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高幡不動の裏山にあるもの [隠れ郷土史]

高幡不動の裏山は比高数十m程度ですが最初の坂が急です。
そこにあるものは事前に余湖先生(お城の鳥瞰図の第一人者)の記事を見て概略はわかっている。あまり明確で鋭い遺構はないらしいのだ。
鳥瞰図です。余湖さんの許可を得ています。
余湖先生の鳥瞰図.jpg
私もこの程度の坂で息切れするようになったか。
登る1.jpg
登る2.jpg
こんな急坂を上って来た2台の軽トラ。木々を伐採する作業員さんが3人いた。
登る3.jpg
城域は八十八ヶ所巡ハイキングコースになっていて遊歩道だらけ。随所に小さい仏像が祭られています。順番に廻って公園内の自然、草花、木々を愛でるコースになっています。コース造成のために壊変されているんです。
心神深い人は一番から八十八番まで順番に歩いているが、私は順番を無視して山頂の本郭へ直行した。
番号札.jpg

城跡を示すもの1.jpg
城跡を示すもの2.jpg
示すものはこれだけかい。
爺さんが1人下りてきて、
「ここにお城があったんですかねぇ?」
「それを見に来たんですが。何もないですな・・・そこに(立札を指す)あるだけですよ」
あまりに簡潔に過ぎるのだが、ホントにこれぐらいしかないようである。
「これだけでも何もないよりはいいんじゃないスか」
「そうですねぇ」
みたいな会話をしてその場を離れたが、「あったんですがねぇ」と疑問符が出るくらいに鋭さがない地形である。
爺さん.jpg
小口?.jpg
腰郭?.jpg
城域1.jpg
城域2.jpg
その先は鯨の背中のような1本郭が続いていた。
頂上部だけ南北に歩いてみたら直線的に3つの郭が連続して配置され、周囲に帯曲輪が廻らされている。それも殆どハイキングコースと重なっているので、往時からある地形か後世の壊変かわからない。
山全域が自然公園で植物の説明が多く、他は、柵内に入るな、草花を獲るな、草木を自然を大事に。。。そんな立札ばかり。

どこかで聞いたような、見たような。。。
何処かで聞いたような.jpg
急坂.jpg
こんな急な坂を下りる途中、下から婆さんが杖を突きながら上がってきた。
「そっち〇〇番ですか?」
「そうだと思いますが」
番号なんか見ちゃいない私は適当に答えてその場を離れた。

関東で享徳3年(1455年)~文明14年(1483年)まで、30年近くもダラダラ争った乱があった。
争いの発端は鎌倉公方足利氏と関東管領上杉氏だが、要は関東での覇権争いである。大義名分などない。
経過を羅列するのも煩わしいこの大乱は登場人物も同じような姓名が多く、誰が誰で敵味方なのか煩雑でややこしいが、敵味方どちらもヒーロー格がいないので、おそらくこれから未来永劫ドラマ化はされないと思う。
その乱の最中にこの高幡城は存在したらしい。すぐ近くを多摩川が流れているのもあって、乱の最中、立河原(立川)、分倍河原で戦闘があったりしたので、渡河地点を監視する目的で置かれたのではないか。
高幡城はおそらく上杉方のものと思われるが、ダラダラと無駄で長い歳月を争った両氏は分倍河原や立川で度々干戈を交え、享徳4年(1455)に関東管領上杉一族の誰かがこの高幡で自刃している。
それ以降も史料が少ない。北条氏康が川越城を夜襲して関東管領を追い払った後は戦略的価値は薄れたのではないだろうか。
天正18年(1590年)小田原征伐の頃には、八王子城で戦死した高幡十右衛門という謎の人がいたとも。
土方歳三の像.jpg
高幡不動は土方歳三の菩提寺の方が有名なので、麓の参道にある売店で、新選組Tシャツチョイス
「背中に印刷してあるのはないかい?」
「表だけなんですぅ」
表だけか。背中がいいんだが。
「1枚くれ」
「サイズは?」
高崎銀座アーケード、「梅ふく」のもーちゃんに買ってってあげよう。
営業中.jpg直江兼続.jpg
私を新選組ファンと思った売店のオバちゃんは、新選組祭り開催云々を話してくれたが、私は混雑するイベントには行かないよ。
売店.jpg
コメント(8) 

コメント 8

まり

こんばんは。船山史家の呟きⅠの「さらば中村耕一♪」にコメントさせていただきました。

by まり (2016-04-30 18:58) 

船山史家

まりさんこんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
コメントいただいたのは今日ですよね。今の時点でまだ反映されていないようですが。表示に時間がかかるのかも。
その記事は過去で最もアクセス数が多いのですが、さすがに最近は下火になってきているようです。
呟きⅡのこの記事もヨロシクです。(笑)
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-01
後でおじゃまさせていただきます。私の書棚は敗者復活戦の復刻文庫本、ランナウェイです。
by 船山史家 (2016-04-30 19:26) 

まり

早速のお返事ありがとうございます。

私は両親の影響で80年代のJ-WALKをメインに聴いておりました。昨年初めてJAYWALKのライブに行ったくらいなんです(;^_^A
中村耕一さんの事件の詳細も全く知りませんでしたので、昨年カケスに教えてもらった時は
悶々としてしまい歌を聴く気分にもなれませんでした。
しかし船山さまの記事を拝見して、少し気が楽になりました。

耕一さんの禊ぎはまだまだこれから…

by まり (2016-04-30 22:08) 

船山史家

まりさんこんばんは。
ご両親の影響でしたか。ではご両親は私と同じ世代でしょうかね。
80年代だと例の大ヒット曲の前の時代ですね。終わりのない夏、Pierce、GALE。。。
私はカケスに入ってました。家に当時のテープがあります。でも2010年3月の事件で時は止まりました。あの後のJAYWALKは全く知らないのです。
柳ジョージさんのファンでもありました。レイニーウッドが解散して、同じ事務所だったJAYWALKに鞍替えしたのです。
毎日更新してますが、5日前の記事タイトルもJAYWALKから拝借しました。過去記事ではストレートに書きましたが、今でも何処かで中村耕一氏のボイスを求めてるのだと思います。
by 船山史家 (2016-04-30 22:40) 

まり

Pierce、終わりのない夏、OVAL MIND…大好きです。どちらかというと、90年代にヒットする以前の曲に惹かれます。

私は今年の1月にカケスに入りました。
その頃の歌も歌ってくれないかなと淡い期待を抱いて・・・。
中村耕一脱退後のJAYWALKは7人で活動していましたが、今年の3月を持って卒業しました。今のJAYWALKは田切純一、知久光康、杉田裕、中内助六の4人で活動しています。

耕一さん 薬に手を出すくらいの苦悩があったJAYWALKに帰ってきてとは言えないけど、和解する日が来るといいなあ、と時々思いますね。
by まり (2016-05-01 17:50) 

船山史家

まりさんこんばんは。
ジョージさんがソロになってから神奈川県民ホールで初めて見ました。BackBandでGuitarが近藤さん、知久さん、中村氏、そしてジョージさん、4人は多くね?って(笑)
私も80年代~90年代後半ギリギリまでですね。例の歌が大ヒットする前はプロの作詞だったと思うのですが、Guitarの知久さんが詩を書くようになってから何だかRockじゃなくなったような気がするんですよね。
卒業した若手3人は全く知りません。ライブハウスで間近に見たし。武道館も行ったし。後はメモリーのままでいいかなと。
中村氏とレイニーウッドのコラボは気になります。だけど実現したらJAYWALKのクラシックメンバーはどう思うでしょうか。
私のⅢは、音楽のカテゴリ記事があまり無いので、自分でも忘却の彼方になりかけてたのですが、そちら様のBlog情報で灯が点きました。久しくCD棚に眠って埃を被っていたのですが、久々に触れてみます。
by 船山史家 (2016-05-01 22:49) 

るな

ここ結構登ってくる人多いんですよね。
もちろん八十八ヶ所巡りで。
平地だけで遺構はハッキリしないし。
多摩川渡河の見張りのためのお城だった説
ありますね。
by るな (2016-05-04 09:01) 

船山史家

るなさんこちらにもコメントどーもです。
ハイキングコースだらけなので人は多かったです。
「こんにちは~」、「どうも~」、を何回か繰り返しました。
もっともこっちは薄手のダークスーツなので、何者に見られたかと。
私は一気に頂上まで行ったので八十八巡ってないのです。半分もカウントされてないと思います。
お蔵入りしかけてた新橋のラーメン屋さんを再取材したのがきっかけで訪城が叶いました。
どっか楽チンなとこをまた探します。
まだ先になりますが大道寺政繁さんの記事が待機中です。河越、西松井田、ようやく取材ポイントが繋がりました。
by 船山史家 (2016-05-04 10:23) 

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