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世田谷城の隠れ遺構 [隠れ郷土史]

イモムシ電車.jpg
世田谷区は広いけどJRは通っていない。大手私鉄だけです。だから東急、小田急の区といってもいいが、世田谷線のかもしだすのんびりした雰囲気もせいか、世田谷区にお住まいのウチの社員は、「都会の田舎なのよ」とも言っていた。その社員は世田谷区世田谷に住んでるのだが、家までの道筋を説明するのが案外めんどくさいらしい。
東急線沿線を歩いて街道から逸れると、高所得者の一軒屋が多い感じがする。閑静でセレブな街だな~と思ったりする。世田谷区役所には公用でよく行くのですが、公用がてら、閑静な住宅街の中にある公園と、公園に隣接する豪徳寺に立ち寄った。
上州安中にある北野寺の記事で、その寺には来年の大河でおそらくやられ役で登場する井伊直孝公が幼少の頃に学問研鑚を積んだ旨をUpした。直孝公を含めた井伊家の菩提寺は豪徳寺境内の奥にあるのだが、そこも含めた一帯が世田谷城という吉良氏の城塞だったのをご存じでしょうか?
公園1.jpg
世田谷城はその筋には有名です。それは世田谷というブランド名で有名であり、前述のように高級住宅地の世田谷にあるから知られてるのかも知れないが、23区の中では土の起伏が残存しているように見えるからです。
だが世田谷城公園に行ってみると規模が小さい。しかも公園化の際に近代的な石垣で補強されているので、素人さんは「石垣の城?」と勘違いされるかもしれない。
世田谷城は近世石垣の城ではなく、土をかき上げて固めたものです。
公園2.jpg
公園化されている.jpg
公園化の功罪.jpg
土崩れ防止の為に近代のブロックで補強されているので、輪郭がボヤけてしまってるんです。玄人筋はこの小公園を見て、「やり過ぎだ」、「整備し過ぎ」、「イメージを損なう」と思う人も少なくないのではないか。
公園には解説板こそ3つもあるが、そこだけだと規模の小さい城だなとしか見えない。近隣のセレブなママが子供たちを連れて喋っていたりする。
解説板1.jpg
だがこの小公園は城域の南端の一画でしかないのです。これだけなら数十人も立て籠もればいっぱいになっちゃうし、敵が攻めて来たらあっさり陥落してしまうだろう。
往時の世田谷城はここから豪徳寺を含めた一帯で、歩いてみると意外と広範囲なのがわかる。
フェンス.jpg
公園から北、住宅地に接する辺りはフェンスで遮られて入れない。そこから先は藪化している。藪化しているということは手つかずの森だということ。そこを意識しながら公園から豪徳寺方面へ踏み込むと、意外なところに「???」と思わせるものが残存しているようです。
残存しているようですというのは、私有地を含むそのエリアには踏み込めないからです。残存エリアと思わせる一帯は殆ど全てが立ち入り禁止か、もしくはそれに近いといっていい。
世田谷城一帯.jpg
上のMAPを見ていただきたいのですが。。。
城域の南端でしかない世田谷城跡公園の北は①のフェンスで遮られてる。そこから先の②一帯はは木々が生えていて雑木林かと思わせるが、実はその一帯に手つかずの遺構が残存している可能性が高い。だが②には踏み込むことはできない。
②に隣接して旧い団地がある。G住宅としておきます。その団地は公園より高い位置にあるのでそこも城域です。
だがその団地エリアには、「G住宅に用の無い方は立ち入り禁止」・・・不審者は警察に通報しますとまで書かれてないが、そういう注意を促す掲示が幾つもあるので立ち入りは憚られる。
団地脇の土塁.jpg
一旦諦めて豪徳寺参道を歩いて行くと右手に土塁の高まりが続いている。③です。これはマニアにも知られていて、人口的な手が加わった公園でガッカリした散策者が愁眉を開くポイントでもある。
これはちとアヤしい.jpg
豪徳寺の山門前、右手に空地がある。④です。そこにも変な土の高まりがあるが、それが世田谷城のものなのかどうか。住宅を建設しようとした残土にも見える。そこは広場になっていて、住宅開発しようとして断念したかのような空地になっています。そこにも表示上は立ち入り禁止になっている。
だが、そこから東、②に繋がる森を見ると、何やら手つかずの部分が遠望できるのです。
でもそこまではモラル上は近寄れない。立ち入り禁止を踏破して無理矢理に行こうと思えば行けますよ。でも周辺の家々からまる見えなんです。

②の森を見るにはどうすればいいか。豪徳寺の門前から東をぐるっと回ってみたのですが、②の森を背にして豪徳寺2丁目の高級住宅が立ち並んでいて何処からも入れなかった。警備保障を導入した家もある。おそらくその住宅に住まわれる方々は、家の裏窓から世田谷城の、一般人の目には触れない遺構を毎日見れるのではないか。
一部、住宅が立ってない(取り壊された跡地)箇所があります。⑤です。そこも立ち入り禁止です。
この写真は道路から⑤を遠望したものですが、何やら切崖になっていました。
住宅の裏から.jpg
魔がさしても絶対に立ち入らないこと。世田谷区はいい街ですが犯罪も少なくないので、不法侵入で警察に通報されますよ。

いよいよG住宅という団地の敷地に入るしかないか。
そこも高台になっていて坂の途中に、「G住宅に用の無い方は立ち入り禁止」とある。
幸い私はダークスーツ姿である。この恰好で上州の山城に入ると、山歩きのハイカーから怪訝に見られたことが数回あるが、ここは都心の一等地である。この恰好なら良くて勤勉な会社員に、悪くとも不動産業者に見えるだろう。何か誰何されたらきちんと名刺を出して本業を名乗るか、この辺りの物件調査ですとでも言うかな。
平日の午後、団地住民がヒソヒソ立ち話をしている。目が合おうものなら不審者扱いされかねない。自分らの生活圏内を守ろうとする独特の空気を体感した。長居はマズそうである。
さっき寺の参道から見た土塁③は団地側はコンクリで補強されていた。
コンクリで固めてある1.jpg
コンクリで固めてある2.jpg
団地の北へ廻る。豪徳寺に接する辺りの空地④に出た。そこは団地側からも出入りできないようになっている。団地の住民も豪徳寺に参詣しようとするには南側の公道に出て参道を歩かなくてはならない造りになっている。
団地の東側へ廻る。さっき豪徳寺山門から見た森がややハッキリ見えてきた。
遺構1.jpg
遺構2.jpg
そこには横に長い緑の土手があった。
それは手前と奥にある。もしかしたら二重堀だろうか。
遺構拡大1.jpg
遺構拡大2.jpg
そこまで行けそうで行けず、届きそうで届かない、見えそうで見えない、確認できないもどかしさ。
ここから遠望するに留め、足早に引き返した。
私と同じように世田谷城を散策に来た私服のオジさんがいましたね。
続いている1.jpg
続いている2.jpg
世田谷城を強引に見るには、G団地敷地内に入って近隣住民のご迷惑にならないよう、短時間で節度を守ってサッと引き上げるしかないのです。
いよいよ森の中まで行くには「世田谷城跡見学会」というのに参加するしかないらしい。その見学会のBlogを見ると、私が遠望した二重堀のように見たものは実際はV字型の堀だった。
見学会の定員は50名程度かと。おそらくG団地の管理組合に話を通したうえで、年に僅か1回程度の開催かと思われるし、抽選でGETするのも難しいだろう。
普段は立ち入り禁止の場所に遺構が眠っている。何故、立ち入り禁止なのかはわからない。
解説板2.jpg
世田谷城の吉良氏は天正18年(1590年)の小田原征伐まで存続したが、一戦も交えず逃亡したという。おそらく家康を頼ったかと思われるが、高家旗本として復帰し、もしかしたら赤穂浪士に繋がるのかも知れない。
コメント(2) 

コメント 2

るな&旦

立ち入り禁止の堀ありますよね。
前にタモリ倶楽部だったと思いますが潜入レポしてました。
見事な遺構でしたよ(^o^)
見学会も行われているのですか…これはちょくちょくチェック
しなきゃです。
玉縄城もそうでしたが非公開ゾーンには心魅かれます☆


by るな&旦 (2015-11-01 17:39) 

船山史家

るな&旦さんこんばんは。
世田谷城の隠れ遺構探訪はプロレスで言うところの5秒以内の反則ギリギリでしたね。外野からだとこれでがギリギリです。
本文には書かなかったのですが、正規の見学会とは別に、④の空地、ここは豪徳寺さんが臨時駐車場になることがあるらしい。お正月参詣とか、人の多い時が逆にチャンスかもです。
そちら様も玉縄城の非公開ゾーンに突入され、充実した探索だったようで何よりです。この冬場に書面で申し込んでみるつもりです。
by 船山史家 (2015-11-01 22:39) 

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