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レプリカの正体 [隠れ郷土史]

上州玄関口、駅コンコースにデカい石の塊が3つ鎮座している。
上野三古碑。いずれもレプリカ。世界記憶遺産候補だそうである。
日本は何かあると世界何とか遺産へ登録するのが好きな国だが、この三古碑とは何なのか?
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この三古碑の学術的詳細はその筋のサイトに譲りますが簡単に述べます。日本で最も古い時代の文字で刻まれた碑たち。
多胡碑
山ノ上碑
金井沢碑
いずれも高崎市吉井町にある。現在は高崎市に合併されている。
高崎市が、県庁を持ってかれた前橋市と、初代県令で関わりの深い製糸場を持つ富岡市との連携に対抗すべく、日本で最も古い文字碑、三古碑を持つ吉井町を欲した?と私は思っている部分もある。
私は吉井町でいろいろ見て食べてしたが、まぁ長閑な町、村です。高崎市はそれ也に中央へ歌える力はあるが、吉井町単独だったら世界記憶遺産へ申請へ辿りついたかどうか。
レプリカ3.jpg
レプリカ4.jpg
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私は古代史~奈良時代の世界は苦手なのですが。
ビッグコミックに連載されている「天智と天武」・・・ようわからんマンガがまだ連載されてるが、時代的にはその頃のもので、大雑把に言えば奈良時代??
紙が貴重だった当時、木、竹、石に文字を刻んでいた。
軟弱な石だったら歳月とともに崩れたり風化したり、破損したり土に埋もれたり、何かの基礎に用いられたりして消えてしまうが、石や金属類(剣、楯、鉾)に固いものに刻まれていたものが残ってたら、発掘されたら、当時を伝えるものとして学術者の貴重な研究対象になるそうである。
日本全国で書道史上から最重視されたのが日本三大古碑で、那須国造碑、多賀城碑、高崎駅コンコースのレプリカのひとつに鎮座している多胡碑、この三つを誰かが日本三大古碑に括ったらしい。
だが、この日本三大古碑より古くに作られた(碑文が刻まれた)のが、これまた高崎駅コンコースに鎮座している山ノ上碑で、ビッグコミックのマンガの時代、天武10年(681年)のもの。
山ノ上碑は古墳が隣接しているので、埋葬者への墓誌と考えられている。

レプリカ3つめは、多胡碑と山ノ上碑のこれまたすぐ近くにある金井沢碑。これは神亀3年(726年)のもの。
内容は先祖の菩提と父母の安穏を祈願している。
前述の日本三大古碑のひとつ、多賀城が造営されたのは神亀元年(724年)だから、金井沢碑はそれよりも古いのです。上州吉井に3つもあるのでこれらを日本三大古碑とは別に、多胡碑、山ノ上碑、金井沢碑を上野三碑、上毛三碑と括った。
その3つのレプリカが、推薦運動よろしく上州玄関口に鎮座している。

三碑のなかで多胡碑が筆頭なのは、刻まれてる碑文が和銅4年3月9日(711年)、近隣の群から幾つかの村が振り分けられて多胡郡が新設された内容で、上からの命令文そのままであること。
文中に穂積親王、藤原不比等といった当時の高官の名が伺えること。

その昔.jpg
多胡郡は現在の高崎市山名町から市に合併された吉井町一帯です。そこに多胡郡を設けたのは中央政権の都合だと思うがよくわからない。
吉井町の何処かに庁舎のようなものが置かれた筈。
多胡郡の長官は、羊、としかわかっていない。大陸からの渡来人と推定される。羊・・・ヒツジ?ヨウ?羊太夫ともよばれているが、太夫、これは貴人を敬う意味で後世の人が付けたのだと思う。
多胡は地名でもあり、現在でも多胡という姓名は多い。だが多胡の初代長官、羊、は、あまりいい最後ではなかったらしく、中央への讒言で討たれたともいう。よくあるネタではある。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-04-12-2
中世城郭サイト、武蔵の五遁様の記事では、多胡羊太夫の陣城について触れています。
http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-2739.html

上毛三碑は律令制度が崩壊してからは(地方地主層や新興支配者の勃興)、700年ほどはどこにあったのかわからない。
この碑の保存や価値を強く訴えたのは初代群馬県令の楫取素彦さん。群馬の大河なのに高崎市ではまったく盛り上がらなかった「花燃ゆ」で大沢たかおさんが演じたあの人。
楫取県令が碑に着眼したのは、尊王の旗を掲げて討幕した長州藩閥だからでしょうよ。自ら何処かにあった多胡碑を訪れ保護の重要さを中央に訴えたと聞き及ぶが。
第二次大戦後、文部省の通達で多胡碑は付近の桑畑に埋められ隠されたらしい。。戦後、近代になってから群馬県出身の総理大臣、政治家たち、各方面の著名人が訪れ、昭和29年(1594年)には三碑とも国の特別史跡に指定されている。

多胡碑は市で作った記念館が併設されている。保存状態が良くて覆堂のガラス越しからでも碑文が読めるというが、私は近くを走ったことはありますが見ていません。
吉井駅.jpg
最寄駅は上信電鉄の吉井駅だが田子碑のある場所へは駅から2kmほど歩きます。くるまで行かないと厳しい。
吉井町を稀に大型観光バスが走っているのは、大抵はその記念館へ行くひと達かと。
私は吉井町、甘楽郡、小幡辺りでよく散策したが多胡碑はとうとう行かなかった。
山ノ上碑入口.jpg
でも山ノ上碑には行った。
わざわざ見に行ったのではない。平成25年になってからすぐに転勤解除命令が出て、その年の春には泣く泣く帰京しなくてはならなくなったので、山名城~根小屋城を急いで訪城した最初の訪城口の途中にあったのです。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-15
山ノ上にあるもの1.jpg
山ノ上にあるもの2.jpg
この中に.jpg
この時、覆堂の中を覗いてみましたが、私の気持ちは山名、根小屋を制覇して、無事に下山するのに向いていたので殆ど気に留めんかった。
厳重に保管されていた。
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推薦するもの.jpg
上州玄関口の高崎駅は、県庁所在地の前橋駅の倍の乗降客数がいるので、群馬県下では最も多く人の目に触れている筈である。
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推薦登録されて、ワールドインターナショナルなスペシャルタペストリーに昇華できるだろうか。
いつかその報道を耳にするだろう。でも今はいつもの定宿を見たら、今宵は何処で杯を傾けるかに気分が向いてしまった。
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