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井伊谷城 [隠れ郷土史]

全線開通した新東名自動車道で西へ。
旅のメインは夜の浜松、貴田乃瀬でした。昨夜BS11「ふらり旅いい酒いい肴」浜松遍で放映されましたね。
貴田乃瀬だけだと往復の経費が何なので、富士宮の富士浅間大社で本年度初詣(今頃!!)を済ませ、浜松市北区にあるものに立ち寄った話を。いつものようにマニアックなネタなのです。
西へ走る私のくるまのナビは古くて新東名が表示されない。くるまを示すヤジルシは駿州、遠州の山あいにあって、道なき山の空を東から西へ飛んでるように見える。
そのまま真っ直ぐ行ったら名古屋方面へ行ってしまう。助手席のジャン妻に、
「いなさJCTってのが見えたらそっちへ行くから。進行方向左、南に逸れる」
「いなさ?ひらがなね」
引佐という町で浜松市北区です。もとは引佐郡か引佐町で2005年に浜松市に編入された。
いなさJCTから南へ逸れ、浜松いなさICで一般道(R257)へ出て浜松市方面へ南下します。
「引佐は知ってないと読めないな~」
「だから平仮名なんでしょうね」
その先、カーヴがうねった先、引佐町の井伊谷交差点を目指した。
「そこに図書館があるからそこで待っててくれないかな」
「何があるの?」
「・・・」
「まさか山城?」
ジャン妻は例え公園化されていても山城歩きを好まない。100%拒否。
「アタシは行かない」
それはわかっている。
「1人で行って来るから」
「だったら靴を履き替えてっ!!」
「大丈夫だよ。公園化されて舗装されてるから」
「・・・」
事前に調べたのだ。靴は汚れないさ。井伊谷上交差点を右折~引佐図書館の駐車場に停めた。
赤い幟.jpg
来年の大河の幟が数本、ヨレヨレしながら立っている。いずれも赤い幟。
坂道の向こうに見える山が井伊谷城。
井伊谷城遠望.jpg
「(図書館の)中で本でも読んでなよ。携帯を持っててくれ」
「うん。気を付けて」
登城地図1.jpg
登城地図2.jpg
登城口.jpg
頂上まで320m.jpg
急坂1.jpg
急坂2.jpg
急坂3.jpg
なるほど階段含めてしっかり舗装されてはいる。
急な坂ではある。用宗城ほどキツくない。
でも少しばかりアシに来た。息遣いも荒くなってくる。もう若くはないのだ。
急坂4.jpg
急坂5.jpg
上りながら見て思ったのだが、たいした縄張りではないようである。
城山稲荷がある一画以外は山の自然地形で、帯郭や腰郭に見えるのも山に登る為の道で後世に切り開いたような感なのだ。
10分ほどで頂上へ着いた。
本郭1.jpg
平場があった。縄張りとしては殆どそこだけといっていい。横堀、縦堀、堀切もないのである。
西側に一段下がって平場があるが、そこには工事中立ち入り禁止のWCがあった。
本郭2.jpg
頂上の説明板の辺りは一段高い平場があった。本郭には簡単すぎる解説板のみだった。
それには井伊道政という人が後醍醐天皇の皇子、宗良親王をお迎えして、この井伊城を本拠として50年に渡って各地を転戦されたことが表示されている。
南北朝の頃ですよ。だから縄張りが簡素なのかな。山頂にある館だろうか?
赤い幟の題材については一切触れていない。これからいろいろアピールするのかも知れないが、それ目的で訪れた私にとっては随分な違和感がある。
本郭4.jpg
本郭5.jpg
解説板.jpg
本郭6.jpg
木々がジャマしているが、南方への視界がやや開けている。
眺望3.jpg
あっさり散策終了したが何となく消化不良でもある。
図書館にあった井伊谷城の縄張りもこのようなものだった。
縄張り.jpg
やはり頂上の平場だけのようです。山城とはいえ単純に過ぎる。要害性ゼロとまで言わないが、とても敵を迎え撃つものではないなと。
井伊家も日常は麓にあったと推定される館で居住、政務を執っていたと思われますが、非常時の詰城としては縄張りが簡単過ぎないかぁ。
(もっともここから2kmほど北にある三岳城が井伊家の詰城だった説もあるが、今回は未訪です。)
小口1.jpg
下る.jpg
麓に下りた。
図書館でジャン妻が待っている。これから史料漁り。
引佐図書館.jpg
私が図書館で資料を漁ると、いつものことながら最初は職員さんに怪訝そうに警戒される。ズカズカ踏み込んだ私はヒマそうにしていた受付さんに、
「井伊直虎公の史料は何処です?」
そしたら丁寧に入口まで案内された。
史料漁り.jpg
パラパラめくって井伊直虎公の箇所だけチェックした。
製作発表.jpg
来年の大河の主役、井伊直虎公は女城主だが、女武者ではないようです。
巴御前、板額御前、瀬戸水軍村上武吉の娘、安濃津城富田高安夫人、豊後鶴崎城吉岡妙林尼、武州忍城成田甲斐姫、会津藩娘子軍&山本八重のように実戦はしていない。
生涯独身だから美濃岩村城女城主(信長の叔母)とも違う気がする。
あくまで井伊谷の女性領主です。井伊谷を守り後年の井伊直政に繋げた。
ではどのような治世だったのか。漁った史料を見てたら、ちょっと意外な箇所があったのです。(続く)
コメント(2) 

コメント 2

るな

井伊谷城行かれましたか。うちらも大河始まる前に
訪問を考えています。登山道舗装されているのですね。
これは良いです。情報ありがとうございました。
遺構が少ないのは想像力でカバーね(^o^)
by るな (2016-03-27 21:09) 

船山史家

るなさんこんばんは。
行って来ました。足場はしっかりしていましたが、登ってみてもバリバリの遺構は無いです。
詰の城としてもどうなのか。頂上にひとつ郭があるだけなのですよ。
南北朝時代に貴人で何とか親王が住まわれてたとあります。国衆の中で井伊家を格上げアピールする象徴の場のように思いました。
実戦で立て籠もったのはそう遠くも無い三岳城ではないかと。
1年引っ張るストーリーも相当な想像力が必要かと思いますね。
by 船山史家 (2016-03-27 22:43) 

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