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上州白井城 [隠れ郷土史]

今年の夏、初めて上越線(吾妻線)渋川駅で下りました。
渋川市は人口87500人ほどだそうです。沖縄を除いて日本列島のほぼ中央にあり、日本の臍のひとつだって。
西に榛名山、東には赤城山が見える。北にも山々がそびえる。利根川と吾妻川が市内で合流する。
合流する前、吾妻川が二筋に分れてまたひとつになる箇所があり、そこの断崖にあるものは。。。
吾妻川.jpg
私は渋川市を南北に通る291号(三国峠)が吾妻川を渡る橋の手前、そこにある某行政に向かう為に来ました。「昼前に行きます」と大雑把にアポを取ってあります。
その行政までは駅西口から2kmほどだから徒歩20分以上は歩くのだが、昼前までまだまだ時間がある。渋川駅から高崎方面上りダイヤは1時間に1本~2本くらいなので途中で寄り道をすることにしました。
渋川駅は改札が西口(伊香保温泉口)だけだが、わざわざ跨線橋を渡って東側へ。渋川総合病院を右手に見て17号線を北上。新吾妻橋を渡ると右手にカインズホームが見えてくる。
ピーカンではないけど炎天下。歩いているバカは私ひとりだけでしたね。
右手にカインズホームを見て、白井下宿という交差点を左折、細い道に分け入ると幾つか老健施設のようなものがあり、その裏手に何やらそれっぽい地域が見えてくる。
それっぽいぞ.jpg
そこらは私有地で、何処から入ったらいいのかわからない。
ネギ畑の畔を突っ切り、笹郭の斜面を直登した。
そしたら堀に入り込んでしまった。
帯郭1.jpg
帯郭2.jpg
私は敵の雑兵よろしく東の外郭から攻め上って内側にある堀に落ちてしまったようなもの。
こうして普通に歩いてますが、戦時なら左右上から放たれる矢に当って討死してるでしょう。
堀1.jpg
堀2.jpg
堀3.jpg
堀4.jpg
堀5.jpg
堀6.jpg
堀7.jpg
そしたらいつの間にか半月の堀になっていた。
堀には水があるが、雨水がたまった水たまりでしょう。
三日月堀1.jpg
三日月堀2.jpg
三日月堀3.jpg
堀8.jpg
堀9.jpg
白井城は断崖の上にある平城です。幾つか枝分れした長尾家のひとつ、白井長尾家の根拠地。
長尾家中のバタバタ内紛についてはよくわからないので割愛していいですか?
幾つかある長尾家の本拠地です。ここは白井長尾家。
ジャン自室にこんな本があります。この本の最初に白井城が出てくる。
叛鬼.jpg
文明5年(1473年)から永正8年(1511年)までの30数余年、関東で叛乱に明け暮れてばかりいた長尾景春という人が主人公。白井長尾家のこの人は生涯の殆どを戦争と叛乱に明け暮れ、畳の上で枕を高くして寝たことが無いのではないかと思わせるくらい波乱な生涯を送った。
私は主人公の景春が何をやりたいのかさっぱりわからなかった。読み終えた印象は関東を蹂躙した人、引っ掻き回した人という印象でしかない。
登場人物が山内、扇谷、関東公方他、初めて知るような人物ばかりで新鮮だったが、どういう相関関係かよく勉強しないとわからない世界である。
キャラ.jpg
戦国時代でいちばん戦争に弱い関東管領上杉憲政が河越で北条氏康に大負けして上州平井を経て越後へ亡命。関東管領の名跡を長尾景虎に禅譲、長尾→上杉になった景虎が、三国峠を越えて関東に度々やって来るのだが、来ては帰る、叛かれる、で、また来る、帰る、これの繰り返しになるのだが、越後軍が関東にやってきて最初の基地が白井城だった。大軍が駐屯できるだけの規模はあるようです。
本丸1.jpg
本丸2.jpg
本郭には草刈りの爺さんたちが10人ほどいた。
全員が軽トラでここまで来ている。くるまで本丸跡まで乗り入れられることがわかった。
軽く会釈はしましたが、スーツ姿の私をウサン臭げに見るなよ。
本丸3.jpg
見学して唸る部分は本丸と、それを取り巻く三日月堀一帯というところでしょうか。
本丸土塁の上を歩く。三日月堀に沿って湾曲している。
本丸土塁1.jpg
本丸土塁2.jpg
本丸土塁3.jpg
虎口の土塁.jpg
休憩を終えて草刈りを再開した爺さんたち。
舛形門1.jpg
舛形門2.jpg
草刈り中1.jpg
草刈り中2.jpg
私に続いて男女ペアが見学にやってきたぞ。私以外にそういうヒマな人もいるのである。
見学者たち.jpg
北一帯は耕地になっている。耕作Jしている人はお年寄りばかりでしたね。
これも堀らしい.jpg
二の丸畑.jpg
三の丸畑.jpg
北郭畑.jpg
秀吉の小田原征伐の時、上州松井田城を攻略した前田利家&上杉景勝らの軍兵に包囲されて開城した。その後、元和9年(1623年)までは近世の藩として継続したそうである。
案内版.jpg
復元図.jpg
吾妻川と白井城.jpg
北郭から東へ抜けて、鯉沢という交差点から今度は南下。吾妻川を再び渡って渋川市の行政へ。地図上で見ると渋川駅を拠点にして、291号に沿って時計廻りに歩けば2kmだが、17号に沿って反時計廻りで寄り道したので3kmを要したことになる。
白井城経由で歩いた疲れを引き摺って出向いた渋川市への届出は、書類上の中身(経緯や今後の方針等)の説明が必要な内容なので多少の時間を要した。そこから2km歩いて渋川駅まで戻る気力はもう失せてタクシーを呼んだ。最近はこのパターンを繰り返している。往路は徒歩、帰途はタクシー。
歩いて来たんですよと言ったら相手は半ば呆れ驚かれたが別に嘘ではないよね。白井城へ寄り道しただけである。
寄り道とはいえ城域を歩いてもそれは目的地の行政へ向かう方向と一致しているので疲れただけのこと。
平城だったのが幸いだった。山城だったら途中で断念したでしょうな。渋川駅にレンタカーがあるので多少の出費になってもくるまを利用した方がいいですよ。
コメント(2) 

コメント 2

るな

以前本丸周辺だけ見学しましたが
実は広いお城だったのですね。
そっか越後兵の駐屯基地ね。納得です。
by るな (2016-08-27 20:55) 

船山史家

るなさんこんにちは。
何処から入っていいかわからず、東にある畑のあぜ道から帯郭を直登したら堀に落ちました。
その東の畑に至るまでに何かの施設があります。何とかホーム白井城だったかな。老健施設?その辺りも城域です。
本丸から北、現在は畑になっている二、三、北の郭や、その先の住宅地に2つある神社か寺も城域なのでかなり広い平城のようです。
平城でよかった。この時期だと烏山城クラスでもバテてるでしょう。
by 船山史家 (2016-08-28 14:57) 

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