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後閑堀ノ内の謎 [隠れ郷土史]

安中市上後閑にある長源寺という寺が、来年大河に取り上げられる真田六連銭発祥の地?などという記事をUPした時、ちょっと気になる場所を見つけたんです。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-07-20-6
長源寺のイワレは安中市の史料他で見たのですが、そこにホントに真田幸隆が隠れ住んでいたかどうかはどの史料にも無かった。その調査過程で上後閑長源寺に行く途中に堀ノ内という場所があるのに気付いた。ピンと来たので安中市史料のリストを見たらそこには後閑堀ノ内とあって、
所在は上後閑字堀之内
安中市遺跡番NO.1585
立地は平地
形態は館?
現況は宅地・畑
遺存状況は・・・消滅・・・
主要遺構は、削平地・堀?
クエスチョンが2つある。
この自信の無さそうな遺構をググってみたら、ある素晴らしいサイトhttp://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-2779.htmlにたどり着いたのもあって、そちら様も参考にしながら行ってみた。
一覧2.jpg一覧1.jpg
何故、堀ノ内にピンと来たか。
皆さんはそれを聞いて何を連想されます?屈強な殿方で神奈川県民だったらソープ街で有名な川崎市堀之内を脳裡に浮かべるのではないか。
そう思った方、風俗からアタマを切り離してください。堀ノ内とはその名の通り堀の内側のことです。
例えばそこの領主が自分の家屋敷の周囲に田畑や牧を所有し、その周囲を堀(濠)で囲んだ地域。
これが大規模になると武家屋敷を中心に、商店や農民をも抱き込んだ総構えの城下町にもなる。
城下町に川が流れているケースが多いのもそう。防衛や水運の為でもある。
寺社勢力などでも独自の防衛基盤を持つ場合、寺地の境界を土居と堀(濠)で囲むこともある。
その内側のことを言うのです。
川崎堀之内で言えば古来から現在のような色町だった訳ではなく、平安時代に桓武平氏秩父氏の一党、河崎基家という人が居住していた。まさか河崎殿も、自分が居住した一帯が後年、風俗街になるとは思わなかっただろう。
でもここでは本題ではないのでこれ以上は触れません。いつから風俗街になったのか、これも興味あるところではありますが省略します。
(横須賀市にも京急の駅で掘ノ内駅があるが、そこのイワレはサッパリわからない。)
堀ノ内地図.jpg
後閑の堀ノ内へ行くには・・・まぁ行く人は限りなく少ないかと思いますが・・・http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-07-20-6で載せた長源寺へ行くルートと全く一緒です。JR磯部駅から北へひたすら走り、後閑川に沿うと右手に後閑城公園への案内板があって、そこを右手に見ながら長源寺方面へひたすら走ります。
途中、左にある駐在所を過ぎて、左からの合流する道を無視、しばらくすると右手に別れ道が現れるので左折します。その道は安中榛名駅に至る道なので時折くるまが走り抜けます。
後閑川を渡る橋を小井戸橋というのですが、その先左手に見えます。
小井戸橋1.jpg
左手にそこだけ田んぼにせり出した一帯がある。それです。
ズーム.jpg
これがそうなのか?
私は裏手に回ってそこに停めて見物しましたが、その道は狭く、自動車1台停めたら行き違いができないのだ。
どうせすぐにくるまなんか来ないだろうと思ってそこに止めたまま、先端まで行ってみました。
くるまは小井戸橋のたもとに停めるのがいいでしょう。
背後から回り込む.jpg
それほど高低差はない.jpg
四角い段丘が1段あってそれっぽく見えますが、周囲に濠もなく、単に台地が出っ張っただけです。高低差もあまり無く、要害性は皆無といっていい。
徐々に先端へ.jpg
先端の隅に来たとこ.jpg
そこから回り込んでここまで.jpg
先端から先は田畑になっていて、そこから回り込むことは憚られた。。
堀ノ内の内側も私有地で畑になっています。
畑になっている.jpg
これだけである!!
我ながら何てヒマな見学をしたのかと。周囲は見渡す限りの田んぼなので地元民に不審者に間違われてもオカシくない。
誰かがいたら「この段丘に昔、誰かが住んでたの?」と聞いてみたかったのだが。

ではこれは何なのか。
よくあるネタで、この単郭が山の上にあったら「そりゃ狼煙台だ」で片づけられてしまうところだが、ここは平地です。それは絶対に有りえない。
安中市の史料には館とあったが、ここに誰かがいたのだろうか。

安中市の史料にも縄張りがマンガのように描いてあった。
安中市史料拡大2.jpg
真ん中を南北に貫いているのは、現在の小井戸橋から峠を越えて、JR長野北陸新幹線安中榛名駅へ至る道に違いない。街道筋を抑える関だったのだろうか。
子供がスケッチしたような、笑っちゃうくらに簡易的な縄張りであるが、市の教育委員会も、これ以上でもこれ以下でも描きようが無かったに違いない。
こういうケースは、史料不足とはいえ記録に収めるのがその筋の大事な仕事なんです。取り敢えず載せないと後世に伝わらないからです。
ズームもう1枚.jpg
今後、新史料が発見される可能性も限りなく低いだろう。いつかは宅地化するかも知れない。
先達して下さった武蔵の五遁様に御礼申し上げます。
学習館にて.jpg
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