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花倉城 [隠れ郷土史]

密謀4.jpg
駿府、今川氏館の一室で密謀を凝らしているアヤしい3人。
寿桂尼(演、藤村志保さん)
太原崇孚雪斎(演、伊武雅刀さん)
梅岳承芳(演、谷原章介さん)
いずれも剃髪している。アヤしい限りである。
この時の彼らは、生き残りを賭けた瀬戸際から、やや自派の存続に有利に傾いていたので、何処か余裕がある風に見えなくもない。

24歳で急死した今川家当主、氏輝の後継者争いである。
この氏輝と同日に実弟の彦五郎という者も死んでいる。謀殺の匂いがプンプンするが、寿桂尼は憤りを胸に抑えてまずは家中を鎮め、纏めようとする。
梅岳承芳.jpg
今川氏輝には2人の弟がいて僧籍に入っていた。
上を玄広恵探(げんこうえたん)、下がこの場にいる梅岳承芳(ばいがくしょうほう)・・・。
2人とも還俗させられて俗世に引き戻される。これで家中が割れるのだが、後者の方が後継者の椅子に近い。
上の玄広恵探は氏親の側室、福島氏の子で、梅岳承芳は正室、寿桂尼の子だからである。これに承芳の補佐役(軍学他の師)だった太原崇孚雪斎も加わり、冒頭のアヤしい3人の密議になる。
密謀1.jpg
寿桂尼は氏輝の後見人でもあったので既に政務に携わっていたので家臣への影響力も小さくない。これに太原崇孚雪斎が重臣どもの各方面を廻って承芳側につくよう説得した。
密謀3.jpg
重臣どもの多くは承芳側につき、玄広恵探は孤立した。唯一の味方は母方の福島(くしま)氏だけ??
福島一派は花倉城(藤枝市)と方ノ上城(焼津市)に籠城して承芳側と抗戦しようとする。
花倉城内.jpg

梅岳承芳に対抗する玄広恵探(演、井川哲也さん)
玄広恵探.jpg
福島(クシマ)越前守(演、テリー伊藤さん)
福島越前守1.jpg
だが素人の私から見ても、玄広恵探と福島側の何処に勝算があったのかと言いたくなる。
兵数が少なく、味方に付く国人衆も僅かで、立て籠もった花倉城は籠城したが最後、他国から援軍が届く場所ではない。
不利な戦況を唯一打開できるとしたら甲斐の武田が富士川沿いに南下するぐらい。このポイントで、2007年の大河でこの乱が取り上げられた。駿河出身の主人公の謎の前半生について、想像、脚色、膨らませて描かれた。
方ノ上城は省略されたが花倉城攻防戦は夜間ロケでしっかり描かれている。
花倉城攻め1.jpg
花倉城攻め2.jpg
花倉城攻め3.jpg
武田信虎が、内応してきた福島方を見捨てたことでこの乱は終息する。援兵が来ず、花倉城は炎上、陥落した。
花倉城を攻めた岡部親綱もチョイ役程度だが登場している。岡部という地は花倉城と同じ藤枝市にあるので、福島氏を放逐した暁には幾何かの恩賞を貰ったに違いない。
花倉城炎上.jpg
花倉城はこれ以降、全く登場しない。この乱でのみ登場する。
玄広恵探は自害。梅岳承芳は駿河国主となって義元へ改名する。

花倉城へ行くには第二東名藤枝岡部IC、藤枝バイパスの薮田ICで下りて、ナビに葉梨小学校を検索。小学校の北を廻って、橋を渡ると案内板がある。
案内版1.jpg
案内版2.jpg
平野部はまだ道幅が広いが、どんどん道が狭まってくる。
登城口1.jpg
登城口2.jpg
登城口から先はみかん畑や茶畑で、その間の極細い坂道をすり抜けながら延々登るしかない。急坂とS字カーヴの連続です。
対向車とのすれ違いはまず無理。ただ、すれ違う可能性は少ない。
登城口3.jpg
褪せて判読し難い解説板。この脇に3台ほど停められます。
説明板1.jpg
説明板2.jpg
説明板3.jpg
いきなり現れる一騎駆けの土橋。
一騎駆けの土橋.jpg
城域を分断する幾つかの堀。城域は傾斜はあるが、本郭も含めてはそれほど広くない。
空堀1.jpg
空堀2.jpg
空堀3.jpg
空堀4.jpg
本丸1.jpg
本丸2.jpg
本丸3.jpg
本丸4.jpg
二の丸.jpg
眺望.jpg

遠望.jpg
城域はそれほどの規模はない。反乱を起こして立て籠もるには小さく、1000人も立て籠もれない。
現在は城域に至るまでと、麓からの往路復路が難攻不落といっていい。運転初心者や一般乗用車では厳しいと思います。
下城した際、道を間違え、急な下りS字カーヴにさしかかり、ギアをロウのまま、フット&サイドのダブルブレーキングを駆使、道に倒れている竹をバリバリ踏み砕き、背筋に冷や汗を流しながら下山した。
行かれるなら自己責任でお願いします。
コメント(2) 

コメント 2

るな

北条綱成にハマった時期があって
お父さんの花倉城にも興味アリでした。
結局未訪ですが(^^ゞ
途中まで車で上れるのですね。
でも道幅狭い山道、もしもの対向車が
あった場合を考えるとドキドキです。
by るな (2016-06-25 06:44) 

船山史家

るなさん。花倉城は山の頂に城域があります。確かに殆ど頂上近くまでくるまで行けますが、そこへ至るまでの道が細く、急坂、S字カーヴ、左右どちらかは崖、難儀ば道です。上りも下りもかなり慎重に運転しないとアブないです。気が抜けないです。
下山する際、眺望の良いT字路に出たら右折です。私は左折してエラい目に遭いました。
横浜市に九つ井という蕎麦懐石レストがあるのですが、店名は北条綱成の奥さんの館にあった水の手だそうですよ。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-08-29-1
by 船山史家 (2016-06-25 07:53) 

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