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大胡城 [隠れ郷土史]

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高崎駅コンコースに鎮座しているレプリカ、上野三碑のひとつ「山ノ上ノ碑」にこうある。
辛巳歳集月三日記
佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此
新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児
長利僧母為記定文也
放光寺僧
何のこった??
ひとりで考えてもワカランので三碑の解説サイトを見たのだが、それを見ても1行と2行と3行の途中まで皆目わからず。
刀自(トジ)、これは女性、足尼(スクネ)、これは男性のこと。3行目の後半から、大児の臣に嫁いで生まれた私こと長利僧が母(黒売為自)の為に定めた文也(である)・・・。
碑文にある大児臣、これが大胡氏ならびに大胡の地名だと推定されている。
その地に土着した豪族がその地名を名乗るケースは多々あるが、大胡は大児臣からなら名前が先で、大児臣が居住していた場所が現在の赤城山麓の大胡であろうというもの。
ということは三碑のひとつに銘打たれるくらいの名族で、遠い奈良平安の頃からここ赤城山麓にいたのだろうか。
大胡町史.jpg
だが大胡町史によると、赤城山麓の大胡という地は他の古代の記録にはないそうで、現れるのは中世の頃からだそうです。
建武の頃にようやく「上野国大胡郷内・・・」とあり、赤城山麓の大胡荘を管理する地頭職が東京都新宿区牛込に来る前の大胡氏と推定するしかない。
堀1.jpg
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水の手門跡1.jpg
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大胡城は地頭職の城塞にしてはデカ過ぎる。
駐車場の二の郭の南側に枡形門跡とあり、そこには石積みまである。これらは近世のものでしょう。
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おそらく村上さんが殺陣まわりをしたロケ地はここかなぁ。
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本丸土塁1.jpg
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塁壁は高く、壕もまぁまぁ深い。本郭の西を囲む塁の上に立ったら吸い込まれそうである。
今日は比較的風が穏やかでいいが、強風に煽られたら転落するかも。
本丸土塁4.jpg本丸土塁5.jpg
さっきまでゴルフの稽古をしていた爺さんは、上から見下ろす私の視線がうるさくなったのか、そのうちいなくなってしまった。
その後でもうひとり、見学者とおぼしき初老の爺さんが来て、この上の塁まで登って周囲を見渡していた。
この虎口の断面は後世に切り開いた感があるな。
虎口か後世の壊変か.jpg
虎口と土橋.jpg
虎口の断面1.jpg
虎口の断面2.jpg
繋ぐ土橋.jpg
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堀の土塁上から.jpg
北側の塁壁。園児らの嬌声が聞こえる。幼稚園のある一帯も城域の一画。卒園式らしい。
子供らや父母から城壁にへばりついている自分はどう見えるのだろう?
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北側の切岸.jpg
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本丸土塁6.jpg本丸土塁7.jpg
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吾妻鏡の大胡氏については例によって何々太郎、次郎、の記述が多く、大胡太郎、大胡弥次郎、大胡左衛門次郎、大胡五郎、正式に任ぜられたかどうかアヤしいが、官途名でも大胡左衛門尉、大胡掃部助などが散見される。
後世になって大胡氏の末裔という牛込氏が作成した系譜が絡んでくる。これには牛込太郎重俊、太郎成家、太郎俊行、彦次郎俊光、宮内少輔光建、彦次郎光重、彦太郎光之、太郎重清、彦太郎重高、五郎重國とあり、次の彦次郎で宮内少輔の重行が小田原の北条氏康について大胡を去り、現在の牛込に移り住み、次の助五郎で宮内少輔の勝行が大胡氏を牛込氏に改めたというもの。
これは新宿区の寺の境内にあった解説文と一致する。
大胡氏が小田原北条氏についたのはここ赤城山麓の大胡の地を追われたからだが、その辺りの経緯はよくわからない。ここから西南、太田市にある太田金山の由良国繁に攻め落とされたとか、伊勢崎の那波氏の軍勢に落とされたとか、例の剣聖、上泉伊勢守が実は大胡氏の出なので箕輪の長野氏の傘下に入ったとか。
わかっているのは永禄2年(1559年)の小田原衆所領役帳に大胡民部が江戸牛込や比々谷本郷などを所領とする旨の記載があるというので、その頃には赤城山麓を去って牛込にいたこと。
大胡氏改め牛込氏の何代か後の俊重という人は、駿河大納言卿徳川忠長側だったので、他家へ預かりの身になったらしいが、赦免後に旗本、次の勝正のとき無嗣が無く改易され、勝正の弟である重恭という人の家系が幕末まで続く。
家康公はケチで牧野氏の大胡藩は僅か2万石でしかない。大胡藩は2代で終焉になり、牧野氏は越後長峰を経て長岡へ移封になる。
戊辰戦役でガトリング砲を切り札に、新政府軍に抗戦した越後長岡藩の祖。
大胡藩は廃藩になり、前橋藩領に併呑された。
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本丸を見上げる2.jpg
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これは町史にあった縄張図です。
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城域は城の北側の塁下を流れる川(近世の用水路か?)を挟んだ幼稚園のある一帯や、その先にある大胡神社の西~北側の背後まで深い壕に囲まれていた。(空壕の一画に墓地があります。)
寺の堀1.jpg
寺の堀2.jpg
寺の堀3.jpg
ここからすぐ西にある養林寺という寺院の北側にヤブに覆われた壕があった。ボケて写真にならず。

解説板を改めて見ると、大胡には家康の関東移封から近世大名の牧野氏がいた時期があり、現在見るものは藩政時代の大改修のものといっていい。大胡氏については「中世上野の名族」という表現以外は触れられていない。
大胡城3.jpg
想像図.jpg

大胡城1.jpg
正味1時間の散策が終了し、駐車場に戻ってタクシーを呼んだ。
20分くらいかかるという。それでも大胡駅11:20発の前橋行に間に合ったが、まぁ電車が来るまでの待ち時間の長く感じられること。
前橋行が来た.jpg
車内ガラ空き~帰路.jpg
来た電車は往路と同じ塗装?同じ電車?
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