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相州丸山城公園 [隠れ郷土史]

この記事は2013年の梅雨時期に寄稿してお蔵入りになっていたものです。
現在は往時と風景描写が違っているかもですがそこはご容赦願います。
舞台は神奈川県伊勢原市。最寄駅は小田急線伊勢原駅。国定公園や大山参りの玄関口と謳っている。最近、大山のケーブルカーが新しくなったようですね。
伊勢原駅階段途中に観光案内所があって、そこには大山、丹沢、この地で暗殺された太田道灌に纏わるものが紹介されていた。案内所で聞いたのは、
「246沿いにある丸山の公園ってどうやって行けばいい?」
「バスで行かれます?」
「タクシーかなぁ」
歩いて行けないのはわかってる。バスもアヤしい。実際、帰りにその公園近くのバス停に行ったら運行数が少ない。結局はタクシーにした。運転手は女性で細い路地や一通、一時停止を繰りかえりながら246へ抜けた。
後部座席で見た周辺の風景は、駅前北口は再開発や道路整備事業の計画が進まず建物の改新築が出来ない状況が続いているため、周辺のビル建物が老朽化、寂れているように見えた。
東海大病院がそびえ立つ手前に、目指す公園があった。
「あれですよ」
「あれかい。帰りも呼ぶかも」
領収書を貰った。
解説版1.jpg
解説版2.jpg
本格的な訪城マニアともいえない私はトシのせいもあって、山城、藪城は避け、比高差のある場所も避け、行ってみても往時のものは何もなく案内板か標注が立ってればまだいい方、公園化された楽チンなところに選んでいくようにしている。
この公園は太田道灌が暗殺された現場候補地の一つ。公園内解説版には発掘調査の成果のみ記されてあった。文明18年7月26日(1486年8月25日)、ここ神奈川県伊勢原市にあった?扇谷定正の館に招かれ風呂場で暗殺された記載はなかった。
この地で謀殺されたのはイマイチ裏付けが取れないようでもある。この地、相州糟屋に招かれて入浴後、脱衣所から出たところを曽我兵庫という者に襲われた。
それっぽい段丘1.jpg
何故、暗殺されたのか。
自分を妬んだ者に讒言されたという。
ホントに主家に対して反乱を起こそうとした?
主家の扇谷上杉定正が、道灌が自分に取って代わろうとしたのを危惧して殺害した?
定正がもうひとつの管領家、山内家に唆された、もしくは合意の上だった?
いろいろあるが要は妬まれたんだと思う。原文を見たわけではないですが、太田道灌状というものがあるそうです。文明12年(1480年)に山内上杉氏の高瀬という家臣に提出した書状。それには39ヶ条にわたって自分の活躍が記され、山内家が武州、上野、両国を支配できるのは自ら功である」と述べてあり、扇谷、山内両上杉氏の関係が微妙な時に自信満々に自らの功績が書かれていて、この書状が偽書でないならばその内容が両上杉氏から危険視されたのではないか。度が過ぎた自画自賛列挙アピールが身を滅ぼしたともいえる。
自己顕示欲の強い人だったのだろうか。
それっぽい段丘2.jpg
道灌暗殺で扇谷、山内両上杉氏の均衡が崩れ、ドロ沼の内戦抗争になる。
その後、道灌とも面識のある伊勢宗瑞~北条早雲が西から台頭する。関東の騒乱は更に後年、秀吉の小田原征伐まで終息しない。
公園1.jpg
公園2.jpg
道灌が伊勢原市内の何処かで暗殺されたのは間違いないが、その候補地は決定的なものがなく、「糟谷館」というキーワードがあって、「下糟谷」にあったこの公園、丸山城が浮かび上がった。発掘と公園化でいろいろ出て来たらしいがそれについては割愛します。
草刈り中.jpg
公演は市から委託された業者さんがいた。ウィーンっていう金属音を鳴らしながらそこらを除草作業中だった。キレイに起伏が見え、撮影時には作業の手を止めてくれた。
刈られた草が足元に飛んでくる。刈られた跡には犬のフンがあったりして危うく踏みそうになった。
公園内をジョギングしてた初老の男性がいて、私を振り返ってギョッとした顔をされたのでこっちが顔を逸らしたら、逸らした視線の先にベタベタした高校生の男女がいた。イチャついてたがあれから2年経ったので卒業と共に別れたに違いない。
土居の跡1.jpg
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案内板の説明を読まなければとても城跡には見えない公園整備の典型です。場所は酷道246号線沿いにあるからポイントとしてはわかりやすいが、行ってみて初めて「駐車場があるのか」と気付くでしょう。帰りはタクシー呼びましたよ。
L字型になっている.jpg
実はこのネタは公園散策が主ではなく、「風呂場で暗殺された」、これがキーワードです。道灌は丸腰どころか一糸纏わず?下帯くらいは付けてただろうか。これ以上ない無防備状態での暗殺という陰惨極まりないケースは道灌以外にもある。
配流先の修善寺で鎌倉幕府二代将軍源頼家が風呂場で暗殺された。
永暦元年(1160年)、平治の乱で敗れ尾張に落ち延びた源義朝が鎌田という家人の舅、長田忠致に裏切られ入浴中に殺された。HNKではその描写はなかった。
町奴の幡随院長兵衛が白柄組の旗本奴、水野十郎左衛門に湯殿で斬殺された。
もう古本屋に出しちゃったけど、相馬氏を描いた近衛龍春氏の著書「慶長・元和大津波」に、相馬の家臣だか誰かが追放されて風呂場で暗殺された箇所があったような。
風呂場で暗殺とは何という陰湿な手段だろうか。そんなのを知ってしまうと、温泉宿で夜に貸切り湯に浸かってると時折「今、刺客に狙われたら」って思ったりする。
前述の逸話以外で風呂場で暗殺されたケースがある。
暗殺どころか、皆で朝風呂に入っていたところを敵兵に取り囲まれ、一族の殆どが皆殺しにされたのが会津檜原の穴澤一族です。
穴沢一族五輪塔1.jpg
ここから会津編に飛びます。
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