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古河街道沿 反町館 生品神社 はじめちゃん [隠れ郷土史]

今日は複合記事です。最初は固いです。
晩秋に伊勢崎市と太田市を古河街道で往復、ウロついてた時のネタ。
太田市の古河街道沿いは、郷土の英雄、新田義貞の新田〇〇町という町名がやたらと多いのですが、新田反町にこんなのを発見しました。
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故・新田次郎さん著の「新田義貞」文庫本上巻、「陸奥の春」の冒頭で、新田荘村田の新館が落成した場面があります。
その新館の規模は大きく、周囲を濠で囲まれ濠の土が盛土として使われ、鎌倉に建てられている武家屋敷の構造を取り入れ広大で立派なものであると。
新田反町の反町館はデカいです。そこは広くて深そうな水濠に囲まれている。小説中の新館とはこの館かもしれない。
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中央部は神社の境内になっていた。
凄い濠である。
深さはどれくらいあるのだろう。うっかり子供が落ちたりしないか。
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義貞は鎌倉幕府の御家人なので、これだけの館を造成する以上は着工前に幕府に届け出る。落成なった暁に、検分の名目で視察にやって来たのが黒沼という人物。
この黒沼という人物は、中央から地方へ検分に来た役人だが、権力を笠に着て横柄ら野郎で、新田荘に滞在中は連日の接待、宴、遊女に飽きたらず、寡夫となった武家の女を枕頭に差し出させたり、昔の話とはそういうものなのですかね。
散々、接待させるだけさせた黒沼は鎌倉に戻って、「新田小太郎義貞には不釣り合いな大きな館であり、新田荘は裕福である」と北条得宗家に報告したものだから、「新田は金を持っている」と思われ、上州新田から遠い遠い津軽の安東氏の騒乱鎮圧に出兵させられた。
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鎌倉幕府の屋台骨がグラつき始める。
後醍醐天皇や護良親王が義貞他、各地の豪族へ打倒北条氏の綸旨、密書を送りまくるのだが、どうも義貞の挙兵の理由には、それだけではなく別の側面があるようである。というのは、鎌倉幕府でいうところの幕末に起こった元弘の乱の後、前述の黒沼という役人が再度、新田荘にやってくるのだ。今度は徴税にやってきた。
この頃の情勢は、千早城に籠って頑張る楠木正成の他、播磨の赤松則村が挙兵、足利尊氏、義貞他の東国武士に幕府打倒の綸旨が出回っていた・・・としておく。
幕府は楠木正成・赤松則村他、反乱軍の討伐で膨大な戦費が必要となり、戦費調達のため徴税を強化する。新田荘へ徴税使としてやってきた黒沼は、例によって新田武士を田舎者と小馬鹿にしながら初回検分時と同様の接待を強要し、幕府の要求として銭6万貫文もの戦費徴用を言い付けた。
単純計算だが、銭1貫を米1石として6万石、新田荘を10万石としたら年収の半分だが、領民の分もあるから半々としても2年以上に相当する。
この莫大な戦費を僅か5日で差し出せと。こんな無理無体な要求に応えるには領民の保有米や村々の備蓄米も差し出しても足りるかどうか。
もっとも幕府から見たら、どうも新田荘には寺の門前町が少なくないので、そこに富裕な商人が多かったと見られてたようである。

鎌倉期~南北朝の様相推理は現代版の小説で充分で、故・吉川英治さんの「私本太平記」、「新田帖~触れ不動」では、義貞の実弟、脇屋義助が応対し、「無いものは無い」と。そしたら黒沼一行は、鎌倉から随行して来た供回りに命令して、領内商家や米倉を開けて強制的な徴収を強行した。強盗まがいである。義貞は戦費を収めなければ朝廷側(後醍醐天皇、護良親王)に付いたとみなされる。追い詰められた。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-10-18の江田館でも述べたが、義貞の配下が黒沼を殺害する。「新田義貞」では黒沼が殺害され、「私本太平記」では黒沼とともにやってきた明石出雲介親連という者が殺害され、黒沼は義貞の執事、船田入道の縁者ということで生かされている。どちらでもいいが、小説から離れると、実は新田家は所領を切り売りするほどの窮状で、それらを北條得宗家が買っていた。だから黒沼と明石は新田家が北条得宗家に売った所領から徴税するために派遣されたという。だったら元の領主義貞は口出しできなかった筈。
義貞の挙兵の本当の理由は単に金が無かったからではないだろうか。

幕府の徴税使を殺害した以上この地で黙ってればいずれ誅されるは必定なので、朝廷からの綸旨、密勅、そういう大義名分とは別に、「そっちがそこまでするならこちらから起ってやる」となった。
一族一門を結集させて決起した場所がこれ。生品神社境内。
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演じた根津甚八さんは最近は見ないですね。引退されたのかな。
1991年のドラマだから根津さんが40代半ばぐらい。実際の義貞は後年、燈明寺畷で戦死した時は40代前半だったらしい。
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次に新田〇〇町から古河街道2号線を走って伊勢崎市へ向かう途中で見つけた店。
古河街道と謳っていますが、ストレートに古河(茨城県)までは行けない。前橋市と館林市を結ぶだけの道です。
この時も薄い鉛色のような曇り雨でやや気鬱だった。私が上州に関わってからまる4年になろうとしているがついに退職者が出そうなのである。その子はちょっと問題児なので別に辞めても大勢に影響はないのだが、今まで私が担当してたのもあって力不足を痛感している。
その子を残留させる為の条件をクリアできそうにない。傍観して自分自身が後悔するのがイヤなのでギリギリまで慰留しますが、私が上州に関わってからもう4年になるので、もう4年経ったんだから仕方がないかなと半ば諦めながら、やや暗い気分で伊勢崎市に差し掛かる辺りを真っ直ぐ走ってたら。。。
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は・じ・め・ちゃ・ん??
ダダっ広い駐車場でした。大型車も余裕で入れます。敷地内はこの店ともうひとつクローズしてしまった和食店、蕎麦店があって、広い駐車場を共用していた模様です。
道路向かいには常勝軒伊勢崎総本店?というのがある。そっちに押されてる感もある。
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お店の外観1.jpg
店のボディはやや塗装が剥がれているが、別にボロではない。
めし
定食
うまい
安い
四角く囲って斜めってる。
道路際に堂々と屹立する大看板には縦書きで、「うまい 安い ランチ サービス 味処 はじめちゃん」
その看板の根っこの部分に小看板があって、
うまい 安い
ランチサービス
ロースカツ
カキフライ
しょうが焼
丼類
鳥めし
焼き魚
ラーメン
そば
アハハハと笑ってしまいそうになった。何がウリなんだろう。
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くるまはもう停めちゃっているし、ここから先に飲食店があるかどうかも心もとない。ダメもとでここにしようと決めた。
暖簾は出てるし街燈も点いてるけど営ってるのかな。上州って準備中なのに暖簾が出ていたり、営業中の札がブラ下がっている店ってあるのよ。
あれ?時刻を見たら10時20分過ぎか。早いかな。でも電光掲示板では、「めし」って光ってるから多分営ってるんだろう。
引戸を開けたら、この店を営ってるご夫婦が、知人とおぼしき方と談笑中だった。
「大丈夫?」
「ハイ大丈夫ですよどーぞ~」
座敷の照明が点いた。TVもONされた。
無難に生姜焼きをオーダーして時刻を見たらやはり10時30分にもなっちゃぁいない。
お客さん(私のこと)が入って来たから仕方なく開けたって感がある。
店内は広いです。座敷は10卓ぐらいあったかも。
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お品書き1.jpg
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メニューを見たら、こういう一般道のロードサイドにありがちな、昼は定食、夜は裏メニューを見れば酒の肴もありますよというスタイル
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生姜焼1.jpg
生姜焼2.jpg
生姜焼き、美味しかったと思います。
味噌汁も熱々で、小鉢の和え物もなかなかです。
美味しかった青物.jpg
プラス50円のミニラーメンは、チャーシューとかの具は無いです。50円だから文句は言えないけど、だまはよくないですねぇ。ちゃんとほぐさなきゃ。
ミニラーメンが付いても味噌汁は付いてくるらしい。すると汁物がダブりますね。
ダマ.jpg
お店の外観2.jpg
お店の外観3.jpg
さて、再訪があるかどうか。
この先は国道17号とクロス、北関東自動車道に繋がるのですが、それは真新しいバイパスなのでそっちにくるまが多く流れてこの界隈は寂れちゃってるのかも知れない。
でも新しい幹線道路沿いよりもこういう旧街道沿いの方が店は古くても味わい深いレストがあるものなのですよ。
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