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谷保の城山(ジョウヤマ) [隠れ郷土史]

西国立駅の勘十郎にご縁ができたついでに。
JR南武線で次の駅、矢川駅。駅南口に出てトコトコ南下。256号線(甲州街道?)に出たら左折。遠くに歩道橋が見える。
その歩道橋は国立第一小学校への通学路でもある。幾人かの小学生とスレ違う。
小学校登下校路の先に森が見えた。
登下校道路の先に.jpg
森がある.jpg
そこに簡単極まりない解説板がある。
「谷保の城山」、「三田城」、「三田氏館跡」とある。
津戸三郎為守が城主だった云々。でも発掘調査などが行われておらず、詳細は不明ですとも。
何かヘン。木々の隙間から個人宅が垣間見える。
説明板1.jpg
これは個人宅の門構えである.jpg
ぐるっと廻ったらこんな門構えがある。これは「ここから見学どうぞ」と誘う入口ではなく、写ってないけど右に大きい家があって、その家と、小学校側の木々から垣間見えたもう1軒、2軒の家の敷地共通玄関口らしいのだ。
「三田氏館跡見学者へのお願い。これより先は個人の敷地になりますので、立ち入らないようお願いいたします」と丁寧な文言で書いてあります。
立ち入りご遠慮下さい.jpg
強い文言じゃないので間違ったフリをして遠目に覗いて見たら、2軒の敷地を分ける土居があった。(余湖先生の鳥瞰図参照)その土居は丸石で固められてもいた。石は後世のものかも知れない。
奥の家の表札までは確認できないが、公道に面した側、「立ち入らないようお願いいたします」の個人宅はまさしく〇〇さんで館名と同じです。中世の館跡だが現代に居住する個人住宅敷地と兼ねているのです。
2軒とも同じ名前だと思います。親戚ではないか。
ってことは、この館跡敷地内を堂々と見学できるのは、家の人、親戚友人知人、新聞配達、郵便配達、宅急便の人に限られるんだな。
南側に廻ったらいきなり崖になっていた。この敷地内は解説板のとおりせり出した段丘の端にあって、家の庭には転落防止の為か土居が自然に伸びていたからね。
そこから降りたら武蔵野の自然を意識した公園になっていた。公園の北側は湿地帯になっていて、そこにせり出して木々に茂った崖が館跡&個人宅です。
結構広い敷地だと思いますよ。
またまたお借りした余湖先生の鳥瞰図を見ると、中世の方形居館のようである。(許可を得て転載)
谷保鳥瞰図.jpg
公園を歩いてたら、子供連れのママ、散歩していたご隠居とスレ違ったが、こちとら例によって平日の白昼だからスーツ姿。何だかアヤしまれる視線を感じたよ。
公園側の散策路入口.jpg
公園の東端に散策路入口があった。ここから小学校へ伸びる散策路が、この城域で唯一、堂々と踏み込んで見学できる域。
読み難い説明板だな。
説明板2.jpg
堀底を行く1.jpg
堀底を行く2.jpg
堀底を行く3.jpg
堀底を行く4.jpg
堀底を行く5.jpg
堀切か後世の崩れか.jpg
散策路は堀の底です。深さ4mほど。公園側から学校側まで100メートルほど続いている。
途中、階段があって、個人宅への勝手口?になっているようです。私は階段を上ってません。そのまま私邸の庭に入り込んでしまうのでしょう。撮影なんてトンでもない。見るのも憚られる。
2軒の私有地はもちろんだが散策路になっている箇所以外も左右立入禁止。それ以外のスペースも環境保全地域に指定されているせいか、あちこちに立入禁止看板だらけ。公園化されてるにしては厳重過ぎるきらいがある。
しばらくしたら小学校側に抜けた。
振り返る.jpg
結局のところ郭内には入れないが、自然を見るという視点では、景観的にまぁまぁの満足感。
都か市から指定を受けているかどうかわからないが、発掘調査がなされていないのはこの地の伝承があっても先に2軒も住まわれちゃったから発掘も検証もできないのでしょう。
だけど住んでる方も気を遣うでしょうな。修理増床するにしても現状を変えないようにしなくてはならないだろうしね。
個人宅が見える.jpg
郷土史では、延喜年間(平安時代です)、三田県主平貞盛の館跡。
新編武蔵風土記稿では津戸三郎為守の館跡。
現在は敷地内に住まわれる館名と同じ個人の館なのです。そういう意味では跡だけど現役の館でもある。
るなさんのBlogによるとミタ・・・三田さんは青梅の土豪で、この地からはかなりの距離がある。
http://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/64407670.html
http://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/64436056.html
(るなさんの許可を得ています。)
この地から南西2kmの方角には、多摩川を挟んで一昨日Upした高幡城がある。睨みあうカタチになっているのだが、要害性はあまりないとみた。
谷保の城山にいた三田氏は青梅辛垣城で滅んだ三田氏の末裔なのだろうか。その辺りはいよいよ城内にある2軒の家のブザーを鳴らして、家人に聞かないとわからないだろう。
コメント(2) 

コメント 2

るな

おはようございます。
当ブログの記述ありがとうございます。
谷保の城山は謎だらけですね。
青梅の三田さんと関係あるのか…?
谷保は三田さんの領地ではなかったはずなので。
現在お住みのお方の苗字から三田氏館?
書かれているように家人に聞くしかないのですかね。
あとは郷土資料館の方に聞いてもらうとか…
城跡は郭内には入れませんがふらった散歩するには
良いとこですよね。
by るな (2016-05-04 08:56) 

船山史家

るなさんおはようございます。
谷保は誰の領地、誰が知行していたのでしょうか。青梅の三田さんとの関係もわかりません。
南側を流れる川の辺りは湿地帯だったかもですが、背後、北川の防備が甘いので、関東管領側の誰かだと思います。
そちらさまの三田さんの記事、引用許可ありがとうございます。
郷土資料館に行って聞いてみますか。個人情報が絡まない程度に。
家人の方がいたら聞いてみたかったのですが。手が届きそうで入れない近づけない辺りは世田谷城と一緒ですね。
立川館や本庄城もそうですが、たいして遺構がなくても高低差、比高差の無い楽チンな訪城で満足しちゃうようになってしまいました。
駅から遠かったです。立川〇〇所が西国立に移転したので途中下車できました。
by 船山史家 (2016-05-04 10:15) 

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