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蒲原城 [隠れ郷土史]

コメダのパンで腹が苦しい。
「ご飯とパンとどっちが太るんだ?」
「パンね。塩分あるし。バターとかつけるし」
「・・・」
「アナタはパンにバター浸け過ぎだし」
そういう問題か。
「だったらモーニングなんか頼まなきゃよかったんだ。あの厚切りトースト1枚でうっぷってなったモン」
「アタシもモーニングにするならミックストーストどうしようかなぁって思ったんだけどね。でもコーヒーは必要なの」
「オークで飲んだじゃないか」
「いいの」
「そうか。では今日はさらでウエルカムケーキ食べるの禁止!!」
「えぇ~!!ケーキは関係ないじゃ~ん!!」
「こんなにパン喰ったらディナーに影響する」
「大丈夫だモン」
蒲原城?.jpg
「腹ごなしに山城へ登ってくる」
「革靴で行くの?」
「・・・」
ナビで新蒲原駅をセット。富士由比バイパスを東へ走り、そろそろ富士川河口に沿って左に曲がる前に、左手に鉄塔のある山が見えて来る。
私はこの鉄塔のある山が目指す場所かと思ってたら、実際はそのひとつ西の山だった。
途中で新蒲原駅方面へ下ります。高さ制限のある低いJRのガードを潜って左折、西へ戻り、旧東海道の善福寺交差点を右折して山を登っていきます。センターラインのある広い道です。
東名高速をアンダークロスしてS字カーヴを過ぎると、左手に訪城口と駐車場がある。
「アタシは行かない」
「30分ほどで戻る」
「行ってらっしゃい、あ、風強いよ」
強風で枯葉が舞っている。
登る1.jpg
住宅地の裏に訪城道が伸びている。
登る2.jpg
解説板が立っていた。ラフな鳥瞰図も。
説明板1.jpg
説明板2.jpg
松井田城のように四方に伸びる山の峰、尾根に郭が展開されていたら見て廻るのがタイヘンだなと危惧したが、大雑把な縄張りのようですな。駐車場から1往復の見学で済みそう。
説明板3(鳥瞰図).jpg
何処に堀切があるのかヤブでワカランぞ。
何処に?.jpg
更に登ります。風が強い。強風で枯葉が舞い上がる。
登る3.jpg
駿河湾が見えてきた。
眼下に由比、東海道を押さえ、西は駿府の橋頭堡の薩捶峠がある。
なるほど北条と武田が奪い合いをする立地ではある。
駿河湾1.jpg
駿府の今川義元が桶狭間で信長軍に討たれ、その後は次第に弱体化し、甲相駿三国同盟が何となく破られムードになり、武田軍の駿東侵攻によって同盟は完全に破綻。駿東一帯は武田と北条が睨みあうことになる。
その辺りの経緯はめんどくさいので割愛しますが、この城に小田原北条氏の一軍が立て籠もっていた時期がある。
だが陥落した。後北条5代に通しで仕えた大長老・北条幻庵という人の次男と三男でがここ蒲原城の城将だったが、永禄12年(1569年)、武田軍の四郎勝頼、典厩信豊の次世代他がこの駿河蒲原城に攻めて来て、守備していた幻庵の次男・新三郎綱重、3男・長順が戦死している。
守備兵の清水、笠原、狩野といった北条家臣でよく聞こえた者ども一千も玉砕。
登る4.jpg
登る5.jpg
登る6(もうちょい).jpg
本郭1.jpg
本郭2.jpg
駿河湾2.jpg
駿河湾3.jpg
本郭3.jpg
頂上の本郭は海抜150mほど。駿河湾を一望できます。伊豆半島も。
北側には富士山も遠望できる。
眼下に見るのはこの後に寄る善福寺郭。
富士を望む.jpg
北条は海は見慣れているだろうが、武田はここで初めて海というものを見たのかも。勝頼、信豊の従兄弟同士も。
麓の漁村からあがる魚を刺身で喰ったかも。生シラスや桜海老を喰ったかも知れない。

本郭から下りて北側の善福寺郭へ。
その2郭を分断するデカい堀切。深さは目視で8mほど。
大堀切1.jpg
大堀切2.jpg
足場がゴツゴツしている。渡してある木の板も欠けたり折れたりしている。岩盤を力任せに四角く掘った感がする。
堀切の左右壁面もゴツゴツしていて、草木のせいで見難いが一部に石積みが欠けて積まれていた。
石垣?1.jpg石垣?2.jpg
大堀切3(上から).jpg
善福寺郭を見上げると、何やら太い木の枝が迎えてくれる。逆茂木?
サカモギ1.jpg
何だこの復元ギミックは?
サカモギ2.jpg
土塁2.jpg
低い土塁も頼りなく復元のようです。どれも同じような形をした復元逆茂木も何だかわざとらしい感がするな。櫓も公園によくあるようなもの。
整備にケチをつける気はないですが、本郭と善福寺郭を断ち切る堀切の端に、蒲原城整備工事と銘打った工事現場によくある注意書が倒され枯葉で埋もれていた。予算枠でできるところまで整備して途中で止めちゃったのかも知れない。そしたらこうなっちゃったのだろう。
善福寺郭1.jpg
出土品.jpg
善福寺郭の解説板のひとつは色あせた茶色い金属プレートで、彫ってある文字が見難い。
さきほどの大堀切の地層に、火災があった痕跡があるとか書いて(彫って)あった。
落城時に炎上したのだろう。
善福寺郭の説明1.jpg
善福寺郭の説明2.jpg

北郭1.jpg
北郭の石垣1.jpg
北郭の石垣2.jpg
善福寺郭を囲む北側の城塁はしっかりした石垣がぐるっと巡らされているが、これが往時のものなのかどうか。
蒲原城に石垣があった?いやなかった?論争があります。そのサイトも見た。武田や北条がここまでキレイに石垣を積んだか疑問です。
北郭の石垣3.jpg
北郭の石垣4.jpg
北郭の石垣5.jpg
ここは街道の要衝なので、蒲原山の地形を生かして急いで城を築いたら、いつの間にかこんな感じになったといった感で、あまり細かい縄張り、技巧は感じられなかった。
私が駐車場から上がってきたルートは搦手で、ホントの大手口は東海道や海岸線に面した南側にあったそうだがそこは東名高速道路建設で消失したようです。その代わり城域の東側に私が登って来た生活道路が普通に通っており、城山の中腹にある駐車場に停められ、そこから主郭まで割と緩やかな坂道を10分ほど登るだけ。見学し易い城域ではある。
飯に何度も汁をかけて喰う氏政公や、そのオヤジ殿から権限を実質禅譲して貰えない氏直公、秀吉を甘く見て上京するしない、名胡桃城を奪っちゃって、大軍勢に包囲され、いつまで経っても決まらない大評定、そして滅亡、そんな風に描かれてばかりで、おそらくは未来永劫大河の脇役に据え置かれたままの小田原北条氏がもし大河その他、主役で扱われたら、北条幻庵は脇を固める重要キャラで登場するのは間違いないが、北条幻庵の息子2人が戦死した蒲原城攻防戦はさしずめナレーションだけで片付けられそうである。
北条幻庵は往時としてはエラく長生した。最も長い生没年説だと明応2何(1493年)生まれで天正17年(1589年)11月に死去だと享年97歳。
他にも天正12年(1584年)没、天正13年(1585年)没、相当な長寿。幻庵の死から9ヵ月後に後北条氏は滅亡するのだが、息子たちを先に失って長生きせざるをえなかったのかも知れない。
箱根権現の別当を兼ねながら水軍の三浦衆、陸戦の小机衆を束ね、戦場にも出て、一門最大の領地をあてがわれ、子供もいて、出家なのか還俗してたのか、僧侶なのか政治家なのか。
スケールこそ違うが、井伊直虎に出てくる小林薫さんの役と同じようなものだろうか。
では余湖先生の鳥瞰図を。
余湖先生の鳥瞰図.jpg
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/sizuoka/kanbaramati.htm

くるまに戻った。この後、富士宮市の浅間神社に初詣してから伊豆高原八幡野へ。
往復運動したので大分腹は楽になってきた。
訪城口.jpg
そういえば。。。
この蒲原城近くにウチの社員が住んでいるんです。ここより由比寄りだけど。海岸線に沿った旧東海道沿いにいる。
これから行く浅間神社の北、先日船山温泉をチェックアウトした際のアクシデントでくるまを持ち込んだカーディーラーのすぐ近くにも1人住んでいる。
それだけじゃないのだ。船山温泉に行く為に下りる富士川SAの出口から半径1km以内に1人いる。
船山温泉に向かう途中の芝川町にもひとり。
まだある。紀尾井から半径1.5Kmのところにも。
「何だか静岡の社員たちにジワジワ包囲されてない?」(ジャン妻)
「・・・」
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