が求めてるのとはちょっと違うような。私は永井商店の幻影を追いかけているのかも知れない。
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焼きそば3.jpg
言っちゃぁ悪いけど古いタイプのドライブインです。前の道をひたすら走れば草津温泉に着くのだが、上信越自動車道の開通によりメインがそっちにいっちゃって取り残された感がある。
観光客よりも昔から利用している地元の人や運ちゃん、工事関係者が利用されてるのでしょう。日常は郊外の大型ショッピングセンターのフードコートに押されてるんだろうね。何処か遠方へ行かなまでも、そっちの方がドライブイン機能を兼ね備えているからね。
でも幸い前の街道は4車線じゃないし、中央分離帯もないし、大きな変革が無い代わり、店のオヤジさんが元気なウチは続いて行くでしょう。
暖簾(高崎側).jpg
改めて思います。失礼ながら昔はもっともっと繁盛したんだろうな。
いまどきの若い者はどうだろうか。でも地元では希少な店なんだろうな。
いせやが見えるぞ.jpg
ショウさんご用達のいせやが見えます。
いせやの向こうは雉郷峠。戦国時代に那波さんが、現代の世ではナワ~ルドさんが自転車で越えた峠です。
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あえってりめん [ラーメン]

営業中.jpg
この店は、東京立川のラーメンスクエア初回優勝店でもあります。本店は軽井沢で、私が行くのは支店の安中店です。ジュニアが営ってる支店です。
本店のYouTubeを発見。
https://www.youtube.com/watch?v=BwXmMRaxIdA
店の開設者たる小路五郎氏も登場しています。
軽井沢本店は行ったことがないがキレイな店っぽいですね。安中店は古いスナックか喫茶店のようなボロい内装なんです。イマイチ暗い店内ですが、店長のジュニア氏の爽やかな接客が暗くてボロい店の清涼剤です。好感が持てます。
あってりめん?知らない人が初めて見たら誰だって怪訝になるネーミング。初めて来た時は私も「何だこれは?奇をてらい過ぎでは?」って思った。もちろんラーメン屋さんなのですが、ラーメンという表現をせず、あっさりめんプラスこってりめんだからあってりめんというネーミングで商標登録されたというヘンなイワレ。
私は以前ほど来れなくなったのだが、夜の部しかやっていなかったあってりめんが、昼でも出るようになった。
それと、あっさりめんが無くなっていて、淡麗中華そばが別枠で登場していたんです。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-12-11
コロコロ変わったり、期間限定だったり、曜日は時間帯によってはあったりなかったりして、「あったりなかったりめん」と揶揄したものである。
今年初の訪問は3月上旬。行ったら過去の試験商品が主に3つの系統に整理されていた。あってり系(塩、醬油、味噌)、あっさり系(塩、醬油)の2系統。あっさり系は前回喰った淡麗中華そばがレギュラーで定着したみたい。(※)
お品書き1.jpg
お品書き2.jpg
こってり系(醤油、味噌)が二重線で消してあるのは何故だ?(笑)
裏を見たら、汁なし系のあえってりめんがあった。汁無しだからおそらく混ぜそばの系統と思われます。後で登場します。
これでも大分、メニューがすっきりしてきたほうなんです。

淡麗中華そば、塩です。
淡麗中華そば塩.jpg
スープ.jpg
白い麺.jpg
何でゴボウなのさ.jpg
「前は醤油でしたよね?」
「そう。醤油だった」
よく覚えてるな。でも前に来たのは昨年の10月か11月ではなかったか。半年前だぞ。
「塩と醤油・・・どちらがいいですか?」
「どちらもいいよ・・・」
「前とスープ、変えたんですよ」
「???」
「あれからいろいろ試作してみて、今のあっさり系は動物系を入れなくしたんです。昆布とか煮干とかだけで」
「そうなんだ。確かに言われてみるとそうかも。でもさ、いつも思うんだけどさ。何でゴボウなのさ?」
「ゴボウはオカシイですかね?」
「ここともう1箇所でしか見たことないな」
「やはりメンマの方がお好みですか?」
「そりゃそうだよ」
「う~ん・・・ゴボウがいいっていうお客さんもいるんですけどねぇ」
「そりゃごく少数派じゃないの?なかじゅう亭さんがゴボウなんだよね」
「ああ、ハイ、なかじゅうさんはゴボウですね」
なかじゅう亭は駅近くの通り町に支店、高崎市郊外に本店があった筈だが、居酒屋こむぎの通りに出店してた。そこもゴボウなんです。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-09-16-1
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-11-20
処理済~ジュニア.jpg

すだれ.jpg
7月に行った時のこと。店にスダレがかかっていた。
「あえってりめん」
「汁が無いけど大丈夫ですか?」
やはりそうか。混ぜそば、和えそばなんだね。
でも汁が無いってまさか一滴も無いのかな。素麺じゃないだろうな。
あえってりめんである.jpg
まぜまぜ.jpg
「ニンニクかマヨネーズか、どちらかトッピングされますか?」
両方!!なんて言わないよ私は。迷わずマヨ(シャレではない)にした。
麺を摘まむ.jpg
底の方に.jpg
「残った汁にご飯混ぜて食べます?」
そういう悪魔の囁きをするかな。食べるに決まってんじゃんか。
ご飯少し.jpg高カロリーである.jpg
「豚バラ肉の生姜焼きみたいなタレだね」
「濃い目に作ってますんで」
豚バラ肉の焼肉定食を喰い終わった皿にタレが残ってることがあるでしょう。あれなんですよ。
会計時に混ぜご飯代は幾らか聞いたら、いつも来ていただいてるからサービスだって。そんなに来てないですよ。今年はまだ3回目くらいかな。お客の絶対数が少ない地域なのかな。
ネギが無いぞ.jpg
「ネギ系統が全滅だけど。不作だったの?」
「九条ネギを使ってたんですが、あまりいいのが入って来ないので」
そうか。下仁田ネギじゃなかったんだね。

ジャン妻はこの店に全く興味を示さない。何それ?って奇をてらったイロモノ、亜流と思っているフシがある。
大分、系統とメニューがスッキリしてきたが、煮干系?のにぼってりめん、何だかわからんが、チキチキめん、ベジポタつけめん、なんてのもあったがそれらは無くなっていた。
おそらくは軽井沢の本店からの指示で、いろいろヘンテコリンなネーミングの新作品をここ安中市で人体実験みたいに出しているのではないかい?
もしくは本店には常時あるものが、ここジュニアの支店ではなかなか本店からのGOサインが出ないとか。
私の中でこの店の謎が解けることは永遠にないかも知れない。
現在の日替わりメニュー.jpg
(※)9月末に行ったらなくなってました。その代わり平日に日替わりラーメンが登場しています。
それと先払い制になりました。店内は椅子席が全て撤去されてカウンターだけになってた。何でもガイド本に大きく取り上げられて客が押し寄せ、ニッチもサッチもいかなくなったんだって。だったらガイド本なんかに載らなきゃいいのに。
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上州麦豚カツ丼 [グルメ]

上信越自動車道甘楽PAです。
織田信長の次男、信雄が晩年に造った大名庭園(小幡藩)がある町です。他にこんにゃくパークも。
甘楽PA1.jpg
甘楽町は、高崎市に合併された吉井町と、独自路線で頑張っている富岡市との間、東西に挟まれている町です。
高崎市が吉井町他、近隣の市町村を合併しまくったのは、ライバルでもある県庁所在地、前橋市への対抗意識としか思えないが、世界遺産登録のブランドを掲げて独自路線を行く富岡市は、お隣の甘楽町を吸収しようとちょっかいをかけたことがある。
だが甘楽町の住民投票の結果は合併反対票が多数を占め、当時の町長が合併しないことにして議会も承認したそうで、現在でも町として自立している。

腹が減ったぞ。
昨夜は会社の同僚と飲んだのだが、まぁ飲まない食わないの少食少飲野郎で偏食家だったんです。刺身も魚も嫌いなヤツで、酒悦七、まる飛、浜潮を避けて、肉がいいというのでくいものや亮に行ったのだが、そこでもたいして喰わない。ステーキ肉も脂身しか喰わない。酒もたいして飲まない。いろいろ私の知らない話が聞けたんだけど、嗜好が違うヤツと酒席を共にする難しさを感じたよ。半分本音でコイツ誘わなきゃよかったって思ったモン。2軒目を断ってさっさと帰りやがったし。寝る前の私は腹八分どころか腹半分だった。
翌朝の今日は私にしては朝が早く、朝イチの公用&訳ありで9時前には前橋市内をウロついていたんです。それを終えて前橋ICから入って上信越自動車道に逸れ、藤岡JCT辺りから猛烈に腹が減って来た。腹が減り過ぎてスピードが出ないんです。アクセルをベタ踏みする力や、早く走ろうという気力が無いので、走行車線を走ってたら後ろのくるまがジレたらしく、次々と私を追い抜いてったからね。
何時だ?10:00時過ぎか。まだランチまで大分、間があるな。田舎・・・失礼、この先一帯のランチは11:30スタートが多く、腹が減るとイライラする私は11:30までモタない
そこに上信越自動車道甘楽PAがある。ここを過ぎると県境に近い横川SAまで休憩できないのでそこに滑り込んだ。高速道から一般道に下りれば、玉砕覚悟とはいえソソる飲食店がパラパラあるんですがそれまで持たなかった。
甘楽PA2.jpg
PA内には富岡製糸場に行く観光客バスもいたね。殆どが外国人だった。
WCで使用中の個室を「早く出ろよ」とばかりにドンドン叩いてたのには驚いたよ。仲間同士でふざけてやってんならいいけどさ。
無視して喰い処へ。
甘楽PA3.jpg
この店、上州麦豚攻勢が凄い。
上州麦豚トンカツ定食1040円
上州麦豚カツ丼940円
上州麦豚ソースカツ丼860円
上州麦豚カツカレー1040円
上州麦豚ネギ塩豚丼780円
上州麦豚肉そば570円
これでもかという感じですね。そのクセ、PA定番の豚汁が無いぞ。
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普通のカツ丼780円
普通のソースカツ丼760円
普通のカツカレー870円
普通のカツとは何処の豚肉なのかな。国内産かな。
券売機3.jpg
もつ煮定食770円
もつメンマ定食780円
もつが無くちゃ上州じゃないよね。でもばかうま丼730円とは何がバカ美味いのだろうか?
麺類は、定番のそば、うどんの他に、
甘楽ラーメン630円
下仁田ネギラー油味噌ラーメン710円
(なんなんだ?この奇をテラったラーメンは?)
下仁田ネギ以外に野菜類は殆ど無いといっていい。
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昼前、というか、まだ10時だから、遅い朝飯といっていい。朝からカツ丼にしてしまったよ。もちろん上州麦豚。
「メシは少なめにしてくれ」
「ハァイ、ご飯すくなめぇ」
番号札を持ってガラ空きの席に移動したら厨房のオバちゃんから声がかかった。
「お時間大丈夫ですか?15分ほど」
こっちは腹が減っている。まさかまだ飯を炊いてないんじゃないだろうな。揚げ油に火を入れてないとか。
「揚げたてをお出ししますね」
ああ、作り置きじゃないんだ。揚げて置いたのを玉子とじで煮るだけで、やたらと出すのが早いスタンドがあるけど、ここはそうではないらしい。
もしかしたらこの日、朝からトンカツを喰う客第1号が私だったのではないか。
店内2.jpg
テーブルに上州麦豚のパンフがあった。
如何にも特別のエサを喰わせて育てたというアピール。
でも育てた豚を喰らうのは私ども人間である。豚の可愛い表情を見たらガラになく気の毒になり、これから喰う私自身の罪業にややゲンナリ。隠しました。
引退された私の師匠、番頭さんが、山の宿で出される猪や鹿は御馳走とはいえ、それを仕留める宿の自慢話や、館内に飾ってある剥製の類が大嫌いだったのを思い出したよ。
これぞ上州麦豚カツ丼である.jpg
待ち時間10分。15分しなかったかな。
ルックスはなかなかいいですね。
カツ全体に玉子とじがベチャベチャかかっていない。両端はカツのままです。つまり、サクッとしたカツ揚げたての食感と、玉子でとじたカツ、2つが味わえるスグレものだった。
カツ丼UP.jpg
でも肉はあまり厚くないなぁ。断面を見てください。
上下で挟んだ揚げ衣の厚さと、肉の厚さが殆ど同じ。これは生姜焼き用の肉かと見まがうばかり。
でも味はまぁまぁ。そこらの蕎麦屋のロースカツ丼より美味いよ
でも残念なことに味噌汁が温いぞ。それは残しました。
端の肉を摘まむ.jpg
お肉の厚さ.jpg
上州のカツ丼はソースカツ丼をよく見かける。
玉子とじが当然だろと思ってた私は最初に見た時は驚いたですよ。
「玉子無しです」もしくは、「タレです」って表示されてればいい方です。ソースもホントのウスターソースだったり、独自の味だったりする。甘めのタレ(天丼の汁のイメージ)だったり、店によってマチマチ。
時間が早かったので遅い昼というか、午後にもう1食喰うハメになってしまった。
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癒されて梅ふく [居酒屋]

自分も世話になった料理店がクローズするという知らせは、少なからず私の心を重くした。
こういう時は、いつ行ってもバカ笑いが絶えないあの店に行って、精進落としをするしかないなと。
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その前に。
中央銀座アーケードに気になる店がある。
どうも田じま食堂の4代目らしいのです。
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田じま食堂の過去記事です。http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-07-6

新田じま食堂のボードにはこうある。
『創業60年あの田じま食堂が、四代目店主によりお刺身メイン和菜呑処としてリニューアルOPENしてます。』
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お品書き1.jpg
この日の昼、私はこの店の前を歩いているんです。遊んでたんじゃないですよ。高崎市役所分庁舎で公用を済ませて、〇〇方面に向かう本数少ないバスに乗る為、本町バス停に向かってこの店前を歩いたんですよ。ランチをしてもよかったんだけど、ここに来る前にすみれ食堂ってとこで先に喰ってしまったんだよね。
覗いてみたら、何だか普通の居酒屋になっちゃった感があるなぁ。店の中に子供もいたし。
前の油っ濃いメニューは継承してないのだろうか。
あの頃にクダをまいてたお年寄りたちはこの店に来ないだろうなぁ。
誰かの声が聞こえるよ。調査がてら入ってみて下さいよって。
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目指す梅ふくは引戸が半開きになっていた。
立ち止まって折り畳み傘を畳んでたら、マスターとママと目が合った。「入って入って」って。空いてる席はカウンターに4人(7席)地元の方2人で盛りあがってる間にひと席か、カウンター両端の席が空いている。
何処に座ろうか。盛り上がってる常連さんの間に入るべきか、遠慮すべきか。
マスター(モーちゃん)は私に向かって、「構わないから2人の間に入って」と言ってみたり、常連さんに向かって、「席ひとつ動いてくれる?」と言ったり、「端でもいい?」って言ったり、デキあがってるので支離滅裂である。
空いてる端っこの席も狭そうだし。いいやもう間に入っちゃえと。カラマれるのを覚悟で常連さんの間に割り込んじゃったよ。
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「ぬる燗」
「二合?一合?」
「一合。それとポテサラ」
この大雑把に出されたポテサラを見てくださいよ。トマトなんかも引きちぎったみたいだし。
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そして支那竹。この店ではメンマとは呼ばない。支那竹です。
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「今日からおでんなんですよ」(ママ)
「昨日までは豚汁だったとか?」
違います。夏場はモツ煮なんです。
だけど21時を過ぎて酔っぱらってるマスターだが、小上がりの4名様のアジフライを揚げてたね。大丈夫かい?
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酔っ払いの間に入ったからにはどちらかの相手、聞き役をしなきゃならない。何の話をしたかというと、いい意味でくっだらない話ですよ。アタマの話(頭髪が無い、薄くなった、カツラ)、女の話(浮気、愛人、風俗)とか。議員さんとか教育とか固い話もしたかな。
話の合間にマスターが盃を突き出すの。飲ませてくれって。客に出した酒を自分にも呑ませてと強要する店なんてここしかないんじゃないか。
でも常連さんのお相手をしているウチに、先ほど出逢った〇〇レの〇郎さんのやるせなさはいつの間にか忘れたね。
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「奥さん元気?」
(始まったよ。)
「元気だよ」
「そうじゃなくって、奥さん愛してる?」
「ホラホラマスター、あまりそういうことを聞くと嫌がられるから」(ママ)
「誰にでもそうやって訊いてるの?」
「聞いてない。聞いてるけど」
「私の返事はマスターの背中だよ」
「!!!」
背中の主張.jpg
後日、背中の絵文字を見たジャン妻は、「マスターに合ってる。合い過ぎかも」って言ってた。「あのシャツはお客さんが買って来るんじゃないの?」とも。
そうかも知れない。私らも一度だけ土産に買ってったことがある。金沢行った時に買ってって差し上げたの。もしこの記事を見てマスターに何がしかあげるんならTシャツをお願いします。サイズはM。色は黒で、前でも後ろ(背中)でも何がしかヒネった文言があるとマスターは喜びます。「旅に出ます探さないでください」とかね。
「ウチの(ジャン妻)は、観光地の土産物屋に行くとマスターを思い出すみたいだよ。Tシャツに何かしら描いてある文句を見て思い出すみたいだね」
「えっ、奥さん俺のこと思い出してくれてるの?嬉しいね。来ないの?来ないの?」
「さてどうかな。私と違ってアイツは100%内勤だからねぇ」
「今夜は帰るの?泊まり?」
「帰るかも。嘘ですよ帰れるわけないジャン」
「ホテルは何処?あの上に温泉が出るってとこ?今は湘南新宿ライナーで1本で来れるんだよね?」
支離滅裂である。
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バカっ話をしてる間にこの店に来るまで引き摺ってたやるせなさは消えたよ。
この店では深刻なハナシは似合わないね。
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通町の邂逅 [居酒屋]

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「お久しぶり?じゃないスか?」
「そうだね。6月か7月以来かな。月に2回くらいはこっちに来てたんだけどね」
「ああ、そうなんスか」
「8月も2回くらい来たんだけど、私以外に東京から来たヤツがいたりしたので、ひとりで行きたい店に行くって訳にいかなかったんだよね。やっぱひとりがいいね」
ブツクサ言いながらお品書きを開いたら、何だかメニューが少ないのだ。
1頁、和牛叩き、鰹叩き、まながつお、平政、〆鯖、さんまなめろう、すじ子
2頁、貝グラタン、鰆西京、まとう鯛一夜干、新さんま、トンビ串、和牛焼
3頁、鯵フライ、甘エビしんじょう、おこぜ唐揚、麦豚ロースカツ煮、煮穴子
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これだけかよ。
メニューが少ないからフォントも大きいしさ。
海が荒れて魚が少ないのかな。敢えて訊いてみた。「刺身は何がいいです?」
「殆どいいですよ。平政が小さいかな」
殆どいいですよったって、その小さい平政を抜いたら鰹叩き、〆鯖、まながつお、さんまなめろうしかないぞ。
そうか。お品書きに載ってるのは全部いいネタな訳ね。
「じゃぁ、カツオ、シメサバ、秋刀魚なめろう」
「そ、そんなにいいんスか?」
「うん。滅多に来れないしさ。焼きものは何がいい?」
「まとう鯛がいいっスよ。脂がノッて・・・」
「じゃぁそれにするワ」
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ところがこの時点でおとおしが出て来ないのである。でも別にいいや。この店はヘンなおとおし・・・失礼、巻貝、もずく酢、タコとキュウリの酢の物など、私の嫌いなものをお通しで出す傾向にあるのです。
マスターは奥の厨房に引っ込み、奥から何やらジュウジュウ揚げる音がするのである。私は揚げ物なんてオーダーしてないぞ。
もしかして、お通しを揚げてるのかな。
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果たして揚げ出し豆腐であった。おとおしの枠を超えてるね。
さてはおとおしを用意し忘れてたな。
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そして刺盛になった。
脂のノッたカツオ叩き、殆ど生の〆鯖、薄くて小さい平政も隠れてる。隣にサンマのなめろう。
「美味いよこれ」
「そ、そうっスか」
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まとう鯛一夜干。
なるほど脂がノッて美味しい。後から来た2人組にも「まとう鯛がいいっスよ。脂がノッて」・・・私に言ったセールスTALKをその方にもそのまんま喋ってススメてましたね。
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「マスター見てくれ。骨まで喰ってしまった」
私は猫の餌にもならないぞと自信満々に見せたら、
「あ、それ、骨も食べれるんスよ」
だから食べたって。早く言えよそれ。
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甘エビシンジョウ。
Macのハッシュポテトかと思った。作り置きではなく、甘エビの殻をプチプチ剥いてタマネギと和えて揚げてましたよ。
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シンジョウの断面.jpg
「聞いたスか?〇郎さんとこ、今月で閉めるんスよ」
「えっ?そうなの?」
〇郎さんの店は高崎で最も有名な店で〇〇レといいます。私の社宅からすぐ近所だった。私が上州に来た平成24年、都落ち気分でクサってた私を上州に開眼するきかっけになった店です。
「この街に何年いなきゃなんないのかなぁ・・・」から、「この街にあとどれくらいいれるだろう・・・」に化学変化した店。
そこから酒場巡りが始まり、行く店行く店で上州人情に触れ、ハズレが殆ど無い勢いで4月~6月で行った店は30軒を超えた。ボトルキープはMAX5軒までいった。
だがある些細な事がきっかけで、〇郎さんの店から足が遠のいた。

クローズするのに「まさか」という気はしない。よく店を放り出してその辺に逃げ出し、誰かを捕まえては飲んで愚痴ってたからね。私も外で3回ほど出くわしたことがあるモン。
クローズの理由ですか?それは言えないな。ご想像にお任せしますが、現地の何処かの飲み屋に行けば誰でも知ってるんじゃないかな。
大病されたので体調を騙し騙し営ってた。北高崎の並榎にある某酒場の店主も「〇郎さん生きてるんですかぁ?」なんて言ってたし。
「有名だし、いいものを出す店だけに、そういう終わり方は残念だよね」
「そうっスね」
「あれだけの料理を出す店だからまた何処かで包丁を握るんだろうけど。店があれば、再起するなら応援する人もいるだろうけどさ。店がなかったら人は離れて行くだろう」
マスターは頷いた。
私は2本めのお銚子を飲んでいて、それを飲んだら出ようと思っていたのだが、そんなことを話してたら突然、扉が開き、当の本人、〇郎さんが入って来たのである。
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〇郎さんが見た感じはお元気そうだったな。髪も黒いし。体型も変わらないような。
「ああ、どーも、時々お見えになってるんですか?そうですか。出張でねぇ。もう身体が痛くて今でも〇〇〇〇飲みながら酒飲んでるんですよ」
言ってることもあの頃のまんまである。
〇郎さんが連れの人にこう言う。「この人もいいお客さんだったんだけどねぇ」
この人とは私のことですよ。いいお客さんだったって過去形かい。でも私は自分で言うのも何だけど、いいお客だったよ。
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「でもまた何処かで包丁握るんでしょ?」
それには「う~ん」って唸って即答されなかった。私は内心で「アナタは料理人なんだから、包丁握って生きてくしか能がないでしょうよ」って言いたかったけどね。
「まさかこういう終わり方になるとは」
「いいモン出してたのに残念ですね」
「うん。でも昔はもっともっといいものを出してたんだけどね」
あのね〇郎さん、昔を懐かしんでも、昔はよかったって繰り言を言っても何もいいことないですよ。
まこと困った人だとも思うが、こうして会ってしまうと強くも言えないな。
如何にこの界隈が狭いということ。
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この1時間半くらい後に〇〇レの前を通ったら店は営ってましたね。戻って商売したみたい。
もうすぐ終焉.jpg
「奥さんお元気ですか?ああ、そうですか。よろしくお伝えしてください」
伝えたよ。苦笑いしてた。
勘定を済ませて店を出る時、私はマスターに、
「マスター今日は美味かった。〇〇レより美味いゼ」って言ってやったよ。〇〇レの料理と似た系統だし、後継者はこの店とこの店のマスターしかいないんじゃないか。
それぐらい言ってもいいよね。「〇〇レより美味いゼ」を聞いた〇郎さんが、「なにくそっ」って奮起するならそれでいいじゃない。
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外は雨が降っていた。
私は傘をホテルに忘れて来ている。これから店に戻る〇郎さんは「ウチはここから近いから」って私に自分の傘をくれた。もっともその傘はこの店の借り物らしい。
でも私は近くのコンビニで折り畳み傘を買って〇郎さんに傘を返しに戻った。店は締めるわ傘までとられるわだと、翌朝、私の方が寝起きが悪いからね。
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小雨が止まない。
〇郎さんの涙雨?
しょーもないギャグでもいいから笑いが欲しくなって、銀座アーケードへ向かったよ。
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克はBARなのだが。。。 [居酒屋]

ドーミインを出て、ホテルニュー赤城、割烹仙水、居酒屋こむぎがある路地から大通りに出たら、若いねーちゃんの呼び込みが私の後頭部にふりかかった。
「ハイネケンビール如何ですかぁ?テイクアウトもできますよぉ」
ビールのテイクアウト?そんなんしたら温くなっちまうじゃないか。
どんな子かルックスを見てやろうとしたらねーちゃんと目が合ってしまった。
「店内、涼しいですよぉ」
「いや、もう予約済みなんだよ」と軽く手で制しながら、私は道路向かい、克のビルを指した。
「ハ~イ。またよろしかったらどうぞ~」
そうやって一晩中声を張り上げてるんだろうかね。私は信号待ちして向こう側に渡った。
道路を横断して3階を見上げる。
背後からねーちゃんの呼び声が聞こえる。
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先に電話しています。「1人だけど大丈夫ですか?」って。
「大丈夫です。初めてではないですよね?」
「3回めかな」
名前を聞かれて、「ああ、〇〇さん。どーぞどーぞ空いてますよ」
入店してから観察してたら、19時以降は基本は予約は受けないみたい。後でまたお電話下さって、その時に空いてればご案内しますのようなルールのようです。
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克は日本酒BARです。(一応は)
日本酒を呑まない方はお断り。3階というロケーションはハンデの筈だが混む店でして。わざわざエレベーターで上がる価値がある店。エレベーターが無くて階段だけだったら酔っ払いにはキツいかも知れない。
早い時間だったのでそんなに混んでなかった。
「どうされますか?」
料理はコースのみです。軽く晩酌(4品)にして、追加で「それとさ。チーオムできます?」
マスターは奥様に訊いてました。できるか?って。できるという。お願いした。
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マスターにススメあっれて日高見の熱燗にしました。和歌山県の酒ですね。
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チーオム1.jpg
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チーオム(チーズオムレツ)です。
あまりボリュームが無いので、前にショウさん&チエさん&田舎娘さん&ジャン妻と5人で取り分けた時は、ひとり辺りの配分量が少なかった。今宵はこれ全部私1人のモンだいっ。
だが、途中でオカシなことに気付いた。
「ママ、何か辛くないかこれ?」
「えっ??」
「これってこんなに辛かったけっか?」
「あっ、もしかしてっ・・・アクセントで入れてるあおとう(青唐辛子)がアタッちゃったんですねスミマセ~ン」
アオトウかよ。頸筋や頭頂部、額、後頭部まで熱くなってきたぞ~。汗が噴き出した。
「おしぼり替えますね」
「・・・」
「エアコン強めにしますね」
「うん」
「辛くて日本酒の味がわからなくなっちゃったってことないですか?」
「う~ん」
チェイサーも出てるし。ここでビールなんか飲み直したらダサイな。常温で飲み直すことにした。
「お口直しにこれを・・・」
キンピラ.jpg
う~ん。これがBARの光景といえるだろうか。
とてもBARに見えないぞ.jpg

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ダメ押しにチーズ盛りです。ハチミツにつけていただく。チーズで日本酒を呑むようになったらもう何でもありだが、ハチミツとはね。
蜂蜜に浸ける.jpg
誰がどう見てもBARじゃないな。
凄い光景に.jpg
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克は日本酒BARという位置づけになている。
勘定もあまり高くない。酒悦七より安いです。
小さい店なので遅い時間にフラッと行っても入れない可能性が高い。それはショウさんが立証してくれてる。私はどちらかというとこの店、1軒めに行きたい位置づけなんですよ。

このBARがYoutubeにUPされてた。
https://www.youtube.com/watch?v=DR8uMmBwm2c
失礼ながら、奥さんちょっと肥えてません?今はショートカットでもっとスッキリしていますよ。
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第2の故郷・第4の定宿 [コラム雑記帳]

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霧雨の駅前ロータリー.jpg

ドーミイン1.jpg
私はネット予約が不得手なので、ホテルドーミイン〇崎を予約する際はいつも電話です。
ドーミイン〇崎が電話に出ないことがあった。
オカシイ。話し中じゃないです。呼び出し音は鳴ってるけど出ないのだ。5分おきに3回鳴らしても出ない。
上州雷銀座の落雷の影響で停電か?回線がダウンしたか。
このままにしてしばらく時間をおけばよかったのだが、気になったのと、出張当日まで殆ど日が無かったのもあって余計なお節介をしてしまった。本部の共立メンテナンスに架けてやろうとしたが営業時間外で繋がらず、何処か他の支店に問い合わせてやろうと。
何処に電話したかというと、
「ドーミイン〇府でございます」
今思えば何で〇府にかけたのかようワカランのだけど。
〇府のスタッフに言いました。
「いつもドーミイン〇崎を利用しているんだが電話に全然でないぞ。何かあったんじゃないのか?事故とか、回線がダウンしたとか」
「えっ!!・・・申し訳ございません。すぐに確認致します。お客様にはご迷惑をおかけしまして・・・」
平謝りであった。
私は別にクレームを入れた訳ではない。何かあったのか心配しただけである。大抵は一般客に公開されていない予約電話以外の裏電話があって、それで伝わるだろうと。

私のかけた携帯番号は先方のナンバーディスプレイに表示されたようで、しばらくしたら折り返し私の携帯に架かって来た。
「ドーミイン〇崎でございます」
声と話し方に聞き覚えがある。
「〇〇様申し訳ございません出れなくて・・・」
私は自分の名前を名乗っていないのに向こうからいきなり名前を出されたってことは、〇府の代表電話に表示された私の携帯番号が〇崎に伝わり、顧客名簿を検索したら私の名前が出て慌てたに違いない。
「ああ、いや、大丈夫か?何かあったのか?」
「いえ、大丈夫です。申し訳ありません」
「ああそう。で、いついつの何曜日、シングル空いてるかな」
本題の要件に入った。

ウチの社の支店も何かのアクシデントで外線が繋がらず(切り替え忘れとか)「出ないけどどうなってんのよ」とクレームが来たことがあるので、私はそういうのを慮っただけなのである。
だが、ドーミイン〇崎はクレームと受け取ったらしいのだ。チェックイン時に謝罪されてしまった。私に電話をかけて来た女性スタッフがフロントにいたのである。
「○○様、先日は申し訳ございませんでした」
私はちょっと慌てた。
「ああ、あれって別にクレーム入れたわけじゃねぇよ。何かのシルテムトラブルで電話回線そのものがダウンしなんじゃねぇかって」
ウチも受付る側の会社であることが伝わったかどうかはわからない。でも察するにホテルの責任者マネージャーさんは本社から怒られたんだろうね。しまった。
「で、何で(電話に)出なかったのさ?回線が不調だったの?」
「チェックイン時間帯で立て込んでいて、誰も電話に出れなかったんです」
そりゃよくないな。改善してください。
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さすがにドーミイン〇崎は、私と顔馴染のスタッフが3人か4人いる。
でも新人や知らないスタッフも多い。男性スタッフの顔を覚えられない。(別に私が女性ばかり見てるわけではない)
電話予約の際は相手の顔が見えないから仕方がないのだが、やはり気の利かないスタッフや、研修中の名札を付けたスタッフが電話に出ると、料金がいつもより高い部屋を紹介されたりする。
ところが当日チェックインする時、ベテランで顔馴染の女性スタッフリーダーが対応してくれて、部屋が予約時より安くなってる時がある。おそらく安い部屋が空いたから気を回してくれたと善意に解釈しています。

チェックインでもそう。対応に差がある。
フロントに若造や、明らかに新入りと思われるスタッフは私に向かって、「お名前をフルネームで、お電話番号とご住所と会社名も・・・」
私は黙って記入するが内心では、「俺を知らないのか。平成25年から出張で60泊以上利用してるんだぞ。めんどくせぇことさせやがって」ってブツクサ。
顔馴染のスタッフだったら、「いつもありがとうございます。お名前だけで結構です」なんですよ。
そのもっともベテラン?リーダー格の女性スタッフが、
「領収書は会社名でよろしいでしょうか?」
「うん」
自費の時は、「今夜は要らない」って言います。
ジャン妻が出張、私が同伴(オマケ)の時は、
「手書きでいいからシングルで領収書いてくれる?」
この要求に最初は怪訝そうだった。私が「こっち(ジャン妻)は会社出張だが、ツレの私はオマケで便乗しただけなんだ。だから会社からは1人分しか経費で出ないんだよ」ってどーでもいい言い訳をするハメにはなった。
リーダー格のスタッフは得たりとばかりニッコリ微笑んだ。

私は正規の出張ではなく自費で泊まったりもする。
「今日は領収書は会社名でよろしゅうございますか?」
「いや、今夜は自費だから要らない」
またニッコリ微笑んでくる。
私をどう思ってるのか。「この客は公用だったり私用だったり。もしかして訳あり?高崎にオンナでもいるの?」とでも勘ぐってないか?
いつも「領収書お願いします」で通しちゃえばいいんだけどね。
リーダー格の女性は「いつもご利用ありがとうございます。お名前だけで・・・」でOK。顔パスです。
この女性にも、冒頭の電話トラブルで、「〇〇様先日は申し訳ございませんでした」って謝罪された。
既に部下?の女性に謝罪されてるんですがね。上司として言ったんでしょう。
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そのリーダー格は21時以降になると奥のスペースで夜泣きそばを担当していたりする。フロントガールズがラーメン屋台の女将になっちゃうんです。
しっかり頭に布割烹着の帽子を被っています。
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夜泣きそば終了は23時。そこで勤務終了になるのか夜勤になるのかわからないが、帰るのは深更になってからに違いない。
男女雇用均等法云々なんだろうけど私のアタマは古い感覚なので、女性は早く帰しなよとも思う。
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夜泣きそば3.jpg夜泣きそば4.jpg

9月末、夜泣きそばのチラシが変わってました。
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いつも夜番から朝番の女性スタッフがいる。
瀬が低くて丸顔で、目が丸くクリッとしていて、マンガに出て来るお猿さんのようなルックスの女性。私は陰でモンチッチと呼んでいる。
モンチッチは19時くらいにチェックインした時はいません。別のスタッフです。30分後、「さぁ外へ飲みに行くぞ」と部屋の鍵を預ける時もモンチッチはいない。チェックイン時とほぼ同じ顔ぶれがいる。
外でしこたま飲んで、遅くとも23時にホテルに戻って鍵を受け取ると、そこにモンチッチがいる。
(下写真の左がモンチッチ)
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「7〇4の〇〇だけど」
モンチッチはディスプレイを見て私の名前と部屋番を確認する。やや前屈みになる。背後から長い尻尾でも伸びそうである。
「○○様ですね。お休みなさいませ」
「・・・」
私は酔いもあってやや同情する。また夜番かよ、タイヘンだなって思う。これまた男女雇用均等法とサービス業の辛いとこでもある。
夜中に仮眠するのかね。翌朝、チェックアウトしようとしたらモンチッチがいる。
目がやや充血してるし頬も赤い。やはりモンチッチである。
つい言ってしまった。
「モ・・・じゃなかった・・・いっつも夜番なのかよ」
「ハイ・・・」
「タイヘンだな・・・」
「・・・」
モンチッチは無言で微笑むだけです。すぐ目を逸らすんです。
モンチッチにとっては私のひとことは余計なお世話でしかないかもしれない。昼は別んトコで働いてるのかも。

甲斐南部、会津湯野上、伊豆高原八幡野に続いて・・・
ここも私の定宿?
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ではまず飲みに繰り出しましょう。
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