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紀尾井さんのルーツ [隠れ郷土史]

紀尾井1.jpg
静岡市内にあるマニアックな酔いどれたちが誇る名(迷)居酒屋、紀尾井の主人が私に言うには、
「横地城って行ったことあります?」
横地城?
「まだ行ってないが。マークはしてありますよ」
「ウチのルーツなんですよ」
やはりそうか。
店主の目が「是非行って来てくださいよ」と訴えている?
傍らでジャン妻は「またヘンな山城を革靴で上って、靴をダメにするんじゃないでしょうねぇ」と不安げだが、調べてみたら城域が舗装された遊歩道になっていた。
紀尾井の店主のルーツにやってきました。

横地城、別名を金寿城(名前だけだと縁起が良さそうだが)に行くには菊川市街地から245線をひたすら南下します。
菊川市立総合病院の辺りを過ぎると緩いカーヴになる。その辺りにこんな看板がある。
大看板.jpg
この看板は私が数えたところ1枚、2枚、3枚あり、いずれの案内も城域へ導くようですが、特に1枚めの看板案内はこの辺り一帯の遺跡群を余さず見て廻る最も長いコースで、舗装されているものの、細くて長い道のようです。
一気に城の中核に行くにはどうすればいいか調べたら、3枚めの看板の案内で左に逸れ、この案内の先に、
看板1.jpg
この説明板の左手にも訪城口があるのですが、ここもスルーして、
解説板1.jpg
この先にも駐車場がありますが.jpg
そこからの登城口3.jpg
そこからの登城口2.jpg
更に先にWCがある駐車場があります。そこの脇に訪城口がある。
更にその先の駐車場.jpg
解説板2.jpg
城域の中心部に一気に上がれます。
登城口いちばん近い.jpg
最初はこうですが.jpg
道が無くなったが.jpg
獣道の先に.jpg
途中に獣道が20mほどありますが、すぐ千畳敷という平場に出て、そこから舗装された尾根の道を東西に歩けば楽チンです。
千畳敷.jpg
この千畳敷には駐車スペースも多少あります。細いながら道も舗装されており、ここまでくるまで上がって来れないこともないようです。
ガードレールもあるから小型車なら可能かも知れない。
平場の碑.jpg
解説板3.jpg
解説板4.jpg
解説板5.jpg
千畳敷の正面に二の郭、横地神社。
横地神社1.jpg
横地神社2.jpg
横地神社3.jpg
土塁壕.jpg
二の郭解説板.jpg
郭を繋ぐ道1.jpg
中の城へ。薮が酷くて中には入っていません。
中城跡.jpg
本郭へ続く道。
尾根を繋ぐ道2.jpg
木戸跡.jpg
本郭へ。
本郭解説板1.jpg
本郭解説板2.jpg
本郭へ1.jpg
本郭へ2.jpg
本郭に到着.jpg
本郭3.jpg
眺望、南を望みます。
見渡す1.jpg
見渡す2.jpg
見渡す3.jpg
最初に作ったのは室町時代初期の頃、に横地太郎家長(家永)という人。
紀尾井さんのルーツである横地一族の当主を並べると、初代家永、2代頼兼、3代長宗、4代長重、5代長直、6代師重、7代師長、8代長国、9代長則、10代家長、11代長豊、12代長泰、13代長秀、14代秀国、15代元国、全部の当主が太郎何々といふそうです。紀尾井店主は数えて何代目だろうか。

この地に駿府の今川氏が攻め込んで来た。往時の駿府太守は今川義忠という人で、義元の祖父の時代です。
今川義忠は駿河の守護だが、お隣の遠江の守護職を斯波氏と争っていた。
相手は斯波義廉という人で、もとは今川氏が遠江の守護職も持っていたのを斯波氏に奪われた形になっていたらしい。
ダラダラ10年以上も続いた戦争、応仁の乱で今川義忠は東軍に属した。不仲の斯波義廉氏が西軍だったからである。

(この乱より前だと思いますが、今川義忠は室町幕府の執事だった伊勢盛時(新九郎)と知り合い、その姉か妹を貰った。北川殿と伝わる女性との間には龍王丸(後の氏親)が生まれている。)

乱の途中で応仁2年(1468年)今川義忠は、東軍総帥細川勝元の指示で斯波義廉の遠江を騒擾させる為に帰国して遠江へ攻め入る。
その過程で齟齬が生まれる。今川義忠と同じ東軍陣営に別の斯波氏、斯波義良という人がいて、幕府がその人を何故か遠江守護に任命してしまった。東軍と西軍がそれぞれ別個に遠江守護職を馬の鼻先にブラ下げたニンジンのように乱発したもんだから、今川義忠は同じ東軍の斯波氏とも敵対構図になる。
更にヤヤコシイことに、斯波義良の家臣で甲斐敏光という人を西軍から東軍に寝返らせる為に、またしても遠江守護職をチラつかせた。甲斐敏光はそれに乗って寝返ったから、遠江守護職が東軍西軍合わせて3人(義廉、義良、敏光)になってしまったのである。
遠江から斯波氏を追い出したい今川義忠は、東軍西軍構わず実力行使に出た。対斯波氏、対甲斐氏、それに連なる国人衆と干戈を交えることになる。
ここで横地城が登場する。横地太郎秀国(14代)は斯波義良に付き、分家の勝間田氏と組んで今川義忠に抗戦する。

文明7年(1475年)と翌8年に今川義忠は横地城に攻めてきた。
今川軍の兵数は500だというが、その単位は500人?500騎?
500騎だったら従者や軽輩を入れたらその分兵数が増えるが、500人でこの城域全体を包囲できるかどうか。
歩いてみてわかったのは、この城は山の峰々に郭を分散して配置しているので、ひとつひとつの郭はそう大きくないのだが、山の峰は裾に広がっているものなので麓でぐるっと全部を包囲するにはかなりの兵数が必要かと思う。
逆に言うと、城域内の山の峰々に郭が点在しているので、全部を守ろうとするにもそれ也の兵数が必要である。守る横地一族がどれぐらいの兵力だったかわからないが、攻める側が1点に多勢を集中すれば突破口は開けるかも知れない。

横地城は7日間の籠城戦に耐えた説、横地秀国が戦死して落城した説とある。
どちらにも共通の結果がある。駿府に引き上げる途中の今川義忠は、地の理に詳しく先回りして伏せていた横地軍の残党に襲撃され、矢を受けてあっけなく戦死した。
尾根を繋ぐ道3.jpg
虎口か?.jpg
見て廻ったのですが旧いタイプの縄張りです。
時間の都合で全部は見れなかったのですが、山の峰々を主に3つの郭に分け、千畳敷のすぐ前に西の城、東に歩いてすぐに中の城、東に本郭(金寿丸)、これらを尾根道で繋いでいる。私の見立てでは、東の本郭より西の城の方が高いようです。
主将、副将1、副将2、3郭を守る将校たちが上手く連携を取らないと、攻め入った敵兵を撃退するのは難しそうである。
戻って千畳敷から西へ。
何だこれは?
谷1.jpg
谷2.jpg
谷3.jpg
横地さんの森.jpg
幽体離脱した紀尾井さんの店主と出逢ったりして。

横地城は攻防戦が有名なのではなく、前述のように落城後に横地や勝間田の残党たちが今川義忠を討ち、それが今川家の後継者問題を引き起こし、伊勢盛時(新九郎、早雲)の登場となるきっかけを作った城で有名なのです。
残党たちが射かけた矢がたまたま命中して戦国時代の扉を押し開けた。その為に存在し、落城した。

マスター.jpg
横地一族には生存者もいて、帰農した者、三河松平氏に仕えた者、甲斐の武田氏に身を寄せた者がいるようです。
四散した一族郎党の中には、時空を遥かに超えて宮ヶ崎町の居酒屋の店主に落ち着いている方もいる。
その店がボロいのは城が落城した名残で?店主の風貌は落ち武者そのモノを表しているのか。
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井伊の井平 [隠れ郷土史]

おんな城主が井伊虎松の後見に就いたのは、小野父子(和泉と但馬)の讒言と、度重なる合戦で井伊家中に男子がいなくなったからだというが。壮年の男が少な過ぎる。
他に誰もいないから尼小僧様を還俗させて、直虎と名乗って井伊虎松の成人までの後見に据えた?小野但馬や今川家の介入を防ぐ為に。
実際そうだとしても、おんな城主誕生の理由付けにしてはちと強引と思わないでもない。そこまで井伊に男がいなかったのだろうか。
男の重臣が少な過ぎである。この凸凹2人と銭の犬、酒ばっかり飲んでる和尚とその寺にいる屈強の兄弟子2人だけでよく家中が保てたものである。
この連中だけ.jpg
と皮肉を言いましたが、井伊家の庶流はいなかったのだろうか。
麓の居館跡1.jpg
井伊谷の北方、井平の郷を治めた井伊に繋がる一族、井平氏のこと。
場所は引佐(イナサ)町伊平、そこにいたのは井平氏だが現在の地名は伊平。井が伊に変わったようです。
井伊谷から井伊谷川に沿って257号線を北上、東名浜松いなさICの表示が見えたら、右手の脇道に逸れて井伊谷川を渡ります。
井平への道は.jpg
民家の敷地脇に解説版があった。
麓の居館跡2.jpg
『この場所は、井平氏の居館跡と伝えられております。
寛元3年(1245)井伊家から分家した井伊直時は此処に居館を構え、この先北方300mの山麓に城を築き、井平氏の祖となりました。
それから330年の間、井平氏は井伊氏を支える有力な家系となり、井伊直虎の曾祖母や祖母(井伊直平の妻や井伊直宗の妻)はこの地で誕生しております』
ああ、この爺さん(20代)の奥さんが井平氏の出なんだ。
おじいちゃん.jpg
おんな城主のお父さん(22代)の前、登場しない21代の奥さんも井平氏の出だそうです。
おとうさん2.jpg
井伊家との関係.jpg
この系図はわかりやすいが井伊家しか書いていないのです。往時の井平氏の事績についてはあまり触れられていない。
次に元亀3年(1572年)、武田軍の遠州侵攻で、当時の井平家当主、井平直成の名前が出て来る。昨日の仏坂で戦死した人です。
「・・・井平城(仏坂)の戦いで当時の当主、井平直成は88名の家臣と共に討死しました。城郭、居館は焼き討ちに遭い、井平氏は一時絶えました。
その後、天正元年(1573年)井伊直平の末子、井平直種が井平氏の当主となり・・・」
爺さんの末子が復活させたようですが。
「・・・天正18年(1590年)、直種の嫡男弥三郎は井伊直政の家臣として小田原攻めに参戦し、18歳の若さで討死、井平家は断絶しました・・・」
ガクッ!!
なんてこったい。
小田原攻めで戦死??あの大軍攻囲戦でか。
小田原征伐での本格的な戦闘は本城小田原よりも山中、韮山、松井田、鉢形、八王子、忍といった支城攻めの方が苛烈ですが、小田原本城の攻囲戦で攻める側がマトモな戦闘を仕掛けたのは、井伊直政が蓑曲輪に夜襲を仕掛けたぐらいですよ。
直政が無理したのかも知れないが、勝ち戦で討死するなよ。
駐車場.jpg
この先井平城1.jpg
では北方へ。井平城の駐車場は案内矢印の先にあります。少し上がって、また下りてくると登城口。
だけどこの案内、舗装路と草むらの中の獣道とどっちを指しているのか。
この先井平城2.jpg
「どっちに行けばいいんだ?」
「・・・」
私は草むらに踏み込んだ。ジャン妻は坂を見て断念、下で待機させた。
ジャン妻は断念1.jpg
ジャン妻は断念2.jpg
こんな狭い自然の坂です。
城域へ登る.jpg
これが大手木戸口の跡らしい。
狭い大手.jpg
ところがこの先ですぐ舗装路に出た。井伊家ゆかりの幟がここにもくたびれてはためいていた。
何だ?舗装に出たじゃんか.jpg
なんだ、草むらに入り混まなくても舗装路を上がってくればよかったのか。
3枚の解説板があり右手には駐車場もありました。ここまでくるまで来れます。
説明板三枚.jpg
3枚の説明板の先には1軒の民家があり、この地に至るまでの舗装路はそこにお住まいの方の生活道路だといっていい。
説明板三枚の先に民家が.jpg
説明板1.jpg
説明板2.jpg
説明板3.jpg
一帯は畑などに変わっているが、かつて段曲輪だったような地形がある。

土塁1.jpg
土塁3.jpg
土塁2.jpg
土塁か縦堀か。急場の連絡路か。下りてみたら。。。
土塁8.jpg
マムシ!!
マムシ.jpg
土塁9.jpg
冗談ではない。上に戻りましたよ。
下までおりた訪城プロの方のサイトもあります。探してみてください。
土塁4.jpg
土塁5.jpg
土塁6.jpg
土塁7.jpg
あまり敷地内をウロつくのは憚られますが、見て思ったのは、家がある辺りが主郭でその先の尾根筋の方が高いのです。
この先は尾根筋を断つ堀切も見当たらない。最高所には携帯電話の鉄塔が建っているようだが、北の守りが脆弱のようです。
だから仏坂へ打って出たのだろうか。
搦め手の方が高いのか.jpg
山県三郎右兵衛尉昌景はこの城も難なく落とす。率いる赤備他の兵数が5000人もいたなら充分過ぎる。
旧鳳来寺街道を抑えている要衝にしては心許ない規模である。

遠州国境戦から仏坂、井平城、一連の戦いにおんな城主は出張っていません。
武田軍へ燈籠の斧のように刃向ったのは、あの近藤康用の子の秀用という人(之の字が名前を言っていた)、仏坂でも触れましたが「討死した父にお経をあげてください」と懇願した鈴木重好14歳か15歳(・・・柴崎コウさんは一本町史の台詞よりも、お経を詠む方がキレイで上手ですね・・・)、鈴木の叔父で重俊という人(権蔵とも、出雲守とも)、そして井平城の主である井平直時とその一党です。
一連の戦いは井伊側にとっては退却戦です。山県軍からしたら追撃戦なのでその先にある豊穣な井伊谷の地を目指してやる気満々だったに違いない。
家康は援軍を出せなかったようです。この頃は全く頼るに値しない。
舗装道路でも上がって来れます1.jpg
帰りは舗装路を下りました。
堰堤があった。砂防指定地らしく大水が出た形跡もある。
舗装道路でも上がって来れます3.jpg

井伊の郷.jpg
井の国の散策は終わりました。
奥山や宇利(近藤が前にいたところ)までは足が延ばせなかった。
井の国ではないが、まだUpしていない遠州ネタが。。。
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赤備を迎え撃った井伊の武人たち [隠れ郷土史]

クランクアップ、お疲れさまでした。
クランクアップ.jpg
個人的な感想ですが。
おんな城主がおんな農婦になって、還俗してチンピラ雲龍丸と同居、無理に主役で引っ張ってましたが「炎立つ」や「葵三代」のように第1章と第2章とかに分けても良かったかもね。
第1部は直虎編、城主を下りた第2部では井伊万千代編、だって直虎さんは井伊家の再興を諦めたんだからさ。
井伊谷はモミアゲ近藤が治めているのにおんな農婦が出しゃばって差し出がましくああしてはどうかこうされよと。言われっ放しの近藤もどうかと思うが。
龍雲丸とのラブシーンは現代そのものだし。ちょっと興冷めした。
でもまぁ最後まで観ますよ。要所要所でいいネタや奥深い台詞もあったし。
では描かれなかったネタを掘り起します。
井伊谷城を焼いて隠れ郷へ退避し、瀬戸村、祝田村は焼かれて焦土と化したが、「農民はひとりも死ななかった・・・」
・・・それはよかったですね。逃げるに如かずが成功したと。
では一戦も交えず逃げ出したのかというとそうではなく、例の三人衆が武田軍を喰いとめようとした痕跡はある。
武田軍2.jpg
いきなり武田軍が攻めかかって来るシーンが。
これはおそらく、設楽原のロケだと思うけど。
次にスタジオ撮影、何処かの山の中での戦いが少し描かれた。
合戦シーンが少ないと叩かれていたが、希少なシーンではある。
仏坂1.jpg
仏坂2.jpg
仏坂3.jpg
仏坂4.jpg
ではこれは何処の戦いなのか。

東名浜松いなさICから257に入り、井伊谷に下る途中で、「仏坂十一面観世菩薩、ふろんぼ様」の縦看板がある。
戦闘があった場所へ行くにはこの細い道に入ります。
仏坂への道.jpg
途中の道.jpg
振り返る.jpg
曲がったらいきなり急坂で、その先も緊急車両が入れるかどうか、行き違いが殆どできなさそうな細い道が続きます。この先には人家が1軒と寺院があるのですが、まずすれ違うこたぁないだろうと油断したら、途中で1台の軽トラとすれ違った。
運転してたのはオバさんだった。この道は対向車と行き違いできる場所が決まっていて、待っててくれたようである。また余所者が入って来たと思ったに違いない。
ここに停めた.jpg
ここに停めた。ジャン妻を待たせておいて。
実はこの先もくるまで行けます。寺院があから。
「すぐ戻る」
「無理しないのよ。革靴なんだから・・・」
ここから歩く.jpg
歩く1.jpg
歩いて振り返る.jpg
歩いて見上げたら住居があった。さっきすれ違った軽トラのオバさんはここの住民だったのかも。
このカーヴの先に.jpg
船山温泉の林道、作業道よりガレてない。
ヘアピンカーブを曲がるとその先に、おんな城主の舞台ですよの幟がここにもはためいていた。
その先に何かがある.jpg
仏坂1.jpg
この辺りに旧道があります。旧鳳来寺街道という。幟がはためく坂を仏坂というそうですが、ここで戦いがあった。家康が惨敗した三方ヶ原の前哨戦です。
ドラマでは松平信玄が自ら本体率いて井伊谷に攻め込み、焼き払った後で南渓和尚が直談判していたが、実際に井伊谷を荒らしたのは武田軍の別働隊、率いて来たのは赤備えの山県昌景だった。
山県昌景は遠州に乱入して三人衆の鈴木氏の小城を抜いた。その報を受けた井伊軍(というか、徳川に靡いた国衆連合軍)がこの仏坂で山県軍を迎撃しようとする。
仏坂2.jpg
仏坂3.jpg
仏坂4.jpg
顔触れは例の三人衆他で、井伊家不在の井伊谷城代のモミアゲ男・近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時の遺児で重好、井伊に繋がる一族の統領で井平直成という人(井平というのはこの辺り一帯の郷の名でもある)たち。
鈴木重好は直虎に「お経を詠んでください」と言ったあの子ですよ。
鈴木重好15歳.jpg
コウさんは台詞よりもお経の方がキレイで上手ですね。歌手だからね。

井平や鳳来寺街道、仏坂は井伊谷の橋頭堡で、ここを抜かれたら井伊谷は目と鼻の先といっていい。
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元亀3年(1572年)10月22日、坂を下って来た山県軍に対して坂を見上げる不利な体勢で、数にも劣る井伊谷三人衆と井平の連合軍は敗れ去る。
井伊直平はこの地で戦死、鈴木の遺児・重好を補佐していた鈴木重俊という人は、「頬当(ほほあて)の下菱縫(ひしぬい)に鉄砲を受けて・・・」、享年僅か22歳で戦死した。2人とも鉄砲の被弾で絶命したそうです。
他、この戦いで亡くなった井伊勢の戦死者88名か、武田兵と併せて88名かがここに眠っている。
四畳半ほどの塚が盛り上がり、自然石が積まれていた。
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解説板2.jpg
井伊の残兵は山中に3日間隠れてその後で逃走、井伊谷城を放棄したのです。
山県軍はこの後で取り上げる井平城も抜いた。上州でもそうだったが放火乱捕りが大好きな武田軍は飢狼のように奪う気満々でやって来て、龍潭寺他あちこちを焼いたらしい。武田軍がやたらと荒らすのは上州でもそうだったがクセのようである。
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本当にこんなところで合戦があったのか?と思ほど狭い印象。
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現在の舗装された道幅ではなく、こんな細い道で激戦に。。。
旧鳳来寺街道3.jpg
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これが旧鳳来寺街道で、命を狙われた幼い頃の井伊直親が、今村藤七郎と隠れた場所が500m先にあるらしいが、行くのは止めといた。私は直親には共感できない。
行かなかったけど.jpg
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三人衆(鈴木は遺児)は自ら出張らず援軍を出しただけかも知れないが、井平直成はこの戦いで亡くなっている。
兵力に差があるし、戦場慣れた場数でも圧倒されたに違いないが、逃げずに山県軍に立ち向かった井平直成とは何者なのだろうか?
井伊?井平?紛らわしいですが。
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冶一郎本店 [グルメ]

甘味に興味が無い私のBlogはカテゴリにスイーツが無いのでグルメにしておきますが。
ホテルをチェックアウトしてくるまを走らせ、今日も見たいところがあるので257号線(姫街道)を北上、井伊谷へ戻る途中の助手席でジャン妻が何やら検索している。
「何を見てるんだ?」
「ちょっとね・・・」
と言いながら顔を上げない。こっちが運転している横で別のことされるとさぁ。
「何を検索しているんだって?」
「ジイチロウってここから近いのかなぁって」
「ジ・・・何だって?」
「ジイチロウ、会社とお義母さんにお土産を買っていきたいのよ。せっかくここまで来たんだから」
土産は高速のSAかPAでいいじゃないかと思ったのですが、都内だと駅ビルやデパートにしかない有名ブランド菓子屋の本店が浜松にあるという。
ジイチロウ?人の名前かな。瀬戸村か祝田村の百姓の名前のようだ。
「じゃぁナビにセットしてみなよ」
「ハママツシ、ニシク、オオヒラダイ・・・」
「浜松市西区?」
北に向かっているんだよ。東名高速をアンダークロスする前まで来ている。セットした後で地図を縮小したら今いる場所から戻って西だった。
ここまで来て戻るのかと躊躇しかけたが仕方がない。左に逸れてUターン。
「ジ・・・何だっけ?」
「ジイチロウ」
「どんな字なんだ?」
「おさめるよ」
収める?収める?治める?修める?
「政治の冶」
「ああ、冶か。で、一郎?」
「そう」
一般道を20分ほど走った。目的地までどこをどう走ったのかナビが無ければ行けなかったと思う。
佐鳴湖の北側を走って南下して、大平台という新興住宅地と未開発のスプロール地区が入り混じった端っこにあったのです。番地は静岡県浜松市西区大平台3丁目1番1号。
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まだ10時過ぎなのに駐車場に警備員か誘導員が1人いた。誘導員が要るほど混雑する有名店なのだろうか。
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バウムクーヘンとプリンの店だった。
奥にCafeもある。私の来るような店じゃないな。
「朝ごはんあんなに食べなけりゃここで一服したかったんだけど」
そりゃ自業自得というもの。鰻ご飯まで食べるからだ。
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バウムクーヘンなんて結婚式の引き出物に出されても食べたことないな。
自分で買って自分で食べようとはまず思わない。
「ホールで買うの?」
「カットして袋に詰めてあるものを・・・」
お手頃の4切れ詰め合わせが売っていた。
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私にとってのバウムクーヘンは2011年のホワイトデーに、池袋のねんりん家で買って当時勤務していた現場に配って以来である。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-03-27-1
あの時は喜ばれたな~。
女性ってのは甘味系の菓子を買って配ると嬉々とするものなんだね。
ではどんな味なのか。ウチでは家で過ごす(土)(日)は1日2食(朝兼昼、夕)なのですが、2時か3時頃に食べてみたんですよ。
ねんりん家に比べたらバウムクーヘンの幅がやや細い。小ぶりにカットされていた。
こういうのを食べ慣れていない私の無粋な感想は、
「こりゃ水で濡れてるんじゃねぇのか?」
しっとり、なめらかなんです。私は固定観念を捨てられない保守的な人間なので、
「なにこれ?バウムクーヘンは食感がパサパサしているものじゃないのか」
「そういうものなのよ」
水に浸したようなカステラ生地はあまり私に合わなかった。これだけ濡れてりゃお茶要らないんじゃないのか。搾ったら水が出そうである。
他の印象は、卵の味が強いなと。
パサパサのバウムクーヘンの真逆だね。しっとり、ほわほわ、柔らかい、ふんわり。
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そして休み明けに社に持ってたtんですが。
「配った?」
「まだ」
「早く配んなよ」
「いいの今日は」
女性陣が全員揃っていなかったらしい。翌日、公用先から戻ったら「もうアタシが配った」
私も配られた女性職員の喜ぶ顔を見たかったのだが、ジャン妻は私を無視してひとりで自ら配ったんです。ひとりひとり嬌声が上がったらしいが自分だけいいトコどりしやがって。本店までUターンしてくるまを走らせたのは私だぞ。
私に対する女性社員の反応は殆どなかった。唯一、私のシマにいるソリの合わないオンナが、
「本店?浜松まで行ったんですか?」
「ああ、行った」
それだけです。
なので私は女性陣のヨロコぶ顔を見ていない。

私の生活圏内や公用圏内にある冶一郎は、恵比寿駅東口のアトレ恵比寿店、ルミネ新宿店、横浜駅西口にあるジョイナス店、川崎駅西口に直結しているラゾーナ川崎プラザ店、下りる回数が意外と多い立川駅のルミネ立川店ぐらいである。
私が営業畑だったら贈答品のひとつとして抑えておいていいかも知れない。
自分で買って食べようとは思わないなぁ。やはりパサパサで塩っ気がないとね。
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浜松モーニング焼きそば [グルメ]

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10年以上前、私は関西方面のマネージャーだった時期があります。
その頃は会社規定の宿泊上限が今より高かったので、出張先ではロイネットホテルを利用していました。
当時はロイネットはリッチモンドとも提携していたのでどちらかに泊まっていましたね。ドーミインやルートインという選択肢はなかった。
関西は主に大阪、神戸、和歌山、姫路です。まだ船山温泉やこういうネットの世界を知らない頃です。(蕎麦宿は通っていました。)
ところが和歌山市内の有名居酒屋から私宛の贈り物が社に届き、それを見たある営業(もういません)が当時の社長に讒言したんですよ。「会社の経費で出張行って夜は飲み歩いている」って。讒言というかポロッと言っちゃったんでしょうね。そのせいで関西マネージャーを突然解かれたんです。社長から「行かなくていい」って。
私は自分の金で飲み食いしていただけなんですけど。

ジャン妻はその讒言を真に受けた当時の社長宛にどっかから高級食材の贈答品が届いたのを見たことがあるそうです。
それは生鮮食料品で冷蔵庫の中にあったのですが、
「いつの間にか無くなっていたよ。自分だけ持って帰ったんだろうね。でもアナタも会社の名刺を店に渡したのはマズかったね」

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リッチモンドとロイネットの提携はいつの間にか解消された。合併前提だったのが条件が合わなかったんだろうね。
浜松行はリッチモンドと決めています。部屋がキレイだし。
朝ごはんはバイキング、ビュッフェスタイルです。ここ最近は出張先のホテル(主にルートイン)の朝食バイキングを避けるようになってきましたね。不特定多数の他人同士が、並んで競って料理を奪い合う光景が嫌いになってきたのです。
高崎でも藤枝でも朝食記事がないでしょう。ルートインは何処も同じような内容だし、宿泊費が朝食込みでも利用しなくなったのよ。

リッチモンドは過去に利用していました。2014年に野田城に行った時(信玄が狙撃された?)、と、昨年2016年に井伊谷城を訪れた時です。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-03-16
「まぁまぁいいよねここ」(ジャン妻)
私はあまり食指が湧かなかったが、リッチモンド浜松が朝に出すバイキングは私の好みのものを出すのを忘れておりました。エレベーターの中に翌日の朝飯の予告があって、それには、
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焼そば!!
この予告があったおかげで俄然興味を持ち、昨夜のウチから食欲をそそった。ニクい演出だ。
朝になってエレベーターで会場に向かう時の会話。
「前にアナタが利用していたロイネットの朝食ってイマイチなんだっけ?」
このひとことで関西担当を突然外されたのを思い出して少しイヤな気分になった。
「あの頃はイマイチだったな・・・」
関西マネの頃の定宿だった和歌山のダイワロイネットの朝食はいっつも同じものばかりで不満だった。
アイテムが乏しく野菜はショボいし、バットベトのスクランブルに脂っ濃いベーコンかボイルソーセージ、パン、具の少ない味噌汁・・・。
今は前よりはよくなっていると思うけど。朝食会場が館内に併設されている店のタイプによって当たり外れがあるようです。居酒屋か、カフェレスか、ですよ。確か神戸三宮は「かっぽうぎ」という居酒屋だったな~。
で、浜松リッチモンドの朝メニューはこんな感じだった。
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行ったら意外と空いていた。ホテルと併設されているケイズカフェ(朝と夜の貸切のみ予約営業)に並んだお惣菜はあって当然のものもあったが(鮭とか。納豆とか。味噌汁とか)それらは極力避けて、主にチョイスしたものは。。。
焼きそば1.jpg
焼きそば2.jpg
ご飯は止めました。その代わりの炭水化物は当然焼きそばですよ。
ペペロンチーノなんて滅多に食べないが、私の中でも位置づけは塩味の焼きそば。
麺類のダブルチョイスになった。
ペペ.jpg
並んだとこ.jpg
ジャンの朝めし.jpg
ジャン妻の朝めし.jpg
ジャン妻は私のチョイスを見て呆れ顔。
「そんなに・・・」
「そっちだって」
「アタシは少ない量で品数多くよ」
「俺は自分の好きなものだけ」
ジャン妻は普通の白米プラス、鰻ご飯をチョイスしていましたね。これはリッチモンド浜松の名物と謳っている。
「リッチモンドホテル浜松の名物は浜松餃子と鰻ご飯。
薬味をのせてうな丼に。
出汁とあわせればうなぎ茶漬け。」
「どうせタレだけだろ。ウナギの身なんか入ってないんだろ」
「入ってるよ。しっかり三きれキープ」
この場ではさすがに言わなかったが、後で、「浜名湖産の訳がない。外国の鰻に決まってら」と悪態をついた。
サラダは豆入りでした。
サラダと豆.jpg
朝から餃子もまぁまぁかな。
餃子&スクランブル&ベーコン.jpg
ベーコンは厚切りです。滅多に家では出ない。買ってもくれない。「塩分が濃いから」という理由で。
ヒロ旦那のアイリッシュブレックファーストを思いだしたよ。
ベーコン厚切り.jpg
このチキンキノコソースはハヤシのようなソース味でイマイチ。
チキンキノコソース&コロッケ.jpg
コロッケの断面です。カレー味。手作りのような、出来あいのお惣菜のような。。。
コロッケ断面.jpg
コーンスープはルートインのような自動給スープ機で注ぐんじゃないですよ。熱せられた大きい器からよそうのです。
コーンスープ.jpg
だけど朝飯って感じじゃないね。ビールが飲みたくなってきたよ。
鰻飯を喰らうジャン妻.jpg
まだ喰ってやがる。
小椀とはいえ、白米、鰻飯、2杯喰ったからにはこりゃ昼は抜きだな。
それでいてジャン妻は私が貰ってきた2皿めの焼きそばに白い目を注いでいた。
焼きそば3.jpg
浜松の朝は腹が減るのです。
前夜おじゃました私らの中で最高値の居酒屋料理は料理の1品1品が特段ボリュームがあるわけではないのです。紀尾井さんの方が重たいですね。(いい意味でね。カレーとかあるから。)
さぁ食べたぞ。今日も午前中に1箇所か2箇所、散策しなきゃ。
完食.jpg
案の定、昼は抜きました。
高速途中で「まだお腹空いてない」って。あんなに喰うからだ。
2kg増えてたとも言ってましたね。
帰宅後、家にあるもので出された夕食は。。。
焼きそば4.jpg
「!!!」
「アタシは食べてないモン」(ジャン妻)
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貴田乃瀬 [居酒屋]

店1.jpg
安くない店です。
割烹ではない。居酒屋の特上クラスかな。
もちろん値も張ります。私らの居酒屋で最高値です。
バックナンバーもそんなにないです。同じ静岡県内での訪問回数だったら静岡市内にある廃屋酒場はダントツだし、焼津のマグロ酒場は出張にかまけてそこそこ行ってるけど、この店にはそうそう来れません。
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お品書き1.jpg
お品書き2.jpg
お品書き3.jpg
その貴田乃瀬、太田和彦氏曰く料理の鉄人といふ。
確かに鉄人だが、それは料理の部分だけで、御身体は至ってデリケート。
昔はガタイがバリケードだったが今は努力してお痩せになった。この店を愛するお客の為にです。
常連さんにお医者さんがいると「大将が体調崩すと困るよ。料理が食べられなくなるじゃないか」大将の体調を心配していながら、自分の嗜好(舌と胃袋)が無くなるのを心配しているかのようです。
「いい医者紹介するから」「自分が治すから」と切り出されるものなのですよ。
大将調理中.jpg
強面の親方がマスクしてるんですよ。花粉症だそうです今この時期に?
浜松の花粉症は強烈だといふが。井伊谷におんな城主や近藤康用が杉の木を植林したからだろうか。
「鼻の穴にティッシュ詰めてますよ」
それで息ができるのだろうか。
私は風邪だと思いますけど。
「鼻水が滝のように流れてきて止まらないからこんなマスクしてるんです」
「クシャミに鼻水で咳は出ないんですが。だからこうして喋ってるんです」
厨房にドドドッと走っていって、奥でデカいクシャミを4連発していた。
大将調理中2.jpg
煮鯖と茄子の浅漬けはずーっと変わらぬおとおし。
変わらぬおとおし.jpg
炙る1.jpg
炙る2.jpg
炙り〆鯖に取り掛かかったところ。
塩振ってバーナーで炙って、トレイの上に載せて冷やす。
炙る3.jpg
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炙る5.jpg
炙る6.jpg
炙る7.jpg
炙り〆鯖1.jpg
炙り〆鯖2.jpg
断面は殆ど生です。刺身といっていい。
肉厚でトロトロ。香ばしい。脂の甘み。舌の上でトロケるんです。焼き塩が浸みてるから醬油要らない。ワサビだけでいい。絶妙なバランスです。
炙り〆鯖3.jpg
私らが体験する最高の〆鯖がこれ。
そこらの〆鯖のように酢漬けに近い〆方ではない。酸っぱいものが苦手な私でもこれだったら毎日食べたいですな~。
炙り〆鯖4.jpg
炙り〆鯖5.jpg
炙り〆様他、親方の調理ショーが見られます。
もっとも冷蔵庫の中に仕込みされた料理がパットに入れて保管してあるので。その場で切って盛って出す手早い提供の料理も多い。
南京豆腐1.jpg
南京豆腐2.jpg
南瓜豆腐のネーミングは南京豆腐です。(南京玉子豆腐とも)
これが出る前の夏は緑色の空豆豆腐だったそうで。
オレンジ色の豆腐の上に載ってる白いのは塩ホイップです。
南京豆腐3.jpg
女将さんに選んで貰ったワイン。
酸っぱ過ぎず、甘過ぎず。
大将と女将.jpg
ワイン.jpg
キレイな店内だな~。
同じ静岡県内にある某廃屋酒場とは雲泥の差ですよ。あ、ゴメン、言い過ぎた。
同じ静岡県だからついつい比べちゃうのですが、廃屋酒場はお手頃価格の洋食系で、浜松貴田乃瀬は創作割烹料理に近いです。
2人の料理人に共通することがあります。どちらもネコが好きなこと。
子猫の頃から可愛がって可愛がって、逝ったら泣いての繰り返しです。
大将調理中3.jpg
あら煮1.jpg
キンキのカブト煮は西京漬に焼いたのを煮てあった。
あまりカブト煮は食べない私ですが、そこらのアラ煮とは違うひと手間ふた手間がかかったもの。
あら煮2.jpg
あら煮3.jpg

粒貝アワビ肝エスカルゴバター1.jpg
つぶ貝アワビ肝エスカルゴバター
絶品です!!
酒がススんんでしょうがない。
粒貝アワビ肝エスカルゴバター2.jpg
粒貝アワビ肝エスカルゴバター3.jpg
粒貝アワビ肝エスカルゴバター4.jpg
粒貝アワビ肝エスカルゴバター5.jpg
粒貝アワビ肝エスカルゴバター6.jpg

ジュレ1.jpg
野菜の冷やし煮、ジュレ。
これは至って普通でしたが。
ジュレ2.jpg
ジュレ3.jpg

黒コロ1.jpg
黒コロ2.jpg
黒コロ3.jpg
黒コロッケ!!
これも絶品です。小さいけど旨味がギュッと詰まっている。
何で黒いのかわからないですが、親方いわく「好評な料理」だそうです。
ところが。。。
絶好調に出るので月曜の朝大量に仕込んだら全然注文が入らなくなってオカシイなぁと。
お品書きを見たら黒コロッケが書いてなかったという。書いてなきゃオーダー入らないでしょ。
いつもながらの達筆で手書きですが、書き換えたけど書き忘れた。泣く泣く廃棄処分になったそうです。廃棄前に私が全部食べてあげたかったな。
黒コロ4.jpg
黒コロ5.jpg
黒コロ6.jpg

鰹野菜盛り.jpg
エイクン.jpg
店内.jpg
「高いね~」
第一声がそれかい。アナタが来たいって言ったんでしょう。
「相変わらず美味しいけど」
「じゃぁ年内もう1回来よう」
「何でフォアグラ頼まなかったの?」
「フォアグラねぇ」
フォアグラの焼き鳥風です。今宵もメニューにあった。あれはコッテリしてるし、結局はソースを最後まで飲ませてくれないじゃないか。
一度、隣に座った地元のドクターに、「自分はしょっちゅう来てるからそういうもの(私のフォアグラを指して)食べないです」って言われてムッとしたことがある。
牛タンのゴルゴンゾーラとかもイケますが、そういうの重たくなってきたのかな。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-05-29
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-03-15
店を後に.jpg
闇に光る.jpg
店と関係ないですが。
この方の屋敷跡推定地前にあります。
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気賀一揆(堀川一揆)異聞 [隠れ郷土史]

後世に生きる我々が知る英雄たちの記録は勝者側が記したもので、都合の悪いことは後世に残さない為に記載されない。それらは改竄か抹消される。
だが、地元に語り継がれる伝承や僧侶の記録、他家の第三者的な記載等で後世に伝えられるものもなくはない。
特に僧侶は死者を弔い埋葬に立ち会う。施政者に庇護されなはらも、民衆との間で中立の立場ともいえる。だから感情を交えず大袈裟に書きたてず、事実起こったことを淡々と記載する。
それらは日の目を浴びることなく何処かの奥にしまわれるが、後世に発見され、史料と成り得る場合もある。
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血を流さない英雄はいない。
信長、秀吉、信玄、政宗。。。
では泰平の礎を築いた家康はどうか。
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36話からおんな城主がおんな農婦になってしまい、もう城主じゃないからといって龍雲丸(何者よ?)と訳がわからん同居生活で無理に引っ張ってたのには食傷した。
その前から「合戦シーンが無い」「大河じゃない」と言われた。やっぱり女性脚本家はダメだな~と思ったものである。
だが厳しい視聴者や批判の矛先に一矢報いたのが気賀・堀川城のジェノサイド。堀川城に籠った気賀の農兵1700人か2000人。この数だと往時の殆どの人口といっていいようだが、史実のとおり皆殺しにされた堀川城の戦については、現地の浜松市細江町気賀を廻ると至極当然のように記載されていたですよ。
気賀一揆、堀川一揆ともいう。彼らがいた気賀は現在の浜松市北区細江町です。家康がいた浜松市に組み込まれているが家康を全く持ち上げていません。
家康を貶めているとまで言わないが良く言う訳がない。あれをやらかしたのは事実なのです。
それでいて同じ気賀町内には大河ドラマ館が開場されていたから微妙な空気である。おんな城主の舞台でもあり、それに若き日の家康が絡むから、虐殺された舞台である堀川城にもおんな城主の幟がシャァシャァとはためいていた。あくまで舞台としてである。
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堀川城1.jpg
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虐殺の舞台である堀川城は現在は何もない。どんな形状をしていたのかさえわからない。
田が広がる低地で、すぐ近くに都田川が流れ、それは浜名湖に直結するから満潮時に船を利用していたといふ。水城だったのか。
そこで起きたことだけが記されている。永禄12年(1569年)3月27日のこと。
合成CGでのメージ??
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こんな海の上に浮かんでたら魚はバカバカ釣れそうだが、湿気でその他の食べ物が傷んでしまわないか。
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堀川城に籠った今川軍と農兵は1700人か2000人あまり。攻めて来た家康軍は3000人。戦闘員も非戦闘員も構わず皆殺しにされ、その後に捕えられた700人が同年9月9日にこの付近で首を討たれた。
獄門畷1.jpg
獄門畷2.jpg
皮肉にも徳川家の家臣、大久保彦左衛門の記録に「男女共に撫で切りにした」とあるそうです。その首をこの小川に沿った土手にさらした。
碑のある辺りに普通に住宅が建っています。
獄門畷の場所は362号線沿いです。気賀関所前から西へ走り、気賀駅北信号の先にあります。
獄門畷3.jpg
獄門畷4.jpg
井伊谷のおんな城主が家康に通じたが為に、永禄11年(1568年)12月に家康が遠江へ侵攻してくるわけですよ。
NHKでは堀川城の城兵が地域住民を連行したように描かれていたが、ある歴史サイトを見たら地元の寺社が絡んでいるともいふ。自ら抵抗すべく立て籠もったと。堀川城と近隣の刑部城の戦闘は対今川軍といいよりも、地元の民衆が徳川軍に抵抗した一揆の意味合いが強いのではないか。
NHKが視聴者に与える影響は大きい。それが史実だと思ってしまう。だから創作がそのまま視聴者を信じ込ませる可能性もあるが、この堀川城大虐殺は目をそむけずによく描いたと思います。
現地の国衆、尾藤主膳、山村修理、竹田高正も登場していたし。
尾藤か山村か.jpg
尾藤か山村か2.jpg
気賀一揆掃討戦は家康の生涯で最も残酷な戦場となった。あまり知られていないだけである。
家康を悪く描きたくない為か、家臣の酒井忠次の独断のように描いていたが、家康がやらせたのです。
堀川城の戦い3.jpg
現在、日光で神君化されている家康の若い頃の蛮行である。それをNHKが描いた意義は小さくないと思う次第。
堀川城も獄門畷もGoogleMapには表示されます。

東海道線用宗駅から見える持舟城に歩いた時、途中の街の一画に略史があった。その略誌は何かを訴えたいかのように黒い板に金の文字で禍々しい。
水運の要衝にあった持舟城は都合3回も陥落しているのだが、2回目の戦闘記述にこうあった。
「三河に勃興し遠州に勢力を拡大した徳川勢と度重なる攻防戦を繰り返し、なかでも天正七年九月の戦は最も残虐であった・・・」
天正七年九月の戦は最も残虐であった。。。
用宗は静岡県静岡市駿河区です。後年は家康のお膝元といっていい。その地に地元の英雄・家康を貶めるような記載があって憚らないのに驚いたものだが。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-02-11

この時代は農民イコール非戦闘員ともいえない。武器は持った筈である。
とはいえ若き家康、やり過ぎたんじゃないかい?

ひとつの謎がある。
おんな城主は気賀の領主ではない。気賀堀川一揆鎮圧後に南渓和尚他とこの地で経を唱え、死者を弔ったかも知れないが、街を治めてはいないです。
堀川城に籠った前述の尾藤主膳、山村修理、竹田高正、これ以外に聞き捨てならないことがあります。
気賀に全得寺というお寺があります。山の斜面にある酷な参道を登る臨済宗の寺です。
全得寺.jpg
上り口にかすれた文字ながら解説板があって、そこにも堀川城と気賀一揆の顛末が記載されているのですが。
全得寺の解説b1.jpg
最後の方に「大正十二年に、堀川城主新田喜斉(ヨシアキ?)を祀っていた知足院を合併し、山号を知足山とした」とあります。
全得寺の解説b2.jpg
堀川城主新田喜斉?
そんな人は登場しなかった。クレジットは城将らしい尾藤主膳、山村修理、竹田高正だけだったと思う。
ムロツヨシさん演じる瀬戸方久が商人でありながら城主だか城代の位置づけだったような。
この寺の境内は山の斜面を登るのですが、そこに新田喜斉(方久)という人の墓があるのですよ。
小雨降る中傘も差さずにゼェゼェ登って発見した。お墓そのものは撮らず解説板のみ撮影した。だが帰宅してダウンロードしたらその写真だけ消えていたのです。
ガーックリ来たのでこの情報を得たサイト「BUSHOO!JAPAN(戦国未来@武将ジャパン)」の管理者Iさんにご連絡して、新田喜斉(方久)の解説板の写真だけ借用をお願いしたら快く了承して下さったのでここに転載する次第。
新田方久の解説板.jpg
【写真/戦国未来@武将ジャパン(https://bushoojapan.com/)】
私は銭で味方になった者は裏切る時も銭が理由だと思うのだが、銭で転ぶキャラなこの人は新田の末裔なのだろうか?
方久5.jpg
実際は単なる商人ではないらしいのだ。堀川城主でありながら一揆で戦死せずに生き残ったらしい。
解説板によると訴事に関わって八十二歳で刑死とある。そんな年寄りを処刑せんでもよさそうなものだが、実は気骨ある人で、老いてもその気骨は尚失われずにいたのだろうか。
単なるモデルかもしれないが方久という人は実在したようです。ついでながら、ここから南に龍雲寺という寺もあることを付け加えておきます。
龍雲寺2.jpg
龍雲丸.jpg
方久と号する新田喜斉についてはこのサイト以上の情報を持たないので、出典明記のお約束でもあるので詳細をごらん下さい。私の嫌いなキャラ龍雲丸の意外な正体についても触れています。
https://bushoojapan.com/iinaotora/2017/07/09/101675
ご承諾ありがとうございました。
暗い散策は終わり。浜松市内のホテルにインして、美味しい居酒屋へ向かいます。
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井の国 [隠れ郷土史]

井伊谷一帯は直虎の舞台をアピールする幟がそこらじゅうにパタパタしていた。
昨年に登った井伊谷城は、おんな城主云々のアピールは麓の訪城口にしかなかった。
頂上は単郭で、とても緊急時の詰の城とは思えない。
井伊谷城1.jpg
頂上まで行ったら詳しい説明板があると思いますが、今回は井伊谷城は行かないです。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-03-17
これは市内の道から望見したところ。
井伊谷城2.jpg
行きたい城は明日、ここから北にある。それは別項で。

それより龍潭寺他、見て廻りたいものは麓に、井伊谷の平地にある。
いちいち探さなきゃならんと焦っていたら、井伊谷一帯にやたらと直虎の舞台をアピールする幟がはためいていた。何かを探すまでもない。そこらじゅうに幟が立っているので、「あ、そこにも」、「あ、あんなとこにも」、「まだある」、「もしかしてあれもか?」、その都度急ブレーキを踏んでUターンして、下りてサッと写真撮っての繰り返し。
観光客誘致の為でもあろうが、こちらも助かった感はする。
加えて何処へ行っても解説板があった。それは掘り下げた内容ではなかったが「ああ、あのキャラクターか」と思い出させる。
逆に言うとドラマを見てないと入っていけないかも知れない。

井伊家の館跡。公民館が建っていた。
館跡1.jpg
平時に井伊谷城に居住していた訳じゃない。あんな高い山で日常を暮してたら不便でしょうがない。
館から井伊谷城を望見したところ。
館から望む1.jpg
館から望む2.jpg
初期のキャラたち.jpg
長老たちのイライラ.jpg
初期の頃のキャラクターのイメージは薄れてきている。それだけ高橋一生さんの存在が光ったってことだろうか。
私は井伊直親に全く感情移入できないし、前半、井伊一族の謀叛の企ての稚拙さに呆れてもいる。
特にこの人。宇梶さんが演じた直満。
直満叔父.jpg
井伊家の人々は家臣を含めてかなり絞られているようだが(一族や庶流を多く登場させても、直〇ばっかりで混乱するだけかも。)実際の謀叛では直義という弟も誅されているそうである。
井殿2.jpg
くるまを出しては停め、出しては停めを繰り返す。
「あ、何かあった」
「・・・」
Uターンか、脇見に逸れて何かあった箇所に戻るを繰り返す。幸い近世の城下町ではないので一方通行が無いのが幸い。
「そういう散策スイッチが入るともうダメねアナタは」
「そうそうここに来れる訳じゃないしさ」
「その執着を仕事にも活かせばいいのにね」
「!!!」
新野1.jpg
行ったら新野佐馬介(親矩)の館跡だった。幼稚園の敷地になっている。
平日だから園児たちの嬌声が聞こえた。
新野2.jpg
あなたはどっち派.jpg
近隣住民も今年はしょうがないと諦めているのか、路上にデンと停車しても誰何されなかった。そんなに長居しないですよ。

だが時間がない。ナビを見誤り設楽原まで行ってしまったので時間をロスった。
見てそこに何があったか確認してまた次へ走り去る。
直虎と直親.jpg
父親と同じ道を踏襲した井伊直親の墓(塚)が龍潭寺と別にあります。
そこへ向かおうと龍潭寺を出て南へ走り、T字路にぶつかったら、一両編成単行でゴトゴト走る鉄道を見た。天竜浜名湖線。
これは他から拝借した写真ですが、現在の天竜浜名湖線を跨いだような構造が残っている。
ウィキから.jpg
おんな城主散策とは関係ないネタ、余談ですが。
浜松市の遠鉄浜松駅(貴田乃瀬の近くにある現在の遠州病院駅)から、家康がボロ負けした三方原を突っ切って、当時は二俣線といった旧国鉄の金指駅を経て引佐町の先まで結んでいた遠州鉄道奥山線が二俣線を跨いだ跡だそうです。
この遠州鉄道、金指駅から先はあの気賀に駅を設け、途中、井伊谷駅もあり、その先は六佐衛門の郷?奥山駅まで通じていた。
軌間は762mm。開業当時から赤字で、私が生まれた昭和38年(1963年)から39年に廃止になったとか。
井伊谷駅へ1日に何本の列車が行き交ったかはわからない。

金指駅東の踏切を渡って(257線)を南下すると祝田橋にぶつかるのですが・・・。
祝田?
徳政令ですったもんだした祝田村(ホウダムラ)はこの辺りらしいな。
新祝田橋で都田川を渡らず、そのまま川の土手を右折、堤防上の細い道を300mほどソロソロ走ると右手下に見えてきます。
堤防の道.jpg
あった.jpg

直親一行が来た.jpg
朝比奈兵の待ち伏せ.jpg
朝比奈泰朝?.jpg
討たれた直親.jpg
ドラマでは五体そのまま井伊谷館に寝かされていたが、直親の首は掛川城下に晒されていたという。それを井伊家の家臣が強奪して祝田村(ほうだむら)に持ち帰り、この辺りの河原で火葬されてここに埋葬されたとか。親父(直満)だって首級だったんだから。
直親の塚.jpg
直親の塚解説板.jpg
「傘要る?」
「要らない」
差さずに飛び出し、堤防を下りて写真に収めてたら、いつの間にかタクシーが土手に停まっていて、後ろのドアウインドウが開いて中から爺さん婆さんが顔を出し、カメラで撮りだした。
タクシーは私らと反対側から来たようですれ違った。
すれ違いギリギリ.jpg
くるまのすれ違いギリギリですね。舗装されている幅が1台ちょっと分で、その両サイドの路肩とも言い難いが、堤防の芝になっていた。
その芝は河原に向かって緩やかな面になっているので、あまり脇に寄せると転落しますよ。

鉛色の空の下、気賀へ。
関所にも立ち寄ったが、大河ドラマ館には寄らなかった。WC借りただけ。
気賀関所は日本全国に関所が50数ヶ所もあったうちのひとつ。浜名湖、井伊谷川、都田川に囲まれた要害で、わざと橋を架けなかったらしく、往来は舟で行き来したそうです。
気賀へ.jpg
気賀2.jpg
気賀3.jpg
木戸、番所、御要害堀、これらは江戸時代のものを復元したのかな。
気賀4.jpg
気賀5.jpg
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気賀の商人たち.jpg
後年、気賀関所を管理していたのは例の近藤に連なる一族ですが詳しく確認していません。
おんな城主がおんな農婦になり、ウルサい万千代は戦功をたてて箕輪、高崎、そして彦根に移る訳ですが、その間に近藤氏は井伊谷、気賀を治めていた。おんな城主は気賀を治めていません。
近藤.jpg

傘をさすほどではないが。雨がやまない。
次はこの鉛色の重たい空に相応しい散策へ。
堀川城4.jpg
堀川城2.jpg
「誰が為に城はある」
「隠し港の・・・」
オチョクったようなサブタイトルが多いが内容的にはヘビーだった気賀一揆・虐殺の場所堀川城へ向かいます。
若き家康の生涯の汚点ともいう。あのNHKがよく避けずに描いたもの。
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井の国 [隠れ郷土史]

龍潭寺1.jpg
龍潭寺2.jpg
「前に来たよね?」
辛うじて覚えているらしい。前回来たのは昨年の3月です。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-03-17-1
「アナタはくるまから下りなかったじゃないか」
私ひとりで行ったのです。寺の境内には入らず、井伊家の墓地だけ。
平日なのに昨年より人が多い。お寺の境内より墓地の方が見学者が多かった。戦国ファンか高橋一生さんのファンか、若い女性もいた。
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いきなり歴代墓所へ。
ジャン妻は日頃「お墓見てもしょうがない」と言い切るが、今回はドラマと被るので興味深々のようである。
歴代墓所3.jpg
歴代墓所4.jpg
歴代墓所1.jpg
歴代墓所2.jpg
「直虎と並んでるの?直親夫人って誰?」
「貫地谷しほりさんだよ」
「直盛ってお父さん?」
「杉本哲太さん」
直盛夫人は戝前直美さんですよ。
直盛が22代、直政は23代なのを訝しんでいるジャン妻。
直虎は女性なので、代にカウントされていない。虎松(直政)の後見としての女性地頭なんだね。
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母.jpg
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スケコマシ.jpg

そして家臣団の墓地へ。
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奥山一門の墓。六佐は何代目なんだろう。
あのキャラクターは人が好いだけで、他に何が取り柄なのかわからないですね。無能といっていいんじゃないか。言い過ぎかな。
之の字と六左.jpg

之の字2.jpg
中野一族.jpg
「之の字の墓があるよ」
中野一門の墓である。ジャン妻は之の字のファンで「可愛い・・・」を連発。
「女子(オナゴ)じゃな所詮・・・その女子に俺は一生付いて行くつもりだったんだぁっ!!」
あれはあれで告白だったのではないか?
之の字.jpg

三人衆.jpg
井伊谷三人衆.jpg
井伊谷三人衆もここにまとまっていた。
鈴木重時だけ単独に標柱がある。最も井伊寄りだったからだろうか。調整能力に欠けたお人よしのオッさんというイメージしかない。
鈴木重時.jpg
重時.jpg

もうひとり、菅沼忠久は三河野田城(信玄が狙撃された)で取り上げた菅沼定盈の同族です。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-05-28
で、問題の近藤康用もあった。敵なのか味方なのか悪人なのか善人なのかワカラン。
「何故近藤がいるんだ?」
「後でここ一か所に集めたんじゃない?」
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小野家歴代.jpg
意外にも小野家の墓所は他の家臣たちより広かった。他の重臣たちの墓所を凌駕している。
だが高橋さんが演じた小野但馬の墓碑はこの境内にはないのだ。
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「玄蕃の墓がない・・・」
こう呟いた若い女性にすれ違い様「玄蕃(小野朝直)はこの先ですよ」
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「・・・って教えてあげたの」
「言ったの?若い子に?」
「軽く教えてあげたんだが・・・」
「止めなさいよビビったらどーすんの?」
「・・・(憮然)」
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井戸2.jpg
これは寺から徒歩数分にある例の井戸。
セットは森の中にあったが、今は田んぼの中にある。
「ここで和尚が酒喰らってたんかな」
「・・・」
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井戸4.jpg
井戸.jpg
では小野但馬の墓でも供養塔でも終焉の地でもいいが、それは何処にあるのか。
史実では家老でありながら井伊を乗っ取った謀反人として磔にされている。政次人気、高橋一生人気の上昇もあってか現在は「小野但馬守政次終焉の地」という看板表示がされています。その看板は供養塔の傍に立っていたのだが、そこへ至るまでの道筋がやや難しい。
これで位置関係を。Googleマップには表示されます。
井の国マップ1.jpg
小野但馬供養塔の場所は、新東名浜松いなさICで下りて南下していきなり行こうとしても説明し難いのです。目印が無い。
龍譚寺を起点とした方がいいかもしれない。一旦寺に行って、「何で小野一族がこれだけ墓地スペースがあって、玄蕃の墓はあるのに但馬は無いんだ?」と疑問に思ったうえで探すのが自然かも。
寺を出て、257号線を北上して左に井伊谷城を遠望しながら、緩いカーブに差し掛かった辺りで減速して細い路地を左折・・・としか言いようがないが、目印はあります。唯一の左折目印は左カーブを終えた最初の40キロ速度様式です。これしかない。
Googleのビューで表示してみた。この標識を左折です。
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その先すぐ細い路地脇に「小野但馬守終焉の地」の看板と供養塔が並んでいます。
但馬終焉の地1.jpg
但馬終焉の地2.jpg
狭い路地なのでその真ん前は停車できないですが、そこを過ぎた先に墓地があって、短い時間だったら停めてもいいかなと思わせるスペースが2台~3台ほどあった。
井伊谷地区一帯は、「直虎の舞台」と謳った幟がやたらとはためいていますが、停められそうな墓地の辺りにもギリギリ許せるかのように直虎幟がはためいていた。如何にも他所からのナンバーで見学者のふりをしてマナーよくしていたら現地の人からも誰何されないでしょう。
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この看板は近年設置されたものらしい。
それまでは史実にのっとり、謀叛人の供養をしていたのが、高橋一生さんの大人気で後から取って付けた感もなくはない。
ご丁寧に、政次が処刑された場所への案内もあった。
蟹渕案内.jpg

但馬の最後.jpg
小野但馬が処刑地された地は、沢蟹が獲れたからか蟹渕という。
257号線に戻り北へ走らせて右折、護岸工事の進んだ井伊谷川を渡って、この辺りかなと推定するしかない。
蟹淵.jpg

但馬の微笑み.jpg
小野家全部が井伊家を貶めて乗っ取ろうとしたのか、そこは疑問符が付くな。
井伊家の菩提寺・龍潭寺にそこそこの規模で小野家の墓所があり、田楽狭間で討死した小野玄蕃の墓は単独で設けられ、玄蕃の子孫は彦根藩井伊家の分家・越後与板藩の家老を務めたというし、小野亥之助(朝之)は万千代(直政)と家康に出仕し井伊家に仕えたという。
小野但馬守政次と一族その後のスピンオフでも製作してみたらどうだろうか。
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何故か設楽ヶ原へ [隠れ郷土史]

今日からの一連の記事は個人的な旅行と出張時のドサクサ探索が混ざっています。
いずれも場所は遠州方面です。

おんな城主がおんな農婦になり、この子のカオ力のせいで何だか別ドラマになった感のある井伊谷方面へ向かう前に。。。
とらまつ.jpg

私のナビには全線開通した新東名自動車道はいなさJCTまでしか表示されない。
自分のくるまを示す矢印は、遠州の山あい、道なき山の空を東から西へ飛んでるように見える。
いなさJCTで東名に入るところをそのまま真っ直ぐ走ってしまった。
「どうも行き過ぎたらしい」
「???」
「さっきのJCTで逸れるんだった。このまま真っ直ぐ行ったら名古屋方面へ行っちまうな」
「意外と名古屋って近いね」
私はジャン妻が独身だった頃に名古屋にいた時代を知らない。
「長篠城って出てるよ」
ナビに表示された。
「前に行ったぞ」
「行ったっけ?」
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2010-10-27
「再現された馬防柵で写真撮ったじゃんか」
「覚えてない・・・」
これだから連れて行き甲斐がないんですよ。
柵1.jpg
柵2.jpg
柵3.jpg
柵6.jpg
せっかく来たので設楽原を再訪したら、柵が増えたような気がする。
背後の山は陣城だったのだろうか。削平地らしきものはあるようである。
まずは柵の内側へ。連合軍の視点で。
柵の内側1.jpg
柵の内側2.jpg
柵の内側3.jpg
柵の内側4.jpg
馬防柵の解説.jpg
何故に総兵数に劣る武田軍が無謀な突撃をして倒されたのかわからないが。
近年疑問視されている連合軍の火縄銃の数3000丁や三段撃ちが無かったとしても、大多数持ち込んだ火縄銃の集中射撃で武田兵を負傷させ、負傷者を後方に下げるのに最低1名必要だとしたら部隊毎に戦線から離脱させることは可能ではないかな、のように思いながら歩いてみた。

古戦場というものはそこで会いまみえた兵数が多ければ多いほど広範囲にわたる。要所要所(本陣、陣城、首塚、胴塚、供養塔その他)を全部見るのがタイヘン。
設楽原も全部は見て廻れなかったが、武田軍将校の戦没場所は、丸山陣地の馬場や柵に取りついて大音声を発した土屋を除いて、復元された馬防柵よりも南に散見されるようである。
往時の武田軍の両翼たる山県と内藤は左翼、馬場と真田兄弟が右翼から迂回して柵の内側に入り込もうと突撃を繰り返したが、中央の部隊の親類衆(信廉、信豊、穴山)が早期退却イコール戦死していないところに武田軍総崩れの真の理由があるのかも知れない。
柵に取りつくも.jpg
柵の内側と土塁1.jpg
柵の内側と土塁2.jpg
柵の内側と土塁3.jpg
草場を歩いてみた。
「こういうところを歩く靴を1足、くるまの中に置いときなさいよ」
連吾川に出て、攻めかかる武田軍の目線で歩み寄ってみたところ。
連吾川1.jpg
連吾川2.jpg
柵4.jpg
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これだけでなく、武田諸将の終焉の地でもあるので、あちこちにそういう最後の場所がある。
山県昌景の塚があった。
山県塚1.jpg
山県塚2.jpg
山県塚3.jpg
山県昌景.jpg
「山県ってあの人相の悪い人?」
「そう」
山本龍二さんていう俳優さんです。
「アタシにとって山県は篠田三郎さん(武田信玄)なんだけど」
「風林火山では・・・あの背の高いモデルさん(前川泰之)か」
この山県が井伊谷へ別働隊を率いて荒らしに来るのだが、ドラマでは松平信玄自ら来てましたね。ほうとう食べてたし。
散策モードのスイッチが入ってしまったので、何かの碑か解説板を見つける度に急ブレーキ。
「また?戻るの?」
「もう遅い。一度スイッチが入ると見なきゃ気が済まない。そうそう来れないしな」
甘利碑.jpg
「広いな~。全部見て廻れないよ」
「・・・」
「これが関ヶ原だったらまる1日かかるだろうな」
「・・・」
丸山1.jpg
丸山2.jpg
おんな城主で設楽原は描かれるのだろうか。
「そこまで続く?」(ジャン妻)
「ワカランなぁ」
井伊谷を近藤に取られおんな城主でもおんな領主でもなくなったおんな農婦は信長が本能寺で横死した天正10年で没するので、設楽原や武田家滅亡までは被るのである。
長篠、設楽原は、井伊谷をブン盗った橋本じゅんさん(近藤康用、悪人なのか善人なのか、単なる普通の人なのかさっぱりわからないキャラ。)の子で秀用という人が別働隊として鳶ヶ巣山攻撃に参加しているが、万千代直政本人は参戦していない。
井伊万千代の徳川カンパニー社員研修のような展開になるのかも知れない。

実の後、気賀の関所の売店でおんな城主グッズコーナーにドラマストーリーが置いてあって、止せばいいのに手に取ったら例によって人を喰ったフザケたサブタイトルで「敵は高天神」だの「本能寺が変」だの「長篠に立てる柵」なんてのがあった。
柵を岐阜から?.jpg
岐阜から柵を?そりゃタイヘンだ。
これを見て脚本家は閃いたのかな。井伊谷に材木あるって。
とかくフザケたサブタイトルが多いので売店の女性スタッフに話しかけたのよ。
「何ですこの『本能寺が変』ってのは?」
女性スタッフは「誰が考えるんでしょうねぇ」と笑ってた。
長篠に立てる柵?井伊谷から丸太でも切り出したのだろうか。おんな城主の最終章プレマップを見たら。。。
http://www.nhk.or.jp/naotora/special/movie/18.html?f=bbr
後半1:24辺りから設楽原のシーンが映し出されたものである。
設楽原1.jpg
設楽原2.jpg
設楽原3.jpg
設楽原4.jpg
大戦があった古戦場だが現在は農地で普通に住宅が建っていた。
「結構立派な家が多いね」(ジャン妻)
「住んでて夜中に剣戟の音や喚声や銃声で目覚めたりしないのかな」
「・・・」
「硝煙のニオイで目覚めたりして」
「・・・」
設楽原.jpg
「資料館は行かなくていいよ」(ジャン妻)
資料館は行かなかった。その辺りをUターン、急ブレーキを繰り返して30分ほど散策して「もういいかな」と切り上げた次第。
井伊谷へ向かわないと。

おまけ。10年前に設楽原&長篠城に来た時のフォト。
ジャン妻は細く若かった。
設楽原古戦場の馬防柵とジャン妻(このころは細かった).jpg
長篠城のジャン妻(このころは細かった).jpg
「今でも若いっ!!」
「・・・」
「今とそう変わらないっ!!」
「・・・」
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山小屋と富士見 [グルメ]

今週、群馬の女性社員が人の問題で上とトラブり、感情的なモツレで収拾つかなくなって私に電話してきたのですがビィービィー泣かれた。
私が泣かせたんじゃないですけどね。「こんなんならもう辞める~」とまで言うのを慰留して取り敢えず収めたのですが。そういうの久々なので何だか懐かしくも新鮮でした。
前は何かあったら電話じゃなくてスッとんで行ったものですが、最近は軽挙妄動とまで言わないが、後先考えてからでないと行動できないのですよ。
なかなか群馬に行けないので静岡ネタで。
東名高速下り鮎沢PAの山小屋食堂です。
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山小屋2.jpg
上り鮎沢PAの富士見食堂です。
富士見1.jpg
富士見2.jpg
9月のネタです。ウチの会社に盆休みはないが、有休とは別に7月~9月に3日間付与される夏季休暇があります。
期間中に連続でも単日でもいいから取得できます。10月になったら無効です。
ウチらは連泊旅行はあまりしないです。しても2泊程度。それ以上だと飽きて日常に戻りたくなってしまう貧乏性なのです。
船山温泉が寝湯になってから(土)に泊まるもんかと思い(金)か(月)に休むパターンが多くなった。私ひとり休んだって会社は廻りますからね。
世間が混雑する8月は休みませんが、消化しないで消えてしまうのももったいないので、9月の(金)に2回休んで1回は船山温泉へ、もう1回は滅多に行けない浜松の某居酒屋へ飲み旅行に行くことになったのです。
東西の大動脈、東名高速を快走します。東名下りの大井松田~御殿場間は「左ルート」「右ルート」に分かれます。
私は100%左ルートです。右ルートを走った記憶はないな。
ジャン妻は私の運転するくるまの助手席にいて数えきれないくらいに東名を走り、船山温泉、紀尾井、貴田乃瀬、そこを往復しているのに未だに学習できていないことがある。
往路の下り線で、大井松田ICを過ぎてそろそろWCに行きたくなる頃合いで、
「鮎沢入るんでしょ?」
「うんそのつもり」
ジャン妻との合言葉で「鮎沢入る?」これはそろそろ休憩TIMEにしようよの意味です。
いっつも鮎沢です。必ず鮎沢。足柄や海老名、秦野中井にも2人では入ったことないです。
大井松田のすぐ先で左ルートに入った。
「いつも左車線だね」
何故いつも左車線なのか理解できていない。鮎沢PAの下りは左車線しかないからです。
「え?そうなの?」
「右車線にはないよ。今まで知らなかったのか?」
「気に留めなかった。何で大型車は左車線へって表示してある中をいっつも走るのかなぁと思って」
「・・・」
今夜は浜松の髙い居酒屋で料理をいただくので昼は軽くチープに摂ることに決めているのですが。その候補が鮎沢PAの山小屋食堂。もしかしてジャン妻は下り線の山小屋食堂と上り線の富士見食堂の区別もできていないのではないか。
「豚汁とモツ煮があるところでしょ」
そうだけどさ。
「下りは今から行く山小屋だよ」
「・・・」
「上りは富士見」
「そうだっけ?」
覚えてないらしいです。鮎沢は地味なPAですが、駐車スペースがダダっ広くていつも空いてる。下り線だと9km先にデカい足柄SAがあるから殆どはそっちへ流れるからだと思う。
NEXCOも足柄SAをアピールしている。売店が多いのでそこでお金を落としてもらおうという魂胆であろ。
足柄SAの飲食店はショッピングモールのフードコートです。それでもいいけど価格がファミレスより2割くらい高い感じがするな。
それでいて混んでる。土産物店が多いSAは混むんですよ。(土)(日)(祝)は混んで当たり前。
テーブル席を占拠するのは人数多い方が強い。占拠に強いのは人数であって日本人も外国人も関係ないですね。
SAに入って観光バスが数台停まってると「止めた、次のPAにしよう」「もしくは手前のPAにしよう」これは東北自動車道でもそうします。
足柄が混むせいで鮎沢が空いてる。鮎沢はハウスが小さいので観光客が少ない。それでいて駐車場がダダっ広いのでトラックや搬送業務で走ってるドライバーが多い。

山小屋食堂は本物の山小屋じゃないよ。小さいスナックコーナーだが「PAはラーメン、立ち食いそば、ハンバーガ程度しかないだろ」でもないです。
生姜焼定食に豚汁の食券を厨房の窓口へ。
「豚汁でね。味噌汁は要らないから」
「あらぁ。お味噌汁要らないんですかぁ?」
オバちゃんはもったいないわねぇと言わんばかりであった。前回の紀尾井の帰途、上り線の鮎沢PA、富士見食堂で生姜焼定食と豚汁をオーダーしたら、味噌汁と豚汁、ダブル味噌になったのである。
それがこれ。
生姜1.jpg
生姜2.jpg
二椀も要らないよ.jpg
味噌汁がダブルになったようなものです。
豚汁はともかく、味噌汁はたいして具なんか入っちゃいないよ。
豚汁1.jpg
豚汁2.jpg
豚汁と味噌汁両方飲んで比べたら豚汁が勝るに決まってんでしょ。
「上り車線でダブル味噌汁になったよ」ってオバちゃんに説明しなかったけど。
味噌味噌は摂り過ぎというもの。
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ジャン妻の豚汁.jpg
映えない写真ですが、贅沢さえ言わなきゃまぁ納得できるのですよ。
生姜11.jpg
生姜12.jpg
豚汁は下り(山小屋)も上り(富士見)もそう変わらないね。
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豚汁22.jpg
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ジャン妻はモツ煮定食にした。朝(昼)からモツ煮ね。
モツ煮でよくご飯食べられるなぁ。私はモツ煮は酒だと思うのだが。
「ご飯が多い」
「少なめにしてくれって言わなかったのか?」
山小屋(下り)でも富士見(上り)でも毎回のように言います。ご飯が多いアナタ食べられる?って。
ご飯が多いだけでなく、コロッケが2つあるのは何故だい?
ダブルコロッケ.jpg
「コロッケを追加したら、モツ煮定食にもともとコロッケが付いていたのよ」
キャベツの千切りが申し訳程度にパサッとあるのが定食に付いてきたコロッケで、もうひとつが追加。普段家で揚げ物をしてくれないクセに何で追加までするかな~。
「食べないこのコロッケ」
私はモツ煮定食に付いていたミニコロッケを貰った。
コロ.jpg
「ご飯少し食べる?」
「貰う」
私は日常で夜はご飯を食べなくなったのと、昼でもご飯の大盛り、お代わりをしなくなってもう2年になるが。旅行中だしもったいないので貰った。
玉子かけて食べた。
玉子かけ.jpg
生姜13.jpg
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「豚肉はこっち(山小屋)の方がいいな」
「そう?モツ煮はあっちの方(上り、富士見)がいい」
でも焼いてる音や雰囲気が無かったな。席に着いたと同時に提供されたし。もしかしたら焼き置きの生姜焼きをチンってことないかと疑った。タレを焼き絡めた感じはないのです。パサつき気味。味はしっかりしているけど。
添えられたヤッコ豆腐は水切りが甘くベチャベチャ。
大豆の含有率はどれくらいだ?船山温泉の豆腐の方が全然美味しいぞ。
やっこ1.jpg
朝飯をガツガツ喰らうジャン妻である。
撮るなっ!!
朝飯を喰らうジャン妻.jpg
「何で鮎沢好きなの?」
「混まないし。静かだし。アナタがもともと好きだったんじゃないの?別に食べ物買ったりしないし。食べ物買う人は華やかでデカいとこ選ぶんでしょうけど」
「でもSAやPAってビールは無いんだね」
「そりゃそうよ」
西へ向かいます。
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なべすけ [ラーメン]

今日Upするこの記事の前夜、上大岡で飲み過ぎました。
帰りにフラフラになってしまった。1人じゃなくて2人で飲んだのですが、相方はジャン妻じゃなくて社内の男性です。
その男性の肩を借りて帰るハメになった。
「さほど飲んでないのにあの酔い方は何なの?」(ジャン妻)になっちゃったんですよ。
翌日は公用で町田市へ出向いた。怠くて頭が重いのでゆっくりゆっくり歩いた。今にも降りだしそうな鉛色の雲を見てると余計にアタマが重くなる。
町田市役所はこの先.jpg
町田駅のロータリーをブチ抜く大通りで外人さんに道を聞かれた。
怠そうにゆっくり私の背後から歩いて来て私を抜いてから振り向き、
「町田市役所ッテドコデスカ?」
「町田・・・市役所?」
今から自分が行く行政です。12時40分くらいだったから急いで行っても私が行く窓口は昼休み中なので、13時過ぎに入ろうと、スローペースで歩いてたら後ろからその外人さんに追い抜かれたの。
私は右腕を上げて、「前の交差点の向こう・・・」
あっちだよと。ぶっきら棒にめんどくさそうに言った。
同じところへ行くのに同道する気はなかった。その外人さんは私より先に前方へ去っていった。
何処のお国から来られた人かはわからない。町田市内に転居でもしてきたのだろうか。彼の窓口は私が向かう窓口と違って、12時~13時も開庁しているのだろう。
しばしそこに佇んだ。
気怠いしアタマが重いし、何となくその外人さんと距離を離したかったのもある。道を教えただけで、「自分も同じ方向だから案内しましょうか」の気分にはなれなかった。
別にその外人さんのせいではないよ。ごく普通の人だったし。
こっちの体調が良かったら国際親善よろしく、一緒に行きましょう、になった・・・?
ならなかったな多分。

そこで道の向かい側に目を向けたら。。。
反対側1.jpg
2階が企業で、3階は・・・ダンススタジオ?
そのビルの1階に煮干中華そば屋が入っていたんです。
あんなところに?この通りは群馬から戻った平成25年の春以降頻繁に歩いていますが、今まで気付かなかった。新しく出店したんだな。
反対側2.jpg
縦看板が高い位置にあるでしょう。足場を組んだだけでは設置できないと思う。高所重機が稼動した筈。
テナント料も安くないと思う。
行政で公用を済ませて反対側の歩道に渡り、その店に行ってみたんですよ。
新しい店なのか客引きに懸命なのが伺えますね。生ビール200円?チョイ飲み?
200円の生ビールってどんな味なんだろう。
巨大な提灯.jpg
客引きに懸命ですね.jpg
町田には学割・麺の大盛り無料が多いです。基本単価が高くても、プラスそういうサービスを提供しないとこの界隈では営っていけないらしい。
ボードが出されているのはマンションでいうところの公開空地ではなく歩道です。ホントは公道に出しちゃいけないんじゃないかなと細かいことを思いながら、外に出されているそのボードを見ると、
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濃厚鶏白湯そば
煮干しそば(あっさり)
濃厚辛煮干そば
長濃厚(超が付くかい)煮干つけめん
特性濃厚煮干そば~鶏白湯ベース~
焦がしニンニク煮干そば
煮干まぜそば
そろそろ胃の腑の不快感が消えてきたが、濃そうなスープは避けて、今の私の体調でこのメニューだと「あっさり」しかないわけですよ。
そうだ、今日の午後4時、私はオヤシラズの2本目を抜く予約をしているのです。今この時間に何か食べないといけない。抜いた後だと出血、痛み、腫れ、夜はどうなるかわからないからね。
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優しげな男性と、恰幅のいい(失礼)女性の2人体制だった。
あまり全体的に明るくない店内だが、カウンター上から照明が照らされていた。
救いの水.jpg
あ、目の前に水がある。助かる。喉乾いてるからね。まぁ自業自得だけどね。
私の中で水のセルフというのは大きい評価ウェートなのです。毎日今日みたいな体調で喉が渇いてるんじゃないですよ。給水器かボトルか、氷が入ってるか補充されてるか、水の中に柑橘系(レモン)なんか入ってると興ざめしたりもする。
主人.jpg
主人と・・・?.jpg
主人とサブ.jpg
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すぐ供されましたよ。胃に優しい味だね。透明で端麗なスープ。キラキラ光っています。上品だね。鶏の旨味も。
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白くて細い麺もコシがあり美味しい。
鶏チャーシューはあまり好まないが、まぁまぁだった。チャーシューは、豚、鶏の2種類です。
ネギは青ネギ。
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ラ6.jpg
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メンマは穂先かな。細いので麺に混ざっちゃった。
スープの量が少なめに感じられたが残すよりいいか。特性のように具を多く載せたらヌルくなるのではないか。
町田市で有名な店の2号店か支店らしいです。
店構え.jpg
この日、夕方まで体調はイマイチだった。まぁ自業自得です。
そのままオヤシラズを抜いたらデカいの。いつかカテゴリ歯医者でまた寄稿しますが3針縫った。昨日抜糸したんですが、歯茎がまだ腫れています。
前夜の飲み過ぎ、体調イマイチで金色スープの優しいラーメン、歯茎の抜糸、あまり仕事にならない1日だった。
そのツケは今でも引き摺っています。
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大将~若い衆 [ラーメン]

スーパーへの買い出しに行くと、ジャン妻が「サッポロ一番塩らーめん」をゴソッと掴んでカートに入れてる時がある。
「それっていつ食べるの?」
私は食べなくなった。でもいつの間にか減ってたりする。
「アナタがお泊り出張に行ってる時よ」
「麺だけ?」
「野菜をちょこっと載っけたりして」
それだけでなく、
「冷凍庫にストックしてある冷凍ごはんと一緒に食べるの」
!!!
インスタントラーメンにご飯だと?
更に問い詰めたら「アナタが出張先で美味しいものを食べてるのに、アタシはインスタントラーメンなのよ、ご飯1膳ぐらいいいじゃない」と開き直られたもの。
「ラーメンにご飯は大将(本牧)じゃなかったの?」
「でも最近連れてってくれないじゃない」
「・・・」
「アナタは中区へ外出する時に行ってるんでしょ。自分だけ」
自分だけズルいと私を責める口調なんですよ。
でもインスタントラーメンに冷凍ご飯の組み合わせというのは如何なものか。
「じゃぁこの店で、昼にラーメン&半炒飯はお腹一杯になるからヤダって言ってたのは?」
栄雅.jpg
突然ですがこの店、1年間取材して現在200枚近い写真記事が待機中です。一度ジャン妻を連れてったんです。
同じものを食す2.jpg
「アタシは昼にラーメンって選択肢はないのよ」
「半炒飯セットを食べたじゃないか」
「あれは苦しかった。美味しかったけどもういいかな・・・」
「じゃぁ大将は?」
「大将はいいの。あの味はご飯も食べなきゃ。大将は許されるのよ」
「・・・」
昼にラーメン&半炒はNGだけど、昼前早い時間に大将ではライス付でOK、私のいない夜にサッポロ一番&ライスもOK?
話の辻褄が合わないまま週末になり(土)の朝にいきなり早起き(8時頃)して。
「大将行く!!」
「・・・」
「天気もいいし」
冷蔵庫にアジ干物とシャケもあるんですよ。
大将.jpg
くるまを走らせ、向かう車中で、
「アナタだけひとりで大将行ってんじゃないでしょう」
今向かってるのにまだそう言うか。
「最近は行ってないよ」
「中区とか磯子区とかあっち方面への用事ん時に行ってるんでしょう?」
「行ってない。あっちの現場(横浜方面)は落ち着いているんだからさ」
宥めすかしてごまかして、着いたら長かったマリンハウスの地下工事も終わてった。
9時半過ぎ。朝のピークは過ぎています。
工事も済んだ.jpg
しばらく行かないうちに若い衆が総替わりしていた。日本語のイントネーションからして東洋系外国人ぽいのだ。
私は外国人に偏見は持たないようにしているが、こっちの好みが上手く伝わるだろうか。いつもは先にライスが出されるのにカウンター上にライスの食券だけ置きっ放しになったので注意したからね。
「おい、ライスは?」
「ア、ライス、イマオダシシマス」
大丈夫かな。
オヤっさんもやや険しい表情である。
この店、メニューは絞ってあるが、テーブル席とカウンターを合わせるとかなりのキャパシティだから個々の好みに慣れるまで大変だと思うな。
港湾関係、トラッカー、タクシーの運ちゃん、客筋は手強いよ。外国人だからって容赦しないぜ。

先に出されたのは歯応えのある茎ワカメと、辛過ぎず酸味を抑えたキムチ。
キムチワカメ.jpg
キムチ.jpg
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カウンター越しに覗いたら、旨味の出た白いスープ鍋、これから煮出す豚ガラの入った大鍋が見えた。
この店の不思議なのは、全然動物臭がしないのです。
都心の二郎系の店で、凄いニオいを通りに吐き出してよくクレーム来ないなぁって思う店がありますが、大将は何処か他で下処理をしてるのだろうか。
卓上のパレットに溜まっている液体は脂?
脂1.jpg
脂2.jpg

着丼.jpg
ノーマルな具.jpg
載せる.jpg
茎ワカメとキムチを投入します。
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海苔は先がスープに浸る置き方。これは最初に抜いた方がいいです。ベチャベチャになるから。
わかってて何で海苔マシにするか。ラーメンのスープをつけて飯に丸めて喰うのがイケるからです。
海苔を除ける1.jpg
海苔を除ける2.jpg
しっかりしたトンコツスープ。濃過ぎない味。醤油だけ尖がっていたりしないで旨味とバランスが取れています。
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麺は川崎市幸区役所近くにある大橋製麺の麺です。コシが強く喉越しを楽しむタイプ。
このテのスープだと太麺でも合いそうですが、朝から営ってるのと回転が遅くなるので太麺は無理なのだと思う。
麺を引きずり出す.jpg
クラシックなチャーシュー。野菜高騰の折ですが、青物もしっかり。
チャーシューを摘まむ.jpg
ネギは少量で余り存在感はない。ネギマシもいいけど。
キムチワカメを摘まむ.jpg
レーメンで丼飯を食うジャン妻。。。
撮るなっ!!
撮るなっ.jpg
美味しい。だが。。。
超かた過ぎだった。
オヤっさん.jpg
若い衆はいつかは辞める。
辞めないのはオヤっさんだけ。年齢不詳のオヤっさんと入れ替わり採用される若いモンとのジェネレーションギャップは前からだが、外国人の若いモンと上手くコミニュケーションが取れて、指示命令が伝達できるかな。
こりゃぁまだまだ引退できないね。
っていうか、後継者、店長を育成する気があるのだろうかこの店。
「美味しかった・・・」(ジャン妻)
(インスタントラーメンと冷凍ご飯の組み合わせはヤメロ)
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周玉 [グルメ]

この夏、地元のソウルフード店がひとつ消えた。
ぐみはん(汲沢飯店)がぐみはんじゃなくなった。
店がなくなったんじゃない。別もの(街角中華→高級中華)に生まれ変わっている。
でもそこにかつてのぐみはんの名残は無い。次に行くなら全く別の店と割り切らないとな。
店1.jpg
でもまだソウルフード中華がひとつ残っている。
普段は忘れているのだが。ふと思い出す。
日曜の昼過ぎに。
「そういえば・・・」(ジャン妻)
「???」
「周玉って営ってるのかなぁ」
平日の夜行ったら灯が点いてなかったことがある。わざわざ行って営ってなかったりするとそれきり足が向かなくなったりする。もう1年以上行ってない。
何故唐突に周玉の名前が出るか。久々にその名前が出たところを見ると今夜は家で作りたくないのかな。昨夜、上大岡へ鉄分補給(レバ)に行ったのに。
冷蔵庫の中にもあまり食材が少なかった。
家で作りたくないらしい。。。
台所に立ちたくないらしい。。。
「電話してみよか」
「今?今日?」
「思い立ったら。営ってなかったら考えよ」
電話したら懐かしいマスターの声がした。
「ハイ周玉です」
「〇〇といいますけど。17時半から2人入れます?」
「ああ、〇〇さん」
マスターは私の苗字を聞き違えている。浅井(アサイ)と名乗ったのを、浅田(アサダ)さんのように返ってきたので、こりゃマスター耳が遠くなったかなって思った。
「17時半大丈夫ですよ~」
17時半って早いがウチは(土)(日)は朝夕2食なんですよ。この日は朝飯がやや遅くて昼を抜いたの。
で、店の前です。マンションの裏手にある。これだけだと営ってるのか営ってないのかわからないですね。
店2.jpg
周玉は最初は長後街道沿いにあった。
道路拡張でアザリエ団地の一画に移転した。その頃は混んでた。住宅地の中にあって他に競合店が無いから連日満席だった。駐車場も無かったので来る客は殆ど地元の人だった。
その後で今のマンション1階に移転して場所にモツ焼き屋と並んでOPENしていた。フロアのスタッフはモツ焼き屋と同じだったから、一度何処かに身売りして雇われ店長になっていたのだと思う。
だが私らが上州に転勤していた間に、モツ焼き屋は儲からなかったのか、周玉と共に撤退して現在通りに面したテナント部分はセブンイレブンになっている。
周玉は廃業したと思いきや、実は同じマンションの裏手に移転していたのです。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-02-22-4
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-09-20
周玉は都合3回移転したことになる。
以上はⅡで、現在進行形のⅢだと下記の記事以来だろうか。殆ど1年近く来てなかったですね。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-11-10-1
アヤしい1.jpg
これは表通りにある看板ですが、ここから周玉の入口(マンションでいうと裏手)に下りる階段を下りるのです。「店の入り口はこちらですよ」のような表示もない不親切な看板といえる。
その階段は外から吹き付ける風で土埃や枯葉が落ちている。
下りるとここに出ます。
店3.jpg
久々です。マスター、ママはちょっとトシとったかな。
向こうも私らを見てそう思ってるかな。
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オーダーするものは決まっているのでメニューを見るまでもないのですが。
何か変化があるかないかめくってみた。
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ほとんど前のままだが、メニューの1枚1枚がくたびれて色あせてヨレヨレ。
点心が春巻だけになってた。他は白い修正ペンで塗り潰されてる。「出ないから他の点心や~めた」ってのがアリアリミエミエである。
出ないのか、仕込がめんどくさいのか。
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他所で見たことない青い皿に盛られた料理は、皿のデザインが派手なだけに味が濃そうに見えます。
でも春巻・・・2人なのに何で3個なのよ。
中華包丁(ギロチン)でカッティングしてくれりゃいいのにさ。
齧ったら熱々でジャン妻は火傷した。
ハル2.jpg
ハル3.jpg
ハル4.jpg
ハル6.jpg
残った1本を奪い合いに。。。
なるわけないでしょ。半分齧って分け合いました。
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イカとレンコンとブロッコリの塩炒め。
グランドメニューでなくて黒板に書いてあったおススメ。
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イカレンコン2.jpg
イカレンコン3.jpg
イカレンコン4.jpg

カシュ1.jpg
カシュ2.jpg
鶏とカシュナッツの炒め。
「会社の飲み会(中華居酒屋)で出されたカシュナッツ炒めがショボかったよな」
「???」
「そっちの部下が予約した店を間違えた時だよ」
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-12-26
「ああ、あれね」
予約したはいいが、本店と支店を間違えたのである。
「あの店は酷かった。鶏肉は小せぇし衣ばっかりだし。カシューナッツも殆ど無かったからな。どうせ今度の宴会も・・・」
「止めなさい。もうアナタは会社の飲み会についてあれこれ言わないように」
(この会話は伏線です。この頃私は、社内の飲み会批判で物議を醸していたのです。)
カシュ3.jpg
カシュ4.jpg
カシュ5.jpg
食べるジャン妻.jpg

焼き1.jpg
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海老焼きそば。中華系の店は肉より海老の方が高いのは何故だろ。
「400円も値上してるね」
「そういう意地悪なネタでUpしないの」
エビは高い.jpg
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「イワシやサンマならともかく、海老が何でこれだけ高騰したんだろ」
それには応えず「これって固焼きなの?」
「揚げじゃないね。固く焼いて、上に載っかった具で麺がやわらかくなるの」
固焼き、やわらかい焼き、2種味わえるという訳です。
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必ず1品1品毎に取り分けする小皿を持ってきてくれます。
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前は紹興酒のボトルも入れてたのですが。しばらく来ないウチに流れちゃただろうな。ビールだけにしておいた。
2人で2種、計4種、前はこれプラス炒飯もイケたのですが。今は腹八分目でSTOPしています。

「まだお2人でお勤めなのですか?」(ママ)
「まだ2人で港区まで通勤してる。お店の定休日変わった?」
(水)定休で、時々(木)も休んじゃうんだって。
営業時間も前は9時まで営ってたが、今はラストオーダーが20時だと。
その定休日で、ラストオーダーだとウチらは来れるかどうか微妙だね。
「もうトシだから疲れちゃって」
まぁ細く長く営って欲しいが、こういう店もいきなり閉めたりするからな。
アヤしい2.jpg
表通り.jpg
店を出たら、鳥の鳴き声がカシマシイ。
ムクドリの大合唱だった。森が無くなり、生態環境が都会に移り、夕方になると駅前の街路樹に大群でやってきて、そこでギャオギャオ鳴いていた。結構うるさいぞ。
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相模原ラーメン亭 [ラーメン]

初夏の頃から相模原市に公用ができました。
公用先の最寄のバス亭は、JR横浜線・相模原駅南口から5つめの市役所前です。駅から徒歩だと15分。夏場から始まったので炎天下で歩いたらブッ倒れちまうからバスを利用しています。
バスの中から市役所方面へ向かう道すがら、居酒屋や飲食店をチェック。
途中で90度に右折したら何だか暗くなった。広い片側2車線道路のサイドにデカい街路樹があって、晴天で陽が射しているのに薄暗い。
市役所さくら通り1.5kmに300本足らずのソメイヨシノが植わっていて陽の光を遮っているんです。
夏場は青々しているだけだが来春桜の時期に来てみたいもの。
桜の街路樹が連続して並び、ロードサイドにはアーケードのようなテントがあって、そのテントが張りだしているせいで商店街が奥まっている。
シャッター商店の間に個人で営ってる店が幾つかあった。
暗いこの写真、ハンコ屋の右の店に赤い暖簾が掲げてあるのですが。
街路樹2.jpg
赤い暖簾が見えないですね。暗くなっている。
街路樹1.jpg
この店が気になった。私は赤い暖簾に弱いのです。
まずは公用先へ。相模原市に限らず行政への届出というものは最初が肝心なのですが、いろいろ修正された。
バス亭1個分戻って、さっきの薄暗い場所へ歩いて戻った。
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ラーメン亭?
そのまんまじゃないか。
ネギラーメンがウリなのか。
まさかラーショじゃないだろうな。
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初老のご夫婦で営っていた。新宿三丁目のスズキのように無愛想ではなく優しく丁寧に接客してくれます。
店内はコの字のカウンター席だけ。
メニューを見てください。
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ラーメン480円ですよ。今のご時世でワンコイン以下。この定番メニュー以外にABCのセットがあって、Aがライス、Bが餃子、Cが餃子&ライス。。。
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ワンコインのラーメンだけオーダーするのに何か抵抗を感じたのでCセットいった。そしたら女将さんが手で薄くスライスした胡瓜を揉み始めた。酢の物だったら要らないんだけど。
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最初にラーメンが供されました。
昔ながらの醬油油ラーメン。しょっぱいのではなく濃いめの醤油味。
黄色いちぢれ麺。適度に浮く脂。
脂身の少ないロース。
これでワカメが青物になったら480円じゃぁ済まないだろう。
ラ3.jpg
ラ4.jpg
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この手のラーメンは、最初のひとくちでオッと唸らせ、後になればなるほど飽きてしまい、あまり印象が残らないケースを多々経験してきたが。
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この店は違った。具が無くなってからもレンゲが止まらないぞ。暑かったせいで塩分を欲してたのかも知れないが。
惜しむらくはレンゲが白だったらいいのに。映えるのに。味に関係ないけど
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ラーメン半分以上なくなった辺りで餃子が焼き上がり、ご飯と一緒に供された。
餃子カリカリで美味しいです。油アブラしていない。その餃子で食べる白いご飯の美味しさ。実はこの日は前に載せたオヤシラズ記事の一件で苦しんだ後のもので固形物が摂れなかったのをこの店で久しぶりにご飯を食べたのですよ。普段はラーメン、餃子、ご飯、こんな組み合わせはしません。
ギョ1.jpg
ギョ2.jpg
酢の物じゃなかった。胡瓜の塩もみが添えられた。
さっきまで女将さんの掌でニギニギされてた胡瓜。
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ホッとする店だな~。
炒飯、定食類が皆無な店だから、腕や腰に負担がかからなそうだからまだまだ長く営れるかも。
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丼、お皿、お茶碗、コップをカウンター上にあげます。
券売機ではない手渡しが温かい。レジもないみたいです。
帰りもバス。また次回の公用が楽しみである。。。。と、ここまで書いたところで再訪しました。
メニューに近い側に座ったのでメニュー写真撮り直し。
お品書き1.jpg
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「お荷物そこに置いてくださいな」
優しい口調で女将さんに指定された場所は、冷水器の隣下にあるケース棚。
コの字カウンターにどんどんお客が入ってくる。
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ラ1.jpg
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バターは「濃かったら、辛かったらどうしよう」の保険みたいなものですが、要らなかったですね。どっかの元祖札幌やさんのように濃い醬油じゃないし、ラーショのようにくどいネギ和えじゃないです。
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まったりしてしまい、この手の店にありがちな券売機で購入済みと思い込み、うっかりそのまま店を出そうになって立ち上がって「あ、支払いが未だだった」と気付いた。アブねぇ。
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これ、夜じゃないです。昼です。
桜並木に遮られ昼でもこの暗さなんですよ。
ですが、その暗い街路樹に隠されて、昭和の香りと優しさが残っている店。

ここまで書いて三度めの訪問。秋になった。
この日も晴天。青空。
だが、店の前は陽の光が街路樹に遮られて昼なお暗い感じです。
ある晴れた日.jpg
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行ったら一番客で、女将さんは新聞読んでやがんの。
女将さん.jpg旦那さん.jpg
塩バターいきました。赤い紅生姜がアクセント。別に要らないけど。
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塩2.jpg
塩3.jpg
優しい味ですね、としか言いようがないな。麺は軟らかめです。
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定食類が無いし炒め物や炒飯の類もない。麺を茹でて器に移してトッピングするだけ。
腰や腕に負担がかからないからまだまだいけそうですね。
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相模原市中央区ですが、ジャン妻の実父が中央区の某所に住んでるんですよ。
「着なくなったシャツ、締めなくなったネクタイやベルト、使わなくなったワニ革のカバンがあるから取りに来い」って言ってくれてる。
「貰いに行っていい?」
「行かなくていい」
「カバンが・・・」
「ワニ革のカバンなんか絶対に止めてっ!!」
ひとりで行かせてくれないのです。私にとっては義理の父親なのに。
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小雨交じりの茅ヶ崎 [ラーメン]

茅ヶ崎市の公用を済ませて駅南口に下り立ったところ。
小雨降る中、目指す店はすぐ見つかったのだが。
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街角中華をカタログ的に紹介しておられるBlogで知った。ラーメンがたったの300円(その方の取材当時)であるということ。
300円という低価格は私の知る中でない。駅の立ち食いスタンドでも400円以上はするし、上州高崎、中紺屋町にあるすみれ食堂ですら350円した。
300円だけでは悪いので、炒飯なり餃子なりを加えるつもりではあったが。
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店が開かないのです!!
11:30から待っています。
準備中の札を下げたままドアが開いた状態で中で何をやってるのか。
いっこうに開く気配がない。
向いの歩道から覗いたら、液晶TVが点いていて、何かの報道番組かワイドショーーが映し出されている。
店主はいるのだろか。カウンター上と座席には何かモノが置いてあるような。
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11:48。。。
どうも営業する気配がないのでこりゃダメかなと。11:53にその辺りを廻ってみたんですよ。そしたら裏手に幟があった。何ていう店名かわからないがラーメン専門店のようですね。
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これだけメニューがあると絞れないなぁ。何がウリなんだろう。
っていうか、店は何処だ?
奥まったところにあった。
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集客にかなりハンデのある立地ですね。幟が立ってないとわからないだろう。茅ヶ崎駅南口ロータリーの路地からまた一歩奥まったところにあって「ここでいいのかな?」と入るのを迷う場所です。
「極味家」といいますが家系ではなさそう。店の名前からして自信アリアリ。

いったん開こうとしない300円ラーメンの店の前に戻ったが、11:58、ついに12:00、覗いたら店主が何やらトントン刻んでいたのでまだ仕込み中の様子だった。
そして11:58。。。
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12:00。。。
ブーッ!!
私の脳裡で時間切れのブザーが鳴った。
いいやもう。再度裏手に廻った。
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その店は狭いです。小さいです。キレイですけど。
店のイチ押しらしい鶏ガラ塩、餃子3個を口頭で伝えて券ボタンを押した。
券売機を見たら鶏ガラと豚骨の2本立て。ボタンの位置では醤油が筆頭なのにイチオシが塩であるという。
他、油そば、とか。
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入ってすぐ右の2席を占拠。正面にコックコートを着た品のある店主がひとりで営っていた。この席からだと見上げるように高い。
目の前が高い.jpg店主.jpg
禁煙.jpgにんにく不使用.jpg
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カウンターが狭いな。
大船の石狩亭のカウンターも狭いがそこより極狭です。
背後も狭いです。デブは無理だと思う。
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高い位置から供されるので両手で拝むように持って着丼。
肩が痛くて上がらない人は起立して下ろせばいい。私も座高は高い方だが、座った目線と店主の高低差があり過ぎですよ。
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あ、こういう丼か。底が細くなっていくタイプね。
こういう丼は撹拌し難く、丼の底に濃い沈殿物が溜まり易く、最初に表面のスープをすくった味と後半戦で底に残ったスープの味が微妙に違っちゃうんですよ。
それに冷めやすいのだ。
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麺は細縮れ。替玉でもイケそうですが、こういう器では麺が丼の底に押し込められ、ゴソッと引きずり出すようなオペレーションになっちゃいました。やはり普通の器の方がいいですね。
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脂身が殆どないローススライスのチャーシュー。
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メンマが普通サイズだったり、細切りだったり、バラバラでオモシロい。
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悪くはないですが。最後の方ややっぱり濃くなり、サッポロ一番塩ラーメンのようになっちゃったなぁ。
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ギョ1.jpg
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数分遅れて供された餃子がデカいの。
美味しいです。デカいけど崩れたりしない。しっかり箸で持てます。
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ですが、何せカウンター手前幅が狭くて難儀なのとタイムラグがあったので、餃子が出た頃には麺は伸び伸び、スープは残り少なくなってしまった。
餃子を食べながらラーメンを、ラーメンをすすりながら時折餃子を、交互に食べるのに向かないです。
あ、それと、スープは温いけど餃子は超熱々です。デカいだけにガブっとやったら肉汁が飛び散り、口の周囲を少しだけ火傷しました。
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さっきの店、12:20でまだ開いてないぞ。
やる気あんのかこの店?って少しムカッとした。昼は休業かな。夜から営業するのだろうか。そういう札でも出せばいいのにさ。何か仕込みでアクシデントでも起こったのだろうか。もし私のBlogを見て下さってる方で茅ヶ崎駅が最寄り駅の方がいたらこの店の情報をお教え願いたいものです。
この後、1時間に2本しかないJR相模線で八王子方面へ向かったのですが、30分ロスしたが為にその後の行程に大幅にズレ込んだ。
Blogに支配される日常が完全に裏目に出た。
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寒いバス [ラーメン&人間ドラマ]

初秋になった頃。
朝晩は涼しいけど、晴れた日中の陽射しはまだ熱く感じられる。
もうすぐクールビズは終わりになる。ま~た管理社会に生きるスタイル、囚人服(スーツ)に首輪(ネクタイ)のカッコに戻らなくてはならないのか。ブツクサ。
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江東区の公用に向かう途中、半蔵門線の住吉駅で地上に出て、久々に前によく行ってたこの店へ。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-11-16
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-09-09
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-04-05-2
「あれぇ?いらっしゃぁい」
「久々。。。」
「お元気でしたか?」
「ええ、まぁ。出張が多くって・・・」
高崎のレジェンド、ラのロのおやっさんにちょっとだけ似ているのです。
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炒飯だけだと足りないので野菜炒めも。
よくないのは炒飯を大盛りにすることです。炒めとはいえ野菜を追加するくらいいいでしょ。
「油(炒飯)油(野菜炒め)じゃないの」
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喰ったらバスで東陽町方面へ。
江東区内の公用その他を終えて、夕方に東陽町駅前からJR錦糸町駅行のバスに乗ったところ。起点から終点まで通しです。お年寄りが多い路線です。
生駒軒のネタが主題ではないです。この後に起きたバス車内での珍事について。
そのバス、車内が寒かったんです。
電車もそうだがバス車内も寒いと言っていい。いちばん寒いのはデパ地下だけどね。
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でも私は暑がりです。
弱冷房車なんか真っ平ごめんです。損した気分になるし、人工的な温い風が嫌いなの。
ウチの社は女性が多いので社内の空調は弱めです。あまり寒いと昨日の記事でも登場したソリの合わないオンナは私に向かって「もしかして温度下げました?」
「操作の仕方がワカラン」
オフィスの空調って意外とめんどくさいのですよ。そうやって容疑者扱いされたるのが気に入らない。俺じゃないっつーの。
でも暑がりな私はエアコンがガンガン効いてる寒いくらいの車内環境は大歓迎な方。ずっとそこにいる訳じゃないし。

バスでは短い距離なら立ってますが、中距離や長距離だったら座ります。その時私はエアコンの空調吹き出し口を全開にして自分にだけ向けます。自己中なので。それで文句言われたことないです。車内は大抵寒いですから。
バスの車内温度設定は28℃が基準だという。クールビスもそう定められている?
でもそれは28℃設定にしないといけないということではないです。28℃設定って暑いですよ。28℃設定にしても部屋の温度がすぐさま28℃になる訳じゃない。28℃以上ある温度が28℃になるまでが暑いんですよ。
路線バスはバス停に停車する度に前後のドアを開閉するから車内の温度を低めにしてあるのかも。夏場にバス車内が寒いのは運転席に温度設定ボタンか空調スイッチがあるからで、運転席は前方一面ガラスだから客席より暑いからだと思う。日射しが直撃するしね。
だから運転手は自分の体感で温度設定をしてしまうのでしょう。
運転席と車内で温度差があるだけでなく、乗客もそれぞれ異なり、座席に座っている、立っている、座席の位置、陽射しが射す側と反対側、会社員、お年寄り、学生、主婦、子供、全ての客に合わせた温度環境なんかできっこないです。

だがこの日のバス車内は何故か寒かった。私は後部車輪の上の2座席窓側にいたのだが、後から乗って私の左に座った女性が気持ち身体を左に(通路側)に斜めに向けたのがわかった。私を避けているのかなと思ったが気にしなかった。
車内全部が寒いのではない。私んとこだけ寒いのかも。暑がりの私が寒いとヘンに思ってエアコンの吹き出し口を見たら。。。
バカ穴.jpg
吹き出し口に穴が開いた状態で、吹き出す風を調整するフードが無いのです。バカ穴が開いてそこからモロに冷風がビュービュー吹き出していた。
誰かが故意に外したのだろうか。

バスによってエアコンの吹き出し口は丸かったり四角かったりする。
いずれもクルクル回るかスライドするか、パカッと開閉するようになっている。斜めにすることで方向を逸らしたり吹き付ける向きを調整できるようになっている。自分に向けたり、向かないようにしたり。
座席に座って吹き出し口を見て閉じてたりすると、あ、ここに座ってた客は寒がりだったんだなとわかりますが、風量や風向きを調整するフードそのものが外れてるもんだから冷風が私の頭上に直撃した。アタマが寒いぞ。
そのうち混んできた。途端に空調の勢いが増した。冷たい強風になった。
左隣の女性客は住吉駅バス亭で下りた。誰も私の隣に座ろうとしない。寒いからです。空いた状態で撮影したので、後ろの乗客や立ってる常客は私の頭上に気付いた筈です。
私の頭上だけだった。ひとつ前の座席のエアコン吹き出し口はこれ。
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あまりに寒いので私は上着をアタマに被った。
私は夏場でも上着を持って外出するのですが、ヘンなカッコになったので失笑する客もいたかも知れない。
毛布を常備している夜行バスと違って、不特定多数が乗ってる路線バスだから多少はガマンしなきゃいけないのだろうが、アタマが首筋が寒くてしょーがない。汗が体温を奪っていく。
錦糸町駅前までがやけに遠く長く感じられた。
バス.jpg
これは終点錦糸町駅で私が乗ってきたバスです。乗客全員が下りたところで私は運転席に歩み寄り、
「私が座ってた後5番目の座席のエアコン吹き出し口が外れてるぜ」
「???」
運転手は若い男で私の言ってる意味がすぐにはわからなかったらしいが、運転席から通路に出て確認したら、
「ああっ!!」
驚いたように声を上げた。
「外れてますね」
俺が外したんじゃねぇぞ。
「外れたか誰かが故意に壊したか。ずーっと寒くて寒くてよぅ。上着被ってたんだよ」
ホントは暑がりのクセに、私は自分のアタマを撫でたがらそう言った。
錦糸町2.jpg
横浜市営バス車内で品のいいお年寄り、お婆さんが「すみません、それ(空調、エアコン吹き出し口)を閉じていただけますか?」と言ってるのを見たことがある。
私に言って来たらどうするか。俺ぁ暑いんだよと返したり、何か着ればいいじゃねぇか・・・これだと穏やかじゃないな。どこそこで俺が下りるまで待ってよって言うか。
上着をアタマから被れって言おうかな。
寒けりゃ着ればいい。暑くてもこれ以上脱ぐことはできないよな。
私は下りる時、必ずといていいほど吹き出し口を閉じて下車しますが、それそのものが無かったんだからシャレにならん。でもバスはそのまま次の路線系統に戻ったようだな。
厚紙でも貼って応急処置ぐらいはしただろうか。
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舌禍 [人間ドラマ]

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-12-25
昨年12月の記事でジャン妻部署に中途入社した男性社員が僅か4週間で、
「ボク、堪えられません。。。」
辞めてしまった話を取り上げた。
私は最初から「どうもコイツ胡散臭いな」と思って見てた。その男性は私の視線をいつも避けて伏し目がちで、入社退社の際も私の背後を歩けば最短距離なのに、私からかなり離れた動線で動いていたのだ。
うっかり私の背後を歩いて肩でも触れたら殺されるとでも思ったのだろうか。
辞めた理由は3つ。
①ジャン妻に怒鳴られた。
②自分より年少者から仕事を教わる屈辱。
③ある中堅社員が冷たかった。
というもの。
「アタシは怒鳴ってないよ。こういうことはアナタはできないんだねって言っただけだよ。でもそれって経理として知ってて当然のことなんだよ」
「それを怒鳴ったの?」
「怒鳴ってないわよっ」
って怒鳴ってるじゃんかよと混ぜっ返したですよ。
「怒鳴るったってさ。T館長(船山温泉)じゃあるまいしさ」
関係ないT館長を引き合いに出してしまい、その後の船山温泉訪問時にフロアで人を動かす云々のネタで語り合ったものです。

①は辞めた本人が言ったかどうかアヤしいという。第三者が「〇〇さん(ジャン妻のこと)怒鳴ってましたよ」って上司に告げ口?話を膨らませた可能性もあるという。ところがそれを告げ口した者こそ③の中堅社員なのだから何だかなぁである。
②の後輩は20代前半の男性で「え?〇〇さん(ジャン妻のこと)怒鳴ってないじゃないですか」・・・と即座に否定した。
他にも辞める予兆はあった。要はウチが合わなかったのだが、それ以降ジャン妻の部署は1欠のまま半年稼働した。6月になってようやく男性の中途採用して現在に至ってます。その採用された男性、Kとしておきます。Kは毎日表情強張らせながら頑張っている。

そのK、下戸です。
ビール1杯飲むのがやっと。
そのKの歓迎会ですが、部署での歓迎会より前に、上の者たち、お偉方、取締役たちと、K本人だけで開催された。
それがこれ。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-07-06-1
この店はよく取り上げますが、この店でスパムステーキでも喰らったのか。
お偉方に囲まれ、Kの野郎は緊張しまくりだったと思う。
お偉方がKへの期待の表れか。逃げられたらイカンと先に抑えたか。
だがそれきりで、部署での歓迎会がなかなか開催されなかった。
実は6月頃だったと思うが、一度、Kの歓迎会が開催される通達は私にも配信されてきた。
でもその時は開催されなかった。
何故か?会を潰した者がいるんです。
誰だと思います?私なんですよ。

そうです!!私が潰したんです!!

潰そうと思って故意にやったんじゃないですよ。結果そうなっちゃったの。
何をしたかというと。。。
③の告げ口容疑者、この男性はいちど私に叱られてから私を避けるところがあるのだが、彼が幹事で店と開催日を決める前段階で配信された案内メールは「なるべく多くの人に参加していただきたく・・・皆様の都合の悪い日、いい日を複数お教えください」・・・だったと思う。
私は「いつでもいい。そちらに合わせます」と真っ先に返信しています。送信者だけに返信ではなく全員に返信したの。
それだけにしとけばよかったのですが、私は余計な注文を付け加えた。
「ノミホは勘弁してくれ」
「店と料理のランクを上げろよ」
「ノミホなんてのは店の言いなりだぜ。どんな安酒飲まされてるかわからんし」
「ノミホは店を汚すし、昨今若い連中の粋な酒の飲み方を育てないのはノミホが原因だぜ。安い酒飲んで酔っ払っえるだけじゃないか」
日頃ノミホが大嫌いな私は持論を滔々と入力して全員に返信しちゃったんですよ。返信相手には一般社員だけでなく、私の上司、上役、社内取締役全員が含まれているのにね。
ウチの社は取締役、管理職、一般社員、肩書に関係無くほぼ全員がノミホばっかり行ってるのを私は日頃から白い目で見てたのだが、この全員返信は多少やり過ぎたかなと今では思っていますがね。
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だけど幹事他、私以外の連中は取締役含めて日頃からノミホに慣れている連中ばかりで、自分たちの日頃の飲み方を全否定されたようなものだからね。
「店と料理のランクを上げろ」・・・これも他の連中に向かって「お前らの行く店や喰ってる料理はレベルが低い」とバッサリやったに等しい。
結局この時は開催されなかった。言い出した③の告げ口容疑者は幹事使命が萎えて委縮してしまい、うやむやになってしまったのです。
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だが私の好き放題の方言は陰で顰蹙をかっていた。全員にメールでやったからね。言った言わないですまない。メールだから記録が残った。
Kの歓迎会がなかなか開催されないのを訝しんだ私にジャン妻が言うには、部署内の中堅女性がジャン妻にクレームまでいかなくてもボヤいたそうである。「旦那さん(私のこと)のあれはないですよ」って。
「そうなのか?」
「そうよ。あんなメール全員に配信してさ。アナタの持論は皆わかったけど、連中はそういうの(ノミホ)に慣れてるんだからね」
「まぁ全否定したようなものだからな」
一般社員だけでなく、上役たちも全否定したからね。誰からも何の注意も受けていないけどさ。
「上役どもは高い店は会社の金で行って、自分らの金では安いとこ行くんだよ」
それには応えず「そういう店にはひとりで行くか、お2人で行かれてくださいって言われたんだからね」
ああそうかい。そうしますよ。
陰で言いやがって。私に直接言って来りゃいいのに。
私は自分のやったことを棚に上げて「でも撤回しないからな」
「いいけど。しばらく黙ってなさい」
「全否定するとこまで言っちゃったし。もう言うことはない」
「唯でさえアナタは私とセットで、いいもの食べてる、高い店に行ってる、教育費もかからないし家のローンも終わるし、って思われてるんだよ」
私は沈黙した。私がKの歓迎会を潰したというのはそういうことです。何だか白けた空気のまま6月が終わり、夏に入り、7月8月も過ぎた。幸いKは頑張っているようだが、彼の歓迎会を潰したのは私なので多少の罪悪感はあった。
串焼き1.jpg
9月に社内政変が起きた。政変といっても私の手の届かないところで役替、部署替があり、私は巻き込まれなかったがジャン妻の部署に信任役職者が異動してきてジャン妻との2頭体制になった。定年異動者(退職ではなく出向になる)もいたので、歓迎会が宙ぶらりんのK、新任役職者、定年異動者、3名の歓送迎会が改めて開催されることになった。
幹事は私の前にいる長年ソリの合わない中堅女性。(コイツもよく登場しますが)
「いついつやるんで、お願いします」
「うん」
「Kさんのもまだだし」
「ああ、あれは私が余計なこと言ったからだろ。もうアナタは何も言うなって〇〇(ジャン妻)から口止めされてるから。あれは悪かった」
「ホントですよぉ。お願いしますね」
ここで私は「どんな店?」という質問をしていません。ジャン妻から「余計なこと言うな」と釘刺されているので、店を聞いたらまたあーだこーだ言いたくなるからね。

話は終わったかと思ったら、ソリ合わないオンナは困惑した表情でこう言う。
「上の方たちが、3000円の飲み放題喰い放題の店のチラシを持ってきたんですよ」
またノミホかよ、とは言わなかったが、ひとり3000円でノミホ&クイホだって??
「3000円?何でその金額で抑える?」
「社員ひとり辺りの福利厚生費(というか会議費)ですよ」
社ではひとり辺り3000円(これを年に2回)の会議費予算を設けているんですが、私は会社経費で
あろうと懐が痛まなくても、その時自分が喰いたくないものを喰わされるのがイヤなのです。2年前は私に断りなく喰いたくもない叙々苑の焼肉弁当なんかとりやがったので、去年は花見代として女性社員のランチ会費にくれてやった。私の分3000円あれば消費税分にはなるか、少しランクが上げられるだろうと思ってさ。
現場は全員揃って外食できないので、勤務終了後に食事会に繰り出すか、昼にデリバリーを取るかしているそうである。
「その3000円を歓送迎会に充てるのか?」
それは管理職も一般社員も会費が同額、というか会費じゃないよね。誰も自分の財布から会費を出さないということですよ。
ソリ合わないオンナはこのプランに納得してない。「主賓が3名いてそれってどうなの?」と憤慨している。
串焼き2.jpg
「3000円プラス幾らかでノミホじゃないのか?」
「違うんです。3000円込みでノミホなんですよ。それで喰い放題なんです」
「そりゃどんな店だよ」
前の舌禍に懲りて(一応は)ノミホをどうこう言わなかったが「喰い放題って何を喰い放題なんだ?そういう店は冷凍の枝豆やポテトフライが暴力的に山盛りになってるだけじゃないのか?」
ソリ合わないオンナは否定しなかった。頷いたものである。

(だいたいこのオンナは日頃はお互いソリが合わないのに、他に話す相手がいないか、上役への憤懣ネタだと私に愚痴るんです。)

私は諦め口調で「で、その3000円ポッキリの店にするの?」
どうでもいいやって思ったのね。
「いえ、私が店探してきますからと止めてはいるんです。会社経費とはいえ主賓の方たち3人も3000円ってのは見たらすぐわかっちゃうじゃないですか」
「そりゃそうだ。3人のうち2人は経理だからね」
「それに●●さん(定年の人)に記念品を贈るのもあって。(多めに)お願いしていいですか?」
「いいよ」
いつもそうしているじゃないか。私は1万円札1枚渡している。忘れるといけないのでその場で渡した。
結局3000円で飲み放題喰い放題の店ではなく、ソリ合わないオンナが独自で予約したが、私は事前にその店を調べたりしなかった。下手に検索したら、また言いたくなるからね。

ソリ合わないオンナは開催当日に部長クラスかそれ以上の役員たちから金を徴収していた。確か女性社員が3000円、男性一般社員が4000円、部長以上と役員クラスは5000円以上だったと思う
部長以上と役員ったって副部長の私より年長者なのは4名で、他は私より若い部長以上か役員は5名いたと思う。
徴収する際、バカな声が聞こえてきた。
ある取締役が冗談でも「あ、自分、役員じゃなくなったんで」
だから4000円でいいでしょってのを聞いて呆れた。5000円支払うのをアタマっから拒否ったのではなさそうだが、四の五の、酢だの蒟蒻だのとウダウダ言ってやがったね。今の時代ひとり3000円か5000円で、上のひとたちで誰か1万円出す人がいなくなって来たのである。それはノミホのせいだよ。

ソリ合わないオンナは集金の際は作り笑顔でにこやかだったが、内心では「こいつら、ケチ」と思ったようです。後日またまた私に「聞こえましたか会費集める時のあの態度」
「聞こえたよ・・・(苦笑)」
もっともそのオンナもしたたかというか、ブツクサ言うのを見越して5000円で設定している。見越してというのは「どうせコイツは決めた額しか払わないだろう。アタシより高い給料や報酬貰ってるクセにさ」ですよ。その5000円設定と私と社長が多く出したことで贈答品含めてクリアできたんだと。
ここがミソです。誰も言ってくれないから自分で言っちゃいますが、私は一般社員と同じ金額しか払わないで持論(ノミホ批判とか)を展開してんじゃないです。多く出してます。だから面と向かって反論できないのだと思う。
もうああいうことは言いませんけど。
何だこれ.jpg
Kは私の斜め前だった。私が余計な飲み会持論を押し付けたが為に3ヶ月以上を経て開催されたというわけですよ。私はKに申し訳ない気持ちがあったので1杯だけ注いで「よう頑張ったな今日まで」とは言いましたがね。
で、挿入してある写真が当日の宴会料理なのですが。
ハッキリ言って美味くなかった。オフィス街の宴会コース料理はこういうものなのか。やっつけサラダに混じった黒ずんだマグロは味がしないし、刺身はカピカピに乾いてるし。レモンを添えてあるのは新鮮じゃない証拠ですよ。
串焼きもイマイチ。私が納涼祭で焼いたヤツの方が美味いって。
鮭のクリームソースのグラタン。こんなん家でジャン妻が作る方が全然マシである。
唯一マシだったのがチキンの・・・焼いてんだか揚げたんだかわかんなかったが、これだけ誉めてあげた。
〆のそばは箱の中でスカスカである。寂しい盛りだねこれ。
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ビールもマズいし。飲み放題メニューに酒の銘柄は記してあったのでどんな酒を飲まされてるかわからないアヤしさは無かったが、八海山、浦霞、一ノ蔵とか。私が20代後半で飲み始めて卒業した酒ばかりである。こんな酒は日本酒BARには置いてない。高崎の克のマスターが見たら鼻で笑うだろう。
こんな初心者の銘柄でダマされるものかよと思ったが、結局他に呑むものがないから仕方なく飲んだよ。八海山はまだしも浦霞は薄い気がした。
以上の不平不満はその場では出さなかったよ。
おエライさん.jpg
2次回で盛り上がったらしいな。私らは行かなかったけど。2次回では1次回で出なかったもの、マシなものを食べたらしいですよ。
後日、ジャン妻はソリ合わないオンナに「幹事お疲れ様」と言ったそうです。「まぁまぁよかったんじゃない?」とも。
まぁまぁよかったって?
コイツ嘘言うんじゃねぇよって思った。
「アタシはまぁまぁだったよ」
「俺はマズかった・・・」
・・・の後に私が料理の一品一品をアゲつらったら半分は納得してた。蕎麦がショボかったって。
「いいのよ宴会なんだから。また余計なこと言わないのよ」
「言わないよ」
ソリ合わないオンナは私にも、「ありがとうございました」と言ってきたので、
「あ、どーだった?金足りた?」
「大丈夫です。で、どうでしたか?」
どうでしたか?って何がよ?
店がかい?料理がかい?酒がかい?
「う~ん。。。。」
クドクド言わなかったが、満足してないのが伝わった。言わなきゃ言わないで私はカオに出ちゃうんですよ。
「すみません・・・」
このオンナも不満だったんだろうね。
「俺の口が驕ってるんだよ」
それ以上言わなかった。私は内心で「もう俺を誘うなよ」って思った。
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船山温泉99の謎126 船山豆腐の大豆含有率は何%? [船山温泉]

船山温泉125周年特集、もう1譚追加します。
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いつもの朝餉.jpg
サラダ他.jpg
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味噌汁.jpg

船山温泉の朝餉に出される豆腐、皆さんはどう思います?
あった方がいい?
無くてもいい?
あんなに要らない?
冷奴程度の大きさ小鉢にちょこっとあればいい?
朝のコールで食事処に行くと卓上にセッティングされていますよね。固形燃料がシュワシュワ燃えて蒼白い炎を立てたその上に、豆腐だけの鍋が鎮座しています。
足軽の陣笠を引っくり返したかのような鍋です。
豆腐の鍋.jpg
豆腐1.jpg
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最初はビックリした。こりゃイベントかって思った。
今ではちょっと腹に重たいな~と思う。
現在のバイキング形式になるまでは卓上に鍋が3つ並んでましたからね。(粥、味噌汁、豆腐)
第1回の朝餉1.jpg
第1回の朝餉2.jpg
あのイベント的な自家製豆腐は私らが感動驚嘆した初回船山訪問時には既にありましたね。ではいつから出されるようになったのだろうか。
「あの豆腐はいつ頃から始めたの?」
「忘れてしまいました(笑)。個室の食事処を作ったのが平成16年ですから、それ以降になるとは思いますが・・・」
「何かきっかけでも?」
「他の旅館の朝食で出されていて、これはいいと思い始めました。」
同業者の朝食を見て導入したとすると何処の宿だろうか。船山温泉のモデル旅館は2つある。星のやリゾートの何処かと、岩の湯です。そのどっちかで朝飯に豆腐が出たのかな。
南部町には個人店の手作り豆腐屋さんなんて無さそうだが。自分で作っちゃっえって思ったんだろうか。
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私らをこの宿に導いた師匠、番頭さんのサイト(閉鎖、URLは別の方の紀行記になっています。)で見た時、師匠の船山温泉訪問の初回は食事処か個室になる前だったと思いますが、その頃は朝豆腐はなかったように思います。豆腐が出されるようになったのは現在の個室になってからですね。
「あの豆腐はどなたが仕込んでるのですか?大女将かな?」
誰が仕込んでるかは教えてくれなかったが「豆腐屋から豆乳(大豆の搾り汁)を仕入れ、にがりを入れて、熱を加えて作っております」とのことであった。
「毎朝早く起きて仕込むのですか?」
「豆腐屋ですから、お休みの日以外は朝からだと思います」
はて?どうも宿の厨房で仕込んでるとは言い難いお答えになってきたな。でも船山温泉は豆腐屋じゃないんだからそれでもいいでしょう。
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ここで問題提起が。
船山温泉の問題ではない。豆腐業界の問題である。
TBS噂の東京マガジン噂の現場で、大豆の値段が高騰しているのに豆腐の売価は据え置かれ、低価格競争が昂じて個人の豆腐屋さんが減少していくレポが発端。
個人商店だけでなく、神奈川県内でもあの有名な豆腐企業が倒産している。(もっともこの倒産は豆腐の価格云々よりも事業拡張に失敗したという見方の方が強いが。)
報道されたスーパーの価格は、豆腐1丁47円、3丁で100円、特売日には1丁10円になったりするんだと。
10円??そりゃ下げ過ぎじゃないの?
私は地元の豆腐屋さんに行って買っています。1丁160円だったかな。その店に後継者はいないから危うい。いや、金額や後継者の話ではない。現在売られている豆腐は木綿でも絹こしでも含まれている大豆の濃度の表示がなく、大豆(遺伝子組み換えではない)、凝固剤と表示されているだけ。
それを、国産の大豆でも輸入の大豆でもいいが、含有率で3段階に分けるというものだった。
10%以上を豆腐
8%以上を調整豆腐
6%以上を加工豆腐
と位置づけるんだと。
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1丁300gの豆腐基準を満たすには300×(10%)=30gの大豆を使用すればいいのではなく、150gなんだそうです。
調製とうふは120グラム。。。
加工とうふの大豆の量は90グラム。。。
何故かって?大豆を水に浸すからですよ。その搾り汁が豆乳ですよね。そのうえで更に、木綿、ソフト木綿、絹ごし、充填絹ごし、寄せ豆腐(おぼろ豆腐)に分けられる。
高級、本格、天然といったファジーな表示はNGで、とうもろこし、玉子、アスパラ、枝豆といった他の成分が入るユニークな豆腐は除外されるだろうな。
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では船山温泉の朝に出される鍋豆腐?陣笠豆腐は大豆の含有率はどれくらいなのか?と聞いたのだが、これはT館長が応えられる訳がない。
輸入大豆ではなく国内産の大豆と仰っておられた。
3段階に分けられることになれば仕入れている豆乳の含有率で判断するしかないが、旅館の朝食であって館内で販売しているわけではないので、表示義務が生じるのかどうか。。。
では船山の豆腐は木綿か絹ごしか。私もわからないが、普段食べてる豆腐と比べたら絹ごだと思う。でもフニャフニャした絹ごしではなく、しっかりした絹ごしだと思います。
最初のひとくちはイケる。醬油でなく出汁なのもいい。
出来立て豆腐としか言いようがないね。私たちが日頃食べてる豆腐はできたてよりも少し時間を置いて落ち着かせた豆腐だから。
船山温泉の豆腐については、あれは要らない、めんどくさい、放っておいたらタイヘンなことになったなど、肯定意見ばかりでもないようです。番頭さんも言っておられたが、固形燃料シュワシュワとはいえ「客に調理させんなよ」ってのは確かにあると思う。
でも船山温泉の厨房から食事処までは距離がある。厨房で出来上がったものを持って来たら冷めてしまう。できたて熱々を運ぶとなるとお客のペースに合わせて調理人を置かなくてはならないのです。だから食事処の各室の卓上に固形燃料を置いてシュワシュワ燃やして火を通すしかない。(猪鍋やステーキもそう。)

これだけだとオモシロくない写真ばかりなので、つい醬油をたらしたら不味くなった。何も足さない方がいいですね。
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船山温泉の朝の豆腐の位置づけはどれになるのか?
別にクサしてんじゃないですよ。
濃いから10%以上の豆腐だと思ってます。
「あれをその辺りの豆腐屋やスーパーで売るとしたら幾らくらいになるんでしょうねぇ」
1丁160円か、それとも3丁100円か。この意地悪い質問には、
「商品として販売されておりますが値段までは・・・」
あ、そうなの?売ってるんだ。
「ただ豆乳の濃度はウチとは違うと思います」
目の前で豆腐のカタさになっていくから、朝のイベント的な意味合いの方が強いですね。
船山館1.jpg
さて、125周年記念記事が続きましたが。
私自身、船山温泉に対して複雑な想いなのです。寂寥感がある。
前から出される同じものを求める私にしてみりゃ全体的な単価が上がった。旅行会社経由のカード客の為に割を喰ってる感がするのだ。加わったものもあるがそれらも単価が高い。
無くなったものもある。寝湯なんか要らないし。
船山温泉とT館長を知って10年以上か。。。ともに明治開湯の調査に関わり、近隣に眠っている南部氏滅亡の痕跡を探り、埋もれてた武田家初期の暗闘を知り、館長と宿の上流を行き止まりまで探検し、マンツーマン取材でひとりで泊まったり、館長の一身上のことを知り、館長と他の源泉や幻の滝を見つけ、3.11震災後にすぐ駆けつけたりした。彼との厚誼は大切なものだった。
この寂寥感は何だろ?
現在の船山温泉は生き残る為にいろんな意味で変わってしまった。何もないあの地で営んでいく為の苦渋の決断、方針や方策の転換も知りそれは理解できる部分もあるが。もう私らの応援する宿ではなくなってしまったような。高級旅館になってしまった感がある。
変わり過ぎましたね。でも私が変化に付いていけない。このまま手の届かないところに行ってしまうようなそんな気がするのです。
前は年に4回行っていた。今年は12月にもう1回行くので年3回。今後はそれも厳しくなるかも知れないなぁ。
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船山温泉99の謎125 開湯125年説の根拠は? [船山温泉]

125周年だから125番にしました。
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ジャン家に届いたDMです。
船山温泉開湯125周年記念プランとある。
1泊2食付通常料金から1500円割引??
今年で125周年だから125名様限定か。私はその中のひとりとして申し込まなかったが、それを見て思った。
「ああそうか。125周年って決めたんだ・・・」

125年前というと。
今年の2017年-125年=1892年だから、明治25年ですね。
船山温泉を守るT館長は5代目です。初代の方は本家から分れて明治25年にこの地にやってきた。本家は近隣の何処かにあしますが、まぁそこは個人情報でもあるので。
「125周年の根拠って何?」
「この地に初代の方が隠居の為、住み始めて温泉を見つけたからだと思います」
「じゃぁ町誌に記載のあった明治30年と5年の差は記録上の誤差かな」
「その後に増築などで資材を使ったのだと思います・・・」
町誌に記載?
明治30年?
増築?

船山温泉に住み始めた初代のご隠居はこの地に温泉があるのを知って移って来たのではないらしいのだ。
T館長は言う。「初代の方が隠居生活でここに住み始めたらま源泉に気付いたのかも知れないです」
推定ですが、初代の方は成島断層の断層粘土を流れる温泉が、船山館の建っている岩盤から染み出ていたのに気付いた。明治25年(1892年)開湯の根拠は「初代が温泉に気付いた」なのです。
だから即、湯場や宿を開いたのではないと思いますが、初代のご隠居が「あ、これってもしかして温泉?だったら開湯して商売やってみるか」になるまで時間はかからなかったとは思う。
船山温泉は沸かし湯なのでそれだけでは湯場にならないが、沸かせば何とかなるんじゃないかって思ったんじゃないかな。
裏手にある源泉を見たら下の方から、ボコッ、ボコッと泡が浮いていた。ジャバジャバと大量に湧き出てはいないが、1時間当たりの噴出量はそう多くはないとはいえ、そこそ出ているようです。
でも源泉の温度が低いのでそのままだと冷泉になってしまう。沸かさないといけない。現在はミニタンクローリーが重油を給油していますが、それまでは薪をくべていたそうです。
明治25年よりもっと前に遡って「南部の隠し湯って謳おうと考えたこともあるのですが・・・」
そりゃちと無理がある。奥州南部氏発祥の地とはいえ、南部氏一族が冷たい源泉に気付いて沸かして入ったとは思えない。

では明治30年頃の増築とは何か?
T館長が言う増築で使った資材とは?
その答えが次の写真です。船山温泉近隣に杉尾という集落がある。そこへ行くには、船山温泉に向かう一本道(彼岸花街道)で、船山温泉に向かう最後の十字路を右手に上がった山の集落です。そこにこんな碑がある。(平成29年9月撮影)
私塾の跡1.jpg
私塾の跡2.jpg
淇水軒学舎(キスイケンガクシャ)と読みます。
先日久々に通ったら、季節柄、草に隠れてるので気付かず通り過ぎてしまった。
過去の写真だとこれ。
キスイケンガクシャ跡1.jpg
この碑は明治の頃の私塾の跡地を示すものです。私塾を開いた人は武田久嘉(キュウカ)という人。武田姓だけに、甲斐国によくありがちな名字ですね。
南部町誌にこの私塾について記載された頁があった。この私塾は明治20年に開いたが明治30年には閉鎖され、閉鎖に伴い塾の建物や資材が船山温泉に搬入されたらしいことが載っているのだ。
その辺りは2010年頃に私とT館長で調べて呟きⅠでUpしました。私とT館長の間ではその私塾の建物の資材を再利用したということになっている。
でも南部町誌の記載もアヤしいところがあってですね。
「淇水軒学舎のあった場所は武田家の自宅の道下で(ここはその後、学校屋敷と呼ばれていたが、昭和50年代に町道が大改修された際に殆どなくなった。) 建物は間口三間奥行四間の二階建であった。(この建物は後に武田家の新屋が船山に温泉宿をはじめた時の建物になった)」
武田家?
私塾の重要記載箇所.jpg
私塾を営んでいた武田家の新家が船山に温泉を開いた記述は間違いである。このBlogでは館長をT姓にしていますが武田姓ではありません。
でもT館長の本家と私塾の武田家は近隣だったようです。
キスイケンガクシャア跡2.jpg

「淇水軒学舎」の建物は解体され、初期の船山温泉に転用、再利用されたという。船山温泉の開湯は明治25年で「淇水軒学舎」を閉じたのが明治30年、この5年の誤差は小さくはないが、明治25年に初代が住み始め、明治30年に近隣の私塾を解体して増築した、その差が5年なのです。
わざわざカッコ書きしてある箇所(この建物は後に武田家の新屋が船山に温泉宿をはじめた時の建物になった)ですが、これだと私塾を解体して船山に温泉宿を始めたことになり、開湯は明治30年(1897年)になってしまうが、T館長は開湯は明治25年開湯と譲らない。初代がここに住んだ、源泉を見つけた、という意味で。
過去にT館長はこう言っていた。
「そういえば子供の頃、明らかに古い材料で建てられた部分がありましたよ。増築に増築を重ねたようになって、その中で如何にも古い建物があったのです。畳二十畳くらいある集会所みたいな建物でした」
現在は近代的に改装されて何処にもその面影はない。私塾の資材は宴会場になったのだろうか。客数増えて増床したとか。
これは改装前の旧船山温泉ですが、この時代に私塾の旧資材を使用した場所が何処かにあったのだろうか。
解体前の旧船山館1.jpg
船山橋にプレートが2.jpg
(提供、船山温泉 T館主)

淇水軒学舎3.jpg
私塾の武田さんが、閉鎖して解体した資材を廃棄するか薪にするのはもったいないと思って、船山初代館主に持ちかけ、解体した資材を山から下ろしたのではないかと。
先代館主(四代目)に船山温泉近隣の木材についてお話を伺ったことがあります。四代目は船山川の対岸を差しながら、
「丸太が積んであるでしょ。あれは何になると思う?」
「家でも建てるのですか?」
「そう。私の知り合いが家を建てるのよ」
地元民どうしでそういうこともできる繋がりがあるのか。それなら明治30年に淇水軒学舎の中古資材を山から下ろして「よかったら使って下さいな」になったのでしょう。譲渡か売却かわからんけど。
私塾の資材を再利用した頃は、現在の屋号である船山温泉ではなかったそうです。旧名は「本郷の湯場」「大森館」だと聞き及ぶ。本郷は地名です。船山温泉の初在地は山梨県南巨摩郡南部町本郷ですから。大森は船山温泉背後にある森林、山林のことです。宿から上流に向かう一本道を林道大森鉈取線といいます。

(余談ですが。かつて船山温泉の上流には人家が2軒あったが現在はありません。墓地と屋敷跡の碑があり、その2軒は山を下りて現在はさるところにお住まいだそうです。
私は数年前、館長と林道のドン詰まりまで行ったことがあるが、林道は途中から地図に載らない作業道になり、林道関係者と堰堤関係者しか立入ができない。オフロードバイクなら行けそうだが、間違っても自家用車で行かない方がいいですよ。)

呟きⅠで、T家の初代が明治25年に開湯、明治30年に武田家が資材を提供して宿を建て増ししたという結論に落ち着いているが、建て増ししたのは利用客が増えたからではないだろうか。
その頃から船山川の護岸工事や上流の堰堤工事が国の事業として始められ、工事関係者が湯に浸かり宴会で利用したのではないかと思う。だから現在と客層、客筋は全く違っていた。それが旧船山温泉の最初のブレイクだと思われます。
ポツンと立つ私塾の碑は何も語らないが、そういう謂れなのです。
淇水軒学舎4.jpg

船山館1.jpg
開湯が120年前だったら、私塾の閉鎖明治30年。
125年前だったら、T家初代がこの地に隠居して源泉を発見した明治25年。
このルーツをT館長とともに調べた自負はあります。明治25年開湯と公表したことで安堵した気持ちもある。
今更ながらこんなネタに拘ったのは、私の中に、船山温泉に対して若干の寂寥感があるからなのですが。。。
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船山温泉99の謎124 夜12時に貸切はどうなるのか?他 [船山温泉]

この記事は先週金曜に下書きの段階でうっかりUpしてしまい、一旦閉じたものです。
気付いたのが夕方だったので、殆ど1日じゅう公開していましたね。
謎番号を変えて、少しだけ後半加筆しました。
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食事処に通じる廊下にその日の炊き込みご飯用の釜が鎮座しています。
小さい釜はこの日のひとり客。
小さい釜.jpg
ひとり客が増えている要因は「食事処が個室なので、周囲からの目を気にしなくても済むこと」
私も数年前に1人で泊まったことがあります。ひとり客プランじゃなくて単に1人で泊まっただけ。ジャン妻が近畿出張で、いい機会とばかり取材を兼ねてひとりで来たの。
ひとりもいい。気楽ではある。でも普段はジャン妻が食べ切れない分を摘まんで喰ったりしているので、ホントに1人分しか料理がないと何だか物足りなかった。夜食のお握りも箱を開けたら1個だけだったし。(苦笑)
まぁそれはいいや。私がひとりで泊まった際に、山側の個室(なら、いちい、のどちらか)で99の謎をいろいろインタビューした。主に船山温泉のルーツ、ハードというか、メカニズムについてです。
そこで聞いた内容のひとつに「貸切湯が12時になると自動で閉まります」というものがあった。
これですね。
どうやって閉まるのか.jpg
前は11時(23時)じゃなかったかな。
貸切湯(二人静、清水)が12時(24時)に閉まるとはどういうことなのか。
うっかりその境目の時間帯に貸切にいたら、カチャッと鍵がロックされ、朝まで閉じ込められるってこと?
だがそういうオートロックになっていないし。
長年気になっていたので改めて聞いてみたら、
「施錠はかかりません。照明が落ちて循環が止まります」
ああ、そういうことね。
照明と給湯がON、OFFで時間設定されている訳か。一晩じゅう注がれてもお湯がもったいのもあるが、深夜の安全性を重視しているのでしょう。
夜の二人静です。確かに暗いね。
夜の二人静.jpg
二人静、清水、もしかしたら静山、渓流の露天も停止するのかも知れないです。内湯は給湯が継続しているのではないかな。

照明が落ちるとどうなるか。私もさすがに夜の12時は寝てるし、停止したタイミングに立ち会ったことはないですが。
参考までにこれは2011年3.11震災後、船山でも計画停電が施行された時のもので、照明が落ちるとこうなります。
闇の渓流の湯.jpg
暗いです。お湯の供給も停まっていました。露天は足元もアブないですね。
停電が解除されてすぐ見にいったら、水までいかないがぬるま湯になってました。
計画停電でいきなり落ちたら渓流の湯のヒューズがトンでしまったことがある。今は殆ど寝湯になっちまった大浴場にお湯の供給が停まり、単なるプールになっちゃってた。

朝5時にONして照明が点き、給湯がスタートするその瞬間にも立ち会ったことはないが、12時にOFF、5時にON、それを手動でやってたら寝不足になってしまうのでタイマー設定がされているのだと思います。
単に電源をON、OFFするだけだし、船山温泉の敷地内外は夜間にライトアップされるがそれも自動でON、OFFされているし。
夜の渓流露天です。
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伊豆八幡野さらの木でも、チョロチョロ注がれているお湯が夜の11時には停まる。給湯開始は朝5時~だったと思います。
あれはオーナー、Mさんが手動でON、OFFしてるのだろうか。今度聞いてみよう。
電気ネタついでに、船山温泉は、敷地内、背後の大森山斜面、船山川の対岸、そこの山の斜面までライトアップされているが、それらはいつ消えるのだろうか。
「庭、対岸の林道、山の斜面のライトアップは何時まで点いてるんです?」
「場所によりますが、お風呂から見える範囲は午前1時までです。駐車場は朝5時までですね」
駐車場が朝まで点いているのは、虫除けと防犯目的だという。虫だけでなく夜にそこらを移動、徘徊する獣にも多少の効果はありそう。敷地内で動物を見たことはないが、裏山でクマの足跡が発見されたことがあるし。
外の照明や館内のエアコンも含めて総電気量は相当高いと思われるが、月に幾らくらいかかるのだろうか。
「50万以上はかかります。安くないですね」
ご、ごじゅうまん!!
桁が違う。夏場で一般家庭の25倍以上か。
「その電気って対岸の電柱から供給されるだけ?あれだけで館内全域やライトアップも含めて電気量を賄えるものなのかな?」
対岸に電柱があって電線が川を跨いでいる。そこから供給される電気で賄えるそうです。
もしかして昨日取り上げたローリーが供給する燃料で、自家発電機を稼働しているのではないかと突っ込んでみたら、自家発電機は置いてないそうです。
駐車場の消灯は5時で消え、同時に貸切が点灯し、給湯が稼動し始めるという訳か。
夜5.jpg
夜の二人静.jpg

山は異界であると言ったのは誰だったか。アウトドアが苦手な私は山に登らないが、ネタとして下のような書籍は幾つか持っています。何か新作が出ると購入して、船山の客室で寝転んで読むのです。
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船山館にずーっと居住され、その辺りの山を知り尽しているT館長に、山で何かそういう異体験はないか聞いてみたが、
「そういうのはないですねぇ」
それは船山に照明が煌々と点いているせいだろうな。船山は山小屋ではないしね。
だが、夜間のライトアップが無かったら。
何か異なものが闇の中に動ごめいているのかも知れない。
そうならないのは月額50万の電気代のお蔭かも。
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船山温泉99の謎123 何を給油しているのか? [船山温泉]

開湯125周年特集続きます。
チェックインして、さぁひと風呂浴びにと勇んで部屋を出ようとしたら、赤くて細い船山橋を1台のタンクローリーが渡っていくのが見えた。
駐車場に男性スタッフがいてバックで誘導していたような。リバース音が聞こえたから、これは裏の源泉小屋に併設しているボイラに給油しに来たんだなと。
何故、船山温泉敷地内にタンクローリーが来るのか。

2階廊下からサンダル履いて喫煙コーナーに出た。喫煙しないのにそこに出たのは初めてですが、そこから大森山の斜面に身をのりだしたら。。。
小型ローリー.jpg
足が長っ!!
ガタイのいいオッさんが、長いコンパスを大股開きでタンク2つ(大小あった)に足を掛けて、給油作業中だった。
じーっと見てたら私の視線、気配に気づいたので軽く会釈した。

この写真をT館長に見せて、
「これってローリーの小さいヤツですよね?」
「当館には大型のローリーが入れません。大きくて4トン車です」
おそらく2トン車だと思いますが。私は船山温泉にいてこの手のタンクローリー車を今日まで2回しか見たことがない。まだ船山の朝食がバイキングになる前の頃、船山川の河原で遊んでたらローリー車が橋を渡ってったのを見たことがある。
周辺は静かだし、聞きなれない排気音がすると目立つし、無粋ではあるが。
「月にどれくらい来るんです?」
「週2回から3回ですね」
「そんなに来るんだ。ローリーは地元の業者さん?」
「地元の業者ですよ」
「給油しているのは重油?軽油?確か重油の方が安いような・・・」
「重油です」
この辺りになるとT館長はガードが固くなってくる。上記の遣り取りはメール問答ですが、スーパー理系のT館長はご自身でも仰っておられたが国語が苦手で、話を膨らますとか、質問側をヨロコバせるセンスはあまりない。
固い答えばかりなので私也に考察しますが。重油も成分含有率によって幾つか種類あるそうで、燃焼力が強過ぎて発電用に向くA重油ではないと思う。おそらくは暖房用ボイラーに適しているローサル何とか重油(LSA)だと思います。
館長は地元の業者と言っていたので探してみたら、船山温泉から近いところでは山梨県南巨摩郡身延町の某所で取り扱っているようです。ガソリンの他にA重油、LSA重油、軽油、灯油とか。

何でタンクローリーが重油を週2回も3回も運んでくるのか。
理由のひとつ、大型ローリーが入れないから?大型のタンクローリーで給油したら2回来るところを1回で済むかも知れない。配送の基本料が2回→1回で済むし。

もうひとつの理由は源泉温度が低いからですよ。最近の船山温泉客は値段が上がったことで私らのような過去からのリピーターが減って、じゃらん経由で予約する新規の顧客が多いと思うので改めて書きますが、船山温泉は沸かし湯なんです。天然のかけ流しじゃないのです。
併設されている源泉小屋を開けて覗きこんだら、薄暗いなかに水が貯まっており、底の方からボコボコ湧き出していたが湯気は全く立っていない。この時点で湯ではないのです。源泉の温度は17℃だそうだから冷泉といっていい。
この源泉と、併設されている重油タンク、ボイラーが船山が温泉宿としての生命線なのです。タンクローリーが運んで来なかったら若干の硫黄の香がする水でしかないのだ。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-01-05

ジャン妻は「ガソリンじゃないの?」な~んてバカ言ってたが、
「ガソリンを給油したらどーなるかな?」
「灯油ストーブにガソリンを入れてしまうのと一緒ですよ。爆発!!」(T館長)
「それ館長に言ったのっ?」(ジャン妻)
「言った。笑ってた」
「2人してバカにしたわね」(ジャン妻)
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「月の重油の平均使用量ってどれくらいよ?」
リッター単位と支払金額もしくは単価計算で聞いてみたのだが、それは企業秘密なのか教えてくれなかった。内緒だそうです。
「季節によって大分違います。真冬と真夏では2倍違いますね」
これは温度設定にもよるのだろうな。給油後に燃焼させるメカニズムは私にはわからないが、スーパー理系のT館長に聞いたところ、前記事でも書いたが船山温泉には補給用ボイラーと循環用ボイラーの2機があって、それは1機だけだと性能上17℃の源泉を体温より高い38℃~40℃まで一気に上げられないからだという。
補給用ボイラーだけでは若干温いので、湯船の温度が下がったところで循環用ボイラーが働いて加温する、ということは常時2機のボイラーが稼働しっ放しということである。
だから原油高騰が痛い。
「でも前よりは安定してます。平成7年頃に比べれば倍に上がりましたが・・・」

(このメカニズムを導入したのは昭和61年からで、それまでは薪をくべてたと聞いたことがあるが。。。)

沸かし湯、これは源泉かけ流しでない船山温泉の泣き所でもある。館長が蕎麦宿を羨むのも尤もである。

(もっとも蕎麦宿は後継者問題でタイヘンらしいが。)

「あの震災直後、湯を沸かす燃料は安定供給できたのかな」
「単価は上がりましたが、供給は安定してましたね」
意外と地方の業者は知り合いには強いらしい。

給油光景を見てすぐ湯に直行した。
燃料を供給されたせいか、貸切清水の湯に勢いが増したぞ。
硫黄のニオイもいつもよりやや強い気がする。
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湯から出て庭でビールを飲んでいたら背後で排気音がした。ローリーは去っていったようです。
別に私は源泉かけ流しの湯に拘ってる人ではないが、山の中の温泉宿に、タンクローリーが重油を納めに来る風景はまぁ無粋かも知れない。
でも仕方がないのです。源泉温度が低いのだから。

余談ですが。
今日で船山史家Ⅲ、記事数1000になりました。
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ⅠとⅡは無料プランだったのでそこまでいかなかったんですよ。有料プランにしたことでⅠもⅡも更新可能になりましたがね。
1000だからって特別な感慨はないです。今日も普通の記事。日々更新するだけです。
ご訪問ありがとうございます。
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ジャン妻が開湯125周年で見た夢 [船山温泉]

深更の船山温泉館内です。
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そして夜が明けて。。。
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朝餉のコールが鳴る30分前、ジャン妻はムクッと起き上がった。
私に向ける視線が険しいぞ。寝不足か?
「ヤな夢を見た。。。」
またかよ。どうせロクな夢じゃないんだ。
「アナタが浮気した。。。」
「浮気ぃ?」
じと目で私を見てる。
よく見るんですそういう夢を。そんなん言われてもさ。夢の中での話だろうがよ。
夢なんてのは覚醒すればするほど内容を忘れるもの。早く現実に引き戻さないと。
だが、自分が誰と、どんなオンナと浮気したのか気になったりして。
「相手は誰さ?」
聞かずともよいことを聞いてしまったのである。
ジャン妻の眦が釣り上がった。
「〇〇さんと、Eさんと、Uちゃん」
「さ、さんにんも」
全く知らない架空の人物ではない。それならまだしも3人とも実在の女性で、このBlogにも登場しています。
3人とも私とほぼ同世代の連中だった。ということは若い女性ではなかったということか・・・私はジャン妻の不機嫌をよそに自分が手を出したらしい浮気相手の値踏みをした。
1回の夢で3人とどうやって。3人同時に?」
「ひとりずつ私に向かって許可を求めたのよ。『浮気していい?』だったか『抱いてきていい?』っだったかな」
背筋が寒くなった。
「で、アナタはそれに何て応えたのさ?」
「そこは覚えてない」
OKを出したのではないらしい。
「私のその後のシチュエーションは?」
「そんなん知るかっ!!」
己の亭主の浮気現場を目撃したのではないらしい。
ジャン妻は絡みつくような視線で私をじーっと見てる。私は辟易した。
「もう忘れろ。何でそんな夢を船山で。それも実在の人物3人も」
「じーっ」(視線の音)
「忘れろって」
「じーっ」(視線の音)
「うん?Uちゃんもか?」
「あのUちゃんにまで」
Uちゃんてのは私らのかかりつけ内科医です。女医。
「アナタにそういう願望があるからよ。じーっ(視線の音)」
「夢にまで責任持てるか」
でもジャン妻は非難の視線を止めない。。。
「いつまでもそんな目ぇしてっとBlogに書くぞこのネタ」
「書くなっ」
ってもうUpしちゃたし。でも何でよりによって船山でそんな夢を見るかな~。
それでいて私は他のキャラたち、アイツとアイツは夢に出なかったのかな?なんて不謹慎なことを考えている。
自分の夢で見てみたいものである。
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夢はいつか覚める。
チェックアウトしてから車中で浮気ネタは収まったようだが。
何も船山温泉でそういう夢を見んでもよかろうがよ。
(朝食については、豆腐について一考察あるので別項にします。)
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開湯125周年の夕餉もいつもと変わらず [船山温泉]

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いつもと変わらず!!
それでいいのです!!
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いつも変わらぬ定番です。
甘味と歯応えある岩魚造り。。。
グツグツ煮るほどやわらかくなる猪鍋。。。
塩焼を素揚げに変えてもう10何年?添えられた大好きなノビル。(これ変えないで)
今宵のワインビーフのやわらかさは過去最高。いつもは噛んで肉の旨味を楽しむ肉が、今宵は舌の上でとろけたからね。
炊き込みご飯でお腹いっぱい。デザートでウップ。
でも若い頃と違って、追加料理の入る別腹はなくなってきたなぁ。
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船山温泉開湯125周年特集 [船山温泉]

昨日うっかり下書き記事をUpしてしまい失礼致しました。
それも「船山温泉99の謎126」
122までUp済みですが、123、124、125と3つもスッ飛ばしてしまってからに。126は一旦保存しました。加筆して後日再掲載します。

125周年の船山温泉です。
Blogの冠に船山温泉を掲げている以上、もっともっと船山記事を取り上げなきゃいかんのですが。
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今回は出遅れた。
ジャン家の冷蔵庫の氷を作る水をタンクから給水するホースが凍結してしまい、業者を呼んだのが船山温泉出立前の10時で、修理完了が11時、家を出たのが11時半。
そしたら藤沢IC方面が大渋滞。
事前に調べりゃよかったのですが。国道1号藤沢インター交差点付近で、横浜湘南道路と接続する為の工事が始まり、既設ランプの橋梁撤去作業の必要性から、そこだけ1車線規制になったと。そのせいで4km手前の影取町から動かないのです。
ドツボにハマる前、30号線に逸れてUターン、境川沿いに北上して海老名ICを目指し、そっから東名へ。
もうしばらく藤沢ICからは入らないことにした。下を走って海老名ICから入ろ。
(伊豆八幡野高原へ行くのにも支障が出そう。)
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チェックイン15時は、私にしては遅い方である。
前は周囲の散策やら探検やらで13時きっかりに入らないと損な気もしたが、最近は時間を持て余すようになった。やはり早くて14時、15時インぐらいでいいですね。
駐車場へ女性が出迎えてくれたが、私が心配しているのはT館長以外に2人いる男性スタッフ。
1人は確か勤務して4年目だから、近年この宿では永年勤続ものだよ。よう辛抱したねエライエライ。
もう1人は館長と地元の同窓生と聞き及ぶ。なかなかガードが固い。館長から「ネタ拾いの挑発に乗るな」と口止めされているだろうと推測される。
ここへ来るまでに「友人の宿で働くってのは気ぃ遣うだろうな。それまでの友情がブッ壊れる覚悟が要るだろうな」って車内で悪態ついてたんですよ。
もっとヒデぇこと言ったの。「どっちか辞めてんじゃねぇか。賭けようぜ」って。
「賭けにならねぇかな」
「私は辞めてない方に賭けるからね」
結果、意地悪い私は賭けに破れた。「何かおごれ」って言われた。
以上は悪い冗談ですからね。男性陣、真に受けないようにお願いします。悪態ついてるだけで安堵した気持ちの方が多いんだからさ。
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貸切清水にて。私が浸かっているところ。
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私が出た途端、源泉と循環がドーッと補給されてるところ。
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ここに来る前、小型のタンクローリー車が船山橋を渡って来たのを目ざとく目撃。喫煙所から源泉小屋を除いたらローリーが横付けして何か作業中だった。
業者さんも私に気付いて会釈してくれたが。地元南部町のGSから来たのだろうか。
燃料を補給したせいか、気持ち、硫黄の香りが強めである。
そのクセ私は硫黄のニオイが苦手で。この宿が上州草津温泉のようにモクモクしてたら私は船山に通い続けなかっただろう。
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二人静に入った。貸切はどこかしら空いていた。平日だからね。
大浴場をあんな寝湯が占拠しちゃってんだもん。もう混雑する土曜に来るもんかい。
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一風呂浴びてからジャン妻と庭で生ビール。
自然の秋風が心地よい。
だが西には台風が来ている筈。明日は雨だろう。
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ノッシノッシと歩くジャン妻の後姿。
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廊下でベテランのMさんに出逢った。インカムで私らの名前を聞いて出てきてくれたの。
弾性率が増えたこの宿で貴重な存在である。
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平日なので空いていた。お客は6組、うち半分は一人客だった。置いてある釜が小さかったから。
「連れ合いを亡くした方が来てるとか?」
「いえ、普通にお一人様でお見えになったお客さまです」
「ああそう。紀尾井さんの常連さんもそうだったしね。でも何で一人客が増えたのかな」
「ウチの食事処が個室だからです。ひとりでいてもまず、誰にも見られないし、気楽じゃないですか」
「ああ、そういうことか」
これが大部屋、食堂だと視線を感じるだろうからね。

階段の踊り場にある彼岸花。曼珠沙華。
宿に来るまでの船山川沿いの1本道を彼岸花街道といふ。そこにもたくさん咲いていた。
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特別追加料理は変わらず。これに載ってない料理で地鮎の天ぷらがあった。
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これはやり過ぎだよ。
こういうプランを利用する方が実際いるのかな。
3240円支払って45分貸切?でもこの時間帯だと相当酒が入ってるから長湯はキケンかも。
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夕餉前に撮った写真。
空いてるからいいけど、左で場所を取ってる寝湯がジャマでしょーがないぜ。
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そして夕餉の時間へ。
今回の船山料理は、甲州ワインビーフヒレ肉以外はノープランです。白ワインもオーダーしなかったので、私らにしてみりゃ酒飲まなかった方なんです。すると余計に、
高い!!
・・・というしかないです。船山温泉は開湯125年を機に高級旅館になっちゃった感がします。
「今まであったものが幾つか無くなって、全体の単価が上がったね」(ジャン妻)
「・・・」
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ポテチ 104 両毛線 [グルメ&人間ドラマ]

静岡に出張中ですが、うっかり下書き記事をアップしてしまいました。船山温泉記事です。
そちらは一旦、クローズしますね。

秋晴れの上州、ルートインをチェックアウトして旭町を歩いてるところ。
前方には私が住んでたマンションが見える。あの部屋へ還りたいな。
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私が毎朝、毎夕、往復で歩いていた通りです。
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ノスタルジックな気分から切り替わって、朝イチでレンタカー借りて某現場へ。
そこはよく登場するEというママ社員がボス格。8月に上京してきたEとニアミスで会えなかったので、打ち合わせを兼ねて「顔を出すからよ~」って旨は伝えてある。
行ったら30歳になった聖なる酔っ払い女がいた。
「30歳になったらこれから月日の経つの早いよ~」
そしたら大口開けて歯をムキ出し、アンダーワールドのバンパイヤの表情になった。「ガーッ」と吠えて私を威嚇しやがった。

Eの現場でちょっとした記入作業をしなきゃならない。
控室(休憩室)の鍵を借りようとした。別棟の2階にあるのです。
「そこ(控室)借りるよ」
「いいよ。散らかってるけど」
鍵を預かり、ドアを開けて入ったらそこには、
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ポテチがあった。
それも私の大好きなカルビーのり塩ではないかい。
喰っていいかな、誘惑心がメラメラ燃えきあがる。無視しようにも意志が強く保てない。
だからといってネズミみたいに盗み喰いする訳にいかない。わ・ざ・わ・ざ・現場に戻ってEに、
「冷蔵庫の中のお茶飲んでいい?」
「いいよ。冷えてんでしょ」
「ポテチ食べていい?」
「(笑)いいよ(笑)。食べると思ってアタシが買って置いといたんだから(笑)」
私への好意なのかな。何だか陰で「子供みた~い」と嗤われているような気もするが。
ともかくOKが出たので、封を切ってお茶飲みながらカジカジ喰いだした。
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でもさすがに全部喰うわけにはいくまい。皆の分も残しておかなきゃ。
理性が働いたので喰うのをSTOPして、仕入伝票と一緒にワゴムで閉じておいた。ポテチ全部喰ったらランチが美味しくなくなるからね。
(つまみ喰いしておいて勝手なことを言う。)

その日の昼はここ。11時OPENのこの店へ。
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澄んだ青い空がここにも。
104の頭上も秋晴れだ。
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マスターがTシャツ姿だった。半袖です。いつものユニフォームじゃない。
早秋に入ったとはいえ日中はまだまだ暑く、厨房の温度も上昇しているから暑いんだろうけど、そんなカッコでアブなくないのかな。グリル系が多いだけに油がトンだり撥ねたりしないのかな。
ま、いーか。私は出るものがちゃんと出て食えればいいので。

会社携帯で指示メール打ちながらしばらく待ってたら、突然、
「アァ~~ッ!!」
パリ~ン!!
マスターの絶叫と、フライパンが床に落ちた音が響いた。
「やっちゃった~」
フライパンの柄の部分ではなく、焼いて熱された本体を素手で掴んじゃったらしいのだ。
私は滅多にこの店で話しかけたりしないのだが、目の前でやられたのでさすがに言いましたよ。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃ・・・ない・・・」
掌が真っ赤になっていた。でもそういうのって一度や二度じゃないらしく、両腕のあちこちの傷跡、火傷の痕を見せてくれた。
「アタマでわかってても身体が先に動いてついついやっちゃうんですよね~」(ママ)
「夏はTシャツでやるので。よくやるんですよ」
それだったらちゃんとした服装して防御すればいいのに。
マスターは過去の傷痕を見せびらかしながら「仕事の勲章ですよ」
私はそうは思わないな~。
単なるドジか学習不足だと思う。誰も誉めないですよ。(爆笑)
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レンタカーを返して電車で前橋へ向かう途中、Eからメールが。
「何でポテチ残したのさ?」
「何でって・・・」
Eはお節介なところがある。「お腹の調子悪いの?」
「いや、そうじゃない。皆の分も少し残しておくのがマナーかな~と思ったので・・・」
「でもちょっとしか残ってないじゃん」
ちょっとだけ残すくらいなら全部食べなさいよと言わんばかりであった。

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前橋で小山行の両毛線待ち。
高崎から小山市内へ向かう経路を検索したら、大宮に戻ってから小山へ向かう経路が表示された。でも私は戻るのがイヤなタチでして。
静岡から帰京する際もそう。新横浜で下車してJR横浜線や市営地下鉄で戻るのがイヤなの。小田原で下車して東海道線で前へ進む方がいい。戻るのは何だかイヤ。
このヘンなクセをジャン妻は「無駄!!何バカやってんの?新横浜まで出なさい。小田原に停車する本数少ないでしょうに」
確かにそうなんだけど。戻ってまた進む折れ線ルートがどうしてもイヤなのです。こないだなんか関内から茅ヶ崎方面へ行くのに横浜まで戻るのがイヤで(僅か2駅ですけど)根岸線で大船まで行ったら余計に時間がかかったからね。
戻るのがイヤな私は高崎(前橋)から小山へ向かう場合、大宮まで戻るのがイヤで、両毛線で一気に行っちゃえと。
でも小山行は1時間に1本しかないのです。他は伊勢崎行。
余計に時間がかかった。で、両毛線の車内マナーの悪いこと。横座りで3席も占拠すんなよこのオヤジ。
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両毛線はなかなか小山に着かない。
いつまで経っても着かない。車窓風景も単調だし。
窓は汚れているし。いつ着くんだろう。
でも大宮まで戻るのはイヤ。これでいいんだと言い聞かせてようやく小山に着いた。
小山駅の両毛線ホームは駅構内の先端、宇都宮寄りに追いやられている。構内を延々歩いているところ。八高線もそうですが、JR東日本はローカル線と利用客に冷たいね。
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小山市内で公用を済ませ、帰京も在来線(上野東京ライン、湘南新宿ライン)にしようと考えたのですが。両毛線に座りっ放しで腰にキタので新幹線にした。
小山に停車する新幹線は本数が少ないんです。高崎より少ない。
自由席満席で。最初は立ってました。
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大宮でかろうじて着席。
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「両毛線で?大宮まで戻らなかったの?」
「経費節減」
「時間のムダ」
このネタになるといつも夫婦の会話は平行線。
9月の上州旅、おわり。
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彷徨い [風景]

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この街に還りたい。。。
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1/300 [BAR]

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長ったらしい名前のウイスキーをいただいた。
打ち込むのがめんどいので、マスターのBlogから拝借。
1952-2017 TO COMMEMORATE THE SAPPHIRE JUBILEE OF QUEEN ELIZABETH Ⅱ
(ザ・イングリッシュウイスキー クイーン・エリザベス サファイヤ・ジュベリー)
こんな長ったらしいネーミングのウイスキーは他に知らんよ。英国エリザベス女王即位65周年を祝して限定300本だって。全世界で300本ですよ。
その300本分の1本が目の前にある。
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旅人の惑星さんがボトル空にしたと思ったのですが。
あまり出なかったのかな。
1杯だけいただいたが、
「1杯3000円ぐらい?」
「そ、そんなにしないですよ」
BARが酒屋と同じ値段で営っていける訳ないから幾らでもいいけどさ。
「どうやって仕入れたの?」
「Amazonです。検索したら・・・」
マスターはカウンター端にあるPCを指した。たまたま引っかかったんだって。
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女王様だって?
エリザベス女王様で思い出したのですが、私が毎日欠かさず見てる「グンマーおやじのBlog」では、管理人さんが奥様を女王様と呼ばれておられます。
そこはコメント欄が無いのが残念ですが、知識が豊富で、ウィットに富んで、読み手を唸らせる文章を書かれる方です。失礼ながら、知性あるボヤき記事がオモシロい。
ウチにだって女王蜂・・・じゃなかった女王様がいる。このヨタ記事書いてた2017年9月9日に、地元の酒のディスカウントでビール1ケースと富士山麓という安いウイスキーを購入したのですが、ロイヤル何とかはそういう店では売ってない。(アタリマエか)その日の午後に検索してみたら、Amazonで残り3点、ご注文はお早目にとあった。
自室で寝転がってる女王様(ジャン妻)に、
「これ注文しない?」
長ったらしいネーミングとその由来を話した。
「フン・・・(笑)」
ジャン妻は鼻で笑いやがった。ムクッと起き上がり、
「それを飲んだの?」
「うん」
「〇〇さん(ショウさんの本名)が?」
「彼も飲んだけど」
「会ったの?」
「会ってない。別々にだよ」
「アナタもそれ飲んだの?」
「うん。1杯だけ」
「1杯幾らだったの?」
この辺りは主婦の発言だね。ロクすっぽ主婦業に勤しんでないクセに、金銭疑惑には食らいついてくるんだからさ。
「1杯3000円?」とは言ったけど「幾らなの?」なんて無粋なことを聞ける訳ないじゃないか。
「どんな味、香りだったの?」
そ、そんなん言われても。「香りは全粒粉のビスケットのようなバニラを伴ったふんわりとした甘さから次第にリンゴのタルト、トフィークリームへと変化して行きます。味わいはリッチでオイリーで・・・クリーミーなバニラアイスクリーム、トフィー、スパイスの効いたアップルパイだよ」とマスターのBlogを棒読みしたら白い目で見られた。
結局私は洋酒の香、味が比喩できないのです。BARは酒を飲むところだが、私は酒を飲みに来るよりも1日を振り返って終わらせようとして、その日のテーマが居酒屋で完結しなかった場合にもう1軒寄って、その日を振り返り、何かの想いを浮かべ、最後の1杯でリセットボタンを押す。その為にBARへ行くのです。
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だけどホントに300本かな。
実はもう1桁2桁出てるってことない?
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実際の女王様は、息子たちの離婚やら再婚やら、特に孫のヘンリー王子にはお悩みのようですな。
王子のスキャンダルをイチイチ挙げてたらきりがないから書きませんけど。
1926年のお生まれだから御年91歳か。英国内での人気も高そうだから退位なさらないんだろうね。退位できないのでしょう。
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哀しいかな。貴重なお酒をいただいたが私は洋酒のノウハウはサッパリ。単なる酔いどれでしかないのだ。
BARでは雰囲気に浸れればいいのですが、この夜だって最後はこんな感じですよ。子供がお菓子をブッ散らかしたに等しい。
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私なんぞにもったいない洋酒だった。では次回は即位70周年記念かな。
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具が殆ど無い焼きそば [BAR]

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スタンプカードが埋まった時に名前と住所を書きこんだら、この案内がウチにも届いたんですよ。
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でもねぇ。
これって日本酒の専門的な知識が無いと入っていけないんでしょ。
見たくもない余興を見なきゃなんないんでしょ。
自分のペースで飲めなさそうだし。
酒飲んで酒を語り合う?専門的な会話?そういうのって苦手なのだ。
私は専門職じゃないからね。日本酒談義なんてしたくないし。
人生を語るならともかく!!
(そんなドラマティックなものじゃないですけど。)
辞退しました。私が辞退した分、どなたかが参加すりゃぁいい。
「自分は遠慮します」
「ああ、そうですか」
「多分、浮いちゃうし」
「そ、そんなことないんじゃないですか?」
そんなことあるんですよ。私はそういうの浮いちゃうの。だからこうしてひとりで飲んでんじゃないか。
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この店の1階、入ってすぐ右のスペースは大好きです。
誰にもじゃまされないマイペースな空間です。誰か傍らにいてもいいですけどね。孤独を分け合いたい?
フロアのテーブル席に座ったことないですが、私は1階の客なのです。
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お燗を浸けてるとこ。
今更ながら、温度を確認した。
日向燗(30度前後)
ひと肌燗(35度前後)
ぬる燗(40度前後)
上燗(普通燗、45度前後)
熱燗(50度前後)
とびきり燗(55~60度)
皆さんはどえですか?私は43度で取りだしました。
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アテはもちろん焼きそば。今日は薄い塩味。
具が殆ど無い!!
これこそ私の理想の焼きそばだね。
野菜の高騰で具が少ないのかも。
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静かだな~。
客がゼロ!!誰もいないんです。
1階フロア貸切した気分です。
館内に響くのは私が焼きそばをズルズルすする音だけ。
2階からも声が聞こえない。気配がない。ホントに誰もいないのかな。

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2皿めです。脇からベーコンがカオを出した。
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3皿めです。ますます具がなくなり、また下からベーコンがカオを出した。
私はこのBARを屋台と位置付けてるのかも知れない。
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ヒマなのか、ママが2階から下りてきた。
移転前のチーオムは永遠の想い出かな。
静かな夜だった。
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和が家で餃子 [居酒屋]

群馬八幡に下りたら今にも降りそうなアヤしい空模様。
(また降らせてしまうだろうか。)
「雨率が高いですよね」(店主)
「私が降らせてる訳じゃねぇけどさ」
私は雨率が高いのです。雷雨にならなければいいが。
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駅前のお迎えのくるまが車懸の陣のように一斉に回転して出ていくところ。
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夜道を歩く。歩いているのは私だけ。
時折くるまが走り去った後は虫の音の大合唱。
もう秋です。時折吹く風も秋の風。
どの家々も窓が開いていた。
網戸だけで開いてる玄関の上がりに犬が寝ていたり。
2階の開いてる窓から、鴨居、写真、額縁が見えたり。
どの家々もエアコンは稼動していない。窓を開け、網戸から自然の風を家の中に入れている。
昔はエアコンなんて無かったのだから。自然の風を入れていた。
昔に比べてそれだけ気候が変動したということか。
どこからか懐かしい蚊取り線香の香がした。
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よう連絡が来るんです。「ハチビキが入りました「ヤガラが入りました」って。
こないだなんか「枝豆豆腐を仕込みました」
枝豆豆腐とは何だ?
「ヤッコの上に枝豆が載っかってんだろ」って返したの。昨日は「シンコが手に入りました」って言うからさ。
「シンコって何?お新香のこと?」
「そうで~す、じゃなくて・・・」
コハダより小さいコノシロの幼魚だって。
4cm~5cmをシンコ、~10cmをコハダ、13cmでナカズミ(知らないなそんな名前)、15cm以上がコノシロ、いちばん大くて15cm程度ですよ。
出世魚だそうです。数年前、上と衝突して降格、もうこれ以上の出世は望まない(望めない)私へのイヤミか。
シンコは小さいからさばくのに技と経験が求められるんだって。小さいほど値が張るらしいし。
「コハダの小さいの?じゃぁ酢締めか何かで?」
「そうです、酢で軽~く〆てあります」
「う~ん、酢の物が苦手で」
「〇〇さん(私の本名)酢の物苦手なんですか?どうして?」
「酸っぱいから」
理由はそれだけですよ。カンパチにしました。
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ふとボードを見たら意外なメニューがあった。
「餃子なんてあんの?」
「いきます?」
「うん。初めてじゃないかな」
まさかチンなんて音しないよなと疑ったが、フライパンでジュウジュウ焼いてましたね。
「普通の餃子だよね」
「ですよ」
「羽根付じゃないよね?」
「ガハハハ(笑)至って普通です」
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見た目はイマイチですがなかなかイケたんですよ。箸で摘まんでも崩れないし、穴が開いたり破れたりもしないし、具もそこそこ入ってたし。
「餃子なんて前からあったっけ?」
「今年の夏にお客さんが言うには、やっぱ夏場は餃子でビール飲みたいよねって」
それだったらそこらのラーメン屋へ行きゃぁいいのにね。
「美味いって誉めていいのかな餃子なんかを」
「ありがとうございます。手作りですよ。大きさも普通でしょ。大きけりゃいいってもんじゃないし」
「もしかして吉井町のジャンボ餃子のこと言ってます?」
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「あれはデカい。箸で摘まめないの。破れて中から具がボロボロ出て来るんだもん。皿に口を近づけてズルズルすすって食べたからね」
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「毎日は無理ですけど、仕込みに余裕がある時に多めに作っておいて冷凍すれば。余ったら賄になるし、おかずにご飯食べられるじゃないですか」
自家消費も可能という訳か。和が家で餃子が我が家で餃子になる訳だね。
「住んでた近くに、皮も具も手作りに拘る餃子を出す店があって・・・、
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・・・主人がFacebookかTwitterで、餃子仕込みました、って入れると餃子ばっかり出るそうですよ。ウチが餃子専門店じゃない~って」
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前後と上下、二段のカウンターです。ビールから日本酒(船尾瀧)に移行するタイミングだったので、しっかり少しずつ取り置きしています。
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船尾用にまだ1個キープしてあるし。
「(お酒と)合いますか?」
「合うね。でも餃子で船尾とはね。大関とか安い酒でいいのにね」
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店主は餃子に限らず「チャーシューとかも前にやったんで。最近は殆ど煮豚ですが、焼いたチャーシューを出したいですね。角煮とかも」
焼いたチャーシューね。そういえばママの両腕が、チャーシューを連想させるくらいに陽に焼けてたな。
「餃子に限らず言えば旦那に作らせますので何か宿題与えてください」
「焼きそばとか」
「いいですね」
「でもそういうのすると、そればっかり出て他のが出なかったりしてな」
「OKですよ。だから(ウチに)来てくださいね」
来てくださいねの後で、気になることを言われた。
「焼きそばお好きですものね」
え???
私が焼きそば好きなのを何故知っている。
この店にはないし、そういう会話をしたことない筈だが。
もしかして私のBlogを知ってるのかな。でも酢が苦手なのは知らなかったみたいだし。
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この日ばかりは竹輪は脇役だった。
いつもの竹輪と違って固かったな。
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山芋の磯辺揚げもいただいた。磯部ではなくて磯辺ですよ。
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白菜の浅漬け。
白菜のBodyから赤いものがチラチラ見えてる。退けました。
「辛いの苦手ですもんね」
やはり知ってるのだろうか。でもまぁいいか。悪いこと書いてないし。
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この白菜、噛んでるとか顎が疲れるぞ。
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最後におとおしアンコール、ジャン母の煮物の残り物にソックリで見た目はマズそうだが、味が浸みて美味かったので。
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帰りはタクった。
少し小雨が降っている。
フロントガラス前方に見える町の光が懐かしい。
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「何処へ行ったの?」(ジャン妻)
「和が家」
「七じゃないの?」
「だってメールが来たから」
「いいタイミングで来るよね。まぁアナタが和が家と気が合うのはわかるけど。で、これから?」
「う~ん・・・」
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