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上州一ノ宮氏の謎 [隠れ郷土史]

今日明日とでかけます。
14:46分頃にどこかでくるまを停めて、黙祷を捧げようと思います。

私が出張から戻ると、ジャン妻は私のi-Phoneの画像を見よるんです。
ひとりで何を食べたのか。
何処へ飲みに行ったのか。
アヤしい店に行かなかったか。
ヘンな場所に行かなかったか。
そういう視点でチェックするの。イヤらしい性格だな~。
「七じゃなくて和が家へ行ったんだ?」
「これは日本酒BAR?」
そんな調子である。
人差し指でi-Phoneの画面をスイスイめくってたジャン妻の眦が釣り上がった。
「何よこれは!!」
何だ?私はヤマしい店には行っとらんぞ。
「これは何?何処へ行ったのっ??」
堀1.jpg
あ、これか。
「空堀じゃん」
「・・・」
堀2.jpg
「これは富岡市の教育施設の敷地内だよ。〇〇への帰りに昼休みがてら立ち寄ったんだっ」
「で、何で空堀なのよ」
「たまたま立ち寄ったら空堀があったんだよ」
実はあるの知ってたけど。
堀3.jpg
上州一ノ宮駅の北に一之宮貫前神社(イチノミヤヌキサキジンジャ)という有名な神社がある。
貫前(ヌキサキ)です。私は貴前(キマエ)と読んで訂正されたことがある。
創建から1500年近くも経つ凄い神社らしいから古代からそこにあるそうです。いつの時代も有力者の庇護を受け、武田軍が上州を侵略しに来た時も荒らされなかったらしい。
由緒や文化財については難しいので省略します。その筋のサイトをご覧ください。
神社1.jpg
貫前神社の麓の道は高崎市に住んでた平成24年~から今日までくるまで走ったことが何回もありますが、神社そのものには一度も参拝しなかった。
参拝しなかった理由はこの神社の本境内に入るのがエラくタイヘンで、上信電鉄の上州一ノ宮駅から600m、歩いて約10分程度ですが、正面参道から何段あるかわからない石段を延々と上がり、上がって総門を潜ったら今度は同じような数の石段を下らないと社殿に行けない下り宮という造り、配置になっているからです。上がってぇ~下りてぇなのです。
わざわざ上がってまた下りるということは帰路はまたその逆を上り下りしなくてはならない。地形の制限か何かの苦行か、わざとそうしたのか、そういう造りになっている。
神社5.jpg
こんな感じです。上州一ノ宮駅で下車するとこの階段を上って来るんでしょうね。
誰もいないけど。
神社3.jpg
これが総門です。潜ると下に社殿が見えます。誰もいないですね。
下りたらまた上がって来なきゃならないわけですよ。
神社2.jpg
写真撮ってる私はここまでまともに歩いて上って来たわけではないです。レンタカーで神社の北東、県道47号線の麓から上ってきました。(La gemmaの辺り)
神社の近隣に普通に住宅も建ち並んでいるので生活道路もあるのです。くるまで上がって来たら①上がって下りて、②また上がって下りて、この上がったり下がったりの2往復が1往復で済むわけ。
でも足腰弱い人はタイヘンだと思いますよ。
神社4.jpg
神社に参拝していない私が来たのは冒頭の写真でジャン妻が「何処をほっつき歩いてたの?」と眉間を険しくした写真です。この有名な神社の東の敷地にある。
そこには市役所の分室(教育施設)がある。コンクリではなく木造で昔ながらの屋敷をモチーフした洒落た建物です
切岸1.jpg
切岸2.jpg
その施設の敷地は東西に長く南北は切岸になっていて、東西の尾根を空堀で断ち切ってあった。その堀を施設の屋根付渡り廊下が渡って結んでいるのです。
堀4.jpg
この空堀は北の雑木林に向かって落ち込んでいてその先はヤブ。まだ先まで続いているようです。
堀7.jpg
西から東に渡った施設の裏手にはこんな土居の跡が。
土塁1.jpg
土塁2.jpg
ここに誰がいたのか。
高崎市にあった富岡市の史料を見たら貫前神社の神官の一党、一之宮氏(一宮氏)と伝わるがそれ以上の詳細はわからなかった。
だいたい富岡市は製糸場にまつわる明治~近世のネタには膨大な頁を充てるが中世についてはイマイチ消極的で、この館跡についても「第5章中世、五 一宮氏」と項目があるにはあるが、402頁~405頁と僅か4頁しか割いてない。
僅か4頁からうかがえる一宮氏名前は、一宮駿河守(上州なのに駿河守?)、一宮修理亮他、左衛門太郎、新太郎が5人、神太郎が2人、兵部助、左衛門尉が3人といったもの。
これらは神社を庇護した往時の守護たち、関東管領上杉憲政、武田二代、小田原北条家他との書面の宛先や差出人からわかったようです。
一宮氏は地元で有名な多胡氏、小幡氏とは別一族のようですが小幡氏とは近いかも知れない。富士浅間神社(大宮城)の富士氏のようにこの地の象徴、貫前神社の寺社勢力=自衛の為の武装勢力がいたのでしょう。
館跡の施設は高台にあります。そこから見た富岡市の風景。
風景1.jpg
風景2.jpg
堀6.jpg
富岡市教育委員会に電話したのですよ。
「そちらの市で有名な神社の東の敷地に木造でできた市の施設があって、そこにデカい空堀を見たけど、あそこにはもともと何があったのですか?」
詳しいものに替わりますと言われ、電話に出られた方が言うには、
「あの場所はこの地にいた一宮氏の館跡と言われております」
「貫前神社に関係するんですね」
「そのようですが、詳しいことはわかっておりませんです」
「あの神社は有名だし、大々的にアピールしているけど、隣のあの場所がそういう場所だという説明は何もなかったですよ」
別に私は責めた訳ではないですよ。
「ハイ・・・ございません。発掘調査とかそういうのもしていないのです」
私もしつこく裏付けを取ろうとした。
「では何を元にそうだとわかったんですかね?」
「富岡市史か、山﨑先生のご本か」
山崎先生って何処かで聞いたことがある。その方があの場所を館跡と断定された方らしいが、その筋のマニアには有名な先生らしく、私も史料やサイトでよくお名前を見かけるあの人かも知れない。
(今年になって高崎~渋川間をウロウロした時、仕事ですよっ、ある場所でお名前をお見かけした。)
「その史料は富岡市の何処かに行けば見れるのでしょうか?」
あるといふ。富岡市でなく高崎市にあった富岡市史を引っ張りだして見たのですが、やはり富岡市の中世は弱い。製糸場を中心にした生糸産業や近代史が圧倒的に多かった。
一宮氏はどういう一族なのか。どんな治世を敷いていたのか。ぼんやりして掴めないのである。
堀5.jpg
この空堀があるが為に渡り廊下を1径間で跨がざるを得なかったのかも知れない。
これが鉄筋コンクリートの箱物だったら埋められていたでしょう。
コメント(2) 

コメント 2

みー

あれからもう6年経ったんですね。早いものです。
水が溢れて大変だった水槽の金魚も穏やかに泳いでいます。
覚えてないでしょうけどね(^_^;)
ジャン妻さん、チェックが厳しいですね〜!
ちょっとドキドキしますか?(笑) 先日ダンナさんは大分に
出張でしたが、日帰りでした。何処にも寄る時間は無いですね。
by みー (2017-03-11 16:44) 

船山史家

みーさん。
昨日伊豆八幡野へ行ってきたのですが、そこへ向かう途中のチェックイン前14:46分、その辺り一帯に放送が流れ、私らも路肩に停車して黙祷しました。
その先は大渋滞で、何をやってるのか見たら、伊豆高原駅のおおかん桜祭&でんしゃ祭&水森亜土さんのイベント(私はこの方を知らなかったのですが。)でした。
大分日帰り?
泊まってもいいのでは?
私も明日は群馬日帰りです。
by 船山史家 (2017-03-12 14:52) 

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