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富士宮市山本にあるもの [隠れ郷土史]

私らは毎年の富士浅間大社詣出を欠かさないのですが、船山温泉の帰途や、静岡紀尾井の帰途に立ち寄ったりするので、必ずしも正月、1月に行くという訳でもないです。
そこで願うのは家族の健康のみと決めています。商売繁盛とかそういうのは願掛けしません。
今日はその過程で発見したものについて。富士浅間大社の最寄駅はJR身延線富士宮駅ですが、そこから富士方面へ2駅の富士根駅前を出て左折、小さい川を渡って右折、道なりに行くと潤井川を渡る山本橋という橋がある。
山本橋.jpg
潤井川2.jpg
潤井川3.jpg
橋を渡って高尾製紙(製糸ではない)の脇に案内板がある。
誕生地まで400m.jpg
高尾製紙を右手にぐるっと回って突き当りのT字路にも案内板が。。。
誕生地まで50m.jpg
吉野家入口.jpg
石垣が見え、吉野家というお屋敷があった。(牛丼屋ではない。)この辺り一帯を山本というのだが、ここ吉野家は2007年の大河で内野聖陽さんが演じた山本勘助生誕地だというのです。
(富士根駅は富士市、山本は富士宮市、さきほど渡った山本橋の潤井川が市の境界です。)
勘助bmp.jpg
説明板1.jpg
散策コース.jpg
説明板2.jpg
山本勘助生誕地.jpg
この辺りは第2話「さらば故郷」で紹介された。紹介された内容は甲斐国誌に基づいている。駿河国富士郡山本吉野貞幸と安の三男に生まれ、三河国牛窪城主牧野氏の家臣大林勘左衛門の養子に入ったという説です。
実の父母を演じた人。ここ駿河の山本家。
実父.jpg実母.jpg
養父母を演じた人。三河の大林家。
養父.jpg養母.jpg
甲陽軍鑑では三河国宝飯郡牛窪、現在の愛知県豊川市牛久保町出身説他にもある。
NHKが放送、配信した内容はそのまま視聴者が信用してしまう。中には疑問符が付くのもあるし、甲陽軍鑑、甲斐国志とも江戸時代の史料だが、ここでは史料批判は控えます。
前半生が不明なので、どう描いてもいいのかもしれない。
碑1.jpg
吉野家の敷地内に、何か作業をしておられた方(現御当主)がおられたので、
「あの・・・勘助ってここで生まれたんですか?」
我ながらブシツケな挨拶ではあったが、作業の手を止めていろいろ説明してくれた。
生誕地の碑が長屋門の手前左手奥に建っている。
碑の裏面には、勘助の出生から川中島の合戦で戦死するまでの事暦が略記されているけど難文で、陰になって見えないのだ。
碑2.jpg
「読めないですね」
「門の傍に訳したのがあるよ。この辺りに・・・(碑の背後の山林と平段、畑の遊休地か?)・・・当時の御屋敷があったのよ」
屋敷跡2.jpg
なるほど全面に潤井川が流れ、背後や山林。中世土豪の館跡といった趣ではある。
「ここから電線も無く富士山が見えるんだけど、今日は雲に隠れちゃってるねぇ」
富士が隠れてる.jpg
長屋門脇にいろいろ置いてあった。
吉野家のご主人はしきりに「南朝南朝」と言われる。ここ山本にある吉野家の祖は大和国吉野郷に始まり、南北朝動乱後に勘助の曽祖父にあたる吉野浄雲入道貞倫(ジョウウンニュウドウサダトモ)という人が下向して土着した。長屋門脇の防水用のビニールファイルに入っていた系図を見たら、この地での吉野家初代貞倫-2代貞久-3代貞宗と弟の貞幸、この弟貞幸の三男だったという。
系図1.jpg
ドラマでは3代貞宗は出てこないが貞幸(演:伊藤高さん)は登場している。幼くして隻眼、片足が不自由な勘助を三河国大林家に養子に出す場面である。傍らに庵原忠胤(演:石橋蓮司さん)がいたような。
勘助は3兄弟の三男だが、兄、貞久は系図にその名前はないですね。光石研さんが演じていた。
実兄.jpg
この辺り、若干は違っていたりドラマの本流に関係ない兄弟人物が省略されるのはまぁ止む無いところ。
「勘助さんは分家だったのですか?」
「そう。吉野家から分れたの」
下の系図、見難いですが、白い線を引っ張ってるところに着目してください。
父、貞行、母、安。。。
兄と勘助本人。
そしてその左下、遥か後世には。。。
系図1.jpg
驚いたのは勘助に弟?がいて、そこから系図の枝が更に伸びていき、行きついた先端には「五十六」とあったのである。
「そうなんですか?」
「うん。そうなの」
系図2.jpg
「私みたいに見に来る閑人っています?」
これはこの手の散策で必ず問うようにしている。
「うん。今はそうでもないけど、このドラマの年は1ヶ月に何千人も見に来たもんだよ」
あれから8年か9年。今やモノクロで色あせた内野聖陽さん、市川亀治郎さん、柴本幸さん、Gacktさん。。。
色褪せて.jpg
何千人?
桁数多くないスか?でもその辺りはつっこまないでおいた。
「勘助さんの眼帯は変わってってるでしょう。偉くなるとね」
「最初、ボロかったのが、アワビの殻、片なの鍔・・・」(私)
「そうそう。山本家の家紋をあしらった立派なものになってね」
「実在の人物かどうかって言われてたのが、市川(市河)さんって方の文書が出てきてね」
功治3年(1557年)の川中島第3次合戦に於いて、武田晴信が市河という家臣にあてた感状に、「猶可有山本菅助口上候」・・・とあったというものです。
吉野家は葛山氏の家臣で葛山氏から知行を得ていたが、甲斐武田、駿河今川、小田原北条に接する場所柄、パワーバランスが拮抗していた。吉野家の主家、葛山氏そのものが難しい立場でいろいろあって信玄の6男が名跡を継いだのではなかったか。
母安女の墓入口1.jpg
母安女の墓入口3.jpg
お母さん.jpg
母安女の墓入口2.jpg
このすぐ近くの墓所に勘助の母、安女の墓・・・墓碑があった。あめくみちこさんが演じていましたね。
勘助は諸国を見て廻り、甲斐の武田を知り、駿河に舞い戻って花倉の乱に関わった辺りは創造かも知れない。
実の母は既にこの世を去った後だった。
隻眼で足が不自由な勘助は、軍略という異能の才でもって武田に仕えることになる。
駿河国山本が生んだ稀代の名軍師??
コメント(6) 

コメント 6

似非師匠

史家さん こんばんは。
大河ドラマでは富士宮が、勘助の出生地になっていましたね。
甲州では北杜市に、我が家が末裔だという山本家があります。
甲斐国誌は地誌としてはそれなりに価値はありますが、甲陽軍鑑はいけませんね(笑)
by 似非師匠 (2016-01-07 21:15) 

船山史家

師匠さんおはようございます。
出張から戻りました。お返事遅れました。
本文中に書き忘れたことがあります。富士宮市のHPを見たら、勘助の叔母が穴山氏に嫁いでいたというものです。http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/kankou/llti2b0000002dq0-att/llti2b0000006r6f.pdf
穴山氏の誰に嫁いでいたのかはわかりません。

甲陽軍鑑は・・・他に新史料が出て来ない限り、これに依るしかないのでしょうね。甲斐国誌も江戸時代に編纂されたものですが、「妙法寺記・勝山記」というのが甲斐国内では最も信用できるというのを何かで見たことがあります。
by 船山史家 (2016-01-09 07:44) 

似非師匠

史家さん 夜中に失礼します。
さすがに地域を問わず、歴史にお詳しい史家さん、「妙法寺記」までご存じとは・・
信州大の笹本教授なども、妙法寺記を甲斐では一番の史料に挙げていますね。
地域柄、富士山の噴火や気象関係の記事が多いと思いますが、そうした意味では、史料とも資料ともいえるものだと思います。

今日は韮崎にあります雛人形師の店に行って、焼失した雛人形に替えて、妻への還暦の祝いというかプレゼントというか、
自身の気持ちも鼓舞する意味で、親王飾り一対を注文しました。
(それなりの額ですが、そこはそれ・・・・)
既に暮れには、入れる建物も再建する前に、仏壇も購入してあります。
(人様からは相当気が早いと言われそうですが・・・)
by 似非師匠 (2016-01-10 00:16) 

船山史家

師匠さんおはようございます。
妙法寺記は原文を全部見た訳ではなく、また聞きというかまた読みなのですが、永禄4年川中島の項で、「晴信御舎弟典厩打死御座候」、「郡内弥三郎殿御立テ無く候テ人衆計リ立候共、ヨコイレヲ成サレ候・・・」というのを見たことがあります。
晴信御舎弟典厩・・・典厩殿とか典厩様ではなく呼び捨て。でも地元の小山田に対しては弥三郎殿・・・殿がついているんですね。
甲陽軍鑑のように如何にもよく出来たストーリー展開になっていないのと、郡内小山田氏(今夜いよいよ登場しますね)の誰かから聞き取ったか、起こった出来事をメモったのを綴ったような印象を受けました。お寺の僧が書いた申し送りノートのようなものでしょうか。
そこには妻女山、啄木鳥、一騎打ち、そういうのは無いようです。軍学者もどきが編纂したものではないようで、それが逆に信憑性があるように思うのです。

韮崎(この場所も出るでしょうね。)へお人形を買いに行かれましたか。
厄災が起きても、それはそれとして奥様への寒冷祝のプレゼントを欠かさない、ホント前向きですね。
>人様からは相当気が早いと。。。
いやいや、そういうのは言わせておきましょう。買いものというのは気分を変えるのでいいことだと思いますよ。
by 船山史家 (2016-01-10 11:54) 

るな&旦

そうそうNHKは信頼度が高いですからね。
ついつい信じてしまう…(^^ゞ
でも、それは違うんじゃない??もありますよね。
この前の歴史ヒストリアでも信繁が一人上田城で徳川軍を
退治したように言ってるし。
吉野家(牛丼屋じっない)~はナイス☆
by るな&旦 (2016-01-11 09:16) 

船山史家

るなさん旦さんこんにちは。
歴史ヒストリアの上田城攻防戦は大河のあやかり企画でしょう。
ドラマとして見た場合、相手の事績がわからない時代の部分は、作り手が空想で描いてもいいとは思うんです。
でも実際のところは素っ気ない展開ではなかったかと。
例えば、田楽狭間はたまたまそこに義元がいたから。川中島は濃霧の中で偶発的に遭遇したら景虎自ら太刀を持って戦っただけとかね。
江~姫たちの戦国では本能寺の変後に主人公が光秀に説教したり伊賀越えに付いてったりしたそうですね。
知ってる人が見たら怒るし、歴史に疎い人がそれを見て信じちゃったらどーすんのって。
八重さんが大山巌と腕相撲したり。
ファンタジックだけじゃすまないです。NHKさんは責任ある立場だと思いますよ。
by 船山史家 (2016-01-11 13:22) 

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