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ふたつの桃井城 [隠れ郷土史]

飲み食い記事ばかりだと飽きてしまうんです。
合間にこういう記事を書きたくなる。
高崎からレンタカーで国道17号線に入って渋川に向かいました。
問屋町入口交差点を斜めに左折して25号線(高渋バイパス)を北上した途中に銘酒・船尾瀧の蔵元があり、町名を確認したら吉岡町とあった。
すぐ西隣の榛東村(シントウムラ)との境目に大藪という交差点がある。
この交差点の東になだらかな丘陵があって何やら工事中の模様。
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私はこの辺りに何があったかアタリを付けて来ている。周囲をグルッと廻ってみた。
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はて?参考にした各方面のサイトでは、この辺り一帯は農地だった筈だが。
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比高は大して高くない。20mか30mといったところ。
デカい溜池(灌漑用)に挟まれた丘陵の東斜面には重機が3機置いてあったが、斜面を水平に削平してないから造成地の工事ではなさそう。
緩斜面に細い材木がある間隔を保持して打ち込まれている。
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最上部に標注と解説板、縄張り図があった。
折からの強風で今にも倒壊しそうです。
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ここは太平記で高橋悦史さん(故人)が演じた桃井直常がいたところ。
この人です。
この人です.jpg
(お写真はあるBlogから借用致しました。その旨を申し入れしようとしたのですがコメントが入らず。)
原作も読んだし、TVも観たけど、あの世界は唯でさえ登場人物が多く、どのキャラクターもおどろおどろしく、主役も脇役も南朝と北朝に分れ、足利尊氏・直義の兄弟喧嘩に至っては相関関係が何が何だかワカラン。
桃井直常は戦争ばっかりしていた人で、最初は足利尊氏に付いたが、執事の高兄弟(師直・師泰)と不和になり、尊氏・直義兄弟喧嘩にも巻き込まれ、京都、北陸、信濃、駿河、飛騨を転戦し、ここ故郷の吉岡町を長く留守にしていたみたいである。
解説板2.jpg
解説板3.jpg
吉岡町のまちづくり構想に「南下城山防災公園」という項があって「歴史性や優れた眺望を活かしつつ、防災機能も有する公園としての整備を図ります」とある。
ちょっと前になりますが、2013年8月日本工業経済新聞社の情報だと「吉岡町は防災機能を備えた南下城山防災公園(仮称)整備にかかわる総事業費について「7億円+α」を見込んでいることを明らかにした。資材価格などの高騰を見込んで試算した。2018年度の完成へ向け本年度から用地買収に着手する。・・・(途中省略)・・・整備箇所は主要地方道高崎渋川線バイパスの東、十日市貯水池と大藪貯水池に挟まれ桃井城址を中心に・・・」
これ私が来た場所、丘陵です。
農地じゃなくなり、公園化するんですな。
麓にあったぐんまちゃんの工事看板には94、000、000円となっていた。殆ど1億円ではないか。
工期は今年の3月半ばまで。
工事中のぐんまちゃん.jpg
農地を防災公園化するにあたり、地下埋設型の耐震貯水槽10ton、臨時ヘリポート2カ所(上州一ノ宮上空をうるさく飛んでいるあれか?)、防災備蓄倉庫、災害時のテントを取り付ける休憩所、常設WC、非常用WC、他を建設し、公園中央部に災害時の避難場所となる広場、公園全体には遊歩道が作られるそうである。
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渋川駅前で拾ったタクシーの運ちゃんが言うには、渋川駅前は閑散としているが、郊外の吉岡町や榛東村は人口が増えている町だという。
近隣から移住して来るのは我々から見て第2世代らしい。900人/1年も。
となるとインフラを整備しなきゃならない。道路整備や学校の他に、飲料水の不足の解消目的で配水池を増やすのだと。吉岡町は銘酒・船尾瀧で知られるように榛名からの湧水が多いのです。
現在も桃井城の東と西にデカい貯水池が2つある。(十日市貯水池、大藪貯水池)これらの池には注ぐ川が見当たらないので榛名からの湧水だろうか。水が多い。だから船尾瀧のような銘酒が生まれた。
桃井城は低くなだらかな丘陵なのであまり防御性は無さそうだが、城域の周囲が自然の地だったら、池か沼に浮かぶ水城だったのかもしれない。
(余湖さんの鳥瞰図です。)
桃井城鳥瞰図.jpg
ここを取り上げたサイトによってはその時々によっては農地だったり、耕作放棄された荒地、藪だったりで、公園化に踏み切ったのはもとの所有者に後継者がいないか、後継者がいても相続税や固定資産税が重くのしかかり吉岡町に売っちゃったのかも。
城郭縄張り図、鳥瞰図の第一人者・余湖先生の掲示板に報告しました。でも皮肉なことに公園整備の工事中まっただ中のお蔭で法面が見やすくなった感がする。
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いずれ公園になる2郭の三日月形に囲む土塁も明瞭に見えた。
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吉岡町が示した公園化計画から。
「広場北側には現在ある雑木林を生かした自然エリアとする」・・・第2郭がこれだな。
「前方後円墳跡も避難広場の1つとする予定」・・・これは気付かなかった。
「広場や雑木林エリア以外の大部分は敷芝される」
「東部、中央部、西部とそれぞれ高低差があるため・・・」・・・そりゃそうだよ。城跡なんだから。「・・・東部と中央部間で約50m、中央部と西部で約20mの階段を設置する」
「平常時には桃井城址や古墳などを散策する歴史性を有した公園となる」
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風が強い日だった。
西の榛名から山おろしが吹き付ける。だが不思議と砂塵ば舞わないのは何故か。
残雪も残っていた。風さえなければいい散策日和なのに。

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塚1.jpg
東の麓に桃井直常の墓?供養塔?がある。
夫人のものと並んでいる。
各方面を転戦して疲れ果て、晩年はここ吉岡町桃井荘に戻って来たのだろうか。
夫人と泉下から工事現場を遠目で眺めているかも知れない。
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当初、ここでひとまず終了のつもりでしたが。
桃井城は東西2つあることがわかりまして。もうひとつはここから西に1kmの地もうひとつあった。
西1kmとはいえ直線コースで一気に行けない。農道、新道をジグザグに進んで、山子田交差点の右一帯にあった。
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おそらくあの辺りだろう・・・そういう勘で来たらビンゴだった。
何も遺構は無い。往時を見て来たような詳細な解説が幾つもあった。
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桃井城10.jpg
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解説には東西210m、南北190m、往時、そんなに人がいたのだろうか。
何で東西2つ造ったのかもわからない。
出張の合間、昼休憩の1時間を利用しての軽い散策です。おユルシあれ。
「またこんなとこを見にいったのっ?」(ジャン妻)
「・・・」

信之.jpg
信之公が亡くなられました。
終盤で初めておこう(草の者)を謁見していた。
「この人は草の者の意味をわかってなかったのかな?」
「草を使わないスタイルを貫いたのよ」
ご冥福をお祈りします。
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