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まぼろしの本庄城 [隠れ郷土史]

市役所そびえ立つ.jpg
埼玉県本庄市役所に出向いた。
その役所は北側に流れる河川の段丘上にあった。地形がアヤしい。
私の中でアヤしい燗・・・じゃなかった、勘が働く。
役所裏の切崖1.jpg
役所裏の切崖2.jpg
本庄は中山道の宿場町でも大きい方。
地形から見て何かあるなと睨んだらホントにそうで、市役所一帯には本庄城の跡地だった。第一次と第二次とあって城主は4人いたそうです。
簡単な解説.jpg
初代本庄城主が本庄宮内少輔実忠という人。
別に知らなくても一般常識的に全く問題、支障が無いけど、この人は明応6年(1497年)生まれで天正8年(1580年)まで生きたから、当時としては随分と長命だった人。
それまで本庄氏がずっと長い歳月を過ごしてきた東本庄館(新幹線本庄早稲田駅のすぐ東にある総合公園の辺り)からこの地に移転してきた。
あまり防御性の無い館からこの地に城塞を構えて引っ越してきたのは、本庄一帯が武州北西部の国境の為、対古河公方、対後北条、対越後長尾、どれに帰属しても最前線だったからである。
ここに最初に造ったのが弘治2年(1556年)というから、実忠は齢60歳を過ぎてから移転してきた訳である。隠居してもおかしくない年齢なのに隠居できない訳でもあったのだろうか。
本庄実忠は板挟みに合う。主君を二転三転とする。関東管領上杉憲政が上州平井に逃げてからは小田原北条氏、越後長尾景虎、織田軍の関東司令官滝川一益らの間であっちへ付いたりこっちへ付いたり。
まるで信州の嘘つき男、二枚舌だけど演技力絶賛されている某小大名のようだが仕方がないのだ。生きる為に。
それでも85歳の天寿を全うした。
次の第一次本庄城、2人めの城主が息子の本庄隼人正近朝という人。家督を継いだのが天正8年(1580年)で、あまり目立った事績は無いようで、太閤秀吉の小田原征伐の時に小田原城に籠城。本庄城は誰が守っていたのかわからない。
気の毒にも近朝は天正18年(1590年)の小田原開城時に自裁している。本庄城は開城前の5月27日に落城したか降伏開城した。
その後、徳川家康の関東江戸入府で小笠原掃部信嶺という私も全く知らない人が本庄城に来た。これが第二次本庄城。
僅か1万石である。
信嶺の次が信之という人。この時に本庄藩となったが、慶長17年(1612年)に古河藩に移封され本庄藩は廃藩、本庄城も廃された。
城山稲荷の標注1.jpg
現在、本庄城を示すものは市役所の東隣にある城山稲荷神社周辺(久城堀西側)と、その東にあるに八坂神社辺りに僅かに面影がある。
八坂神社の東側にある堀のような地形。
往時のものか、後世の壊変かはわからない。
堀切か後世の壊変か1.jpg
堀切か後世の壊変か2.jpg
でもそれらが本庄氏の第一次のものなのか、小笠原氏の第二次のものなのかはわからない。廃城が早過ぎたのだろう。
城山稲荷の標注2.jpg
これは市役所の東隣にある城山稲荷に接する民有地、個人の敷地内だが、遠目にこんなものが望見される。
何かあるぞ.jpg
拡大してみる。
拡大してみる.jpg
次に市役所の裏手。
そこは自転車置き場と市の駐車場、くるまは軽のワンボックスパトロール車、他、資材置き場になっていて、そこから覗くとこんなのがある。
役所の裏にも1.jpg
こんなのも。土塁に木が根付いている。
役所の裏にも2.jpg
フェンス越しに望見されるだけでそこへは立ち入れない。何だか世田谷城や、国立にある谷保城(記事待機中)のような入っちゃいけません隠れ遺構を思い出したよ。
役所の裏手は関係者職員以外立ち入り禁止でもないようだが、市のパトロールカーに混じって警察の軽自動車も出入りしてた。
資料館.jpg
説明板があまり詳しくないので、近くにある資料館に寄ってみることにした。
市内をトコトコ歩いてたら携帯が鳴った。http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-04-04のボヤキ記事、くだんの女性社員からだったんですよ。
歩きながら携帯で退職意志の確認と、「私宛に送ってくれ」って言ったの。
話し終えたら気分がドヨ~ン。ええっと、本庄市資料館に着いたぞ。敷地内に職員さんとおぼしき方が2人いてのんびりと煙草を吸っていた。
入館料無料とあるのでズカズカ入ろうとしたら呼び止められ、本庄市全体の案内を聞かされそうな雰囲気になった。
有料でも無料でもどこの資料館でも、来館者数が少ないところほど来場者に対して有難迷惑なくらいに懇切丁寧で親切なのである。安中市武家屋敷、甘楽郡小幡、名胡桃城でもそうだった。
要はヒマなのである。こっちはヒマじゃないので先にテーマをぶつけた。
「本庄城だけ知りたい」
「本庄城だけ?」
「そう。それだけ」
だけ??
肩すかしを喰らった感の職員さんは、「では2階へ。そこに本庄城の史料が1つだけあります」という。
かなり細くて急な階段を上がったら、2階に本庄城の推定地図があった。あくまで推定である。
「これ、撮っていいスか?」
「どうぞ」
「これから行ってみるんで」って言い切っちゃった。実は既に見てからここへ来たのだが、「今から役所へ行くのでその時に」とゴマカしてしまった。
取りつくシマも無い私に職員さんは、「本庄城は・・・残存度は低いですね」と言われた。
推定図.jpg
本庄氏の在城期間は2代で34年。小笠原氏の城下町としての歴史は22年足らずだが、残された城下町は中山道最大の宿場町となる本庄宿として歩んで行く。
本庄実忠が60歳の老体に鞭を打って引っ越して来なければ本庄宿の繁栄は無かったかもしれないのだ。
桜の本庄城1.jpg
昨日、またまた本庄市に行ったら桜満開だった。
桜の本庄城2.jpg
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