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高林城彷徨顛末記 [隠れ郷土史]

この図はその道のプロ、余湖さんという方のサイトから高林城の鳥瞰図です。
許可を頂いて掲載しております。
高林城鳥瞰図.jpg
余湖さんの鳥瞰図の上(北)、小学校方面から主郭に登頂したのだが、そこから来た道を引き返さず、図の左下(南西)方向の山道に踏み込んでしまったのです。
陽は西に.jpg
さて、陽は西に傾きつつある。
高林城頂上部の主郭から枯葉に足を取られながらズリズリと下って左の往路を戻ればよかったのだが、何かが私に「右に行け」と囁いたような。
遺構がそれほどでもなかったので、これだけでは記事にならないと思ったのもある。
その先はホントに散策コースなのかアヤシイ獣道が延々と続いている。
下る.jpg
竹藪奥の堀切.jpg
竹藪の中を.jpg
下っていく細い獣道は竹藪を潜ったり、射していた陽が隠れて暗くなったり、左右分かれ道があったり、消えそうな獣道に突っ込んでしまった思ったらすぐに消えた筈の道がまた現れたりする。
西に沈もうとしている陽の方向からしてスタート地点から西南方向へ向かっている。黒岩公民館からどんどん離れていくのは何となくわかった。
高林城は峰々に連なってはいない。黒岩集落で途切れる独立峯になっているので、行くとこまで行って西南へ脱出するしかないと肚を決めゆっくり下って下っていった。
先の見えない下山路はやや不安も伴った。でも人気の無い山中で彷徨して遭難するのではなく、明らかに人が踏み分けた道があるので脱出できる筈である。
彷徨1.jpg
彷徨2.jpg
歩くこと20分。それまで足元が枯葉でフワフワしたりぬかるんでいないが自然の獣道だったのが途中から固くなった。ガレたコンクリートで固められていた。
下山.jpg
その脇、草に埋もれて生活物資のゴミが散らばっていて、どうも路上生活者か誰やら居住していたような平場があったが、誰もいなかった。
でも何とか下山したようである。軽トラの轍もあったから果樹園の跡かも知れない。
振り返る.jpg
振り返ったらこんな感じ。
雑木林です。子供の頃に近隣の雑木林にダンボールを持ち込んで斜面を滑ったり秘密基地を作ったりしたことあるでしょう?
産業廃棄物不法投棄の時代ではなかったが、そこには誰か投棄したオトナの世界があったりしたものである。
今はそういう場所は無くなった。宅地になっちゃった。
そんな感慨にふけっている場合ではないぞ。黒岩公民館に戻らなくては。山を下って平地に出たので少し足早に歩いた。
電信柱と電線が見えて来たので人家がある場所に脱出する直前、こんなのがあった。
罠あり.jpg
イノシシの罠ぁ?
檻ではなく足バサミのような罠らしい。禍々しいものがあるんだな。
公民館の職員さんが言うとおりやはり猪が出るらしいのだ。避けてサッサと公道に出た。そこには電柱があったのでようやく人がいる世界に出た安堵感。
そこで私は公民館に電話している。
「高林城の山に登った者ですが、無事下山してますから。30分後には戻ります」
電話に出た方は女性の職員さんで、さして私を心配してもいなさそうであった。
脱出.jpg
舗装された公道に出て、そこを左に行けば黒岩公民館の方へ出ると踏んだ。
でもそれは間違いだった。その先は左に溜池があってそこで行き止まりだったのである。
そこに2台の軽トラと2人の老人・・・失礼・・・地元の人で農家の人?らしき方がいた。
地元の人.jpg
「どーも。何されてます?」
「猪がかかってないか見に来たのよ」
「猪?かかってたんですか?」
「いや~・・・今日はかかってなかったな~。この先にも仕掛けてあっから見に行こうかと」
さきほどのイノシシの罠の表示はこの方たちが仕掛けたらしい。
「・・・この先、黒岩公民館まで行けますかね?」
「どうだろ。道を整備したって言ってたけど・・・」
そう言いながらその先を指した。そこにはまた黒岩小学校の生徒が描いたらしいお手製の案内図があって、クマコースとある。
クマコース?
公民館の職員さんは「熊は出ない」って言ってたぞ。そのクマコースは草が刈っていない。藪に消えて自然地形と同化しているようである。
「行けそうにないですね」
「行けるんだけどこれじゃぁ行けないね・・・(反対側、西日が射す方を指して)・・・あっちへぐるっと回って行くしかないんだよね」
農家の方が指した方角は西南の黒岩集落がある筈。
高林城彷徨.jpg
この写真を見てください。
スタート地点の黒岩小学校から登城し、山中を彷徨って西南に脱出、でもそこから反時計廻りに歩いて行き止まり、農家の方に言われてそこからまた時計廻りに県道に出て戻ったのです。
そこにはデカい家々が並んでいた。個人宅なので写真は撮らなかったが、その集落を抜けたらセンターラインのある県道に出る。西富岡のモスバーガー辺りから伸びている県道218号線です。
そこを北東に向かってトボトボ歩っていたら、さっきの農家のオッさん2人が私を軽で追い抜いていった。片手を挙げて先に行ってしまった。
正直言って、「乗せてくれよ~」と甘える気持ちがあったのは否定しないよ。
その先でT字路にぶつかる。そこを右に行くと遍照寺・大日堂というのがある。
遍照寺1.jpg
遍照寺2.jpg
私は平成24年の滞在中、この前を何回も走った。
安中市から山を越えて、上信越道富岡ICへ向かう裏道として利用した。寺の前に古い商店があって今は廃業状態で自販機だけ稼働している。よくこの自販機で炭酸清涼飲料を買ってガブガブ飲んだものである。
黒岩公民館.jpg
錆びたバス停1.jpg
黒岩公民館に戻った。男性の職員さんがいた。
「戻りました」
「大丈夫でしたか?」
「頂上まで行けるには行けたんですが・・・その後、向こう側の西へ出てしまったんですよ。そっから黒岩集落をぐるっと回ってきたら時間がかかってしまって。館長さんにもご挨拶を・・・」と言いかけたら、「館長は帰りました。4時までなんですよ」と言う。
4時まで?
いいですねぇと言いかけたが止めたよ。
時間を見たら4時半前だった。家に帰ったのではなく本庁に戻ったのかも。
「もしかして私が戻るまでお待ちになってたとか?」と聞いたらそうではないようで、単に定刻(17時)まで番してる感じであった。
私は高林城を指しながら、「誰が住んでたんですかね?」
「わからないです。地元ではそこの山は高林城っていうのがあったと言われてるだけでして」
「そこにあった寺(遍照寺)の関係かな」
私は寺社勢力でいうところの僧兵を束ねた神官のことを言ったのだが、繋がりがあるのかどうか。
高林城遠望.jpg
高林城は標注も解説板もない。詳細、背景はまったくわからないそうで地元の伝承にのみ頼っている。
富岡市内を流れる鏑川を境に北は安中氏、南は国峰城の小幡氏の領域(※)で、余湖さんの鳥瞰図を見ると西側の防御が固いように見える。
西から攻めてくるのは武田軍と想定した場合の物見の城塞だろうか。確かに立地としては四方が見渡せるいい場所ではあった。
武田に下るか、箕輪の長野氏を中心に抵抗するかビミョーな圏域で、緩衝地帯ともいえる。
(※)http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-13
「そこを通る街道を監視する為の見晴らし所(物見のこと)ではないかって言われています。富岡市の教育委員会に聞けば何かわかるかも知れませんが・・・」
職員さんはそう締めくくった。
後日、高崎市図書館で富岡市史をめくってみたのだが、高林城についての詳細な記載は無かった。
富岡市は製糸場で名高いだけに近代史の頁はブ厚いのだが、戦国時代の頁が極めて薄く、市内の城塞一覧表のようなものと、位置を示す小さい地図が綴じてあった程度。
高林城は大勢の兵が立て籠もって大軍を迎え撃つ規模はない。監視所、見張り、狼煙台程度よりやや大きい程度の規模で、大軍を迎え撃つスケールはない。
訪城した感想は地元から大切にされている里山といった感がある。確かに手軽に登ることはできるが、整備したと言ってもあくまで登山道レベル。比高差がそれほどないので、マニアに言わせるとこの程度のクラスだと楽な方だそうである。
でも私はもう体力的には無理だなと思った。
館内にいた女性職員さん(さきほど電話に出られた)にもご挨拶。そしたらこう言われた。
「その恰好(スーツ)に革靴で行かれたんですか?」
「・・・」
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